銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

スク・エニも高畑勲も骨身を削っているのに、なぜ、NHKは、宮崎駿ばかり特番で宣伝をする?

2013-09-30 22:39:27 | 政治

これは、前報 

宮崎駿の、最近の言動に、行き過ぎがあると思う。NHKの特番は、私企業の宣伝には当たらないのかな?

2013-09-30 01:33:31 | 政治

 の続きです。

副題1、『何度もいうが、NHKは、ほぼ強制的な税金に等しい視聴料を取っている』

 この副題1に書いた視聴料のことは、皆様にとっては当たり前のことであり、「どうしていまさら、そういうことを言うのですか?」と、びっくりをなさるでしょう。ところが、鎌倉に住んでいると、NHKとは、徹頭徹尾、個人的なコネで、動いているということが見えてしまうのです。

 だから、そこから敷衍すると、宮崎駿の特番が、既に、私が覚えているだけでも新作が出るたびに、三回も放映されたのは、変だというか、ひいきに過ぎるし、個人的にただ、宣伝をしてあげているのに、等しくなっているといいたいのです。

 どうして、そんなに目くじらを立てるのですか?といわれると、実は私は総額、5億を超えるだろうと思われる損害をこうむっていて、それが、理不尽極まりないので、その源泉者を探しているところですが、その一人と思しき人間が、伊藤玄二郎という男性なのです。で、彼がNHKを、恣意的に動かしているのに、気がついています。

 彼は鎌倉春秋社の社長です。その会社は、出版界では、一地方出版社であって、「私費出版で、稼いでいるのでしょう?」とか、「タウン誌で、稼いでいるのでしょう?」と、言われるほどの小さな会社なのに、NHKを自由自在に動かせるのです。

 それに圧倒的な深さで、気が付いたのは、2008年クリントン国務長官(奥様のほう)が来日したとき(2月17日だった)に、9時のニュースの直前に、山本容子さんが、世界遺産の紹介をするために出てきた時でした。

 今は無いのですが、当時は5分間で、世界遺産の映像とともに、話者が何かを語るという番組があったのです。NHKにはコマーシャルが無いので、五分でも、相当な露出となります。山本容子さんと、伊藤玄二郎がどういう関係があるかというと、ちょうど一年前ぐらいに、『社会の窓が開いていますよ』というシリーズを書いていて、そこに渡辺幸子さんという女流画家に絡めて、詳しく載せているので、ここではそれは省いて、伊藤玄二郎と、NHKの関係に絞って、要約を言いますが、

 伊藤玄二郎がNHKに大きな力を及ぼすことができるのは、もしかしたら、逗子在住のNHK副会長、今井さんと、個人的に親しいからかもしれません。いや、伊藤玄二郎が、影の実力者(エージェントとして、国際的軍産共同体と結びついている)だとしたら、伊藤玄二郎と親しいからこそ、今井さんが、NHK副会長に選ばれたのかもしれないのです。

 と、うがったことを言うのも、今井さんが、NHK副会長になったときに、それは、何階級も飛ばした、特別な昇進だったそうです。こういう人事には、必ず裏があって、現在日本の、真実の権力者(=国際的軍産共同体のエージェントたち)が、絡んでいるケースが多いからです。

 ともかく、伊藤玄二郎が、NHKを自由自在に操ることができるのは、知っていますが、宮崎駿さんを、長期取材をしなさいと、彼が依頼(または、命令)したかどうかは、わかりません。三鷹と鎌倉は地理的にとても遠いので、そこを、推察するのは無理です。でも、形が似ているので、最初に、伊藤玄二郎のケースを上げました。NHKは、決して公的に動いているものではないと言いたかったから、私が常日頃観察していて、『あ、また、NHKさん教唆された番組を作りましたね』と、思うことがあるので、

 宮崎駿さんの番組を作るにあたって、脇が甘いというか、なんと言うか、相当に、ずさんな審査を通って、番組制作が決定されているとは、思っているのです。いえ、第一回目は、違うと思いますよ。スタッフはまじめに、宮崎さんを、尊敬して企画書を上に上げたと思います。

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副題2、『NHKにはプロフェッショナルという番組があったが、散々たたかれたでしょう』

 NHK総合チャンネルには、プロフェッショナルという番組が月曜日の夜10時から放映されていました。
最初の司会者は、国井アナと、膳場貴子アなのコンビでした。膳場さんは、TBSに移動をしてしまいましたが、・・・

 視聴者、一般国民には知らされていませんが、裏で、いろいろ、批判をされていたらしいのです。それは、ここに選ばれることが、いい宣伝になるという側面があって、誘惑も激しいだろうと推察されますし、しかも、多数の視聴者のどこにターゲットを合わせるかも難しいからでした。

 たとえば若いサラリーマンにターゲットをあわせるか? それとも、既に、持ち家を持ち、会社でも順調に出世して、既に部長になっているので、社長もしやに入っているという層にターゲットを合わせるか、の選択も難しいところですから、中止になったと、考えられます。で、似たような番組が、テレビ東京に生まれています。こちらは、日経新聞が母体のテレビ局ですから、自由度が高いです。村上龍さんと、小池栄子さんが司会をしています。そちらは、社長族が、出演することと決まっています。

 一方で、NHKは、もう一回、プロフェッショナルを再開しました。住吉美紀さんと、茂木健一郎さんの司会で。

 ところで、ここで余談ですが、住吉さんにかんしては私ははらはらしてみていました。あまりに厚遇をされるからです。よい番組には、すべて住吉さんが当てられるという感じでしたから。大学の後輩だから、余計に心配していました。が、やはりというべきか、NHKを退職してしまいました。何か、いじめでも受けたのかしら? ありえます。あまりに過剰によい仕事が来るのも、こうなると危険水域に入ったということになります。で、それは、余談ですが、元に戻れば、

 プロフェッショナルは、その第二期も中止となって、今は、二度目お休みの後の、三期目が始まっているらしいです。ただし、私はそれを見ておらず、司会者を知らないし、番組の作り上げ方も知りません。

 ただ、その番組は面白いが、非常にごたごたしたし、批判をたくさん受けたといううわさを知っているわけです。

 批判の中には、登場人物に関する嫉妬も含まれていたでしょう。何であの人が選ばれるんです。この業界に葉、ほかに名人がいて、その人のほうが上ですよ』などという投書やファックス、メール、電話等も届いていた可能性はあります。

 すみませんが、30日は一日中、北久里浜に持っているふるい持ち家で、重労働をしてきました。

 で、この続きは明日書かせていただきたいのです。が、メディア論やら、そのほか、日本人が非植民地化制作のおかげで、屠所に惹かれる羊のごとく、自己主張ができない国民になってしまっているので、誰かがいいというものになだれ現象を起こして飛びつく問題の、困った点を語らせてくださいませ。

 ニューヨークのプラットインスティチュートで、現代美術の理論を取っていたときも、教授は、マクルーハンなどを引きながら、メディアの功罪、を論じておられたのですが、

 日本が特殊な事情の国だとはおっしゃいました。

 その怒涛のごとき集中、特に誰かを選んで、ファンが殺到をして、その人を神格化するなどということは欧米では、無いのです。

 リキテンシュタイン、アンディ・ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズ、マーク・ロスコーは、日本では大変に有名です。そして、私はジャスパージョーンズを研究していますという画家がいたりする。だけど、内実は画風やマチエールを真似しているだけだったりする。

 だけど、ニューヨークの版画工房にいる間中、誰もそういう作家を話題にしていた人はいません。創作者である限り、人は個性を生かして生きるのであって、誰もが、対等で、平等なのです。

 ところが日本は違います。特にお金が問題になり、お金があることが、有利でえらいと見なされます。そのお金を生むものが、メディアでの宣伝です。

 その際に、NHKが宮崎駿の製作過程を特番で、放映するということは、大変な支援となるのです。

 で、そういう上品極まりない支援の上で、あの膨大な土地が、東京とか、三鷹という地価の高い場所に買うことができて、東京都心に近いので、お客さんも来ることになり、ますます、好循環を生むほどの、軍資金が、売り上げから得られたわけです。

 まあ、そこまでは、運がいい人ですねで、済ませるべきなのかもしれませんが、

 それから先が問題なのです。宮崎駿さん、ご自身の最近の言動は、作品が志向する高みとは、ぜんぜんかけ離れて来ていて、低く、あざとくなっていると思いますよ。

 明日、行間をディテールで、埋めていきます。お待ちくださいませ。

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宮崎駿の、最近の言動に、行き過ぎがあると思う。NHKの特番は、私企業の宣伝には当たらないのかな?

2013-09-30 01:33:31 | 政治

副題1、『魔弾の射手というオペラがあって、中学で習ったが』

 ウェーバーの魔弾の射手というオペラがあります。私は中学の音楽でならいました。ドイツの民話から、プロットを取ったそうで、中学生にも、理解できる筋だし、恋愛がどろどろしていないので、中学生にも向いているとみなされているのでしょう。

 このオペラは、リズミカルに畳み掛けるような合唱曲でも有名ですが、民話とか童話がそうであるように、人生の要諦をあらわしています。

 で、このオペラと、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の筋は、折に触れて思い出し、社会で、見聞きする現象に照らし合わせて、『自分はどう生きるべきか?』の指針を得るよすがと、私は、しています。ほかにたくさんの人生論や幸福論を目にしましたが、筋を常に、思い出し、構造的に、『こうでしょう』と納得するのは、この二つの作品に、しくものはありません。

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副題2、『宮崎駿さんに、最近、油断と、勇み足が多く見られる』

 私が最近気になっているのは宮崎駿さんの言動です。引退表明は適切だったと思われるのですが、その発表の仕方とかタイミングとか、または、それ以外の言動で、大成功者に特有に、見られる傲慢が、既に、鼻につき始めていると感じます。

 ほとんど、神格化されているので、まだ、それを指弾したり批判をする人がいないけれど・・・・・「神様はすべてを見ていますし、そのことは宮崎さんご自身、よくご承知でしょう」といいたいです。お坊ちゃまもいるし、会社ジブリの中には、よそのご家庭で育った、そのご家庭にとっては、大切な子供である、若い人を大勢雇っておられるのでしょう。神のご加護を失って、つぶれたら大変です。

 今のジブリの社長が誰であれ、組織の事実上のトップというか、大看板が宮崎駿さんです。となると、日本史における戦国大名の立場です。特にアニメ制作会社は、ジブリだけではなくて、世界中あわせればたくさんあって、それらが、子供たちの人気を、奪い合っているのです。ちょっとした油断が命取りになるでしょう。老婆心ながら、お気をつけ遊ばせと、言っておきたいです。

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副題3、『NHKの特番が、宮崎駿さんを傲慢にしている』

 副題3の様に書くと、なんとも、下品で、直接的なタイトルになってしまいます。で、最初は、ここの副題を、以下のように書いていました。

・・・・・『成功とは、自他に、快感をもたらす。だが、それがメディアで、増幅をされたときには、副産物をもたらすのだ・・・・・それは、傲慢というもの』・・・・・でした。

 しかし、変えました。私は、宮崎さんの傲慢を引き出してしまうものは、NHKが長期密着取材をして、編集しなおす、特番にあると見ているからです。

 レンタルDVDで言うと、付録として付いているメーキングのフィルムです。それは、普通は3分程度の短いものですが、宮崎駿のアニメの場合だけは、NHKが、一時間、ないしは、一時間45分の長編ドキュメンタリーとして制作し、総合チャンネルで、放映します。

 私は、既に、3本か4本見ました。

 ところで、それを見ながら、常に思ったのは、『これって、私企業の宣伝はしないと、公言しているNHKの規律違反というか、公約違反には、当たらないのかなあ?』ということです。

 私に言わせると、私企業ジブリの宣伝になっていると思います。だから、NHKの言い分には、すこぶる矛盾が見られるし、NHKにコネが有ると、か、NHKの心象がいいか悪いかは、企業体、特に、庶民の人気を当てにする企業体には、命運を左右しかねない部分となるでしょう。

 それは、翻って、NHKを傲慢にさせるということにつながります。

副題4、『一部に感じのよい画面は、無論のことありましたけれど』

 無論、その特番が徹頭徹尾、宣伝臭に満ちていた、というわけではありません。

 直近の、「風たちぬ」の撮影の裏話では、きれいなほっとするエピソードも含まれていました。作品の中で、ご自分の責任がある部分をすべて終わらせた宮崎さんが、ほっとして、アトリエで、お昼を調理する場面です。

 私は事情を深くは知らないのですが、宮崎駿さんは、武蔵野に、いくつもの、広い地所を持っておられる模様です。自宅、アトリエ、スタヂオ(会社としてのジブリ)、美術館等々。

 アトリエは、ケヤキらしき大木に囲まれた広い敷地内にたっている、趣のある洋館で、中は、映画「いかと鯨」のなかで、離婚した夫婦の、お母さんのほうがもらう、ブルックリンの丘の上に建つ、築100年以上経つ、古い連棟アパートの中とそっくりでした。

 ニスで磨き上げられたウォールナット調の壁、そして、古い形式の、これも磨き上げられた家具に囲まれた部屋です。

 映画『いかと、鯨』は、アメリカ映画には珍しい文芸映画で、ブルックリンという地域が、高地は高級で、低地に行くにつれ、低級住宅街になることを、表示したりして、苦いユーモアが随所にちりばめられている映画ですが、お母さんのもらった家は、連棟とはいえ、高級な住宅に当たるほうです。それにそっくりなインテリアの中で、既に、伝統的な日本食にもなっている、ラーメンを調理する宮崎さん。ああ、ここで、もしかしたら、お料理はうどんだったかもしれません。私は正確には覚えていませんが・・・・・

 大変高級な欧米風インテリアの中で、ごく庶民的な、日本固有のお昼を取る、宮崎さん。それを見るだけで、ほほが緩んでしまいます。が、そのときに、『これが、終わったということなんですねえ』とつぶやく宮崎さんは、ファンならずとも、そうでしょう」と、思わず頷いてしまうほどです。いい感じの場面でした。

 しかし、その画面が美しくても、この番組の大局的、影響力は、宣伝に当たると思います。そこについては、私の思考が、かわることはありません。そのことを誰も指摘する人がいない模様ですが、9月30日の午前、2時にそれは、指摘しておきます。なお、アップはその後で、30日の午後にさせていただきます。

 この一文は、ノーベル賞や、芥川賞という燦然と輝く賞が、それをもらった人に、傲慢という、マイナスをもたらすということについて述べたい部分の前置きなのですが、いつも、いつも、文章が冗長になるので、これだけを独立させたいと思っています。

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満島ひかり『WOMAN』内の母親像と、柳美里の母親としての実像を比較する△△

2013-09-28 01:14:43 | 政治

 29日の午前10時の、加筆中にぱっと、文章が全部消えたので、タイトルを変更させてくださいませ。そこが、重要なはずですから。なお、最初のタイトルは、『ベストセラー企画の対比、柳美里(小学館・命) VS 山口果林(講談社・安部公房と、わたし)』でした。そして、そのタイトル変更の12時間後の29日の夜に、さらに、副題6のところで、加筆をしたので、△印を二つに増やしておきます。

副題1、『若い女性は、組織のトップに、ほれやすい』

副題2、『もし村上春樹がノーベル賞を取ったと仮定をすると、朝日新聞系列に、日本の政治が、またまた、大きく、支配をされるだろう』

副題3、『ここで、柳美里の本、命を思い出すのだった』

副題4、『渋谷のブックファーストで、柳美里の3連作が一階の平台に、ワーッと乗っていたことを、印象深く覚えているが』

副題5、『柳美里の芥川賞受賞を知らなかった私には、書物<命>は、・・・・あら、嫌だ。この人は日記を、作品として世に問うている・・・・・と、感じただけだった』

副題6、『ここで、12時間ほど、<命>の初版本の出版元を、間違えていたことを、お詫びします。文庫本は、新潮社から出ているそうですが、ハードカバーの初版本は、小学館から出ているそうです。私は、柳美里の日記が、新潮社から出ている雑誌に、載っていたのも、立ち読みをしたことがあるので、勘違いをしてしまいました。申し訳ございません』

副題7、『出版も、広告も、一種の洗脳作業である。大衆に対する、心理操作のきわみなのだ』

副題8、『え、内縁の夫がいる? それは、無論のこと、坊ちゃんのお父さんではないはずです』

副題9、『満島ひかりのドラマWOMAN 内のお母さんの像は素敵でしたね。あれなら大丈夫』

副題10、『保育所で育てるだけで、母性愛の育たないケースも有るのに、数百万人の読者と、いっしょに子育てをしたつもりになったら、そりゃあ、母性愛など育たないでしょう。それが、予測をできないなら、妊娠をするべきではないです』

副題11、『藤子夫二夫(F)氏は、遺作で、馬のぬいぐるみを描出したが、家族の露出はそれだけだった』

副題12、『ここで、二つの本の編集部を比較したい』

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副題1、『若い女性は、組織のトップに、ほれやすい』

 前報で、安部公房という、一巻5500円の大判(A5版)の全集が30巻を数える大作家(?)をけちょんけちょんにけなしています。だが、娘さんに言わせると、オードリーヘップバーンを思わせる美貌の才女だった安部真知さんという正妻と、同じく、美貌を持ち、才気煥発でもある山口果林さんを、支配しているのだから、大きな魅力に満ちた男だったというべきなのでしょう。

 私は安部公房本人を一切知らず、肉声も聞いたことも無ければ、体臭に触れたことも無いので、いわゆる男としてのフェロモンが大量に出ている人だったか、否かも、しらないのです。

 ただ、若い女性というのは、組織のトップにほれやすいという事はいえます。

 果林さんが、桐朋学園の短大演劇科に入学したときには、安部公房は学園内でもっとも知名度が高くて、また、講義も人気がある教授だったと思われます。そうなると、若い女性は組織のトップに位置する男性にほれやすいので、彼と恋に陥ったと、いえるのでしょう。なお、果林さんが、3年次には、四年制の大学も開校をしていたらしいので、彼女は四年制の学園を卒業しているということとなります。

 ただ、真知夫人は舞台美術家で、いわゆるスタッフ(裏方)のほうです。それで、映画で言えば、キャストという女優側に対するさげすみの発想はあったかもしれません。単に、自分は正妻であり、法律的な権利があるというよりも、そういうポイントで、果林さんに、辱めを与えたかもしれないのです。

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副題2、『もし村上春樹がノーベル賞を取ったと仮定をすると、朝日新聞系列に、日本の政治が、またまた、大きく、支配をされるだろう』

 私が安部公房を激しく批判をしたのは、ノーベル賞候補だったと、その本に、偶然にも書いてあったからです。果林さんが、自分がほれた相手は、すばらしい人物で、それにほれた自分は偉いのだと、威張るためにそれを、記述したのではなくて、結婚がなかなかできなかった理由としてそれが、記載をされていたのでした。

 ところが、私の逆鱗にそこが触れてしまいました。たとえば、今ノーベル文学賞の、日本人候補として、注目をされているのが村上春樹です。でも、もし、村上春樹が受賞したら、本人の意志はどうあれ、またまた、朝日新聞系列がおおいばりで威張り、政治はそちらが主張するとおりに、流れていくでしょう。

 そして、朝日新聞傘下にいる文化人が大いばりに威張ることも予測をされます。で、そういう文化人の一人である酒井忠康氏と、とすでにバッティングをしている私は、大いに、立場が悪くなるはずです。また、私という個人に限らず、朝日新聞がいいといっている、従軍慰安婦の問題等も、圧倒的レベルで、そちらさん側(いわゆる従軍慰安婦側)が、勝つ事となり、シーシェパードも活発に日本をいじめ、ハーグに、調査捕鯨を、提訴したオーストラリアは、勝訴するでしょう。

 そして、日本国民は総体に、惨めさを、さらに味わうこととなるはずです。たまたま、朝日新聞系列は、今の安部内閣を支援し始めていますので、安部さんが激しく、たたかれて、日本の政情が不安定になるということは無いのでしょうが、それでも、ともかく、大幅に、少数派に対する弾圧力が強まるはずです。

 単に少数派に、落ちてしまうというだけではなくて、いわゆる右翼というレッテルを貼られて、少数派に陥るという以上に、不安定な位置におかれるといいうことにもなるでしょう。それが朝日新聞の一党独裁というこの国の仕組みなのです。

 以前は、日経新聞とか、読売新聞は経路が違うよという感覚を国民は持っていたのですが、『新たにす』というサイトができたときに、その3新聞だけが連携して、ますます、大政翼賛会的、システムが構築されたのでした。 というわけで、ノーベル賞が、大きく政治支配に、利用をされているので、安部公房がノーベル賞候補であったと聞いただけで、大きな嫌悪感を持ったのでした。

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副題3、『ここで、柳美里の本、命を思い出すのだった』

 ところで、私は安部公房を、ことノーベル賞関連で、激しく、けなしながら、このシリーズ内では、政治よりも、本作りとか、女性の生き方を主として論じているので、柳美里を、連想のひとつとして、思い出しました。

 山口果林の、生活様式は、女性芸術家にとってはまことに好ましい形だと思われるのに、実態は悲惨だった。それでも、一般論としては、女性芸術家は、普通の結婚をするべきではなくて、恋愛で、一生を済ませたほうがいいと、論じている最中に、ふとですが、女性芸術家が子供を生みたいと思ったときにはどうしたらいいかを考え始めたのです。

 芸術方面ではないが、シングルマザーとして子育てをして、成功した女性はいるでしょう。たとえば、編集者から、ライターとなって活躍した桐島洋子さんには三人のお子さんがあります。すでに、成人なさっていますね。他人にもマスコミにもその名前を明らかにはされていないが、お父さんは、3人のお子さんとも、同じ方であって・・・・・と推察されています。

 そして、芸術家や文化人を一種の顧客兼使用人として、扱っている残間里恵子さんも、シングルマザーとして、無事にお子さんが育っているらしい。

 さて、創作者というか、芸術家として、シングルマザーを貫いている例は、と、頭を引っ掻き回し、すぐ、俵万智さんと、室井侑月さんと、柳美里さんを思い出すのでした。

 この中で、室井さんは、ちょっとニュアンスが違うので、例として、はずします。正式な結婚後の認知済みのお子さんを、離婚後にシングルマザーとして育てているというのは、純粋恋愛だけの、結びつきとは違いますので。

 また、私は俵万智さんが、子供について発言をしていたり、短歌を作ったりしているかどうかをまるで知りませんので、これも、はずします。

 すると、残る例は、柳美里さんだけになりました。

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副題4、『渋谷のブックファーストで、柳美里の3連作が一階の平台に、ワーッと乗っていたことを、印象深く覚えているが』

 私は結婚前は、実家が日吉だったので、渋谷の大盛堂書店では、よく本を買いました。旧店舗です。渋谷のスクランブル交差点のまん前にあったので、目立つランドマークでした。それは、109ができる前ですけれど。

 その後、結婚をして違う場所に住むと、渋谷では、本を買わなくなりました。しかし、ある日、BUNKAMURAに用事があって、ふと、寄った、渋谷のブックファースト店(東急ハンズそば・・・・・今は、違う場所にもある?)の、一階の平台のもっとも目立つ場所に、柳美里の三連作がずらっと並んでいるのに、目をそばだてたことがあります。そのときに申し訳ないけれど、非常にいやな感じがしました。

 そのいやな感じを他者に、見せたことはありません。当時はブログをやっておらず、また、メルマガはやっていましたが、だいたい、3000字程度の温和なエッセイを書いていて、今のように鋭い分析など、頭の中にあっても外へは、出さない時期だったのです。特に他人を批判的、もしくは否定的に論じることなど無かったし。

 どうしていやな感じがしたかというと、『子供って、単純なのは、赤ちゃんのときだけですよ。しかも、成長するにつれて、育てるのは難しくなります。こんなに、今、自分の赤ちゃんのことを誇っていて、将来大丈夫かしら? 傲慢に過ぎるなあ』と思って。

 ここでの傲慢とは、聖書のヨブ記で描かれるような根源的な意味での傲慢をさします。特にベストセラー扱いを受けています。となると、お金をもうけているわけです。『いやな感じだなあ』と思いました。なお、今、あの三部作がでて、大騒ぎで、ベストセラー扱いがされていたころがいつだったかを、パソコンが10台近く壊されているからこそ、wikipediaで、確認をしたところ、2001年か、2002年だった模様です。そして、あれは、実は四部作になっているそうです。

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副題5、『柳美里の芥川賞受賞を知らなかった私には、書物<命>は、・・・・あら、嫌だ。この人は日記を、作品として世に問うている・・・・・と、感じただけだった』

 私は、1990年以前は自らを雑学の女王だと、言うほど、新聞や週刊誌を隅々まで読む人でした。テレビはあまり見ないし、パソコンはやりませんでした。お母さんが、インテリであることを家族中が嫌っていたので、絵を、家にほかの家族が誰もいないときに、描くだけでした。ただ、東京へ行くときは、大体週刊誌を買っていて、行きで一冊読み、帰りで一冊読みという具合で、毎週、4誌は、読んでいましたね。

 ところが、1990年ごろに子供が二人とも大学へ入学しました。『ああ、よかった。これで、肩の荷がひとつは下りた』と感じて猛然と絵を描き始め、特に大きな展覧会へ出品するための、100号以上を、年に、7作は、製作する生活に入ると、それに集中するようになりました。

 女流展とか、国展や、各種コンクールへ応募する生活へ入ったのです。時々お誘いを受ける画廊でのグループ展や、自分自身の個展を含めると、招待状を書くとか、お付き合いで、パーティに出るとか、それは、それなりに、忙しくなるのですよ。また、そのようにあっちこっちへ顔を出していないと、存在感が無いということにもなりますし。

 鎌倉の自宅では、当時あった一番大きな部屋である12畳の客間をアトリエ代わりにして、描くのですが、毎日、絵も画材もすべて、しまっているところから、客間へ出し、夕方になると、すべてを、後片付けして、またしまうので、非常に疲れるし、時間は取られるしで、世間の噂話の類はすべて関知せずとなって、世間から遊離するようになったのです。

 その上、1997年は、文化庁の在外研修生の試験を受けている最中で、ストレス過多でもあり、かつ、1998年はパリ、1999年はニューヨーク、2000年もニューヨークと、三ヶ月ずつ海外修行に出て、海外では、べったりと、1日、7~10時間版画漬けですから、日本社会の情報には疎くなります。しかも、そのころは、帰国しても、逗子に総計24畳のマンションを借りて、アトリエを、作り、そこにこもりっきりで、いわゆる仙人と化して修行をしていましたので、新聞も読まず、テレビも見ずでしたので、柳美里が、芥川賞を受賞をしているなど、一切知りませんでした。

 で、先入観が一切無い状態で、命を読んだときに、『え、これって、日記ではないですか? こういうものが、ハードカバーの本となり、値段をつけて、売ることができるのですか?』と、ものすごく驚きました。無論のこと、日記が文学となるのは知っています。だが、そのためには、もう少し、編集の手が入って、文字数を削って、読む人が、ああ、これは、感動しましたという形で、流れないといけないと感じました。

 だって、その日記は、昭和天皇の侍従長の日記というわけではなく、歴史的な史料価値は無いからです。また、子育てをした人間にとっては目新しいところは一切無くて、しかも、子育て中のお母さんは、こんな日記を読んでいる暇は無いわけですから、いったい誰が読むのだろうと、怪訝な思いに打たれました。

 ここらあたりは、裸の王様という童話を思い出してくださいませ。私は裸の王様がパレードをしているときに、道端で、見ている庶民です。「王様は裸だよ」と、言ってしまう庶民の役割を担う人間です。

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副題6、『ここで、12時間ほど、<命>の初版本の出版元を、間違えていたことを、お詫びします。文庫本は、新潮社から出ているそうですが、ハードカバーの初版本は、小学館から出ているそうです。私は、柳美里の日記が、新潮社から出ている雑誌に、載っていたのも、立ち読みをしたことがあるので、勘違いをしてしまいました。申し訳ございません』

 ところで、この節に、日曜日の夜8時に加筆をさせてくださいませ。柳美里さんは、最初、『新潮』か『小説新潮』のどちらかの、雑誌に、この単行本「命」と、同じ文章を、載せています。そのときに、原稿料をもらっていると思います。芥川賞受賞者だから、30万円~50万円ぐらいの稿料が、出るのではないかしら? すると、女性の一人暮らしで、ほかにもテレビ出演や、エッセイ執筆の依頼があるだろうから、十分に、満足できる暮らしができると思います。

 どうして、そこで、満足していないで、あの大宣伝に乗ったのかしら? それに乗らなかったら、すべては、もっと、平穏に、済んでいて、お子さんは、『お母さんは、普通の母であって、自分を裏切ってはいない』と、信じることができたでしょう。だけど、あの「命」ですが、4部作を、将来坊ちゃんが読む可能性はあって、『お母さんは、これほど、大変な思いをして、僕を育ててくれた』と感謝するか、それとも、『僕も普通の家庭に、生まれる、普通の子の方がよかった。お母さんは、極端にわがままで、その上、こんな本で、お金を儲けたなんて、ひどい』と、思うかの、・・・・・どちらかですが、私は、18歳過ぎのぼっちゃんは、後者になると思いますね。そこまでのことが、12年前に、渋谷のブックファーストで、既に見えたのです。特に一瞬で、見えたのです。そして、現在その予想通りになりつつあります。

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副題7、『出版も、広告も、一種の洗脳作業である。大衆に対する、心理操作のきわみなのだ』

 副題5に、私は柳美里の命を読んだときには裸の王様状態だったので、いわゆる乗っていない状態であって、つまらない本だと思ったわけですが、それよりも、重大なのは、その影にある、子供でお金を儲ける事は、あざとすぎるし、よくないことだなあと、言う判断でした。 そして、それは案じたとおりに、お子さんの、中に現れてきているのです。思ったとおりというか、予想通りの展開です。子供でお金を儲けて、実際は愛も無い。そんな母親の元で育つお坊ちゃんは、将来どうなるのか?

