銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

突然の円安(または、株安)は、なぜ起きるのか?…後藤健司夫妻、川名昭宣夫妻、緒方貞子夫妻…現在加筆中

2023-06-30 21:35:33 | 政治

 この写真は、NHK2023-6-29の、お昼のニュースからスマホで採録したものです。一億二千万人の日本人が、影響を受けるのに、NHKは、さしたる批判もせずに、報道をします。その姿勢こそ、これが、対私いじめの方策で、だれか、超富豪の、人に、円を売りなさい」と、命令すれば、簡単に起きる現象で、私が正しいことをブログで、公開で・・・・・・この際は、猿之助逮捕は、まったくふ頭であり、段四郎夫妻は、死んでいないと、書いていること・・・・・または、非公開(各種の泥棒被害・・・・ご近所様、もしくは警察がやっている攻撃の一種)を、非公開で、書いた事への、復讐として、起こされています。以前にも、何度も起きている現象ですが、このブログで、取りあげるのは、初めてです。

 この文章は、私にとって書くのに、大変難しいことを書いているので、本日7月2日で、三日目に入ります。初稿に対して、二日目に加筆したところは青で、加筆しています。三日目に加筆をするところは、紫で、加筆をしておきます。2日、日曜日は、家事の合間に演円と加筆をしていく予定です。夜の、九時ごろ、もう一度、ここを除いてくださると、助かります。

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 それを書くと、また、私が不自由になるので、書きたくなかったのですが、突然の円安は、私が、このぱそこんの、このgoo blog の下書きボックスに、或る考察を書いたからです。

  または、こうかいとしての・・・・猿之助の両親=段四郎夫妻=は、死んでおらず、猿之助逮捕は、ただ、ただ、私の、ぶろぐが間違っているという方向へもっていきたいから起きている・・・・・と、見ているのもアメリカにある、CIA中枢が、動くところになるのでしょう。という挿入を二日目に入れて元へ戻ります。

 非公開のタイトルとして、【ご近所の動き】、【泥棒の話】、【文化番組を通じての、攻撃】というのがあります。そのなかに、書いていることが、ハッキングを通じて鎌倉エージェントと、私が呼んでいる人物たちが読みます。世界中で、二十人は、それをやっていると思います。日本にいる、純粋日本人CIAエージェントも読むが、アメリカに、いる、NATIVE AMERICAN(とくにはくじんを指す)の中で、日本語を理解する、連中も読むかもしれません。

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副題1、『イスラム過激派に、首をちょん切られて、絶命をしたとされていう、後藤健司さんも、名前を変え、アメリカに家族で、移住して、夫婦で、私のブログを分析しているでしょう。奥様は東大卒で、元、AFP通信社勤務です。

 ここですが、私は、インターネットで、公開されたと、されている二人の処刑動画は、見ておりません。特に探さなかったという行動もありましたが、もし探しても、私のパソコンには、それは、現れなかったかもしれません。で、二人が捕まったわけですが、軍事オタクだと、されて居た、湯川はるな君は、確実に殺されたと思います。しかし、後藤健司さんの方は、殺されなかったと、見ています。どうしてそういえるのかを、これから、書いていきます。

 私のICU同期卒で、河出書房新社に、伊藤玄二郎と同期、または、1,2年後前後して、入社した、川名昭宣君という人物がいます。この人の奥様が、ICU卒ですが、もと、AFP勤務です。後藤健司という人物は、仙台出身です。これが、みそです。

 仙台には、井上ひさしが、大きなネットを持っていてこの一家(後藤家)と接触があったとすいさつしています。でね。彼らは、或る謀略の準備に、10年かけることもあるのです。で、後藤健司さんも、10年以上の準備段階を経て、彼が、殺されると、日本国民の間に、劇的な同情を招く筈だ。という風に、育て上げられていったと思います。それは、アレッポについた途端に銃撃されて、亡くなった斎藤美香さんの、ケースと、同じ思考様式で、育て上げられたという形です。どうして、そういう必要があったかというとシャルリーエブド事件というのがありましたね。

 あれ以来、この山の前田家で、二階の天井灯を午前零時まで、カーテンを開けたまま、点灯しておくと、言う微妙な嫌がらせ行為が始まったのでした。3.11直後に東電の名前で、我が家だけが、午前4時にサーチライトで、煌々と照らされるという事が始まり、音だけではなくて光を使った攻撃というのが始まったのです。それを継続させるために、CIAは、イスラム過激派とか、アラブの春とか、いろいろな、謀略事件を起こしました。パリで、現地で生活している人間を殺すだけではなくて、斎藤美香さん(父親は朝日新聞記者だったという。のちに都留文科大学教授になる)

 後藤健司さん、そして、アフガニスタンで、井戸を掘っていた医師の、中村哲さんを殺しました。すべて前田家の、天井灯の脅かし効果を高めるためにぎせいになったひとたちです。前田家の天井灯の嫌がらせ行為は、西隣の白井達雄、一かに引き継がれ、やがて開き伸明案一家に引き継がれていき、いまだに、有効な手立てとしつかわれています。 30日の午前二時には、白井邸で、二階のペンダント灯が、ついていましたし、平木家など、2023年6月28日、29日、30日と、ずっと点灯しておりました。

 上にあげた三人の殺された人物のうち、後藤健司さんだけは、殺されていないでしょう。というのは、どうしてかというと、彼を育てる準備期間中、緒方貞子さんまで、動員されて居ますので、簡単に殺しては、もったいない、からです。

 という事は、イスラム過激派という存在が、実際にある、・・・・・・とそういう風に日本人を納豆させるべきだ。それに使おうと、しt、それは、小保方晴子さんのスタップ細胞疑惑の時に、わかりました。小保方さんの、父親が、三菱商事、韓国支店支店長だったという小さな記事を見ただけで、全て読めたのです。

 小保方問題には、今は、触れません。一般の読者様に対しては、不親切だと思いますが、過去ブログを探して、リンク先を張り付けている暇がないからです。でもね、日本在住のCIAエージェントたちのうち、最高レベルの人間達、およびアメリカにいる、CIAスタッフのうち、最高レベルの人間たちには、私が今書いていることの水面下の部分(氷山の、90%の部分)は、即座に理解できるでしょうから、それで、いいのです。

 さて、仙台の後藤家と親しい、人物が、後藤家の内部をあれこれ、CIA-じぇんとたちに告げて、そこで、健司君がリクルートをされたのでした。彼の特徴とは、顔がいい事(いわゆるイケメンだったこと)、言葉巧みだという事、そして、性的なテクニックにたけていることでしょう。その種の調査は、CIA-じぇんとたちは、リクルートをする前に行うはずです。私の方が、それが、わかるのは、のちに、・・・・・彼は、女衒まがいの男だ・・・・・と、週刊誌に垂れ込んだ人が、大勢いたらしいので、そこから、類推する、人物像です。

主に、渋谷の繁華街(クラブ、バー、小料理屋など)に、男を接待する女性を紹介していったという、時代もあった模様で、それを週刊誌に教える、人物もいたという事です。

 しかし、CIAの連中は、準備に時間をかける、人間達ですから、事件の、10年は前に、健司さんにその種の仕事を辞めさせ、それ以来、相当なランクアップを図っていったのでした。戦場カメラマン。または、戦場取材記者という、肩書を与え、ありとあらゆる便宜を図っていったのです。

 ネットで、いくら探しても、後藤健司さんの、卒業大学は出てきていません。で、私は卒業していないのではないか?と、思っていました。が、CIAエージェントは、平気でうそをつくので、

 彼にうその卒業証書を与えていた可能性は、あります。例えば、明治大学とか、早稲田大学とか、ICUとか、上智大学とか、日大とかは、CIAエージェントに協力する可能性があります。学芸大学は国立大学ですが、協力、おく能わずです。ただ、学芸大学卒だと、東大卒の奥様の、尊敬を得られないので(というのは、国立大学同士で、親戚みたいなものだが、本家の長男が、東大なら、学芸大学は、分家の三男ぐらいな、立ち位置となるので)、私立大学にした可能性が高いです。で、後藤健司さんには、それを外には、絶対に出さない様にしなさい。取材陣から聞かれたら「戦場取材記者に必要なものは、勇気と冷静な、観察能力であり、大学入学時の偏差値が、高いかどうかは、まったく関係がありません」と、言いなさいと、教えていたと思います。

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副題2、『後藤健司さんの結婚は、一種のお見合いでもあるが、カトリック田園調布教会の会員に、健司さんが、なって居たことも、大いなる信用を生んだ。NHKニュース画面に、カトリック雪ノ下教会前の階段を下りてくる上流階級マダムへの取材ニュースがあり、マダムたちが、口々に「後藤健司さんは、ここのかいいんだったのに、お気の毒なことでした」というので、そういう事でしたか?と、私にわかったのだが、

 川名昭宣夫妻と、緒方貞子夫妻は、すでに、以前から長らく、ここの会員であり、後藤健司さんを推薦して、彼の元女衒だった様な過去を、洗浄化してあげたのだった』

 カトリックにおいては、長崎の大浦天主堂、文京区関口台の、東京カテドラル、鎌倉雪ノ下の、雪ノ下教会などが、とても有名です。しかし、テレビうつりが、もっともよいのは、一般人が、ほとんどその存在を知らない、田園調布教会かもしれないのです。ほら今の言葉で、言えばインスタ映えがする教会といえば、田園調布教会でしょう。

 東横線に今【多摩川】という駅があります。この駅の西側にふんの場所に、田園調布教会はあります。ところで、この駅ですが、長らく、【たまがわ園前】と、言う駅名でした。まさかと思うが、以前、後藤健司さんについて書いたときに、ここの旧・駅名を取りあげたので、改名させたのかもしれません。

 ともかく、庶民が憧れる様なソサイエティに入るためには、たいていの場合、推薦人が要るのです。川名昭宣君というのは、1995年ごろから特殊な権利を行使するので、私は、ひそかに、CIAエ-じぇんとの一人ではないかと考えている次第です。今まで、それを書かなかったのは二人の間に、仮称、【はっぱ】ちゃんという女性がいたからです。この人があたまが良いので、交流を失いたくないので、

 川名昭宣君について、書かなかったのです。1962年ICU入学者にとっては、【はっぱちゃん】という暗号だけで、誰であるかが、わかるだろうし、それ以外の人にはわからないだろうと、言う想像のもとに、つけている仮名です。

 今の私は、はっぱちゃんが、縁を切って来ても構わないという覚悟のもとに、これを書いています。葉っぱちゃんは、1960年代に、ヨーロッパ留学を果たしています。彼女は、親戚に、明治の元勲がいると、推察しているので、不思議ではないです。しかし、川名昭宣君もヨーロッパ留学を果たしています。もし彼が、ICU入学前に、東大、早稲田、慶応へいったんにゅうがくしたものの、そちらを蹴って、こっちへ入学してきたのだったら、あり得るかもしれないが、普通だと、ICUの場合、アメリカには、多数の留学者を出していますが、ヨーロッパへは少ないのです。だから、とても、不思議です。

なお、この続きは、将来描きます。睡魔に襲われたので、本日は、これで、おさらばさせてくださいませ。

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大井町線・緑ヶ丘駅ホームでデジャブーのある名前がポスターに。広末の不倫相手だったので、私の記憶に残っていた

2023-06-29 21:53:29 | 政治

 すみません。ものすごく疲れているので、説明は、一切なしで、事柄だけ、書きます。午後4時ごろ大井町線緑ヶ丘駅のホームにいました。すると、ベンチの後ろに特大のポスターが貼ってありました。音楽劇 【ある馬の物語】ですって。

 トルストイ原作、音楽は、ロシアの作曲家・・・・・そして、小さく、JRAという文字もあったので、本当に馬のお話なのでしょう。

 しかし、ポスターのメイン画像は、馬では無くて、ある青年です。まるで、彼の顔が現代絵画のキャンバスみたいな、めちゃくちゃな、お化粧をしているのですが、眼力が強く、迫力のあるお顔です。

 お化粧が、現代アート風だから、美形というのを売りにしているわけではありません。エネルギーの高さを売りにしていると思われます。そのポスターは、検索窓に、【ある馬の物語】と入れてくださると、御覧いただけます。

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 今、一時間ぐらい、その芝居の、公式のホーム頁や、出演者たちが、YU TUBE、に、載せているホーム頁を読みました。すると、結構、難しい内容を含んだ。音楽劇だそうです。

 ああ、疲れてもうかけない。しかし、私が自宅へ帰って、世田谷パブリックシアターの。ホーム頁を開いたり、主役の三人と、演出家白井晃氏のホーム頁を開いた・・・・・というところ、が、本日のこの文章の胆なのです。・・・・・くだらない情報から、上等な情報へ至ったという不思議さ。

 上等な情報とは、この芝居(ある馬の物語)が、相当に、上等らしいという事です。そうとうに、複雑な内容の、エンターテインみたいです。意味が深そうです。 

 ただね。現代の演劇を全く知らない私が、自宅へ帰って、そこまでしたというのは、成河という名前に記憶があったからです。広末涼子の大騒動で出てきた名前みたいな気がする。だから、面白いのです。

 それに成河という役者にとって、あの大騒動で名前が出たことは、結果として、決して損ばかりではないという事。周囲に無理に引き裂かれたくるしみjsmにんげんとしtrを経験したことは、得難いレッスンでgやのでcー

 で、私は、「あの大騒動が、あなたにとっては、無駄ではなかったですね。成河さん」と言いたいです。

 だって、一時間以上をかけて、出演者陣の決意他を、読んだのですから。とても、意味深く、かつ面白い芝居らしくて、見に行きたくなりました・

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猿之助逮捕・・・・・代々木公園の樹木伐採は妹が殺された事を書いた、私を弾圧する一手法ですよ

2023-06-28 01:11:01 | 政治

 この一章は、最初の総タイトルを、【猿之助逮捕ですって、私は全然めげていませんよ】としておりました。次に、【猿之助逮捕・・・・・嘘を上塗りするのはやまゆり事件の時と同じ。ただ違うのはそちらの被害者は、名前が出ず、一方、猿之助は、大勢の押し=ファンがいる有名人だという事】としました。そして、今、夜の11時に上のものへと変えました。こうすると、少しでも、皆様が、真実に近づいてくださるかなあと、思ってです。

 

で、昨日=27日に書き始めた冒頭は、以下から始まりますが、大量に加筆をしていきます。

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 猿之助逮捕ですって。私は、全然めげていませんよ。ただしこれは、私が書いて居ることへの・大・反対・事項だから、私狙いであることは確かです。猿之助は、殺人者では無くて、ただ、ただ、私を弾圧するために、ひとつのコマとして、使われている被害者の一人ですよ。

副題1、『5月19日から、私は段四郎夫妻は、死んでいないと、唱え続けている。それは、今でも変わらない主張である。この事件は、澤瀉屋一門が、次世代のスターとしての団子を、市川染五郎並みに、大スターにしていこうとする小・芝居に、かまくらーじぇんと(伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長+、まだ、実際には生きている井上ひさし)が、大いなるサポートを与え、従って、警察に協力する様に要請したのだった。警察は、CIAより目下なのだ。伊藤玄二郎達の家来である』

 私は、過去に四つの文章を書いています。

猿之助一家の心中やら自殺未遂騒動は、ほぼ嘘です。でも彼の団子を有名にしようとする為の自己犠牲の心は美しい      2023-05-24 02:56:38 | 政治

段四郎夫妻が自殺する筈がなく、真実は、澤瀉屋一門、総力をあげて、団子をstarにする大作戦だった       

2023-05-22 03:02:50 | 政治

猿之助一家の悲劇とは嘘だった。それは、団子を、著名人にしていく大作戦の、一環だったのだ。-2    2023-05-21 21:41:08 | 政治

猿之助問題は、悲劇ではなくて、希望に満ちた祝祭劇だった。団子を一門あげてスターにする為の・・・・その一       2023-05-19 21:21:06 | 歌舞伎

  それは、時制的には逆順で置いてありますが、それは、後になるほど、真実を、はっきりと書けるからです。ただし、周辺の状況を加味しますので、単純な文章ではないので、丁寧に、お読みいただくことを求めています。

 なぜ、そういう風な傲慢な姿勢をとっているかというと、敵がどんどん悪辣化していって、どんどんん、どんどん、嘘を増幅し、更にとんでもない方向へずれていくからです。やまゆり園事件の時は夏でした。で、朝五時から蒼い大きなテントで、入り口を隠し、数十人の警官を配置して、メディアを中に入らせないで、47人もの死傷者の、血があふれかえっているはずの、中の様子を、見聞するのを妨げました。というのは尾野一矢さんがけがをした以外の被害者は居ないからです。

 一方で、神奈川県知事が会見したり、どこかの大学病院が会見をしたりして、NHKが報道をしている嘘を、強化しました。ところがね。現場で、民放の記者が、立っている警官のひとりに、「遺体は何人分、運び出されたのでしょうかと、午後二時ごろ、質問をすると、警官は、「まだ一人も運び出されていません」と答えたのです。

 でね、必死で、ブログを書いていたのですが、一周忌直前の、7月10日に妹が殺されました。

 ひどいです。本当にひどいです。彼らの悪辣さは、ナチス時代の、ヒットラーの親衛隊、ゲッペルスにも勝るとも劣らないという類です。代々木公園の樹木伐採は、実は、私が書いた一文、特に妹殺しに関係がある、江戸川区の、川沿いの公園の、樹木を440本も、伐採する、事がメインの、事象で、そっちをカモフラージュさせるために、代々木公園の樹木を伐採し、その間、江戸川区の公演が丸裸にされるのでしょう。妹の葬儀は、18日に行われ、遺体を見た私は、自分の想像=妹は、何らかの薬で、気絶をさせられた後で、どこかで、大型タイヤを装着した車に、腰から下を粉砕されて、死んだを、確信した私は、その後も、お婿さんのついた嘘を、解明するために、その後も清新町へ、何度も足を運び、真実を追求しています。そして、ある日など、夏の日が落ちて、真っ暗になり、駅(西葛西)へ向かっているつもりが迷ってしまい、江戸川区沿いの公園を、延々と、二時間ぐらい歩いたのでした。樹木が多くて、意外と立派な公演だったと書いたのを潰していこうとする、問題が、代々木公園の樹木伐採です。江戸川区の公園の問題には、触れるなと、メディア全体にお達しが下りているのだと、思います。私は、彼らCIAエージェントの悪辣さは、従中にわかっていました。が、あれこれ、まとまらないうちにテーマを移動させられるのは、ごめんだと、思って触れておりません。

 でね。やまゆり園事件みたいに、直接関係のない人が被った被害(ただし、けがをしたのは、尾野一矢さんだけですよ。彼が狙われたのは、両親が、井上ひさしたちと何らかの関係(ペンクラブの会員であったり、共産党員であったりして)があり、かつ、テレビカメラに対しても、物おじせず、ぺらぺらと、しゃべることができることがまず見込まれて、そのお子さんだったので、被害者として、特に選ばれたのです。

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副題2、『私は敵方のあまりにも、深い悪辣さに驚いた。特に松竹と東宝が、バカげた方向に進んでいった。猿之助と、中車と団子が、三人一体になって、6月の昼の部で、団子をスターにするはずだった【傾城反魂香】に、猿之助が演じるはずだった・・・・・世話女房中の、世話女房、【おとく】を、【壱太郎が、代演をする】と、発表をされたときに、これは、本当にまずいと考えた。

自説展開後のメディアの動きをみて、更に、自説が正しいと感じているが、25日に松竹が壱太郎を、代役にと発表するのはひどい      2023-05-25 21:48:12 | 政治

 それから、東宝シネマズ、日本橋で、筒井真理子の【波紋】を見た日に、映画の予告編が、数多く、上演をされ、その中に

、天海優希主演の、【劇場版 緊急取調室】も、入っていました。6月16日公開の予定だったそうです。予告編によると猿之助は天海優希と敵対する総理大臣だそうです。一種の悪役・・・・それなら、ちょうどいいと、私は思いました。そして、東宝は、話題の猿之助も出ている映画を公開するのだから、大ヒットして、非常に大黄な売上高を記録したと思います。しかし、公開しないと当方が発表しました。バカですよね。でも、これが、CIAエージェント、井上ひさしたちと、私との闘いの実相なのです。

 私は、どうするべきか、大いに悩みましたよ。2012年頃だったら、もうスピードで、文章を書いて、伊藤玄二郎達の悪人ぶりを、さらしだし、松竹や、東宝が、伊藤玄二郎発の、命令を、きかない様にできたかもしれません。だが、いかんせん。年を取りました。入力するすぴーどが落ちているのです。で、一晩で、ある論考の全体を書きぬく事が出来なくなりました。・・・・・こういう風に書くと、彼らはさらに獰猛な行動を起こすでしょうから、書きたくないです。だけど、そういう部分はある。

 でもね。最大の幸せも、私の方にあるのですよ。私は、こういう風に自分に訪れた、マイナスを慫慂として、受け入れております。したがって、精神がものすごく安定をしているのです。そして、心はますます澄み、真実が、よりはっきりと見えてきています。たくさんの他のテーマに関しても真実が見えてきています。

 この猿之助問題に関しても、平木伸明家が、激しい攻撃をしてくること、腸詰屋が、28日に偉そうに勝った勝ったと、言うサインを出した事。それらから、こそ、猿之助逮捕が、私狙いのいじめ策であることが、より一層、はっきりしてきているのです。

 で、もう放っておくことにしました。今、大喜びをしている連中は、動物の、特に獰猛な、ネコ科大型獣のごとき、精神状態にあるのだ。一方の私なんて、人間の領域をもう、通り越していて、神様の領域に居るのですよ。だから違うのよと、言っておきましょう。確かに、私の脳内は、理解がされて居ない模様です。

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副題3、『27日は、夜9時25分ごろ、猿之助逮捕を聞き、日本ブログを書き始めました。が、どっちもその夜ないには、完成しない見込みが出てきたので、下に置いている短い文章を書いて寝たのでした』

 私は、一日中外出していて、夜の9時25分に、NHKニュースウォッチが報道をし始めて、初めて知ったのですが、そういえば、帰宅時(夜の8時20分ごろ)ご近所の、平木伸明さんの家で、

誰も、いない二階の天井灯を、カーテンを開けて点灯していました。でね。これは。伊藤玄二郎と、まだ、実際には生きている、井上ひさしを頂点とする、CIAエージェントと連動する嫌がらせなので、いったい、何を根拠に今夜、これほど、自分たちはえらいのだと、威張るのですか?と疑問を持たのですが、その天井灯を見た一時間後に・・・・猿之助逮捕を知ったので・・・・・あ、そうですか? ふむ、ふむと、なるほどねえと、なって、事態は正しくわかりました。ただ、ね。ブログ化するのは、大変なので、本日は、致しません。

 以前に書いたことを変更する必要は全くないと思っているので、明日、リンク先をここに引っ付けておきます。段四郎夫妻は、死んでおらず、軽井沢、もしくは、ヨーロッパで、ひそかに生きている筈です。

 この茶番劇は、週刊新潮が香川照之の、セクハラ問題を報道した時から、環が始まっている壮大な、団子、盛り上げ作戦だったのです。

 猿之助逮捕ですって。松竹は何、バカなことをやっているのだろう。自分で、自分の足を食うタコみたいな状況ですね。そして、歌舞伎界に、大きな力を及ぼしていた、いまだ、実際には、生きている井上ひさしと、伊藤玄二郎がどれほど、不誠実な・嘘の・支援者であったかが、わかります。小津安二郎映画のプロでゆーさーにして、里見頓の四男である、山内静雄さんが、亡くなっているので、・・・・・何でもやってやろうじゃアないの・・・・・もう、遠慮をしないといけない相手はいないよ・・・・・と、出てきたのでしょうね。それに警察庁が協力しています。

 前日の26日の、夕方6時からのニュースで、水戸の防犯対策を視察するという形で、警察庁長官が、テレビ画面に出てきたのです。美形の紳士ですが、紀尾井ホールでの、通帳四通の盗みから始まって、非常にえぐいことを部下にやらせ続けている人物です。

 私は、26日のうちに、『うーん、何か警察が勝ったと、思っていることがあるぞ』と、思い至ったのですが、それが、次の日に公開をされた、猿之助逮捕でした。前日から、舌なめずりをせんばかりでうれしいと思っていたのでしょうね。でもね。これは、ためにするなれ合い劇だから猿之助の待遇は、それほど、悪くないと思いますよ。

拘置所でも、特別なマットレスの差し入れなど、許されると、思います。それとおいしい夕食などもね。書物も。もしかしたら、dvd読み取り機も、差し入れされて居たり、または、ホテルで、軟禁が。逮捕の実態だったりして。それで、いいでしょう。その方がいいでしょう。

 28日上部に、以前書いたことのリンク先を、に置きました。

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副題4、『劇場版、緊急取調室は、たとえ、公開されていても、ヒットしなかった可能性を、先ほど、一時間前に把握をした』

