銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

東横線反町駅で感じた神の存在証明と、神戸家裁のデータ破棄と、見城徹氏の鎌倉エージェントへの共感ぶり

2022-10-29 22:07:21 | 政治

副題1、『全く前報と連続性が見えない文章を書き始めます。ただ、まあ、すごい体験だったなあとは、思うので書きたいのです』

 実は、以下の荷物が、電車とホームの間に引っかかって、私は、もし荷物にこだわると、自分が死ぬかもしれないと、言う状況に陥りました。

 

 この荷物をご覧になって、だめじゃあないの、しっかりと、結んでいないわと、おっしゃる方があったら、それは、違うのですよ。北久里浜の家(48年前に建てて、10年間1984年まで住んだ家)を出るときは、相当にしっかりした、荷造りをしていたものです。

 全部を白で、まとめてありました。それは、後で考えると、救われたポイントの一つだったと思います。この荷物の主たるものは、電動工具(丸のこ)と脚立(2段)などの、大工道具です。しかしありあわせでしたが、白いレースのお洋服とか、白い紙袋に包み、しかも、白い紙紐で、しっかりと結びつけていて、全体が、絶対に動かない様に仕上げてあったのです。ナイロンのレジ紐が手軽ですが、それを使うと、全体が安っぽく見えます。で、結びにくいが、真っ白で、細い紙ひもを使って、しっかりと組み立ててあったのです。

 東横線に乗るので、気を使って、きれいに見える様に仕上げていたのです。それは、幸いをしたかもしれません。これが、泥が付いた茶色っぽい電動工具だったら、だれも助けてくれなかったと思います。東横線の乗客って、おしゃれな人が多いからです。

 そんなにしっかりと、作り上げていたはずの荷物が、ここでは、グズグズに見えるのは、5人もの人たちが、電車とホームの間に落ち込んだ、この荷物を引っ張り上げようとして、あっちこっちをつかんで、引き揚げてくれたので、グズグズになったのでした。 

 私は、その五人の人の命を危うく奪いかねなかったのです。

 その恐ろしい二分間が過ぎた後で、私は4分ほど、ホームで、立ち止まりました。電車は、構内放送での説明もないまま、なかなか、出発をしなかったのです。やっと、出発した後で、私は、ゆっくりと地下五階から、地上へ出て、これまた、ゆっくりと坂を上って、自分のアパートへ向かいました。自分が、一人で、リフォーム(大工仕事)をしようと計画しているアパートです。

 本当は主人と一緒にやりたいです。しかし、泥棒が入るので、必ず、誰かが家にいてほしいと思っているし、それが、絶対に必要です。で、一人で大工仕事を、やるのですが、北久里浜の家にも、ちょっと、手入れをしたいところがあって、大工道具を鎌倉から、北久里浜へ持ち込んでいたのでした。それを今度は反町(東横線でいうと、北へ向かって横浜駅の次の駅)、へ運ぼうとしていたわけです。

 ともかく、ここまで、くれば安心だと、言う地点で、撮影をしました。

 この荷物ですが、反対の方角から撮影すれば、もっと、きれいに見えたでしょう。しかし、スマホが、「もう電源がないですよ」というので、仕方がなくて、一枚だけ撮りました。

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副題2、『東横線も京急も、すぐ、このブログの影響を受けるのだった。CIAちゃんたちの命令に従うのだった。それで、二週間前には、反町駅構内で、Wi-Fiが、使えたのに、二回目には、日本語で、「これは、外人専門で、あなたのパソコンでは、使えません」というのだった。

 

 上の写真が、東急、東横線、反町駅での、私のパソコン画面です。つい一回前にはできたことができないと、言っています。しかも日本語で、「これは、外人専用だから」だって。からかうのもいい加減にしなさいと、東急に言いたいが、なにしろ、本当にわたくしの生活とは、監視されている、それを実感します。24時間、全方向からです。どうしてと言えば、北久里浜の大・実質的・詐欺事件が、瀬島龍三(戦後最大の、CIAエージェント)が絡んでいる事件だからです。

 それで、今後、手助けをしないようにという車内放送が、発生するかもしれないし、・・・・・もっとも危惧することは、その時助けてくれた人たちが、誰だったかを、探索されることなのです。

 しかし、自宅で、夜、7時ごろこのエピソードを主人に話してしまいました。そうすると、盗聴によって、これが、敵さん達にわかってしまって、ブログを書くも書かないも同じになるので、書き始めたというわけです。 

 荷物の写真ですが、アパートについたら、すぐ解体するから、念のために、その入り口(階段下)で、撮ったのでした。だって、反町駅のホームで、危うく、5人の命を奪いかねなかった、大荷物ですから。

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副題3、『もしかすると、読者の皆様は、私の方が、うかつだったから起きたことで、いけないのは、私だと、お思いになるかもしれない。しかし、私は、この台車を、使って、二日間、ほぼ、20か所ぐらいの関門を無事に通り抜けてきたのだった。どうして、最後の最後の関門である、東横線反町駅のホームで引っかかってしまったかというと、(弁解めいて、聞こえるかもしれないが)、反町駅って、ホームがカーブしているので、ある場所では、隙間が、大きいのだった。台車の車輪は、直径6cmなので、7cm以上、隙間の幅があると、落っこちてしまうのだ』

 この台車の使い方として、段差があったり、隙間があったりする場合、台車を、手前に傾けます。すると、前輪が浮きますので、それで、段差を乗り越えたのちに、後輪を滑らせていきます。だから、私は失敗したわけではなくて、それ以前に、経験した20回程度のリスク越えと、全く同じ手法を取ったのですよ。それにもかかわらず、後輪が電車とホームの間に、落っこちてしまったのは、ひとえに、隙間の幅が6㎝を超えていたからでした。

 これが正しいのは、鎌倉駅への帰りには、同じ台車を使って帰ったのにも、かかわらず、反町駅でも、横浜駅(二か所)でも鎌倉駅でも、大丈夫だったからです。前輪を車内に乗せた後で、後輪を、浮かせ気味にして、車内に乗り込んだところ、無事でした。午後一時には、地獄を見て、午後二時には、無事だったので、私の言っていることを信じていただきたいです。

 ともかく、持ち手を手放さなかった私はとんでもない形で、ホームに、体全体が、投げ出されました。ただ、車輪が、引っかかったのは、瞬時にわかり、だからこそ、持ち手は手放してはだめだと思い、それをもったまま、一種、茫然として、荷物全体を眺めました。持ち手は、相変わらず、手に持ちながらです。

 でね、自慢げに聞こえるのをお許しいただければ、いつも冷静な私は、電車が動いたら、どうなるか?を想像しました。すると引っかかっている台車の後輪は、(生協の案内で、買ったきゃしゃなものだから)、電車との摩擦で壊れるでしょう。そのついでに、下の方においてあるアルミ製の二段の脚立も壊れるし、その中に挟んである電動工具類も壊れるでしょう。しかし、それらは、すべて、お金を出せば買い直せるものです。

 一番大切なもの、(実印と貸金庫カードとか、証券会社のカードとか、スマホとか、小型のパソコンとか)は、上の写真の中で、赤いファスナーが付いていることが目立つ小型のアテンダントバッグの中に入れてありました。普通だったら、それだけが取り出せるはずですが、全体を安定させるために紙のひもで、しっかりと結び付けられているので、簡単には、取り外せません。

 私は、覚悟を決めて、電車が走り出すのを待ちました。ガッシャーンと大きな音がするでしょう。でも、その途端に持ち手を手前に引けばいいのです。で、電車から、1メートルぐらい離れた場所で、黙って立ちすくしました。
 すると突然に車内から、五人の人が駆け寄ってきて、荷物を、隙間から、取り出そうと、手を出してくれました。荷物は、ホーム側にほとんどが乗っているので、二人は、電車を降りて、引っ張り上げようとしてくれました。
 この人たちは、私があきらめたのを見て、突然に、目覚めて、助けてあげようとしてくれたのだと思います。私は実際に白髪の80歳の女で、とても華奢です。最近では、155cmくらいに身長が縮んでしまって、体重が、44キロぐらいです。本当に無力に見えます。

 だから助けてあげようと考えたのでしょう。東横線午後一時、しかも、普通電車なんて、乗客は、ほとんどいないのです。だから、車両の中で、このドア近辺に座っていた人が、全部助けに来てくれたのだと、判りました。

 私は、この時、神様はいるのだと、本当に感じました。というのも東横線って、とてもおしゃれな人が多いのです。特に、若い人が多いのです。横須賀線とは、まるで違います。京急とも、東海道線とも違います。

 おしゃれな人って、やぼったいことは嫌いです。で、人助けとは、そういう人たちにとって、やぼったいことで、やりたくないことで、普通なら、手助けをしてくれなかったはずなのです。それなのに、手助けをしてくれた。そこに、神の、み技を感じました。

 実際に、その三分後に、それが、証明されます。どこかから駅員さんが飛んできて、救済をしてくれたのでした。駅員さんはベビーカーなどが挟まった過去があるのでしょう。見事に一回全体を、車内に戻す形で、簡単に外してくれたのです。引っ張ってはだめなのですね。押すという形で元に戻し、直立させた後で、例のごとくの前輪を浮かせ、後輪も、この場所では浮かせて、作業をすると、見事にも、しかも、瞬間的に、ホームに無事に、台車は、移動して、しかも、立ったのでした。

 私は駅員さんが去ってから、まだ、開いていて、発車していないドアに向かって、「ありがとうございましたー」と、大声で叫びました。是こそ、おしゃれではない作法です。しかし、私は、そう叫ばざるを得なかったのです。しかし、車内にいる人たちは誰も、私に対して、顔を向けたり、手を振ったりはしませんでした。したを向いてスマホでもいじっている模様でした。

 それが東横線の、atomosphereなのです。

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副題4、『20年近く前に、横須賀線、保土ヶ谷駅で、似た様なことがあった。それは、今回よりもっと危険なことで、死の直前みたいなやせたご老人(男性)が、電車とホームの間に片足を落っことして、身動き成らなくなったのだった。ご本人に体力が無くて、自分で、ホームに両手をついて、その反動で、体を持ち上げるなどという動きができない人だった。すると、気が付いた男性が二人、両側から引っ張り上げて、駅員さんも数人駆けつけて、「担架を準備しよう」とか、「救急車を呼ぼうよ」とか、言いあっていた。それを見て、車内の人は、ほっとした笑顔をお互いに交わしたものだった。

 横須賀線が、貧乏人の乗る電車だと、言っているわけではない。また、田舎っぽい電車だと、言っているわけでもない。だけど、東横線が特別なのだ。プライドが高い人が多い。そして、やぼったいことが大嫌いなのだ。助け合いなどと言う事とか、近所付き合いなどと言う事は嫌いなのだ。

 それは、1952年から、2015年ごろまで、実家があって、住んでいたり、実家から、40m以内にある小田歯科医院に通って居たりして、日吉に関係がある私の観念とも近いのだった。それは、雪の下のこのご近所様での間でもそうで、ああ、この人って、田舎で育った人ですねと、すぐわかる仕組みにも通じている。

  ところで、ここで大切な事は、資本主義社会の最先端が東横線の乗客だと言うことです。冷たいとか温かいとか言う区別では論じられないのです。そんな東横線の自由が丘のホームで、私の小学校時代の同級生が、進学した美大がつまらないって、30分ぐらい語ったのです。それが東横線を利用する人としても、また小学校時代は、私より上だった人としても、非常に珍しい事だったのでメルマガ時代にエッセーとして書いたのです。そうしたら、佐野研二郎騒動が起きたのでした。競争は無論なくて、最初から彼に決まって居たのです。それは自由が丘で乗り換えて、行く美大を、CIA 連中が探し当てて、その美大出身の佐野けんじろうに任務を負わせたのです。それがあまりに、大きい負担だったので、盗作をしてしまいました。CIAと言うのは、そう言う組織なのです。

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副題5、『ところで、私は、この雪の下で、嫌な思いばかりしている。それは、1984年から、感じ取っている事で、1985年など、中谷共二氏にたぶん瀬島龍三からの、教唆ゆえだったと思うのだけれど、東北の山を無断で、崩壊をさせられて、その結果、藤本悌子夫人が勝手に入れた、間違った地境石を、承認せざるを得なくなった。それ以外にも、ひどいことが連続して起きているので、身を固くして、心を開かない様にしている。

 しかし、CIAちゃんが、関係が無いところでは私は自由だ。今週、湊かなえが、朝日新聞にこういうエッセイを寄せていた。それと同じことは、1999年からやっている。

 湊かなえのエッセイを省略すると、彼女が、・・・・・カナダ旅行をしていた時に、後ろから、呼び止められて、「あなたのパンツが!」と言われた。無論、英語ででしょうね。これは、私の注釈です。それで、何か、ごみでもついているのか、それを注意されるのかと思って、一瞬身構えたが、相手は、にっこり笑いながら、「それ、素敵ね」と言ってくれたのだった。中略。それ以来、私は相手をほめる言葉を積極的にかけようと思った‥・・・というものです。

 私は、同じことを、ずっと以前からやっています。1998年秋の出来事が契機となって、それをやり続けています。それは、文化庁の在外研修生で、パリへ行ったときに、地下鉄が、火災を起こした日があるのです。その時から始まっています。駅はバスティーユで、構内は広く、大勢の人=数百人が、たむろして、困っていました。私は、英語が判りそうな人に向かって、「なにが起きたの?」と、質問をしました。すると、パリの地下鉄はタイヤがゴムだそうで、それが、燃えたのだそうです。そういえば、ゴムが燃える時、特有のにおいが、構内に充満をしていました。

 私はそれを、聞いて、『あ、そう。では、歩いて帰ろう』と思いました。私が当時住んでいたサン・ポール駅はバスティーユから、東へ向かって、一番線の次の駅で、徒歩で、15分程度で到着します。ただ、バスティーユ駅の出口を探していました。サンタントワーヌ通り、に、出る出口を探していました。すると、遠くから、プリンセスラインのベージュのウールのコートを着た金髪の女性が近づいて来て、「今、何が起きているのですか?」と英語で質問をされました。で、先ほど、フランス人に教えてもらったことを彼女にも教えました。彼女は、それから、どうするつもりなのかは、私には、聞きませんし、言いませんでした。が、私は、その瞬間、ものすごく、大きな自信を得たのです。私の外見は、100%アジア人です。しかし、明らかにアメリカ人(しかもとても裕福だとわかる女性)が私を選んだのですよ。

 アメリカの女優でいえば、グレースケリーに似ていて、もっと愛らしい、かわいい顔の人でした。いや、又、自慢げで、嫌われるのを覚悟でいえば、他に白人が大勢いるのにもかかわらず、私を選んでくれたことが、どれほどに、私が、輝いていて、かつ安心できる、上品さを持って居たか!と、言う事の証明となるでしょう。私はパリで、アメリカ人に、唯一の人として選ばれたのでした。それは、1998年の秋でしたが、1999年の秋は、ニューヨークで三か月過ごし、2000年もニューヨークで三か月過ごし、一人暮らしで、版画工房では、おしゃべりはできない場所なので、駅などで、素敵な人を見かけると、積極的に声をかけました。

 ここで、私の電車の中で、という本に対して、見城徹氏が、積極的に作家に声をかけたであろう、有川浩原作の阪急電車に入りたいところです。それが、「あなたの盗作ですよ」とコメントを受けた話に入りたいところです。それからね、その映画化が、突然、最近夜NHKで、放映をされました。番宣が無かったので、終わりの28分だけ録画しました。豪華な俳優陣です。でね。プロデューサーに見城徹氏がいて、なるほどと思いました。

 私は長い時間をかけて、ブログ文として、または、メルマガ文として、一章ずつを書いたものを、2006年ごろに、電車の中という書物に直そうと、編集を始めます。そのタイトルを見ただけで、有川浩に、アイデアを提供して、(ただし、エピソードはすべて、違う内容ですよ。ただ、電車の中での、会話が重要だといい意味では、コンセプトが似ています)幻冬舎で、出版すれば、私の本が、日の目を見ないという形になります。もとより、一般書店では売らず、ほぼ、500部前後を贈呈するのが、常ですから、負けています。それは、承知です。しかし、そういう私いじめの、発展した形で、【絶歌】などに、かかわっては・・・・やはり、・・・・・いけないでしょう。見城さん?

 ここで、神戸家裁が、なぜ、文書を全部廃棄したかの謎の一つを解きましょう。酒鬼薔薇聖斗が描いたとされる、ごちごちの、文体ですが、あの文章は、実際には、別の人間、(特に、有名作家)が書いたとする私の説が正しいからでしょうね。筆跡が、どことなく似ています。彼が、左手を使って書いたとすると、ぴったりです。

 で、そういうものを廃棄するために、全部を廃棄したと言う事となります。でもね。当時の新聞記事がありますね。縮刷記事から事件の全貌を知ることが出来ます。

 ところで、酒鬼薔薇聖斗は、身代わり犯だと、見ていますが、後年では、少年Aを名乗り、絶歌という書物を出版しました。それについて、私は、何本も書いて居ますが、今、一つだけ、ここにコピペいたします。

 神の出現を書いたこの章には、ふさわしくないのですが、私の人生には、悪魔ちゃんも訪れると言う事です。絶歌は、まさしく、そういう人間がゴーストライターとして書いた書物でしょう。

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【絶歌】出版の裏には、CIAが居る筈。淳君の死体を水道山まで持ち上げたのも、聖斗ではない筈

2015-06-19 22:35:08 | 政治

 さて、グーブログの総タイトルは、50文字以内と決められています。で、短くしないといけないので、鎌倉エージェントと書くべきところが、CIAになっています。ニュアンスとしては、CIAと言うよりも瀬島機関とか警察の殺人別働隊とか、言うものが、ふさわしいところでしょう。

 つまり、私が、ここで言いたいことは、酒鬼薔薇聖斗は、実際には、あの奇怪な殺人は、犯しておらず、これも政治的(+経済的)な目的があって、CIAのアイデアに基づいて、いわゆるブルーカラーとしての大人が数人の集団で起こしたのであると、私は考えております。ただし、Victimとして、彼が選ばれたと、見ています。それは、彼には、猫を殺すなどの、過去があり、

 こういう奇怪な犯行を犯すにふさわしいと、認められていて、リクルートをされたからだとみています。酒鬼薔薇聖斗は、選ばれた演技者であり、幼いながらいろいろな納得をすることができる賢さはあったのだろうと、私は見ています。

 こういう系譜に連なる犯人は、今まで、私が知る限り、数人以上います。

 時系列は、順番としては正しいかどうかは、分かりませんが、

*1)、小泉毅、厚生事務次官、二組殺傷事件。

*2)、加藤智大、秋葉原無差別殺傷事件

*3)、保見容疑者、周南市、金峰で、近所の老人五人、放火殺人事件、

   この事件に対する私の論考があまりにも正しかったために、それを否定するために類似の事件が起こされた。洲本で、同じく近隣の老人(特に今度は親戚であると言われる)五人を殺した、平野達彦と言う容疑者が、逮捕された。が、私がブログで、『これは、平成の八墓村事件を、あいまいに、消していくための、フォローの事件だ』と書いたとたんに、続報が、とんとでなくなった事件。だから、これも、私の論考が正しくて、平野は、ただ、名前を貸しただけなのかもしれない。が、あまりにも報道が少ないので、何とも言えない。彼が、本当にやったのかもしれない。

*4)、阿部俊樹、マルハニチロの農薬混入事件

*5)、片山祐輔、江の島の猫の首輪に、マイクロカードを括りつけたとか河原にスマホを埋めたとされている。

*6)、スタップ細胞で、小保方さんをサポートして、結局は自殺を装って殺された笹井芳樹氏。

 そして、この酒鬼薔薇聖斗です。

 これらの人物に共通をするのは、みんな頭がいいということです。片山祐輔君の卒業大学を知りませんが、他の人たちは誰も東大を卒業したわけではありません。

 だけど、頭がいいです。そして、どこか、弱いところを持っています。

 その弱いところの一つとして、内心では、非常に正直でいい人物なのだけれど、脅迫に弱かったり、または、バーター取引で、餌を見せられて、つられると、乗りやすいというなどの特徴があるでしょう。

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副題2、『スタップ細胞事件について、よくよく観察し、研究をしたので笹井氏が他殺であるとは確信をしている』

 笹井芳樹氏は、ノーベル賞と言う餌で釣られた人であって、最初から、『スタップ細胞とは、嘘だ』と知っていたと、私は見ています。そして、お坊ちゃま育ちだから、途中で耐えられなくなって、真実を語りたくなったのでしょう。その様子をスパイからの耳打ちや、笹井さんの自宅での室内盗聴、携帯等の傍受などで、知った悪人たちは、笹井さんを消したのです。

 この事件は、科学の分野に限定をされていると、私は信じていて、殺人事件にまでは発展をしないと思っていたので、ずいぶん注目をして、追いかけていたので、確信をもって言えます。

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副題3、『酒鬼薔薇聖斗の事件に、関しては、あまりにも突飛だと思い、ずっと、無関心で来たのだが、2005年ごろから、もしかすると、これは、水道山がキーワードなのかもしれないと思い始め、そこから、だんだんと、嘘が内包されていると感じ始める。これも、また、一種の冤罪であると言うか、他の事件と同じく、酒鬼薔薇が、納得をして犯人を引き受けているのではないかと、私が、思い始める。今般、この【絶歌】が出版されたタイミングを見て、やはり、自分の勘は当たっていたと思い至る』

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副題4、『ルネ北久里浜と言う上等なマンションの建っている場所は、元横須賀市の水道山であり、石渡美容院(説明を後注1でする)の左側から、タンクにまで登れる道があるはずなのだが、1975年ごろから、立ち入り禁止になっていた』  『その場所は公共用地なのだが、横須賀市議会に諮って、明瞭に払い下げたという形では無くて、2.73平米しか所有していない大建産業(=小さな会社だが伊藤忠の前身と同じ名前を使っている)の幹部社員、益山重夫と、益山智恵子夫人が協同をして、開墾をして、自分の果樹園だと主張をして、

 2.73平米(一坪以下)が、正しくは、1200坪だったということにするのが、地籍変更届と言うものの、骨子である。突然に、所有地の坪数が、1200倍に、増えたこととなっている。それが、地籍変更届と言うもので、可能になるのだった。一坪がただで、1200坪(当時の評価で、4億円以上)になったのである。その前に彼は500平米の土地を買って、こちらに、転入をして来たことになっていて、その後、建売やら分譲を繰り返しているので、500平米以上は、消費しつくしてあり、したがって、地籍変更届を出す以前から、1000平米くらいは、水道山の地所を、自分のものとして、使っていた可能性が強い。現在は、クリアハウスと言う名前で、グーグルの地図に載っているが、それが、益山夫妻の義弟、仲野通巳吉の家である。

後注1、京急北久里浜駅の東側の丘の上にある京急池田分譲地内には、現在のところ、4軒のお店しかない。で、それが、グーグルの検索地図に載っている。石渡美容院は、そのうちの一つであって、30年前に私がそこに住んでいたころから営業をしていたのだけれど、現在も営業をし続けている。そして、グーグルの地図に載っている。

 ここで、念のために、2015年6月20日にグーグル地図検索をしてみた。すると、驚くべきことに、石渡美容室は消えていて、かつ、杉本副市長夫妻の家も、長方形の形さえ、消えている。だから、これを傍証として、私のこの一文は、すべてのところが正しかったのだと、私は、判断をしている。

@@@@@ここまでを、20日の夜に推敲をいたしました。これから先は、21日の夜に推敲をいたします。

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副題4、『1997年に、土師淳君は、殺され、その首は、校門の上に置かれた。見事に劇場型犯罪である。しかも、首から下の遺体は、水道山に、置かれていたと言われる』

 土師淳君も、リクルートをされて選ばれた子供であって、むろんのこと犠牲者ではあるが、酒鬼薔薇聖斗も同じく、選ばれた犠牲者であつと、私は考えている。

 土師淳君は、かわいい顔をしていて、かつ知的障害があったと言われている。こういう子どもは、天使のごとき、純真さがある。そういう子どもが犠牲になれば、同情が激しくなり、事件が拡大し、人々の記憶に残るだろう』と、みなされ、淳君がまず犠牲者として、選ばれた。

 酒鬼薔薇聖斗の、【絶歌】を、私は無論のこと買っていないし、読んでもいない。しかし、否定をする人が多い。どうしてかと言うと、本人が、淳君を殺していないのだから、感動を与えられない文章になっているのも、確実だろう。

 1997年当時、酒鬼薔薇聖斗に、あれ(当時彼が書いたとされる文章)が、書けるはずがないと言った人が居たそうだが、それも別人が書いたとすれば納得がいく。その別人が、実は、生きている井上ひさしだったりして。つまり、【絶歌】の原稿は、表向きには自分を死んだこととして、実際には、生きて地下潜行をしている井上ひさしが書いたと推察もされるのだ。

 井上ひさしとだけに、限定しなくてもいい。

 ここを推敲中に突然に、文章が全部消えたので、井上ひさしが代筆をしているという推理も、当たっているでしょう。連中の考えていることは手に取る様に判りますから。

鎌倉春秋社が、1000円で売り出した、『篆刻の本屋』は、覆面作家だということだが、私が、伊藤玄二郎と、井上ひさしの合作だろうと、ずいぶん前から書いている。すると、二、三年後、上智大学の卒業生の、二人組が、実際の作者だと名乗りを上げた。

  だが、これも上のアスタリスク印の後にナンバー付きで挙げた、六人と同じく納得をして引き受けていると、推察される。

::::::::::::**********これ以下は、実は、本日の、最初にいつもの調子でゆったりと書き始めた文章です。しかし、時間がないし、体力もないので、メモ形式で、かつ、非・会話対で、グングン書き進めています。だけど、ここに、ちょっと、挿入としてそれを挟んでおきましょう。念のために残しておきます。*****罫線の間が、いつもの調子の文章です。それが、終わると、非・会話対で、また書き始めます。

 さて、こうして、【絶歌】が今出版をされたかですが、これも、私が過去に書いていることを否定する目的で行われています。 過去に何を書いているかと言うと、もう、探すのが、面倒なので、概略として、ここで、書き直しますが、

 北久里浜の東側の丘の上に立っている大マンション、【ルネ北久里浜】(売り出しの際は、【そらヒルズ】と言う名前だったが)は、元横須賀市の水道山を、益山重夫と言う元海軍参謀が、地籍変更届と言う書類を持ちいた、一種の詐欺事件・・・・・いや、実質的に言えば、実際に詐欺事件と言えるだろう。・・・・・で、ただで手に入れた土地の上に建築されている。 私が書いていることが正しい事なので、それを打ち消す策が次から次へと出てきていますが、

酒鬼薔薇聖斗が、最近、本を出したというのも、なるほどねえと思います。 その結果、酒鬼薔薇聖斗は、土師淳君を殺していないのだろう、と、確信をしています。私はまだ、買って、それを読んではいませんが、************::::::::

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 副題5、『1997年から、北久里浜の水道山は、実質的な、土地造成が始まったのだと思う。1979年に、私物化した後で、8年間は、寝かしていたと思われる。だが、絶対に金もうけをしようとしてたくらんだことだから、実行をしないと目も当てられないではないか? で、土地造成を始めたのだが、私が入ってきたら、もちろんの事、おお困りだが、私は鎌倉に住んでいる。しかし、このころから尾行は始まっていたと、推察される。そして、北久里浜に来る可能性のある日には、工事は中断するとしていたのだろう。

 また、この事件の真相を知らない人が入ってきても困るので、心理的に人が『怖がって、近づかないシステムを構築する必要があった」と思われる。瀬島龍三は、元帝国陸軍参謀として海軍参謀の益山重夫氏とは、親友であり、CIA固有の手法を駆使したと推察される。』

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副題6、『これだけ、物議を醸しだす本が平台に、バーンと並べられており、さらに、5万部増刷をするそうだ。どうして、そういうことが許容されるかと言うと、現代最高の権力者である、鎌倉エージェントが、これに絡んでいるからだ。前田祝一・清子夫妻も、安野忠彦・智紗夫妻も、それから、本日また、その悪女振りが復活してきた、小野寺夫人も、伊藤玄二郎を通じて、動かされている、パペットである。鎌倉エージェントに保護され、また、彼らの悪を隠すことに役立つのなら、少々物議を醸しだそうが何をしようがかまうこっちゃあない。それが、例の連中のやることなのだ。常習的に、それをやり続けるのだった。今般は、昔の殺人事件である。現在、人が殺されているわけではない。だから、明るい顔をして、小野寺夫人と、前田氏は、勝利感に酔いながら、新たな攻撃策を私に示した。にゃるほど、にゃるほど。

 この【絶歌】が問題になり始めてから、彼らはまた夜の会合(新たな攻撃策を練る秘密裏の会合)を行っていて、かつ、それを行っていることを、誇示したので、私は、心の準備はしていたのだった。この神戸連続殺傷事件が起きた1997年は、瀬島龍三と益山智恵子さん、および、仲野通巳吉、および、杉本横須賀市副市長・正子夫人、北村充子さん等を助ける目的があったわけだが、それが、今、2015年では、鎌倉エージェントとして括られるすべての人物たちを救う手立てとなっている。古村浩三君もその一人ですね(苦笑)。今夜もパソコンが控えめに壊れかけているが(苦笑)』

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副題7、『なぜ、【絶歌】は、堂々と平台に並んでいて、かつ、太田出版社は、NHKカメラの前で、登場できるのか? そして、五万部を増刷すると、別の日に記者会見を行うことができるのか?』

 【絶歌】について、擁護をしている有名人が何人かいるらしい。出版の自由を守るべきだと言っているらしい。それは無論の事、賛成だけど、この絶歌の裏に、もっとも、言論の自由をはく奪している連中が居ることを知ったら、彼らはどういう風に言うことになるのだろう。

 たとえば、私のエッセイ集だけど、今まで、6冊出している。売らないし、流通経路にも乗せていない。だけど、ISBN番号もついている史、バーコードもついている。特に五冊目の『黄色いさくらんぼ』が好評で、売っていないのに、アマゾンとか、ブックオフで、時々中古の本が出回る。それは、このブログの前の段階のメルマガをまとめたもので、ニューヨークで、出会った二人のカラード(有色人種)の版画家の死を扱っている。二人は好対照を見せている。すべての人から善人だと思われ尊敬されなつかれているボブと、すべての人から嫌われていて孤独死をしたエドゥアルドだ。

 どこにも問題はない。すべての登場人物は実在する人間だが、すべて仮名で書いている。芸術家たちは、レジェンドがあった方がいいから、この本がもし英訳されれば、圧倒的に名著と言われることとなるだろう。だけど、私は戦後最大のエージェント、瀬島龍三の悪を知っているから、祝福されない。支援されないどころか、データ作りの段階からさんざんに妨害を受けている。錦糸町の自然食有機野菜主体のバイキングレストランに言っていて、インターネットに接続していなくても二時間の仕事がパーッと消えたこともある。これは、大泉洋のアフタースクールなどを見ると、・・・・・なぜ、そうなるかの理由がわかるが・・・・・

  だから、これほどの、支援を受けている絶歌は、鎌倉エージェントの発案であるのも確かなのだ。そして、鎌倉エージェントを助ける新策略であり・・・・・私がここで、こういう風に書いたことによって、さらに大宣伝をされるか? それとも急速にしぼんでいくか、ともかく、どうなるかは見守って行きたい。

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副題8、『土師淳君のパパと支援する弁護士が、酒鬼薔薇聖斗を相手に訴訟を起こしたらどうなるか❓』

 土師淳君のパパだけは、裏側を知らないでいると、信じたい。酒鬼薔薇聖斗がやったと思っているのだろう。だから、この出版を差し止めたいと、思っておられる。もし真実を知ったら戦う筈で、そうなると、医師と言う立場と職業は、日本社会では、中の上の階級だからつてを頼ってつてを頼って調査すれば、やがて、私が真実に到達した様に、ルネ北久里浜の真実に到達したり、杉本副市長夫妻の悪やら、前田祝一・清子夫妻の悪にも到達し、何故、淳君が選ばれなければなかったかの、真実にも到達し、伊藤玄二郎に文句を言うこともできるだろう。または、つてを頼って、伊藤玄二郎がその人の事は自分より上に、置いているであろう、養老孟氏を巻き込んでもいいではないか?

 だけど、鎌倉から遠く離れていることもあって、真実に達することはないと思われる。都留市在住の山本美香さんの両親でさえ、まだ、私のブログへは、到達していない模様だし。

 で、淳君のパパが訴訟を起こしたら、どういう風な展開になるかを、シュミレーションをしてみよう。まず、この出版がさらに炎上をして、鎌倉エージェントたちは大喜びをする。そして、酒鬼薔薇聖斗の、実名や実住所が公開をされる。となると、この事件を劇場型に炎上させればさせるほど、私が以前書いたことが否定をされる。それで、大喜びなのだけれど、

 もう一つ副産物も得られるのでさらに喜ぶはずだ。副産物とは、酒鬼薔薇聖斗の生活が成り立たなくなって、自殺に追い込まれかねない状況に陥ることだ。ここまで、緘黙に近い形で、嘘をつき続けてこられる人間だから、最後まで、しぶとく立ち回るとしても、どこかで、真実が漏れないとも限らない。だから、実際には酒鬼薔薇聖斗には、死んでもらいたい。

 で、そういう状況に追い込んだのちには笹井さんと同じ手法を取ればいい。それ以前に、顔が、公開をされている方がいい。青木が原で、自殺体で発見をされたとしても、顔が、広く知れ渡っていた方が、一般人が、発見をしやすいではないか?

