なお、この文章の前に、29日の夜に、一本、アップしています。そのほう
東電分社化? 安部さんは、トルコに原発を売るんですって?
が、テーマがビッグです。よかったら、そちらもごらんをいただきたく。こちらの方は後で、推敲をいたします。
ところで、この一文の最初の総タイトルは、『トルコエフェソスから、瀬島龍三と、杉本横須賀市副市長夫妻を思い出す、特に急造された高い生垣を』と、していて、それで、30時間以上を過ごしましたが、日曜日の朝9時に上のものへと変更いたしました。そして、日曜日の午後2時に一応の推敲と加筆を終わりましたので、総タイトル横に、三角印を入れておきます。
副題1、『28日の夕方、また、瀬島龍三発信の、復讐に出会ったが?!?!?』
副題2、『政治の本質とは何だ? それが、素人にもできる理由は何だ?』
副題3、『地籍変更届を利用して、1200坪の横須賀市の公用地(水道山)をただで、手に入れたのが、旧帝国海軍と、陸軍の参謀達であった。wikipedia では、大本営参謀となっていますが』
副題4、『私は、実は、瀬島龍三の、死のタイミングに関しても、不思議だと思っている』
副題5、『杉本・元・横須賀市・副市長は、たぶん、3億円は、多く、生涯・獲得・賃金を得たでしょう。うちの主人と比較をしたらですが・・・・・』
副題6、『まず、大マンション群の名前が変わった。それと、エレベーター用定期券の無料サービスが大問題だ』
副題7、『杉本邸が、実際には、大豪邸であることを隠蔽するための措置が次から次へと取られ始めた』
副題8、『大昔、横須賀市の水道山を蚕食していくのも、木製の高い塀の内側だった』
副題9、『それって、処世術の範囲で許されることなのだろうか?』
副題10、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。前篇』
副題11、『こういう生垣を作ろうと考えた、人間は誰だろう。そして、お金は誰が出したのだろう?』
副題12、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。後篇』
副題13、『金曜日と、土曜日に、二度も暴走族が、我が家の山ノ下を通りましたが、両方とも、偽者でしょう』
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副題1、『28日の夕方、また、瀬島龍三発信の、復讐に出会ったが?!?!?』
1980年の夏に、瀬島龍三の悪を目撃してしまった私に対して、瀬島龍三が、種々さまざまな復讐をしてきているのですが、2013年11月28日(木)の夜は、そのふたつを、また、二万字程度の長さで、書いておりました。一部の夜更かし型の人は、それを、お読みなったかもしれません。確実に読んだと思われるのは、例のエージェントたちでありましょう。金曜日の外出時にも、早速、それに応じた反応がありました。そして、夜の、11時に暴走族(後ろの方に、説明がある。その夜も、?、たぶん本物ではない)が、走りました。そして、土曜日も同じ、偽者の爆走族が走りました。それを、最後の副題で、語ります。
さらに言えば、説得力を増すためには、部分的に書いた過去ブログを探さないといけないしと、考えて、いったん引っ込めたのですが、そうすると、すぐ、弱気だと考えて、過去に何度もそれがあったように、一気に激しい攻撃モードに入ったと感じます。それから、醍醐イサムについて、書くのを、私が、あきらめたのだとも、判断をされたのでしょう。土曜日に、ご近所の画家大原光孝氏が、久しぶりにはしゃいで、その存在感を誇示していましたし。
で、それを、推敲してもう一回さらします。ただし、木曜日の真夜中には、二つの重要なテーマを入れ込んでおりましたので、ひとつに絞って、この章では語ります。
京浜急行の駅で、嫌な現象に出会う前の、木曜日の夕方は、鎌倉霊園にいきました。
そこで、美しい夕映えを見ました。珍しく携帯を持って出たので、写真を撮ってみたのが、上です。私は鎌倉霊園に居ると、いつもトルコのエフェソスを思い出します。そこと、谷の様子が似ているのです。両側が高くなっていて、間に川があった。エフェソスのほうには、今は、もう川は目立ちません。むしろ、海を埋め立ててしまっ、てエフェソスが港町として機能をしなくなってしまったので、何千年も忘れ去られていて、だからこそ、イギリス隊を中心とした発掘後、立派な遺跡として、再発見をされ、大観光地となっています。そして、曽野綾子さん他が、ています。マリアの墓があるとも言われ、キリスト教の聖地のひとつでもあり、ヨーロッパから観光客がいっぱい来ているところです。