 まあ、大丈夫だとは思いますが、中学生にして、世間を大騒ぎさせているらしい。やはり、やはりというべきか。だけど、私は坊ちゃんのみになってみると、そりゃあ、母を信じられないのも当たり前だと思いますよ。出版当時の書評は馬鹿によかったのですが、私はまったく信じませんでした。『おかしい。これは』と思っただけなのです。

 しかし、映画評もそうでしょうが、書評も商業主義に、連動しているみたいで、書評そのものがお金をもらってやる発注作業だと思われ、したがって、必ず、好評に持っていくのでしょう。だけど、恐ろしい未来が有る本だと思いました。

 普通、産休というのが、会社に勤めている、お母さんにはあります。芸術の仕事って、もっと厳しいものだから、赤ちゃんができたら、創作は休むべきでしょう。日記を、しかも、子育て中の日記を公開する。それで、お金儲けをする。本当に、信じがたい行動です。

 自分がスターであると信じたら、こういう行動が取れるし、周りもそういう風に扱うのでしょう。だが、それは、彼女をダシにして儲けることができるからであり、その主体の彼女は、ご自分のお子さんをダシにして、日記を書き、それを売文する。ああ、恐ろしい。

 彼女で儲けることができるのは、彼女が芥川賞をとったからであり、美貌の人であり、かつ、在日の出自が有るからでしょう。なるほど、なるほどと、今も思うし、今から13年前の渋谷のブックファーストの店頭でも思ったことでした。

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副題8、『え、内縁の夫がいる? それは、無論のこと、坊ちゃんのお父さんではないはずです』

 私は物を書くときに、直感にしたがって書き、初稿は、誤変換も多発しているし、それ以外にも間違いが残っていますが、妨害を受けているので、そのまま、書き進めます。前報では、話題のあまちゃんの主役、能年玲奈さんのレイが間違っていましたね。麗となっていました。それは、私のパソコンでは、増山麗奈という前衛画家について書く事が多いからでしょう。

 このノーベル賞云々の節が入っている今回のブログも激しい妨害を受けました。それは、ノーベル賞と、村上春樹に関する記述、および朝日新聞系列に関する記述が、的を得ているからでしょう。

 私のように、非常に簡単に物事を、まとめて、短い文章の中に、書くと、非常にわかりやすいから、弾圧をされます。この現代日本には、ほかに、そういう人が、いないのです。真実を隠しておかないといけない大衆に、この世の真実を告げてしまうと思われています。ブログの紹介記事が、7年ぐらい、まったく変わらないのです、が、それこそ、妨害と弾圧を受けている証拠です。本当は、毎日、何千字かを加筆または、新作をあっぷしているのに、一切、グーグルでは、紹介をされていませんね。

 まあ、それは余談として、私は、命三部作(その後四部作になるらしいが)が渋谷のブックファーストの、一階の平台に、幅3m奥行き1mぐらいの広さで、展開をしていた、その時期を正確な年度として、知りたくて、今回グーグル検索をしたわけです。

 で、自分が仙人と化して、修行中(だから、新聞も読まず、テレビも見ない)に、彼女が芥川賞をとっていることを、2013年9月27日に初めて知ったわけですが、もうひとつ、内縁の夫と同居しているとの記述があって、あっと驚きました。

 これは、坊ちゃんに対しての二度目の裏切りです。ひどいなあと思います。一度目は、命四部作を書いて、お金を儲けたこと。そして、二度目は、この同居です。無論のこと、セックスが目的でしょう。そういうことは、小学生期のお子さんにはとてもよくないです。こういう人生を選ぶのなら子供を生んではいけないです。

 命四部作の第一部が出たときの書評で、何人かの人は、「これは、男性にとってはいたたまれない書物ですね」と書いていました。その男性の中で、最もいたたまれない思いをしたのは、精子を提供した男性です。日本全国に向けて、しかも数十年にわたって、自分の無責任さが、責め続けられるのです。死んでも書物は残るのですよ。あれほどの、ベストセラーだったら、日本全国のご家庭に保存されている部数もたくさんあるでしょう。だけど、積ん読だと思いますけれど。でも、普通の男性にとって、柳美里を満足させるほどの、慰謝料や、養育費が出し続けられますか?

 だから、結局は、縁が切れるでしょう。となると、坊ちゃんは、普通の離婚のような形でお父さんに会うことができないのです、これだけでも、非常にしんどいのですが、さらにしんどいのは、母が芸術家、創作者であるという形です。

 それって、事実上、取り付く島もない、女性となりがちです。仕事が頭脳を使うので、頭脳は勝手に動き出しますので、24時間いつもやすみがないからです。

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副題9、『満島ひかりのドラマWOMAN 内のお母さんの像は素敵でしたね。あれなら大丈夫』

 いまね。ここで、1200字ぐらい書いたら、そこを中心に全部が消えました。これは、何度も狙われている妨害の形で、『1万字ぐらいを再現するのは無理だろう。だから、消えさせたのさ、この文章全部をね』と、思っているハッカーがいるわけです。狙いはノーベル賞のところだと思われますが、でも、タイミングとして、どうして、満島ひかりのドラマについて書いたところが選ばれて、そこで、消えたかというと、満島ひかりという名前につられて、読者が増えたら大変だと、思われているからでしょう。で、あえて、タイトルを変えて、満島ひかりを表に出しました。

 悪人達に負けては居られません。で、挿入から元へ戻ります。

  今、あまちゃんが、社会現象となるほど、話題になっていますが、ちょっと前までは、半沢直樹であって、そのちょっと前までは、WOMANだったのです。シングルマザーの過酷さがリアルすぎて、見ていられないとも言われていましたが、コアなファンも獲得していて、同時期に同じく、シングルマザーを演じた、広末涼子との優劣を論じられ、そっちはぜんぜんだめですよといわれ、その種の対比で、あれこれと話題になっていたドラマです。

 私自身はドラマを見ている時間はないのですが、それでも、評判の高いドラマというのは、芸術性も高いでしょうし、製作者側の、心意気も知りたいので、最終回だけ録画しておいて見てみました。 

 最終回だから、大団円に向かいます。シングルマザーは、実母宅に身を寄せます。それは、いいですね。ただし、実際には、お嫁さんの実家の方が、若いお婿さんとの、結婚生活の大障害になるケースも多いのです。

 が、このドラマ内では、実母宅も貧しくて、つつましい生活をしていて、貧しいながらの幸せを、子供を入れて、五人で、形成するところで終わります。

 実母は、満島ひかりが、演じる主人公の、実父ではない男性と暮らしていますが、あだなをナマケモノという、その男性も、貧しい人です。が、善人であって、これから、ジイジ役を果たしていくみたいです。血はつながっていなくても、誠実に、その役割を果たしてくれれば、子供が育つのにあたって、大きな力になります。

 で、このドラマ内に、描かれている家族像は、聖書に言われている、「貧しい者よ幸いなり」を、体現しているのです。とても、心休まる終わり方をしていました。

 お母さんは、狭い部屋の一隅に座卓を置いて、そこに、亡くなった夫の遺影を飾ります。その前に夫の好物だった森永キャラメルを子供が供えます。ずっと、連続してみていた人は、ここで、涙を流したのでしょう。

 満島ひかりは、いろいろな役をできるらしいのですが、これは、『川の底からこんにちわ』の系譜に属するもので、目立たない普通の人、特に庶民をやらせたら、抜群にうまいですね。

  『川の底からこんにちわ』は、大傑作だと思います。現代の日本も反映しているし、独立系の新人監督が作ったにしては、成熟していて、完成度が高くて、笑い転げるような面白さもありましたし。で、その映画の監督と結婚をした満島ひかりは、人生の、ありと、あらゆるところで、選択が正しいと推察されます。有名な監督の園子温さんのごひいき女優だったらしいのですが、そちらの、翼の中に居たままだと、いずれ、愛人化して、正妻(園監督には、見た目の年齢上、既に、家族が居ると想像をされるからですが)、と、バッティングをして、つらい思いをしないとならなくなるでしょう。

 人生はありと、あらゆる場面で、選択の連続ですが、満島ひかりに比較をすると、柳美里さんの選択は、あっちこっちで間違っていたと推察されます。

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副題10、『保育所で育てるだけで、母性愛の育たないケースも有るのに、数百万人の読者と、いっしょに子育てをしたつもりになったら、そりゃあ、母性愛など育たないでしょう。それが、予測をできないなら、妊娠をするべきではないです』

 あのね、太宰治が、心が弱くて、何度も心中事件を起こすのは、実家が大金持ちであって、実母ではなくて、若いお手伝いさんに育てられたことにも一因が有ると、私は、推察しています。善人で、かしこい娘さんだったけれど、6歳のときに、結婚のために、津島家を離れます。この愛され、愛する対象との別離も大きかったと思いますが、実母に育ててもらっていないというのも大きかったでしょう。

 実母と実子の間の紐帯って、ものすごく強いものなのです。今回のシリーズは、山口果林の、「安部公房とわたし」を論じることで成り立っていて、実は、これも、そのシリーズの第四弾なのですけれど、果林さんの本では、その実母の最後の場面での記述があって、私はそこが、白眉だと思っています。たまたま、安部公房が、果林さんのマンションで倒れて、その一日か、二日後の22日に死去するのですが、26日にスポーツ紙が、腹上死だと、書きたてます。

 無論違うのですが、それを、記者会見して、発表するほどの、余裕が、果林さんの側に、精神的にはありません。安部公房はノーベル賞候補者で、偉い人なんだと、思いこまさせられていたからです。だから、愛人である自分には、何も発表する権利はないと思いこまさせられていたからです。

 で、その大騒動の中で、実母も危篤状態です。で、実母の看護に、集中していることが、娘の果林さんを、マスコミの餌食にすることから遠ざけました。実母の入院先の病院は、「ここに時の人、山口果林が来ている」とは発表をせず、守秘義務をきちんと守ってくれたのです。看護師や調理師や、掃除婦さんのレベルでも、守秘義務を守る高いレベルが保持されていたのでした。

 最近高級(?)レストランで、玉木宏の伝票を公開した使用人が居て、辞職を迫られたそうです。当たり前でしょう。お客は楽しみのためにレストランへ行くのだし、有名人は、ことさら、プライバシーについては敏感なのですから、伝票だけでも、ネットで、公開してはいけません。これは、お店の存亡にかかわる、事態ですから解雇もやむなしでしょう。

 その点、ウィリアム王子夫妻は、賢いです。大衆が、興味しんしんなので、ある程度は、情報を開示しておられますが、使用人らから、詳細な、部分がもれるのを恐れて、細心の注意を払っておられますね。キャサリン妃の実家の方が、王宮より、使用人の数が少ないので、それだけ、安全度が高いから、そちらで、今過ごしておられます。

 あ、ここで、おさらいをしておきます。急に、ここに入ってきた方は、どうして、私が山口果林を、果林さんとよび、柳美里を呼び捨てにするかということを怪訝に思われるでしょう。その理由ですが、果林さんの方は、高校の後輩であり、かつ、おねえさんの方と、1962年、ちいさい教室で、ほぼ、1000時間は一緒に過ごした仲だからです。柳美里さんの方は一切の接触が無いので、一般の知名人として、敬称なしで、今まで書いてきていますが、これから先は「さん」をつけて語ります。

 彼女はランニングをやっているそうです。しかも、鎌倉に住んでいる。だが、彼女のランニングの最中に私が姿を見かけたことは、ありません。中村嘉律雄さんとは、氏が、ランニング途中に、私は、すれ違ったことがあるのですが・・・・・八幡宮様そばの、とても狭い歩道で、出会ったので、見間違うはずもないのです。

 私ね、命、4部作で、お金を儲けたことも天の摂理に反すると思っているのですが、それをベストセラーにした小学館の編集部の見識も疑ってしまうのです。だが、それは、既に過ぎたことだから、問わないにしても、

 教育心理学的に見て、それがなぜいけないのかも語りましょう。子育ての最終責任は、両親にあります。でも、このケースではお父さんには、何も援助をしてもらえないわけですから、子育ての最終責任は、柳美里さんだけに、かかってきます。それは、相当以上にしんどいことです。でも、そこに、他人でもいいから、自分を見守ってくれる人がいると助かります。

 彼女の場合、「命」四部作を合わせて、数百万人の読者がいると想定をされます。編集部から売れ行きの報告は入ると思いますし、本一冊について、購買者の家族、友人、図書館での読者がいるはずなので、それらを合計すれば、すさまじい数の未知の他人に、見守ってもらっているということとなり、安心感を抱くことはできたでしょう。

 しかし、みなさん、ここで、特にいいたいのは、好事魔多しで、それほど、多数の人に、自分個人のことを丸投げしてしまうと、大切な大切な部分である、母性愛が育たなくなるのです。責任は、薄まり、ストレスも緩和されます。が、だからこそ大切な部分が育たないままで、終わってしまう可能性はあります。 

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副題11、『藤子夫二夫(F)氏は、遺作で、馬のぬいぐるみを描出したが、家族の露出はそれだけだった』

 この間、テレビ東京のなりきり都市伝説という番組を見ていたら、ドラえもんの作者の、F名で活躍する藤本氏の方が、大変に、家族思いの方であったという話が出てきました。一方、A名で、活躍する我孫子氏の方は、家族思いというよりは、外出して飲み歩くのが好きなタイプだったらしいのですが・・・・・

 藤本氏には、お嬢様が二人居たそうですが、マスコミにはさらさないように気をつけて、漫画の中には、登場させなかったそうです。仕事机にむかって亡くなったそうですが、最後の最後に、お嬢様方から贈られた、ぬいぐるみと、ご自分がお嬢様方に贈られた、おもちゃを登場人物として、使われたそうです。それ以外は一切無しです。

 漫画家というのは、重労働で、大変な職業のはずですが、一方で、ドラえもんの作者ともなれば映画化権とか、そのほかで、大金持ちになれたでしょう。でも、傲慢にならず、ご自分の、人間としての、立ち居地を、忘れることは無かったということです。

 柳美里さんについて論じていけば、きりがないほど、話があります。でも、本日は、ベストセラーの作り上げ方、特に『命』についてのあざとさという、ポイントで語っていますので、小学館の、命の編集担当者と、その上司は、いったいどういう、信念と未来予測を持ってあの本を企画したのだろうと、疑問に思いますね。

 いや、今般wikipedia を開いて、グーグルに坊ちゃんに関する記述が大量に出ていて、私は、それを初めて読んで、驚いたかというと、『さもありなん』と思っています。そして、坊ちゃんではなくて、柳美里さんの問題だと考えているし、柳美里さんが、その後取った処置とか、内縁関係が有るとか、知って、これから先さらに大変だろうと思うわけです。また、坊ちゃんがしでかしたことを、似ている問題としての、テレビキャスターの辛抱さんの遭難と、救出・・・・・海上保安庁に辛抱さん側は、お金を出せと、言う論議が起きたこと・・・・・に絡めて語りたいのですが、柳美里さんに対しては、「海上保安庁に、賠償金を、出しなさい」という論議が起こっていませんね。公的な世界では起きていないはずです。

 その二つは、対比として、とても変であり、どれだけ、柳美里さんの方が優遇をされているかがわかります。どうしてそうなるかも語りたいのですが、それは、将来へまわしましょう。

 だけど、そんな私生活を抱えながら、鶴岡八幡宮様へ、献灯をなさり続けているとは、柳美里さんは、太っ腹であると、みるか、人格が、分裂しているとみるか、または、八幡宮様が相変わらず、めちゃくちゃに、脇が甘くて、悪人に利用されまくっているとみるか・・・・・いろいろありますが、ここでは詳細は、語りません。

副題12、『ここで、二つの本の編集部を比較したい』

 今までは、2000年出版の命について、伸べてきました。

 2013年の方で、ベストセラーになっていきそうな、書物『安部公房とわたし』ですが、冒頭の口絵写真に、編集部のその種の意図は見えるものの、それ以外はごく穏やかな進行だと思われます。命は、の方は、そうではなくて、マスコミ総動員というお騒ぎで、売り出されました。広告宣伝ということですが、大衆相手の扇動策、心理操作策が、行われたと思っています。

 2冊には相当なレベルで、共通点があります。著者が、二人とも、若い日に劇団に所属をしていたということ。美形であり、才媛であること。山口果林は、テレビドラマの世界へ逃れ、柳美里さんは、文章を書くほうへ、流れました。

 二人とも、仕事が集中して来て、重労働を果たさないといけない日々もあった模様で、その手の厳しさを、味わったことが有るという点でも相似しています。そして、二人とも、妻子ある男性と、愛人関係に、あったことを、世間にさらしているという共通点があります。

 そして、そこに書いてあることは、誰がどんな批判をしようとも、ご本人にはきわめて、切実なことであり、書かざるを得ないことだったといえましょう。

 だけど、文章は文章で、買いてもいいのですが、それを単行本化するときの目的が大切で、その点で、二冊は相当に、違います。山口果林の方は正当防衛をするための本です。

 だけど、柳美里さんの方は、ご自分が、スターであるからこそ、出版が可能な日記であり、そこに描かれているのは、ほかのひと、特に、一般人にとっては、単に、日常的に普通のことの範疇に入る子育てがテーマです。一般人だって、子育てには苦労をしているのですよ。いや、お金で解決をできない部分があるだけに、労働をより、激しく注いでいるでしょう。

 そして、一般人でない柳美里さんの、お子さんは、今、大変なことになっている。それ以上世間を騒がせないために、携帯を取り上げたそうですが、そうしても、お子さん側の、心の問題が解決していない限り、どこか、別の場所で、問題が噴出するでしょう。柳美里さんのほうに、天文学的な、こころ模様の変化がない限り、問題の解決は難しいでしょう。

 現代日本の金儲け主義と、その後日の結果を、偶然にも、目の当たりにしました。

 今一応閉めたつもりになって、グーグルの柳美里に関する別の項目を開いて見ました。参考のためにです。先ほどとは違う、『柳美里・子育て失敗』などという項目です。そこで、戦慄すべき記述を見つけました。12回も中絶をしたとか、現在の坊ちゃんは相手に対する復讐のために生んだとか? 中絶はぎりぎりの段階ですることにしているとか?

 小学館って、長らく、小学一年生から始まる雑誌を販売していた会社です。最近では、漫画があたっているでしょう。でも、いずれにしろ、子供を糧に伸びてきた会社です。そういう会社が、どうして、柳美里さんのような、発想を持つ、女性の、子育て記録をベストセラー仕立てにして販売をしたのか、不思議です。それって、会社の大方針を傷つけていますよ。

 『大丈夫ですか? 小学館様、今般建物を改築なさるそうですが、天にのろわれはしませんか?』と、思うほどです。

 そして、鶴岡八幡宮様は誰の推薦で、柳美里に、雪洞祭りの、献灯をお願いなさっておられるのだろう。もし、伊藤玄二郎あたりの推薦だったら、「おお、おお、また、また、悪魔さんに、からめ取られておられますね」ということとなります。

なお、このブログの2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1816098です。

 2013年9月27日に初稿を書き、29日の午後4時に、推敲を終わる。雨宮舜(本名、川崎千恵子)

コメント

私はノーベル賞(特に文学と平和賞)の権威を信じない・・・(山口果林の本の3)△

2013-09-26 23:53:37 | 政治

 27日の深夜推敲が完成しました。恒例のとおりタイトルの横に、△印をつけておきます。

副題1、『単純なゲームをやっているうちに、山口果林が、正妻側へ勝利した構図と、その理由が、はっきりと、見通せて来た』

副題2、『植民地生活をしてきた人と、果林は、公房をいい、その贅沢振りを賞賛しているが、それって、私にとっては、頷けない態度だ』

副題3、『私が、常日頃考えているのは、創作者の活動期間は、ほぼ、18年間であるということ』

副題4、『安部公房と山口果林の結びつきは、女性芸術家(=ここでは女優だが)にとって、理想の結婚の形だったと思われるが・・・・・』

副題5、『私はノーベル賞、特に、文学賞と、平和賞は信じない』

副題6、『安部公房のスノビズムの影に有るものを想像しよう。明治か、その前の江戸時代はどういう暮らしだったのかな? いろいろ、変だぞ』

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副題1、『単純なゲームをやっているうちに、山口果林が、正妻側へ勝利した構図と、その理由が、はっきりと、見通せて来た』

 私ね。前報を書き終えてから、単純なパソコンゲームを、三時間程度やりました。ああいう文章を書くと、疲労困憊しますので、リフレッシュのために、頭脳内を、洗浄する必要があって、単純なゲームをします。それは、情動と関係が無く、哲学とも関係が無く、心理学とも関係のない世界なので、すっきりいたします。その結果、どうして、果林側が勝ったかが見えてきました。

 10年ぐらい前に、相談を受けた友達と、どこが違っていたのだろう。

 山口果林は今生きています。生き生きと、と言うわけには行かないかもしれないが、生きています。しかし、友人の方は死んでしまいました。一種の最後の手段として、死を選んだとも推察されるのですが、それでも、夫と愛人が別れたとは思えません。

 一方、今は幸せそうに見える果林さんには、下世話な言葉で言えば、新しいサポーターができたのかもしれません。講談社の編集者と、新たな連携を感じて、そこで、生き生きとしているのかもしれません。

 ここまでの書物を完成させるためには、相当にいい編集者がついていないとだめかもしれないのです。

 でも、そうではなくて、ただ、単純に、自分を生かすためには、そして、未来へ向かって生き抜くためには何が必要なのか。または、何が大切なのかを考え抜いた末に到達した道かもしれないのです。

 その勝利の要諦は、捨てること、勝とうとはしないことにあったでしょう。

 ところで、すでに、この書物、「安部公房とわたし」の読み方として、各種のブログが書かれています。それは、安部ねり側の新潮社刊の書物に対して書いてあるものよりも熱いです。それだけ、『いいよ。果林。あんたは素敵だ』と思っている人間がいるということですが、それらを読むと、

 ・・・・・実の娘、安部ねりの『安部公房伝』内で、自分が一切、無視されたことへの対抗措置として、書いたのだろう・・・・・と、言う判断もありました。そうかなあ? そうだろうかなあ? と、一抹の疑問を持ちます。

 そこから始まったのかもしれませんが、最終段階では、勝利した獲物(=安部公房への思慕やら執念)を捨てています。それが、彼女を浄化しています。

 彼女は、実質婚の際にも勝利していたのですが、

 安部公房が、命、果てる二日前に、自分のところへ、帰趨したという、部分の勝利をも捨てることで、勝利にこだわらず、正妻側に向かって、「どうぞ、お受け取りください。安部公房は、あなた方に返してあげます」と、言っている様に見えます。

 彼女は表現の語彙としては、「安部公房を卒業する」といっていますが、正妻よりも、自分を選んでくれた男を、正妻側へ、突き返しているのです。そこがかっこいいし、それで、正解ですと、私などには思えます。

 安部公房の愛は、まだ、所有欲の愛とか、女にすがる愛の段階のように思えます。そういう段階にまでしか、男を育て得なかった安部真知さんは、それゆえに、最高ランクの女性ではないかも知れず、それゆえに、安部公房は、山口果林へ乗り換えたのかもしれないのです。

 そして、若かった果林さんは、いわゆる乗せられた状態、または、たぶらかされた状態で、実質婚を楽しんでいたのでした。が、そこから目覚めたというのが、この本全体を貫く骨格だと思います。

 そこは、すがすがしい。

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副題2、『植民地生活をしてきた人と、果林は、公房をいい、その贅沢振りを賞賛しているが、それって、私にとっては、頷けない態度だ』

 安部公房の父は、満州医大の卒業の模様で、現地で尊敬をされ、贅沢な生活を送ってきた模様です。公房は、バター半ポンドを一気(一日のうち)に食べたと果林さんに言っているそうです。

 これは、安部公房がなにかの記憶違いをしていて、4分の1ポンドのケースを一気に食べたことを半ポンドといっているのかもしれません。今でも、小岩井や、雪印が、4分の1ポンドの箱で、バターを売っています。ジャガイモをふかすでしょう。熱いうちに、バターナイフで、5ミリぐらいをこそげとって、ジャガイモの上に乗せる。そうしたら、二つジャガイモを食べる間に、一人で、4分の1ポンドを食べきってしまうのは、ありです。しかし、もし、公房の記憶違いではなくて、半ポンドが正しい数値だとしたら、戦前、戦中の満州で、あったとしても、それは、奇想天外な贅沢というものです。特に戦前は、日本でも中国でも牧畜は今ほど、盛んではなくて、中国で買うバターは、欧米製だと推察されるので、驚天動地の贅沢といってよいでしょう。

 私なんか戦後60年過ぎの現在だって、クッキーを作るとき、半ポンドのバターを幅4センチだけ使うと決めているほどです。

 私は満鉄社員の子供で、父の絵(中国の遺跡を描いていた)はラストエンペラーの宮殿や、甘粕大尉(満映の理事長でもあったが、実質的に、満州支配の総元締めであった)の部屋を飾っていたが、それでも、満州時代を誇る気にはなれません。私の父は医者ではありません。でも、満鉄の調査部、中央試験所というところで、オイルシェールの研究をしていたので、恵まれた生活を送ってしました。盗まれてしまった写真ニ、マーチョと言って、満州や中国で、使われていた、人力車に乗っている写真があります。

 社宅は、1930年代、全戸、スチーム暖房でした。集中大ボイラーが、別棟にあったと思います。でもね、今ここで、そういうことを書くのは、安部公房のバター半ポンドが、変だと思うから書くのであって、戦時中の満州支配は、恥じ入るべき出来事だと思っていて、高校時代の文化祭で、そういう発表をして、先生に怒られたりしています。

  「国立大学の付属で、こんな、日本国の恥部を、展示してはいけません」と怒られました。国際基督教大学に進学しても、英語で、100頁のリポートを、この満州支配をテーマとして書きました。担当のアメリカ人教授は、こういうこと、特に細部については、まるで、知らなかったそうで、「面白かったし、よくできています」と、ほめられました。

 ところで、英語で、満鉄を表すと、必ず、冒頭に、South-(=南)が付くのですよ。

 でも、文学者としても、一人間としても、安部公房にとって、満州での語るべき思い出が、・・・バター半ポンドを一日で食べきったことだった・・・なんて、彼の思考様式は、変です。果林さんとの生活が、全般的に、「これは、遊びなんだ」というニュアンスが濃かったことをおもいしのばせます。

 終戦時、私は三歳でした。だが、両親も、満州時代は、よかったというニュアンスで、その日々を語ったことはありません。実際にはウィークディは、研究をしていて、週末は、中国の遺跡を油絵で描くという優雅な生活をしていたのですが、それを誇ることはありませんでした。

 安部公房は終戦時18歳でした。ただロシア軍が歌が上手だったという記述には、我が家の両親の思い出と、合致するものがありますが。「露スケは、歌だけは上手だったね」と、よく言っていました。だけど、横暴で、略奪をしたり強姦をしたりするといううわさがあって、非常に恐れたり警戒をしていたそうです。

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副題3、『私が、常日頃考えているのは、創作者の活動期間は、ほぼ、18年間であるということ』

 私が、この文章のここまでで、また、これから先も、安部公房を、否定したり、非難を続けるのは、安部公房が、ノーベル文学賞の候補だったと知ったからです。

 果林さんは、おぼこで、公房が真知夫人と、7年間別居を続ければ、自動的に、離婚が成立すると考えていた模様です。ただ、金銭的に、収入がそれほどない、真知夫人側を支えないといけないので・・・・・特にお嬢さんが私立医大に、進学していますし・・・・・

 公房は原稿料を、半々にして新潮社が自動的に真知夫人に振り込んでいると言っていたが、時々は会って、手渡しを、していたかも知れないと、今では、果林さんも考えているみたいですが、それは、私のような第三者から見れば、まさにそのとおりであっただろうと、思われ、それゆえに、正妻真知さんを、遺棄していることにはならない形だったと思われます。だから、7年間待てば、自動的に、実質婚が、入籍済みの正規の結婚になると考えていた、果林さんは、そこでは、失望をさせられたと思いますが、

 ここですが、もし、果林さんに、高額の収入が無かったと仮定をして見ましょう。あの容姿とあの頭脳を持っていても、女優ではなくて、単なる会社員だったと仮定をします。すると、安部公房の愛人であり続ける生活を維持するためには、彼女にもお金を与えないといけなくなり、そこから、いろいろな真実がより早く、彼女の目にも、見えてきたでしょうが、たまたま、山口果林という女優がテレビの世界でもてはやされ、コマーシャルも始まり、収入が多かったために、真実が隠蔽されやすかったとも思われます。安部公房は、極端に楽をしたわけです。で、愛人と正妻のいる二重生活が長く続きました。