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『本日、東京で異常なことがあったのだが、私は落ち着いていた。非常に落ち着いて対処した』

 私は、19日はまず、パレスホテルの株主総会に行きました。宴会場を点検したのちに、都営線に乗って高輪プリンスホテルに向かい、二つ目の株主総会に出ました。その時に、銀座で行われる嫌がらせと同じものを発見をしました。で、尾行を受けているなと、分かったのです。だが、だからと言って、あわてて、鎌倉に戻ることはせず、株主であることをとことんに、楽しもうと思いました。

 昨年は、次に横浜みなとみらいへ向かって、ロイヤルパークホテルの株主総会へ向かったのですが、遅刻も遅刻なので、宴会場は見られませんでした。で、本年も同じだと考えて、五島美術館に向かいました。美術館の入場券と、電車の切符がタダです。ただ、6月21日までの展示です。だから、19日に行かないと、行くチャンスがないです。

 去年までは、こんなに、ぴったりとは使わなかったです。忙しい身だから。だけど、今年は、ブログで、書ける内容の深さに、満足をしています。分野によっては、60%かけています。自分の被害については、まだまだ、15%ぐらいですが、あまりにおぞましいことをやられているので、文章に書いても皆さんが、のけぞってしまうだろうと思っていて、なかなか書きません。

 覆いまし戦って、あまりにも短いので、二子玉川にまで行ってしまい、反対方向から降りたので、歩く道も間違えて、ゆったりと、向かっているのですが、やはり、工事をやっていました。昨日、前報で、それが、彼らが尾行をしている事の証明だと書いているのに、やるのです。ただ、人員的な尾行ではなくて、携帯を保持しているから、そのGPS機能を利用しているのでしょう。

 書いても、書いても、恥知らずに、こういうことをやって来ているときは、彼らが何かのポイントで、勝っていると思っているとき何です。で、先週以来、株主総会に、出続けているし、園芸にも打ち込んでいるので、そろそろ、鬼の居ぬ間の洗濯としての、ニュースが起きるでしょうね。NHKニュースを点検しないととは思っていました。

 ただし、この絶歌が、それに当たるとは、気が付いていませんでした。

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副題10、『自宅そばに、夜の6時についたのだけれど。これも鬼の居ぬ間の洗濯が起きていて、また悪女小野寺夫人を使って、前田祝一氏が、2013年5月27日にやったのと、同じ、ことをやっていたのだった。懲りない面々である、ことよ』

 さて携帯を持っているので、どこに何時に私が現れるかは、すべて、の敵さん連中には伝わっているのでしょうね。それで、また、画策をして来たわけです。

 でね、二度目なので、私は喜んでしまったのです。一度目は激怒しています。だけど、同じことを同じ感情で、迎えたら、何も進歩がないではないですか? だから、冷静に、むしろ喜んで、その現象を受け止めました。

 どういう風に喜んだかと言うと、おー『、これこそ、神の啓示ですね。今日あれを書きましょう。よかった。チャンスを与えられて』と思って。それは、小野寺夫人、前田祝一氏、オヨビ、鶴岡八幡宮を含んだ、激烈な悪についてです。

 それは、4月29日にいったん書いて、数十時間曝したのちにひっこめてあります。怖がっていたり、連中の策略に負けてひっこめていて、曝さないわけではなくて、リンク先を見つけるのが面倒だからです。悪について書くときこそ、丁寧なリンク先の提示があり、文章も、誤変換がない様にしたいのです。慎重にやりたい。

つまり、相手は攻撃しているつもりでしょうが、常に物事には両面があり、プラスに、働くこともあれば、マイナスに働くこともあるのですよ。

 ところがね。やはり時間が足りないのでした。そこで、絶佳について書いたというわけです。ぶっ飛んだ文章とはなっているとは思いますが、神様が、「書いていいのだよ。相当に突っ込んで。あの連中が再び悪辣なことを仕掛けてきているからね」と後押しをしてくださったと感じているからです。

 こういう【絶歌】などの文章の方が、リンク先も、北久里浜のマンション関係なので、後で、見つけやすいし、書くのも楽なので、こちらを先にいたしました。どうして書くのが楽なのかと言うと、前提条件を、読者と共有しているからです。土師淳君と言えば、あの純真な顔を皆様は思い出すでしょうし、淳君のパパもテレビカメラの前に出てきていますね。

 だから、非常に楽なのです。一方、小野寺夫人と言ったり、前田祝一氏と言っても、皆様には、「その実像が、5%もわかりませんよ」と言われてしまうだろう人物ですよね。ただ小野寺夫人は【渡辺篤史】の建物探訪に出てきています。でも、「何年の何月何日篇ですよ」とここに書けば、テレビ朝日は当然の事、それをひっこめるでしょうから、

 私は、それをここに書かないのですけれど。その番組を見たら、小野寺夫人の実像は、皆様にも、相当にお分かりいただけると思います。・・・・・簡単に言うと、ご主人に対しては、雅子さまみたいなところのある人です。

 

 

コメント
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音便の減少に不満がある私。特に実朝暗殺者を、コウギョウと発音させる事へ大疑問あり。川名昭宣・伊藤玄二郎・井上ひさします

2022-10-27 13:09:55 | 政治

 夜の10時になりました。下の荒い原稿を推敲加筆していきます。

 すみません。義務としては、前報の続きを書くべきです。しかし、あれは、ものすごい体力と時間が必要なもので、今日は、それが、ありません。で、独立していて、かつ、短くかけるものを書きます。

 と、言いながら、またまた、これはこれで、長くなりそうです。ICUにおける新左翼の学生運動にまで、入っていきますので。(苦笑)

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副題1、『2017年、海老蔵の源氏物語で、何らかの語彙が、音便なしで、発言され、大きな違和感を持った』

 国語の時間に高校時代、おんびんというものを習いました。

 これが、あっちこっちで、消えています。

 幾度か、劇的に気が付いた時があって、2017年の、歌舞伎座、海老蔵主演の、源氏ものがたり内でも、ありました。すでに、五年が過ぎているので、何が問題だったかは、忘れました。だが、ひどいなあと、思ったものです。

 正確には、その言葉を今は、覚えていませんが、なにかの、ことばのおんびん(読み方・・・・ひらがな表記とはすこし違うが、流れる様な発音が、でき平安時代の、貴族社会では、絶対にその読み方で、人々は、発音をしていた筈で、光源氏は、そっちの発音を使ったはずなのです。戦後も、1960年代は、それが、ふみよみの間では、普通だったはずの発音様式・・・・・・が、今、消えているのです。・・・・・

 たくさんの例があります。

 が、順不同にあげると、先週あたりから、NHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】に、のちに、実朝を暗殺する頼家の遺児(=甥)が登場します。最初は幼名で、登場し、大人になってから、京都から鎌倉へ帰って来て、俳優が変わります。そして、頭は、僧形で登場し、漢字での、名前が、公暁となっています。

 それを、NHKは、【こうぎょう】と発音をしました。

 ものすごい違和感です。わたくしは、横浜市立日吉台小学校卒ですが、横浜北部にある、そこから、バスに乗って、遠足に、鎌倉に来たものです。二回来ました。で、もちろん、1953年か、1954年に鶴岡八幡宮の大イチョウを見ているわけで、その陰から、【くぎょう】が、表れて、実朝を暗殺したと、教わりました。子供たち相手ですから、公暁が、頼家の遺児で、実朝にとっては、甥にあたるとは、説明を受けていません。

 しかし、不思議な名前だと、思い記憶に残りました。どうして不思議だったかというと、いにしえの人、特に、男性は、たいてい、何々親王、とか、何々大臣とか、何々の守、とか、何々の輔〈または、助、介)と、呼ばれます。そういう敬称がついていない場合でも、藤原道長とか、平重盛とか、源実朝という風に、苗字とともに、呼ばれるのに、どうして、公暁には、苗字がないのか? そこが、不思議極まりなかったからです。

 まあ、今となっては、判ります。同じ源姓だったのだが、親戚同士で、暗殺しあったので、加害者の方に源の姓をつけないという仕組みなのでしょう。だが、来る10月31日に、どういう風にNHK大河ドラマが、描き出すのかはわかりませんが、公暁も、実は、被害者の一人なのですよね。犯罪において、加害者は、事件直前までは、被害者であったケースが多いという典型です。

 この名前に普通の場合は、発音は、【くぎょう】と振ります。それで、70年間私は生きて来たのに、急に【こうぎょう】と言われて違和感がいっぱいです。

 わたくしがこの時点で、抗議をしてしまうと、ほかの人(メディアに乗っている有名人)が何も言わなくなるでしょう。それが、残念です。が、これは、言わないといけない問題だと、思います。では、なぜ、そうなるのか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私は三谷幸喜氏が嫌いである。だからこそ、彼はもてはやされている。それは、内館牧子、林真理子、福岡伸一などに露骨に表れてきていることだが、オール三谷幸喜大喝采というのも、その一つで、私が、彼を嫌いであると同時に、音便の減少を悲しんでいることがあり、それが、重複して、この実朝暗殺者を、・・・・コウギョウ・・・・・と、発音をさせることになったのだと、思いいたっている』

 三谷氏が最初に結婚をしていた相手は、有名な女優さんです。派手ではないし、フェロモン横溢とも言えないが、実力が高い女優さんで、三谷氏は、この女性(いわゆる糟糠の妻)に、相当な恩恵を受けている筈なのです。

 しかし、今、はやっている階級分析書(多分、上級国民、下級国民だったと思うが)、の中に、日本は、実質的な、一夫多妻国家であると、言う、文言があったのですが、それの典型なのです。

 三谷氏が、まだ、成功をしていない時期に、前の奥さんに相当に、導いてもらった点があると思いますが、蓄財と、社会的地位などの、部分で、たまると、えらい男になります。そうなると、自分より年下で、前の奥さんが持っていなかったものを持っている女性が、欲しくなるのです。前の奥さんは、自分の仕事があるから、自分の方を、100%向いてくれているわけではありません。そうなると、専業主婦として、従ってくれる女性が、いいなあと、なるのです。

 私はこういう場合は、萬田久子さんのケースのように、後から、入ってきた女性を、実質婚の相手として、(まあ、お子さんができても、メディアは報道をしないと、言う形にして、)入籍結婚の方を切らなかった方がいいと思いますが、後の祭りです。前の奥様は、有名人だから、その名誉を守ることもできますしね。田中角栄家みたいな、方式の方がよかったと、思うのです。

 これが、田中角栄みたいな人が、そうしたのだったら、まだ、許せるのですが、三谷氏は、一応インテリを標榜している人でしょう? それに顔は、まるでサラリーマンではないですか❓ だから、余計に許せないと、言う感じです。

 日本社会って、サラリーマンが大半を占める社会です。そして、サラリーマンとは、収入とか時間に縛られている人種です。そういう不自由さを我慢をして、お昼も500円で我慢をしているのに対して、道徳的悪い見本となるのですね。それにね。東出昌弘君は、大たたきに出会い、今は山中で、獣を撃って、自炊生活をしているそうです。三谷氏のやったことは、昌弘君と同じことなのです。しかし、一方は、大いに持ち上げられ、一方はいじめぬかれる。この差がどうして起きるかというと、すべて、CIA-じぇんとたちが、私のブログをどう使おうかと、判断をした結果です。

 で、彼ら、かまくらエージェント(特に伊藤玄二郎と、井上ひさし)にとっては、得難い対・私用、攻撃弾と三谷氏が、なったわけなので、

 私が、並行的に、嫌がっている、音便が減少しているという現象を、三谷氏にも、追跡させ、大河ドラマの中で、実行をさせたのでしょう。それが、こうぎょうという・・・伝統を無視した呼び方に現れた・・・のです。この推察は、絶対に当たっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『しかし、皆さんは、公家(くげ)という言葉は、ご存じでしょう。しかし、最近では、そういえば聞きません。これは、くぎょう(=公暁)を、こうぎょうと読ませる前提なのでしょうか?』

 ところで、大河ドラマ【鎌倉殿の13人は、視聴率10%越えをキープしていて相変わらず、好調であると、言う記事がMSNというネットで、出ていました。私は、日曜日、家に居れば、見ます。主人がTVをつけて、これを見ていますので。

 我が家には、一台しかテレビが無くて、(一応古いテレビを二台目として一階で、見られる様に、コード類をそろえたのですが、実際には、見る事ができません。パソコンが壊されるのと同じ現象で、ハッカーに邪魔されているのです。で、テレビは、一台しか、見る事ができず)、それを主人がつけている限り、一緒に見ます。

 しかし、ファンではありません。大泉洋も、警察を賛美する映画、【アフタースクール】に主演をしていたので、好きではないし、・・・・ともかく、現代語で、セリフが放たれるのも、受容できない感じです。しかし、大量のセリフを発現(または、はつぴょう)できるので、そこは、利点であり、ドラマが複雑になっていく要素であり、そこにファンが付いているのは、認めます。

 私は過去に小栗旬という俳優を映像では、見たことが無いのです。ただ、彼の奥さんが、山田優であることは、知っていて、・・・・・かつ、山田優が、西原理恵子役をテレビドラマ内で、やったのを、2回ぐらいは、見ていて・・・・・山田優が、細い身体を自慢している、女優さんだという事も知っています。しかし、私の価値観としては、女性にとって、特に妻と女優、また、母を兼務する人にとって、スリムであることを最上段の、価値と、するのは、いかがなものか?と、疑問を持っています。まあ、優さんの実母が、大きく援助をしてくれているらしいし、お手伝いさんなども、雇っているでしょうから、動かなくても済むのでしょうが、それでも、疑問を持つ存在です。ただねえ、・・・・・一生懸命、子育てに、尽くしているのを、実家の隣だった時期があるので、私が知っていた手塚理美さんが、離婚に至ってしまって、・・・・・いかがなものか?と思う、小栗旬、山田優夫妻が安定している・・・・・のですから、何が、最上の価値感なのか? なかなか難しいところです。わからないものだと、言うのが妥当なところでしょう。

 ここで、公家という言葉に戻ります。くげとは、華族の中で、旧・京都・御所に参殿できた人を指します。明治政府から、公爵、侯爵、伯爵、男爵などの、位階を授けられたとしても、江戸時代まで、宮中に参殿していなかった人は、公家とは、呼びません。このくげの場合、くぎょうと、おなじく、公のぶぶんを・・ク・・と発音をします。これが、こうげとか、こういえと発音をされたら、なんとも気色が悪いのですが、くぎょうを、こうぎょうと、発音をするのには、それに等しい、違和感があります。

~~~~~~~~~~~~~~

副題4,『ここまで、意気揚々と論陣を張ってきた私だが、

 ここで、ふと、という感じで、とどまる必要性を感じた。それは、20年以上前の事だったが、川名昭宣君と電話を交わしていた際に、原質(げんち)という発音をすべきところを、

 非常に深い考えがあって、わざと、原質(げんしつ)と音便なしで、発言をしたのだった。

 それで、川名君に、注意をされてしまった。「間違っているよと。げんちだよ」と。

『あら、私は、それは無論知っているわよ。だけど、以下の三つの考え方があって、わざと、げんしつといったのよ」と抗議をしたかった。しかし、以下の三つの考え方が、あって、ぐっと、屈辱を飲み込んだ。私は、瞬時に頭が回る方だから、ちゃんとわかっていたが、黙っていたのだ。

 今は、それ以来、20年以上が経ていて、状況がひどく変わったので、真実を述べておきたい。でないと、このポイントが、

  ・・・・・・伊藤玄二郎と、井上ひさし(200年にNHKをハイジャックをして、自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ、生きていて、いろいろな謀略を案出している)の二人に、馬鹿にされ切ってしまい。その結果として、今から、この章内で、本当に、言いたいことが、言えなくなる可能性があるからでした。

 げんちを、原質と、私が発言をしたことが、くぎょうを、こうぎょうと、読ませることへつながったと、思うのですが、それを、「つっついて、おかしいじゃあないですか?」という事ができなくなるからです。それは、小さなことではありません。日本文化を破壊していくことにつながり、日本が文化面でもアメリカの被・植民地国家となることであり、インバウンド収入などやがて、期待できなくなる日につながる恐れがあるからです。

 さて、激しい屈辱に耐えて、川名君へ、「違うわ。あなたの判断は違うわよ」と言わなかったのには、三つの理由があります。それを、小さい方から上げて行きましょう。

 *1)、この電話を交換したのが、20年は前であり、私は、60代の前半であり川名君も、河出書房新社の・・現役・・編集者だった。だから、私は、河出で、自著が出版をされることを願っていた。で、「川名さん、あなた、考え違いをしているわ。わたくしは・・げんち・・と、言う音便を使った言い方はむろん知っています。でも、今、音便を減少させる方向が強いでしょう。固執も、・・こしつ・・と発言をしますね。あなたなど、文化の最先端の人だから、そういう流行に乗っているのかと思って、わざと、げんしつと、発音をしたのよ」などと、説明するのは、ご法度だった。

 *2)、次に長年の習慣として、私は喧嘩をしない主義の人間だったことも大きい。私は、自分で納得をしたうえで、石渡先生の教えに従って、他人より下手に出ることにした。小学校三年の転校以来である。先生は、母を呼んで「お嬢さんは、お成績がいい事に、慢心をしていて、いい加減に事を済ませ、手を抜くことがあります。でも、横浜市立日吉台小学校は、ここ(船橋市立塚田小学校)とは、レベルが違います。今のままの調子でいくと、とても、悲しい思いをするでしょう。よく注意をしてあげてくださいね」とおっしゃったそうだ。今は、船橋市立の小学校も、レベルが、とても高いそうだ。通勤時間を問えば、横浜より、東京に近いから、そうなると思うが、1940年代は、田舎だった。学卒サラリーマンのお子さんなど、私の他には、居なかったのだ。だから、勉強しなさいと言われたことなどなかったけれど、ずっとトップだたらしい。それで、威張っていたらしいのだ。(苦笑)

 *3)、実は、この時の電話の主な要件とは、川名君に、「伊藤玄二郎と親しいでしょう」と、ストレートに問い合わせることだった。

 それを、本当に、ストレートに、聞くと、「どうして?(そう思うんだ) 親しくないよ。だってあそこって、タウン誌主体の地方出版社ではないの?」と、彼は答えた。

 私は、その時点で、それこそ、言質をとったと思った。本当に、交流が無かったら、他人の経営する同業他社をけなすのは、無礼であり、かつ危険なことだから、こういう文言が出るはずはない。だけど、親しいのが、本当だから、かえって、低めの評価を与えるという形で、嘘をついたのだった。
 だって、私が銀座の画廊のどこか、例えば、(特に伊藤玄二郎と、交流がある)柴田悦子画廊で、「河出の編集者の、一人って、かまくら春秋社を軽蔑していたわよ」と、言い出すかもしれないではないか? そしたら、大きな噂、特に悪いうわさが飛び交う。だからこういう言い方は、ご法度だ。で、親しいからこそ、わざと伊藤玄二郎の会社、かまくら春秋社を、小さめで、低めに評価して語ったのだ。
 この時の会話で、言質が出たわけなのだけれど、「川名さん、あなたの今の言葉で、言質をとったわよ」と、私が言ったとは思えない。どういう文脈で、それが出て来たかは、覚えていないが、ともかく、川名君に、電話線を通じて、・・・・・げんちを、げんしつと、間違えて、発音をしたと、信じ込まれて、軽蔑をされまくった。

(ここで、橋本徹当時の大阪府知事が、どうしてか、大阪市立図書館で、私が、訪問している夕方、講演会を開いていたという地方ニュースを見たことなどが、伊藤玄二郎が、高野悦子さんと共著、もしくは、自分一人で、【びょんぶ】という豪華本を出し、それの編集者が、川名君である可能性を、私に感じさせているのです。その謝礼は、300万円で、あり、川名君は、それを使って旧満州に調査旅行に出かけたのではないかなあ。臨時収入だから。それは、奥付けを見たらわかるのですが、東京の図書館=国会図書館にもそれが無いし、大阪や、金沢の図書館にもそれが無いのでした。伊藤玄二郎は、2011年ごろのwikipedia では、その本が、源泉となって、ポルトガル国のエンリケ航海王子勲章をもらったと、書いて居ます。しかし、その本の実物がどこにもないのです。これは、川名君をかばうための措置でしょう。きっと。)

@@@@@@@@ここが加筆中の最先端で、以下はメモです。今は、すでに、午前二時なので、ここで、加筆推敲を、中断をいたします。

 今、消えつつある音便を残念だと、言う論調を張ろうと思っていました。

 しかし、18年か、20年以上前に、河出書房新社の編集者、川名昭宣君(1062年入学、国際キリスト教大学同期)と、夜、電話を交わしていた際に、

 原質と、言う言葉が、問題になったのです。

 これを音便で、げんちと、読むことは、むろん知っています。

 でもね、ここ15年ごろ、音便が消える現象を各処で、見つけていて、それを私は井上ひさしが主導して、あれこれが動いて、実行をされているものだと見ています。

 しかし、げんちを、わたくしは、そのばん、わざと、(げんしつ)と発言をしました。

 どうしてかというと、川名君は、群よう子とか、須賀敦子を担当する有名な、編集者ですが、伊藤玄二郎と、親しいと、見ています。同じ年1967年かな? 入社しています。ただ、もし、川名君がフランス留学を経て、二年か、三年のちの、1969年に入社したのだったら、二人は、知遇はあるものの、同じ編集室で、仕事をすると、言う形は、取らなかったと、見ています。

 ところで、総タイトルには、三人だけを挙げていますが、

 ここに、もう一人、三輪喜久代さんというのがからんできます。

 でね、ともかく、川名君とは、東大教授の任命権も握っているし、学芸大学教授の任命権も握っているし、

 ビートたけしの、ドゴール勲章受章の、推薦兼や、カンヌ映画祭での、受賞兼も握っているでしょう。おおものCIAエージェントです。

 ただし、態度の上で、たいへん野蛮です。私に投げつける言葉も、ひどいものですし、

 私の手のひらを、イタリアンレストランのテーブルに押し付け、固定して、手のひらの方を、ちびりちびりと、爪で、数十回、つねり上げました。大学時代は、一度も、同じ教室で、講義を受けたことがありません。それなのに、私の手を手首のところで、触って固定するなんて、例後知らずもいいところだけど、さらに驚いたのは、つねり上げたことです。数十回。

 もう一度繰り返しますが、肌を接触してもいい関係ではないのです。1962年から、1966年の間、キャンパス内で、すれ違ったときに、言葉を交わした覚えもありません。でも、なんで、人の腕を固定して、逃げられない様にして、痛みを、数十回与えるのですか? 

 しかも、外れたテーブルでそれをして、ほかの出席者が、気が付かない様に手配をしたうえで、ちびりちびりと、痛めつけましたね。ずるい、こと、ずるいこと。

 ここには、国際基督教大学が、1967年に大きく評価を落とした・学生運動と、入試が、つぶれた話という、大問題を書かないといけないのです。すでに、書いているので、リンク先を見つけたいのですが、探している時間がないので、概要だけを申し上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 1966年から、1967年にかけて、ICU内に新左翼系の学生運動が起きた。首謀者は、三人で、トップは、入江多喜男君、追従するというか、彼をサポートしたのが、朝日新聞社記者(ただし、二代目でもある)渡辺君と、のちにTBS記者となる秋山豊寛氏です。筑紫哲也や、、立花隆と仲良しな、秋山氏は、父親が東大教授なので、渡辺君と同じく、学生運動で、どれほどはしゃいでも、大手企業に、就職することは可能だったのです。

 しかし、入江多喜男君は、親がお寺さんだから、コネは、無かったのです。

 でもね。秋山祐徳大使子が、それを、自著【ブリキ男】に書いていますが、ああいう運動の内部って、フリーセックスの横溢、紊乱極まりない世界らしいです。それは、後年、連合赤軍事件浅間山山中リンチ事件で、証明されていきます。

 ICUでも、似た様なことは起こり、学生運動のリーダーはそれぞれ、お育ちもよく、才能あふれる女性と結婚をしました。そして、一方で、言論によるリンチですが、S君という日比谷高校卒の学生を、講堂内で、500人程度で、つるし上げ、彼を、千鳥ヶ淵で、飛び込み自殺に追い込んだそうです。ただ、どうしてか、救われて、精神病院で、10日間、強制的に眠らされて、普通の人間として、復活をしたそうです。

 私は、そのリンチ場面を見ていないのです。すでに、1966年三月に卒業した後でのことですから。しかし、36年後、逗子で、一人暮らしをしているときに、電話で、知らされました。逗子では、海外へ、自由行くための基地としての、一人暮らしなの・・・・・(家族が海外行きを反対をするので、やむを得ず、一人暮らしをしていた。その時期に、ありとあらゆることを修行し、力をつけたと思う)・・・・・・で、長電話をするのが可能だったのです。人生において、これは、不思議だなあと、思うことを当事者に電話で、聞いて回りました。そして、テリーというこれまた、大問題の人から、そのリンチ事件を知らされたのですが、私は、入江君と、渡辺君には復讐をしようと考えました。

 そこへもってきて川名君主催の、大パーティが開かれると、言う知らせ(多分1998年の初頭)が入り、ここは、入江君に、復讐するチャンスだと、考えました。かれこそ、ICU失墜の原因=入試をさせないという学生運動を行った=を作った人間です、し、S君を危うく自殺に追い込もうとした人間です。

 それで、1967年か、1968年に、入江多喜男君は放校されて、中退のはずですが、それを、復活させたのが、川名君です。驚くべき恣意的権力の行使ですが、川名君が、どういう方法で、、また、どういう資格を持っているから、それを実行して、入江君復活祝賀パーティを大々的に、ICU食堂を使ってを下に置くのだから、あれね。どうして可能だったのだろう。当時の学長は、大口先生で、大口先生は、すでに、1965年には、助教授に就任をなさっていたから、入江君が築いたバリケードなどで、1967年度は、入試が、できなかったことは、ご存じですよね。別の大学を借りて、そちらで入試を行えばよかったのですが、その大失墜の原因を作ったのが、入江君ですよ。

 私は三度ほど、入江君に電話をかけています。しかし、その中では、入江君の責任を問う発言はしていませんよ。全くしていません。

 私は入江君への叱責を、あなたが、主催した大パーティで、行いました。マイクを使って、司会者の紹介の下で、カルメンから、【ハバネラ】を、歌いました。

 それが、・・・・・私が、真に、大物だと、入江君に知らせるツールだったのです。入江君は、実は、1962年にひそかに、私を発見していました。すごい、大物だと、すでに、そのころには、知っていたのです。そこの事情は、すでに書いているのです。しかし、これまた、リンク先を見つけることを時間が足りないので、いたしませんが、私は、知る人ぞ知る、大物なのです。(あなたは、信じないですか? じゃあ、そのまま、馬鹿に仕切っていてください。だけど、神様へは、ご報告をいたしましたよ)

・・・・・それを知っている筈だと、私が、みなしている、入江君に向けて、soudesu.、彼だけをターゲットにして、(ただし

本当はそうなのですが、カモフラージュのために、多士済々の、ICU1962年入学組に向けて、アカペラで、歌詞もついていないのですが、堂々たる(もしくは、プロのクラシック歌手より、高い)表現力を、持って歌いました。その時のことを一本ブログに書いているので、

 その15年後に、私は、歌を使って、中島可奈子、宇都宮和代、坂本きっこ、栗田玲子、伊藤玄二郎、井上ひさしが、組んだ、豆腐屋うかいでの、復讐をされることになるのだが・・・・・CIA連中は、家来を大勢使う事。それって、ずるいやり方ですよね。わたくしは、何でも一人で、戦いますが? 

(詳しくは、蛇足へ向かう)

その後、入江君は、溝にはまって亡くなったと、聞いています。茨城県には、田んぼがあり、水路があるのでしょう。そこに落ちて、亡くなったと聞いています。入江君のその死を自殺だと、川名君は、考えていて、それは、私のせいだと、考えて、いて、手のひらを、ちびりちびりと、つねり上げましたか? まあ、そうだと推察しますが、それでも、私は、ただ、ハバネラを歌った以外、入江君への電話はすべて、後妻さんとの会話でしたよ。電話内で、

 また、河出書房新社の玄関で、ほかの人がいるのにも関わらず、「あんた、まだ、離婚をしていなかったの_」との賜ったのは、なぜですか、一種のセクハラ、とか、パワハラだと自覚できません? もしできなかったら、大バカさんだと、私は、あなたを規定しますよ。

 イタリアンレストランで、ほかの出席者に隠れて、私の腕を固定し(彼は、体格だけは、大柄で、日本版トランプといったところです。)手のひらを上に向けさせて、ほかの人にわからない様に、私が叫び声をあげる直前の、痛さで、

 

 あまりの驚きに声も出ませんでした。離れたテーブルだったので、ほかの出席者は、気が付かなかった模様です。

 本当に驚いたので、その日、私はスカーフを忘れて帰宅し、幹事である、古村浩三君の奥様へ電話を掛けました。私はスマホを契約していますが、傾向をしない主義の人なのです。だから、旦那さんの方の形態ではなくて、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 前報に述べた、杉本俊一、正子夫妻、仲野通巳吉・・・・・・

 前田祝一・清子夫妻、白井達雄・小野寺夫人夫妻、安野忠一・智紗夫妻・・・・・

と、並ぶレベルで、CIAエージェントとして、私を苦しめている存在です。

 ただ、まだ、あまり取り上げていないのは、彼は、中枢中の中枢だからです。で、周辺から攻めていきたいと思っているから、あとに残してあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私は( げんち )という発音を、しっかりと、知ってはいました。しかし、音便が殺されて行っている現状が、井上ひさし発であると、見ている私は、川名君が、そういう方向を、伊藤玄二郎を通じて聞かされていて、

 音便・・・・を、消す方の推奨派ではないか?・・・・・と、推察しました。で、わざと、げんしつとはつおんをしたのです。

 この人は、本日ではなくて、将来、とことん、分析いたします。今は、伊藤玄二郎の周辺の人物として、彼にとっては、大切な人であろう、

亀田たか子さんをちらっと、分析し始めたところですが、横須賀・北久里浜、鎌倉雪の下、などの住民の分析が終わったら、多摩川の、南北に住む住民(もちろんCIA要員で、私を苦しめた人たち)の分析に入ります。

 私はいつも、100%うらがわかっていますよと、言っていますね。その通りです。だが、人間ですから、入力する字数に限りがあるので、一遍に全部が書けないだけです。

 では、  雨宮舜 (本名 川崎千恵子)

 なお、未完ですが、午前二時になったので、ここで、失礼をいたします。

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神戸家裁のデータ消去と、私が22-10-25 4:20に脅かされた件は、水道山をめぐる地積変更届け=実質的な詐欺=で、直結をしている7

2022-10-25 07:39:58 | 政治

  この文章は、午後5時まで、総タイトルを【稲田夫人への手紙・・・北久里浜でね。また、気圧の差を利用した脅かしを受け、それを、稲田夫人に説明をする必要が出てきた】としておりました・しかし、午後5時10分に、上の物へと変更しました。つまり、この章で登場する、杉本俊一・正子夫妻は、横須賀市の水道山が、ある個人に無償で手渡った、実質的大詐欺事件=地積変更届=で、横須賀市側の人間(当時土木課長)として、看過した、ひとなのです。無責任というのには、程遠いほどの、違いがあると言う夫妻です。

 そして、仲野通巳吉というのは、1200坪を只で、手中にした大建産業(益山重夫・智恵子夫妻、+ 瀬島龍三)側の人間です。今、そこにはルネ北久里浜と、言う大マンションが建っていて、すでに、事件は、空中に消えています。でも、私が真実を知っているからこそ、激しい弾圧を受けているのです。

 神戸の少年Aの事件とは、横須賀市の水道山に、人間がだれも立ち入らない様にするために、脅かしの意味で、別の都市で、実行されたCIA(瀬島龍三)の大犯罪です。たどたどしい文字で、書かれた酒鬼薔薇聖斗の声明文とは、もちろん別人が描いたのです。殺人も、今朝4時に、私を脅かしたあの組織が、からんでいて、少年Aは、ただ、犯人役を引き受けただけの可能性があります。中学生にして、そういう役目を引き受けたのだから、もしかすると、超が付くほど、頭が良い可能性があります。

 この件に関連する人間で、1978年当時、50代以上だった人間は、みんな死に絶え、当時30代とか、40代だった人間が生きていて、私をひどいやり方で、弾圧して来るというわけです。それが、この章の裏にある真実です。

副題〇、『まだ、未完ですが、富沢家の水道を利用した罠に、この2022年10月6日に危うく、引っかかりそうになったと、言う話を公開しています。後注1へ』

 すると、今度は、北久里浜で、同じく、気圧の差を利用した、非常に過激な罠が、用意されていました。こちらは、午前四時という真夜中の脅かしであり、あまりに脅かしのレベルが深いです。

 富沢家の方は、岩本工務店という水道屋と、花輪夫人が、富沢夫人に協力して、表に出て来て肉声で、あれこれを説明しました。もちろん、彼女たちが、自分で考えだしたことではなくて、裏に伊藤玄二郎と、鎌倉市長が、隠れていることは確かですが、午前九時から、午前11時の間に起きた出来事で、しかも、登場人物は、すべて、肉声で、わなを説明しました。

 私がその手の罠になんか、引っかかるはずもないのに、堂々と、あたかも自分が正しい事を言っているみたいに、肉声で、嘘を説明をしました。その全体像は、ともかく、笑うしかないというほどに、滑稽なものでした。

 しかし、2022年10月25日の早朝に行われた脅かしを含む罠は、相当に陰惨でありました。その人間たち、(=侵入者たち)は、姿も現さず、かつ、声も出しませんでした。しかし、北久里浜の駅の天井灯の、すす払いをしていた、警官が偽装しているらしい、掃除人が、その四時間後に、命令された通りに動いたと、見るのも正しい事であろうと、思います。

 つまり今回は、謀略のプロが動いたという形です。

 常に語っていますね。桜田門で動くホワイトカラーとしての、CIA要員(大卒エリートの警察庁若手)の下に、現場で、命令通り、動く、ブルーカラーとしての警官がいるのです。

 しかし、彼らのやったことがあまりにもえげつないので、普通だったら、公開するブログでは、書かない話です。

 しかも、私は、前報(後注2)に、大きな自信があります。それを、五日間ぐらいさらしたいぐらいです。新しいものを書きたくないほどです。しかし、恐ろしいことが起きました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ちょっと、一般公開用のブログでは、書けないほどの、恐ろしい話なのだが、ここで、格好の媒体ができた。稲田恭子夫人という一般人である』

 彼女に、22-10-24の、夜の、八時半ごろ、(川崎さんは、そういうけれど)、「どうして、電話が盗聴されているという事が、あなたにわかるの?」と質問をされました。それに対して、私は、「今は、説明できない」と、言いました。お互いの会話は電話で、行われていました。彼女の方は固定電話ですが、こっちは携帯です。だから、長い話では、途中で電源が切れる可能性があります。でね、「後で、手紙を出します」と言っておきました。

 以下がその手紙です。徹夜明けのまま、午前六時から、今まで、六時間をかけて書いた部分を公開いたします。

 でね、内容は、個人的なものではなくて、ごくごく政治的なものです。だから、このブログで、公開するのにあたって適切です。

 それに、輪をかけた、他の理由もあります。

*イ)、徹夜明けの、ものすごい苦しさの中で、書いても、稲田夫人は、読まないで捨ててしまうでしょう。彼女はそういう人なのです。文書を書く苦労など、まったく知らない人で、しかも、私を尊重してくれていないので、必ず捨てるでしょう。だから、公開をした方がいいのです。

*ロ)、こんな複雑な話は、とてもではないが、手書きはできない。手書きなどで、始めたら、私がエネルギーを消耗し尽くして、死んでしまうだろう。だから、稲田夫人を尊敬するのだったら、丁寧に、説明すべきで、それなら、パソコンで、書くほかはない。

 しかし、パソコンで書く限り、瞬間的にハッキングを受け、後々に多大な、復讐を受ける。だから、指針であったとしても、公開をした方がいいのだ。それに、盗聴をされているという事が、どうして、私にわかるかという事は、一般人向けにも語りたいことでもあるからだ。

 で、以下に、稲田恭子さまという手紙をさらします。

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稲田恭子さま

 

%―%―%―* 第一節 *―%―%―%

*1) 

 2022-10-24 20:40分ごろ、あなたから、「どうして電話が盗聴されているのがわかるの?」と、言う質問をいただきました。それに対して、説明するのが、大変なので、「後で、手紙を書きます」と、申し上げました。これは、その目的のための文書です。

 

 あの時の電話ですが、私としては、計画をしていたものではなくて、ふとという感じで、掛けたものです。スマホには、あなたの、固定電話の番号は保存してありません。でね。記憶を頼りに番号を入れたらあっていたので、こっちがびっくりです。よく使っていた1984年いらい、3年ぶりですよ。

 しかし、呼び出し音が、二通話もしないうちに、あなたが、受話機をとって、応対をなさったので、その時点で、杉本夫人の影を感じて、『おお、いやな感じだなあ。今日の電話は、目的を達成できないだろう』と覚悟をいたしました。

 私の当初の目的とはこういうものでした。昔、お友達と一緒にマンション傍の通路で、まっていらして、「佐久間さん、亡くなったのよ。知っている?」と、言う会話が交わされたときに、「どうして、ここにいるの?」と、びっくりして、問うと、夜ランニングをしているとのことでした。しかし、それは、性格にはお散歩、または、ウォーキングだったらしいですね。

 さて、それと同時に、あなたは、その時(=22-10-24の夜)には、否定をなさったが、昔「川崎さん、あなたのおうちって、ごみ屋敷として、有名よ」と、確かにおっしゃったのです。

それで、私はびっくりして、見に行ったし、ご近所様にも、そういう噂があるかを問い合わせて歩きました。それをすでにブログに書いて居るので、昨日否定をなさっても、将来法廷闘争になった時には、それを使います。

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*2)

 さて杉本正子さんの影を感じた・・・・・というのは、こういうポイントからです。まず、呼び出したった2音で、あなたが、受話器をとったという事がポイントです。普通、夜に、(相手の電話番号を)知らない人から電話がかかってきたら、出ないものですよ。液晶画面に浮かんだ、電話番号を見て、そう判断をします。すぐ、留守電にしておいて、相手の話を聞きます。

 杉本正子さんは、それこそ、警察から、常に、私の動向については、連絡をもらっている人で、尾行なのか、電話(主人と北久里浜駅で交わしている)の盗聴なのかは、知りませんが、私があの日、北久里浜に向かい、泊まることを知っていたのです。

 だから、あなたに、「夜の八時過ぎには、彼女から、電話がかかってくるはずで、それには、出なさいね。もし、電話にでないと、それだけで、あれこれ、ブログに悪く書かれてしまうわ。特に、私の支配下に、あなたが、下っていて、命令を受けて、行動をしていると、書かれてしまうわ。それは、二人にとって、とてもそんなことだから、電話には出なさいね。でもね。同時に、携帯は、開けておいて、私が、ショートメールで、随時、注意すべき点を教えるから、それに従ってね」と命令を下していたでしょう。

 私は、瞬時にそれがわかるから、最初から、気分が悪くて、非常に気色張った対応となりました。私とあなたの間では、非常に珍しい事です。

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*3)

 あなたは、いつも、私に対しては高飛車に出て来ていました。それが、どういう理由からそう成っているかですが、ふたつ理由があるとおもいます。

 一つには、だれか(例えば、貝塚やすさん)から、私に関する悪い噂を聞いていた・・・・・という可能性。

 二つ目は、あなたが、お金持ち(だけど、官僚などではない。むろんサラリーマンではない)家の末っ子で、甘やかされ切ってきたお子さんで、広い世界を知らないという事。

 私の方は江戸時代から、サラリーマンです。長州藩の上級士族です。あまり、自慢をしたことはないけれど、叔母は、ご家老様の娘です。一時期(=戦中戦後)は、萩の三名家の一つと言われていました。

 母方の祖父は、旧制柳井商業の校長を40年間もやりました。

 ともかく、私の実家の気風として、「上には上があるのですよ」というもので、絶対に人に対しては威張らない家です。そして、中学(横浜国立大学付属)は、1950年代は、横浜一の名門でした。高校はお茶大付属で、これまた、1950年代は、桜陰より上の評価の有るところでした。

大学は、当時の東大学生新聞が、「東大に入るよりも、ICUに入る方が難しい」と書いたほど、人気の高い学園でした。今は、小室さん騒動他で、人気が、おちていますけれど。こういうことを書いても、例のごとく、高飛車な、あなたは、そんなことは、聞きたくないとおっしゃるでしょう。でもね。私は神様に向けて書いて居るので、引き続き、書き続けます。

:::+*+::::@ +*+@:::+*+:::@ +*+@:::+*+:::@ +*+@:::+*+:::

*4)

普段は、そういう私ですが、24日のよるは、気色ばっているので、相当に語調が強かったと思っています。そして、普段は慎重な私が、パきパきとした、言い方を運びました。

 本当はもっと穏やかな感じで、「ぜひ、ウォーキングの途中で、我が家によってほしい」と、言いたかったのです。

 あなたは、常に高飛車だったので、自分が上だとか、素敵だと、認めている二宮さんのお宅は、訪問をしたことがあると思いますが、我が家は、絶対に訪問をされなかったでしょう。一回もね。でもね。私があなたを友達として選んだのは、美的センスが高いと思ったからですよ。それなのに、・・・・・美的センスが、これまた、高い我が家を見てもらったことがない・・・・・と、言うのは、私にとっては、嫌なことだったのです。いよいよ貸す予定で、主人もあそこを老人ホーム扱いにするのはやめようと言っているので、もう、80過ぎの私は、あなたをお招きするチャンスがないわけで、ごく自然な発想として、お招きをしたかったのです。

で、それを話そうと思っているのに、慎重さを書いたので、「電話が盗聴されているので」という言葉が出ました。

 それは、あなたの、態度の陰に杉本正子さんがいると、言う点も、大いなる影響を与えました。彼女が、携帯で、あなたを教唆支配しているというのも、盗聴の証拠の一つです。が、それを電話の中で言ったとしても、あなたがそばに置いている、携帯内で、ショートメールで、杉本正子さんが、すぐ、「何を言っているのよ?って、彼女を叱りなさい」と、言うと思ったので、「後から手紙を送ります」と、言いました。そして、今、その手紙を書いて居るところです。

 

%―%―%―* 第二節 *―%―%―%

*5)

 さて、あなたは、「盗聴なんて怖い」と、おっしゃいましたね。しかし、あの電話交換の、7時間後の午前4時から、もっともっと恐ろしいことが起きました。

 ところで、それを説明する前に、お問い合わせをいたしますが、お宅のご主人さまって、理系の学部を専攻して、ご卒業ではないですか? ご長男に「〇〇工大がいいよ」とお勧めになったのは、ご主人様だったのではないですか? 普通の人は、横須賀に住んでいたら、〇〇工大は、距離的に離れすぎているので、その大学には、気が付かないと思います。

 で、実は、私も化学屋です。でね、今から、語る現象を見ても、驚かされませんでした。特に脅かされるという事はありませんでした。

 とても、ユニークなことなので、きれいに丁寧に説明をさせてくださいませ。あなたが読まなくても、神様が、読んでくださるので、それで、いいのです。

 午前四時二十分ごろから、居間のドア(特にトイレに向かうほうの、ドア)が、音もなく、開閉をし始めました。5cmぐらい開き、五秒ぐらいそのまま、止まって居ます。次に今度は音もなく閉まります。音を立てないので、最初は、気が付かなかったのですが、10回ぐらい繰り返されたので、とうとう、気が付きました。

 私は、北久里浜の家で、この同じ居間の南側の掃き出し窓のガラスを、割られた過去があります。その時は、夫婦ともに不在でした。

 あとで、その割られたガラスの写真、及び、我が家の平面図を別添文書として添えます。

 が、そういう過去があるので、北久里浜で、夜を過ごすときは、全館煌々と、電気をともしています。でね、廊下側が明るいので、人間がそこにはいないという事は明瞭に分かりました。人間がいないのに、ドアが、自然に五秒ごとに開閉する。これって、怖くありませんか? 

 あなたは、手芸とか、手仕事においては上級者です。でも、人間の手によらないで、ドアが、自然に開閉したら、怖いとお思いになるはずです。

 でもね、私は怖がりませんでした。温められた空気は軽くなり、より、冷たい空気との間に、気圧差が起きることを利用した手品みたいな、脅かしです。台風の原理とも同じです。

 つまり、そのドアから北へ向かって、一間ほど進むと、今度は、廊下は、ひがしへむかいます。そして、二間半ほど進むと玄関につき当たります。その玄関ドアを、五秒程度、音もなく開けます。そして、今度は音もなく閉めます。すると、上にあげた怪奇現象が起きます。

 ご主人にこの部分をお示しください。

 あなたは、この時間帯には、すやすやとベッドでお休みになっていたでしょう。しかし、あの日は、異様に寒かったのです。で、私は、ニクロム線のストーブを、800wにして、部屋を午前一時から、午前四時まで、温めていたのでした。居間は東西に細長い9畳です。北に三畳の台所が、仕切りドアの無い形で、控えています。だから、全体で、12畳ですが、それを三時間、ガンガンに温めていたのです。だから、玄関ドアを開けると、手品みたいに、居間のドアが、開閉したのでした。

 だけど、不思議ですね。だって、そのドアも、東側の部屋に出るドアも、両方とも、ピシッと、閉めていたのです。
 これが、どうして、鍵穴から離れていて、ただの気圧差を利用して開閉することができたかは、次の節で、語ります。

:::+*+::::@ +*+@:::+*+:::@ +*+@:::+*+:::@ +*+@:::+*+:::

*6)、

 しかし、もっと怖い事が起こりました。時間的に言うと、その手品みたいな開閉の前と、後でです。今度は、音を使った脅かしに出会ったのです。その方が、恐ろしかったです。

 詳しく語ります。私は居間の掃き出し窓を背にして、その、昔割られたガラスから、たった、20cmほど離れた位置で、籐椅子に座って、お茶を飲んでいました。午前四時まで、前報を夢中で推敲をしていたので、その間、居間のドアが、ひそかに、鍵を外されていた事には気が付きませんでした。そして、急に気が付いたときには、庭をどたどたと歩く足音と、二階を歩き回る足音がしていて、既に侵入をされている事に気が付いたのです。チェーンを外せる道具を彼らは持っているみたいです。最高の技術を持っているのです。一般人は買えない道具をすでに持っているのです。

 侵入者は、既に、二階にまで、上がっていたのでした。二人組なら、簡単にできる事でしょう。ほんとうに風前の灯というほどに、危険な目に出会いました。

 でもね。叫んだりしませんでしたよ。又、主人にスマホで、助けを求めたりもしませんでした。もし午前4時半に叫んで、ご近所を起こしたと仮定します。彼ら侵入者は、プロですから、瞬時に逃げる様に訓練をされているでしょう。すると、私がご近所迷惑な変人という事になってしまいます。

 こういう脅かしをする人間が、杉本正夫子夫人のため、もしくは俊一氏の為、または、仲野通巳吉のために、それを、やって居るのだと、はっきりとわかっているから、だまっておちついていました。

 それは、判っていても、私は、南側のはきだしまどから、たった、20cmしか離れていないところに置いてある、籐椅子に座っていました。その掃き出し窓は、過去に割られたことがあるのです。その時と同じことが再現されたら、それは、怖いです。しかも背中を窓に向けているので、背中って弱いですからね。胸側なら両手で、防衛をできますが。

 なお、この手紙は、さらに続き、第七節まで、書くつもりです。しかし、本日はすでに、26時間置き続けているので、ここで終わりとさせてくださいませ。

後注1,

花輪夫人と富沢夫人から始まり、岩本工務店が主役のいじめ用罠は、実際は鎌倉市長発で裏に伊藤玄二郎が居てね△   2022-10-19 07:52:38 | 政治

後注2,

映画アマデウスに疑問が生じていて、それを発表しようと決意したこの一週間でした△△    2022-10-24 06:04:26 | 政治

 

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映画アマデウスに疑問が生じていて、それを発表しようと決意したこの一週間でした△△

2022-10-24 06:04:26 | 政治

 24日の夜に大量に加筆をしています。で、総タイトル横に修正済みで、完成しているというしるしの恒例の、△を、つけておきます。あのね、この文章は一見すると軽いです。しかし、何本もアカデミー賞を取った大作映画を批判的に分析するのですから、私の負担は、大きいですよ。それで、大仕事をしたという感じを今=22-10-24の 23:38、は、抱いています。なお、二十五日の早朝に、有料が、優良と誤変換されて居るのを見つけて、更に直しインファンについても加筆をしたし、ケルビーノの股間の膨らみにも、言及したので、三角をもう一つ付けて置きます。

  モーツァルトって、非常に、真面目で、かつ、革命的な、事を、主張するのに当たって、喜劇の形で、カモフラージュをしたのですね。今北久里浜にいて、テザリングが効かず、散々な苦労をさせられて居る私は、モーツァルトの工夫がよくわかるのです。ケルビーノの股間に、膨らみを入れた、現代の演出家とパリでそれを見た観客達は、そこをどうとらえて居るのだろう。

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  と言う挿入を3日目に入れて、初稿の冒頭に入ります。

 今(=22-10-23の夜)、映画アマデウスを、ググってみました。日本での公開は、1985年とあります。わたくしは渋谷の文化会館(屋上にプラネタリウムがあった。今はないビル)の一階で、見た記憶があります。

 ブロードウェイの、傑作ミュージカの映画化で、映画の方も傑作だとの評判が高いものです。

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*1)、私がモーツアルトに目覚めたのは、遅いです。1999年、ニューヨークでの版画修行中に、シティホール(メトロポリタンオペラハウスの隣にあり、入場料が、比較的安い、ところ)で、【魔笛】を見たときに、まず、夜の女王のアリアに驚かされたのです。それは、58歳でした。シューベルトの即興曲なんか、13歳の時に好きになって、それ以来、67年間も最大に好きな曲ですが、モーツァルトは、オペラが嫌いなのです。下らない筋だと、思いこんでいて、毛嫌いをしていたのです。だから、それ以外の分野も好きではありませんでした。

 しかし、80歳にもなると、いろいろ、社会的体験を積んでいるので、モーツァルトのオペラも許容ができます。それに、脚本の原作はモーツァルトではない物語ですから、モーツァルトの責任ではないわけです。

 映画アマデウスも見ました。しかし、曲はすべて細切れなので、音楽という側面では、それほどには、感銘を受けてはいません。

 ただ、1999年に舞台の上で、歌う、夜の女王のアリア・全曲を聞いたときは、なんとも驚かされました。

 音楽的に言うと、フィガロの結婚のコンテッサ(伯爵夫人)の二つのアリアの方が上等だと思います。しかし、夜の女王のアリアの、すごいところは、歌い手の限界を試す様なスピードで、メロディが飛躍し続けるところです。コロラチュラという分野のソプラノ用の、歌らしいのですが、ともかく、ものすごいスピードでメロディが動きます。もし、楽譜を見たら、8分音符か、16分音符の連続だろうと思います。

 私は素人なので、歌詞を覚えないし、一つの曲の最初から最後まで、全部をマスターは、していないのですが、24小節ぐらい覚えた曲は、数十曲、もしくは、数百曲あるでしょう。オペラアリアから、歌謡曲、映画音楽などです。日本の民謡、それから、義太夫とか、謡曲は、判りません。それ等は、音域が低いので、たとえ習っても歌えないでしょうし。

 で、自分でも歌うからこそ、夜の女王のアリアのすごさがわかります。で、それ以来、モーツァルトは、尊敬する対象となり、関心を持つ様になりました。天才と言われるが、それは、本当だと思っています。

 最初にモーツァルトを嫌いだと思ったのは、彼が作曲した、オペラの筋が、軽くて下品だと、思ったからです。特にだいたいの人生において、まじめだったからね。(苦笑)

 しかし、彼がフィガロの結婚を作曲した時期に、伯爵(日本でいえばお殿様)の処女権行使を、オペラにするなんて、革命的発想だったと思います。現代でこそ、笑ってみて居られるけれど、発表当時は、ウィーンでは、早々に中止となったそうですね。だから、別に軽いオペラとも言えないのでした。発表に当たっては、命がけといっても、良いぐらいだったと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『映画アマデウスとは、高度にカモフラージュされているが、言論弾圧用の映画ではないのかという疑問が生じてきた』

 でね。映画アマデウスに、急に疑問が出てきました。特にNHKが、BS3のプレミアムシアターで、パリグルニエ劇場での、【フィガロの結婚】を、この9日(?)に放映して以来、それを、考え続けています。

 映画の方では、モーツァルトの、苦悩の原因が、父親との確執、また、サリエリとの確執に・・・収れん・・・されていて、彼が、政治的迫害を受けていたと、言う部分が、まったく、描かれておりません。でも、絶対に迫害は、あったと思います。

 気の毒にお墓が無いのです。お骨も定かではなくて、子孫も存在していません。ひどい迫害があった筈なのです。

 比較するとシューベルトの方には、ご本人が未婚で、子供がいないのですが、傍流の子孫がいるのです。苗字もシューベルトとして。私はフェイスブック(メタ)で、お友達になりました。ところが、誰かからの讒言が彼女に入ったらしくて、向こうから切られてしまいました。だが、シューベルトの子孫がいるという事は、確実に分かりました。一方、モーツァルトの子孫とは、現存しませんね。ひどい迫害があった筈なのです。ただ、モーツァルトは、手紙などで、友人にそれを語っていません。常に作曲に没頭をしていたからです。だから、後世に、迫害の事実が伝わっていません。

 でね。映画アマデウスはその部分を抜かしているが、事情通にはわかるだろうと、言う感じで、革命的な、主張や、行動をとる人間を、威圧し、脅かしている映画ではないかと、思い始めました。

 モーツァルトだって、自分を革命的とは、思っていなかったはずで、ただ、ただ、これを作りたいと思っていただけでしょう。だけど、迫害を受けていたハズです。

 そこ(=弾圧)に触れていないからこそ、この映画、および、ミュージカルは、発言をする人への弾圧行為を、(カモフラージュの下でですが、実際には)、やっている映画であると、言えるのではないでしょうか?

 とても、面白くできてはいるが、若い人を無力化する、そういう宣伝力、または、洗脳力を持っていると感じます。

 いかにもな、娯楽大作の形をとっては、いるが、実際には、正しい主張をする人間を骨抜きにしていく、そういう、恐ろしい映画であると、考えます。

 主人公を映画内で、演じたトム・ハルスが、この10年以内の、アカデミー賞のプレゼンテーターとなっています。それも、私の疑惑を深めています。

 もしかすると、おくりびとが、受賞した年のアカデミー賞授賞式で、だったかも知れません。だって、私はアカデミー賞授賞式なんて、普通の年には見ませんし、NHKだって、報道をしないと思いますよ。有料なCSでしか普通の年には放映をされない筈です。

 おくりびとは、当時は全く気が付きませんでしたが、小山薫堂の脚本だったそうです。

 トム・ハルスはおじいさんになっているし、堂々たる体格になっていて、映画アマデウス内での、敏感なモーツァルトの雰囲気は一豪も残ってはいませんでしたけれど。

 トム・ハルスが、プレゼンテーターになった年が、おくりびとが、受賞した年だと、仮定すると、アカデミー賞も、ノーベル賞や、文化勲章と同じく、見事に政治的なものだと、判ってきてしまいます。CIAに100%支配をされているのです。残念ですが、そうなのですね。

 今回の舞台の出演者は、以下の通りです。演出や、衣装、および舞台装置には、疑問と不満がいっぱいですが、各歌手の力量には、素直に拍手を送ります。伯爵夫人とスザンナ役は、ソプラノとして、素晴らしいし、ほかの人も、みんな力量が高かったと思います。スザンナは、中国出身の若手ですが、評価が高い模様です。ブログ等が数本見つかって、歌唱法を、褒めてあります。シンプルで素直だから、大スターになっていくだろうと、2018年にすでに予言をされています。

  シンプルと言う事が、ここでは良い意味で使われています。つまり、彼女は、素材として、上等で、技巧で乗り切るタイプでは無いと言う事です。そうですね。2018年に、将来大スターになるだろうと予測をされた彼女はバスティーユではなくて、グルニエ劇場で行われた、ヨーロッパ中が、コロナ禍、の終息を祝って、熱狂的にかんげいしたであろう、大舞台に、女性側のトップの役、スザンナですから、凄い事です。体は小さい人です。

 シンプルで素直な歌唱法だからだれとでも、重唱ができるそうです。今回もコンテッサ(伯爵夫人)と、見事な二重唱(ただし、音程は同じだったみたいだ)を、見せ聞かせていました。そして最後から、ひとり前の歌手として、舞台挨拶に出てきましたよ。

 ところで、イン・ファン以外の歌手の情報が日本語では出て来ないのです。特に、伯爵夫人の情報が出て来ないのです。残念でした。で、彼女のカタカナ表記がいけないのだろうと思って、スペルを探しまくりました。それを最後に付記しておきます。

パリ・オペラ座「フィガロの結婚」(モーツァルト)。 演出:ネイシャ・ジョーンズ 出演:ルカ・ピザローニ(フィガロ)、イン・ファン(スザンナ)ほか 指揮:グスターボ・ドゥダメル 管弦楽:パリ国立歌劇場管弦楽団

2022年10月9日放送
(C)NHK

尚、蛇足として、ケルビーノに触れます。この人も上等、上等でした。これはズボン役として、女性が歌うのです。体が、小さい歌手でしたが、演技も歌も上手です。しかし、初稿の時に、ふれなかったのは、彼女が、股間に、膨らみを入れて居たからです。下着姿の時に、特にそれが目立つのでした。上半身に、胸の膨らみもあるのにです。そこまでするのですか? この演出家は? と思って、初稿では、触れる事が、出来ませんでした。やりすぎでしょうよ。この演出家は、と最初は思ったのです。群舞ーー村人役に、マスクをさせたりして、モーツァルトの軽みを強調しているみたいですが、小柄で可愛らしいケルビーノが、胸だってあるのにも、かかわらず、股間にわざと目立つ膨らみを入れて居るのが、2回目とか、3回目に成ると気がつくのです。でも、冒頭に言った様なモーツァルトの苦悩を理解した上で、あれをやったのだとしたら、許しましょう。

   2022-10-24 5:00~7:00にかけて、これを書く。

 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

 

 

マリア・ベングトソン Maria Bengtsson

 

 

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トラス英元首相の辞任について私見 + あれっ、横浜切っての、超お嬢様、カメの写真が見つかったぞ。

2022-10-22 03:55:41 | 政治

 下の文章ですが、二日目の22日の夜加筆をして行きます。その部分は、色付き文字とか、アンダーライン付き文字で、書きます。

このブログは最近、写真を冒頭に置くことにしています。あればですが、本日はありました。横浜切っての名家のお嬢様カメダタカコ子さんと、私が二人だけで、写っている写真です。高1の時の(中学時代の友達だけ・先生はいない)同窓会キャンプでのスナップで、場所は、裏磐梯です。説明は、副題1に置いておきます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私の敵さんたちは、前報の続きを書かなかったので、「逃げたあいつ!」と考えた模様です。ご近所様の動き、と、鶴岡八幡宮の動きで、それが分かります。あいつ、逃げたから、気が弱っているのだ。ここで、盛大に、畳みかけて、いじめてやろうではないかと、敵さんたちは考えているみたいです。相変わらず、単純至極ですね。だって、本当は、逃げたわけではなくて、トラス元英国首相に対する感想が頭に浮かんだから、寝床の中で、その骨子を書いただけなのです。(お、ほ、ほ)

 その証拠として、ご近所様は、光・・・・・特にカーテンを開けた二階の、裸電球(オレンジ色)を煌々と照らすという攻撃をしてくるので、判るのです。鶴岡八幡宮は、大太鼓を、参殿者の、お参りが、済んだ時に打つのより、長い間打つと、言う形で、いじめてきます。

 しかし、後者の方は、ある時点で(*a)で、私が、軽トラの上で、長い間打っている人間を見つけました。或る時点というのは、観光客を苛め抜いた流鏑馬の日です。側溝(幅、1.2mぐらいで、深い上に、道路との間に、人が落ちない様に防ぐための柵がないのです。かつ、道路=鎌倉街道との間に、ガードレールもないのです。鎌倉街道は、そこらあたりでは、とても、狭く、一車線で、その東側・車が南へ向かって、通るところには、人間用の、ガードレールがないのです。・・・・・そういう恐ろしい道を通らせて、北側から、やっと、流鏑馬の、おこなわれている、舞殿に近いところに出られるのですが、その日は、観光客に対して、「歩みを止めては、いけない」と、命令されていたのでした。あれに懲りた人は、次の年からは、八幡宮には来なくなったと、思いますよ。でね、軽トラの上にのって、大太鼓を打っていた人間は、いわゆるCIAのブルーカラー部門として、動く、警察官だったと、思います。私服でしたが、そうでしょう。

 だから、その後も、彼らが、脅かしとか嫌がらせのために打っている可能性があるのです。2022-10-22に、14回打ってきた、人間も、それだったかもしれないのです。

 昔、見た、正面(=三の鳥居)から、人を入れない、流鏑馬の日に戻ります。そういうひどい日のこと・・・・・たまたま買い物帰りで、その様子を見てしまった私は、驚いて、自宅へ買い物を置いたら、すぐ、人々の間に入って、観光客の流れを追いました。

 それが、・・・・・武部聡志が、伊藤玄二郎に命令されて、朝早くから、ぷわーん、ぷわーんと言う異様な音を、ミキサーで、出して、「マイクの試験中です」と、繰り返すこと・・・・・を、私が、・・・・・それは、わたくし狙いの嫌がらせだ・・・・・と、書いたことへの、一般観光客をターゲットにして、かつ、巻き込んだ復讐だったのです。そう思ったから、一般客に交じって、一キロ以上も余計に歩かされる苦行に付き合いました。

 私は当時、本を作っていました。文学部を出たわけでもないし、美術大学のデザイン科を出たわけでもないのです。国際基督教大学の、教養学部卒、化学・専攻生でしかない。それなのに、たった一人で、本を作り上げます。そして、行き先まで、案出し、一人で、努力して配り歩きます。

 印刷前ですが、本の決まり事である、8の倍数で、頁設定をして、各章の始まりは、奇数頁になる様に算数を駆使し、かつ、挿絵を書いて、それを挿入し、頁ノンブルのフォント数とデザインを考察し抜き、目次などはヘッダーに飾り罫を入れます。文章も全部自分で書いたもので、表紙(または、カバー)のデザインも自分一人で、創作します。最後の蛇足のところで、書きますが、たった、20部程度が流通しているであろう五冊目【きいろいさくらんぼ】(ニューヨークでの私の三か月×二回にわたる版画修行記、カラード・アーチストの悲しみや、苦労、そして、死が表記されている)が、アマゾンで、10年以上、一万円以上で取引をされていると、言う、ご褒美を神様から、いただいています。原価は5000円ぐらいは、かかってますが、売値は、謙虚に1680円とつけてありました。だけど、向こうからお金を送ってきてくださる方以外には、売ったわけでもなくて、献呈だけなのですが、美術関係者の間で、互いに、貸し借りがあって回し読みしているうちに、一部が古本屋に回ったのだと推察しています)

 私は、自宅での、重要な仕事をするときに、パソコンに、システム異常を起こされて、仕事にならないので、外の喫茶店とかレストランとか、ネットカフェで、仕事をします。だから、莫大な、費用が掛かっているのです。それに本って、少部数で、作るほど、原価が高くなる仕組みがあります。印刷屋さんが悪いのではないのですよ。そういう仕組みが、元来あるのです。複製の仕組みを利用しているものだから、大部数を刷るほどに、一冊当たりの原価が安くなるのです。

 で、その種の複雑極まりない仕事をしている時だから、ハッキングをして、それを知っている敵方は、八幡宮様を動かして、長い時間(時には、20分以上)、大太鼓の音を響かせて、邪魔して来ます。ただ、私が、・・・・・八幡宮様の、ご近所住民が、「この頃、八幡宮ってうるさいよね」と、うわさしあっている(これは、事実ですよ。わたくしが住んでいる、たった実動15軒の山の人の間ではなくて、平地の人々(200軒ぐらいのご近所様があるはず)の噂です・・・・・と、ブログに書いてから、やっと太鼓の音量が、小さくはなりました。

  今は、22日の夜11時ですが、この流鏑馬が何年の秋だったかを探しています。ので、待っていてくださいませ。NHKが報道する様な殺人事件ではないので、その年度だけ、流鏑馬が観光客をいじめていたなどとは報道はされません。で、探すのに、時間がかかりますので、お待ちいただきたく存じます。

 ところで、今、その調査中にとんでもない写真が見つかったので、ここに置きます。

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副題2、『カメと私が二人だけで、写っている写真が見つかった。この時のカメの素敵だったこと、素敵だったこと。皆さんに素顔を見せたいぐらいだ』

 カメは、家族の中で、私が出会ったことがないお父さんの方に似ているのだと、推察しています。お姉さんは、お母さんそっくりです。お父さんは、軍医時代に、宮田重雄(週刊朝日に、よく挿絵を連載していた)に、肖像画を描いてもらったそうで、それが、玄関に飾ってありました。でもね。今、念のために、宮田重雄のウィキペディアを、探ると、宮田重雄も、慶応の医学部卒ですって。だから、二人は、同窓だったかもしれないし、もしかすると、同期卒だったかもしれません。いや、もし同期だとすると、カメは、末っ子ですが、父親が、42歳の時のお子さんだと、なります。これは、不思議ではない年齢です。

 わたくしが右側で、左が・カメダタカコ・さんです。今は、結婚をしていて、お子さんが三人もいる女性ですから、本当の苗字は違います。そこは、私が抑えて、書かないで、いるところです。或る程度以上の仲の良さがあったと、信じているから。

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副題3,『大久保忠春君の死に謎がある』

 ところで、この写真をだれがとったかが問題です。私はカメからもらっただけなので、撮影者を知りません。先生は、同行していません。で、もしかしたら、大久保忠春君ではないかと、思います。大久保忠春君って、毎日現代展の常連でした。そして、ギャラリー山口で、個展をする常連でもあり、ギューちゃんたちとも、知り合いだったと、思います。

 あ、ここで、ちょっとわきにそれます。今、鶴岡八幡宮は、旧近代美術館をグーグルなどの検索でも、それで、出てくる様にして、【鎌倉殿の、13人館】と、名付けておられます。でも、鎌倉時代って、暗い時代ですよね。お正月の特番で、井上章一氏が、「鎌倉は、怖いとこどすなあ」とか、「北条政子は、極道の妻と考えると、良いのですよ」とおっしゃったとおり、明るい場面の少ない時代です。ドウセ、今期の大河ドラマも、伊藤玄二郎と、いまだ、生きて地下潜航をしている、井上ひさしが、原案の企画者でしょう。

 一方で、近代美術館の時代は明るかったですよ。ぎゅーちゃんのアクションペインティングの日なんか、普通なら聞こえてこない山の下の騒音が聞こえたので、慌てて、降りて行ってぎゅーちゃん(篠原、有司男)人気の高い人であることを知りました。彼が大きなキャンバスに描いている現場で知ったのです。

 ここで、大久保忠春君に戻ります。大久保君は、中学時代からカメラ通で、すでに、写真雑誌の写真が掲載されるほどでした。上の写真には、どこか、芸術的香りがあるので、大久保君が撮影者ではないかと推察しています。大久保君は、九州の美大の、教授になり、その後、いつとも、私には、判らない形で、暴走老女の車にひかれて、亡くなったそうです。わたくしは、一種の他殺だと、推察しました。というのも、これが、東京では、報道をされなかったからです。

 で、羅針盤(画廊の名前)で、その噂を知った私は、びっくりして山口千里さんと、高田弘子さんに電話をかけて、詳細を聞きました。千里さんが、九州で、野見山暁次さんの秘書をする前の東京暮らしだったころは、大久保君が、野見山さんの、実質的秘書をしていたから、それを質問をすると、「違います」と否定をされました。非常につれない態度を、大久保君の死、および、彼自身に対して、示しました。それは、ギャラリー山口のオーナー、みつ子さんが、2010年の、一月、17日に亡くなって、31日に、実質的お葬式(=しのぶ会)を行う予定だったのに、たぶん、野見山さんの根回しで(実際には、千里さんが、各方面に電話をかけて)つぶされたことを、他殺だからと、私に確信をさせるキエンになったほどです。

 実は、大久保忠治さんの死についての疑問は、付属中学卒業生の間で、生徒たちの間の情報通でもあり、一種の女帝でもある、高田弘子さんにも問い合わせました。こちらも、ひどく冷たい説明の仕方でした。大久保君に妻がいないとか、お子さんがいないということは、ここで確認をしました。

