銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

トルコエフェソスから、酒鬼薔薇聖斗事件、や、片山容疑者(猫好き)や、湘南爆走族?!?へ△

2013-11-30 04:45:07 | 政治

なお、この文章の前に、29日の夜に、一本、アップしています。そのほう

東電分社化? 安部さんは、トルコに原発を売るんですって?

2013-11-29 21:45:27 | 政治

が、テーマがビッグです。よかったら、そちらもごらんをいただきたく。こちらの方は後で、推敲をいたします。

 ところで、この一文の最初の総タイトルは、『トルコエフェソスから、瀬島龍三と、杉本横須賀市副市長夫妻を思い出す、特に急造された高い生垣を』と、していて、それで、30時間以上を過ごしましたが、日曜日の朝9時に上のものへと変更いたしました。そして、日曜日の午後2時に一応の推敲と加筆を終わりましたので、総タイトル横に、三角印を入れておきます。

副題1、『28日の夕方、また、瀬島龍三発信の、復讐に出会ったが?!?!?』

副題2、『政治の本質とは何だ? それが、素人にもできる理由は何だ?』

副題3、『地籍変更届を利用して、1200坪の横須賀市の公用地(水道山)をただで、手に入れたのが、旧帝国海軍と、陸軍の参謀達であった。wikipedia では、大本営参謀となっていますが』

副題4、『私は、実は、瀬島龍三の、死のタイミングに関しても、不思議だと思っている』

副題5、『杉本・元・横須賀市・副市長は、たぶん、3億円は、多く、生涯・獲得・賃金を得たでしょう。うちの主人と比較をしたらですが・・・・・』

副題6、『まず、大マンション群の名前が変わった。それと、エレベーター用定期券の無料サービスが大問題だ』

副題7、『杉本邸が、実際には、大豪邸であることを隠蔽するための措置が次から次へと取られ始めた』

副題8、『大昔、横須賀市の水道山を蚕食していくのも、木製の高い塀の内側だった』

副題9、『それって、処世術の範囲で許されることなのだろうか?』 

 副題10、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。前篇』

副題11、『こういう生垣を作ろうと考えた、人間は誰だろう。そして、お金は誰が出したのだろう?』 

副題12、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。後篇』

副題13、『金曜日と、土曜日に、二度も暴走族が、我が家の山ノ下を通りましたが、両方とも、偽者でしょう』

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副題1、『28日の夕方、また、瀬島龍三発信の、復讐に出会ったが?!?!?』

 1980年の夏に、瀬島龍三の悪を目撃してしまった私に対して、瀬島龍三が、種々さまざまな復讐をしてきているのですが、2013年11月28日(木)の夜は、そのふたつを、また、二万字程度の長さで、書いておりました。一部の夜更かし型の人は、それを、お読みなったかもしれません。確実に読んだと思われるのは、例のエージェントたちでありましょう。金曜日の外出時にも、早速、それに応じた反応がありました。そして、夜の、11時に暴走族(後ろの方に、説明がある。その夜も、?、たぶん本物ではない)が、走りました。そして、土曜日も同じ、偽者の爆走族が走りました。それを、最後の副題で、語ります。

 さらに言えば、説得力を増すためには、部分的に書いた過去ブログを探さないといけないしと、考えて、いったん引っ込めたのですが、そうすると、すぐ、弱気だと考えて、過去に何度もそれがあったように、一気に激しい攻撃モードに入ったと感じます。それから、醍醐イサムについて、書くのを、私が、あきらめたのだとも、判断をされたのでしょう。土曜日に、ご近所の画家大原光孝氏が、久しぶりにはしゃいで、その存在感を誇示していましたし。

 で、それを、推敲してもう一回さらします。ただし、木曜日の真夜中には、二つの重要なテーマを入れ込んでおりましたので、ひとつに絞って、この章では語ります。

  京浜急行の駅で、嫌な現象に出会う前の、木曜日の夕方は、鎌倉霊園にいきました。

  そこで、美しい夕映えを見ました。珍しく携帯を持って出たので、写真を撮ってみたのが、上です。私は鎌倉霊園に居ると、いつもトルコのエフェソスを思い出します。そこと、谷の様子が似ているのです。両側が高くなっていて、間に川があった。エフェソスのほうには、今は、もう川は目立ちません。むしろ、海を埋め立ててしまっ、てエフェソスが港町として機能をしなくなってしまったので、何千年も忘れ去られていて、だからこそ、イギリス隊を中心とした発掘後、立派な遺跡として、再発見をされ、大観光地となっています。そして、曽野綾子さん他が、ています。マリアの墓があるとも言われ、キリスト教の聖地のひとつでもあり、ヨーロッパから観光客がいっぱい来ているところです。

 この夕景を見たので、安部総理大臣が、トルコに原発を売り込むということを思い出したのでした。しかし、その新聞や、テレビに出た大きな課題(原発売り込み)だけを書いて、それで、終わりにしておきたかったのですが、京急金沢八景に出たら、嫌がらせをうけて、また、金沢文庫でも嫌がらせを受けて、これは、そちらの方向に向かっても、文章を書かないとだめだなあと、夜帰宅後に決意したのでした。

 上の写真は、金沢文庫駅のトイレ前に鎮座している女性ガードマンです。普段は居ないのですよ。

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副題2、『政治の本質とは何だ? それが、素人にもできる理由は何だ?』

 あるときに、イギリスの政治学者が言ったことに目からうろこが落ちるほどの衝撃を受けました。政治とは、きわめて私的なことを、いかにも公の事みたいに語ることだ』と、言っています。

 伊藤玄二郎を中心とする鎌倉エージェントが、NHKを大きく支配をしているという現象もその一つです。私が、京浜急行の駅で、脅かされたり、嫌がらせを受けたりするのも、彼らが、動いているわけで、きわめて私的な、動機を、拡大している現象です。

 この件で、昨日、いろいろ、グーグル検索をしたところ、松本龍大臣を、引っ掛けて狙撃(?)し、辱めて、自認に追い込んだ頃の、NHK編成局長は、井上樹彦と言う名前の、早稲田大学卒の福岡県立明善高校出身の人間だったらしいです。

 私が2011年の当時村井知事のひどさを文章に書いたところ、この人物らしき人間が、NHKのニュース画面で、村一事と一緒に出てきたので、確かだと感じます。彼が、どこやらから、指令を受けて、あの隠し撮り画面を作り、それを最大限に、利用したのだと思います。

 今回、秘密保護法と言うのが制定されました。私は、忙しくて、一切、それに触れていませんが、安部さんが、繰り返した言葉に、恣意的には、行使しないと言うポイントがあります。

 そこが、政治の本質です。恣意的に、強者が、弱者をいじめる・・・・・それが、私の周辺で常に起きていることです。ただ、それだけだと、この文章(ブログ全体)が、隠々滅々たるものとなります。

 ところが、政治とはまったく別の流れとして、神が支配する世界と言うのもあって、そこでは、むしろ、私側が勝っている部分もあって、このブログは、そこで、バランスが取れていて、明るい部分もあるわけです。で、そこまで書いて、元に戻ります。

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副題3、『地籍変更届を利用して、1200坪の横須賀市の公用地(水道山)をただで、手に入れたのが、旧帝国海軍と、陸軍の参謀達であった。wikipedia では、大本営参謀となっていますが』

 瀬島龍三のあくとは、地籍変更届と言うものを利用して、横須賀市の水道山をただで、手に入れるものであって、そこを、25年後の、2005年ごろから、360度の眺望を誇る、大マンション群ソラヒルズと、して、売り出しています。グーグルマップで、京浜急行北久里浜駅の東側をごらんになると、4棟のマンションが出てきます。

 この件について、詳細に書いたブログを、やっと見つけました。リンク先を書いておきます。

ソラヒルズ(北久里浜)は、もと横須賀市の水道山に建っているのだが?(政治もの)

2012-03-16 01:24:59 | Weblog

 しかし、それを、最初に起案し、実行したのは、益山某と言う旧海軍参謀でした。瀬島龍三と二人は親友だということであり、益山氏が、なくなったので、瀬島龍三が、以降は影の主役として、機能して、大マンション群を作り上げたのです。

 彼らふたりは、旧帝国海軍参謀と大本営参謀として、横須賀の地形には熟知していたでしょう。どこが国有地であり、どこが、公有地であるかは、戦時中の対米防衛で、熟知していたと思われます。

 その上、戦後、苦労をしました。瀬島龍三はソ連へ抑留をされ、まともに働いたら死ぬところでしたでしょう。だけど、そこで、何らかの取引があった可能性は否めません。

 益山氏の本妻(お子さんも有った)は、戦後米軍将校と恋愛に陥って、アメリカへいってしまいました。夫がパージに出会ったので、英語のできる奥様が、PXか将校倶楽部で、働いた可能性を感じます。だから、益山氏は、悲劇の人でもあるのですが、その後妻(原節子似の、美人でインテリ)に、車で、ひき殺されそうになった私は、はっきりと、いろいろ、ここで、書くわけです。ひき殺されそうになった理由は、私が彼らの予想外に頭のいい人間であって、彼らの策略のすべてを見破ってしまったからでした。

 だから、本来なら紳士であるはずの益山某氏は、驚くべき、策謀(一種の土地泥棒だが、表向きは、正しいこととなされている)を、案出したのでした。

 これは、大変込み入っている問題であって、どこかに、すでに、何回も書いていますので、後で、そのリンク先をここに記すことにして、今日は、今まで、抑えていた部分を語りたいと思います。

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副題4、『私は、実は、瀬島龍三の、死のタイミングに関しても、不思議だと思っている』 

 益山某氏は、1980年の事件の渦中になくなっていますが、瀬島龍三は、そのマンションができた頃に、亡くなった事になっていますね。ただ、怪しいかも知れません。亡くなった事にして、責任を問われないことにして、いまだにいろいろ、悪事を働いている可能性もあります。ただ、101歳か、102歳になっていますので、緻密にいろいろ、考えることはすでに無理だろうと、私は、思っていますが、真相または、深層はわかりません。

 ここで、私がエージェントだと見なす人間のうち、三人が、すでに、表向きを死亡と見せて、実際には、地下潜行していることになります。

  成岡庸司君は、すでに、1985年ごろから、「死んだことになっているはずだ」と、飯田隆君(元週刊朝日編集長)が、言っています。

 で、地籍変更届と言う実質的な泥棒(ただし、書類上は整っているので、誰も、それを差し止められないとの事でした)を実際に行ったのは益山某と言う、元海軍参謀です。彼の持ち物の土地と、私達が買って手に入れた北久里浜の土地が、境界を接していたために、私は巻き込まれ、必死で戦いました。今地図上で、コーポまさと言うのがありますが、その南側が我が家です。

 その前に、マンションとの間に、9軒の家があるはずですが、今(2013年11月28日現在)は、まったく消し去られています。特に、クリアハウスと言う、不動産会社(創設者は益山氏の後妻の実弟で、益山氏の会社の、継続的不動産会社)が消えています。それが、事件の証拠なのですが、それを説明するのも、5万字はかかるので、ここでは、『また、例の連中が悪さをしていますね』と、言うだけにさせてくださいませ。

  益山氏から肉声として、「私は、瀬島龍三とは親友だ」と聞いています。瀬島龍三は、元陸軍参謀(グーグルによれば、大本営参謀となっている)のはずですよね。だから、確かに二人は親友でしょう。

  私は自分が巻き込まれたからこそ、2.73平米しか残っていない土地(それは、建売を作って売り払ってしまったからだが)を、地籍変更届と言うものを利用して、4200平米に、土地代を払わないで、拡張したのを、目撃してしまいました。元の持ち主は横須賀市(水道山)です。公有地だから、監視の目が届かないということもありますが、私は子供が二人とも同学年であった、杉本正子夫人には、これを、告げています。 

 彼女のご主人は当時は、横須賀市の土木課長でした。そして、その件を見過ごしてあげたみたいです。その後、ぐんぐん出世して行き、自宅もすぐ近所だが、土地が拡幅した豪邸に引っ越して行きました。最終的には、副市長で終わったと思います。

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 副題5、『杉本・元・横須賀市・副市長は、たぶん、3億円は、多く、生涯・獲得・賃金を得たでしょう。うちの主人と比較をしたらですが・・・・・』

  その豪邸ですが、建物もさることながら、土地が実質的に、広いのです。夫妻自身が住んでいる土地は、100坪程度です。しかし、そのまわり、1500坪程度が、ほぼ、30年間にわたって原っぱだったのです。つまり、隣近所がまったくないので、実質的に、杉本邸は、1700坪の敷地に建っているのと同じことなのです。使い勝手とすれば、筑後30年と、古くても、一億円以上は、するであろう豪邸です。しかも宮大工が建てたと思しき和風の、豪邸です。最高級の建築物です。しかし、元の家は、敷地が50坪程度で、建物が25坪程度でした。

 ふつうのサラリーマンが買うことのできる大きさの家でした。京急池田分譲地内の一軒家だったのです。

  奥様は、高島屋の靴売り場で働いていたことがあって、そのときにご主人と知り合ったそうです。その古い方の家は、二所帯住宅ではないが、ご主人のご両親も一緒でした。ずいぶんあけすけと、杉本家のプライヴァシーを語っているようですが、私のほうには、ものすごい大きな被害がありますので、ばきばきとそちらの実情を、語ります。そ憂い鵜プライヴァシーを知っているというほど、一時期は、私と、仲がよかった女性だということです。

  で、私は鎌倉雪ノ下近辺の、前田祝一・清子夫妻、および、安野夫妻、および彼らに二次的に、または、三次的に使われているご近所様達の、攻撃に怒りきってしまって、長らく封印をしてきたこちらの、北久里浜の事件を、書き始めました。

  と言うのもこの雪ノ下で、起きていることもすべては、瀬島龍三発なのです。こちらでは、最も動きが活発なのは、伊藤玄二郎と、井上ひさし、酒井忠康氏ですが、その上部に位置して、彼らを動かしているのは、瀬島龍三でしょう。で、このご近所様もすべて、瀬島龍三の、孫スナイパーとして、機能をしているわけです。

  ですから、北久里浜の事件を書かざるを得ないのです。

  すると、杉本夫妻を防衛する現象が起こり始めました。いったいこれを誰が行っているのか? それは、そこに、私が住んでいないので、目にも見えないし、耳にも聞こえてきませんが、彼らが防衛され始めたことは、そこに行けば、物理的に見えるのです。

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副題6、『まず、大マンション群の名前が変わった。それと、エレベーター用定期券の無料サービスが大問題だ』

  まず、ソラヒルズは、名前が変更になりました。ルネ北久里浜となっています。ただ、マンションの住人は名前の変更に納得をしていないでしょうから、看板には二つの文字が同時併記されています。それから、完工後、または、完売後も、長らく、グーグル地図には出てきませんでした。井上ひさし邸も出てきませんでした。それらは、「出てこない。出てこない」と、私が言い続けたので、最近では出てきています。 

 京浜急行、北久里浜の東南線路沿いに、ルネ北久里浜エントランスゲート言うのがあります。縮尺を、50mぐらいに拡大をすると出てきますが。それが駅からの近道として、マンションに登るエレベーターがある道です。そのエレベーターですがそれを使うと、徒歩3分でマンションまで、帰ることができます。

 海外によくあるそう言うものと違って、ものすごくきれいです。2mの盛り花の造花が4基もおいてあります。照明も煌々と照らされています。しかし、自由には入れません。JR東日本の各駅、または、京急の各駅みたいに、自動改札機を通らないと入れません。

  で、皆さん、パスを持っています。そのパスですが、マンションの住人は、ただかな? だけど、そのエレベーターは、北側に広がる古い一戸建て住宅が数百軒建っている京急池田分譲地の人も使えるのです。それが、杉本氏を防衛する一策です。杉本氏の口利きで、そう言う風になっていると、皆さんが、知れば、夫妻の悪口を言わないでしょう。

  で、それは、マンション以外の人は、つき1500円の、お金を出さないといけないのですが、最初の一年間は、ただだったそうです。そして、私が、この件を書き始めると、さらに、ただの期間が延長をされました。それも杉本夫妻を防衛するためです。

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副題7、『杉本邸が、実際には、大豪邸であることを隠蔽するための措置が次から次へと取られ始めた』

 私に言わせると、悪事を見逃してあげた見返りとして、買ったのは、100坪の土地だけど、実質的には、1500つぼの土地に住むことができるというのは、非常に忌まわしいことであり、今問題に成っている、猪瀬知事より悪質だと思っています。

 猪瀬知事は、すでにお金を返しています。こちらは、30年間、利益を享受してきています。

 だが、私がこの問題を書き始めると、杉本邸が、豪邸ではないように見えるような工夫が次から次へとなされるようになりました。

  南側の空き地に、二軒の建売住宅が建って、杉本邸との間が、1m~1.5mになったので、杉本邸が、こと、南側に関しては、特別広い空間を占拠しているというのを、否定し得ることとなりました。ただ、北側はまだ、1500坪程度の空き地だったのです。

  ところが、この夏、私が、北久里浜の自分宅に、枝払いやら、掃除に行っていますね。その家は、その拡大図で、石渡美容院とか、長塚塗装店とか、コーポまさとか、クリアハウスと名前が表記されている目印のある一帯にあるのですが、私が時々、JR久里浜駅からタクシーに乗るので、杉本邸前を通るわけです。

 すると驚いたことに、建売の家も、それから、杉本邸の北側も、すべて、4mぐらいのコニファー(または、ドイツトウヒと言うのかな、ヒマラヤ杉とか、貝塚いぶきなどもその一種として含まれる、生垣用の植木)が、びっしりと植えつけられていたのです。しかも高さが、4mはある成木が植えつけられているのです。びっしりとです。これも、私の文章を否定して、杉本夫妻を守るためでしょう。

  以前は、そうだった、30年間は実質的に杉本邸の敷地として使っていた、誰も家を建てない、1500坪の敷地が、三重三重に他人に見えたのですが、今は、まったくの森になっていて、それが、杉本邸を守るものかどうかが、詳細を知らない人には判断ができないようになっています。

 ところで、この急造された生垣はひどくお金がかかっているなあと思うのです。自分が、北久里浜の家の高枝きりをしていて、思うのですが、引っ越す前に、私達が、1,2mぐらいの名駅を買って植えた生垣は、1.5mぐらいであって、柿が、3。5m、ソメイヨシノが、4mぐらいだったのですが、30年間、人に貸していて、それらの借主が、手入れしていなかったために、つたやら、野葡萄も絡まって、我が家が、木に埋もれた「眠り姫の城」状態になっていたわけですが、ソメイヨシノと、柿は2013年の5月には、完璧に、6mに達していたと思います。

 そこから換算をすると、杉本邸を、囲む4mのドイツトウヒは、1年ぐらい前に植えたとしても、30年ぐらい経った成木を植えたと推察されます。それって、ものすごく高いでしょうね。だって、そういう成木を、枯らさないように、移動させるのは植木屋にも技術がいります。

 しかも、150本近く植えてあるのですよ。もしかしたら、目潰しのために、間を狭く植えているみたいなので、200本はあるかも知れません。

 まあ、この種の、大きな植木は横須賀では容易に手に入ります。三浦半島の中心に、西武鉄道が大規模な土地を持っていて圃場(=植木畑)を経営しています。西武鉄道は、鎌倉を中心として、霊園やら、大規模住宅団地を開発し続けたので、植木も自前で、栽培しているのです。そこは、私達が、北久里浜に住んでいる頃、すでに、3mぐらいのドイツトウヒをたくさん植えていたから、あそこから移入をすれば、簡単です。

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副題8、『大昔、横須賀市の水道山を蚕食していくのも、木製の高い塀の内側だった』

 私は、その地籍変更届の仕組みの詳細を、知って居ます。益山某は、登記所の書類上は、500平米を最初に買いました。単なる山林ですから、150坪とはいえ、極安だったと感じられます。その後、彼が、動かしたのか? 瀬島龍三が裏で動いたのかは知りませんが、京浜急行が、旧名、池田五丁目(現在は、六丁目)に、大規模住宅団地(土地を売るもの)京急池田分譲地を、開発しました。それで、できた道路を使って、自分の会社でも、ミニ開発をしたのです。自分が作った道路、売った建売をあわせると、150坪なんか、すでに、消費しつくしてしまっていて、彼が、建てた自宅そのものも、すでに、水道山に蚕食していたと思います。

 水道山には、正式には、石渡美容院(今は閉鎖されている模様)のそばに入る道があったのですが、それが、いつも進入禁止となっていたのは、相当以前から、横須賀市が、巻き込まれていた可能性を感じさせます。

 そして、酒鬼原聖斗事件が起きました。『なるほどなあ』と思います。あれが、冤罪だといわれていますが、そのとおりでしょう。首が落ちた遺体をおんぶして、どうして、中学生が、一人で、山道を、登っていかれます。数千メートルの高さはないとは思いますが、それでも、山です。

  たまたま、このあたりを書いた旧作が、見つかりました。お読みいただいても、いただかなかくても結構ですが、一応のリンク先をここに引っ付けておきます。

土師淳君は、ソラヒルズ(北久里浜)開発のために、殺された?・・・・・(政治もの)

2012-04-16 19:30:50 | Weblog

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  無論のこと、あの良く猫を殺していたといわれる中学生が被害者の男の子を、水道山に誘い出し、そこで、殺害して、首を切り落とした可能性もあります。だが、周南事件の異様さを見ていると、酒鬼原事件も、ブルーカラーエージェントたちが上部の命令で、行った可能性も感じられるのです。横須賀市の水道山が、実際には何も、恐ろしいところではないのに、恐ろしいものだという印象を与え、そこに人間が入らないようにするために行ったと考えると、つじつまが合ってくるのでした。でないと、どうして、お墓参りに言っただけの、人間である私を、京浜急行が脅かす必要があるのですか? 

 

 こちらは、金沢八景駅です。普段は絶対に居ないガードマンが居ます。

 私、株主ですよ。たった1000株だけど。(笑い)

 それが、どうして、京浜急行にこれほど、脅かされないといけないのですか?

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 あれは彼を犯人に仕立て上げた、冤罪でしょう。ただ、どうして、彼がそれを了承したかが不思議です。

 でも、似たようなことは、周南事件(平成の八墓村事件)にも当てはまるし、江ノ島で、首輪猫が発見をされた、片山容疑者の、成りすまし疑惑についてもいえます。すべて、冤罪でしょうが、犯人がどの程度、裏側を知らされているか、または、どの程度の報酬が見返りとして与えられているかが問題です。

 で、酒鬼原事件が起きたのは、水道山に入らせないがためです。その水道山を、高い塀の中で、どんどん、開墾をしていって、「実は、自分の果樹園が、1200坪あるはずなのに、1坪以下(2.73平米)しかありませんでした。間違えていました。それを、訂正してください」と法務局に申し込んだのが、地籍変更届なのですが、1199坪ほども誰が間違えますか? 

 そこが、この事件の、真に、犯罪的な部分なのです。

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副題9、『それって、処世術の範囲で許されることなのだろうか?』 

 ところで、横須賀市の副市長と言う職種の給料も、半端ではない高さでしょう。そして、退職金もです。この豪邸を作ったことと、そちらをあわせると、3億円は、我が家より、多い生涯賃金を獲得なさっているでしょうね。

  私は最近、相続税が、上がることへの節税対策のセミナーに二度ほどお招きを頂き、聞いてきました。その第一回目の例が、3億円の資産がある場合でした。「四人の孫に、1500万円まで、無税の教育資金を信託預金をすると、6000万円控除の対象となる」などと言う話を、夢見心地と言うか、空耳で、聞いてきました。が、杉本夫妻など、完璧に、その対象例となっているでしょうね。

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 副題10、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。前篇』

  私は、自分の被害を語りたくないといっています。で、私の知人達を、次から次へと、出世させ、反対に、主人にどういう運命が訪れたかを語りたくないのです。敵さんは、知っています。敵さんに真心とか、誠実な心があったら、『あ、そこまで、判っていたのか?』と、少しは反省をしてくれるかなと思いますが、絶対にないでしょう。そして、さらに、そこが、ウィークポイントだったのかと、更なる攻撃をしてくるはずです。

 ただし、いつかは語る予定です。いつかは語ります。

 被害があるから、私は、こういう文章を書いています。ところで、北久里浜の水道山をめぐる地籍変更届も、書類上は整っていて、実質的には泥棒だけれど、泥棒ではないということになっています。だから、ルネ北久里浜を買った人が、将来権利を疑われて、追い出されるということはありません。それから、杉本氏に逮捕状が出るということもありません。

 だから、やくざが聞きつけて、脅かそうとしても何の役にも立ちませんよ。また、悪徳ライターが聞きつけて、杉本家を脅かそうとしても、そちらが逮捕されるだけでしょう。 

  ありとあらゆることが、時効でしょうし。ともかく、1980年当時も、法務局も、書類上に、整合性があれば。。。。。(それは、地境地主の実印がすべてそろっていれば、と言うことで、横須賀市との間の地境に、架空の公道を設置していて、横須賀市とは接触がないということになっていたので)、。。。。。「それを拒否できないのだ」と言っていましたから。

  経済マフィア(または経済やくざ)よりひどいのです。だけど、その瀬島龍三が、自分を主人公にして、山崎豊子さんに、不毛地帯を書かせて、それを、フジテレビが、ドラマ化するわけですから、彼らエージェントは、私の事なんかせせら笑っているのでしょう。だけど、杉本家の周辺に、30年は過ぎている成木のドイツトウヒを、100本以上、一年前に植え込んだというのは、やはり、私の筆力を怖がっているとも思えます。

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副題11、『こういう生垣を作ろうと考えた、人間は誰だろう。そして、お金は誰が出したのだろう?』 

 でも、その種。。。。。(植木を植えようとする)。。。。。の防衛策を考え出すのは誰だろう。それが、判りません。瀬島龍三は、一応、2007年に、95歳で、死んだとwikipedia で言っています。もしかすると杉本氏・・・(または、正子夫人)・・・は、すでに、エージェント化しているかな? だから、杉本氏自身が、自分を防衛するアイデアを、出しているのかな?

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  ここで、挿入ですが、上の一行を書いた途端に、結構大きな地震が、我が家を襲いました。NHKを、すぐつけてみると、午前1時15分に、神奈川県東部で、震度3だそうです。震源地八場です。こんなにタイミングよく、地震があると、フェイスブックに入っていた頃、良く聞いた、3.11・人工生起説・も信じたくなってしまいます。(笑い)が、これは、余談中の余談です。

  ただ、杉本氏は、1940年ぐらい生まれの、日大工学部出身で、成岡庸司君が1942年の早稲田大学政経学部卒で、私が、1942年生まれの国際基督教大学卒で、石塚雅彦氏が、1940または、41年年生まれの、国際キリスト教大学卒で、井上ひさしが、193X年卒の上智大学卒で、酒井忠康氏が、193X年卒の、慶応大学卒で、伊藤玄二郎が、1942年か、1943年生まれの中央大学卒となると、皆大体似たり寄ったりの年齢と、頭脳レベルですね。

  後、まだ、はっきりとは、エージェント化しているかどうかが、私には、わかっていない秋山豊寛氏と、立花隆氏と、益山夫人の、弟、仲野通巳吉氏が、問題ですが、それは、彼らが鎌倉に住んでいないので、良くわかりまえん。

  偏差値的には、ここに名前の上がった人たちは、全部似たり寄ったりのレベルです。受験日当日に、具合がよかったら、もっとよい大学に入学していたかもしれないし、受験日当日に、具合が悪かったから、東大へ入学ができなかったということになるでしょう。

  となると、杉本氏がすでに、エージェント化していて、北久里浜周辺については、アイデアをひねり出している可能性もあります。池田分譲地は、長らく智万丈は、池田町五丁目だったはずですが、今は、6丁目です。そういうことも、私の文章が間違っていることにする手立てかもしれません。

  で、杉本氏がエージェントなのかどうかと言う問題を討議した挿入から、元へ戻ります。

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副題12、『瀬島龍三は、2007年の9月に死んだことになっていますが、それは、ソニー保険元社長の川島君が死んだ頃でしたね。。。。。後篇』

  実は、瀬島龍三の死も、嘘ではないかと考えているところもあるのです。彼が死んだ頃に、私は、はじめて、自分の被害を語り始めています。自分の周辺がひどいことになっていると、気がついたのは、もっと前でした。パソコンへの被害を中心に、異常に気がつき始めたのは、2007年の4月17日でした。

  が、9月に元ソニー保険の社長、川島君が、亡くなったので、思い切って被害の実情を語り始めたのです。国際基督教大学の同期生だけに向けたものですが、ハッキングを十全から受けていたので、瀬島龍三は、すぐ知ることになったでしょう。それは、以下のリンク先のブログの副題4に詳しいです。

  私は総タイトルに、文章の中身全部を表すものをつけることができないのです。最も重要な部分はわざと伏せています。だから、丁寧に、読んでくださらないと、本当は何が書いてあるかがわからないことが多いでしょう。

  それに、書く事への妨害あまりにも多数回(20000回か、30000回かなあ)を受けたので、用心のために、初稿を、すぐ、さらすことにしていますので、総タイトルが、文章の中身をすべて、正直に反映しているとは限らないのです。それにタイトルは50字以内にしてくださいといわれていますので、不自由さがあります。

  ただ、以下のブログの、副題4に、その日のいきさつが、詳細に、書いてあります。川島君の訃報を聞いて、突然に、膨大な文章が書けたと書いてあります。

 東電社長に小泉純一郎を待望? 朝日は相変わらず軽いです+久米宏の異常な怯えは、今も続く?

2013-11-25 22:00:22 | 政治

 それを読んで、初めて瀬島龍三は、私の頭の良さを知ったのではないかな? それ以前は馬鹿に仕切っていたでしょう。益山夫人から何を聞いても、まさか、専業主婦がそれほど、頭がいいはずがないと思っていたはずです。だけど、その日に初めて、私がすさまじいレベルで頭がよいことを知り、責任追及を恐れて、死んだことにしたのではないかなあ?

  それを見習って、2010年の4月9日に、井上ひさしも、自分を、死んだことにしたのでしょう。だけど、瀬島龍三氏は、生きていても、101歳です。今、私が経験しているほどの、悪辣なことをいまだに発案できるかなあ? そこが判りません。ただ、井上ひさしだけは、鎌倉の防災無線、それから、デモ隊や、原水禁運動の有様、私が旅行への外出時に、午前中でも駅前で網を張っている、労働運動、

  鎌倉での、暴走族の出現と音。偽者も横行しているのです。私が音に敏感だと思われていて、轟音をあげれば、ブログへ入力できないし、ホンの編集もできないと思われていた時期があるのです。その頃『どうも変だぞ、確かめてみよう』と思って、回り道で、10分近く余計に歩かないといけないのですが、若宮大路を歩いて、夜の11時過ぎに帰宅をしたことがあります。すると、鎌倉警察署の横に、ハーレーか何かに乗って、黒い私服を着た三人の、警察官と思しき人間が待機していたのですね。

  は、ハーン。『これが、偽者なのだなあ』と思っていて、帰宅してパソコンを開いたら、案の定、偽者・暴走族・特有の音が山ノ下から響き渡ってきたのです。

  で、こういう文章を書くので、警察署そのものが、移転をしてしまいました。駅より南側に下がったところに移転をしたので、私が帰宅時に、その様子を観察することが無理になったのです。

  デモ、今でも、音は聞き分けることができますよ。本物と偽者は、相当に違います。本物は一台ずつは、それほど、大きな音を出さないで通ります。今は以前ほど、突っ張っていなくて、住民の迷惑も顧慮している模様です。ただ、数が圧倒的に多いので、低層で重みのある音になります。

  一方で、偽・暴走族は、音でいじめようとしているので、一台ずつが、けたたましい爆音を上げますが、高音であって、軽いです。ぜんぜん違います。それから、私をいじめることだけが目的ですから、ルートも違います。本物は山ノ下を一回だけ通ります。だが、数が多いので、藤沢へ抜けるまで、15分程度、音が続きます。少しずつ小さくなりますが、15分程度、低音で、重層的な音が響きます。デモ、偽者は、八幡宮様の周辺を何度も周回します。だから、音が小さくなりません。それで、すぐわかります。

   と言うわけで、井上ひさしだけは、鎌倉市内に響く音が、鍵となって、彼が生きていることがわかるのです。「井上ひさし・・・・・うんぬん」と自分のパソコンで書くたびに、妨害用の音が響くからです。2010年の、2年後ぐらいまで、それが続いたので、確信を持っています。

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副題13、『金曜日と、土曜日に、二度も暴走族が、我が家の山ノ下を通りましたが、両方とも、偽者でしょう』

 この文章を一回、木曜日に書区前に京急駅二箇所に、ガードマン現れ、それも嫌がらせだったわけでしょうが、さらに、下稿としていて、書いている最中に、地震が起きたわけです。最近のそれも、何か、重要なことを書いている最中に、震源地も震度も似たものとして、起こされていますので、おや、おや、二度目ですか? と、そちらの頻度に驚いたわけですが、(別にゆれることには驚きませんよ)、それを実際には、描いたものの、外へ公開しないで、PC内に保管をしていたわけわけですが、出した後で、それを否定するかのごとく、二回ほど、暴走族が、現れました。山から下りるまでに、時間がかかるので、目視したわけではないのですが、その二階とも偽者だと思います。ただ、動員するバイクの数は増やしたでしょう。だが、本物とは、まだ、微妙に音が違うし、コースも鎌倉市内に現れる時間も違います。

 この文章は、後で、さまざまな、リンク先を見つけておきます。また、加筆の可能性もあります。特に神の視座で言えば、杉本家が決して幸せいっぱいではないという人が多いので、なるほどと思っています。その件ですが、種々さまざま思い当たることがあります。

 名誉やお金を得ても、反対に、大切なものを失うことがあります。たとえばかわいい孫などね。?!?!? 私の方は、お金や名誉がなかったのですが、母が、結局あんたのところが、一番華やかになったねと言うほど、幸せであります。

   この問題は、文章としての面白さを、生成したり、文章としての、起承転結をつけることができません。で、本日は超部分的に、杉本家の過失(?、または、世智に長けすぎていること)を防衛するために、急造をされた生垣を中心に語りました。

 誤変換が残っていると思いますが、日付と署名を入れて起きます。

   2013年11月30日    雨宮舜( 川崎 千恵子)

なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1914849です。

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東電分社化? 安部さんは、トルコに原発を売るんですって?

2013-11-29 21:45:27 | 政治

東電分社化? トルコに原発を売る? そのトルコが、私的には夫婦の喧嘩と仲直りの岐路だった

副題1、『東電分社化? それは、ひどいですね。まずいですよ』 

 以前、週刊朝日が、2013年11月22日号(実質的には、11月11日に発売をされた号)で、小泉純一郎産の、原発全廃論を取り上げていることを、私は、ここで、言及しました。主に、朝日新聞系列が、軽いというポイントでです。 

 小泉さんのおっしゃっていることは絶対に正しいのですが、ある種の、不思議さがあるのも否めないのです。まず、小沢一郎氏と結ぶはずだと、言われているのが解せないし、ずっと、小泉批判をしてきた朝日新聞系列が、どうして、今、これほど、持ち上げているのですか? と、そこも不思議で、なんとも、素直には信じられないのです。

  それに、私の文章を一生懸命否定をしようとしている人々も居るので、本当に大切なことには口をつぐむことにしている私は、小泉さんが、これを言い出してもずっと、黙っておりました。 

 だが、軽い調子で、「小泉さんを東電社長に」、と言う惹き句をみて、びっくり仰天して、初めて文章をひとつ書いたのです。(後注1) 

 だけど、その記事にも功罪のうちの功績がありました。私はNHKニュースとブラウザのgoo livedoor の二つが、他のところから選んで、紹介するニュースだけしか読んでいなったので、東電を分社する予定があるということには、気がつきませんでした。

  それに、気がつかせて、くださいました、その号の週刊朝日には、感謝至極です。

  これは、ひどいですね。ひどい、ひどい決定です。

  つまり、部分的、もしくは、業種的に、分けるのだそうですが、発電と、送電を分離するだけではないのだそうです。

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 副題2、『廃炉作業部門だけを、分離するとは、切り捨てるということでしょう? ひどいですね』

  その分社化ですが、二つではなくて、4つか、5つになるらしいです。これは、私は、きちんと全部は、把握していません。三菱銀行のロビーにおいてあった週刊朝日をチラッと読んだだけですから。

  ただし、そこに、チラッと書いてあった、<フクシマ第一を、別会社にする>というのには、びっくり仰天です。ひどい話だと思います。それは、儲からないので、別会社にして、東電が、儲かる会社に直すという発想らしいのです。

  だけど、そちらに追い込まれた社員は、どんなに、破滅的な人生に入るかしら? すさまじくも苦しい人生となりますよ。誰が、そこへ行く? それを現在の東電社員の中から、選任するとなると、分社直前に、東電は、完璧なブラック会社になります。

  そして、切り離して、本体として残った部分には、3.11当時、社長だった清水氏みたいな男性ばかり、底に残って、これまた、何も将来を考えない、近視眼的な、ひどい会社となるでしょう。清水氏って、栄光学園から、慶応だったかな? それとも、東大? ともかく、ああ、神奈川県出身なんだと、言う認識を持っていますが、私より若いので、小学校四年生ごろから、受験勉強に励んだ、いいおうちのお坊ちゃまでしょう。

  だけど、コストカッターとして、有名で、東電内では、出世コースだったが、いざ、3.11が起きたら、「病気になりました」と、言って、雲隠れしました。ものすごく無責任です。紳士の毛皮を着た、卑怯者です。誰もきちんと批判をしていません。そして、あの当時、一生懸命やっていた菅直人元総理大臣が、攻め立てられ、いじめられ、責任を問われています。ナンだったかな。ガス抜きが遅れたとか何とか?

  おかしいです。

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 副題3、『・・・・・核燃料とは、どれほど、人類にとって、困るものであるか・・・・・と言う主要な部分が、いまだに隠蔽されている』

  これはね。どういうことかと言うと、・・・・・核燃料が、人間生活にとって、悪魔的に、ひどいものであることが・・・・・ばれてしまうのは、絶対に困るので、清水社長などの責任を問わないのです。清水社長の責任を、徹底的に、問うと、どうしても、そこの真実に触れないとなりません。

  今、安部総理大臣は絶好調らしいです。?!?!?

  言葉遣いは、上品で、声は美しいです。だから、温和に見えますが、実行をされていることは恐ろしい独断専行が多いです。でもね、それほど、独裁的な、暴君とも見えないので、これが、安部さん一人で、考え出し、実行している政策とはとても思えません。

 それに、野党も真剣に戦っていません。また、メディアも持ち上げている?ば?!?かりです。反対に、菅直人元首相など、あっちこっちから、矢が突き刺さっていました。

  松本龍大臣が、宮城県庁の広い応接間で、村井知事に、待たされて、待たされて(それが、引っ掛けだったのですけれど、引っかかってしまって)、激怒して、威張りかえった言葉を、隠し撮りされて、NHKが、流しまくり、それに対して、庶民が、嫌がったり、怒ったりしていますと、少数の、意見を、取り上げて、国民世論を誘導したことを皆さんは、どう、ご覧になっているのですか?

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 そして、それに協力した村井知事を、最初の地方訪問で、訪ねたのが、キャロライン・ケネディ新大使でした。ただ私は十分にその種のことが起きるのは、推察していましたよ。そして紺ののセーターと、紺のパンツの、お尻がぷくっともち上がっているキャロラインさんの見事なプロポーションを楽しみました。

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 そして、総理大臣個人に対する、不信任案提出ですって? 谷垣さんと、小沢一郎氏が手を結んで、それを、実行をしました。松木健公と言う小沢チルドレンが、男を貫いて、党を出たのですよね。その後、小沢氏も離党をしました。

  そんな、修羅場が、次から次へ起こったのに、安部さんに対しては、メディアからの批判がひどく弱腰であり、ほとんどありません。

  その安部さんがトルコへ原発を輸出するそうです。往年の、池田隼人総理大臣を思わせます。池田総理大臣は、どこかの国のトップから、「トランジスターのセールスマンだ」と呼ばれました。今、安部さんは、悪魔の発明物、原発のセールスマンです。恥ずかしい日本よ。

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副題4、『それって、国鉄を分社化して、JR北海道を切り捨てた感覚と同じですね。日本人って、どうして、そんなに、金権主義になったのだろう?』

 私はこの21日付で、JR北海道の苦境について書いています。根本的な部分が、収入にあるわけです。収入と支出のバランスが取れていなかったのです。でも、この日本と言う、大きな・くくり・で考えれば、東京圏で儲かっている部分のお金を、そちらに回して、それで、JR北海道も無事に生きていかれたのでした。

 なお、これは、この後に、いろいろ、加筆する予定もございますが、お待ちくださいませ。

  うーん。言うに言われませんね。2013年11月29日

      雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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08年頃、大三菱さんが、貴君は当行第三劣位の客であり、引き出しはできませんと言ったが?!?!?△

2013-11-27 03:06:23 | 政治

 28日の午前零時になりました。録画がたまっていたNHKのクラシック倶楽部を聞きながら推敲をいたしました。午前二時までに、19000字を書いて、推敲を終わりました。で、恒例の、△印を、タイトル横に付けておきます。

 ここでは、女流現代アーチストのミミ(仮名・日本人)が、2000年のニューヨークで、やったことを主に書きながら日本の銀行のデータがすべて、悪人達に把握をされていることをも、さらします。どんな個人のものもです。ただ、それが、事件化するかどうかは、悪人達の胸先三寸にかかっているのです。

 これは、前報(後注1)、の続きなので、副題は9から始まります。

副題9、『ボブ、ブラックバーンの伝統ある工房がつぶれたのは、日本人の若い女性の、ずるさのためだった』

副題10、『勝ち組になれば、幸せだとは限らない。そして、幸せになれなかった人間は、他人をいじめる』

副題11、『結婚は、契約であることは確かだが、打算のレベルが、深すぎると、安心感をもたらさない。特に経済的な安定も大切だ』

副題12、『ミミのだんなは、お金の稼げない、男性の様だった』

副題13、『私はとっぽい天然であって、自分が金持ちである事にも一切気がつかなかった』

副題14、『08年か、09年ごろ、大三菱銀行さんのATM画面が、<あなたは当行・劣位第三位の顧客であり、引き出しができません>と言ったが?!?!?』

副題15、『青山で、湘南信金のカードが利かなくて、ヒヤッとしたが』

副題16、『湘南信金を、語ることこそ、その3年後(または、4年後)の醍醐イサムの問題に通じるのだった』

副題17、『松沢茂文元神奈川県知事の、禁煙運動(後に、受動喫煙防止運動と名前を変えて行くが)も、全部私への婉曲ないじめです』

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副題9、『ボブ、ブラックバーンの伝統ある工房がつぶれたのは、日本人の若い女性の、ずるさのためだった』

 ところで、1999年は、事前に何も知らなかったので、間違えて大学院へ行ってしまったわけですが、次の年には、前年に調べておいたことを生かして、マンハッタン島の中の、伝統ある工房へ、所属しました。そこは、400平米ぐらいの広さがあって、版画を作るプレスと言う機械が、リトグラフや、シルク・スクリーンや、エッチング用に、各種10台は置いてあり、他に独立した事務室、VIPが作業する室、作品保管室、薬品を処理する部屋、暗室などもあり、北と南に開放(窓)部分があって、ごみ処理室(四畳半か、6畳程度)もあったし、道具類も充実している、すばらしい場所でした。

 ただ、私が作業をした2000年には、すでに落剥の気配はありました。所長が病気で、ここに、来られないので、使う人たちが勝手な事をやっていて、人々が、使用料を払わなくなっていたのです。部屋は1100ドルで借りているという事で、それは、日本円で、14万円以下ですから、信じがたいほど安いのです。一人つきに、5000円の使用料を払えば、40人はいるはずですから、一月、20万円になるので、電気と、水道料を込みでも、十分にやって行かれるのに、ほとんどの人がお金を払わないようになってしまったのです。

 それは、ミミ(仮名)と言う日本女性が、モニター制度と言うのを作って、自分を含めて若手12人が、お金を払わないで、使えるようにしてしまったからでした。『一週間に一度、版画工房に来て、二人一組で、事務員をする。と同時に、掃除もする。だが、版画制作もしてもよい。で、アルバイト料をもらえない代わりに、使用料も払わない』と、言う制度です。6時間滞在すると、6千円のバイト料が、普通なら支払われるはずですが、それを、月四回やっても無報酬です。一見すると、すばらしい制度のようですが、主要な版画家が無料で使っていると言うのはモラールを著しく落としてしまって、誰もお金を支払わないようになっていたのでした。

 で、私が帰国した9ヶ月後の2001年につぶれます。私は財政を管理しているボランティア事務員から、内情をすべて聞いていたので、ミミを、内心で憎みました。実際に、版画工房がつぶれて、その1年後に、ホアレスと言う貧しい南米出身の版画家が、61歳で、孤独死をします。彼は、毎日そこへ通っていた、ボブ・ブラックバーンの版画工房と言う、行き先場所を失ってしまい、と、同時に、生きがいも、失ったからでしょう。ミミは、たくさんの、罪作りをしています。

 そのミミが、2000年の秋に、私に嫉妬して、大変な意地悪をするので、仕事がはかばかしくできません。

 彼女は、本当は六時間工房に滞在していないといけない制度なのに、だいたい、夜来て、二時間程度しか居ません。そして、パリの骨董市(クリニアンクール)で買ってきた古いタイプの実物の鍵をなぞって、作品を作ります。まるで、小学校低学年の仕事です。

 ある日、「早く帰ってよ。あなたが遅くまで、仕事するので、私だって、帰れないじゃあない」と、彼女が怒鳴るので、「私、鍵を持っているから、先に帰って。自分で、後始末するわ」と答えると、「じゃあ、電気、全部消して帰ってよ」と言うので、「わかった。でも、ごみ処理室のスイッチは、どこにあるのかしら?」と言うと、フンと言う感じで、教えてくれないのです。ごみ処理室は、いろいろなものが置いてあって、私が見つけようとしても見つかりません。日本で、良くそれがある、ドアそばの位置にスィッチがついていないのです。そこが、アメリカと日本の違いでした。

 ごみ処理室と言うのは以前にも話してあるかもしれませんが、表のそれとは別の大きなエレベーター(3畳程度)がついていて、郵便やさんとか、ごみ処理業者が、出入りする部屋で、大きさは、4.5畳以上はあります。版画工房って、大量のごみが出るので、冬は、午後、4時ごろから、または、一日中電気が点いている部屋です。

 で、とうとう、私も伝家の宝刀を抜いて、「あなた、私、ここに使用料として、一月につき、500ドル(6万円)払っているわ。反対に、あなた、は、一銭も払っていませんね」と言ったのです。

 海外の工房は専門家向けに運営をされているので、所属する人は皆、鍵を、もらいます。ビルそのものに入るのも自由ではないし、鍵は絶対の必需品です。後は、自己責任で、自由に使用してよいのが、常です。彼女は、先輩面して、ただ、威張りたいだけです。そして、いじめたいだけなのです。欲求不満があるので、他人をいじめて憂さ晴らしをしたいだけなのです。

 でも、その、彼女が今まで、自分自身に対しても、隠していて、認めまいとしていた、最もずるい部分を、私が、指摘した途端に、ミミは、わなわなとひざを震わせて、口も利けなくなりました。そして、きびすをひるがえして、逃げて行きました。その後、私が帰国するまで、一回も、・・・・そうですね。お当番の日にも・・・・・来ませんでした。弱い、弱い人間です。弱い犬ほど良くほえるの典型です。彼女がずるいやり方をしているのは、事実ですから、常日ごろ、それを、自覚しておかないといけません。自覚があれば、謝罪するなり、言い返すなり、何かができたでしょうに、ただ、パニックに陥って、逃げ帰っていきました。

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副題10、『勝ち組になれば、幸せだとは限らない。そして、幸せになれなかった人間は、他人をいじめる』

 ここでは、ミミが具体的にやって来たいじめについては、詳細を書いていません。私は、『自分の被害を語るのを、止めようと思って居ます』と、たびたび言っています。今の朝ドラ、ごちそうさんを、この一週間見ていませんが、小姑のいじめはどうなりましたか?