 劇場版、きんとり のレジメを、サイゾーウーマンというサイトで見つけました。すると以下の通りです。

:::::::::同シリーズは、警視庁の緊急事案対応取調班(通称・キントリ)に所属する真壁有希子(天海)を主人公とした物語。劇場版では史上最強の敵・内閣総理大臣の長内洋次郎役(猿之助)を相手に、前代未聞の緊迫した取り調べを繰り広げるという。ドラマ版にも出演していた田中哲司、小日向文世、でんでん、比嘉愛未、野間口徹らもキャスティングされている。::::::::

 なぜかというと、首相の名前を、こいずみじゅんいちろうをほうふつとさせる、漢字配列にしています。これは、佐分利になる効果を狙って、CIAえ-じぇんとが、おおもとのプロットを作った脚本でしょう。つまり、まだ生きている井上ひさしが、東宝の誰かに働きかけたと、推察されます。伊藤玄二郎を通じてね。

 だからね。天の采配が落ちたという事です。特に鎌倉エージェントが公開差し止めをしたのですから、ここでも、蛸が自分の足を食う図式が、ほの見えます。

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虚子 vs 久女・・・九団次+団十郎 vs 竹三郎・・・野見山暁次+千里 vs 山口みつ子+大久保忠春・・・桜井陽子+田沢茂 vs 渡辺幸子

2023-06-25 22:19:07 | 政治

 これは、最初期の総タイトルを、【除名という恐ろしい斧を、何故虚子は、久女に対して振るったのか? 】としておりました。だが、ちょっと、考えがあり、変更します。で、変更した総タイトルの内、・・・・・vs という間投詞で、くくられた右辺と左辺は、右辺が勝った方で、左辺が負けた方です。私自身は、勝った方に加担をしているわけではないのですよ。全然そうではないです。トップの、虚子 VS 久女は、特にそうで、久女の方に深い味方をしています。三番目の組み合わせも同じです。

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副題1、『杉田久女を、虚子が除名したというのは、当時は、大騒ぎだったらしいのです。虚子は、裏側の委細を語って、おらず、かつ久女が、亡くなった後で、その長女からのお願いに応じて、久女の句集へ、序文を寄せ、墓(実家側=長野県)への分骨の際、別の石に久女の墓碑銘を書いているので、ますます、一般人は、わけがわからないと、言うことに成っていると思います・・・・・その原因はや、理由について、他の人があまり書かないポイントを書きましょう。きっと、真実をついています』

 私は、これを、虚子の政治的配慮だと、思っています。ストーカーとしての久女を嫌ったわけではなくて、虚子が、稲村ケ崎の海べりに持っていた、お屋敷で開いていた、句会に所属する、女流俳人たちの、なんとなく、久女を嫌う雰囲気を、感じ取って、そのカンパニーの統一をキープするために、九州に住んでいて、毎回句会(または、同人会)に出てくることができない久女を切ったのです。同時に排除された男性同人は別の理由があったのですが、久序は、場の空気を守るために、排除されたのでした。つまり虚子が、同人や、女流俳人を、交えて開く句会は、一種の社交界の同好会・・・・または、有閑マダムの、おしゃべり会の、ムードもあったのに、久女は、異質だったからです。1930年代の、虚子の句会だったら、来ていく和服も、上等でないといけなかったはずで、もし、教師妻の、久女の、おべべの絹地が薄かったりしたら、すぐ、ほかの女性には、わかるでしょうから。医者の妻、霞が関の官吏の妻、大企業の出世コースにいる、夫の妻に比較をすると、交通費の捻出だって、大変だっただろう、久女は、見劣りする、スタイルだったと、考えます。

 もう一つの理由は、虚子は、軽い性格の人なのです。一方、杉田久女は重い性格の人なのです。いや、虚子は、文化勲章、芸術院会員等、全部引き受けているでしょう。有名人になる人の一般的な歩みそのものをたどった人です。ある程度以上に要領がいい。だから、奥様ともうまくいって、お子様が、俳句会で、優秀な人となりました。

 一方、杉田久女は、まじめです。激しい集中をできる人です。そして、恋愛ではないと、自分では思っているが、夫を避け、虚子を敬愛するので、その部分は虚子に、危険性を感じ取らせたのです。それは、俳句『タビつぐや、ノラともならず、教師妻』を、読めば、虚子以外にも分かったことでしょう。

 この辺りは、私が、よく知っている、野見山暁次・・・・山口千里・・・・山口みつ子の三角関係に似ています。私は、千里さんも知っているし、みつ子さんも知っています。みつ子さんの、人生設計では、画廊を、68歳で閉めて、それ以降は、九州にわたって、野見山さんの、公私共の、パートナーになるつもりだったでしょう。しかし、それをわかっていた野見山さんは、みつ子さんに対するバリアーを張るために、千里さんを、先に、雇ってしまいました。先手を打つというやつです。

 みつ子さんは、具象画を描いていて、デパートで個展をする千里さんを、全然知りませんでした。みつ子さんにとって、突然現れたと、言うに等しい、千里さんにひどく驚いて、私に「千里さんって、どういう人なの?」と、質問をしてきたから、あれこれ、説明をしてあげました。どういう大学を出ているかとか、夫がどういう人であるかなどです。出来るだけ、みつ子さんを安心させるのを願って、「千里さんって、男みたいなところがある人なの」などと、言いました。

・・・・・大丈夫、千里さんと、野見山さんの間には、セックスの関係はない。マネージャーの仕事は、千里さんに取られてしまったけれど、恋愛の力で、野見山さんと結びつくことは、まだできるわ。がんばって・・・・・と、言葉に出さず、応援したのですが慎み深く、要領の悪い美都子さんは、ただ、ただ、何もしていなかったのでした。その間にCIAエージェントに、殺されてしまったのです。かわいそうです。悲劇の人です。

 それは、彼女が、

「保坂航子さんのあなたに対する、罵りのメールは、裏に秋山祐徳太子がいて、・・・・・雨宮舜、何するものぞ・・・・と、個の画廊で、力んでいたから(=あなたを軽蔑したから)、発信されたものですよ」と、教えてくれたからでした。

 野見山さんが、何故、みつ子さんを嫌ったかというと、まじめすぎるのをわかっていて、それを嫌ったのです。みつこさんは、処女だったのではないかなあ? 野見山さんも、それを感じていて、自分には、彼女は、重すぎると、思ったのでしょう。合わせ、切れないと思ったのです。みつ子さんは、方向転換をすればよかった。だけど、方向転換をしなかった。または、できなかったのです。千里さんは、人妻だし、非常に図太いです。だから、野見山さんとしては、前夫人と同じく、自分の方が頼ることができます。しかし、みつ子さんだと、自分が、本当の男性として、彼女を守る側に立たないといけません。それが、面倒くさかったのです。

 文化勲章を受ける様な文化人って、一途な女性を嫌うのです。

 野見山さんの場合は、山口みつ子さんを切り捨てて、(そう、まだ、同衾(ベッドインの事)は、していないのだから、僕には何の責任もありませんよと、白々しい顔をしておいて・・・・逃げたわけですが、

 虚子も文化勲章をもらっていますよね。そして「彼女とは、まだ、同衾をしたわけではないから、僕を慕うことについて、僕には、何の責任もありませんよ。だから、今のあなたを避けたいのです・・・・・というのが本心だったでしょう。

 この文章に、以下の説明を25日の夜に加えました。ところが、表出していないという形で、朝を迎えたので、一回すべてを、引っ込めました。で、その表出しなかった部分を含めて、後半をこれから、書き足していきたいです。

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副題2、『ここで、MSNというサイト=edge を使うと自然に出て来るニュースサイトで、野見山暁次さんの死が、25日に急に知らされました。22日に家族葬で、送られたそうで、しのぶ会は、後日、日程が、発表をされるそうです。敵さん達=伊藤玄二郎達、CIAエージェントたちは、私が、居間から、何を書くつもりか熟知しているので、本当は、MSNサイトにその情報を乗せないつもりだったと、思いますが、山口みつ子さん他殺説を私が、何度目かの事として、書くことを阻止するために、載せたのでしょう。死者に鞭打つとは、あなたの心が汚いのですよ」と、彼らは言いたいのでしょう。しかし、そういう風に考えられている時は、逆ザヤを張った方がいいのです。で、予定通り、上に、野見山さんが、ずっと、自分を、慕ってくれていた、山口みつ子さんを、捨て去った話を書いたわけです。

 実は、山口千里とか、山口みつ子と、言って、あまり説明をしないのは、いままで、これらの人について、何本か書いて居るからです。しかも、現代アートの世界の人にとっては、既知の人だと、思っていますので、説明をいたしませんでした。しかし、演劇、または、俳句という主題に惹かれて、初めてここに入ってこられた方にとっては、知らないなあ。知らない人命が出てくるとうっとおしいなあと、お思いでしょうから、二人について簡略に説明をします。

 山口みつ子さんは、文房具を製造する会社の社長令嬢だと、風のうわさに聞きました。育ちの良い人です。で、18歳ごろまでは、私立中高一貫教育の女子高育ちだと、思います。でもね。女子高育ちの人って、男女共学の大学に行きたがるのです。で、学生運動の洗礼を受けているかもしれません。が、反対に、女子高育ちの延長のまま、お嫁さんになるのに最適なレベルの短大卒だったかもしれません。ともかく、とても明るくて、品が良くて、そして無防備な人でした。だから、私の文章も絵も(個展に見に来てくれた人ですから)高く評価をしてくれていた人です。それは、村松画廊のオーナーだった、川島女史とか、ギャラリー舫のオーナーだった、平野和子さんとか、ギャルリーユマニテのスタッフだった、金成悠子さんなどとは、100%正反対の、態度でした。彼女は、私と同じ年なので、68歳の年に殺されなければ、102歳で、亡くなったと報道をされている野見山暁次さんの妻となるのに、とても適切な年齢だったのです。

 なお、今年に入ってから知りましたが、金成さんは、ユマニテを2022年に、やめているそうです。しかし、伊藤玄二郎達が、給料の良いかつ、ユマニテに地理的に近い会社に、次の就職先として、お世話した筈なので、寂しくはない・・・・・と、言う形になっていると思いますよ。上からの命令に従順な人だから、どこへ行っても、オフィス業務従事者として、立派に務まるでしょう。

 山口みつ子さんと、長年にわたり親しくしていた方が、「猫が引き止められなかったかしら?」とおっしゃったのです。自分より弱いもののお世話を、見ず知らずの他人には頼めないと、言う猫好きの心理からすると、当然、自殺は無いです。だから、その点だけでも、山口みつ子さんは、他殺です。自殺だとされていますが、違います。ピッキングか、その他の方法で、カギを手に入れた例の暗殺集団が、カギを開けて、息をひそめて待ち伏せしていたのです。猫は、麻酔剤で、眠らされていたか、みつ子さんが帰宅する前に殺されていたでしょう。いや、誰かがみつ子さんの猫を引き取りましたか? もし引き取った人が居れば、私のこの想像は、間違っています。ただ、急にみつ子さんが、亡くなったので、ギザで親しかった画廊のオーナーたちが、片付けを手伝ったそうですが、その時、みんなは、「猫は、きっと、マンションに大勢の人が出入りしたので、ビックりして、逃げちゃったのよ」と考えたと思います。それは、2010年でしたから、また、別の嘘が後付けで、生成される、可能性もあります。誰かが、「猫は、〇〇さんが引き取ったのだけれど、2018年に死んだのよ」などと、言いだして、それを私に知らせてくる人が有ったら、それが、傍証となって、100%、みつ子さんが他殺だと、言う事となります。

 で、彼女は私と同い年ですから、もし、まだ生きていたら、満80歳です。でね、野見山さんより、22歳若いです。で、だから、2010年に画廊を閉鎖しようとしたときは、68歳ですから、まだ、まだ、健康で元気で、マネージャー兼プロデューサーとしてガンガン働けるし、野見山さんと、同菌をしても、楽しい語らいが出来たはずなのです。彼女のそういう希望は、野見山さんの個展を、只で、何度も開いてあげて、そして、オープニングパーティの費用なども画廊側で、準備してあげて、奉仕しまくっていたので、周辺も十分知っていた事でした。知ってはいたが、その恋が破れたことも、周辺は、知っていたでしょう。で、みつ子さんは、失恋して自殺をしたと、言う風に取ったのではないかなあ?でも、それを言ったら、彼女があまりにも可哀そうだから、お金の面で、失意があり、自殺したと言う事になっています。が、違いますよ。お金の事なんか、実家にでいりしている弁護士さんに頼んで、自己破産をしてしまえばいいでしょう。または、遺産を生前贈与してもらうとか?

 銀座・京橋界隈の、ひとが、みつ子さんが、失恋をしたと、考えたのは、野見山さんのエッセーに、山口千里さんが、登場する様になったからです。

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副題3、『山口千里、山口みつ子、私、野見山暁次の、四角関係について、まだ、書けないことがある。いや、永遠に書けないかな? だが、今書けることを書こう』

 美術の窓は、私はたくさん巻を持って居る筈なのです。だが、主人が雑誌類は捨てろと言ったことがあり、1980年代の、読みでがあった美麗な雑誌【優駿】は全部捨てられてしまったのですが、もしかしたら、【美術の窓】も捨てられたかな? ともかく、今は2008年の4月号が手元にあります。第一特集、河鍋暁斎・・・・・中特集、平山郁夫、

 その中に、アトリエ日記・野見山暁次、137~139と三頁あります。この号では、すべての日が、細切れ文章です。しかし、こういう短文ではなくて、もっと、長い文章を書くときには、千里という名前が、4回出てきたのを覚えています。この号では、二回です。しかし、ギャラリー山口も一回出てきます。1月の最終週で、人形展というのをやっています。原文は、「初日勢い込んで、会場に入ると姫と題した、五体のぼくの紙人形、いずれも後ろ向きに飾ってある」と書いてあって、自分で正しい向きにしたとか、画廊に間違っていると声をかけたとかが、続いて出てきません。文脈はロボットに移行して、抽象的な考察が始まります。この読者が期待するセンテンスが出てこないで、別のテーマに移行するのは、書く人が、本当のことを書けない場合の、特質なのです。

 つまり、書く人、野見山暁次は、その五体の紙人形を秘書である山口千里さんに運ばせたのでしょう。個展で、全室・野見山さんの作品で埋まる場合は、専門の業者が運びます。しかし、紙人形五体は、かさばるかもしれないけれど、軽いです。で、ちょうどよい仕事として、千里さんに運ばせたのです。その時みつ子さんは、初めて千里さんに出会ったのでしょう。光子さんにとってはショックだったと思います。というのも千里さんと私は、国展で知り合っている関係ですが、国画会の人って、昔は、サエグサ画廊で集合し、そこが裏手に引っ越したのちは、井上画廊で、集合していたからです。しかも、千里さんは、どうしてか、まだ、国画の会員ではなかったのに、三越で、個展をすることが出来る人でした。絵がテンペラで、質感が豪華なのと、テーマが具象系で、普通の人には、わかりやすい絵だからでしょう。

 ギャラリー山口って、有名な画廊ですが、二人には、それより前には、接点がなかったのです。で、であった途端に、どちらが、ショックを受けたかと言うと、みつ子さんの方でしょう。それはね。光子さんが背が高い、しかも体重が50キロを超えているので、大女に見えるので、初恋なんかが、実らなかった可能性があるのです。

 そういう過去を持つ、みつ子さんの前に、背が15cmぐらい低くて、体格は華奢で、お顔が和風のしっとりした美女である‥・・・と、言う事を知って、まだ一縷の望みを持って居たみつ子さんは、絶望をしたのでしょう。駄目だ。野見山さんは、千里さんを愛していると、考えて。で、千里さんが、帰ったどびょうびの夜にかなあ?、野見山さんの、姫という紙人形を全部、後ろ向きにしたのです。で、29日は、初日ではありません。火曜日なので。月曜日に見に行った、他の出品者から、「後ろ向きになっているけれど、なにか、意味があるのですか? 」という電話がかかって来て、野見山さんは、火曜日に見に行ったのでしょう。すると、やはり、後ろ向きになっていた。

 でね。みつ子さんのレジスタンスの気持ちが判るので、「直してくださいよ」とも言わないで、帰宅したのでしょう。でもね。こういう小品展は、一般の、お客が多いのです。お安い値段で買うことが出来ます。各画廊は、種々の企画で、年末とか年始を盛り上げるのです。

 私は、2008年にどういう事があったのかは知りません。でもね今、2023年の6月に入ってこれを読むと、「野見山さんも悪よのー」と、言いたくなります。

 つまり、千里さんには、みつ子さんとの、過去のいきさつを、説明をしておいて、「どこかで、君を紹介しておかないといけないのだが、この人形展は、いいチャンスだから、顔合わせをしておいて。〇か月後には、あそこで、個展をするのだしね」と、言い含めておいたと、思います。それは、千里さんに余裕をもたらしました。

 せめてみつ子さんの方にも、電話一本いれて、「今度の人形だけど、秘書の千里に持たせて搬入をするよ。初顔合わせだと、思うけれど、よろしく、お願いをします」と言っておけば、みつ子さんは、みつ子さんなりに、覚悟を決めて、応対をしたと思いますよ。で、ビジネスライクに処理して、お人形を後ろ向きにして飾るなんて言う事をしないで、済んだのです。

 この後に個展が来るのです。その時に、この雑誌はすでに、出版をされていたかいなかったか記憶が全くないんですが、もしこれを読んでいたら、みつ子さんから、その、オープニングパーティのさなかに、質問をされた、「ね。千里さんって、どういうひとなの? 教えて」と、言う文言に対して、答えとして、上にあげたものにプラスして、次の二行を上げたでしょう。

「全然、気にしなくていいって、彼女って、お父さんは、土木建築会社でも経営しているんじゃあないかなあ? すごい、がらっぱちですよ。(あなたの方が、ずっと繊細で、フェミニンです)だから、あなたには、野見山さんの、妻になる、資格がある。がんばって、頑張って、秘書は、彼女にやってもらって、あなたは、ひたすら、身の回りに世話をおしてあげればいいは・・・・・と。

 ここで、今日は留といたします。

@@@@@@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下はメモです。

田沢茂先生主催のアマゾネス軍団というサークルの話。

数多い、杉田久所を貶める小説類

 私は読んでいませんが、吉屋信子と、松本清張が、久女をテーマに小説を書いている模様で、それらでは、久女を、恋愛過多の、一種のストーカーだったと、書いていると想像しています。そして、最もひどいのは、虚子自身が発表した小説【国子の手紙】らしいのです。

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太地喜和子が、すぱっと脱いだのは、戦災孤児だったから? but  大女優・山田五十鈴の隠し子説も出てきた。私は困惑のみぎりである

2023-06-24 09:30:10 | 政治

 ところで、24日土曜日の夜、衝撃的な情報に接し、ついでに、疲労困憊の状況もあり、この一章を未完成のまま、寝ました。衝撃的な情報とは、喜和子自身が、・・・・「自分は、山田五十鈴の、隠し子である」と、高校生のころ発言をしている・・・・・と、言う情報です。さて、それを何とか、お料理しながら、この文章を完成させていきましょう。と、25日の午後1時に書いて初稿のトップに戻ります。

この一文は、100%前報

蜷川幸雄伝説から、ベニサンピットの消滅が私狙いだった事が改めて判明し、大下英二の著作本から、太地喜和子の意外性も解る     2023-06-24 00:07:47 | 政治

の続きです。

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副題1、『太地喜和子は、大勢の人から好意を寄せられており、不倫をしても、憎まれたり、うらまれたりしてはいなかった・・・・大下英二の著書より判断をすると、そうなる』

 大下英二の書物を読むと喜和子さんは、大恋愛を繰り返していることがわかります。しかも相手が大物ばかり。しかし周辺の人間が悪意を持っていません。どうして悪意を持っていないかと言うと、太地喜和子に覚悟が座ったところがあるからです。つまり・・・・絶対結婚しない・・・・という筋を通している。女優が背後に生活史を見せたり、夫の影を見せたりすると、お客様が今の言葉で言うしらける(このシラケルは本の中では使ってない言葉ですが、そうなんでしょうね)つまりお客様ががっかりする。だから自分は結婚しないと、はっきり宣言をしています。

 三國連太郎とか、18世勘三郎(当時の名前は勘九郎)と、交流があったことを、大勢の人が知っていますが、それで、喜和子さんが、袋叩き似合うわけでもない模様です。三國連太郎夫人からの抗議は来ていないし、かれの、子供である佐藤浩市からも来ていないし、18世勘三郎の夫人からも来ていません。

 ただ十七世夫人=勘三郎の、母は貴和子さんを危険視していたみたいですけど、勘三郎の結婚相手は貴和子さんと仲良くしていたんです。勘三郎がよく説明をしてたんだと思います。

 それに比べると広末涼子の場合は無残ですよね。どうしてそうなってしまうかと言うと、広末涼子の方に覚悟とか、肝っ玉とか、立場の認識とか、そういうものがないんですよ。だからみんな面白がってね。大騒ぎに発展をするのでしょう。

 ところが太地喜和子には、人に隙を見せない覚悟があります。この覚悟がどうしてできたかですが、私は彼女が富豪といわれる実家の両親の実の子ではなかったからだと思っています。

 ひろいっ子だとか、もらいっ子だとか、戦災孤児というのは、正しいのだと思います。それを幼い時から、彼女は知っていたから、深い覚悟ができたのでしょう。

::::::::この件ですが、太地喜和子の死後、発表をされた評伝の類に、はっきりと記されているものが少ないのです。れは、母・稔子さんが、まだ生きていたからでしょう。資料をもらわないといけないし、インタビューに答えてもらわないといけないし、・・・・かつ、母の稔子さんが、非常に聡明な人だったからでしょう。誰だって、相手の格がわかりますので、彼女に対する敬意が、その「実子ではない」と、言う部分をあいまいにさせたのだと思います。

 じゃぁ誰が、その、事実を喜和子さんに教えたかですが、非常に小さい時に、女中さんが、教えたのだと思います。

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副題2、『戦後の日本において、身分制度が、無くなった。1998年にパリに行って、まだ、色濃く身分制度が残っているのに、私は、驚いたのだが、1945年以降の日本というのは、階級の、攪拌が起きて、欲求の特に強い女性が、自己解放と、アッパークラス化を目指した時代だったのだ。それが、嫁・姑・小姑のいさかいと、強弱関係の逆転を招くことに成ったし、同居する女中と、女主人との間の、逆転現象をも、もたらした。実力主義の弱肉強食の時代をもたらしたのだった。時には女主人を追い出した女中もいたが、ともかく、戦前、戦時中の、しおらしくて、忠実な女性像と、言うのは、消えていった。主人一家への尊敬など、無くなっていったのだ』

 女中さんがドラマの中に出てくるのは、朝ドラ【スカーレット】が初めてでした。そこでは、女中は、立派な人間でした。しかし、実態はね。女中さんって、意外と大変なもので、悪女の場合があるのですよ。いやあ、驚いたのは、女中が主人(芸能界の、スター同士の夫婦の家)の赤ちゃんを殺したケースです。これは、悪女というよりも、勘違いが原因でした。その女中は、当時まだ、少女といっていい年齢で、・・・・スターの家の女中なら、夢の様に、楽で、きれいな生活がおくることができる・・・・・と、勘違いの想像をして、応募してきたのに、普通のレベルで、女中として、こき使われたので、復讐のために、主人のお子様を殺したのです。特に赤ちゃんのおもりを任せられた場合、赤ちゃんは利口ですから、自分を世話してくれる人に、真心がないと、泣くでしょう。だから、余計女中の方は、憎たらしく思うのです。これは、新聞紙上をにぎわわす大事件となりました。私は、世の中が、変わったと、しみじみ感じたものです。

 私の実家に、1954年から、1956年まで、住み込みで、働いていた女中さんなんて、すごかったです。もし、私が、学校のお勉強に関して、日吉の町の中のスターというほどに優秀でなかったら、父は、私の願い=あの人をやめさせて=を、聞くことがなかった可能性があります。女中さんが発するフェロモンと、私が、家へもたらす名誉や好評を天秤にかけて、(下に生まれた別の子供で、いい思いができるだろうと、考えれば)フェロモンを選んだ可能性があります。で、その女中は、母を追い出して、略奪婚をしたと、思います。

 彼女は、家を建ててくれた静岡の大工さんの紹介で、我が家に入った人ですが、静岡県内で、すでに、結婚をしていて、子供まで、有ったのに、離婚をして女中をしていると、言う事でした。元バレーボールの選手で、実業団チームで、全国大会にも出た人なので、むっちりした体形で、肌は、脂ぎっているし、フェロモン臭も横溢だったと、思います。