この夕景を見たので、安部総理大臣が、トルコに原発を売り込むということを思い出したのでした。しかし、その新聞や、テレビに出た大きな課題(原発売り込み)だけを書いて、それで、終わりにしておきたかったのですが、京急金沢八景に出たら、嫌がらせをうけて、また、金沢文庫でも嫌がらせを受けて、これは、そちらの方向に向かっても、文章を書かないとだめだなあと、夜帰宅後に決意したのでした。
上の写真は、金沢文庫駅のトイレ前に鎮座している女性ガードマンです。普段は居ないのですよ。
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副題2、『政治の本質とは何だ? それが、素人にもできる理由は何だ?』
あるときに、イギリスの政治学者が言ったことに目からうろこが落ちるほどの衝撃を受けました。政治とは、きわめて私的なことを、いかにも公の事みたいに語ることだ』と、言っています。
伊藤玄二郎を中心とする鎌倉エージェントが、NHKを大きく支配をしているという現象もその一つです。私が、京浜急行の駅で、脅かされたり、嫌がらせを受けたりするのも、彼らが、動いているわけで、きわめて私的な、動機を、拡大している現象です。
この件で、昨日、いろいろ、グーグル検索をしたところ、松本龍大臣を、引っ掛けて狙撃(?)し、辱めて、自認に追い込んだ頃の、NHK編成局長は、井上樹彦と言う名前の、早稲田大学卒の福岡県立明善高校出身の人間だったらしいです。
私が2011年の当時村井知事のひどさを文章に書いたところ、この人物らしき人間が、NHKのニュース画面で、村一事と一緒に出てきたので、確かだと感じます。彼が、どこやらから、指令を受けて、あの隠し撮り画面を作り、それを最大限に、利用したのだと思います。
今回、秘密保護法と言うのが制定されました。私は、忙しくて、一切、それに触れていませんが、安部さんが、繰り返した言葉に、恣意的には、行使しないと言うポイントがあります。
そこが、政治の本質です。恣意的に、強者が、弱者をいじめる・・・・・それが、私の周辺で常に起きていることです。ただ、それだけだと、この文章(ブログ全体)が、隠々滅々たるものとなります。
ところが、政治とはまったく別の流れとして、神が支配する世界と言うのもあって、そこでは、むしろ、私側が勝っている部分もあって、このブログは、そこで、バランスが取れていて、明るい部分もあるわけです。で、そこまで書いて、元に戻ります。
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副題3、『地籍変更届を利用して、1200坪の横須賀市の公用地(水道山)をただで、手に入れたのが、旧帝国海軍と、陸軍の参謀達であった。wikipedia では、大本営参謀となっていますが』
瀬島龍三のあくとは、地籍変更届と言うものを利用して、横須賀市の水道山をただで、手に入れるものであって、そこを、25年後の、2005年ごろから、360度の眺望を誇る、大マンション群ソラヒルズと、して、売り出しています。グーグルマップで、京浜急行北久里浜駅の東側をごらんになると、4棟のマンションが出てきます。
この件について、詳細に書いたブログを、やっと見つけました。リンク先を書いておきます。
ソラヒルズ(北久里浜)は、もと横須賀市の水道山に建っているのだが?(政治もの)
しかし、それを、最初に起案し、実行したのは、益山某と言う旧海軍参謀でした。瀬島龍三と二人は親友だということであり、益山氏が、なくなったので、瀬島龍三が、以降は影の主役として、機能して、大マンション群を作り上げたのです。
彼らふたりは、旧帝国海軍参謀と大本営参謀として、横須賀の地形には熟知していたでしょう。どこが国有地であり、どこが、公有地であるかは、戦時中の対米防衛で、熟知していたと思われます。
その上、戦後、苦労をしました。瀬島龍三はソ連へ抑留をされ、まともに働いたら死ぬところでしたでしょう。だけど、そこで、何らかの取引があった可能性は否めません。
益山氏の本妻(お子さんも有った)は、戦後米軍将校と恋愛に陥って、アメリカへいってしまいました。夫がパージに出会ったので、英語のできる奥様が、PXか将校倶楽部で、働いた可能性を感じます。だから、益山氏は、悲劇の人でもあるのですが、その後妻(原節子似の、美人でインテリ)に、車で、ひき殺されそうになった私は、はっきりと、いろいろ、ここで、書くわけです。ひき殺されそうになった理由は、私が彼らの予想外に頭のいい人間であって、彼らの策略のすべてを見破ってしまったからでした。