 その小姑ですが、婚家先で、苛め抜かれて離縁をされて帰って来たという設定になっています。だから不幸を味わっているわけで、それゆえに、主人公を苛め抜くという設定になっています。主人公は、自分より弱いものとして、新しく、この家に入って来たからです。

 ミミがどれほど、不幸せな人かを、これから語って行きたいと思います。それも、前の章で、述べたテレビゲームばかりして、2歳の子供の面倒を見ない若奥さんと同じで、ミミ自身は、気が付いていません。40過ぎているのだけれど、自分の本当の姿には気が付いていない段階です。いや、気が付いてしまったら、暗澹たる気持ちになるので、気が付かない振りをしているのかな?

  同じく前の章にで出てきた、これも私を苛め抜いた、あさこ(仮名)は、地方しか知らない人間です。反対に、ミミは東京で、生き馬の目を抜く生活をして来た人間です。「雑誌の編集をしていた」と言っていました。で、「なんと言う雑誌?」と、聞いても雑誌の名前を、答えてくれないので、そこで、何らかの挫折があったと、私は、推察しています。

 だいたいのところ、・・・・・3歳ぐらい年上に、かっこいい男性社員が居て、恋愛に陥ったが、失恋をした。その男性社員は、自分が最も嫌っている別の女性と結婚をした。 ・・・・・悔しい。負けちゃった。これじゃあ、もう、日本には居られない。そうだ。ニューヨークへ行こう。そこで、かっこいい男性を捕まえる。白人で、金髪で、性格は、優しくて、資産は、『麗しのサブリナ』に出て来る、ダークボガートの様な金持ちよ・・・・・と、夢を見て、ニューヨークへ来たのだと私は推察しています。

 しかし、ニューヨークで、現地企業である出版社に勤めることは、ふつうの日本人にはできません。英語力も、卒業大学も、彼女程度では、ニューヨークでは、まともな、就職はできません。無論、日本企業にも、入れないのではないかな?

 となると、『日本に残してきた、昔の同僚に勝つ道は何か?』と、ミミは真剣に考えたでしょう。そして、『オノヨーコか、草間弥生になれば、いいのだ』と思い到ったと、私は推察します。で、ミミは、現代アートに目をつけ、コンセプト重視の作家となったのです。

 現代アートって、ある『特異で、新規な発想』を持って、何かを作り、それが、ヒットすると、有名人になれます。

 ところで、そこが、問題なのですが、私は抽象画系統の作品を作っている人間ですが、コンセプト重視の作家ではありません。伝統的に色とか、形と言う部分で、美を追求している作家なので、ミミの大演説を聞いていても、ちっとも納得できないし、尊敬はできません。

 ただし、ニューヨークに住んでいると言うだけで、日本の美術評論家は、非常に甘い判断を下します。ミミが単に、実物の鍵を拡大したり、または、実物の鍵をなぞって、作品を作るだけで、もう、大騒ぎで、ほめまくるのです。この後者の方を2000年当時は、準備中でしたが、私のパソコン内下書きが、誰かの讒言と言う形でニューヨークに居る彼女まで届いたのか?、それとも彼女自身が、私の批判の目を悟っていたのかは、どちらかは、知りませんが、さすがに、日本では発表をしておりません。発表をしたら、彼女の日常のあくどさを、より私が、鮮明に語ることができますので。

 その次の年度とか、その次の次の年度は、どうしたかのかしら? 無料で、使える工房が無くなったので、どうなったのかなあ?

 ミミは、勝ち組になるために、現代アートをやっているので、コンクールにターゲットを絞っていて、一年間に、一作だけしか作りません。その作品には、コンクール用に、コケ脅かしと、ごまかしと、だましが込められています。実際に、そばで、その制作過程を見ていると、それが、よくわかります。

 もう、版画は作れないのではないかな? ただ、彼女は有名版画家の摺り師もしていると、聞いていますので、その人の作品を作る名目で、他の工房に、もぐりこんだかもしれません。そして、その有名人の摺りをやる傍ら、ちょっくらの、時間で、自分が、コンクール用に応募する、一年一作の作品は、今も、作っているかも知れません。私は、帰国二年目には、彼女への関心を失ってしまいました。で、コンクールの結果を含めて、その消息を知りません。あさこの消息も、聞こえて来ません。

 ただ、2000年の秋には、私の目の前で、一回、日本のある地方コンクールに、通ったことを勝利の証拠として、突き出していました。それを最大限に利用して、アメリカ人たちに、威張りまくっていました。だから、ただで、自分が版画工房を使えるシステムを作り出し、それを、皆に受け入れさせたのです。

 私は同じコンクールにその2000年より前の、1997年と、1998年に、2回ほど、ミミと同じランクで入選していますが、油絵だったので、その成果については、何も、ミミには告げていません。他にもいっぱい、それと同ランクのものには、入選しています。だけど、子供っぽくて未成熟なミミと張り合う気持ちはないので、ただ、黙っています。

 だから、彼女は、私への勝利感いっぱいで、威張りかえっていました。

 彼女は、本当に、しつこくいじめて来ます。が、他のメンバー、特に外人たちの方は、まったく意地悪をしません。主体性があるので、他人を気にしないのです。特に私は日本へ帰るわけですから、アメリカの印象もよくしておきたいということで、みんな親切でした。

 ただ、ミミだけが、他の弱い立場の日本人を味方につけて、数の力も利用して、私を執拗にいじめてきます。で、それがどうしてなのかを、私は、追及し始めます。

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副題11、『結婚は、契約であることは確かだが、打算のレベルが、深すぎると、安心感をもたらさない。特に経済的な安定も大切だ』

 私は女流画家には結婚を勧めないのですが、そういう仕事を選ばなかった女性には、よく結婚を勧めています。と言うよりは、『今、結婚をしている人は、離婚をしないように』と勧めています。と言うのも65歳を過ぎてから、やっとですが、結婚の意味がわかって来たからです。結婚しているという事の本当の意味は、老人になった時に、助け合って生きるためでした。一人だとできない事を、二人で、やっとできるという年齢になって、初めて、安心できる共同生活者が居る事のありがたみを味わっているわけです。

 特に収入が落ちますので、倹約しないといけません。「一人ぶちは食えないが、二人ぶちは食える」と昔の人が言ったように、二人で、暮らす方が、生活費も安く済むのです。

 でね、少し前までは、日本人女性は、三高といって、条件にばかりこだわる悪い側面があると思っていました。背が高いこと。給料が高額だということ。学歴が高いことの三つです。だけど、就職難と、給与制度の改悪を経て、だいぶ変わってきたかしら? 年功序列制度はあてにならなくなっていますし、結婚そのものも、できたらラッキーと言う時代に、なって来ました。

 ミミがニューヨークで、白人のだんなさんをゲットして、正式な結婚に持ち込んだ事は、彼女がいじめる人間でなかったら、『偉かったねえ』と、ほめてあげたいくらいです。『ニューヨークに自分固有の、レットバトラーを探しにやって来ている大勢の、日本人女性のうちで、実際に、白人と結婚ができている人は、少数だ』と感じています。だから、『ちゃんとした白人と結婚できて、さすが、元雑誌編集者、全方位に目配りができていますね』と、ほめてあげたいのです。

 ところが、版画工房で、ほとんど、『こんちくしょー』って言うニュアンスで、夫の悪口を言います。それにミミ自身に、お子さんの居ない妻が持つ、お色気と言うのがありません。

 そこで、突然にわかってきたのですが、『絵に描いたように、計画通りの結婚だけど、そこには、心がこもっていませんでした』という事が、です。ミミは、ありとあらゆる意味で計画通りに動いているのでした。だが、ある現象がもたらす、幸せ感、と言うのとは、ほど遠い人だったのです。ここで、ある現象と言うのは、結婚とか、版画制作をさします。私なんて、今思えば『子供ができたことは幸せだったなあ』と思いますし、版画は作るだけで、とても面白く感じます。コンクールなんかに通らなくても創造するだけで、面白い現象です。

 ミミは、一週間に一回来て、1時間半程度制作します。私は毎日、8時間制作して、土日もなく、70日間は連続して制作します。が、飽きるという事はなく、自然に、しかも、心底、打ち込めます。それほど、楽しい時間です。

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副題12、『ミミのだんなは、お金の稼げない、男性の様だった』

 ミミが版画工房に、夫を伴ってきたことがあります。彼を一目見て、ミミが、どうして、毎日いらいらと、だんなの悪口を言うのかの、理由が判りました。格好のいい青年です。髪は金髪で、マッシュルームにしています。日本で売っている絵本の中に出てくる、西洋の王子様にそっくりです。で、それ以降、私は、彼をひそかに「プリンスちゃん」と呼ぶことにしました。どうして、ちゃん付けかと言うと、とても背が低くて、私より小柄だからです。 だから、男性としての、フェロモンがありません。で、ミミは常にいらいらしています。他の男性の味も知っているのだと思います。形としては、すばらしい結婚をしたし、ご主人はミミの最高のアクセサリーであり、勲章でもあります。が、女としては、満足ができないのでしょう。

 そして、プリンスちゃんは、お顔も子供っぽい。だから、苦労知らずで育っていて、実家はお金持ちのはずです。職業がクラシック分野の作曲家ですから。

 でも、それって、お金の儲からない分野です。音楽でお金が儲かるのは、アメリカだったら、ロック歌手で、ヒットを飛ばしているか、ま、ともかく、テレビに出て、有名にならないと、お金にはならない世界でしょう。ミミが現代アートの作家で、妻の方も収入としては、月給ではないので、不安定な仕事です。お金にはなりません。両方が、収入が少ないのです。

 上の方に、母親との確執があったと、例に挙げている若い奥さん(といっても、ミミと同世代かもしれない)は、日本に在る実家が、お金持ちです。父親はたぶん社長族でしょう。今のお金に直して、月収が、150万円か、200万円以上は、あるような家庭のお嬢さんです。ミミは違います。実家にお金の側面で頼るわけには行きません。

 芸術家は、先代か、先々代が、裕福だった家に生まれます。でも、ミミとの結婚を、プリンスちゃんの親側が、喜んでいなかったら、そちらからの援助は、息子のお小遣い程度の額に落とされて、二人分の、生活費までは出してもらえないと思います。ミミはアメリカの名家のお嫁さんには、とてもなれないというか、認めてもらえないようなタイプです。どうしてそう思うかの説明は、省きます。具体的なことを書くと、気の毒ですし、私の人格が疑われるから。ただ、夫側の実家からの、支援を当てにした結婚だったら、思惑が外れたとなります。

 ミミは、内心で、不安がいっぱいだし、実際に、生活は苦しいと思われます。それは作品を見ていると判ります。ミミは、版画用、色インクとしては、3000円程度のシャルボネを一缶しか持っていません。で、毎年、コンクールには、同じ薄緑色の、作品を出します。一年に一作品鹿作らないから、5年間は、一缶で、持つでしょう。

 一方の私ですが、カドミウム系の、5000円はする高いインクを、何缶も机の上に放り出していて、しかも、一般多色摺りと言う特殊な版画制法では、ガラス板に大量のインクが残ります。それを、日本では、布切れ、アメリカでは、新聞紙とか、キッチンペーパーで、拭い取るのですが、20回以上、溶剤を使ってぬぐわないと、きれいにならないほど、大量に余します。無駄を出します。

 で、その頃の、私の生活って、100万円の札束で、ミミの横っ面を、張り倒すような生活だったとも言えるのでした。紙も大量に買うし、食費も使います。お昼は、惣菜類を買って工房へ、帰って食べるのですが、今考えると、8ドルから10ドルは買って帰っていたから、大変に贅沢な暮らしだったのです。日本円に直すと、ランチに、1200円ずつ掛けているという生活です。

 だけど、私としては、三ヶ月しか居ないのだし、朝と夜は自宅で、作って食べるのだし、昼だけ、外食にするのは、当然の事でありました。大きな体力を使う工法の版画をやっているからです。金属の芯が入っている重いローラーを二本、数百回、回転をさせる工法です。

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副題13、『私はとっぽい天然であって、自分が金持ちである事にも一切気がつかなかった』

 そして、自分の金遣いの荒さを、うらまれているなどと言う事にも、当時は一切気がつきませんでした。実は高校の大先輩から、「あなたって、ずるいと言ってよいほど恵まれていらっしゃるのね」と、20年ぐらい前に言われましたが、実感としては、別に!と言う感じでした。

 あのね、自分の胸に手を置いて、どうして、自分が金銭的に恵まれているかを、今、考えて見ています。単に両親が金持ちだったということ以外のポイントがあると思います。私はね。自然に周りに居る人を愛しています。演出が下手なので、誰もそれに気がつかず、感謝の言葉を放ちませんが、母が最終段階で、どれほど、私が老人ホームに来るのを待っていたか、私には手に取るようにわかるのです。他の人と同じく、若い時期には、お定まりの、母との確執もありました。だけど、最終段階では、母は子供のように私を慕い、頼ってくれていたのです。

 それと、こちらも仲が悪かった(?)時期もある、姑でさえ、「千恵子さん、そんなに根をつめると、体を壊すわ」と言って、心配してくれたほど、何事でも一生懸命やるタイプです。今は文章を書いて、世の中の人に真実を知らせるということを、熱心にやっています。そういう作業、すべてに対して、金銭的にも名誉の側面でも、お返しは、もらっていません。だから、母からとか、父からの遺産と言う形で、金銭的な救いが来るのだと思っています。天の采配だと思っています。

 ただ、それでも、使い方が、あほだったので、貧乏にもなりました。ただ、貧乏の実態って、実際に経験しないと、判らないものなのです。それに貧乏が、不幸だとは思いません。貧乏だと、工夫をするし、気が張って来て、とても、しっかりします。そして、物事を丁寧に考えるようになります。富裕層が幸せだとは、限らないのは、テレビドラマの世界だけの事ではありません。貧乏は、また、それなりに、人間を活発に、させます。

 私は父からの遺産の残り、2400万円を、版画修行で、使い果たして、残り600万円になって、夫の元に戻ったのですが、勝手に一人暮らしをしたので、その時から、いわゆる、生活費を渡してもらえないようになりました。当たり前ですね。(笑い)

 主人も肉や野菜や、お米と、いっぱい、買い物をして来てくれますが、ここは石段で登る山の上なので、主人にばかり重いモノを運んで来てもらっては、道義上、申し訳ないので、私も買って来ます。だから、600万円を、一部分ずつ、毎日、使うので、相当に、困窮して来ました。すべてを使い果たす直前に、母が、「毎月五万円ずつ、送ってあげるわ」と言ってくれて、さらに、「遺産として、将来、これこれのものをあげますよ」と言ってくれたので、心に余裕はありました。だからこそ、6種類の本を800部ずつ、出版する事ができたのです。ただ、皆さんは、私費出版でしょうとおっしゃるのですが、自分がデータ作りの段階までは、すべてをやりますので、他人(特に私費出版の会社)に頼むよりは、安くできますよ。

 が、実際には、目の前に、お金がなくて、毎週、二回東京へ行く際は、貯金を4000円だけ下ろして行くという日々を、4年か、6年ぐらい続けたのでした。その頃、柳沢昇(かまくら春秋窯の現在の主宰者)の、ゴルフ会員権と言うものが、はがき印刷と言う形で、我が家に誤配達をされたり、した頃です。それは、無論のこと、私が湘南信金で、4千円ずつ下ろしている事を、からかって来ているわけです。ですから、私の文章は、何をどう書いても、政治と連結してしまいます。

 元に戻ります。その貧乏暮らしで、ミミの、200年当時の私へのねたみや怒りを、やっと理解できるようになりました。

 ニューヨークの芸術家って、それで、食べて生きていかれるところが、日本よりあるので、他の仕事につかないのです。それで、日本人アーチスト達より、数段のレベルで、収入が少ないのです。それでも平気なのは、創作をする人間が、欧米では、高い評価を受けて、敬われているからです。

 日本はだめです。アーチストだと言っても、お金が無かったら、「へっ」と言う扱いです。金権主義ですからね。だから、何とかして、別業もキープしているので、作家(美術系)は、ニューヨークでの、それほどは、貧乏ではありません。

 が、その私が、お金に苦労していた時期には、日本の銀行を利用して、いじめられまくっても、いました。パリやニューヨークでの、出入金は、シティバンク・ジャパンを利用していて、そちらでは、それほど、おかしな事はなかったのですが、日本では、すさまじい事が連続して起こりました。

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副題14、『08年ごろ、大三菱銀行さんが、あなたは劣位三位の顧客であり、引き出しができませんと言ったが?!?!?』

 あのね、その4千円の引き出しは、必ず、湘南信金と言う銀行の通帳とカードでやっていました。収入は、母の仕送りをはじめ、年金も、すべて、三菱銀行に入っていましたが、三菱銀行で、一回に4千円ずつ下ろすのは、さすがに、気がひけて、できませんでした。横浜銀行も神奈川県に住んでいると、それがよく判りますが、大銀行です。だから、そちらでも、できません。で、湘南信金と言うのを利用していました。

 三菱銀行のカードが、ATMで『このカードは劣位三番目のカードなので、おろせません』と言ったりした時期です。ATMが、そういう画面を出した後で、そのままフリーズして動かないので、銀行のスタッフをインターフォンで、呼ぶと、彼らも、さすがにびっくりして、直そうとしてくれました。が、「どうしても、元に戻らないので」と言って、急遽、五時半ごろでしたが、新しいカードを作つてくれました。

 そのびっくりさせられた日より、20年は、さかのぼる、1986年ごろは、三菱銀行・鎌倉支店の二階の、応接室で、「川崎様、どうか、こちらへ。いろいろ、お話をいたしましょう」と言われていた人間が、まさしくジェットコースター状態の転落ですが(笑い) 

 その当時は、父の遺産の相続税が、遺言書相続であって、全体の額が高かったので、私は、遺産の、四分の一、1300万円を納税して、鎌倉市の高額納税者第18位になっていたのでした。だから、三菱銀行鎌倉支店での、厚遇もあって、当然の措置でした。

 ここで、挿入となりますが、三菱銀行鎌倉支店が、日本一、預金高が多いと言うのを、皆様はご存知ですか? それは、個人客が金持ちだからでは無いそうです。個人客が、もっともお金持ちなのは、この間、ストーカー殺人事件が起きた、吉祥寺周辺(場所は三鷹といいますが、利用する駅は吉祥寺です)、または、川崎市、高津区? または、横浜市、青葉区?または、世田谷区、上野毛、または、大田区、雪ガ谷?かなあ? みなと未来や、武蔵小杉、または、秋葉原のタワーマンションに住んでいる人も、お金持ちかもしれません。田園調布は二代目、三代目に入っているので、意外と、収入が落ちている人が、住んでいるのではないかと、私は推察しています。

 鎌倉には神社仏閣が多いのです。そして、大仏様は入園料を取りますね。また、他の神社仏閣も、それぞれ、レストランを経営したり、お定まりの幼稚園を経営したり、結婚式を執り行ったりしています。そして、お賽銭が入る有名な神社もあるし、お墓の管理なども、定期的な収入となります。そして、神社仏閣さまは、投資には、危険を冒さないそうです。株などは、買わないのです。金(ゴールド)はお買い求めになるかもしれません。が、ほとんどが、銀行預金なのだそうです。

 だから、鎌倉支店は、他行も含めて、大金を管理運営しているみたいです。どうして、みずほさんが、旧富士銀行を生かして、他行に比べて、目立たない場所に、今の支店を設定したのかは、不思議です。駅前の目立つ位置にあった、旧・第一勧銀のほうをどうして、生かさなかったかが、不思議ですが、借地だったのかなあ。ま、それは、余談ですが。

 ところで、二つ目の、余談ですが、旧富士銀行のATMで、何かがトラぶって、夏八木勲さんが、スタッフに文句を言っておられた姿を覚えています。・・・・・その頃は、お元気で、背も高くて、やせてもおられず、皮膚もパンパンでしたけれど・・・・・

 元に戻ります。と言うわけで、三菱銀行鎌倉支店は、三菱銀行全体の中でもトップ級の支店なので、スタッフが優秀で、若い人だけの判断で、即座にカードを作り直してくれました。それだけでも、銀行は救われたのですよ。だって、大三菱さんが、主役となって、こんなひどいことをやっているとは思わないで、済んだからです。

 他の銀行のカードで変なことがあると、すぐ、気がつくように成りました。敵が攻撃していると言うことを。

 特に、証券会社への納入金は、期限があります。株を買った後、4日以内に支払うと言う期限があります。それを狙って、わざと、カードが利用できなくされたことがあります。IT的な仕組みは破壊が、容易なのです。銀行側のATMにバグを入れれば、すぐおろせませんとなります。三菱銀行出、使った、脅しの手は、昼間は使えませんね。他の人がそれを見ると、びっくりするでしょう。で、カードを入れると、単純に、このカードは無効になっていると液晶画面が言います。

 そのときには、銀行の上位者が、対応してくれましたが、まったくだめな人間でした。

 大銀行の上位者なのに(これは、女性でもお仕着せの制服を着ていないので、すぐわかります)が、のらりくらりと、逃げ回って、親切な解決策を示して、くれなかったことには、怒り心頭に達しました。が、それも、鎌倉支店でした。

 『女性って、だめだなあ』と、自分が女性なのに、思います。視座が大きくないのです。だから、その銀行そのものへの、不信感を持ちますね。特に、きれいな女性が、上役だと、『う、この人って、女の武器を使って、出世したのではないかしら? お顔はきれいなのに、頭のほうが、こんなに、悪いもの』などと思います。サービス業は、いつも、お客の批判の目にさらされているのだから、マクロな視点に立って、よい処理をしてほしいものです。

 ただ、そちらは、面白くない話なので、ここでは、これ以上の詳細を繰り返しません。ユーモアのかけらもない話なので。

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副題15、『青山で、湘南信金のカードが利かなくて、ヒヤッとしたが』

 上の二つの件で、特に、三菱銀行の方は、夕方の鎌倉ですから、それほど、困惑するわけでもなかったのです。明日用の、現金を引きおろしていたわけですから。徒歩、15分で、自宅へ帰ることができますので、生きていくのが可能です。

 しかし、青山のセヴンイレブンで、現金が後、300円しか残っていないときに、湘南信金のカードが利かないのに、気がついたときは、ほとんどパニックに陥りそうでした。すでに、夜の七時を過ぎていました。画廊はすべてしまっています。青山の画廊は、毎週出入りしているわけでもありませんが、画廊なら、何とか、名前が通じるはずの時代でした。活発に活動をしている時期でしたし。

 また、その一年前まで、友達が青山・表参道付近の豪邸に住んでいました。だが、ご両親が亡くなって、引っ越したということも知っていました。そのころの私は、クレジットカードというのを使っていませんでした。あれは、いくら使ったかがよくわかりません。それを確認するために、毎回、記録して行くのは面倒です。それに、スイカとか、パスモは、GPS機能が付いていて、それを使って嫌がらせを受けるので、それも入金しておりませんでした。本当に青くなりました。

 が、自分の個人パソコンに、妨害が起きて、散々いじめられて来ていて、しかも、常に、突破しぬいて来ていました。

 私の大学時代のたった23人しかいない同級生に、古村浩三君という人がいます。フェイスブックの時代にはパソコンを使って、いじめてきたと思われる人物ですが、彼なんか、1966年ごろからニューヨークへITの勉強に行っている大ベテランのシステムエンジニアです。だけど、彼に匹敵するぐらいの頭脳レベルには、私は、すでに、自分が、なっていると思っていますよ。で、バグを無事に封じ込めて、現金を引き出すことができました。

 今、そのエピソードを書こうとしていたら、30分以上、パソコンが動かなくなったので、当時と同じ犯人が、私のパソコンを覗き込んでいて、妨害をしているのだと思います。

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副題16、『湘南信金を、語ることこそ、その3年後(または、4年後)の醍醐イサムの問題に通じるのだった』

 湘南信金は虐め用に使われまくりました。ただし、湘南信金さんが、自覚的に噛んでいるのは、2回だけでしょう。そのひとつは、大げさな形式の、小切手を、湘南信金が切ったということです。

 町内会の預金通帳は浜銀と、郵便貯金を使っています。で、町内の道路補修工事の支払いは、浜銀の通帳から、工事会社へ、振込みで、送金すれば簡単です。あとで、領収書を郵送してもらえばいいでしょう。200万円以下ですから、それでいいのです。

 だけど、わざわざ、町内会の回覧板が来て、『湘南信金を通じて、小切手で、支払うことになりました』と、言って来ました。これこそ、私の問題が、エージェントたちが絡んでいるという証拠なのです。すべて、政治的な問題です。そして、それは、今も終わっていません。中国の航空識別圏設定の問題も、ここから派生をしていますし、キャロライン新大使が最初の地方訪問として、宮城県を訪ね、村井知事と、握手を交わしている映像が、NHKに出ました。それも、私のブログと関係しています。

 その理由を簡単に説明すると、村井宮城県知事は、仙台に県庁があるので井上ひさしたち、エージェントの思いのままに動かされています。NHKが隠し撮りの手法を用いて、松本龍大臣(菅直人内閣時代の、復興担当大臣)を、陥れたのに、協力をしています。それをすでに私が、文章に書いているので、村井知事は、きわめて大切にされています。私の文章を、いつでも、どこでも、否定してやろうと、彼らは必死みたいです。

 ここでは、丁寧に説明をしませんが、最初の動機は上に上げた、柳沢昇の当時の奥さんにして、元、伊藤玄二郎の愛人だったと自ら名乗る、石川和子さんが、超が付くわがまま者だったことから発生をしています。

 彼女が、私の猫のことで、警察を巻き込む大失敗をして、また、その時にやってきた警官がさらに輪をかけた大失敗をしています。ここでは、その詳細を語りませんが、伊藤玄二郎は石川和子さんと、下半身の関係があったことを隠蔽して、自らを守るために、あれこれ、工作をしまくっています。が、すべてを私に、見破られていて、文章に書き表されるので、それで、なおさらに、追い詰められていて、次から次へと新しい工作をひねり出しています。

 が、石川和子さんをはじめとする、私の目の前に現れてひどいことをやりまくる、人間たちの源泉者は、彼でしょう。それに、協力をする人間たちも、すべて、流れを上流に向かってたどれば、伊藤玄二郎に行き着くでしょう。

 だが、目の前に現れて、実際に攻撃するのは、大原光孝さんと言うご近所住まいの画家であり、銀座で私にひどいことをした醍醐イサムと言う画家です。今は、それを集中して語りたいと思っている時期でした。ニューヨークの女性たちについて語るのもホンの前触れといった類です。

 というのも、この、湘南信金発行の、大げさな、小切手を使った支払井いの、相手方は、道路工事をした業者ですが、その工事は、大原光孝さんを、個人的に助けるものだったからです。彼が、私が、新橋のハナマサで買ってきたワインが、家へ上る石段の途中で割れたことに、目をつけて、私をからかってきたことから、端を発した工事だからです。

 彼が、その時、「川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ」と、からかってきたことを、私が文章に書いたからです。だから、やわらかい石(=鎌倉砂岩)でできている石段が、彼個人を助けるために、税金で補修をされました。さらに、彼が第二、第三の攻撃を繰り出してくるので、私が二回目として、この『ワインが割れて』をブログに、を書いたとたんに、テレビ東京の、アド街ック天国で、鎌倉小町通り特集が組まれ、鎌倉砂岩が、第二位に位置していたのも、そのせいなのです。

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副題17、『松沢茂文元神奈川県知事の、禁煙運動(後に、受動喫煙防止運動と名前を変えて行くが)も、全部私への婉曲ないじめです』

 全部で、180万円弱を支払いましたが、それは、半額だそうで、後は、鎌倉市の市税のはずです。この山に住んでいる人たちが、私への攻撃用スナイパーとして使われて、ざんざんバラで、冷酷ないじめを、やりたい放題でやったことの、後始末は、もしそれを、私が文章に書く限り、税金を使って、補修されて行くのです。(笑い)。私の方はすさまじい迷惑と損失をこうむっていますが、やったほうの人間は、税金を使って、自分達の失敗を糊塗してもらっています。

 どうして、そういうことが可能かと言うと、問題の人、伊藤玄二郎が、鎌倉でタウン誌、『鎌倉春秋』を発行していて、地域社会に、深く食い込んでいるからです。また、彼がエージェントであって、NHKも自由自在に動かせるし、友人の酒井忠康氏をまき込んで、銀座も自由に動かせるからです。

 そして、彼は、中央大学法学部政治学科の出身です。だから、地方政治の仕組みとか、どういう風に予算を組み立てさせればいいかを、熟知しているからです。だから、自分の手下達が、失敗をすれば、税金を使って、修正していきます。

 県民税も国税も、この山のスナイパーたちの失敗を、糊塗するために、めちゃくちゃなレベルで、多額に無駄遣いをされています。

 それをもっとも大きく采配したのが、松沢茂文(当時は神奈川県知事)氏であり、彼はその論功行賞で、都知事選に、出馬する権利を得ました。たまたま、石原慎太郎氏の心変わりで、実現をしませんでしたが、今回の参議院選に出馬して、何とか当選し(本当なら禁煙問題で怨嗟の的になっているので、ありえないだろうが)ました。大量の軍資金を手当てしてもらったみたいで、物量作戦を横浜駅の、特に東口で、展開をしていました。

 商店街が新しいので、禁煙運動に対応できたからでしょう。西口は、商店街が古いので、小さな店が多くて、分煙化などできないので、彼は、とても、恨まれているのですよ。

 禁煙運動の高まりは、私の『一本のタバコが、ベンチに落ちていて』(2005年)というエッセイを、つぶしてやりたいと思っている井上ひさし発の案でしょう。それは、すでに、どこかで、詳細に説明をしているので、ここでは、省きます。

 ところで、松沢茂文元神奈川県知事から、醍醐イサムへ戻ります。彼からの攻撃は大原光孝さんからのそれと、流れがそっくりなのです。二人とも、自分が、イケメンであることを自認していて、それをセールスポイントにしています。そして、ある時期までは、私と仲良しでした。平和な関係を結んでいて、なんら問題が無かったのです。だけど、仲良しをスナイ「パーに仕立て上げるのが、彼らエージェントたちの常套手段なのです。

 私はまだ、被害の実態を語っていません。三菱銀行のカードが「あなたは、劣位三位の顧客だから、現金が引き出せません」といって、ATM画面がフリーズしてしまったことなど、ホンの笑い話です。だから、堂々と何度も語っています。だけど、それ以上の深度の・あく・については、まだ、語ろうとは思いません。それは、私自身が語ることがつらいし、読者の皆様も、のけぞってしまうほどの恐ろしい話の連続だからです。だけど、長生きしないといけません。いつかは語ることのできる日が来ると信じているからです。

 なお、松沢茂文氏に対して、私は、何もたしなめることができませんし、謝罪をしてもらうこともできません。が、これだけは言えます。『こういう人を内部に抱え込んだ組織は、内部崩壊するはずだ』と。彼が引っ掻き回したわけでもないでしょうが、彼が所属するみんなの党は、最近、ごたごたしましたね。天とか、神を味方につけないと、党運営とか、国民の人気は得られません。だけど、一回だけでも、ひどいことを、こっそりと、県民にばれないところで、やっているずるい人を味方に引き入れると、天運に見放されるからです。

 松沢茂文氏は、民主党所属の議員だったはずですよ。みんなの党は、どうしてこういう人間を受け入れたのだろう?

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 なお、これから先に、湘南信金産後地震はあずかり知らぬところでしょうが、そこが場所として、どれほど、脅かしやら嫌がらせに使われたかを語る予定でした。それが、また、井上ひさしの実態を私に知らしメタのですが、すでに、19000字を超えたので、それは、別の機会に語らせていただきます。

 (後注1)

実母と、娘の確執は、娘の後日に、悪影響を及ぼすのだけど、それをいつ晴らすかが問題だ

2013-11-27 02:35:42 | 政治

 なお、このブログの、2010年度より数え始めた伸べ訪問回数は、1910479です。

  2013年11月27日、  雨宮舜 (本名、 川崎 千恵子) 

コメント

実母と、娘の確執は、娘の後日に、悪影響を及ぼすのだけど、それをいつ晴らすかが問題だ

2013-11-26 02:35:42 | 政治

 以下の文章は、2013年11月24日の、15:34:54に、最初は、アップしたものですが、自分としては、『相当に深いところまで、探求した文章だ』と、いささかの自信を持っている文章です。あっという間に、次のものをアップしてしまったので、お読みいただいた方が少ないと思い、ちょっと残念に思っているものです。今、次ぎの文章を準備中ですが、それが完成する間、こちらを、もう一回、お読みいただけると、幸いです。 なお、タイトルを、また、変えております。最初からは、何回も変わっていますが、直前には、『提婆達多(中勘助)』から問う。あなたは、シッタルダなのか? 提婆達多なのか?』としておりました。そのときよりも平易な、しかし、全体をあらわすものに変えております。

副題1、『ニューヨークの騎馬警官』

副題2、『しかし、若奥さんが、テレビゲームばかりしているので、子供が私に、なついて困った』

副題3、『その女性には、未自覚だが、確実なるモノとしての、母親に対する怨念が、あるのだった』

副題4、『母が、認知症になる前に、子供として、やっておくべき事』

副題5、『引越しに取り掛かるが、エレベーターが止まってしまう。1999年に、すでに、私は、敵さんに、囲まれていたのだった』

副題6、『私は何ものも恐れずに、アメリカを感得していく。きわめてみずみずしい心で』

副題7、『1980年代から1990年代にかけて、ニューヨークへ飛んだ日本人女性は、日本で、何らかの挫折を経験している勝気な性格の子が多かった』

副題8、『プラット・インスティテュートって、版画工房ではなく、大学だった。それには、驚いたし、大学院へ入学できて、欣喜雀躍をした』

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副題1、『ニューヨークの騎馬警官』

 これは、キャロラインケネディ新大使が、皇居に馬車で向かった日に思い出したことですが。

 1999年の9月の事です。私はニューヨークマンハッタン島の中心より、やや西側に住んでいました。ニュースで、ニューヨークと言うと、すぐ出てくるタイムズスクエアー(または、ブロードウエー)に、徒歩7分で行かれるという便利な場所でした。

 一部屋だけ借りて、あとは、シェアハウスと言う形式で、台所やお風呂は皆で使います。800ドルで、当時の日本円に直すと、10万円です。6畳ひとまで、10万円はお高いが、初めてのニューヨークで、しかも駐在員と言うわけでもなくて、誰にも何も世話をしてもらえないので、日本の丸善においてあるOCNニュースで、見つけた場所で、文句は言えない場所です。

 マンションではなくて、商業ビルの8階部分を丸々、100平米ぐらい借り切って使っている日本人夫妻の一間を、また、借りしたのでした。今日は規制緩和と言うことについて語りたいのですが、借りたものをさらにまた貸ししても、ニューヨークでは、誰も文句は言わないのでしょう。日本ではだめなはずです。

 ところで、もしかしたら、8階ブン、丸々、買い取っている可能性はありますが、それは、持ち主側がやらないと思います。権利関係が面倒になるから。

 窓は、はめ殺しのガラスが入っていて、私の部屋には、カーテンもありません。全室に強力な空調が入っていて、それで、外とつながっているという形なのに、ある朝、ひづめの音が聞こえてくるので、びっくり仰天をしました。斜め横に、8th Ave と言う南北に走る大通りが見え、そこを、騎馬警官がかっぽかっぽと歩いているのでした。一騎で、南から北へ向かって。そこはマンハッタン島としては、西側に当たるので、朝の五時では、車は通っておらず、人もあまり居ないので、悠々としたものです。

 ニューヨークもこうならワシントンも同じでしょう。『おー、おー。優雅なものだ』と、感嘆をしました。マンハッタン島を、南北に走る道路は、ここで、東から数えて8本目ですが、斜めに走るブロードウィイなどを入れて、ほぼ、10本あるので、10人ぐらいの騎馬警官が、ニューヨーク市警の一員として、常駐勤務していて、お馬さんのお世話をしているのでしょう。そういう警官は、・・・・・・別の町に居るらしい、あの乱暴な、カラードの少年を、警防で、叩きのめす、警官・・・・・とは違うと、私は感じています。

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副題2、『しかし、若奥さんが、テレビゲームばかりしているので、子供が私に、なついて困った』

 大家は日本人夫妻です。30代後半で、二歳未満のお子さんが独り居ます。ところが、奥さんが、ファイナルファンタジーなどのテレビゲームばかりやっていて、育児も家事も何もしません。一週間後に、もう一人の借家人が夏休みを終わって帰ってきました。日本の大企業の社長のお嬢さんと言うことで、よく、できた才媛です。こちらは、家事のしつけは、できているお嬢さんで、風呂の掃除は、彼女担当との事でした。「誰から命令されなくても、不潔だとたまらないので、掃除しちゃうの」との事です。4畳半程度の控え室と、4畳半程度の、風呂場の両方を髪の毛一本落ちていないように、彼女が掃除をするとの事でした。

 台所ですが、何もかも放うったらかしで、洗い桶の中には、どろどろの汚水がたまっているというような状態でしたが、それも、台所を使いたい人間が、掃除をするとの事でした。

 ここの若奥さんの話ですが、お金が豊満にあるということと、ご本人の工夫(・・・・・私に言わせれば-方向の工夫ですが・・・・)さえあれば、楽チン、楽チンの生活ができるのでした。だが、テレビゲームばかりやっていると、お子さんが、不満になるというか、ナンと言うか、たまらない生活になるので、必死に私になついてくるのです。私は行動しますからね。面白いわけです。

 若奥さんは、頭は悪くないです。住まいを、隣近所が、誰も居ない場所に作ったのも賢いし、私達間借り人が使う窓以外の、窓と言う窓には厚いカーテンを張り巡らせて、いつも、夜のような状態にしておいて、ずっと、連続してテレビゲームをしています。食べ物は店屋物のピッツァかインスタントラーメンみたいです。

 ご主人は奥さんに比較をすると、日本にある実家がお金持ちではないので素。だから、奥さんに頭が上がりません。しっかりした会社に勤めていますが、日本で言うブルーカラーの仕事なので、奥さんは、頭から、馬鹿にしていて(?)、夫のために、「朝、暖かい、お味噌汁つきの朝ごはんを作って、会社へ送り出しましょう」と、言うような気配は、微塵もありません。

 私の方ですが、その前の年は、パリで、日本人有名女流画家の持ち物(マンションだが、一戸丸々)をお借りしていたので素。比較すると、これは困ったという状態でした。パリでは、ノートルダム寺院まで、歩いて、15分と言う位置(サンポール駅近く)の、60平米ぐらいの高級な、アパルトマンに一月、16万円住んでいて、夜、一人で、ものを考えたり、文章を書いたりする、自分としては、最高に、すばらしい生活を経験した直後だったので、こちらでの、夜の自由がない(・・・・・お子さんは、まったく私を離してくれない・・・・・)のには、参って、2週間以内に、別の場所(半地下だが、一人で、全部を使えるマンション)を、見つけ引っ越すことにしました。

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副題3、『その女性には、未自覚、の<<<母親に対する怨念>>>が、あるのだった』

 ある夜、私が切り出して、「こういう理由で、引っ越します」というと、さすがに彼女は、驚いて、でも、テレビゲームのコントローラーは手放さないまま、「母が来ると、この家、きれいになるのよ」といいます。私が黙っていると、ボツボツと、彼女は、ご自分が、すでに、認識をしていることを語り始めました。つまり、ご自分の過去の人生を。

 「母と、妹は、家事がものすごく上手です。でも、私は下手です」・・・・・・・・・・私はさらに黙していて、間に時間が入ると・・・・・・彼女は、

 「私は、母に、愛されなかったのです。母は妹だけを偏愛しました」と言いました。それで、すべてがわかりました。坊ちゃんが、まだ、ヨチヨチ歩き程度の段階で、言葉もはっきりしないのに、私のやる事をすべてまねをするのですが、その理由が判ったのです。私が自分の部屋においてある、座卓形式のガラステーブルを、ぬれ布巾で、ぬぐうと、すぐ同じ事をするのです。坊ちゃんには遊び相手が居ないので、私が遊び相手です。特別な遊びはしてあげないけれど、自分の用事をしながら、彼には、話しかけます。

 私は、こんな硬い文章を書いている不器用な人間に見えるでしょうが、実際には子供、特に、プレ幼稚園の子供の扱いなんか超が付くほど、上手です。小手先で、処理するのではなくて、心から、子供を愛しながら対応するので、本当になつかれます。

 子供をしつけるのは、飴と鞭だと以前に言いました。母親が抱いて、母乳、(もしくは哺乳瓶)で、ミルクを与える。これが、飴です。これが、赤ちゃん時代から始まる、基本的な快感です。その基本的な快感を与えてくれるお母さんが、怒って、しまうと、世話をしてもらえず、ミルク(または、母乳、または、離乳食)がもらえないことを知り、お母さんが怒る顔を見せ、怖い声で、叱ることによって、

・・・・・・ストーヴを触ってはいけないとか、お風呂場の蛇口をひねってはいけないとか、いろいろな、やると、自分自身が傷ついたり、他の人が困ることを、やっていけないと言う事を覚えていきます。と、同時に、お母さんは、動かないといけません。普通の行動でいいのですよ。普通の用事をやる。それが、子供への自然の教育になります。

”””””””””””””””””””””””””

 ここで、後日の挿入ですが、私がひとつだけ悔やむことがあります。それは、他人のお子さんの世話をしすぎて、ぐったりしてしまい、夕方の六時に、他人のお子さんが帰ると、ほっとして、疲労困憊りしてしまい、元気に、ふつうの家事を、できなかった点があるということです。外面(そとづら)を良くしすぎていて、内面(うちづら)が悪かったかな? だから、あまりに他人のお子さんの、世話をしすぎたのも、問題だったと思っています。自分の子と、他人の子を、平等に扱うのは、ご近所のママ友に、信頼されるゆえんでもありましたが、実は、『もっと、自分本位に生きた方がよかったかなあ』とか、「今日はもう帰ってね」とか言って、『我が家だけ、または、わが子だけを、守った方がよかったかなあ』と、今では思っているのです。

 『文明化した家庭、洗練度の高い家庭と言うのを理想としていたけれど、もっと、動物的、本能的でも、よかったかな』と、今では、思っています。

 ただね。幸いなことに、4人孫が居ますが、彼らが小さい頃に、私の子供たち(娘も息子も)は、ちゃんと、追い掛け回して、体を使って、かわいがっています。叱ったりしながら、ちゃんと、自分の身を動かし、労働をして、育てています。

 私の主人が、そういう姿を見て「あの子達は疲れるだろうね。若いから、子育てができるんだろうね」と言っています。が、そのとおりです。そして、主人は、私が同じように、氏かも他のお子さんまで、育てていた修羅の時代を知りません。だから、私に感謝の言葉はありませんが、まっ、いいか(笑い)。

 まあ、わが子が、ちゃんと子育てができているということは、よかった事でした。よく、子供を虐待する親が居ると、聞きますでしょう。ああいう親って、体を動かすのを厭うのです。労働をするのを、嫌がるのです。今は四年制の大学を出た親(母親)が多いです。そういう人は、小さい頃から、受験勉強をしていますので、体を使うことを知りません。

 だから、口先だけで、叱ったりします。すると、子供が嫌な顔をしたりします。そうすると、親が逆上してしまうのです。子供だって、賢いです。親が口先だけで、しつけようとしても、言うことは聞きません。それをまた、親がいやがっていては、悪循環です。

”””””””””””””””””””””””

 挿入から、元に戻ります。

 マンハッタン島で、出あった、私より、10~15歳程度若い、そのお母さんは、部屋の掃除や、洗濯物の収納なども一切やらないのです。そして、育児もしません。ただ、ただ、逃避行動の一種であり、快楽ももたらす、テレビゲームばかりやっています。これは、1999年の事でしたから、フェイスブックはまだ始まっていない時代ですが、フェイスブックが始まっていたら、どうなっていたかあ? フェイスブックに夢中になって、幼いお子さんを餓死させたお母さんが、居ましたね。それは、日本の話ですが。

 で、彼女の告白を聞いてから、やっとわけがわかりました。彼女の今の生活は、『自分の母親に対する深い怨念が、正しい出口を失っていて、一種の自傷作用として、発露されているのだ』と。賢い人だから、『自分が、今やっていることは、よくない事だ』とわかっているのです。だけど、方向転換ができないのです。それは、深い深い怨念があるからです。

 母に対する怨念は、表には噴出していません。母と妹が、ニューヨークに来たときに、掃除しまくっても、「嫌だわ。そこまで、やっちゃあ。この家の主婦は私よ」とか言って抗議はしません。喧嘩をしないのです。でも、ケンカをしないと言うことは、事実を直視していないということです。

 この若奥さんは、頭がよくて、日本では、特に若いときは、母親に対しては、反抗ひとつしなかったと思われます。それが問題なのです。毎日蓄積された苦しみや悲しみは、頑固な花崗岩みたいに凝り固まっていて、容易には解けません。ただ、彼女も、救いは求めています。救いを、まったく関係のない場所で、・・・・・テレビゲームにふける、そういう快楽にふけるという形で、・・・・・救いを求めています。

 だから、最初には驚いて、批判ばかりしていましたが、今では、かわいそうな 人の一人であって、『根本的な解決は、母親との対決を待たないと、できないだろうなあ』と思っています。残された道はただひとつです。

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副題4、『親が認知症になる前に、子供として、やっておくべき事』

 母親から、「あなたには申し訳ない事をしたわね」と言葉に出して、しかも、心から、謝罪をしてもらうのが一番いい道です。が、それが、望めない場合は、母親に向かって、「私は苦しかったのよ」とか、「私は、お母さんを、うらんでいました」と、言ってしまう方がいいのです。

 そうすると、修羅場が訪れるかも知れません。時には、遺産相続で、不利になるかも知れません。でもね、お金よりも、心が大切なのです。心が健やかで、ある事が大切なのです。お金はどうにでもなります。心身ともに健康なら何とかなります。

 で、修羅場が起こった後ですが、親が賢かったら、反省してくれるでしょう。そして、遺産は全うに、予定通りに、来るはずです。が、どうしても遺産が来なかったら、遺留分で、争えばいいのです。

 ところが、それは、あなたが、十分に若くて、そして、親も若い頃に、やって置かないとだめなのです。アエラに、毒親特集と言うのがあり、娘さんに向かって、「お前が、泥棒をして、私の貯金通帳を盗っただろう」と、言うような親御さんの、介護をせねばならず、疲労困憊をしているという記事がありました。そういう風に、親が認知症になってしまったら、もう、修復が利きません。親もアウト、自分もアウトです。

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 なお、この一文を書いた後で、週刊朝日も同じテーマで、特集を出しているみたいですね。25日発売の12月6日号です。私は、買っておらず、まだ、読んでいませんが、電車内の、中吊りで、知りました。

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 この関係は、父と息子の場合にも起こりえます。だから、できるだけ、丁寧に、どこかで、対決して、親に反省を迫って置いた方がいいのです。言ってみるだけでもいいのですよ。親が変わらなくても、いいのです。問題点がどこにあるかを、自覚できるので、その後、逃避をしないで済みます。元気に生きていく事ができます。

 日本社会って、お金至上主義であり、遺産相続と、相続税を軽くするためのセミナーなど、資産家の心をくすぐるために、しょっちゅう開かれているみたいです。が、心の修養の場がありません。ニューヨークで、知り合った中産階級の人たち、そして、パリで、知り合った、こちらは、中流の上の、クラスの人たち、そのどちらも、意外なほど、純朴でした。

 たぶんですが、キリスト教の遺伝子が、そこ、かしこに、残っていて、心の問題が、きわめて大切だと言う事を、皆が、わかっているのでしょう。映画なんか見ると、欧米の方が、崩れているみたいですが、実際には、日本の方が、より、崩れている部分があります。

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副題5、『引越しに取り掛かるが、エレベーターが止まってしまう。1999年に、すでに、私は、敵さんに、囲まれていたのだった』

 日本に住んでいる通常の状態だったら、上の家族にも、手を差し伸べて、奥さんが、もっと、健康的に暮らせるように、導いたかもしれないのですが、この場合は、私自身が日本の家族を捨てて、ニューヨークに来ているので、大変切迫をしています。自分の方の、子供は、そのときに、すでにサラリーマンとなっており、二人とも、成人式を過ぎていました。25と、27歳でしたが、まだ、結婚をしていません。でも、ニューヨークで、修行をするのは、今しかないと思いました。そして、それは、当たっています。 