 私が小学校6年生から中一の時の一年間に、彼女の父を見つめる目つき等が、いやで、いやで、たまらないので、子供ながら、彼女が母を追い出そうとしているのが、わかりました。私が父に「ね、あの女中さん、やめさせて」と言ったら、父が目覚めたみたいで、彼女に「静岡に帰ってください」と言って、事なきを得ました。が、危うく、母と、私と妹が、追い出されて、弟だけが、残されるところでした。その結果、母は、シングルマザーになり、やがて父からの仕送りも、彼女の支配故に途絶えて、私も、妹も、大学に進学できないところだったと、思います。

 母は、その時、蛇ににらまれた蛙状態になってしまっていましたので、何も戦う事が出来ませんでした。で、結果として、女中と父と弟(まだ、1歳半ぐらいだった)の、3人で構成された新しい家庭を作って、そして次の子供を産んだでしょう。母より五歳ぐらい若かったので、そのくらいの人生設計は、あったはずです。そういう人でした。

 彼女には、静岡県という田舎(でも、自然に恵まれていて、大・家康の地元ですが、テレビなどのまだ、無い当時は、東京との差が激しかったのです)の慎ましい生活には、とても我慢ができなかったのです。 都会で金持ちの生活を味わいたい。その希望ゆえに、静岡で、離婚して日吉(横浜ですが、慶応大学があるので、モダンです。一種の東京ですね)に出てきた人でした。

 もう父がターゲットにされていたので、大変大変。父は、明治生まれですが、神宮で、陸上競技(走り高跳び)に出ています。だから背が高くて、横幅もあります。だから、スポーツマン同士で、似合いのカップルに成れると、彼女は思っていたのでしょう。もし、私が、「お父さん、お父さん」と、外で、話しかけたときに、父と、その女性が、すでに、同衾をしていたらアウトです。

(なお、1984年に、ここ、雪ノ下に引っ越してきて、あの時の女中さんと、そっくりな体型と、所作・動作を示す、女性を発見しました。はた迷惑行為を、次から次へと、繰り出し、かつ、反省しないので、「ああ、この人は、ここへ、引っ越してくる前に、略奪婚をしていますね」。と、考えました。このことは、その後、お子さんが本当の子供ではないと、ほかの人からも、聞きましたので、正統でした。

 1950年代からは、30年は過ぎているので、前職が、女中だったとは、言いません。普通のOLだったでしょう。でも、女性って、大まかに分けられるタイプがあるのです。自分の肉体的長所、(胸が大きい、ヒップが豊かである。股の間とか、脇の下から、男性を誘引するフェロモン臭が常に出ている)を売りにするタイプ・・・・・も一典型としてあるのでした。金子みすずとか、杉田久女って、心とか、脳が特別に発達している別の典型的タイプです。

 

それで、1984年より前に、一回、道徳心を捨てたので、それ以降、毒素を含む行為を、何でも、平気で、できる様になったのでしょう」と、考えました。それが、38年前のことですが、その後、年月を経ても、間違っていませんでした。ありと、あらゆる点で、彼女が、作り上げられた奥様像とか、母親像を演じているだけであるという事がわかります。

 ただね。自分が子供のころ、家に女中さんがいないで、核家族だけで、形成されている平和な家で、育った人には、これは、理解できない、私の思考過程だったかもしれません。で、『きっと、探偵事務所でも頼んだのではないの?』とか、井戸端会議で、おしゃべりをされて居るのを感じていますが、違いますよ。彼女自身が、醸し出すもので、わかるのです。隠したって無理です。

 愛し合って、いる様に見える家族内でも、隠された悲喜劇はあるのです。)

 これは森茉莉さんもそうですよね。女中さんに、夫、子供、すべてを乗っ取られてしまったのです。お子さんが、結婚する前に、伴侶となる人を連れて、訪れてくれて、一緒に三人で、人気のない公園を散歩したこと(お食事を一緒にとっては居ない模様です)を、人生で、最大に美しい思い出だと、言っていますが、その後、死の前の、数年間に、そのお子様、または、お孫さんが、訪ねてきて、面倒を見ると、言う事はなかったのでした。

 太地喜和子の家の女中さんは、森茉莉家、程のことは、やっていないでしょう。さすがの大下英二も、昔、昔、家にいた女中さんを探してまで、確認をとっていません。でも、この私の想像は、絶対に正しいでしょう。ただ、面白がって教えたうえで、当の喜和子ちゃんに、「絶対にお母さんに私が教えたことは、言っちゃっダメよ」と、念を押したでしょう。父親が娘にセックスを迫る場合、血がつながっていない場合も、つながっているばあいも、「お母さんに、言っちゃあだめだぞ」というそうですが、あれと同じです。

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副題3、『親が、芸能界入りを勧めるのがおかしい。だから、喜和子さんは、実子ではないと、思っていた』

 大下英二は、喜和子ちゃんの、担任に取材をしています。この先生は喜和子ちゃんが、小学校低学年時から、大変明るくて、才能があることをに気が付き、それを愛でています。この先生は喜和子ちゃんが、もらいっ子であるとか、養子であるという事には、まったく気が付いていなかったそうです。つまり中野と言う場所は横須賀と、比べると都会だから、ママたちがご近所の、噂話をする機会が少ないのでしょう。で、先生にまでは、伝わらなかったのです。

 しかし、その先生がおっしゃる、・・・・・常に、にこにこしている子供だった。そして、クラスをリードする子供だった・・・・・と、言う状況も、どれほどに、喜和子ちゃんが、モノを考えていたかを、証明します。お父さんも、お母さんも、いい人でしたよ。しかし、本当の両親ではないからこそ、立派な子供でないといけないし、めそめそしたりしても行けないのだ・・・・・と、幼いながら覚悟を決めていたのです。

 もう一つね。彼女が本当の子供ではないって言う事を感じさせるエピソードがあります。芸能界に入るという事は、彼女自身の望みだったか?どうか?わからないのです。富裕層であるお父さんがライカで撮った彼女の写真のうち、かわいいのを、選んで東映のニューフェイスに送ったんですって。そうですね。松竹大谷図書館で、見た数多くの写真類から、わかるのですが、中学生の頃、喜和子さんは、すごく可愛いです。

 でね。この・・・・芸能界に子供を入れる・・・・って言う話ですが、貧しい家で、子供自身が・・・・絶対に、お金を儲けてやろう・・・・・と言う決意を持っていない限り、親は勧めない職業だったのです。

 昭和、50年代にね、映画界に、子供送り出そうと言う一般家庭は、無かったと思います。特に、実の親の中には、いないです。せいぜい、【婦人の友】の写真頁に、子供服のモデルとして、自分の子供を登場させるぐらいだったと、思います。今は違います。お金持ちの家庭に育ったが、芸能界に入りましたというのは、たくさんいてね。昔ほど、芸能界が、低い方の、差別の対象になっていません。

 でも、ちょっとしっかりしたおうちだったら、子供が「芸能界に入りたい」なんて言ったら、反対するはずなんですね。経済的に、余力があれば、なおさらのこと、反対するはずなんです。

 お父さんはちょっとした遊び心で、どうせ受からないだろうと思って写真を送ったわけですが、なんと合格しました。で、そういう事態になっても、親は、「いや、やめなさい。将来が、不安定だから」と、言って差し止めるはずです。 

 しかし、喜和子さんは、その時に「はい、はい」って言って、東映ニューフェイスの演技研修所に通い始めるのです。

 映画会社の新人は、俳優座の養成学校に1年間預けられて、そこでちょっとお勉強すると言う形だったらしいんですけれど、そこに入るって言うこと自体ね。即、芸能人になるっている事だから、逡巡する子もいるともいます。15歳位だったらもう十分に賢い。 

 社会階層の通念として、当時の日本では高いお給料を持って帰る、大企業に勤務してる。旦那さんと、結婚をして、専業主婦になるのが、まぁ女として、最も安全で、階層が上だとみなされていました。

 だから中流家庭で親にお金がある人が、子供に芸能界に入ることを勧めるって言う事はありえないです。でもね、すごく可愛い子として、育ったから、芸能界に、入れたと、いう単純な動機だったかもしれません。

 でも、本人が「俳優座養成所に、通います」と、言うんですよね。なぜそういったのか?

 その裏に実の両親ではないって言うことを彼女が知っていたと仮定すると、これで、早めに、お金を、稼いで自立ができると彼女は考えた可能性は強いのです。大学を卒業するまで、待たなくても、自立できると考えた可能性があるのです。

 かわいそうだと、言うのではないのですよ。覚悟が、決まっていたのですね・・・・・という事を、言いたいのです。

 しかも、東映所属から、自分の選択で、自由になって居ます。そして、もう一回演技の勉強を俳優座でやってから、文学座へ入っています。そういう選択を、結構、すべて、自分で、行っています。自分で、道を開いています。

 映画においても、芝居においても、脱ぐと言う必要が起きるたび、自分で、決断をして、ぱぱっと脱いでいます。

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副題4、『ここで、土曜日の夜に新しくつかんだ、太地喜和子、は、山田五十鈴の隠し子であうと、いう説について、入ります』

 彼女が山田五十鈴の隠し子だったと、いう説は、太地喜和子関連本には出てきません。たまたま、嵯峨みちこと、太地喜和子の、似ている点を思い出し、嵯峨みちこを検索していると、太地喜和子が、山田五十鈴の隠し子だと、いう説があると出てきました。しかし、

 この情報は、今のところ、私には、処理できません。そのままにしておきます。

 嵯峨みちこは、1935年に月田二朗との間の正式結婚で生まれ、太地喜和子は、1943年に生まれており、

 そのころ、山田五十鈴は、以下の様な活動をしています。

スターとして揺るぎない地位を占めたが、夫の月田は役に恵まれず、夫婦の収入に差が生じるようになり、夫婦仲も次第に亀裂が入る[9]1940年(昭和15年)には別居し、娘の美和子は月田家が引き取った[4]1942年(昭和17年)に月田と離婚し、映画製作者の滝村和男と結婚するが、1年余りで離婚した[9][10]

1942年(昭和17年)、長谷川と共に新演伎座を結成。3月に東京宝塚劇場菊田一夫作『ハワイの晩鐘』、川口作『お島千太郎』で旗揚げして以降、『伊那の勘太郎』『姿三四郎』などの舞台に立ち、太平洋戦争末期には軍の慰問にも回った[9]。翌1943年(昭和18年)、花柳章太郎主演の『歌行燈』に出演するが、この共演を機に花柳と恋愛関係に陥った[9

 ともかく、わからないと、言っておきましょう。ともかく、戦災孤児であれ、山田五十鈴の隠し子であれ、才能豊かで、覚悟の決まった、女優であることは確かです。

 太地喜和子が、「自分は、山田五十鈴の娘だ」と、公言していたころ、

嵯峨みちこは、大活躍をしています。1950~1960年代に、35本の映画に出ていて、1960年代から、テレビに移り、三姉妹など、17本に出ています。しかし、1978年からは、索引が、極端になくなります。でね、並行して、あれこれ、不安定だとか、精神安定剤を飲んでいると報道をされます。

 で、太地喜和子は、自分を守るために、山田五十鈴の娘だとは、発言をしなくなったとも考えられます。そのころ、35歳です。嵯峨道子が、不安定だと、言う事は、1960年頃、も、報道をされており、太地喜和子が、18歳の時です。

 16歳の東映ニューフェースデビューのころは、それが、プラスになると判断をして、山田五十鈴の娘ですと、言っていたが、異・父・姉の、嵯峨道子と、自分に共通点がある様に見られることを恐れて、急に、その件を発現しなくなったとも、考えられます。

 まあ、真実は、今のところ、わかりません。

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副題5,『覚悟を決めると、言う事、または、軌道修正をしていくという事』

 ここで私の問題の方に入ります。最近は政治的問題から狙われきっています。自死するように仕向けられています。または自分で精神病院に入院するように仕向けられています。

 この苦労を、最近の20年間は、特に、激しくて、それを味わい尽くしていて、喜和子さん以上に強い覚悟を決めています。

 だから、広末涼子の甘さに対しては、・・・なんともはや・・・と言う感じです。

 この事件の登場人物は4人では無い。実際には、5人だったと言うのは、広末ママが、重要な位置を占めているからです、彼女が甘い人であるという事、それもまた大きな原因だったでしょう。

 それからこの現代の事件のほうは、お金が、重要な要素であることが、非常に顕著であり、そのことを私はなんとも嫌な事だとか、無残なことだと思います。

 週刊文春は、部数を増やして、儲けるために、広末涼子パパラッチしました。そして広末涼子は、子供に対して、また、キャンドルジュン氏は(自分の富裕層暮らしを守るために)妻に対して、思いがけない裏切りをしていますね。

 だって交換日記を、外に出せる人はキャンドルジュン氏、しか、いないでしょう。まぁレストランの従業員とか、鳥羽周作氏の奥さんである可能性もありますが、どうでしょうかねー。感情的に力んで、怨んでいるのはキャンドルジュン氏でしょう。

 一方、太地喜和子の評伝を読むと、あまり恨みを買っていないんですよね。しかも彼女の方が恨んでいい三國連太郎とも、再びの接触を、他人の、力で、はたしています。

 雑誌の企画の対談と言う形で、昔の捨てられた悲しみを癒すことができています。彼女自身は若くして死にましたが、思い残す事はあまりないと言う形で、心の清算をし終わって死んでいますね。だから大勢の人から、特に彼女を知る人たちから、なんと悲しいことだ。なんて不思議なことだ。そしてこう言ってはなんだけど、まぁ死んでよかったかもしれない。スターが、花のあるうちに死んだのだからと言うふうに言われています。そうです。その死が伝説を生んだ。

 私はね、もし貴和子さんの身近にいる人間だったらこういったでしょうね。
 
・・・・・喜和子さん、私の数多くの天才たちを、チェックした知識によると、天才の活動期間は16年間です。で。その後、有名人で居続けるためには路線変更するしかないのよ。だから、あなたは、近松心中物語を演じた時以降は、今までとは全く違った役柄を演じるか、または舞台に立つのをやめるか、そうした方が良いでしょう。
 テレビの脇役または現在のタレントがよくそれをやっているように、バラエティに出る。つまり修練は必要ないが、自分の頭の良さは必要である。そういう世界に転身をしたほうがいいでしょう・・・・・
 
 と言ったと思います。彼女は最後の数年間を、長田渚の本によると『焦りと消耗』中にいたそうです。そう、聞けば、誰か、彼女に対して愛情ある忠告をする人がいればよかったんです。
 文学座において杉村春子と全く同じような大スター扱いを、受けていたために、誰も猫の首に鈴をつける人がいなかったのです。
 それとね、もう実際には、届かないけれど、それでも、ことばにだせば、それだけで、天国にいる彼女に届くと思って、言えば、
 太地喜和子の命運はそれほど長くないし、大きくもなかったのです。これは、ね、私は、30代から、40代にかけて、西洋星占い、四柱推命他、いろいろ、占いを、研究したので、わかるのですが、彼女は、48歳で、伊東で死ぬ前に、命運を、使い切っているのです。
 
 で、天の視座から見れば、あの時のああいう死で、良かったのですよ。ちょうどよかったのです。
 全く別の命運を持っている人は杉村春子だったでしょう。非常に長生きしましたね。君臨したまま長生きしました。だけど医者である夫から「あなたと結婚したことが人生の失敗だった」と、彼の死の一週間前に言われたそうです。
 医者である、その夫を上流階級に入る切符、または俳優仲間を支配する道具として使っていた・・・・・そう言うことを夫は知りつつも、我慢した歳月だったのです。それを、彼から、直接に、死の直前に、「自分は、それがわかっていたが、あなたは、どうだったのですか?」と突きつけられたわけです。それだけ、文学座内で、君臨して威張って居たわけで、そのことへの制裁を、別の分野の人、だけど、自分では、最愛の人と思っていた、夫から、受けたわけです。
 喜和子さんが、天からの、制裁を受けないで、亡くなった事は、本人にとって、また彼女を愛する人たちにとって、本当に、良かったことでした。

 なお、この一文ですが、スマホの音声入力で、メモを、書いて、それをコピペしたのですが、大量誤変換を生みました。手で、キーをたたくよりも、大量でしたね。恐れ入ります。まあ、すでに、亡くなった方を取りあげるので、ゆっくり書けばいいかなあと、思っていました。お許しください。

 2023-6-23~25にかけて、これを書く。 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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蜷川幸雄伝説から、ベニサンピットの消滅が私狙いだった事が改めて判明し、大下英二の著作本から、太地喜和子の意外性も解る

2023-06-24 00:07:47 | 政治

副題1、『つくづく、筑摩書房の電話対応での、意地悪っぷりと、そのやり取りの流れが、地下五階にある、横須賀線新橋駅ホーム(前から、5両目あたりで)冷徹無比なる、いじめをして来た角野栄子さんとそっくりなので、裏にCIAエージェントの動きがあると、はっきりわかるのだった。・・・・』

 松竹図書館は、カラー頁を含む大量の資料を見せてくれて、「自分が割ける1時間半では、これ以上あたまが働きませんね」というところまで、調査して帰ってきました。

 しかし、本当に知りたいことはまだ、把握していません。

 あとは蔵前の筑摩書房一階を訪問するか? 国立国会図書館を訪問するか? 電話をかけたのちに(というのは建物改築中で、自由に入れない可能性があるので)神奈川県立図書館を訪問するかが、残された道です。

 どうして、筑摩書房刊の、秋元松代全集IIが欲しいかというと、そこに、付録が付いているはずなのです。これは、レンタルビデオのメイキング画像というのに似ていて、本文よりは柔らかいニュースを集積させたパンフレットです。筑摩書房の全集ものには、ほとんどこれが入っているのです。それを見ると、山ほととぎすほしいままという、杉田久女モノ、の、戯曲がいつ発表をされ、いつ、どこの劇場で、どういう俳優の組み合わせで、上演されたかがわかるのです。そうなると、誰をイメージして、秋元松代さんが、それを書いたかが、わかるし、太地喜和子では、ミスキャストだったという事も、証明できるでしょう。

 太地喜和子は、わかりやすい恋愛を、演じるのが向いています。まなざしが求めあい、手が触れ合うスリル・・・・・を観客も一緒に味わう様な、芝居が向いています。久女は、虚子を愛したのでしょうか? 白い絹で、縫い合わせた袋に、菊をいっぱい詰めて九州から送ったのです。鉄道小包で。100%乾燥させたら、まだいいのですが、アイデアが、先走ってしまって、生のものを詰めたりしていたら、鉄道小包が、かまくらにつくまでに、腐っていて、異臭がしたでしょう。

 でも、枕を送ったので、自分と寝たいのだと、虚子が誤解をしたのでしょうか? それは、虚子の方にもないし、久女の方にもない望みでしょう。私は、よく、小さな小さな網目で、相手のイニシャルをクロスステッチで、描いた、上等な白いハンカチをプレゼントに使いました。女性が主ですが。その後、ハンカチを送るのは、欧米では、マナー違反であると、言うニュースが出てきたので、やめました。が、80歳の年齢の、四分の一以上、丁寧に、丁寧に、小さなバツ印を美しい刺繍糸で、刺繍して送ったものです。久女の、菊枕も、私のハンカチと同類のもので、決して、性愛を要求したものではないと、同じ高校の後輩として、わかるのです。

 しかし、それが、虚子が、久女を破門した、理由や原因ではありません。ただし、本日は、虚子と久女には、あまり触れないで、先へ進みます。

 というのも、私には私なりに、生きる為の仕事があります。本日は、数か月ぶりにもらう目薬をもらいに武蔵小杉に行ってきました。それとね。NHKが最近放映した(または、録画を私が、最近開けてみた、脊椎管狭窄症であるかどうかを、診断してもらいに行ってきました。日経新聞の下の方にも、この病気を解説した、書物の広告も出ていましたし・・・・・私自身、背中へ背負う形式のバッグを、使う事を、10年以上前からやめています。その底が背骨のある部分に当たって痛いと、感じて、それ以来、大切に大切に背骨を保護してきました。

 本日レントゲンを撮ってもらいました。それで、見せていただいて、老化現象は、やはりありますよね。軟骨が、右と左で、厚さが異なっているところなど、あります。それでも、脊椎管狭窄症ではないそうです。NHKの番組を見ると、つい、心配になってしまいますが、まあ、よかった。無事で。

 さて、武蔵小杉には、川崎市立中原図書館があります。これが、私の知る限り駅のホームから最も近い地の利の良い図書館です。80歳を超えると、そういう条件がとても大切です。「神奈川県では、県立図書館にしか、その本は、ありませんよ」と、国会図書館が教えてくださっていたので、全集IIは、期待していませんでした。でも、もっと、軽く編集した秋元松代本があるかもしれないと、思って訪ねたのです。しかし、砕けた読み物もありませんでした。脚本家は役者や、演出家よりもさらに裏方なので、一般大衆向け図書館の、限りあるスペースに開架図書として、置くわけにはいかないのでしょう。閉架図書まで、探してもらう時間は、もうありませんでした。

 しかし、思いがけない拾いものがありました。それは、秋元松代を調査するには役に立ちませんでしたが、太地喜和子を、分析するためには、非常に役に立つ本です。

 長田渚の、本も上品で、毅然とした書き方でありました。ただ、松竹大谷図書館は、貸し出しをしていません。本日、借りて来た、大下英二の、太地喜和子伝説  2000年2月25日、河出書房新社が、大変役に立ちそうです。太地喜和子の全舞台が、検索頁に乗っています。が、残念なことに再演の記録がない。その上、上演劇場と、共演者の記録がない。

 で、実証的に、どういう舞台に立っていたかを、検証するためには、

 蜷川幸雄伝説、高橋豊著 2001年7月25日 河出書房新社が役に立ちました。

 ただし、こちらでは、蜷川幸雄が、主役なので、太地喜和子の全舞台が出ているわけではありません。でも、太地喜和子が、もっとも、輝いた時期は、秋元松代、蜷川幸雄の、みつどもえコンビだったことがわかります。また、

 どういう劇場でだれと共演をしたか? そして、再演が、何度あったかなども、こちらで、わかりました。それこそ、太地喜和子の成功の足跡ですから、追っておきたいデータです。

 なお、ごめんなさい。ここで、本日は、中断します。

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太地喜和子+文学座分裂+秋元松代+虚子VS久女+大和書房+田沢茂と渡辺幸子

2023-06-22 08:19:32 | 政治

この章は、一世を風靡した女優、または、スターのわがままを論じている文章です。

昨日は何日も続いた外出のせいで、前報ですが(後註1)3時に書くのを切り上げたところで、その先は夜九時に寝落ちして、書きぬけませんでした。続きをそこで、書くか、こちらに移すかですが・・・・・

ここで、内容を太地喜和子のみで、一章を起こしたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『私は21日東京へ向かう電車の中で、スマホで太地喜和子の芝居を調べ始めて、「え、記憶と劇場が違う」と思いました。

以前、田辺聖子さんの、【花衣、ぬぐやまつわる紐いろいろ】について、メルマガ時代に書いた記憶があるので、スマホの中で、それ=(天才的・女流俳人・杉田久女)に関して、情報が、非常に抑えられていると、考えました。私の文章が人気が出ては困るので、私が書いた場所、建物、人物が、消されていくケースがあるのです。私のエッセイは田辺聖子さんの物よりわかりやすいです。短くて、キレがあります。だから、抑圧され弾圧されます。

もっとも、顕著な例は、神奈川県立近代美術館、旧本館です。その名前も、収蔵庫も消えたし、大谷石の外壁も消えました。

ほかにもいろいろ例があるので、これでは、太地喜和子に関する調査として、家へ直接帰っても、ネットでは、うまく調査ができない可能性があると、考えました。

私の記憶では、田辺聖子さんは、当時、マスコミ界から激賞を受けていた筈なのです。メディアを席巻していた筈です。しかし、・・・田辺聖子の推奨本30冊・・・にも出てこないので、たぶん、私狙いの弾圧=一種の焚書坑儒だと思い当たりました。

たまたま、日比谷線、神谷町にいたので、ホームに座って、まず、松竹大谷図書館に電話をかけました。そこで、松竹関連以外の書籍があるかどうかです。今、国会図書館が、閉架・図書方式になっていて、かつ、紙の検索カードが廃棄されているので、大変、調査しにくくなっています。

松竹大谷図書館も、閉架形式ですが、紙の検索カードが残っています。是って、近隣図書の中から、似た目的に合うものを見つけやすいので、国会図書館の、検索カード廃止は、ひどいと思います。だけど、検索カードって、時間と頭脳の集積ですから、実際には、保存をしてあるのではないかなあ?そして、東大名誉教授などの肩書のある方だと、それを利用することが可能だったりして。

ここで、フランスが意外と古い国なのだ、と、言う章(後註2)が生きてきます。フランスだと、ルール無視が、起こりえるのです。特権階級だと、または、そういう人を介してだと、簡単に要望が通るのでした。日本もそうなってきている可能性を感じています。ほらあの、テニスのボールガール、非常にとんまですよね。自分でしっかりとゲームを見ていたら、よけられるでしょう。よけないで、啼くなんて、テニスをやっていない少女なのです。ただ、富裕層の、子供なので、特権の一つとして、ロッカールームに自由に出入りできるボールガールの役目をもらったのでした。そして、ブルーのスーツを着た、失格を宣告した役員はあの少女の両親と知り合いだったと、思います。それが、フランスです。

 私に対しては、狙った弾圧があって、図書館の利用をはじめとして、本当に生きにくくなっているのですが、それでも、できることはやると、言う方針で、生きているのです。

で、松竹大谷図書館に電話をかけました。ここは閉架図書室ですが、検索カードが残っているのと、地下鉄・東銀座駅から、徒歩距離が短いのが救いです。日比谷図書館も、国会図書館も地下鉄駅からの徒歩距離が長いです。

電話で、「1991年ごろの、演劇界はありますか? 演劇界は、最近は歌舞伎だけだけど、昔は、他の演劇も取り上げていましたよね」と質問をしました。それと「紀伊国屋ホールのプログラムがありますか?」と質問をしたところ、「ええ、あります」との答えが返ってきました。

そして、大量の資料を出してもらいました。しかし、雑誌【テアトロ】にも演劇界にも、紀伊国屋ホールで、太地喜和子が、杉田久女ものを公演した、という、記録はありませんでした。しかし、私の気憶は絶対に、紀伊国屋ホールなのですが?!?!?!?!?