だから、本来なら紳士であるはずの益山某氏は、驚くべき、策謀(一種の土地泥棒だが、表向きは、正しいこととなされている)を、案出したのでした。
これは、大変込み入っている問題であって、どこかに、すでに、何回も書いていますので、後で、そのリンク先をここに記すことにして、今日は、今まで、抑えていた部分を語りたいと思います。
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副題4、『私は、実は、瀬島龍三の、死のタイミングに関しても、不思議だと思っている』
益山某氏は、1980年の事件の渦中になくなっていますが、瀬島龍三は、そのマンションができた頃に、亡くなった事になっていますね。ただ、怪しいかも知れません。亡くなった事にして、責任を問われないことにして、いまだにいろいろ、悪事を働いている可能性もあります。ただ、101歳か、102歳になっていますので、緻密にいろいろ、考えることはすでに無理だろうと、私は、思っていますが、真相または、深層はわかりません。
ここで、私がエージェントだと見なす人間のうち、三人が、すでに、表向きを死亡と見せて、実際には、地下潜行していることになります。
成岡庸司君は、すでに、1985年ごろから、「死んだことになっているはずだ」と、飯田隆君(元週刊朝日編集長)が、言っています。
で、地籍変更届と言う実質的な泥棒(ただし、書類上は整っているので、誰も、それを差し止められないとの事でした)を実際に行ったのは益山某と言う、元海軍参謀です。彼の持ち物の土地と、私達が買って手に入れた北久里浜の土地が、境界を接していたために、私は巻き込まれ、必死で戦いました。今地図上で、コーポまさと言うのがありますが、その南側が我が家です。
その前に、マンションとの間に、9軒の家があるはずですが、今(2013年11月28日現在)は、まったく消し去られています。特に、クリアハウスと言う、不動産会社(創設者は益山氏の後妻の実弟で、益山氏の会社の、継続的不動産会社)が消えています。それが、事件の証拠なのですが、それを説明するのも、5万字はかかるので、ここでは、『また、例の連中が悪さをしていますね』と、言うだけにさせてくださいませ。
益山氏から肉声として、「私は、瀬島龍三とは親友だ」と聞いています。瀬島龍三は、元陸軍参謀(グーグルによれば、大本営参謀となっている)のはずですよね。だから、確かに二人は親友でしょう。
私は自分が巻き込まれたからこそ、2.73平米しか残っていない土地(それは、建売を作って売り払ってしまったからだが)を、地籍変更届と言うものを利用して、4200平米に、土地代を払わないで、拡張したのを、目撃してしまいました。元の持ち主は横須賀市(水道山)です。公有地だから、監視の目が届かないということもありますが、私は子供が二人とも同学年であった、杉本正子夫人には、これを、告げています。
彼女のご主人は当時は、横須賀市の土木課長でした。そして、その件を見過ごしてあげたみたいです。その後、ぐんぐん出世して行き、自宅もすぐ近所だが、土地が拡幅した豪邸に引っ越して行きました。最終的には、副市長で終わったと思います。
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副題5、『杉本・元・横須賀市・副市長は、たぶん、3億円は、多く、生涯・獲得・賃金を得たでしょう。うちの主人と比較をしたらですが・・・・・』
その豪邸ですが、建物もさることながら、土地が実質的に、広いのです。夫妻自身が住んでいる土地は、100坪程度です。しかし、そのまわり、1500坪程度が、ほぼ、30年間にわたって原っぱだったのです。つまり、隣近所がまったくないので、実質的に、杉本邸は、1700坪の敷地に建っているのと同じことなのです。使い勝手とすれば、筑後30年と、古くても、一億円以上は、するであろう豪邸です。しかも宮大工が建てたと思しき和風の、豪邸です。最高級の建築物です。しかし、元の家は、敷地が50坪程度で、建物が25坪程度でした。
ふつうのサラリーマンが買うことのできる大きさの家でした。京急池田分譲地内の一軒家だったのです。
奥様は、高島屋の靴売り場で働いていたことがあって、そのときにご主人と知り合ったそうです。その古い方の家は、二所帯住宅ではないが、ご主人のご両親も一緒でした。ずいぶんあけすけと、杉本家のプライヴァシーを語っているようですが、私のほうには、ものすごい大きな被害がありますので、ばきばきとそちらの実情を、語ります。そ憂い鵜プライヴァシーを知っているというほど、一時期は、私と、仲がよかった女性だということです。