 あの頃から、14年が過ぎました。心身ともに、レベルが下がっています。だから、とても、同じことはできません。あれはあれでよかったのです。クイーンズと言う、今のニューヨークでは一番家賃が安いはずだが、治安は、安定しているところ、(マンハッタン島の外である)に、引っ越すことに決め、アパートも自分で選び、決定しました。

 引越しの日に、エレベーターが壊れました。今思うと、これも、敵さんの工作です。エレベーターは、とても、簡単に、外部から操作する事ができる模様で、金沢駅前のアパホテル(大規模である)で、掃除のおばさんが、挟まれて亡くなったのも、怪しいと、私は思っている次第ですが、・・・・・

 でも、何はともあれ、めげない明るさを持っている私です。非常階段を点検してみました。割れたビール瓶が散乱し、レジ袋や、ポテトチップスの食べ残しなども、散乱しているすさまじ区、汚い場所でしたが、気をつけて、8階分を昇り降りしました。飛行機で持っていった分と、日通を利用して別便で送った分があるので、相当な荷物でしたが、私が、二回、手伝ってくれた運送会社の人が、一回、昇り降りして、何とか、積み込みました。

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副題6、『私は何ものも恐れずに、アメリカを感得していく。きわめてみずみずしい心で』

 その引越しの際に、運転手は、後ろのドアの鍵を閉めて、八階へ上がろうとするので、「15分で帰って来れますよ。開けておいたって大丈夫でしょう」と、私が言うと、「ノー、絶対にだめです」と、言います。あたりに人は通っていないのですが、後ほど、ここは大きなバスステーションの裏側なので、お店がないので、特に人通りが、少ないのだが、それを利用して、ホームレスに対する給食車も来るということを発見したので、確かに、トラックの後ろのドアを開けていると、たった、15分でも、モノは盗られるのかもしれないのでした。

 だが、その道路の、特徴、如何にかかわらず、治安は、圧倒的に悪いみたいで、ニューヨークもパリも、日本人特有の、外部に対する警戒感のない心構えでは、暮らせない町であるらしいです。トラックの荷台を開けたまま、15分ぐらい持ち場を離れるのは、鎌倉の我が家近辺では、よく見る形ですが、それをニューヨークで、やってはいけないらしいです。

  運転手は、カラードだけど、とても明るい青年でした。、ジャマイカ人だそうで、誇り高い、かつ陽気な青年だったので、「スタインウェイ(向こう)まで、助手席に乗せて行ってくれない」と頼むと、「いいよ」といってくれました。ここが、日本と違うところなのです。日本の引越し業者および、宅配業者に、「助手席に乗せてください」と言ったら、断られるでしょう。とても、細かい就業規則があるみたいです。会社そのものにもあるのでしょうが、全体的に、法的な規制もあるらしいのです。

 むろん、その代わり、日本では、チップが要りません。会計上は明瞭です。でも、行き先にぴったり同じ時刻につくことができるのですから、この程度の小規模な引越しなら、助手席に乗せてくれた方が、便利なのでした。

 で、私はアメリカで初めての、プチ旅行をします。トランプタワーのそばを、高い助手席から通り過ぎるのは、すこぶるな快感でした。そして、鉄でできた頑丈なロバート・ケネディ・ブリッジをわたって、クィーンズへ入っていきます。庶民的だけど安全で、暮らしよい町で、マリアカラスが育った町です。美容院の主人だって、軽くオペラを、うなる町へ、私は、住む人として、入っていきました。そこでの交流や発見はすばらしい宝物なのですが、本日は触れません。

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 さて、上の部分、8000字は、前置きにしか過ぎないのです。ここから先、いくつかに、分かれます。規制緩和のテーマでも、あれこれ、書けるし(1)、天皇陛下が、国民のまったく知らないところで、鎌倉エージェントたちに利用されなさっていること(2)へも、進行できます。

 また、アメリカでの、喧嘩の体験にも入る事ができます。そこからも、重要なことがいろいろかけます。本日だけでは、最終段階までには、進みませんが、徳州会事件・・・・・特に猪瀬東京都知事は、お金をもらったことを、なぜ、今、ばらされてしまっているか(3)とか、を解明する文章に入っていくことができます。

 で、本日は私に勝手に選ばせていただき、最後のアメリカでの喧嘩の体験に入っていきましょう。私は、それ以前には、喧嘩など、したことがない人間でしたが、アメリカで、ひどい追い詰められ方をして、版画の仕事がまるで、できないので、喧嘩をしてみたら、軽く勝ってしまったという話です。

 しかし、相当に複雑な話ですが、一生懸命書いてみましょう。

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副題7、『1980年代から1990年代にかけて、ニューヨークへ飛んだ日本人女性は、日本で、何らかの挫折を経験している、勝気な性格の子が多かった』

 今、日本の若者は、海外へ武者修行に行くのを好まないそうです。この前・・・・・、慶応大学の一年生男子が、四人で、超お行儀よく語り合っていたが、テーマが『いかにして女の子を引っ掛けるか『と言うことだったので、仰天をした・・・・・と、報告をしていますが、まあ、お受験、お受験で、来て、男子校で、暮らしてきたのなら、女の子と、付き合うという、そのことそのものが大冒険なのかもしれません。だから、彼らは、純真なほうだといっておきましょう。

 東大生なんて、東大の学生証を見せるだけで、何の苦労もせずとも、女の子が寄ってくるという話です。ゲット、超簡単と言う話です。

 さて、私が最初にニューヨークにわたったのは、1999年です。これは、ICU卒業生としては、大変遅い方でしょう。でも、それで、よかったです。十分に、成熟してから行ったので、よい仕事(版画制作)ができました。で、私が付き合ったのは、外人の版画家が多いのです。だが、所属する場所に、少数ながら日本人もいたので、日本人相手に喧嘩をすることとなりました。

 その時、その当時、ニューヨークに住んでいる40歳以下の日本人女性は、何らかの、挫折を日本で経験して、その挽回措置として、ニューヨークで、箔をつけたいと思って来ていることが、判りました。

  そこが、そもそも、彼女達、日本人女性と、私が違うところだったのです。私はひとえに、版画を作りたくて、やって来ていました。私のやっている作業が・・・・・はじめると、7~10時間連続しないと、何もならない・・・・・・方式なので、日本では、そういう形で、使える工房が無いので、海外へ行こうとしていたわけで、立ち位置と、目的がまるで違うので、先住の日本人女性たちに、いじめられる事となったのです。

 つまり、私は極端な、極楽トンボだったわけです。とっぽいも、とっぽい、恵まれすぎた人だったわけです。それは、ニューヨークから帰国後、10年ぐらい経って、わかって来た事で、当時は、他人がその様に私を見ている事には一切気が付きませんでした。

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副題8、『プラット・インスティテュートって、版画工房ではなく、大学だった。それには、驚いた。しかも、大学院へ入学できて、欣喜雀躍をした』

 私は結婚相手を求めているわけではなくて、十分に安心して制作できる環境を求めて、渡米するわけですが、それこそ、日本が、規制、規制で、がんじがらめの国だから、海外へ行くという点もあるわけです。民間にしろ、公営にしろ、日本の版画工房は、3時間程度、しか、その中に、居られません。

 でも、欧米では、それが、相当に、融通が利くのです。パリの版画工房に関しては、日本でも、相当に知られていますが、ニューヨークのそれは、日本には知られておらず、私は熱心に探し回って、あるアメリカ人女性から、「ニューヨークのブルックリンにある、プラット・インスティテュートなら、あなたにぴったりの場所でしょう」と、教えて、もらいました。ところが、別の日本人で情報通の人が、「そこは大学の筈ですよ」と、いいます。どっちなのかは、わからないものの、パリで、三ヶ月、版画三昧の生活を送った私には、どうしても、その1998年の、後五年間は、同じ事がやりたくて、今度はパリよりも、言葉が、より自由な、ニューヨークを目指したわけでした。

 で、行ってみたら、確かに、大学でした。だが、小さな作品を版画5枚、油絵三枚もって行って、「工房を使わせていただきたいんですが」といっただけで、大学院へ入学をさせてもらえました。とても嬉しかったです。たった、一学期です。ただアメリカの大学院って、学費がすごく高いので、2科目で、日本円に換算して、56万円も払いました。だけど、今思うと、夢のような体験でしたね。楽しい体験でした。

 ところが、「好事魔が多し」のたとえどおり、版画の方の初日から、私より、10歳ぐらい若い白人の女性教授が、私に対して、ひどい警戒心をもち、嫉妬心も丸出しだったのです。私は、ざっくり言うと、実際には、実力が高いのです。(笑い)

 ところが、肩書きが何もありません。その乖離を、狙って、こういう災いは、しょっちゅう起こります。そして、その様子を盗み見て、教授に忠義立てをして、私をいじめてくる日本人女性あさこ(仮名)が、出来しました。地方の私立美大を出て、日本で、何らかの、失敗か挫折があって、渡米をした典型的なタイプでした。アメリカで大学院を出て、日本で美大の教授職にでも、就職しようと、狙っている野心満々の女性です。

 ところが、時間がたつにつれて、教授は馬脚を表して来ました。で、宿題すらできないほど、薬が劣化し始めました。私は最初から、自分の仕事が特別分野なので、自分だけ、独自な薬を利用し、独自のスピードで、仕事をしていますから、教授がどうあれ、関係が無いのですが、あさこは、困ってしまい、急に私たいして、媚びて来ました。そのときも素直に、助けを求めるという形ではなくて、「ねえ、どうして、銅版を、硝酸に漬けてはいけないの?」と質問をして来たので、化学方程式を書いて、ついでにちょっと、意地悪な言葉を足してしまったのです。

 「これは、中学段階で習う化学方程式ですよ。ただ、私は東大に勤めていたので、覚えているわけですが」と、言ったのです。・・・・・それに激怒した、あさこは、殺人未遂に等しい、行動を起こしました。

 劇薬の、塩化第二鉄、特に、原液と言うもの2リットルで、私個人が買っていて、私個人が管理しているものを、私が居ない間に、床に、ぶちまけたのです。ハイターと言う洗浄剤が日本に、ありますが、その刺激よりも強い薬です。出来心とはいえ、使ったものがナイフなら、殺人事件に発展をします。そこまでの事をやるのでした。

  ただ、私としては、ずっと、彼女に、苦しめられて来ていて、迷惑をかけられ続けて来ていて、やっと、少しだけ反省が見えたので、ここで、きちんと判らせてあげよう、「あなたは無知すぎるのですよ」と、たしなめるつもりだったのです。だが、それが冷静には通らない子でした。驚いたのナンの。ただ、自分の言葉が強い影響力を持つものだということを初めて知りました。

 この恐ろしい事件は、しかるべき教授達は皆知っていますが、もちろん、伏せられていて、無かった事にされています。でも、学生の間では、燎原の火のごとく、情報は広まって、教授の方が、大学を辞める事態に発展をしました。次の学期に、彼女のクラスを取る人間が一人も居なかったそうです。あさこが、乱暴狼藉をしたのですが、そういう風に事が進行したのは、教授が私へ嫉妬したからでした。私へ嫉妬するという形で、彼女のつまらなさが、学生達に、もろに、見える事になってしまったのです。そして、真実優秀な若い男性が、後任になりました。

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 なお、初稿で、ここからさらに引き続いている、副題9からは、副題12まで推敲をした時点で、2万字をはるかに超すことが、予想をされましたので、別章立てで、語らせてくださいませ。

 なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1907459です。 

 2013年11月24日に初稿を書き、27日に推敲を終える。

   雨宮舜(本名、川崎千恵子)

コメント

東電社長に小泉純一郎を待望? 朝日は相変わらず軽いです+久米宏の異常な怯えは、今も続く?

2013-11-25 22:00:22 | 政治

 大変失礼をいたしました。単純なメモが表に出ていましたね。私の書き方としては変だと、皆様もお思いになったでしょう。こちらの方が、昨日夜から、今朝の早朝にかけて書いていた新しい文章でした。

 これもツィッター方式で書かせてくださいませ。総タイトルは、書けたものの内容に準じて変えました。第一回目は、『東電社長に、小泉純一郎待望論(週刊朝日)ですって。朝日新聞系列って、奇妙極まりないこと』でしたが、今は二つ目に変わっています。それは、『東電社長に、小泉純一郎待望論ですって + 久米宏の異常な怯えについて』です。そして、26日の午前三時に、上にある。三回目のものに、変更をしました。

 この、朝日が軽いという部分ですが、小泉純一郎さんは、東電の社長には向かないからです。あの方は、発言者と言う自由な立場が向いている。大組織の長になったら、大切な持ち味が失われます。それに、東電の問題は、惹き句に使ったり、軽口で済ませられる問題でもないです。惹き句とは、売らんかなのために入れるものですよね。それなのに、こんなにセンセーショナルなタイトルにして、東北地方の、避難者に対して、失礼です。それに17年前より、ずっと、小泉さんは朝日系列に馬鹿にされきってこられたのですよ。まるで、手のひらを返したような今の持ち上げ方には、反発を覚えますね。

 ただ、その記事のよいところは東電分社化に対していくばくかの批判をしているところです。それは、よろしい傾向でしょう。

副題1、『東電社長に、小泉純一郎待望論(週刊朝日)ですって。朝日新聞系列って、奇妙極まりないこと?』

副題2、『久米宏は、当時はおびえきっていましたが、それは、どうしてですか? そして、今、何もして居ないのは、どうしてですか?』

副題3、『データが、私の気持ちに反して、誰かによって、世間に、拡散してしまった』

副題4、『元ソニー保険社長、川島君の訃報を聞いたときに、今の、・・・・・爆発的な量の、文章を、一気に書くスタイルが、確立したが・・・・・・』

副題5、『私は男運が、良いと言われているが、?』

副題6、『五年前は、プリンターで脅かしてきた連中が、この二日間、照明の点滅で脅かしてきている』

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副題1、『東電社長に、小泉純一郎待望論(週刊朝日)ですって。朝日新聞系列って、奇妙極まりないこと?』

 本日(=2013年11月25日に、私は三菱銀行鎌倉支店の中に居ました。ロビーに、雑誌が置いてあって、黒地に、佐藤工と言う青年が主役として立っている週刊朝日を取り上げました。暇つぶしに読むつもりです。

 ところが、巻頭記事が、センセーショナルです。『東電をぶっ壊せ。小泉純一郎を、東電社長にしたらどうか?』と、言う内容です。これを、鎌倉へ帰着してから、買おうと思うとすでに売っていません。それで、先週だろうかと、発行日を調べると、日付は、11月22日号です。と言うことは、まるまる2週間前。と言うことは、記事を作る段階は、11月1日ぐらいであって、それは、外人記者クラブか、日本記者クラブで、小泉さんが、記者達に質問をされ、それが、アエラの記事になった頃と、相前後しています。朝日新聞系列は、小泉さんを気に入っているみたいです。

 そうなると、私が今まで、小泉純一郎氏の、原発全廃論に、今まで、触れてこなかったのは、安全だったということに成ります。

 君子は豹変すといいます。だから、小泉さんが、小沢一郎氏と組んでも、おかしくないかもしれません。しかし、小選挙区制導入の頃の、テレビ朝日の、ニュースステーションの有様を見ている私には、小沢一郎と言う人物に対しては、『絶対に、信用できない』と思っているので、当時は、敵対関係にあった、小泉純一郎と、小沢一郎が、組むということが、どうしても、肯定できません。当時は、小泉さんは馬鹿にされきっていました。

 その上、私は、小沢一郎氏の、原発反対は、2012年の衆議院選挙に勝つための方便でしかないと見ているので、小泉純一郎氏が、小沢一郎と組むというだけで、違和感いっぱいであって、わざと触れてこなかったのです。

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副題2、『久米宏は、当時はおびえきっていましたが、それは、どうしてですか? そして、今、何もして居ないのは、どうしてですか?』

 お若い方は、それが、16年も前の事で、実際の映像として、ごらんに成っていないでしょうが、当時は、久米宏と言う早稲田大学卒業の、キャスターが、飛ぶ鳥を落とす勢いがあって、大変傲慢な、また、失礼な態度で、当時の与党の総裁候補議員たちを、引っ掻き回していたのです。田原総一郎氏も同じ働きをしましたが、切れ味は、久米宏のほうが鋭く、また、毎日の、夜10時の報道番組として放映されていましたから、久米宏のほうが影響力が大きかったでしょう。

 そして、久米宏は、小沢一郎を、常に、立て、または、奉り上げ、小泉純一郎を、下手に置き、結局、中選挙区制から、小選挙区制に、移行をすることに、旗振りをして、誘導をしたのでした。小選挙区制と言うのが、日本の政治を徹底的に悪くしたと、私は、思っているので、小沢一郎と言う人物に対しては、不信感がいっぱいです。

 そして、小沢一郎氏を、ニュースステーションで、持ち上げたのは、久米宏個人の考えと言うよりも大朝日の方針であり、また、国際的軍産共同体の方針でしょう。当時の久米宏は、ホテル住まいであって、おびえきっているとのことでした。何らかの週刊誌で、それを語っています。週刊朝日だったでしょう? が、そうすると、見え見えの構図なので、別の週刊誌だったかもしれません。

 ここに電球の写真が入っていますが、久米宏について書いたとたんに、電球がひとつだけになったのでした。その詳細は後で、語りますが、ともかくタイミングとしては、ここが重要なので、写真を一枚ここに入れておきます。 

 文章のほうを元に戻します。

 ところで、久米宏が怯えきっていることは、よく、わかりましたが、誰が、彼を襲います? 現代の、日本のふつうの人間って、非常に温和です。ほとんど、骨抜きになっていて、昔、浅沼稲二郎を襲った、山口乙矢少年のような、過激にして、純真(?)な少年も青年も居ません。

 かろうじて、三島由紀夫氏が、市谷の自衛隊本部(?)の、バルコニーで、警世の演説をして、その後割腹自殺を果たしましたが、誰が後追いをしましたか? そして、その跡地は、新国立美術館に変更したのではないですか?

 で、小沢一郎氏の、原発反対は、2012年の衆議院選挙に勝つための方便でしかないと見ている私には、小泉純一郎氏が、小沢一郎と組むというだけで、違和感いっぱいであって、わざと触れてこなかったのです。

 お金儲けの世界には、英雄が生まれたりしていますが、政治思想的に、過激な青年など、どこにも居ないのです。金権主義、金銭優先主義が、日本の隅々まで、横行しきっていて、政治に殉じる人間など居ないのです。

 それなのに、おびえきる。それは、一種の、過剰防衛意識であり、自分が隠していることの東映現象だと思います。何を久米宏が隠していたかと言うと、

 誰かから、大きく、教唆されていて、『日本人を、こういう方向へ導きなさい』という命令を受けている・・・・・そういうことを秘匿していたのでしょう。

 ここから先は傍証のないことですが、それを命令したのは、成岡庸司君だったりして?

 ともかく、そこらあたりは、最大級の秘密ですが、久米宏がおびえきっているがゆえに、その構図が、見えてきたのでした。ただ、私は当時は、そんなことを外部に話したことはありません。わかっていましたが、誰にも話しませんでした。

 ところで、なぜ、久米宏は、今テレビに出ないのでしょうか? 私は莫大な、報酬をその当時のニュースステーションで得たので、すでに、働く必要がないということもあるし、依然として、おびえきっているという可能性の二つがあるト思っています。反対に、みのもんたと言う人は、国際的軍産共同体からの支援を得ていません。むしろ、つぶしたいと思われている人材です。だから、現在次男の事や、自分のセクハラの事で、ひどく追い詰められているが、だからこそ、テレビの世界から去りたくないと思っています。非常に対照的です。

 ところで、久米宏に戻ります。ある日、私が表参道から、銀座へ向かおうとして、半蔵門線に乗ったのです。何年前の事だろう。夜でした。たぶんですが、母の見舞いを先にして、これから、銀座の画廊へ向かおうとしていたのだと思います。または、新宿あたりの催し物に招かれていて、そちらを先に見てから、銀座へ向かおうとしていたのでしょう。または、本の事で、印刷所に向かおうとしていたか? それとも、どこかで、本を配ろうとしていたか?

 ともかく、普段のスケデュールとはまったく違った時刻に半蔵門線に乗ったのでした。すると、電車内は、ほとんど、乗客が居ませんでした。夜に、都心に向かう人は居ないからです。皆、郊外にある自宅へ向かって、山手線の外へ外へと向かっているからでした。

 ある車両の連結器そばの、最も目立たない席に、久米宏が座っていました。私は降りる駅で、理想的な位置で降りたくて、電車内を後ろから前へ向かって歩いていたので、たち位置として、彼よりも高い場所から見下ろす形になりました。

 5mぐらい離れた位置から、久米宏だとわかりましたので、一瞬立ち止まって彼を眺めました。しっかりと見つめました。と言うのも上に書いたようなことは、常日頃忘れたことはなくて、それゆえに激しい批判心を持っているからです。

 すると、彼はおびえたような目で、私を見返しました。ぜんぜん、力がなかったです。冬だったので、彼は厚手のウールのコートを着ており、それゆえに、体がまん丸に見えました。また、彼の顔を見下ろす位置に私が立っているせいか、彼は、面長とも思えず丸顔に見えました。だが、紛れもない久米宏であって、私は、ほぼ、10年ぶりに見る彼が、ごま塩・頭(三分かり)になっているのを初めて知り、それには驚きました。が、納得をするところがありました。

 『彼が、重要な命令を、あの当時受けていた』ということを、確信できました。そして、馬鹿でもない筈のかれは、日本をある方向に、誘導してしまった自分の、罪の大きさにおびえていることをも。むしろ、私のほうが威風堂々としているぐらいでした。(笑)

 まさか、私の事は知らないと思いますよ。その当時は、ブログもやっていませんでしたし、私がメルマガのリストに入れていた人々は、住所、顔、名前を知っている人ばかりで、あって、そういう人が裏切るとも思えませんでした。だから、久米宏は、誰に対しても、おびえていたのだと思います。その天で、彼は、自分で、自分の罪を償っているともいえます。だから、この世界では、あまり、話題に取り上げません。私は哲学的なレベルで、物事を考えたいので、復讐をすることが目的ではないからです。

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副題3、『データが、私の気持ちに反して、誰かによって、世間に、拡散してしまった』

 2007年の4月17日に、私が書いた文章の、本用に編集したデータが、一種の泥棒に出合いました。頁設定まで、済ませた、データが、グーグル検索で、あっちこっちに引っかかるという形で、すべて、公開をされて閉まったのです。それには、本当に、びっくりしました。その時点で、すでに、2冊(2種類)の本を出版していましたが、三冊目から、美術、特に日本の現代アートの世界に、筆を及ぼしていたので、以前より、広範囲の読者を獲得できる予定がありました。

 大手の出版社から、出版をしたいと思いましたが、なかなか、はかばかしくないので、さっさと、自分で、出版してしまおうと、準備をしていたデータです。先ほど、久米宏が私を見つめておびえたといいました。たぶん、日本に住む誰に対してもおびえているのだと思います。乗客が居ない時間帯だし、都心しか走らない部分だけを利用するつもりで、乗ったのでしょう。

 が、私にしっかり見つめられて、『しまった』と思っているのが、よくわかりました。しかし、もし、私が書いているものが、ハッキングによって、盗まれていて、成岡君などがしっかりと読んでいたとしたら、それを、久米宏に回すのは十分ありうることであり、私の・かお・写真なども、彼の手に渡っていたとも推察できるのです。だから、彼があれほどおびえ多とも推察ができるのです。

 そういう意味で、考えると、本を出版するために用意していたデータを、まったく私が知らないうちに、世界中に、公開してやろうとするのも、私を失敗させるという意味では、効果的な方法でした。

 彼らの狙いが、わかったので、私は本を売るということを、あきらめてしまったのです。売らせない。儲けさせないという意図を、その公開によって、知らされましたので。

 私はよく「ソンがあり、その大きさを、象徴的に言うと、五億円になります」と、言っています。その五億円の、うち、この本を売ることをあきらめてしまったことも、大きな額の損失となっています。あの根、ふつうの人と言うのは権威に弱いところがあります。それは、他人のお子さんを自分の事一緒に育てていた時代にも痛いほど感じました。私は保育園を名乗っているわけではありません。謙虚なママ友の一人です。そして、子供たちに公平であって、愛情豊かです。だから、はっきりといわれました。「川崎さんに、預けて居れば安心だから」と。だけど、安心しきって、甘えてきて、悪さのし放題の、子供たちをしつけながら育てるって、本当に苦労の多いことなのです。

 おやつをあげること、も、その金銭的な部分ですが、それに対してもお礼を言われるわけでもないし、自分の家でケチっているのか、時間以外に、押入れの中に、隠れて、お菓子を食べてしまう子も出てくるし、本当に大変なのですよ。子育てって。

 本も同じなのです。有名出版社から出版すれば権威があり、お金を取ることができます。しかし、自分の出版プロダクション、TB企画で出版すれば、馬鹿にされて、読んでくれない人も出てくるでしょう。私は今問題にしている醍醐イサムさんにも二冊は本を送っていると思いますよ。それを読んでいたら、絶対に、ああいう失礼なことはするはずがないのです。

 1999年には罵詈雑言を浴びせてきた赤津正さんも、2006年ごろに、銀座で出会うと「あんたは、筆力があるからね」といってくれて、ずいぶん紳士的な態度へと、変わってきていますよ。だから、その言葉に感謝して、昔のひどいことを忘れてあげていました。ただ、三鷹ストーカー殺人事件が起きて、被害者沙彩さんの母の一ノ瀬智恵乎さんが、美術9条の会に所属をしていることを知り、その会の呼びかけ人に、赤津ただしさんが、入っていることも知って、「おや、おや、醍醐イサムが、失礼なことをしてきたのは、ここらあたりが源泉かもしれないなと思い当たり、急に思い出が復活してきたわけですが・・・・・

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副題4、『元ソニー保険社長、川島君の訃報を聞いたときに、今の爆発的な量の、文章を一気に書くスタイルが確立したが・・・・・・』

 ともかく、スピンオフから元へ戻れば、私は2007年の4月17日に仰天をさせられたわけです。それでも、我慢を続けました。しかし、その9月に、訃報が届いたのです。それは、国際キリスト教大学での同級生であり、ソニー保険の社長でもあった川島君がなくなったという知らせでした。そのときに、私は思いがあふれて、3千字程度の文章を、7本連続して書いて、友達たちに送ったのでした。

 それが今に続く爆発的な速さで、大量に書く事の最初の日でした。

 川島君とは、単に同級生と言う間柄でしたが、7人兄弟の末っ子だという彼が、鹿児島に住むという母親に丁寧に、面倒を見てもらえず、お坊ちゃま、おじょうちゃまが多いICU生の中で、ひときわ、貧乏ったらしい、洋服を着ていたのが、心配で、きれいなキャンディの缶に、繕い物ができる針や糸のセットを作ってプレゼントをしたのです。それは、たった、23人しかいない、英語のクラス(それは、毎日、会話を一緒に習う)で、一緒だったから気が付いたことでした。

 すると、お礼を言うために、彼が私の下宿を尋ねてきました。女の子の同級生が道案内でしたが、当時の下宿は三畳一間で、しかも窓から出入りする形だったので、私は何の心の用意もなくて、ひどく驚いたものでした。電話も個人用のものはない時代です。

 もしかしたら、そういうきっかけで、恋愛が始まるのかもしれませんが、私は、ただ、ただ、身の置き所もない気分で、正座していたものです。川島君も正座して、じっと黙っていました。笑顔のきれいな青年で、そのときもずっと、ニコニコしていました。今で言えば酒井雅人みたいなものです。最後に、本当に優しい、いつくしむような笑顔を見せて、帰って行きました。『馬鹿みたいに、不器用だなあ。この子は。大丈夫かしら。将来』と、思っていたと思います。(笑い)

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副題5、『私は男運が、良いと言われているが、?』

 デモね、川島君、心配してくれなくてもいいのよ。私はその頃、まだ、お付き合いともいえない形でしたが、すでに主人と、・・・・・大学の入学前に予備校で・・・・・、知り合っていて、『あの子って、ジャンクリストフ(ロマンローラン作)に出てくる、オリヴィエ・ジャンナンみたい。素敵だなあ』と思っていたからです。だから、誰からも、もてなくても、意外と、落ち着いていたのでした。ICUって美形のお嬢様が多いから、恋愛は、多発していましたけれど、私は、もてなくても、いらいらは、していなかったのよ。(笑い)

 ところで、ここからはスピンオフ中のスピンオフですが、私は「千恵子さんって、男選びが上手ね」と主人側の親戚から言われています。(笑い) 主人の友人も、「奥さんは男運がいいですね」と言うらしいですよ。(笑い) だから、私は私で、うまくやっています。そして、川島君は川島君で、最上の細君を得ました。私もよく知っている、これも、英会話の教室の同級生で、マリア様のようにきれいで、ふくよかな優しさと、明るさのあるお嬢様と、結婚をしたのです。

 二人とも背が高くて、美男、美女のカップルでしたし、体重もしっかりとあるタイプで、最高でした。決して太っているとはいえないのですよ。ちょうどいい体格で。そして、細君は、社長夫人が勤まるタイプでしたからね。よかったです。

 私は社長夫人などできません。自分は、自分のやることがあるから。(笑い)私は、いわゆるわがままなタイプです。だけど、天然の純情さは持っていますよ。それに、誰も知らないでしょうが、誰の事も甘えさせるタイプです。つまり、私は意外と頼りがいのあるタイプなのです。それはそれなりに一家の柱となるタイプなのですよ。ある家族が居る場合、夫だけが出来が良い訳でもないです。バランスをとって、二人は成長するものです。無論もめた時期もあるし、喧嘩をした時期もあります。だが、最後の段階で、落ち着いているのは大切でしょう。今、私は、落ち着いていて、これで、よかったと思っていますし、今朝も、面白いジョークを彼が発して、私は笑いました。

 NHKのニュースで、「会社の同僚を殺した後で、自殺した、27歳の男のシャツに被害者の血が付いていた」というのを聞いたときの事です。『今の男ってだめだねえ。僕なんて、相手から追いかけられても、捨てることができるのに(笑い)』と言ったのです。続いて

 「身離れがいい男だからね。ほら、カレイみたいに、」と言って、私がしっかりと解ったかどうかを確かめるために、続けて「タラみたいにネ」と言いました。私は鰈と、聞いたときからわかっていましたが、笑いを発するのに、少し、タイミングが、遅れたので、身離れのよい魚の名前を繰り返して強調してくれたのです。無論笑いころげました。

 元に戻ります。川島君の訃報を聞いたときに、あの、ひそやかな同情をしあった頃を思い出したのです。私は川島君が、ひときわ、粗末に見える洋服を着ていて、どこかが、ほつれていても、気が付かないらしいのを心配して、同情していましたし、彼は彼で、『あの子、不器用だなあ。大丈夫かなあ』と、私の行く末を心配してくれていたのでした。お互いに、他人に知られない形で、同情しあっていたのでした。(笑い)

 そんな小さな思い出を、思い出したとたんに、あふれるように文章が出てきて、一気に、一日に、・・・・・7回に、分けた形でしたが、・・・・・2万字を超えるものを書いたのでした。それは、無論、同級生にだけ送りましたけれどね。その日から、今の、・・・・・爆発的なスピードと爆発的な量を一気に書く・・・・・というスタイルができたのです。

  しかし、そんな内輪の思い出を語っているうちに、友達に対する熱い信頼の情があふれてきて、私は、今自分が置かれている、苦境を語り始めました。それは、パソコンが破壊される苦しみでした。それと、ありとあらゆる形で仕掛けられる脅かしに対する悲しみでした。

 そのひとつの例が、・・・・・真夜中に、プリンターがカタカタ、言い出す・・・・・という脅かしです。電源を入れていないのに、突然に、電源が入って、テスト用の、カタカタ言う音が発しられるのでした。最初はひどく驚きました。で、友人達にそれも語りました。川島君の訃報を聞いたから、そこまで書いたのです。

 それほど、私達は、若い日には、心通う友情を育んでいました。だから、慶応の一年生が、女の子を引っ掛ける方法を話し合っているのに仰天をしたのです。1960年代に、三鷹の大沢と言う田舎めいた地域で、恋とか、アイと言うものに、本当に慎重で丁寧で、真心をこめていましたのでね。それが、2012年に、日吉で、女性を、獲得するための、技術だけの話に終始しているのを聞いて、仰天をしたのです。

 しかも超がつくほど、お上品な子達が、超がつくほど、お上品なカタリ口で、それを、語り合っていたから、余計仰天をしたのでした、スタイルと、内容の間にあるあまりに大きな乖離に驚いて。私達の方は芝生の上で、足を投げ出しながら、語り合ったり、畳の部屋で、車座になって語り合ったりしました。形としてはお行儀が悪いし、服装も上等ではないし、だけど内容が高踏だったという部分については、自信があります。

 ともかくの事として、私は2007年当時、困惑をしていた脅かしのうち、真夜中にプリンターがカタカタ言うことと、アドビが、動かないことなどを、メールで大勢の人に伝えたのです。別に同情はしてもらえませんでしたよ。

 だけど、あのときに、真実を語るきっかけをもらったのです。信頼しているからこそ語ったことでした。しかし、現在の問題は、そういう友情を奪われているということです。どんどん、例のあくどい連中が、侵入して来ていて、友達関係を切られています。だから、私は、現在では、神様に、深く帰依しています。人間とは弱いものだと思います。容易に、友達を捨て去る人がいるのですから。残念ながら、人間とは、そういうものでした。

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副題4、『五年前は、プリンターで脅かしてきた連中が、この二日、照明の点滅で脅かしてきている』

 上のほうに、電球がひとつだけ点いたシャンデリアの写真があります。これは、7.5畳の居間、兼食堂に下がっている小さなタイプのシャンデリアで、4つの電球が点いています。帰ったときに、二つが点いていました。朝早いタイプの主人が、私が東京から帰るより先に寝ていますが、居間の電気だけはつけておいてねと頼んであります。で、下の写真のように、シャンデリアの中で、二つだけがついている形で、仕事を始めたのです。

 ところが、急にあたりが暗くなり始めました。なんと、電球がひとつだけになっていて、ひとつが消されているのです。彼らは何でもできます。(笑い)

 パソコンの場合は、どういう仕組みで破壊をされるかがわかります。あれは、電気信号を、+方向と、-方向の二つで、分けて、二進法で進みますがどこかで、+と-が、反転するようなバグを入れ込めればできるのです。

 しかし、電球は交流です。それをどこで、電圧を下げたり、あげたりできるのか? 私達は夫婦で、電動工具の事をよく語っていて、電動工具のスピードを速めたり遅くしたりしたいと思っています。私は、主人に、「秋葉原で、変圧器を買ってきたら、どうにかなるのではないかしら」と、提案しています。

 それが、昨日の午前中の話だったと思います。それで、それが、室内盗聴に引っかかって早速に昨日からそれを利用して脅かされ始めました。

 私は明るいのが好きなので、昨日は四つ全部をつけていて、しかも隣の部屋の蛍光灯40wもつけて仕事をしています。ともかく脅かしようの工作はすべて真夜中に行われます。そうすると、私が誰にも相談ができず、悩むだろうと思われています。

 だけど、私の方はそういう因果関係がすべて読めていますので、脅かされません。昨日は、そのひとつだけ消えるという形で、脅かしをずっと受け続けながら、それでも午後の5時から、次の日の午前4時まで、かかって、あの長い、心理劇を書いたのでした。それは、次につながる重要なものであって、本日は無論のこと、あの続きを書こうと、銀座の画廊めぐりの途中で歩いているときは文案を練り、電車の中でも、文案を練り、帰宅して、夕飯を食べるのもそこそこにパソコンの入力を始めたのでした。

 すると、昨日と同じ形式で脅かしを受けます。ただ、昨日は室内盗聴で、案を思いついたということだったと思いますが、本日は実に政治的な意味合いを持って、点いたり消えたりしたのでした。五、六回ついたり消えたりしました。その後も数回ついたり消えたりしましたがすべて、久米博と言うキーワードで、移動が起きたので、教はこれを書き表したのです。昨日は脅かしの意味なら気にしませんよと言う形であって、何も書きませんでした。

 しかし、久米宏が怯えているという項目で、点滅するのですから、これは、政治的に意味があります。だから、この電球の異変について書いています。まるで、久米宏自身が同時進行的にこのパソコンをハッキングしていて、自分に都合の悪いときに、このおどかし用、作業を行っているかのごときタイミングで、変圧(または、アンペアの変動?)が起きたのでした。

 だから、この一文内で、真実が最も濃い部分は、・・・・・久米宏が、日本政治を破壊した張本人であり、本人もそれを自覚をしている・・・・・という部分と、・・・・・今は、働かなくても済むだけの収入を、あの時期に、得た・・・・・という部分です。

 彼は暗殺を恐れていてホテル住まいだそうです。夫婦そろってそれを続けていれば、相当な額の出費が要りますね。あの時期に、5億から、10億円の収入があったと見なされます。

 ビートたけし(といったら読者に怒られるかな? 北野監督といわないと?)が、2010年か、2011年に、「俺は、13億円の収入がある」と言っています。だから、久米宏は、あの歳月に、20億円ぐらいの収入があったのかもしれません。

 それに今、逼塞をしていますが、それこそ、地下潜行をして、機械的にそういう装置を用意されていて、私のパソコンの画面を同時に見ていて、アップする前のブログ原文を見ていて、都合の悪い部分に対して、破壊工作を行っているのかもしれません。しかし、以前のようにワードが使えない形をすると、私がそれをやっている犯人を、すぐ見破ってしまうので、昨日から始まった電灯の点滅を利用したと思われます。まあ、誰が、やっているか、こういうブルーカラーとしてのエージェントが担う部分は、個人名が特定しにくい部分ではありますから、はっきりと、道程できるわけでもないのですが。そして、そういう作業をする人間は、相当数、たとえば、5~10人はいると思いますが、もしかしたら、久米宏にも、その役割が与えられているのかもしれません。本日はあまりにもタイミングがよかったし・・・・・

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 今日書きたいことはこんなことではなかったのですよ。ぜんぜん違うことだったのですが、電灯が点滅したので、方向が曲がってしまいました。でも、この文章のほうが、自分が書きたかった最初の文案よりも一般性が高いので、それで、いいでしょう。

 後で、誤変換を直したら、日付と署名を入れます。

 なお、このブログの、2010年より数えはじめた、伸べ訪問回数は、1904381です。

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 最後になりました。が、朝日が軽いというのは、小泉純一郎さんは、東電の社長には向かないからです。あの方は、発言者と言う自由な立場が向いている。大組織の長になったら、大切な持ち味が失われます。それに、東電の問題は、軽口で済ませられる問題でもないです。

コメント

キャロラインケネディ大使を迎えた騎馬警官から、ニューヨークの騎馬警官を思い出す。

2013-11-24 15:34:54 | 政治

副題1、『ニューヨークの騎馬警官』

副題1、『ニューヨークの騎馬警官』

 これは、キャロラインケネディ新大使が、皇居に馬車で向かった日に思い出したことですが。

 1999年の9月の事です。私はニューヨークマンハッタン島の中心より、やや西側に住んでいました。ニュースで、ニューヨークと言うと、すぐ出てくるタイムズスクエアー(または、ブロードウエー)に、徒歩7分で行かれるという便利な場所でした。

 一部屋だけ借りて、あとは、シェアハウスと言う形式で、台所やお風呂は皆で使います。800ドルで、当時の日本円に直すと、10万円です。6畳ひとまで、10万円はお高いが、初めてのニューヨークで、しかも駐在員と言うわけでもなくて、誰にも何も世話をしてもらえないので、日本の丸善においてあるOCNニュースで、見つけた場所で、文句は言えない場所です。

 マンションではなくて、商業ビルの8階部分を丸々、100平米ぐらい借り切って使っている日本人夫妻の一間を、また、借りしたのでした。今日は規制緩和と言うことについて語りたいのですが、借りたものをさらにまた貸ししても、ニューヨークでは、誰も文句は言わないのでしょう。日本ではだめなはずです。

 ところで、もしかしたら、8階ブン、丸々、買い取っている可能性はありますが、それは、持ち主側がやらないと思います。権利関係が面倒になるから。

 窓は、はめ殺しのガラスが入っていて、私の部屋には、カーテンもありません。全室に強力な空調が入っていて、それで、外とつながっているという形なのに、ある朝、ひづめの音が聞こえてくるので、びっくり仰天をしました。斜め横に、8th Ave と言う南北に走る大通りが見え、そこを、騎馬警官がかっぽかっぽと歩いているのでした。一騎で、南から北へ向かって。そこはマンハッタン島としては、西側に当たるので、朝の五時では、車は通っておらず、人もあまり居ないので、悠々としたものです。

 ニューヨークもこうならワシントンも同じでしょう。『おー、おー。優雅なものだ』と、感嘆をしました。マンハッタン島を、南北に走る道路は、ここで、東から数えて8本目ですが、斜めに走るブロードウィイなどを入れて、ほぼ、10本あるので、10人ぐらいの騎馬警官が、ニューヨーク市警の一員として、常駐勤務していて、お馬さんのお世話をしているのでしょう。そういう警官は、・・・・・・別の町に居るらしい、あの乱暴な、カラードの少年を、警防で、叩きのめす、警官・・・・・とは違うと、私は感じています。

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コメント

天皇陛下と、日曜美術館の双方を、私的に利用する、エージェントたち(+姜尚中)□

2013-11-21 23:14:22 | 政治

 今、22日の午前4時で、17746字の段階ですが、初稿としては、完成したといわせてだきたいです。そのしるしとして、総タイトルの右横に、□印を付けておきます。誤変換が残っていると思いますが、音読みに直してから、正しい漢字変換をご想像いただくことで、お許しくださいませ。

なお、猪瀬知事が、徳州会から、5000万円もらっていたというニュースが出てきました。それに対して、私はまったく動じないのですよ。以前書いたことが、否定されているとも思いません。と言うのも、何度も、醍醐イサムについて書く予定があると言っていますね。そちらの中で、維新の会について触れるつもりでしたから。そういう文章を準備中でした。

 ただ、ケネディ新大使現るとか、大島理森氏が、除染を勧めた問題とか、COP19とか、いろいろ間に挟まりますので、なかなか、醍醐イサム篇に着手できないだけです。

 しいて言えば、野田自民党、税制会長が、消費税導入を急げと、20日に自民党内で、言ったというニュースを解説しておかないといけないなあと思っておりますが、ともかく、下の文章を完成させるのが先でした。

副題1、『ネイヴィブルーのカーディガン・・・・・C.ケネディ大使・日本見参・三日目』

副題2、『天皇陛下・予定・と言う、検索項目が、グーグルで、出てきた!』

副題3、『庶民に人気のある、天皇・皇后・陛下』

副題4、『哀切極まりない、声音の、・・・・・天皇陛下ばんざい・・・・と言う声を聞いて、驚いた』

副題5、『日曜美術館の印象に残る司会者達、山根基世、ハナ』

副題6、『黒澤保裕アナの感動する姿はすばらしい。・・・・・・桜井浜江さんは、太宰治の饗応夫人のモデルだったが』

 副題7、『NHKは、畑違いの姜尚中氏を、日曜美術館の司会者に起用したが、その理由は?』

副題8、『私は、ここで、睡魔に急襲されるが、それは、神様からのストップ命令だったかな?』

副題9、『是枝監督と、姜尚中氏がNHK ETVで対談をしたが・・・・・』

副題10、『姜尚中氏の奥様の情報が一切出てこないが、宗教団体が、言論弾圧をしているのかな?』

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副題1、『ネイヴィブルーのカーディガン・・・・・C.ケネディ大使・日本見参・三日目』

 ケネディ大使が、本日三日目として、日本人の目の前に姿を見せました。横田基地訪問だそうです。紺のカーディガンに、赤いシャツ。それに、カジュアルな首飾り。今日は暖かかったといえ、ウールのロングコートではなかったことが、やはり、好ましいです。

 そして、色も状況にぴったりです。働く人と、一緒に居る場合の色です。ただ、やはり、スーツではなかった。

 さて、すばらしいデビュー振りですが、私が思い出すのは、初日の奉呈式の日の事。馬車の事です。皇宮警察の一部のメンバーが、あの騎乗警官たちだと思うのですが、

 馬車の御者は、いいのですが、他の人のヘルメットが、形が、変ですね。下のお洋服とバランスが取れていないです。もう少し大きいほうがいいです。で、白い羽飾りをつけたほうがいい。

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副題2、『天皇陛下・予定・と言う、検索項目が、グーグルで、出てきた!』

 ある日、(それは、正式に言えば、国立博物館・平成館で、皇室の秘宝展が開かれた時の9月の第二週の火曜日だったと、なんとなく、覚えているのですが、正しくはないかもしれません)

 私は、芸大美術館に向かっていました。そちらで、何を見たのか、不思議なことに、その後での経験が、強烈だったので、覚えておりません。上野駅の公園口で降りて、池のそばを通って、芸大へ向かうときに、警察車両が異常に多いのです。灰色の機動隊のバスも数台居て、パトカーとか、ブルーグレーの車もありました。後で、天皇陛下が上野にいらっしゃるので、警備をしていたと、わかるのですが、私は天皇陛下の動静など、興味がないので、もちろん知らなくて、『どうしたのだろう。何があるのだろう』と、いぶかしく思いました。

 で、その大量の警察車両を見るのが嫌なので、同じ道を通らないで、帰ろうと思いました。国立博物館前の道路は、ふつうの車両が往復する道路なので、警察車両など、停車していないので、そこの歩道を、旧、池田公の東京のお屋敷にあった(?)黒門の前を通って、上野駅に向かおうと思ったのです。すると、国立博物館の前で、4,50人の人が待っています。

 後30分で閉館なので、入るのかと思えば、停留して、入らないのですね。で、不思議に思ってある人に、「皆さんは、何を待っているのですか?」と、聞いたら、「天皇陛下が、見えるので、待っているのです」って。今、念のために、グーグル検索をしたら、確かに、<天皇陛下予定>と言う項目がありました。

 これを見て、あの大勢の人たちはキャロラインケネディ新大使の馬車行列を、待っていたのでしょう。なるほどねえ。ケネデイ大使は、帝国ホテルから出発したのかしら。虎ノ門のアメリカ大使館からではなくて? そういうことも書いてあったのかしら?