 それは、ずるずると、いう感じで、引き延ばされ、入籍が無かったがゆえに、公房の死亡時に、果林さんは、衝撃的な辱めをマスコミから受けることとなり、それ以降もこの実質婚の件に関しては、隠し続けないと、いけないこととなりました。

 それは、ひとつには、自分が有名人であったことと、相手も有名人であったことが、原因ですが、もうひとつは、安部公房に、ノーベル文学賞が授与される可能性があったからの模様です。

 で、ノーベル文学賞を受賞するというほどの、大文学者が若い女性と不倫の関係にあったということはスキャンダルなので、受賞ができなくなるので、二人の関係は隠してほしいと、新潮社の担当編集者から言われていて、それが果林さんの苦しみが生まれる大きな原因だったといわれています。

 誰か、安部公房の著作をたくさん読んでいる(?)人物が、・・・・・安部公房は、ノーベル文学賞の候補になった後は、いいものが書けなくなったのではないか・・・・・と言っていましたが、それはありえます。そういう記述を読むと、ふとですが、誰か、これも、私ではない人が言っていたことですが、・・・・・井上ひさしは、好子夫人とコンビを組んでいたころに、よい作品群が生まれ、ゆり夫人と結びついてからは、さしたる作品が、生まれていない・・・・・といっているのを思い出しましたが・・・・・

 私は常日頃、どんな創作者にとっても、天才的な創作活動が続くのは、ほぼ、18年間だと思っています。たまたま、宮崎駿監督が、今度の映画「風たちぬ」の中で、登場人物の言葉を借りて、航空機設計者にとって、活躍できる期間は、10年だといっていますが、音楽や、文学、そして、美術などの分野の創作者は、18年ぐらいいいものができます。美術の世界の人間の場合、その後は、名声を頼りに注文を受け続け、手法の焼き直しや、発想の焼き直しで、名声を保っているが、本当によいものを作り出せるのは、18年間だと思っています。

 安部公房は、68歳で死亡しています。ノーベル賞候補になってからは、創作が低迷したそうですから、63歳ごろまでがピークだったとすると、その18年前は、45歳です。

 学生としての、山口静江(後に果林と公房により命名される)に出会うのは、41歳か42歳のときです。恋愛を持ちかけてきたのは、公房側とみなされます。同居したかしないかは別として安部公房の創作の意欲昂進に、果林さんとの、恋愛が役に立ったのは確かでしょう。

 正妻側の、真知さんには、「これは、創作のために、必要な恋愛だ」というようなことを説明をしていて、やがて終わるようなニュアンスを匂わせていたかもしれません。いや、真知さんが、勝手に、『あれは、いつかは、終わるだろう』と思っていた可能性はあります。容姿が気高くて、しかも自分よりはるかに若い果林さんですが、いずれ彼女の方が理性的に目覚めて、ほかの男性のもとへ正式な結婚をするために、去り、夫を捨てるだろうと、タカをくくっていた可能性は強いです。

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副題4、『安部公房と山口果林の結びつきは、女性芸術家(=ここでは女優だが)にとって、理想の結婚の形だったと思われるが・・・・・』

 私は、71歳です。その人生経験のすべてをかけて、女性は、結婚をしたほうがいいという考えの持ち主です。まだまだ、日本社会では、女性は被差別の対象で、弱い方であり、一生を通じて安定した経済力を確保できないからです。

 でも、それは、創作をする人間、・・・・・普通の場合に、芸術家と呼ばれる人間・・・・・にだけは当てはまらないと考えていました。

 というのも妻という立場は、相当に制限を受けるからです。大芸術家となるためには、妻という制限があったり、母という制限が無い方がいいと思っています。でもね、恋愛もしないでいて、『処女でございます』という形では、表現に、限界が訪れるかもしれないので、恋愛はしたほうがいいと思っています。

 だけど、ころあいで、魅力のある男性で、しかも、結婚を求めてこない男性は、それぞれ、普通の雰囲気の女性と、家庭を持っているケースも多いでしょうから、不倫の形になります。そこを、うまく、やっていくためには、当然のごとく、別れも来るでしょう。苦痛も有るでしょう。だけど、別かれれば、今度は、また、別の人との恋愛も始まるわけです。

 また、どうしても、母となりたいと思ったら、シングルマザーという道もある。無論、シングルマザーは大変です。だけど、芸術家の道が修羅道であることはわかっていて、それを若いときに、選ぶわけでしょう。だったら、覚悟の上で入った道だから、修羅も、苦痛も仕方がないのです。甘受しないといけません。 

 で、女優として、成功した果林さんにとってはこの恋愛は理想の形であっ太はずです。しかも、他人から見れば、23歳も年上の、相手が、先に死んでくれて、ああ、よかったというべきだなあなどとも見えます。

 なのに、そういう想定内の結果には、いたらず、反対に、こんなに、大きな苦痛を味わったのは、なぜなのか? その原因の、ひとつは、安部公房側に、甘えの要素があったからだと、私は思います。誰に対する甘えかというと、果林さんと、真知夫人の両方に対してのそれだけではなくて、人生のありとあらゆる局面に置ける、甘えです。

 まず、果林さんが、NHK朝ドラの主人公に選ばれた直後に妊娠が判明します。もう、おろすしかないです。これは、精子を配布する側としては、特に不倫関係にある愛人としては、失格の態度です。その部分は、説明をざっと読みましたが、読むに耐えないと思いました。男が悪い。完璧に安部公房が悪いです。 

 たとえば、こういう風な比ゆをしたら、皆様もすぐ、安部公房のだらしなさと、しょうもない甘えをすぐ、ご理解をなさるでしょう。2013年の朝ドラで、大人気が出た、少し黒目がちの少女・能年麗奈ちゃんが、去年の秋ごろ、・・・・・つまり、深いプールで潜水の特訓をしていたころに、妊娠が発覚をして、それを、中絶をしなければならなかったという裏が、もしですが、あったとして、それが漏れ出て、発覚してスポーツ紙とか、ネットで、炎上でもしたら、20%を超えるといわれる、『あまちゃん』を見ている全視聴者は、その相手の男性を、憎むはずです。または、深く、軽蔑をするはずです。

 果林さんが、朝ドラの主役をしたころには、ネットは、発達していませんでした。また、彼女が、ものすごく賢くて、しかも、周辺の人、(特に、産婦人科の女性さん)なども協力的だったので、安部公房は事なきを得て、助かりましたが、ひどい男です。46か、47の分別ある年齢で、そんなことをしてしまうとは、無責任というか甘えん坊というか、なんともひどい男性です。

 普通なら、二人はここで、別離をするべきでしょうに、それを、23歳も年上の男性の方が、自分の方からは、やらないというか、できないのです。こういうところは、まだ本を買っていない方に対しては、一種のネタばれであって、普通の意味で書評をするつもりなら、避けねばならない記述ですが、私は書評をしているつもりはないのです。

 女性はどう生きるべきかを考えているし、マスコミ主導で、女性を、教え諭す方向が、間違っている場合も有ると考えているので、ここまではっきりといいます。

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副題5、『私はノーベル賞、特に、文学賞と、平和賞は信じない』

 と、副題のように書くと、今年あたり、村上春樹が、ノーベル文学賞を受賞するでしょう。(笑)どうして、そういう予測をするかというと、例の敵さんたちは、私が書く事にいちいち、反対のニュースを作り出しますからです。となると、日本人は大喜びになります。と、そういう二重否定を使って、私は・・・・鋭くも・・・・日本国に貢献しているのです。だから、常に、天が見守っても下さるのですが、それは、国家に対してだけでは無くて、個人に対してもそうです。

 私はそのNHKニュースを見ておりませんが、安部総理大臣が最近、草間弥生にあったそうですね。草間は、私がメルマガで、散々取り上げた、2002年ごろまでは、日本社会では、ブレイクをしていませんでした。そのころ、私は、朝日新聞社の田中三蔵さんに、電話番号を教えてもらって、草間弥生に直接電話をかけています。論文にあなたを取り上げたいと許可を願っているのですが、拒否されました。その電話が盗聴されていると、対立する関係にあるとみなされて、それ以降、龍が、昇天するかのごとき、好待遇を受けはじめ、勝、それは、続いていて、ヴィトンが、草間のデザインで、製品を作るといった、ぐらいに、世界的な、・・・・・特に、金銭的な、大ブレイクを果たしています・・・・・彼女は、私と瀬島隆三やら、石塚雅彦さんとか、秋山豊寛さんとか、成岡庸司君とか、木村某氏とかの関係を知らないでしょうが、それは、無論のこと、おおいに、関係があって、それが、寄与しての大ブレイクだと思います。で、彼女ほどの大物の大出世というか、大もうけにも、私は、寄与しているわけですが、知名度として、もう少し、下のレベルにも大寄与をしているのです。

 たとえば、その番組のMCへの就任の、少し前までは、国際キリスト教大学の教授だった、姜尚中氏が、突然に、NHK・ETVの『日曜美術館』の司会者に、選ばれたのなど、まさしくそれであって、ほかにも大勢の人が、大きく儲けたり、出世したりするのに、影で貢献をしているのですよ。(笑)

 だけど、それが、最も目立つのは、これほど、間接的な関係ではなくて、もっと、直接に近しい人を利用するケースです。私の友人を出世させて、私を無視して、ほうっておくのは、散々に使われている手法です。それで、私を、悲しませて、ノイローゼにさせようとする動きは大きく、また、その友人たちが、ご自分を誇示すること、誇示すること、恐ろしいほどです。しかし、その人たちは、マスコミで取り上げられるほどの著名人ではないので、ここでは、固有名詞は挙げません。

 そのうちの一人は、長い封書入りの年賀状で、昨年中の出世振りを、必ず、教えてくれるのです。それも、すごい話だと思いますが、すべて、淡々と、受け止めております。でも、このブログの世界で、上のように書いていると、突然に、その出世した友人から、その件の、自己宣伝用(長い封書入りの)年賀状が届かなくなったりするので、見事に推察が当たっていることも思わせます。 

 その友人自身が、このブログを読んでいるとは思えませんが、彼女を利用している裏側の人間が、彼女に、「もう、封筒入りの、自己宣伝に満ちた年賀状を川崎千恵子には送るな」と、進言するのだろうと、推察しています。

 で、そういう企画を練っている相手方の思う壺にはまって、そのとおりですね。はい、はいと、わかっておりますと、内心で答えていて、毎日、こちらは、一人、静かに、取り残されて居りますが、悲しんでいるばかりかというと、そうでもないのです。

 というのも感じるからです。苦労があるかわりに、神様はひそかにも、私を愛でてくださっているのをです。どこのポイントで、それが、現れているかは語りません。何しろ、すぐそれも奪われますから。

 それはさておき・・・・・

 果林さんの方では別居7年経ったら、自動的に、自分が入籍できるものだと、思っていたが、そう単純ではなかったと書いてあります。その理由のひとつは上に上げたように、安部公房が、真知夫人にも、それなりに、安心をするような言葉を投げかけていたと、推察されるのです。「果林は、創作のための道具なのだ。本当に安心できるのは君だ。君こそ、最もありがたい伴侶だ」というような言葉です。

 また、それを、お金を渡すついでに言う。そして、そのときに、ベッドインもするとなれば、真知夫人は、絶対に、果林さんを認めないでしょう。箱根で、二人が同居を開始する以前には、真知夫人から、それに類したののしりの言葉も浴びてしまったと、この書物の中でも、そのつらい光景が冷静に、描いてあります。

 で、公房が、実際に死ぬ一ヶ月前の入院時から、真知さんと、娘のねりさんは、激しく、果林さんを、排除します。安部公房の、そばからです。見舞いにもいかれないのです。たまたま、発作の初日に、入院をさせる手配をして、病室で、ねりさんと、ねりさんに激しく妨害されて、安部公房の手さえ握ることさえできないのです。公房が、それを望んでも、娘のねりさんが、妨害をして、手を握り返すことが、果林さんにはできません。

 それゆえに、入院数日後、安部公房は、隙を見て外出します。お金も持たず、もちろん、箱根までは帰れず、でも、果林さんに会いたがって、果林さんのマンションを訪ねることとなります。死ぬ二日前です。マンションのオートロックの番号も知らないのですが、たまたま、通りがかった人に入れてもらうのです。

 まったく劇的なこととなり、しかも、それが、一月という寒い季節のことだったので、その無理がたたったのか、果林さんのマンションに帰ったすぐ次の日に、異変が起きて、言葉も出ないままに、なくなります。それゆえに、真知さんと果林さん、双方ともに、激しい消耗が、この後で訪れるのです。そして、情念も深まり、真知夫人側には激しい怨念が残ります。

 安部公房のこの最後のエネルギーの暴発を、純真だとたたえるか、他人の迷惑を一切予測できない甘えん坊だと考えるかは、あなた様がた、このブログの読者にお任せしますが、私自身は、この人は、どこまで行っても脳天気な甘えん坊だと、感じてしまいます。

 体の具合が悪いという時期には、病院に入院したら、抜け出すのはいけないでしょう。まあ、それだけ、自分を慕ってくれたと思えば、果林さんは、とても切ないだろうし、しかも、その事実を一切無視されれば、一種言いようの無い、うらみもごころも、今度は、果林さんの方に生まれますよね。

 ところで、安部公房と果林さんの両方に、「ノーベル賞、受賞の可能性が有るから、結婚はだめだ」といっていたのは、新田 ヒロシという名前の新潮社の重役だったらしいのです。が、その男性も、入院があって、死が近い状態になってみると、「果林と、結婚をさせなかったのは、失敗だった」といっているそうです。ふむ、ふむ、皆さん、甘えん坊だねえ。

 ところで、私はノーベル賞の権威を信じません。特に平和賞と、文学賞については、非常に政治的なニュアンスが強いと思っていて、どんな発表があっても、『ふーん』と、思うだけです。ただね、これは、出世をあきらめているから言えることであって、創作者とか、発表者であって、お若い方は言わないでいいし、言えないことだとはわかっておりますよ。

 無論、1901年から現在までの受賞者(ただし、間で、数年分受賞者がない年がありますが)のすべての作品を読んだわけではありません。ただ、日本人受賞者川端康成の小説を読んだ(それは、受賞前のことですが)結果と、中国の昨年の受賞者の選択経過などを見ると、相当な政治性を感じるので、上のように言うだけです。

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副題6、『安部公房のスノビズムの影に有るものを想像しよう。明治か、その前の江戸時代はどういう暮らしだったのかな? いろいろ、変だぞ』

 果林さんは、もしかしたら、お茶大付属中学と、付属高校で、実家の社会階層的な位置について、劣等感を抱いたかもしれません。慶応女子高は、ビジネスマンとして、成功した大企業の社長や重役の娘さんが通っていると思います。学習院の女子高は、旧華族様等のお家柄の娘さんが多いかもしれません。

 お茶大の付属高校は、文京区にあるから、学者の娘さん、それから、高級官僚やら、大臣の娘さん、それからジェトロなどの、半官半民の今で言うNPO法人のトップクラスを父親とするお嬢さんが数十パーセントいます。千代田区にある書店の経営者のお嬢さんという立場の果林さんは、その手の銀のさじを咥えて生まれてきたお嬢様方には、負けます。

 だけど、果林さんほどの、派手な容貌を持ち、かつ、演劇志望などという活発さ、(=明るさ)があったら、「この学校内では、負け組みで、劣等感の塊です」などということはありえなかったと思われます。おうちのある住所も四谷だそうです。親戚と一緒の邸内だったそうですが、それでも、100坪以上の敷地があるのは、ご立派な経済生活です。そのうえ、江戸川アパート(同潤会の建物でしょう。私は果林さんの実家以外の部屋に、招かれたことがあります。戦前から水洗便所だし、印刷会社や、出版社が、多数有る一帯なので、文化人がたくさん入居しているところでした)にも、一戸、持っているなんて、立派な、資産家ですよ。マンションとしては、古いので、売価は、低いかもしれませんが、環境としての、文化的な価値が高いので、引け目を感じる必要は毛頭無いです。

 ところが、それにもかかわらず、彼女は常に、安部公房側に、引け目を感じているらしい。その種の記述が、2,3箇所あります。これが変なのです。ただ、そのころは、いまだ出版不況が来ない時期だったかもしれないので、安部公房の様な有名人には、破格の印税が入ったとも推察されます。だが、よい家の育ちの人間という特徴が、安部公房には見られないのです。よい家のお育ちの人間が、こういう形で、将来性のあるお若いお嬢さんを独り占めにするわけはないです。そんなに、野蛮で、自己中なことができるはずがないのです。

 まず、自制をして、プラトニックラブの段階で終わっておくか、そうでない場合でも、きちんと離婚をして、こちらと再婚をするか、または、離婚をしないのなら「君の将来を考えると、ここで、別かれた方がいいね」と、果林さんに、1,2年のうちに、宣言をしないといけません。そういう行動をとらないで、済ませるために、果林さんに対して、「あんたは、僕よりは身分が非常に低いのだ」と思い込ませるマインドコントロールをしていた可能性さえ感じます。果林さんは、安部公房という一人の男にとっては、豪華なダイヤモンドの指輪をはめているとか、毛皮のコートを、きているような贅沢な気分は味わわせてくれる一種のアクセサリーでしょう。外へは、明らかにすることができないが、動きもあるし、心も満足させてくれるから。

 だけど、あなたが、・・・・・天使にでもなったつもりで、・・・・・10キロぐらい上空から、俯瞰をしてみると、調布の家には、煩悶する妻子がいて、箱根では、新しいおもちゃを買ってきて、二人で喜んで時を過ごしているという愛人がいるという、・・・・・その構図そのものが、不道徳です。きれいではない。ノブレスオブリッジとは、はるかにかけ離れていて、変です。

 しかも北海道に本籍があるのですって。入植者だそうです。以前、神田日勝(早世した画家、北海道に親が入植した)の項でそれを書いたように、北海道で、生活するのは大変だったはずです。だけど、戦中戦後、東京には食料が無いので、食料を求めて入植した人たちがいるのです。それが神田日勝の親世代です。そして、親も、また、子世代もとても、つらい生活を送りました。

 比較して、戦前に、北海道へ入植しした人たちの理由は何だったのだろう。戦前には、戦後ほど、食糧難の時代はなかったはずですよ。

 ところで、ここで、挿入ですが、広島県民の、アメリカ移入は、よくわかるのです。隣の県の、山口県が明治維新の主役であって、藩閥政治を敷いたために、すぐ隣なのに、政府の重要な職につく可能性がない。それは、とてもいやなことだから、新天地を求めて、アメリカへ渡航をしたのでした。でも、ちゃんとルーツを明かしているというか、皆さん、テレビのドキュメンタリー番組の中などでは、広島を、大切に思い、懐かしく思っているのがわかります。

 翻って、北海道への入植を考えると、ちょっと、意味合いが違うと思いますよ。しかも、その北海道を本籍地として長く残しておいたということに、なんとはない、影の秘密を感じ取ってしまうのです。

 しかし、その秘密の内容については、あえてここでは、語りません。でも、私には想像している答えがあって、それがあるから、強烈なスノビズムが生起してしまったと思われます。

 私の場合ですが、今は、弾圧をされています。しかも、泥棒に入られて、いろいろな写真を盗まれたり、新聞記事の切抜きを盗まれたりしています。それは、どういう目的でやられるかというと、私がお嬢様育ちであることを、隠蔽していこうとする勢力があるからです。だからこそ、「自分は、結構いい育ちなのですよ。江戸時代は毛利藩の上司で、国で言えば、大蔵大臣に当たる役目を担っていました」と、言ったりするのですが、普段、そういう文言をひけらかして生きているわけではありません。子供達にも、「孫に、お父ちゃま、お母ちゃまと、自分たちをよばせなさい」とは、勧めていません。ごく普通でいいと思っています。

 ところが、安部公房は、果林さんに、常に、自分が特別な存在で、あなたより家柄がいいと吹き込んでいます。それは、対等ではありません。女性側を支配するためのひとつのテクニックです。

 特に二人は、前衛演劇の世界を共有していたのですよ。演劇論で、自分を信じて付いてきている若い女の子に、どうして、自分の家柄がいいとか、言わないといけないのだろう。古い古い、古すぎる。

 古い時代の作家と比べてみましょう。たとえば太宰治は、家が大金持ちだったことを恥じ入っています。それは、宮沢賢治も同じです。

 テレビ内で、蜷川幸雄が、「僕ね、武蔵(東京で、御三家といわれる私立の中高一貫教育校で、、東大へ、入学する割合が多い)に通っていたころ、駅から家まで恥ずかしくて、下を向いて歩いていたの」といいました。私もお茶大の付属へ通っていたころ、そっくりな気持ちを持っていて、駅から、自宅まで、恥ずかしくて、下を向いて歩いていました。人は他人に優越するポイントを持っていると、気恥ずかしい思いがするのです。それが、戦後民主主義を学んだ、現在65歳以上の人間のたたずまいです。

 しかし、安部公房は違う。変だなあ。

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 ここから先ですが、植谷雄高とか、新左翼の問題が頭の中にあります。だが、それを書くのは、ひどく時間と体力を取られる上に、ここでは、書きたくありません。文章の、登山口を別のところに求めたいのです。

 2011年の、9月11日ごろか、それ以降の日付だったと思いますが、柄谷行人の、原発反対デモに、参加せよという呼びかけについて書き始めて、そこから新左翼の問題点を語ろうとしていました。あれが中座していますが、いずれ、どこかで、再開して、語らないといけません。それは、今は、固まった、または、まとまった文章として、頭の中に降りてきていませんが、なにか諜略行為が行われ、それが、NHKニュースとして伝えられたら、また、書き始めることもあるでしょう。

 そのときに、安部公房について再び触れたいと思います。

 で、本日は、果林さんが、恋に陥った、安部公房という人物が男性として、本当に立派な男性だったかどうかだけを問題にして、終わりとさせてくださいます。

 結論は、昔も、変な人間だなあと思っていて、私は、ファンではなかったし、今でも、ファンではないし、この本を読んでも、ひとつも素敵だとは思えないなあ・・・・・と、思うのみです。

 主人公の果林さんが、『この本は安部公房を卒業するために書いた』といっているのは大賛成です。よかったねと祝福をしたいです。

 2013年9月26日に初稿を書き始め、27日に、推敲やら加筆を終える。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、1813638です。

     雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

コメント

既に大部数が売れているのだから、全裸写真は本文へ沈潜化させた方がいいですよ(山口果林の本=2)△

2013-09-23 21:47:44 | 政治

 この一文は、25日の夜11時50分に推敲を終わりました。で、タイトル右側に恒例の△印をつけておきます。ところで、これは、前報、

山口果林の、話題の本のデザイン<特に書店では隠れている表紙本体>が、上等です△

2013-09-21 22:17:44 | 政治
 
 に続くものです。そちらでは、本の表紙本体だけを問題にしております。内容については触れておりません。
 
 いや、われながら、上の文章は、よく書けたと、思っているのですが、それは、デザイナー鈴木成一氏の見事な表紙(薄いピンク色無地の本体の方、本屋では見ることができない・・・・・・)に惚れたからです。それにあわせて上品極まりないところで、文章をまとめておきました。一種の寸止めというやつです。
 しかし、本日はより書く事が難しい分野、愛人と正妻の間の問題、や、恋に陥るとは何だとか、恋愛の勝利者とは何だとか、いう問題の分析に入っていきます。
 
 ところで、22日の深夜、この一文の、初稿を書き、23日いっぱい初稿を、7000字だけアップしていたのですが、そのときのタイトルは、『正妻と愛人が、神経を消耗しつくす間、男は、ただノーベル賞を待っていた(山口果林の本=2)』としておりました。が、午後零時から推敲や、加筆を始めて、午後の一時にタイトルを変更いたしました。2回目のタイトルを、『講談社は、どういう層を狙って、これを出版したのだろうか?(山口果林の本=2)』といたしました。次に、『人智不可侵の領域で、愛人と正妻が戦う時に、勝利するための要点は?(山口果林の本=2)」へ変更させていただきました。が、もう一度タイトルを変更させていただきます。

副題1、『私が山口果林さんに電話をしたときには、安部公房との関係は一切知らなかった』

 前報で、山口果林さんは、高校の後輩で、かつ、その姉の山口(T)嬢とは、1962年には、一年間で、1500時間以上同じ部屋にいた、大学同期生だと、書いています。しかも国際キリスト教大学とは、マスプロとは正反対で、1学年で、4月に、入学する女子は、100人程度だともかいています。教室も小さくて、山口T嬢の雰囲気はよく覚えております。

 今般、果林さんが、出版した、「安部公房とわたし」の中で、もっともほっとする記述は、この姉さんたちとの交流の部分です。お姉さんは、三人いて、どのエピソードが私の知っているT嬢との物かはわかりませんが、ともかく、そこを読むときは、ほほが緩みます。

 で、7年~15年前の間の時期に一回彼女自身の家へ電話をかけて、そっけない対応を受けたとも、前報で書いています。今般彼女が、安部公房の死後、どれだけ、電話を嫌がっていたかを知り、申し訳ないことをしたものだと、それは、深く恥じ入りました。だけど、天地神明にかけて、申し上げたいのは、この件を知っていて、安部公房自身や、彼に対して、果林さんが、どう、考えているかについて、何らかの情報をほしくて電話をかけたのではありません。

 私が話したかったのは、表現者として、腹をくくって表現することとは、どういうことかなどというポイントで、話したかったのです。

 あのね、読者の皆様は、「それは、画家を相手に話せばいいでしょう。あなたは、常に、美術界には、5000人からの知り合いがいるといっているではないですか?」と、言われてしまうでしょう。だがね。同業者って、激しい競争意識があるので、なかなか、本音で、語ることなどできないのです。むしろそれは、他分野の人と話した方がいいのです。

 どうして、山口果林さんにそのとき、電話をかけたかというと、そのころ、ちょうど個展を開いていて、そこに来たお客さんから、驚くべき思い出話を聞いたからでした。

 50年以上前のことで、本人の私はすっかり忘れている出来事でしたが、高校のとき、国語の森本元子先生に選ばれて、木下順二の夕鶴の、つう役を、皆さんの面前で、朗読劇としてやったそうです。この私がです。「すごい表現力で、あれほどのつうは、白ちゃんにしかできないわと思ったものよ」と、聞かされました。ここで、しろちゃんと言うのは、当時の私のあだ名なのです。一種のペット的にかわいがられていたと思います。(笑)しかもとてもおとなしい人として。その白ちゃんが、迫力有るつうを演じたので、皆さんがびっくりしたらしいのです。が、本人は何も覚えておりません。

 人間いい事って、忘れるらしいです。一クラス45人が、感動して聞いてくださったらしいのですが、私の方は、一切覚えていません。

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副題2、『父から、お前にはイットがないので、25までに結婚をしないとだめだと厳命されていた』

 私は顔がよくありません。それに、子供のころに、すでに前歯に金が入っていたので、明眸皓歯の反対ですから、女優になるとか、タレントになるとか、そういうことは夢にも考えたことがありません。それに、大体が、自信が無くて、引っ込み思案の方でした。その様な劣等感を持っている私なのですが、不思議なことに、こどもは、美形(?)に生まれたので、ときどき、「タレントになんか、なってみたくないの?」と聞きますが、二人とも「ノー」といって、一切興味がなさそうです。

 大体、経済的にほどほどの、生活をしていると、一攫千金を夢見ることも無いようですし、親戚中がみんなサラリーマンだと、そういう世界に入ることなど、夢のまた夢となります。

 ところが、文化庁の在外研修生で、パリへ行かれることとなり、ある画廊で、それを報告するとオーナー(男性)が、「きっと恋に陥りますよ。パリで」と言うのです。不思議なことを言う人だなあと驚き入りました。

 だって、父の命令は、「お前にはイットが無いから、絶対に25歳までに、結婚をしないとだめだ」というものでしたからね。母もそれには反対をしませんでしたから。

 イットとは、明治や大正生まれの人が使った、性的魅力のことをさすことばで、英語の、それ=it から、きています。欧米人も戦前には、それ(=it)を、性的魅力を表す言葉として、使ったらしいので、映画から、はやった言葉らしいです。お前の売り物は、処女性しかないのだから、絶対に早く結婚をするべきだ。それは、25までだと、厳命をされていました。私は、浪人して、4年制の大学を卒業していますから、卒業のときにすでに、23歳です。だから、二年しか余裕が無くて、ものすごく忙しい選択をしないとだめでした。大変だったけれど、平凡な人間としては、父の忠告はありがたかったです。

 女性として、お色気が無くて、容貌も悪かったら、残っている武器は若さだけです。それを大切にしろという父の忠告は的を得ていました。この女性の年齢、とくに、若さということが、後刻に、今日の一文の重要なキーポイントとなってきますので、覚えておいてくださいませ。