で、私は鎌倉雪ノ下近辺の、前田祝一・清子夫妻、および、安野夫妻、および彼らに二次的に、または、三次的に使われているご近所様達の、攻撃に怒りきってしまって、長らく封印をしてきたこちらの、北久里浜の事件を、書き始めました。
と言うのもこの雪ノ下で、起きていることもすべては、瀬島龍三発なのです。こちらでは、最も動きが活発なのは、伊藤玄二郎と、井上ひさし、酒井忠康氏ですが、その上部に位置して、彼らを動かしているのは、瀬島龍三でしょう。で、このご近所様もすべて、瀬島龍三の、孫スナイパーとして、機能をしているわけです。
ですから、北久里浜の事件を書かざるを得ないのです。
すると、杉本夫妻を防衛する現象が起こり始めました。いったいこれを誰が行っているのか? それは、そこに、私が住んでいないので、目にも見えないし、耳にも聞こえてきませんが、彼らが防衛され始めたことは、そこに行けば、物理的に見えるのです。
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副題6、『まず、大マンション群の名前が変わった。それと、エレベーター用定期券の無料サービスが大問題だ』
まず、ソラヒルズは、名前が変更になりました。ルネ北久里浜となっています。ただ、マンションの住人は名前の変更に納得をしていないでしょうから、看板には二つの文字が同時併記されています。それから、完工後、または、完売後も、長らく、グーグル地図には出てきませんでした。井上ひさし邸も出てきませんでした。それらは、「出てこない。出てこない」と、私が言い続けたので、最近では出てきています。
京浜急行、北久里浜の東南線路沿いに、ルネ北久里浜エントランスゲート言うのがあります。縮尺を、50mぐらいに拡大をすると出てきますが。それが駅からの近道として、マンションに登るエレベーターがある道です。そのエレベーターですがそれを使うと、徒歩3分でマンションまで、帰ることができます。
海外によくあるそう言うものと違って、ものすごくきれいです。2mの盛り花の造花が4基もおいてあります。照明も煌々と照らされています。しかし、自由には入れません。JR東日本の各駅、または、京急の各駅みたいに、自動改札機を通らないと入れません。
で、皆さん、パスを持っています。そのパスですが、マンションの住人は、ただかな? だけど、そのエレベーターは、北側に広がる古い一戸建て住宅が数百軒建っている京急池田分譲地の人も使えるのです。それが、杉本氏を防衛する一策です。杉本氏の口利きで、そう言う風になっていると、皆さんが、知れば、夫妻の悪口を言わないでしょう。
で、それは、マンション以外の人は、つき1500円の、お金を出さないといけないのですが、最初の一年間は、ただだったそうです。そして、私が、この件を書き始めると、さらに、ただの期間が延長をされました。それも杉本夫妻を防衛するためです。
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副題7、『杉本邸が、実際には、大豪邸であることを隠蔽するための措置が次から次へと取られ始めた』
私に言わせると、悪事を見逃してあげた見返りとして、買ったのは、100坪の土地だけど、実質的には、1500つぼの土地に住むことができるというのは、非常に忌まわしいことであり、今問題に成っている、猪瀬知事より悪質だと思っています。
猪瀬知事は、すでにお金を返しています。こちらは、30年間、利益を享受してきています。
だが、私がこの問題を書き始めると、杉本邸が、豪邸ではないように見えるような工夫が次から次へとなされるようになりました。
南側の空き地に、二軒の建売住宅が建って、杉本邸との間が、1m~1.5mになったので、杉本邸が、こと、南側に関しては、特別広い空間を占拠しているというのを、否定し得ることとなりました。ただ、北側はまだ、1500坪程度の空き地だったのです。
ところが、この夏、私が、北久里浜の自分宅に、枝払いやら、掃除に行っていますね。その家は、その拡大図で、石渡美容院とか、長塚塗装店とか、コーポまさとか、クリアハウスと名前が表記されている目印のある一帯にあるのですが、私が時々、JR久里浜駅からタクシーに乗るので、杉本邸前を通るわけです。