 ともかく、こういう待ち人(または、出迎え人)、は、北朝鮮などとは違って、本人の意思で、きているわけなので、その対象になる人の人気と言うものがわかるので、アメリカ側としても、してやったり大成功と思っていることでしょう。

 でも、私は、そのケネディ大使の待ち人より、数年前の上野での、光景のほうが・・・・・数は少なくても、不意打ちに近かったので・・・・・、大きな印象を得たのでした。

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副題3、『庶民に人気のある、天皇・皇后・陛下』

 丸の内の2013年ではなくて、上野での、昔の事へ戻ります。最初は50人ぐらいだったのですよ。だけど、博物館の催し物を、見終わって出てくる人が加わったり、新しく、ひとえに、天皇陛下を迎えるために来た人が加わったりして、最終的には、100人ぐらいになりました。

 そして、五時近くになると、門から東へ向かう位置に、うんかのごとく、黒いスール姿の青年達が、集まってきたのです。30人以上はいたと思う。後で、その一人に質問をすると、皇宮警察と、警視庁(もしくは警察庁?)が半々で、警備をしているのですって。

 皆美形です。そして、どちらかの襟章は、サクラでした。しかし、人数が多すぎるとは思いました。今、天皇陛下に爆弾を投げつけるような日本人は居ないでしょう? 絶対に居ないでしょう。

 でも、いつも例に挙げている井上ひさしは、天皇制反対です。ところが、天皇陛下を利用しています。それは、わかっていますが、ここでは、その例を挙げません。

 それから、前報で、伸べている、日比谷野外音楽堂で、天皇陛下を侮辱する、パフォーマンスを行った佐高信なども、天皇陛下に、爆弾をぶつける人たちと、見なせるでしょうか? まさかねえ。野外音楽堂のパフォーマンスを批判されただけで、急に静かになったぐらいですから、爆弾をぶつけるようなことは、やらないでしょう。となると、税金の無駄使いとなります。出動人数が多すぎです。そこから消費税を上げるべきではないという論へ入っていくのですが・・・・・まあ、それは後回しにして・・・・・・

 でね。その上品な警官達が多すぎるということは、天皇陛下がいらっしゃって、門の中に入ってしまって、庶民達が、解散してしまってから、目立ったことであって、もう一度、天皇陛下ご自身の車の記述に戻ります。

 誰かが、私のそばで、「ほら、ほら、もうすぐよ」と、言いました。それは、はるか向こうの警官たちの様子を見て、そういっているらしいのです。

 つまり、国立博物館の門前は、黒いスーツの美形の若い青年達が守っているのですが、100mぐらい向こうでは、ふつうの制服の機動隊員たち(?)、または、警視庁の、警官たちが道路っぱたで、警備をしているのでした。これも加えて、私は過剰警備で、税金の無駄遣いだといっているわけですが・・・・・

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副題4、『哀切極まりない、声音の、・・・・・天皇陛下ばんざい・・・・と言う声を聞いて、驚いた』

 その「もうすぐよ」と、言う人の声を聞いて時計を見ると、5時10分でした。こういうことに、慣れている人が居るのです。いわゆる追っかけとして、天皇陛下が都内のホールなどにお出ましになると、その入り口で、待っている人が居るのでしょう。で、車列が、皇居を出発して、パトカーの先導があると、ほぼ、15分で、都内なら、どこでも到着をするということを、知っているみたいでした。

 本当にその人の言うとおりでした。五時15分ごろ天皇陛下の車は、国立博物館の門前に到着しました。天皇陛下は窓を開けて、手を振られました。こちら側ですが、別に、手を振りかえすでもなく静かに、陛下を見つめているのでした。

 私の前に待っていた人物は、30代のデザイナーと言うことで、スキンヘッドでした。彼は催し物を見たついでに待っているという類の人物だと思いますが、私も含めて、偶然にそこに居るという人間と、天皇陛下が大好きで、追っかけをしている人とが、交じり合っていると思いますが、

 別に日の丸の小旗を振るわけでもなくて、手を振るわけでもなくて、目の目を、10秒ぐらい、手を振って、ニコニコして、通り過ぎる、お車を静かに見送っているのです。

 で、そこまでは、『日本の中流階級の、時間と、お金に余裕のある人たちの、偶然の、出来事だ』と思われたのです。ところが、天皇皇后のお二人が、私の目の前から去ってしまわれて、門内に入ったと思われるその瞬間に、

 哀切極まりない声で、「天皇陛下万歳」と、叫んだ男性がいたのです。私の目からは、誰が叫んだのかは見えませんでした。だが、いわゆる右翼ではありません。ふつうの人です。だから、ものすごく驚きました。

 と言うのも、私は芸大美術館のほうから歩いて来たわけですね。すると、その待ち人の列を、横から眺める形で、徐々に近づいてきたわけです。だから、どういう服装の人が居たか、大体を覚えています。9月だったので、目の前の人はTシャツです。だが、デザイナーだから、ブランド物のTシャツです。が、大体他の人も同じような服装で、美術が好きなんだなあと思わせられる人々ばかりです。

 カップルで、そこに居る人は居るかもしれませんが、団体客は居ないのです。それから、グループも居ません。主婦達は、五時なんていう時間に、上野に、居るわけには行かないのです。私は常に、「自分は、専業主婦でございます」と言っては居ますが、それは、収入面では、そのとおりなのですが、時間の使い方としては、子供が独立した後では、ほとんど、キャリアーウーマン化しているから、主婦とはいえないのです。

 ともかく、強調したいことは、その場には、右翼と思われる人とか、戦没遺族と思われる人は、居なかったと言うことです。退職後のサラリーマンはいたかもしれません。声は、50過ぎの男性だと思われました。でも、なんとも切なくて、聞いていてたまりませんでした。

 その声は、天皇陛下が当時おかれていたご苦労の状況を、同情し、その姿へ慕い寄る、まことの敬愛の、念に満ちたものだったのです。

 私が、銀座に行くとき、よくデモ隊と遭遇するのですが、あの人たちの手垢にまみれたシュプレッヒコールとはまるで、違った切なさに満ちた声なのです。

 その人は大きな声はあげましたが、別に手を万歳の形で、あげたわけではないので、誰がそれを発したのかは、私にもわからず、他の人にもわからなかったと思います。そして、人々は、別にそれを気にするでもなく、淡々と、離散して行きました。二人で、来ている人たちも、別に、「誰かしら。あの大声をあげた人」とか、語り合うこともなく、すっと、去っていきました。

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副題5、『日曜美術館の印象に残る司会者達、山根基世、ハナ』

 私ね、その声のせつなさに、胸を締め付けられるような気がしました。天皇陛下に、人気があることが、わかったのですが、その頃の天皇陛下って、メディアから、大切にされていませんでした。だからこそ、その男性の声に、哀切な調子が加わっていたのでしょう。深い同情の念があったのだと思われます。

 ところで、その頃、マスコミとメディアすべてが、天皇陛下を、粗末に扱う傾向があったのは、NHKニュースでも顕著なことでした。行動の報告に敬語を使わないのです。

 私はこの一文内で、上の方では、天皇陛下の行動に関して、わざと敬語を使っていません。それは、このNHKの変身と言うポイントを強調したいので、使っていないのです。

 NHKは、本当に長い間、天皇陛下の行動報告に、敬語を使いませんでした。そして、2009年から、2010年にかけて、報道特集の38%が、韓国特集か、日韓関係特集で占められていました。

 この頃は、韓国を上に立て、在日を上に立てるということが、NHK内で、めちゃくちゃに強かった時代です。姜尚中氏が、まったく畑違いなのに、日曜美術館に司会者として登場したのも、この頃です。

 その登坂の理由を申し上げましょう。それは、前任者の、黒澤保裕氏の『桜井浜江』の週を私がべた褒めしたからです。私の文章を徹底的に否定してやろうと言う向きがあります。

 黒澤保裕アナウンサーは、桜井浜江さんの絵に、感動をして、それを、素直に、視聴者に伝えました。脇に座るのは、壇フミさんで非常にコンビもよくて、楽しめました。その前が、ハナちゃんと、山根基世アナで、二人のコンビネーションが悪くて、ひどく、嫌な思いをし続けたので、本当にほっとしたのです。

 これは、二人のどちらが悪いともいえないのですが、しいて言えば、ハナちゃんを起用したのが間違いだったというか、または、ハナちゃんに合わせるのは、男性アナでないといけなかったというべきでしょう。ハナちゃんは、美術に関しては自信があるらしいのです。だが、山根基世さんも自信があります。佐藤忠良の『帽子の女』が、山根アナをモデルにしたことは、有名ですよね。だから、脇で、必死にあれこれを述べているハナちゃんを、山根アナが、『何を言っているんだろう。この子は、未熟なくせに突っ張って、偉そうにしていて』と、思いながら、仕方が無くて、勝手にハナちゃんに語らせている・・・・・というのが見え見えでした。

  一方のハナちゃんの方ですが、彼女も賢いので、山根さんに疎まれていると言う事は、わかっていたのではないかしら。でも、それが、わかっていても、控えめにして、山根さんを立てるという事ができなかったのだと思いますよ。

 若いから、身を引くということに対する、恐怖感があったと思われます。『ひくとは負けるということで、そうしたらその先に、私はどうなるかしら?』と言う恐怖感があったので、あれほど、でしゃばったのでしょうね。その加減のよさを学ぶのは、豊富な人生経験です。不幸や失敗を含めた人生経験が足りなかったから、ああなったのでしょう。

 または、後ろ盾に居るマネージャーとか、お母さんが、『どうしたら、視聴者に、受けるか』と言うことを教え足りなかったのだと思います。ああいう態度では、人気が出ないでしょう。こちらの視聴者側が、なんとも、落ち着かないのです。

 きゃあ、きゃあ、しゃべるからいけないというよりも、場全体を和ませ、落ち着かせることができないのでした。たとえば、それができる人の例としては、『猫のしっぽカエルの手』の、ベニシアさんが当たるでしょう。非常に、耳に心地よい発言が、続きます。

 お顔がきれいで、頭がよいというだけでは、いいタレントにはなれません。ハナちゃんは、もう少し人間として、修養をする必要が、あります。海外留学をして苦労をするとか、結婚をして子育てをするとかを、しないと、発展がないと思いますね。山根アナは、他の番組では、好感度が高いので、あの番組が当時、めちゃくちゃに、神経を使わせられたのは、ハナちゃんに原因があったと思います。

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副題6、『黒澤保裕アナの感動する姿はすばらしい。・・・・・・桜井浜江さんは、太宰治の饗応夫人のモデルだったが』

 ところで、上のコンビの次に登場した黒澤保裕アナと壇ふみさんのコンビは、すばらしかったです。それは、二人とも対象に、真摯に向かい、自分を捨て去ることができたからです。上での、山根アナとハナちゃんのコンビの何がいけなかったかと言うと、二人の相性が抜群に悪かったということもありますが、

 ハナちゃんのほうに、自らを捨てるという事ができないのもだめだった原因でしょう。ブラタモリが成功したのは、久保田アナの起用によることが大きいといわれています。上司は久保田アナに、「事前には予習をしないように」と、命令したそうです。そして、慶応大学卒の才媛である久保田アナは、余裕がある人格のせいで、そのとおりを実行して、事前の予習をしなかったらしいのです。以前、慶応大学の坊ちゃん達が勉強をしていないといいましたが、育ちがいいことは確かなのです。久保田アナは、その上、いい家庭・・・・・(と言うのは金銭面ではなくて、愛情たっぷりな両親がいたということ)・・・・・に育った人固有の余裕を示していて、大きく番組に貢献をしました。世慣れた人、というか、ある意味で、アクの強い人であるタモリに配するに、実に、適切な人だったのです。

 壇フミさんですが、難しいご家庭に育ったとしては、抜群に、成熟度の高い、かつ好感度の高い女性です。で、その円熟度の高い壇フミさんを脇に従えて、黒澤保裕アナの担当の日曜美術館が始まったのですが、とても好感度が高くて、特に、桜井浜江の章には瞠目をしました。

 私は女流展と言うのに、1990年から2003年まで、14年間連続出品して、入選を続けたのですが、その当時、桜井浜江さんは女流画家協会のトップでした。「日本は、男性優位の社会だからこそ、女性だけの会を作った」と、毎年演説をなさっておられました。その演説の言葉は勇ましいのですが、ご本人自体は、やせておられたのです。

 そこの乖離が不思議だなあと思っていたら、なんと、太宰治の饗応夫人のモデルが桜井浜江さんだとわかりました。それがわかったいきさつもまた、数万字、書けるドラマなのですが、本日はそこはすっ飛ばします。

 私は無論、若い日に饗応夫人は、読んでいて、別に自分と似ているとは思いませんでした。だけど、主人に言わせると、そっくりだそうです。そういえば、子供が小さいときは、我が家は一種の保育所状態でした。朝の8時15分からよそ様のお子さんが遊びに来て、夜の6時まで、滞在するので、本当に大変でした。だがね、そういう奉仕の時代があることが、今の自分を生き生きとさせています。大変つらくて、歯を何本も失いました。だが、人間がどういうものであるかを、そこでも学びましたから。

 人間って形がないものに対しては、大切にしないのですよ。もし、保育所と名乗って形を整えていたら、最大級の感謝をされたでしょうが、私の場合には、ただ、ただ、愛情のみあるだけなので、お金ももらえないし、感謝の言葉さえもらえないのでした。

 そして、母親が、私を目下の奴隷みたいに思っていると、子供もぜんぜんいうことを聞きません。悪いことをして止めさせようと注意してもまったく言うことを聞きません。そこで、子育ての奥義を会得しました、実母って大切なのですよ。そして、きちんと愛情を持って、すべてを見ておかないといけません。預けっぱなしが楽だなんて、100%勘違いもいいところです。他人に任せっぱなしにすると、実質的には、大損なのですよ。物事の真実を学び、本当のしつけができる、大切な時期を、逃すからです。三つ子の魂、百までと昔の人が言ったのは本当で、その頃までに、やっていいことと、やってはいけないことの区別が付くのです。また、それが身に付くように導かないといけません。

 他人にはそれは、教えられません。どうしてかと言うと、母乳を与えるかどうか、食事を与えるかどうかと言う基本的な部分が、アメと鞭のアメに当たるからです。朝食や夕食を与えない他人である私の言うことなんか、よそのお子さん聞きません。だから、しつけとは、実の親しかできない事なのです。表面だけ言うことを喜久子は居ます。だけど、誰も見ていないところで、きちんとできる子は、親がそれを育てたのです。

 そんな三歳までの、大切な時期を、保育所でも、友達でも、他人に、預けるのは危ないです。「先生が教えてくれるはずだ」と思うのは甘いです。子供って、親の言うことしか聞かないのですよ。

 恐ろしいほどはっきりとわかりました。ですから、専業主婦として、育てる場合でも、保育所で育てる場合でも、日曜日などに、よそのお子さんを呼んで、子供たちだけで、すごしている世界をつくり、それを自分が、ちゃんと見つめないといけません。「保育所に行っているから、そこで、子供にはよい遊び友達ができたはずだ」とか「学校でできたはずだ」と思って安心して、家の中では、親子の間だけ、仲良くできれば良いと言うのは、間違いなのです。

 子供の真実の姿って、友達と遊んでいるときに出てきます。それを見ないとだめなのです。一方で、他人のお子さんでも、私の言うことをよく効く子が居ます。その場合ですが、その子の親が、そのアメと鞭の使い分けが上手で、本当にきちんと、三歳までに、「やって、いいこと」と、「やってはいけない事』を、子供にわからせているのでした。そういうお子さんだと、私と言う他人の言うことも聞きます。

 だけど、親が楽をしたくて、二歳ごろから、プレ幼稚園時代を全部、他人に任せていると、とんでもない野獣になります。親の前ではいい子なのですよ。だけど、それは、一種の演技です。

 親のいないところでは、野獣になります。だから、親となった限り、かわりばんこに、集団全体を、世話をするのが大切なのです。誰か似、子育ての負担を預けっぱなしではだめです。

 すべては平等にしておかないといけません。楽をしてはだめなんです。少年や少女が事件を起こすときに、絶対に、その子の親は手抜きをしています。特に、幼い頃にね。何も、わかっていない親が居るのです。子育てって、洋服を買って与え、ピアノなどの、習い事をさせて、それから、おいしいものを食べさせるだけでは、いけないのですよ。

 事件を起こすと言う形で、外へ不満が向かう代わりに、引きこもりやリストカットなどの、自傷行為に走るお子さんもあるでしょう。そういうお子さんのご家庭では、きっと、小さいときに手抜きをしているはずです。

△▼△▼△▼△▼1、

  で、桜井浜江さんに、お子さんがあったかどうかを知らないのですが、お子さんのかわりに、ご主人を慕って出入りするお客達が居ました。戦後の食糧難の時代に、必死になって、彼らに食べさせるというご奉仕をなさったのです。それで、ある世界で、トップの位置を占めるように神様が計らったのだと思います。リーダーシップを取りたいなどと、思っておられなかったと思いますよ。だけど、「どうか、トップを引き受けてください」と、頼まれなすったのです。

 で、他人に気を使う繊細なところのある方でしたが、私がその形骸に、接した頃は、ご主人はすでに、なくなっていて、画業に、専念されていたと思います。で、自分が、従者ではなくて、仮定の中では、主役になられましたね。だから、小説に書き表された若い頃とは、変化してきて、ものすごく、力強いものに、なっていました。樹幹を、表現する連作があって、最終段階まで、大きなサイズの油絵を描いておられたのです。

 黒澤保裕アナは、それに、感動して、心が弾むように解説者と、お話をしていました。いい映像でした。前の二人が、もう、毎回確執を示しあっていましたね。それでは、司会者達自身の自我が、前面に出てくるということなので、邪魔になって邪魔になって、仕方がなかったのに、感動している、黒澤アナは、自分とか、自分が、どう視聴者に見えるとか、言う部分は、まったく捨て去っていて、桜井浜江の作品へ、打ち込んでいました。

 それを文章に書きました。すると、突然、黒澤アナから、司会者が、姜尚中氏に代わりました。大きな違和感を持ちました。姜尚中氏は当時、東大教授だったそうですね。だけど、政治学が専門です。それなりに忙しいでしょう。そういう身が、こういう場所にでしゃばってきていいのだろうか?

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 副題7、『NHKは、畑違いの姜尚中氏を、日曜美術館の司会者に起用したが、その理由は?』

 どうして、それが、許されるのだろう。東大教授は国家公務員ですから、単発で、意見を求められることはあろうし、それは、許されても、こんなに、毎週、毎週、しかも自分の専門分野以外のところへ出演することが許されるのだろうか?

 いくら、氏のスケデュールを優先して、日曜日に収録していますと、NHKが弁解をしても許されることではないと思います。ここまで、タレント活動を許されるのなら、東大は、姜尚中氏を講師(今は、特任教授とか言うのですか?)にするべきです。めちゃくちゃですね。私は東大に、勤めていたことがあるから、

 なお、姜尚中氏は、今は東大の教授を辞めています。だが、私が問題にしているのは、2009年の事で、氏がまだ、東大教授だった頃の事です。

 どうして、同僚が許すのだろうと、疑問点はいっぱいです。

  大学紛争を経験した世代としては、当時だったら、絶対に許されない現象だと思いますけれど。いつの間に、ずるずるになったのだろう。ここは、本当はビートたけし氏の芸大教授就任とか、御厨貴氏のテレビ番組出演も、批判をしないといけません。が、字数が、膨大に膨らむので、姜尚中氏に特化して語ります。

 その後、私は、仕方がないので、引き続き、日曜美術館は見続けましたよ。姜尚中氏は、ソフトな語り口であって、何も問題なく、司会業を進めました。しかし、毎回見続けながら、この人が、例のエージェントたちに、リクルートをされた経緯は、すいすいと読みぬけ、

 『この人は、いわゆる棚から牡丹餅で、このよい仕事を得たのだけれど、

 それは、実は、私のせいなのですよ。私を、追い詰め、悲しませるために、もと、ICUの準教授だったあなたには、おいしい仕事が舞い込むのです。その経歴から、私があなたに興味を持って、もともと、よく見ていたこの番組を、さらに見ることを敵さんたちから願われています。そして、私が、あなたを、見れば見るほど、これから先にエージェントたちが考えている策、すなわち、=====あなたを、高めに、高めて、さらに知名度を上げ、出世させること======が、効果をあげると、考えてい増すね。それが、よくわかるので、私はあなたに対しえては、決して感情を波立たせず、常に、冷静に接しましょう。

 ただねえ。これは、棚から牡丹餅でもあるが、もうひとつ言えば、、魔弾でもあるのですよ』・・・・・・、と、毎回、毎回、心に思い続けて、それを、復唱し続けていました。

  グーグルの検索で見ると、黒澤アナと、姜尚中氏は、同じ期間司会をしたように見えます。だが、毎週丁寧に、見ていた人間とすれば、違いますよ。それは、カレンダーのマジックであって、姜尚中氏は、黒澤アナの二倍の期間は、司会を続けました。 

 で、このとき、日本の老若男女、階層の上から下までに、知名度を上げ、人気度を高めました。私の敵が、狙ったとおりの結果が起きたのです。

 一方の私に何がおきたかと言うと、書く事に対して非常に不自由になりました。書いたとたんに、黒澤アナが、降板をさせられたと感じましたので、テーマについて、大きな制限を受けました。それ以降、相当に、私はデプレッションを受け、不自由極まりない中で、モノを書いています。行動の自由へ、これほどの制限を、どうして、彼らに、受け続けないと、いけないのか?

 その上、黒澤さんが、嫌な感じを受けたはずです。日曜美術館は、石田典夫アナには、抜群に長期間任せました。これは、石田アナの特別番組かと思うほど、石田アナが長期間司会をし続けました。『比較して、こんなに早くやめさせられる。これは、何なのだ』と、ご本人も嫌な感じをお受けになったはずですよ。

 深い怒りに燃えます。と言うのも、最初の段階に戻って語れば、どれほど、私が怒っているかが皆様にも伝わりましょう。北久里浜にある公有地、横須賀市の水道山をただ取りした、地籍変更届を利用した、実質的な詐欺事件に、巻き込まれたために、瀬島龍三(その当時、実行したのは、瀬島の友人の元海軍参謀の、益山某氏)の悪事を目撃してしまいました。そのときから、我が家の電話と、室内は、盗聴を、受け、ご近所住まいの安野夫人が、わがままで、わがままで困るといったがために、安野夫人には、ことごとく、名誉とお金が降り注ぎ、そのオタクの、次男さんは、御成り中学で、1と2しかないということで、有名だったのに、・・・・・・

△▼△▼△▼△▼2、

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副題8、『私は、ここで、睡魔に急襲されるが、それは、神様からのストップ命令だったかな?』

  さて、皆様、ここで、私は生涯かつて、経験したことのないような激しい睡魔に襲われました。これは、時間的な推移を考察をするとありえない現象でした。と言うのも、そのときに、私は、おきてから、まだ、9時間目だったのですから。

 今、ここに加筆中の 一文は、20日の夜10時から書き始め、21日の午前五時までに、△▼△▼△▼△▼1印のところまで書いています。そのときは一種の徹夜明けとなっていて、連続20時間起き続けています。まだ、それほど、眠くはなかったのですが、

・・・・・天皇陛下の政治利用が、鎌倉では、こっそりと、実行をされている・・・・・と言う部分に入る予定だったので、熟睡後の、きれいな頭で書きたかったの、20時間目には床に入ったのでした。その5時間後の、午前10時に目が覚めました。すでに、老人性睡眠時間に慣れている私にとって、5時間は十分です。しかし、すぐにはパソコンには向かいません。本日は家事あれこれと、刺繍を少しいたしました。2,3年前とは、書く事への姿勢が、異なってきているのです。何を考えて、変えたかと言うと、長生きをしたいと思うようになったからです。

 現代日本には悪が満ち満ちています。で、ほとんど絶望をしかかっていたのですが、そこを切り裂くように、天の采配が現れることもあるのでした。で、日本社会の浄化と言うことが、ひょいとと言うほどの奇妙さで、出来するのでした。

 それを、ずっと、見定めて行きたいと思っているのです。だから、長生きをしたいと思っています。それで、できるだけ、パソコンに向かわないように努めているのです。

 で、起きてから7時間目の午後5時に、△▼△▼△▼△▼印以下△▼△▼△▼△▼2印までを書き始めたのに、突然の、睡魔に襲われたのでした。

 それは、とても残念なことではありました。冒頭にその時点での添える言葉として、「21日の夜10時には初稿は、完成させて置きます」と宣言をしてあります。その約束を破るわけでしょう。だから、責任感の強い私は、つらかったのでした。それでも、これほどの、睡魔は、天のお指図のひとつであろうと、ブログをほうっておいて、寝入ったのです。

 でも、三時間後の夜10時には目覚めたのでした。

 私はよく、「天が書かせてくださる」といっています。これほどの、頻度で、これほどの、長さの文章をすいすいかけるのは、確かにそのせいなのです。自分ひとりの力なんて、小さいです。

 しかし、本日(21日、金曜日)の夜だけは、天が睡魔と言う形で、ストップをかけてこられたのでした。私は歯磨きもせず、夕食の茶碗も洗わず、パジャマに着替えることもせずに、ともかく、布団に入り込みました。それほどの、睡魔に襲われたのに、たった、三時間後に目覚めるとは、これは、身体上、というか、健康上の問題ではないのです。

 不思議な天の采配のひとつだったと思われます。では、何を書くなと、天はおっしゃったのでしょうか? それは、私に降りている、私をいじめてうつ病にさせるための攻撃のうち、今まで、語っていなかった部分に触れようとしたことだったでしょう。

 安野家の利得については、すでに語っています。これから、先、あそこの家がどれほどの、国家予算(数千億円にのぼる)を無駄遣いさせたか、詳細に、語る日も来るとは思いますが、それを、天がストップさせなさったわけではないでしょう。

 今までも書いているではないですか?と、読者の皆様はおっしゃるかしら? いいえ、いいえ、あんなの、軽いほうの、上から10%以内に当たるものです。これから、書く予定である、醍醐イサムに関する部分も、軽いほうの、上から15%以内にしか過ぎません。それでも、銀座には衝撃が走っているみたいで、それは、反応がありますから、わかりますが。

 で、『自分には、こういうことを、書く権利があるのですよ』と、いいたい主是・部分である、自分の被害については、まだ、書くべきではないと、天が、本日おっしゃったので、例のごとく、皆さんが、見ることのできる現象で、・・・・・それには、秘匿された真実(=裏)があるのですよ・・・・・と、言う話に入って行きたいと思います。

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副題9、『是枝監督と、姜尚中氏がNHK ETVで対談をしたが・・・・・』

 2013年10月12日の達X達(NHK ETV)で、二人の父が、父をテーマにあげて、語りあいました。しかも、その番組の宣伝があっちこっちに挟まっていたので、新聞のラジオテレビ欄を、朝には、まだ見ない習慣に、最近はなっている私も、知るところとなって、録画をすることになりました。

 是枝監督については、最新作が話題になっているのは、知っていました。旧作の『誰も知らない』は、テレビ放映で見ました。ああいう子育て放棄の状況が、現代ではさらに、頻発をしているのではないかと心配です。

 大衆に理解をされる天才とは、半歩先を歩んでいることが肝腎だと、聞いたことがあります。時間的だけを言えば、是枝監督は、10年ぐらい早く、そういう社会現象の、悲しみを捉えていたのですね。そういう意味で、尊敬ができます。その上に、幸いなことに、そのときまではエージェントたちに、私をいじめる目的で、彼が使われたことはないのですから、私は気持ちよく、その番組を見たいと思いました。その達X達という番組を録画したのは、前後で、その一回だけでしたが。

 ただ、姜尚中氏に関しては、『もうこれ以上は、彼については、何も知りたくないなあ』と言ううっとおしさはありました。上にも言っているように、本人がどこまで、それを知らされていたかどうかは、寡聞にして知りませんが、彼は、私をうつ病にさせるための道具として、エージェントたちに使われた人間ですからね。

 なお、私がこれほど、攻撃をされるのは、私のほうにあくとか、落ち度はないのでして、ただ、目撃者であるからです。エージェントたちの性格の悪辣さと、彼らがやっていることの悪辣さについて、つぶさに知っているからこそ、うつ病にして、入院させてしまうか、自殺へ追い込んでやろうとたくらまれているわけで、そのために、種々さまざまな人間が使われてきています。姜尚中氏も、その一人です。

 で、その番組が始まって、姜尚中氏が、すでに、東大教授を、辞めていることを初めて知りました。私はすごく忙しいので、目の前に現れる現象について、書いていくのが必死で、重要な人物であろうと、その動静を追っかけたりはしないのです。今日初めてその件について書いた、東大教授なのに、NHKの相当に重要な番組のひとつである、日曜美術館の司会をしていてよいのだろうかと言う批判は、当たらなくなりました。

 その次に、次の就職先として、聖学院大学と言う名前が出てきました。私は神奈川県のしかも南部に住んでいるので、城北高校ですら、知らなかった人間ですから、そちらも、もちろん知らなくて、今、一時間ぐらい、グーグル検索を繰り返したところです。プロテスタントの学校なんですって。だけど、矛盾や疑問をいっぱい感じて、大急ぎで、グーグル検索で、調べまくりました。

 ICUのホーム頁が、「卒業生ではないんですが」、と断って、長時間のインタビューを行っています。それが一番充実していました。姜尚中氏のほうも気を許して、いろいろ語っています。だけど、姜尚中氏に対して、実に好意的な、文章である、それを見ても、『プロテスタントの大学の学長になるということは、怪訝だ』と思う私の気持ちには、変化が起きません。

 でね、ここから、私は考え始めるのですが、私の場合の宗教との関係ですが、非常に気をつけていて、どこの団体にも、どこの教会にも、どこの組織にも所属をしないことに、決めています。でも、深い信仰心を持っています。こういう私から見ると、姜尚中氏の信仰のレベルには疑問があるし、大学の方針と言うか、大学そのものの、宗教的純粋さにも、疑問を感じました。

 「徳川家康が、鎖国を決めたのは、副題10、『姜尚中氏の奥様の情報が一切出てこないが、宗教団体が、言論弾圧をしているのかな?』宗教を使って、支配したい国家を、内部から崩壊させる欧米列強の、手法に気が付いたからだ」といわれていますよね。無論、家康の、宗教弾圧が肯定されるものでないことは、知っています。ただ、江戸時代への再評価が今、盛んなように、その時代は、日本は、確かに、独立国家だったのです。今は被・植民地国家ですけれどね。

 で、今の、最高の権力者である国際的軍産共同体、の頭脳部分が、再度、宗教を使って、日本を支配しようとしているのだったら、姜尚中氏がプロテスタントの大学の学長になるというのも、頷けます。なるほど、なるほど。

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副題10、『姜尚中氏の奥様の情報が一切出てこないが、宗教団体が、言論弾圧をしているのかな?』

 その番組の録画を見て初めて知ったのですが、姜尚中氏の息子さんが若くして急死をしたそうです。たぶん、自殺ですね。私は、この11月に入って、その録画を見るまで、一切を知りませんでした。

 で、言いたいこと、語りたいことはいっぱいありますが、本日は、語りません。それよりも奥様について語りたいです。子供を育てるのは、離婚を正式に外部へ言い出していない場合は、両方に責任があります。

 現代日本は、子育てに下手な社会であります。特に四年制の大学を出ていると、そこに入学する場合は、小学校の四年ごろから受験勉強をしないと、いい大学へは、入れないのですから。そのために、名門大学をでた女性が、母親になったあとで、壁にぶつかります。このケースもそうであったか、そうではなかったかを知りたいところでした。

 ところが、項目だけは、出てくるのに、実体のある文章が一切出てきません。で、私は、その理由や原因を考え始めます。もし奥様が精神病院にすでに入院なさっているとすれば、それには、好感を持ちます。『悩む力・続』などと言う本を著したり、テレビに出まくって、カメラの前で、その事情を語る父親より、ずっと、『お子さんを愛していた』と、感じられますから。

一方で、新興宗教に入信したとも出ていて、そちらの団体が、お子さんの自殺がマイナスイメージを与えることを恐れて、拡大にマイナスになるので、伏せているとも考えられます。もし、それが、統一教会だと、私が批判の途中で、文章を連続させていない、一ノ瀬智恵乎さんに、リンクがつながります。

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 なお、この一文は、天皇陛下に、人気があり、それゆえに、鎌倉エージェント(+東京在住エージェント)たちが、利用し始めえ居るということを語りたかったのです。起承転結はそうなるはずでした。ケネディ新大使の皇居への馬車訪問がありましたので、この文章が思い浮かんだのでした。しかし、本日は疲労しきりました。で、そこまでの完結力を見せないまま、この文章を終わることをお許しくださいませ。

 後で、推敲をしたら、日付と署名を入れます。

 なお、このブログの、2010年度より数えはじめた伸べ訪問回数は、1899858です。

 

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JR北海道を、どう、救済するか? JR東日本、前社長のノーネクタイ記者会見を批判する

2013-11-20 06:45:58 | 政治

副題1、『卵色のカーディガン、・・・・・・ケネディ新大使・二日目』

副題2、『JR東日本、前社長の、ノーネクタイ記者会見を批判する』

副題3、『JR東日本と、JR北海道の違いと、日本政府の政策の、間違いを、ここで、指摘したい』

副題4、『JR北海道の前社長に、哀悼の意をささげよう』

副題5、『金だけが、優先される、悲しくも低劣な日本に、いつなってしまったのだろう?』

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副題1、『卵色のカーディガン、・・・・・・ケネディ新大使・二日目』

 奉呈式の次の日、キャロラインケネディ新大使は、霞ヶ関と永田町を訪問しました。そのときの服装ですが、スーツではなかったですね。ワンピースと、カーディガン(または、カーディガン風なジャケット)、質はとてもよさそうです。だが、最もすばらしかったのは、形です。驚きました。カーディガン。

 私ね。ニューヨークから帰った後、5年ぐらいは冬でもカーディガンで、で歩いていました。ニューヨークと比べると、冬の東京は暖かいです。で、六本木(または、西麻布)で、夜に「あなた、外人?」と、ブティックを経営していますという、上品な日本人女性から言われたのです。

 だから、キャロラインさんの、『公式の席でもカーディガン』と言う形には、理解ができる人間です。ただし、日本人がそれをするとだめだと思う。キャロラインさんは、母親がファッションアイコンだから、許されます。ジャックリーン夫人より、性格を言えば、ずっと控えめで好ましいが、ファッションも好ましいです。

 ただ、女性だから、朴クネ大統領みたいにならないか・・・・と、そこだけが、心配ですが、お品のよい笑顔をみていると、たぶん、それは、ないでしょうと、思っています。

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副題2、『JR東日本、前社長の、ノーネクタイ記者会見を批判する』 

ところで、霞ヶ関とか、永田町に出没する日本人・男性ですが、クールビズが始まってから、ノーネクタイで、記者会見に臨んだり、海外からのお客に対応したりします。このケースで、もっとも、『だめよ、それって』と、思ったのがJR東日本の前の社長のケースです。

 むろん、JR東日本は、永田町に会社があるわけではなくて、新宿にあります。それに、政府高官でもないし、国家公務員と言うわけでもありません。でも、ものすごく大きな会社です。そして、国民多数に影響を与えます。その社長が記者会見をするのに、カラーシャツでノーネクタイ。これは、いけません。

 ところで、最近、東京駅八重洲口が、リニューアルされました。私は画廊めぐりを終わると、時々は、八重洲口から東京駅へ入るので、そこが、工事中の塀で区切られていて通りにくいのには、ずっと気が付いていて、やっと、それが、取れたなあと、ある意味では喜んでいます。

 で、いつも忙しいので、そこはまだ、チェックしていません。最近の事ですよ。やっと、丸の内を、点検し始めたのは。丸の内のオアゾは、B1だけはしょっちゅう利用していましたが地上階は、極く最近、maruzenを中心にチェックし始めたところです。

 しかし、東京駅の駅中は、よく通り過ぎるので、相当にわかっています。すさまじいレベルで、にぎやかで、豪華で、売り上げが高くありそうです。気が付いただけで、4つの商店街があり、他に通路に出店している部分もあるので、いったい、いくつの商店がテナントとして入っているのだろうと、考え込むほどです。

 私が知っている商店としては、仙台の牛タンで、有名な利休(いつもいっぱいです)と、KINOKUNIYA 。疲労困憊しているときは、紀ノ国屋で、お弁当を買って、グリーン車か、500円で席が確保できる電車に乗って、おいしいお弁当を食べながら帰宅します。そういう形で、不幸(笑い・・・・・いえ、大げさに言っているようですが、口に出せないほどの事が、たびたび、身の回りに起きる人が私なので・・・・・)を乗り切っているのですが・・・・・・それは、それとしても、東京駅そのものが巨大なショッピングタウン化しているので、外の商店街は圧迫を受けているのではないかと心配をしているのです。

 ただ、郵便局やら、ATM装置が少ないですね。郵便ポストは、これほど、大きい駅中なら内部に数個設置するべきだと思います。

 品川駅も、似たような設計ですが、東京駅より、後で、設計が行われたと、推察されるところがあって、ATMが設置されていますが、特に驚いたのが、横浜吟行のブースがあることです。

 横浜駅には、外に、それがありますが、品川駅には、中にそれがあります。うーん、浜銀も、積極的ですね。それは、いいことです。神奈川県民にとっては、浜銀は、非常に身近な銀行だから、品川駅構内に、専用のATMがあるのは、非常にいいことです。

 ただし、問題は、これほどの商店街を、駅の中に、作るべきなのだろうか? 横浜駅だけは、駅中に商店街がありません。池袋もそうだし、新宿も渋谷もそうですね。ともかく、前、JR東日本社長が、ノーネクタイで、記者会見に臨んだのは、ひどく、失礼で、傲慢だと、批判をしておきたいです。

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副題3、『JR東日本と、JR北海道の違いと、日本政府の政策の、間違いを、ここで、指摘したい』

 さて、そんなに、傲慢な記者会見をする前社長の時代に、ほとんどの、設計が済んでいて、一部、特に、品川駅が開業していました。彼は、達成感と、勝利感に満ちていたでしょう。

 そして、そのノーネクタイ、記者会見の頃は、まだ、JR北海道の、事故多発は、ニュースとして表に表れては居ませんでした。

 でも、今年から表に出てきたそれを、きちんと考察すると、根は深く、すでに、10年ぐらい前には、どうしようもないところに追い込まれていたことがわかります。

 もう、どうしようもないので、すべてをほうっておこうと言う意識。怠慢を責められては居るが、その影に、『私達は、捨てられたのだ』という悲しみや、怨念がなかっただろうか?

 モラール≪企業道徳≫の低下の影に、恨みとか、失望が隠されては居なかっただろうか?

 政策の間違いが、自分達の生活を襲っているという不全感と、悲しみが、諦めと、怠慢を生んでいる。

 今の日本全体に、それが、覆っては居ないだろうか? そして、それを心配している人間が居ないのも、不思議だし、残念だし、驚くし・・・・・

 後で、調査しないといけませんが、JRを民営化し、しかも分社化を諮ったのは誰だったのだろう。政治家の名前を特定しておかないといけません。

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副題4、『JR北海道の前社長に、哀悼の意をささげよう』

 ええとですね。これほどの、無残なモラール低下が、公開、される前に、前の社長さんが、自殺をしていますよね。はっきりとは覚えていないし、それをパソコン内の記録としても残してはないのですが、たぶん、その直前に、どこか、北海道内で、事故があって、それを苦にして自殺をしたと、報道をされました。

 で、そのときは、私は、『ずいぶん、気弱な人なんだなあ。たぶん、東大出身のエリートで、お坊ちゃま魂が、抜けていない人なんだろう』と、軽く考えていました。

 しかし、今年の秋ほど、いろいろな、内部の、ずさんさが、公開されるようになると、見方が変わってきます。『その自殺も無責任で、行われたことではなくて、深い深い、絶望の果てに、行われたことだ』と理解ができるからです。

 最近の情報開示は、あまりにも驚くべきレベルで、JR北海道がだめな会社と化していることを、示しています。それは、社長一人ががんばっても、どうしようもないレベルです。で、どうしようもないのに、責任感だ家は残っているから、自殺をされたのでしょう。『お気の毒に』、『お気の毒に』と思います。

 遅ればせながら、謹んで、哀悼の意をささげたいと思います。

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副題5、『金だけが、優先される、悲しくも低劣な日本に、いつなってしまったのだろう』

 一方で、苦悩の果てに、自殺を選ぶJR北海道の社長が居て、一方で、ふんぞり返って、ノーネクタイで、記者会見をする、JR東日本の社長(前)が居る。

 いつから日本は、これほど、不道徳で、馬鹿になってしまったのだろう。そこには、金権主義で、資本主義の効率化だけを考える発想しかないでしょう。

 国民全体の、幸せを考える発想がない。誰が考えても、JR北海道の収入と支出にアンバランスがあるのは、想像できますよね。どうして、そこを吸収して、JR東日本としなかったのだろう。

 今日は短く、ひとつのテーマだけで、文章を、終わらせてください。後で、誤変換を直して、署名を入れておきます。

 なお、このブログの、2010年より数えはじめた、伸べ訪問回数は、1898324です。

 

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なぜ、プリンセス(C.ケネディ新大使)が、日本に降臨をしたか? オスプレイ配備と関係がある筈だ

2013-11-19 21:41:00 | 政治

副題1、『2013-11-19 夜八時、私は、小さな幸せにめぐり合った』

副題2、『我が家の電話が、常に、逆探知をされていることに気が付いたのは、2011年ごろから、だったかな?』

副題3、『この雪ノ下の家では、直径15センチのしいたけが、大量に収穫できるのだった』

副題4、『盗聴の事は、何度も言っていますが、逆探知の事は、今日初めて語るでしょう』

副題5、『私は、誘拐犯ではないのですけれどねえ。(笑い)』

副題6、『なぜ、キャロライン・ケネディさんは、新大使に選任されたのか?・・・・・オスプレイ配備と関係があるはず』

副題7、『キャロラインさんは、アメリカの上流階級の、典型的体格をしていますね』

副題8、『やはり、浜銀、鎌倉支店の音楽は、計画的なものだったでしょうね』

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副題1、『2013-11-19 夜八時、私は、小さな幸せにめぐり合った』

 私は本日の夜八時ごろ、横浜銀行鎌倉支店で、預金の引き出しを行いました。そのときバックに流れている音楽に、はっと驚きました。それは、シューベルトの即興曲142番の第三楽章だったからです。これは、60年前の中一の時、ラジオで出会い、それ以来、ありと、あらゆるメロディの中で、最高に好きな動機(=モチーフ、最小単位のメロディのこと)と、なっています。

 鎌倉に引っ越してきてから、新星堂(今はお店が無くなっている。CDが売れない時代だから)で、レオンスカヤの演奏を見つけて、それを、2000年ごろは、毎日三回聞いても飽きなかった曲です。

 つい、先週も、秋葉原のブックオフで、ラドゥ・ルプのそれを見つけたのですが、解説者は、来日演奏を、べた褒めでした。その年、彼には、ずっと悪いことが続いていたが、サントリーホールのルプの、アンプロンプテュを聞いて、すべてが癒されたといってます。ラドゥ・ルプは、ハンガリー出身のピアニストですが、1945年生まれの老大家です。ただし、辻井君の優勝で、超有名なヴァン・クライバーン・コンクール他、三つぐらいで、優勝をしており、かつ、1000人に一人の、リリシストと、呼ばれているそうです。

 私の買ったCDの録音は、1982年ハンブルクにて。そして、たまたま、この2013年の10月に鎌倉に、ルプはきていたのでした。鎌倉芸術館は、我が家からは、近いようで行きにくい場所なので、知らなかったけれど・・・・・

 むかし、内田光子が、「死ぬときは、シューベルトを聞きながら死にたい」といったそうですが、それを聞いたとたんに、数多いシューベルトのピアノ曲の中で、『きっと、これか、もうひとつの即興曲(90番)が、その曲に当たるでしょうね』と思ったものです。だけど、ここで、こう書くと、内田光子さんから、違う曲だという発表があるはずです。(笑) 私が書く事はすべて、否定しておいてやろうと、意気込んでいる連中がいっぱい居ますから。

 銀行のATMに夜の八時に流れているバックグラウンドミュージックとは、有線(ただし、今はネット配信を利用している無線のはず)で、放送しているものでしょうね。まさか、裏で、残業中の行員が、同じCDを、繰り返しかけているわけでもないでしょう。(笑)

 だから、偶然の一致です。それも、100万分の一ぐらいの確立で起きる偶然の一致です。私は、こういうときに神の存在を感じます。そして自分が神に見守られていることを、感じるのです。大変ささやかな幸せです。誰にも影響を与えない、誰にも知られていない幸せです。だけど、十分以上に幸せです。

 それは、夜の8時14分ごろでした。ところが、自動ドアをくぐって、外へ出ようとしたその瞬間、下品な挿入音楽が入って、中年の女性の声で、何らかの注意事項が挟まりました。

 浜銀、鎌倉支店は、金庫室が、午後五時まで、利用できるようになって、そこでも、音楽がバックに流れている・・・・・ような気がしています・・・・。そして、ふつうの場合は、中断したことはありません。ましてや、下品な中年女性が、注意事項を言う事など、過去にはありませんでした。

 変だぞ。と、微妙な違和感を感じます。

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 副題2、『我が家の電話が、常に、逆探知をされていることに気が付いたのは、2011年ごろから、だったかな?』

 私が書くものが、あまりにも真実に近くて、国民に、真実を知らせすぎるので、私が物を書けないようにしてやろうとする動きは、数種類の方向から、常に、常に、行われていることです。まず、何回もパソコンが壊されてきています。

 幸い、私は、不思議な形で、お金には恵まれている人間なので、常に、新品か中古のパソコンを、五台ぐらい我が家に常備することが可能であって、何とか、その攻撃は、かいくぐることができます。が、そういう機械的な攻撃とともに、雇われている人間を使って、行う、より高額なお金をかける種類の、攻撃もあります。2010年ごろから、本当に、しょっちゅう、銀座で、工事がありました。予定になかったところでも、赤い段だら模様のとんがりコーンを乱立させ、急に工事が始まるのです。

 そして、私が遠ざかると、工事は終わります(笑い)。

 それから、青い制服を着て、チョッキ型の、蛍光塗料の付いた上着を着ている、駐車違反・監視員と言うのが、銀座に出没します。敵さんたちが、特に、『彼女には、これ以上は、書かせたくない』と思うと、一晩に、三組も、それが、出現するときがあります。『最近は収まっていますね』と思っていたのも、ものかは、「醍醐イサムについて書きます」と、このブログ内で、宣言しただけで、それが、銀座の小林画廊そばに、出現しました。(笑い)

 もうひとつ、人間を使う攻撃があります。それは、JRのガードマンを利用して、『お前が今どこにいるかを、こっちは知っているのだぞ。尾行をしているのだぞ』と知らせる仕組みです。

 JR横浜駅、JR大船駅、JR鎌倉駅が悪用をされますが、JR久里浜駅など、北久里浜に枝切りに行っているからこそ、べたべたに使われました。目的は、嫌がらせですが、私が、その現象を因果関係を含めて、書いているから、なおさら、同じ攻撃を、しつこくやって来るのです。私は『恥を知りなさい。日本人なら、こういうわざとらしい、そして、何も役に立たないことを行うのは』と言う目的で、書いているのですが、どうも、日本人離れした発想の人間が居て、そういう人間が発案をしているらしくて、書けば書くほど、同じことをしつこくやって来ています。

 で、ふと、成岡君が中学時代まで、川崎に住んでいたことを思い出し、『彼は、在日の出自を持つのだろうか?』と、思ったりします。革○は三里塚闘争の頃から、動労千葉を支配していることで、有名です。しかし、2010年の4月3日、午後四時ごろ、私が、その日は、個展の飾り付けのために、午後5時までに銀座の画廊へ行かないと、不義理を果たす日だったのに、北鎌倉と大船の間で、何のお、説明放送もないままに、1時間半閉じ込められた事故など、JR東日本・本体が納得して、作られた事故を、行っているような気がするのですよね。不思議で極まりない現象ですが、遅延現象が多発しています。

 ここに、以前書いた奥島孝康元早稲田大学の総長が、産経新聞のインタビューに答えて、「革○を殲滅した」と言っているのが、かぶさって来ます。「嘘でしょう」っと、思います。かえって、反対に、『がんばっているではないですか、いろいろおやりになっていますよ』と、思っています。

 週刊朝日は、革マルと、動労千葉との、癒着を、最近でも書いてきて、私や、他の日本人に、知らせるのですが、週刊朝日って、すでに、1965年に成岡庸司君の、オマージュ記事を書いているわけですし、全体に、早稲田、早稲田、早稲田のカラーが強い場所ですから、

 真正面から、真っ正直に、その記事を受け止めるわけにも行かないのですよね。

 ここらあたりは、とても、複雑な長い文章を書かないと説明ができないところなので、この副題2では、JRまたは、東横線や、京急、そして、小田急がどういう風に悪用されているか、線路関係はすべて、すっ飛ばして、電話に戻ります。NTTに特化して語りたいと思います。

 もし、その現象====浜銀、鎌倉支店のバックグラウンドミュージックが、シューベルトの即興曲の142番の方の第三楽章を流していたの====が、本当の偶然だったら、私は神様に囲まれているわけです。だから、大ラッキー現象です。

 が、その曲を好きな事は、常に語っていて、この間、日比谷松本楼で、開かれた文化庁の在外研修制度の、同窓会でも、なんと、平野忠彦さんに向かって語っていて、平野さんが、「僕は芸大の、入試で、それを弾きました」と、おっしゃっています。メルマガでも、この曲については、書いているし、ブログでも書いているでしょう。

 で、私の帰宅を狙って、わざとタイミングよく、それを流したとすれば、私は神様に見守られているわけではなくて、悪魔に見守られているということと、なります。(笑い)

 しかも、それが、可能になる秘密はNTTの最先端技術に負っているのでした。

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 副題3、『この雪ノ下の家では、直径15センチのしいたけが、収穫できるのだった』

 ここで、上のことを説明するために、少し、わき道にそれることを、お許しくださいませ。私達が、鎌倉に引っ越してきて、まず、参ったのは大木が多くて、日当たりが悪いことでした。さむくは無いのですよ。不思議なことに夏は涼しくて、冬は暖かいのです。自然の恵みはいっぱい感じています。毎日、森林浴をしているのと同じです。