 ところで、比較すると、山口果林さんは、4女です。これは、親としては、監視や観察が緩みがちな順序です。私は長女ですが、山口家でも、長女あたりは、それこそ、25歳までに結婚をさせたいとか、思っていらっしゃったでしょうが、次女、三女となるに連れ、「適齢期が、ずれても、遅れても、いいわ。本当に合う人が見つかるまでは」と言う感覚になっていくでしょう。その隙間に、果林さんの恋愛問題がするりと入ってしまったのでした。親の気がつかないうちに、後戻りのできないところに入ってしまっていたのです。親が早めに気がついていたら、無論、二人を引き離したでしょう。

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 ここで、二日目になって、加筆として加えることがあります。それは、一種のネタばれになるので、初稿の段階では書かなかったことなのですが、安部公房の急死直後の、母君と、果林さんとの交流を書いた部分は、この本で、私が最も高く評価する部分です。さすが親子ですね。何があっても、親は親であり、子供を見守っているし、そのことに子供は気がついていきます。

 でも、それでも、果林さんの恋愛は、親兄弟の知らないところで始まり、知らないところで、深まり、知らないところで、一種の事件となったのでした。安部公房の急死直後にスポーツ紙が、愛人宅で、腹上死云々と書いたことは、それが、嘘が拡大したものであっても、油断から始まった事であり、その油断こそ、繰り返して、述べるように、果林さんが、四番目の子供だったから発生したことです。長女だったら起こりえなかった恋愛でしょう。子供の方も親の意向を無視できませんので、危険な道からは、遠ざかるはずです。

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副題3、『私は、親の判断に反して、実際には、お色気が有るらしい。金星帯がくっきりとあり、本当は、もてるタイプだとか?』

 挿入から元へ戻ります。ある画廊で、「川崎さんは、きっと恋に陥りますよ。パリで」と、言われたところへ戻ります。そんな言葉を聞いたら、そりゃあ、自分の未来を占ってみたくなるでもありませんか? 別に恋をしにパリへ向かうわけではないが、自分がアーチストとして、どれくらいの格であろうか?とか、大きなスケールがあるかどうか、は、知りたいものですし。

 で、往時は銀座にそれが、あった福屋書店の平台に、自分の手相と、とても似た手相をよい手相として、解説をしている、日傘雅水さんの本が置いてあったので、マガジンハウスに連絡先を教えてもらい、鑑定に向かいました。

 私の手相の特徴は、太陽線というのが特別にくっきりとして、長くあり、しかも2本も有るということです。今では、この線を解説してある、手相の本もいくつも出てきましたが、1998年当時は、日傘さんの本が一番詳しく解説してありました。太陽線というのは、薬指の下に出る線で、芸能界に住む人とか、芸術の世界に住む人にとっては、大切な線で、才能があって、人気が出るかどうか、すなわち成功できるかどうかをさします。

 私の太陽線はどんどん発展をしておりますので、一応大アーチストになるのをあきらめたとは、言っていますが、実はあきらめないでいいのかもしれないのです。(笑)

 日傘雅水さんは、若いころ、坂本龍一が形成する、YMOのマネージャーをしていたそうですから、クライアントに、芸能人や文化人が多くて、この線には、特別な探究心ができていたのでしょう。

 日傘さんに実際に会うと、「別に悲観することは無いです。芸術家になるには、いい手相です。むしろ、アーチストでよかったです。これが、普通の主婦だったら事件を起こします」とおっしゃったのです。「えっ」と、驚くと、「ここに、金星帯があります。しかも大変くっきりとしていて。これは、そういう方面を指し、大変感性が豊かだということを示しています」といわれました。

 いや、こんなことをここで言うのは、自慢をしたくて言っているわけではないのです。山口果林さんの本を取り上げるのに、自分があまりにも、石部金吉で、そういう恋愛の分野に一切関係がない人だったら、資格がないと思うからです。私は美貌ではないが、もてる人らしいのですよ。(笑)それを聞いているからこそ、安心して、この本の内容に付いて、あれこれを語るわけです。

 ともかく、1998年の日傘さんのオフィスを訪ねた日に戻ります。

 ものすごくびっくりしました。発想の大転換がおきたというときでした。そして、いろいろなことが明白になりました。なぜ、人にいじめられるのかの理由もはっきりしたといえます。

 今、時々ですが、いじめられる人の相談に乗ったりします。そのとき、答えるのは、「あなたに、何か、優越ポイントがあるから、いじめられるのですよ」ということ。すべての人は他人が自分より優れていることを許容しがたいのです。で、いじめて、下手においておこうとします。

 他人をいじめる人間というのは、たいていが動物的で、じかに感情や欲望を表すタイプが多いのですが、いじめられる方というのは、考え深いタイプで、慎重であって、自分の優越ポイントを素直に、認めたり肯定ができないのです。

 しかし、海外修行を繰り返すうちに、自分の身体能力が優れているのだということに気がつき始めます。鈍で、のろまで、地味で・・・・・だけど、お勉強だけはできるのだと、両親や、ほかから思いこまさせられていた自分の以前の像とは、違う実像が見えてき始めました。1998年のパリは小さな工房で、しかも、他人の来ない午前中に作業をしていたので、他人と比較することがありませんでしたが、1999年は、ニューヨークのプラットインスティチュートの大学院だったし、2000年は、40人もの人が出入りする、ニューヨーク一ふるい版画工房だったので、ほかの人が大勢来ています。作業時間等を、比較すると、別に自分は鈍ではないと思い始めます。

 工房から街へでて、道を訪ねたりします。すると、親切な白人が、「一緒にそこまで行ってあげます」とか言います。でも、歩き始めると、相手の歩む速度の遅さに、びっくりして、「ああ、この画廊は、六時に閉まりますので、急いでいきます。自分で探します」といって、相手を置いてきぼりにします。鎌倉へ帰っても、「この前、車の中からお見かけしたので、声をかけようとしましたが、風のように飛び去っていらっしゃったので、声をかけられませんでした」と、言われます。その種の経験の繰り返しで、運動神経は、けっこう、よいのではないかと思い始めます。

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副題4、『お嬢様育ちが、どこまで、腹をくくった表現ができるか、そのポイントで話し合いたかったのだ。果林さんとは』

 私の海外修行は全部版画が主です。しかし、表現意欲の高い私は、版画だけでは満足ができず、海外では、夜が一人暮らしなのをよいことに、文章を書き始めます。今では主客転倒して文章ばかり書いていますが、ただ、ブログを書く、メルマガで表現するというだけではなくて、紙の本をも作ります。体力は無いくせに、表現意欲だけは馬鹿に高くて、圧倒的なスピードで、文章も書きますし、社会的な立場はともかくとして、別に遊びで書いているわけでもないので、しろうっとぽい表現は捨てています。

 で、語彙は、私の友人や知人が所属している社会固有のものでは無くて、横浜駅周辺や、渋谷駅周辺で、たむろしているような、若者言葉を使います。

 その語彙の問題でこそ、私が果林さんに電話をかけたいと願った問題だったのです。

 安部公房の事を聞きたいわけでもなかったし、女優になりたくて、「どこか、劇団を紹介してください」というつもりで、電話をかけたのでもないのです。果林さんと話したかったことは、御茶ノ水女子大付属高校育ちの人間として、どこまで、腹をくくった表現ができるかということを話したかったのでした。

 たとえばしゃがむという言葉を、「うんこずわり」と若い人は表現するのです。コンビニの入り口で、しゃがんで、インスタントラーメンとすすっているような若者をさすのに、見事な表現だと思って、本の中に使いました。無論、コンビニの前の若者に対して使ったのではなくて、疲労困憊して、駅のホームでさえ、しゃがんでしまう自分を表現するのに使ったのです。

 皆様、挿入として申し上げますが、10年ぐらい前は、私は大アーチストになろうとしていて、5つぐらいの仕事を同時並行的にやっていましたので、いつもいつも疲れきっていました。それで友人との待ち合わせ時間に間に合わなかったりしています。それは、今ここで、お詫びします。

 それを、当時は、メルマガや、ブログでは書きませんでしたが、生きるか死ぬか、すれすれというほどの状況で生きていました。今は、大アーチストになることを、あきらめて、やることを、相当に整理してしまって少なくしているので、楽になり、健康に暮らしていますが、あのころはひどかったのです。

 でも、ウンコずわりという語彙は、お茶大の付属高校出身に人は、とても、受け入れられなかった語彙らしくて、早速、私をかわいがってくださっている先輩から、「川崎さん、すごい表現をなさるのね」といわれ、『あ、あそこのことだろうなあ』と、瞬時に、わかったものです。私はこの先輩を大切に思っておりますが、それでも、自分の表現としては、お茶大付属高校という範疇からは飛び出したくて、その点で、果林さんと話し合いたかったのでした。

 しかし、ずいぶんとそっけなくて、『変だなあ。女優だから威張っているのかなあ』と思ったのですが、今この本『安部公房とわたし』を読んで、その当時の彼女が、警戒心いっぱいであり、しかも沈んだ気持ちであったことを知り、誤解をしたのを申し訳なく思うしだいです。

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副題5、『しかし、私には正妻という立場の、側の人間から、託されているものが有る』

 この本を今回読んで、果林さんに対する嫌悪感を抱いたことはないのですよ。ただし、安部公房に対する嫌悪感は抱きました。

 『優柔不断だなあ』とおもって。果林さんもかわいそうな立場ですが、正妻である、安部真知さんも、悲痛な立場です。20年間も二人は神経を消耗しつつ戦ったわけですが、真知さんは、負けた立場として、戦い続けないといけませんでした。

 彼女を正妻の立場に、キープさせていたものは、安部公房が、ノーベル賞の候補に挙がっていたために、出版社側が、スキャンダルを起こすなといっていたので、それが、重要な絆になっていた模様です。だけど、それって、欲得の世界の話ですよね。真心の世界の話ではない。

 まともに考えれば、恥ずかしくてたまらないほど、虚偽の正妻の立場であっても、それを捨てられない。医者になった実の娘がいる。その子のためにも、また、その結婚相手の家族の手前も、離婚はできないし、したくない。だけど、夫婦としての実体はすでに無く、夫は、若い愛人と生活をともにしている。

 相手の武器は、若いということ。それは、鉦や太鼓でたたいても、自分の手には入ることは無く、大金をつんだとしても、無理であり、自分には回復の余地はない。しかも女性固有のうつ病がはじまりがちな、閉経期でもある。若いときに、舞台装置家としての、自分がいたから安部公房は、有名になった。しかし、有名になったとたんに、自分を捨てて、若い愛人のもとへ行ってしまった。踏んだりけったりだ。了承できない。

 しかも、やっと、病気になって入院という形で、こちら側が夫を、取り戻したのに、その夫自体が、病院を抜け出して、愛人の元に去り、事実上、そこで、死を迎えた。・・・・・実際には、救急車が呼ばれ、搬送されて、2日後に、病院でなくなったのですよ。だけど、夫が、臨終に近いほどの重体でありながら、愛人の方へ自分の意思で、行きたがっていたという、それを知らざるを得ない屈辱感は、これもまた、何事にも変えがたいほど、深いでしょう。

 実は私は小学校時代の友達に頼まれています。「千恵子ちゃん、私のことを文章で書いて」と。この人は夫を自分より若い女性に奪われた、正妻の立場の人でした。仮名を、K子ちゃんとして、彼女の立場や、心模様を、書いていきましょう。

 私は、ものすごい量と回数で、話し合っています。たとえばある夜ご主人が愛人の元にいる時間帯ですが、トイレタイムをはさんで、4時間もあれこれ話し合いました。子供のころの出来事から始まって、どうして、離婚をしたくないかの理由も聞いています。

 私は自分のカウンセラーとしての、未熟さと力量不足を知り、専門家に相談するように勧めました。

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副題6、『正妻を夜叉の立場に追い込む、夫と、若い愛人との結託』

 彼女はテレビに出るほどの、有名なカウンセラーに相談を持ちかけました。しかし、帰宅後、すぐ連絡があって、「だめよ。あの人、私のことを夜叉になっているというの。千恵子ちゃんの方がずっといいわ」といいます。

 私には友達としての礼儀がありますから、「K子ちゃん、それって当たっている。その人を頼って、ずっと、相談を続けて問題の解決を図りなさい」と、言うわけにもいきませんでした。でもね、正妻って狂うのです。安部真知さんも、狂っていて、「その状況は、まともではないから、離婚のことは、とても相談ができない」と、安部公房は言い、果林さんは、冷静に、その状況を受け止めて「早く離婚をしてください」などとはせかしません。果林さんは、安部公房にとっては、最高に都合のよい女です。

 経済的には自立をしており、お金を上げる必要がありません。だから、安部公房の収入で、正妻側にも、お金を渡しつつ、果林さんと、おいしいものを食べ、おいしい外食をしたりすることもできました。そして、作家として何よりも好都合だったのは、果林さんに、地方ロケがあったことです。撮影に入ると忙しくなり、家を長期に空けるテレビドラマの仕事がたくさん与えられたことです。

 二人は箱根で、暮らしていましたが、東京にも果林さんの、持ち家(マンション)があり、どちらに転がり込んでも、何とかなるという大変都合のよい生活ができました。

 正妻の家だと、夜の12時過ぎには、家に正妻がいます。また、朝起きたときも顔を見合わせます。それって、創作をする人間にとって、うっとおしい生活でもあるのです。

 でも、正妻の真知さんには、「仕事で、箱根の別荘にこもる」と、行って外出し、そのまま、公房が帰ってこない日が続いて、以前から深い関係が有ると、知っていた、山口果林と、すごしているらしいと気がついた時に、どれほどのパニックが彼女を襲ったでしょうか? または、絶望が?

 でも、このケースでは正妻の真知さんは、十数年も待っていたのです。が、私の友人は、事が露見してから、三年以内に、自殺という選択で、決着をつけた模様です。どうして、真知夫人は待つことができたのだろう。そこに、ひそかにも、感じます。男の側に、ずるさがあったことを。果林さんにも安心させるようなことをいい、正妻側にも安心させるようなことを言っていたと。

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副題7、『愛人と同席する場合のドレスコードを質問してくる、正妻の哀切さ』

 人間には一人ひとり、個性というものがあります。これから取り上げる、男性は安部公房とは違う存在です。だから、行動様式は異なっています。でも、愛人の方を優先したというポイントで、安部公房と似通っています。若い女性と、恋に陥ると、男は見境が無くなり、正妻に対して、非道な処遇を取るという典型なので、書き表しましょう。

 私が友人K子ちゃんの、異常に気が付いたのは、彼女から、電話でドレスコードに関する質問を受けたときです。行くべき場所はフレンチかイタリアンのレストランです。地図上は、横浜、伊勢崎町か関内あたり。

 「ねえ、千恵子ちゃん、同伴の席って、何を着て行ったらいいの?」と電話で質問をしてきます。「うっ」という感じで、言葉に詰まります。そこから先の世界は、まるで、テレビドラマ、特に二時間ミステリーの世界です。

 『千恵子ちゃん、今、主人が浮気をしているの。相手は、40歳ぐらいかな? 前はOLをやっていたらしくて、とても賢い感じがするの。そして、なんだか、心配なの。胸騒ぎがします。今回は本気のような気がして」と、状況を教えてくれます。

 ところで、私のブログの読者層ですが、クラブで、遊ぶような人はいないでしょうね。で、同伴という言葉が、何を意味するかをご存じないでしょう。で、老婆心ながら解説をすると、クラブやバーに勤めている女性が、事前に、本日の客の予約を取るために、夕飯を一緒にとることを誘いかける事をさします。そうすることで、上客同士がバッティングをすることが避けられますね。それが無いと、ホステスの、仕事が余計な力を使うものとなります。疲労度が高まります。

 これから先は例の私固有の見てきたような嘘をいいの類ですが、ある日、ご主人が背広を取り替えて外出をしたとします。奥さんはブラシをかけながら、件のホステスからの甘い言葉を書き連ねてある、カードを、発見したりします。それはすでにたくらみのひとつですが、うぶな正妻は気がつきません。で、正攻法で、ご主人を詰問します。「あなた、このひとって、でしゃばりだわ。私嫌いよ。もう、このクラブには行かないで」と。すると、ご主人の方は、社長ですから、「お前何言っているんだ。そこは格が高くて、仕事上、接待には、絶対に必要な場所だ。わがまま言うな。どうしても心配なら、今度、同伴の席を作るからお前も来てみて、顔を見ればいい」と答えたりするでしょう。

 そして、3日後に、「おい、16日に『かおり』(横浜・初発の有名レストラン・・・・ここは無論のこと私独自の、想像の領域です)で、彼女と同伴の夕食をとる。時間は六時だ。お前も来たかったら来なさい」と、ご主人が言ったと仮定します。で、彼女は行く気になって、有名レストランの夕食の席、特にクラブの女と同席する場合に、どういう服を着ていったらよいかを、おしゃれで、かつ、彼女よりは広い世間を知っている、私に質問をしてくるのです。

 私は答えて言います。「あなたは正妻なのだから、落ち着いて、どーんと構えていればいいのよ。プライドを高く保持していればいいのよ。洋服は色も形も、派手なものではないこと。でも、質は上等であるものを高島屋(横浜)の二階で買いなさい」と。高島屋の二階はブランドショップがひしめいているので、スーツでも40万円はします。一方、新橋の高速道路のガード下で、クラブホステス用のロングドレスを通りがかりで、見たことが何回もある私は、それは思ったよりも安いことを知っているので、ウールの上等なスーツなら、差別化を図ることができて、彼女が負けないで済むと考えました。彼女も納得をしてくれて、電話を切りました。

 だが、15分もしないうちに、強烈な違和感に襲われました。『この話って変よ』と、思い当たるのです。現場のシュミレーションを立ててみます。3人での会話だと、必ず、二人が結託し、一人が、はじき飛ばされます。彼女は食事中、一時間通して、弾き飛ばされ続けて、悲しい思いをした上で、最後にはさらに決定的に悲しい思いを味輪和させられます。クラブが右にあると仮定をすると、夫と愛人は右へ向かいますが、その二人と別れて、一人で、別の道に、行かないとなりません。どんなに惨めなことか。

 で、すぐ折り返しの電話をかけて、「絶対に、行かないように」と、伝えます。だが、それ以降、繰り返し相談を受け続けたのですが、たいていの場合は、彼女は、私の忠告は聞かないで、夫と愛人の二人が、二人だけで仲良くしている現場に三人目のお邪魔無視として、行ってしまったのだと思います。そして、激しく傷ついたのです。

 グァムへの会社の研修旅行、そのほか、相談をされるたびに、「そこには行くな」といいましたが、結局は、行ってしまったのだと推察しています。

 そういう部分が、正妻が狂うという内容です。他人から見れば、不利になることが、わかっていても、夫が愛人と二人でいる場に自分も行きたいと、いう思いを捨てられない。それを狂うといっているのです。夫が若い女性を愛人にしたときには、妻であることの法律的な保護など、まったく役に立たないのです。夫を振り向かせるのは、ほとんど無理です。夫の肉体的不在と、心理的不在を、受け止めて、その状況下で、すべてを、あきらめて生活するしかないのですが、そこができなくなるのが、正妻が狂うということを指します。ただし、あきらめきれないように仕向ける夫からの偽者であり、単なる、責任逃れの愛の言葉等があったとすれば、夫側の罪が深いといえますが・・・・・

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副題8、『新潮社が、安部公房伝を出版したときに、その姿勢はベストセラー狙いではなさそうだ』

 正妻である、安部真知さんと、山口果林さんは、間に安部公房を挟んで、何度も同席をしています。安部真知さんが舞台装置家であって、三人は、同業者だからです。で、安部真知さんは、私の友人以上に、焦燥感に駆られ、狂っていったと考えられます。が、それでも、合計28年間にわたり、耐え忍ぶことができたのは、有名人の端くれであるからこそ、安易に自殺はできないという思いがあったからでしょう。

 だけど、安部公房からの、自分を慰めてくれる言葉もあったと思いますよ。果林さんも、そこにそこはかとなく気がついています。そして、それを書いたことが、最大の救いなのです。安部公房を、卒業するためには、安部公房の弱点もしっかりと見つめないといけません。

 ここで、正妻側の気持ちをおもんぱかるところへ戻ります。しかし、それら甘い夫の言葉がすべて嘘だったということを、最後の最後、死ぬ二日前に、真知さんも知りました。夫は、入院中の病院を抜け出して、果林さんに会いに行ったのです。

 その事実は、衝撃的な、裏切りであり、かつ、夫と自分の間に有る真実(つまり、実際には、夫の心は自分には、一切向いていないということ)を突きつけてくるものでした。

 自分の夫が最終的に選んだのは、自分ではなくて、愛人の方だったのです。負けたという激しい思い。それは、怨念となって、真知夫人の心に堆積をしたと推察されます。そんな安部公房と、真知さんの間には、実の娘ねりさんがいました。両親が、40代後半から間に、果林さんを挟んで、うまくいかなくなった環境下で、育ったねりさんは、両親に対する批判心も持っていて、それを、新潮社刊の、安部公房伝内で、披瀝をしておられるそうです。

 ただ、どんなに批判心があっても、外の社会へ向かえば、母は母であり、身内です。そして、父は父であり、身内です。で、娘さんは、父を守り、母を守るために、全集の編纂に取り組みます。A5版箱入り美麗本で、全30巻です。新潮社刊です。5700円だそうです。

その値段だと、しかも、30巻もあったら大衆的なベストセラーにはなりません。図書館がそろえてくれるのが主な販路でしょう。

 それが完成した後で、そこにつけられた、月報(付録)の対談を中心にして、安部公房伝が、出版された模様です。時期は2011年の3月です。著者は、娘さんで、出版社は、新潮社。

 それは、最初から、ベストセラー狙いで、制作をされている今回の果林さんの著書とは違って、出版当時は、一種の資料的価値を狙ったものであり、正攻法で、描写されており、安部公房のファン向けのものであると、考えれ作り上げられていた模様です。売価が、3360円です。一般の人が買いたがる値段設定ではない。しかし、資料とうたうのにあたっては、大きな欠点を内包していました。

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副題9、『読了した読者数でも、山口果林は、正妻軍に勝ったでしょう』

 上の節の最後であげている言葉・欠点とは、安部公房の人生における、山口果林との交流、つまり、実質婚の部分が、すっかり抜け落ちているので、それをさします。私は、そちらは読んではおりませんが、そういう欠点があれば、評判が高くならないのもありえるでしょう。

 いわゆる、神の庇護が、与えられないからです。ドキュメンタリーにおける真実の隠蔽は、決定的な欠点です。だけど、哀れさはあります。気の毒でもあります。だって、苦しめられたのは、最初は、正妻側ですから。

 ただし、自分を守るためではあっても、愛人側を無視するのは、一種の傲慢でもありました。著者である、公房・真知の間のお嬢さんが、医者であるだけに、芸能人、とか、タレントを見くびる気持ちがあったとしたら、それが大きな陥穽でしたね。そして、単なる防衛上の必要性で、隠したということ以上に、一種の復讐の、気持ちがあったとしたら、それは、そちらが悪いですと、言わざるを得ないです。

 ただし、正妻側の苦しさを知っている私には、こちらに対して、非常に気の毒だという気持ちはありますが。・・・・・

 そういう無視にであった果林さんが切実な思いで、今回の著書をまとめたとすれば、そちらに神の加護が有るわけです。で、果林さんには、名誉回復と、大きなカタルシスが訪れました。それは、よかったですねと思います。

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副題10、『講談社は、どういう層を狙って、この本を売ろうとしているのか?』

 ただし、口絵写真に文句があるのです。本とは最初に色つきの紙(見返し)があって、その次の、一頁目に、タイトルが出てきます。それは、技術用語で、中扉といいます。その後で、この本の場合は、厚めの紙に、カラー印刷された口絵4頁が続きます。それの、もっとも重要な、一枚が、果林さんの、全裸ヌード、現代の言葉で言うヘアヌードです。説明が何も付いていませんが、もちろん、安部公房が撮ったものであり、実質婚がどれほど、楽しいものだったかを誇示するところとなっています。

 それなんですが、この場所というのが、私には不満なのです。天の加護や、神の存在を信じる私には、これは、やり過ぎでしょうと思うのです。新たな怨念を、正妻側から招きますよと思うのです。

 むしろ、このカラー写真を白黒化して、(技術用語で、グレースケールという)本文に入れればいいのです。それは、本の印刷には、値段としては、影響をせず、技術的にも無理なくできることです。

 場所としては、134頁か240頁が適切です。前においてあった口絵のところには、頁134を参照のことという注意書きを入れればいいのです。たまたま152頁が空白だったので、本全体の設計にはほとんど変化がありません。または、240頁に移動をさせ、芸歴のフォントサイズを小さくし二段組にして、数頁、短くすればいいのです。

 この写真は、さらりと、潜ませて置いた方が、よかったと思います。その方が志がより高く見え、読者の共感をよぶでしょう。

 しかし、この写真が冒頭にあることは、講談社側の意思だったかもしれません。上等なデザインが各所に配置されているのに、売価が安いです。それは、最初からベストセラーを予測していると思われます。その一助としての、配置場所だったかもしれないのです。センセーショナルですから。

 で、講談社さんは、事前に、どういう戦略を持っていて、どういう階層に売り込もうとしていたのか? それに対する疑問が次に起こってきます。

 もし、アエラを、普段買っているような働く女性、特に40代で、不倫の関係に陥っている人に向けて売るつもりなのかしら? 

 そういう人には読後感は、よくないと思いますよ。だって、普通の人には、今回の、果林さんのような救いは訪れないからです。

 果林さんには、才能があり、かつ、有名人です。だから、大手出版社から立派な装丁の本を出すことができました。で、正妻側から与えられた屈辱に対して、倍返し(?)もできました。だけど、普通の人が、普通の男性を相手に不倫の関係にあったとして、どういう救われようがあるでしょう。ないです。略奪婚で、勝つしかないです。しかし、勝てるだろうか?

 一種、暗澹たる思いに打たれるのではないかしら。本当に頭がよくて、ものを誠実に考える人ならそうなります。

 その次に、現在お金を一番たくさん持っているといわれる安定した生活を送っている、60代の女性はどうでしょうか? 特に専業主婦たちは?

 正妻側の苦痛に対して、身につまされると思いますよ。

 では、男性は? そこは次の章で、語りたいと思います。

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副題11、『恋に陥るとか、人気を得るという人智の及ばない領域で、戦う必要があるとき、勝利する要点は何だ?』

 この一文をはじめるにあたって、最初の方で、腹をくくった表現とは何だということを、私が昔、果林さんと、話し合いたがっていたと、語っています。ヘアヌード写真・・・・・しかも、ベッドの上でお酒を飲んでいる写真であり、かつ実質婚のあいてである安部公房が撮影したものを、冒頭に持ってくることは一種の腹をくくった表現に当たるとは、思います。

 だから、私はこの一文の中で、矛盾したことを言っているように見えます。だけど、そうでもないのです。果林さんは、稀有の存在として、正妻側に対して二度も勝利しています。実質婚の相手として、安部公房は、果林さんと、真知さんの二人のうち、果林さんを選んだのです。

 その後、20年間口を閉ざして、屈辱と苦痛の中で生きてきた果林さんは、今般、この本『安部公房とわらし」を上梓して、二度目の勝利を果たしました。安部公房の私生活を分析するためのデータとして、読者数は、圧倒的に、こちら、『安部公房とわたし(講談社刊・・・・・山口果林著・・・・・定価1、500円)』の方が、『安部公房伝(新潮社刊・・・・・安部ねり著・・・・・定価3360円)』より、の方が多いでしょう。

 読者の中には、主人公に肩入れするのが好きな人が多いはずで、そういう人は、「ああよかった。すっきりした。果林さんが、相手を、こんなにきっぱりと、やっつけて、復讐がかなったのは」と、言うかもしれません。だけど、その同じ人も、時間が経つうちに、『なんだか、重いなあ。相手方も気の毒みたいね』と、思い始めるはずです。

 果林さんが、二度も勝利した最大の理由は、心を遠くに飛ばすことができるところにあります。

 安部公房や、安部真知を忘れて、二時間ドラマの収録に集中することができるところにあります。

 比較して、気の毒な 私の友人が、結局は、夫と愛人がタッグマッチを組んだときに、負けてしまったのは、ご主人を取り戻すという一点に、心が集中し過ぎていて、それ以外のことへ向かわなかったからです。私は繰り返し忠告をしました。「ねえ、この問題は、現在のまま、ほうっておきなさい。ご主人は、社長夫人という社会的評判を大切にしているから、あなたと離婚はしません。しかし、名目上は社長夫人であっても、実際は家政婦扱いだけど、それに我慢をして、その件はほうっておきなさい。別のことをなさい。

 趣味は何? う、書道? なら、もっと本格的に打ち込んで、書道のコンクールに、出品することを目指したら? 入選することから、段階を経て、受賞を狙ったりすると、気がまぎれるわよ」と。

 問題が込み入っているときに、そこから離れるのも、解決に向かう一方法なのです。ほうっておく、そこから去る。または捨てるということは、やってみないうちは、恐ろしい結果を予測して、『できないわ。そんなことは』と、思いがちですが、やってみると、たいした変化も起こらないのです。夫がいなくたって、普通に生活できるはずですよ。やってみればできます。特に50台で、一人暮らしに踏み込めば、大丈夫です。ただし、経済力が問題です。それは無いといけません。

 でも、その捨てるという行為の前に、恋愛に関しては、無欲だという心がないといけません。

 それを、突き詰めると、冒頭にオダリスク風、ヘアヌード写真をおくのは、出版前には必要だったかもしれませんが、これほど、当たってくると、不要なこととなります。むしろ、正妻側を追い詰める残酷な措置という類になってしまいます。この本の発売前は、その位置が適切に見えたかもしれません。だが、既に、大部数が売れていることがわかっている今は、武士の情けとしても、強すぎる姿勢はいけないです。

 鈴木成一デザイン室と、大日本印刷に、変更をお願いするとしても、両方あわせて、30万円もかからないでしょう。それは、やるべきだと思いますよ。おせっかいだが、6刷目(?)または、8刷目(?)以降の処理として、おやりになることを、忠告をしておきます。

 なお、このブログの、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1811773です。

  2013年9月23日の深夜書き始め、24日に加筆し、25日に推敲をする。

     雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

コメント

山口果林の、話題の本のデザイン<特に書店では隠れている表紙本体>が、上等です△

2013-09-21 22:17:44 | 政治

 本日は連続モノのテーマからちょっと逸脱しますが、山口果林の話題の著作、『安部公房と、わたし』について触れたいと思います。そして、初稿アップの次の日の午後零時になって、推敲も終わりました。ので、恒例の△印をタイトル横につけておきます。

 『あら、いやだ。敵前逃亡したの? やはり、怖がっているんでしょう』と、前報に登場した人々は言うかしら。ただ、単に読者である方からは、『連続しているテーマは、非常に、緊迫していたのに。だから、続きを書かないといけないでしょう。そして、あなたは、ああいう狭い世界のことだが、徹底して独自でも有るものを書く事には、プライドを持っているのでしょう。芸能人の不倫騒動に興味を持つなんて変ですね』とも、言われるかしら? 