 今の私は、文学座主催で紀伊国屋ホールで、いったん上演したものを、カンパニーを変えてサンシャイン劇場で、松竹が、上演したのだと、推察しています。だから、紀伊国屋ホールは、1990年か、それ以前だったでしょう。

秋元松代さんが戯曲を書いた正確な年度が判りませんが、出版物から見ると、杉田久女に関する戯曲が発表をされたのは、1976年より前です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『太地喜和子の杉田久女ものは、松竹大谷図書館の資料によると、驚くべきことに、松竹企画主宰で、池袋サンシャイン劇場で、公演をされていると、出て来た。立派なカラープログラムがあった。薄いが、大判で、出演者が、抱負を語っている。

すると、夫(芸大卒、旧制中学の美術教師)は、八十助、

高浜虚子をモデルとした、(久女が、慕い抜く)結社のトップは、日下武史。しかし、まったく記憶が無いのです。

でも、引き寄せる人としての私は、最近、三津五郎を、調べたいと思っていますし、彼の子息の巳之助が、例の大騒ぎの、猿之助に、大きく、サポートされていたことなどもあって、・・・・・そして、一時期略奪婚をして、しかも簡単に、夫を捨てた、近藤サト女史にも関心があるので、(というのも、その結婚は、三津五郎の才能をつぶすために、菊五郎が仕組んだという説があるので、近藤サトには、大きな関心があります)・・・・・おやおや、又、引き寄せちゃったと、驚きました。

 猿之助が、サポートをしている若手の内、巳之助と隼人は、良い役をもらっています。隼人は、子供のころから玉三郎にも、認識をされていて、性格がとても良いらしいのです。今、朝ドラ【らんまん】で、主人公をしている神木龍之介とも、学友として非常に親しいらしくて。

 一方、巳之助ですが、浅草で、新春花形歌舞伎を、私が見たころ(2017年だったか?)今から、五年も前だったのに、舞台左側に巳之助・応援用の、大きな垂れ幕が下がっていて、浅草花形歌舞伎では、主たる人気者なのだと、知りました。

 巳之助のお父さんが、十代目三津五郎で、1991年ごろは、まだ、八十助を名乗っていたのでした。しかし、美麗なそのプログラムを見ても、・・・違う。私が見たのは、紀伊国屋ホールだったし、座組も違う・・・という思いは消えないのでした。というのも、八十助と、日下武史は、有名人です。絶対に、記憶に残っているでしょう。私は、紀伊国屋ホールでは、太地喜和子だけしか記憶に残りませんでした。しかも、とても、後味悪くね。

 なぜ、後味が悪かったかと言うと、太地喜和子には、この役は、向いていないのです。これを歌舞伎では、ニンが合わないと、言います。ガラが違うと、言う事です。太地喜和子は、男好きがする人気の女優さんで、フェロモンもいっぱいです。一方、杉田久女は、神経がピリピリしていて、師匠から疎まれ続けた女性なのです。イメージが正反対です。柔らかみがないのです。

 杉田久女を喜和子さんが演じると言うのは、全く筋違いなのです。

 でも、そういう事が起きたのは、秋元松代さんが、引退してしまって、新しい戯曲がもらえなくなったので、古い戯曲を引っ張り出して、演じたのでしょう。

 前報で、語っていますが、長田渚さんの、角川書店出版の、【欲望という名の女優】の最終章は、・・・・p190-224 焦燥と限界・・・・となっていて、太地喜和子が、40過ぎには、大変、消耗していたと、書いてあります。戯曲が悪いと考えて、自分が主役として目立つようにどんどん、書き替えたりして、(わがままいっぱいに‥‥これは、私が挿入した言葉‥‥)ふるまっていたが、成果が上がらなかったと、言う時期だそうです。

 上の文章は、2023年6月20日、松竹大谷図書館で、その書物を見た時に、理解したことですが、

 私には、紀伊国屋ホールで、1990年ごろ、見た杉田久女ものを、見たとたんに、そのわがままが判ったのですが、どうして文学座は、太地喜和子のわがままを許すのかしら?と、それが不思議でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『文学座は、1963年に、一度分裂をしている。杉村春子の女帝化を嫌ったものだった。それなのに、その30年後に、今度は、太地喜和子が、女帝化している。私は、彼女が杉田久女を演じたのをみた際に、それを即座に悟って、文学座全体の、ひ弱さを感じ取ったのだ。演出や、事務方は、どうして、太地喜和子に、「あなたには、杉田久女は似合わない」と、言えないのだろうか?」と、本当に強い疑問に駆られた。』

遡ること1963年(昭和38年)1月14日、文学座芥川比呂志岸田今日子小池朝雄神山繁加藤治子仲谷昇三谷昇山崎努名古屋章橋爪功ら、有望な中堅俳優が集団で脱退して、福田恆存と組んで現代演劇協会附属・劇団雲を創立したことは、文学座にとって大きな痛手であった[注釈 1]。この大量脱退騒動は、杉村体制への反発が発端であった[5][6]

 その後に出てきたスターたちは、テレビ出演で劇団に、経済的支えをもたらした。筆頭は、太地喜和子だったと思う。むろん、雲所属の俳優たちも、テレビに出た。



古川 幸夫

・・・物故者・・・
(平成以降)

<演技部>

杉村 春子    荒木 道子     矢吹 寿子     松下 砂稚子

太地 喜和子   七尾 伶子   三津田 健   小瀬 格   北村 和夫

 そして杉村春子も死んでいった。杉村春子は、映画内では、ものすごく上手だと、思うけれど、舞台【女の一生】(実際に見た)には、さして、感動を与えられなかった。それは、女帝化していて、劇団のアンサンブルとか、士気が衰えている中の上演だったからだと思う。

::::::::::なお、ここで、挿入ですが、杉村春子は、広島といえ、やはり、田舎の出身者なのです。彼女は、当時は、最高学歴の持ち主です。私のおばたちも同じですが、女子師範学校(もしくは、女子高等師範学校)を卒業しており、今でいう高校の先生をしていたのですが、上京をして来て、夫においしゃさんなどを選び、東京の上流階級びとになったわけです。が、芥川比呂志とか岸田今日子などの、もともとの都会人にとっては、杉村春子の、上下関係を造ろうとする田舎者っぷりは、許容できない野暮天ぶりだったと思いますよ。

 私ね、ここ、鎌倉市雪ノ下二丁目に引っ越してきて、鶯が谷と、言う小さな谷に住んでいます。今、道を歩いている人間が、独身者、または、家族もちとして、暮らしている家が、15軒です。最高時でも、19軒でした。その雰囲気ですが、田舎者そのものがトップを形成していて、暮らしにくい事、はなはだしいです。自由が全然ないです。

 横須賀市北久里浜より田舎であり、横浜市日吉と比較すると、さらに田舎です。38年も暮らしていると、自然と、住人の、出身地がわかってきますが、主流派軍団は、田舎出身です。なるほどと、思います。55年ぐらい前に開発された、一種の新興住宅街なので、寄り集まり集団ですが、特にブランド力にひかれて引っ越してきた人は、もともとが、田舎者だったから、ここを好んだのです。階級アップを狙って、引っ越してきたから、ものの見事に、田舎者っぷりを表現して、上下関係を構築しています。それを嫌う人、かつ、お金がある人は、引っ越していきました。私が知る限り、14回の引っ越しがあり、ある区画など、売り出してから、持ち主が、四回変わっています。しかも、21区画のうち、二つが、そうなのですよ。なんと激しい入れ替わりだろう。

 それでも、私がブログで、この山に潜む、特別な問題点を書き始めてからは、引っ越しが少なくなった方です。私自身は、瀬島龍三(CIA大物エージェント)に諮られて(=騙されて)、ここに、導入をされたので、どこへ行っても、CIAは、追いかけてくるので、同じだから、ここを動きません。しかも東南の窓からは、他人の家が、一軒も見えず、樹木しか見えない環境なので好んでいます。

 しかしね。2016年に主人が心筋梗塞を患った時は、さすがに、160段(外の石の部分+屋内の木部)の上り下りがきついかと、推察して、引っ越しの準備を始めました。北久里浜の旧宅をそういう時のために、まだ、キープしているので、引っ越し代だけで、移住できるからです。

 ところが西隣の夫人に、大きくいじめられて引っ越しの準備ができないのですよ。西隣の奥様、白井達雄夫人って、東大卒です。そして、夫君は今横浜一高くなる鶴屋町のタワマンを設計した人物です。今まで、彼女が行ってきた数々のいじめ行為をブログを書いているので、私が引っ越していった方が楽なはずです。しかし、ありとあらゆることでいじめたいので、引っ越しができませんでした。バカだなあと、思います。視野が目の前だけしかありませんので。

 彼女が東大卒なのに、バカ化しているのは、理由がはっきりしています。この山の大ボス・安野智紗夫人と仲良くすると、100%バカ化するのです。2013年6月9日、日曜日、安野家に上がって、お寿司をとって、六時間歓談をしていました。ああ、まで、すると、100%バカ化するのです。:::::::::

 文学座の分裂を見ていると、こういう風にご近所問題も分析できてきます。人間の行動パターンって、みんなおんなじです。

 そして、杉村春子もやっと死に、平等精神が、行き渡った筈の文学座に、今度は、太地喜和子という女帝が生まれたのでした。

 マスコミ、特に週刊誌が、何かを書かなくても、私は太地喜和子の、杉田久女ものを見ただけで、それが、わかりました。

 その30年前の時の無残な経験と、昨日(=23-6-21)に、長田渚の書物を読んだ結果を合わせると、その久女ものの、戯曲は秋元松代が、太地喜和子向けに書いたものではないと、判断をしました。

・・・・良い脚本を欲しい・・・・と太地喜和子は、渇望をしていて、「高齢ゆえに、もう書けない」と、言っている秋元松代脚本の古いものを、探しまくって、その杉田久女モノを探し出し、演じたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、そこから、私にとって、その杉田久女モノ脚本が、何時書かれたかが、大問題となりました。昨日も検索が(スマホでは)、秘匿され続けて、無理だったのですが、本日も朝早くから、いじめぬかれました。ネット社会で、いじめぬかれたら、頼るのは、紙の本です。で、国会図書館に電話をかけました。10:20AMからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『まず、国会図書館に、電話をかける。この間の、北斎美術館付属図書室の学芸員とは、大違いだった。これは、前報で、松竹大谷図書館以外にも、国会図書館、日比谷図書館、にも、行く可能性があったと、書いたので、伊藤玄二郎発・桜田門経由で、国会図書館が、不親切になっていると、考えた。以前調べに行ったときに、パトカー二台が待ち構えて居たり、機動隊移動用のバス二台が待ち構えて居たりしたからだ。後者は、朝6時であって、永田町に人が、全くいない時間帯だったので、見事に私狙いの脅かしだと、理解された。

 ただし、今回の不親切は、宮田亮平氏からの連絡だったかもしれないし、私の付属中学時代の友人で、すでに、何度も、伊藤玄二郎に、利用された、お友達(東京都の、元・司書…学習院哲学科卒)Kちゃんからの連絡だったかもしれない。でも、事前に、不親切な対応を受けることは、覚悟を決めていたので、方向を変えた質問をした。図書検索用のアプリが、数種類あるはずだ。それを教えてもらおうとした。国会図書館の蔵書だけは、検索できるアプリを、教えてもらった。国会図書館オンラインというもので、別の方からも近づけるサイトだったが、

 もう、二種類ぐらい、別のサイトがある筈なのだ。それでも、一種類教えてもらって、ずいぶん助かった。秋元松代の検索頁は、午前と午後と全く異なっていたが、午前中に、筑摩書房刊の、秋元松代全集を見つけた。その目次の開き方を教えて貰った。それが、グッドだったのだが、午後には、それが、見られなくなっていた。本当に大変な人生だが、

 とともに、大和書房から1976年に発刊をされた、秋元松代全集も見つけた。こっちに、秋元松代の杉田久女ものの脚本=====山ほととぎす、ほしいまま======が、入っていたのだった。特に第二巻に入っていた。しかも最後の方に、・・・・・という事は、1976年から、三年から、五年前に、書かれた脚本だと、推察できた。

 一方写真まで、筑摩書房のホーム頁に載っている秋元松代全集では、第二巻の、目次に、それが、収められていました。しかし、出版年度が、2002年です。是では、発表をされた時期がわかりません。困ったねえ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、「大和書房って、30円を惜しむのでした。信じられないと、思います。しかし、筑摩書房は、もっと剣呑でした。絶対に事前に、いじめる様に、言い付けられていると推察しています。昨日(22日)も横須賀線が遅延したし、20日も横須賀線が遅延したし・・・・・そのやり方が、幼稚園児みたい二、幼稚なので、また、時間があったら描きますが、私を弾圧することは、前日から、準備をされて居るのです。

 大和書房って、早稲田大学の近所にあるのです。中堅の出版社で、歴史があるのです。秋元松代さんの、戯曲集1976年が今も保存をされて居ますか?と、聞きました。1976年って、まだ、ネット化されていないでしょうし、書物そのものも、保存をされて居るかどうか?

 だから、私は、電話口に出た相手に、時間的、余裕を与えたくて、「15分ぐらいお待ちします。で、電話番号は、0467-XX=XXXXです」と言いました。15分後に「見つけられませんでした」という返事が来るのは、覚悟をしていました。

 ところが、一回目の電話の中で、担当者は、「そちらからかけてください」といったのです。驚きました。「1974年でした」でも、「1975年でした」でも、会社用の電話回線なら、特別なサービスを使うので5円ぐらいだと思います。公衆電話を使っても、20円です。それを大出版社、大和書房がケチりますか?

 それに、自分にある課題が起きたら、自分が主体で片づけた方が、時間もエネルギーも楽なのです。相手である、私を待っていると、負担が増します。だけど、裏から、命令を受けていたら、その種の判断は消えてしまい、ただ、ただ、私をいじめることが、大切になってきます。

 で、次に筑摩書房に電話をかけて、そちらとのやり取りが起きて、そちらでも、不親切のみぎりを受けたので、それを書きたいとも思います。が、本日の其れが、100%、10年前の、角野栄子さんとの横須賀線新橋駅ホームでのやり取りと、流れが同じなので、もし書き始めると五時間ぐらいそれにとられるでしょう。で、太地喜和子と、秋元松代とは、離れすぎますので、筑摩書房とのやり取りは、別の日に書きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『ともかく、大和書房への電話一回だけで、1976年より前に、秋元松代は、【山ほととぎすほしいまま】を書いたのだと、私は判断をし、その路線で、太地喜和子のわがまま度を分析し始めることにいたしました。

 ところで、ここで、微妙に路線を買えますが、私は、実は、虚子の、お宅に二度上がっています。高浜虚子の旧宅(稲村ケ崎)を、1963年と、1985年の二回、訪問をして、上がって、お食事を頂いている。

 一回目は、お寿司だっただろうか? 二回目は、松花堂・弁当だっただろうか。一回目の1962年は、住民は、虚子の一族ではない方で、私を含む、訪問者が、総勢3人なので、おごちそうになった。海辺で、水着で遊んで、のちの話。二回目は、海辺の遊びは無し。総勢20人ぐらいなので、会費制だったかな? それとも、虚子のお孫さん(=女性)が、ご馳走をしてくださったのか? 記憶が定かではない。平屋建ての、瀟洒な数寄屋造りだった。そのころ、虚子のお孫さんは、三十代後半だったと思うので、現在は、80歳近いと思う。現在付き合いは無いが、俳句には、関係のない方だと、思う。一般的な意味での専業主婦である女性。

 こういうご縁があるのだから、虚子の味方をしないといけないかな? しかし、実は杉田久女とも関係がある。高校の先輩だ。そのことは田辺聖子の小説を読むまでは知らなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『鎌倉に住んでいると、虚子の影をあっちこっちで感じる。で、虚子 VS 久女の、トラブルを、書かない方がいいかもしれない。しかし、私は、伊藤玄二郎一派とは、正反対の生き方をしているのだ。人間関係を重んじるよりも思考の流れを追う。人文系の論文にも描く道筋としては、科学、または、化学の手法を用いたい。』

 私が、ぼんぼりを献呈する様に言われたのは、八幡宮様が、現在の鶯吟亭を、お買いになるときだったでしょう。その時庭で、130号、120号、100号、4,5枚を描いていました。ものすごい迫力の人だったでしょう。ただし、遠藤彰子さんには、負けますけれどね。(苦笑)彼女は、300号から、500号のキャンバスを地下室から、一種のエレベーターで持ち上げて、絵を描く人だだから。

 鶴岡八幡宮様は、ぼんぼりを検討している人にいろいろ、プレゼント(紙に印刷された入場の類)をくださるのです。その一つが、句会への参加券です。当時由比ガ浜カソリック教会で、行われている句会に参加をしていて、結構、選ばれていて、先輩にかわいがられていたので、それと同じだろうと、出かけていきました。びっくりしました。300人以上、500人いないと、言う参加人数で、驚いたのなんの。『これは、選句に時間がかかりすぎるでしょう。三時間は、待たないといけないのではないかしら?』と思い、投句もせず、ほうほうの体で、帰宅をしました。

 まだ、公募団体展に油を出しているし、個展もやろうとしているし、で、ものすごく忙しかったのです。あの大量の俳人の群ですが、全員が、ぼんぼり献灯者ではなくて、鎌倉市内の氏子を中心に、俳句会の情報に基づいて、別の封筒によるご招待があるのではないですか? つまり口コミ参加者もいると、言う事です。直会殿という建物の、二階でした。が、東側の奥に、舞台があり、その上で三人の選者が、いすに座っていました。そのうちの一人が、虚子のお嬢様だったのです。またはお孫さん。いやあ、自分が所属している俳句会の人は参加していなかったので、鎌倉には、どれほどのかずの俳人がいるのか、

すみません。ここで、寝ます、続きは明日書きます。

ただ、書くべき重要なポイントは挙げておきましょう。

 まず、秋元松代の、この戯曲【山ほととぎすほしいまま】には、思想または、スケルトンがないのです。だから、まず、戯曲自体が、人を感動させないのです。それは、書かれた時期(=1970年代)は、「世間がまだ、久女を誤解していたじきだったので、仕方がないのですが、

 秋元松代は、松本清張の【菊枕】よりは、久女に近く寄り添っています

 一方田辺聖子の、【花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ】には

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広末騒動2・・・・・太地喜和子、スターといえども、それを甘やかすのは、本人の不幸である

2023-06-20 23:18:56 | 政治

これは、広末涼子分析の、スピンオフとして頭に浮かんでいる文章です。

歌舞伎座で、丑之助と、まほろ君が、ちやほやされているのを見ると、『おや、おや、こんなことをやり続けていると、歌舞伎も衰退しますよね」と思っています。

ただ、この件に関しても、語りだしたら果てしがないほど、いろいろあるので、本日は、この程度で、先へ進みます。

広末涼子とは、演技者として、まったく実力がないし、研究も努力もしていない甘い人間ですが、その対象として、本当に語りたいのが、筒井真理子と、安藤玉枝です。

筒井真理子

安藤玉枝

荒川区西尾久にあるとんかつ店「どん平」[4]の娘として生まれる。荒川区立尾久宮前小学校、荒川区立尾久八幡中学校、日本大学第二高等学校卒業。外交官に憧れ、上智大学外国語学部ロシア語学科に進学するも中退[1][2]早稲田大学第二文学部卒業[5]。早大在学中は演劇サークル「早稲田大学演劇倶楽部」にて活動[5]

大学卒業後、三浦大輔の劇団「ポツドール」に所属し、看板女優として活躍。舞台を見た廣木隆一監督に声をかけられ、2003年、『ヴァイブレータ』で映画デビューし、以後多数の映画に出演[1]2004年には舞台『激情』で日本インターネット演劇大賞最優秀女優賞を受賞。2007年にポツドールを退団。2013年、映画『夢売るふたり』(2012年公開)での演技により第27回高崎映画祭最優秀助演女優賞を受賞[5]

過激な性描写を特色とする「ポツドール」の看板女優だったこともあり、『松ヶ根乱射事件』『夢売るふたり』をはじめ、映画でも大胆な濡れ場を多く演じてきた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『広末涼子は、10歳ごろから、両親や周辺から、ずっと甘やかされているので、成熟していないのだけれど・・・・・今の私は、その甘やかされるというキーワードで、太地喜和子を思い出しているのだ。

 ここで昨夜は寝落ちしてしまいました。

21日に入って、新たにスマホで書こうとして居ますが、私のブログつぶしのために、田辺聖子の大作  花衣脱ぐやまつわる 紐いろいろが 出てこないので  唯々びっくりして、その調査に、多大な時間を取られて居るところです。

 尚今から書くことは、広末涼子が何故未熟なのかを分析する為に、太地貴和子のある側面を、特に取り上げる物で、彼女の全業績を俯瞰する物では有りません!

 太地貴和子が伊東の海で亡くなった事について、昨日、パソコンで、読んだことは大変重要で、かつ真実だと思います。或るジャーナリストが伊東を訪ね、当時の関係者に質問し回った結果、わかった事が書いてあります。

 貴和子さんは舞台が跳ねた後、若手男優と三人で食事に行きます。その店でお酒を飲める店 普通の居酒屋かバーの筈 を訪問します。最初の店から次の店まで歩いて行きます。その時途中でランジェリーバーというのを目に留めます。興味を抱いたらしいのです。その時一回短く寄っていたとはPCでは読めなかったのですが、三人が大きな興味を抱いたのは確かでしょう。

 で、ホテルに帰る前にそこに寄るのです。

そのスナックの女主人は、中々に勝気な人で、気は強いと取材者は感じたそうです。彼女は、取材者に対して、私は人を殺した事があるのよ  と言い 腕にはリストカットの跡があり  その上 行方知れずになったそうです。

 なお、ランジェリースナックとは言っても 普通の人が想像する 接待者が下着姿の女性だと言うわけでは無いそうで、ただ壁一杯に女性用の下着が貼ってある   そういうインテリアだけで、スナックは、ママ一人が店に居る程度の小さな物だった模様です。

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副題3、『さて、これから話題にしたいのは、喜和子さんが、・・・・・相手が、気が付かない段階で、激しく相手を傷つけていた・・・・・可能性です。スナックのママは、余剰金が、5万円ぐらいたまったら、沼津(イトーヨーカ堂がある)か、熱海(デパートはないが、男性をもてなす歓楽街があるので、派手な下着が手に入るだろう)へ出かけて、交通費と、外食にお金をかけて、残りの、三万円ぐらいで、好みのブラジャーなどを買ったと、推察しています。一晩に、5人お客が来るか来ないかという規模の店でしょうから、5万円の余剰金でも、使うに値するお金です。彼女にとっては、そうであっても、太地喜和子に、取っては、「信じられないぐらい、趣味が悪いわね」という程度の飾りであり、インテリアだったと思います。で、思わず、「【triumph 】は、どこにあるの?」とか、「私はね。今は、海外のものを使っているのよ」と、か言ってしまったと、推察するのです。

 またはお酒の種類です。長田渚が、角川書店から、平成五年に出版をした、【欲望という名の女優】にこういう場面があります。当時共演をしていた俳優と、喜和子のコンビ、勘九郎(のちの、18代目勘三郎)と、妹の波野久理子のコンビ。喜和子さんが、四人で、銀座のバーに入っていた時に、喜和子さんが、「この芝居って、モチ代稼ぎに出ているのよ」と、言ったので、勘九郎が激怒したんだそうです。喜和子さんは、普段とか、普通は、そういうことを言う人ではない。

・・・・p190-224 焦燥と限界・・・・によると喜和子さんの絶頂期は、【近松心中物語】のころで、

 この続きは次の章で語ります。

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広末騒動。橋本高校は二人の誇り高きsngle motherを出した。先生だった俵万智と、生徒だった冨永愛 + 満嶋ひかり、宮台真司、UQのCM

2023-06-19 01:47:42 | 政治

以下の文章を公開してから、、今は次の日になり、歌舞伎座に向かいました。今月は五度目です。又また激しいレベルのいじめに出会い、もう一回歌舞伎座に行く必要ができた模様です。彼らのやり口を詳細に書いて居ました。横須賀線が異様な遅延を示すのは、広末涼子をメディア使って大物化して行った成岡庸治君に関係ありと書いたから、こうなった可能性もあり、一章をそこまで書くつもりでしたが、時間が足りなくて、未完の内に新橋に着いてしまいましたので、もし将来機会が有りましたら完成させ、公開を致します。本日はユニークな広末涼子論をお読みいただきたいです。しかし、これでも、まだ、40%程度の開示です。

の 私が今から書く事の、情報入手先は、MSNというサイトに、コピペされて紹介された他メディアの、記事です。この件に関して民放のテレビを見たり、スポーツ新聞やタブロイド新聞、および、週刊誌を読むことは、しておりません。

 広末の騒動について、最初は、書くつもりはありませんでした。ただ、一個人の、不倫の愛を、考えるにあたって、現代日本社会の諸相を、すべて、網羅できることに気が付き、それで、語る必要が出てきました。

 で、総タイトルの、【広末騒動】は、残しますが、それ以降のフォロー文章は、どんどん、変えていくつもりです。

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*1)、現代日本は金で強弱が決まり、一番弱いのがキャンドルジュン氏。従って弱い犬はよく吠える状態になって居る。

*2)、冨永愛は神奈川県立橋本高校出身で、卒業まで、芸能界への志望がなかった。中学時代から芸能人になりたかった広末は、人間としての基幹の形成が、未熟なのか?