 ただし、薄暗いのには参って、とび職を呼んで、大木を、2本ほど切ってもらったのです。一本は「水なら」で、もう一本は、「山桜」だったと記憶しています。両方とも、根元では、直径が50センチ以上です。直径15センちぐらいの、先のほうの枝は、40本ぐらい取れました。すると、とび職さんが、「しいたけ、作れますよ」と言うのです。

 そのことですが、30年前は、ふつうの園芸店には、しいたけ菌など、売っていなかったのです。が、鎌倉では、しいたけを作る人が意外に多いらしくて、由比ガ浜にある古い種苗屋さんに、しいたけ菌が、置いてあったのでした。それは、直径が2センチ長さが2センチ

程度の、円柱状になっていて、それ専用の道具で、枝(=原木)に穴を開けて、埋めます。

 それで、我が家では、しいたけを自家栽培していて、1990年代には、厚さが3~4センチで、直径が15センチ程度のしいたけを、バター焼きにして、よく食べたものです。ただし、15年ぐらいで終わりました。菌が、ほだぎを食べつくしたからでしょう。で、あの豪勢な、しいたけステーキとは、10年ぐらい、おさらばだったのですが、

 今年、我が家では、北久里浜と、雪ノ下の両方で、ほだぎにすることが可能な材木を、わんさと生産してしまったのです。(笑い)

 北久里浜の家とは、昔、私達が住んでいたものですが、その後、30年間、他人に貸していたものです。借主さんたちは、プライバシーが保てるので、好んで木を切らなかったのか、それとも、大家の私達に、遠慮したのか、どっちかはわかりませんが、ともかく30年、枝を切っていないので、すさまじいことになっていました。

 主人は、「売れれば、買った人が、始末すればいいよ。特に、建築業者、または、建売業者が買ったら、彼らはお手の物だ」といって自分が伐採することには、乗り気ではないので、この、71歳を過ぎている私が、伐採を始めたのです。

 チェーンソーを、一台壊すほどの、すさまじい繁茂ぶりなのでした。たった60坪の敷地なのに、まるで、眠り姫の城、状態だったのです。そして、二ヶ月の作業の結果、さざんか、はなざくろ、柿、ソメイヨシノ、かなめもち、の、五種類の、ほだぎにも、応用できそうな、太い枝が、大量に、手に入りました。

 で、その長時間に及ぶ、重労働の、結果、『植木屋に近いほどの、技術を習得できましたね』と、自信を得た私は、高い崖の上に建っているので、北久里浜より、ずっと、難易度が高い、こちら、鎌倉雪ノ下の、我が家でも、高枝切りに挑戦して、今度は直径が20センチと、15センチのもみじの枝を切り落として、こちらでも大量の、ほだぎを生産したのでした。(笑い)

 ただね。しいたけ菌を植える穴を開ける電動工具は、我が家には、無いのです。専門家向けの、そういうものはあると思いますが、関東圏の、日曜大工センターでは手に入るはずも無く、しいたけの事はすっかり忘れていて、『北久里浜の方の枝類は、自分が、ごみ収集日の早朝に、行っては、少しずつ捨てるか、最終的には、業者さんを呼ぶことになるでしょうね』などと思っていたのです。

 ところが、本日、横須賀平成町にある日曜大工センターに行ってみると、季節がふさわしいせいか、大量のしいたけ菌を売ってたのでした。しかも、しいたけだけで、ブランドが3種類ぐらい売っていて、それ以外にも、ぶなシメジ、平茸など、数種類の菌が、売っているのでした。びっくりしました。

 私は、凝り性なので、2011年は、北は、三田にあるケーヨーデーツ-から、南は、北久里浜にあるそれ、東は、横浜、山下町にある、島忠、西は、平塚の花菜ガーデンまで、くまなく、園芸店を探索しています。が、きのこの種を、これほど、多種多量に売っているのは、はじめてみました。同じ島忠でも、川崎市内のそれには、これほどの多種多様な菌類を、売っているとは、思えません。さすが、横須賀、山や木が多いので、枝を切り落とした家が多いのでしょう。

 くりたけなんていう珍しい種類も売っていて、大いに気持ちがそそられました。今はね。お金に不自由が無い時期だから、『全種類、買っちゃおうかなあ』とも、思いました。だが、アナをあけるのは、自分にはできません。菌を買うのはいいが、それから先は、主人の助力を仰がないといけません。もし、主人が、穴を開けるのを嫌がれば、たとえ一箱、千円以内のものでも、無駄になリます。そういうものを独断で、買って帰ってしまうと、夫婦喧嘩の種になります。

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副題4、『盗聴の事は、何度も言っていますが、逆探知の事は、今日初めて語るでしょう』

 日曜大工センターで、しいたけ菌を買うか買わないかの問題ですが、ふつうの夫婦だったら、ここで、奥さんは、携帯を取り出してワンクリックしてご主人を呼び出すでしょう。すると、ご主人は、買うとか、買わないとか、返事をします。で、菌を売っている現場で、さっと結論が出ます。ところが、私は携帯を使いません。

 10年ぐらい前までは、純粋に、頭を無駄遣いしたくないので、持ち歩きませんでした。特にパソコンは多用しています。本作りと、エッセイを発信するためにです。それが、妨害を受けるので、ふつうの人の三倍か、五倍の神経を使います。その上、この長さで、しかも、この頻度で発信をするわけですから、相当以上に頭を使っています。

 で、ツィッターとか、フェイスブックなどの、SNSをする場合には、必需品であるらしい、携帯の方は使うまいと決意したのです。で、わざと持ち歩かない主義にしていたのです。ところが、その後、GPS機能の事に気がついて、それで、絶対に持ち歩かないことにしました。このGPS期のですが、ふつうの人がそれに気が付くずっと以前から気が付いていたのです。

 ME時代のパソコンに、FINDERと言う特殊なソフト(または、アプリ、または、バグ)が、入れこめられていて、私は、実は、2005年ごろから確実に、今で言う、GPS機能に当たるものを、自分が持っているノートパソコンで、発信をし続けていたのでした。

 上の節までで、尾行、尾行と言っていますでしょう。だけど、人間が動かないケースもあるのです。 実際に、人間が、後ろを、付けてくる可能性もありますが、IT的なGPS機能を使われるケースもあるでしょう。私が持っているデジカメ、ヴィデオカメラ、それから、ノートパソコン、また、ノートパソコンが、外でも、自由にインターネットにつなげられるようにできる、NTTのクロッシーと言う器具。または、ワイファイなどの器具、すべてに、GPS機能の搭載は可能だと、今では、私には、わかってきています。

 それに、気が付いたのは、2008年だっただろうか? 攻撃を受けているからこそ、私のシステムエンジニアとしての、知識は飛躍的に進歩したのでした。

 あまりにひどく、本作りが妨害されるので、錦糸町のバイキングレストランまで出かけて、仕事をしていたときの事です。ぱっと画面が白閃化して、一時間分の労働が、ぱっと消え去ったことがあります。

 私の本作りとは、原文は、このブログとか、昔のメルマガ内で、書いたエッセイ類を編集することを指します。つまり、前後左右を入れ替えて、秩序作りをして、目次を作ったり、頁数を、本作りの定番ルールに合わせるために、削ったりすることを、外でやります。ここで言うルールとは、本は、奇数頁から始まるというルールがあって、大きな章や大きな段落は、奇数頁に、先頭を持ってこないといけません。

 一般の出版社では、編集者はそこまでは考えないで、文字数だけ、要求された字数へ、もって行くだけでしょう。が、私の場合は、デザイン部分の設計も、同時にしますので、種々さまざまな作業を、同時進行させます。大変緻密な作業で、困難を極めて、果たした一時間分が、ぱっと、空中に放散され、消えてしまった後の、切なさといったらありません。しんどいしんどい仕事なので、もう一回同じことをやるのは、本当に嫌気の差すことです。

 それでも、誰かに怒りをぶつけたり、八つ当たりをすることはできません。常に監視の対象になっているので、人に後ろ指を指されることは、できないのです。いつも冷静で、ゆったりと構えていないとだめなのです。でないと、文章など書けません。このブログだけでも、すでに、8000本を超えて書いています。それだけの継続ができません。

 しかし、ふつうなら怒って当然の場合でも、それをやっている相手が見えない形なので、どこにも怒りをぶつけられません。すべて、我慢をするだけです。

 これは、すさまじい人間修養の場でもあります。で、そういう苦労と訓練の結果、私はどんな人間に対しても、相手の考えていることがすぐわかるようになりました。し、相手より、いつも、自分の方が上に立っていることに、気が付くように、なりました。

 私が、人間関係において、常に、「対等をむねとして、少しだけ相手を、上において接するべきだ」と言っているのは、そうしてほしいから言っているのではなくて、もし、私が自由自在に振まって、素のままで行動したら、誰の事をも、叩き潰してしまうほどの、力を、自然に身につけてしまったからです。

 ですから、あの「対等に」、「対等に」と言うのは、自制の言葉でもあるのです。私が、自制心がなかったと仮定して、まったく対等に相手と渡り合ったら、誰の事をも、その脳天を叩き割ってしまうほどの、力量を、すでに持っていると、思います。

 と言うことを、錦糸町のバイキングレストランで、すでに、2008年ごろ、感じながら、ずっと我慢をし続けて、この2013年の、11月19日の夜、7時ごろも、横須賀の島忠内で、見えない相手に対する怒りを抑えながら、10分近く、無駄な歩きをして、公衆電話まで向かい、主人に連絡を入れたのでした。「どうする?」って。すると、主人は、「しいたけ菌は、ほしくない。ともかく、今年植えても、木が生々しくて、菌が育たない」と答えました。それは、科学知識上、そのとおりなので、私も納得をして、茸の菌類を買うのは止めにしました。

 茸が発生するのは死んだ木で無いとだめで、伐採した後でも、もみじの細胞が、ひとつひとつ、まだ、生き生きしている間は、しいたけ菌は、その原木の細胞たちの間には、食い込めないのです。だから、数年待たないと菌も植え込めないのでした。

 この日、島忠で、買い物だけで、9000円近く使い、さらに、送料が、鎌倉側の石段込みで、1900円もかかったので、『さっき、一万円下ろしたけれど、もう一回、鎌倉の浜銀で、お金を下ろさないとだめですね』と、思いながら帰途につきました。

 しかし、ここで、もうひとつ余計な説明を加えないとだめです。私は、広い横須賀島忠の中で、我が家へ電話をかけるか、かけないかを相当に迷ったということを。それは、我が家の電話が逆探知を受けていて、私がどこへいるかを推察され、そこからの帰着時間を狙って、種々さまざまないやがらせを受ける事が、2008年2月以来、ずっと続いてきたからです。

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副題5、『私は、誘拐犯では、ないのですけれどねえ。(笑い)』

 逆探知されていることに、気がついたのは、2011年ごろからです。3.11以降、私は俄然注目をされるようになりました。

 あの頃書いたものは、今でもまったく見劣りがしないはずです。そして、政治的な意味でも、科学的な意味でも、間違っていないでしょう。この方面に関しては、広瀬隆さんが、有名で、そのホーム頁には、阿修羅と言う別枠もあって、大勢の人が参集しているそうです。そして、そこを、参考にすることを、読者から、勧められても居ます。だが、私のブログの読者数が増えれば、それなりに弾圧も増すので、広瀬さんには、接触しないこととしています。

 他にも、あの季節には、ライヴドアーが各(まじめな系統の)ブロガーを紹介したので、紹介されるたびに、読んでは見ました。板垣英憲氏も、それから、古賀さんも、それから、だれそれもと言う具合に相当数のライターを、お気に入りに入れたのですが、パソコンがしょっちゅう壊されるので、そのブックマークは、このパソコンには、入力がしてありません。

 そのうちに、ライヴドアーは、そういうまじめなブログを紹介するのを止めてしまいました。だから、菅元総理大臣は、偉大な政治家だったといっているのです。国民に初めてといってよいほど、真実の開放と自由を許しました。

 ただね、菅元総理大臣も、昨日言ったように、カメラ取材に対して、国民の人気取りで、こびていると、思わせる、行動と言うか、対応があったし、あれほど、にこやかな表情なのに、意外にも、イライラの発作が激しくて、イラ菅と呼ばれていたという報道もあるので、永田町内の議員内で、支持が少なかったのかもしれません。ただ、ここら辺りは何が真実かは、読めないところもあるのですよ。ためにする報道と言うのも、いっぱいありますので。

 それにしても、元総理大臣を、党議で、追い出そうとした民主党も下賎な党ですねえ。気品が無いです。自らを貶めているし、したがって、自分達を支持してくれた国民も、裏切っています。それを先頭に立って、責める行動を取った細野豪司氏です。か? 彼が、主役になって御覧なさい。今般の選挙でも惨敗したように、この国は、しっちゃかめっちゃかの荒れようになるでしょう。

 たまたま、色事で、誘惑をされてしまって、フライデーに撮影をされていますね。それで、首根っこを誰かに押さえられていて、『絶対に、命令に、逆らわないはずだ』と思われているので、重宝がられているだけです。国民の間に、人気はありません。人気の無い人を先頭に立てる党は、沈みます。だけど、今の、民主党から、逃げ出す人も、信用ができません。それは、数年前に、自民党を逃げ出した人に、今、光が当たっていないことと同じです。

 さて、わき道にそれに、それたが、元へ戻ります。しいたけ菌を買うか買わないかの電話をかけるに当たっても、プッシュボタンを、0467-24-9018と押した後、昔は、とたんに、通じた電話が、今では、10秒程度、無音で、またされます。時には、もっとまたされます。まるで、黒澤映画の中の、誘拐事件の場面みたいに、電話の逆探知が行われているのです。

 私は尾行、尾行といっていますが、銀座の画廊めぐりをしている際は、画廊へ入るエレベーターの監視カメラのチェックとか、画廊の中に、電話で、私が来たことを報告するように頼まれている画廊もあるだろうし、画廊そのものに盗聴機能が掛けられていて、その力で、追尾することもやっているだろうし、東京駅からよく自宅へ電話を掛けることが、逆探知されることも利用されているだろうしと言う形で、その結果鎌倉まで帰ると、そこで、私は、脅かされます。この五年間、散々に脅かされ続け、嫌がらせを浴びせかけられ続けてきたのでした。

 だけどです。だからこそ、はっきりと書く事ができるのです。メルケル首相ではないけれど、これほどの、弾圧を受けるのは、正しいことを書いているからでしょう。NHKが、どれほど、支配を受けているか、それゆえに、この国民が、どれほどに、馬鹿にされているか?

 森本・元・防衛大臣と、藤村・元・官房長官のオスプレイ配備に関するばかげたニュースの数々。そして、ボーイング787のバッテリー事故と言う嘘ニュース。それらに関して、ひときわ声高く、「これは、嘘です」と、私が、言えるのも、すさまじい自己犠牲があっての、上でのことなのです。苦しみがあるからこそ、真実を語る権利が生まれるて来るのです。

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副題6、『なぜ、キャロライン・ケネディさんは、新大使に選任されたのか?』

 さて、上でオスプレイ配備と、その訓練について触れたので、どうしても、ここはキャロラインケネディ新大使について触れないといけません。

 あのオスプレイ配備と、「その訓練を行います」という諜略的ニュースは、日本発のアイデアだと感じています。どうせ、鎌倉エージェントあたりの発案でしょう。特に、表向きは死んだことにして、地下潜行をして、種々さまざまなアイデアを練り出し続けている、井上ひさし等が、考え出した案だと、私は考えています。

 あのニュースの真の目的は最大急のレベルで、私への嫌がらせとなるだろうと、鎌倉エージェントが考えているところにあります。そして、そのニュースの最終案はどこに、帰着するかと言うと、共産党を助けるというところにあります。

 靖国参拝と言うキーワードがあります。小泉さんが、新組閣をしたときに、5月7日だったと鮮明に覚えていますが、「朝日新聞の記者○○ですが、あなたは靖国参拝をしますか?」と、馬鹿の一つ覚えのように、繰り返した質問がありました。そのばかさ加減について、私が書いて以来、新組閣後の閣僚の記者会見が、昼間には行われなくなりました。過去のこの事実について、私が蒸し返すことを、例の国際的軍産共同体(それが、世界中の、そして、日本の、真実の支配者なのですが、)が、恐れて、私が気がつかない時間帯にそれを行うことを決めたのでしょう。

 しかし、ともかく、小泉さんは、靖国参拝をしました。それで、中国人が『靖国』と言うとんでもない映画・・・・・・(ところが、矛盾も矛盾したことに、あの映画で、小泉さんは、かっこよく映っているし、同情をされるように映っているのだが)・・・・・・も作られたし、集団訴訟と言うのも起こされました。この集団訴訟と言うのが、実質的に、各地方に住んでいる隠れ共産党員が、起こしていると思われます。プチ文化人を自認している人たちです。

 こういう事実ですが、私は我が家の土地を盗まれるというアジサイ畑欺もう事件と言うのを起こされていて、その首因者の一人である、前田祝一・元・駒澤大学教授から、さらに追い討ちを掛けるべき、残酷な処置である、ペンキ塗りお当番事件と言うのも起こされていて、そのとき以来、すべてを解明できるようになったのでした。

 前田氏は、他のケースで、集団訴訟の原告になっているのです。たまたま、鎌倉地方では、中選挙区制度の頃は、小泉さんの選挙地盤でもあったことがあるので、あの、靖国参拝・違憲裁判は行われておらず、したがって、前田氏が、そこに加わっているとはいえないと思います。が、彼の行動を見ていると、他の地方で行われているそれが、どういうものであるかが、見事にわかってくるのでした。いやな隣人ですが、彼や彼に同調する人間が、ご近所住まいをしていることは、ライターとしての私にとって、天与の好条件でもあります。

 他の人には思い至らないような解釈が、すべてのニュースに対して、ぴーんと、できるようになったからです。大変な、苦労と犠牲の上で、ですよ。だけど、物事には必ず表裏があって、苦しいことには、いいことも付随して、くっついてくるのです。

 で、小泉靖国違憲裁判の、深層(または、真相)が、私に把握ができました。で、それをこのブログで書いています。すると、それが真実であるがゆえに、発案者達は、否定をしておかないとなりません。否定し続けておかないと、ありとあらゆる意味で、鎌倉エージェントたちは、これから先、不利になりますから。

 私は、・・・・・前田清子さん(祝一氏の奥様)がボウジャク無尽な集団いじめを行う人なのに、鶴岡八幡宮様は、彼女を、國學院大學の講師に推薦なさった。・・・・・だから、それを30%分の、原因として、鶴岡八幡宮の、800年も生き続けてきた大銀杏が、倒壊した。・・・・とも言っていますので、共産党支援者の井上ひさしとしては、是が非でも、私を、ぶっつぶしたいわけです。

 それとともに、集団訴訟に加わった人たちの、組織がためもし続けて置かないといけません。いったん構築した組織も、放っておくと、たがが緩みます。また、「水分を与え続けないと、花が枯渇する」のも、誰もが知っている事実です。

 で、彼らに新たな行動目標を、設定してやらないといけません。それがオスプレイ配備と、その訓練飛行です。共産党の行動に、アメリカ軍が協力をすると言うのも、普通の日本人には考えが及ばない発想だと思いますが、この鎌倉雪ノ下に三十年住んでいて、種々さまざまないじめと嫌がらせを受け続けてきている・・・・・・と、確信を持って発言ができるのです。

 共産党は、日本に、自由な発言をできる土壌があると見せ付ける一種の偽者の装置として、機能しているだけなので、アメリカの方が、その有用性を、今では、ありがたがっている組織であり、週刊朝日が、この前の選挙の直前に、好意的な記事を書き、さらに、躍進をしたと言うのも、私にとっては、すべてが、納得をできる現象なのです。戦後すぐには、違っていたのですよ。で、種々の共産党つぶしの事件が起こされたのですが、時代は、まるで、違って来ているのです。

 これは、一般の人より、数年は、早い知覚だと思いますが、いずれ、世間が、私に追いついてくるでしょう。

 野田民主党が、安部さんの自民党に惨敗したのは、石破幹事長が地方を回って、一人区で、圧勝をしたと言うこともありますが、野田内閣の藤村官房長官と細野豪司氏に責任があると、私は思っています。

 藤村官房長官は、オスプレイ配備を、淡々として、言い続けました。馬鹿みたいでした。広島大学出身だというのに、『内閣官房長官とは、日本国民を代表する、日本政府のスポークスマンである』ということをまったく忘れた態度でした。本当は馬鹿ではないのでしょうが、国民がどういう風に考えているのかへ、対する推察が、まるで、できない人物だったからです。

 その次に、細野氏です。枝野氏の原発に関する説明は、説得性もあり誠実さも感じられましたが、細野氏のそれは、ただ、ただ、彼の人間的な弱さだけが前面に出てくる、とんでもないレベルで、ひどいものでした。日本の政党って、頭脳が無いところが多いけれど、あの頃の民主党も、頭脳が無い党でしたね。自浄作用が一切無くて、どこやらからの、指令どおりに、動いていると見えました。百家争鳴を願う私としては、残念な傾向でしたが・・・・・

  そして、それらの諜略行為の発案者である井上ひさしの、甘やかされていること、甘やかされていること。最近では市村正親が井上ひさしの、『ブンと、フン』を公演すると言う一種の宣伝用ニュースがありました。が、NHKの画面では左半分を、主役と、同じ大きさで、井上ひさしの顔写真が占めていました。しかし、井上ひさしのその種の貢献の結果、何が起こったと、皆様はお思いになりますか。

 日本人は無論損をしています。3,11謀略説も、フェイスブック時代に、見たことがありますが、もし、そうだとしたら、あれも、井上ひさし擁護のために行われたのでしょう。2、3日、新聞の紙面が少なくなり、広告も自粛されました。再開第一回目の広告は新潮社の、井上ひさし本の広告でした。もう驚くのなんのって、とどめのないほど、威張りかえっています。自分だけ得をしています。一方で、アメリカです。アメリカにとって、何が起きているか?

 それは、日本人の中に確実に生まれているであろう、アメリカに対する、疑念です。忠義立てして、自分に尻尾を振ってくる人間(=エージェントたち、特に、鎌倉エージェントたち)によって、アメリカは、大きく、損をすることとなっています。

 今、日本国民は、韓国を捨て去ろうとしています。『韓国には、もう、うんざりだ』と思っています。だけど、その次に来るのは、アメリカを捨てることでしょう。アメリカと韓国が結びついているから、韓国があれほど、傲慢に振舞えるのです。藩国連事務総長も居るでしょう。それが、わからないほどの、馬鹿な、日本人でもありますまい。

 で、アメリカに対しても、すでに、相当にうんざりしています。それを気配として、すばやく感じ取った人が居て、・・・・・ここは、日本・民衆の心情を、アメリカ側に、もう一度、つけ直さないといけない。しかも早急に。・・・・・そうするためには、相当な大物で、極上の人物を、大使に任命しないと、挽回できない・・・・・・と考えた人間が居るはずです。

 それもまた、井上ひさしだったら、何をかいわんやですし、アメリカは、当初の目的を達成できないと思いますけれど・・・・・できるだけ、そうではないことを願います。

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副題7、『キャロラインさんは、アメリカの上流階級の、典型的な体格ですね』

 私は、ニューヨークに三ヶ月ずつ二回、それから、別に、11日間行っています。そして、種々さまざまな人と出会いました。その際ですが、版画の重労働を土、日も無く、重ねるし、気も張っているので、すぐ体重が落ちてきて、38キロ前後になります。ひじは、とんがるし、骨盤はでこぼこになります。

 ただ、顔が、平板なおかめタイプなので、セーターを着ている冬には、外から見る限り、やせているとは見えず、親切な版画家仲間にも、健康状態のことで心配されたり注意を受けたことはありません。ただ、ハロウィンデーに、「今回は、二回目としてそれに、遭遇するのだから、版画の作業を速く切り上げて、見物に行こうかしら」といったら、白人の版画家から、「止めなさい。あれは危険よ」と、言われました。

 で、いつもどおり、夜の10時まで作業をしてから、地下鉄の駅に向かうと、30人から50人の若者が仮装をしたまま立っていました。7時から始まったパレードはすでに終わり、これからどこかへ飲みにいこうとしているのでしょう。彼らはキャロラインさんぐらいに背が高いのですが、体重もしっかりあるタイプです。

 そこが、チェルシーの23st駅そばなので、デザイナーとかテレビ局勤務の、お金の稼げるアーチスト達だと思われます。版画家なんて、お金が稼げない立場なので、それほど、背も高くないし、体重もありません。でも、庶民の中には、タンクみたいに太っているタイプも居るので、そういう人に比較をすると、階層的に上だと感じられました。

 私がニューヨークで出会った上流階級は、まず、一人は教授です。この人は、苗字から大財閥の子孫だとわかる人です。背が180センチで、体重は50キロぐらい。もちろんダイエットなどはしていないで、そういう風になる体質の人です。

 もう一人はメトロポリタンオペラの切符売り場で、午後四時ごろ出会った淑女です。初めて行ったので、当日の切符を持っていなかったら、親切にいわゆるダフ屋らしき若い女の子を紹介してくれたのです。ただ、値段としては、ぼられたとは思いません。90ドルの席で、次の年に、二回ほど、ダフ屋を通さず、自分で買った一階の100ドルの席より、よく見える場所でした。4階だけど最前列だったからです。最前列って、前方にさえぎるものが無いので、最高です。

 さて、私って、海外に居るときは、とても積極的です。この日も演目のアイーダが始まったら、とても楽しかったです。アイーダは、次の年に見た魔笛や、トゥランドットよりも舞台装置が、華やかな場面が多くて、楽しめました。

 特に、幕間に、両脇のお客とか、ロビーの中で、友人を作ってしまい、たくさんの重要な情報を教えてもらったのも、有意義な出来事でした。「今シーズン、話題の歌手は、誰である」とかです。だけど、それは、19時過ぎの事であって、午後4時半ごろ、私は赤面する事態に出っくわしていました。それはリンカーンセンター内の食堂について、質問をしたときから始まった現象です。

 私は海外に出かけると『ここには、将来は、二度と来られないかもしれない』と思うので、できるだけの経験をしておきたいと思い、値段が高くても気にしないで、施設内レストランは利用します。オルセイ美術館でも、ランチが、4000円程度でしたが、経験しておいてよかったと、15年後の、今では、思っています。

 で、その上流階級夫人に、くっついて歩きながら、「リンカーンセンターの、食堂のある場所を教えてください」と私が、言っているのに、彼女は、「外を、利用なさった方がいいですよ」と、口を極めて言うのです。

 「私、あなた方ご夫婦とは、別のテーブル席に座って、お邪魔虫はしませんから」といいながら、それでも『なにか、変だなあ』と思いながら、その入り口まで達すると、入り口で、コンシェルジェらしき男性が、「何々、様、お待ちしておりました」と言うのです。

 そのとたんに、「あ、この人って、年間、100万円ぐらい寄付をしている階層の人だわ」と気が付いて、顔から火が出る思いがしました。これはね、リンカーンセンターにひとつしか食堂が無いのもいけないのです。上野なんて、文化会館には二つ食堂があるし、西洋美術館にもあるし、国立博物館にも二つ近くあるし、都美館にも二つあるでしょう。違った? 芸大美術館でも、近くにある学食も入れれば、二つあることとなるでしょう。

 しかし、リンカーンセンターでは、数千人収容のホールが三つも集合をしているのに、食堂がひ戸津しかないので素。それでは、私が面食らうのもしかたがないです。

 その同じ食堂の、同じ、メニューを、壁ひとつ隔てた、外の立ち食い席で、中流階級びとは、食べることができるのですが、惨めです。私も鮭のムニエルを、15ドルぐらいで食べましたが、立ち食いなんて、惨めで、惨めでした。おそば程度なら、日本人だったら納得ですが、ナイフとフォークを使うものを立ち食いするのですからね。

 確かに、その上流婦人の言ったとおり、外のレストランで、食べるべきでした。二度目は版画工房で、六時ごろ、10ドル近いお惣菜をしっかり、食べてから、センターに向かいましたけれど。

 その1999年のアイーダ公演の日は、冬だったので、その淑女はコートを着ていました。そのコート姿全体で、今日、2013年の11月の19日に、俸呈式に向かったスーツ姿のキャロラインさんと同じくらいな体格に見えました。だから、キャロラインさんは、170センチで、45キロぐらいの体重でしょう。

 ただね、特徴的なことは、その後で、知り合った、両脇のご夫人達(中流階級、一人は地方の、高校の先生だといっていた)に比較して、その上流婦人のほうが不幸そうに見えたことです。ご主人の方は、でっぷりと太って、極くふつうのビジネスマン(ただし、社長か重役です)に見えましたが、奥様の方は不幸そうでした。そのときに、直感として、『上流階級って、それなりに、大変なのだろうなあ』と感じましたよ。

 キャロラインさんの救いは、不幸そうには見えないことです。ただ、『大丈夫かなあ?』とは思います。想像通り、何度見ても、『繊細な人だ』ということが、わかりますので。常にそばについている、日本人めいた秘書は、どういう性格の人だろう? 相性がいいだろうか?

 実は、これから先、もう一回、横浜銀行、鎌倉支店に戻らないといけません。そこで、流れていたシューベルトの即興曲が、偶然の一致で、であった曲なのか、それとも、意図して、用意された曲だったのかを、追及しないといけないのです。

 突然に挿入された無粋な中年女性の声は何を意味するのか?

 そして、その次には、鎌倉から離れて、大島理森自民党副幹事長が、18日付17時付けで、アップした自民党のホーム頁の中に、載っている、氏の文章も検討しないといけないし、

 板垣英憲氏が漏らしたとwikipediaに、2013年、11月17日には、書いてあった、

 フクシマ第一で、被爆した重傷者は、東北大学付属病院に運ばれて、ひそかに始末されているという文章も、検討しないといけないのです。だけど、午前、五時になってしまいました。だから、今は、徹夜明けで書いた、この文章は、ここでとめとしておきたいと思います。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。

 2013年11月19日の、夜10時から書き始めて、20日の、午前6時半に一応の完成と見なす。

 といいながら、副題8を追加させていただきます。

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副題8、『やはり、浜銀、鎌倉支店の音楽は、計画的なものだったでしょうね』

  ここですが、次の日になって、考えが改まりました。いつだったか、だいぶ前の事ですが、夜、自宅へ上がる石段で、安野家のベランダからバケツいっぱいの水が、ざーっと落ちてきて、目の前を流れ去ったことがあります。私は非常に勘が鋭いので、、それに協力したA家のお嬢さんが不振な感じで、後ろに引っ付いてきているのに気が付いて、安野家のベランダの真下で、急遽あゆみを止めたのです。

 そこから、さらに、20m歩いて進み、A家から、私とA嬢が歩いてくるのが見えるあたりまできたら、A家の奥さんが、50mほども向こうから、お嬢さん(その携帯を利用して、タイミングを計った)に、「成功したあ?」と、大声で呼びかけ、

 お嬢さんが、すぐそばに、私が居るために、「失敗したのよー」とも言えなくて、何も答えなかったら、A夫人は、正こうしたと誤解をして、すぐさま山中に電話で、連絡を入れ他らしいのです。その結果、前田清子さんが、大喜びをして、ご主人の祝一氏から、たしなめられていました。子供を一緒になした夫が声を出してたしなめるほどの、お馬鹿さんを八幡宮様は推薦なさったのです。それじゃあ、おお銀杏も倒壊するでしょうよ。

  大原光孝氏も大喜びをした口ですね。山は、ギリシャのアゴラ風の地形になっているし、そのときが夏だったので、すべてが聞こえてくるのです。この件を書いてから、前田祝一氏は、さらに諜略行為に、使われるようになりました。私が、高い評価を与えている人物が、私に逆らってくれば、私のダメージが大きいと、彼ら敵さんたちは考えている模様です。

 ここで、A家だけ、実名をさらしていないのは、その後、相当に反省してくれているみたいなので、さらしていないわけです。特に奥さんがペロッと、この後で、A嬢にカリフォルニア留学の話が来て、実際に何回も留学したそうで、それが、わかっただけでも大もうけなので、許して差し上げようと思っているわけです。それもあるし、お嬢さん自体が元のかわいい姿へ戻ってきたからです。でも、油断はできないと思っていますよ。

 前から、気が付いていましたが、カリフォルニアって、こういう連中の日本人洗脳用、メッカみたいです。鳩山由紀夫さんもカリフォルニアに、留学しているし、佐高信氏も留学しています。後者は、日比谷野外音楽堂で、永六輔さんやら中山千夏さんと一緒に、時の政府や、天皇をこき下ろす野外パフォーマンスを行って、それを見た一般人が仰天をして、世間に噂を流したので、おとなしくなっていますけれど・・・・・とんでもない、人間です。芸能人ではなくて、一応評論家を任じているのに、ひどく、下品で悪辣なことをやるから、裏表が激しく違う人間です。

 で、翻って、もし、私に人間としての尾行が、付いていたとしたら、彼らは島忠で、宅配を担当するスタッフに、彼女は幾ら使いましたか?と、質問をすればいいのです。送り状は、無論鎌倉雪ノ下の、自宅と、自分の名前で記入しています。送料を計算するために、彼女はレシートを見ているので、9000円に近い額を支払っているのは知っているでしょう。

 で、尾行者は、『これは、浜銀によるな。もう一回預金を下ろすだろうと、推察したのだと思いますよ。で、あの音楽放送を用意したのでしょう。普通の用途ではないものなので、途中で、挿入された女性の声が悪いものだったわけです。横浜銀行って、一地方銀行にしては、大企業の方です。もし、全うなものを作るのなら、プロのアナウンサー(または、声優)を使うでしょう。あれは、素人の声でした。

  なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1896929です。                                                   雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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ケネディ新大使と、斉木事務次官との初顔合わせの場に、カメラが入らなかったが、その理由は?

2013-11-17 21:55:09 | 政治

 こ今は、19日の午前零時半ですが、これから、推敲と加筆を始めます。その最先端は@@@@罫線で示します。

 ところで、この一文は、前報(後注1)の続きです。そちらの推敲やら、加筆をしないといけないのですが、それをほうっておいて、新しいものを書かせてください。そして、書けた順に、総タイトルを変えていくのは、ここでも、ありです。最初は『安部さんは、報道カメラの方を見ない(OK)、菅元総理は、それを見る(NG)』としていて、次に、『現在の大学生は、入学後は、遊びほうけている。だめだこりゃあ。世界に後れを取るぞ』として、その次に、『大森実、古森義久、佐々木俊尚らと、板垣英憲氏との違い』としています。そして、19日の午前二時に、『ケネディ新大使と、斉木事務次官との初顔合わせの、カメラが入らなかったが、その理由は?』と変更します。

副題1、『安部さんは、取材カメラの方を見ない。それは、いいのだけれど・・・・・』

副題2、『菅元総理大臣は、その後、異常に、いじめられているが、その理由は何か?』

副題3、『ケネディ新大使と、斉木(外務省)事務次官との初顔合わせの場に、カメラが入らなかったが、その理由は?』

副題4、『慶応の男の子は、女の子を引っ掛ける話ばかりしている。うーん、残念だ』

副題5、『国際キリスト教大学は、ICU高校を作ったのが、大間違いでしたね』

副題6、『大島理森氏って、国民からの、人気がないのだなあ!!!!!ただ、根回しは上手らしい』

副題7、『毎日新聞出身のライターは多いが、朝日新聞出身のライターは少ない』

副題8、『大森実、古森義久、佐々木俊尚らと、板垣英憲氏との違い』

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副題1、『安部さんは、取材カメラの方を見ない。それは、いいのだけれど・・・・・』

 前報で、大島理森自民党副幹事長が、「もっと、除染を進めてください」と、官邸に頼みに行ったことが、本当はどういう意味を持つのかと、言う分析をしています。一緒に公明党の、山口さんが、付いていっていますが、これは、同じ意味をなすだけです。

 実は、除染を推進するのは、私に対する嫌がらせであって、大島理森さんは、どこやらから、そうするように依頼を受けて、やっているとみていますが、その依頼主が、板垣英憲氏ではないかと言うのが、前報で、もっとも大きなテーマだったのです。

 その板垣英憲氏の裏には、アメリカ大使館内に、住んでいると、私が推察する

 成岡庸司君、・・・・・・横浜国立大学付属中学 → 日比谷高校 → 早稲田大学政経学部 → 早稲田の革○の委員長(1965年ごろ、週刊朝日の取材を受けている。しかし、姉が、取材記者に対して、話しをしているのであって、ご本人はインタビューなど受けては居ないが)・・・・・その後、杳として行方は知れず・・・・・私と成岡君と、三人が、たった100人の同期生として一緒だった飯田隆君が、後に、私にたいして、同窓会の中で、こちらが、何も質問をしていないのに、「成岡は、きっと死んでいますよ」と、答えてきたのです。

 飯田君は、同じく早稲田大学へ行って、朝日新聞社に、入社し、週刊朝日の編集長を経て、朝日ソノラマ・・・・・(今では、コミックを出版しているとのことです。銀座に本社がある会社ですが)・・・・・の社長を経て、退職した、人物ですが・・・・・だから、社会人として王道を歩いてきた人ですが・・・・・福音館元社長の時田史郎君などもそのたった100人しかいない中学時代の同級生ですが・・・・・こちらも早稲田大学出身です。

 大島理森氏が、官邸を訪ねて、要望書を手渡したときに、安部さんは、取材クルーのほうのカメラを見ませんでした。これはいいのです。要望書を手渡されるときには、手渡している相手を見るのがふつうであり、カメラのほうを向いてはいけません。

 野田前総理が、どういう対応をしたかを、私は覚えていないのですが、

 菅元総理大臣は、必ず、カメラのほうを向いてにっこりしていました。これは、よくないと、当時、私はきちんと批判をしています。

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副題2、『菅元総理大臣は、その後、異常に、いじめられているが、その理由は何か?』

 菅元総理大臣は、東工大学の出身です。だから、除染をやったら効果があると、信じているらしい大森理森氏よりも、はるかに、高いレベルで、科学的な知識においては、信頼ができます。3.11がおきたときに、たまたま、菅さんが、総理大臣であって、よかったと、思っている私でした。

 ところが、2011年中にもひどくいじめられていて、また、その後もずっと、いじめられてきています。それが、どうしてかを追求しないといけません。いろいろあって、もっとも大きな理由は意外にも政治的に大物であり、原発を停止するとか、再稼動しないとか、言う向きの決定をする可能性があったから、いじめられていると、私は見ています。

 今、小泉純一郎氏が、原発全廃を説いています。それは、人間として正しい考えですが、小泉さんは、今、権力の中枢には居ません。だから、影響力がさして無いと見なされていて、自由に放って置かれています。それに国民に、人気があるので、いじめられません。

 それと、自民党は、民主党よりは、ちゃんとしている政党だからと言う点もあるでしょう。民主党は、とてもおかしいところがあります。

 『菅さんは、自分達の政党のトップとして、首相までやった人でしょう。それを、党規違反だとか、何とか言って、恐ろしいまでにいじめます。大人でしょう?あなたがたは。 どうしたのですか? あなた方のやっていることは、まさに仰向いてつばを吐くということと同じでしょうに』と、思うのですが、マスコミが、それを主役として主張している細野豪司氏を、一切批判をしません。

 どうしてか? というと、細野氏は、小沢一郎氏についで、例の大権力者にかわいがられている存在であって、朝日新聞のトップあたりから、絶対に、攻めないように、マイナスポイントを与えないようにと、各記者が命令を受けているからなのでしょう。そして、朝日がそうなら、他の新聞社も、今では右へならえです。独立して主張をするマスメディアは居なくなったのです。

 ところで、菅さんは、顔も、良いし、政治家としての判断も正しいのに、小泉さんとは、圧倒的な差で、人気がありません。それは、マスコミが見方をしないという部分もありましょうが、永田町の、他の議員から人気がないということもあるでしょう。つまり、根回しとか、何とかいう部分をやっていないのです。じっくりと腹を割って、語り合うというようなことをやっていないと、言うことがあるのかしら?

 また、これは、真偽不明ですが、週刊誌の、目次を新聞広告で、読んだ限りでは、『枝野さんは、まじめきわまりない態度で、原発事故の事を丁寧に説明をしているが、裏では、政府幹部は、連日連夜、飲めや唄えのドンちゃん騒ぎだ』とのこと。

 私は、これは、ためにする報道の一種で、徹夜続きだった閣僚達が、お酒を持ち込んで、待機時間を、すごしていたのを悪く取ったと、思いたいのですが、・・・・・・

 ともかく、菅さんは、人気がない。その理由のひとつが、官邸をお客が尋ねてきたときに、お客の方ではなくて、カメラのほうを向いて、にっこり笑ったことが影響をしていると見るのですよ。カメラに媚びているように見えるし、カメラに媚びるとは、大衆に媚びていますね。

 それは、『なぜ、国民に媚びるのですか?』と、みている人が不快になるからです。そして、菅総理大臣のまじめさに、疑問を持ちます。こういうところは、秘書、または、奥様が注意しないといけません。そして、何よりも、ご本人が、気がつかないといけません。総理大臣の重みとは何なのだと、毎日考えて、日々、反省していかないといけません。世の中は甘くないです。カメラクルーに親切にしているつもりかもしれませんが、総理大臣の荷は重いのですから、国民に奉仕するとは、どういう態度をさすかと、いうことを、常に考えないといけません。

 小さいことのようですが、総理大臣ともなれば、とても重要なこととなります。後日、菅総理大臣が、党規違反だとか、何とか言って、異常に、いじめられるのも、「顔がよくて、いつも、ニコニコしているから、国民に人気があるかと思ったら、意外とないではないか」と民主党議員団に、見破られてしまったからではないですか?

 ところで、民主党の、顔を自認しているらしい、細野豪司氏ですが、こちらも国民から、人気がありません。2012年の11月末の選挙で、民主党が大敗したのは、選挙を主導した、この人には、国民から盛り上がる自然な人気がないからもひとつの理由でしょう。

 政治家の権力とは、根回しによる同僚議員からの、支えか、それとも国民からの人気かの二つに一つでしょうに、細野氏は、どちらも持っていないのに、大きな顔をしています。?????

 ところで、菅元総理大臣と対極的に違うのが、今般浮上したのが大島理森氏です。氏はテレビカメラに向かって、にっこりとはしませんでした。それは、正しい。ただし、国民からの人気はどうなのだ?

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副題3、、『キャロラインケネディ大使と、斉木(外務省)事務次官との挨拶交換の場に、カメラが入らなかったが、その理由は?』

 この一文を、夜の八時ごろ、銀座で公開してから、夜家へ帰って、23時ごろから推敲を始めたわけですが、と、同時に、録画しておいた、ニュース類を見ました。ずっと眠かったのです。半分寝ていて半分おきている状態で、推敲しつつあったのですが、NHKニュースにキャロラインケネディ新大使が出てきて突然、目がパッチリと覚めました。

 特にカメラクルーが廊下までで、シャットアウトされているのを見て、あのことに、確信を持ったからです。ここで、あのことと言うのは、私の読者層が、非常にレベルが高いということです。特にエージェントの最高レベルが、読んでいてくれます。

 それは、以前から、わかっていましたが、今日ほど、それを確信した日はありません。

 キャロラインさんは、とても、繊細なところがあるはずです。種々の、ケネディ家に関する、書物や、映像が公開されています。そうすると、あのご家庭で、育ったお嬢様が、どれほど、繊細になってしまうかは、想像にかたくないです。

 で、キャロラインさんは、ずっと、家庭の主婦と母として、静かに暮らしてきました。ただ、ご家族の過去の歴史や、何かがあいまって、専業主婦だけでは収まらないところもあって、それを、ライターとして、発揮してきたのです。まだ、翻訳をされていませんね。だから、私は読んだことはありませんが。

 ところが、ここに、バラク・オバマと言う、非常にユニークな政治家が、登場しました。しかも民主党所属です。そこで、急に彼女の中に、挫折したケネディ家の、政治家としての、理想の実現先を見つけたのでしょう。バラク・オバマに夢を託したのです。

 で、オバマ大統領の二期目あたりから、積極的に、選挙応援に出て、その映像が、庶民の前に公開されることとなりました。しかし、それをみていると、『ああ、やはり、繊細な人だ』と、再びも三度も、私は、感じてしまうのです。

 キャロラインさんの祖父は、怪物です。自分自身、を他者に見せず、また、反省もせず、突き進み、突き進み、巨万の富を築き、息子を、自分の夢の実現の道具としました。しかし、日本の川柳で、よく言うように、『唐様で、売り家と各三代目』と。三代目は、祖父の魂が復活する場合もあるが、反対に、怪物から、上品な芸術家気質の、人間に、移行するケースもあるのです。キャロラインさんは、まさに後者だと思います。

 バラク・オバマ大統領でさえ、例の、最高権力者たちの発案に従わないといけないときがあります。キャロラインさんが、どれほど、主体的にものを考える人であっても、政治の仕組みとサイクルの中で、駒として命令されたとおりに動かないとならないときもあるでしょう。

 そういうときに私がどうするでしょうか? その答えは、ここでは、口にチャックとさせてくださいませ。だが、私の敵たち、特にアメリカ大使館内に、住んでいると、私の方が想像している、大物日本人エージェントなどは、私を研究しぬいています。で、本章の、副題1だけは、おとといの夜に書いていますので、早速、キャロラインさんを守る必要を感じたのだと思われます。

 繊細なるキャロラインさんが、つい、気を許して、その正直さや、恐れや、これから、自分の周辺に起きることへの心配を、表情に、浮かべてしまうかもしれません。無論、私はそれが、わかりますが、明日やあさってにそれを書くとは思いません。でも、彼らはそれを心配して、斉木さんの部屋へ入るドアのところで、カメラクルーをシャットアウトしたのでした。午前二時に、私はクラシッククラブの録画で、室内楽を、小さな音で、再現して聞きながら、そっと、一人微笑むのでした。神様に向かって書いていると、行っていますが、キャロラインさんの周辺に居る人が、確定的に、このブログを読んでいると知って。

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副題4、『慶応の男の子は、女の子を引っ掛ける話ばかりしている。うーん、残念だ』

 ところで、ここで、挿入に入ります。私は1949年に日吉に引っ越してきて、それ以降、ずっと、日吉と縁があるわけですが、西側のロータリーの、真ん中の道を、100mぐらい西に向かったところに、『虎ひげ』と言うレストランがあります。これは、コンビニにおいてあったB級レストランの案内本(ムック)の、先頭に登場するほど、安くておいしいレストランです。ただ『やはり、慶応の学生さん相手ですね』と思うのは、定食でも、850円ぐらいから始まりますから。他の町で、学生相手の食堂といったら、650円ぐらいが、定食の定番価格でしょう? 虎ひげさんは、すべての品目で、200円以上高いです。が、ボリュームはたっぷりだし、料理のレベルも高いです。

 ここで、後刻の挿入を入れます。一種の挿入ない挿入ですが、文京区の関口を歩いていたことがあります。夜だったので、食堂の中が外から見えました。早稲田の大学生が入っている食堂です、虎ひげとはだいぶ違いましたが、そちらの方が一般的な日本社会の縮図でしょう。慶応は特別なのです。

 で、入っている人は、日吉の町の人と、慶応の学生が半々ぐらいです。私はガッツリ食べるのが好きだから、母が、老人ホームに入ってしまい、手料理を、ご馳走してくれなくなってからは、ここで、一回分の食事を取っていました。しかも、いつもパソコンの仕事をするので、一時間ぐらいは滞在します。こちらは一人で、静かにしているので、隣のテーブルの話が、聞こえて来ます。

 以前、主婦達が、レストランで、会食をしているときに、その内容が深いと申し上げました。特に働いている主婦が、休みの日などに、会食をしているケースでは、内容がさらに深くなります。自民党が選挙に負けて、代議士が、どんどん、外へ出た時期に、ます添えさんに対する批判が出てきましたが、その、鋭いこと鋭いこと。

 ところが、その日の慶応の大学生の話題の、レベルが低いこと、低いこと。ちょっと唖然としました。慶応大学って、入学が難しいですよ。だから、4人とも、小さいときから雄弁k表ばかりしてきたらしくて、やや小柄で、細身でした。でも、美形であり、いいところのお坊ちゃまであることが、簡単に推察できます。そして、言葉遣いは丁寧で、品がいい。だけど、内容がだめです。いわゆる、女の子の、引っ掛け方ばかり話し合っています。

 私は、彼らの時間の使い方について、想像をはせました。今午後二時半です。彼らは、午後一時から会食を始めて、1時間半がたったところです。私は、この子達は、理工学部ではないと思いました。理系はさすがに忙しいはずです。実験に、時間がかかるからです。で、3時にここを出ると、後は、分かれると話し合っていますから、自宅へ直行でしょう。

 アルバイトはしていませんね。さて、それから、彼らの、お小遣いを推察し始めます。お昼以外にも、お茶する可能性はあるし、映画に行ったりするし、携帯の使用料もあるしで、5~6万円親からもらっていますね。それと学費が、一月にならすと、5万円?