 しかし、この本は、そういう次元を超えています。だから、取り組みましょう、一種の閑話休題にあたりますが、いつものそれのように、体力が無いから、そこに触れるというわけでもありません。

副題1、『山口果林は、高校の後輩です・・・・・そして、その姉は、私とは、大学の同期です』

副題2、『本のデザインを、仔細に、点検しているうちに、果林さんが、思いがけないほど、控えめな性格だとわかってくる』

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副題1、『山口果林は、高校の後輩です・・・・・そして、その姉は、私とは、大学の同期です』

 私は、よく、美形好みの川崎さんとからかわれるのですが、山口果林さんの相貌は大好きなタイプです。だから、ずっと前からファンでした。その後、どういう経路だったか、今では、その経路をすっかり忘れていますが、彼女が高校の後輩であり、

 かつ、「彼女の姉君が、大学時代の同期生だ」ということが耳に入ってきます。ここで、言っておかないといけないのは、1960年代の国際基督教大学って、少人数制だったということです。一学年に、4月入学生としての女性は、100人程度しかいなかったでしょう。しかも授業時間がびっしり詰まっていて、私は、山口果林さんの姉、山口(T)さんと、一日、五時間以上を一緒に、一年次に、300回はすごしました。つまり、同じ教室に、1500時間は、滞在していたこととなります。

 特に英会話の時間は、25人程度が、狭いお部屋で、一人ひとり、発音していくので、私は山口Tさんの発音を聞いているし、相手も私の発音を聞いているのです。有名人と知り合いですよと自慢したり、誇っているスノビズムが強いわけではなくて、実際に知り合いなのです。こういう風に一文を物すことができるように要所、要所に知り合いがいるということとなりますが、

 それも、『私には、敵がいて、大変な苦しみと損失を味わってはいるが、一方で、天が私にお味方をしてくださるので、ある程度以上に、恵まれていて、しかも、暗殺等からも免れていて、無事なのですよ』と、普段よく言っているポイントです。(笑)

 ところで、私は果林さんに、一回電話をかけたことがあって、暗い人だという印象を持ったのですが、今回、この本を読んで、そういう雰囲気だった理由が、よくわかり、気の毒だったなあとか、かわいそうだったなあという感想を抱きました。

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副題2、『本のデザインを、仔細に、点検しているうちに、果林さんが、思いがけないほど、控えめな性格だとわかってくる』

 私は全編を読んでいるのですよ。ただ、最初に、文章としての、内容よりもブックデザインの感想に入らせてくださいませ。これは、週刊文春か週刊朝日か、日経新聞か、どこかの書評でも取り上げてありましたが、最初の口絵写真に彼女のオダリスク風な写真が載っています。つまり、全裸でベッドに横たわっているときに、安部公房が、撮影したと思われる写真です。

 それが、大きな衝撃を与えるので、最初にはブックデザインには目が及びません。だが、全編を読み終わって、・・・・・特に重要だと思われるところを、何度も繰り返し読んだ後では、ブックデザインが問題となって、来ます。そこから、女優としての、山口果林の本質も見えてくるからです。

 そのオダリスク風写真があるので、非常に露出過多で、押し出しが強いかというとそうでもないと、思わせる本文なのですが、表紙にそれが見事に現れていました。

 ところで、私も長らく誤解をしていましたが、皆様も、同じ誤解をなさっているのではないかなあ。あの本屋で目に入る表紙風なものが、技術用語でも表紙といわれるのだと。

 実は、それは、違っていて、あの本屋で、目に入る表紙は、印刷や製本の現場ではカバーと呼びます。そして、国会図書館に納本された後では、そのカバーは取り去られてしまい、本体の表紙だけで、本が保存をされることとなります。

 そうなると、いわゆるハードカバーの方が有利です。ぺらぺらの並装本はカバーをはずすと惨めです。ただし、この、「安部公房とわたし」は、売価が、1500円ですので、普通なら、ハードカバー(整本界のテクニカルタームでは、上製本という)にするのは無理ですね。そこを講談社は、最初から売れると見込んで、お高い原価をかけて、上製本にしてあります。

 しかし、ここが大切なところですが、最初からベストセラーを狙ったというあざとさが見える類の、下賎な本ではありません。相当に上等な、内容です。ただし、内容について、この章では、触れません。

 ところで、帯もカバーも取ってみて、あっと驚きました。本体の表紙に印字がないのです。表表紙にも裏表紙にも何も印字がないのです。

 『これでは、国会図書館に収めた後で、司書さんが探すのに困るではないですか? あそこは開架式ではなくて、書庫から出してくる形式なのに』と思うと、背表紙にはちゃんと印字がありました。

 しかし、まったくといってよいほど、ありきたりではないのです。すばらしいデザインです。なんと、講談社という出版社名さえ無い。いや、ありました。だが、通例の場所にはありませんでした。

 通例のデザインですと、上から、1から2cm下がったところに、タイトルを入れます。その下に、5センチぐらいあけて、著者名を入れます。その下にフォントの数値をずっと下げて、しかも通常は横書きにして、出版社名を入れます。

 しかし、この本だけは、それらの慣例をすべて破って、独特の配置にしてあります。

 それは、編集者のひそかな、後押しで、山口果林が、安部公房を卒業すること、・・・・・すなわち、師と弟子という、上下関係から脱出する意思を示していると見えます。

 結構です。それでいいのです。それがベターです。人間はすべて対等なのですから、不倫の関係の相手が、ノーベル文学賞候補だといっても、そんなことで、自分が引き下がって、自分史の中に、長い年月の空白を生む必要はないのです。

 しかし、だからといって、『山口果林が、押し出しの強い、自己顕示型の人間である』とは、いえないところがあります。どういうことかというと、印字と地色の間に明度差がないのです。つまり、濃淡の差が無くて、印字が目立たないような配慮がなされているのです。ピンクの地色の中に、白抜きのプリントです。これは、字が目立たないやり方です。

 デザイナーは鈴木成一という有名な人らしいです。受賞をしたりしていて、出版社の講談社に所属しているサラリーマンでもなさそうだし、印刷会社の大日本印刷に所属しているサラリーマンでもなさそうです。

 でも、あくまでも決定するのは果林さんだと思います。デザインの最終稿を出す前に、相談もうけるでしょうし。

 すると、この本屋では見えない、しかし、国会図書館に収められた後では、長い年月にわたって、実力を発揮する、表紙本体では、相当に控えめな、感じが表出していることに、深い意味を感じる私です。

 この本が安部公房およびその正妻やら実の娘さんを含む、安部一家との決別の、意思の表明でもある一方で、それを出してよいかどうかを迷う果林さんの控えめな本質も、期せずして、露見した見事なデザインといえるでしょう。

 それにはひどく感心をしました。本文というか、内容についてもいろいろ語りたいことはありますが、ベストセラーになる見込みが有る本の、内容のお知らせをしてはいけないので、ここでこの文章を終わりとさせていただきます。別章を立てて、再び触れるつもりです。特に内容とか、安部公房について。

 なお、このブログの2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1805399です。この数をここでもさらすのは、別に果林さんに、対抗意識を持って、「私も、それなりに、ひとかどのにんげんなのですよ」と言いたいからでは、ありません。

 ただ、普段は、ものすごく抑圧をされています。弾圧といってよいほど、・・・・・政治的に、これが、真実だと思われるポイントを書くからです。

 で、そういう意味では、隠れ続けていて、神経を使いつづけなくても、いけなかった果林さんに対する共感は深く持っているのです。

 伸べ訪問回数を毎回記録するのはごまかされてしまうからです。2011年までは、グーグルの検索で、雨宮舜と引いたり、川崎千恵子と引いたり、すると、莫大な検索数があると出ていましたが、今は数がごまかされています。

 その不当さに、静かに抗議をするために、毎回、伸べ訪問回数を記載しておくのです。毎日、数え続けています。時には、ときそばではないが、数値がごまかされることも有るみたいですが、2011年の夏に、139万回だったら、今、180万回で、大体あっているのではないかと大局観を見て、許容をしています。

 2013年9月21に初稿を書き、22日に推敲と加筆をする。

             雨宮舜 (本名、川崎 千恵子) 

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杉本正子、元横須賀市副市長夫人の態度で、警察が、CIAの私兵である事がわかる。

2013-09-17 15:01:22 | 政治

 この一文は、タイトルをどんどん変えております。まるで、たいしたことのない文章のように見せてすごい話を展開させるつもりです。本日21日(土)の午前11時から、加筆に、はいり、それに取り組みます。とうとう、いつも言っている五億円の被害の始まりに、向かうはずです。

副題1、『鎌倉に引っ越してきて、図書館の貧弱さに驚く』

 私が鎌倉に引っ越してきた第一の理由は、30年前の当時は、この山への進入路は、両側の大木が道の上に大きく枝を張り、青空が見えないほどで、深山幽谷のごとく、うっそうとしていたから、その美しさにまず、うたれたからです。その次に、自宅は、地形的に、東と、南からは、誰からも、覗き込まれないという特殊さがあって、それも、評価を高くしたからでした。

 で、30年前の当時は、子供が中学生で、そういう時期は親はおとなしく、サポート役に徹すするべきだと思っておりますから、絵も本格的にやっていたともいえず、版画はやっておらず、パソコンは無論いじっておりませんでした。それで、やることはただひとつ、図書館へ行くことだったのです。で、次から次へと借りたのですが、3年か、4年のうちに、私の好きなノンフィクションとか、ドキュメンタリー部門は、ほとんど読みつくしたみたいで、『うーん。図書館が、小さすぎるよ』と、内心で不満をつぶやいたものです。

 確かに、横須賀市とか、藤沢市と比べると圧倒的に小さいのです。文化都市として有名なのに、どうしてこんなに小さいのだろうと、不思議に思いました。

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副題2、『退職金が7000万円だということで、大騒動になっていた』

 私が引っ越してきた当時、もっとも大きな話題は、市職員の退職金が高すぎるということでした。平均7000万円だそうです。今、それがどうなっているかは知りませんが、・・・・・

 ところで、安部内閣が消費税の値上げを当然のこととしているみたいなので、ここで、それを、とうとういいますが、その値上げは、小選挙区制につぐ、戦後で2番目の悪政となるでしょう。消費が落ち込むといけないから、一時金、10000円を貧乏な人に配るんですって。なんだか、幼稚園児向けの政治ですね。

 いろいろな諮問委員会で、意見を聞いたうえで、『私が決めます』ですって。それって、諮問委員会を免罪符にした独裁政権ではないかなあ?

 いや、本当に大切なことにお金が使われているのならいいのですが、除染などというある一部の業者が潤うだけで、実際には何も役に立たないことに莫大なお金を投じているというのが、責任ある大人の政治なのか、どうかが、まず、信じられないし。

 私は、5年前ぐらいから、それを強く感じているのですが、日本で今一番お金持ちで、お金を自由に使えるのは、地方自治体の公務員で、部長(または、局長)以上の役職についている人だと思っています。

 一般的な通念ですと、創業者社長などが大金持ちのはずですが、ホリエモンのように突然、場面転換が訪れたりするリスクがありますから、トータルで言えば、地方公務員で、上位についている、人間は生活も安泰だし。気分も、楽です。

 ところで、鎌倉市役所の改善問題ですが、最近ではトンと、話を聞きません。むしろ、反対に、諜略行為ばかり目立ちます。材木座海岸の命名権を、豊島屋が1200万円で買ったなどという件は、むしろ市民生活を、悪くするもので伊藤玄二郎の発案であることは明白です。しかも狙いは私のブログです。その件は書きかけ途中で、最後まで書いていませんが、いずれ、暇ができたら取り組みます。

 ともかく、シリア空爆の件で、フランスがめちゃくちゃだということもわかってしまったし、オバマ大統領もめちゃくちゃだと、わかってしまったし、安部総理大臣も海上保安庁の新長官を現場上がり(=海上保安大学校)の人を任命したというポイントで、おかしいし、みんな誰も信頼ができないということなのです。

 いや、信頼ができないというよりも、例の実質的な権力者の言うことを聞く派ペットでしかないということです。だから、そういう作業の起案をする伊藤玄二郎とか、彼の盟友にしていまだ、生きていて、地下潜行していると推察される、井上ひさしが、すさまじい特権意識を持っていて、その元愛人である石川和子女史とか、その現在の夫である、柳沢昇が、とんでもない傲慢さを示すのも、そういう流れを汲んで、おきる現象ということです。

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副題3、『日本には都、道、府県という制度があります。これは、江戸時代の藩政の流れを汲むもので、県知事は、昔で言うお殿様です。

 このお殿様という言葉ですが、大会社の工場長なども一種のお殿様です。その地方では、大勢の人が仰ぎ見る存在であり、選挙で首がすげ変わる県知事よりも、尊敬される立場かもしれません。

 で、県知事以下の部長とか、局長ですが、そちらの方が、安定していて、しかも県政の実務を握っているので、実力者だとみなせ得る立場です。

 これは、市町村にも、そのまま、繰り返される権力構造です。国家公務員だって、課長とか、局長クラスは威張っているでしょうが、お金を扱うという意味では、地方公務員の課長、部長、または、局長クラスこそ、もっとも威令が、聞く立場であり、リベートや、供応設ける立場でしょう。

 中国(台湾ではない方)では、これらの人種の私財の蓄財が大問題になっています。日本では、それはないとみなされていますが、意外にも、それが、あるのです。別に公費で、株を買ったとか、国債を買ったといっているのではありません。

 だけど、局長であること、屋、部長であることの命令権を利用して、ある特定の人物とかある特定の場所に光や、お金が下りるように、手配をすれば、その相手から、尊敬されたり、感謝されたりします。

 これは、道で近所の人に、すれ違ったりするときに、単に挨拶を丁寧にしてもらえたりスルだけの、報酬しか得られないかもしれません。だけど、人間って気は心です。その種の他人の好意によって、子女の就職先が有利になったり、結婚相手の格があがったりします。

 無形、無償だが、相当に力がある、精神的な蓄財もできるのです。

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副題4、『問題のエレベーターは、秘密主義に満ちている』 

 京急池田分譲地というのは、周辺の便乗開発をされた一戸建てを含めれば、500戸を超える大団地です。それは、南北に長い丘(大体500m)であって、幅が200mぐらいの東と、西に、下へ降りる石段が整備されています。横須賀って、細長い、山が多くて、石段だけで、進入する家も非常に多いのですが、さすがに、京浜急行が開発しただけあって、ここは、車が、進入することもできる広い、いろは坂状の道路もあり、3つの、道で、入ってくることができるようになっていました。

 そこへ、ルネ北久里浜の専用エレベーターができて、それを、そこより奥の、住民が誰でも、一ヶ月1500円のパスを買えば、利用できるようになりました。

 このエレベーターですが、厳重に管理されていて、住民票を提示するなどして申し込まないと利用をすることができません。入り口には、JR東日本の駅の改札口と同様の自動切符検索機があって、しかも一回の暫時利用はできないのです。そういう意味では、警戒心いっぱいの施設であって、私には利用ができないのです。むろん、住民票を移動させれば利用できますが、エレベーターを利用する目的だけで、住民表を移動させるのもどうかと思うので、まだ、一回も利用をしたことはありません。

 という意味では、非常にサービスの悪いエレベーターで有ります。

 ところが、池田分譲地の人々は異常に優遇をされています。はじめは、1年半ですが、ただで、利用をできるという仕組みでした。それが、私がブログで、このマンションの土地が不正に、ただで、伊藤忠何とか会社へ、横須賀市から、譲渡、・・・・・いえ、正確に言うと、交渉も何もない、闇の世界で、所有権が移転をしてしまった・・・・・土地の上に建っていて、・・・・・云々と書いた後、急にただの期間が延長されて、二年間池田分譲地の人は、ただで使用をすることができました。

 どうしてか、その分譲地には、その闇の取引の際、無責任にも看過した杉本氏、およびその奥様である正子夫人が住んでいるからです。闇の移転登記は、地籍変更届というのを利用して、表向きは書類は完備しているという形で行われますが、種々さまざまなだましの手法があって、どう考えても、たんに、ただで公有地を私有化したにしか過ぎないのです。

 このブログにはじめて入ってきた方のために、その仕組みを解説した直近の記事を下におきましょう。

数億円分の土地が、ただで取得できる地籍変更届の仕組み(瀬島龍三+杉本元横須賀市副市長夫妻

2013-09-16 15:09:17 | 政治
 
 書類上は正規の手続きですが、・・・・・2.73平米(=一坪以下)の所有地が、間違っていますので、変更させていただきたいです・・・・・・と、法務局に申し出る、面積が1200坪、(4270平米)にも増えているのは、大きな嘘とからくりとだましが有るからですよ。
 その一切を目撃してしまったので、私は非常にいやな思いをしないといけない日常になっているわけです。
 
 このエレベーターに関する、過剰な警戒心と、過剰なへりくだり状のサービスは、ひとえに、このマンションの秘密を保持し、杉本夫・正子夫人が、池田分譲地内の人に嫌われないようにするためにとっれている措置なのです。
 だって、私は、1980年答辞に、横須賀市の土木課長をしていた杉本某氏の奥様の正子さんに電話で、委細を告げてありますから、
 ちゃんとした横須賀市民、もしくはちゃんとした横須賀市の吏員だったら、これは、阻止しないといけない登記でした。
 その責任を放棄して、看過したわけです。
 
 その結果、杉本氏は、普通の40代のサラリーマンなら、絶対に手に入れられない豪邸を手に入れることができました。ご主人の両親は、元の普通の家(・・・・敷地が50坪で、建坪が25坪程度の家・・・・)のころから同居ですので、両親の家を売ったので、大金が手に入ったというわけでもないでしょう。
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副題5、『地方公務員・・・・局長や部長・・・・・は、すさまじい権力とお金を握っているはずだ』

 上に上げた前々報やら、ここに付記する前報で、『杉本正子さんは、なかなかの悪女ですよ』と、書いていますが、だんなさんの方は温厚な顔をしています。

 でも、むっつりすけベーという言葉もあることですし、善人面をして、平気で悪に加担し、平気でその報酬を受け取る人物もいるのです。あの豪邸はどう考えても、この看過するという動作への報酬でしかないでしょう。

 そして、実質3000坪を支配しているような家だと書いたら、その平地が目立たなくなるように、南側には、二戸の建売を作って、北側には、高い機を密に植栽し、杉本家が目立たなくなるように手配をしました。

 最近、その建売住宅のほうにも、高い植木・・・・(ヒバかヒマラヤ杉で、高さ4mはあるもの)・・・・をびっしりと庭に植えて、そちらの方向も目立たないようにしてあります。

 杉本家、自身が、私のブログを読んでいて、一生懸命、自己防衛をしているとも考えられますが、一方で、闇の勢力がやっているとも考えられます。その二軒の建売住宅が、クリアハウスという会社が造って売り出したものなら、これもまた、ぴったりと符丁が合います。

 クリアハウスというのは、問題の地籍変更届を出した、益山某氏の奥様の弟、と、その子女が経営している会社なのです。

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副題6、『40年前は、子供が草スキー(または、ダンボール橇)をして遊んでいた草地が、暗い感じの公園になっている。それはなぜか?』

 今、20日(金)の午後4時ですが、推敲を始めようとして気がついたのですが、昨日初稿として書いた部分のもっとも重要で、真実が書いてある部分が、薄い字色に変化をさせられていて、読者の方はお読みになれなかったと思います。24時間そうなっていました。そういう場合は、コピーアンドテーストして、テキスト形式に直し、その上で、フォントを黒としていただけマスト、お読みになることができるでしょう。こういうふうにIT 的にも妨害をされますが、横須賀でも、妨害を受けているし、鎌倉でも同時進行的、非常に恐ろしくて、いやらしい攻撃を受けております。それがね。姿が見える存在としては、前田清子夫人です。

 面白いですね。彼女が、この五月に、『この日とって、わからん人だから』といったからこそ、こちら、北久里浜の方で、杉本正子夫人がどういうことを過去にやってきたことを各期になったわけですし、それを書いているうちに、さらに、前田清子夫人が激しい攻撃を加えてくる。

 北久里浜の方は泥棒です。そこに住んではいませんが、相似のためにいろいろな道具を置いていますが。それを盗んだりひっくり返したり、いろいろ、やってくださっています。それを、すでに、三回やられています。

 鎌倉の方は、また、改めて周南事件除く方を書き増すので、その際、今回のあくどい行動を分析いたします。前田清子夫人は、相当に重要なアイテムです。彼女と同じくらい、あくどい行動を重ねているのが、杉本正子夫人ですが、

 こちらは、ご主人が、1980年に、横須賀市の土木課長(日大卒)であって、その後、横須賀市の副市長まで出世した人材です。

 ただ、現在のルネ北久里浜の建っている土地が、元は横須賀市の水道山だったものを、ただで(地籍変更届という登記の仕組みを利用するが)取得した際に、私が委細を電話でお知らせしているのに、看過するという形で、悪人達の強欲の手伝いをした人です。

 もし、奥様が報告をしたのに、そのまま、看過したのなら、ご主人が大悪人であるし、奥様が、私のことを無視してご主人に電話の内容を報告をしなかったのなら、奥様が大悪人となります。そして、見返りに普通の家に比較をすると、所有地、建坪、建築資材塔で、三段階はうえだとも思われる豪邸を、贈呈されて、そこに恥ずかしげも無く、住人として住んでいるのだから、おじいちゃん、おばあちゃん、お嬢さん、おぼっちゃん、みんな含めて悪人ですね。

 だけど、坊ちゃんだけは不良になったと聞いているので、その坊ちゃんは、感覚が普通だとみなせます。変な家族の中で、その男の子だけは、精神がまともだったから、かえって不良になったとみなす事ができます。母に対する痛烈な批判の現われでしょう。

 小さいころから知っている、かわいい顔をした坊ちゃんです。ところで、この京急池田分譲地は、1960年ごろから計画が成り立ち、団塊の世代向けに、開発販売された土地で、家は各戸が、自由に注文を出し手建築をしたのだと思います。最近ではほとんどの家がリフォーム済み、もしくは改築済み」になっています。

 そして、子供は、2歳か、3歳かという年頃で、引っ越してきていて、私が引っ越してきたころには、団地内に小学生がいっぱい住んでいましたで、小学生がいっぱい過ぎるので、大津小学校というのが二つに分かれて、根岸小学校というのが新しくできたのです。

 池田町に住む子供達には、池田小学校というのがないのですが、それは、横須賀市池田町というのは主に、山林であって、古い時期から、駅がないのでした。したがって、繁華街も無く、したがって、古くから浦賀へ向かう鉄道の「京浜大津」駅周辺に発達した大津町(坂本竜馬のつま、おりょうさんの終焉の地)の小学校とか、京浜急行が新たに開発した三浦海岸に向かう新線の中で、唯一ロータリー広場つきの駅である、北久里浜周辺の町名となる、根岸町に新しく作られた小学校へ通うこととなります。

 ともかく池田分譲地には、子供の声がいっぱい響いていました。そして、子供に慕われる私は毎日、託児所状態で、朝から晩まで、自分の子供に、二倍する、家、三倍とか四倍の数のことも経ちの面倒を見ていたのでした。しっかりと、おばさんもやってきているし、お母さんもやってきている女のです。

 で、この山の小学生達がとても楽しそうに遊んでいたのが、ダンボール製の橇です。この山は地上からは、海抜40mか、50mで高いので、車が進入する道が、いろは坂風に新たに作ってあり、その道路を作り上げるための斜面に、洋草(高麗芝より長めのもの)が、種まきをしてあって、それが、私が引っ越してきたころ、ちょうど、いい具合に育っていて、絶好の遊び場になっていました。ダンボールで、橇遊びをするのです。

 こういう斜面って、なかなか無いので、そりゃあ、子供達が喜んで遊ぶ場所でした。

 それが、今は、暗い感じの公園となっています。どうして暗いかというと、くぼみに有るからです。草だけだったら、開放的でしたが、南、西、北の三方を高い崖に囲まれているので、そこに木を植えると、とても、暗い公園になっています。だから、誰も使っていません。そもそも、この地域には公園など、二つも必要がないのです。池田分譲地の中央には自治会主宰の盆踊りなどが開かれるちゃんとした公園があります。

 それで、機能は十分に果たせる上に、全戸が個人住宅であり庭木も植ええているし、丘の上なので、換気機能も万全すぎるぐらいに万全だから、ここの住民がくぼ地に有る、昼なお、薄ぐらい、公園を利用するはずもないのです。

 この公園は、横須賀市の持ち物であった、水道山を削り取り、開発して、ルネ北久里浜を作ることへの免罪符として、杉本氏が、設計して、設置したのでしょう。用地は、京急のものかもしれませんが・・・・・・

 でも、もし、水道山がまだ、残っていて、栗拾いとか、きのこ狩りに、市民がはいることができたら、交通至便だし、言うことなかったのですが、

 ここに入れないということが大問題で、それは、酒鬼薔薇聖斗事件に通じていきます。

 本日は珍しく、10時半に帰ってきて、疲れが少なくて、文章を書く余裕があります。ところで、上に土師淳君の首が校門の上においてあり、胴体が、水道山においてあった話に入ると予告をしていますが、その問題は、後回しにして、この文章の初期に、ここに一緒に書こうと思っていたことを書きましょう。

 ミスター杉本が、ご自分の人気が高くなるように、願って、設置して、過剰とも思われる住民サービスはもうひとつあります。だが、ここでは、その説明は抜かして、正子夫人ん関するエピソードをもうひとつ書かせてくださいませ。

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 副題7、『私の友人はみんな、夜、散歩をするんですって。本当ですか?』

 私は、今まで六冊の本を作り上げました。そのうち、美術関係者向けに特化されているものが、3冊あり、普通のひと向けのものが、3冊あります。

 2009年に出した『おばさん、お釣りを忘れているよ』は、普通の人向けの本です。6冊とも政治には一切関係しておらず、哲学や心理学の問題を、話し言葉文体で書いたもので、まじめな考えを持っている人なら、どんな人でも面白いといっていただける類のものです。

 で、どこにもひるむ、必要のないホンなのに、家で制作(頁デザインや、編集をすること)をしているときから妨害を受けていますし、印刷所や製本に、流れが行って、本が出来上がって配る段階でも、妨害を受けるので、いちいち、訪問をして手渡しをして歩くのです。お金も時間も莫大にかかるのに、そうしています。

 横須賀の北久里浜は、鎌倉より南に位置しています。つまり、よく出かける銀座とは反対方向です。

 しかも、今は自宅が空き家になっていて、売ろうとか、何とか考えていますので、しょっちゅう掃除をやりにいっていますが、そこに借りてが、すんでいた時期は、ほとんど、行きません。で、北久里浜に本を配りに行ったのは、2011年のことだったと思います。

 私はおきてすぐは、ブログを描いたりしますので、外出するのは、必ず、午後4時過ぎです。北久里浜駅東側の丘の上の京急池田分譲地に入った、ころはすでに、あたりは真っ暗です。ただし、夜の7時代で、訪問するのに、失礼な時間帯ではありません。みんな、まだおきている時間帯です。季節がいつだったかは忘れましたが、ともかく、訪問するのに変な時間帯ではないと記憶しているのに、どうも、様子がおかしいのです。