すると驚いたことに、建売の家も、それから、杉本邸の北側も、すべて、4mぐらいのコニファー(または、ドイツトウヒと言うのかな、ヒマラヤ杉とか、貝塚いぶきなどもその一種として含まれる、生垣用の植木)が、びっしりと植えつけられていたのです。しかも高さが、4mはある成木が植えつけられているのです。びっしりとです。これも、私の文章を否定して、杉本夫妻を守るためでしょう。
以前は、そうだった、30年間は実質的に杉本邸の敷地として使っていた、誰も家を建てない、1500坪の敷地が、三重三重に他人に見えたのですが、今は、まったくの森になっていて、それが、杉本邸を守るものかどうかが、詳細を知らない人には判断ができないようになっています。
ところで、この急造された生垣はひどくお金がかかっているなあと思うのです。自分が、北久里浜の家の高枝きりをしていて、思うのですが、引っ越す前に、私達が、1,2mぐらいの名駅を買って植えた生垣は、1.5mぐらいであって、柿が、3。5m、ソメイヨシノが、4mぐらいだったのですが、30年間、人に貸していて、それらの借主が、手入れしていなかったために、つたやら、野葡萄も絡まって、我が家が、木に埋もれた「眠り姫の城」状態になっていたわけですが、ソメイヨシノと、柿は2013年の5月には、完璧に、6mに達していたと思います。
そこから換算をすると、杉本邸を、囲む4mのドイツトウヒは、1年ぐらい前に植えたとしても、30年ぐらい経った成木を植えたと推察されます。それって、ものすごく高いでしょうね。だって、そういう成木を、枯らさないように、移動させるのは植木屋にも技術がいります。
しかも、150本近く植えてあるのですよ。もしかしたら、目潰しのために、間を狭く植えているみたいなので、200本はあるかも知れません。
まあ、この種の、大きな植木は横須賀では容易に手に入ります。三浦半島の中心に、西武鉄道が大規模な土地を持っていて圃場(=植木畑)を経営しています。西武鉄道は、鎌倉を中心として、霊園やら、大規模住宅団地を開発し続けたので、植木も自前で、栽培しているのです。そこは、私達が、北久里浜に住んでいる頃、すでに、3mぐらいのドイツトウヒをたくさん植えていたから、あそこから移入をすれば、簡単です。
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副題8、『大昔、横須賀市の水道山を蚕食していくのも、木製の高い塀の内側だった』
私は、その地籍変更届の仕組みの詳細を、知って居ます。益山某は、登記所の書類上は、500平米を最初に買いました。単なる山林ですから、150坪とはいえ、極安だったと感じられます。その後、彼が、動かしたのか? 瀬島龍三が裏で動いたのかは知りませんが、京浜急行が、旧名、池田五丁目(現在は、六丁目)に、大規模住宅団地(土地を売るもの)京急池田分譲地を、開発しました。それで、できた道路を使って、自分の会社でも、ミニ開発をしたのです。自分が作った道路、売った建売をあわせると、150坪なんか、すでに、消費しつくしてしまっていて、彼が、建てた自宅そのものも、すでに、水道山に蚕食していたと思います。
水道山には、正式には、石渡美容院(今は閉鎖されている模様)のそばに入る道があったのですが、それが、いつも進入禁止となっていたのは、相当以前から、横須賀市が、巻き込まれていた可能性を感じさせます。
そして、酒鬼原聖斗事件が起きました。『なるほどなあ』と思います。あれが、冤罪だといわれていますが、そのとおりでしょう。首が落ちた遺体をおんぶして、どうして、中学生が、一人で、山道を、登っていかれます。数千メートルの高さはないとは思いますが、それでも、山です。
たまたま、このあたりを書いた旧作が、見つかりました。お読みいただいても、いただかなかくても結構ですが、一応のリンク先をここに引っ付けておきます。
土師淳君は、ソラヒルズ(北久里浜)開発のために、殺された?・・・・・(政治もの)
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無論のこと、あの良く猫を殺していたといわれる中学生が被害者の男の子を、水道山に誘い出し、そこで、殺害して、首を切り落とした可能性もあります。だが、周南事件の異様さを見ていると、酒鬼原事件も、ブルーカラーエージェントたちが上部の命令で、行った可能性も感じられるのです。横須賀市の水道山が、実際には何も、恐ろしいところではないのに、恐ろしいものだという印象を与え、そこに人間が入らないようにするために行ったと考えると、つじつまが合ってくるのでした。でないと、どうして、お墓参りに言っただけの、人間である私を、京浜急行が脅かす必要があるのですか?