 家に帰って、家の償却費、車の償却費、食費、衣服代、それで、12万円ぐらいかかるでしょう。すると、両方あわせて、25万円です。子供が二人居たら、50万円です。それに親の生活費が、30万円かかるとして、全部で、80万円です。これは、ボーナスも入れれば可能な数字でしょう。ボーナスが夏冬あわせて600万円だったら、月に直せば、50万円になるから、月給の手取り50万円と合わせれば、優に90万円を超すから大丈夫です。ふむ、ふむ。

 これは、大企業の課長以上で、親から家を無償で、引き継いでいる人なら、十分に可能な数字です。だが、それは、日本の上位5%以内の階層の話でしょう。

 一方で、「一月のお小遣いが、1万5千円です。お昼はワンコインランチです」と言うサラリーマンが大勢居るはずです。そういう社会の中で、乳母日傘の育ちをしていて、そして、何も、哲学やら政治について、考えない・・・・・と言う慶応の大学生は、大きな問題を含んでいます。これが、医学部を除けば、上から二番目の大学だと思うと、日本の将来について、暗澹たる思いがします。

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副題5、『国際キリスト教大学は、ICU高校を作ったのが、大間違いでしたね』

 さて、上の、副題2も、一種のスピンオフですが、この副題3部分では、さらにスピンオフして、大学の経営と言うことに入って行きたいと思います。と言うのも上に上げた慶応大学の四人の学生のうち、一人が、ICU高校卒だったので、余計、がっかりしたからです。

 この子は、ICUを捨てて、慶応を選んだのだけれど、もし、ICUに残っていたら、こんなばかげた時間の使い方はしないだろうにと思ってね。日本の大学って、入学試験だけは馬鹿に難しいが、入学後は、楽ちんで、過ごせるそうです。私はきわめてアメリカナイズをしているICUを卒業したので、とても、忙しい学生生活を送りました。

 その後、57歳の時にアメリカの美大の大学院へ、一学期・間・通ったのですが、実技ではない、理論の講義では、3ヶ月の間に、レポート提出が二回、共同研究の発表が一回ありました。私は学費が高いので、・・・・・・一科目、当時のレートで、26万円(2000ドル)・・・・・二科目しかとって居ないので、何とか、ついていくことができたけれど、現役の若い人は、6教科以上取らないといけないので、忙しいと思います。

 と言うわけで、私が卒業した大学は、入学後が忙しい大学です。で、通学に無理がかかってくるので寮や下宿に入る人が多いです。となると、友達とおしゃべりする時間が長いです。毎日ではなくても、いったん談論風発が始まれば、3~5時間は連続して話すでしょう。5時間を越えて話せば、それは、恋愛テクニックの話ではなくなることは、必定です。

 ちなみに、ICU図書館で、学生が一月に借り出す図書は、50冊だそうで、これは全国一だそうです。それなのに、ICU高校を卒業した学生が、慶応大学へ流れてしまう。それはなぜか?

 ICU高校は卒業生が、子女を入れてほしいと要望したから作られたそうです。卒業生が、海外で活躍して帰ってきても、子供が、帰国子女として、適切な高校へ入れないとか、入学してもいじめられるとかが、あって、帰国子女向けの高校を作ってくれと頼んで、作られたのだそうです。さて、しかし、日本語の能力は低くても、頭のよい子は居ます。そして、両親の一方が問う大卒だったりすると、子供に、東大を受けさせたいと願ったり、こども本人が、東大を受験したいと願ったりするでしょう。それを、阻止するわけには行きません。

 で、一種の付属なのだけれど、付属とはうたわないで、自由に受験をさせるということになりました。すると、その東大を受験する子が、滑り止めに選ぶのが慶応になったみたいです。となると、ICU高校で、成績優秀な子が、慶応へ入るということになります。したがって、慶応より、ICUの方が劣るとなります。こういうことは口コミで表に出ます。で、ICU本体が損をし始めます。

 この節は、読者の中の、大勢の方にはつまらない話だったかも知れませんが、次の段階への前説として、私には、必要なことでした。

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副題6、『大島理森氏って、国民にとって、人気がないのだなあ!!!!!ただ、根回しは上手らしい』

 今般、大島理森自民党副幹事長が、安部総理大臣に、除染をさらに進めるように勧奨したことを、私は大問題としているのです。放射能や核燃料の仕組みを少しでもわかっていたら、除染を推進するなんって、愚の骨頂といえるものであり、賢い国民からは、大きく馬鹿にされかねない所業なのです。

 18日の午前二時を過ぎると、前日の訪問者数と、訪問回数が私に知らされるのですが、少なかったです。で、タイトルがいけなかったのだろうと思っております。つまり、大島理森氏って、一般国民には、まったく人気がないのだということがわかりました。ただ、前報(後注1)は、後半にものすごいレベルで、深い真実を語っている文章なので、訪問者が少なかったのは、私としては、残念ですが、しかし、一方で、『私は人間を相手にせず、神様に向かって書いているのでしょう』と、自分に言い聞かせ、その残念がる気持ちを、脇へ押し流しました。

 ただ、慶応大学卒で、毎日新聞社に勤めていたとは、とても、立派な経歴なので、あんな役割を引き受けたとは、不思議極まりない出来事ではありました。

 そのため、副題2にあげた、いいところのお坊ちゃまらしい男の子四人が、すこぶるくだらない話を、身じろぎもせず(と言うことは、なんだか、お人形みたいに、お行儀がよくて、男の子だとも、思えないほどだったが)、言葉遣いも、丁寧に語り合っている驚くべき光景を、ここで、思い出し、皆様にさらしたのでした。大島理森氏が、あまりに馬鹿に見えたからです。

 ただ、今般、初めて大島理森氏に注目して、その経歴を調べた結果、国対委員長を何回もされているので、根回しが上手な人だとわかりました。両親、とくに母君が愛情豊かであって、人の気をそらさないタイプの子供に育て上げたのだと思います。こういうところは後で、語る菅元総理大臣とは、正反対の行動様式でしょう。

 普段は目立たない大島氏が、あれほどのパフォーマンスに乗り出したのは、誰かがそれを勧めたからですが、誰が使者となって、「こういう発表をしなさいね」と、勧めたかを探るうちに、氏の、代議士になる前の職業が、毎日新聞づとめだったことを初めて知り、そこで、板垣英憲氏に突き当たったのです。

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副題7、『毎日新聞出身のライターは多いが、朝日新聞出身のライターは少ない』

 私は30年前は、毎日新聞を好んでいました。ところが、朝日新聞が、猛烈な拡大路線を取っていた頃で、「インテリが作って、やくざが売る」といわれた時代であって、それこそ、やくざ風な男性が押し売りに来て、どうしても、断れないので、仕方が無くて、両方お金を出して取っていたことがあります。

 そのときに比較をして、毎日新聞の記事の書き方のほうが断然優れていると感じました。そして、『毎日新聞を選択する方が、インテリ度数が高いね』と、感じました。今毎日新聞を取っていないのは、高い山の上に住んでいるからです。で、配達の人に気の毒だから、山の住民の中で、多くの人が取っている新聞を取っています。

 それと、あまりにも部数が減ったらしくて頁数が少ないですね。それで、お気の毒ですが、情報量が少ないです。特に半分広告であるような映画とか、美術館に関する情報が少なくて、とうとう日経新聞に変えております。

 朝日新聞の「何がいけないか」といえば、『お前ら、俺の言うことを聞け、教えてやろう。馬鹿な庶民め』と言う雰囲気が紙面の隅々まで、行き渡っているからでした。

 『そんなに、威張らないで、行過ぎた啓蒙主義は、かえって、あなた方のばかさ加減を明らかにしていますよ』と、思っていました。今ふと気がついて、朝日新聞出身のライターと言う項目で、グーグル検索をして見ましたが、wikipedia としては立っていません。反対に毎日新聞出身のライターとして、wikipedia がすでに立っていて、多数の評論家を輩出しています。朝日は、優秀な人材の頭脳を、奴隷のそれに、変化させていく組織なのでしょう。

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副題8、『大森実、古森義久、佐々木俊尚らと、板垣英憲氏との違い』

 で、有名ライターを多数、輩出しています。あなたの年齢によって、お好みになる書物が違うと思いますが、私は、古森義久氏の文庫化ボンは好きでした。

 ここから先こそ、この章のハイライトというか、メインなのですが、18日中に加筆をすることができませんでした。お待ちくださいませ。19日のお昼には、加筆をしておきます。と、午前1時に書きましたが、その後、副題3で、書いたように、キャロラインケネディ新、アメリカ大使が、外務省に、斉木事務次官を訪問する映像を見て、そこに大きな加筆をしたので、ここは、これだけで終わり、ここから先は、新しい章を起こして書きたいと思います。どうか、よろしく。

後注1、 

 
なお、このブログの2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1893483です、
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なぜ除染が、今、話題に上るのか?+奥島孝康・大島理森・板垣英憲

2013-11-16 20:50:07 | 政治

  前報に、加筆をしないで、ここに、新しい章を起こします。

 これは、無論前報の続きです。で、これも、ツィッター方式で書かせていただき、総タイトルはどんどん変わっていく可能性があります。が、お許しくださいませ。最初は、

 『朝日新聞の収支決算を想像してみる。+奥島孝康氏の高い収入?』でしたが、

 次には、『除染は、税金の無駄遣いです+奥島孝康・大島理森・板垣英憲・IAEA』と、しました。

副題1、『朝日新聞の広告収入って、どうなっているのだろうと、想像をして見ました』

副題2、『朝日新聞の顧問って、どういう立場で、どういう収入だろう?・・・・・特に奥島孝康氏の場合は?』

副題3、『早稲田大学、早稲田実業初等部 VS 慶応大学、幼稚舎』

副題4、『大島理森氏は、慶応大学出身です。でも、幼稚舎からエスカレーターかな?』

副題5、『除染がなぜ、無駄なのか、そして、単なる税金の無駄遣いであるのかを、ここで、復習をしておこう』

副題6、『大島理森氏は、八戸高校の出身で、新卒での就職先は、毎日新聞でした?』

副題7、『板垣英憲氏は、相当重要な役回りを果たしていると、見えてきた』

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副題1、『朝日新聞の広告収入って、どうなっているのだろうと、想像をして見ました』

  広告とは、国民心理を、操作するものです。ただし、現代日本では許容されているものです。資本主義国家でしょう。だから、商品を売るために、寡占化したいし、寡占化ができなくても、売れる順位の中で、上位に上りたいので、広告と言う分野が発達しました。ビールなんか、最も多数回、その広告を、一般国民が目にする商品です。激しいシェア争いをしていますね。

  アサヒ、キリン、サントリー、サッポロ、

 そして、日本酒です。大関と、言う銘柄が、最初に大広告を打って、今では静かですね。テレビコマーシャルとしては、黄桜(呑)が、いつも旬の若手、または、話題の女優さんを使って、印象が濃い、コマーシャルを打っていました。ところが、東京に住んでいると、今、偽装がニュースになっている、福娘の広告を見たことがありません。それもまた、福娘が、安いお米を使ってしまったり、アルコールを添加して手っ取り早い、お酒を作ってしまったりした、理由のひとつでしょう。広告には悪の要素もあるが、庶民に、種々の情報を知らせるという、正の方向性も持っているのです。つまり、『庶民に、宣伝したからには、きちんとしないとだめだ、よいものを作らなくてはだめだ』と言う縛りを生産者側に与える向きもあるからです。

  特に朝日新聞の広告は、新聞社側が、おかしな会社のおかしな製品は、載せていないはずだという、読者側の信頼が厚いので、相当の高額を取る場合もあると思いますよ。一律にスペースで、幾らですとはなっていないでしょう。私が敵の存在と、攻撃に気がつく前だったら、軽く電話をかけて、誰かに教えてもらえたと思いますが、今は、ただ、推察で書いていきます。 

 私は、新聞社にも雑誌を出版している出版社にも勤めていたことがないので、はっきりとは知らないのですが、雑誌によっては、読者の購買額より、広告収入が多くて・・・・・だから、売れようが売れまいが、関係がないのだと、聞いたことがあります。新聞はどうなのだろう。民放テレビは、一切視聴料を取らないので、広告だけで、成り立っている世界ですね。 

 で、朝日新聞の広告料を考えて見ます。時々、全面広告と言うのがあります。しかし、それは、ここでは抜かします。下の段で幅二分の一の広告(週刊文春や、週刊新潮に使っている類のものですが)が、500万円だと聞いたことがあります

 週刊文春側の収支を考えると、総体の売り上げが少なく見積もって1億2千万円で、広告収入が、それに、匹敵する程度入ると仮定すれば、両方で、運営費が、2億になります。これは、低めに計算をしているほうですから、時には3億になると感じます。そのうちの10%を自らの宣伝に使う? ありえるでしょう。つまり、雑誌360円を買うときに、そのうちの36円は、今週にどんな記事が載っているかを知るために、読者側が支払う部分です。 

 実際には、週刊文春は朝日新聞側に、あそこを、300万円ぐらいで、買っているはずで、それは、部数に応じて、日経新聞等では、200万円になり、産経新聞では・・・・・と、提言していくので、電車の中吊りを入れても、1000万円程度で、済むのかもしれません。すると、10%の広告収入となります。 

 

 で、朝日新聞社側の広告収入については、少なめに見積もっていきましょう。下段の広告が、幅いっぱいを、いくつに分断するとしても、また、頁によって、値段が違うにしても、平均、700万円と計算しておきます。朝、夕刊あわせて、50頁分は、広告が載っていますので、700万円×50頁は、3億5000万円になります。それを、360日積み上げると1260億円となります。で、購読料とあわせると、6500億円になります。私は、この広告部分を低めに見積もっていると思いますし、全面広告が、1000万円としても、1週間に一回は、入っていますので、5億ですしね。ともかく、

  7000億円近い収入が、一年にある会社です。そのうちの純利益ですが、一割と見積もっても、60億円です。そのさらに、10%の6億程度を財団にまわせば、毎年基金が増えていき、私が申し込んだ頃には、基金総額が250億円を超えていると想像が可能で、運営によっては、5000万円程度の文化界支援金は、優に出せると思います。

 それなのに、突然、「文化事業への助成金を、まかなう部門は閉鎖されました」と、聞くのは、本当にいぶかしいことでした。私のパソコンが、壊されているために、その正確な年度がわかりませんが、たぶん、2006~2007年のうちのどこかの、時期だったと思います。 

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副題2、『朝日新聞の顧問って、どういう立場で、どういう収入だろう?・・・・・特に奥島孝康氏の場合は?』

 私は今、醍醐イサムと言う画家と、一ノ瀬智恵乎さんと言う画家の二人に、こだわって、物事を書き進めているわけですが、その、奥くの奥に、存在しているのが、酒井忠康氏であると、感じるので、それゆえに、追求しているわけです。その酒井氏のさらに上部の、エージェントが居て・・・・・・と言う風に、ミステリー小説を解きつつあるのですが・・・・・

 重要なキーパーソンである酒井忠康氏が、朝日新聞社の顧問であることは、ネットなどでも公開をされておりました。ところで、それを知った頃、もっと、目立つ人物としての朝日新聞社顧問として、奥島孝康氏の名前を見つけたのです。

 これは、私の志向を飛躍的に、進歩させました。ありと、あらゆるリンクがつながったと言っていいでしょう。『そう、だったのか、そうだったのか』と、ありと、あらゆる点で、納得が行ったのでした。

 まず、奥島氏は、50代の独身の女流画家に、お見合い相手を紹介しました。と、ほとんど、同時に、その女性は、私との交友関係を切ってきました。私が「五億円の損害があるので、必死なのですよ」といっているのは、私のお友達が次から次へと、私から引っ剥がされていることも含まれて居ます。

 それなのですが、引っ剥がされていく、その影に、それ相応の、餌が与えられているのです。その友人にとっては、とてもおいしい餌が、与えられていて、その餌に飛びつけば、私との友情なんか、はるか遠くに過ぎ去ってしまうというほど、うれしい餌を与えるのでした。そのひとつの例が、奥島氏が、提示したお見合いだったのです。

 私は、女流画家は、独身で、すごした方がいい。恋愛はどうぞと、言っていますが、50代まで独身で居て、子育ての労をとらずにいて、それだけ、仕事上の知名度を確立し、その上で、年齢が合い、収入も高く、社会的地位も高い男性と、お見合いで、結婚できれば、老後に向かって、これほど、安心なことはありません。

 しかも、産経新聞を相手のインタビューで、「私は革○を征伐した」と、得意気な、説明をしています。これは、一般の人にとっては、『ああ、そうですか? それは、偉い人なんでしょうね』と言うだけの事ですが・・・・・

 私にとってはまるで、違うのです。一種の挑戦状だと思いました。ちょうど、大相撲の事で、ガバナンスに関する何とか委員会の座長に氏がなった頃でしたしね。ここいら辺は、一度描いています。リンク先を見つけるのが、大変なので、そのまま、すっ飛ばして、金銭について、分析することへ入ります。

  と言うのも社会科学的アプローチにしろ、哲学的(=人文科学的)アプローチにせよ、ある難問を解く際に、お金の計算が思いがけない答えを与えてくれることがあるからです。

 で、奥島氏の収入を、月収から、考えて見ましょう。氏は、早稲田の総長だったので、その年金も高額(たぶん、50万円以上)だと推察されます。が、さらに、30もの委員会の諮問委員をつとめているのです。そこから、100~300万円の収入が入って来るでしょう。

 そこへ持ってきて、朝日新聞の顧問です。これが、月額30~50万円だと考えられます。

 ここまでで、すでに、低く見積もって200万円であり、高く見積もれば、400万円となります。

 その上、各種の臨時収入があるでしょう。産経新聞はインタビューのお礼に幾ら払ったのでしょうか? 相撲協会は、迷惑至極な、ガバナンスに関する独立委員会の座長に幾ら払ったのでしょうか?

 高校野球連盟は、開会式と、閉会式に、言葉を述べる、氏に、幾らのお礼を払っているでしょうか? そして、氏の著書は、早稲田大学他で、教科書として採用されては居ないでしょうか? もし、採用されているとすると、その印税だけでも、毎年、200万円から300万円入るでしょう。となると、月額、最低でも、300万円であり、最高額ですと、500万円になります。

 すでに、自宅と、パリあたりに手当てしてあるであろう、海外拠点のローンなどは残っていないと推察されるので、月に50万円で暮らせるはずなのです。ただ、奥様が派手な人だと、一月に、生活費が、100万円はかかります。でも、100万円を越す、収入はどこへむかうのでしょうか?

 中流階級が、余裕のお金を1000万円持っていたとします。すると、定期預金をするはずです。その上の、2000万円までは、株に投資をするでしょう。3000万円を持っていたらどうするかですが、2000万円を株に投資して、定期は、1000万円で押さえて置くでしょう。

 しかし、5000万円の余裕資金を持っていたら、国債とか、投資信託に回すかもしれません。5000万円以上、一億までの余裕資金を持っていたら、金の延べ板(二キロ)を買うでしょう。今は、一枚で、900万円するとか?

 一億以上、3億までの資金を持っていたら、不動産をいくつか、投資用に買ったり、または、骨董や、美術品の収集に目が向かうような気がします。

 私は奥島氏の場合は、ご自分が稼いだ、資産として、5億円を超えるものを持っていらっしゃると思いますが、5億円以上を持っている人は、投資信託でも、単位金額が違うものがあって、そういうもののひとつが、X氏と、言う鎌倉在住のファンドマネージャーが、取り扱っているものなど、最低単位が、6000万円だそうです。

 6000万円を、5口買うと、3億円です。それが、確実に毎年、5%を生めば、1500万円です。それだけで、贅沢三昧ができますね??????

 こうなると、金が金を生む世界に入るので、それ自体が面白くなって来て、「どういうチャンスでも、その内容はどうであれ、お金が入るのなら、引き受けましょう」となるのではないかしら?

 私はね。奥島氏が、高校野球のトップであることを知って、その体型から、『不思議だなあ。どこの高校の野球部の所属だったのだろう?』と、ネットで、調べてみたのです。だって、少年時代とか、若いときにスポーツをやっていた人は、あれほどの、肥満体にはならないはずなのです。太っていても、筋肉の存在をうかがわせるところがあるはずなのです。しかし、記述がありません?????

  奥島氏って、大相撲壊滅作戦の時に、しばしばNHKのニュースに、登場をしたのですが、まるで、タンクみたいな巨体なのですよね。だから、高校時代は野球はやっていなかったと推察されます。『どうしたの? この人って? どうして、高校野球のトップを担っているのだろう?』と、不思議で不思議で、たまりません。

 ただ、私が推察の上で、結論として得たことは、『この人は、すさまじいレベルで、でしゃばりなんだ。いわゆるガキ大将のままで、大人になったのであって、恥を知るとか、自分を見返してみるという習慣のない人なんだ』ということでした。

 で、高校野球の人が突然に、大相撲の世界にもちょっかいを出したのでした。は、は、のんきだね・・・・・

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副題3、『早稲田大学、早稲田実業初等部 VS 慶応大学、幼稚舎』

 でもね、一箇所だけ、この人の忌まわしさに気が付いて、反旗を翻したところがありました。それは、早稲田大学の小学校を作る際に、寄付金を募ったのだそうです。合格してから秋ごろに、何らかの名目で、募集するのならいいのですが、受験と同時に募集をしたのだそうです。

 それは、慶応大学では、当たり前の事らしいのです。慶応大学の幼稚舎では、それは、当たり前の事らしいのです。ただより広範囲な受験生を集める普通部となると、どうかなあ? 私が知らない世界ですが、慶応は、富裕層の学校だから、寄付に対する、免疫性があるらしい。

 でも、早稲田の、新しい小学校(=早稲田実業初等部と命名されている)が開校したときに、まだ、海のものとも山のものともわからないわけですから、そこに、受験をさせる親は、早稲田大学の卒業生が多いわけですね。そして、まだ、30代かな、または、40代の前半でしょう。すると、家を買ったローンも残っていて、そんなに、生活に余裕がないです。

 しかも、子供の一人を、小学校時代から私学へ通学させる。それって、生涯学費が、すさまじいレベルになるでしょう。そういう風な、選択に、ただでさえ自己の選択への疑問があるところへ持ってきて、一口、150万円ですか? そういうものを受験前に請求される・・・・・と言うことは驚天動地の事だったと思いますよ。しかも、その寄付金をもし、拒否すると、不合格になるかもしれないという心配が生まれますね。六歳の子に、金銭的な差別を味わわせないといけないというのは、まともな、愛情を持っている親には、絶対に許容できない話だと思います。

 私は、大相撲壊滅作戦に怒って、ここまで、調べたのですが、この最後のエピソードを知って、やっとほっとしました。あの事件にかかわった人々、特に、訴追側に回った人々の、場かさ加減を信じられないと思って、調べまくったのですが、このエピソードまで達して、やっと、少しほっとしました。

 厚顔無恥な奥島孝康氏に、対抗して、純真で、正義を信じる早稲田マンが、ここで、初めて姿を見せたのです。大早稲田の長い歴史で、ここだけは、美しい光が注いでいるところです。学問を教え、若い人を導く組織としての、輝きがかろうじて、保たれているポイントでした。

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副題4、『大島理森氏は、慶応大学出身です。でも、幼稚舎からエスカレーターかな?』

 ところで、ここで、とびに飛びますが、安部さんに、「除染をもっとするべし」と、提言した大島理森自民党副幹事長って、慶応大学の出身なんですよね。法学部だったかな? 理工学部ではないことは確かです。

 ただ、あまりにも、放射能とか、核物質に、関する知識がないのに、仰天して、高校はどこだろうと、ぐぐり続けたのです。『慶応大学に受験生として、挑戦するなら、相当に偏差値が高い高校でないとだめだと思うので、そういう高校でも、この程度の科学知識しか持っていないのか?』と、本当に暗澹たる思いがしました。放射能って、ありと、あらゆるところに均等に降っていて、そのマイナスイオンの貫通力って、ものすごく強いので、ひとつの家の屋根とか、庭を水で洗ったって、そこに住めるものではないのですよ。

 除染とは、ただ、ただ、核燃料の忌まわしさを隠し、国民をだまし続け、さらに、原発再稼動に向かわせ、核燃料と言う、・・・・・その最終段階の始末まで入れれば・・・・・・実際には、膨大に、値段が高い・・・・・燃料を日本に売りつけ続けて、日本の国民があくせく、しかも長時間労働で、働いて積み上げた、資産を、海外へ吸い取られる、そういう仕組みを、これから先も続けていくための、国民への心理操作に他ならないのです。たまたま、自民党は土建業に強いし、土建業者が票田だから、どうしても、そうなるのは仕方が無いのでしょうねと、は、思っていたし、私は、2011年の、3月12日から、6月末の菅前々内閣総理大臣への不信任案が出るまでに、すべて、語りつくしたと思っているし、私が、このブログで、何も言わない方が、事実がたくさんニュースとして出てきていますね。

 1号機の格納庫が、割れたそうですよ。そんなことは菅元総理大臣の頃なら絶対に出てこなかったニュースです。どうしてかと言うと、菅元総理大臣なら、原発を全廃する可能性があったからこそ、ものすごく警戒をされていて、ありと、あらゆることが、かえって隠蔽されていたのです。今は阿部さんが再稼動を狙っているし、私は何も言わないでしょう。だから、平気でぼんぼん、真実が出てきます。でも、国民がぼんやりしていて、不感症みたいで、それについては、びっくりです。でも、私は、今では、原発関連の文章を書くつもりはありません。すべて、言い尽くしているから。

 もう一度、大島氏に戻ります。で、慶応幼稚舎からエスカレーター式に進学してきて、何もお勉強をしないで済んだのだろうと思ったのです。だから、科学的な知識がなくても仕方が無いと、まとめようと思ったのです。そこで、奥島孝康氏の、早稲田実業・初等部との、対比とか、関連性を語ることができますから。

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副題5、『除染がなぜ、無駄なのか、そして、単なる税金の無駄遣いであるのかを、ここで、復習をしておこう』

 ところが、違いました。彼は県立高校の出身者でした。参ったなあ。日本の高校って、その程度の知識しか、生徒に与えないのかと思って。慶応大学の法学部が、核燃料に関する全うな科学的知識を与えるはずがないですね。

 だから、高校までの勉強で、それを身につけないといけません。だけど、それが無理なのかなあと、本当に愕然としました。そうなのかなあ? 私は高校時代(お茶大の付属)、木村都(みやこと呼ぶ)先生と言う、後に女性のほうの御三家として長らく有名だった桜陰学園の校長になられた方に化学を学びました。高校時代までの物理では、とてもじゃあないが、原発の全体像はわかりません。だけど、化学からなら、よく考える子だと、わかる可能性はあります。

 周期表をよく研究し、陽子と中性子と、その分裂を考えると、マイナスイオンが放出する理由がわかってくるのです。まあ、私の場合は、大学でも科学を学び、この部分を丁寧に、勉強していますので、平易な形と、平易な言葉で、なんでも説明ができるのですが、どなたにとっても、原発や核燃料の仕組みは、化学からアプローチをなさるのが、ベターでしょう。ネットでも、相当な知識が開示されていました。周期表、核分裂、などのキーワードで、検索をなさり、丁寧に、筋道をたどると、核分裂の際に、放出されるさまざまな大きさの、粒子が、放射能であることがわかります。

 人体を構成する、アルブミンなどのたんぱく質でもバターを構成する脂肪質でも、拡大に告ぐ拡大をしてみて(それは、電子顕微鏡世界よりもさらに拡大した結果ですが)みると、透けスケなのです。そこを放射能が通っていくことで、分子や、構成原子のどこかを傷つけるので、癌が発症するのですよ。福島第一から、3月13日か、16日の爆発によって大量にばら撒かれた放射性物質は、満遍なく地表に降り注いでいるのです。

 そして、ヨウ素を直後に飲んだ方がいいという説の、根拠などもわかってきます。ただし、私は信じないです。ヨウ素製剤を飲むのは、マイナス+イオンの交換の仕組みを利用して、放射能のくっついた、セシウムなどのかわりに、分子の頭の部分をヨウ素で取り替えましょう』という案なのですが、理論的には、それは、わかりますし、正しい筈ですけれど、人体の中で、実際に、そういう化学反応が起きるかどうかは、まだ、誰も証明をしていないのです。そして、証明することも無理です。

 そんな、効果の不確かな薬である、ヨウ素製剤を市役所にもらいに行くとか、行っている暇に、さっさと放射能のない地帯に、逃げ出す方が、よほど、がん予防には、役立ちます。ともかく、すたこらさっさと逃げるしかないのです。そういう意味で、ヨウ素製剤を市役所に備蓄しておくなど、まったくの税金の無駄遣いであります。除染もそうです。それを主張する大島理森氏は、何も勉強をしておらず、何もわかっていない人間です。いったい、慶応大学の前は、何をしていて、慶応大学・卒業後は何をしていたのだろうと、さらに丁寧にググってみました。

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副題6、『大島理森氏は、八戸高校の出身で、新卒での就職先は、毎日新聞でした?』

 なんと、大島理森氏は、八戸高校の出身でした。その地域をググって見ると、人口は鎌倉市よりも五万人も多く(=1.5倍)、高校の数は公立私立合わせて、18校(=鎌倉の1.8倍)あります。土地面積に到っては、8倍あります。

 そこのトップ高校の出身です。慶応大学はコネ入学ではないと信じるから・・・・・まあ、寄付金は、現在の貨幣価値に直して、500万円ぐらいお支払いになったのかもしれないけれど、それは、なかったとすれば、ごく、優秀なかたです。しかも、卒業後は毎日新聞入社。

 うーんと頭をひねります。今、マスコミでは、有名人の子女がコネ入社できると言うことが、暴露されています。うーん。どうなんだろうと、怪訝も怪訝です。

 大島氏も、おじさんが、すでに、国会議員だったそうですから、コネ入社?

 そういえば、上の経歴は輝かしいものです。だけど、ほとんど同時期に慶応を卒業したと思われる、松沢茂文氏が大衆へ向けて活発なアッピールを繰り返しているのに比べると、発信力と言う意味では、地味ですねえ。

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 ここまで、書いた時点で、午前二時15分前でした。それから、1千字ぐらいさらに、身辺雑記を書いて、中断しますといったんお断りを入れたのですが、午前3時ごろ、パソコンへの攻撃を発見して、すぐ、書き進める決意をいたしました。眠気も吹っ飛んだ感じです。

 大島理森氏が、不思議な行動を取るということを書いているうちに、重要なことを、発見をしました。以前から、少しだけ匂わせておいた、板垣英憲氏と言う、元毎日新聞記者と、大島氏が、通々なる関係があるのではないかと言うことです。ほぼ、同じ時期に毎日新聞社に勤務しています。

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副題7、『板垣英憲氏は、相当重要な役回りを果たしていると、見えてきた』

 2011年度ですが、私が活発に原発について書いていた頃、そして、フェイスブックに入っていた頃、ライヴドアーが、いろいろな著者のブログを紹介していました。非常に硬派な記事が多かったのです。

 ところが、最近は、紹介されにくくなりました。なぜか? ともかく、菅元総理大臣の時代は、喧々諤々、国民がみんな政治に参加していました。立派な総理大臣だったと思います。だが、それだからこそ、核燃料を売りつけている側からは、警戒されており、野田内閣のころ、もっとも重用をされていて、『この人こそ、小沢一郎氏の後釜と擬せられていますね』と思っていた細野豪司氏が、選挙直後、徹底的に菅元首相を排斥していました。

 今は、ライブドアーの紹介も熱がこもらず、また、どっちでもいいようなライターが紹介をされています。政治の季節は終わったみたいです。

 で、板垣氏も最近は、紹介をされておりません。もっとも、 もしかすると、文章が短くなっているということがあるかもしれないし、そのほかの理由があるかもしれません。ただ、この人はタブーに触れている人でもあります。

 で、wikipedia に、氏からの発言として、

原発対応東北大学医学部付属病院(原文のまま)関係者の情報として、“「被曝」した現場の作業員たちが、救急患者として同院にどんどん送り込まれ、隔離されて、密かに始末されている”と発言している[1]。

 これは、コピペしたくないほど、恐ろしい現象ですが、板垣氏とは、そういう風に情報通だと、自分で言っている人です。ありとあらゆる秘匿されている情報に、詳しいみたいですが、氏のさらに奥にある存在が、アメリカ大使館に、もしかすると住んでいる日本人である可能性もあるのです。

 それが誰か? ですが、1963年ごろから地下潜行した、成岡庸司君である可能性をも推察している私です。ただ、これは、傍証をつかめないのです。井上ひさし(まだ生きています)、伊藤玄二郎、酒井忠康氏の三氏は、私のように、鎌倉雪ノ下に住んでいて、注意深く、山ノ下から聞こえてくる音を聞いていると傍証付けられますので、確信を持って発言をできるのですが、

 成岡庸司君だけは、推察するほかは無いのです。

 ただ、彼は、秋山豊寛氏か、アメリカ人のベイカーさんと、1965年ごろ接触した可能性は高いし、そのとき、その二人のうちのどちらかから、

 「日本の真実の支配者にならないか?」とサジェスチョンを受け、それで、エージェントとして、アイデアをねる人の一人となった可能性は強いのです。エージェントとして、日本を裏から実質的に支配をする。これほど、面白いことは無いでしょう。

 今はメディア界支配において早稲田が、全盛ですが、1965年ごろは東大の力がまだまだ強くて、在野の人間としては、東大出身者より、さらに上を行くためには、エージェントとなって裏から日本を支配する方が、確実だと思われたのでしょう。官公庁を支配しているのが東大オンリーだった時代です。

 ところで、成岡庸司君を君付けで呼ぶのは、横浜国立大学の付属中学の同期生であって、しかも総勢100人の中の一人ですから、よく知っている間柄です。それで、こう呼びます。

 ただ、一番不思議なのは、民主党内閣もこの国際的軍産共同体に徹底的に支配を受けていたのですが、安部内閣もそっくりそのまま、支配をされているということです。

 で、私が、そういうものですから、安部さんが主導性を発揮していないように、国民に見せるという方針が新たに打ち出され、その演出のために、大島理森氏は、動いたとみています。

 安部さんは声がきれいです。その上礼儀が正しいです。さすが、祖父が首相だったお家柄です。

 だけど、思いがけないほど、独断先行的です。むしろ独裁的といってもいいかもしれません。だけど、それが、本質なら、なおさらの事、そこを隠さないといけないでしょう。そうでないと日本国民がいろいろ気が付いてしまいます。政治の本質をです。日本が被・植民地国家でしかないことを。それを。だからこそ、大島氏が、ある演出に基づいて、「除染をもっとやってください」と、首相にお願いをしたのです。

 そして、アメリカ大使館で、そういう方針をなり丘庸司君が作り出し、それを、板垣英憲氏が、大島理森氏に伝える。で、大島氏が動いた。特に一人だけ突出するよりも公明党を伴って・・・・と言う現象が、徳州会の、選挙違反事件と同様なタイミングで起きたのです。

 なお、除染については、IAEAの来日にも触れないといけないのですが、本日は止めておき、先送りにしたいと思います。

 のちほど、誤変換を直して、署名を入れます。

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徳州会事件が、どうして今頃?

2013-11-13 07:09:51 | 政治

 今、16日の午前10時です。これから、以下の文章へ加筆をしていきます。文末ではなくて、途中で加筆した部分は、アンダーラインを惹いて強調しておきます。副題の番号をイロハニとつけておりますが、アラビア数字へ変えて生きます。そして、先頭を、抜きます。そして、副題3を足しています。

副題1、『ブログでお金が儲かるという人が居るが、それは、このブラウザ・グーの場合はゼロ円だけど、違うひと居ますか?』 

副題2、『朝日新聞の文化事業団って、嘘を言ったのではないですか? もし、閉じるって言うのが本当なら、部数800万部にしては、けち、だこと』 

副題3

副題4、『広告収入と言うのも忘れてはならないのだ』

副題5、『朝日新聞の収益分布がどうなっているかを想像してみよう。そこから、実態がさらに、わかってくる』

副題6、『私は過去に、よい仕事をした、かつ社会的地位として、高い人に、たくさん接してきている。だから、顔が美形であることだけを頼りに、偉そうにしている醍醐イサムの、人としての格の低さは、すぐに見抜ける』 

副題7、『一之瀬智恵乎さんは、問題のあるお嬢さんをおいて、海外旅行をしていた。母としては、とんでもない無責任さだ』 

副題8、『大逆転シナリオも、あるだろうから、念のために、ここに記載をしておきましょう?」 

副題9、『もしかすると、細野豪司氏の、立ち位置に、徳田毅議員は、立つことを約束されているのかな?』 

副題10、『偶然かな? 本日のクローズアップ現代は、徳州会選挙違反事件の特集だという番宣をみる』 

副題11、『書類整理中に、醍醐イサム氏からの案内状を見つけて、ちょっと、ほろっと来る』 

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副題〇、「御礼」 

 ここは、役目を果たしたと、思うので、削除させていただきます。

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 副題1)、「ブログでお金が儲かるという人が居るが、それは、このブラウザ・グーの場合はゼロ円だけど、違うひと居ますか?」

  ブログの下に広告が付いています。それによって、収入がある人もあるらしいのですが、申し込んだのに、毎月ゼロ円だといってきて、さらに、その制度が無くなったとのことで、毎日、毎日、膨大な労力をここに注いでいますが、一銭も手には入りません。(笑い)本年、および過去の数年を通じて、このおみかんが最大の収入でした。本当にありがとうございます。

  その広告料が入らないというのも、私だけを、相手の意地悪だと思っていますので、我慢をしていますが、大NTTが、鎌倉エージェント発の個人いじめに、唯々諾々として屈している野がわかる、得がたい証拠だと思っています。だから、日本の東電も、NTTも、国民が大切ではなくて、アメリカを中心とする国際的軍産共同体の方が大切なのです。

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 副題2、「朝日新聞の文化事業団って、嘘を言ったのではないですか? もし、閉じるって言うのが本当なら、部数800万部にしては、けちだこと」

 経緯は、私が若手の画家を募って、朝日新聞文化事業団のひとつとして、グループ展を開こうと、8年ぐらい前に計画して、申し込んだら、『財団そのものが、終了した』と、言われて、(笑い)そういう理由で、事実上の門前払いを食いました。私は、そういう際には、全部手弁当で、やろうとするのですが、一応、チラシとか案内状の印刷代と、画廊の協力を仰ぐのには、そういうバックがあったほうがいいと、感じて申し込んだのです。

 この企画は非常にいいものだったので、もし、落選したら、どれが、入選したかとフォローをしえ、おかしいとなったら、きっと、いろいろな、人に、それを、噂として伝えたでしょうね。そうしたら、朝日新聞の面目がまるつぶれでしょう。

  だけど、そちらの顧問である酒井忠康氏は、もともとの、友人である伊藤玄二郎に頼まれているから、入選もさせられないのです。で、基金そのものが無いこととして、私の希望を拒否しました。もしその後も、実際には、お金の授与が続いていたのなら、こういう現象を、欺もうと呼んでもいいと、思います。

  でも、このときに、私が相当に力があると、気がついた敵さんたちは、『これ以上、彼女が大きくなったら大変だ』ということになって、急遽、美術9条の会を立ち上げて、そこに現代アートの目立つ画家を集めて行ったのです。そして、「彼女との接触を止めよ」と、会員達に、命令したり、私への讒言を振りまいて、画家たちに、言うことを聞かせたのだと思います。

  だから、渡辺豊重さんも、いじめて来たし、ワシオトシヒコさんも、いじめて来たし、赤津侃さんなんて、美術9条の会ができる前から、いじめて来ているし(笑い)、・・・・・

  一ノ瀬智恵乎さんが、その会の会員だったことは確かですが、醍醐イサムも含まれていたのではないかしら?

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@@@@@@@ここが、16日に加筆を始めるところです。

副題3、『朝日新聞の、予算を想像する。まず、確実にわかる、購読料収入は、如何?

 株が1万5千円になりました。株をやっている人の家には、どこのお宅にも会社四季報(または、会社情報)と言う分厚い本がおいてあると思います。あれで、その会社の収益が大体わかるのですが・・・・・朝日新聞のそれは載っておりません。

 私が若い頃、社主の村山さん一家と、サラリーマン社員が大闘争をしたという記憶がありますが、ともかく、株式は非公開です。したがって、どんな、収益があり、それが、どういう風に分配をされているのかが、外部にはわかりません。で、まず、公称800万部と称されていますので、その購読料がいくらかを考えて見ましょう。一部を定期購読する人は、確実に、一年で、6万円超を支払います。

 一般の本と違って印刷所を支配しているし、流通のしくみも独特なので、本社に入る、売上金が、出版社よりも多いと考えます。出版社の場合は、印刷所と製本は外部への注文だし、流通も外部へ依頼だし、売れ方も』賭けですから、大量に無駄が出るが、売上金の35%は、出版社にはいると、言われています。

 新聞はほとんどが、定期購読者ですが、特に、大朝日さんは、ご家庭で、それを取っている割合が多いでしょうから、揺るがない部数で、その数字は確かでしょう。ただし、公称と歌っているところがミソです。疑問の挟まる余地でもあります。で、数字が控えめだとより性格になりますので、実売部数が、700万部と計算します。すると、購読料は、年に4200億円になります。

 もし、購読料の千円以下の端数をも入れて、丁寧に計算しなおし、7万円とし、実売部数を、間を取って750万部として、計算しなおすと、5250億円になります。

 ところで、新聞や雑誌、そして、テレビにも、広告と言う部分があります。ここからの収入が実に、馬鹿にならないと思いますよ。

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副題1、『朝日広告賞(継続していると思いますが、後で調べます)と、天野祐吉氏の死』

 広告とは、国民心理を、操作するものです。ただし、現代日本では許容されているものです。資本主義国家でしょう。だから、商品を売るために、寡占化したいし、寡占化ができなくても、売れる順位の中で、上位に上りたいので、広告と言う分野が発達しました。ビールなんか、最も多数回、その広告を、一般国民が目にする商品です。激しいシェア争いをしていますね。

 アサヒ、キリン、サントリー、サッポロ、

 そして、日本酒です。大関と、言う銘柄が、最初に大広告を打って、今では静かですね。テレビコマーシャルとしては、黄桜(呑)が、いつも旬の若手、または、話題の女優さんを使って、印象が濃い、コマーシャルを打っていました。

 私は、新聞社にも雑誌を出版している出版社にも勤めていたことがないので、はっきりとは知らないのですが、雑誌によっては、読者の購買額より、広告収入が多くて・・・・・だから、売れようが売れまいが、関係がないのだと、聞いたことがあります。新聞はどうなのだろう。民放テレビは、一切視聴料を取らないので、広告だけで、成り立っている世界ですね。

 で、朝日新聞の広告料を考えて見ます。時々、全面広告と言うのがあります。しかし、それは、ここでは抜かします。下の段で幅二分の一の広告(週刊文春や、週刊新潮に使っている類のものですが)が、500万円だと聞いたことがあります。

 週刊文春側の収支を考えると、総体の売り上げが少なく見積もって1億2千万円で、広告収入が、それに、匹敵する程度入ると仮定すれば、両方で、運営費が、2億になります。これは、低めに計算をしているほうですから、時には3億になると感じます。そのうちの10%を自らの宣伝に使う? ありえるでしょう。つまり、雑誌360円を買うときに、そのうちの36円は、今週にどんな記事が載っているかを知るために、読者側が支払う部分です。

 実際には、週刊文春は朝日新聞側に、あそこを、300万円ぐらいで、買っているはずで、それは、部数に応じて、日経新聞等では、200万円になり、産経新聞では・・・・・と、提言していくので、電車の中吊りを入れても、1000万円程度で、済むのかもしれません。すると、10%の広告収入となります。

 出、朝日新聞社側の広告収入については、少なめに見積もっていきましょう。下段の広告が、幅いっぱいを、いくつに分断するとしても、また、頁によって、値段が違うにしても、平均、700万円と計算しておきます。朝、夕刊あわせて、50頁分は、広告が載っていますので、700万円×50頁は、

副題『収益分布がどうなっているかを想像しみよう。そこから、実態がさらに、わかってくる』

@@@@@@ここが、16日に加筆した、最終部分です。

 

 副題4、『鎌倉エージェントたちを救うための、諜略行為としての、徳州会いじめ』

  トウトウ、徳州会の代表、徳田虎雄氏が、失墜方向に向かったらしいです。お嬢さん二人が逮捕される事態となりました。ASLをわずらっているという窮地に、お嬢さんふたりの逮捕(?)。しかも、選挙違反に比較をすると、徳田さんが、医師会に突きつけた批判は、大きくて、日本の庶民には、とてもありがたくて、助かることだったのです。

  これはね、私が何度も「醍醐イサム批判を行います」と予言しているでしょう。その文章がどういう風に運んで行くかを、裏でひどいことを計画した、敵さんたち(=エージェントたち=)が、予測ができるので、それを書かせまいとする婉曲な脅かしです。お気の毒に。

  それは将来詳述します。でも、私が脅かしには屈しないので、急に矛を収めて『実は四年前にも違反があったのだ』と、彼らが大きな罪を犯したように、貶めていました。それが、真実なら、どうして、そのときに、警察は、ここまで、のろしを上げなかったのですか?  あの頃は、民主党全盛時代であって、自民党なんって、赤子の様に弱かったのですから、そのときに逮捕すれば、よかったではないですか?

  しかし、4年後の今です。しかも、選挙直後(それは、去年の12月の事だった。選挙は11月の末に行われている)に普通は事件化されるのに、なぜ、今ですか?