 まず、駅から近い方から言えば、門扉がぴったり閉まっていて、雨戸もぴったりしまっていて、玄関まで到達できず、呼び鈴が押せない家があります。

 その次に訪問をしたのは、三世代同居の家です。お孫さんの声も聞こえます。しかし、呼び鈴を押そうが、玄関をノックしようが、人が出てきません。

 この丘は、南北500m東西は、200mぐらいありますから、次の家、次の家と訪問しますが、玄関を開けてくれる家がないのです。

 これは、自然なことではないですねと思い当たります。このときより、一年前に本牧を、尋ねたときもそっくりなことがあり、成岡庸司君という元早稲田の革丸の委員長にして、私の中学時代の、同期生が、この件に絡んでいるなあと思ったのですが、・・・・・

 どうして、そう思うかというと、私が、卒業した中学が本牧の丘の上にあるからです。無論、成岡君が直接電話をかけたのではなくて、誰かが、間に入ってはいるとは思いますけれどね。

 今回の、こちら、北久里浜の件では、無論杉本夫人が動いているわけで、そういう動きが生まれるためには、鎌倉の自宅を出るときから、監視されていて、駅でも、どちら方向へ向かうか、また、JR久里浜駅のJR東日本のエレベーター内の監視カメラなどが、総動員されているなと思うわけですが・・・・・

 ともかく、「川崎さんが、今夜お宅を訪問する予定がありますが、どうか、会わないでください」という電話をかけたのは杉本夫人であろうと、思い当たるのです。そういうことはわかっていますが、それは、それ、これはこれと、ただひたすらに、自分の体を消耗して、自分の本を配って歩くわけですが、あるお宅と、その次の知り合いの二軒が、夜の7時半過ぎなのに、真っ暗なのが、特別に変だと考えます。

 というのも、私の知人というのは、PTAのママ友として知り合った人が多いので、現在71歳の我が家と同じく、ご主人方は、すでに、定年退職後の人が多いのです。ですから、車が家にあるということはご主人も奥様も在宅なのですね。

 現代の都会の住宅というのは、たいがい天窓があります。で、居留守を使う場合にも、どこと無く明かりが漏れるのです。I夫人(仮名、前々報で、触れたが、丘の上の500戸の住民の中ではもっとも親しくしていた)のだんなさんは、有名大学を出て、一部上場企業の重役で終わった人です。『それほど、格の高い紳士が、夜の7時半に、布団を頭からかぶって息を潜めている?』と、想像をすると、もう、おかしくておかしくてたまりません。

 でね。『今日はだめだな、誰とも会えないな』と、思うのですが、しかし、杉本夫人に対する怒りはすさまじいです。だって、悪をなしているのは、杉本正子夫人(+ご主人)の方なのですよ。彼らは横須賀市の資産を守るという義務を放棄したおかげで、莫大な金銭と名誉を得ています。反対に私なんて、何も手に入れていません。そのときに配っている本だって、印刷代から製本代を、一種類について、ほぼ100万円かけています。すべて自腹です。文章を書いているときの労働報酬ももらっていないし、このように出来上がった本を配るときにもすべて自腹です。圧倒的に差がありすぎます。

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副題8、『敵陣に乗り込んで、虚々実々の、駆け引きをする』

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 さて、ここからが、21日の加筆部分ですが・・・・・・

 上に言ったように、いつもの友達、が夜なのに、だれも対応をしないので、これは、自然ではないと感じ始めます。京急池田分譲地とは、ほぼ、10~15万平米にわたる大住宅地ですが、ふもとからは、急峻な崖で、3~40m近く上りますので、商業施設は何もない場所で、夜はシーンとしていて、団塊の世代であって、すでに、会社勤めを終わった夫を持つほとんどの家庭は、静かにテレビなどを見て過ごす時間帯なのです。それが、電気がついていても、居留守を使ったり、または、一戸内、真っ暗にして居留守を使っている・・・・それは、とても、変です。

 で、私は、『これは、裏工策がなされていますね。で、やっている敵は?』と考えて、敵の本陣、・・・・・この場合は杉本家・・・・・を訪問することにしました。門扉は、豪華な屋根つきだったと記憶しています。30年以上前の建築なので、呼び鈴にモニター機能が付いているかいないかはわかりませんでしたが、・・・・・特に夜だったので、・・・・・もし、それが、無かったとしても、彼女は私の声で、訪問者が、だれかは、わかるはずです。幼稚園や小学校のPTA活動を含めれば500時間は同じ教室で、時を過ごしています。特に小学校の広報委員会の時は、小さな特別室の中で、常に、すぐそばで、仕事をしていましたし、一週につき、四時間は一緒にいましたからね。

 彼女は玄関から出てきて、私を見ても驚いた顔はしませんでした。ここが、悪女たるゆえんですが、私が「今日はね。本を配りに北のよ。受け取ってくださいね』というと、彼女はあっと驚いた顔をしました。

 このときに、私は、自分の推察が正しかったことを確信しました。杉本夫人には、私が北久里浜を訪問することは知らされていたはずです。

 どうしてか、家を出るとすぐ、安野家から警察へ、『彼女は外出しました』という報告が入るはずです。その前に、室内盗聴が安野家へも入っている可能性は感じていますので、私が、外出しそうな気配を察して、窓からのぞいて確かめているでしょう。それから先は、小町通りの禁煙監視員などが、報告するかもしれないし、鎌倉駅の通路や、ホームに有る監視カメラがチェックされているかもしれません。

 その次に、JR東日本の久里浜駅のエレベーター内の監視カメラがチェックされているでしょう。そして、彼女は久里浜へ向かった。しかも夜だと、なれば、すぐ、北久里浜へ、向かうと察知されていて、「本を配るはずだから阻止しなさい』と、警察から、杉本家へ、連絡が入り、杉本夫人は、すぐさまリスト内の主要な人物宅へ電話をかけて、居留守を使うように頼んだと思われます。連絡網は、孫引き関係もあって、間接的に指令を配する相手もいたでしょう。

 しかし、その夜が、初の電話だったら、皆さん、奇妙に思うでしょうね。だから、順次、丁寧に説得すみであって、すべての知人が反逆をするように仕組まれていたのでした。ただ、普通の人です。顔を合わせると、ばれます。裏側がばれます。

 絶対に、ばれます。だから、居留守を使うように迫られていたのです。

 問題は本というキーワードです。彼らは、私のものを書く力を恐れてはいます。極端に恐れているといっていいぐらいです。それをそぐためなら、フランスのオランド大統領の、アメリカのオバマ大統領もパシリとして、使われます。それが、シリア空爆の一軒ですが、

 ともかく、私は、このような代償合わせた敵の動きによって、自分の力量を知らされます。敵が行う措置を見ると、私は、すごい力量の持ち主の様です。

 そして、私の将来も予測をされているみたいです。この敵様連中は、私が・・・・・彼らについて、特に、この北久里浜の横須賀市の水道山に、関連して行われた悪について、・・・・・結局は書いていくだろうと推察しています。だから、種々さまざまな暗殺行動がすでに行われていますが、この北久里浜の知人達がいっせいに居留守を使ったのも、・・・・・大変緩慢ではあるが、・・・・・その種の暗殺行動の一つです。

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副題9、『もう一回、回って、留守用の、添え書きを書いて、配っているうちに、居留守の人が戻ってきた』

 彼らは私兵を使い、かつ数の論理も使います。今般、これほど、はっきりと書くのも鎌倉の方のご近所の前田家・・・・特に、清子夫人の行動が目に余るからです。それも丁寧に後日書いていきますが、性懲りも無く、3日前も彼女は二つの、示威行動を示していました。書かないといけません。が、今は北久里浜に地域限定といたしましょう。

 ところで、この京急池田分譲地には、6~8m幅の立派な車道が、東西南北を貫いていて、団地内の見通しはすこぶるよいのです。私が真っ暗なI(アイとアルファベット読みをしてください。仮名です)家の前で、添え文を書いていると、左から突然に、I夫人が現れて、「どうしたん。川崎さん、こんな夜に」といわれました。

 私の方も驚きながら、一瞬で、頭を回転させ、・・・・・団地内に人の気配はまったく無かった。のに、彼女は散歩していたという。もしかしたら、杉本家へ、よばれていて、身を隠すために、夫妻が二組、お茶のみ、もしくは、酒盛りをやっていたのではないかしら?・・・・・とも推察するのですが、そんなことを口に出す私ではありません。

 「どうして来たん? 元気やった?」という、はんなりした、I夫人の京言葉を聴きながら、こちらの近況を告げた後で、「本をまた作ったのよ。読んで」と頼むと、「あ、読まへん。本は読まんとく」と、彼女は言います。それに対して路上で、この杉本家の悪の一切を説明できるかどうかを、考えて見ますが、それが、無理なのは、明白なことなので、「あ、そう」といって、すごすごと引き下がります。

 何度も言いますが、前田家は加害者なのです。3人寄ったら、勝手に他人の土地を処分できるとなったら日本社会も終わりですが、それが、ここ、鎌倉雪ノ下二丁目では現実のこととなっています。その加害者の筆頭なのに、平気でさらに、加害を加えてきています。その平気さは、きっと、警察が自分の見方だからと思っているところに有るでしょう。で、このしょうが重要になってきます。警察は泥棒側の見方をしています。北久里浜(正式には横須賀市根岸町二丁目)でもそうですが、こちらの鎌倉市雪ノ下二丁目でもそうなのです。

 警察とは、現在の日本では、泥棒を取り締まるのではなくて、泥棒の味方をする組織です。

 ここから先はまだ、まだ続きます。それを書くには22日になるかもしれませんが、お待ちください。

 なお、このブログの2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1803944です。

コメント

ガタロさんに、惹きこまれる・・・銀座で、スカートが裂けていますよと、言われた私だが△

2013-09-16 22:36:39 | 政治

 今、17日の午後5時ですが、一回目の推敲と加筆を終わりました。これは、下世話な話と見えて、実際は政治に結びついてもいきます。最初は簡単に美術の分野に限ろうと思っていたのに、そうはなりませんでした。軽くは済ませられない問題に入ってしまい、長くなっていきます。

副題1、『NHK・ETV特集で、ガタロさんという画家に初めてであった』

 本日は、広島で、掃除道具を、描き続け、画集を出したガタロさんという画家について、お話をさせてくださいませ。ガタロさんというのはペンネームです。本当は福井さんというらしいのですが、最近はガタロを名乗っているそうです。

 ガタロとは、ガ太郎が、なまったもので、河童のことらしいです。広島在住の人で、広島には、川が多いので、河童の伝説が昔からあって、小さいころからそこで、育ったガタロさんは、いつごろからか、その名前を自分に充てて名乗るようになったのでした。

 このガタロさんに出会ったのは、NHKの教育チャンネル、ETVの特集を録画しておいたものの中です。8月10日に録画しておいたものを、ちょうど、9月14日に見ました。ただ、このブログの読者に、それをお話しして、告げることは思いもよらないことだったのです。

  というのも、その番組はあまりに単純に見えました。テーマが、ある善人の一生の報告であり、今この世界で書いていることとはあまりにもかけ離れていたからです。で、このブログの世界で取り上げるなど、思いもよらなかったのです。

  でもね。『短い時間で、書ける話題としては、このシンプルさがいいなあ』と思って、これを取り上げることにして、それなら、『それを、最初に放送した NHKを尊重すべきでしょう』とも思って、・・・・・だけど、『NHKは、既・放送番組の情報を載せていないのですよね。だから、グーグルで検索しましょ う』と、思ったら、思いがけなく、NHKは、すでに、二回も再放送しているのでした。で、グーグルにNHKの放送予定が書いて有りました。

 非常に残念なことに、2日前に2回目の再放送があったのに、ご紹介が遅れて、皆様が、実際にその番組をご覧いただけることができないのでした。それをお詫びいたします。

 ただ、たった一か月以内に、2回も再放送をするということは、この番組に感動して、メール等で、感想を寄せた、視聴者が数多かったことを察せられます。

2013年8月10日(土) 夜11時
【再放送】2013年9月7日(土) 夜11時
【再放送】2013年9月14日(土)午前0時45分
※金曜日深夜   

 大変、人気がある番組だった模様です。だから、また、再放送があるかもしれません。それは、お気をつけて、新聞のラテ欄をご覧いただくと、三回目の再放送に、お気づきになるやもしれません。または、オンデマンドの資格を持っておられる方には、お勧めしたい番組です。

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副題2、『拾った文房具を大事にする・・・・・と、いう生活』

 ガタロさんの生業は、掃除夫です。場所は、広島市の中央に位置する、基町(もとまち)アパートという場所。それは、マンションですが、全部で、3000戸(?)もあるという、大規模団地です。

  その半地下(または、地下一階)に、南北・東西300(?)mにわたる十字路があって、その四隅に広い公衆トイレがあります。その道路、トイレの全部一人 で、掃除しないといけません。また、ごみ捨て場も管理しないとだめなのだそうです。今の人は、分別をきちんとしなかったりするので・・・・・

  で、とても忙しいのです。それに体力も使います。だが、収入は、月に、10万円(?)前後です。ところで、ここでお断りをしないといけません。この文章の 中にある数字は、全部うろ覚えであって、正確ではありません。だが、問題は数字ではなくて、ガタロさんの生き方なので、このまま進めさせてくださいませ。

  ガタロさんは画家なのですが、収入が少ないので、文房具については、ごみ捨て場で、拾ったりするのだそうです。すごくよくその意味は分かります。現代の人は、最後までは、使わないで、簡単に、捨てるでしょう。昔は、鉛筆を、三センチになるまで使ったり、短い鉛筆を長くする・はさみ棒を使ったりしま たが、今は、蛍光ペンを、何本も持って、また、消えるボールぺんも何本も持って勉強する時代だから。

 その文房具を見ているうちに、いわく言い難い、悲しみや苦しみを、私は、思い出させられました。まずそこから入らせてくださいませ。

  私は25年前に父から五千万円、3年前に母から五千万円の遺産を相続した人間です。だから、お小遣いには不自由しません。それで、画材とか、文房具は莫大 に買ってあります。71歳にもなると、それを全部使いきれません。で、誰かにあげたいと思います。だけど、そのあげる交渉をする際に、最近ではとても嫌な 思いをするのです。

  それは、敵サンたちが、すぐ、その電話を盗聴して利用するからです。フェイスブックをやっていた時代に、立派な人から織姫まきさんを紹介されました。彼女 の投稿を読むと、シェアが多いが、それでも、紹介者の、「原発反対の人ですよ」というのは当たっていて、『立派な人だなあ』と思い到ったのです。それで、 死蔵をされている毛糸を差し上げたいと言ったら、「喜んで、もらいます」という返事をもらいました。フェイスブック内の個人メールのやり取りで。

  『ああ、さばけているなあ。遠慮したり、気取ったりしないで』と、好意を持ったのですが、その後が変なのです。電話の直後には手配をしませんでした。盗聴 で、何らかの形で、この電話が利用され、物が届かないことがあると、その結果を問い合わせたりして物事が面倒になるからです。一か月ぐらい余裕を置いて、送ると、急に、態度が変わっています。お礼が来ないのです。で、届いたかどうかを問い合わせることになり、きまずいおもいをしました。で、

 すぐ、フェイスブック内での友人としては目立って仲良しに見える方だから、彼女に何らかの讒言が入って、間を裂かれたなと、わかるのです。

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副題3、『織姫まきさんの態度から、横須賀の方の、暗闇が分かってきてしまう』

 で、そういう行動をした、敵さんたちに、『あなた方のした事は、分かっているわよ』というサインを見せるために、全く違う人、I(アイ夫人、この場合は一応仮名にさせてください)に、この件を、愚痴ってみたのです。「お礼を言ってもらえない」と。そちらは、横須賀時代の友人で、フェイスブックをやっていません。

 すると、「あなたの方が悪い。そんなことを言うのはバカだ」というのです。

  その時に、全く別のことがわかりました。その人こそ、「元、横須賀市の副市長の、杉本家のお坊ちゃんが不良化した」と、教えてくれた人なのです(杉本夫人に関しては、下にある前報をご覧ください。そっこに杉本家にまつわる闇が書いてあります)。だが、そのお知らせが、自然なものではなくて、わざと、それを教えてくれたということも、わかったのです。むしろ、杉本夫人が頼んだので、彼女が、わざと、それを言ったのではないかと。と、言うのも幼稚園のときから始まっているママ友仲間です。いくらその件が、分譲地中に広まっているとしても、それでも、電話でそれを言うのは不謹慎な話題です。

  彼女は他にも情報をくれるのですが、それが、すべて、例の瀬島龍三のルネヒルズ(旧名ソラヒルズ)に対して、私がどう思っているかの、探りにあたっているからでした。

 彼女は言います。「エレベーターができたのよ。それは、ひと月1500円のパスで、マンションの人以外も使えるのだけれど、池田分譲地の人はただなの。一年半かなあ。ただなの」と。

  それが、どういう意味を成すかというと、私が全く知らなかった、ソラヒルズの建設を教えて、くれて、その建設を、既成事実化しておこうという趣旨でしょう。その既成事実に、あなたは、従いなさいということで しょう。

 これは、鎌倉でも繰り返されるやり方なのです。一種の泥棒でしかない、あじさい畑儀もう事件を既成事実化していこうとする動きが、たくさん見られます。

 ソラヒルズのほうですが、前報でいっているとおり、私は、マンションの建設を、阻止していたわけでもないですから、エレベーターがタダだと聞いても、それは、彼らに、後ろめたさがあるから、杉本夫妻が住んでいる同じ地域の住民に大サービスをするのですねと、すぐわかりました。が、放っておきました。

   しかし、鎌倉の方でいやなことが起こります。特に前田祝一・清子夫妻と、安野忠彦、+夫人が、恐ろしいことを次から次へとやります。で、それを分析するた めに、彼女たちが、集団というか、数の力で、勝手に人の土地を盗んだいきさつを丁寧に書き、どうして、こういうことが起きたかというと、瀬島隆三が裏で糸 を引いていて、それは、どうしてかというと横須賀市の水道山が、ただで、瀬島・益山・合併軍(元、帝国軍隊の参謀同士で、親友であるらしい)の私物化された事を、私が巻き込まれた故に、目撃者となったからであると、書きます。

 すると、エレベーターの無料使用期間が延びます。彼らは、相当に怖がっているのです。その上、グーグルの地図上に、長らく(ほぼ、2年近く)、実際には建設済みのこの大マンション群が現れませんでした。今は現れていますが、棟ごとの名前で、表現されており、ルネ北久里浜とも、ソラヒルズとも表記がされておりませんが、入り口にはその看板が立っています。

 悪人達は、私が何を書くかをとても怖がっているのです。

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副題4、『あなたの家って、ごみ屋敷になっているわよ・・・・・というI(アイ)夫人の言葉の本当の目的は?』

  上の節で、『エレベーターがタダで使えるのよ』と、教えてくれたI(アイ)夫人は、横須賀時代の友達のうちで、私が最も長時間お茶飲み もするし、長電話をする間柄です。それは、彼女が手仕事が好きなタイプであるのと、ご主人が大卒のエンジニアで、家庭のムードが似ていることと、彼女自身の頭がいい ことがそうさせています。お嬢様育ちでもあるし。

 だからこそ、敵側にすっかりリクルートをされてしまっているのです。だけど、なかなか、それが、確定できません。というのも彼女は非常に頭がいいので、単純な攻撃などしないからです。

 ただ、ある時に、「ねえ、あなたの家って、ごみ屋敷になっているわよ」と言われました。その時に、直観として、『これは、敵さんたちが言わせている言葉でしょうね』と、わかったのです。

 どうしてかというと、彼女は我が家の前は通らない人だからです。単純に歩いても通らないのに、さらに今はエレベーターができたそうですね。そうなると、絶対に通りません。

 私は鎌倉へ引っ越してきてから、すでに、30年になりますが、その30年間、彼女は一度も我が家の前は通らなかったはずです。

  ただ、私は、そこで、「あなた、だましているでしょう?」などという失礼なことを言う人間ではないので、「あ、そう」と、聞き流しておきました。ただ、一 応ですが、びっくりはして、現地を見に行きました。借主は高尾さんという、東工大卒の独身者で、パソコンの修理で生計を立ていてるということで、いとこさ んが医者をしているということなので、安心していましたが、ごみ屋敷になっていると聞いては見に行かないといけません。

 実際に見に行くと、パソコンの修繕だけでは生活が成り立たないらしくて、白物家電の修理もするらしいのですが、それらは、数棟の倉庫を作って、きちんとその中に納まっていました。

  で、ごみ屋敷とは言えないのです。が、どうしてか家賃が滞るようになって、仕方がないので出て行ってもらうことにしました。ところが出るにあたって、ものがたくさんあって、引っ越し代がかかるので、それを出してほしいと言われ、160万円をこっちが出しました。踏んだり蹴ったりですが、こういうことを裏で 計画している連中は、大喜びで嘲笑っていることでしょう。

 私はよく五億円の被害があると、いっていますが、ここで、160万円をぶんどられたし、さらに、空き家である期間とか、売れない期間を入れれば、数百万円の損失でもあります。ただ、そんなにお金のことを言うのはさもしいから、黙っていましたが、

 友達が裏切ってくる。しかも敵方のスパイとか、教唆役としてふるまうということの醜さとか、忌わしさに驚くわけです。ただ、いつも、気が付かなふりをしていますがね。だから、向こうはよほど、私を馬鹿だと思っているらしいのです。(笑)

  でも、織姫まきさんが、毛糸やら、ジーンズを送ったことに対して一か月間の間に、すっかり心変わりをしてしまい不誠実な態度をとったことを、横須賀の I(アイ)夫人に嘆いたことは、敵さんに「裏側を気づいていますよ」と知らせるためだったのに、逆効果になり、織姫まきさんは、私が投稿する時間帯をめが けて、フェイスブックに投稿をしてくるようになりました。つまり、時間とともに動いていくホーム頁であるフェイスブックには、同時刻に投稿があると、私が、400字ずつに分けて、長い文章を投稿して行く手法が、めちゃめちゃ、妨害をされるのです。

  ただし、これが、彼女が命令されて意図的にやっているかどうかは不明です。成りすまし疑惑の犯人にあたる人間がいて、今般、私から、知り合いに、2500 ドル(円安の今なら、25万円かな?)要求する英語のメールが送られたそうですが・・・・・その同じ犯人が、織姫まきさんが、別の時間帯に投稿した記事 を、・・・・・シェアをやり直すとか、その他いろいろなITテクニックを、用いて、私が投稿する時間帯にめがけて、集中させた とも、考えられるからです。

 ほかに三人ほど、大量に投稿する人物がいて、それが、私の投稿を大きく邪魔するのでした。 その三人とは、山本夏彦さん、小沼純一さん、吹野壱千百さんでした。この四人はほとんどシェアとか、他人の作品を紹介すると言う文章なので、簡単に大量に投稿が、できるのです。

  これも、彼ら三人が、依頼を受けて、同時刻に大量に投稿するのか、それともIT技術の高い真犯人が、この時刻へ彼らが、別時刻に挙げたものを、移動をさせる のかは、わかりません。こういうことも関心を持っていたら、必ず答えが手に入るので、答えが手に入るまで、待っていましたが、たまたま、横須賀の杉本、 元、副市長の夫人の悪辣な行為を書いているうちに流れとしてそこへ到達してしまいました。

  ところで、ずいぶんと、暗い、かつ、汚い話をするようですが、どうか、皆様ご安心をくださいませね。そういう汚いものに攻撃をされている私は、それゆえに こそ、反対方向では、天に見守られているし、神の加護が与えられています。ただ、どこにそれが顕現をするかを書くと、必ず奪われていきますので、私が、どこで、幸福感を 感じたり、どこで、幸運に恵まれているかを語るのは、遠慮をさせてくださいませ。恐れ入ります。暗いところばかりで・・・・・(笑)

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副題5、『浅野修さんに、ロール(キャンバス地)を挙げた時の微妙さ(笑)』

 私は何か知人や、友人に接触をするたびにその相手が奪われるということにはすでに気が付いていて、それ故に接触しないように気を付けているのですが、それでも、大量の画材が、死ぬまでには使いきれないと思い当たり、人にあげたいなあと思うわけです。

 今般家のリフォームをした際に、ロール(大型のキャンバス額を作るための布地)が、何本も、不使用の階段から出てきたので、誰かにあげたいと思いました。

 その際に、その相手は、必ず現代アートの人に限ります。具象系の人は、それほど大型サイズの絵は描かないのです。そして、具象系の人は絵が高く売れる可能性もあるので、他人からもらったりしません。

 ところで、今、続きを2000字ぐらい書いたら、文章が白閃化して、一切が、消えました。冒頭から消えたのです。これは、私の方が、きわめて大切な真実を書いているときの現象なので、思い出しながらその部分を再度、書いていきましょう。

 我が家の近辺の現代アートの作家というと、三人が思い浮かべられます。宮崎進、前川桂子、浅野修。先の二人は、電話を掛ける相手ではありません。美術の社会固有の通念上は、私より偉い人だからです。浅野さんも同じですが、個人的に話をしたことが何度もあるので、かけてみました。
 その部分に至るまで、パリやニューヨークの話を含めて、いろいろ書いていましたが、また、消えるといけないので、今度は、骨格だけを単純に、書きます。ともかく浅野さんが我が家に見えた時の彼の微妙なニュアンスと言ったらありませんでした。(笑)

 私は事前に、十分にそれを、覚悟をして招いたのです。でも、秘書役としてくっついてきた若い女流画家が、素朴で、かわいかったので、彼ら敵さんたちの行動様式が見事に、察知されたということでした。

 


 ただね。泥棒をしている側が、その事実を世間に、知らされると困るので、私の悪口を言い触らしているわけですから、こんな不条理はないなあと思うわけです。

 ただ浅野さんは、非礼なことをしたわけでもありません。その日は、お互いに、本心を隠して、虚々実々の駆け引きの中に、実利をとったということです。私は高いお金を出して買ったものを無駄にしないで済んだということだし、浅野さんは、ともかく、50号の絵を、10枚は、はれるロールをただで手に入れたということになります。
 もし、私が妨害のない、自由自在の人だったら、5000人からの知り合いが、すでに、あるわけですから、ブログや、メルマガで募集をしてもいいのです。車で来る人がいたら、アメリカで、買ってきた1.6ミリの銅版とか(これは、プラスチックで裏打ちをされていて、深堀と言う手法を取る版画家には、垂涎の的でしょう)とか、ロール以外のものもつけて、渡せるでしょう。

 が、その相手が、必ず織姫まきさん化して、一種の敵となるのが、目に見えているので、募集をしないのです。必ず、私が嫌な思いをするから。でもね、ふと思うのです。海外の学校などではなくて、この日本の空の下で、本当にほしがっている人に、この莫大な画材と文房具を挙げたいなあと。
 でないと、死んだら、ただ捨てることになるのだろうなあとも、思うのです。もったいないなあと。 

 そういう私から見ると、ガタロさんのように、ものを大切にして使う人は愛しいです。いや、愛しいという以上に、後光が差しているように見えます。ごみ捨て場で、他人が捨てたごみを分別する姿を見ても、なんと美しいのだろうと、思います。涙が出そうです。ほかの視聴者もきっと泣いたでしょう。
 なんと、心洗われる情景だったでしょうか?
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副題7、『この番組は、編集と構成も素晴らしい』

 この番組の取材チームは一年間かけて、ガタロさんを追ったそうです。そして、ガタロさんが、ただ、貧しくて、下手に出ざるを得ない、弱者という側面だけではなく、信念を持って絵を描き続けている強靭な精神の持ち主であり、哲学者といってもよいほど、箴言を発し続けるひとであることにも気が付いて、尊敬の念を抱いたのだと思われます。

 で、番組の構成自体が、上等です。次の場面とか、次の言葉を待ちたいと思います。そして、予想外の展開が訪れます。ガタロさんは、とても複雑な人であって、したがって、番組そのものも、複雑な内容を含んでいます。

 このブログの冒頭で、「今日は体力がないから、シンプルなものを書きたいといっていますが、それは、ガタロさんが、シンプルな人だということと同義ではありません。

 シンプルだといったのは、ガタロさんは複雑な人だが、善人であり、周りにも善人が集まっている。その一点で、シンプルだと思っただけなのです。

 特に構成が優れていると思われるのは、最初にきつい、きつい、労働の場面が続いて、後の方に、その恵まれた友人(=善意に満ちた人々)が表れて、ほっとさせられるからです。

 もっとも、ほっとして、これも、また、涙が出そうになるのは、奥さんの登場です。まさにこういう奥さんこそ、最高の伴侶です。夫より経歴上とか、社会通念上、少し格が上。だけど、威張らないです。そして、夫をよく理解しています。奥さんの、「彼に、表現という方法があってよかった」という発言は、『本当にそうだ』と、うなずかさせられます。そうなのです。絵を描くという表現方法があって、ガタロさんは、本当によかった。

 もう一回ここで、使っているシンプルの特別な概念を繰り返して説明をさせていただきます。

 それは、ガタロさんの人生には聖書のことがが具現化しているのも見るからです。『貧しきものよ、幸いなり。汝は友を得ん』が。

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副題8、『71歳の今、掃除が好きになっている私。小学校の一年生の時の通信簿で、労働を尊ぶという項目が、2だったのに』