~~~~~~~~~~~~~~ 

副題5,『大学同期卒の塩見和子さんが、日本財団理事長として、古楽器の貸し出しを一手に握っている。ということは、大金持ち(クラシック音楽をたしなむのは、お金持ち一族が多い)を支配しているということです。

 一方で、高田弘子さんは、日本美術刀剣協会の、事務長か何かをやっていて、日本刀を保持する富裕層を、牛耳られているわけで、そういう会の二次会で、悪いうわさをばらまかれたらアウトです。でも、すでに、そうなっているかなあ。ただね。弘子さんの夫である高田忠道君も、同期生で、その葬儀の時には、弘子さんも、上品に接遇をしてくれました。その時に、二人の間のお孫さんが、まるで、絵本の中の王子様、王女様にそっくりな、かわいいお子さんであることには、驚かされました。だが、上級国民の典型の弘子さんも、大久保君に対する冷淡さは、彼女らしいと思い、大久保さんが、一種の謀略として、殺された、と、私が判断をするのは、推察以上の真実味があると、思っています。

 弘子さんは、付属から、普通は、高校での編入を認めていないフェリスの高等部に進学し、フェリス時代にAFSに合格し、大富豪家をホストファミリーとして、フェリス卒業後、ブラウン大学へ、通学する援助をしてもらっています。アメリカの当時は、名門女子大でした。今は、共学となっているらしい。クローズアップ現代の司会を長らくやっていた、国谷裕子さんも卒業した大学です。弘子さんは、CIAの中枢に接している人なので、メディアには、登場をしません。ひっそりと生きていますが、日本社会の中の、特に富豪たちの間での、大実力者です。

 そして、塩見和子さんです。この人については、いっぱい説明をしたいことがあります。1978年、北久里浜で水道山をめぐる実質的な大詐欺事件(しかし、書類上は、地積変更届となっていて、犯罪では無い)が起きた、1978年に、日本財団へヘッドハンティングをされているので、まさしく、CIA側人事であり、寸鉄人を指す様ないじめを受けています。何度も。本日は、もうすぐ午前6時になるので、それを書き表しません。ただし、私が過去に書いたことが全部真実だから、有名画廊、ガレリアグラフィカが、しーん(?)と改名しました。栗田玲子さんも、あれこれ、塩見和子さんと結託をして、私をいじめたからです。私のブログをつぶすために、自分の画廊名を捨てたのでした。

 彼女は、帰国子女なので、同期といっても、国際基督教大学内では、受講するコースが全く違っていたので、一度も、肉声で、会話を交わしたことがありません。だから、こそ、あれほど、ひどいことができるのだと、言う・・・・・事を数多くやられています。

 弘子さんの方がまだましです。中一の時=1955年には私の日吉の実家を訪問をしてくれていますし、別の時期、たぶん1956年には、保土ヶ谷の、谷を利用した傾斜地ながら、広大な敷地(多分ですが、300坪から、500坪の間。全部は見渡せない広さ)のある、彼女の家に招かれてもいます。付属中学時代、五、六人ぐらいの、・・・・・お母さんの方が、つよく、印象に残った・・・・・お友達がいますが、弘子さんの母君も、強烈な印象を私に与えました。反対にうちの母は、弘子さんにはどう見えたのだろう?

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7,『冒頭の写真に写っている美少女、カメだたか子さんに戻ります。彼女が、もし、高校生の時に、大交通事故に被害者として出会い、四か月も入院するということがなかったら、塩見和子クラスの有名人になっていた可能性があります。それほど、美しくて才気煥発です。ただし、末っ子ゴロちゃんだから、物事を面白がる傾向はあります。それが、1966年の日比谷公会堂と、日比谷花壇を利用した罠に、私をひっかける作業を伊藤玄二郎から、教唆されたら乗ってしまう一番の理由だったと思います。お姉さんは、圧倒的にまじめなのですが、カメは、ちょっと違うから』

 私が最近書いている、1966年か1967年かに、ひっかけられた罠に、たぶん、この友達が関与しています。そのいきさつを書いた文章がまだ完成していません。しかし、平沼高校きってのお嬢様であるカメと、一期下の、これまた、エネルギッシュで、有名だったらしい伊藤玄二郎とは、必ず、平沼高校内で、何らかの接触があり、したがって、この写真から、8年後に、罠に私をかける様に頼まれた(実際には、日比谷公会堂で、行われた、音楽会へ誘うというきれいな形の罠でしたが)ので、その通りに動いたのだと、感じています。文芸部とか、新聞部とか、放送部とか、生徒会などで、一緒だった時期があるはずです。

 後注1に、その罠について書いたリンク先を置きます。青山敦子弁護士が問題で、青山弁護士がなぜ、私を助けてくれないのかと、言う疑問に関して、カメ(愛称)が、登場するのです。あと注1の、Bの中にカメの実家が、どれほど、文化レベルが高い家だったかを語っている部分がありますので、そこを、再び、ここにコピペします。

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昨日書いた文章の中に登場する、あだなカメという友人は、横浜で、一族で、病院を経営する家のお嬢様でした。彼女にとっての、いとこの子供が、Koh Gabriel Kamedaというフライブルグで生まれた、美形のバイオリニストです。そちらは、男のいとこ(多分お医者さん)の、息子ですが、そちらの家では、娘は、ほとんどがフェリス出身です。しかし、長男系統の、カメと、その姉君は、平沼出身です。ただ、亀の姉君は、横浜では、非常に有名な人で、ブラタモリが、第一回目として、横浜を訪問をした時の案内人が、亀の姉君でした。二人とも、女性なので、今の苗字は、違います。だが、姉君は、この2022年に82歳で亡くなった模様で、朝日新聞で、特集記事が出ました。

 カメのお宅の子供用図書室の素晴らしいこと、10畳か、八畳の角を落とした八角形でね。床は鉄平石で、庭と、同水準です。天井高は、3m、八角形の一面は、母屋との連絡ドア、後三面は、フランス式、掃き出し窓で、細かく区切られた鉄枠の中に、小さなガラスが、はまっています。後の、4面が書棚です。

 ジョルジュ・サンドとかバーネット女史が描く物語の世界に出てくる様な家です。そんな上流階級なのにある政党に、所属している男性と結婚をしました。一種のお見合いだと、思う。政治的お見合いだと、思う。その政党は下部組織の人間に対しては、奴隷風の労働を迫る党で、上部の人間は、富裕です。超富裕です。習近平などとも同じです。で、上部の人間は、CIAと、つるんでいます。統一教会が、トップ連中は、CIAの方針に協力していますし、新左翼諸派もそうです。旧型左翼政党とみなされている、カメの結婚相手が、党員だった党も、最上部では、CIAと、結び付いています。というわけで、私って、本当に孤立化しています。ただ、ただ、神様を頼るだけです。神様には愛されていると、信じる出来事がいっぱいありますから、それは、疑いもなく、信じています。:::::::::::

 もう一つ別の日に、政治とは、まったく関係のない感慨として、北畠八穂(深田久弥の妻であり、ゴーストライターでもあったが、深田が若い愛人の元へ去ったのち、それを公表した。したがって、深田久弥は、休筆ののちに、日本百名山というエッセーに逃げ込んだ)の【悪たれわらしポコ】をカメのお姉さんが、あの立派な子供用書庫から、一冊として選び出して「これを読みなさい」と、勧めてくれた話を書いていると、思います。それは、もっと膨らますことができるのですが、何しろ、徹夜明けなので、今は、書きません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『以下は、普段のブログとは、突然に、ニュアンスが変わった短文となっている。したがって、例の敵さん連中が、逃げたな!と、考えて、大攻撃をNHKニュースほかを使ってかけてきた。しかし、逃げたわけではない。以下に書いたことが、ユニークな発想なので、ほかの人が同じことを言い始めるのよりも前に、発表をしたいと思っただけだ』

 ここいかが、21日の夜に布団の中で、書いた部分です。

 今は、布団の中で、スマホを使って書いています。だから、短いです。

この方を、辞任をなさったが、ゆえに、私は、きゅうにですが、尊敬をし始めて居ます。

  まあ、首相になりたがる様な人は、慎重な人ではない事は確かです。

 彼女は、最初から、女優と言うか、タレントみたいな雰囲気があって、誰もが、ちょと、危なっかしいわね、と思って居たと推察します。

  でも状況を、見極めて、ここは身をひくべきだと考えて、さっと身を引くのは、尊敬ができます。

 このニュースを聞く以前には、何の関心も無かった人でしたが、すっかり、見直して居て、再度どこかで、偉業を達成なさる事を望んでいます。別に国会でなくても、良いでしょう。立派な仕事、人のために成る仕事とは、大きい事が、必要条件ではありませんから。

  2022-10-22    雨宮舜  本名  川崎千恵子

リンク先は後で、示します。

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花輪夫人と富沢夫人から始まり、岩本工務店が主役のいじめ用罠は、実際は鎌倉市長発で裏に伊藤玄二郎が居てね△

2022-10-19 07:52:38 | 政治

 今は,21日の午前1時50分です。以下の文章を、推敲・加筆し終わりました。それを読者様に知らせる恒例の△を、総タイトル横につけておきます。

 初稿を三倍ぐらいに増やしていて、

 この案件がいつもと同じで、伊藤玄二郎と、その裏にいる、連中が、発案し、

 鎌倉市長を動かして、岩本工務店に、嘘の工事をさせたのだと思います。

 モーターを取り換えないといけない家ができたという設定ですが、岩本工務店が、私宅の引っ越しを邪魔しようとして置いた軽トラには、古いモーターも、新しいモーターの箱等も、何も乗っていませんでした。そこからも、これが、大ウソだったと、言う事が判ります

 尚、初稿では、内容が、三分の一ぐらいだったので、違う総タイトル・・・・特に自分の家を、この嘘の舞台として提供し、私宅の引っ越しを邪魔しようとした家のご主人に特化した、総タイトルをつけておきました。が、本日の方が、文章が、増えて、この罠の、全貌が少し見えて来たので、そちらを、正しく表している総タイトルです。

 というのも、その家は、こういういじめ用策略を二度目の事として行っている家なので、私の怒りは強いからです。しかも結果として、彼が、学歴だけは、超が付くほど、立派だけれど、実際には、バカであると言う事の証明ができたので、やっと、ほっとしていて、神様に、報われたなあ・・・・・と思うからです。2016年の秋から、長い長い間、嫌な思いをさせられてきています。いや、お子さんがやったことを入れると、38年間にわたって、長い長い、忍従の時を過ごしたわけですが、やっと正当に、報われたと、思っています。