こちらは、金沢八景駅です。普段は絶対に居ないガードマンが居ます。
私、株主ですよ。たった1000株だけど。(笑い)
それが、どうして、京浜急行にこれほど、脅かされないといけないのですか?
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あれは彼を犯人に仕立て上げた、冤罪でしょう。ただ、どうして、彼がそれを了承したかが不思議です。
でも、似たようなことは、周南事件(平成の八墓村事件)にも当てはまるし、江ノ島で、首輪猫が発見をされた、片山容疑者の、成りすまし疑惑についてもいえます。すべて、冤罪でしょうが、犯人がどの程度、裏側を知らされているか、または、どの程度の報酬が見返りとして与えられているかが問題です。
で、酒鬼原事件が起きたのは、水道山に入らせないがためです。その水道山を、高い塀の中で、どんどん、開墾をしていって、「実は、自分の果樹園が、1200坪あるはずなのに、1坪以下(2.73平米)しかありませんでした。間違えていました。それを、訂正してください」と法務局に申し込んだのが、地籍変更届なのですが、1199坪ほども誰が間違えますか?
そこが、この事件の、真に、犯罪的な部分なのです。
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副題9、『それって、処世術の範囲で許されることなのだろうか?』
ところで、横須賀市の副市長と言う職種の給料も、半端ではない高さでしょう。そして、退職金もです。この豪邸を作ったことと、そちらをあわせると、3億円は、我が家より、多い生涯賃金を獲得なさっているでしょうね。
私は最近、相続税が、上がることへの節税対策のセミナーに二度ほどお招きを頂き、聞いてきました。その第一回目の例が、3億円の資産がある場合でした。「四人の孫に、1500万円まで、無税の教育資金を信託預金をすると、6000万円控除の対象となる」などと言う話を、夢見心地と言うか、空耳で、聞いてきました。が、杉本夫妻など、完璧に、その対象例となっているでしょうね。
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副題10、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。前篇』
私は、自分の被害を語りたくないといっています。で、私の知人達を、次から次へと、出世させ、反対に、主人にどういう運命が訪れたかを語りたくないのです。敵さんは、知っています。敵さんに真心とか、誠実な心があったら、『あ、そこまで、判っていたのか?』と、少しは反省をしてくれるかなと思いますが、絶対にないでしょう。そして、さらに、そこが、ウィークポイントだったのかと、更なる攻撃をしてくるはずです。
ただし、いつかは語る予定です。いつかは語ります。
被害があるから、私は、こういう文章を書いています。ところで、北久里浜の水道山をめぐる地籍変更届も、書類上は整っていて、実質的には泥棒だけれど、泥棒ではないということになっています。だから、ルネ北久里浜を買った人が、将来権利を疑われて、追い出されるということはありません。それから、杉本氏に逮捕状が出るということもありません。
だから、やくざが聞きつけて、脅かそうとしても何の役にも立ちませんよ。また、悪徳ライターが聞きつけて、杉本家を脅かそうとしても、そちらが逮捕されるだけでしょう。
ありとあらゆることが、時効でしょうし。ともかく、1980年当時も、法務局も、書類上に、整合性があれば。。。。。(それは、地境地主の実印がすべてそろっていれば、と言うことで、横須賀市との間の地境に、架空の公道を設置していて、横須賀市とは接触がないということになっていたので)、。。。。。「それを拒否できないのだ」と言っていましたから。
経済マフィア(または経済やくざ)よりひどいのです。だけど、その瀬島龍三が、自分を主人公にして、山崎豊子さんに、不毛地帯を書かせて、それを、フジテレビが、ドラマ化するわけですから、彼らエージェントは、私の事なんかせせら笑っているのでしょう。だけど、杉本家の周辺に、30年は過ぎている成木のドイツトウヒを、100本以上、一年前に植え込んだというのは、やはり、私の筆力を怖がっているとも思えます。
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副題11、『こういう生垣を作ろうと考えた、人間は誰だろう。そして、お金は誰が出したのだろう?』
でも、その種。。。。。(植木を植えようとする)。。。。。の防衛策を考え出すのは誰だろう。それが、判りません。瀬島龍三は、一応、2007年に、95歳で、死んだとwikipedia で言っています。もしかすると杉本氏・・・(または、正子夫人)・・・は、すでに、エージェント化しているかな? だから、杉本氏自身が、自分を防衛するアイデアを、出しているのかな?