*3)、

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副題1、『23-6-18日に入籍上の夫、キャンドルジュン氏が、記者会見を開いた。手作りで、受けつけ、片付けも、すべて、一人で、行ったそうだ。芸能記者は、びっくりしたらしいが、アーチストだったら、それは、当然の事。アーチストの儲けは少ないので、パートナーが手伝う事はあっても、秘書やスタッフを雇う金は、ない。それが、普通』

 この騒動の登場人物は、四人だと考えていました。ところが、五人いました。意外にも、広末涼子の母という人物も、重要だったのです。その五人のうち、ペ-パー上の正式な夫、キャンドルジュン氏が、最も弱い人です。なぜ、弱いかというと、お金が鳥羽周作氏ほど、儲けられない人だからです。キャンドルは売れます。だけど、使用人を使って、大勢のお客に料理を提供する鳥羽周作氏に比較すると、それほどは、儲からないです。8店舗の売り上げは、一晩で、400~500万円になるでしょうから。で、鳥羽夫妻は、金持ち喧嘩せずで、テレビなどを、利用しません。沈黙したままです。

 さて、手紙や、日記をだれが公開したかですが、手紙が、レストランに届いて居たら、周辺の、スタッフが、文春に流した可能性は、あります。ただし、日記まで、レストランに置いていて、店員か部下が、週刊文春に流していたとしたら、鳥羽周作という人物は、不遜に過ぎるし、その不遜さを部下に嫌われたほど、人格が悪いとなります。部下に、裏切られたわけですから。

 ただ、広末側のデータが主に出回り、シェフ側のデータが、少ないという事は、シェフの妻(シェフが、元、教員だった時代に、知り合った、元、教員である女性)が、流した可能性もあります。

 特に手紙は、広末側には、残っていないので、シェフ側の、人物が、週刊文春に流した可能性があります。

 ただ、キャンドルジュン氏は、自らが、18日の記者会見で語っているごとく、今までも、広末の、恋愛沙汰を、中断させてきた、過去があるそうで、今回も、それを行ってきたが、相手がなめて来て、終了させ得なかったので、怒髪天をついて、妻が寝ている間に、バッグから、それを取り出し、外へ出した可能性を、私は、感じました。私の想像が当たっていますか? 文春さん?

 それを母親も、広末も知っているので、彼に、「この家を、出て行ってください」と、言うのでしょうか?

 そうなると、もっとも、弱い犬であり、きゃんきゃんわめいているキャンドルジュン氏が、意外と食えない人物で、わるものっだったとなり、涼子・ジュンが、キャンドルジュン氏ののぞみどおりに、元に戻っても、何かの大修正がない限り、嘘にみちた、空虚な、夫婦関係となるでしょう。大変ですね。

 もしキャンドルジュン氏が、流したのだとしたら、夫婦関係を修復しない方が良いです。キャンドルジュン氏は、金づるである、涼子にしがみつく、ただ、金目当ての、情けない人物となってしまいますから。おやめなさいませ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『今、冨永愛が、NHK他で、珍重をされて居る。ブームが来ている。それを、見ていて、私は、ちっとも嫌な感じがしない。一方、25年前に大ブームが来たという広末涼子だが、私の中では、嫌いというか、なんというか、非常に低い評価のタレントだった。無味乾燥な、女優だと、言う印象しかない。演技上の結果に対して、いささかも、好意が持てないのだ。【おくりびと】に出たらしくて、その作品は、映画館で見ているが、広末の、印象は、一豪もない。

 また、現在の朝ドラにも出ているらしいが、私は、【らんまん】は、志尊淳が出てくるまでより、前の回は、見ていないので、広末の印象は、何も残っていない。

 志尊淳は、朝ドラ【半分蒼い】で、興味を惹かれ、映画【帝一の国】のメイキングの中で、共演者たちが、彼の意外な男らしさや、リーダーシップの発揮を、ほめているので、更に興味が亢進して、見てみたい俳優の一人となって居る。

 広末に戻ろう。今回、早稲田の、文学部へ、一応入学した(中退したそうだが)広末涼子の、手紙や、交換日記の文体が、あまりにも幼稚で、同時期に早稲田に通った、元学生を中心に、「なんだ!?! これは」という批判が殺到をしているそうだが、それは、彼女が高1から芸能人で、あり、甘やかされ切っていて、ちゃんとした、基幹の勉強をしてこなかったからであろう。

 冨永愛は、背が高すぎて、その事が悩みだったそうですが、姉がモデル事務所へ応募書類を書いてくれて、モデルになる事を始めて(自分自身が望んだことではない。是もまた、人気者としての成功へいたる秘訣です。郷ひろみもそうですよね)、そこから、モデル業に関して、いろいろ、勉強したらしいのですね。高校まで、普通の子供として、特権が無く、甘やかされなかったのも良かったのでしょう。非常に地頭の良い人のようで、周囲が、「これをやってみたら?」、「あれも、やってみたら?」と勧めたのに、従順に、しかし、勇気をもって、新しいフィールドへ入って行った結果、今がある模様です。

 モデルが、本業だそうで、別に、タレントとして、芸能界志望ではなかったのに大人気です。ところで、彼女は大学へは進学しなかったのに、若い人へ、的確なアドヴァイスができます。彼女がメンターとして機能する番組をNHKで見ましたが、上々の雰囲気でした。

 で、広末の方ですが、今般早稲田卒の人から批判が殺到しているみたいなので、大学卒ではないと、みなした方がいいですね。で、大学卒ではないと、言う事がわかっている女優で、立ち位置的に広末級の高さを持つ人間として、満島ひかりをあげたいです。そのうえで、二人の違いをあげたいです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『満嶋ひかるですが、私は、【川の底から、こんにちは】と、【悪人】を見ただけですが、広末の活動時期と、ほとんど同じですね。広末が、高校に入ってから主な芸能活動をしているからです。

 ところで、演技者として、全然深みもレベルも違います。広末は、早稲田閥に、サポートをされており、バックに、CIAトップの成岡庸司君の、采配を受けていると思いますよ。だから、実力以上のマスコミサポートを受けているので、真剣に、努力をしなくても、道が開けたので、甘さが残る、日々の、暮らし方です。

満嶋光の、wikipedia からの抜粋ですが、

  • 5歳で初めて家出をするなど小さいころは大人や人の言うことを信用できない子だったといい、勉強もできたが自分で経験しないと絶対に信用しなかった[注釈 4]。また幼いころから本を読むことが好きで[注釈 5]、小説家になろうとも思っていたという[28]
  • 感じたことや考えたことは何でもノートに書き綴るようにしており、そうすることで余計なものをリセットしている[29][30]。これは自身が基本的に感性本能の部分を大事にしているからであり[30]、またそのためにも"正直"、"素直"でいることを心掛けているという[31]

とか、東京国際映画祭のオープニングセレモニー企画「Japan Now 銀幕のミューズたち」において安藤サクラ宮崎あおい蒼井優、満島ひかりら同世代である女優同士で集まった際に宮崎、蒼井、安藤の3人について満島は「ここにいるみんなのそれぞれのお芝居が私はすごく大好き。(3人は)自然とかその場の空気とか、その日のものを自分の力に変えて、より多くを感じて、より少なく表現するようなすてきな俳優さんだと思っていて、その中に一緒に立てていることを非常にうれしく思います」と映画祭で3人に会えた喜びを語った[48]

  やっぱり、才能とか、向き不向きはあるのです。ただね。努力も必要で、努力で、大女優になったのは杉村春子だと、思いますよ。でも、広末涼子は、まだ、何も考えていない、ただの子供でしかないです。演技についての才能は無いでしょうう。

 ここから先が夜加筆する部分です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4,『風船のごとく、空虚にも膨らませて、大物になって居る広末涼子に比べると、満嶋ひかりは、真に、女優になろうとしている、存在であり、広末、富永愛、俵万智の三人と比較しても、時間と体力に余裕がないのか? または、考えがあっての事か? 子供がいない。非常に、大きな仕事をする女性アーチストは、子供がいないケースが多いので、私は、満嶋ひかりが、子供のいる、安藤サクラなどと比較しても劣っているとは、思わないし、特に子供が三人いる広末涼子よりも、生活の幅が狭いとも思わない。』

 満嶋ひかりは、【川の底から、こんにちは】をテレビで見ただけですが、彼女が、大きく飛躍したのは、園子温監督の【愛のむき出し】だったそうです。それで、私は本日初めて、【愛のむき出し】のwikipedia を、開きました。すると親子関係に問題がある、主人公(男性)が、盗撮に走るという筋がメインで、そのほか、複雑なテーマが入れ込んであり、合計4時間半の長尺の映画だそうです。

 私は、広末涼子の未熟さは、中学時代までの、家庭内養育に問題があったと、見る人間なので、親子関係は、重要です。この不倫騒動で、広末涼子の母親が、急にクローズアップされました。その母親自身に、無自覚の足りない部分があり、甘やかし放題で、育てたと、見ています。

 で、非常に興味を持って、【愛のむき出し】の、wikipediaを、読んでいくと、演技者の最終名に、宮台真司という名前を見つけました。で、都立大学構内(=駐車場)で教授たる、宮台さんが、自転車に乗った男に襲われたという事件をもう一回語りなおさないといけないと、思いいたりました。が、今は、致しません。ただ、私は、自分が語った、

 ・・・・・あの事件は、安倍晋三殺し、とか、その外の謀略(=嘘)としての、殺傷事件の、嘘を埋めようとして、起こされた新たなウソであり、宮台教授は、けがをしていないし、自転車に乗った男とは、桜田門に、勤務して居るエリート、警察官僚である筈・・・・・と、語っていますが、其れへの傍証付けを得られたと、感じました。

 都立大学の事件が起きた時から、宮台教授って、演技派ですのーと、私は、言っています。

 ところで、今急に満島が雲りはじめて居るのに、ご本人及びかんけいしゃはきがついてりるかしら?

 UQのCMが悪いのです。まず、マリーアンとアネット風ドレスです。 悲劇の人。それから家来として控えて居るのは、松田龍平。

 そして何より不穏なのはこれが、三人姉妹篇を好きであり、褒めて居た、私のぶろぐをたうぶすために、鎌倉エージェントが指導してできたものだからです。

 広末涼子の輝きとは、現在日本のCIAトップであろう、なり岡庸治君が作り上げたものですが、その風船が破裂をしたでしょう。満島ひかりの方は、自分で作り上げた輝きを、彼ら悪人に吸い取られて居るところです、

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岡村は、安倍さんの大腸炎とその辞任をからかう発言をした。それを私が叱ったので、【チコちゃんに叱られる】を与えられた

2023-06-17 12:23:40 | 政治

 これは、前報の説明文です。完成したら、前報の中に吸収をする可能性があります。で、どちらを先にお読みいただきたいかと言えば、むろん、前報(いかにリンク先を置く‥・・・それを後註1と仮寓する)

国芳に関してCIA ajentから苛め抜かれた事へ神様が23-6-16にお慰み下さった + 立花隆とエフェソスで出会った私だが? 

2023-06-16 22:09:50 | 政治

 です。しかし、こちらでもまた、大きな問題にふれていくこととなるでしょう。ときどきは、文章を消されないで、描くことが出来ることもあります。それは、特別に新しいことを書いた時であって、ハッキングをしているCIA連中=====世界で、20台は、このパソコンと同期した画面を覗いている、CIAが傭員=====が居るでしょう。それが、シャルリーエブド事件などを、起こします。・・・・が、興味を抱いた場合は、攻撃が、無いです。が、用心するに越したことはないので、少しずつ公開をしていきます。

 ただし、総タイトルは、ぐんぐん変えていきます。そして、書き始めてから、長い時間がかかって、17日の夜11時にやっと臭支店を迎えた。完成とは言わない。誤変換が直していないから。ただ、書きやめた。

*1)、私は預言者として安倍晋三氏の暗殺を予期していたので、2012年の総裁選には出ない様に、その時点で、ここで進言してある

*2)、岡村は、安倍さんの大腸炎とその辞任をからかう発言をした。それを私が叱ったので、【チコちゃんに叱られる】のMCを任されている

*3)、岡村は、小渕首相がヘリからロープで海に吊り下げられ、植物人間にさせられた話を知っているのだろうか? 無知だから安倍晋三批判が出来たのだろう

 

尿漏れ予防・工作済みのパンツを盗まれるのは拷問の一種であり、最も激しく其を行って来た金成悠子さんは京橋を去っていた

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1,『私は、2012年の秋には、安倍晋三氏に、自民党総裁選には、出ない様にお勧めしている。結局、奈良西大寺駅傍で、安倍晋三さんは銃撃されてしまったのだが、あれは、政治的暗殺ではない。一般的な意味で、使う政治的暗殺ではない。

 ただし、私が常にこのブログで、書いて居る伊藤玄二郎(かまくら春秋社社長社長にして、鎌倉ペンクラブ会長)と、本当は、まだ生きている井上ひさし(日本ペンクラブ会長)の二人が、形成する政治、と、言う意味では、まさに、その政治上の犠牲者ではあった。その二人、及び、周辺にいて協力する人間たちは、自分たちを守る道具として、その時点で、安倍晋三さんを使ったのだ。

 まるで、お人形である。お気の毒ではあるが、もっとも、深く状況を理解していた、私の、進言をお聞きになり、一代議士として、一生を終わる方が、良かったのだった。しかし、シェークスピアの【リア王】におけるコーディリア姫でもあり、ホメロスの叙事詩、【イーリアス】の中に出て来る、カッサンドラ姫とも同じ、私は、私の言葉を、聞こうとしない、日本国民に囲まれている。最近、もっとも外れているのは、私の進言を聞こうとしない、松竹社長である。または、日本テニス協会協会長である』

 私が、2012年11月に描いたその文章が、見つかったら、巻末に後註2として置きます。今、その部分を書く際に、激しい妨害工作を受けたので、この一行は、重要です。そのこれから探すはずの文章ですが、まさか、消されていないでしょうね。この間、みずほ銀行鎌倉支店を舞台にして、2018年1月18日に起きた謀略を探したら、見つかりませんでした。NTT7レゾナンスのクラウド内で、消されてしまう。そういうところまで既に進んでいます。

 ところで、最近の大きなニュースとして、藤井壮太君の七冠制覇が、報じられました。あれは、藤井壮太君の脳の拡張機能として、クラウドから、過去記録を呼び出すスパコンの助けを得ていることは、皆さんご存じですね。AIと、言うシステムで、くくられています。

 一方で、腎臓が悪くなって、人工透析を受けている人は、自分の血液が、機械の間を通る間に、老廃物を、捨てることが出来ることを知っています。それと似た機械で、コロナで禍で、急浮上をした機械が、エクモです。血液をその中に通すと肺の代わりをして酸素を入れ込んでくれます。

 これらは、有用な方向での、機械の登用ですが、反対方向でも、すでに、機械システムは、使われていると、推察しています。反対方向とは、化学工場たる人間の体の、普通に行われている機能をだめにする方向です。で、すでに、桜田門の警察庁内、及び、大阪府警、神奈川県警、広島県警などの、本庁ビル内では、装置そのものは設置されているでしょう。

 ただし、運用をされているのは、桜田門内だけだと、思いますけれど・・・・・

 スマホにGPS機能というのがあることは、皆様、ご承知の事でしょう。で、スマホのそれに代わる、装置として、小さなチップを犬や猫に埋め込むと行方不明になった時に探し出すことが出来ます。私は、そういうチップを使わなくても、彼らが、これをターゲットにしようと考えた人間に、ついては、スマホを持って居なくても、その動きを追跡できるシステムをすでに持って居ると、推察しています。

 ただし、破壊工作を実際に発動をするときは、ターゲットが動かないで、いる時です。安倍晋三氏の場合は、国会議場で、議長の、すぐ、下斜めに、座っている時、または、議長したの、発言台に、いる時が、狙われる場所です。そして、そういう場所で、排せつ、特に大便の不始末が起きて、しまう事を事前に、予測をさせるために、公邸、及び私邸の、ベッドに安倍さんが、寝ている時に、安倍さんは、排せつ異常に見舞われたであろうと、推察しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『お笑い芸人【ナインティナイン】の岡村は、安倍さんの、辞任をからかったがゆえに、NHKに、重用をされ,【チコちゃん】に叱られるのMCを、務めている。特に、私が岡村のその・・・大腸炎を、からかう発言・・・へ、批判を開始したからだった』

 岡村隆史という芸人の才能は、非常に高く評価をしています。彼が、フジテレビに持って居た、【めちゃめちゃ、いけてる2!】は、面白いと思って、見たことが三回ぐらいあったかなあ。

 しかし、横浜訪問という会で、大久保佳代子という芸人をめちゃくちゃに、いじめる場面を見て、嫌になって、見るのをやめました。

::::::::::ところで、ここで、挿入ですが、大久保佳代子と、言う芸人が、NHKに大変高く評価をされています。それは、ですね。上にあげている、大久保佳代子をいじめぬく、横浜篇を嫌になってと、言う事をどこかで、書いたからでしょう。今ね。ありとあらゆることで、24時間、いじめられています。高橋英樹が、司会者になってから【歌舞伎を伝える唯一の番組【日本の芸能】が、時間も短くなり、どうも変質した模様です。見る気がしなくなりました。私が、歌舞伎を好きだから、この番組も変質させたのです。まあ、変質させる前にも、【莟玉】を過剰にちやほやしたりして、(莟玉の親が岩波書店勤務らしいし、角野栄子さんも元、岩波書店勤務ですよね。そういう縁で、莟玉を、異常に高くもてはやしていたので)、鎌倉エージェント御用達番組として、私に神経を痛めつける番組へと、変質をしていたのでした。

 NHKアナ、男性秋本さんと、南野陽子が司会をしていたころは、普通でしたが、変質していったのです。:::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。

 しかし、その後、日本テレビで、【ぐるナイ】と、言う番組が始まって、高級な料理を食べて、値段を当てると、言う番組コンセプトは、嫌いなものの、芸能人の素顔が、わかるので、割とそれを楽しみに見ていました。それでも、4,5回ですが・・・・・

 この人間の素顔が判るという意味では、おぎやはぎの【愛車遍歴】もそのポイントで、高評価を与えていました。が、最近では、時間が無くて、ほとんど、見ていません。

 さて、この節と関連する問題について、調べて居たので、多大の時間を取ってしまいました。

 ここでやっと、【チコちゃんに叱られる】と、その司会者が、岡村であることに言及します。この番組は、CG画像と、アナログ画像を合体させていることが、驚きです。が、番組そのものは、面白くはありません。出演者の発言には、上にあげた素顔を見られるという面白さが無いし、質問そのものも、どっちでもいいと、言うたぐいのものです。

 こんな番組をNHKが、大切にしていると、言うところに、NHKが、対私いじめ用に利用をされていると、言う事の証拠を、また、また、一つ見つけたと、言うわけです。

 岡村が、2007年ごろ、安倍総理大臣の辞任を、「だめだねえ」と、発言をしたのを、私は激怒しています。別にネトウヨだから、日本国総理大臣をけなされたのを怒ったと、言うわけではないのですよ。あの病気がCIAからの外部攻撃だと、確信をしていたからです。

 私はすでに、その時点で、左股関節と、右ひざ関節に攻撃を受けていました。平地から家まで、石段を、130段上らないといけません。さら門に入ってから35段以上、上がらないと、居間に、たどり着けない私にとって、膝間接と、股関節を攻撃されるのは、致命的な事です。

 しかし、外部攻撃だと、確信をしたのは、毎日痛いわけではないからです。ブログで、真実を一段階上がって書いた時に、痛くなるのです。そのころは、まだ、これが、どうして起きるのか、どういう機序で起きるのかは、わからないものの、肉体へ、痛みを与える攻撃が、確実にある事を確信はしました。ので、私よりはるかに有名な安倍晋三氏が、右翼的だと、みなされているので、攻撃を受けているのは、必死だと、考えました。CIAがその人の、外部から行う攻撃は、病院では治らないです。そういうものを、あまりにも自分だけから、推察して、けなす、岡村に、大きな嫌悪感を持ったのでした。

 しかし、当時の私はメルマガだけを配信していて、その読者が高度だったので、芸人に触れるのは、この世界が汚れると、考えて、この件をブログ内で、書いたのは、2012年以降だったと、考えています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3,『ナイナイの岡村は、それを知っているのだろうか? 小渕首相が、ヘリで、海へ連れ出され、拘束をされた上で、ロープで吊り下げられ、ある程度の時間、呼吸が止められたので、植物人間になったと言う事を。

 政治的意識が高い人は、この話をほとんど知っている。私は、我が家の真下、鶯吟亭前で、すれ違った、マダム慶応卒(雪の下二丁目在住・・・・・但し、名前を知らない。普通は、こういう人との交流は伏せるが、彼女は、三田会(慶応大学の同窓会)のおかげで、酒井忠康氏と、仲良しなので、いじめられないと思う。

 この人は、女性だし、専業主婦なのに、小渕首相暗殺の経緯を知っていました。初出は、中丸薫女史の本らしいのですが、私は、実際に読んだことはありません。だって、小渕首相が亡くなった後でも、中丸薫は、60冊の紙の本を出しているので、わかりません。

 ともかく、この副題3の二重カッコ内だけでも、政治的意識の高い人は知っているエピソードです。ふとすれ違っただけで、ドレスが素敵ですね」という話題から始まった人でも、鎌倉在住の人なら、小渕首相が、米軍(?)のヘリから、吊り下げられて脳がだめになったのだと、言うエピソードを知っていますよ。

 岡村は、知っていますか? ともかく、あなたも激務でしょう。だけど、日本国の総理大臣を務める・・・・・しかもその人物の理想通りの政治を行うと言う事がどれほど、難しい事か? 時には、命を狙われると言う事を知っていますか? このブログは、結局のところ、メディア論だと、言っていますね。

 岡村は、大きな人気を得ているおわらい芸人でした。別に威張ると言う事はなかったでしょうが、内心では、自分に自信があったでしょう。首相だと言っても、彼のお眼鏡にかなわなければ、「「だめだなあ」というのは、当然の事だと、考えていたと思います。

 だけど、自分が書く文章によって、膝が、空疎になり、力が入らず、石段を下りるのは、ほぼ、片足と、手で、降りていた私は、政治というものを、岡村よりも、はるかに、身近に感じていて、安倍さんの肉体に侵入して(どこに、どういう攻撃をかけるのかは、まだ、私には、わかっていませんでしたが)緩い便を不随意に漏らす様に手配をする敵の様子を、完璧に想像することが出来ました。

 それでも、安倍さんの私邸で、ベッド内で、緩い便が、不随意に漏れ出てしまう事を、想像することが容易にできました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『伊藤玄二郎は、谷垣禎一さんを、手に入れていた。その谷垣氏を通じて安倍さんは、2012年の、三月以来、伊藤玄二郎達の言うなり、政治を行う様になった。私は、当然、困ったが、彼が、恐怖心に勝てなかったのを、認めてはいた。つまり、従ってはいたが、何時、裏切られるのか?と、言う恐怖心を抱いていただろう。実際に、安倍さんは、伊藤玄二郎達、CIAエージェントに裏切られた。奈良・西大寺で、殺されてしまった。

 それでも、岡村は、安倍さんをだめだなあと、言いますか? NHKで、チコちゃんに叱られるを作ってもらって、司会者に任命され、日本全国に知名度を上げたので、それに感謝して、私のブログを無視しますか?』

 私は、本日は、疲労困憊をしました。

 なぜかと言うと、とても、人柄がよい(政治手法は別ですよ)、お坊ちゃま育ちのところを狙われて、伊藤玄二郎達にいいように使われてきて(と言うのは、2012年3月以降の話ですが)最後には、また、道具として使われてしまった。・・・・・しかも何の道具かと言うと、伊藤玄二郎と井上ひさしの二人の悪人を、守る為の、道具ですよ。もう切ないと言うほどの、だまされ人生です。お気の毒ですが、それを正確にたどることに疲労困憊してしまいました。

 だが、安倍さんの大便のところだけで、終わらせていただきます。

私の排泄を管理されていて、それは、拷問の一種だったのだと、言う話まで、書く、エネルギーが残っていなかったからです。

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国芳に関してCIA ajentから苛め抜かれた事へ神様が23-6-16にお慰み下さった + 立花隆とエフェソスで出会った私だが? 