~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、この2022年10月6日に露見した新たな罠について、いよいよ、本筋に入っていきます。その罠で、大きな役割を果たしたのが、花輪夫人という女性ですが、その人が、17年ぐらい前に、少々噛んでいて、腸詰やが、ひどいことをやって来たという、過去があります。それを、書く機会が17日の夜に、急に天から与えられました。それはですね。・・・・・レストランに、そんなものが、夜、(人間が通る鍵は閉まっては、いるが、下水管などを通路にしていて、その店の中で、)ウロチョロしていることを知ったら、お客は嫌悪感でいっぱいになる筈・・・・・と、言う小動物の姿を、夜七時に、腸詰やの前で、発見をしたからです。そして、五メートルぐらい近くに来た私を恐れて、腸詰屋の中に入っていきました。それを書いたのが前報です。なお、前報は、総タイトルを変更し、内容も、縮めてあります。腸詰屋に特化してあります。

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副題1、『ところで、鎌倉の腸詰屋を、はっきりとは知らない人のために、少々解説をしたい』

 腸詰屋とは、軽井沢にもありました。両方を、今の社長が経営しているのでしょうか? それとも、鎌倉の腸詰屋の主人が、ARKAMAK(鎌倉を、ローマ字で、表記したうえで、さかさまに、アルファベットを並べたのが、最初期の店名だったが)を2000年か2001年に開業した際に、軽井沢の腸詰屋から、ソーセージを仕入れていて、それで、本家と、大いなる商業関係ができて(軽井沢のお店よりも売上高が、大きいだろうと、見ています)本家の名前を、使ってよいことになったのか? そこらあたりは、噂話を知らないので、全くわかりません。

 しかし、まあ、最初は、腸詰屋とは、小さいお店だったのです。鎌倉における有名レストランというわけでもなかったのです。バラックみたいなお店(今の本店より、南側に10m行ったあたり)で、開業していました。社長は、非常に人当たりが良くて、したがって、急速にお店が発展し、一時期は、裏駅、表参道、鎌倉街道沿いの三か所に店舗を持って居ました。しかし、裏駅の店は、ビル建て替えのために、大宅側の事情で撤退し、今は、アビティビルという川喜多和子さんの結婚相手の一族が最近建てたビルの一階を、大きく使って、そこを本店として、表参道の店を閉じています。

 腸詰屋の被害に出会ったとか、あれは、嫌な人間だねえと、思っている人は私だけではないと、それだけは、言わせて置いてください。この腸詰屋が、私に対して、大変ひどいことをしたのは、2004年か、2005年だったと、覚えています。まあ、時期だけは、うろ、覚えだけど、そのいじめのコンセプトのひどさは、忘れられません。そして、そういういじめを行った影に、花輪夫人の動きがあったであろうと、推察しています。花輪夫人を動かしたのは、例の連中ですね。だから、これは、政治問題です。

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副題2,『花輪夫人だけどねえ。今回だけではなくて、上に書いて居る腸詰やの残酷な措置というのにも、その他にも、私が気が付いただけで、20回ぐらいいろいろ、上等ないじめ策を講じておられるわね。やり方は工夫を凝らしていて、頭の良さが、ほの見える上等な手法ですが、全部、因果関係も裏側も、わかっていて、ただ、ただ、私が我慢をして書いて居なかっただけです。その理由は、花輪夫人は、なかなかに、できた人だから、それに対する遠慮とか、心遣いがありました。元都庁勤務だし、ご主人は、都庁で、局長位の役職で、偉い人だったと、見ていますし。だから、ただ、ただ、黙っていてあげただけですよ。ただ、お嬢さんの鶴田伸子さんを敵さんが使った件について、連動して動いている花輪夫人については、過去に触れています。(後注1へ)

 しかしね。同じようにかばってあげていた平木伸明さん一家が、最近は、ひどいことをやり続けていて、もう我慢が出来ず、いろいろはっきりと書いて居ます。

 平木さん一家に対して、我慢をしてあげていたのは、奥さんが子育てが、上手でね。それには、高い評価を与えていました。1970年代の第二次ベビーブームの最中に両親が大卒の家で、生まれた子供は、子育てが下手な親に育てられていて、その結果、引きこもりが、100万人とも200万人とも言われています。そして、北海道で、女子大学生を「自殺を幇助する」と、言う名目で、殺した男も、53歳だそうで、まさしく、この世代です。無職でも、車を持って居るそうですから、親が、裕福で、援助しているのでしょう。

 平木さん一家は、その世代よりも、20歳か、30歳若いです。だから、第二次ベビーブームの弊害には会わないで済んだと言えます。それでもね、小さい時からの子育てが、上手です。私が、若い時にそうしたのと同じ様に、よその子を自宅に、招いて一緒に遊ばせています。それで、こそ、本当の自由だから子供の本当の姿を見ることが出来ます。そして、その親たちとも上手に付き合っています。まあ、鎌倉のママたちだから、付き合うに際しても、礼儀と距離を守る人たちであって、私よりは、そこは楽みたいでしたがね』

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『22-10-18日の夕方、東横線反町(立派な駅舎で、休憩用のスペースが、何か所もある)駅で、スーツ姿の若いお父さん(ただし、40代と見えた)が、体格の大きな制服姿の幼女の、私学お受験を指導をしているのを見た。ところが、子供が全然いう事を聞かない。生意気な態度で、顔もかわいくない。但し、お父さんもお母さんも、有名大学卒で、子供を、どこかの私立小学校へ入れようと必死なのだ・・・・・と、わかる。青山か、双葉か、白百合か? ともかく、有名小学校へ入れるための、問題練習を繰り返していた。それを、私は、パソコンの仕事をしながら、ちらちらと見ていた。

 が、・・・・・こういう風に努力を重ねても、孫世代で、事件を起こす様なお子さんができるかもしれないのですよ。というのも偏差値が高い、有名大学を出た、お母さんって、子育てが下手なケースが多いからねえ、・・・・・と思いながら、

 幼い女の子におにぎりを食べさせているお父さんの様子を、私の方は、数メートル離れた位置から、見ていた。すると、私の批判的視線を感じたのか? お父さんは、お嬢さんを連れて、去って行った。

 たぶんだが、駅構内の方が、お嬢さんが言う事を聞くのだと、思う。家に帰ったら、まるで、言う事を聞かないので、あそこを図書館代わりにして、お勉強をさせているのだろう。たぶんお嬢さんは、その押しつけがましさが嫌なのだ。五歳だって、自分の意思を通す子供はいる。だから、無理無理の、指導だった。でも、私が、何も言わないまま、時々ちらっと視線を送っているのを、批判されているとは感じたのだろう。その通り、批判をしていた。あまりに強く批判をしていたからこそ、声もかけなかったのだ。ゼロポイントの立ち位置に、私がいたら、「お父さん、せっかく頑張っているけれど、或る意味では、あなたの努力は、間違っていますよ。お嬢さんが、まったく乗り気ではないですし」と、穏やかな口調で、声をかけたかもしれない。しかし、それ以上に強く批判をしていたので、声を全くかけなかった。

 過去に、お母さんが、指導をしているのは、何度も見たことがある。特に東横線車中で、それを見た。が、お父さんが指導をしているのを見るのは、昔、山手線車内で、見たのに次いで、今回が、二度目だった。しかし、前のお父さんは、お医者さんらしくて、(だから、朝の8時代の、もう、通勤者が居なくなった、すいた電車に乗っている)、余裕があり、子供もすでに、小学三年生と、五年生二人の兄弟であり、受験勉強というよりも、本当に知識を与えたいのだと言う父親側の意識を感じたし、子供たちも楽しそうに、質問に答えていたので、いいのだけれど、18日、夕方の反町駅構内の、親子は、無残だった。全然、父親の、言う事を聞かない女児だった。体をくねくねと動かして、ちっとも落ち着かない上に、上目づかいで、父親を、睨むに近い表情で、見つめている。それでも、父親は我慢に我慢を重ねて、設問を繰り返す。答えが無いので、ヒントを与えるのだが、その子は、「あ、そうか、わかった」という風な言葉を出さず、感謝一つしないのだった。生意気そのものだった。それほど、努力して、有名大学に子供を入れても、これから先、女性の人生には何が訪れるか、わからないではないか? もっと自然でいいのにと、思う。

 で、平木家に戻りたい。奥さん自身から、四年制大学卒だとは、聞いている。が、ちょうど、程の良いレベルの大学なのだろうと思う。私立の女子大かなあ? 顔も優しい。で、私は、ある種の愛を感じていたので、15年ぐらい前から、・・・・・伊藤玄二郎の教唆で、動いているなあ。ひどいことをやっている・・・・・とは、わかっていたのだけれど、黙っていた。ただし、五年ぐらい前から、あまりにもひどいので、とうとう、実名で、あれこれを書く様になった。で、そこのバリアーが外れたので、次の段階として、同じく、評価を高く置いていた、花輪夫人のバリアーが、本日は、外れる。で、今から、花輪夫人について、詳細に語りたい』 

 と言うわけで、2022-10-6に、私側に判明した、富沢家の上水道を使った罠(=策謀)に関係している、なあと、言うのが、花輪夫人です。

 それは、午前9時半ごろに判明したことですが、その前、午前8時ごろ、偶然だと思う形で、富沢夫人と出会いました。生ごみを捨てる日なので、彼女は下へ降りて行った上で、上がってきたのです。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『花輪夫人が、午前9時半に、上手にごまかして、罠を、罠ではなくて真実らしく、とりなして私に、告げた際に、すぐ罠であると、理解ができたのは、その一時間半前に、富沢夫人が、異様な、ずるい表情を見せていたからだった。私は、勘が鋭いので、ほんの些細な現象でも、その陰にある真実を、すぐ見抜くことが出来る』

 私道部分を我が家だけ、盗まれてコンクリート打ちをされている話は、雪の下黒物語等で、何度も書いて居るので、ここでは繰り返しません。土が無いので、鉢で、花を育てています。でね、地面と違って鉢は、乾燥しやすいので、毎朝面倒を見ないといけません。

 この山には、車が入ってこられないので、ごみは、山の下まで、もっていかないといけません。で、私は、実動15軒(建物だけは、21戸)のこの山で、したから4戸目に位置しているので、そばを大勢の人が通ります。富沢夫人も、朝8時ごろ通りました。で、二分ぐらいよもやま話をしました。さりげない話です。ところが、別れ際に、ものすごい意地悪で、かつ、ずる賢い、表情をしたのです。彼女がね。

 私は何度も、「富沢夫人が、この山で、育ちが一番良いお嬢様だ」と書いてきています。ただし、最近、入れ替わりが激しくて、若い夫婦が、四組転入してきています。全部、細君の方は、実家が資産家で、育ちの良いお嬢様だとみなすことが出来ます。この富沢夫人が、この山で、一番、育ちが良いというのは、1980年代から、2010年の間だけに通用する話ですが。

 しかし、彼女が、2022年10月6日の早朝に見せた、嫌みたっぷりの、恐ろしい表情は、一行上に描いた、お育ちの良い奥様だと、言う表現とは、矛盾します。

 だから、普通なら驚くはずです。だけど、私は、その日、全く驚きませんでした。どうして驚かなかったかというと、富沢家が、2016年9月26日に、恐ろしい高枝切り事案という大攻撃(私を間接的にだが、暗殺しようという企み)をかけてきて以来、とみさわ家の内部とか、その、次男さんについて、ずっと、考え続けているからです。それに、彼女自身のくちから、次男さんが「高校を中退したとか、不良になって」とか、聞いているからです。

 でね。以来、いろいろ、分析して、ああ、・・・・・こういう表情を、彼女は、1970年から、1984年にかけて、何度も次男さんに対して、見せていたのだろう・・・・・と、2022-10-6の朝には、瞬間的にわかったからです。

 このずるい表情を、次男へ向けて見せていたので、次男さんが、非常にずるい形で、わが子に暴力をふるう事になったのだと、感じています。制服で、隠れているところを、三人で、滅多打ちにして、大けがをさせたのです。それは、1984年9月初旬の事で、うちの子が転入してきて、御成中学の二年生の、二学期を、迎えたばかりでした。

 制服に隠れているところを狙われたうえに、うちの子が、妹に、けがの始末と制服の洗濯をさせて、夜の11時に帰宅をする・・・・(英語塾の講師を、鎌倉市今泉台というところでやっていた)・・・・母親には、「黙っている様に」と、命令したから、私は、全く気が付きませんでした。娘が、20年後の2003年に入ってから、結婚式の前に、言うのには、うちの子の方は、一人で、三人をやっつけて帰って来たそうです。で、いじめっ子たちに勝って帰って来たわけで、いじめがこれ以上は継続しないと、わかっていたので、これで、いいと思ったのでしょう。母親が、気づくと大変なことになると、わかっていたのです。

 子供社会のいじめに、被害者側の親が出ると、それから後が大変なことになって、結局は自殺したりして、その後新聞沙汰になったりします。

 北海道の溝にはまって凍死した女子中学生のお母さんが嘆いていて、メディアに報道をされていますが、転校させるとか、不登校を許すとか、した方がよかったですね。勝ち負けは、別にして、逃げていいのですよ。ひどいことからは、身を守る。悪人と直接戦うのはだめです。やり過ごしておけばよい。時がたったら、こういう風にブログで、書けばいい。それで、気分がすっきりするでしょう。それで、いいのです。リアルな世界では、逃げておいていい。その方がいいのです。悪人は絶対に反省しないから。そんなのにかかわってはだめですよ。

 ともかく、親が「他者に被害を訴えるという形では、出ない方がいい」それが、長男には、わかっていたと思います。でもね。痛くて、しばらくは、うつぶせで、寝たのだと思いますよ。三人だから、特に背後から、やられたと思いますし。三週間以上痛かったと、思いますよ。でも、ずっと我慢をしていて、このことは、その後、37年間を経た今まで、一度も、私には、話したことはありません。この時に父親は、松坂のセントラル硝子に出向をさせられていて、家にはいなかったのです。

 理由はこうでしょう。うちの子が格好いいから、人気者になると困ると、思ったのでしょう。

 だから、当時の少年特有の言葉でいえば、「しばいたれ!」という話だったと思います。後注2へ

 うちの子が格好いいと言う事は、今では敵対者に変化している、大原光孝さんが、「お宅のお子さん方は美形ですね」と、私に直接にいったほどに、二人の子供とも、格好いいのです。で、話し方も明るくて、朗らかです。別の人(女性)が、「お宅のお嬢さんって、松嶋菜々子に似ているって、おなり中学の卒業生の間では、有名なのよ」と、いうほどです。富沢家の次男さんは学校では、人気者だという話を後で、聞きます。慶応大学の教授のお孫さんだから、幼稚園時代から目立っていて、周囲から、大切にされて来たたお坊ちゃまでしょう。ただ、背が低かった。また、洋風なお顔をだとは、思うのだけれど、タレント風なお顔でもなかった。ただ、頭はいいお子さんで、かつ、情感も豊かだと、思いますよ。

 外見の事に戻ります。彼は、お兄ちゃんと、弟さんに対しては、外見の事でも嫉妬していたでしょう。その二人は、背が高くて、まことに、まことに、美形だからです。うちの子もそちらのご長男と、似たタイプです。そして、自分が大切にされないのは、顔が悪いからではないかと、ひそかに悩んでいたと、推察しています。

 だから、うちの子が、代理の対象として、嫉妬され、憎しみを得て、しまいました。転入直後だから、こちらから、何かをしたという理由や、原因はありません。ひとえに、富沢家側の問題でした。そちらでは、当時、目に余る形で(私などの他人から見ると、そうだったのです)、三男のリトルリーグに両親ともにエネルギーを注いでいて、それを次男殿は、恨んでいたのです。しかし、親の愛を信じられれば、親に反抗が向かいます。それで、家庭内で、解決します。または、普通の会話内で、「僕の事も少しはやってよ。土日のお昼だけど、インスタント、ラーメンばかりで、済ませないといけないのは、たまらないよ。二時ごろ、おなかがすいて」とか言えます。

 しかし、親の愛を信じていないと、それが、言えないのです。でね、その傾向は、私自身の妹ととてもよく似ています。三人兄弟で、弟が、只一人の男の子で、父が明治生まれなので、両親から、べたべたに、かわいがられていました。で、本当は、弟をうらやんでいるのでしょう。が、もし、弟をいじめたりすると、両親の愛が、さらに自分から離れます。だから、姉である私をいじめました。

 ただし、そういう事を妹が、やり始めたのは、30歳、過ぎの事です。学生時代は、私は、彼女に恨まれていたとは、気が付いて居ません。30過ぎになると、7歳年上の姉(=私)が、無職で、有名な大学を出たくせに、何もしていない挫折した人であるのに、自分は、かっこいい仕事をしている、高給取りのキャリアウーマンであり、母の自慢の対象に、自分の方が、選ばれたからでした。母と結託をして、母が死ぬまで、「自分の方が、お姉さんより上よ」という態度を示していました。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、「アメリカ発の親業というコーチングシステムでは、親は子供に命令をしてはいけないと、言う。特に思春期を過ぎた大人になった子供に、命令口調で、あれこれ、指図してはいけないと、言う。これは、学校社会で、特に部活の指導をする先生が、子供を殴るのだけれど、あれが、いけないと、言うことを言っている。1957年、のちに、日立武蔵の監督になり、全日本の監督にもなる山田氏が、都立高校女子生徒を、

 ところで、今三時間ほどかけて、過去のブログの検証をしていました。すると、どうして、富沢家が、この次男とその手下どもの、暴力に、気が付かなかったが不思議になります。昔からそれが不思議でしたが、本日もそれが、不思議でたまりません。

 あの時に親が気が付いて問題がどこにあるかを知っていて、親の方の態度を修正すれば、次男さんが、高校を中退することもなかったと思います。彼は、商売をしていて(黒いダブルのスーツ姿で、裏駅に立っていた)、今では、お金持ちらしいし、別の日に、とても、きれいな女の子と、一緒に、この山に帰ってきていましたので、それで、今は、いいのですが、25歳ぐらいまでは、親子とも苦しかったと思いますよ。・・・・・

 私の方は、親業などを受けて、大いに学んだり、反省をしたりしました。親業というのは、私の国際キリスト教大学の下級生が、アメリカで、学んできて広めた、一種のコーチングです。アメリカでは、そうらしいのですが、親とは、ただ、妊娠し出産するだけでは、親には、成れないのだと、言う発想で、親であるための方法を教えるシステムです。

 その時に子供が複数いる場合の、偏愛の問題を避けるべきだとか、結局子育てとは、夫婦関係の問題であるとか、いろいろ、学びました。

 そして、親の方が、命令をしてはいけない、と、言う事を学びました。これが、非常に大切なことだと、思います。それは、お子さんの発達の程度によって異なるのですが、うちの子の場合は、中学生で、すでに、親子が逆転をしましたね。背が高かったので、そうだったのかもしれない。

 小さいお子さんが、良く虐殺をされますね。特に母の愛人に虐殺をされます。あれはね。子供って、とても賢いのです。で、ゼロ歳から、いっぱしの大人であり、嫌な人間は、嫌な人間だと、考えるから、そういう目で見られた、母親の愛人が激怒するのです。

 学校の部活のコーチこそ、この親業システムを学ぶべきです。生徒も自分と対等だと、学ぶべきです。これは、ご近所問題でも同じです。私が常に相手とは、対等にしておいて、少し、相手の方を上に置くべきだと、言うのは、生まれ持って、家庭でも学んでいるけれど、親業訓練で、子供を相手にしてだって、そうだと、学んだからです。このご近所様で、グループや派閥を作り、上下関係を作る連中がいるが、本当に教養が無いなあと、思ってみています。東大卒だろうが、慶応卒だろうが、たった、15軒しか、実動家庭がない、この小さな山で、派閥を、つくり、上下関係を作り、誰かを阻害し、自分が上だと、考えている連中がいますが、なんと、下劣なのだろうと、いつも考えていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『鶴岡八幡宮の上級神官龍村さんと、岩本工務店に、ここで申し上げたいことがある』

 今回、上水道をめぐる罠が張られて、それを、実行した連中が、中学生程度の物理さえ知らないのだと、判ってただ、ただ、自分が、ここで、38年間、考え続けてきたことが、証明をされたと、考えています。

 さて、鶴岡八幡宮の龍村さん、あなたは、2020年4月26日に、手水所の前で、私が踵を返して、そっと帰ったことを誤解なさっておられるのではないですしょうね。私が負けたとでも。私は貴方に対して、「あなたは間違っている」などという失礼なことは決して申しません。それは、今回の花輪夫人とか富沢夫人に対する態度とも同じです。岩本工務店に対しても、「あなたは、鶴岡八幡宮の工務所の所長に頼まれて、こういう事をしたのですか?」とか、「かまくら春秋社の伊藤玄二郎さんに頼まれて、こういう事をしたのですか?」とか、「鎌倉警察署の生活安全課の課長に頼まれてこういう事をしたのですか?」とは質問をしました。

 ただし、あなたが、答えにくいであろう、「松尾崇・鎌倉市長から命令されたから、こういう事をしましたか?」とは、質問をしていません。ましてや、「あなたねえ。どういう形で、ホースで、10mも高いところ、しかも、海抜、35mぐらいの高いところに、25mのところから、モーターも無しで、水を揚水できるのですか、嘘も休み休み言いなさい」と、しかりつけたりしませんよ。

 三波春夫が言っています。有名な言葉ですが「お客様は神様です」と。今回私は貴方に注文を出した人ではありません。でも、あなたは、雪の下が担当だそうですから、将来、私が注文を出す可能性があります。すると、私はおきゃくだから、上にあげた言葉に倣えば、私は貴方より上です。そして、あなたが、揚水の件で、間違っているというか、嘘をついていると、言う事を知っています。だけど、2022年10月6日にそれをあなたに言いましたか? 言っていないでしょう。私がここに書いて居るものは、神様に対する報告書です。だから、人間であるあなたを叱ったり、怒ったりはしていません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『暴力は、美しい場所で、行われたと、私は推察している。そこはとても静かなのに、どうして、富沢家が気が付かなかったかが不思議である』

 ここに前田家側から撮った我が家の写真があります。そこに暴力の現場も写っていると思うので使います。黄色い矢印の家の上に、樹木の間に白い壁が見えます。それが、富沢家です。そして、リンチ事件の現場は、黄色い矢印と赤い矢印の間の、林の中だったでしょう。富沢家は、親の家が鎌倉にあるので、情報が早く手に入るので、一等地を三区画買っているのです。で、敷地が広いので、そこで、乱闘が行われたと、見ています。

 暴力が行われた現場は富沢家からは、10mも離れていないでしょう。どうして、気が付かなかったのか? まあ、加害者側は、悪いことをしているという意識があるから、声を出さないでしょう。だけど、三人に攻撃されたうちの子は、痛いときには、ウッとか、ギャッという声を上げたのではないですか? また、三人を相手にして反逆して勝って帰ってきたと、娘から、事件の20年後に聞いています。だから、うちの子に殴られた男の子は痛いと思って、ギャッとか、ウッとか、言う声を上げたはずなのです。それが、聞こえないのは、本当におかしいです。

 また、青い矢印の、左側が安野家です。そこには気配が届かないとしても、子供が、塾に行っているのでもないのに、夜、行方不明で、しかも興奮して帰ってきて、ケガもしていたとしたら、不思議に思うのは当然ではないですか? 

 あそこの、お子さん自体は、嘘をついたはずです。うちの子にやられたとか、自分たちの悪は棚に上げて、言ったはずですよ。富沢家の次男殿も、もし、顔にけがでも、していたら、親や、先生にどうしたの?と、聞かれるでしょう。うちの子は、三対一で、攻撃されているわけだから、必死ですね。だから、殴る場所なんて、気を使って選んでなど、いない筈です。向こうは、制服に隠れた場所を狙ったらしいけれど、三対一で、殴られているうちの子の方は、防衛に必死ですから、相手の顔だって殴ったかもしれませんよ。で、親やせんせいにきからたら、どう答えるつもりだったのかしら?

 でも、どうして、引っ越してきたばかりの子・・・・・しかも、日産自動車の研究所の同僚(超インテリばかり)が、11人も手伝ってくれた華やかな引っ越しをしてきたインテリの家の・・・・・子が、良くも知らない富沢家のお子さんに難癖をつけますか? ありえない現象です。ひとえに富沢家側に問題があったのです。

 ところで、それほどに研究所内で、力をふるっていた、主人ですが、鎌倉へ、引っ越した途端に、松坂のセントラル硝子に出向を命じられます。これは、瀬島龍三が裏から行った悪だくみでしょう。で、母子3人で、暮らしているところで、この事件が起きたのですが、この写真からは、数キロ離れた、建長寺の裏山をさらに超えたところにあるのが、今泉台です。そこの塾に勤めていた私は、途中で、天園ハイキングコースなどがあり、山が多い鎌倉では、直線的な帰途は、なくて、まず、大船まで、30分に一本しかないバスを使って出て、さらに、電車を使って帰ってくるので、夜は11時過ぎとなり、子供たちは二人とも寝ていたので、全く気が付きませんでした。

 この山は、椎やタブの大木の密集した葉っぱのおかげで、鎌倉市内の騒音は、全く届きません。その上、1984年って、まだ、クーラーは発達していない時期です。富沢家は、八幡宮前の地平からは、30mは高い位置にあるので、業者が、あの重いものを、持って上がるのを嫌がるでしょう。だから、全室クーラーを備えてはいなかったと思いますよ。で、九月の初旬は、窓を開けていたでしょう。ご夫婦は居間で、テレビを見ていて気が付かなかったとしても、ご長男は、大学受験のための勉強をしていた筈ですよ。異様な雰囲気が伝わってきているのに、どうして止めに出てこなかったのか? 不思議です。でも、2歳年下の弟のことを心配しないのは、確かですねえ。避けていたのかしら❔ その子が親からかわいがられていないことを知っていて、触らぬ神にたたりなしとでも、思ったのかしら? それがもし、真実だとしたら、ひどい家ですねえ。

 ともかく、なんで、その日のうちに、富沢家は、この林の中で、行われていたことについての、真相を突き止めなかったのだろう。

 上にその辺の写真を置いておきます。これは高枝切りの前の写真なので、樹木がこんもりと茂っています。その樹木の中に何軒かの家があります。赤い矢印が付いているのが我が家です。青い矢印が付いているのが、何度もテレビ取材を受けている360度ガラス張りの家=石井秀樹邸です。

 黄色い矢印をつけているのが、有名な集団設計家会社、松田平田設計事務所の重役にして横浜支店長の、白井達雄氏の家です。なぜ、この赤と青の矢印の家について触れるかというと、

 青い家が、何度も何度もTV取材を受けるのは、私に対する一種の威圧だからですが、

 黄色い家について、ここで述べるのは、なんと、私が、今、反町のアパートの問題で、反町駅から坂を上って、アパートへ行く際に、鶴屋町に、新しくできるタワーマンションの工事用の、クレーンが2本、高島台の丘を越えて、にょきにょきと、見える様になったからです。それを作っているのが白井さんだからです。

 普通だったら、「ご主人が、立派なお仕事をなさっていて、いいわねえ」と、奥さんとすれ違う時に、祝福するところですが、何しろ、白井さん夫妻には、その黄色い矢印の家の建築中から、いじめられているし、その後もいっぱい嫌なことを(後注2)されているので、豪壮なタワーマンションが出来つつあるのも、祝福する気にはなれません。特に奥さんの小野寺夫人がすれ違ったり、追い抜いたりするのは、すべて、政治的意味があるので、普通の会話はできないのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『その白井夫人小野寺さんが、2016年の9月26日の早朝、うちの主人に電話をかけて来て、「工事をしますので、騒音が出ますよ。ご容赦ください」と、言った。それは、尾上共同事業体という植木屋が行った、富沢家の、11本の大木を伐採する、工事だったが、小野寺夫人が鎌倉市役所に申し込みに行った工事でもないし、彼女がお金を払ったわけでもない。

 都市部の住宅街で、午前九時前(実際には七時)に、大轟音を上げる工事など、普通は行われない。ただ、ただ、私への間接的暗殺を狙った悪事だった。やまゆり園事件という策謀が起きて、それに対する、分析のために、徹夜続きの日常だった。午前四時に就寝したのに、午前七時に起こされた。しかも、この工事で、富沢家は、一銭もお金を出していない。伊藤玄二郎の発案だったのは、柳沢昇が、彼に電話をかけていた事情で、明快にわかっている。で、非常に怒っている。その日の私の行動他で、富沢家が、注文した(筈になっているその高枝切り)が、ごく政治的なもので、私を寝かせないがためのものだったと、わかってきた』

 私は、その日は、午前四時に寝入って、三時間しか寝ていないのですが、午後四時に、鎌倉市役所を訪問をして担当吏員阪中英夫氏に、「富沢夫妻が、何日に申し込みに来たのですか?」と質問をしています。でも、彼は、その日付を、台帳に、記帳もしていないし、記憶もしていないのでした。これは、伊藤玄二郎から、松尾崇市長に、直接電話等で、依頼をされたので、阪中英夫は、ただ、ただ、命令に従っただけなので、富沢夫妻も、小野寺夫人も直接の訪問は一切していないのです。後注3へ

 この地図の中で、右下に、川崎英二という我が家があります。その左側に、大きな字で、H22ー助成 伐採ー04とあります。これは、2010年に大雪が降った日に、富沢家の樹木の一本が、遠藤家の屋根に倒れ込んだ際に、富沢家の木を切ったのです。

 当時は、上の写真に浮かんでいる黄色い矢印で示した家は、まだ、できておらず、遠藤家が借りていた、古い平屋建ての木造住宅が、この地図では、空白になっているところに建っていて、かっら一家は、そこに住んでいたのです。

 その助成行為は、オレンジ色の色鉛筆で、大きな斜線入りの楕円で、場所が描かれています。その楕円の上側から、大きなフォントで、H28 助成 伐採ー26とあります。これが私への間接的暗殺狙いの、午前七時からの、大轟音をかけた、職人が、11人来て、二日で、11本切った、富沢家の、高枝切りです。

 さて、問題は、この地図には、二重の嘘が書き込まれていると、言う事です。まず、伐採ー26は、富沢家は、一銭も支払っていないでしょう。だから、助成とは言えません。それが、行われた9月26の直前には、雪は降っておらず。したがって、危険木は無かったから、不必要な工事でした。ともかく、私をいじめることを鎌倉市の公金を使って行ったのです。

 もう一つ、ものすごい嘘が書き込まれています。それは、平成28年 助成-27という別の赤い丸が、我が家の南側に入っていることです。オレンジ色がかかった赤ではなくて、純粋な、赤色で小さな丸が描かれています。これは、嘘です。我が家は何もやってもらっていません。

 どうしてこういう嘘を鎌倉市が、行っているかというと、これまた、伊藤玄二郎と、松尾崇市長が結託をして、川崎宅(=我が家)にも土木業者が入ったことにしておけよ。どうせ、この地図を見に来るはずもないからばれないだろうと、思ったので、嘘を記載したのでした

 平成28年度は、坂中英雄の担当だったので、すでに、下水道課に転勤になっているという坂中を三度訪ねましたが、いるのに、居留守を使うのでした。顔を覚えていますので、(昔小部屋で、勤務していた時と違って、今は、大部屋ですが)、ちゃんといるのを確かめて、案内カウンターで頼んでも、いないと言われるのでした。これは、反町のアパート一階の住民の生活保護費(の、ほぼ、)不正受給に関しても同じです。神奈川区役所の担当者、Ms 小野を訪ねても、最初は、カウンターで居ると言われたのに、30分後、居ないと言われて課長代理という人間に、軽くあしらわれて、真実を教えてもらえませんでした。

 さて、反町の方は、伊藤玄二郎発 松尾崇鎌倉市長経由、山中竹春、横浜市長経由、神奈川区長経由、生活支援課という流れですが、このアパートを種に、私は今、兵糧攻めという苦しみに出会っています。

 それは北久里浜の旧宅でも同じです。しかしですね。裏側は全部CIAエージェント(=警察庁のだれそれとか、杉本俊一氏とか、伊藤玄二郎など)が画策している事で、同一の根を持って居る策謀です。

 だからこそ、私には、天から与えられている、道徳的許容というのがあるのです。何を書いても許されるという点からのお許しがあるのです。同じ章の中で、彼らの攻撃を書かないので、私の方が攻撃性があるかの様に、誤解を受けるかもしれません。だが、天が見ていると、信じているので、平気です。天とか、神様というのは、正しいものを正しいとして、遇してくださるからです。

 平木家が、ひどいことをすることにも、同根の、意味を感じるから、「何でも書けます」と以前から言っています。それにプラスして、神奈川区役所の嘘とか、横須賀市役所の、横暴とかがあるので、私はただ、ひたすらに、彼らが行っていることを、書くのです。

 「1984年の暴力的リンチは、子供の事ではないですか?」と、言う人が有ったら、いけないので、高枝切り事案を、2本だけ、リンク先を示しておきます。後注1と3です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『今回の罠が、花輪夫人宅で、すぐわかったのは、彼女が、私の「下の道に軽トラが停まっていて、岩本工務店と書いてはあるのだけれど、ダッシュボードに携帯番号が置いていないし、車にも電話番号が書いて居ないから、どけてもらうのに、どこに電話をかけていいかわからないのです。それで、どこの家で、工事をしているか、こういう風に一軒一軒聞いて回っているのですよ。今日ね、引っ越しをするので、あれが停まっていると困るのです。午後三時に、北久里浜から荷物が届くので、あの軽トラを、その時間には、どけてもらわないと」という質問に対して、「ああ、あれは、富沢さんよ。富沢さんでね。二日に水道のトラブルが起きたの。彼女が、どうしたらいいのかしらというから、岩本工務店を紹介してあげたの。とても、しっかりしたいい、ところなの。それに、雪の下一帯を受け持っているのよ。

 でもね、新しいモーターが無かったらしいので、二日から、今日まで、ホースで水をくみ上げていたの」と答えたのです。それ以降も問題がいっぱいある、彼女の話なんだけど、ここまでだけで、嘘が、あると感じましたよ。それは揚水における、物理学の問題から、嘘だと、はっきりわかる事だったからです』

 上水道を使った罠とは、上の景色の写真で説明をさせていただくと、

*<黄色い矢印のついている家の西南側、30mのところ(水平でいうとその高さ)から、10mはさらに高い富沢家に、モーターなどの動力なしで、単純にホースを使って、4日間、水を送った>*というものだ。

*<理由は、10月2日に、富沢家のモーターが壊れたからだ>*と、花輪夫人は、言った。

 あまりのばかばかしさに、内心で、**<<えらい大きな種を拾っちゃった。これを使って、一か月はブログが書けますよ>>**思って、声にも出さずに、笑ったほどだった。

 花輪さん、あなたのご主人は、東京都庁の局長クラスだったのでしょう。東京都の公文書で、役職は、記載をされていると思います。逃れようもない偉い人です。その奥様が、こんな非科学的なことを言っていいんですか? バカ丸出しですよ。是って、中学生段階の科学知識です。または小学生段階の知識です。

 モーターが無い場合、水を送ることが出来るのは、同じ高さに水源がある場合だけです。上の赤い矢印と、黄色い矢印がある写真を見てください。どこにも鎌倉市の水道局のタンクが無いではないですか?

 まあ、百歩譲って、反対側にある前田家の二階に、トイレが設置されていると仮定しましょう。あそこの家の台所やお風呂は、一階に在り、それは富沢家よりは低いです。

 まあ、二階にトイレがあると仮定して、その、手洗い水の蛇口から、長い長い150~200mのホースを伸ばして、富沢家に、上水を送り込めば、鎌倉市の水道局のモーターの力と、物理の気圧の法則の重なりで、ホースで水を送ることが可能かもしれません。

 しかし、前田家の二階以外のどこの家の蛇口から、ホースを伸ばしても、富沢家にきれいな浄水は、届きません。本当にバカみたいな嘘をついています。特に花輪夫人は、「どこそこの家の蛇口を使ったのよ」と、言う補遺を付け加えませんでした。だから、単純に、ホースで、送ったと言う事らしいです。どこに水源があるのでしょう?