  そして、と、同時に、私のパソコンに、大きな被害を与えて、文章を書けないようにいたしました。12日の深夜から、13日の午前中にかけてです。

  それも、最初の原因は、醍醐イサムですから、ひどい、ひどい男です。

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副題5、『私は過去に、・・・・・よい仕事をした、・・・・・かつ社会的地位として、高い・・・・人に、たくさん接してきている。だから、顔が美形であることだけを頼りに、偉そうにしている醍醐イサムの、人としての格の低さは、すぐに見抜ける』

 醍醐イサムと言う人は、中程度の、単なる画家に過ぎず、他の人間に与える影響は、すこぶる小さい人間です。

 一方で 私の主人は、一酸化窒素ガスを、触媒を使って、除去する発明をしました。その主人と比較をしても、他人を救うという意味では、一億分の一の大きさしか、もっていないのです。 中国のあの大気汚染をごらんください。日本は空気がきれいでしょう。アメリカにもその触媒を使った車が、輸出されているはずですから、軽く一億人の人の肺をきれいにしていると言うわけです。スケールが違うわよ。

  そういう格の小さな男、醍醐イサムが、エージェントたちの言うことを聞いて、私をいじめたおかげで、日本医学界の偉人、徳田虎雄を、ぶっ潰したのです。大勢の庶民にとって、その存在が、とても、ありがたかった徳田虎雄と言う偉人をぶっ潰したのです。

  これもあれも、鎌倉エージェントの発案に、警察庁が乗ったということです。大相撲壊滅作戦の時と、まったく同じ構図です。伊藤玄二郎は、その広報を編集印刷することで、鎌倉の医師会を握っています。ので、鎌倉の医者のうちの誰かを動かすことができて、その医師発のコネで、日本の医師会を動かすことができるわけです。

  相当数のニュースと、事件は、裏側の人的コネで、作られ先へ進みますから。彼ら、影の特権階級の、個人的な恣意で、動くのです。伊藤玄二郎の元愛人が、わがままいっぱいで、私の猫の事で、警察官を大失敗に巻き込んだことから、すべては起きています。そこから、根回しとコネで進みます。

  この件は、将来丁寧に書いていきますけれど、皆さん応援してください。でないと、パソコンが壊されて、国民にとって、大切な問題が書けなくなります。

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 副題6、『一之瀬智恵乎さんは、問題のあるお嬢さんをおいて、海外旅行をしていた。母としては、とんでもない無責任さだ』

  ところで朝日新聞の文化事業に戻ります。今は、復活したことになっているのではないですか? (笑い)

  馬鹿にするのもほどがありますが、一ノ瀬智恵乎さんが、この2013年の五月に、海外への研修旅行(それは、代議士の海外研修に似たようなものですが、美術界では、ワークショップと呼ばれていて、帰国後どこかでグループ展を開く形でしょう)に出かけています。

  それも、バックには、どこかの文化財団が、お金を出している形でしょう。朝日新聞かもしれません。審査がどうにでもなるし、そういう意味では、手っ取り早いところだから。他にも朝日新聞は、朝日広広告賞と言うのを出しています。そちらの方に関しては、紙面を使ってお知らせがあり、相当のレベルで、明朗みたいですが、こちらの方の現代アート分野に関しては、一般大衆が知ることのできる形では、外部へは、公表をされていません。お金を下げ渡すという形で、現代アート系の作家の幾人かを、言うことを実行するお人形にしたてあげていくわけです。

  私は何度も、政治的な支配は、日本では、文化界を通じて行われるといっていますが、これは、まさしく、典型的な例です。身をもって、その悪質さを経験している渦中です。それが、私です。

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 副題7、『大逆転シナリオも、あるだろうから、念のために、ここに記載をしておきましょう?」

  ところで、上の節の、初稿を書いて、4時間たっていますが、もしかすると、と言う感じで、違う流れも思い浮かびました。徳田一家は、納得の上で、この逮捕劇に協力したのかもしれません。それを、伊藤玄二郎じきじきか、間に医者か、Xさんを入れて、実現をさせたとも、推察されます。ここらあたりは、超が付くほど、高度な解釈ですので、一般の方には、ちんぷんかんぷんでしょうが、

  徳州会は、鎌倉にも病院を持っています。大きいです。もしかすると徳州会の病院の中では、日本一かもしれません。

  Xさんは、そこに奥さんを入院させていたのです。特別室ですって。だから、徳田一家とは、親しいと思いますよ。あのテレビに出てきた、介護ベッドは、鎌倉の徳州会病院においてあるものかも知れませんし。

  大金持ち、専用のファンドマネージャーであって、早稲田卒、元、電通勤務、会社の紋章はフリーメーソンのしるしと同じ、と三拍子そろった人がXさんです。彼は、大物らしいですよ。しかも日本で、長らくナンバーワンのエージェントだった、瀬島龍三氏に次ぐ、エージェントだったと思われる、成田豊氏とは、入魂の間柄の人物です。

  もうひとつあります。これも、カモフラージュ用ニュースであって、上にあげた徳州会病院事件と、同一路線ニュースですねと思うのは、大島理森自民党副幹事長が、安部さんに、除染を推薦したと言うものです。IAEAが来て、そちらも除染を勧奨しました。これは、2011の5月か6月に、『除染は無駄だ』と、公言している私に対する、嫌がらせのニュースなのでしょう。ともかく、税金の大量の無駄遣いであって、地元の土建業者を潤すだけのもので、仙台では、ベンツが馬鹿売れしているそうです。

  都会では、若い人たちが、『結婚もできない、子供も生めない。年収が200万以下です』といっているそうです。それが、働く人、全人口の23%も居るのですよ。

  それから、今朝(14日)になって、フランスと日本との間の、2+2が発表をされました。こういうことも、日揮襲撃事件と、シリア空爆ニュースの際に、軽々と動きすぎるフランスの現大統領を批判していますので、フランスの大統領が出てくるニュースで、嫌がらせができると、考えているのでしょう。

  後で、リンク先を示せるといいのですが、ともかく、忙しいので、それは、やらないかも知れませんが、フランス大統領が、諜略行為の完成のための重要なリングとして、使役をされているのは確かです。私の過去ブログから、嫌がらせに役立つだろうなあというヒントを探して、それを、否定していくことによって、私をつぶせると考えて流される」ニュースです。将来時間があったら、丁寧に、分析いたします。

  ただ、今は、一ノ瀬智恵乎さんにこだわります。このこだわるというのは、学者の特徴なんですよ。学者なんて、世間の人から見れば、「どうして、そんなに小さい事にいつまでもこだわっているのですか? と言うように、針の先ほどのテーマを、微に入り細に入り、研究するから、その業界で、トップになれるのです。あ、業界と言う用語は、学者の世界では、使いませんね。

  一般的には、業界と同じ意味ですが、学者の世界では、斯界と言う言葉を使います。で、斯界(=この世界)で、一番先を行っていて、しかも深くそれについて、研究しているのが学者です。

  ところで、この章も、実は、三鷹ストーカー事件をさらに、説明したいので、社会科学的なアプローチを始めて、そのルートから解明しようとしている章です。その説明の、前半の、さらに前置きで、終わっていますが・・・・・

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 副題8)、『もしかすると、細野豪司氏の、立ち位置に、徳田毅議員は、立つことを約束されているのかな?』

  上の節、副題トを書いて、さらに、1時間たったら、別の事が見えてきました。これはすぐには、表には出ない節なのです。だから、ここでは、そう書いた方がまずいのかもしれませんが、『徳田ファミリーは、委細を納得の上で、この役柄(=逮捕)を引き受けたのかな?と』、思うようになったのです。

  交換条件として、「今の小泉新次郎君の立ち位置に、息子さんを、つけるよ。だから、ちょっと、一肌脱いでくれませんか? 僕の手下どもが次から次へと・・へま・・をしましてね。そのうちの、醍醐イサムと言うチンピラが、もっとも大きな失敗をしているのですが、その連なりで、伊藤玄二郎が、追い詰められているんですよ。

  彼が追い詰められると、鎌倉の秩序(===社会通念上の上下関係が、構築されていること===)が保てないのでね』と、頼まれて、徳田さんは、パソコンの画面を目で追いながら、「そうですねえ」と、一瞬、渋ると、「イやねえ。毅君は、お坊ちゃま過ぎるよ。ここは、修羅場を経験しておきなさい。選挙違反なんて、軽い軽い。だけど、そこで、大衆とは、どういうものかが、学べますよ」と、説明をすれば、徳田氏は、以前から、子供たちには自分ほどのガッツがないのは、知っていますので、それが、改善をされるのならと、乗り気になるかも知れません。

  ただ、例題としてあげた小泉新次郎君は、徳田毅議員の43歳と比べると、年齢的にはるかに下で20代です。ですから、年齢がもっと近い細野豪司氏の立ち位置を、狙いなさい。

  細野君はね。目をかけているんだが、どうも、もうひとつ、人気が出ないんですよ。だから、毅君が先に総理大臣になると、僕は思いますよ』などと、言われていたら、ちょちょいのホイで、納得でしょう。

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 副題9)、『偶然かな? 本日のクローズアップ現代は、徳州会選挙違反事件の特集だという番宣をみる』

  さて、午後二時に上の文章を書いてアップして、午後の一時に、連続、22時間起きていた後の睡眠に入りました。そして、二時間で目が覚めてしまいました。たまたま、その30分後に、二度寝に入ることができまして、午後の五時半に起きました。そして、六時15分ごろかな、または、7時直前かな? NHKの番宣伝で、クローズアップ現代で、特洲会の選挙違反事件を取り上げると言っていました。

  無論のこと、嫌な気がしました。それは、種々に理由がありますが、私は、寝ている最中にも、文案が浮かぶ人間で、上の文章の続きを書くつもりでした。特にXさんについて面白い文章を書くつもりでした。Xさんは、皆さんが、大好きな坂本竜馬あたりと、かんけいがあるかもしれませんし、非常に豊富なエピソードに満ちて居る人物です。

  また、Xさんの言葉として、醍醐イサム氏を、チンピラと表現したのも、画家の年齢から考えると、訂正しておかないとならないと感じました。醍醐イサムと言う人物は50代だと思われます。もしかすると、61歳ぐらいに達しているかもしれません。

  その予定が、阻害されました。急遽、クローズアップ現代について、触れないとならなくなったからです。

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 副題10)、『書類整理中に、醍醐イサムからの案内状を見つけて、ちょっと、ほろっと来る』

  私は午後五時半におきたときに、主人に、『ごめんなさい。おきたばかりで、食欲がないので、あなた先に一人で、食べてくださいね』といって、書類の整理を始めました。冬の夕暮れは、早く訪れ、午後の五時半でもあたりはすでに真っ暗です。だから、外の仕事はできず、家の中での、仕事しかできません。だから、心身とものウォーミングアップとして、面倒な紙類の整理を始めたのです。

  すると、30分もしないうちに、新宿の花園画廊で、開かれた、醍醐イサムの案内状を見つけました。二人展なので、もう一人の作家さんが送ってくれたのだと思いますが、それでも、ちゃんと新宿にまで出かけて、その二人展を見ています。で、書類整理は、二ヶ月ぶりか三ヶ月ぶりにやることなのに、ひょいと目の前に現れた案内状が醍醐イサムさんの、モノだったので、何かのチャネリングを感じて、ほろっと、涙が出そうにもなりましたよ。はがきがまるで、子犬みたいに、訴えていたからです。『僕の事を書かないで』と。

  だけどね。私の被害は甚大であり、私は、戦いの最中です。醍醐さんが、たまたま使役をされただけだとしても、背後に居る犯人達をとっ捕まえるためには、彼の事跡を書き表しておかないと、だめなのです。特に彼の実像を捉えた動画と、それを撮映したヴィデオカメラが、大阪城北詰駅で、盗まれたいきさつが、あまりに劇的で、かつ政治的なので、絶対にそれを書かないとだめなのです。

  と、力説しながらも、はがきの向こう側に一瞬でも、浮かんだ、黒い小犬の像も、目に焼きついています。

  首をちょこんと傾けて、ぬれた鼻を、輝かせながら、黒い小さな目で、こちらをすがる様に、見つめているかわいい子犬。

  それが、醍醐イサム氏の、今の象徴的な姿として、はがきの中から立ち上がってきたのでした。こういうイメージがどうして浮かんだかを、醍醐イサム氏の実像を知らない読者に説明をさせてくださいませ。彼は、黒を主体とした小さめの絵を描き、それを、10万円から15万円ぐらいで、売って食べている人間です。

  皆様は、野見山暁司と言う名前はご存知でしょう。でも、野見山さんの絵の実物を見たことがありますか? そちらの絵を見たら、とてもじゃあなんですが、黒い子犬などは、思い浮かびません。氏は炭鉱主の息子だという事ですが、確かに荒々しい絵なのです。それから、ワシオトシヒコ、赤津侃などを、思い浮かべても、月齢二か月程度の黒い子犬など、イメージとしては、沸きません。

  さて、クローズアップ現代は、どっちでもいいと、5時間後の、今は、思っています。そちらについても、5000字ぐらいかけますが、どっちでもいいわねと、今は思っているので、書類整理を、再開させてくださいませ。

  なお、このブログの2010年度より数えはじめた伸べ訪問回数は、 19890290です。

  2013年11月14日~16日に加筆中  雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

コメント

リボンの騎士から、小学生のヰタ・セクスアリスを語る。三鷹ストーカー事件

2013-11-12 17:41:34 | 政治

  今は、12日の20時です。これから、10日の夜に書いた以下の文を推敲加筆していきます。これを、一日前にアップしようと思っていましたが、NHKのBSプレミアムに、アラスカ州の田舎町スペンサーの図書館に住んでいた賢い猫、デューイが、登場しましたので、急に、順番が変わったのです。ところで、本日も、総タイトルが変わる可能性はありますが・・・・・

 最初は、『図書館猫デューイの中に登場する母性愛と、三鷹ストーカー事件の、それと比較してみよう』でした。

副題1、『某有名作家が、猫には、スカと、あたりがあるといっているが』

副題2、『村上春樹は、逃避と言うことについても、そのエッセイ内で書いていた』

副題3、『忙しい母にとって、実母(祖母)の助けは、大変、ありがたいものだろう』

副題4、『中村紘子さんも、とてもさびしい、孤独な子供時代を送ったのだけれど』

副題5、『青い性を売り物にしていた山口百恵チャンも、結婚までは、純潔だったはず』

副題6、『ここで、・・・・・手塚治虫って、相当に、エロチックだった・・・・・ということを語ろう』

副題7、『私の、ヰタ・セクスアリスを、森鴎外に倣って語ろう』

副題8、『吉祥寺には、大きな商店街がありますね。母親は気をつけないといけません』

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副題1、『某有名作家が、猫には、スカと、あたりがあるといっているが』

 作家(この場合は、文章系)の中には、猫好きの人が多いようです。鎌倉に、大仏次郎が晩年を過ごした(?) 家があり、今、喫茶店になっています。彼が生きていた時代に、訪問をしてくる、人懐こくて、見事な毛並みの三毛猫が居たので、「あなたは、どこの猫ですか?」と言う手紙をつけて返したら、「角の風呂やの猫ですよ」と言う手紙をつけて、再訪問をして来たそうです。

 鶴岡八幡宮で、勧進相撲があったときに、関取さんたちが、その風呂やまで、裸足で歩いて向かうのに、出くわしたことがあるのですが、閉店してしまいました。時代は移り変わります。

 最近で、猫好きの作家と言うと、町田康ですね。猫専門の雑誌にエッセイを連載をしていて、時々読みます。これから分析しようとしている、醍醐イサムと言う画家が、美形を売り物にしているのですが、誰をあげたら、皆様に彼の雰囲気が伝わるかと考えていたら、町田康なども美形なので、たとえる相手として、適切です。

 ところで、猫ものエッセイで、一冊の本を出版してはいない(・・・・と、思うが、詳しくは知らない・・・・)ものの、猫好きだとわかる作家が、村上春樹です。私は彼の『ノルウエイの森(上下)』は、買ってあるのですが、ちょっと読んだだけで、ついていかれないと感じて、それ以降は一切、著書を買っていません。だが、よく週刊朝日は読んでいたので、村上朝日堂と、銘打った、見開き2頁のエッセイは読んでいて、それが、文庫化されたものも、買って読んだりしています。

 東京への電車が、往復二時間あるので、その合間の、暇つぶしのつもりで、読んでいるのに、時々はっとする観察に出会います。そのひとつが、『猫にもスカとあたりがある』と言う分析でした。飼って見ると、どんな猫でもかわいいのですが、特別に頭のよい猫が居るのも確かです。

 我が家の、今の猫もそういう種類の猫ですが、さらに上を行くのが、今取り組んでいる、『図書館猫のデューイ』の主役、デューイ・リードモア・ブックスです。この名前ですが、三つの部門で構成されている、立派なものです。

 著者の、ヴィッキーマイロンは、「もし、私達に貴族趣味があったら、サー・デューイ・リードモア・ブックス、と呼んだだろう」と、言っていますが、まず、デューイとは、本の10進分類法を編み出した人物で、捨て子・猫として、図書館に来たころから、自然に付いた名前でした。苗字は、「もっと本を読みましょう」という意味ですから、見事に図書館猫の、役目をあらわす名前です。

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副題2、『村上春樹は、逃避と言うことについても、そのエッセイ内で書いていた』

 村上春樹のエッセイ集の中で、惹かれたもうひとつの主題は、逃避と言うことについての考察でした。村上春樹は、日本での、修行時代には、喫茶店を経営していたようです。そこへ雇ってくださいといって、若者が大勢訪れます。ファンですといって、来るらしいのです。で、雇った結果ですが、「僕は将来小説家になるつもりです」という人間の中に、使い物にならない人物が居ると、言う趣旨でした。

 つまり、私は将来小説家になりますという種類の人間は、大志を抱いているように見えますが、それが、現実逃避だった場合には、喫茶店のウエイターと言う仕事もろくにできないし、無論、将来に、小説家になることもできないといっているのです。彼自身の言葉の中には、逃避とか、現実逃避と言う言葉は一切なくて、それが、プロの作家として、成功した彼のテクニックだと思いますが、私は、簡単にまとめるために、逃避と言う言葉を使います。

 それを読んだときに『村上春樹って、怖いなあ』と思いました。だって週刊朝日に書くわけだからその解雇された若者も当然のごとく読むでしょう。すると、うらまれて、後日ストーカーかしかねませんよ。それでも、販売部数以上、100万人近くが読んでいる、週刊朝日に、それを書くのだから、すごい人なのです。

 後日彼が、イスラエルで賞を授与された時に、イスラエルをたしなめるような発言が出たのも、『そうでしょうね。彼は、顔は、温和だけど、中身は、厳しい人間でしょう』と思いました。でも、彼の本・・・・特に大宣伝をされている小説の類で、上下2巻のもの・・・・を買う気にはなれません。ああいう大宣伝は、私が最も嫌う類のものですから・・・・・

 ところで、私はよく「大アーチスト(美術系)になろうとして、挫折してしまって、今は、あきらめているところです」といっています。そういう私ですから、村上春樹の経営する喫茶店で、もしアルバイトをしたら、使い物にならないといって、解雇されるかもしれません。(笑い)

 ただね、その言葉は、今の時点で、しかも、半分ジョークで言っているのであって、本当にそれを目指していた15~10年前のころは、ただ、版画を一日、10時間ぐらい制作していて、土日も休まず、それをやっていて、他の事は、何も考えていなかったのでした。出世とか金儲けも、考えているとは、一応、他人に言っては見るものの、本当にそれに役立つ行動はとっていません。今でも同じです。

 ただ、挫折の原因として、画家になる前に、すでに、結婚をしていて、子供も二人居たというのは大きいです。私は、どうも接する人、接する人に甘えられるタイプであって、無論、家族からも甘えられます。ところが画家(または、版画家)の仕事って、頭脳の働きにおいては、24時間、休みがありません。それは、家族にとって、とても嫌なことであるらしいのです。そこで、いろいろな葛藤が生まれます。で、その結果として、人生の岐路、岐路で、家族を優先したということがあります。

 猫にも甘えられます。大きな食卓の上にパソコンを置いて、この文章を打っているのですが、猫が、ノートパソコンと同じ高さで、テーブルの上に、デーンとねそべって、私に、ちょっかいを出すので、うまく、キーボードが打てません。のどをごろごろ鳴らしながら、手を伸ばして、私を引っかくので、対応しないといけません。猫にも甘えられきっています。

 ブログのように、パソコンを使って、文章を書くのは、時間を区切ることができるので、妻や母であることとの、両立が、やや容易だから、今は、それを、やっています。で、これで、自足をしています。だって、できないことに手を伸ばしても、ただ、あせるだけで、プラスにはなりません。この状態で我慢をするのは、仕方が無いことでしょう。あきらめも肝心です。後退も時には、大切です。

 今の私の生活が、客観的に見れば、甘いものかもしれませんが、自分では逃避をしたという意識は毛頭ないのです。ただし、美術界での、自分の立場は、小さいです。

 沙彩ちゃんのママ、一ノ瀬智恵乎さんやら、醍醐イサム氏に比べると小さいです。でも、最善を尽くしてきたという思いがあるので、引け目を感じたり、自分を下だとか、劣位にあるとは微塵も思っていません。

 むしろ、『一ノ瀬智恵乎さんのほうが、逃避を重ねてきましたね。特に母としての役目や義務から』、と思っているのです。

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副題3、『忙しい母にとって、実母(祖母)の助けは、大変、ありがたいものだろう』

  図書館の館長をしていて、しかもシングルマザーだった、ヴィッキーマイロンは、子育てを、実母(自分の娘にとっては、いわゆる祖母あたる)に助けてもらっていました。元気で愛情もいっぱいだったその人が、癌にかかりました。何度も乗り越えてきた癌でしたが、『今回はだめだろう』と、言う時期がやってきました。

 で、ヴィッキーは、母にささげる詩を書きます。そこに母性愛とは何だとか、母の役目はどういうものかが書いてあります。

 ヴィッキーは忙し過ぎて、実母としては、足りないところのある方のお母さんでした。実際に、17歳ごろに、娘に反抗をされて、家から出て行ってしまわれます。だが、もう一回帰ってきて、自分の手元で、無事に娘の結婚式を挙げて、二人の孫にも恵まれます。

 それは、娘が子供のころ、深い愛情に満たされていて、家族の大切さとか、自分を大切にする基本的なところを身に着けていたからでした。それを、支え、教えたのが、自分の母だったのです。祖母が、実は、祖母ではなくて、第二の母となってくれていたのです。

 その部分を本から、抜き取って、ここに、字おこしをして見ます。本当は英語の原文だと、韻律なども踏んでいるはずですが、日本語(翻訳家は、羽田詩津子)だと、そういう香りの部分は飛んでいます。でも、意味が深いので、韻律がなくても人の心を打つでしょう。

母さんの思い出

 記憶を探ってみた

 ある日、ある事件、あるおしゃべり

 わたしのいちばん愛している記憶には

 それ以上の中身があった

 

 七十年代に結婚が破綻して、すべてを失った

 人生が後退していくのを感じた

 落ち込み、もがいていた

 まさに正気を失いかけていた

 

 友人と家族がわたしを支えてくれた

 誰より五歳にもならない娘ジョディが

 彼女がすべてを埋め合わせてくれた

 生き延びようと闘っているときに

 

 母さんありがとう

 母さんはわたしが再生できることを教えてくれた

 でもあなたのもっとも大切な役割は

 ジョディの第二の母だったこと 

 

 わたしに与えられるものが何もなかったとき

 ベッドからでようと苦闘をしていたとき

 母さんはジョディを抱きしめて

 魂に栄養を与えてくれた 

 

 限りない愛情と安定に包まれ

 そのハートリーの家では

 スイミングのレッスン、馬鹿げたゲームが行われた 

 ジョディは一人きりにならずにすんだ

 

 わたしが人生を立て直しているあいだ

 勉強し、働き、自分の道をみつけるあいだ

 母さんはわたしになかったものをジョディに与えた

 日々の特別な気くばりを

 

 ジョディを育てるあいだわたしは混乱していた

 だけどジョディがころぶと、母さんが、支えてくれた

 ありがとう、母さん、なによりも

 わたしの娘を導いてくれて

  上の詩で、部分的に、イタリックにして、かつ太字にしたのは、私です。そこが、母のするべきことであり、それを、ふわふわと外出ばかりしていた、沙彩ちゃんのママは、やっていなかったと思わるので、特に重要だと感じたからです。

 初めてこのブログに入ってきた方は、沙彩ちゃんのママについて書いた別の二つの文章を、後で、ご覧ください。あるところに、リンク先を置いておきます。

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副題4、『中村紘子さんも、とてもさびしい、孤独な子供時代を送ったのだけれど』

 ピアニストの中村紘子さんが、夕方とてもさびしかったと、エッセイの中で、書いていらっしゃいます。だけど、彼女はおかしな方向へは曲がりませんでした。

 どうしてかと言うと、『自分の母はシングルマザーであり、働いている。母にとっては、世の中で、生きていくのがとても大変なのだ』と、わかっていたからでしょう。彼女は慶応の幼稚舎に通学していたのですが、もし、公立に行っていたら、私と同じ小学校の同じ学年のはずで、放課後も、どこかのオタクに、預けられたり、遊びに行くことも可能だったと思います。

 私の場合、母は自宅に居ました。だから、子供として、さびしがっては居ないのですけれど、しょっちゅうどこかのお宅に招かれて、そこの子と一緒にすごしていました。それは、日吉と言う町には、当時、エリートサラリーマンを夫にもつ、専業主婦の優秀なお母さんが何人も居て、お誕生会とかパーティとか、私塾とか言うことを盛んにやっていたからです。今で言うシロガネーゼに近いといっていいかな?

 だから、『紘子さんも、もし、公立の日吉台小学校へ行っていたら、あれほど、さびしい思いをしなかったでしょうに』と思うほど、さびしい夕方を過ごしていたのでした。画廊月光荘のオーナーだった母の耀子さんは、定時に閉めたとしても、夜の八時半過ぎに帰ってくるはずだし、時には総理大臣を含む有名人達と、地下室で、パーティを開いていたから、夜はとても遅かったはずです。ただ、ピアノのレッスンと猫が、彼女を慰め、時間を充実させてすごすことに役立っていたと、推察されます。

 私は、ピアノ演奏においては、中村紘子さんをそれほど、好きではないけれど、エッセイを読むと、なるほどと、思うことは多いです。特にシングルマザーの下で育っても、ご自分は安定した、そして、立派な家庭を作られました。それはえらいです。何も揉め事が起きていませんよね。

 それは、『お母さんが、疲れていて、大変だ』という思い(同情心に似たもの)があって、『お母さんを心配させてはいけないのだ』という縛りが、彼女にあったから、健全な思考が育っていったと、思われます。

 画廊の経営者と言うのは、ビジネスマンです、美術という、虚業を扱ってはいるが、お金を稼いでいる人ですから、実業の世界に片足を突っ込んでいる人です。そうすると、娘が、偉くて成功をした母から、プレッシャーを与えられるとしても、同時に、敬意も感謝も育つはずです。

  一方で、沙彩ちゃんにとって、一ノ瀬智恵乎さんが、どう見えていたかですが、『偉い人だから、それよりも偉くならないといけない』と言う圧迫感を与える存在でもあり、また、一方で、『勝手なことをして、出歩いている人よね』と言う感覚もあり、ともかく、同情する相手ではなかったでしょう。また、心からの敬意を払う相手でもなかったと推察されます。感謝の心は無論なかったと思われます。

 それは、お父さんが居ることで、お金の面で、お母さんが稼いでくるものが、家庭を、潤すとか、家計に足すという側面がなかった筈だからです。現代アートの世界なんて、どんなにちやほやされても、制作用の材料費を捻出し、個展を開く際にかかる費用を出していたら、ほとんど、収支ゼロになると思いますよ。

 私なんか、ずっとマイナス続きです。1998年にパリに行くときには残額2400万円の貯金があったのに、2008年ごろまでには、ゼロになっていましたから。まあ、6種類の本を作って、3ヶ月間の海外修行を三回行い、また、その海外修行を自由に行うための一人暮らしを逗子でしていて、そのマンションの家賃も払っていましたので、無くなるわけです。そして、そのあいだに、自分が費用を全額払う個展も、4回か、五回挟まっています。ともかく、無駄遣いをしたつもりは、全然ないのですが、そういうことになっています。

 ・・・・・そういう世界の話(現代アートの世界のお金の回り方・・・・特に一ノ瀬智恵乎さんのこの5月のカナリア諸島への旅行の話)をこれから、さらに、して行こうとしているわけですが、それよりも前に、母を敬愛するかどうかの問題において、山口百恵さんの分析をあげましょう。

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副題5、『青い性を売り物にしていた山口百恵チャンも、結婚までは、純潔だったはず』

 残間理恵子さんが、プロデュースして、大ヒットしたといわれている山口百恵の、自伝『蒼い時』を、私は読んでいません。ただ、百恵ちゃんが、「私の、大切なものを上げるわー」と歌っているのを聞いているわけですが、

 それでも、直感としては、彼女は三浦友和氏との結婚前は、誰とも、性体験を持っていないような気がします。

 どうして、そう思うかですが、彼女がタレントとして、売れ始めて忙しくなった後で、横須賀の自宅から、駅まで、毎日、近所のおじさんに、車で、乗せていってもらったことを知っているからです。そのおじさんは、主人の同僚です。

 日産自動車の研究所に勤めていたので、理系男子です。そして、結婚をしたばかりぐらいでしょう。または、子供がまだ幼い時期だと思われます。日産自動車は、横須賀市内に、研究所を持っていたので、30分以内で、行かれるので、車で、通勤するのは、彼にとっては、当たり前だったけれど、当時は、車で通勤する人が珍しかったので、百恵ちゃんの、お母さんが、そちらへ頼んだのだと思われます。

 もし、百恵ちゃんが、セックスの体験者だったら、ひとつの車の中が、異様な熱気に満ちてしまいます。理系男子で、紳士だといっても、誘惑に負けるでしょう。車って密室ですから。

 でも、駅まで送っていく習慣は、長く続いて、しかも、それを同僚にあっけらかんと、語るのですから、車の中は、とても健全な空気が流れていたのだと思います。

 でも、沙彩ちゃんは違います。今回、70枚もの、リヴェンジポルノが世に出て、そのうちの二枚は、私も見ました。そして、文字に起こされた、他の68枚も読みました。すると、沙彩ちゃんが、相当に幼いころから、こういうことに耽溺していたことがわかります。いわゆる自慰と言う形で、その世界に没頭をしていたことが推察されるのです。

 世の人はフェイスブックが悪いと言い募っています。また、同級生が池永チャールストーマスが、沙彩ちゃんの貞操観念を破ったと週刊誌で言っていたみたいです。

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副題6、『ここで、・・・・・手塚治虫って、相当に、エロチックだった・・・・・ということを語ろう』

 だけど、手塚治虫の漫画、リボンの騎士だって、エロスを教えうるのですよ。ここで、12日の加筆中に、手塚治虫が、どれほど、エロチックな世界を描いていたかを、語りたくなりました。エロスって、事件に結びつかなければ、別に悪いものではないのですが、耽溺するとよくないものです。

 で、沙彩ちゃんの世界に入った、エロスが、どういうところから始まったかが、私には推察できるのですが、まず、自分が、幼いときに、実例として、手塚治虫のリボンの騎士から、それを習ったと語りたいです。

 あれは、小学校五年生ごろの話でした。少女雑誌似連載されていた、リボンの騎士を読んでいるときに、ドキッとして思わず、周りを見回して、誰も回りに、居ないことを確認して、安心したことがあります。あれが、私の人生で、最初のエロス体験でしたが、どういう頁だったかを申し上げましょう。

 主人公はサファイア姫(または王子)といって、男性と、女性の両方の心を持つ少女です。今では、性同一性障害と言うような言葉もあり、ニューハーフと言う存在も、公認をされていますが、1953年のことだから、60年も前です。設定そのものが、当時としては、破天荒なといってよいほど、セクシュアルなものです。

 その頁を字で、起こしてみましょう。サファイア姫は、そのときはたまたま王子の服装をしていました。ただ、王子の服装であるときに、本性(女性である)を見破られると、困る事情があって、サファイア姫は逃げないといけない・・・・・という設定になっています。白馬に乗って逃げるのですが、どうしても追い詰められて、馬車の中に逃げ込みます。その馬車の中には、飼い葉用のむぎわらが大量につんでありました。王子の服装をしたサファイア姫はその中に隠れるのですが、白いタイツを穿いた片足だけが、隠すことができないで、外に、見えているのです。

 しかも追っ手が、馬車の中まで、入ってきて、そのタイツ姿の足をみてしまいます。追っ手は大人の男性です。そして、その大人の男性は、麦わらの中から、にゅっと出ている細くてなよやかな、白いタイツの片足を見て、『ああ、サファイアは、やっぱり女なのだ』と、感じるらしいのです。そして、そこで、次号に続くとなって、ストーリーは終わります。

 ものすごいエロチックな場面でした。もしその男性が、ぐいっと手を伸ばして、そのタイツを脱がしてしまったら、どうなるかと想像すると、本当に心臓がどきどきしました。サファイアは、徹底的に、無防備なんです。男性の方は力強い大男です。危うし、サファイア。

 追っ手が、敵方なのか、見方なのかを、今は、覚えていません。と言うのも、そこで、『次号に続く』となっていて、私はその続きを読んでいないからです。

 たぶんですが、非常にいい子だったので、自己規制をかけたのだと思います。テレビも自由に見ちゃあいけない家でした。無論、1953年には、我が家にはまだ、テレビが来ていませんが、それでも、大体のところ、親がどういう子供を望んでいるかは、よくわかっていました。大きく期待をされていました。これから、やるべきことがいっぱいありました。セックスに耽溺するなんて、もってのほかです。

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副題7、『私の、ヰタ・セクスアリスを森鴎外に倣って語ろう』

 私達は、小学校時代のクラス会をまだ、続けています。で、その中に居る友達ではなくて、別のクラスの、友達との間の話だと、最初にお断りをさせてくださいませ。

 死ぬまで、語るまいと思っていた出来事です。ただ、71にもなったし、どれほど、母親は、子育てに気をつけないといけないかと言うことを語るために、さらす話ですが、私は、地下鉄の車内で、女の子から痴漢行為を受けたことがあるのです。今思うと、そのこは、セックスの喜び(=自慰)を相当数経験していた子だと思います。だから、子供といって侮ったり、油断をしたりしてはいけないのです。常に見守っていて、悪い方へ、行かないように親は気をつけていないといけないのです。

 あれは、夢の中の出来事だったと思いたいし、その女の子が、後に不良になったとか、不幸になったということはないのですよ。

 日吉と言う町は、60年前は、私にとっては、非常に素敵なプチ・ソサイエティでした。私はお勉強がよくできたので、どこの家にも上がることができたし(というのは、お母さん方に、ひっぱりだこだったので)、成績のよい子だけを集めた塾にももちろん、誘われて入っていました。

 その塾では、よく、模擬試験を受けに行きました。そういう際の出来事だったのか、それとも、博物館か美術館に行った際だったか、どちらかですが、銀座線の中で、起きた出来事だったので、上野の国立博物館か、科学博物館へ、出かけた、プチ遠足の日だったと推察しています。

 渋谷駅まで、東横線で、行って銀座線に乗り換えます。日曜日の、ご前中なので、大人はほとんど居ません。痴漢をするということで、有名な40代前後の、サラリーマンは無論居ません。私達は車両の前の片隅に固まりました。ベンチはない場所で、窓だけがある場所です。私は真っ黒な窓を、見つめる形で、立ちました。すると、数分後、私のまたに手を入れてきた人物が居ます。それが、どう、考えても、よく知っている女の子なのです。フリーズと言う言葉は、このためにあるというほど、身を硬くしました。

 先ほど、町中の、お母さんにかわいがられたといいましたでしょう。それは、とても、お行儀がよかったのと、小さい妹がいて、しかも仕事があった母は、PTAなどで、でしゃばらなかったので、母が嫌われるということがなかったからでした。だけど、きょうだいの間の年の差が、離れている私は子供の頃から喧嘩ひとつしたことがなくて、右側の子に、「何するのよ。○○子ちゃん、止めて!」とあっけらかんと、手を振り払いながら、言うことができなかったのです。

 あのね、さっきから、私が、自分は子供の頃は、とてもいい子ちゃんだったといっています。だが、それは、自慢をしたくて言っているのではないのですよ。いい子って、とても大変で、不利な立場に陥りやすいのです。子供の頃は、悪がき、ぐらいで、ちょうどいいのです。

 今の朝ドラの、主人公杏が、演じるめ以子さんの子供の頃は、やんちゃな子だったという設定になっています。だから、元気で、幸せな主婦になれるのです。子供時代に、いい子ですごすと、人生全般が大変になり易いのです。良くぞ学校時代だけでも、友達にいじめられなかったものだ、と慨嘆するほどです。で、学習した結果、今の私は、いい子であることを捨てています。(笑い)

 私は目が小さいし、美貌とは程遠い顔をしています。ただ、どうしてか、肌の色だけは抜群に白くて、高校時代でさえ、あだ名は白ちゃんでした。そして、肌はすべすべしていて、自分でも触るのが大好きでした。ただ、場所は、目の下ですよ。あそこではありません。(笑い)

 特に寝る前は、そこを、30回ぐらいさするのが常で、母が私のそばで、父に、「ほら、目の下をさすり始めた。もう、眠いのよ」と、電車の中などで、言っていたのを覚えています。だから、私の肌って、同性でも、触ってみたいほど、魅力的だったのでしょう。でも、場所が場所だったので、困り果てました。

 その日の私は、地下鉄の車内で、すでに、抜群に、不幸せになってしまって、上野でも何を見たのか、覚えていないです。

 ここまでの事を書いたのは、子供でも、セクシュアルな喜びとか、自慰を知っているものだということを言いたいのです。それは、家が上流だとか、貧乏だとかとは、関係がないところで、起きる問題です。だからこそ、母親って大変なのですよ。ちゃんとやろうとしたら、疲労困憊する仕事なのです。

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副題8、『吉祥寺には大きな商店街がありますね。母親は気をつけないといけません』

 子供の周りだって、そういうことを教えるものはいっぱいあります。特に沙彩ちゃんは、便利な町、吉祥寺に住んでいるのです。古本屋もあるでしょう。そういうところで、そっと立ち読みすることだってできるし、図書館だってあるでしょう。また、両親の本棚に、サド侯爵関連の翻訳本が入っていたかもしれません。そういうものでエロスの感覚が、発達をすることがあるのです。

 その暴走を抑えるのは、母親の観察力と、母親の愛です。『それが、一ノ瀬智恵乎さんには、無いでしょう』ということに、私は、2005年ごろから、すでに、気がついていたのです。

 今回もお葬式をやって、600人ですか、そういう人に顔をさらしています。よくできると思います。母性愛があったら、もっとダメージが大きくて、お葬式など、できないと思いますよ。それが、無いから、平気で密葬ではない、お葬式ができるのでしょう。

 しかも統一教会の、教会ですって。私はプロテスタント系の教会のお葬式には何度も出ていますが・・・・・統一教会の、信者って、お父さんと、お母さんの、どちらだったのだろう?

 ともかく、彼女は必要な時間を子供に割いていないのです。手塩にかけていないのです。したがって、母性愛も十分には、育っていません。自分の娘に対する、直観力がまるで足りないのです。いえ、ゼロに等しいと思います。

 どうして、私がそこまで気がついたかと言う理由は、下記の文章をご覧ください。

渡辺豊重さんは、沙彩・ママを、自分のアクセサリーとして、連れ歩いていたが?△

2013-10-28 01:56:05 | 政治 
 

母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△

2013-10-30 06:21:07 | 政治

 愛されていると思うと、子供は自然と自己規制をするものです。山口百恵チャンは、今でも実母と同居しているそうですね。お母さんは、シングルマザーとして働いてきたのでしょう。だから、母への同情心も厚いし、感謝の気持ちもあるでしょう。それと、自分が、かわいがられ愛されてきたことへも、疑いも無いはずです。おばちゃん風な、目立たないお母さんらしくて、偉い人でも有名人でも、ないけれど、子供に対しては、直観力のある人だと思われます。

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 なお、10日、初稿を書いたときは、以下のお断りを入れています。

 午前四時になったので、ここで、いったんパソコンから、離れます。お許しくださいませ。これから先に書きたいことを副題と言う形で置いておきます。

副題α、『子育てに必要なものは、金か?愛か?』

副題β、『育て直しとは、どういうことか?』

本日12日の方は、ここまで、推敲してきても、夜の11時15分です。だが、1万5千字を超えたので、これ以降の主題には、入らない方がいいと思います。ここで、終わりとさせてくださいませ。

 なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1885225です。

   2013年11月10日より描き始め、12日に推敲を終える。

                         雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

コメント

『図書館猫デューイ』-2、・・・・・『生きているもの』(川崎英二著)も、同種の本です△△

2013-11-11 09:59:39 | 政治

 本日も、総タイトルを何回も変えています。二回目のものが、『図書館猫デューイ』-2、ボーヴォワールより上かもしれない著者ヴィッキーマイロン』であって、それが、一番全体を表現していると思います。が、主人が、ホンを出したので、それを、前面に押し出した、タイトルを最終的につけました。

 外出後、帰宅して、今、夜の11時になりました。推敲が終わりましたし、その1時間後に二回目の推敲もしましたので、タイトルの右横に、恒例の△印を二つ付けておきます。どうか、よろしく。

副題1、『私の勘の鋭さに、またもや驚く。NHKが放映するのに、平行して、私はデューイを取り上げていた』

副題2、『NHKクルーを迎えた図書館側、および、スペンサーの町の人々の興奮』

副題3、『ヴィッキーマイロンの動く姿を見て感動をした。背筋のピンと伸びた威風堂々たるインテリ女性だった』

副題4、『女性に役立つという意味で、・・・・・ボーヴォワールより、高い次元の本をヴィッキーは書いた・・・・・と、私は思うが・・・・・』

副題6、『アメリカでは、philosophy と言う言葉は万人のものである』

副題7、『人は誰でも、生涯に、一冊の本を書けるというが、主人が一冊出しました』

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副題1、『私の勘の鋭さに、またもや驚く。NHKが放映するのに、平行して、私はデューイを取り上げていた』

 私は、2013年の11月11日は朝の五時に寝ました。皆様には、まだ、公開しておりませんが、ブログの新しいものを書いていたのです。最近はずっと真夜中に書く事となっています。今書いているものが、過度な集中が必要なので、真夜中に書く習慣に変えています。以前は午前中に書いていたのですが、主人が、外の診療所を閉鎖して、ほとんどの、時間、家に居る様になったので、真夜中の方が集中できるようになったのです。

 それで、五時間後におきて、午前10時から朝食をとろうとして、『ながら視聴で、録画した番組をみてみましょう』と思い、テレビをつけました。最近では、諜略行為は、NHKニュースに主に現れるので、それは詳細に検討しないといけないからです。

 すると、猫の番組をNHKのBSプレミアムが、放映しているので、方向変換をしました。猫好きですから。ニュースよりそれを優先したのです。番組は、タイトルを、決定版「ねこ大百科」といいます。

 2、3分みているうちにデジャヴーがあるのに気がつきました。後で、ググると、2009年2月にも放映しているみたいなので、そのときに見たのでしょう。ただ、そのときは、楽しい番組だなあと、思ったぐらいで、それを大切なものとか、特別なものとは考えませんでした。

 しかし、今回は違っていました。ちょうど『図書館ねこデューイ』と言う本を読了したばかりで、その本から女性の生き方(前報)、および母性愛の問題について、それぞれ、長い文章(次に公開する予定のもの)を書いています。

 読了して、253頁以下に、・・・・・日本からNHKが来てデューイの番組を作ってくれたので、町中の人が大興奮をした・・・・・という記述があるのを知っていました。そして、午前10時10分には、直感的に、これが、その番組だと感じ始め、すぐ、読者の皆様に、お勧めニュースを書き始めました。それが、以下の文章です。

 NHKが番組を準備するのは、一週間程度では間に合わず、各情報誌や、新聞に通達をいれるにしても、4週間から2週間前に企画、制作すると予測するので、例のごとく、チャネリングの現象に驚いたのです。あまりにもタイミングよく、猫のデューイに触れている、私の勘の鋭さにも驚いて、私自身も、いささか、興奮気味です。

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 緊急のお知らせです。今、11日の午前10時ですが、NHKのBSプレミアムで、猫の特集番組をやっています。午前11時まで続くので、お気づきの方はごらんいただきたく、おせっかいながらお知らせをさせていただきます。

  ここに書いてあった部分は、番組が終わってしまうと役に立たない部分なので、削除いたしました。

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副題2、『NHKクルーを迎えた図書館側、および、スペンサーの町の人々の興奮』

 そのNHKクルーが取材に来た日について、説明をしている、部分は、この本『図書館猫デューイ』(早川書房2008年刊)の中で、もっともユーモラスな部分であって、しかも日本に、関係しているので、おせっかいながら、字で、起こさせてくださいませ。

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 二本のDVDが届けられた。デューイがきてからすでに十六年たっていたので、あまり大げさにしたくなかったが、これは特別なことに思えた。わたしは新聞社に電話した。角の電気店は、大型プロジェクションテレビを貸してくれ、図書館は満員になった。その頃には、デューイはすでに、カナダとニュージーランドのラジオに出演していた。いくつもの国の新聞や雑誌に登場していた。写真は世界の各地で目にした。だが、これはちがった。これは、世界じゅうに放映されるテレビ番組なのだ!

 わたしはビデオをこっそりみておいたので、ちょっと不安だった。ドキュメンタリーは世界じゅうの猫をタイトルのアルファベット順に訪ねるものだった。二十六匹の猫がとりあげられ、一匹がアルファベットのひと文字を担当した。そう、ドキュメンタリーは日本で作られたにもかかわらず、タイトルには英語が使われていた。

 わたしは観客に説明をした。「このドキュメンタリーには、他にたくさんの猫たちが登場します。デューイは最後のほうに登場し、それ以外は日本で撮影されています。では、決をとりましょう。デューイの部分まで早送りをしますか、それとも最初から見ますか?」

「最初からみます! 最初から!」

 十分後、観客は叫んでいた。「早送り! 早送り!」 猫がジャンプする映像と日本語での、インタビューは非常に退屈だったといっておこう。特別に愛らしい猫のときは、停止し、アメリカ人が登場すると停止したーーーーその理由で二度停止したが、一人の女性はイギリス人だと判明したーーーーだが、ほとんどは日本人とそのペットだった。

 Wに到達すると、部屋に叫び声があがった。明らかに眠気がふっとんだのだ。そこにはわたしたちのデューイがいた。英語と日本語で「働く猫( Working Cat )と言うキャプションがつけられて。雨のなか、わたしは図書館に歩いていき、ナレーターは、日本語で何かいった。三語しか理解できなかった。「アメリカ、アイオワ、スペンサー」また大歓声。

 数秒後にきこえた。「デューイ・リードモア・ブックス」

 そしてデューイが登場した。正面ドアのそばにすわっている。(たしかに、尻尾を振っていれば、すてきだっただろう)。

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 ここには、私(このブログの著者)が、説明を加えないといけません。デューイは、ヴィッキーがNHKクルー六人と一緒に、最初に、午前7時に図書館を訪れた際には、ドアの前まで迎えに来て、尻尾を振りました。それに驚いたクルーは、その現象の時にはまだ、撮影の準備ができていなかったので、撮影の準備をした後で、何回もそれを再現させようとしました。だが、どんな工夫をしてもデューイは二度と、尻尾を振りませんでした。犬じゃあないので、それは当たり前ですが、ホシさんはもう一回デューイがやると信じていたみたいです。

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 続いて書棚にすわるデューイ、二つの書棚をあるいて行くデューイ、すわっている、すわっている、すわっている、そしてテーブルの下で小さな男の子になでてもらっている・・・・・すわっている。1分半でおわった。ひざにデューイをのせた女の子は登場しなかった。肩に乗るデューイもでてこなかった。本のカートも。ニューハンプシャーの家族も。書棚の上を歩いていき、本をかわしながら端から飛び降りるデューイの映像も使わなかった。彼らはただ一分半すわっている映像のために、地球を半周してきたのだ。

 沈黙。茫然とした沈黙。

 それから、大きな歓声がはじけた。わたしたちのデューイは、国際的なスターだった。これが証拠だった。

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 ここで、ブログ著者が、もう一回挿入を入れます。確かに、デューイは他の猫とは違っていました。堂々たる威厳もあったし、なによりも、じっとカメラを見つめる目の賢そうなこと。それは、何事も理解をしている目でした。一日中、自分を追い回すNHKのクルーの要求をすべて理解している目でした。

 しかし、彼らが帰った後で、こんこんと寝込んだそうです。かわいそうに、そうでしょう。疲労困憊したはずです。この一年後か、二年後にデューイは死ぬのですから。この時は、腸の病気もあって、すでに、衰弱気味だったのです。でも、みんなの期待にこたえました。この猫は著者ヴィッキーが言うように、確かに特別な猫なのです。そして、大スターでもあります。で、元へ戻ります。スペンサーで、DVDを大型画面で見ている人たちの反応へもどります。

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 だからナレーターのいっていることがまったくわからなくても問題ではなかった。デューイに割り当てられた映像がコマーシャル程度の長さしかなくても、問題ではなかった。わたし達の図書館が登場した。司書たちが登場した。わたしたちのデューイが登場した。そしてナレーターは最後にこういった。「アメリカ、アイオワ州、スペンサー」

 その日本のドキュメンタリーをスペンサーの町は決して忘れないだろう。おそらくその中身も。図書館には貸し出しできるビデオが二本あったが、誰も二度とみなかった。ドキュメンタリー映画(本の中の子猫)のほうがずっと人気があった。だが、東京からスペンサーにテレビクルーがやってきたという事実、それは決して、忘れられることはないだろう。地元のラジオ局と新聞はどちらも長い特集を組んだ。そして何ヶ月も図書館にやってきた人々は、それについて話題にした。 

 「クルーはどんなふうだったの?」   「何をしたの?」   「町にいるあいだにどこへいったの?」   「他に何を撮影したの?」   「信じられる?」   「信じられる?」   「信じられる?」

 日本のテレビはデューイを頂点に押し上げた。今でも、地元の人間がデューイを話題にすると、決まって「それにあの日本人がここにきたでしょ、スペンサーに。デューイを撮影するために」という会話になった。それ以上、いうべきことはない。

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副題3、『ヴィッキーマイロンの動く姿を見て感動をした。背筋のピンと伸びた威風堂々たるインテリ女性だった』

 以前見たときは注目もしなかったヴィッキーが出てきて動く姿を見せてくれたときに、私は感動してほろっときそうでした。彼女はこの本の中で、いわゆるプアホワイトと、日本人が歴史の教科書で習う、自営の小規模農場を営んでいる家庭に生まれました。アメリカにはアフリカンと言う存在があるので、白人であるだけで、中流階級となりますが、プアホワイトは、中流の下の方だとみなされているでしょう。そういう家庭に生まれたのです。だが、その堂々とした姿は、彼女が、修行と訓練により、一流の、人物に、成り上がった(変な表現ですが、お許しくださいませ)ことを示していました。

 資産的には、まだ、中流の上の段階でしょうが、他の人に影響を与える力の大きさを考えると、すでに、上流の地位にあります。

 彼女は愛について、達意の文章を書いています。だから、もっとふっくらした女性であるような感じを受けていました。だが、長年の、手術(24歳で、子宮全摘、50代で、乳房切除)の影響で、太れないのだと思います。でも、やせすぎとは思いませんでした。

 この『図書館ねこデューイ』の本の方の目次はカラー印刷をされていて、そこに、16枚のスナップ写真が載っています。すべて、デューイのものですが、最後の一枚は、ヴィッキーの孫と一緒に写っているものです。孫は1歳から2歳のあいだでしょう。よちよち歩きの段階で、ねことほとんど同じくらいの体格です。とてもかわいいです。ふつう猫は赤ちゃんとか幼児を嫌がります。思いがけないやり方で、つまんだり、ぶったりするからです。でも、デューイは図書館に来る赤チャンを嫌がりませんし、老境に達して、しんどいだろうに、ヴィッキーの孫が、いじってくるのを嫌がりません。深い愛情を示すのです。

 その写真を見た後で、本文をあわせ読むと、ヴィッキーが、自分の努力と、人生の岐路、岐路で、正しい選択をした結果、大きな勝利を収めたことが、自然に納得をされます。しかし、日本のふつうの人々がヴィッキーマイロンの名前を知っていますか?