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ここで、挿入ですが、上の一行を書いた途端に、結構大きな地震が、我が家を襲いました。NHKを、すぐつけてみると、午前1時15分に、神奈川県東部で、震度3だそうです。震源地八場です。こんなにタイミングよく、地震があると、フェイスブックに入っていた頃、良く聞いた、3.11・人工生起説・も信じたくなってしまいます。(笑い)が、これは、余談中の余談です。
ただ、杉本氏は、1940年ぐらい生まれの、日大工学部出身で、成岡庸司君が1942年の早稲田大学政経学部卒で、私が、1942年生まれの国際基督教大学卒で、石塚雅彦氏が、1940または、41年年生まれの、国際キリスト教大学卒で、井上ひさしが、193X年卒の上智大学卒で、酒井忠康氏が、193X年卒の、慶応大学卒で、伊藤玄二郎が、1942年か、1943年生まれの中央大学卒となると、皆大体似たり寄ったりの年齢と、頭脳レベルですね。
後、まだ、はっきりとは、エージェント化しているかどうかが、私には、わかっていない秋山豊寛氏と、立花隆氏と、益山夫人の、弟、仲野通巳吉氏が、問題ですが、それは、彼らが鎌倉に住んでいないので、良くわかりまえん。
偏差値的には、ここに名前の上がった人たちは、全部似たり寄ったりのレベルです。受験日当日に、具合がよかったら、もっとよい大学に入学していたかもしれないし、受験日当日に、具合が悪かったから、東大へ入学ができなかったということになるでしょう。
となると、杉本氏がすでに、エージェント化していて、北久里浜周辺については、アイデアをひねり出している可能性もあります。池田分譲地は、長らく智万丈は、池田町五丁目だったはずですが、今は、6丁目です。そういうことも、私の文章が間違っていることにする手立てかもしれません。
で、杉本氏がエージェントなのかどうかと言う問題を討議した挿入から、元へ戻ります。
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副題12、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。後篇』
実は、瀬島龍三の死も、嘘ではないかと考えているところもあるのです。彼が死んだ頃に、私は、はじめて、自分の被害を語り始めています。自分の周辺がひどいことになっていると、気がついたのは、もっと前でした。パソコンへの被害を中心に、異常に気がつき始めたのは、2007年の4月17日でした。
が、9月に元ソニー保険の社長、川島君が、亡くなったので、思い切って被害の実情を語り始めたのです。国際基督教大学の同期生だけに向けたものですが、ハッキングを十全から受けていたので、瀬島龍三は、すぐ知ることになったでしょう。それは、以下のリンク先のブログの副題4に詳しいです。
私は総タイトルに、文章の中身全部を表すものをつけることができないのです。最も重要な部分はわざと伏せています。だから、丁寧に、読んでくださらないと、本当は何が書いてあるかがわからないことが多いでしょう。
それに、書く事への妨害あまりにも多数回(20000回か、30000回かなあ)を受けたので、用心のために、初稿を、すぐ、さらすことにしていますので、総タイトルが、文章の中身をすべて、正直に反映しているとは限らないのです。それにタイトルは50字以内にしてくださいといわれていますので、不自由さがあります。
ただ、以下のブログの、副題4に、その日のいきさつが、詳細に、書いてあります。川島君の訃報を聞いて、突然に、膨大な文章が書けたと書いてあります。
東電社長に小泉純一郎を待望? 朝日は相変わらず軽いです+久米宏の異常な怯えは、今も続く?
それを読んで、初めて瀬島龍三は、私の頭の良さを知ったのではないかな? それ以前は馬鹿に仕切っていたでしょう。益山夫人から何を聞いても、まさか、専業主婦がそれほど、頭がいいはずがないと思っていたはずです。だけど、その日に初めて、私がすさまじいレベルで頭がよいことを知り、責任追及を恐れて、死んだことにしたのではないかなあ?