 花輪夫人は、ご自分は都庁を早めにやめたとおっしゃっています。でも、都庁のもともとのお給料は高かったでしょうから、ご自分の年金は、ひと月当たり、15万円程度でしょう。そして、あなたより偉かったご主人の遺族年金は、ひと月当たり、25万円以上でしょう。で、合計して一人暮らしなのに、月に40万円は使えます。その贅沢ぶりは、見聞きしています。だけど、上級国民なら、それに見合う教養は身に着けておいてほしいです。

 これって難しいことではありません。小学生でも、先生が、実験で示す類の知識です。その担任の先生が理科系が好きならです。それと、私立小学校だったら、こういう実験は、行う筈です。非常にわかりやすいし、水を使うので、安全だからです。地球を覆っている空気の圧力を証明する実験です。透明なホースをホームセンターで売っています。それを、1メートルぐらいの長さに切って、U字形に曲げます。その中の、半分ぐらいに水を入れて、右を上げたり、左を上げたりしてごらんなさい。水は、必ず、右と左で、水平になる筈です。これが、原理です。

 昔は、電力があまりありませんでした。そして、モーター自体も力が弱かったでしょう。だから、高い位置に水道山を作って、この物理の法則で、市内各所に水を流したのです。それが、横須賀市北久里浜の我が家(=旧宅)の、すぐ南側にあった山で、地積変更届という仕組みを利用して、ある個人に1200坪が、只で、手渡りました。その悪事の秘密を知っている私が、こういう形で、いじめられます。引っ越しを邪魔してやろうというのが、岩本工務店の軽トラでした。電話の盗聴やらも利用をされた仕組みです。

 しかし、鎌倉市には、突出して高い山というのがありません。どこに水源地を置いているのかは、知りませんが、どこに市のタンクが設置されて居ようとしても、富沢家は、その市のタンクよりも高い位置にあるのです。だから、単純な形では、水圧が、低くて、自由に水を使えません。で、我が家あたりと同じレベルに大きな個人用タンクを作って、そこから、自宅へ、個人用モーターで、揚水するのです。絶対にホースだけで、水が上がるはずがないのです。嘘100%でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題10、『さて、花輪家から帰った、私はあまりに長い時間家を空けると、泥棒が入るので、それを恐れて、富沢家には、電話で問い合わせをしました。

 私は、富沢夫人は、慶応大学卒だと、推察しています。ご主人の父君が慶応の教授だったそうです。だから、その受け持ちのゼミ学生、または、同僚教授に頼んでおいて、見つけたお嬢さんだと、推察しています。で、頭の良い人だと、思っています。だが、花輪夫人と全く同じことを言いました。もう、この時は驚きませんでした。二回目ですからね。ふ、ふ、ふ。

 その電話の背後で、ご主人が奥さんに対して、あれこれを指導しているのが、聞こえました。

 しかし、科学的間違いを指摘しているのではなくて、岩本工務店の動向に関する部分をあれこれ、「こういう風にいうべき」だとか、「ああいう風に言うべきだ」という政治的部分だけを、指導をしていると、感じました。

 驚くべきことでした。ご主人が卒業した栄光学園って、神奈川県一、評価が高い私学で、大学受験で、すでに、人気が高いので、野球とか、バレーボールには、手を出さない学校です。生徒数も少ししか居ません。だから、慶応高校とか、東海大学付属高校というほどに、全国区ではない有名度かもしれませんが、神奈川県内の上級国民なら、みんなが知っている学校です。

 3.11以降、雲隠れしている東電の清水社長(コストカッターとして有名だったが、3.11事故が起きると、突然に身を隠した)も、同じコースをたどったエリートです。また、現在は、葉山の美術館の館長である水沢勉先生も、同じコースをたどったエリートです。

 そこの卒業生が、これほどに、ばか化してしまうという話に、驚くのです。しかし、原因も理由もわかっています。奥さんが安野夫人と仲良くしていますね。そして、命令されるままに動いています。どうして、そういう事をしているの?>と、よく、思いますが、前田夫人を何度も訪ねて、大声で、会話をしているのなども、安野夫人の教唆・命令でしょう。

 前田夫人の洗浄化のために、富沢夫人が利用をされているのです。富沢夫人に聞きたいものです。ごく自然な形で、前田夫人に魅力を感じていますか? もしそうだったら、あの家に上がってお茶を頂きながら、話し合うべきでしょう。玄関先で話すのは、その目的に、ただ、単純な仲良しとは違うものがあるからです。

 で、奥さんが、政治的に利用をされているという意味で、まず、安野夫人の軍門に下っていますね。で、まず、奥さんが、ばか化して、その次にご主人も馬鹿化に、陥っているとみなしています。今回も、それが、証明されました。すでに、何回か、感じていますが、今回みたいな単純な嘘が通じると、連中が考えるとは、恐れ入った馬鹿化です。

    2022年10月19日、午前、7時から、夜7時まで、12時間かかって、これを書く。次に、20日の夜九時から、21に日の午前二時まで、かかって、加筆と推敲をする。

 リンク先は後で、示します。

 雨宮舜 (本名 川崎千恵子)

後注1,・・・・・・・それは、ちょうど安倍さん暗殺が起きたころで、したがって、それを含めて書いて居ます。時制的には逆順にして、四本置きます。

鶴田伸子は、誇りが高い大作家で、私に言わせれば、sacred でもあるのに、私に嘘をついた。その嘘でCIAが企画した悪の謎解きができた。のには苦笑する他ない    2022-09-01 21:09:36 | 政治

鎌倉駅頭の国葬反対行動がすぐ消える。理由は、其が私を脅かす為だから、浜銀から私が去れば動員された連中は帰っていいのだ     2022-08-31 20:33:07 | 政治

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コメント
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腸詰屋の主人は、横須賀の米軍基地で働いていた過去があるのではないだろうか? 人当たりは良いが真の教養とは無縁の人だ

2022-10-17 20:07:46 | 政治

  この一文は流れに応じて、幾つかの事が入っています。19日に入って、分けてみましょう。この章は、腸詰屋について、集中します。

Today:::::::equal 22:10:17 I found small animal on the road in front of Chodume‐ya.

The size of the animal is 18cm to 20cm from head to tail.

The colour looks black under the City light settled by Kamakura City.

 But the real colour maybe brown.

Chodume‐ya has done very deeply cruel thing to me in 2004.

 I suppose it was coworked with (or leaded by) Mr. S.Maeda or Mr.Genjiro Itoh or Mrs

Hanawa,  when the shop owner was managing the former shop

named ARKAMAK.

 All those days I found the inner side of the shop is very dirty, so I was not astonished when I found the small animal today.

But deeply has appreciated the grace of God. The popularity of the shop will

decline in the future.

Because I suppose and believed in that   the other guests have also founded and recognized the uncleanness of the shop already.

 

True to say I am writing this under co-looking in TV.

Now I am looking the bright scene in the Aso Mountain under daylight  (program WILD LIFE SATOYAMA on NHK BSP).

 The near kind of the small animal what appeared in Chodume-ya today in the dark

atmospher, is also appeared in the plane of Aso in the bright daylight in TV.

  But that ( near kind of the small animal) which appeared in the TV was very pretty in the sunlight of Aso Mountain, and surely more beautiful compared with that appeared in the darkness of the road in front of Chodume-ya.

                                    written by Chieko Kawasaki   22::::10::::17 20:24

副題1、『神様って、確かにいらっしゃるのよ』

 本日は英語で、文章を書いて居ます。夜の7時15分ごろ帰ってきて、7時25分ごろから書き始め、骨格は、8時前にかけました。おお、80歳になっても辞書なしで書けるよと、思って、それは、うれしかったのです。普段全く英語を使っていません。勉強は無論していないし、外人が旅行に来る数も少ないので、鎌倉市内とか、歌舞伎座で、いろいろ説明をしていた、そういう動きが全くないからです。

 だけど、ニューヨークでも、事前には、何も勉強をしていなくても、滞在していると、若い時の学校英語をぱっと思い出して、会話もできますし、文章も書けます。ただし、発音がすごくきれいだとは言われるが、所謂、間投詞を、多用する様な、軽い話し方ではない筈ですよ。でも、それが、皆さん(=NATIVEを含む外人達を、また、驚かすのです。だって、見かけだけは、100%アジア人のおばさんで、アメリカ生まれアメリカ育ちのアジア人に見られるバタ臭さ(=脂っぽい肌)ではないですから、さらにさらに驚かれるのです。

 弟は、インテルに勤めていたころ、シリコンバレーによく出張に行っていて、「アメリカって意外と建前と、本音が違う国ですからね」と言っていたが、その通りで、人種差別って、実在するのですよ。それは、パリも同じ。だけど、パリって、驚くほど、古いのです。人的コネが有ると、なんでも通るのです。貴族とか大富豪も実際に今だいるのですしね。日本の方が、進んでいると喜んでいたのに、私が見るところ、伊藤玄二郎達、CIAエージェントが、大変な人的コネで、特権を行使しているので、彼の周辺(=マイナス方向での私の周辺)は、人的コネ横溢で、法治国家ではないわね。近代国家でもないわねと、言う状況が生まれています。

 英語で、ブログ文を書いたパソコンが、ほぼ、入力用では使えなくなったのをはじめとして、富沢家の上水道工事を使った罠、反町の東電の開通が、一日嘘をつかれちゃったとか? 横須賀市の粗大ごみ収集がひどく意地悪されているとか、北久里浜の家の玄関のかぎが、数時間あかなかったとか、いろいろ、合計20個ぐらい嫌がらせ受けています。東急が、駅で、Wi-Fiが、使えますと言うので、9日には反町駅で、パソコンを開いたのに、14日にはもうできないとか? このシステムは外人専用ですと、日本語でいうのですよ。外人に、それが、読めるんでしょうか。そして、自分だけはできるんだ。誰かが出来ないんだと言う事が、判りますか? (もう、苦笑するばかりです。東急って、そんなにケチな会社でしたか?)

 上の写真は、上下さかさまになっています。だが、是では、上下正当に直しても読めませんね。もう一回きれいな画像をとってきます。この中に、それが、書いてあります。

 上の文章で、主役となっている腸詰屋の社長さんって、ひどい、ひどいことを、対私に行った男です。2004年のころ。(NHKで、報道する殺人事件とは違うので、正確な日付は、2005年だったかもしれません)

 だから、本日=22-10-17に、霧雨が降る小町通り(ただし、道はまっすぐつながっているが、商店会は、別組織らしい)腸詰屋の前あたりは、人間が一人も通っていないのでした。で、10mぐらい駅に近い場所から、腸詰屋の前で、ちょろちょろ走り回っている小動物を見かけたのです。『あれ、猫にしては、小さいなあ。なんだろう』と思いながら近づくと、頭の先からしっぽまで、18cmから20cmの大きさの小動物でした。5mぐらいの地下さになると、その小動物は、ちょろちょろッと走って、腸詰やの中に逃げ込みました。

 その時に、ああ、神様って、本当にいらっしゃるのだなあ。こういう現象を私の目の前で、展開をしてくださるのだからと、思いました。

 もし、17日(月)が、一日中晴れて居たら、あの時間帯に、あの小動物が、ウロチョロすることはなかったでしょう。しかし、霧雨でした。で、観光客は、もう一人もいなかったのです。腸詰やの閉店が何時かは知りません。でも、閉店をしているから、しかも霧雨だから、その小さい動物は、道路に出て来ていたのです。観光客がこぼしたワッフル(アイスクリームのコーンの一種)とか、コロッケのかけらなどを探していたのでしょう。その子にとっては、おごちそうです。

 霧雨という自然現象が、神様が下さった、私に対する恩恵です。

 こんな小動物をお店の中に保持しちゃって、大丈夫ですか?と、思わず、腸詰やの主人に向かって、声には、成らない形で、快哉を叫びましたよ。スタッフは、食品衛生管理士とか言う資格は持って居るのでしょう? 全員、それとも一部ですか?

 2004年にひどいいじめに出会っているから、ここまで、はっきりと、書くのです。お客商売なのに、そして、私の文章は、鎌倉についても触れているというのは、2004年には、すでに分かっていたでしょう。古い時代のパリの話なんかより、ずっと強いのですよ。それなのに、ひどいいじめをするのは、あなたが、結構な、レベルで、お馬鹿さんであると言う事の証明なのではないですか? 偉そうにしていますけれど。

 この時に、あ、この人って、ブルーカラーの職種で、米軍、横須賀基地で、働いていた人だろうと、推察しました。大変上等な文化人としてふるまっている人ですが、嘘ばっかりの人です。いずればれるだろうと、思っていますが、だまされる人が多い模様ですね。日本人も軽くて、ちょろくなりました。ひどい、ひどいことをされたので、ここまで、はっきりと書いて置きます。

  そのいじめですが、花輪夫人が関与している可能性を感じています。でね。その時には、関与して居なくても、この八月にお嬢さんの、腸詰やでの個展があったでしょう。あの時にも、また、下の道路の七月末の、ど根性雑草の、抜きとり作業のあたりでも、花輪夫人は敵方の一人として、動いていますね。

  途中で間に、たくさんの文章を入れて、これが、完成したのは、18日の午前3時だった。途中の文章は、別章に移そう。

 2022-10-17~18にかけて、これを書く、雨宮舜(本名川崎千恵子)

蛇足・・・・・日本のパソコンの優秀さと、私のタイピングの速さについて

 

 ところで早打ちの事へ戻ります。ニューヨークの美大の大学院、版画教室の作業台の上で、英語を自由に文章化してすごいスピードで、入力していくので、周辺の20代の学生たちにひどく驚かれ、一種の称賛を浴びました。1999年の事で、ほとんどの人が、大きなブラウン管式パソコンを使っていた時代です。大学院の学生は、四人一組で、半分間仕切りされた、半分開放されているアトリエを使っていたので、ほとんどの学生が、ブラウン管式パソコンを使っていたのです。それを、見ましたよ。半分開放だからだれが入ってもいいわけですし。教室が同じ学生と共同研究もしていたので、自由に訪問をしていたのです。

 実は、この日本語訳文を、もし、最初から書くとしたら、公表をしなかったと思います。しかし、たまたま、開いたパソコンが、一週間ぐらい前から、『IMEが利きません』と、言い始め半角しか入力できないものでした。私は、パソコンに対して激しい攻撃を受けていて、すでに、20年間に40台以上、壊されています。で、仕方が無いので、常時4台ぐらい防衛上使っていて、順番に、起動をして、様子を確認しながら、使っています。本日の夕方開いたのは、とても好きな東芝ですが、幾つかのキーが無効になって(それが、二週間前からはじまったかな?)次に全角入力ができなくなって、ブログを書くことが出来ません。今、日本語で入力しているのは、むろん別のパソコンです。

 ああ、ちょっとした自慢になってしまいますが、23年前に、私はニューヨークの美大で学んでいたのです。その時の、私のキーボードの入力の速さは、日本語にしろ、英語にしろ、ものすごく早くて、それは、周辺を驚かせました。20代にIBMの電動タイプライターというので、鍛えているので、ものすごく早いのです。

 ところで、上の英文ですが、あんまりスムーズに書けたのがうれしくて、その後2時間ぐらい単純ゲームフリーセルをして遊んでしまいました。これから、夜の家事をして、その後、12時半ごろから最後の点検をするつもりです。辞書を持ってきてね。(お、ほ、ほ)

 

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国立劇場の建て替えを決定した芸文振とは、反日とか悔日映画に文化庁が支援金を出す事を私が批判したから、急にできた半官半民の組織ですよ

2022-10-15 11:46:12 | 政治

 さて、私は、最初に写真を置くことにしています。本日の写真は、未発行の私の七冊目の本の表紙です。レオス・カラックス監督が、日本で、たった二週間で、映画TOKYOの第二部、【メルド】(フランス語で、くそ=大便という意味)を撮影中の一こまを新聞か、雑誌が撮影をしたものを、使っています。これは、見本の本です。パソコンで作ったものです。

 しかし、これを準備中の私を脅かすために、千葉景子、当時の法務大臣は、死刑場のマスコミへの公開をしました。彼女は死刑反対論者だそうです。しかし、中央大学の卒業生なので、五歳年上の伊藤玄二郎からの依頼を受けて、その通りに行動をしたのだと私は考えています。

 ところで、そういうわけで、私がニュース他、いろいろな現象を作り出しているのです。なお、千葉景子さんは、高校も伊藤玄二郎と同じ平沼高校だと、長らく信じていました。が、ほんとうは、学芸大学の付属高校卒で、その前は、私と同じ横浜国立大学付属横浜中学校の卒業生でした。六期したです。今、74歳というところ。これは、本当に驚きました。なお、私がこの見本本を、実際の工業的出版物として、発刊しなかったのは、千葉景子さんに脅かされたからではありませんよ。そうではなくて、母が死にそうだったからです。この見本本を作り上げたのが、6月ごろだったかなあ。母は、実際に10月に亡くなりました。だから、エネルギーを残しておく必要があったのです。私の場合、ほんの出版は、大量の妨害を受けます。だから、消耗が激しいのです。で、疲れていると、遺産相続で、争族になりやすいと思ったので、体力を温存しました。

 という挿入を夜6時に入れて、午後三時に書いたところから、始めましょう。

 

 この一文ですが、初稿を中断したのち、30時間ほど空けて、続きを今、16日の午後に、書いて居ます。で、初稿段階では、・・・・・岸田総理大臣が、重要な案件を議会に諮らず、決めてしまう事、特に熊本県への7000億円の援助についてとか、半導体不足について、・・・・・、論考を張るつもりでした。

 ところが、本日、テレビ(ラジオ)欄を新聞で見ると角野栄子さんの、番組が再放送されると出ていました。その初回(9日の日曜日)を観た感想では、角野栄子さんよりも、隈研吾氏を、押し出すために作られた番組ではないか?と、感じたのです。非常に短い時間しか、隈氏は、出てきません。だが、私の勘は鋭いです。角野栄子さんを表にたてているが、それは、一種のカモフラージュであり、実際には、・・・・・私に対して、隈氏を威圧的に、押し出す・・・・・のが、目的の番組ではないかと、思い、いたったのです。

 では、なぜ、隈氏を、私に対して威圧的に、押し出さないといけないのでしょうか?

 ああ、そうか、国立劇場の建て替えが、すでに、設計者が決まっていて、それが隈研吾氏なのだろうと、思いいたったのです。これが、早合点で、間違っていることを望みますが、ニュースなんて、どうにでも、変更できるのです。で、いまだに、建て替え後の劇場の設計者が発表をされていないのが、不思議だし、・・・・・この勘は、当たっている様な気がします。

 それに関連して、副題-1を、冒頭に、挿入します。そして、総タイトルに入れていた有名人三人の名前を削ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題-1、『わたくしは、国立劇場(三宅坂)の建て替えには反対である。それを、ちら、ちらっと、あちこちで述べてきている。其れの影響かどうかは知らないけれど、NHKニュースは、国立劇場の建て替えについては、まるで、報道をしておらず、先週だったか、・・・・・菊之助の【義経千本桜】が、さよなら公演として、(Aぷろ、Bぷろ、Cプロの三部に分けるが)、通しで上演をされると、言うニュースで、初めて、それについて触れた。さよなら公演であると言っていた。

 私は、そのNHKニュースに関して半信半疑で、三宅坂に行ったのだけれど、-----それは、14日、金曜日だったー----その時にロビーの雰囲気で、観客がそれを知っていて、了承をしているのを感じた。『えっ!』と、思うほど意外だった。が、忙しくて、その後、また、何日かを調査せずに過ごし、本日、16日の午後に至って、ネットで、検索をかけてみると、

文化庁発のpressリリースで、令和三年度から、着々と建て替え計画が進行しているのを知った。

さあて、どうしようというところだが、この続きは、☛☛☛☛へ、 

 

副題1、『半蔵門線の中で、考えていたブログ文案(小山薫堂氏も登場する)と、まったく同時刻、NHKニュースウォッチでは、小山薫堂氏が出ていた。

チャネリングというか、なんというか、あまりにもタイミングが一致しているので、驚くが、それは、私の敵さんたちが、私が過去に書いた文章から、そろそろ、この人物について触れるはずだから、彼女が書く前に、この人をとても偉い人として、テレビを使って、国民に印象付けるのだと、考えたからでしょうし、そういう点では、彼らも、また、頭がいいと言わざるを得ません。非常に知的な紳士的な、お顔で・・・・・この人は、たぶん、私のブログを読んでいない。しかし、ここで、NHKニュースウォッチに登場される、事には、鎌倉エージェントの、采配があっただろう・・・・・・どうしてかというと、私は、この人について、何度も書いてきているからだ・・・・・特にくまモンの生みの親としてのこのひとについて』

 本日もまた、三日間以上かかるでしょう。前報が、完成しておらず、気にかかっていますが、ニュースウォッチ(NHK 9時のニュースのこと)を利用されて、一億二千万人に、この人の顔が紹介されたら、どうしても、こっちへ移動せざるをません。

 ところで、一回も現場であったことが無くて、顔を知らなかったのですが、美術界での、業績(東北芸工大学教授)から考えて、もっと年上の人を想像していました。しかし実際には、私のこども達と、ほぼ同世代でした。美術界の、あれこれの有名人の中でも、若さという点で、トップクラスでしょう。ただ、ありとあらゆる意味で、いい仕事が来るのは、私のブログが原因でもあるでしょうよ。鎌倉雪ノ下の平木伸明さん一家と同じです。小山薫堂氏について、別にけなしたわけではありません。

 彼の指導する学生が、立派だと、言っただけです。彼が指導する東北芸工大学の学生が、なびす画廊で、発表する作品が良いと思う。 ・・・・・東北芸工大学とは、後発の、美大だと、思われるのに、すごい・・・・・と、書いたからでしょう。その時期ですが、2002年から2008年までの間だったと、思います。

 15年前なので、彼が、38歳から42歳ころまでだったと思われます。

 その頃は、私が見つけたことを、有名人にそっくり同じ内容で書かせる・・・・・これは、有川浩ではなくて、・・・・・第二次大戦開戦に関する論文で、櫻井よし子に書かせて、ネットで、私の、パソコンに浮かぶ様に諮られました。ことが頻発していた時期です。

 こういうことができるのは、井上ひさしが、新潮社に、大きな力を持っているのと、ご近所に、最近、転入してきた人物が、裏は、警察のエリートだと、思いますが、表の顔が、新潮社勤務だからかもしれません。

 また、田原総一郎が、小林よしのりや、櫻井よし子など、右翼系ライターを、始め、13人の影響力の、強い人物を、糾合して、親密なクラブを作ったからです。それをわざと外部へ発表をしたのですから、私狙いだったのは、確かです。

 それから、モノや、現象も私が、発見したものを、自分たちが、発見したがごとく、大きくもリ上げるというケースも頻発しました。

 それは、結構平和で、楽しい時代でした。しかし、彼らのやり方も、ぐんぐん変わってきています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、ところで、小山薫堂氏は、大阪万博2025に関連して、出てきたのです。それで、ニュース画面を、きちんと見ていると、彼の前に、その顔が、既に大変有名な教授である、石黒浩氏が、アンドロイドと、一緒に出てきました。

 で、どういう事だろうと思い、ネットで、丁寧に、検索をすると、二年前に、事業プロデューサー10人が選ばれていました。

 ここで、2022年10月15日は、中断をして、28時間以上、何も入力できませんでした。申し訳ございません。今から、再開をいたします。

 その中の、一人として、小山薫堂氏が選ばれていたのです。しかし、それが、発表をされたのは、

プレスリリース

2020.07.13 大阪・関西万博 プロデューサー 決定 で、
 
今、NHKが、9時のニュースで、取り上げる意味はないのです。その時のpressリリース文の最も主要なところをコピペして以下に置きます。:::::::::

会場デザインプロデューサーには、建築家の藤本壮介氏、会場運営プロデューサーには、プランナー、プロデューサーの石川勝氏が就任しました。

各テーマ事業のプロデューサーには、8名の有識者が就任しました。
「いのちを知る」は生物学者、青山学院大学教授の福岡伸一氏、「いのちを育む」はアニメーション監督、メカニックデザイナーの河森正治氏、「いのちを守る」は映画監督の河瀨直美氏、「いのちをつむぐ」は放送作家の小山薫堂氏、「いのちを拡げる」は大阪大学栄誉教授、ATR石黒浩特別研究所客員所長の石黒浩氏、「いのちを高める」は音楽家、数学研究者、STEAM教育家の中島さち子氏、「いのちを磨く」はメディアアーティストの落合陽一氏、「いのちを響き合わせる」は慶応義塾大学教授の宮田裕章氏が担当します。
:::::::::::::

 だから、小山氏が、登場したのは、「お前が今から書こうとしている文章の主役とは、こんな立派な人物なのだ。だから、一般読者は、お前の方があほだと、思うにきまっているさあと言いたいからでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私への威圧を目的とするテレビ番組としては、本日、22-10-16の夕方六時半から、角野栄子さん87歳の下町旅(再放送)が、NHK ETVであります。これは、スペースの無い場所に番組名を入れ込んでいるので、正確に言うと、下関への旅だと、思います』

 一週間前の放送を、短くまとめると、

22-10-9(日)カラフル魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし 下関、訪問、書店を営む友人(15歳年下)を訪問をして、次に小学校を訪問をする。次に深川を訪問をし、隈研吾を訪ねる。放映は、NTV -021

 時間は、18:30~19:00・・・・・と、私がメモ書きしてあります。

 本日は、それの一週間後の再放送でしょう。角野栄子さんが、なぜ、私を威圧するために使われているかは、何度も何度も書いてきています。だから、それは、繰り返しませんが、

 ここで、ひょっと気になるのは、最初の放送では、時間的配分としては、下関の部分が大きかったの(です。しかし、本日の再放送の案内では、下町旅となっています。つまり、時間的配分が、非常に少なかった、深川<<生まれ故郷>>への旅が、番組案内のトップに来ています。という事)は、隈研吾氏を、大きく見せたいと、言う話になるのでした。

 それで、ひょっとして、国立劇場の再建策は、隈研吾氏の、建築素案が、すでに、内々で、採用されているのではないかと、考え始めたのです。

 でね、今、時間をかけて、国立劇場再建案という項目をネットで探して、設計者と、言う項目を探したのですが、今度の劇場については出て来ないのです。それが、自分の考えを肯定する証拠といたします。

 で、私が、反対論を展開し、それが、大きな力を持つと、困るので、情報が秘匿されていると考えます。コンペも行われず、設計者が決まるのは、佐野研二郎と同じですね。

 ただ、こう書くと、急にコンペが行われたこととなるのかもしれません。しかし、新国立競技場が、伊東氏と隈氏の競合になり、その結果、隈氏が選任された事では、ネットで、大いなる疑念が出ましたね。そして、七万人収容の無駄遣いの極致が、隈研吾氏の作品として残ったわけですが、隈氏は、哲学が足りないのだと、思います。

 能吏です。で、実際に新国立競技場に入ると、いいところが見つかるのかもしれません。だけど、7万人も収容する様な催し物が、これから先、いつ、どんな形で、起こりますか? そんなものを得々として作るとは哲学がない人だからできることだと思いますよ。しかも税金を使って、自分の盛名を上げる。汚い手法です。

 日本とは借金だらけの国です。それで、ギリシャが、そういう目に出会った様に、または、アルゼンチンが、そういう目に出会った様に、債務不履行(デフォルト)に陥る危機さえあるのですよ。

 つまり、国債が、元金と利子を支払いが出来ないと、言う形です。国債とは、銀行の定期預金より利子が高いのです。で、日本国民が買う場合も富裕層でないと買えません。

 だから、それが、パーになったとしても、それは、あり得ることだし、日本国民にとっては、珍しい事でも無いのです。例えば、明治維新とか、第二次大戦時の、8月15日以降の敗戦時とかは、富裕層が、急に貧乏になったケースでした。

 明治維新後は、特に薩長土肥の、下級士族はいい目を見ました。京都東山の別荘を買った山形有朋は、椿山荘も、所有していたのですよね。

 一方で、急に貧乏になった萩の【なんとか家】という名家では、お子さんが、現在の一橋大学に入学したので、「これで、円札で、【どこやら家=昔下級士族だった家の男主人の面の皮を、はたいてやる」と豪語したそうです。気の毒に、苦しい目に出会ったので、子供で、復讐できると喜んだのです。

 というわけで、日本全国で、士族階級が零落したのでした。宮口誠二が映画【にごりえ】の中で演じる、働く気のない主人って、そういう階級の事を描いている様な気がします。

 さて、次に起きたのが、1945年の、敗戦の日です。それは、東京大空襲とか、広島で、原爆に出会った人、ほか、日本国民すべてに窮状をもたらしました。ただ、戦死した人の、遺族には遺族ねんきんが下りて、とか、原爆症に認定された人に医療費が下りてとか、一部の人には、国家から救済があったのですが、普通の人、特に地主階級は、ほぼ、壊滅的打撃を受けたのです。それから、華族階級も打撃を受けたのです。そのう江、新円切り替えというのがあったので、それは事実上のデフォルトで、借金をしている人は勝ち、富裕層ではなかった方が、富裕になったのです。

 将来起きる可能性のあるデフォルトに対して、日本人はいいのです。まあ、二回経験済みだから、立ち直れるでしょう。しかし今の様に台風被害に対しても、国家が、補助してくれる仕組みが、続くと、心身ともに弱体化します。あくまでも、個人のお金で、対処する方向で、始末した方がいいのです。

 だが、海外の資本家が、デフォルトに出会い、損をしたら、どうなるのでしょう。日本文化に対する尊敬は、失われ、観光客も来なくなる可能性があります。

 悲観的予測かもしれません。だが、私の予想は、ことごとく当たるのです。

ここからは、国立劇場の建て替えの話に入ります。☛☛☛☛の続きです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『国立劇場、三宅坂は、建て替えない方がいいのです。今でも、十分に機能をしています。で、・・・・・ここで、国費を無駄遣いするな・・・・・と、言おうとすると、

 文化庁は、・・・・・ここに、民間資金を導入してホテルなどを建てる・・・・・と、言っているのです。「えっ!、なにそれっ?」と思います。体の良い土地の払い下げです。きっと、地価の公正基準より安いですよ。これって。

 だけど、そこにホテルができて、地下鉄が、至近距離に無い形で、利益が上がるのかしら? まあ、地下街で、永田町、もしくは半蔵門に出られる様にする? もしくは、新地下鉄が新たにできる? それは、半蔵門線が、曲がって、近寄る?

 で、そういう意見を言う時に、文化庁の管轄だから、国会の審議にかけるべきでしょう?と、言おうとすると、

 それは、芸術文化振興会が決めたことですと、言われます。今、その組織を検索すると、理事は、六人で、組織のスタッフは386人です。(令和3年10月1日現在)

 理事六人をコピペしようとするとうまくできません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、「芸術文化振興会とは、映画に関する助成金を批判をしたら、急にできた責任逃れの組織です』

 あのね、芸術文化振興会って、2010年に、私が【消された映画】という書物を、七冊目として、出版しようとしたから、急にできた半官・半民の組織で、文化庁が、国民からの批判をそらすために、急に作った組織なのです。

 文化庁は、映画【靖国】と、映画【TOKYO】に800万円の支援金を出して居ます。

 映画【靖国】の方はご覧になった方も多いでしょう。だから、私の言っていることが正しく、ご理解なされると、思います。しかし、映画TOKYOの、方は、非常に複雑です。これは三部形式のオムニバス映画で、第一部をニューヨーク在住の映画監督に撮影をさせ、第二部をレオス・カラックス監督に撮影をさせ、第三部を、韓国のボンジュノ監督に撮影をさせています。ボンジュノ監督は、のちにアカデミー賞を受賞しています。なお、同じ賞を日本映画、【おくりびと】ももらっています。しかし、その脚本を小山薫堂が書いたと、ごく最近知って、なあんだ。直木賞、芥川賞、文化勲章と、同じレベルで、アカデミー賞も、彼らCIAの道具となっているのだと、判明しました。

 映画TOKYOに、戻ります。第二部が、本当にひどいです。多分脚本の大本は、井上ひさしが書いて居ます。それを、大軍産共同体、デュポンの出自を持つ、有名な映画監督、レオス・カラックスに撮影をさせています。【ポンヌフの恋人】を撮影した監督で、私が、パリにいた際に、二つ、その映画をほうふつとさせる場面に出くわした・・・・・と、メルマガで、言っています。一つはヒロインのジュリエット・ビノシュが、地下通路を走る場面で、それはバスティーユ駅の八本の地下通路のうちの一本を使っていると、メルマガで、書いて居ます。もう一つは、彼女が愛する知的障害者ドゥニ・ラバンにそっくりな若者が、コインランドリーの床に寝ていたとか、その若者はサン・ポール(裕福なユダヤ人の居留区で、日本人デザイナーが、拠点ショップを開くことが多い街)の商店街で、大切にされていて驚いたとか。

 それを書いたのがいつだったか、ノートパソコンが、40台以上も壊されているので、AOLを使ったメルマガは、再現でキず、いつだったかを忘れているのですが、その文章を、つぶす為に、レオス・カラックス監督に、映画TOKYO第二部を撮影させました。

 で、【靖国】の方は、監督は無名です。しかも、映画自体が粗雑です。映像も音声も粗雑です。未完の趣が大きいです。ただし、靖国神社内で、いまだに、軍刀(=日本刀)の鍛造が、行われているかのごとき、嘘の映像が、含まれているので、これも海外で、配給されると困る映画です。

 もう一回映画TOKYOに戻ります。井上ひさしは、このブログにコメントを多数よこしますが、その際に、署名として、ウンチョース(ウンチが出る)とか、ヘーガデール(屁が出る)というものを使います。そして、外人らしい署名を使いながらも、日本語でひどい内容のコメントを書いてきます。だから、レオス・カラックス監督の映画名を、【メルド】(くそ)と、つけたのです。で、ああ、原案が、井上ひさしなのだと、判りました。

 レオス・カラックス監督は、自分が作っている映画が、日本を侮蔑する映画だと、判っているので、罪の意識がありますね。だから、「スタッフキャストの、ご親切には、感謝します」という言葉を残して、たった二週間の滞在で、日本を去り、二度と来日していません。気がとがめているからでしょう。

 この映画、TOKYO第二部に出演した俳優の経歴の中から、この映画への出演記録が、消えていました。が、今、島田久作の経歴の中で出て来ています。

 もう一人、石橋蓮司の方を開いてみると、出ていました。ただし、コピペするとリンク先に飛ばない形になりますが。

TOKYO!「メルド」(2008年) - 担当検事

20世紀少年(2008年 - 2009年) - 万丈目胤舟

まぼろしの邪馬台国(2008年) - 戸田亮吉副社長

ぼくのおばあちゃん(2008年) - 茂田源次郎

ラーメンガール(2009年) - ウダガワ

鴨川ホルモー(2009年) - 居酒屋の店長

劒岳 点の記(2009年) - 岡田佐吉

 ともかく、この映画の第二部を日本に滞在をしたことのない外国人が見ると、日本って、いまだに軍国主義国家なのだと、誤解をします。

 そして、この映画が、フランス映画社の企画としてできている事。私が批判文を書いてから、フランス映画社は、倒産をしたことになったこと。これは嘘でしょう。そののちにアビティビル(一回に腸詰屋が入っている)という豪華ビルを建てるなどしているので、破産とか倒産などありえないのです。などで、この映画が、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人が企画をして、川喜多邸の相族に当たり、鎌倉市が、相当な援助をしたことへの返礼もあり、協力をしたと推察しています。

これは、続きます。特に瓜南直子さんの急逝が、この二つの映画のプログラムが我が家から、盗まれたことと関係があります。が、本日16日はここまでで、終わりとさせてくださいませ。

 

理事長

〇河村 潤子

平成30年4月1日

 

 

 

 

理事長代理
理事

氷見谷 直紀

令和4年1月1日

 

 

 

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上水道の罠・・・その前に、宗興寺さんと浄智寺さんの結びつきを語る。両方に伊藤玄二郎が絡んでいるが

2022-10-12 20:40:44 | 政治

副題1、『2022年10月2日は、私の実家の、最後の法事だった。だが、私は出席しなかった。しかし、弟には、誠意を示したいと思い、前の日に、鶴見の弟の二つ目のマンションを訪ねている。しかし、彼には会えなかった』

 この法事に出席しないと、言う事は、伊藤玄二郎 → 浄智寺さん → 宗興寺と、言う流れで、宗興寺さんが、おかしくなっているので、それを、ブログで、二回、書いています。

 そのリンク先を見つけている時間が今はないのですが、ともかく、法事に、気を抜いた、やり方が、目立ってきていたし、鎌倉霊園と、宗興寺さんが、結託をして、そういう、いい加減な法事になっていることもわかっていたし、

 曹洞宗の、事務方の偉い人である、宗興寺さんを、一回目のブログ以降、守るためでしょう。オイコノミア(又吉直樹が、経済問題の、知識を、その専門の人に聞いて歩いていく番組で、非常に面白かったが、私のブログが、総持寺編について、あまりにも深い政治的、真実をついているので、放映が終わってしまった)が、以前、中央線沿線の、新興のお寺で、取材した、コンセプトと、まったく同じことを総持寺を舞台に、放映をしたのです。だから、二回か三回、宗興寺さんが、CIAエーじぇじぇんとの言うなりになっていることを、書いている筈です。

 でも、自覚的に、欠席をしたのですから、悲しむことはなくて、「誰が出席したか?」とか、宗興寺さんが「喝を入れたか?」とか、主人に聞いて、いろいろな、こと(特に敵が、だれを篭絡しているのか。誰を私に敵対させているのか?)ということがはっきりとわかりました。主人も、私がなぜ、欠席をしたかをうっすらと知っているので、「宗興寺さんは、お食事を一緒にとられたよ」というのです。

 最近3回か、4回ぐらい、宗興寺さんは、口実をつけて、食事を一緒にとらないと、言うことが続いていました。特にひどいと思ったのが、・・・・・「鎌倉霊園が、次に、その式場を使うので、早めに切り上げるし、お坊さんの方も別の用事があるので、峰本(鎌倉霊園から、一キロぐらい離れた駐車場付きの、料亭)での、食事会には、参加しない」・・・・・・という、前回の事でした。
 私はたまたまセーターを忘れたので、取りに帰ったのです。次のお客が式場を使うとしても、間に、30分の余裕は入れているでしょう。もしかしたら、一時間の余裕を入れている筈です。午前二組、午後二組、または、午前、三組、午後三組としても、間に、30分の余裕は入れている筈です。そして、早めに来るお客もいるので、式場は、ドアは、空いている筈で、誰かいたとしても、「前に法事をしたものです。セーターを忘れたので」といえば、だれも「だめです」というはずもないです。

 ところが、鍵が閉まっていて、誰もいないのでした。で、セーターを取り出せません。で、事務所に行って、鍵を借りました。その時、怒りのあまり、「次のお客がいるということで、早めに追い出されたのですが、次のお客はいませんね」と、言ったかというと、言わないのです。リアルな世界では、喧嘩をしない主義が、ここでも、出てきて、私は黙ってカギを受け取り、黙ってセーターを取り出し、黙ってカギを返しました。