2023-06-16 22:09:50 | 政治

 この一文は、+ 若江漢字夫妻・良子・夢待洞について、新しいことを述べるつもりでした。ところが、求龍堂刊の、【猫まみれ】という大衆向け美麗盆を立花隆の、写真が、大量に付与されているエーゲ海の本と比較し始めて立花隆批判に入ってしまいました。私はトルコの遺跡エフェソスで、1980年の8月のある日の午後、たった、二人だけの人として、立花隆に出会っています。その日以来、彼を批判し続けていますので、ここでも、それをまた丁寧に、繰り返してしまいました。知の巨人ですって、実物の彼は、おっちょこちょいですよ。短絡的に過ぎる。悪しき東大卒の典型です。

 これは、スケッチブックに描いた、立花隆と出会った十字路の、絵です。本物は、手元になくて、これは、はがきに印刷したもので、しかもスキャナーが効かないとされているので、夜スマホで、撮っています。画像としては、全然だめですよ。だけど、今、こういう画像を使うのも、私が弾圧を受けているという証拠ですから、仕方がありません。そういうお断りを入れて、本文に戻ります。

 これは、最初の題を【歌舞伎座に国学院大学の付属(中三)が来ていた。引き寄せる力が強い私である】としておりました。しかし、本日、23-6-16には、いくつか、私が、引き寄せる力を発揮したエピソードが他にもあり、

 私はなんと、引き寄せる力が強いんだと驚いています。

 それは、3つあって、一つは、ご近所人間の前田清子さんが、その大學の講師をしていた、國學院の付属中学の生徒(中三)が、歌舞伎座三階を占拠していたのに遭遇したという件。。

 もう一つは、パンティが三枚盗まれいていてね。その件で、銀座の画廊二軒を訪問しました。ほかにも、画廊3軒を訪問をしたのですが、こっちの三軒の方は、まったく予定外です。

 主たる目的はトイレに関して、強烈ないじめを繰り返した二つの画廊の方です。でも、ついでに、路面店の画廊で、面白い展示があったので、三つほど、予定外の見物をしました。が、これは、なんというか、望外の目の保養というたぐいのもので、ブログ化する必要は無いものです。普段は、通ら無い通りを通ったのでした。で、まったく知らない画廊に遭遇したのです。でも、久しぶりに、良い作品群に接して、心が洗われる境地を味わいました。よかった。よかった。ラッキー、ラッキー、パンティを盗むご近所様とか、補聴器を盗んで返すご近所様とか、ブラシを盗むご近所様、そして、夫婦ない会話で、それを大声で言うと、返してくるご近所様とか、紀尾井ホールで、銀行の通帳四通が、盗まれたのも、不思議な場所に返されていて、

 清川病院の窓官庁が出してくださった、検体入れ三本と、薬も盗まれているのに、絶対使わない、300円ショップの不透明なトートバッグに返されて居たり、まあ、天手古舞の憂き目に出会っています。が、だからこそ、救いも訪れるのですよ。天からの。それをこれから書いていきます。まずは、国芳です。

 

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副題1、「歌舞伎座にこの一週間で、三回行っている。今日は三回目だったので、心にも体力にも余裕があり、美術家連盟の図書室を訪問をした』

 美術家連盟は、広報(薄いが雑誌というべきもの)を出しています。ほとんどの月は読まないのです。しかし、最新号かな❓割と熱心に読みました。

 非常に面白い記事を見つけたのです。それは、彫刻を専門とする入谷画廊(ただし、上野にあるらしいので、銀座と京橋を主に回る私は、今まで、一度も行ったことがない)を、原潔という方が訪問をして対話をしている記事です。その中で、原さんが、「二回目として、訪問をしています」と書いているのを、一度目が、【せいほう】なのに、一度目も入谷画廊だと、誤解した私は、入谷画廊のオーナーが、一回目にも、本当の話を、しているのではないかと、考えて、「一回目を読ませてください。どうも捨ててしまったらしいので」とお願いをすると、「あなたは、間違えています」と説明を受けて納得をしました。【せいほう】のオーナーは、あたりさわりのないお話をなさっているのではないかなあ。

 入谷画廊のオーナーのお話を、聞き耳を立てて、読んだのは、美術教育に関して、本音が出ているので、なるほどねえと、思ったのです。ほかの画廊の噂話をなさっているわけではないのですよ。そうではなくて、アーチストになるための美術教育の話をなさっていて、それが、その通りだなあと、思ったので、もっと、深い文章があれば、それも読みたいと、願ったのでした。

 しかし、私の欲求は、誤解から生じたものなので、ぽしゃってしまいました。が、図書室には、面白い本がいっぱいです。15年ぶりぐらいに訪ねたので、美術家連盟の、事務室から出てくる人をだれも知らないのですが、ずうずうしくも、老眼鏡まで、貸してもらって、一冊を〇〇読み通しました。五時までの、30分間にです。図版は見えるのですよ。しかし、絵に対する説明の文字が小さくて、読めないのでした。

 その本は、2011年出版とあるので、15年前には、まだ、図書室には、無かった本です。図書室の内容は、相当、リフレッシュされていて、新しい本がいっぱいありました。そして、私が選んだ一冊は、あるコレクターが、猫を表現した、アート作品を、蒐集して、そのコレクションを一冊の本にしたものです。猫が大好きな私は、ものすごい速さで、全頁を読み通したのです。

 この世には、猫に関して、有名な作品が、10点はあります。が、それは、載っていません。当たり前ですよね。だって、竹内栖鳳の、【斑猫】なんて、いまさら、出回る筈がないですからね。もちろん、国芳の【はやり猫の、手毬唄】だって収納してありません。でも、種々の描法で、描かれた300点以上の絵及び版画及び彫刻を、見るのは、たとえ、紙に印刷されたものとはいえ、本当に楽しかったです。

:::::::::::::::::

求龍堂
 招き猫亭コレクション 猫まみれ
刊行 : 2011年11月
定価 : 2,750 円 (本体 : 2,500 円)
ISBN 978-4-7630-1147-3 C0071

:::::::::::::::::

 偶然に、寄った、しかも別の用事で、寄ったのに、CIAエージェントたちのいじめに対する、一種の慰労を得ました。覚えていらっしゃるかな? 以下の文章。

国芳の版画modifyが、たった一週間内に逆転する。そして、猿之助逮捕ですって、全て私のブログを否定する為ですよ 。という事は過去ブログはすべて正しかったのだ

2023-06-08 09:27:36 | 

 北斎美術館の学芸員の方が、NHKにまで、問い合わせて、私の質問を、といてくださって、それを丁寧に、一文化したのです。

上野文相の中の、************罫線以下で、

 この写真以下の部分です。非常に美しいお話で、終わる筈だったのに、例の連中、+桜田門、露木長官で代表される警察庁の、秘密部隊が、関与して、NHKに急遽、視聴者には、背中を向けていた、犬頭の袴男たちを、全部、国芳の、原版画に戻しなさいと、命令をしたのでした。

 すごい意地悪をする人間がいるのです。まず、コロナ禍を利用して、松竹図書館が、事前の予約がないと入れないという形になり、芸大図書館も、あれこれ、制限がかかって入れないことに成りました。国立国会都市書簡は、閉架図書システムになり、かつ、パソコンで、検索するシステムにもなったので、全体像が把握しにくく、非常に利用しにくくなりました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『しかも、私は、この一週間、microsoft の、ワードの保存で、大、大、苦労をしたのでした。microsoft社との、電話は、勝手に、例の連中に切られる、yahoo mail が開けない、などのいじめを受けて、なんと、3日間、合計、8時間ぐらいを、謀殺されていたのでした。

 だから、ブログを更新できなかったのです。でも、いじめられ野記録で、暗い、暗いこの世界に、神様は、一条の光を当ててくださるのでした。

 まったく違う目的で、行った美術家連盟の図書室で、国芳にまたであったのです。

それが、私にとっては、神様のお救いであるのでした。

まさかと思うが、美術家連盟の図書室が、自由に入れないことに成ったら、其れこそ、安野智紗夫人から始まった、この山の、アジサイ畑欺罔事件、および、北久里浜の水道山のタダで、私有化された地積変更届の仕組みを最初から、また、繰り返して説明をしないといけないと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『この猫まみれ】という書物は、小型サイズ(四x六版)ながら紙が厚くて、美麗な印刷で、とても読みやすい。しかも誰でも買える様に、3000円以内に収めてある。

 比較すると、朝日新聞の売れてる本で、ほめまくられていた、立花隆の、、

『エーゲ 永遠回帰の海』須田慎太郎(写真)、書籍情報社、2005年、ちくま文庫、2020年

は本当に恐ろしい。見開き、2頁ごとに、字、次の二頁に、写真と、交互に印刷されているが、神が薄くて、字を読むときは裏の写真が、透けて見えてしまうし、写真を見るときは、自が透けて見えてしまう。それでも今Amazonでは、9000円以上で、取引をされて居る。一方、筑摩書房の方は、紙をもっと厚めのものを使っている可能性がある。今度実物を見て置こう。

 この本に関しては、ものすごい因縁があるので、何回も書いている。私は、実は、1980年トルコエフェソスの遺跡で、8月の午後、立花隆と、遭遇をしているのだ。私はトラヤヌス帝の、胸像前で、スケッチをしていた。しゃがんでいる、その前に立った、立花隆が、私が日本人と見て、日本語で話しかけてきた。

 彼が、トルコ人は汚い。バカだと、悪口ばかり言うので、私は、そういう風には、感じていないので、私の方が「あなたは何円ぐらいの、ホテルに泊まっているの?」と聞くと、「600円」と彼が言う。私たち夫婦は、トルコ・日本、共同工事(ODAというのかな)を請け負っている主人の弟の招きで、訪れたので、すべてのホテルが、1万円以上の、高級ホテルだった。で、「ノミがいる」などという彼の言葉は、値段のせいだと思って聞き流した。ただ、あんまり強く悪口を言うので、「あなた、ここには、マリアの墓があるという伝説を知っている?」といった。すると、彼は「僕は物書きだから、他人の書いたものなんか、読まないのだ」といった。

 私は、この時、彼が、すでに、

1974年(昭和49年)10月9日発売の『文藝春秋』11月特別号に、立花の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」を、発表してヒット作を出した、ライターだとは、知らなかった。

 そのころの私は、子育てと、それに付随するご近所づきあい、それから、PTA活動、音楽の修練、アートの修練に明け暮れていて、政治などには、一切関心がないし、月刊文春など、読んだこともなかった。東京へ行くときは、よく、週刊文春、週刊新潮、週刊朝日、サンデー毎日の順に買っていたが、月刊文春など、読んだこともなかった。厚手の雑誌としては、婦人公論は時々買って、尾辻克彦の【チチヤスモノ・・・・・再婚した奥さんと、前の奥さんとの間の娘の三人暮らしを語る私小説】ぐらいしか読んだことがなかった。その上、私の親せきが、商社で、グラマンを自衛隊用に、輸入している立場(元海軍将校、戦前から、戦時中にかけて パイロット)だったので、ロッキード社のピーナッツとは、中国と、国交を回復した田中角栄を貶める為の策謀だと、思っていたので、ニュースで、立花隆の活躍は知っていたが、尊敬する気持ちには、成れず、筑紫哲也ニュースなど、見たこともなくて、彼の顔を知らなかった。

 ここだけど、彼は、あの論文を発表する前に、イスラエル政府に招かれている。アラブ系を軽蔑する様に洗脳された可能性もある。

 で、私は、続けて、「その600円のホテルで、英語は通じる?」と聞いた。「もちろん、通じないよ」と彼は言った。私は【地球の歩き方…トルコ篇】

で、一頁ぐらい紹介されているトルコ語 VS 日本語を記憶してきていた。あれから、42年が過ぎた、今でも、テシュキュール(ありがとう)、メルハバー(こんにちは)と、覚えている。で、庶民を相手にはそれで、通じるし、インテリには、英語が通じるので、現地の人と和気藹藹で、過ごしていたので、立花隆の怒りが、まったく理解ができなかった。

 ただし、これが、重要なのだけれど、私の旅行前の参考書が地球の歩き方だけだと、誤解をされると困るのだ。私は今、教文館で6090円で買った、四 x 六版の聖書、日本聖書協会、新共同訳、の1987頁を見ている。

 そこには、パウロの、宣教旅行 1とあり、最近大地震が起きたトルコ南部と、キプロス島に、陸上、および、船で、行っている。合計ほぼ、1200キロ。次に戦況旅行、2,3が、3000色以上。最後に船で、エルサレムから、ローマに行っている。

 それを、聖書で読むと退屈だと、なるだろう。特に、パウロは、四つの福音書と違って、行動記録と、各都市に住む信者へのお手紙だけが残っているのだ。お手紙は、各地方ごとに、繰り返しが多いので、読むに値しないと、考えられていて、かく、言う私も全部は読んではいない。特に日本語では読んではいない。

 ところが、私が入学した当時(1962年)のICUは、英語で、厚さ4頁にもなる、The Apostle と、言う書物を読まさせられた。これは、パウロの宣教旅行を、小説として仕立て上げてあるので、お手紙そのものと違って、面白い。とても面白い。で、最初の三分の一は、頁の、20か所程度で、辞書を引くが、どんどん、どんどん、その数が減って来て、自由自在に読める様になる。だけど、二か月は、かかったかなあ?

 そのほかにもグレコローマン遺跡を、書き表した書物はシュリーマンの伝記、ホメロスの、岩波文庫【イーリアス】、【オデッセイア】等々。

 しかし、冒頭で、書いている様に「ここにマリアの墓があるというのを知っている?」と聞いても知らないと、言うので、すべてをあきらめた。私は喧嘩はしないし、おせっかいもしない。物書きだから、他人の物は読まないという、かれに、「The Apostleのペーパーバックを丸善で買って(または、注文をして、仕入れてもらって)読みなさい」などとは言わない。

で、それ以上は彼とは、話をしないで、絵を描き続けた。しかし、黙って、会話を切ったと、言う事が彼には、一番侮辱に感じたのではないかなあ。

 ともかく、私ももう何も言わないが、彼も、もう何も言わないで、下へ下って行った。遺跡を出たところに広い、ひまわり畑がある。そのあたりで、私を迎えに来た、主人と立花隆が出あった。

 私は体が弱くて、トルコ旅行の二日目に、イスタンブールのシェラトンで、4時間も気絶をしていたぐらいだから、主人が迎えに来た。

 すれ違った立花隆は、「上の方に、生意気な、日本人の女がいる」と、口角泡を飛ばして、主人を説得したらしい。主人は、むろん、ああ、千恵子のことだなあと、思ったが、「それは、私の家内です」とは言わないで、「そうですか、そうですか」と、合い槌を打っていたらしい。で、彼の気分もだいぶ収まった。しかし、トルコに関する悪口は、依然、大仰に、口をついて出た。主人は、柔らかく、「僕は今、セルチュクの博物館へ行ってきました。結構面白かったですよ」と答えると、立花隆が、「じゃあ、僕も行ってみよう」と言って、

 上にあげた初版本では、「セルチュクの博物館がトルコで、一番面白かった」と、書いているのです。

 私は、朝日新聞の、売れている本というコラムで、この本の紹介を読み、かつ、彼がせるちゅくの博物館が一番、面白かったと、書いているのを見るまでは、あのせっかちで、短絡的な男が、立花隆だとは、気が付きませんでした。

 私は、個のエフェソスのエピソードについて、『紫色のズボンの男と」として何回もエッセーを書いています。それが閉鎖されていたメルマガの読者の一人から、立花隆に、伝わったのか(?)

 東大罰を通じて、親友だからだと、考えてね。または、マスコミ同人として、友人だ、考えたからか、彼は、対私への復讐というか対抗意識で、エーゲ海の、本を、2005年に出版したのでしょう。しかし、パソコンを、40数台破壊されている私は、いつ、それを送信したかを特定出来ません。でも、天は、御照覧あると、常に信じています。

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奥島孝康氏と、鎌倉エージェントとの関係はいつ始まった? + 自衛隊内部の不祥事は、ヘリ墜落という嘘に協力をしたからですよ

2023-06-14 22:16:29 | 政治

 これは、まったくもって前報の続きです。

 で、例の私の敵さんたちは、こういう風に考えたらしいのです。「山内ゆり子が、唯一、川崎千恵子より劣っているところは、子供が居ないところだ。しかし、50を超えている彼女に、いまさら妊娠を求めるわけにもいかない。と、なると、子供が居なくても、輝かしいい女として、屹立させるためには、とびっきり上等なパートナーと結婚をさせるのだ。それで、圧倒的な上位を確立させる」と。

 犯罪の被害者を探す時は、彼らは、スパコンで検索します。*こども*かわいい*動画が公開されている。なとと、条件を入れて。リンちゃんとか、おおももたまきちゃんとか、おぐらみさきちゃんとか、涼斗君とかを探し出し、それぞれのお子さんを、それぞれの時期に、別々も犯罪に使いました。

 しかし、山内ゆり子さんの結婚相手については、奥島氏に「誰か、適任な紳士は、いないでしょうか」と、問い合わせた可能性があるのです。奥島氏が、もし、ビートたけしのカンヌ映画祭受賞のときから、伊藤玄二郎たちと知遇があったとすればですが、あったのですよ。おお相撲にまったく、関係がないと、一般人が、考えている伊藤滋氏が、まず、ひっぱりだされたのですよね。それは、いのうえひさし、発案のおお相撲いじめが、わたくしに見事にも裏側を喝破されたので、自分たちの権威を守る必要が出てきて、東大名誉教授にして、現(というのは弐〇〇九年当時)早稲田大学の教授であり、かつ、伊藤玄二郎の異母兄であろう、滋氏が、引っ張り出されたのです。が、滋さんはテレビカメラの前で、自己崩壊をしてしまったので、次の権威として、奥島氏が、担ぎ出されたのでした。

 もう、嘘に近いほどの大袈裟な記事を、週刊誌にけいさいさせたのに、自分たちの意図通りには、世論が形成されなかったからです。

 ともかく、体裁を 

整えるために、ひっぱりだされたのが、奥島氏でした。しかし、相撲には、何の関係もない人でした。しかし、私には、わかっていたのです。は、はーん、これで、山内ゆり子さんのお見合いが鎌倉エージェントが、きかくしたものだったわね・・・・・と。

 奥島氏は、30もの役職がある人で、ほぼ毎日何らかの会議に出席している人です。でも、世間一般に通じる肩書としては、当時の夏の甲子園で、トップに、挨拶をするう人でした。奥島氏は、自分の右腕、つまり、朝日新聞代表として、甲子園を取り仕切っている人を、ゆり子さんの夫候補としてあげてきたのです。

 サラリーマンとしては、大変なエリートです。高給取りです。実は、この旦那さんは、意外に早くなくなりました。だけど、ゆり子さんには、遺族年金が入ります。それで、ゆり子さんは、一生、経済的には、安泰な画家となりました。

 瓜南直子さんが、2012年の6月に亡くなるのですが、その直前に、「芸術家特有の、手元不如意の問題があり・・・(それが、ストレスにもなる)」という珍しくも、ユーモアを、伏せた投稿をしています。尚子さんは、自らの思想に殉じて、入籍結婚をしませんでした。また、入籍したとしても伴さんは、同業で、ぎりぎりの収入の人でしょうから、尚子さんへの援助金はなかったかもしれません。

 瓜南直子さんが亡くなったのは、2012年ですが、山内ゆり子さんは、2008年ごろには、すでに、遺族年金が入る立場だったでしょう。朝日新聞の重役待遇化、重役そのものですから、遺族年金も高額です。直子さんの父親は、軍人だったのではないかなあ?で、戦後は、パージもあって、親世代も、それほど、お金持ちではないのに、直子さん自身も、お見合い結婚など、忌避したので、亡くなる二か月前に、あんなに悲哀のこもった吐露をつぃーとすることになってしまったのです。

 一方、山内ゆりこさん、ご自分の、日本の家(これは青森の実家の援助もあったであろう。芦屋か神戸のはずで、高級ぶらんど住宅街の中の家ですが)それと、パリの家、そして、毎月の収入と保証をされていきます。

 実は、私との知遇が始まった人は、かように、莫大な、経済的得をして、かつ、社会的な名誉を受けていきます。

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 ごく最近、わかったのは、前田達之君でした。彼は、日大農獣医学部(当時の名称)の出身ですが、ペットクリニックは、開かないで、新聞専売店などを、経営していたのではないかなあ? だけど、いつの間にか、朝日新聞本社の正社員になっているみたいです。で、今では、カチドキに住んでいて、肩で風を切る勢いのある紳士です。そして、たった、23区画(ただし、三区画持っている人がいるので家は、21軒しかない)しかない、この山の、最高海抜の場所に(昔は駅のホームから、その家が、見えた)二軒目の前田苗字の家を手に入れたのでした。シェアハウスにしています。旧中谷邸(公募上は、100坪を超すだろう。実質で、70坪程度)を、1980万円で買ったそうです。安い。山ノ下だったら、億がつくお値段でしょう。

 お母さんの、清子さんのほうも同じです。彼女たち一家が、買った家は、前の持ち主が、建築基準法違反の家として建てていた家です。(この事実は、我が家の北隣の藤本悌子夫人の動きによって、私には、わかりました)その上、前の持ち主は、奥様が、ご近所の男性と不倫の間柄になってしまって、それがばれてしまったので、慌てて、引っ越していったらしいのです。

 そこの奥様は、広末涼子というほどの有名人ではないので、不倫がばれたりしたら、引っ越していくしかなかったのでしょうね。

 ここら辺のエピソードは、大原光孝さんから聞きました。彼にとって、家庭内話題とは、もっぱら、ご近所住民のあらを探して嘲笑することらしいですよ。彼は、お勤めをしたことがないので、話題が、とても狭いのです。もう、本当にいろいろなことを、かれから、聞いています。おっちょこちょいの上に、軽いのです。で、道で、立ち話としてですよ。家に上がってもらって絵(100号以上の大作)を、批評してもらったことはあるのですが、その時はまじめで、いい人なのです。が、2000年を境として、豹変していった人物です。だから、絵の批評も今では、してもらっていません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、前田家は、前の住居が、買取マンションだったとしたら、それを売ったお金で、おつりが出るほどの安値で、今の二階建ての家を買ったので、鎌倉では、奥さんの清子さんは、フルタイムのお仕事をやめたらしいのです。お金を稼ぐ必要がなくなったのです。しかし、そこをすかさず、CIAエージェントは、目をつけて、國學院大學の講師に推薦した模様です。で、社会的地位は上がった上に、前と同じ程度の収入があるので、うはうはです。

 だけど、どうも、品がない人なのです。ものすごい大声で、しかも、矯声というタイプの発声です。山内ゆり子さんは、同じく、大声ですが、もう少し、音域が低くて、しかも話題(テーマ)が、下品ではない。やや、わがままだけど、下品ではない。そこが、前田清子さんとは決定的に違います。前田清子さんは、静岡大学だそうです。一方、山内ゆり子さんは、上智大学。友人の所作や、ふるまいが違うのでしょう。