 たとえば、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを、知っているように、知っているでしょうか?

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副題4、『女性に役立つという意味で、・・・・・ボーヴォワールより、高い次元の本をヴィッキーは書いた・・・・・と、私は思うが・・・・・』

 ヴィッキー・マイロンが、まだ、有名ではないのは、インテリ固有の俗物主義に、世界、または、日本の文化界が毒されているからでしょう。それもあるが、ヴィッキー自身の健やかな庶民性と、健全性も影響をしているのです。彼女は肉体を医療で、散々に傷つけられて、そういう意味では不健康になっています。いつも、不調を訴えがちです。だが、精神は、すこぶる健康で健全です。

 アメリカは大資本家が居る国です。私は、アメリカナイズをしている国際キリスト教大学を卒業しているし、実際にニューヨークで、長時間にわたり、版画家達と、一緒に仕事をして、よくわかっていますが、上昇し、成功することが大切な国です。

 日本でも最近、勝ち組、負け組みと言う言葉が横行しています。ヴィッキーは身を挺して負け組みから脱出して、勝ち組になったのですが、

 人間のあり方の理想として、彼女が提言しているものは、少し違うのですね。

 この本のあっちこっちに、それが書いてあるので、見つけるのが容易ではないので、私の言葉で語りますが、ふつうの生活をふつうに行っている人々の大切さと、気持ちよさと、すばらしさを説いているのです。

 スペンサーはアメリカとしては、田舎町の方です。人口は三万人程度です。そこに生きているふつうの人が好ましいということを書いているのです。反対側に居る存在として、テレビに映る人々の事も書いています。

 ヴィッキーが、先ほどの番組で、デューイと同じぐらいの長さで、映りました。一分半です。だけど、一回目にみたときには、何も気がつかなかったように、彼女は、自分を前面に出すような人ではなかったのです。堂々たるインテリですが、それをきっかけにしてビッグになろうと考えるような人ではありませんでした。

 242頁から始まる三節など、そういう彼女の哲学を見事に語っている部分です。字起こしをしたいのですが、他人の文章をキー打ちするのは、自分で書くよりも五倍以上の時間がかかるので、ここはスキップをさせてくださいませ。

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副題6、『アメリカでは、philosophy と言う言葉は万人のものである』

  私が若い頃は、フランスの二人のシモーヌと言う女性哲学者、が、超有名な存在でした。1960年代に、私はハードカバーで、二人の本を読んでいます。でも、いまだに覚えていることは、『シモーヌ・ヴェイユが、自分に似ている』ということと、『ボーヴォワールって、とてもかわいそうな人だなあ』と言うことだけなのです。(笑い)

 私は自分が、シモーヌ・ヴェイユみたいに悲惨な若死にをしたら、大変だと思って、親の勧めるままに結婚を急いだのでした。似ているからこそ、急遽、ふつうの人間の方へ舵取りをしたのでした。それから、ボーヴォワールの方に関しては、自分の容貌やら、家柄についての自信もないので、彼女の様に生きるのは論外です。彼女は苗字に、ドが入っているので、相当に家柄がよさそうだし、お顔もきれいだし、上品ですらっとしていて、背も高いですものね。だから、サルトルは彼女を手放さず、しかも、自分がいろいろな女性とベッドインをしたいので、入籍しない結婚・・・・と言う斬新な、しかし、女性にとっては残酷な形式を選んだのでした。

 実際の事を言って、ふつうではない、人間であるらしい私は、晩年の父に、「ふつうに生きることが大切なのだよ。そして、難しいのだよ」と、さとされ続けてきました。71歳になって、やっとそういう方向(=ふつうの人)へ向かいつつあります。

 そういう私にとって、ヴィッキーマイロンの書いた言葉の数々は、哲学的啓示を与えてくれるものでした。「今の自分は、迷いがない。これで、いいんだ」と、常に言っていますが、『人は、誰でも、その持ち場で最善を尽くせばいい』のです。それでこそ、布団の上で大往生をできるというものです。死ぬときに、あれを悔やむ、これを悔やむということがない形で、死ねるでしょう。

 私は、この本、『図書館猫デューイ』を、電車の行き返りのホンの、慰みモノとして、読むつもりで買いました。だが、値段を、読了後に、初めて見てびっくり。ブックオフで、買ったのですが、売価が、850円でした。今、秋葉原のブックオフでは、ハードカバーをたくさん、105円で売っています。その次のランクが350円です。850円とは、秋葉原には置いてない値段かもしれません。

 秋葉原のブックオフは、パソコン修理の帰りによるのに、適切で、よく寄るのですが、私が好むタイプのホンが少ないです。若い男性で、会社勤めの人向けの本が多いです。

 で、これは、横浜駅西口にあるブックオフで買いました。ブックオフで、ホンを買う場合は、一冊ずつの、値段など、気にしないで買います。ただ、重さだけは問題で、あまり重いと自宅近辺の石段がきつくなるので、六、七冊でとどめ、全体で、三から四千円払います。でも、850円とは! たぶん、今まで買ったブックオフ書物の中で、最高値段でしょう。そして、十分にその価値はありました。

 私がこの本と、その著者に特に魅了されたのは、哲学とは、アメリカでは誰もが、自分自身のものとすべきものだと考えられていて、まさしく、それを具現しているホンと著者だからでした。

 私がこのブログで狙っているテーマも、大体同じなのです。ただ、カテゴリーを、哲学とすると、それは、あまりに口幅ったいでしょう。(笑い) 特に日本では、哲学が、庶民からは遠いものだとみなされていますからね。だから、一応は政治としています。でも、本当に追求したいのは哲学の問題です。

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副題7、『人は誰でも、生涯に、一冊の本を書けるというが、主人が一冊出しました』

 私がこのような傾向を持っているのは、父の姿を見ているからです。父は考えることが大好きで、それを、お客として来た親戚の若い男性達に、語り続けていました。

 『今なら、父の思考を一冊の本に、私がまとめてあげられるのに、そして、出版をしてあげられるのに』と思いますが、父がパーキンソン氏病を患い、それが、原因で転んで脳挫傷も患った後では、父はもちろん手稿をなすこともできず、何もデータが残っていないので、その思いを、キー打ちしてあげることもできません。目で活字を拾って、パソコンで意思を伝えられる装置が、父が寝たきりになった1980年当時にあったら、よかったのでしょうが、30年前には、そういう装置は、なかったのです。もし、あったとしても、庶民には手が届かない値段だったでしょう。

 『人は誰でも、生涯に、一冊の本を書く事はできる』と、聞いたことがあります。父の本も、母の本も作ってあげていませんが、主人が本を出すことができました。71歳ですから、ようやっと間に合ったという形です。

 私は、自分の本を6種類作っていますが、それは、苦闘につぐ苦闘として、作り上げました。ところが、これも、裏があったのかもしれませんが、文芸社と言うところから、主人に、お誘いが来て、相当スムーズに、楽に、彼は出版をすることができました。

 無論、自分でもお金を出していますが、妥当なお値段だろうと、感じる程度です。装丁は地味ですが、表紙は、主人が自分が描いた絵を用いています。竹の子がたくさんの根を張っている絵です。生命力の象徴だとのことです。

 主に健康の側面から人生や、社会について、哲学的考察を展開している本で、今のところ、知人に配っている段階ですが、好評です。鎌倉で、10年間鍼灸医をした結果としての患者さんたち、日産自動車の研究所時代の、同僚達、それから大学時代や、高校時代の学友達に、送付している段階ですが、好評です。お世辞ではないと思います。

 私の本は全国展開をしていないので、鎌倉市雪ノ下2-3-7へ、お申し込みをいただければ、献呈をいたしますが、主人の本は、本屋で売っています。文芸社出版で、11月1日から展開をはじめ、1200円の売価です。

 自分のところには、10月1日から、手に入り、『宣伝をしてくれ』と、いわれていますが、いつもえぐい、えぐい、文章を、この世界で、書いていますので、迷惑かもしれないと思っていて、宣伝を、今まで、ここでは、いたしませんでした。だけど、たまたま本日は、町の哲学者と言うポイントで、文章をまとめましたので、これは、好機かなと思って、語らせていただいています。

 ヴィッキーマイロンもそうですが、主人も、市井の哲学者です。庶民の言葉で語っていますが、相当に、深遠なことを語っています。

 私と主人の結びつきは、彼の方が放つジョークを、私がぴーんと即決で、理解できることと、その、『町の哲学者として、お互いに話が合うかな』という部分でしょう。彼の考え方を、私の方が、内心で、尊敬していると言っていいか、なんと言っていいか、いわく言いがたいのですが・・・・・

 まあ、『彼は、昔から、健康で、さわやかな考え方をしている。それは、信じていた』と思っております。

 このブログの読者の中には、ご自分の著訳書がたくさんある方も多いでしょう。特に私費出版の会社として知られている文芸社などで、出版したというと、「フン」と、鼻でせせら笑われる方もあるやとも、思います。が、ここは、オンリーワンで、行くつもりです。人は誰でも尊いのですよ。人は誰でも、自分の最善を尽くして生きていけばいいのです。

 なお、このブログの、2010年度より数えはじめた、伸べ訪問回数は、1880618です。

   2013年11月11日 雨宮舜 (本名、 川崎 千恵子)

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『図書館猫デューイ』の1・・・・生活保護を受けながら、大学へ通学できたシングルマザー△

2013-11-09 12:35:00 | 政治

 一番最初に、この一文を書いた目的は何かと言う点をお話しましょう。それは、『建前と本音があったら、本音で生きろ』と、皆様に告げることです。

 女性に、月に一回訪れる、生理(メンスとも呼ばれている)が、5日目ぐらいからは、死体と同じような臭気を発するものだなどと言う部分などは、お上品さを気取っている方は眼を背けに、なる部分でしょう。

 だが、昨今、この日本に横行している、ばかげた甘やかしと、作られたニュースに辟易している私は、汚く見える部分も、また事実であり、大切なものであると、強調をしたいので、それを、入れて、この一文を構成しています。

 エロ、グロ、ナンセンスで、皆様の気を引きたくて、これを書いているわけではなくて、人間は死ぬものであり(インモータル)、死体はくさいのです。だが、その人間発生の、もっとも最初の段階である出産の現場でさえ、胎盤を体外へ出すこと、で、死体への連想が浮かぶものなのでした。生き物とは、そういうものであり、人間もまた、生き物の、一種だから出産の現場にさえ、死体すれすれの臭気を発しかねない後産と言う部分が含まれているのです。それを、忘れてはいけないと、私は、いいたいのです。 

 たまたま、この章の主人公ヴィッキーマイロンは、産婦人科医の後産の不始末から始まって、婦人科系の病に、種々さいなまされます。この文章内には、書いてありませんが、50代に入ると、乳がんで、乳房切除にまでいたります。で、生理の事が、後産を、どなたにでもわかる形で、説明をできる一例として、私があげることと成りました。あしからずご了承くださいませ。そして、今10日の、午後五時ですが、推敲を終わったので、総タイトル横に恒例の、△印を付けておきます。

副題1、『ヴィッキー・マイロン(アメリカアオオワ州の、図書館・館長)が、すばらしい本を書いているが学ぶことがいっぱいある』

副題2、『ヴィッキーマイロンの両親は、愛情豊かな人だったが、彼女を、大学には進学をさせなかった』

副題3、『陣痛促進剤は、使わないように、ぜひ、担当医に、確認をなさいませね』

副題4、『臍帯血、プラセンタ入り化粧品を使うなんて、あなたはドラキュラですか?』

副題5、『ものみの塔とか、土俵女人禁制と言うのも、使命を終えた胎盤の匂いからきていると思うが、それに、つけても思い出すのは、内館牧子の大矛盾と、異常性だ』 

副題6、『後産と言うのも、哺乳類の一種として、自然に行わなないと、大変な事になる』

副題7、『東大病院でも、昔、同じ失敗があったのだった』

副題8、『告知なしで、子宮と卵巣を、全部摘出されてしまったのが、まだ、24歳の時だった、ヴィッキーマイロン(アイオワの図書館館長)』

副題9、『夫がアルコール依存症だと、わかった後、最悪の現象に出会い、人間が変わる』

副題10.『極端な不幸に出会ったときの、対処の仕方、あれこれ・・・・・ヴィッキーは大学へ行かせてほしいと、福祉・団体にお願いをする』

副題11、『私の不幸度、レベル10のひとつは、そこから気構えを変えたという点では、前田祝一氏の恫喝も、そのひとつだった・・・・・そして、ヴィッキーマイロンの、娘は、思春期に反抗をするのだが、そここそ、沙彩ちゃんと違うところなのだった』

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副題1、『ヴィッキー・マイロン(アメリカアオオワ州の、図書館・館長)が、すばらしい本を書いているが学ぶことがいっぱいある』

 幼い女の子を、一人で家に置いて、母が働かないとならないケースはいろいろあるでしょう。特にシングルマザーであったら。ただし、シングルマザーである場合、子供の方は、お母さんが、精神的にも肉体的にも、大変であることを理解しているので、とても、いい子で育ちあがります。

 でも、いい子で育ちあがると、その子ども自身の将来に、問題が起きてくる可能性もあるのです。ある程度の、量と深さで、甘やかされる、必要があるからです。過度に甘やかされると、だめです。だが、それは、ふつうの家庭で、両親がそろっていて、母親が働いていない場合のことです。そういうご家庭で、過度に甘やかせば、問題ですが、母が、シングルマザーであって、仕事上の必要があって、修士号をとりつつある場合、幼い一人娘には、絶対量の愛が足りません。

 ここで、『図書館猫デューイ(早川書房・・・・・2008年刊)を、書いたヴィッキー・マイロンが、わがままで、それを狙ったとは、思わないでくださいね。、当時、図書館長になるために、修士号をとるために、ふつう以上に忙しい状態でした。

 その本の中で、著者は、編年的に、自伝を語っているわけではありません。だから、抽出が難しいのですが、ともかく、彼女がわがままで、ランクアップを狙って、修士号を取ろうとしていたのではないということは、ここで、はっきりと、明らかにしないといけません。

 彼女は、わがままなお嬢様育ちとは、はるかにかけ離れた、思春期を送りました。両親は、世界史で学ぶ、アメリカの、プーア・ホワイトとよばれる・自立系農家・階層の人で、彼女が生まれたころまで、トイレが、外にあるような、小さな、農場を経営している人たちでした。

 映画ジャイアンツの中で、ロックハドソンが暮らしている大農場とは、はるかにかけ離れた状況だったのです。むしろ、映画シェーンに出てくる小さな農場、ああいうものをご想像ください。

 そして、彼女の一家も、町全体も、アメリカの経済状況と、資本主義の発展に翻弄されます。農場は機械化され大規模化して行き、町の人たちは、農機具のローンが支払えず、土地を奪われ、他の職業も、衰退していって青息吐息の状況のときも在ったのです。

 ちょうど、二年前の、日本の地方都市に似ています。シャッター商店街が林立し、村は過疎になり、空き家が多発しているころの、日本の地方都市です。

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副題2、『ヴィッキーマイロンの両親は、愛情豊かな人だったが、彼女を大学には進学させなかった』

 彼女の家には、こどもが五人いました。彼女は、1948年生まれですから、今とは世情は、相当に、違っていて、大学へ進学をさせてもらえませんでした。両親も大学を出ていないので、男の子は、大学へ進学させますし、末の方の、女の子はどうしたかは知りませんが、長女である彼女は行くことを許してもらえませんでした。自分の住む町、スペンサーには大学がありません。ので、下宿代まで出して、大学へやる経済力が両親にはないと、皆が判断したのでしょう。

 で、彼女はモノを包装する工場で働きます。その町は、お兄ちゃんの通う、大学にも近かったので、彼女はおにいちゃんの、友達たちと、交流し、その中の会話も容貌も素敵な男性と恋に陥り婚約をして、赤ちゃんができます。

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副題3、『陣痛促進剤は、使わないように、ぜひ、担当医に、確認をなさいませね』

 私が自分の子供を生んだのは、1970年と、1972年です。最初の子供は、サマリタン病院といって、宗教的な見地から中絶をしない、だから、出産や、育児の、信頼感がもてると評判の、ところだったので、無論陣痛促進剤は使いませんでした。次に1972年も出産をしたのですが、上の子が小さいので、自由にお見舞いに来てもらえるように実家そばの個人病院に入院しました。が、ありがたいことに、そこでも、陣痛促進剤は使われず、真夜中に、ふつうの形で、出産しました。

 私は直感として、妊娠や分娩には、自然の形だけでいいと思っているほうですが、中には、スノッブが、いて、最新の医療を受けたと誇る人がいます。1970年代は、まだ、出産前遺伝子診断や、体外受精とか、子宮を借りるとか、提供された見ず知らずの人の精子を遣うなどの、医療技術は発達をしておらず、陣痛促進剤が、唯一の、人工的なものでしたが、それを、医者に使われたことを誇らしげに、語るご近所主婦がいて、馬鹿なことと、内心で、笑いました。

 1970年代に、マンション(特に公団型で、広い庭があるもの)を買って移り住んで来たひとたちは、そこで、新しいカーストを作り上げようとして、どんな小さなことでも、また、馬鹿げたことであっても、自慢しあって、目の前にいる人の上にたちたいのでした。

 さて、陣痛促進剤を使われてしまった結果、ひどい後遺症に悩むこととなったのが、ヴィッキーです。ヴィッキーは、このとき、1970年ですので、ちょうど、私と、同じころ出産をしているのです。医者は、次の予定(たぶん、パーティ)で、気がせいていたのだろうと、ヴィッキーは書いています。

 ビッキーは、出産後6ケ月も病院にとどまって、入院し続けることとなり、それ以降も終生、不調に、悩まされることになります。

 それは、出産そのものもさることながら、後産(アトザンと、普通は呼ぶ)が、失敗したからでした。

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副題4、『臍帯血、プラセンタ入り化粧品を使うなんて、あなたはドラキュラですか?』

 今、よい産院では、いろいろな工夫がなされるようになりました。夫が出産に立ち会うとか、カンガルーケアとか、赤ちゃんと母親との関係が、緊密に構築されるような種々さまざまな工夫がなされています。ただ、これから、赤ちゃんを産む若い夫婦がアトザンの知識まで、正確に持っているかどうかは疑わしいと思います。

 これが、大変なものなのです。

 赤ちゃんは、かわいい者で、天使とよばれたりしますが、すべての生き物と同じように、人間も、動物です。卵子と精子が、結びついて細胞分裂を始めるところから、赤ちゃんとなっていくのですが、栄養は、母親の栄養分を吸い取って大きくなります。ただ、その際、いったんクッションが必要です。母の血が、直接に、分裂しつつある、卵細胞に送られるわけでもありません。で、母親の血をためる、お布団が必要になりますが、それは、胎盤と呼ばれレバーに似ています。それが、毎月、外へ出てくる生理と言うものの、主成分となります。

 女性である限り、閉経時まで、毎月一回ほど、妊娠し、出産する準備をするのですが、それが無駄になったときに外へ出てくるのが、いらなくなった小さな胎盤です。で、それが、はがれる初期には、赤い血が出ますが、生理後期には、腐ったような茶色の血になり、匂いも嫌なものになっていきます。

 この胎盤から赤ちゃんに栄養を送るパイプを臍帯とよび、その中にある成分を、臍帯血とかプラセンタと呼び、高級で、高額な化粧品に使っているそうです。くわばら、くわばらです。お金があれば何をしてもよいと言うことでは無いですよ。そんなモノをつかう精神とは、一種のドラキュラです。むかし、ヨーロッパの、貴族夫人が、若さを保つために、処女を拉致してきては、その新鮮な血の入ったお風呂で、沐浴をしたそうです。煮ると血が凝固してしまうから、生の血のお風呂へ、寒くても入ったのでしょう。くわばら、くわばらです。

 現在の日本で、高級な化粧品をお使いになっているあなた、ぜひ、お気をつけ遊ばせ。そんな行動ひとつでも、神とか、天の祝福から遠くなります。おやめなさい。そして、私が、宣伝をどれほど、嫌うのかも、こういう現象を見るからです。

 最近カネボウ化粧品で、皮膚に白斑ができるという問題が起こりましたが、高級化粧品の、まやかしぶりに、とうとう、底割れが起きたということでしょう。宣伝によって、利益を得る分野の最大の場所が化粧品です。

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副題5、『ものみの塔とか、土俵・女人禁制と言うのも、ここからきていると思うが、それに、つけても思い出すのは、内館牧子の大矛盾と、異常性だ』 

 用途を終えたプチ胎盤は、生命力を失ったとたんに、腐っていくわけです。で、生理の最後あたりは、茶色い血がでて、嫌なにおいを、あたりに振りまきます。

 このにおいは、生理用品が発達していない時代には、家族が共有したものだと思います。家に年頃の娘が三人もいたら、妻とともに、それが、におうので、小さな家だとたまらないと、言うことにもなりますね。日本の家って、風通しがいいから、あまり、こもらないと思いますが、レンガでできていて、窓も小さい欧米の家だと、匂いがこもります。

 そこから生まれたのが、新興宗教「ものみの塔(または、エホバの証人)」だと思います。血を忌み嫌っていて、手術もできないのだそうです。

 そして、日本で、そのことが反映しているのが土俵です。女人禁制と言うのは、江戸時代は、生理用品は、不備であり、女性が道を歩くと、ぽたぽたと、血のしみが、道に落ちたというようなことがあって、そのように、用心されることとなったのでしょう。

 その時代は、女性が、普段は締めないふんどしを女性用に作って、その中に、古布を入れる形で、吸い取らせていたと考えられるので、今のものとは、まるで、違っていたのです。

 ただ、内館牧子さんです。NHKが、彼女が東北大学の相撲部を、指導している映像を特集で、出しましたが、私に言わせれば、彼女こそ、化け物です。

 だって、彼女は、女性でしょう。だから、15歳から53歳ぐらいまでの間に、生理を400回は経験していると思いますよ。一月に一回来る最終段階は、彼女は、ご自分の、お股の間に茶色い血を含んだタンポンか、ナプキンを抱え、臭気をパンツの中に充満させて歩いていたわけです。

 それなのに、何食わぬ顔もいいところで、「土俵が神聖であって、なんとか、かんとか」と主張をしていたのです。まじめに考えると、自分が女性なのに、女性の、もっとも神聖な部分(=子を産み育てるという部分)を軽蔑しきっていたのですよ。

 もしかすると、自分が子供を生めなかったから、他のふつうの、女性に対する潜在意識の中での嫉妬心があって、ああいう発言につながったのではないですか? 『一種の、八つ当たりだろうなあ』と思ってみていました。

 だから、見ていて、おかしくて、おかしくて、たまりませんでした。こっけいのきわみです。「王様は裸だ」とは、彼女のためにあるような言葉です。

 そして、私が彼女を批判をするたびに、敵さんたちが、持ち上げること、持ち上げること。NHKのスタジオパークに、私が批判をするたびに、出てきます。で、お金を儲けています。私は、消えそうに、なっている彼女を、批判と言う逆説で、再生させてあげ、ランクアップさせてあげ、収入が途絶えないようにしてあげているのです(笑) 

 しかも、東北大学の相撲部というのがミソです。それは、仙台にあります。だから、内館牧子を、私への弾圧用鉄砲玉として使うのは、これもまた、美術9条の会などと同じく、井上ひさしの発案でしょうね。

 それに、日経新聞のトップの鶴田卓彦氏あたりが協力しているというわけです。不思議でしょう? 日本の資本主義のトップと共産党が結びついているというわけです。その間を取り持ったのが、エージェントたちでしょう。

 私が最近、宮崎駿氏に、口をすっぱくして、「お気をつけなさい。後輩の作品を、けなさないように」と、勧めたのは、NHK特集が、繰り返し放映されると言う、ああいう態勢のまま、進むと、いずれ、宮崎さんも、内館牧子のように利用をされる可能性があるからです。持ち上げて、持ち上げて、そして、思想的に国民を、教唆、教導していく道具とされてしまいます。

 そうなると、まさしく晩節を汚すということとなります。みっともないし、残念です。敬愛の念から出ていた苦言なのです。わかっていただいているかどうかは不明ですが、宮崎駿は内館牧子に比べればはるかに上等な人間だと、私は感じていますので。

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副題6、『後産と言うのも、哺乳類の一種として、自然に行わないと、大変な事になる』

 あっち、こっちへ話題が飛んでしまいますが、最近では連想を自由に放つことにしているので、お許しください。ただ、この一章は、アイオワ州、スペンサーと言う町の図書館館長、ヴィッキーマイロンの一生について論じるはずの文章です。

 彼女はとても立派な女性ですが、前半生は、苦労ばっかりと言うような形で、生きて来ました。そのもっとも大きな原因が、産婦人科の医者に、無責任で、ひどいことをされた点にあったのです。その医者は、自分のスケデュールに合わせるために、当時流行の薬だったらしい陣痛促進剤を彼女に使いました。そして、もっとも悪質だったのは、後産(アトザンと、読むはず)の始末をきちんとしなかったのす。

 どんな女性でも、50歳以下で、15歳以上であると、毎月小さな胎盤ができて、それが、受精卵の着床を待ちます。受精卵の着床がないと、生理として、外へ流れ出ます。生理でも、終わるまでに、一週間は、かかります。出産後は、それが、大体、1時間以内に外へ排出されます。そこが生理との違いっであり、出産の不思議です。

 が、陣痛の事まで考えると、出産が生理より簡単だとは、とても言えません。赤ちゃんが生まれる前の陣痛が、早い人だと、12時間程度前に始まりますので、後産を終わるまでは、全部で、早くて、12時間かかる苦行であり、陣痛が長いと、24時間を越えるときがあります。それで、無理がかかって女性が死んだりします。

 今、日本でも、出産は若いうちに経験をしておいた方がいいという論調が、やっと、トレンドとなってきましたが、子供に遺伝子異常が現れるということのほか、種々さまざまな意味で、若いうちに経験をしておいた方がいいのです。

 ヴィッキー・マイロンは、当時まだ、22歳と言う若さだったのですが、医者の無責任のせいで、アトザンがうまくいかず、それから、6か月と言う長期間の入院が必要となりました。初めての赤ちゃんを産んだ後で、周囲から祝福される花のヤングママとして、家に帰ることが不可能だったのです。

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副題7、『東大病院でも、昔、同じ失敗があったのだった』

 これは、日本でもあったことなのです。75年前の東大病院ですが、医師と看護婦全員がアトザンを確かめないで、帰宅してしまい、死んだ胎盤がからだの中に残ってしまったのです。その件で、妊婦さんは、病気になって、ヴィッキーと同じく六ヶ月の長期入院が必要だったという話です。

 赤ちゃんは、かわいいです。だが、生命力を失った胎盤とは、死体の一種となりますから、出産直後は、まだ、大丈夫でも、すぐ腐って来て、体内にもし残されたら、大変な、苦痛と損失を母体に与えるものとなります。しかも、液体ではなくて、自然に流れ出るものではなくて、しかも、大きいものなので、いきみ等も必要なものですから、介添えや、指導がなくては、体外へ出ないものなのです。

 生理のときよりも500倍以上大きいものが、一週間もかからないで、一時間で、出てくるのが不思議ですが、それも、動物としてのリズムの中で行わないと、出ないものなので、後は、体内に残された腐ったものを、さじのようなもので、掻き出すこととなるでしょう。子宮内膜だって痛点があるので、大変な苦痛となるのです。腐った牛のレバー状のものを体内に抱えて、それは、痛みを伴わないと取り出せないし、簡単には取り出せないとなると、その後、どんなに大変か、ご理解をいただけるでしょう。大変な失敗なのですよ。

 こちらのご夫婦はだんなさんが学者でした。だからこそ、東大病院を信頼したのでしょうが、お産などと言う、やや、ふつうの現象は、そういうところを頼らず、地域内のベテランの助産婦さんか、地域内で、評判のよい産院で、産んだほうが、よほどよかったといえましょう。

 東大病院では、出産の数が少なくて、アトザンと言う現象を、忘れていたというか、知らなかった可能性すらあります。

 それに、現代の一般の妊婦さんも、ふつうの病院で、出産する前に、出産前講習を受けることがあるでしょうが、そのとき、アトザンと言う、胎盤の排出について習うでしょうか? 

 夫も一緒に受ける出産前講習にアトザンの事が出てくるでしょうか?

 ここが、冒頭に私が言ったことが関係してくることです。妊娠出産と言う出来事のうちで、楽で、明るい部分だけを、事前に知らせておき、暗いとか汚いと、推察しやすい部分を伏せておくことがないでしょうか?

  それに、産婦人科の医者固有の性格も加味しているでしょう。医学部へ進学した後にどの科を選ぶか決定する際に、産婦人科を選ぶ医師は、そこは汚い病気が少ないところなので、よく言って、おおらかで、明るい人でしょう。が、悪く言うと、注意不足につながり、患者への配慮に欠けるところがある人が、なる筈だと、感じています。

 そのうちに慣れてきて、妊婦さんを単なるマグロみたいに商品と考えるようになったりすると、この日米二つのケースのように陣痛促進剤を使い、さらに、アトザンの不始末をしでかすような、自分本位の医師ができてしまうのです。

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副題8、『告知なしで、子宮と卵巣を、全部摘出されてしまったのが、まだ、24歳の時だった、ヴィッキー・マイロン(アイオワの図書館館長)』

 ヴィッキーは、その22歳の時の不幸な出産以降、体調不良に悩まされるようになります。で、しょっちゅう、医者にかかります。

 するとあるときに医者が、「簡単な手術をすれば、ずっとよくなります」と言うので、お勧めに乗って、手術を受けました。その後で、わかったのですが、子宮と卵巣を、全部、摘出されてしまったのです。そこまでの説明は事前にはありませんでした。ビッキー・マイロンは打ちのめされます。

 ここらあたり、この本の中で、彼女はごく簡単に書いています。

 と言うのも、この本は、彼女自身について語るよりも、最高の猫、・・・・・・図書館に住み、人間大好きで、スタッフや利用者に愛を振りまき続ける猫・・・・・の、デューイについて語るのが最大の目的の本だからです。

 でもね。どうしても、ここは補わないといけません。で、私固有の、例の、見てきたような嘘をいいで、補筆をさせてくださいませ。

 アイオワ州のスペンサーと言うのは、小さな町です。皆が知り合いといってもいいぐらい。その町で、24歳のヴィッキーは、貧しい方です。本人は大学も出ておらず、結婚前と言うか入院時の、職業経験は、ラッピングを専門とする工場の工員というだけけでした。ベルトコンベアーに乗って運ばれてくる種と土が入ったポット(=軽いプラスチックの植木鉢)を、包装する仕事などをしていたのです。

 そして、彼女の夫も、力のない人でした。しかも、まだ、入籍をしておらず、アメリカで言う婚約の状態、日本で言う同棲の状態でした。ただ、その婚約者について語る前に親について述べましょう。この本の最後に、母親ががんにかかり、それを慰めるために、パーティを催おす場面があります。そこでは、400人近い人が集まり、夫妻(=両親であり、彼女の娘にとっては祖父母)を祝福します。

 だけど、それは、この子宮全摘手術の、30年後です。娘のヴィッキーが、立派な女性となりました。孫も、よい結婚をしています。そういう家庭の祖父母として、愛情いっぱいであったことへの、神様の祝福としての、幸福が訪れています。町中の人に祝福をされる老人となっています。

 ところが、ヴィッキーが全摘手術を受けたころは、まだ、長男が、就職したかしないかの段階で、アメリカのプア・ホワイトとしての、小規模農場を経営している段階でした。だから、町の中で、カーストが高い人ではありません。で、患者としてのヴィッキーが、文句を言うはずもないと言う安心感が、医者の側にあったでしょう。別の言葉で言えば高をくくる態度といえます。

 この、社会のカーストによって、自分の扱いが変わってくるということは、日本でもあります。そして、差別をされて、低い方の扱いを受けた人間にとっては、悔しいことでもあります。だが、実際にはあるのですね。それが、あるとして、生きていかないとだめでしょう。さて、日本から、元のアイオワへ戻ります。

 しかし、ヴィッキーはその30年後、本を書きました。さすがに、そのときの医者の実名は表記されていません。だけど、アイオワ州、スペンサーの町の人々は、これを読んだ後では、大きな興味を持って、この先生の噂をし合ったたでしょう。すでに、故人となっているかもしれませんが「そういえば、あの先生って、いいかげんなところはあったわよねえ」と、話し合っている可能性は十分あります。だから、一種の清算ができたということとなります。だけど、子宮は戻ってこないし、ヴィッキーが別の人と再婚して、次の子供を生む可能性も立たれたのでした。それは、事実なのです。

  ところで、後年、とても優れた女性として、幸福な人生を送ることになるヴィッキー・マイロンが、何の相談も事前に受けずに子宮全摘をされてしまった時に、婚約者がどうしていたかですが、事実上、頼りにできない状態でした。

 彼は、アルコール中毒になっていたのです。この件にもいろいろ書きたいことはありますが、ここは、簡単にその事実だけをおきます。そして、そういう男性ですから、医者が、尊敬をしなかった可能性は大きいです。夫(婚約者)が盾となるのが、夫婦力であり、結婚(?)をしていることのメリットなのですが、ヴィッキーは、ほぼ一人で、人生をやりぬいていかないといけなくなります。

 そんな、ヴィッキー・マイロンに、彼女が32歳のころに現れ、彼女に、17年間寄り添って、愛を与え、抱きしめ、励ましたのが、図書館猫のデューイでした。

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副題9、『夫(事実上は未入籍)がアルコール中毒であることがわかる。最悪の生活となるが、そこで、人間が変わる』

 彼女の夫(事実上は、婚約者)ですが、兄が大学へ通学していたときの兄の友人です。兄は、その本の最後の最後の方で、うつ病で、自殺をしてしまったことが明かされていますが、とても、優秀な人だったらしいのです。で、その兄が元気で明るかったころの、20代の友人ですから、夫となった人も、明るくて、頭もよくて、会話も面白い人間でした。

 だけど、どことなく、夢見がちで、繊細だった可能性はあるでしょう。この判断は私のものですが、さらに、私が判断を付け加えると、手相で、後家相と言うのがあります。最高レベルの仕事ができる優秀な女性は、夫が育たないというか、男をだめにしてしまうところがあるらしいのです。で、ヴィッキーマイロンの優秀さは後日、出てくるのですが、基本的には、彼女が若いころにも、素地としてあって、それに負けるから、夫(婚約者)がだめになったのかもしれません。

 これは、赤毛のアンを書いた、モンゴメリー女史の家庭でも見られることであり、最近では、西原理恵子さんの、ご家庭にも似たような雰囲気を感じている次第です。特にどこかで、高須クリニック院長と、事実婚の関係にあると知って、以前は高い評価を与えていた西原さんには、大幻滅をしました。

 女性にとっては、まだ、仕事と家庭の幸福の両方を手に入れるのは、難しいことのようです。洋の東西を問わず、です。 

 ヴィッキーのケースに戻れば、彼女にも、どこかに、そういう強さがあったので、繊細なあいてがつぶれた、と言う可能性はあります。または、そういう弱さを内包していた人間が、立ち直れなかったのは、『大丈夫さ、彼女なら、僕がいなくても』と思った可能性はあります。

 不思議なことなんですよね。結婚と言う人間関係って。その組み合わせの絶妙さって。また、日本人だと、惰性で、夫婦を続けていかれるところがあるのですが、外国人、特に欧米人は、割と、簡単に、愛がさめるという表現をして、離婚(または婚約解消)も多いみたいです。

 しかし、この図書館猫デューイと言う本を読むと、後に図書館の館長にまでなる、ヴィッキーは、思考が深いところがあります。だから、この結婚が破綻した影に、夫の、破滅度が、とても深かったことを思いしのばせます。

 精神的には、最も安心できるはずの、自分の家庭の中に、不安と暗闇に満ちた数年間があり、肉体的には、大きな失敗だった、出産の経過と、その後の、医師の説明さえない子宮全摘と、卵巣除去の衝撃で、真っ暗闇の中に突き落とされた20代の主人公でした。

 しかし、「もっとも大きな不幸と言うのは、出会ってしまうと、思いがけなく人間を変える」と彼女は言っています。不幸の程度が、10段階あるとすると、9のレベルの時はまだだめなのだけれど、10のレベルまで落ち込むと人間が変われるのだそうです。

 私はまだ、それほどの、窮地に立ったことはないのですが、きっと、彼女の言うことは真実だと思います。・・・・・ここですが、二日目の推敲中に、私にも、レベルテンの不幸が訪れたことを思い出しました。それは、11章目として、後で、書けたら書きます。

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 副題10.『極端な不幸に出会ったときの、対処の仕方、あれこれ・・・・・ヴィッキーは大学へ行かせてほしいと、福祉・団体にお願いをする』

 ヴィッキー・マイロンは、彼女の言うレベル10=最低のレベル=の不幸に出会ったときに、離婚(または離別)を決意します。これは、愛情豊かな家庭に育った女性にとっては、大きな覚悟を伴う決断でした。

  『アメリカ人って、日本より、何でも進んでいる。だから、離婚も多いはず』と、私達普通の日本人は、思いがちですが、一般の、しかも白人であり、中流家庭を営んで、いる人たちは、とても深い道徳観を持っていて、しかも、純真です。だから、軽々とは離婚をしないのです。特にヴィッキーは田舎育ちです。両親はお互いに、とても仲良くしています。だから、離婚はそれこそ、清水の舞台から飛び降りるような、大きな決心が必要だった見たいです。

 しかも、福祉のお世話になることを決めます。小さい子供を抱えて、しかも体調が悪いのですから、重労働ができないと見極め、いわゆるオフィス事務に就業したいと願ったのです。

 アメリカの制度は、日本と異なるとは思いますが、日本で言えば、生活保護費を申請するということでしょう。そのときにヴィッキーは、特別な付与を、申し出でます。それは、

 『もし、福祉で、生活費を下さるのなら、ぜひ、大学へ通わせてください。その学費も出してください』と、言う条項でした。『そして、それが、かなえられないのなら、福祉にお世話をなることは、要りません』と宣言するのです。

 日本と違って、町の団体が、運営しているのかもしれません。だから、全国的な法律など、適用されないのだと思います。とても、柔軟に運営をされています。

 でも、ここまでの申し出でをするということが、彼女が大きな不幸に出会った後で、学んだ、生活態度だったのです。医者に、通告もなく、子宮を全摘されてしまうような、弱い立場の女性で、しかも、その後で離婚もしてしまいます。田舎町なので、離婚は、ニューヨークなどで、それをするより絶対に不利なのです。それでも、その不幸を乗り越えた、力強さを獲得していくのでした。主張すべきことを主張しようとする女性へと変化していきます。

 彼女をそれほど、強くしたものは、もうひとつありました。それは、娘の存在です。娘は、健やかで、明るく、母を絶対に信頼します。それが、彼女に生きる力を与えます。むろんの事、大学へ通う間は、母親(娘にとっては祖母に当たる)の助力を仰いだと思いますが、小さな娘が、自分を頼り、慕い、すがってくれることは、ヴィッキーに、確実にして、抜群の力を与えたのでした。

 その素地があったからこそ、後に出会った、特別な猫、・デューイの深い愛情に、気がつくことになります。

 この本は、その、すごい猫との交流と、猫と、町、および世界中のファンとの交流の様子の描写に、60%が割かれているのですが、私は猫もさることながら、著者のヴィッキー・マイロンの、人間としての、深さに感嘆してしまったのです。

 それは、後日語ることがあるかもしれませんが、ともかく、本日は、彼女が大学へ通学し始めたところで終わりましょう。

 彼女は、その後、大学を最優等生として卒業します。そして、図書館へ就職するのです。その後、館長が交代するときに、自分がなりたいと申し出でて、今度は、館長職に就くために、その資格が必要な、大学院修士課程に、挑戦します。

 そのころ、図書館猫のデューイが、真冬の、返却ボックスの中に入れられていたので、出会うこととなります。アイオワは、アメリカでは、中西部と呼ばれていますが、私からすると、五大湖に、近い北東部であって、内陸なので、冬は、とても寒いいったいだと思われます。その凍えるような金属の箱の中に、捨てられていたのでした。

 で、この章の最後として、私が、考えている不幸に出会ったときの対策をひとつ申し上げて見ましょう。

 それは、『不幸とは、実際に起きる前の方が恐ろしいのだ。実際に起きてしまえば何とかなるものだ』という観点です。「だから、それほど、と言うか、過剰には、未来に来るかもしれない不幸を恐れるな」と言うことです。

 だけど、これは、70歳を過ぎて、経験も超が付くほど、豊富であり、かつ、楽観的になっているので、言えることであり、若いときは、不幸に出会う度に、大きなダメージを受けましたよ。不幸は怖いです(笑い)。特に、『予測が付く出来事で、時間の推移とともに、確実に、悪い方向へ行くみたいだ』と感じるときはいっそう怖いです。癌の告知など、そういう種類の不幸です。

 現代人は、皆が、頭でっかちになっています。それほど、重労働をしないで済む環境があるでしょう。だから、頭の方だけが、すばやく回転をしがちで、予想をすることが多いのです。だけど、実際の不幸に出会うと、人間は何とか、適応をして、乗り越えていかれるものです。

 だけど、一方で、人間は、死なないといけないものでもあります。若いときに交通事故で、死ぬ場合を除いて、人間は、徐々に、体力が衰えて死んで行きます。よくしたもので、死に近いほど高齢になると、よく「赤ちゃんがえりを、する」というではないですか?

 で、だんだん、不幸に対する免疫力も出てきて、だんだん、おっとりとしてくるものなのです。だけど、30~50才ぐらいまでは、次から次へと試練が訪れるものです。その際には、ひとつ、ひとつ、丁寧に、対応しておかないといけないでしょう。

 誠実に、しかも、よく考えて対応するすべを身につけておかないとだめですね。

 いろいろな、やり方があるでしょう。が、読者の皆様の、正しい選択と、その結果としてのお幸せを祈りたいです。ここで、正しい選択と言って、いますが、迷うときは、次善の選択でもいいのです。

 本日はヴィッキー・マイロンが、大きな心身の痛手から回復へ向かう分岐点まで書きました。この後で、彼女はぐんぐんと上昇をしていきます。ただ、現在の日本でよく言われる勝ち組になったというのとは、ちょっと違うのです。つまり、愛の問題に深く触れていく人となるのです。それが、ここで、この本『図書館猫デューイ』に触れた目的のひとつです。つまり、愛の諸相の、うち、奉仕の愛とか、母性愛について、感銘を深く与えられる本であり、

 真実の愛とは、何かに、すでに、お気づきになっているかたがたなら、きっと、感動を受けることでしょう。そして、私が二度目として、この本を語る際には、そのポイントを重視して、文章を書きたいと思います。

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副題11、『私の不幸度、レベル10のひとつは、そこから気構えを変えたという点では、前田祝一氏の恫喝も、そのひとつだった・・・・・そして、ヴィッキーマイロンの、娘は、思春期に反抗をするのだが、そここそ、沙彩ちゃんと違うところなのだった』

  私が気構えを変えたという点では、不幸のトップ10に入るものとして、あげないといけないのは、この2013年の5月末に、ご近所の前田祝一氏から与えられた「あんたを刑事訴訟にかける」と言う恫喝でした。彼は、自分が勝つつもりで、それを言い放ったのだと思います。だけど、私は、ピシッと背筋が立つ思いがして、『これから、本格的に書くぞ』と、決意をしました。 

 物事って、必ず両義性があるのです。彼は、事前には、自分が勝つと言う側面しか見ていなかったと思われます。だけど、私達が抱えている問題は、勝つの負けるのと言うことではなくて、正しいか、正しくないかと言うことであって、正しいのは、私の方です。だから、これからは、彼の方が、負けるのですよ。そのあくどいことをした責任を問われることとなるでしょう。

 私は常識を守って、さらに言えば他人の不幸を招きたくなくて、ずっと黙っていた数々の事を、あっさりと、これからは語っていくでしょう。誰か、それを恨むのなら、それは、前田夫妻に、かけてほしいと思いますよ。そして、誰もが、何も言わなくても、神様はその様にしてくださるでしょう。

 たとえば、私が三鷹ストーカー事件の被害者である沙彩ちゃんのママである、一ノ瀬智恵乎さんについて、激しく、かつ、厳しく糾弾するのも、元はといえば、前田祝一氏と、その、清子さんの非道と無道ぶりに怒っているからです。

 一ノ瀬智恵乎さんの、母としての、落ち度を感じ始めたのは、2005年の事です。だが、今、それをはっきりと明かし始めたのは、前田祝一・清子夫妻の、30年間に渡るとんでもない行いの積み重ねが寄与しているのでした。

 そして、一ノ瀬さんの、落ち度を語る際に、このヴィッキーマイロンのケースは非常に明瞭に対比を示しているのです。ヴィッキーマイロンのお嬢さんは思春期に反抗をすることになります。だけど、それこそ、普通の事なのですよ。

 母の愛を信じているから、反抗をするのです。そして、後ほど、大人になると、母との暖かい愛の交流が復活します。そして、無事に祝福をされた結婚をして、二人の子供に恵まれます。ヴィッキーマイロンは、孫を見るという幸せに恵まれます。自分の結婚は幸せには終わりませんでした。だが、娘は無事に、よい青年と出会って、よい家庭を築くことができました。

 しかし、沙彩ちゃんは、反抗をしませんでした。そして、セックスの快楽へ逃げて、美しいときを汚してしまいました。セックスは、よい結婚をして、健やかな赤ちゃんを産むときまでとっておくものだということさえ、母である一ノ瀬智恵乎さんは、教え切れませんでした。日本では上流階級の人なのに、そこまでを、教え切れていません。ふわふわと外出ばかりしているからです。一方アイオワの農場育ちで、いろいろな、苦しみを味わった、ヴィッキーマイロンは、ともかく、大勢の人と、図書館猫デューイの助けを得て、娘を、ふつうのコースをたどって、孫ができるまで、育て上げました。

 どこが違うのか? いずれ、それも、考察したいと思います。

    2013年11月9日から、10日にかけて書く。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

  なお、このブログの2010年より数えはじめた、伸べ訪問回数は、1877821です。 

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