それを見習って、2010年の4月9日に、井上ひさしも、自分を、死んだことにしたのでしょう。だけど、瀬島龍三氏は、生きていても、101歳です。今、私が経験しているほどの、悪辣なことをいまだに発案できるかなあ? そこが判りません。ただ、井上ひさしだけは、鎌倉の防災無線、それから、デモ隊や、原水禁運動の有様、私が旅行への外出時に、午前中でも駅前で網を張っている、労働運動、
鎌倉での、暴走族の出現と音。偽者も横行しているのです。私が音に敏感だと思われていて、轟音をあげれば、ブログへ入力できないし、ホンの編集もできないと思われていた時期があるのです。その頃『どうも変だぞ、確かめてみよう』と思って、回り道で、10分近く余計に歩かないといけないのですが、若宮大路を歩いて、夜の11時過ぎに帰宅をしたことがあります。すると、鎌倉警察署の横に、ハーレーか何かに乗って、黒い私服を着た三人の、警察官と思しき人間が待機していたのですね。
は、ハーン。『これが、偽者なのだなあ』と思っていて、帰宅してパソコンを開いたら、案の定、偽者・暴走族・特有の音が山ノ下から響き渡ってきたのです。
で、こういう文章を書くので、警察署そのものが、移転をしてしまいました。駅より南側に下がったところに移転をしたので、私が帰宅時に、その様子を観察することが無理になったのです。
デモ、今でも、音は聞き分けることができますよ。本物と偽者は、相当に違います。本物は一台ずつは、それほど、大きな音を出さないで通ります。今は以前ほど、突っ張っていなくて、住民の迷惑も顧慮している模様です。ただ、数が圧倒的に多いので、低層で重みのある音になります。
一方で、偽・暴走族は、音でいじめようとしているので、一台ずつが、けたたましい爆音を上げますが、高音であって、軽いです。ぜんぜん違います。それから、私をいじめることだけが目的ですから、ルートも違います。本物は山ノ下を一回だけ通ります。だが、数が多いので、藤沢へ抜けるまで、15分程度、音が続きます。少しずつ小さくなりますが、15分程度、低音で、重層的な音が響きます。デモ、偽者は、八幡宮様の周辺を何度も周回します。だから、音が小さくなりません。それで、すぐわかります。
と言うわけで、井上ひさしだけは、鎌倉市内に響く音が、鍵となって、彼が生きていることがわかるのです。「井上ひさし・・・・・うんぬん」と自分のパソコンで書くたびに、妨害用の音が響くからです。2010年の、2年後ぐらいまで、それが続いたので、確信を持っています。
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副題13、『金曜日と、土曜日に、二度も暴走族が、我が家の山ノ下を通りましたが、両方とも、偽者でしょう』
この文章を一回、木曜日に書区前に京急駅二箇所に、ガードマン現れ、それも嫌がらせだったわけでしょうが、さらに、下稿としていて、書いている最中に、地震が起きたわけです。最近のそれも、何か、重要なことを書いている最中に、震源地も震度も似たものとして、起こされていますので、おや、おや、二度目ですか? と、そちらの頻度に驚いたわけですが、(別にゆれることには驚きませんよ)、それを実際には、描いたものの、外へ公開しないで、PC内に保管をしていたわけわけですが、出した後で、それを否定するかのごとく、二回ほど、暴走族が、現れました。山から下りるまでに、時間がかかるので、目視したわけではないのですが、その二階とも偽者だと思います。ただ、動員するバイクの数は増やしたでしょう。だが、本物とは、まだ、微妙に音が違うし、コースも鎌倉市内に現れる時間も違います。
この文章は、後で、さまざまな、リンク先を見つけておきます。また、加筆の可能性もあります。特に神の視座で言えば、杉本家が決して幸せいっぱいではないという人が多いので、なるほどと思っています。その件ですが、種々さまざま思い当たることがあります。
名誉やお金を得ても、反対に、大切なものを失うことがあります。たとえばかわいい孫などね。?!?!? 私の方は、お金や名誉がなかったのですが、母が、結局あんたのところが、一番華やかになったねと言うほど、幸せであります。
この問題は、文章としての面白さを、生成したり、文章としての、起承転結をつけることができません。で、本日は超部分的に、杉本家の過失(?、または、世智に長けすぎていること)を防衛するために、急造をされた生垣を中心に語りました。
誤変換が残っていると思いますが、日付と署名を入れて起きます。
2013年11月30日 雨宮舜( 川崎 千恵子)
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