 私の母は、経済的には豊かに育ちましたが、幼いころに両親と別れるという、やや悲しい人生を送りました。だが、養子縁組を解除された実の父親は、女学校の校長を通じて来賓室に会いに来てくれたそうです。同じく旧制中学校(ただし、商業だったが)の校長だから、お互いに、よしみを通じて会いに来てくれたそうです。だけど、精神的には、つらい状況なので、どうしても活発には振舞えませんので、肉体的には、『自分は腺病質だ』と、思い込まされて育ちあがりました。

 だけど、実際には93歳まで生きたし、強靭な健康体だったともいえます。ただ、夫(私の父)の看病時に、胸の骨を微細に骨折をしたそうで、それが最晩年の弱体化を招いた模様でした。

 でも、ここで、いいたいことは、自分が腺病質で育ちあがっているから、自分の子供も当然腺病質だと思い込んでいたので、子供の私も母から腺病質だと思い込まされて育ちあがったと言うことです。母も妹や弟が生まれたころは、すっかりタフになっていて、それほど、子供に対して神経質には、扱いませんでしたが、私は7年間も妹が生まれず、一人っ子だったわけだし、満鉄の社宅のご近所には同年齢の子供は一人もおらず、しかも冬は極寒で外へは出られないので、いつも一人で、静かに時計を分解して遊んでいて、そのあとも、ずっと、一人で、本を読むなどの室内遊びばかりしていました。

 むろんお手伝いなども、母の留守に、妹の、子守をしたぐらいで、お掃除もしたこともないので、学校へ行ってから先生には驚かれたらしいのです。お勉強だけはバカにできるが、体を動かすというポイントで、活発ではないことに。で、母が大きな語り草にしたのが、行動の方の通信簿に、労働を尊ぶという項目があって、そこが、やや劣るだったということです。やや劣るは、後日の評価では、2です。先生は本当は1をつけたかったぐらいでしょう。、

 私が体を動かすことの楽しさに真に目覚めたのは、56歳で、版画を始めてからでした。特にヘイター方式というのが重労働を伴うのです。金属の芯が入っている重いローラーを一日に、200回は振り回し、立って、ずっと、労働をしていないといけないのです。が、美しくかつ思いがけないものが出来上がるのがうれしくて、いつの間にか労働が好きになっていたのでした。だけど、お掃除は後回しでした。

 でもね、ニューヨークの大学院にいたころに、自分には運動神経があるのではないかということには気が付き始めます。何をやらせてもほかの人より早いからです。パソコンを打つのも白人より早いです。英語で打ち込むのでも早いのです。また、歩くのも早いのです。それで、覚醒をしました。自分って、結構体を動かすのは好きなタイプよと。

 ところが体力は無いのです。ガタロさんもそうですが、若いときに石油系溶剤を大量に吸っているせいで、体のあっちこっちにガタが来ています。骨が一番わかりやすいのですが、40代で、すでに、90歳代の骨粗鬆症だといわれています。ガタロさんは若いころ印刷工場で体を酷使しています。で、石油系溶剤を大量に吸っている可能性は強いのです。

 ただ、二人の違いは、私はできるだけ、お医者さんには掛からないように努めていて、薬も飲まないタイプです。それで、持っているところがある。長生きしているのはそのせいでしょう。ともかく最近ではお掃除にも手を伸ばしていて、ガタロさんではないが、便器は、手で、磨きます。ゴム手袋をしません。短いブラシか、金網だわしを持って、手で磨きます。

 で、ガタロさんと同じく、孤独で、掃除をしていると、どことなく哲学的なものに目覚めるのを知っています。

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副題10、『売れないか、もしくは、売れても安く買いたたかれる可能性のある北久里浜の持ち家を、一生懸命掃除する私は、敵から見ればバカみたいでしょうが』

 上の方で言っています。「私は常に、だまされ、ひっかけられ、おとしいれられ、裏切られている」と。「それは、瀬島龍三の悪事を目撃してしまったせいであって、彼が国際的軍産共同体のエージェントであるがゆえに、大勢の私兵を持っていて、その私兵たちにも脅かされるので、逃げ場がないほど、24時間神経を使っている」と。

 これは、事実です。私が北久里浜に掃除に行っていると、必ず、久里浜駅か、鎌倉駅で、JR東のガードマンが、待っています。だけど、東京から帰りに久里浜によって、掃除もしないで、帰宅をするときなど、準備ができなかったらしくて、ガードマンがいません。

 JR東日本が私兵化しているだけではなくて、警察も、NTTも私兵化しています。で、私は、逃げ場がないほど、がんじがらめです。

 しかも敵がいるので、北久里浜のうちだって、どんなに掃除しても売れないかもしれないのです。Livedoorに Homes か、at homeの広告欄がある時期があって、その時、我が家の写真がトップで、出ていました。だが、この三か月間、お客が家に入った形跡がないのです。それに売り家という看板さえ出ていません。

 どう考えても、私は騙されています。しかも、この話は五月ごろから顕在化していて、そのころ、前田氏に恫喝されてもいます。全部連動しています。そして、そういう風に具体的な人間を使った攻撃をしても、私がめげないので、今度は遠い場所の事件を起こして脅かしてきています。周南事件しかり、中国の毒入り餃子事件の裁判が今頃行われたことしかり、シリアの空爆しかり・・・・・ そして、それでもめげないので、北野武のアート何とかという番組が教育チャンネルで再放送です。四面楚歌というか、四方八方から矢が放たれている私です。

 16日に北久里浜の家の庭で掃除をしていると、昨日お菓子を持って行って挨拶をした真南の家が雨戸をぴしゃっと閉めます。ははーん。あれって、鎌倉と同じ仕組みですね。あの家は、今は、班長だそうですから、町内会長から伝達が、回ってきたのですね。町内会長にこう言う命令を出したのはだれ? もしかすると警察? となると、ここでも警察が泥棒さんの方の見方をして居るということになりますね・・・・・だから、瀬島龍三がエージェントだというわけだし、伊藤玄二郎もエージェントだと、わかって来るのですが、
 でも、それを全然気にせずに、穏やかに集中して掃除をしているのです。でも、いつかは証拠集めに、根岸二丁目町内会長に問い合わせに行きましょう。

 しかし、いやな気持ちを抱いた、瞬間でも、聖書の言葉の替え歌が胸に浮かぶのです。

 「バカを貫くものよ、幸いなれ。汝は父なる御方の庇護を得ん」と。

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副題11、『銀座で、スカートが裂けていますよ、と、注意された私だが』

 14日の金曜日のことです。銀座の画廊で、「川崎さん、スカートが裂けていますよ」と注意されました。あまりのことにおどろいて、「えっ」というと、「回して御覧なさい。後ろが裂けているのよ」と言われました。で、回転してみると確かに、後ろの縫い目のところが、裂けていました。

 最初に考えたことは、『え、スカートって、こんな弱点があるのだ』ということです。1997年に版画をはじめて外国へ行き始めてから、ずっと、おズボンでした。木綿にしろ、ウールにしろおズボン(または、今ではパンツという)は、作業を主体としているから、丈夫です。でも、最近、大アーチストになるのをあきらめたので、(笑)、おズボンだけでもない生活を我が家ではしています。特に猛暑続きなので、スカートの方が涼しいのを発見しましたし。

 このスカートは娘に、10年以上前にもらったもので、しかもタンスの肥やしにずっとしていたのですが、本年初めて着てみて、非常に着心地がいいことを発見しました。娘がマレーシアにいた時に買ったものらしくて、日本にはない薄いサテン状の絹でできているロングスカートですが、あまりに着心地がいいので、8センチほど裾を挙げて、ホームウエアとして使っていたのです。植木の手入れ、廊下のふき掃除も、一日おきか二日おきに、これを着て、やっていて、酷使していましたは。でも、日本製の衣服が裂けるなど、ありえないことなので、それは、それは、びっくりしました。

 娘が買ってから20年近くたっているので、天然繊維の絹が劣化したのだと思いますし、ホームウエアで銀座に出かけるというのもひどい油断ではありますが、不思議なことに、この特殊なベージュ色が、似あうようになった私が、上も麻でできている同じ色のタンクトップも着心地がいいし、『ともかく、着心地がいいのが一番よ』と選んで出かけたものでした。しかし、自分固有のものではないということが、こんな恥をかくこととなったわけです。自分で買ったものだったらどれほど劣化しているかの予測が付きますからね。

 しかし、若い時と違って、自分でも驚くほどの心の余裕があるのです。パニックには陥りません。で、「糸と針を貸していただけませんか?」と問い合わせると、あるとのことで、貸していただけました。しかし、応急用のものだったので、木綿糸で、しかも白いものしかないのです。それを、着たまま直すのですから、ひどい針跡です。一センチぐらいの針目が斜めにあっちこっちとんでいるという形で目立つことこの上ない処置です。しかし、何も恥ずかしくない雰囲気で有楽町から東京へまわり、横須賀線で一時間かけて鎌倉へ帰りました。

 私は画材はバンバン買います。だけど、洋服はあまり買いません。そして持っているものを、このように擦り切れるまで、着ます。どうしてかというと、絵や版画をやること自体が、金食い虫だし、ぜいたくなことなのです。それを自覚しているので、洋服は削ります。妹や娘にもらったりして、それを大事に着ます。スカートが裂けたのは恥ずかしいことですが、それほど、物を大切にしている自分は肯定できます。

 この時はまだ、ガタロさんの番組を見ていない時期でした。だが、その次の日に、その番組を見て、ガタロさんが、掃除用具をどれほど大切にしているかを、知りました。緑色のプラスチックの毛が生えている、デッキブラシがあります。それの毛が、一部は一センチ、一部は五ミリになるまでガタロさんは使います。普通の人は、毛先が、2センチぐらい減って、全体が、4センチぐらいの短さになったら捨てるらしいのです。だけど、ガタロさんは文字通りすり減るまで使って、さらにそれを絵に描きます。

 本当のことを言うとガタロさんの絵は肯定できません。それは嫉妬してそういうわけではなくて、私は色系統の作家だからです。ガタロさんは今のところ白黒の画面です。私の方は、色重視であり、色遣いが、センス豊かな自分の発想を見せられるところだからです。

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 ここで、次の日に挿入を入れます。もし、この部分をお読みになった方が、以下のようにおっしゃるといけないので。「あら、あなた、それを言うのは酷ですよ。だってガタロさんて、長い間貧乏だったのです。だから、色の付いた油絵の具は買えなかったでしょう」と。それは、十分にわかります。でも、上の一節は言いたいのです。頑固であることは、創作者としては大切なところでしょうし。で、元へ戻ります

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 だけど、ガタロさんの制作態度と、制作に向かう精神には、深い共感を抱きました。私はテレビ画面を遠い世界のことではなくて、

 自分自身の内面を、肯定してもらったような激しい喜びに打たれながら見つめました。

 私は今文章を書いていて、絵を描いていません。で、ガタロさんより絵描きとしては劣っています。でも、共通する一点があります。それは、現在の自分を肯定しているところです。『これで、いいのだ』という思い。絵を描いていなくても、これで、いいのだと、私は今思っています。

 しかもそれは、若い時からそうだったわけではなくて、ごく最近そう思い始めたことです。ガタロさんもそうでしょう。いろいろな悩みや迷いを経験したうえで、そうなっている。そこが共通しました。

 そして、目の前の状況に全身を打ち込む。その集中度の深さ。それも、自分が持っているものと共通しました。そして、愛情を抱くこと。私は裂けたスカートにも愛情を抱いているから、『ああ、ご苦労さん。あなたって、そんなに働いていくれていたんですね。娘も何回もあなたを履いたんでしょう』と、いとおしく思ったことでした。それは、ガタロさんが、毛が、一センチ以内になったデッキブラシを大切に思っている姿と、共通しました。

   なお、このブログの2010年より数え始めた、伸べ訪問回数は、1800056です。

2013年9月16日の夜から午前五時までに、初稿を書き、17日の午後2時から4時半までかけて推敲をする。

 雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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数億円分の土地が、ただで取得できる地籍変更届の仕組み(瀬島龍三+杉本元横須賀市副市長夫妻

2013-09-16 15:09:17 | 政治

副題1、『2013年9月15日のテレビ東京、アド街っく天国は、上大岡が、舞台でした』

副題2、『京急・池田分譲地そばには、横須賀市の水道山が、1980年まではあったのだが、今は無い。どうしてか?』

副題3、『地籍変更届とは、まことに便利な仕組みなのです。土地をただで、取得するためには』

副題4、『私がなぜ、不正に入手された土地の上に大マンションが建つのを、ただ、見逃して、阻止しなかったのか?』

副題5、『前田祝一氏の、あんたを刑事訴訟にかけるという恫喝など、あまりに幼稚で、笑ってしまう私だった』

副題6、『地境地主の実印をもらうだけで、可能な、何億円ただどりの、ぼろもうけでありますよ』

副題7、『私は、ちゃんと、当時の横須賀市の土木課長に、伝えてあるのに、そのときの土木課長だった杉本夫妻は無責任にも看過したのだった』

副題8、『杉本家の坊ちゃんの、その後を推察する・・・・・すでに落ち着いているでしょう』

副題9、『瀬島龍三の庇護の下に入ったからこそ、坊ちゃんは不良化して、また、そのうわさも、ひろく、拡散した』

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副題1、『2013年9月15日のテレビ東京、アド街っく天国は、上大岡が、舞台でした』

  ところで、ここで、発想は、上大岡に飛びます。それは、テレビ東京の番組が上大岡を取りあげたので、感じるところがあるからです。そして、それは、今書い ている文脈とも通じますから、そうさせてくださいませ。ところで、上大岡を、ご存じない方へ向けて簡単に説明しますと、横浜から10分程度京浜急行で、南へ下がった一帯で、 京浜急行随一の高級住宅街です。

 そして、上大岡は、再開発の成功例としても有名だそうです。市民(地権者)と、横浜市と、京浜急行の三者・社が、共同して、再開発に取り組んだそうです。山手線の外側、しかも横浜よりさらに遠いのに、一大センター(繁華街)化しています。

  その駅舎の上には、京急デパートがあって、それが、大評判で、お客が多いらしい。そのことは前から知っていましたが、・・・・・私には京急デパートにまつ わる、つらい思い出があるのでして、それこそ、諜略中の諜略として、行われたと思うので、それを今から語りたいのです。

 それを語る前に、 京急デパートってどの程度の格かを、お知らせをさせていただくと、広さは、やや狭いです。だが、上野の松坂屋、または、浅草の松坂屋などよりは、内装がき れいだし、ひょっとするとすでに最近閉店になった、銀座松坂屋よりも内装とか、テナントの配置が、きれいかもしれません。つまり、日本でそこにしか無い たった一軒の地方デパートと言うイメージよりははるかに、上等なのです。部分的には、新宿の伊勢丹を模している、または、擬しているといってもよいぐらい です。

 神奈川県民にとっては、横浜こそ、一大商業圏なので、そこで、お洋服などを選ぶ主婦は多いでしょう。が、上大岡より南に住んでいる人、などは、上大岡で、お買い物を済ませる人も多いらしいのです。バス網も発展しているから大ヒンターランドも抱えていますしね。

  アド街っく天国は、種々さまざまな意味で、私への脅かしやらいじめとしても使われています。鎌倉砂岩、が、鎌倉小町通り特集の、第二位に提示されて時な ど、我が家の外壁へ真夜中に石をぶつけられる話を書いた直後でした。その石が鎌倉砂岩だったのですよ。しかも、小町通りで、砂岩が目立つところなどありま せん。だから、脅かしだったわけです。今回の上大岡特集もそこに、国際基督教大学時代の同級生二人が住んでいるので、取り上げられた?などと、かんぐりま すが・・・・・

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 ここですが、読者様は何を言っているのだろうかと、怪訝にお思いになる一節 だと感じます。だが、私は時々、読者様を放り出して、ただ、神様に向けて書く事があるのです。神様に向けて書く事があれば、当然のこと、悪魔に向けて書く 事もあるのです。上大岡に住んでいる同級生とは、天使みたいな人です。ただ、天使を利用する悪魔もいるので、ここの記述はきっと悪魔さんたちには届いてい るでしょう。そして、そこまでわかっているのかと、震撼しているはずです。

 それは、確信していますので、ここが削除できないところです。

  それと、私が通っていたころの国際基督教大学には同級生・・・・特に男子は、・・・・1クラスに10人程度しかいなかったのです。大人になってからは、地 方に住んでいる人もいますので、神奈川県に住んでいる同級生としては、私以外は、この二人だけなので、とても、重要な人物として、緊急の際には、彼らが使 われることがあるのです。つまり、今書いていることを書き止めさせるために・・・・・つまり、おどろおどろしいことを書きなさんな。上大岡の友達たちが びっくりするよ・・・・・という意味で、上大岡が使われたと言うことです。で、挿入から元へ戻ります。

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 それは、さておき、別の意味で、つらい思い出のあるところです。

  その大評判になっている京急デパートですが、その企画は、最初は、5人ぐらいで、立ち上げていて、その5人の中に、私が、英語を、彼女が、小学生時代に、 教えたお嬢さんが含まれているのです。そのお嬢さんは、子供のころから、控えめではありますが、しっかりしていて把握が早いし、ポイントをつかむのが上手 でした。高卒で、京浜急行に入り、しかも、大プロジェクトをすぐにまかされて、しかも出来上がった京急デパートは非常に評判がいいそうです・・・・と聞け ば、ああ、それは、そうなるでしょうねと、うなずけるほどの、できのよいお嬢様なのです。

 誰に聞いたのでしたっけ? とも思いますが、うれしいうわさ話でした。

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副題2、『京急・池田分譲地そばには、横須賀市の水道山が、1980年まではあったのだが、今は無い。どうしてか?』

  昨日のテレビ東京の番組内では、餃子の王将が、全国のデパートでは初めて、この上大岡のデパートに進出したといっていました。餃子の王将に対しては、私自 身も以前は、『安かろう、まずかろう』では無いのかと、偏見を持っていたのですが、東神奈川駅西口にある店舗が広くてきれいで、しかも、付近のマンション に住んでいるらしい、シルヴァー世代が、夫婦で、たくさん、夕食を食べにきている光景を目にして、すっかり、認識を改めました。京急デパートが、餃子の王 将がのために、人気を落とすこともないでしょうし、その品格が下がったと言われることもないでしょう。

 それは元・私の英語塾の、生徒さんのためにも安心しています。

 ところが、その生徒さんとの間も、裂かれているのです。それが、どうしてかをここで、初めて書きましょう。それこそ、政治の中の政治の問題となってきます。

 私は京急北久里浜の東側の岡の上に、30年前には住んでいました。目の前、100mぐらいのところに、横須賀市の水道山がそびえていました。大島ざくら(山桜の一種)を中心にした、里山ですが、私が引っ越してきたころは、その水道山への、進入口は閉じられていました。

  後から考えると、それを閉じたのは、瀬島龍三的なもの、つまり、国際的軍産共同体の諜略行為の最初の目撃事項だったのです。だが、引っ越してきた直後の、 1974年から、6年間は、それをなんとも思わないで、過ごして来ていました。と言うのもCIAも、同じですが、この種の世界に住んでいる人たちは、すべ て、秘密裏に事を行い、それを庶民は見やぶぶることがないと、信じているらしいのです。

 水道山に庶民が入れないようにしておけば、その中で、秘密裏に行われていることがばれないと、信じているみたいです。そして、私のその庶民の一人として、その通行止めの奥で何が行われているかについて、想像することすらありませんでした。

  実は水道山の北側で、着々と公有地の私的・蚕食が進んでいたのです。高さ5mにもなる木造の塀を作って目隠しをして、その中にはシェパードを放し飼いにし て、人間が立ち入らないように諮って、山を開墾して行き、その開墾した部分を含めて、山全体を、ある個人のものとする計画が進んでいたのです。

  それが、可能になるためには、水道山全体を囲む丸い形の道路を作ってしまうのです。その道路を、横須賀市に寄付します。そして、その丸い道路の北側部分か ら、蚕食していった結果が、1200坪にもなってしまい、ほぼ、水道山全体を覆うほど、大きくなってしまったとしても、 それを自分のものとできるので す。驚くべき手法があるのでした。

 私がその壮大な詐欺に気がついたときには、その丸い道路は、まだ、できていなかったのですよ。辺りはただ、雑木の生えている急峻な山肌でした。ただ、図面上に書いてあるだけでした。

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副題3、『地籍変更届とは、まことに便利な仕組みなのです。土地をただで、取得するためには』

 その1200坪を、大建産業と言う名前の会社が、地籍変更届と言う仕組みを利用して、ただで、取得するのですが、その仕組みって、本当にものすごいものですから、皆様もお驚きになること必死でしょう。

 つまり、地籍変更届と言うのは、『自分が持っていた土地の面積が間違っておりました。正しいものへ公簿上変更したいのです』と言う届けを出すのですが、法務局の横須賀出張所は、書類の書き方は、審査しますが、現地へ行って実情を調査すると言うことは一切ないのです。

 で、大建産業は『現在、2.73平米(それは、一坪以下です)しか、登記簿上は持っていないのですが、実質は、4260平米持っていますので、面積の変更をお届けします』と言うのが地籍変更届なのです。

  どうして、その会社が、一坪以下の土地しか持っていないかというと、最初500坪程度の山林を買っています。それをどんどん、建売住宅を建てて、分譲して いって、登記簿上は、残っている部分が、そんなに、小さくなってしまっているのです。が、すべては用意周到であって、大建産業の実質的な社長夫妻が、住ん でいる家そのものも、すでに、横須賀市の所有地(水道山)に食い込んでいるので、一応、高い塀の内側にある、他人には見えない果樹園(それこそ、水道山全 体を搾取する実態だったのですが)、が、2.73平米から、4260平米に増えても、見かけ上は誰も気がつくまいと言う、大建産業側の意志があったので す。

 本日2013年9月15日にも、現場に行ってみたら、益山夫妻が住んでいた家は取り壊されていました。彼らの常套手段ですが、私が文章化することは常に、証拠物件を消していくと言う手段をとります。

  大建産業は、1980年当時は、五人ぐらいの社員を抱えている小さな同属会社に見えました。そして、実質的な社長は、益山某と言う元海軍参謀ですが、表向 きは奥さんの弟、仲野通巳吉という男性を立てています。だが、いつの間にやら、その土地の中に、4つの子会社として、伊藤忠何とかかんとかという会社が 入ってきて、その1200坪の一部を自分達のものとしたらしくて、そこの跡地に大マンションを4棟建てています。

 大建産業の社長、益山某氏は、元海軍参謀です。そして、瀬島龍三は、元陸軍参謀です。私は益山夫妻から、肉声で、瀬島龍三とは、親友だと聞いています。

 で、ただ取りした土地の半分がいつの間にやら伊藤忠何とかと言う会社に移譲をされていたのです。

 ともかく、ここ北久里浜の東側の岡の一部分500坪を山林として、最初に、益山夫妻が買ったときは、1960年代か、それ以前だったと思われるので、非常に安かったはずです。

 当時の大卒サラリーマンの月給が、1~5万円前後のはずで、500坪の山林を、10万円前後で、手にいれたはずです。それが、4000万円級、700戸のマンションへ、変化したのです。坊主、ぼろもうけに近いですね。すごい話です。

  これは、東工大を出たと言う測量士が、ルネ北久里浜(売り出し当時はソラヒルズと言う名前だったらしいが)を建築する直前に、私がどう動くつもりかを確か めたかったらしくて、長い電話をかけてきたのですが、そのときに言葉で、それを言っていました。私は登記簿で、それを確かめたわけではありません。大アー チストになるつもりだったので、ものすごく忙しくて、その件は、推察がつきましたが、ほうっておきました。

 その同じ電話内で、『杉本家(後で出てくる、横須賀市の副市長をやった人物のこと)の坊ちゃんが不良になったと言う話を聞いていますか?』と質問を受けたのです。

  一面識もない男性の測量士が、何でそんなことを聞いてくるのでしょうか? 私の頭はすばやく回転して、『は、ハーン。そこが連中・・・・(=今私に理不尽 な被害、総額五億円にも及ぶだろうと言うものをしかけてきている連中ですが)・・・・・のアキレス腱なのですね。だけど、それに触れたらメルマ ガ・・・・・(この電話がかかってきたのは、2005年ごろで、当時はブログはやっていなかった)・・・・・を閉鎖させてやろうと考えているわけでしょ う。だから、触れませんよ』と決意して、

 「ああ、知っていますよ」と彼には答えておきました。実はそこにはすんでいないのですから、本当なら、知らないはずです。ただ、その測量士の電話以前にすでに、そのことを、私は人からきかされて知っていました。

 常日頃言っているように噂話は大っ嫌いです。それに横須賀に遊びに行ったって、銀座でも、そうしているように、上品な話題ばかり出すようにして、しかも簡潔に話すようにしているから、どこそこのお子さんが不良になってどうのこうのなど、話しあうはずも無いのです。

 ところがね、電話で、それを聞いたことがあるのです。電話は用事のためにかけているのに、そういう話まで発展して聞かされてしまう。で、私は考え込みます。

  それほど、杉本家の坊ちゃんの不良振り(最後の方の3つの章で、その問題について詳しく触れます)が有名なのか? それとも、杉本夫人が、その今私が、電 話をかけている共通の友人に、頼んで、「それを川崎さんに、知らせてほしい」と頼んでいるから、その友人は、それを話すのか?