 鎌倉霊園が嘘の実現に、協力したということは、堤義明さんが、からんでいて、ということは、彼のいとこだと、考えられる、石塚雅彦さんが絡んでいるのでした。浄智寺さんを動かしたのは、伊藤玄二郎です。これで、彼も、CIAエージェントであり、石塚雅彦さんも、CIAエージェントであると、言うことが、明瞭になりました。
 そして、宗興寺さんは、今回、36年ぶりに、「喝を入れた」のでした。その間、ずっと、省エネスタイルだったのです。力を惜しんだ、気のないスタイルでした。喝がなく、宗教談話も、短いものだったのです。
 しかし、父が選んだお寺です。父は、社長さんたちのグループが、運営する仏教研究会に入っていて、新門様などもお呼びして、ほかにも、いろいろなお坊さんの講話を聴いていました。で、宗興寺の前の、お坊様が、良い方で、お金儲け主義ではないし、尊敬できるから宗派を変えて、曹洞宗でもいいから、宗興寺さんを、菩提寺に定めようと、決意して、お願いをしたのでした。江戸時代は、身分によって、宗派が、きまっていたので、萩の本家の宗派を引き継いだ方が、身分の証明にはなるのでしょうが、それを変えたのです。萩の、父の実家は、曹洞宗ではないはずです。父は、次男なので、萩の墓から、独立して、自分の墓を鎌倉霊園に作りました。その際に、萩は、13歳で離れています。旧制中学入学時に、山口中学に通うために、山口市に、寄留をしたので、その時点から、ほとんどを萩以外の、場所で過ごしています。だから、萩の菩提寺の、お坊さんにも、付き合いがなくて、裏切るという気持ちなど、毛頭なくて、宗興寺さんを選んだのでした。
 それなのに、こんな激しい裏切りに会うなんて、これも、伊藤玄二郎が初発の言論弾圧だから、彼に対する怒りは深いです。

 ところで、私は、よく神様が救ってくださるといっています。その神様ですが、別にキリスト教系統の神様と、言っているわけではないのですよ。
 カンブリア宮殿で、築地の、本願寺が、取り上げられたことがありました。現在のトップは、元銀行務めの僧籍の人で、大きな改革をしたそうです。その方が、「人知を超えた存在があることを、知ってほしい」とか、または、それを知ることが大切だと、おっしゃっていたのですが、そういう神様です。


 わたくしがセーターを式場に忘れたこと、それが、神様のご采配だったのです。「あら、へんね、法事にセーターなんか着ていくのですか?」という礼節に詳しい女性が存在して、疑問を呈されるかもしれません。だから、詳しく、説明をさせてくださいませ。
 セーターといっていますが、実際には、カーディガンというスタイルです。そして、なんと、50年以上前に母が買ってくれたものです。実は、例の大・大・実質的詐欺事件である、(北久里浜の水道山1200坪が、ただで、私人(益山茂夫夫妻。彼が急死した後では、瀬島龍三とか、細君の智恵子さんの実弟仲野通巳吉が、表面に躍り出て来たが?)にわたった地積変更届の際、(1978年の、10月何日かに)それを着て法務局に行っています。登記簿謄本をとったと思うのでそれが、存在していれば、正確な日付がわかります。が、それ関連の資料が段ボール箱いっぱいあったのに、盗まれています。だから、1978年の10月だったとしか言えませんが。


 今、日本財団の、古楽器部門の実質的トップである、塩見和子さんが、「セーターが好きです」といっておられますが、まさしく、その種の作家ものセーターで、母が、当時、その作家さんを好きだったのでした。50年前に、3万円以上だったと、聞いていますので、今では、20万円以上はするものでしょう。
 しかし、値段ではないのです。

 50年前には、非常に新しい化学繊維だった、ポリエステルの糸で、編んであります。ポリエステルって、絹に似た艶を出すことができますが、絹と違って、冷たいのです。着て冷たいのです。だから、母は、「これは、サマーセーターよ」と言いながら、私に渡しました。しかし、ポリエステルの糸って、意外な長所があるのです。それは、劣化しないという事。全然古くならないのです。けば立ってきたりはしないのです。いつまでも、新品状態です。

 しかも縁取りが、幅6cm段が、5段以上の手編みの縁取りです。編み物を自分でやる人だったら、特に上等なものだとわかるでしょう。また、ウエストが絞ってあってボタンなどがなく、レースの紐などで、ウエストを絞ると、痩せているわたくしの、痩せ加減をさらに、強めて、優美さを増してくれるのでした。

 母は、一時期、私をいじめていました。高給取りで、仕事も華やかな妹に比べると、私の方は、挫折した人間で、今では、専業主婦でしかないので、がっかりさせる存在だったのです。妹と結託をしていて、家庭裁判所の調停委員が、「あなたは、本当のお子さんですか?」というほどに、遺産に差がありました。数字の上では、平等でも、実質で、差があったのでした。母と妹と弟は、父の死後、賃貸収入が入る、不動産を二つずつもらって、それだけで、30年間に、一億円は、獲得したはずなのです。すごい差なのです。だから、遺言書開示の日に、弟が、当時、教育センタービル(今では、関東学院のタワービルが建っている場所)の二階にあった、スエヒロで、「僕の取り分から、二千万円上げますので、これに、印鑑を押してください」と言われて、印鑑を押しました。わたくしは、2000万円に目がくらんだわけではないのですよ。全体として、お金には、無頓着だったのです。長女として、常に、親から与えられる方だったので、無頓着なのです。父親にしても、北久里浜の家と、鎌倉の家の二つを持つに際して、買うときに援助をしているので、自分が死んだときには上げないと、言う話でした。父は、別に差別をしたわけではありません。ただ、父の葬儀にしろ、何にしろ、一切を、妹夫婦が取り決めて、私という長女夫婦を一切かませなかったこと、また、父の死後、母に七億の借金をする様に、妹夫婦が提案をしてきたことは、怒りの対象です。感情的に嫌な話でした。だが、妹の連れ合いには、なめられ切っていたと思います。しかし、このブログが、私の死後日の目を見ることもあろうかと信じています。神の本で出版される日もあろうかと信じています。で、そうなれば、妹の連れ合いと、私の地位は、逆転します。元に戻ります。

 母が、「70を超えて、7億もの借金は嫌よ」といったので、破産をせずに済みました。この二年後だったか、バブルがはじけました。借金をしていたら、破産では済まない額でしたね。両親は、堅実な人で、住宅金融公庫以外の借金はしたことがないのでした。

 妹の結婚相手は、父親が愛人の下で、暮らしていた時期が長くて、したがって、アルバイトなどできない少年期には、貧乏だったらしいのです。だから、お金にシビアで、借金をすると、遺産の相続税が安くなるという知識があり、母に「借金をして、ビルを建て、賃貸収入を得ること。それは、節税にも役立つのだから」と勧めていたのでした。そういうことも、私には、事前には、一切の相談がないのでしたが、さすがに額が大きいので、家族会議が開かれて、母の「借金は嫌よ」で、無事なその後を迎えることができるという形で、決着がつきました。よかったです。

 母と、妹の結託と、それによる私はずしの時期は、ほぼ、20年間続いたと思います。その間、駅まで、一緒に帰ったお手伝いさん(もと、霞が関勤務で、大学教授の未亡人、現代アートの作家になって、ニューヨーク暮らしをしている息子さんにお金を送りたくて、お手伝いをしている人)が、「千恵子さんも大変ですね」と、同情をしてくれました。

 そういう母が、最期の五年間ぐらい、私に傾斜することとなります。私を姉として慕い、一種の教誨師としても、慕い、私の老人ホーム訪問を、大きな期待を込めて、待つ様になったのです。そうなれば、私も母をいとしく思います。

 私は、心理的側面とか、情の在り方という側面では、非常に深いところに達しているのです。人が死に向かうときは、お金も関係がないし、社会的地位も関係がありません。もしかすると、宗興寺さんより、私の方が宗教家としては、深いかもしれませんよ。わたくしが反対の立場だったら、浄智寺さんの提案に対しても、あれほどの、軽いノリ方は、しないでしょう。絶対に自分の基本的な義務は守ると思いますよ。

 前報(後注1)の、中で、【電車の中で】というタイトルの本を出版したと、言っています。その中で、ちらっとですが、それを出版したのは、母のことを記録しておきたかったからだと、言っています。母との最終場面での、やり取りを、簡潔に書いた章、三つで、その書物を終わりとしています。本を出すというのは、やはり、何らかの強い動機が必要で、私にとっては、母との最後の日々が、とても大切なものだったから、記録にとどめたかったのでした。

 そういう母から、法事の日には、45年前にもらったセーターです。それは、それは、大切なものでした。忘れたら、絶対にとりに行くはずのものでした。でも、どうして忘れたかというと、いかにも、ぼんやりとしていて、生気も誠実さもない、宗興寺さんの、法事執行を見ていて、浄智寺さんと、伊藤玄二郎の結びつきと、それ故に宗興寺さんが、不誠実になっているのだから、それを、このブログで、どういう風に書いたらいいだろうか?と、考えていたからでした。

 そしてセーターを忘れたことによって,鎌倉霊園 また、その裏にいる、堤義明氏、その従兄弟、石塚雅彦さんのラインと、宗興寺さんと、その裏にいる、浄智寺さんと、そのまた裏にいる、伊藤玄二郎の、二つの流れが、その日結集したのを感じ取ったのです。それが、神様による恩愛の一つの現れです。

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副題2、『私はなぜ、2022年10月2日という、直近のことを書き始めたのか? それは、10月6日に、すこぶる嫌なことに遭遇したからだった。それは、10月2日に始まり、今もずっと続いている出来事である。だが、書く必要があるのだった』

 さて、ここまでは、本当は、ずっと将来に書く予定のことでした。だって、最近、日比谷花壇における罠ということを連続して書いていますね。それもまた、伊藤玄二郎の悪を暴く話ですが、1967年の出来事です。それに比較をすると、この2022年10月2日の法事とは、たった、10日前のできごとです。しかし、そこから始まって、私は、10月6日に非常に大きな嫌がらせを受けます。またまた、それは、秘匿をされた罠でしたが、壮大なミステリーを解きつつある私にとっては、是非記録をしておく必要がある話でした。
 で、下書きとしてメモリ始めました。すると、・・・・・ああ、そうだ。これは、ハッキングをされているので、中途半端な書き方をすると、私の被害がさらに拡大するのだ・・・・・と、気が付き始めます。で、ある程度、書いたところで、公開をした方がいいと感じました。したがって、公開をします。しかし、最近の私は、兵糧攻めに対応するために、重労働の日々であり、それが、始まった、9月9日以前の様に、時間と体力を、十分にかけていることができません。

 だから、メモそのものをさらします。ただし、自分の覚書ですから、一般の人には、ちんぷんかんぷんでしょう。だから、埋め合わせをしつつ書きます。というのも、ここにも西原理恵子、大前研一などの、有名人が登場するからです。それに比べると、この雪の下二丁目に住んでいる住人というのは、有名度が少ないですね。だから、説明を加えないといけません。その説明の部分を、紫色で、書いていきます。

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副題3、『母が言う。「あんたは、(老後についてだが)大丈夫よ。息子ちゃんは、やさしいからね」と。これもありがたい言葉だった。弟は独身であり、子供がいない。妹には、娘がいた。しかし、娘に介護をしてもらえるかというと、そうでもなかった。妹は、一人娘を、最初は、自分が幼いころに倣っていた、バレーで、有名にしようと考えていた。毎年冬にスイスにスキーに行っていたが、ヨーロッパに触れさせることが目的だっただろう。ところが、小学校四年の時に、バレリーナの夢をあきらめ、普通に、受験勉強をさせて、医者にすることを考え始めたらしい。自分たち夫婦は、二人とも、千葉大という、偏差値優秀大学に入学できた。ただし、薬学部である。もっと、偏差値を落とせば、(つまり、私立でもよければ)医学部に進学できると考えたらしい。で、順調に、中学受験に成功をして、渋谷幕張に入ってからは、その夢を追って居たと、思われる。

 ところが、渋谷幕張の同級生の姉が、亡くなった。その通夜の日に、「お姉ちゃんの代わりとして、この家の娘になって頂戴」と言われて、そのまま、その家に住み続けることとなった。これを私は全然知らなかった。


 わたくしがニューヨークへ行っている最中に、その一人娘は、寄遇先(実質的な養子縁組と同じ)の男の子と結婚をした。男の子の方が、大学へ進学せず、会社を起業したので、渋谷幕張の同級生等が招かれることはなくて、姪の方も、看護大学の同級生は招かなかったらしい。だって、結婚相手がセガサミーの創業者里見さんの甥なので、看護大学の同級生とは家風が違うはずだ。富裕度のレベルが、違いすぎるだろう。普通の場合、富裕な家のお嬢さんは、看護大学を目指さないからだ。
 だから、親戚だけ招かれた。椿山荘で、少ない参列者だったが、たいへん豪華な披露宴を行ったそうだ。むろん結婚式も豪華だったのだろう。わたくしの子供二人が招かれて、富裕層の私生活(25年以上前に、おせち料理は、10万円の物を買う)とか、聞いて驚いて帰ってから、話した。
 妹は、自分が得意としている、飯田深雪さん伝授の、絹の造花で、娘のドレスを飾り、大きなウエディングブーケも作った。だが、本音のところでは、自分が手元に置いて育てれば、医学部に行けたのに、と、残念がっている。
 姪は、定年退職後の義父に、子供二人の保育所前後の面倒を見てもらって、看護師生活を卒業以来、ずっと続けている。一戸建てなのだけれど、エレベーター付きの豪邸を、東上線常盤台駅北口から、徒歩、三分のところに建てて、暮らしている。勤務先の病院は、すぐ近所らしい。夜勤をせず、したがって、婦長(師長?)にはなれないそうだが、仕事は好きなので、やめないといっている。
 姪の義母だが、セガサミーの会社で、手伝っていると聞いている。しかし、妹みたいに、「キャリアウーマンで、キリキリしゃんとしています」という感じではなくて、ふっくらとした専業主婦タイプだ。だから、姪にとって、居心地がよかったのだと思われる。妹は、ちょっときついところがあった。7歳も年上の私に対してそうなのだから、娘に対しても、命令口調で、あれこれ、指図したと、想像できる。
 それを反抗という形で、母親には示さず、さっさと、別の家の、実質的養女になってしまったのだから、姪は、母親よりもはるかに図太い。精神的に言うとタフで、大きい。

 体は母親に比べると三分の二ぐらいに小さいので、「男性のリフトに耐える」と、妹は、言っていて、バレリーナにすることが、一時期の妹の夢だったが、医者に変更になっていたのだった。その夢が、少し、格が低い看護師として、実現をした。でも、姪は、現在のところ、無理がない形で仕事をする妻であり、母であり、幸せそうに暮らしているので、それでいいのだと、思う。法事にも来て、くれたそうだ。
 でも、老人ホームで暮らしている私の母は、きっとこのことを知っていたのだ。だけど、私には30年間にわたって、一言も教えなかった。ただ、母が、最晩年に、「結局、あんたのところが、一番明るくなったわね」と、わたくしに言ったのは、(夫が単身赴任で、大阪にいて)、娘は、常盤台へ行ってしまった、一時期の妹を念頭に置いて言っていた言葉だと、思う。

 ところで、私は妹のことを恨んではいない。私に対して嫉妬心を持っていて、したがって、母を取り込んで、私を阻害する傾向が強かったのだけれど、そういう人格は母が作ったともいえるのだった。

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副題4、『親になるということは、セックスをして、妊娠出産をすれば、自動的に親になるというものでもない。父親の方は、妊娠出産がないので、余計、実感が少ないだろうが、ともかく、ある程度は、学ばないと、なることができない立場だ。学びの先だが、書物とか、インターネットとか、講義で学ぶ、そういう分野とは、違って、子供との交流を通して、実際の場面で、学んでいく。そのためには、子供に対しても、低姿勢で、相手を尊重すると、言う気持ちが必要だ。

 だが、小学校六年ぐらいまでは、親の方が上で、命令口調で、指導できる。しかし、14歳(または、体格によって、13歳であったり、15歳であったりするが)を境に、立場を変えないといけないのだ。妹は、職場で、輝かしい経験を積んでいるので、子供に対して低姿勢になるという変更ができなかったのだと、思われる。特に女の子だと、反抗が目立たないので、親が、自己変革をするチャンスを失いがちだ。

 しかし、私は妹を責めたり、けなしたり、復讐をするために、こういうことを書いているわけではない。反対に、妹もかわいそうだったなあと、思っているのだ。あのせっかちで、余裕がない態度、は、私の母が作ったものだから。妹の責任ではないからだ。ただし、遺伝的に、芯が繊細な子供というのはいるのだ。妹は、そういうタイプだった。母は、そこも、最晩年には、理解をしていた。「うちの子って、どこか、繊細で、芸術的な要素があるのよね。きみちゃんなんて、ちょっと、お料理を作っても、(edible)お花を飾ったりする。だけど、それが、旦那に理解をされないのよ」と。これは、私にも当てはまる言葉だった。だが、母が死んで、12年が過ぎ、私もさらに変わった。今では、旦那に、あれこれ、文句を言ったり、喧嘩を持ちかけたりしている。で、自分の権利とか、領分を家庭内に確保しようとしている。でもそれは、主人が心筋梗塞を患ってからの出来事だった。相手の健康を思うから、こういうことを言うと、言う添えごとをつけて言っている。

 母に戻ろう。死ぬ五年ぐらい前には、妹に対しても、私に対しても深い理解を示した母だったが、妹が小さい時には、そうではなかった。妹が愛情不足で微熱が出ているのですよと、当時の小児科の権威だった、内藤寿七郎先生の診断が下っても、母は、他人事みたいに、午後のお茶飲み会で、それを披露するのだった。私は縮み上がった。お母さん、なんで、そんなことを他人の前でいうのよ。それって、お母さん自身の恥なのよ。わかっていないの?』と思ったが、リアルな世界で、喧嘩をしない主義の私は、みんなが帰った後で、母にそれを言う事もなかった。

 結局のところ、母は死ぬ直前まで妹を便利に使ってはいたが、弟に対する様な、純粋で、無垢な愛情を注いでいたかどうかは疑わしい。かわいそうな妹よと思う。妹は、母のブラウスを買ってきて あげたりしていた。形見として、それらを、もらってきたが、上等なものばかりである。母に懇親の愛情と奉仕をしていたが、純粋に愛されていたかどうかが、疑わしい。

 これは、母親が、陥りがちな、陥穽であって、二番目の子供がおろそかになりがちなのだ。今の言葉でいうとネグレクト。特に三人子供がいると、二番目の子供が看過されやすい。わたくしの子供は二人だが、やっぱり下の子の方がぞんざいな、育て方となっている。そして、それを娘から、ちゃんと指摘もされている。だけど、下が、女の子でよかった。女の子の方が男の子よりもタフなので、何とかなった。

 で、最近は何度も書いている妹分析を、本日も行ったのはなぜなのかを語りたい。 実は、ご近所の富沢夫人の態度と関係がある。ここで、やっと総タイトル、前半の【水道を使った罠】という項目に入っていく。それは、10月6日に起きたのだが、朝8時ごろ、自宅前の、道路で、富沢夫人と会話を交わした際に、感じた違和感が発端だった。

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 これから先は、ミステリーを解く常道として、答えを明かさないで、書き進めたい。時間的に順を追って書いていく。

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副題5、『私に対して、いろいろな攻撃策が準備され、実行されているのだが、まず、兵糧攻めにあっている。それは、9月9日に横浜市神奈川区のアパートの二階の住民が退去していくと、いう形で、始まった。すぐ、一階の住民の生活保護費の問題で、内容証明を出したのが、気に入らない、伊藤玄二郎の、復讐策だと、判ったが、

 ともかく、それと連動をして、北久里浜の家に置いてある生活用品を撤収することとした。それは、2016年、主人が心筋梗塞を患って、この鎌倉市雪ノ下の、家のテレビが置いてある居間まで、下から、160段も階段を上がらないといけないが、それが、できなくなるだろうと、言う予想の下に、彼の入院中に、私が、いろいろ準備をしたことだった。 

 しかし、主人が、思いがけず、回復し、80歳まで、二人とも、この雪の下の家で、生きて来たので、最終段階まで、この家で、暮らせると考えた。また、北久里浜の家が、立派な家なのに、空き家認定(これも、杉本俊一・正子夫妻の、復讐劇だが、)をされてしまい、横須賀市の、美観対策なんとやらで、勝手に横須賀市によって、壊される可能性も出てきたので、他人に貸したいと、思う様になったからだ。
 しかし、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、皿洗い機、テレビなど、多数の家電製品やら家具が持ち込まれており、それらを撤収するのが、大ごとだった。
 しかし、法事の日に家族全員で、出席していた長男が、「5日の水曜日に、手伝ってくれる」という。で、主人が電話で、それを知らせてきた。ここで、最大のにミステリーを語らないといけない。それは、我が家の電話が盗聴をされているという事。で、盗聴を利用して、以前から、準備をされていた、攻撃が、2日から始まった。何が?というと、富沢家の水道が故障をしたという形。だが、私は、それを、6日まで知ることがない。後で、2日に故障をしたと、聞いただけだ。

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副題6、『主人が、心筋梗塞手術の際に、砕かれた、小さな血栓が、脳に飛び、言語中枢を痛めたので、連想が混じった語り口になり、夫婦のコミュニケーションに齟齬をきたす様になった。しかし、主人は、5日の水曜日に北久里浜に来た長男が、6日の木曜日に、引っ越しを、してくれると、言った。手伝ってくれるというわけではなくて、してくれるといった。それで、私は、心配になった。

 引越し業者に頼むのだったら、それなりの、費用を請求されて、この雪の下の自宅一階まで、147段の石段を運んでくれるだろう。しかし、主人と息子だけで、引っ越しをするとなると、衣装ケース、15個分、ベッド用マットレス、一枚、桐の箱、チェストなど、二人では、一回では、とても運べない物を、ともかく勢いで、軽トラに積んでしまう可能性がある。

 こういう時に、雪の下の家に、泥棒が入らなければ、私も行って、現場で忠告をすることができるのだけれど、泥棒が入るので、行かれない。しかも、北久里浜の家にも泥棒が入っている。

 
 ここで、2021年、品川駅、新幹線待合室の、公衆電話そばで、尾行の、人間に、合いかぎ、四個付いたパス入れを盗まれたことが、利いてくる。悪いほうへ利いてくる。ただし、それも、例のCIAエージェントか、その手下としての警察だと思う。だから、出てこないし、JR東海はノートに記載をすることを、引き受けないで、JR東日本へ届けてくれというが、JR東日本は、届けを受理した風を装ったものの、後日行ったら、ノートに記載をしていなかった。全くめちゃくちゃで、この日本は、法治国家とは、とても言えないとなる。パス入れは、三菱銀行が、株主優待品としてくれた、革製の上等なもので、それに、四つも、鍵が付いているのだから、普通の人が見つけたのだったら、必ず、JR東海の窓口へ届けてくれるはずだ。特に北久里浜のカギは、7万円も取られた、すごいものだから。普通の人にとって、JR東海の窓口が一番近い場所だから。でも、いまだに、見つからない。

 ともかく、私は、手伝ってもらえる人を探しを始めた。5日の夜のことだ。6日の木曜日に軽トラに乗せて、荷物が届き、私が持ち上げるにしても、衣装ケース、5個が精いっぱいで、主人は、軽いもの一個がせいぜいだ。もし息子が、全部いっぺんに持ち込んできたらどうしようもない。それで、まず、三年前に手伝ってもらった絵画運搬店の、坊ちゃん二人と、連絡を取った。だが、電話がすべて、通じないこととなっていた。実は、廃業したとのこと。後で、ほかの会社の人から聞いた。で、35年前、かぐのみ幼稚園の小関ゼミで知り合った人で、今でも、公募団体展に出品している人に最近の業者情報を聞いたりした。しかし、今は秋である。美術の秋だ。すべて、とても忙しいとのこと。

 何でも屋にも電話をかけたが、これは、電話を盗聴している連中の妨害で、引き受けてもらえなかった。

 こうなると、残る手は、一つだった。大原光孝さんに頼むこと。

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副題7、『大原光孝さんと、私との関係は、1984年から、2000年まではよかった。ところが、2001年を境に、途絶えた。それは、私が、ニューヨークで、美大の大学院へ行ったり、(1999年)、ニューヨーク一古い版画工房の所長、ロバートブラックバーン氏に、高い評価を受けたり、ニューヨーク大学の当時の美術学部長レディクリシュナ氏から、高い評価を受けたりしたからだった。

 大原光孝さんは、最近、立て続けに、土木工事をしている。で、一回目の物置(=アトリエ)取り壊しは、自分のブログとしては、下書きだけで、非公開で、鎌倉市の公金か、政府の官房機密費でやった工事であろうと、書いた。しかし、それで、終わるはずだったが、この7日か、8日にポストに入っている、お知らせによると、石春産業の、引き受けで、新たな工事が始まるそうだ。家の改修だとのこと。
 しかし、奥さんの名義の家だ。奥さんは、ずっと家出をしていて、あの家にはいない。もし、お母さんが、亡くなって、そちらとの、嫁姑の、人間関係が嫌で、家出をしていたのだったら、帰ってくると、仮定して、お母さんが亡くなったのだろうか?
 でも、お母さんの死亡によって、改修するとしたら、壁紙を張り替えるぐらいが関の山で、土木工事ではない。石春産業とは土木または、コンクリート専科だ。不思議なお知らせだった。が、私が、北久里浜に泊まっている日(7日、または、8日)に、このチラシが、届いたことが、ヒントを与えた。つまり、これは、いやがらせだった。石春産業というのは、数々の嫌がらせ行為を過去にやってきた業者で、そこを使うという事は、はっきりと、この工事が、大原光孝さんのお金で、注文を出したものであはなくて、公金であることを示唆していた。むろん、伊藤玄二郎達の発案であろう。

 では、引っかけて、二回も彼のために、50万前後のお金が、CIAエージェントから出るのか?

 それは、私の以下の文章が原因だと、推察している。

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副題8、『下書きメモの一つ、大原さんに手伝いを頼む前の、自分の心境を記したもの』

 英二さんから電話がかかってきて、明日、出が引越しをしてくれるという。それは、ありがたいが、英二さんの体が心配だ。で、彼ら二人は嫌がるとは思ったが、あれこれ、人材を探した。小人の靴がベストだと、考えたが、過去の電話番号がすべて利用できない。実は相模原へ引っ越したとのこと。岩瀬なら、頼みたいが、相模原だとアートンより遠い。

 で、まあ、思い切って花輪さんに電話をかけてみた。昔、花輪さんから、大原さんが、一件、1500円で、何でも屋を引き受けてくれると、言う話を聞いたからだ。しかし、2016年、その形で、食器棚を壊してもらった際に、その後、異様に嫌な事件が起きたので、大原さんには、頼みたくはなかった。大原さんの経済状態を知りたかった。で、アルバイトをしていないという可能性もあるからだ。特にアトリエを鎌倉市のお金で、てっきょしてもらったと思うので、酒井さんからの、お金の流入があるからだ。しかし、花輪さんは、俊足で電話を切った。という事は、腸詰屋でのお嬢さんの、個展、及び、安野さん以来の町内会、当番向けのいじめである、草ぼうぼうの件について、ブログに書いて居ることが、全部正しかったし、お嬢さんが、ブログを読んでいるという可能性が、ぐっと強まった。ともかく、断られたわけで、かつ、強い警戒心とか、嫌悪感を示されたわけだが、それは、或る意味で、花輪さんの立ち位置と、考え方が、はっきりとして、すっきりしたという事だ。それを踏まえてこれ以降行動をとる。それは宗興寺さんのケースと同じ。損をわざと引き受ける。そして、ブログを書く自由を確保する。

 ところで、大原さんを使うかどうか、は、事前に英二さんと相談をしてある。彼は、やめた方がいいといっていた。実際に、花輪さんが、非協力だったので、大原さんを使わないことになったのは、天の采配だろう。2016年食器棚を壊してもらった後で、本当にひどい展開が押し寄せた。植木鉢の怪は彼が、室外機の上の大量の植木鉢を見たことが発想の原点であろう。し。

 ところで、6日、雨が強く降ってきたら、当然に中止となるはずで、そうなったら、英二さんも休養が取れる。または、私みたいに、元気もりもりになっている可能性もあるが、その点については、よくわからない。私の方は、これで、重労働、5日、目だが、ぐんぐん、ニューヨーク時代の再現となっていて体が、動く様になっている。

 はっきり言って、花輪さんに断られたことを、山田さんは、喜んでいるらしい。それを、祝っていて、カーテンを開けて、煌々と、平屋の一階の、東の部屋の電気をつけていた。で、山田さんは、100%警察庁か、神奈川県警勤務だと、判った。それは、ラッキーだ。

 その後、大原さんがダメだと分かったので、里のうどんで、アルバイトをしていたという女流画家を探すが、見つからない。これは、地の利の意味で、一番楽に来てもらえる女性だった。し、女性でも構わない程度の仕事なのだ。ひとえに英二さんが、働かなくても済むように考えての話だから。

 その後、礫時代のお仲間で、今でも大作を描いてる人に電話をかけて、教えてもらうとアートンと、金子兄弟という業者を教えてくれた。金子兄弟に、電話を掛けると、今は、非常に忙しくて明日は無理だと言われる。アートンは知っているだけに、一時間という小さな仕事は頼みにくい。秋の美術のシーズンなので、特に頼みにくい。

 東美の市川さんは、生意気な人で、威張りまくる人で、嫌だが、頼めれば、頼んでもいいのだが、今は藤沢・東美が消えちゃったので、店舗がないと、携帯番号を知らないので、連絡のつけようがない。それに、彼に、この程度の仕事を頼むと、大作家に失礼だと、言われそうだから、頼めない。ともかく、私が、火事場のバカ力を出すほかはない。(苦笑)

 花輪さんが、すぐ誰かに電話をかけたらしくて、前田さん、山田さん、大原さん、平木さんが、大攻撃精神を発露していた。ただ、平木家を確認に行くついでに、井上家を見たが、点灯がない。これは、別の意味で、心配である。

 ここで、五時半になりました。途中ですが、寝ます。

後注1,

【阪急電車、15分の奇跡】が最近放映をされた。その原作について、あなたのご本の盗作ですよと、言ってきた方がある    2022-10-09 20:38:09 | 政治

 

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【阪急電車、15分の奇跡】が最近放映をされた。その原作について、あなたのご本の盗作ですよと、言ってきた方がある

2022-10-09 20:38:09 | 政治

 

 このブログは最近は、私の苦悩を語るケースが多くて、暗いので、せめて写真を飾って明るくしましょうと、努力をしています。今日の写真は、自分一人で、出版した、自分の本で、左が、二冊目の本、旧姓西大寺さん(安部さん暗殺が西大寺で行われたのも、私のブログへの脅かしでしたが)が、「まるで、詩集のように美しい」とほめてくださった本で、表紙の門は、現在、鴬吟亭として、鶴岡八幡宮の、結婚式場(準備会場)となっている、旧川口順子外相の母君のお宅です。このスケッチは、鶴岡八幡宮様が、買う前、土木業者が持っていたころ、写生をしたものです。

 右側は、四冊目で、この章と関係があります。読者の方から、「有川浩の、著書があなたの本の盗作ですよ」と、言われた原著です。これを完成させたのは、2007年の、9月26日でしたが、このころは、アドビイラストレーターが、まったくいう事を聞かず、かつ、ワードも左右されて、大変な苦労をしました。決意と自覚があったので、乗り切ることができたのですが、15年前は、体力もあったからでしょう。私は、このころ、パソコンが自宅では言うことを聞かず、外のカフェで、仕事をしたので、制作に六か月以上かかっているし、すべては、メルマガで書いて居るものだから(ブログは、まだ開始していなかった)ハッキングをしている鎌倉エージェントには筒抜けです。だから、有川浩に、「電車をテーマに一本書いてください」と依頼をすれば、有川浩は、書くでしょう。そして、出版日は、私より先かもしれません。ただ、私は、そういう指摘を、読者様から、受けても有川浩氏の本は、買いませんでした。読みもしませんでした。自分の文章は、自分が、電車の中や、街で、拾ったものであり、すべて、自分の感動が反映をしているので、その点については、自信があったからです。誰に後ろ指をさされるものでもないという強い自信がありました。

 しかし、この2022年に入って、番組宣伝もない形で、しかも夜に、その原作を用いた映画【阪急電車 15分の奇跡】が、NHKで、夜9時から、放映をされました。私は、ニュース番組の録画を、チェックしている最中でしたが、急にタイトル画面が、映ったので、「あれ、読者の方が、盗作よと、指摘をしてくれた映画だ」と感じて、10分過ぎぐらいから、録画をしました。そして、後で、丁寧に見ました。録画番組をチェックしている間、基本的にBSPにチャンネルが合わせてあるので、こういう現象が起きました。

 で、映画を見ての感想ですが、重なっているエピソードは、一つもなくて、もし、盗作だと、すれば、電車の中が、重要なポイントになっていると、言うところぐらいでしょう。

 でも、この映画、及び原作で、お前に勝ってやるぞ、と、考えている鎌倉エージェント、特に井上ひさしの意志は、強く感じました。彼は、自分を死んだことにしていますが、まだ、いきていますよ。そして、「おまえ、偉そうにするな。おまえの本なんか芥子粒ほどの、読者にしか届かないのだ。こっちの本とか、映画とは、比較にもなんねえな」と、

 映画を見てみると、私のは、すべて、実話であり、自分がインタビューワーとして相手と、語り合った結果を、書いて居るのですが、【阪急電車 15分の奇跡】の方は、有川浩の姿は、ありません。そして、エピソードもすべて彼の頭の中から紡ぎだされたものでしょう。

***************

 さて、上記の様な前文を、副題5の節のタイトルを書いたのちに入れました。ここで、本日の冒頭に戻ります。 

&-&&-&&&&&&&&

さあ、新しいものを書き始めます。しかし、ものすごい量の妨害を受けるでしょうし。その上、私は、(途中で、何度も外出をするので)時間が足りないので、完成まで、3日間、は、かかる見込みがあります。しかも、総タイトルは、何度も変える、可能性があります。最初は、【何故、半導体が少ないのか? それも裏を言えば、嘘であり、しかも、このブログを苦しめる為の嘘ですよ】と、書きました。そして、次に【伊藤玄二郎が、他者を動かし、自分の代理人として、私を攻撃する際には、「これはゲームです。一緒に楽しみましょう」という風に持ち掛ける】としました。今は三番目のものです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題1,『本当に書きたかったことは、1967年の日比谷公園内の出来事の更なる敷衍と、展開だったのだが?』

 本当は、本日は、カメダタカコさん===横浜の名門の生まれ。平沼高校卒業==夜、暴走車に、大腿骨2本を複雑骨折をさせられる様な大交通事故の被害にあい四ヶ月もの長い入院をしなければならなかったのに、現役で学習院哲学科に進み、東京都勤務の図書館司書となる。結婚し、お子様を三人育てる。その後、ご主人をなくし、未亡人となるも、ご主人の母の介護を続ける。私とは、横浜国立大学付属中時代の同級生=======、

 及び、青山敦子弁護士、======お茶大、付属高校で、私と出会う。現役で、東大へ進学し、東大在学中に司法試験に合格し、何のロスもなく、弁護士となり、新居を、東横線・某ブランド駅から徒歩6分の、高級低層型高級マンションに構える。そのころ、私は、北久里浜で、横須賀市の水道山1200坪がタダで、悪人の手に渡る、事案に遭遇し、彼らが、それを遂行ために、突然に、我が家内に、設定した青地に、苦しめられ、訪問をして助けを乞う。

:::::::::::::ここで、挿入ですが、青山敦子さんって、経歴から見ると、固い人に見えますが、しっとりした美女で、決して固くないのです。そして、主婦像としても完璧で、この日も(電話をかけて、訪問を告げているからか)、本格的な和食をごちそうになりました。しかし、私へのもてなしというよりも、普段から、お昼が和食らしいと、感じました。夏休みだったのです。が、お子様方は、まだ、未就園児も含む幼い人たちでした。四年制大卒の人は、妊娠が遅れるのですが、彼女は司法修習も、経験しているので、一般の母親像から、は、五年は、遅れてお母さんになりました。でもお子さんが産まれて良かった。頭が良い人は、妊娠しないケースが多いのです。妊娠って、一種の動物に帰る営みだから、頭を使いきっている女性は、動物状態から、遠く離れるので、妊娠しないのだと、思います。

 で、その小さなお子様方にも、私と同じ、一汁二菜 + 保存食三種類ぐらいが、テーブルに並ぶのです。驚きました。その丁寧な、生活ぶりには。:::::::::::::::::::

 さて、お昼をごちそうになったのは、1978年の事ですが、その11年前の、1967年に戻ります。当時はそれがあった、日比谷花壇のオープンカフェで、私とたかこさんが、有楽町駅に向かっている時に、敦子さんを見かけたのは。それを、ずっと、偶然の邂逅だと、考えていました。しかし、この10日間では、・・・・・策略だったのだ。自然なことではなかったのだ・・・・・と思いいたっています。それ以前には、自然なことだと、考えていたのですが、この10日間、24時間いじめられ切っていて、深く、深く、物事を、考える様になると、そういう風になっていきます。

 同じこと=古文の輪読=を高3で、やって居た四人の中で、二人が東大へ入り、後年、スピリチュアル系作家として、有名になっていく山川亜希子さんも、その四人の中の一人で、東大入学組でした。

 で、この1967年は、山川亜希子さんは、大蔵省勤務(現在の言葉で、上級職)で、前報で、述べた滝本いづみさんも含めて、みんな、国家から、お給料をもらう立場でした。

 そして、四人とも、たぶん、一等級で、山川亜希子さんと、滝本いづみさんが、7号俸以上だったと思います。もしかすると、最初から、10号俸ぐらいですか?