 特に高校の段階で、清子さんは、県立高校で、ゆり子さんは、私学だった可能性もあります。それも、大いに違うタイプを育成します。

 前田清子さんが、大声を出すのは、主に安野家の前で、安野智紗夫人が主催する井戸端会議の席でです。彼女の声は、垂直に、10mは、立ち上がっていて、水平距離にして、10mは離れている我が家の居間でも内容が全部わかるのです。壁があったって、ドアが、あったって、聞こえてしまう。苦痛以外の何物でもない。でね。どうしてあれほど、くだらない内容の話をするんだろうと、ある日、熟考をしました。すると、わかったことは、彼女が、この山に住む女性たちの知性を、見くびっているということがわかりましたこの人たちは、自分より頭が悪いのよ。だから、この程度の話題が、適切なんでしょうと、考えているので、テーマが低劣なのでした。聞かされる、こっちは、たまったものではありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、前田清子さんの矯声によって被害を被った、そのレベルが、より深かったのは、藤本悌子さんです。彼女は、小児科医院関さんのお嬢さんで、私立女子中高卒業ですから、安野家の前で、毎日午後開かれていた、井戸端会議で、発せられる前田清子さんの話の内容と、その声には、本当にいらいらしていたと思います。

 それで、ひねりにひねった、復讐案を案出しました。それはですね。彼女の家と、私の家の間の道には、緩やかな傾斜があります。で、雪の日に誰かが滑って転んで、訴訟になったら、困るので、私が、それをふせぐ塀を自分のお金で作ります」と、言い始めて電動のこぎりで、道路に切れ目を入れ始めたのですよ。当時は、そこの道は、幅1mのコンクリートでした。北側は、まさきなどが、5mの高さに成長しており、南側はアジサイが1,5mの高さに成長していました。で、間の道の真ん中に、アルミフェンスが、設置されると、この山の、21戸のうち、三軒以外は、歩くのがやっととなり、新築、改築、引っ越し等すべてできなくなるのです。テレビ朝日の渡辺篤史の建物探訪に紹介された、白井達夫邸も、新築できなくなったでしょう。大原光孝邸も同じです。今、富沢家が、リフォーム中だけど、ガラクタをマータイに入れて下した、4,50個の袋を下すのだって、建材を上げるのだって、すべて無理になったはずです。

 誰もが、私の犠牲なんか、全く忘れて、やりたい放題ですが、いずれ、天の采配が下るでしょうと、信じています。

 高村薫が、ある時に、「分を守れ」と、言いました。直木賞を受賞しているし、ICU出身だから、井上ひさし等に、教唆された発言で、私を狙ったものだと、考えていますが、雪の下に、実際に来てみて、私からの説明を聞き、何が起きているかを現実問題として知ったら、薫さんも恥じ入らないといけなくなるでしょう。

 私は、一切のことに対して、けんかをしないから、やられっぱなしです。特にボス安野夫人にひれ伏す人が多いので、大損失を被っています。

 だけど、気の毒だけど、山内ゆり子さんのご主人が、非常に早くなくなったとき、

 瓜南さんが、警察の手先として、金田裕子さんを、私のもとへ、送り込もうとしたとき、そして、毎日、全日本明日ハガレン(これは、まだ、説明をしておりませんが、上にあげた雪の下二丁目の土地問題と、関連がある私いじめなのですよ)の投稿を行ったせいで、非常に早くなくなったとか、

 そして、なんと、自衛隊内で、自衛隊の武器を使って、殺人事件が起きたりすると、

・・・・・自衛隊ヘリ墜落は嘘であり、知床の観光船沈没という嘘を、正当化するために、起こされている謀略だと、私は言っていますが、・・・・・

 それに従って、協力をした、自衛隊に、恐るべき恥ずかしいことが起こりましたね。

 全世界の人が嘲笑をしているでしょう。だけど、将官10人を乗せた、ヘリ墜落という嘘を、考えだした、井上久と、伊藤玄次郎の連合組織に協力する限り、

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私は今シャルリーエブド事件を思い出し、なぜイスラム過激派の事件が消えたのか?を検証している。+ 伊藤玄二郎の本質も

2023-06-13 00:34:24 | 政治

  すみませんでした。13日中に加筆すると、言うお約束が守れず、14日になっています。お待ちくださいませ。すごい結末が来ますので。ご期待ください。恐ろしい結末です。人の死が訪れるのですよ。事故でもない形で。鎌倉エージェントが作り上げた幸せって、そういう形で終わるのです。お金だけは手に入るけれど。

 13日は、マイクロソフトのパソコン支配の、特にワンドライブの、複雑さに振り回されること、五日目で、もう、そちら(=パソコン)への支配権回復だけで、疲労困憊だったので、ブログの手当てができませんでした。恐れ入ります。

この一章は、最初の総タイトルを【ボールボーイは必要か?と、やっと、豪で声が上がった。私は、それ以上に深い事を72時間前に言っている】としておりました。しかし、二時間後、変えました、どうして変えたかというと、シャルリーエブド事件の解説と、日仏間を、取り持って、CIAの意向をフランスに認めさせる、エージェントたちのことを書くのに字数が取られるからです。

副題1、『私は自分のブログを政治と、規定しているが、政治が、メディアを使って行われることが多いので、実際にはメディア論といってもいいでしょう。今般の、ローランギャロスの混合ダブルスにおける、加藤未唯選手の失格問題ほど、世界中のメディアの取り上げ方が、日本に伝わったものもないので、面白い現象だと、思って、前報の続きを書きませんでした・・・・・』

 実は、フランスの、事件が大きく取り上げられるのは、「私は シャルリ」というデモ行進が世界中で、320万人の人が参加して行われたと、言うシャルリーエブド社が、イスラム過激派に襲撃されたという事件以来です。

 それが、私の住まい、鎌倉市雪ノ下2丁目〇番地の、前田祝一・清子家の、2階の天井灯をカーテンを開けて点灯することにつながり、一時期、我が家の西隣の、白井達雄邸(今、建設中の横浜いち高い鶴屋町タワマンの設計者)に移り、今は、平木伸明邸(奥様も、ご主人も、種々安野家と結託して、私を攻撃してくるので、そのご褒美に、ご長男が、東大推薦入学になったほか、種々の特権を得ている一家)に移っている攻撃策の原初です。

  これをね。また、嘘言ってラーと、思う方は、奥島孝康・元・早稲田総長が、山内百合子さんという、上智卒、パリ美大卒、パリ在住画家(日本では、ギャラリー【なつか】でよく個展をする画家)のお見合いをセッティングしたという話まで、たどり着けば、あれ、嘘ではないかもしれないと、お思いになるでしょう。50歳を過ぎている山内ゆり子さんのパートナーになった紳士は、朝日新聞側の、代表として、夏の甲子園を仕切っていた人です。奥島氏は、一般人代表の、高校野球連盟会長でした。

 私の文章は、非常に深いのです。途中で、「あ、また、ご近所の悪口言ってラー。いつもの繰り返しなんだよね」などと、早合点をしないでくださいね。二日後ぐらいに完成するので、そこまで、待って、正しくご判断をなさってくださいませ。

 シャルエリーエブド事件は、パン、パン、パンという銃声が響くときから(つまり、最初から)カメラが回っています。それって、日大アメフト内田直人監督の、パワハラ命令と、全く同じです。執拗に、タックルする宮〇選手の姿を追った映像が、NHKに繰り返し流されました。狙い撃ち映像です。シャルリーエブド社襲撃も同じです。日大アメフト問題も、作り上げられた事件です。事前に、あれこれ、調査は、行われていたが、あの学生が、日本記者クラブで会見を行えるのは、CIAが作った事件だからです。一方的でした。しかし、結果として、井上ひさしの、かわいこちゃん、林真理子が、日大理事長になったので、またまた、鎌倉エージェントは、メンバーを強化したというわけです。

 シャルりーエブド社は、記者が、9人殺されたそうです。一人のお葬式は、NHKで、画像が出ました。ただ、9人もの死者は居なかっただろうと、推察しています。というのも、その後、やまゆり園事件が起きて、47人の死傷者が出たそうですが、あれは、尾野一矢さんが、首を切られただけでしょう。19人の死者はいませんよ。尾野一矢さんは、父親が、共産党員か、日本ペンクラブの会員であり、テレビに向けて、お話ができる人であることが選ばれたのです。

 さて、あのやまゆり園事件の方を、まるで、本当の大事件であるかの如く、盛り上げたのが、午前中に記者会見をした黒岩神奈川県知事でした。でね。伊藤玄二郎たち、CIAエージェントたちは、もちろん、やまゆり園事件を計画しているわけで、私が、こういう風に書いていることも知っているわけですから、少しでも、ブログを休むと、気が弱くなっていると、見て、ここぞと、重ねて、攻撃をしてきます。自衛隊ヘリ墜落、安倍晋三氏銃撃事件の、ニュース化、知床観光船沈没、北朝鮮のミサイル発射・・・・・すべて、

 私が過去に書いてきたことを転覆させるためのニュースです。わたくしの方が嘘を言っているとするためのニュースです。そして黒岩知事が画面に出てくるのが定番です。2023年6月12日のニュースでも、黒岩知事が出てきました。丸二日間、パソコンを開いて、ブログを、手当をしなかったら、弱っているとみなされたのです。(苦笑)鎌倉エージェントが考えていることは手に取る様にわかりますのでね。

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副題2、『最近、イスラム過激派のニュースが出てこない。特に日本人が死ぬとか、拉致されて、人質解放を迫られるというニュースが出ない。どうしてか、皆様お判りですか?・・・・・実は、フランスに関する、関係者の実名を次から次へと、私が挙げて、ブログを書いているからです・・・・一番最初は、奥島孝康氏です』

 フランスと日本の間の、CIA謀略に動く人物として、一番、最初に取り上げたのは、奥島孝康・もと・早稲田大学総長です。この人が、突然、おお相撲ガバナンス何とか委員会のトップとして、乗り出してきたので、私は、この人を研究し始めました。非常に多くのことが分かりました。この人は、高校野球の方のトップはしたことがあっても、相撲には、全く関係がないのです。

 でも、急に乗り出してきました。それで、わかったことは、この一連の騒動で、最初に出てきた伊藤滋・前・なんとか、委員長が、伊藤玄二郎の親戚だろうということです。伊藤滋氏は、建築が専門です。そして東大教授を退任した後で、早稲田の教授になっている人です。父親レベルで、メディアを、支配できるだろうと、推察されて選ばれたのでしょうが、全く人格ができていない人で(甘やかされた環境だけで生きてきたからでしょう)、テレビカメラの前で、破綻を示したので、もっと、大物をと、奥島氏が、担ぎ出されたのです。

 伊藤玄二郎とは、鎌倉春秋社社長で、瀬島隆三に命令をされて、銀座で、栗田玲子さんを利用して、私を、いじめてくるし、この雪ノ下の山でも、昔は、石川和子さん、今は、白井達雄夫人を通じて、種々のいじめ用命令を行っています。

 わたくしは、伊藤玄二郎を、伊藤整の婚外子(妻以外の女性との間にできた子供)であろうと、よく言っています。伊藤玄二郎が、ポルトガル国の最高勲章、エンリケ航海王子勲章をもらっているのは、彼の、人的コネが、大きく寄与しているでしょうが、その人的コネを作る際に、貴種りゅうる譚(・・・・・私は、実は、貴族の婚外子なのです。つまり、とても高い身分の生まれなのですが、それを秘めて生きているのです・・・・・・)を、大いに利用していると、見ています。

 伊藤整というのは、私が若いころ、朝日新聞に連載小説を書いていた人ですが、翻訳本【チャタレー夫人の恋人】の表現を巡る裁判で、一世を風靡した、人物です。つまり、国家を相手にして勝った(実は勝ってはいないが、その後出版した裁判の記録ドキュメントが、大ヒットをし、その後も、ベストセラーを連発したので、裁判を起こしたのが、ラッキーだったと、なって居る人物)というわけで、大いにもてはやされました。

 伊藤整の親は、広島出身の軍人らしいのです。別に、貴族でも、華族でもない。しかし、従五位をもらっていると、ウィキペディアで読んで、このブログで書いたら、いつの間にか、正五位に変化していました。CIAの一味だとなんでも変更できるのです。宮内庁だって、言う事聞くのです。

でも、一世を風靡した、スター文化人の子供です。「母親は、詩人仲間でした」とか、「母親は、編集者として、伊藤整と知り合いました」といえば、里見頓氏など、いちころでしょう。だって、里見頓氏こそ、華族・有島家の庶子ですよね。母親は芸者だったと、ご本人がどこかで、書いていらっしゃったし。

 朝ドラ【らんまん】には、東大に、東大卒ではない、人が入り込むとか(わたくしもそうでしたよ。ただし、雇用をされたのですが)リトグラフ・・・・・わたくしは銅板で、しかし、使う機械(プレスという)も道具(ローラー)もリトグラフよりは、ずっと重いものを使うのですが、・・・・・が出てきたりして、よく知っている世界が、展開する様になってきたのですが、お妾問題も、実は、身近であったのです。言葉は、違うものを使っていても、妻以外の、女性から、生まれたお子さんは、いっぱいいるのです。今でもね。

 女性が富裕だと、女性も複数の男性を支配するのです。または、ひと時の、conjunction をするのです。東出昌大が大きく、失墜したのは、私が、彼を高く評価しているからでしょう。CIAの、私いじめの代理です。気の毒に。杏も、かわいそうに。二人の間のお子様もかわいそうに。

 伊藤健太郎と、言う俳優がいますね。目がちょっとおかしいです。いわゆる三白眼に近いです。怖いです。人格が悪いと思いますよ。朝ドラに出てきたときから、そう思っていました。ひき逃げ事故を起こす前からです。この人物が、伊藤玄二郎と、親戚だと思いますよ。まさかとは思うが、彼の実子だったりして。

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副題2、『奥島孝康氏は、最初は、新浪氏を、自分の委員会に入れたかったと思う。しかし、新浪氏は断ったのだと思う。それで、ワタミの社長に、入ってくれと、お願いをした。庶民を味方につける作戦だった。しかし、小泉純一郎首相が、貴乃花に、賜杯を渡して、「感動した」といった時以来、大相撲が国民結束の場になることを知った、CIA軍団は、大相撲を、とりつぶしていく方法を、考え、まず、八百長問題、次に、礼儀作法問題をあげていく。

 取りつぶすための組織だから、横綱審議委員会とは別の組織を作ったのだけれど、トップに据えた、伊藤滋氏が、ふにゃふにゃと、自己崩壊をしてしまったので、奥島氏が担ぎ出された。

ここで、寝ます。午前二時になったので。以下に、これから書く事をメモっておきます。

 渡辺美紀氏の大勘違いと、三本のホーム頁と、失墜への方向(神の采配の一つだと、思っている。CIAエージェントが、考えだした謀略に協力すると、自分が、陥落する。「

 ところで、奥島氏が出てきたことによって、私は、現代CIAエージェントの、政治的トップが、成岡庸司君だと、推察することとなった。この人物は、私と中学の同期生で、早稲田の政経を出ている。

 ただ、書くべきことは、飯田隆(週刊朝日元編集長)君が、「成岡は、もう死んでいますよ」と、嘘を言ったために、私はメルマガエッセイで、「もし、成岡君が、東大へ入っていたら、革〇の委員長はしなかっただろう。多分、まっとうな道を歩み、官僚になった筈だ」と、書いてしまった。これが成岡君から、個人的に恨まれることとなった気がする。

 奥島氏は、革〇を潰したと、言っているが、共産党と新左翼は、国民を誤・誘導するための、CIAの下部組織だから、奥島氏の話は、逆ととらえる方が良い。

 奥島氏は、野球の人なのに、なぜ、ここで、急に出て来たかというと、

 この件以前に、お見合いの件で、一度、鎌倉エージェントに、奉仕をしているので、話に乗ってもらいやすかったのだ。

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 シャルリーエブド事件は、私を脅かすための謀略だったが、どうしてそれが、言えるかというと、私は、メトロ8番線の、シュマンヴェール駅を毎日使っていたが、その一つ北側の駅、サンセバスチャンフロワッサール駅が、シャルリーエブド社の最寄り駅だからだ。私が毎日通っていた工房と、その新聞社は、南北に、300mぐらいしか離れていない。我が家と、鶴岡八幡宮様の、本殿との距離程度の、近さなのだ。ハイヒールをはいた女性が4分で到着できる距離である。

 また、デモ隊が、出発したという、リパブリック広場も、さらに北に、30分程度歩いたところにある。30分程度歩くなんて、パリに住んでいる人なら当たり前のことだ。サティなんて、二時間ぐらいをかけて毎日、酒場に行き、また、二時間かけて戻ってきていたのだった。

 ところで、その工房で、私は山内ゆり子さんと知り合った。山内さんは、(彼女をよく知る他の人の言では)、青森の魚屋さんのお嬢さんだそうで、彼女自身は、上智卒。ここで、井上ひさしとつながって行く。お兄さんは早稲田卒だと聞いている。ここで、奥島氏や、成岡君とつながる。だから、伊藤玄二郎も井上ひさしも成岡君も、飯田隆君も、大きく彼女に注目をした。どうして魚屋さんが問題になるかというと、山内さんは、声が大きい。鎌倉雪ノ下では、前田清子さんが声が大きい。それが原因で、争いが、藤本禎子さんとの間で、起きて、そのとばっちりで、我が家の、花畑が使えなくなってしまった。(これを、雪ノ下黒物語の中で、少しずつ書いている。アジサイ畑欺罔事件とわたくしの方は、呼んでいる)前田清子さんの異様に大きな声が、どうしてああなるのかが不思議で、実家が魚屋さんではないかと、思いいたったのは、山内ゆり子さんが、大声だからだ。つやのある声で、しかも、大きい。

 私自身は、山内ゆり子さんには、何の嫉妬心も持っていないし、彼女も、私を気にしていないと思う。しかし、1998年に彼女に出会った私は、次の年に、ニューヨークに行き、セイアン出身のアーチスト、やすこと出会う。当時秋学期だけ入学していたブルックリンにある美大の大学院の教授デニス・ムーラン女史が、美的才能の面で、激しく私に嫉妬しているのを敏感に察知した、やすこにとんでもないいじめを受ける。これが、1999年の事。2000年にも、よよと、言う日本人に、ニューヨーク一古い版画工房で出会い、激しいいじめを受ける。それが、2000年。

 最初は、手書きだった、メルマガを、2003年ごろから、パソコンで配信する様になり、山内ゆり子さんについて書いた。文章の骨子は、「お嬢様は、好ましい。人に嫉妬をしないし、意地悪もしない」というもの。彼女は、上智出身だし、パリに、アトリエ付きのマンション(アパルトマンというのかな?だけど、メゾネットで、一階にアトリエがあり、二階に寝室等がある)を、買っている。現代アート系アーチストの収入だけでは買えないと思う。私は、日本に家を買う際は、親に援助をしてもらっている。だけど、「パリに買いたい。援助して」とは、とても言えない。「ああ、ニューヨークの方がいいわ。英語が自由だから、パリより暮らしやすいし。1200万円(ただし、1999年頃のお値段)ぐらいから、マンションひと区画なら買えるんだから。援助して」などとは、とても言えない。

 山内ゆり子さんは、「私は上智大学卒だけではいやよ。だって、女が上智を出たって一生続けられる仕事はないの。特に日本ではね。だから、画家になるために、パリに留学するわ。今度も、学費出して」と、親に言えるし、家を買ったお金は、贈与ではなくて、相続だったかもしれないし、ともかく、外見からは、ラッキーで、ハッピーな人生だと見える。

 だけど、私が肯定的にメルマガで、とりあげただけに、きゅうにCIA-じぇんとは、気にし始めて、彼女の身元調査を始めたのだと思う。まずは、銀座で、よく個展をしている画廊に問い合わせ、その次は、上智大学の資料を見る。それで、年齢や、兄弟の卒業大学がわかり、さっそく手配が、及ぶだろう。

 犯罪の被害者とか、加害者になる人は、スパコンで探すのだと、私は、言っている。例えば、ベトナム少女リンちゃん殺しなど、東者も加害者も、スパコンで探し出されて、事件がドラマチックに盛り上がるように手配をされた・・・・・と、考えている。

 一方、お見合いというのは慶事だ。その慶事に主役となる人物で、あったゆりこさんの結婚相手をスパコンで選ぶだろうか? 絶対にしないと思う。これは、山内ゆり子さんを囲んでいる、人間達、そのものが、アイデアを持ち寄って決めた事であろう。

 ここで、また、奥島孝康氏が、登場する。なんと、百合子さんのお見合い相手は、高校野球主催の朝日新聞社の、高校野球担当のトップだったのだ。そう、夏の甲子園、で、開会式、閉会式とも出てきて、壇上から、高校球児を励ます人だったのだ。

今は、午前、四時半です。やっと、奥島氏を使う特別な話まで、たどり着きました。寝ることをお許しください。

 

@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。

それとね。マイクロソフトのワードを種として、悪利用して、例の敵さんたちから、四日間にわたって、苛め抜かれていて、いまだに、それが、続いていますので、そちらに大きく、時間をとられていたということがあります。むろん、マイクロソフト社が悪いのではなくて、例の言論弾圧グループが悪いのですが・・・・・そうですね。瞬間的にバグを入れ込められて、パソコンが命令通りに動かないということが、300回以上ありました。四日間で、600回程度あったかもしれない。すごかったです。本当に、大変だったのです。それにね。お昼に海苔巻きを作ろうとしたら、巻きすがないのです。この山には、合いかぎを持っている家が二軒あります。一軒は、夫婦ものが住み、1軒は90歳を超える養母さんと、養子(60歳を超えるプロの男性画家)が住んでいます。巻きすを盗むのは、女性でしょうね。普通は、そう考えますね。巻きすは、この家に三本ぐらいあったのだけれど、一本しか残っていなくて、それを、クッキングペーパーに添えて、一番開け閉めの多い目立つ引き出しに入れていたのです。が、ない』

 私はね。今般の事でも、自分の意見が、最も正しいと思っています。

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仏国って意外と古い。Ball girlの親=金持ち=をsuperviserは知っていた筈。だから美唯選手の失格とは身びいきの極致でしょう

2023-06-09 21:00:16 | 政治

副題1,『パリに三か月だけだけど、私は、住んでいたことがあり、人種差別主義には、深い理解をした。毎日、毎日、少数精鋭主義の版画工房に通って居たし、一人暮らしだから、フランスの実情には、深く触れた私である。人種差別は、必ずある。ただし、加藤選手の失格は、それだけではない。責任は、ボールガールにもあるのに、誰も、その責任を問わない。変だ。なぜだ?』

 私は本日、読者様には、約束をしていた事があります。前報の加筆です。その方が、大切な内容です。しかし、ローランギャロスの失格問題で、誰も、話題にしていないことがあり、それについては、触れたいと思いますよ。特に発想がわいた瞬間にパソコンに落とさないと忘れますので、今、それを書き表しましょう。

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 この加藤選手の、女子ダブルス失格問題には、三つか、四つの問題が、重合的に絡んでいます。

*1)、アジア人(黄色人種)に対する差別感情の発露

*2)、ボールガールが、トロ過ぎる。どういう資格で、コート内に入っているのか? ジャーナリズムが、全く検証していない。おかしい。ウィンブルドンの、ボールボーイに比べても、職業意識が、少なすぎる。プロ意識が無さすぎる。そして、体格においても、ドローンとしていて、俊敏さが無い。選手の卵だとも、報道をされていない。これは、問題にすべきである。

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副題2、『フランスって、意外と古い。まず、学校制度である。小学校を卒業すると、中学は、二手か、それ以上に分かれて行くらしい。将来学者とか、ライターとかいうデスクワークにつく人と、同じ様な事務仕事であるが、小さな組織=お店に、就職する人間は、別れる。つまり、日本語で言うとホワイトカラーとブルーカラーは、すでに、13歳で、決まっていると言う事となる。フランス革命が起きた国なのに、・・・・・・

 ドイツも、どうも同じらしい。

 日本では、実質的に同じなのだったが、(戦前にも、平等のチャンスはあったが)お金があるか無いかが、ホワイトカラーになれるかどうかの分かれ道だった。制度としては誰でも、旧制中学に進学できたし、その上の学校にも進学できた。親にお金があれば、それが、大丈夫だった。

 アメリカも、制度としては、全員平等だが、人種差別と、富裕であるか、貧乏であるかの違いで、チャンスは、平等ではなかった。

 しかし、ヨーロッパでは、階級が固定化されている模様であると、感じている。

 日本は、今は、富裕層が、回窮状、上位の職業につくべく、子供を、私立中学に進学させる状況で、実質的に、階級分断が起きているが、

 別ルートとして、お金を儲ければ、勝ち組だと、みなされる風土もある。西原理恵子がその典型で、何らかの特技で、大金持ちになる道が残っている。で、階級の、逆転が起きる。頑張れば、上流階級に成れるという風土がある。

 アメリカの場合は、日本と同じだが、新興富裕層へ成り上がっていく人の人数は、限られている。パーセンテージとしては、ずっと、少ない人数だと思う。ただし、IT産業で当てた、少数の、起業社長の、ように、けた外れの、おお金持ちを生んでいる。

 日本の場合、孫氏や、柳井氏の様な大富豪の、成立は、数が少なく、代わりに、年収2000万円以上の夫婦というレベルの富裕層が、大きく、成長して居る。そして、そういう種族が、億ションを買っていると、みなしている。