 タカコさんも都庁だから、同じ様なものです。みんな私企業ではなかったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『しかし、私は、病気になって、一番最初に脱落をしてしまった。で、母にとっては、がっかりする対象となってしまった。反対に、私の例を考察し、ありとあらゆる意味で、働く主婦(兼 母親)として、絶対の防衛策を講じる、妹が、私企業ながら製薬会社の学芸部員として、高給を取る立場になり、母は急速に妹に傾斜していく。妹の防衛策とは、会社まで、電車が、15分でいかれる、マンションに、住むこと。それから、いろいろな、ひとに(他人だが親切な人)に子育てを分担して貰うこと(保育所へ迎えに行ってもらい、帰ってきたら、その家で、預かってもらう)などをふくむ。

 妹と、私は7歳離れていて、さらに、弟は、13歳離れて生まれたので、家庭裁判所で、遺言書開示の時に、調停委員の方が、私に向かって、「あなたは、本当のお子さんですか?」といったほど、私は少なかった。そういう仕組みがどうして生まれるかというと、土地が税務署の評価額で、計算されて、実勢より、はるかに少ない仕組みで、分配されるからだった。だから、計算上は、平等だけど、私一人、その時点では、不動産をもらっていないが、後の二人は、母と持ち合いのものも入れて、二つずつ、賃貸収入が、月に、30万円程度入る、不動産をもらっているので、母も入れて、妹と弟は、1986年以来、一億円の収入が、あったこととなる。私には、2011年に入って、やっと、賃貸アパート二戸(小さい、小さい)が、相続されて、それ以来、その収入で生きているのだけれど、それが、今、奪われようとしていて、そのことを、私は、兵糧攻めに出会っていると、言い続けている。それが複雑なこと、複雑なこと、極まりないので・・・・・

 鎌倉市長、横浜市長まで、からんでいる話で、私は毎日外出しないといけないし、そのうちの何回かは、北久里浜に泊まるし、テザリングが利かないので、また、電源アダプターを持参していないので、突然、この章も、電源ゼロになって、ちょん切れる可能性があり、それは、起きる前に、ここで、お詫びしておきたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『妹は、小三のころ、両親のネグレクトを、悲しんで、微熱が出ていた。愛育病院へ行く様に、日吉の内科で言われて、母が内藤寿七郎先生に、かかると、「愛情不足だから、微熱が出るのです」との診断が下った。母は、実父が養子縁組を解消して、出て行ってしまったのち、実母が、死んだので、冷徹極まりないおばに育てられている。ので、あれに、比較をして、自分の愛情やら、養育が足りなかったとは、どうしても合点がいかなかったらしい。それで、

 当時、我が家で、午後三時に毎日開かれていたお茶会(預かり証の受け渡しで、ほぼ、週に三回は、来ていた株屋さんと、お手伝いさんと、近所の主婦で、母の経理の仕事を手伝ってくれている、奥さんが参加する)で、1958年の夏休みだったと思うが、・・・・・・この診断結果を、皆さんの前で、披露をした・・・・・

 もう私はびっくり仰天をした。だって、それは、母自身の恥に当たるものだったから。どうして、そんなことを、特に寺沢夫人に向けて言うのよと、感じ入った。

 これが、登戸で、起きたカリタス小襲撃事件の裏にある、私のブログである。特に小田歯科医院のご夫妻、塩野義製薬勤務一家である、沢野ひろし(寛)ちゃん、水沢悦ちゃん、水沢勉氏などが、からんでいる事件なのだ。が、それも書くのが、途中になっている。ただ、母が、60戸で、始まった、ときわ台町内会の中で、最も、誠実で、信頼がおける人だと、言っていた寺沢夫人は、お子さんを二人ともにカリタスへ入れた。そのお子様が、すでに、70歳に近いのだが、それが、カリタス小通学バス襲撃事件の裏にある真実である。

 しかし、この章では、それを突っ込まず、有川浩、原作の映画、【阪急電車 15分の奇跡】に入っていきたい。だが、その前に、妹がどうも私に嫉妬していたらしいことを語らないといけない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『妹は、りけじょとして成功をしているので、その点には、まったく気が付いていないが、父に似て、芸術家気質もあり、かつ、心理的に繊細で、微妙な揺れを、ぐんぐん感じる女性だった。ところが、父よりも性格的に強い母を尊敬しまくって、父を嫌い、かつ、私には、嫉妬心を抱いていたらしい。

 野村監督が、「長嶋は、ひまわりで、自分は月見草です」といったのをもじって、「お姉さんは、バラだけど、私は、月見草だから」と、或る時に、いっていた。それは、まだ、有名な手相三の、日傘雅水さんに出会う前だったかで、不思議なことを言うものだと、感じていたが、

 実は、「金星帯という、フェロモン横溢の線が、両手に二本ずつある、あなたは、もし、創作の仕事をしていなかったら、事件を起こす人間になっていた可能性があります。芸術家でよかった」と言われたほど、恋愛体質だったらしい。

 それが母にはわかっていたらしくて、「絶対に社交ダンスをしちゃあだめよ」と言っていた。両親は、二人で、社交ダンスをしていたが、父が死ぬと母は妹を誘った。ホテルで、パーティ兼発表会があるのだけれど、私は誘われたことがない。

 母は、私の事を、父の愛情を奪い合うライバルだとみていたので、ほとんど褒めてくれたことが無いのだけれど、三つだけ、褒めてくれた。それは、目が澄んでいる事(ただし、70を超えると白内障で、濁ってきて手術をせねばならなくなったが)、四十代のころには、「ゾウさんみたいにちっちゃいのに、なんて澄んだ目をしているのだろうといつも驚くわ」と言ってくれていた。10代のころには、「あんたは、色が白いから、色が白いは、七難隠すと言ってね。大丈夫よ」と言ってくれていた。女性として、結婚できると、言う話の事。

 そして、私が、50代になって、こういったのだ。「あんたってね。かわいいところがあるから、社交ダンスをしちゃあだめよ。悶着が起きる。絶対にダメよ」と言われていた。50になってもかわいいところがあると、実母に言われるのが、私なのだ。ああ、女優にでもなっておけばよかった。

 で、私はそれで、社交ダンスを、やらなかったわけではなくて、実家に行くと、部屋をまたぐ形で、長い白い紙が床に貼ってあって、ステップ運行が、印刷されていた。「なに、これ?」と聞くと、「ブルースの足運びよ」と母が、言っていた。それを見ただけで、『嫌だわ、こんなの覚えるの。面倒くさそうね。私は、何か、ひとが決めたことに従うよりも、自分で、創作する方が好きなの」と思って、社交ダンスには、手を出す気にもならなかった。

 ともかくの事として、母と妹は、強く深く結託をしていて、私は疎外をされていた。母は、成果主義で、しかもお金持ちであることが絶対に、良い事という価値観だったのだ。

 以下向け薬品を製造している会社の学芸部に勤務している妹は、「今週は札幌だった。来週は大阪よ」と常に各地の医学会に出席をしていた。で、私は、株主総会に行って、『ああ、妹は、こういうホールに毎週出入りしていたのね』と、妹をしのんでいる。2017年に殺されたので、とてもかわいそうに思っているのだ。彼女にねたまれていたのだけれど、実は、鈍感に、見える私は、本当は、心理的な、大物だから、嫉妬されることなんか、まったく目ではなくて、ずっと、妹をかわいそうな人として見て来ていたのだった。

 ただ、1986年の父の葬儀に、妹とその連れ合いは、一切の相談を私たちに仕掛けて来なかった。これは、嫌なことだったし、2003年の母の老人ホームへの入居も、90%は、妹が決めて、私は、事後承諾だった。それが、『まあ、違うんだけれどね』と思っている。

というのも、妹は、母を、まず、日吉の家から、自分のマンションに連れ込んだ。そして、医者にかかる様に勧めた。それで、母はなんと、一日に、(特に一回に)、7錠から9錠の薬を飲むこととなった。それで、顔色が土気色になってしまった。妹が製薬会社勤務だから、口出しができないとは思うものの、日吉に居る時よりも、具合が悪そうよと、思った。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『老人ホームに入れられてから、母は、大きく変化した。私を頼る様になったのだ。随分と、以前とは、違う趣になって来た。ここで、冒頭に置いた写真とその説明に入ります。

 それを書き終えてから、またここに戻ってきました。

しかし、カフェが10時に閉店をしたので、これから先はスマホでたどたどしく、入力して行きます。

 私が大きな苦労を乗り越えて、電車の中でを出版したのは、母との和解が、大きな喜びとして、心に在り、それをどうしても、紙の本へと直して置きたいと願ったからでした。

 しかし、前の方のペイジには、鎌倉へサーフィンに来た事が、明瞭に解るのに、ベンチで隣に座って居る私に、「離婚をするつもりです」と言うのです。たった5分の会話の中で、彼女が今一番考えている大切な事を打ち明けられるのです。母が感じ取ってくれた私の宗教家としての役割を全く見ず知らずの人が悟ってくれているのでした。私は思わず彼女の出身大学を質問しました。すると、東大、早稲田、慶応の三つの大学のうちの某大学でした。だから、大丈夫だろうと思うものの、それでも私は強い語調で「資格を取らなくちゃあだめよ」と言いました。その時電車が入って来ました。私はなぜそう言う事を言うのかを電車の中で、引き続き説明したいと思いました。 だって前報で滝本いづみさんの介護離職を書いています。

 彼女は物理学専攻です。私達が卒業した1960年代では、まだ大学院へ進む人は少なかったのです。しかし、その後、日本は経済的繁栄に恵まれ、親の力で大学院へ行く人が増えました。特に理系では、修士号を取るのが当たり前になって来ました。で中には、博士課程まで進むひとも出て来ましたが、全員が、教授になれるわけでもありません。それ程の数の席が無いからです。でも、折角博士号を取ったのだから、引き続き、研究をしたいとねがったと仮定します。そう言う人に取って、放射線医学研究所とは垂涎の的ともいうべき、職場です。しかし、国家予算で運営されて居る組織ですから、年間予算は決まっていて、勝手には増員出来ないと推察されます。しかしポスドクの男子が、なんらかの、コネを使って、採用して欲しいと願って来たら、既に四十代になっている いづみさんに辞めて欲しいと考えて、陰険なパワハラを、始めて居たのでは無いかと私は考えます。ただ彼女は、職場の事は一切話しませんでした。原子力関係は、秘密を守る必要があるのかもしれないし、専業主婦である私に、職場の苦労を話してもわかるまいと思ったのかもしれません。今の私だったら辞めない方が良いと、はっきりと忠告したと思います。でもね、あの頃は社会的通念に縛られていました。専業主婦である私より、キャリア ウーマンである彼女の方が上だと考えており忠告など出来ませんでした。しかし程なく亡くなって、お葬式のお知らせさえなかったので、残念です。介護離職は失敗した選択だったのです。でも、もし彼女が修士号か、博士号を持っていたら辞めなくてもすみお母さんには、老人ホームに入って貰えば良かったのです。あの時、彼女はまだ三十代でした。と言うことは、お母さんは、五十代か、六十代です。家族の間でさえ、搾取するものとされるものが生成するのです。

 そう言う思い出を持っている私は見知らぬ若い女性に強くストレートな忠告をしたのです。

 丁度その 時電車が入って来ました。私は濃密な五分間を一緒に過ごしただけに、もうこれ以上彼女に関わってはいけないと思い、多々やっと走って前の方の車両に向かいました。しかし電車が北鎌倉を過ぎる辺りで、やはり彼女が心配になって来ました。だって鎌倉にはサーフィンをやりに来たのですよ。覚悟が本当にできているのかしらとおもって。

  休日の午後4時ごろです。横須賀線の車内は観光客でいっぱいでした。その間を右や左に体を捻りながら、後ろに向かうと彼女は席に座って分厚問題集を広げて、必死に勉強していました。ああ、ちゃんとわかっているひとだったと考えて安心しました。私は彼女の問題集にそっと自分の指を乗せました。彼女は驚いた風に顔を上げました。わたしは、それは何の資格ですかと質問をしました。彼女は何か言いました。しかし私の知らない言葉でした。私が黙っていると、かのじょが「金融関係の資格です」と答えました。私は自分がどんなに安心したかと言う意思を微笑む事で示して、今度こそ、本当に彼女から離れるために、後ろの方へ向かいました。

 そう言う文章をその本の中に、入れました。全部で50章を超えると思います。今北久里浜の旧宅にいて明日特殊なゴミを出す予定です。ほんの実物も、データも手元にないので、これは原文そのものではないとだけ申して、この場を去らせて下さいませ。

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青山敦子弁護士は、一時期馬術をたしなんでいた?!?・・・平木伸明さんのどこに問題点があるのか?

2022-10-06 22:07:12 | 政治

   私は今、24時間攻撃されている苦境の中にあります。神経を使いっぱなしです。彼らの現在の攻撃をあれこれ、分析しようかなあとは、思うのですが、いかんせん、自分の体力が落ちています。2012年ごろだったら(今から、10年前)一晩で、2万字を書くことができて、詳細に、苦境を説明し、その結果、好転することもあったのですが、今は、それが、できないので、文学とか哲学の論文として、昔、描いたものを深めていっているところです。

 これは、総タイトルを、最初は、【東大の馬術部とテニスサークル・・・・映画【阪急電車、15分の奇跡】、とその今週での放映(NHK)】としておりました。しかし、そこまで、到達できないので、総タイトルを変更しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『友達だった筈の青山敦子さんが、1985年から明瞭に、私から離れたのは、なぜなのだ? 変だと思い続けてきた。でも、ともかくのこととして、私の周辺には、宗教に関心のある人がいっぱいだ』

 上級国民という語彙が一般社会に広まったのは、池袋の、暴走車が、幼いお嬢さんとそのママを、死亡させた時でした。加害者が、最初謝らなかったので、国民の反発を買ったのです。高齢のその人は通産省の、研究所の所長でした。その時から、この言葉がはやりだしたのですが、私はね。上流社会という言葉を使いたいです。 

 青山敦子さんと、どこかで、余裕あるときに、彼女が、ふと、つぶやいたのです。「三代、東大は無理だったわ」と。それがどこでだったかは、本当に覚えていないのですが、お子さんが大学受験をする時期だったので、今から、20~25年年は前だったと思います。お子様は三人いて、最後のお子様が、受験をした後だったのでしょう。

 でも、一番上のお子様は医学部進学です。二番目と三番目のお子様は、知りません。医学部進学のお嬢様が、東大を目指していたとすると、東大の医学部って、偏差値的に、日本で最高ランクだと思います。

 ふと、つぶやいたと、言っても、この言葉はなかなかのものです。

 今、安倍晋三元総理大臣が殺されて、私は、山上徹也の単独犯ではないと、見ています。で、徹也の背後に、例のCIA日本人軍団がいて、彼のおじが弁護士であるという点がみそです。しかも、当日予定になかった西大寺へ、行ってくださいと、誰かから、命令をされていらっしゃるので、西大寺という語彙が、非常に重要なのだと、語っています。後注1,

 西大寺とは、ここでは、地名ですが、私はすぐ、人名をかけているのだと、わかりました。西大寺さんという知人がいるのです。5歳年上で、一時期の私が、最も尊敬して、影響を受けた方です。ただし、旧姓であり、私が知り合ったころ(自分が四十代で、彼女が50代前半だった)は、むろん、結婚後の姓名を使っておられたので西大寺という、人名で、何かを検索なさっても出てきません。彼女の現在の名前を控えるのは、お子さんが学者になっていて、彼女の現在の名前で、活動されているからです。

 さて、彼女のお宅を訪問した時にあげてもらっています。広いおうちに、お子様は、欧米留学中、ご主人は、大阪に単身赴任中(この二人については、別の人から教えてもらった情報です)で、旧姓・西大寺さんが、一人で、住んでいるのです。あっちこっちの部屋を見せていただいたうえで、食堂に落ち着き、あれこれを話し始めました。その時、目の高さの位置で、食器戸棚に、小さな写真たてが置いてあり、柔らかな感じの額(布製だったかな?)に入ったご両親の写真が目に留まりました。

 父上は、見事に学者風でした。西大寺さんだけは、学者ではないけれど、1937年生まれの女性だと、たとえ東大の大学院を出ていても、東大に残って、教授になるのは無理でしょう。それをご自分でわかっていたから官僚(通産省技官特許庁配属)になったのです。で、お子様が学者ですから、

こちらも三代続く頭の良いご家庭ですが、敦子さんほどの本音は出さない人でした。本音とは、希望のことです。悪い言葉でいえば、欲望です。こちらがどうして、出さなかったかというと、カソリックの信者だからです。

 たぶん、親の世代からのキリスト者ですが、両親が、カソリックだったかどうかは知りません。新渡戸稲造あたりの宗派だと思います。

 ところで、宗教といえば、敦子さんも宗教者でしょう。だって、ご主人の両親がお寺を継承している人で、そのお世話に、毎週、飛行機で、近畿地方に帰って、お寺のお世話とご主人の両親の介護をするといっていました。その点はご立派で、頭が下がります。

 しかし、1985年以降は、私を助けてくれなかったことが、どうしても納得ができなくて。その謎を解きたいと思っているのです。

 なお、100%のレヴェルで敦子さんの、プライバシーを語っているわけではありません。敦子さんにとって、世間に公開されると、困ることは語っていません。そこは、気を付けています。しかし、そういうマイナスポイントを知っているわたくしにとって、どうして、敦子さんはあんなにスノッブ気質を持っているのだろうと、感じていて、そこが、不思議なのです。

 なお、私はここで、いろいろな、人のことを実名で語ります。

 それは、道徳的許容をえていると考えているからです。誰からといえば、この世を統る絶対者からですが、

 もう、一つの根拠を言えば、青山敦子さんの後ろにいるのも、平木伸明さんの後ろにいるのも、源泉をたどれば、CIAだからです。そして、平木伸明さんや、前田清子さんが、ご近所様として、激しい攻撃を加えてくれば、来るほどに、私は、青山敦子さんとか、笠松敦子さんとかに、ついて、本当のところを、書いていいのだと、感じます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『青山敦子さんは、貧乏ではない。一種の戦争未亡人であるお母さんが、朝日新聞社に勤務していたし、・・・・・しかも、敦子さんが、東大在学中には、お母さんは、当時の社長・美土路さんの秘書をしていたのだし、‥…その上、敦子さんが、高校時代には、お母さんは、すでに、再婚をなさっていた。しかも、そのお相手は、敦子さんの実父(東大卒のエリート)のご親戚だ。ご兄弟か、従兄弟か? その程度の、近さのご親戚だったと思う。そして、高校時代、四人で、輪読をしていた仲間の一人から敦子さんが、東大在学中に、馬術をたしなんでいたと聞き、私は、上流階級の、意外なスノッブさを知り、驚いた』

 敦子さんが馬術をなさっていたのは、滝本いづみさんから聞きました。滝本いづみさんは、すでに、亡くなっています。結婚なさっていて、相手は、上智大学出身者です。しかし、早くなくなったので、結婚後の苗字を、私は、忘れています。

 それに、滝本さんは、物理屋(核物質の研究者)だから、仕事上、滝本姓をずっと使っていたかもしれないし。

 滝本さんは、それこそ、旧姓西大寺さんと、同じルートをたどって、1950年代から、ノーベル賞受賞者、朝永振一郎博士が、学長をしていた、教育大学で、物理を学びました。そして、放射線医学研究所に、勤務していました。女性としては、とても、輝かしい職場にいたのです。

 当時はです。福島で、3.11と、呼ばれる大規模な、原発事故が起きてから、物理学、特に、放射能関連の就学が、魅力がなくなったと、言われていますが、2009年ごろまでは、秀才が、集まる、輝かしい分野だったのです。

 その滝本さんが、北久里浜の私の家を訪ねて来てくれた事があるのです。私は、実は、その当時=50年前の30代で、すでに、宗教家の雰囲気を保有していたのでした。それは、非常に賢い人である、滝本いづみさんには、判っていたのでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私が幼いころから持って居た、深い深い宗教性と知性の高さは、賢い人にしか見えないし、理解ができないらしい。政府がNISAの、充実を検討し始めたのも、幼保無償化を始めたのも、平木家が、我が家の北側で、お子さんと、キャッチボールをしたのも、養老先生が、比企が谷・妙本寺の、お見合いに乗り出して、我が家の西隣だった遠藤家のお嬢さんを、妙本寺の若いお坊さんと結婚をさせたのも、すべて、北久里浜の住民、〇滝さん一家が、源泉となっている』

 1950年代から、1960年代にかけて、人気の高い学科だった、教育大学で、物理を学び、当時の女性としては、輝かしい職場だった、放射線医学研究所に勤務していた、滝本いづみさんにはわかっている、私の深い知性とか、宗教性は、当時のご近所住民、〇滝夫人には、まったくわかっておらず、したがって、カッコウの托卵よろしく、子供を私に預けっぱなしにして、お礼も言わなかったのでした。

 それが、五歳の子供に反映して、私は、その子から、馬鹿にされ切っていて、叱っても、叱っても、言う事を聞かず、どこに隠してもお菓子を見つけて、盗み食いをしてしまうのです。とうとう、押し入れの下段に隠れて、客布団の間に挟まって生キャラメルを食べているところを、お母さんに見せました。むろん恥ずかしかったでしょう。

   その復讐行為が、その後、数々現れました。つまり、CIA連中は、この一家を使ったのです。悪事にです。北久里浜の横須賀市所有の水道山が、地積変更届という異様な仕組み(一坪も持って居ない人が、1200坪も持って居ることになる仕組み)を通じて、ただで、膨大な土地を或る私人に渡してしまったのです。

 時間が無くなったのです。で、この後で、書きたいことをメモ書きにしておきます。それは

*1)、娘が、後年「お母さんは、切れたら怖い」と言い始めたが、それは、二歳六か月にして、この〇滝家の、お嬢さんの盗み行為が、これからは、はっきりと叱られる可能性を感じたからだっただろう。誰から?と、言えば、本当の母親からである。娘は、自分の母と、その五歳のお嬢さんとの間で、板挟みになって苦しんでいたのに、

 自分の母親が、声も出さず、ただ、ふすまを開けただけで、事を解決させたので、驚いたのだ。その時の、そばにいた五歳の〇滝家の女の子のシュリンクぶり(=ビビり状態)をはっきりと、見たのだろう。

 私をなめてはいけないと、ご近所様にも銀座の画廊街のオーナーにも言っておきたい。まあ、ガレリアグラフィカは、消えましたね。名前を変えたか、後継者が、名前を変えて、引き受けたか? 栗田玲子さんは、悪いことをやり過ぎました。この章の最初の総タイトルを、「ゲームという形で、いじめて来る人たち」と、言う風につけた中で、は、栗田玲子さんの言動も、含まれています。

 私はすべての裏側が判っていますので、長谷川智恵子さんについても、塩見和子さんについても、将来には、もっと、深めて書く可能性はありますし。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*2)、引っ越してきたばかりで、同年齢の友達が、いない〇滝家のお嬢さんを幼稚園に行かせず、

我が家にカッコウの托卵に似せて、預けっぱなしにしておこうと考えたのは、当時は、一万円だった、月謝を払いたくなかったからだ。それを、投資信託にでも回すつもりだったのだろうと、私は、書いて居る。

 だから、積み立てNISAを、充実させるという諮問会議が開かれたそうだ。

*3)、それから、幼保無償化という動きも、この、〇滝家を、源泉として起きている。

赤字国債を垂れ流しているのは、〇滝家夫婦にその源泉がある。

*4)、幼保無償化によって、幼稚園と、保育所の費用がタダになった。すると、お金は親からもらわないで済み、国家から降りて来る。子供に対する責任が、心理手的な面で非常に少なくなり、その経営が、商売となった。静岡県の川崎認定こども園で、園児置き去り熱中症事件が起きたのも、その経営者に、尊い仕事をしているのだと、言う自覚がなかったからだ。

 子供を育てる費用は、その親に負担をさせるべきだ。これから、子供のいない夫婦が増えていくだろうに、それらの人にも税金で負担をかけるのは、異様である。

*5)、ミスター〇滝は、当時、ときわ相互銀行に勤めていた。妻も、きっと、会社の同僚であり、社内恋愛結婚だと、みなされるので、夫婦そろって、1000円のお金も、投資に回したいと考えていたと推察している。

 しかし、私が消耗した度合いは、毎日、5000円から、1万円程度だった。前歯が全部だめになって、白い歯に直したが、40万円支払った。あの五歳にして、二重性格をもつ女の子のために、一か月10万円を消費したこととなる。ひどい一家だった。

*6)、元海軍参謀、益山重夫は、これから先、当時土地が坪40万はしたものを、1200坪ただで手に入れることになるので、地積変更届に彼が、実印を必要とした、11軒すべてに、盗聴装置を室内、及び、電話に仕掛けていたと、考えられる。

 水道山の周囲の家が、11軒である筈もないが、その周囲に道路を作り、それを横須賀市に寄付すると、言うアイデアで、自分が住んでいる家の、北側周辺、11軒だけの実印で、乗り切ろうとしていたのだった。しかし、実情は、その道路たるものは、部分的にしかできていないし、水道山の地主とは、相当数あるはずなのだが・・・・・

 で、〇滝家が、私を恨んでいることを知っていた。で、ミスター〇滝を自分の武器として使う様に、考えた。彼には、益山智恵子さんが使っていた車返し用の五坪を只で上げるので、協力する様に命令した。で、〇滝氏は、我が家の南側の道路13mを使って、子供社会の遊びをリードして、我が家の子供を排除した。

 その時、彼が使ったゲームが、チヨコレート遊びと、キャッチボールで、これらは、その後、30年以上を経て、この雪の下で、別の人間によって、再び、繰り返された。前田清子さんは、夜、孫三人を使って、数度、千代子レート遊びを行った。それは、夜、私に衝撃を与えると、効果が高くて、早くノイローゼになり、精神病院へ入院してくれるはずだと、思われていたと、推察する。

 関本夫人は、同じく夜、チヨコレート遊びを行った。関本夫人は、その他にも、子供に電話口で「逮捕するぞ」と言わせたり、全く危険性のない樹木類を、鎌倉市のお金で、尾上共同事業体に、伐採させている。でもね、丸裸になった家を嫌がって、フランス人だった御主人はどこかへ消えてしまって、別居状態になっているでしょう。特に南側の家の二階で、非常に嫌な点灯がありますよね。場末のクラブみたいな、電球が、色を変えて、点灯する。赤、青、紫。

 あんなの、フランス系文化人だった、ご主人には大っ嫌いな事でしょう。

 いつも、ブログで言っています。善人が、CIAエージェントに協力すると、災禍が下りてくると。悪人には降りません。関本夫人は、善人です。誰から、命令を受けて、ちよこれーとあそびをするのですか? いや、したのですか? 樹木伐採は誰からの命令でしたか?

 平木さんというのは、当時小学生だったお子さんを使って、キャッチボールをしました。それ以外多大で、かつ恐ろしいな協力を私の敵さん達に行い、奉仕をしてその見返りに多大な、金銭と名誉を受けています。ご長男も2020年の秋には推薦で、東大へ入学できることが起こ参自身にわかっていて、それまで、聞こえたこともなかったピアノがジャンじゃかジャンじゃか、英雄を奏でたのです。

 で、私が、坊ちゃん自身に、あれは、なんというタイトルですか?と質問をして、彼から、英雄だと、答えを得たとたんに、シーンとしましたね。平木伸明さんには、お子様がはしゃぐことがまずいという判断があったのです。だってm鎌倉エージェント(=CIA)に協力した見返りですからね。それが、私にわかったら、大変だと、思ったのでしょう。

 でもね、ともかく、あの一家には、人員が、五人います。それに比べて、一家三人だけの関本家は、グッと弱いです。これから先、どうするつもりですか? 関本夫人は、一時期どうして平木家に、鶴岡八幡宮様のお祓いさんが下がっているのか、気にしていたでしょう。隣の威勢を気にしてしまうのは、仕方がないです。それはどこで、手に入るのですか?と質問をされたので、『かわいそうに』と思いました。あれは、普通だと、サラリーマン家庭には、配布されないものなのです。平木家にどうして配布されているのかが、不思議ですが、是もまた、あの一家が、CIAに協力しているから得られる特権でしょう。

*7)、この水道山を実質的に只で、益山夫妻(その実弟、仲野通巳吉)と、瀬島龍三に渡すために、神戸の水道山のタンク下に、土師淳君の首から下の遺体が、捨てられたのです。人々が怖がって、横須賀市の水道山に入らなくなるためです。

*8)、ミスター〇滝は、当時、ときわ相互銀行に勤めていました。その銀行は、今は東日本銀行と改名して、横浜銀行となり、横浜銀行は、コンコルディア銀行と改名しました。

*9)、これから先、私は、西隣で、毎日、庭ごみを吐いて一メートル低い我が家に掃き入れていた遠藤家のお嬢さんが、養老孟子先生と、川合良一先生のご尽力によって、比企が谷・妙本寺へお輿入れになった事へ続きます。たぶん、ミスター遠藤が〇滝氏と同じ銀行勤めなのだろうと、推察しています。だから、遠藤家が、行う事は、ミスター〇滝の、復讐の代理人としての行為でしょう。

 比企が谷・妙本寺とは、源頼家を、保護した比企能員の、家だった跡地です。今期の大河ドラマ【鎌倉殿の13人】では、暗いイメージのあるお寺ですが、駅に近くて、大量の借地を、庶民(または、お金持ち)に貸し出しておられるので、今では、大金持ち、一族です。

 ただし、現在のトップは、遺族というか、その子孫ではなさそうですよ。外部から、招聘された人です。

++++++++++++++++++++++++++

 という長い挿入を入れて、元へ戻ります。

 当時、放射線医学研究所勤務という女性では、輝かしい立場だった彼女ですが、いろいろ悩みを抱えていました。すでに亡くなっているし、語っていい事だけを語ります。

 彼女のお父さんは、インテリですが、お金を稼げない事情がありました。それは、有名な女優吉永小百合とか、大竹しのぶが「父が東大卒です。でも、私は女優をしています」と言う裏事情に似ています。

 で、お母さんは、お茶を売るお店を経営していました。静岡県の川根に知り合いがいて、そこから仕入れるとの事でした。ところが、大型スーパーができ始めたころで、もうけが出なくなったのです。それで、お母さんは、気落ちをして、急速に老化をし始めます。で、お店をどうするか?、お母さんをだれが面倒を見るか?が問題となりました。

 彼女は、結婚をしていて二人で、新居を買っていました。が、ご主人は、すでに亡くなっていました。こういう風に父親もいないし、夫もいないという女性は、大変です。特に1942年生まれなので、大変です。

 サラリーマンを辞めて、小さなお店を経営するとは、相当に、損な話です。放射線医学研究所は、国立なので、女性でも身分は安定している筈です。しかし、分野が分野でした。原子力とか、核物質の研究というのは、進歩が速いのです。女性が職場の花としての、美しさがなくなって、追い出されるのなら、まだ、何とか戦うことができます。だけど、「新卒を入れたいなあ」と、思っている上司の下で、働くのは、つらいことだったと、思います。

 しかし、問題は、もう一つありました。それは、弟さんがあてにならないダメ男だと、言う事です。お店から、お金を持ち出して、結婚をして、家庭を持っている。ただし、お店の仕事はできないし、やらない。きっと、お母さんは偏愛をして、弟さんを甘やかしたのです。

 彼女はすべてを、自分で決定をしていて、「そこに至る過程を、聞いてちょうだい」という感じでした。客観的に見れば、損な方向へ舵を取るわけです。その選択の「現場に立ち会って、ちょうだい」という感じでした。

 その時の長い話の中で、「大学時代は、岡本敦子さんと、馬事公苑で、馬に乗っていたのよ」という話が出ました。私は誘われていません。浪人中で、4月から、7月まで、山口県の防府市にいたからです。浪人中に馬術を始めるなんて言うぜいたくは、許されないし、もし、それが、東大馬術部というサークルだったら、浪人は、入れません。

 だから、30代になって、初めて聞く話でした。

 上流階級としての、すのっびずむを感じました。だけど、目の前の滝本さんだって、一緒にやっていたのでしょう。彼女は、ご自分は、偏差値優等生で、良い職歴を持っています。だが、お茶屋さんの娘です。でも、敦子さんと同じサークルで、お馬に乗っていたと聞いて、それは、きっと東大馬術部だろうと、感じました。

 私人が経営する、私立馬術クラブではないだろうと、感じました。東大のサークルって、別の大学在学中の人も入れるのですよ。

 あの、高校時代=1960年、古文を輪読した4人のうち青山(旧姓岡本)敦子さんが、東大馬術クラブに入って、そして、滝本さんを誘ったのだと、推察しています。

 このエピソードが、雅子様のお馬アレルギーへつながったし、鶴ケ丘八幡宮・宮司様が、夜の7時半ごろ、表参道を、お馬でパカパカと、私を威圧するために、走っていくという現象が起きることにつながったりしています。

 本当は、ここから、東大テニスサークルに入り、その次に、有川浩氏原作の、(阪急電車、15分の奇跡にはいるつもりでした。しかし、後、いっぱい仕事があるので、ここで、終わりとさせてくださいませ。

  ところがね。こんなにわたくしを信頼してくれた滝本いづみさんが、亡くなったのです。しかし、お知らせが来なくて、・・・・・何とも、せつないお別れでした。お母さんが、すでに亡くなっていて、お知らせをする人、弟さんが、あまり、丁寧な仕事をしなかったのだと、思います

 非常に残念に思っています。

 

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伊藤玄二郎は、今、自信満々らしくて、googleの画像検索で、彼のものが、私の一千倍ほども、有ったぞ

2022-10-04 22:04:18 | 政治

 この一文で本当に言いたいことは、伊藤玄二郎が、警察庁全体を自分の私兵として使っていることは確かですが、それは隠微に隠されて行われることで、石川和子さんみたいに、明瞭に私兵化してはダメだということです。で、彼女は、その失敗で  殺されました。がんだと公表されていますが、違います。12月には、普通に小町通りを歩いていた、しかも太っていた彼女が、どうして、三月以内に死ぬのですか? がんは、この年齢では、数年持ちます。人間とは、そんなに簡単には死なない物なのですよ。そして、点滴・異・液を入れられたのだろうと書いていたら、大口病院に、例の後追いフォロー事件が起きて、紳士が二人殺されました。久保木という看護士が、逮捕されています。でもNHKは、その映像を放映しません。

 そういうわけで、隠微な形では、警察は、鎌倉エージェントの企画に協力をします。しかし、この章の大きな主人公である、石川和子さんは、明瞭に目に見える形で、警察官二人を、私兵として使いました。それはダメなんです。彼女はわたくしに「パーティコンパニオンをしているときに、伊藤玄二郎と親しくなった」と、言っています。が、違うでしょう。そういう体形でも、そういうお顔でもないです。平沼高校時代の知り合いでしょう。陸上部の下級生だったと思いますよ。しかし、この山に住み、安野智紗夫人と仲良くすると、朱に交われば赤くなるとか、悪化は、良貨を駆逐するの典型で、彼女も、劣化していったのでした。

 では、まず、疲れ切っていた、四日の夜の、助走ペースから入っていきます。軽く書けるものから、入っていくのがわたくしの習慣です。

*1)、ノーベル物理学賞について。トリビア

 ところで、述語として、QUANTUM MECHANICS という言葉が出てきました。NHKはねえ、しゃれたつもりで、しっかりした発音で,クォンタム メカニックスと、言っていました。

 去年に、もし、ノーベル賞の、物理学賞が、量子力学部門に、授与されたら、NHKは、ただ、単純に量子力学のもつれと、だけ、日本語で、言ったと思います。しかし、本年の物理学賞のニュースでは、夜九時からの、ニュースウォッチ内で、青井アナが、上手な上手な発音で、クォーンタム メカニーックスと言ったのです。なぜか?