 私は、現在80歳で、チャンスをつかむのだったら、1960年代から、1980年代まで、それを行うべきだった。だが、まじめな家庭に育つと、大学を出て、サラリーマンになると、言う道が、もっとも、良い道だという風に、自分から思い込み、夫にもそれを求め、子供にもそれを求めている。

 つまり、生活の流儀については、保守的だと言う事。

 ところで、フランスなのだけれど、フランスも意外にも保守的なのだ。

 しかし、フランスと日本の違いは、富裕層と、貧乏人の間の、格差が、大きく、かつ、貧乏人の数が、少ない(パリでは、そう見える。目の前に小皿を置いて、お金を乞う、乞食という人々もいるのだが、パーセンテージとして数が少ない様に見える。

 日本の様に、主要な駅の近辺で、雨露を防げるところに、段ボール小屋が、林立していると、言う事はない。

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副題3、『パリというところは、意外にもコネが利く社会であった。買う事が難しいチケット。入居が難しいアパルトマン。入会が難しいメンバー制倶楽部、なども、すべて、コネで、入れる模様である。と言う事は、すでに、上流社会のメンバーであると、さらに、あれこれ、有利になり、彼らは、閉鎖社会の中で、お互いの権利を守り合い、融通し合って、そこへ、新メンバーを入れないと、言う形なのだ。

 日本は、被・植民地社会であり、被・収奪される国家であり、活気や、個性のある人間は、若い時から、つぶされていくのだから、日本国民はすべて、角を矯めた牛状態で、萎え切った精神状態にあるので、革命とか下克上は、起こりえない。が、独立国家たる、フランスも、最近では、どうも日本と、同じ模様で、若者は、怒っていないらしい。で、金持ちはやりたい放題だ。

 私は、あのボールガールの少女は、そういうお金持ちの子女で、テニスが好きな女の子の一人で、選手の卵ではないと、思っている。

 三日前、このニュースが最初に報道をされたときに、NHKが、放映をした動画を覚えているが、あの少女は、ボールが当たった時に、全身の筋肉が、弛緩したまま、ぼーっと立っていた。今日は。加藤みゆ選手と二人一緒に写っている写真が公開されているが、全身の、筋肉が、トローンと弛緩している感じは、あの時と、同じである。制服がだぼだぼ揺れているが、その中にある肉体の背骨が、きちんとまっすぐ立っているという感じが無い。

 本日あたり加藤選手が、当日、すぐに謝罪に行かなかったと、責められているが、全くテニスをやらない私でさえ、この案件は、・・・・・こちらの少女の方が、悪いでしょう。集中心と、スポーツマンとしての眼が無さすぎるし・・・・・と、わかるのだから、加藤選手はむろんの事、当日、それを考えて、謝罪には、すぐには、行かなかったのだと、思う。

 さて問題は、審判の決定を覆した青い背広の、スーパーヴァイザーという人間にもある。

 この人間は、どうして奥から飛び出てきたのだ? それが大問題だ。それを推定で、分析していこう。

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副題4、『あのブルーの背広(ウール製のスーツ)を着た男性(普通なら紳士というところだが、彼の判定は、全く持って、紳士のとるべきではないものなので、彼の事を紳士とは言わないで置く)は、その少女自身か、その親、または、祖父、または、曾祖父を知っていたと、推察する。

 もしかしたら、彼本人が、所謂、特権を駆使して、あの子を、ボールボーイ集団に入れたのかもしれない。

 ほかの大会、例えば、ウィンブルドンなど、ボールボーイになりたい少年が、大勢いるので、審査があると、聞いたことがある。新陳代謝が激しいので、新しい少年を補充する際には、審査があったと聞いている。

 で、かれは、なぜ表に出て来たかというと、裏で、試合を、映像で、見ていたのだった。そのうえで、知り合いの少女を助けるために、加藤みゆに厳罰を書する決意で、コートに上って来たのだった。

 毎日新聞は、日本の審査委員長に取材をして、いるが、その人物もローランギャロスの、あのスーパーヴァイザーを責めない。また、美しいお顔を維持している、杉山愛さんも、あの男性を責めない。落ち度があったとは、言わない。それは、自分自身のテニス界での、力が、出せなくなることを恐れているからだ。そう考えるしかない。

 その上、あのブルーの背広の、スーパーヴァイザーが、彼自身は、テニス選手から理事待遇になった人間で、富裕層の出自ではないと、仮定しよう。すると、少女の祖父、または、曾祖父には、絶対に逆らえない立場である。

 私は、こういう事を初日に、すでに分かっていたが、私が何か言うとさらに悪い方へ流れるので、黙っていた。

 特に、日本の場合だが、錦織選手は、ソニーの恩恵を受けている。もし、錦織選手が、老境に差し掛かって、どこかのテニス協会で、高い地位を占めたと仮定しよう。そして、盛田家のひい孫さんが、有名な男子選手を傍で見たいの。ぜひ、ボールボーイに採用をしてと、頼まれたら、言う事を聞くと思う。それと、似た様なことが、2023年ローランギャロスで、起きたのだ。

  ローランギャロスで、ないたお嬢さんがもし、ラガルド女史と、親戚の関係であり、それをスーパーヴァイザーが知っていたら、加藤未唯選手なんか眼中にないと、なるでしょう。まあ、日本人全部が知っているヨーロッパ人となると、王族・カミラ王妃などですがカミラ王妃は

唯ね。沢松直子さんの意見とか出て来ても、一般人とは違っていて、あのブルーの背広の人を擁護する様なまとめ方で、加藤みゆの絶対の見方ではないのです。

 ところが、私が、今までの、様に書きました。で、フランスで、無いも意見が出てないし、私の言っていることは正しいのですと。加筆をしようとしたら、急にルール書いて居の動きが出て来たそうです。ほら、これも、私の意見をつぶす方向ですが、それが、みんなが喜ぶ方向だから、私は、それで、いいのですよ。捨て石というか、トリックスターに甘んじることは、ほぼ毎日ですから。

 まだ、ウインブルドンの方が、近代化していると、見ていて、思う。

 2023-6-9 これを書く、雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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全仏モレスモ氏 加藤失格問題「長い間泣いていたから」に海外嘲笑「強い女性雇えば?」報道

東スポWEB の意見 • 昨日 13:24
 
 
アメリ・モレスモ氏(左=ロイター)
アメリ・モレスモ氏(左=ロイター)© 東スポWEB

テニスの4大大会「全仏オープン」女子ダブルス3回戦で発生した加藤未唯(ザイマックス)に対する失格処分について、大会ディレクターのアメリ・モレスモ氏が見解を発表。海外メディアも同氏の姿勢を報じている。

加藤はアルディラ・スーチャディ(インドネシア)組とのペアでサラ・ソリベストルモ(スペイン)とマリエ・ブズコバ(チェコ)と対戦。試合中に、加藤が相手コート側に送った球がボールガールを直撃。審判は一度は警告を与えたが、相手組の執拗な抗議で加藤は失格となった。

大会ディレクターで元世界ランク1位のモレスモ氏は、大会総括の会見で加藤失格問題について言及。フランスメディア「フランスTVインフォ」などによると、「ロッカールームでは、この件に関してかなり意見が分かれていると思います。多くの人が、あるいは多くの選手が『フェアじゃない』と言っていた。ボールガールを7、8分以上泣かせたのなら、意味がある、という意見も聞いた」と、見解が二分していると明かした。

さらに「私はコメントするつもりはない。なぜなら、決定を下した後にビデオを見るのは、簡単だからだ。決定はツアースーパーバイザーと審判によって下されたもの。ビデオを見ずに、コートに来て、自分が見ていないものを、誰かが報告している事実に基づいて、その場で判断しなければならない」と審判とスーパーバイザーを尊重。「ボールガールがあんなに長い間泣いているのを見ると、何らかの決断をしなければならない。良いとか悪いとか、そういうことを言うつもりはない。それが事実なのだから。グランドスラムのルールブックに従えば、それはかなり明確だ」と間違いはなかったと語った。

これについて、台湾メディア「中時新聞網」は「加藤失格問題 女性ディレクターが『ボールガールが泣いていたのならそれは重大だ』と語る」と報道。モレスモ氏の一連の発言を受け「一部のファンはこれを信じられないと感じた。インターネット上では『それならば、賞金総額4000万ユーロ(約60億円)を超えるグランドスラムで、より強い女性をボールガールにすれば?』と嘲笑した」と「信じられない」という疑問の声が上がっていることを伝えた。

また、インドメディア「スポーツキーダ」も「ボールガールが泣いているのなら、判定を下さねば」との見出しでモレスモ氏の見解を報道。「泣いているのなら」という考えを強調して伝えた。

日本のネット上でも批判の声がやまない今回の騒動。まだ波紋を広げている。

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国芳の版画modifyが、たった一週間内に逆転する。そして、猿之助逮捕ですって、全て私のブログを否定する為ですよ 。という事は過去ブログはすべて正しかったのだ

2023-06-08 09:27:36 | 

  巻頭に、夜七時半に加筆します。さらに言えば、次の日の23-6-9の午前中にも多大な加筆をしていきます。

 ともかく、いくつも驚くことがNHKサイドにあるのですが、知恵泉8日再放送分【琉球】篇で、襖絵として、なんと、原 版画が使われて居ました。私の文章を否定する為でしょう。私が問題を提議したのが、五月三十一日だったので、この一週間で、修正したと言うわけです。いや、再放送ではない本番は6日の火曜日放映の筈ですから、二日前に、すでに、猫に変わっていたのです、そこまで、しつこく、私は狙われるわけです。

  猫の顔が、こちらを向いて居ます。まあ、自分が、大物だと、改めて、感じました。ところで、番組最後のテロップで、美術担当者と、風俗の考証を行う人の名前は、残っていました。それも消えたかと思いましたよ。

Unext というのを申し込むと、過去の番組を見ることができるそうです。でも、ずっと、支払いを続けなくてはならないらしいので、自分の文章の証拠を得るために、毎月千円を支払うのはやめにします。

 ところで、国芳は、朝ドラ、大畑印刷所では、何回も出てくる固有名詞です。本日23-6-9にも、猫の、単品版画とともに出てきました。そこに依拠して、この文章(*****)を書いたわけではないのです。私は知恵泉の背景には、何年も注目してきたのですよ。 ところで、文化に関する文章だったのに、この急転の修正に、より、このブログ文も、一転、きな臭い、政治の文章に変化していくことになりました。

 ところで、今から政治の文章と変化していくのですが、そうなると、個人名が、たくさん出てきます。国芳に惹かれて、ここに初めて入って来た方があると、仮定すると、「どうして、そんなに一般人の個人名を記載するのですか?」と、それらの方は、おお思いになるでしょう。

 理由は、こうです。私が無名ながら、日本や世界のニュースを指先一本で、招き入れてしまう人なので、それに呼応して、私を弾圧する役目を果たす、ご近所様も、すでに、一般人では、ありません。CIAの協力者として、金銭的な、報酬をもらっています。で、すでに、決して一般人では、ありません。

 むしろCIA側の、代表的攻撃手と言っていいでしょう。ここではそれらの人が、どういう役目を果たしている人間であるかを、久しぶりにまとめながら、解説していきましょう。ご近所の恐ろしい人間全員でなく、最近特に激しく動く、白井達雄夫妻と、平木伸明夫妻についてです。

 大・大・組織であるNHKが、そこまでやるかと、驚きましたが、っそれと、連動して、ご近所人間としての、平木さんが、二階のカーテンを全開して、オレンジ色の裸電球をつけています。これは、上から第三レベルの攻撃的、意識の反映です。四段階ぐらいレベルがあって、暗い日が、一番平和な状況です。8日の夜は、第三段階で、最も激しい日は、次の部屋の白い電球も付けて、二部屋、カーテンを全開しています。誰もいないのにですよ。そこがみそなのです。そこが、攻撃策だと、私が、言う由縁です。

 これは、フランスパリで、シャルリーエブド事件が起きて以来、前田家で、始まった嫌がらせ行為で、しばらく西隣が担当していて、その次に、平木家が担当しています。シャルリーエブド社は、私がパリで、通って居た、専門家だけに開放している、TBアルビアック版画工房のすぐ傍にある新聞社で、あのころ、イスラム過激派を利用して、数多いテロ事件が発生しました。そのたびに、丁寧に解説してきました。が、すべて、私を脅かすための仕組みです。それを私が正しく分析してきたので、今、大騒ぎのイスラム過激派、テロ事件が減りましたね。私がびくともしないからです。だが、非常に大きな事件として、シャルリーエブド事件が起こされ、それ以来、前田家、白井家、平木家と、ほぼ、10年間続いている、神経をいらだたせる攻撃がオレンジ色の裸電球を誰もいない部屋で、カーテンを開けてつけると、言う作業です。

 西隣の白井夫妻は、北久里浜の旧水道山の(土地1200坪高い時だったら、48億円。それが、地積変更届という仕組みを利用して、ただで、瀬島隆三+仲野通巳吉に渡った・・・・・実質的には大詐欺事件・・・・それを遂行させるために,土師淳君を殺した、神戸の酒鬼薔薇聖斗が、生成し、その声明文は、現在では、鎌倉在住の某作家が、左手で、書いたと、私が、このブログで書いたので、地裁のデータが、すべて、破棄された)跡地に建った美麗なマンションを設計したと思いますので、自分たちの家を、建築中から、攻撃をしてくる夫婦です。今、夫の達雄氏の方は、横浜市鶴屋町に現在建設中の、横浜一高いマンションを、設計した人物です。3.11の時に天井が崩落した、川崎ミューザも設計した、日本一古い設計家集団会社の、横浜支店長にして重役です。

@@@@@ここまで、9日の午前、8時から、10時まで加筆推敲をしました。これ以降は、後で、致します。お待ちいただきたく存じます。熱海の土石流崩壊なども、ここに関係してきます。平木伸明家に関係してきます。周南市の殺人事件も平木家と関係がありますが、熱海の自然災害も、関係があります。それを解説していかないといけません。お待ちいただきたく存じます。

 平木さんは、平成の八墓村事件の時に、前田夫妻、安野夫妻に、協力して、安野夫人の井戸端会議のせいで、奪われた我が家の土地(15坪程度)に二倍する、北側の私道部分を開墾して花(兼 野菜)畑にしていました。その部分は、わたくしが、ニューヨークに行くために、逗子で、一人暮らしをしているうちに開墾したもので、いわゆる、鬼の居ぬ間の洗濯としてもので、私が離婚をすると、彼らが考えていたので、平気だったのですが、離婚どころか、紙の本さえ出版し始めライターとして、人気が高くなったので、驚いて、その土地を、正当化するための謀略を作ったのです。

 それが、老人五人が惨殺された、平静にやつ墓村事件で、一審、二審とも二死刑宣告を受けた、ゆびをすらいどさせるとお、開墾をした、20坪ぐらいの増加分を、洗浄化してあげました。それは、お子様が小学生の時でしたが、その後も、彼らに協力しているので、そのご褒美として、ペンキ塗りが、金銭的に援助してもらったり、奥様が市役所の吏員に成ったり(多分市長秘書ですよ)、お子様が推薦入学で、東大へ、入学できていたりします。

 莫大な得をしています。で、彼が、大攻撃をしているのは、井上ひさしあたりから、伊藤玄二郎を通して、・・・・・あいつって、今日は、文化人めいた文章を書いて得意がっているけれど、それは、全文が、嘘となった(NHKが急に襖絵を、原・版画に戻したので)、あの得意がっている鼻をへし折ってやったぜ、さらに、笑ってやれ、攻撃をしてやれ・・・・・と、命令を受けているからでしょう。もし、平木家だけで、考え付いたのだとしたら、一般人としても、その心構えは、非常に恐ろしいものです。

 

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 そして猿之助に、損害賠償、三億円が請求されるとか、

 6月に猿之助が逮捕されるとか、

 中車(=香川照之)が、急に、一門の棟梁は俺がやると、言明をしたとか、

いうのは、すべて、私のブログを否定していく話です。

 私は段四郎夫妻は、死んでいない。すべては、団子を大スターにしていく大芝居だったと、語っています。それが正しいのと、

 4月での紀尾井ホールでの、銀行の通帳四通の盗難と、3月での、この家からの、補聴器の盗難、それから、5月30日の、清川病院からもらってきた、検体入れと、睡眠導入剤アモバンの盗難のすべてが警察のアイデアによるもので、実行者は、警察、もしくは、合いかぎを警察からもらっているご近所様二軒であると、書き始めています。まだ、非公開ですが、書くつもりはあるのです。それを、知っているから、最高難易度の攻撃をしてきていると、言うところです。

 猿之助と、香川照之は、自らの身を削って、団子を大スターにしようとして、大芝居を打ったのです。去年の段階の、銀座マダムの、週刊誌へのちくりも、その一環であって、香川照之への、協力者だったのですね。

 あのね。鎌倉在住の喜熨斗勝氏は、何故動かないのだろう。 そして、この大芝居の、脚本を書いて、警察を協力者に仕立て上げた、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ、本当は、生きていますよ)は、私がたくらみを見破ったとたんに、

 ただ、ただ、自分たちを守る方向へ、事態を推移させるのです。歌舞伎界の将来など、何も、考えていません。

 これはね、壱太郎の代役が、まず、まずかったのです。その次に、映画の非公開がまずかった。猿之助は、映画内では悪役らしいから、そのまま公開すればよかったのです。大ヒットでしょう。それで、良かったのです。松竹も、東宝も、経営者としては、バカ丸出しです。

 私もね。ここまで、自分が大物だと、かえって困っちゃいます。

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なお、ブログの文章は、そのままにして置きます。

ブログ 原文、始まり。

元の総タイトルは以下でした。

【NHK・ETV・【知恵泉】の美術担当者は、国芳の原版画を使って、面白い襖絵を創作している。捻りに捻ってね】

  でこのブログは、====本日は、たまたま、そうでもないのですが、====、最近は、だいたいに、重いテーマが多いので、最初に写真を置いて、軽やかにすることを、願っています。ここには、本当は、国芳の【流行猫の曲毬】を、置くべきです。また、それを、改変した、NHK知恵泉の襖絵を置くべきです。しかし、他人様の努力の跡を、コピペさせていただくのを、躊躇しましたので、自分で、撮影をした、スカイツリーの一葉を置きます。

観光船の、後ろからとりました。 

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 流行猫の曲毱 と言う国芳の版画をNHKが知恵泉に使っているのではないか?と、私は長年思っていました。

  番組のゲスト(特に、右側の学者席)の背景に置いてある襖の絵の事です。

       この61日に北斎美術館に行く機会があったので、図書館で国芳の版画集を数冊を見て一生懸命調べたのです。しかしあの襖の原画は見つかりませんでした。

  例えば、フィールドごとに分かれている作品集が、あり、他のユーモラスに猫を使った作品をまとめてあるページがありましたので、一生懸命、その分野を探したのですが、見つからないのです。で、学芸員の方に「実はこういうことを調べたいと言って、居るのですが」、と思いを述べて、調べて頂く様にお願いをしました。そして帰りました。それは、5月31日のことで、今日は5日目の、6月4日ですが、ちゃんと調べてくださって教えられました。

 私の質問は、NHKのETVで放映をされている、【知恵泉】の一番右側の出席者(主に学者である)の後に使われている襖絵が、どう考えても国芳の作品であろう。しかしタイトルは何だろうと、言うものです。北斎美術館で、数冊の国芳の版画集を見ているうちに、長年の疑問が解けるだろうと、言う期待で、わくわくしたものです。しかし、見つかりませんでした。非常にがっかりしました。変だなとも思いました。

 ほかの目的で、そこに、行ったのですが、余裕の時間があって、十分に時間をかけて、調べることが出来ました。それでも、見つからないので、学芸員に「本日、ここで、探索しましたが、見つかりません。もし調べておいて下さると、嬉しいのですが」と申しました。

 こちらから電話をかける、ともうし上げておいたのですが、美術館からお電話を4日にいただきました。

 美術館の方では、ちゃんと、NHKにも問い合わせいただいた模様で、だいぶ詳しい状況が分かりました。

 NHKからは・・・・実は国芳の【流行猫の曲毬】と言う作品の頭だけを、犬に変えて使っている・・・・というご返事だったそうです。

 と北斎美術館の方から伺いました。で、私はすぐネットで調べて、その作品を特定しました。ある方がちゃんとその作品【=流行猫の曲毬】をネットにあげておられましたので、それを見て、一生懸命探しました。NHKに使われている三匹の猫は、どれ?と、一生懸命探しました。

 原版画では、猫が数匹、みんな袴をはいているのですよ。で、どの袴姿の猫がNHKで使われているか?と同定しようと思ってチェックしました。ところが、思いがけないことに、NHKの動物はかま姿は、その原版画の画面には、いないのですね。がっかりしました。

 でも動物が羽織袴である事は確かだし、しかも江戸時代の作品である事は確かですから、絶対国芳なんですね。

 それで私は、今まで、その番組を何度も見ているくせに、「あまりにも国芳でしょうね。きっと、国芳ですよ」と思い込んでいたので、頭については注目しておりませんでした。犬だったそうですが、犬も後ろ姿だったし、自分が猫だと、100%、思い込んでいるので、犬だと、言う事にも気が付きませんでした。

 しかし頭だけ取り替えたにしては、国芳の原(版)画=【流行猫の曲毬】の中におんなじようなポーズの猫がいないんです。ともかく、国芳の猫たちはこちらを向いているんですね。

 ところがNHKが襖絵に使っている動物たちは、向こう側を向いているんです。つまり背中を見せているわけです。

 で、北斎美術館の学芸員の方はその番組を実際にはご覧になっていないと思います。で、NHKが説明をした「頭だけを犬に変えている」って言う部分を私に教えてくださったんですが、私はさらに調べていて、NHKは頭だけを犬に変更するのではなくて、向きも変えているんです。

 つまりNHKの襖絵は 「ほとんど創作なんですね」と理解しました。

 国芳が、なくなってから50年以上経っているから、著作権の問題は無いです。だけど、そのままは使っていないのでした。

 ともかく大きさが全然違いますからね。二枚のふすま(幅一間)の中に、袴をはいた動物が、三匹ですから、非常に拡大をされています。それにはもう気がついていました。実物の20倍位にしてあるわけです。

 ただね、動物が、はかま姿であるという、原・発想だけを、国芳から、いただいていると言う事ですね。

 袴の模様、着物の模様そういう事は国芳の原画と同じかどうか? そこいらへんは全く判りません。でもね、北斎美術館はたくさん書物を持っていて、特に浮世絵の画集がたくさんあります。

 それでね私は、自分だけではわからなかったので、学芸員に、質問ができて、しかもこういう答えをいただいてよかったなぁ・・・・と思っているところです。ただ、もう一つのNHKサイドの、改変を言うと、国芳の原(版)画では、着物が緩いのです。着付けが緩いのです。これはね。猫のしなやかさに合わせているのでしょう。NHKの襖絵では、袴のラインが固いのです。これはね。犬の体の動きの硬さに合わせてあるのだと思います。

 国芳のユーモアを生かして、現代版、【流行り犬の曲毬】が、NHKで、創作されていたというわけです。面白いです。

 北斎美術館の、ご親切も嬉しいけれど、自分の頭がね、・・・・・あれは国芳だろうなぁと思ったこと。ほぼ当たっていたわけです。それは、うれしかったですよ。別に版画や、浮世絵の研究者でもないのに、そこに、ピンと来ていたと言う事がね。

 ただね。NHKは最後のテロップに「美術・なになに」って書いてあるかしら。今度からそのスタッフの名前を見つけて、その人があの襖絵のアイディアを出したんだろうなぁ?!?!?・・・・・と想像することにいたします。

 まぁ、ひねりに捻ってあった、と言う事ですね。NHKのその担当者は、お得意中の、お得意だったと思います。

 2023年6月4日の夜下書きを書いて、8日の午前中、公開する。

尚、北斎美術館は、IT化した、作品展示を、展開しています。北斎絵本などを、左から右へ、ゆびをすらいどさせるとお、めくって読める、形でした。80歳の私は、この新しい装置などには、そうとう、ビックしました。だから、展示室は狭いのですが、内容は、いっぱいあると、言うわけです。

 でね。一緒に行った人たちと、東京都の住民サービスが充実していると、言う話になりました。それと、特に墨田区はなぜ、今、充実しているのか?と、言う話になりました。

 だって、鎌倉市民って、65歳以上でも、バス代が、只ではないしね。(苦笑)美術館に入るのは、お安くなっていますけれど。

 すると、他の人の答えで、「スカイツリーがあるからではないですか?」というものがありました。ああ、そうか、と思いました。入場料や、買い物をした結果が墨田区を潤していて、北斎美術館に、カンゲンされていたというわけです。「ほーっ」と。

 雨宮舜、(本名 川崎千恵子)

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