 多分、私がこの一年の間のどこかで、その述語と、英語表記を使ったからですよ。もちろん、そういうのは、誇大妄想だっと、お笑いになる方があっても、いいのです。私は、ひそかに、小さな幸せを見つけたと、言う感じで、にこにこしているからです。多くの苦労がある中でも、こういうことは楽しい話です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*2)、おさないお子さんが犠牲になる事件について。

 しかし、苦い話もあります。

 本日、江戸川河川敷で、小さな女の子の遺体が、発見されました。しかし、その報道の仕方が変なのです。どうも、ストレートではない。その件ですが、NHKが、おかしいのか?、警察がおかしいのか? でね。私は、この女の子と、遺体発見について、「書けよ! ブログを」と、言われている感じを受けました。それで、私が取り組む時間を与えるために、とろとろと、時間をかけて、報道をしているのだと、感じました。だから、逆ザヤを貼ります。何も書きません。

 ただ、新潟で、死後轢断事件として、生起した【おおももたまきちゃん事件】について、私が過去に書いた文章があります。多数回書いています。それを否定する方向で、事件が起こされています。そのことは確かです。

 つまり、山田浩二が、中一2児童を殺した際は、彼の方に、過去に、子供を使った性犯罪がある。ロリコンである・・・・・という形で、一般の人がわかりやすい構図が展開しました。しかし、あれも、山田浩二は、やって居ませんし、おおももたまきちゃん殺しで、起訴されている小林遼もやっていません。

 で、おぐらみさきちゃん以降は、犯人が見つからないと、言う形が、取られています。それも、私が正しいことを書いているからです。後程、それらの文章のリンク先を見つけて、ここに貼り付けます。

 なお、今回の事件については、私は一切、口をつぐみます。責任が莫大になって自分が死にますから。

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*3)、伊藤玄二郎にとって、カメダタカコさんと、三輪喜久代さんについて、今回みたいに、ストレートに、表現をされると、相当に困ったことになったと、考えている筈だ。そういう、可能性を、私は、今、感じている。で、彼は、今、激しい激しい復讐行為に出ている。特に雪の下の自宅の周辺の人間を使って

 私は、本日は、相当に疲れている筈なので、早く寝ないといけません。いったんは、仮眠状態に入り、食堂の椅子で寝ていました。

 しかし、二つの事を発見して、ぱっちりと目が覚めました。

 4つの花瓶の水切りをしながら、外へ出て、葉っぱ類とか、コスモスとか、原種のバラを切ってきました。その時に発見をしたのですが、平木伸明さんの家が、最高度の攻撃を午前零時まで、行っていました。誰もいない、二階の、或る部屋の天井のオレンジ色の裸電球を、カーテンを開けて、点けているという攻撃です。これは、シャルリーエブド事件のころの、前田家の二階から始まり、白井家の二階のペンダント灯を、脅かし用につける、特に午前二時ごろ、を経由して、今は、平木家が、主に取り組んでいる攻撃です。これですが、不思議なのです。最近の文章では、それほど、平木さんについて説明をしていません。

 だから、伊藤玄二郎が、復讐をしたいと願っていて、それに、平木さんが、従っているとみています。伊藤玄二郎と、平木さんが、直に通々であり、平木家が、電話とかメールで、命令をされているとは、思いませんが、間に挟んだ誰かからの連絡で、そうしているのでしょう。

 珍しく、平木さんが、静かにしていて、二階が真っ暗だという日がありました。すると、西隣の白井達雄・小野寺夫人邸で、午前二時に、点灯していたので、『ああ、お当番制なのですね』と、感じて笑っちゃいました。苦い笑いですけれど、その復讐のやり方があまりにも、私には慣れているもので、また、その因果関係が、見え透いているものだからです。

 ここで、私は、電気を使ったいじめ行為(弾圧行為)に、ついて、詳述し始め、安倍晋三元総理大臣の大腸炎が、いかに生起させられたかの、技術的な解説に入っていったのです。5日の午前中には、です。しかし、それは、後日、別の章で、公開をいたします。総タイトルから、離れすぎるからです。

 なお、これ以降は、全部、加筆部分となります。ので、うっとおしいので、アンダーラインを敷きません。

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*4)、『小学校四年生ごろから、女の子の方が発達が早い。そして、人生の長い間、だいたい、女の方が強いのだ。で、それを知覚している男性は、大人になっても、女性にもてる。伊藤玄二郎は、その手の力を熟知している人間であり、最近では、銀座の大画廊のオーナーにして、イタリア関係に強い栗田玲子さんを取り込み、銀座に多大な影響力=対私いじめを、行った。その彼が、今、公開している生涯像で、大船育ちだと、言っているが、1956年には、学区外だった平沼高校へ、どうして進学したかが、不思議なのだ。

 まあ、母または、婚外子である父・伊藤整の忠告に従ったと、考えらるのも、一解釈だ。平沼高校とは旧制第一高女であって、岸恵子などの、横浜切っての、有力女性を、同窓会に有している。しかし、伊藤玄二郎が、進学した1956年には男子には、人気のない学校だった。大船育ちなら、湘南高校とか、鎌倉学園とかに、進学するのが、ベストなはずだ。どうして平沼高校だったかが、不思議極まりない。しかし、そこで、出会ったカメダタカコさんは、彼に、人間としての、大きな自信を与える存在となったと思う。恋愛とか、下半身の関係はない存在だが、それが、美しいものとして彼の宝物になっている存在だと、推察される』

 三輪喜久代さんとか、カメダたかこさんといっても、テレビに出る様な、ひとではありません。でもね。三輪喜久代さんは、AFS経験時の、10代で、CIAエージェントと(アメリカで)、すでに、なっていたハズです。この女性に対しては、この節ではなくて、別の節で、詳述します。この節では、カメダタカコさんに、集中しましょう。

 彼女が、1967年に私を誘ってくれて、一緒に日比谷公会堂での、音楽会に行っています。帰り道で、日比谷花壇のオープンカフェにいた、岡本敦子司法修習生を見かけています。このエピソードは何度も書いて居ます。だが、この一週間は、まったく違った取り組み方で、それに触れます。

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*5)、『青山敦子弁護士は、友人の筈なのに、実際のところ、あまり、はっきりとは、助けてくれていないのだった。その不満部分を本日は、初めて書こう』

 岡本敦子司法修習生(のちの青山敦子弁護士)は、お茶大付属高校出身で、私の同期生となります。1960年には、お教室で四人だけで、小さな椅子に座って、古文の輪読行為をしており、20時間程度、密な時間を一緒に過ごしています。その四人のうちの二人が、東大へ進学し、一人は、教育大学へ進学し、残る私が、当時は、人気絶頂だった、国際基督教大学へ進学しています。後注1,他へ。

 で、私は、親しいと思っている、岡本敦子さんが、その後、結婚して青山敦子弁護士となり、北久里浜における、大・実質的詐欺事件の際には、「どういうことを一般人が調べていいかの手法」については、教えてもらいました。それから、益山智恵子さんに、彼女の車でひき殺そうとされた話も、電話で、伝えています。これは、とても重要なことです。

 このひき殺し、未遂の陰に、益山重夫、智恵子夫妻、および、杉本俊一・正子夫妻(当時の横須賀市土木課長・・・・・のちに横須賀市副市長となっていく、いろいろ、疑惑がある人物)、とか、京急側代表A氏などの悪(水道山をただで、1200坪私人に渡してしまう話)があり、そのまた、先に、益山氏の親友、瀬島龍三の悪辣さとか、益山智恵子夫人の実弟、仲野通巳吉の嘘八百とか、彼の長女、益山某女(智恵子さんの養女になっているとみなせる)の、富豪ぶりとかに、ついて、私が書き表すにあたっての、道徳的、根拠を与えてくれています。

 私は常日頃、世の中に無駄なことは一つもないと、言っています。このケース及び、平木さんの攻撃も、反対に、自分が、真実を書く、道徳的根拠を与えてくれているのです。

 だから、青山敦子弁護士には、深く、感謝しています。

 しかし、です。それ以降、三度、私は危機に見舞われ、そのたびに助けを乞うて居るのですが、拒否されています。1986年には、中谷共二氏に、自分のこの鎌倉の家の東北の崖を、無断で、崩壊させられた時にも助けてもらっていません。これを法的処置を取らなかったのは大失敗だったと思っています。青山弁護士に助けてもらえなくても、自分一人で、法務局とか、鎌倉市役所の、固定資産税課に、内容証明を送っておくべきでした。大失敗だったと思っています。中谷氏は、カリフォルニア大学出身の帰米二世で、いわゆるCIAエージェントの一人だったのでしょう。そして、瀬島龍三とも、交流があるはずです。だってね。まだ、成田空港ができていない時期の、羽田空港の燃料を一手に扱う会社を経営していたのですよ。並みの日本人が、そんなことを米軍(特に進駐軍)に、許可してもらえるはずがないです。

 次には、2005年に、石川和子さんが、私の猫の事で、警官を呼び、警官が、泥棒側の石川和子さんに味方して、調書を取った際も、その不名誉を、そそがんとして、神谷町の青山敦子弁護士のオフィスを訪問をしているのですが、「あら、これって、交通事故の調書ですよ。だから、大したことないわ」と軽くいなされて、終わりです。

 石川和子さんは、私の猫が、彼女より、私を選んだことに、大きな恥を感じて、それを、警官で、そそごうとしたのです。警官に、彼女が命令したことは、「あそこの旦那に奥さんを叱ってもらう様に、頼んでください」ですって。その言うことを聞くために、警官が、わざわざ、この山に上がってくるというあほらしさ。それが伊藤玄二郎の愛人を自称している石川和子さんの、特権意識の肥大ぶりを証明しています。だが、それだけではないのです。

 この事件の半年前です。冬の寒いさなか、猫を迎えに行く私を、それが十分に予測できるのにもかかわらず、五分以上待たせるのです。さすが、温厚な私も怒って、一筆箋二枚に、「もう、猫は自由に外へは出しません」と書いて、ポストに入れ、すぐ読んでもらう様にノックをして、「手紙を入れたから、読んでおいてくださいね」と告げました。と、さすがに鈍感な彼女も、私が怒っているという事は判ったらしくて、急に、「待って、待って、話し合いましょうよ」と、玄関に私を招じ入れました。あそこの玄関とは、幅が75㎝で、長さが、260cmぐらいの細い狭い空間です。その三分の二にコンクリートが打ってあって、そこに私が立ち、50㎝離れて、石川和子さんがしゃがみました。しかし、私に対して、話をするのではなくて、すぐ後ろに立っている柳沢昇と、いちゃいちゃと、その時の自分たちの状況を話し合っているのです。「ねえ、あれがどうしたからねえ」と、彼女が後ろ向きに話すと、柳沢昇が「そうだよねえ。だからさあ・・・・」という風にです。つまり、二人は、まったく私を無視して、お互いがなめあっているのです。心理的な意味でですよ。

:::::::::ここでね。今回初めて語る話を挿入します。これは、60年以上前の話ですが、公衆トイレとは、今とは全く違っていたのでした。男性用小便便器が一つと、その隣に男女兼用の個室があると、言う形です。そして、床は、コンクリートで、壁は漆喰でした。全部が鼠色です。

 ちょうどマジックインクが発売をされ始めたころで、漆喰の壁にそれで、落書きをすると、みごとに黒いインクが、すいこまれていき、書き心地がいいんでしょうね。一杯落書きが書いてありました。上野公園内でも、そうだったという記憶があります。中に、定番の女性性器図柄が、描いてあって、その傍に、・・・・・僕はその時、栗の花の匂いを感じた・・・・・と、書いてあるのがありました。私が、それを読んだのは、まだ、子供時代で、セックスとはなんであるかを知らない時期だったと、思います。でも、強烈な印象として、記憶に残りました。::::::::::

 という挿入を入れて、たぶん2004年の12月だったある日の夜に戻ります。私は突然に、その栗の花らしきにおいを感じ取りました。1,2m向こうにある石川和子さんの股の間から、立ち上ってきているのです。そういう事だったのかと、深く納得しました。

 その時点で、すでに、リンチ事件に対して、文章をあれこれ書いて居ました。もっともすさまじいリンチ事件とは、少女コンクリート詰め殺人事件というもので、主犯格の少年が、そばに自分の愛人たる少女を侍らせながら、犠牲者の女の子へ差でイズムの極みのいじめを繰り返し、40日後に犠牲者が、死に至るのですが、そのことから、いじめというものと性欲の亢進というのが、最大の、結びつきを持っていると、言う事に気が付いています。

 しかしね。かまくら春秋窯主宰者の、お玄関で、それを目撃するとは、思いませんでした。ここから先、石川和子・柳沢昇夫婦について、あれこれを書きたいのですが、5日の午後、急に

 「引っ越し(主人が心筋梗塞を患った後、石段が無くて、救急車が横付けできる北久里浜で、暮らすことを考えて、北久里浜に持ち込んでいた、日常品を鎌倉へもって帰える事)をする。6日に」という連絡が入ったので、時間が無くなりました。

 それで、交通事故の調書を取られたのに青山敦子弁護士が、「こんなの大したことないわよ」と言って、何も助けてくれなかったところへ戻ります。それで、警察、特に築地警察署が、とんでもないいじめを行ってきた話に飛びます。なんと、三原橋交差点で、大きな事故(体が、宙に浮いて、7~10mぐらい先の方へ、飛ばされて、気絶していた)があったのに、宿直室で、(そうです。二段ベッドが並んでいる部屋)で、梅林と名乗る、軽い軽い性格の警官から、「これ、示談にしましょう。交通事故ではなかったことにね」と、いわれたのでした。

 私は、築地警察署がなんで、そういうことを言うのかが、きちんとわかっていました。だが、宿直室で、軽い軽い身分の警官から、しかも、夜の10時半に、そういうことを言われても、戦う方向が見えないので、あきらめました。しかし、負けるが勝ちで、書く権利を確保したのです。

 だから、あきれるほどに、自己肥大をして、警官を紙幣化した石川和子さんの、真実を書き続けるのです。私の猫に軽蔑された(いえ、選別の埒外にさせられた)悔しさを、警官を使って晴らそうとした、伊藤玄二郎の愛人、石川和子さん、ここに伊藤玄二郎の真実が、見事に表れて居るのですが、彼は、そんなことは、つゆほども関係がないと、言う表向きの顔をしています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 彼のgoogle 画像検索で、かまくら霊園における、私の実家の法事の写真が載っていました。それは、五日前には確かだったのに、22-10-4日には消えていました。google って、素早いですね。2022年の10月2日に、宗興寺で、実家の弟が最後という法事を催しました。しかし、私はいきませんでした。或る意味で、長女なのに、出席しないという事は、ひどい苦しみで、悲しみです。

 自分がブログを書いたせいですよ。でもなぜ、ブログを書いたかというと、伊藤玄二郎が、浄智寺さんを通じて、我が家の法事をいい加減なものにせよと、宗興寺さんに行ったからでした。それが、総持寺に関するオイコノミアが、二度目として、制作されたことで、明らかになったからでした。これは、相当に、複雑な出来事なので、当時書いた原文をここに、置きます。後日に、リンク先を見つけておきます。

   

 

@@@@@@ここが第一の書きかけ中の最先端です。

*6)、『今、聖路加病院の診察券が手元にないので、日時がはっきりしないが、私は、三原橋交差点傍で、交通事故に出会った。ポーンと体が、宙に飛ばされたらしくて、道路にたたきつけられた際には、五分以上意識不明であった。で、相当に派手な事故だったので、見物客がいっぱい集まっていた。夏の午後七時前後だった。で、車を運転していた某企業の社長さんは、恐縮みぎりで、治療代は出しますと、言ったり、夜の11時まで、付き添ってくれて、相鉄フレッサインまで、送ってくれた。

しかし、この時、夜の九時過ぎ、彼が駐車場まで自分の車を取りに行ってくれている間、植え込みのそばで、待っている私の、そばに、パトカーが止まって、「チキ章。間に合わなかった。治療をするなと、命令を受けているのに、それを、伝えられなかった」と、どなっていた。それが演技であり、実際に聖路加の先生は、警視庁の命令を受けて、

 

@@@@@ここが第二の書きかけ中の最先端です。

その詳細を書きたいほどですが、伊藤玄二郎からは、離れすぎるので、今は、触れません。ともかく、鎌倉雪ノ下における不当な事、数々、それから、息子や妹・弟に対する不当なことの数々をたすけてもらいたいと思っていますが、雪ノ下のケースだけでも、断られていて、したがって、私は、法廷では、自分一人で、戦うつもりで、平木さんにしろ、白井さんにしろ、前田清子さんにしろ、攻撃的な言動をとる人間は、つぶさに、実名で書いて居ます。

 なお、この道徳的根拠というポイントですが、平木伸明さんが、ひどいいじめをしてきているのも、深い真実を、ブログで、書くことへの道徳的根拠を与えてくれています。だからこそ、今、カメダタカコさんについて触れているのです。すべてはフィフティフィフティです。

 カメダたかこさんも、恩恵を与えてくれた過去もあるので、

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伊藤玄二郎が河出をたった一年で辞めたのは、沢木耕太郎とか立花隆とは違う理由があったと、今では判って来ている

2022-10-02 19:51:08 | 政治

 前々報(文末に置く、後注1)は、簡単な文章で、終わらせるつもりでした。だが、結構重要なことへ、踏み込み始めています。そこを、その日は疲労困憊で、続きをかけなかったのです。次の日(=昨日)もかけなかったのです。でも、本日(=今夜)は、展開していきましょう。

 その文章の中で、上から、四節目で、

ここから先が超重要なのですが、本日(というのは、実時間は、1日の午前二時半だが、自分としては30日の深夜のつもりで)は、体力が既に燃え尽きているので、書けません。・・・・・と書いているところの続きを書きたいと思います。

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副題1,『今、Koh. gabriel Kameda の情報において、自分もしっかりと覚えている、彼が、アインシュタインロマンという六回も、続いたNHKスペシャルで、再現ドラマのアインシュタインを演じたことが、しっかりと事実としてあるのに、NHK側のホーム頁に、それが、わざと、削除されている事(後注2・・・・・その副題2)で、またまた、鎌倉エージェントの、今、現在の動きを感じ取り、したがって、亀田家(横浜の長命門である。ブラタモリが、第一回目として、横浜を訪問をした時に、番組中、徹頭徹尾、たか子さんの姉君、が、出演なさったのですよね。姉君は、私をいじめてきた事が無いのです。だから、姉君については、ここでは触れません。間門(マカドと読む)のご自宅で、お会いしたこともあるのですよ。だけど、触れません。尚、その方は、本年亡くなっており、朝日新聞の湘南版に追悼の記事が出ました。もし、時間があり、見つけることが出来たら、ここに添付します。

 ただ、言いたいことは、一点です。亀田家が、横浜では、どれほどの、名門一族であるかと言う事です。たかこさんの父君とその本家の息子さん達、また、父親の弟君と、そのお子様方数人の内、男子は、医者になり、女子の一部は、お医者さんと、結婚をしている可能性があるので、全部で10人ぐらいの亀田家ゆかりの、お医者さんが、一緒に、掃部山、中腹にある、病院を経営していた時期もあったと思います。

 その同じ後注2の、副題3が、またまた、疲労困憊で、途中で、ちょん切れております。そこで、何を書きたかったかというと、亀田姉妹が、大事故に、花崎橋停留所(当時は、バスではなくて、市電だった。市電は、停留所と停留所の間隔がバスより、離れているので、現在では、バス停雪見橋にあたるところに、昔は市電の停留所があったのだ)で出遭ったという話です。そこに乗り上げて来た暴走車に、轢かれて大けがをしたのです。重症中の重症で、両足大腿骨骨折だと聞いています。複雑骨折かなあ? 普通なら命に係わる事故だったのですが、横浜市大病院で、最先端医療を受けて助かったと、聞いています。ただ、65年近く前の話です。今では、普通になっているフルート状の金属管を入れる手術を受けたのです。そして、4か月高、入院したと、聞いています。

 でもね、日比谷花壇を通りがかったことのたか子さんは、ごく普通の歩き方をしていました。治ったのです。100%完璧に。ただ、冬になると、傷跡が傷むなどと、言う事があったのかもしれません。それを他人に言いません。背がすらっと高くて、さわやかなきれいな声、上品な美形、すべてが、美しい・・カメ・・は、その上流階級育ちにもかかわらず、強い意志を秘め持って居るお嬢さんだったのです。

 私はシーンを思い浮かべるのが大好きです。その夜の停留所の情景を、想像してみます。モミジ坂上にある、神奈川県立音楽堂は、当時日本一(いや、今グーグル検索をしたら、当時は、東洋一と言われた)の音響効果を誇っている、ホールで、格の高いクラシック音楽が、演奏をされていました。

 こここそ、政治問題として言えば、カメが、日比谷公会堂へ、私を誘った事が、変だと、思う由縁なのです。カメが誘ってくれたのは、1966年か、1967年です。青山敦子弁護士は、東大在学中に司法試験に受かっていて、卒業と同時に司法修習生になっていますので、彼女が、日比谷花壇のオープンカフェにいたのは、その二年間の内のどこかなのです。すでに、東京文化会館が出来ていたので、クラシックの殿堂としての、日比谷公会堂は、人気を失っていました。両方とも、都の施設なので、日比谷公会堂が、文化会館と、競争すると言う事もなくて、どんどん、催し物の格が衰退して行ったころです。

 1954年(カメが、小学校時代)に、建設された、県立音楽堂では、とても、格の高い催し物が開催され、今でも、なかなかの、演奏会が、行われています。そこに事故に出会う前までは、何度も、というか、何十回も行っているであろう、カメが、どうして、すでに、衰退期に入った、日比谷公会堂へ、私を誘ったのか? そこが不思議でした。だが、岡本敦子司法修習生(のちに青山敦子弁護士となる)を、私に、見せることが、目的だったら、なるほどと、言うほかないのです。しかし、私は、57年か、58年間も、そのことには気が付きませんでした。Koh Gabriel Kameda の情報が、NHK側と、彼の側で、食い違っていることを発見するまでは。

 特に、東京都庁職員、図書館司書として働いているカメが、そのころ、もし、日比谷図書館勤務だったら、このお誘いは、不思議ではなかったからです。

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副題2、『岡本敦子司法修習生の後ろに、だれがいたかは、わからない。しかし、カメダタカコさんの後ろにいたのは、伊藤玄二郎ではなかっただろうか? 二人は、平沼高校の先輩(カメ)後輩(玄二郎)という関係がある。伊藤玄二郎が、もし、現役で、中央大学に入学をしたとしたら、1966年とは、河出書房入社二年目であり、そこをやめて、かまくら春秋社をすでに、起こしていたころとなる。

 というのは、以前みた、wikipedia の、記憶によるものであり、本日三田、ウィキペディアは、相当に変化していました。新しい方によれば、かまくら春秋社創設は、里見頓の助言により、1970年に、行ったと、書いてある。しかし、伊藤玄二郎のwikpediaが、以前と比べると、五分の一程度に、短くなっており、いろいろ、私に批判をされている部分を削除している筈だと、推察するので、以前読んだwikipediaに、のっとって、本日の文章も書いていきたい。

 伊藤玄二郎が、河出書房をやめたのは、立花隆より、早い可能性もあるほどの同時期であり、沢木耕太郎が、一日で、会社を辞めたのは、卒業自体が、5年後なので、伊藤玄二郎が彼らの影響を受けたわけではない。ただ、如何にも粋がっていた、文章を過去に読んだことがあるので、『違うでしょう。内心で、河出の、経営状態が悪いのを察して、やめたのでしょう?』と、思っていた。それをどこかで、書いた記憶もある。

 そして、そのついでに、河出をやめても、生きていかれると、言う自信があったのは、彼が、伊藤整の婚外子であり、母親が、編集者ではなかっただろうかと、言う事を書いて居る。で、母親を片腕としたので、出版社を開くのが楽々な事であった。それと、母親が、すでに、作家たちと知り合いであり、母親の知り合いが、おおい作家たちの町、鎌倉で、出版社を開いたのだろうとも語っている。

 しかし、一か月ほど前に、小町通で、ある女性が、一種の待ち伏せをしていて、私は、彼女と10分程度、懇談をした。すると、彼女は、問わず語りで、伊藤玄二郎について語り始めた。「すごい働き者だったわよ」という。ので、私は、不思議に思った。鎌倉在住の人は、伊藤玄二郎のことを、よくは、言わない人が多い。「悪人ですよ」と、言う人物が多い。私だって、もし、『伊藤玄二郎って、どういう人ですか?』と、誰かから聞かれたら、即座に、「悪人ですよ。こういうひどいことをやられています」と答えるだろう。しかし、その時に、生涯で、二度目として、立ち話を交わした彼女は、彼の事を愛情を持って褒めている。で、「どうして、あなたは、それほどに、伊藤玄二郎を知っているの?」と質問をすると、「だって、ここで、働いていたんですもの」と言って顎で、対面を示した。そちらに存在する店舗の二階で、会社を経営していたと、言う。『えっ、小町通りで、会社を経営していたの?』と、私は、内心では、びっくりする。私が知っているのは、若宮大路、西側の、ある店舗の二階を借りて、運営をしていた、1984年からだ。そして、2000年ごろ、若宮大路東側の、旧東京ガスの建物を買い取ったのか、そこに、前の建物を壊さずに、四階をのっけた。乱暴極まりない建築様式で、あれで、倒壊しないのかしら?と、不思議極まりない。

 ともかく、2000年ごろ、彼は、大金を手にしたらしい。それは、養老先生に、大衆向けのエッセーを書かせて、それが、大ヒットしたので、大金を手にしたのか?

 それとも、急に本の出版を始めた私を弾圧するために、彼を強大にする必要が、CIA本部に、あって、内閣官房機密費から、大金が出て来たのか? どちらかは、わからないが・・・・・・

 まあ、そう言う種類のどこかからやって来る大金のケースの内、1966年か、1967年に降りて来た、同種類の大金について、本日は述べたいのだ。

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副題3、『本日=2022-10-2に開いたwikipediaでは、里見頓のすすめで、1970年に、かまくら春秋社を、設立したとある。伊藤玄二郎が里美頓と、その四男の、山内静雄氏を頼っていたのは知っている。しかし、彼は、会社名をつけるにあたって、春秋社の、神田龍一氏にも、すり寄っていたのは、確かなのだ。で、春秋社の社名をもらって、かまくら春秋社と、したと、明瞭に彼自身が、wikipedia に書いて居た。

 神田龍一氏は、非常に見識の高い編集者にして、社長だと、言う評判だと、どこかで読んだ。この会社と、河出は、どこか、共通点がある。河出は、河出一族が三代社長を占め、春秋社は、神田一族が、三代社長を占めている。伊藤玄二郎は、その両方と接触し、河出を捨てて、春秋社に近寄った。で、神田龍一氏から、春秋社のお名前をもらった・・・・・・これを、つい最近(確かに五年前)までは後悔していたのに、どうして今、秘匿し始めたのだろう。どうして、二人ともなくなっている、里見頓と、山内静雄氏の方の恩義だけ、表に出しているのだろう?

・・・・・・その答えこそ、私だけが知っているのです。それは、神田龍一氏本人が、隠れ、CIAエージェントであったか? または、隠れ共産党員であったか(共産党は、CIAの手下になっているのです。こここそ、一般の日本人がまるで知らない真実です。驚くべき話で、新左翼も、旧左翼も、CIAの協力者なのです。そのトップがですよ。下っ端の党員は、自分が、日本を変革するのだと、信じていると思いますが、全く違います。それは、イスラム圏での、過激派、ISとか、タリバンのトップ(特にそのナンバーツー)に隠れCIAエージェントが居るのと同じです。そこに統一教会というものも加わりましたね。私は、集団結婚式をメディアが批判した時以来、とっくに消えている組織だと、思い込んでいましたが、なんと、自民党の、足としてしぶとくも生き残っていたのでした。ちっとも知りませんでした)

 どうして、神田龍一氏が、隠れCIAエージェントであったとか、まさしく、CIAエージェントそのものであったというかというと、その会社に、三輪喜久代さんという女性が、1966年から勤務し始めているからです。ここで、急に会話体になるのは、三輪喜久代さんとは、表向きはお仲間だったからです。一種の友達です。だから、親しい人の事を語る文章になるので、会話体へ、変更します。

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副題4、『三輪喜久代さんは、ロンドンで、CIAエージェントと化していて、小保方晴子さんの巣タップ細胞疑惑の発端となったNATUREに、偽・胚性幹細胞(ES細胞とかips 細胞と呼ばれているもの・・・・・小保方さんだけは、それを巣タップ細胞と呼んだ)論文を押し込んだ人物であり、かつ、私の友人でもあり、かつ、春秋社勤務でもあった』

 三輪喜久代さんは、化学屋で、日本化学会の会員になっているでしょう。それは、指導教授、湊宏先生が、日本化学会の、俊秀だったからです。実は私も湊先生には、かわいがられていた方で、卒業後先生の助手になる予定がありました。ところがです。助手になる予定があるからこそ、芳香族炭化水素の重合実験という、とんでもない、不可能な実験を命じられました。その結果、毎晩突沸現象というものが起こり、毎晩、ベンゼン、キシレン、トルエン、ナフサなどの、亀の甲を含む石油製品(今では、その毒性が、証明されている)が、部屋中に充満する中で、無機水銀の粒を50粒以上、床にしゃがんで、拾い上げると、言う実験を繰り返し、今に至るまでの、弱い弱い体になると、言う結果をもたらしたのです。それで、本当に体を壊したのです。

 でも、まだ、その時点では、湊先生の助手をすることは、別にお断りをするほどには考えていませんでした。助手になれば、先生が主体の実験の補助をするわけで、しかも実験する部屋が先生と同じ部屋ですから、先生が、状況を常にご覧になっているわけで、ずっと楽になると、考えていました。しかも、芳香族実験は、毎晩10時までやったものです。しかし、勤務者となれば、五時に帰れますし。

 ところが、その時期命令をされていた実験の、最終報告の日にとんでもないことが起きたのです。先生が、「それは、僕の考えることで、あなたの考えることではない」と、ものすごい大声で、どなったのでした。もう、びっくり仰天をしました。皆さん、これが、どうして起きたかを語らせてくださいませ。私は、外見に似合わず、ものすごくすぐれたところがあるのです。実験は失敗でした。しかし、どうして失敗したのかとか、そういう事は、わかっているのです。どうしてわかるかというと、のちに画家になる事でも、それが明らかになるのですが、すべての物事をイメージとして、とらえるからです。で、私が話し始めたことはすべて正しいのです。

 でも、私の方は、のんきに楽しく話しているが、内容は、先生にとっては、厳しいですよね。できない実験を学生に命じたと言う事が、目下の学生にわかっているのだと、言う事をとても楽しそうな、感じで、学生の方から、分子の在り方などを、イメージを浮かべながら話をされてしまったのですから。今にして思うと、湊先生のお気持ちもわかりますが、私は、1965年の時点では、そういうところまでは、思いが及ばず、ただ、ただ、逃げることを思い浮かべ、助手になる、道をお断りしてしまったのです。

 お断りをする前に、別の先生と相談をして、湊先生に、謝っていただくという形がよかったかもしれませんが、私って、結構自主性と、独立心のある人間で、一人で、考えて、一人で、決行するのです。でも、これをお断りをしたことで、自分も大損をしました。日本化学界には、会員推挙を無論してもらえませんし、他の教授が湊先生を乗り越えて、そういう事をしてくださるわけもないです。

 湊先生も、損をなさったのです。助手の予定は、大勢の人が知っていた話でしたが、それが、学生の方から断ったというのは、湊先生の恥になったみたいで、国際基督教大学から、都立大学へ、鞍替えをなさいました。でも、結婚式には来てくださいました。先生はキリスト者だから、許しの実践をなさったのです。そして、頼みに行く私も許しの実践をしたのでした。

 もし私の方に何らかの瑕疵があったと仮定すると、それは、外見が弱い人と見えることにあったと思います。しかし、内面は弱くない。したがって、弱いとみて、見くびっていた人たちは、恥をかいたり苦しみを負ったりします。だから、他人は、すべて対等に、ちょっと、自分より上だと、言う風に扱うのがいいのです。

 長い事情説明が入りました。が、ここで言いたいことは、三輪さんには、日本化学会会員という肩書があったわけです。しかし、日本化学界の会員である三輪さんが、春秋社に勤務するとは、本当に不思議な事でした。私は、親戚コネだろうと、見ていました。しかし、のちにスタップ細胞疑惑が起きた時に、ああ、そうか、スタップ細胞疑惑という、偽、胚性幹細胞(ES細胞とかips 細胞と呼ばれているもの)の論文をNATUREに、押し込んだのは、三輪喜久代さんだと、わかったのでした。この考察と笹井芳樹さんは他殺ですという二つの文章が正しいからこそ、スタップ細胞疑惑は、やっと消えましたね。ときどき、瀬戸内寂聴が小保方さんを支援していたとか言う記事とか、小保方晴子さんの、逃亡日記を佐藤優がほめていたという記事などが出ます。だけど、巣タップ細胞は、本物ですと言う、大宅健一郎の論文が、4度めとか、五度目として、ネットに登場することは、無くなりました。

 タップ細胞疑惑とは当時、右翼だと、みなされていた私が、「ああ、うれしい。日本人は、やっぱり優秀なのですね」などというブログ文を書くことが狙われていたと思います。しかし、私は引っかかりません。そういうアイデアを出したのは、きっと、是もまた、公的には、自分を死んだことにして、実際には、生きている、井上ひさしでしょう。で、笹井さんに、ノーベル賞でもちらつかせて、小保方さんと、組む様に、手繰り寄せて、最終的には、笹井さんが、奥様に、「もう耐えられない。真実を話したい」と言われたので、見せしめを兼ねて、殺したのです。自殺ではありませんよ。

 さて、以上は三輪喜久代という人物の分析でした。彼女が、1966年から、春秋社に勤務し、1967年には、伊藤玄二郎を巻き込んでいたと、考えられます。春秋社という看板を上げるから、私に協力しなさい」と、神田隆一氏に言われて、軍資金ももらったのではないですか。だから、河出から、退職しても大丈夫だと、思い始めたのです。

 そして、最初の任務として、大規模交通事故に出会って、四か月も、入院した、一種のスターたる、カメだたか子さんに近づいて、日比谷公会堂へ、何月何日に、礒部千恵子を誘い出し、有楽町駅まで、一緒に歩いてください。道は、こういうところを選んでね」と頼んだのだと思います。

@@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。以下は発想が先に起きた思考のメモです。

 最近のシリーズは、青山敦子弁護士(ochadai fuzoku高校のたった133人しかいない同期生、東大卒の弁護士)が、どうも変だ。隔靴掻痒の感がある。その裏に何かがあるはずだと、言う事を書き続けているのですが、

 その不思議さは、1966年か、1967年に始まっている可能性があると、語り始めている部分です。

 その日、中学時代の同期生、カメダタカコさんから、日比谷公会堂での音楽会に誘われた帰り、日比谷公園の中を歩いて、有楽町駅へ向かっている最中(当時、地下鉄は、銀座線と丸ノ内線しかなかったので、本牧へ帰っていく、たか子さんも、渋谷に帰っていくわたくしも有楽町(または、西銀座へ出るほかなかったのです)、

 すみません、まだ、途中ですが、ここで、就眠をさせてくださいませ。

 

後注1,

二宮金次郎状態です。前夜のビフテキのせいか、それとも北久里浜での重労働のせいか、元気いっぱいです    2022-10-01 01:26:25 | 政治

後注2,

前報で美形のバイオリニスト・K.G.Kamedaに触れた為に、私は今最大級の弾圧に出会っている。理由は平沼高校とフライブルグ音大に在り     2022-09-29 03:58:09 | 政治

 

 

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チューリップの球根を自分で、消毒し、それを夜の11時から、植え込み始めた話を書こうと思っていたが?

2022-10-01 02:13:23 | 政治

皆様、本日の私は、軽い話を書こうとしていたのですが、またまた、難しくて、危険な話に入ってしまいました。本日は、体力があるのですが、しかし、北久里浜の旧宅で、10時間の重労働をして帰ってきたところなので、体力がある方が異常なので、長いものは、書けません。短いものを書くつもりが、また、長いものに入ってしまいそうだったので、いったんひっこめます。

 いや、引っ込めないで、さらします。というのも、パソコンへの攻撃があったからです。それは、下に出ています。

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二宮金次郎状態です。前夜のビフテキのせいか、それとも北久里浜での重労働のせいか、元気いっぱいです

2022-10-01 01:26:25 | 政治

 今、私は、大変な重労働をしています。本日も、北久里浜で、10時間重労働をしてきました。それで、前報の続きを書かない方がいいと思っています。この体力では、途中で、ギブアップするはずですから。で、全然違うことを書きます。

 前報とは、1966年か1967年に日比谷花壇のオープンカフェで、当時は司法修習生だった、青山(当時は岡本姓)敦子弁護士が、懇談会を、しているのを見たのは、カメダタカコさんが誘ってくれた、日比谷公会堂での、音楽会の帰えりだったのですが、あれ、そのものが仕込まれたケースであり、青山敦子弁護士は、その当時から、鎌倉えーじぇんと(=CIAエージェント)の手中にあったのだと、言う事です。ただし、青山さんに日比谷花壇で、お茶会をしようと、誘った方が誰かは、判りません。

 一方のカメダタカコさんですが、この方は、一応一般人なので、結婚後の名前をここに記載をしません。こちらは、平沼高校出身です。で、伊藤玄二郎とは、知り合いだと、思います。というのも亀田家って、

ここから先が超重要なのですが、本日(というのは、実時間は、1日の午前二時半だが、自分としては30日の深夜のつもりで)は、体力が既に燃え尽きているので、書けません。

 @@@@@@以下は、メモです。

 

 食生活の事です。または、労働が、体を、勢いづかせると、言う話です。

 北久里浜では、朝7時から、5時まで、間で、二回インスタントラーメンを食べて、時々、6粒ぐらいのシャインマスカットを食べて、つまりひと房を、五回ぐらいに分けて食べたわけです。社員マスカットは高いけれど、疲労回復には抜群だと、経験上悟りました。

 そして、夕方6時ごろ、ジョナサンで、オムライス(二切れの牛肉つき)を食べて、鎌倉へ、夜九時に帰えりつきました。主人に夕食を作ってもらうと、野菜がないです。

 しかし、野菜がないおかずというのは、ほとんど、酒の肴状態なので、日本酒をちょっと飲みます。細めのワイングラスに氷を入れて、日本酒を注ぐ。だから、100㏄ぐらいしか飲んでいません。ずっと、日本産の白ワインを飲んでいました。毎日ではありません。今日は昼間ブログを書いて居るので、いつ寝てもいいわねと思う時だけです。それって、二か月に一度ぐらいです。でもね。日本酒っておいしいですね。特にスーパーで冷蔵庫に入って売っているものはおいしいです。しかし、いつも売っているわけではないみたいですね。で、

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