 ともかく、私は誰何されたわけです。どういう風に、これから先、動くつもりかを。そこに、大マンションを建てる前に、誰何されたわけです。当時は生きていた瀬島龍三の采配でしょう。

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副題4、『私がなぜ、不正に入手された土地の上に大マンションが建つのを、ただ、見逃して、阻止しなかったのか?』

  あのね、私は馬鹿ではないです。1980年に最初にこの事件に触れたときはびっくりしました。そして、自分の持っている(正式に高い値段を出して買ったも の)を守るための動きはしました。その防衛策が、関東法務局・横須賀出張所・全体を震撼させるほどの、頭のよい、そして、法的に隙のないものでした。

  だって、決してそれはばれないだろうと思っている詐欺事件を、私は三週間以内に、ちゃんと、だます手法全体を、わかってしまいましたしね。また、その複雑 な事件に対して、どういう風にしたら、自分を守れるか藻、わかってしまって、最上の方法を取って、自分を守りましたから。

 法務局の当時の 課長さんか、所長さんかのどちらであるかは知りませんが、ともかくとても偉い人(アフロヘアーの、まるで俳優みたいな、おしゃれな人だったが)が、広い部 屋の、全体を見渡す特別な形の、彼の机のそばに、私を招じ入れ、法務局にきているお客全員と、吏員の全員が、聞いている中で、諄々と諭して来ましたが、

 法務局にできることは、実態が何であれ、書類上整っていれば通すしかないということでした。

 ひどく悪辣なことが行われているとしても法務局の段階ではそれは、阻止できないのでした。

 ただ、私がひそかに満足したことが、一点は、ありますよ。・・・・・最初のころは入り口の、印紙売りのおばさんにまで、意地悪をされるという、軽い扱いだったのが、最後の方では、法務局全体を上げて、尊敬してもらう様に、なったという点です。は、は、は。

 礼儀作法上だけでは、扱い方が改善され、正しくなったというわけです。 

  私はそれは、わかりましたと答えました。そして、瀬島龍三一派は、私の実印をもらわない方法を編み出して、当初どおり、計画を遂行して、土地はただどりを したのでした。どういう仕組みかというと、我が家の周辺を30センチ程度、帯状に、横須賀市に寄付したそうです。それで、我が家の実印をもらわないでも書 類が整ったということになったそうです。

 法律とは不正を正すものですが、それでも、私ができるのは、自分を守る部分だけで、それ以上は 突っ込まない方がいいし、突っ込めないのだと、えらい弁護士さんから、聞いていましたので、そのときも彼らの土地不正のことは、看過しましたが、今回も感 化することにしたのです。

 そういう風に不正にでも手に入れた土地であろうとも、書類上は完璧に、彼らの持ち物になってしまっているのですから、こちらには、どうしようもないわけです。

  それは、わきまえていますから、彼らがマンションを建てようと何をしようと、そんな部分を阻止できるはずもないです。ただ、彼らの方は、私のことを、目撃 者として怖がっていて、心理的にも肉体的にも、暗殺していくために、種々さまざまな方法で、脅かし続けてノイローゼにさせようとしていますので、その部分 については、激しく戦っている最中なのです。

 そういうわけで、この章は、京急デパートの企画をした元生徒さんとの、縁を切られたことを、ここで大問題としているわけですが、それを説明するためには、この土地の不正取得を語らないといけないわけです。

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副題5、『前田祝一氏の、あんたを刑事訴訟にかけるという恫喝など、あまりに幼稚で、笑ってしまう私だった』

  こういう大物相手に戦ってきた身から見ると、この鎌倉雪ノ下のご近所の住人の法律知識など、驚くほど少ないです。石川和子さんの現在の夫、柳沢昇が、私が 猫を探しに行ったら、それ以前なら自由に入れた、鎌倉春秋窯の、作業所に入れないのです。入り口に突っ立っていて、「住居侵入で訴える」と大声で叫ぶから です。以前は自由に入れたのですよ。だけど、その日は、道徳的に自分に日があると、柳沢昇が、自覚を深くしていたからこそ、大声で、脅かしてきたわけでし た。この猫の騒動は、すでに煮詰まりきっていて、石川和子さん側で、猫を家に入れてはいけない時期に入っていたのです。それなのに、入れていたので、猫が 鎌倉春秋窯ないで、見つかってしまうと、私に、何を書かれるかが、わからないので、恐怖心いっぱいだったと見えます。

 何を書かれるかと、 恐怖心を持ったという点ですが、私が、彼ら(=自分達)のだらしなさとか不道徳さです。それを、これから、書かれるということは、推察はできるみたいで す。だから、もし、猫がそちら(=鎌倉春秋窯の中で見つかったら、こちらに正当性があって。それこそ、筆法鋭く、彼らの弱点を書き連ねたでしょうから。

  それを阻止するために、私が猫の近くで、彼女を呼んで、それに連れて、外へ、出てきたら困るからでした。ところが、実際には、彼の大声に驚いて、私の猫は 外へ出てきて、私と、「一緒に帰ろう」と呼びかけたのです。それが、自分たちの思惑やら予想とは、まるで、かけ離れた結果だったので、それに、パニックを 起こして、警官を呼んで、「あそこのご主人に、あそこの奥さんをしかってもらう様に頼んでください」と、頼んだのでした。

 私は、柳沢昇の 恫喝用、大声を聞きながら、・・・・・私の猫を、私が探す事ぐらいで、住居侵入という、法律用語を使うのなら、あなた方夫婦のやっていることなど、それこ そ、窃盗に当たりますよ。それも、何百回と繰り返す窃盗です。私がインテリで、上品に構えているカら済んでいるものの、あなた方は、窃盗を、何百回と繰り 返したと、これから将来ずっと、宣伝され続けてもおかしくないことを今やっている夫婦なのですよ・・・・・と、内心であざ笑っていました。

  それなのに、さらに輪をかけて馬鹿なことをして警官を呼び、またその警官が、交通事故の調書を取るなどといって、脅かすから、馬鹿の三重唱となるわけで す。でも、こちらは、天の采配が済んでいます。彼女が天に召されていますからね。だから、本日はこの程度で済ませて先へ進みます。

 だけど、前田祝一・清子夫妻の、恫喝は、レベルとして、とんでもなさがより深いので、軽くは済ませられません。より悪辣であり、愛嬌の片鱗も感じられません。書いていながらもユーモアの入り込む余地もないほどの悪辣さです。

  こちらは土地の不正使用が、前田家側に先にあるのです。そして、そこが原因で我が家の土地が実質的に盗まれているのに、そっち側が刑事告訴をするですっ て。盗人猛々しいも、この上ないということです。泥棒さんの方が被害者の方を訴えるんですって。何だろう。この逆転現象は、こんな恥ずかしい話はきいたこ ともないですが・・・・・

 清子夫人は静岡大学の法学部出身だそうですが、国税を使って、法律の根幹も学んでいないと見えます。

  瀬島龍三と、横須賀市と、法務局を相手に戦った経験を持ち、しかも勝った経験を持つ私から見れば、赤子のごとく幼稚な集団です。だけど、これも天の采配が 済んでいます。鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたのは前田清子夫人を、推薦なさって、國學院大學の講師にしたからでしょう。そして、その清子夫人が最近、さらに 悪辣なことを繰り返しやってきているからだと思います。

 ともかく、私は瀬島龍三にどんなに、カマをかけられても、その大マンション・・・・・売り出しの名前がソラヒルズで、現在の名前が、ルネ北久里浜・・・・・の建設をストップさせることなどはいたしませんでした。

  それは、弱いというよりも、常識がどういうところにあるかを考えたり、法律の根幹を考えたりしたからです。こちらに、被害がある部分は戦えるけれど、ルネ 北久里浜の大マンション群が、昔住んでいた、我が家の日当たりを悪くしている、わけでもないので、その建設を阻止することはできません。

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副題6、『地境地主の実印をもらうだけで、可能な、何億円ただどりの、ぼろもうけでありますよ』

 だけど、現在別のところで、別の問題で、五億に喃喃とする被害があります。で、る根北久里浜に対して、告訴などはいたしませんが、そのマンションの建設にいたる物語は語らせてくださいませ。

  最初に500坪買ったのは確かです。その土地は、山林だったので、ただみたいなものだったはずです。しかしそれが、確実に値上がりするのを。益山氏は、 知っていて買ったと推察されます。その近辺で、500坪の、数百倍の広い山林を京浜急行が、買っていて、大分譲地を開いたのです。京急池田分譲地と言いま す。1960年代に開いたのです。

 または、旧帝国海軍の参謀二人組みですから、この山全体が、旧軍にとって、重要な、地域であったことを知っていて、それを、京急側に売り込んだのかもしれません。すると、その根本から、先段で言っている地籍変更届を利用する詐欺事件は始まっていたのかもしれないのです。

  そして、道路の開発を京急にやらせ、そのお余りを利用して、その道路を使って、さらに奥地を開発して行った小規模分譲地が、益山さんの売り出した物件で あって、私も間に、神奈川住宅生協と言う別の会社が入っているものの、実際には益山さんの土地を手に入れて家を建てたのでした。

 複雑怪 奇、奇奇怪怪ですが、ともかく、私が、その壮大な詐欺計画に組み込まれたのは、引っ越してきてから6年後の、1980年が最初でした。その山は、ひょうた ん型になっていて、南側に、小さめの上のひょうたん(今はマンション群だが昔は水道山だった)が在り、北側の京急池田分譲地と言う大型の下のひょうたんが あるという形です。

 で、山の斜面が急峻なので、山すそに住んでいる人と岡の上に住んでいる人はほとんど、交流はありません。でも、山すそに住んでいる人、全部に地境地主の実印をもらうとすると、何十軒となり、そういう行動には、落とし穴も存在しているはずだと、益山氏は考えた模様です。

 もちろん、そのとおりです。益山氏は、実際には、彼の家と水平レベルで、同一地帯にある、自分が売ったあいて、11軒だけから、実印をもらうことと事前の計画として、練っていました。

 が、そのうちの一軒である、私が、この書類って変だわと、気がついたわけですし、数十軒にもこれが、わたれば、それこそ、気がついた人は何人も出てきて、週刊誌が取り上げるほどの大事件に発展をしていったでしょう。

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  ここで、初稿では、簡単に書きすぎていますが、私も、最初はころっとだまされた方です。益山夫人って後妻なのです。先妻は、米軍の将校と駆け落ちしてし まったそうです。後妻だからご主人より、30ぐらい若いのですが、誠実にご主人を愛していましたね。原節子みたいな、美女で、しかも、戦時中に都立大学 (現首都大学)の建築科を出たインテリです。私は敬愛していて、なついていました。

 特に白いセドリックツードアハードトップの窓を開け て、シェパードが窓から外をのぞいていました。その車の中には、必ず、横浜・元街、または、鎌倉ユニオンの紙の買い物袋が入っていて、北久里浜界隈ではお 買い物はいたしませんというそぶりも見えていました。ともかく、一頭地を抜いて格好がよかったです。今、ユニオンは、京急に買収されてしまって、格が落ち ていますが、30年前の昔は、輸入食品が中心の高級店のイメージがありました。 

 で、家に、あがってお茶もいただいているし、幼稚園の PTA会長をしている時分にはバザーに出す商品として、手芸用キット(売値が、1500円程度のモノ)を、20個ぐらい、ただで、いただいています。しか し、そんな上品な奥様が、ばれたと知ったら、私を車でひき殺そうとするのですから、怖いです。実子がないから、他人でも命は尊ぶとか、ぎりぎりのところに 追い込まれても、道徳は守るという節度がないです。恐ろしい変身でした。

 そんなに、あの夫婦を、信じていたのに、『あれ、だまされている のだわ』と気がついたのは、母の忠告があったからです。我が家の60坪の土地のうち、半分の30坪は母に買ってもらっていました。で、実印は、この際は、 母に押してもらわないといけなかったのです。そのお願いをする私に、母が、「私道を、横須賀市に、寄付する(それが、益山さんが、設定した嘘だった)の に、実印が必要などとは変よ」といったので、詐欺の詳細と、全体像に気がつくようになります。

 推敲中にここまで、詳しい話をすることとなりました。で、元へ戻ります。詐欺事件の、最も、重要な鍵に入っていきます。

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 で、これが詐欺事件であることに、他人から、気が付かれてしまうのを避けるために、水道山をすっぽりと囲む形で、実際には無い道路が通っているかのごとき、書類を作り、その道路を横須賀市に寄付をしたことにして、山すその地主との交渉を、一切ネグレクトしたのでした。

  初めてこの話を聞く方は複雑すぎて、何がなにやらわからないかと思いますが、後で、昔のブログを見つけてリンク先でもあげましょう。すでに、何回もこれを 書いていますが、この部分以外の文章がありますから、それを、再度、ここに引っ付ければさらに意味が通りやすくなると思います。

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副題7、『私は、ちゃんと、当時の横須賀市の土木課長に、伝えてあるのに、そのときの土木課長だった杉本夫妻は無責任にも看過したのだった』

 当時の私は、益山夫人に車でひき殺そうに成ったりして、本当に大変であって、『これは、大問題だわ』と思い、幼稚園時代から、PTA役員同士として仲良くしていた杉本夫人には、電話で告げました。

 彼女と、私との仲ですが、相当に親しかったといってよいと思います。何十時間も一緒のときを過ごしています。で、彼女のお惚気まで聞かされました。彼女は横浜の高島屋の靴売り場で勤務していたころに、買い物に来た杉本氏とであって、結婚にまでいたったそうです。

 どこか、夏目雅子に似ています。

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 夏目雅子は、若くして白血病で亡くなったので、大変高い人気があります。だから、夏目雅子に似ているのなら、きっといい人でしょうと、おっしゃる方も多いでしょう。だが、杉本婦人の場合は、その構造は似ているのですが、その上に、歌舞伎の隈取で、グレイの色をかけたように、あくどさが、にじみ出ているのです。ただし、彼女が、この人を大切にしたほうが自分が得をすると、と考えた相手には、下手に出るでしょうから、彼女のあくどさをわかっているのは、私ぐらいかもしれません。で、挿入から元へ戻ります。

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 ただね。杉本夫人には、強者の側にすぐつく、というところはあって、誠実さは、意外にもないのです。そして、それは、この事件が起きる前から、私は、知っていました。

 この水道山と言う公的な横須賀市の財産が、個人のものになってしまうのです。大問題でしょう。ところが、杉本氏が看過したのか、当時の横須賀市長・横山某氏が、瀬島龍三に動かされていたのか、どちらかはわかりませんが、

・・・・・または、瀬島龍三は、自治省あたりを動かしたのかもしれませんが・・・・・

まったく何もせず、・・・・・感化しました。・・・・・と見えますね。だって、今水道山はないですもの。

 そして、その結果、杉本氏は、横須賀市の副市長まで出世するし、1980年代に、すでに、豪邸を建てて、引っ越していくという形で、優遇をされています。

  特にその豪邸は、3000坪ぐらい、の、ほかの家が何もない、空き地に囲まれているので、『実質的には、3000坪もらったみたいなものだけれどなあ』と、 二年前に、書いたとたんに、空き地に、高い木が植え込まれました。苗ではなくて成木が、植え込まれました。私の文章を否定するためなら、いくらお金をかけてもいいらしいです。一体どこの誰が、あの植栽をしたのだろう。それで、杉本家が、実際には、広い敷地を支配していることが、目立たないように変化していました。すごい話です。

 ただ、問題は、ここで、副題2へ帰ります。京急デパートの企画に携わった昔の生徒さんから、あるとき、『とても懐かしい』と書いてある、メールをもらっているのですが、その後で、関係が切れているのです。

 それを誰が手配したのかと言えば、間に誰が入っていたとしても、源泉が杉本夫人である可能性は強いのです、

 それも、五億円の被害に当たります。

 そして、警察官が、変装して脅かして来たり、同じく警察が、泥棒に入ったりするのも、瀬島龍三が、警察庁に入れ知恵をした結果ではなかろうかと推理しています。

  で、激しく怒っています。だって、最初に、泥棒をしているのは、瀬島龍三と、彼の親友だと言う益山某氏ですよ。無論のことたびたび言っているように、書類上は整っています。だけど、横須賀市が、その年に議会に諮って、そこを売って、どれだけの収入を得ましたか? 記録は無いはずです。

 、警察って、泥棒を取り締まる方でしょう。それが、反対なのですから、驚天動地の出来事です。だけど、間にいろいろな人間が挟まると、糸電話の仕組みではないが、とんでもない変更が、加えられる、正邪が逆転すると言う典型と、このケースは、成ります。

 で、私はずっと、それを、追いかけているのです。瀬島竜三が、どういう風にして、私を弾圧しているかを追いかけているのです。

 石川和子さんの傲慢も、彼女が元愛人として、密着し切っている、伊藤玄二郎が、瀬島龍三に、リクルートをされたからであると、みなしています。伊藤玄二郎は、私を弾圧する・・・・・くの一役を担い、かつ、私のご近所に住んでいる・・・・石川和子さんと、元愛人だったからこそ、エージェント化されたと、考えると、ひどく、わかりやすい構造になりますしね。

 で、その流れをずっと追求しているのです。別に幽霊が、私を苦しめているわけではありません。人間がやっているのです。で、要所、要所に、現れた人間の行為を記録するのに意味があるわけです。

  私を小さいころから慕ってくれて、そして、大人になったら、すこぶる優秀な人として認められている元生徒さんとの交流が切れている。それは、なぜか? 誰が間に立っているのか? そういうことも、私側では、丁寧に追求しておかないといけないのです。その奥に大事件が隠されているのですが、そちらを追求することはできないけれど、事、私に関する部分は追求できます。

 なお、そういう風に被害が重なっていて、それが、総額五億円にも達していると思うので、その源泉が誰かを知りたいのですが、瀬島龍三は、パーセンテージとしては、もっとも大きな部分を占めている源泉者です。

 ところが彼は、一応死んだことになっています。これが、ご近所住まいではないので、確認のしようが無いし、かつ、彼が生きて地下潜行しているとしても、94歳なので、ここまで微妙な手配を案出できるかどうかが疑問です。

 で、彼が、本当に死んでいるとしたら、後継者は誰なんだろう?

 それも追求しないといけない大問題です。

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副題8、『杉本家の坊ちゃんの、その後を推察する・・・・・すでに落ち着いているでしょう』

 杉本家の坊ちゃんが、不良になったという話を聞いたのは、10年も前の話です。しかもそのときにすでに30だったから、今では、40才を超えています。となると、落ち着いたはずです。「40を超えても、まだ不良をやっています」なんて聞いたこともありませんし。

 特に私が、2012年からこの件を書き始めています。で、敵さんたちは、私の文章に書いてあることは、ことごとく、否定してきますから、後日は、反対になっているはずです。

  不良だと書いたから、不良ではない、お坊ちゃまが目の前に現れるはずです。ただ、不思議なことに、噂話としては、いまだに、それが入ってきていません。が、その理由はルネ北久里浜が建ってしまったからでしょう。その後なら、何を突っ込まれても、平気さということなのでしょうね。または、この不良化の件を書いた ら、それで、ブログを閉鎖させてやろうとして、わざと、すでに、不良ではなくて落ち着いているといううわさが、私に入ってこないのだったりし て・・・・・・

 ともかく、藤本家の坊ちゃんが不良として、その近辺で、有名だったのは、2004年までです。東京の郊外では、元農家で、 宅地を売って、大金持ちになった家の、こどもが、不良になるのはよくある話です。藤本家は、公務員として、サラリーマンですが、普通の給料以上の収入は あったでしょうね。だけど、親がしっかりして、かつ愛情が深かったら、子供は、何とかなります。不良化はしません。

 ただ、私の知る限り、普通以上に、計算高い藤本夫人が、ご自分 のお子さんへ対する愛情の質として、いわゆる、無償の愛のレベルまで、ご自分を、まだ、高めていなかったとしたら、問題は、根、深くなります。

 でも、敵さんたちが、どこかの優良企業に押し込んで、ちやほやしきって、親の代わりに育てなおしたはずです。で、今では、立派な紳士として生きていて、結婚もすでにしていて、お孫さんもできたはずです。

 杉本夫妻は、『死ぬ前に後顧の憂いがなくなった。よかったね』と夫婦で納得あうところに達しておられるでしょう。

 普通の人間なら、それだけでも感謝しないといけません。だけど、奥様の方は、裏に回って、ばれないと信じて、あれこれを、私に対して、妨害を、いまだにおやりになっている気配があります。が、それは、神をも恐れぬ下品さというものです。はっきり言って、横須賀市の副市長夫人の器ではない。それとも、横須賀市そのものが、ああいう奥さんを持っている男性が副市長を担うことができるほど、低劣極まりない都市なのか?

 ところで、どうして、坊ちゃんが、不良化したかですが、高校でいじめられたのが原因かもしれません。小さいときは、目がくりっとしている、かわいい坊ちゃんでした。

  あまりにかわいくて、女々しく見える部分もある坊ちゃんでした。だから、いじめられた可能性はあります。特に親が、しゃしゃり出る形で、中学校のPTA で、三役などすると、必ず、内申書に下駄を履かせてもらえます。私は、子供が中学校ころはすでに、彼女には無視されていましたので、彼女の中学校におけるPTAについては、何も知らないのです。

 が、親の学校への貢献度とか、父親の市での実力とかで、実力以上の高校に入れるのもありですが、いい高校に入ると、そこで、周りとあわないということがおきます。成績が上がらない ということがおきます。本人もレベルが違うのがわかっているし、周りもそれが、わかっています。で、努力しても追いつかないという気分になって、いじめら れなくても不登校になったりします。

 特に親が、市という誰もが知る場所で、偉い立場になっていたりすると、それも子供を追い詰めます。中学校の先生は、市役所の吏員から見れば、支所の使用人でもありますから、部長、局長は、先生より威張っているでしょう。杉本氏が、お子さんがいつの時点で、副市長になったかは知りませんが、お子さんが、中学生の時期だったとしたら、好事魔が多しの典型となったのもうなずけます。

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副題9、『瀬島龍三の庇護の下に入ったからこそ、坊ちゃんは不良化して、また、そのうわさも、ひろく、拡散した』

 杉本夫人の中学時代の活動は、相手側から、切ってきたので、私は知りません。ただ、坊ちゃんが、不良化したとき、それを、ご近所様(といっても、500戸近くあるのだけれど)は、鬼の首でも取ったように喜んだと思います。

 だから、うわさが拡散しました。どうして、みんなが喜んだかというと、『あの家はどうして、あれほど、急にお金持ちになったの?』と不思議に思っていたからでしょう。

  ここに瀬島龍三特有の策が関与しています。彼は、ある人物を抹殺したいと思ったときに、その友人を出世させます。その上で、二人の仲を切り裂きます。出世 しない方を捨てるように、恩顧を与えた方に、命令するのです。だから、敷地50坪で、建坪25坪ぐらいの前の家のすぐ近所に、敷地100坪強かな? そして、建物は宮大工が建てた入母屋作りの、豪邸で、建坪、50坪程度の、本格的、数寄屋造りを建てさせました。業者の紹介やら、建築費の値引きなど、いろいろな援助があったで しょう。

 それは、私の目に見える場所でないと、いじめるための、効果が薄いので、すぐ近所に新築をさせたというわけです。

 ただ、それは、私にはわかっていますが、同じ京急池田分譲地内に住んでいる人の、私以外の人の、『不思議だなあ』という感覚を呼び覚ますわけです。そして皆さんが、内心で、『きっと賄賂などもらっているのよ』と思っていたでしょう。

 彼が賄賂をもらっていたのか、どうかは知りません。だけど、公務員なのに、仕事をしないことで、過剰な報酬を得るという仕組みには、笑ってしまうし、『やはりそれは、悪魔の世界の出来事ですね』とは思います。普通の感覚とは反対ですからね。

 ミスター杉本は温和な人物で、事を構えるような人ではないのですが、奥様は、ややあくどいです。それは、ほかの人にもすぐわかる部分であり、内心で嫌っている人は多かったと思いますよ。だからこそ、燎原の火のように、悪いうわさが広まったのでしょう。

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 これは、どんどん、さらに発展をしていきますし、写真やリンクもそろえないと行きませんが、本日の作業は、ここで、留めとさせてくださいませ。

  2013年9月15日の午前中に初稿を書き、夜、推敲加筆をする。さらに次の日に、二回目の推敲を果たす。なお、このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、796845

です。                           雨宮舜 ( 本名、川崎 千恵子)

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都立大山病院は、老人対策が進んでいる。

2013-09-15 08:42:46 | 政治

 

副題1、『都立大山病院は、工夫がいっぱいです』

 

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副題1、『都立大山病院は、工夫がいっぱいです』

 昨日の文章は、荻野アンナさんから始めています。どうしてそうしたかと言うと、都立・大山病院に触れたかったからです。これは、大病院としては、後発の方で、いろいろな工夫がなされています。荻野さんは、その固有名詞を出して居られませんが、父君をまず、ここに入院させ、家族として通院されました。

 若いころって、誰でも大変です。彼女は特に慶応大学のスタッフですから・・・・・今は教授のはずですが、私と長電話を交わしたころは昔の言葉で言う助手だったはずで、・・・・・それは、文学部としても勤務時間の束縛が長いはずで、・・・・・かつ、何事も一生懸命取り組むタイプだからなおのこと大変だったでしょう。

 私ね。そういう事情を思い出すとともに、自分もそうだったなあ。嵐のような若い時期だったと思い出して、懐かしいのですが、ここで、焦点をあわせたい項目は都立大山病院のことなのです。病院として後発だからこそ、ロビーで音楽会を催したりする、新しい試みも活発ですが、何よりも、重点を置いてあるのが、老人対策というか、老人がかかりやすい病気への取り組みで、そこが、真剣だと言うことです。

 これからは、小子化社会で、老人の比率が、増えるのですから、それは、正しい方向でしょう。

 横浜山手の住民である江見絹子・荻野アンナの母娘が、紹介があって、都立大山病院へ、父君を入院させて、それと、同時に母君が横浜で、入院と言うか通院となって、アンナさんが時間的に苦労をするのですが、私の実家も横浜にあるのに、この近辺にある老人ホームに母を預けたのも、都立大山病院があるからでもありました。

 我が家の場合は、常盤台にある私立の中級病院にもコネがあって、大中二つの病院へ母を入院させることができるので、常盤台にある老人ホームに母を預けたのです。大山病院は駅から歩いて、五分もかかりませんが、私の母が入居していた老人ホームは、駅から20分ぐらい離れているので、相当な苦労でした。しかも、その道すがら、種々さまざまな諜略行為が行われ苦労をしました。そのこともいつか、再び整理して、かつ、深めて書かないといけませんね。

 特に野口屋という・・・・・チャルメラで、お客を呼ぶ、豆腐屋は、完璧に警察官の偽装だと思っています。今は、私が常盤台へ行かないので、営業をしていないはずです。この豆腐やは、東上線・常盤台と、銀座一丁目あたり、新富町あたりに出没した不思議な豆腐屋です。

 呼び止めて話を聞いたことが二回ほどあるのですが、『こんなイケメンがどうして、屋台の引き売りなどしているの?』と不思議なぐらい頭もよさそうで、背も高い青年でした。むろん、彼の方は、事前に、嘘を言うようにしつけられているわけでしょうから、「本当の豆腐屋ですよ」と否定をしてきても、『ふん、ふん、そうですか、でも、それは、嘘でしょうねー』と、私の方は、内心で笑っているだけでしたけれどね。

 母を見舞うたびに脅かされるなんて、人権侵害もはなはだしいことですから怒っていますし、それも、常日頃言っている五億円の被害の中に含まれます。それが、時期的に見ると、ご近所の石川和子さんの猫に関する特別ひどいわがままから発生していると思われるので、深い怒りをもっています。飛んでもない話なのです。

 昨日までこのブログのトップに出ていた、前報にも石川和子さんの件と警察の関連が、含まれていますが、タイトルから、『文学の話ですね』と、誤解をなさって、読まなかった方もいらっしゃるでしょうか? そうすると、そこには、とても深い政治的な話に入っているのを、お見逃しになっているわけですが・・・・・・(苦笑)・・・・・それこそ、私固有の書き方なのです。さりげなく、重要なことを含ませてある・・・・・それが、特徴です。

 そういう工夫と苦労の積み重ねを、経て、14年後の今は、相当に深いことを書けるようになっております。

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  2013年9月15日の午前中に初稿を書き、夜、推敲加筆をする。

                            雨宮舜 ( 本名、川崎 千恵子)

  このブログの、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1796845です。

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荻野アンナさんのかわいい電話+安西篤子さんの親切なはがき・・・△

2013-09-12 06:40:11 | 政治

 今は、14日(土)の午後二時です。昨日初稿としてアップしたこの文章を推敲(プラス加筆)を終わりました。 で、恒例の△印をタイトル横につけておきます。ただ、明日もう一回、推敲する可能性があります。リンク先や写真を用意して、貼り付けないといけませんので。

 なお、この一文には、芸術家が、多数登場しますが、無論のこと、主題は政治です。文化が重要な手段の一つとして、政治支配の現場で利用されていることの報告でもありますから。と言う添え文を二日目の土曜日に添えて、原文へ入ります。

この文章は前々報 

宮崎明子・・・石塚雅彦・・・小池玲子・・・ゴッホー中篇△△  2013-09-09 23:53:17 | 政治

の続きです。

 その前々報で、何を書いたかを簡単にまとめましょう。その目的のために、副題を羅列しておきます。

副題15、『今の日本では、年齢による上下関係は通用しない』
副題16、『肩で風を切る生き方とは、別の姿勢の、宮崎明子さん』
副題17、『私の友人や知人を、私と仲たがいをさせ、引っ剥がしていくシステムが横行しているが、その最初の例が、宮崎明子さんで、あっただろう』
副題18、『元博報堂重役の小池玲子さんも、敵方にリクルートをされてしまっている?』
副題19、『宮崎明子さんを、私から離れるように説得したのは、石塚雅彦さんですか?』 
副題20、『ゴッホの新作が、発見をされました』

 で、今回は、副題21から始まります。

副題21、『荻野あんなさんと、電話を交わしたのは、1987~9年の間だったはず』

副題22、『安西篤子さんのことは、小町通りで、何百回とお見かけしたものだ』

副題23、『フェイスブックで、時間というマトリックスを使って、私の発表を技術的に妨害をして来た人が、4人いるのだが、ここで、その事実をはじめて語ろう』

副題24、『安西篤子さんは、自宅の電話番号も、教えてくださったが』

副題25、『チャンスは前髪をつかめと、言われているが』

 副題26、『安西篤子さんのはがきは盗まれ、安西さんは、神奈川県立文学館の館長になった。そして、私の父や母の写真も盗まれた』

副題27、『ここで、横浜正金銀行というキーワードに目が留まる・・・・・モボ・モガの象徴として』

副題28、『泥棒って、もしかしたら、警察も含んでいますか?』

副題29、『柳沢昇は、鎌倉春秋窯のホーム頁で、自分の名前をさらしています』

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副題21、『荻野あんなさんと、電話を交わしたのは、1987~9年の間だったはず』

 私は、今頭の中に降りていることを書く事にしています。それを、『神様が私の手を使って書かせてくださる』と、いつも言っているのですが、本日書く事・・・・・すなわち、世に出ると言うことが何なのか?・・・・とか・・・・・そのためにはメディアを利用しないとだめなのだ・・・・と言うポインとについて書いていくのですが、それもその種の神様が書かせてくださる話です。ただ、その種の文章に固有の書き方となるので、どんどん、どんどん、横道には、それるでしょう。そのため、ツィッター方式で書き、タイトルがどんどん移動していく可能性もあります。それは最初にお断りをさせてくださいませ。

 そして、それが、主題ともいえないのですが、最初には荻野アンナさんが登場します。

 私が横浜の山手在住の大物画家・江見絹子さんに電話をかけたのは、1987~1989年の間であった思いますが、出たのはお嬢様でした。それが、後日、東電のコマーシャルで、毎週週刊文春の頁をにぎわわす荻野アンナさんですが、そのころはまだ、芥川賞の受賞前で、彼女はマスコミには登場しておらず、私は顔や、体形を知りませんでした。

 ただ、その声から察して、てっきり阿川佐和子さんのようなイメージを思い浮かべました。小柄でとってもかわいい人。実際にはギリシャ彫刻を思わせる大型の美人でしたけれどね。

 と言うのも、話し方全体が、かわいいこと、かわいいこと、きわまりが無いからでした。

 彼女は小説で、画家である母親との確執をたくさん書いていますが、心理学的な分野はそうであっても、ほかの側面から見れば、横浜山手育ち、フェリス女学院から慶応に進み、パリへ留学した・・・・・極端に恵まれた女性の一人で、お嬢様気質そのものの人でした。

 つまり、無防備そのものなのです。ただし、私がたらしこんで、聞きだしたなどとは思わないでくださいね。

 どうして、彼女があれほど、打ち解けてくれたかと言うと、私もまた、お嬢様気質そのものの人で、直感的にそれが、彼女にはわかるのでしょう。それに、私もまた、信頼する人間の間では、かわいいヒトで通っているのです。そして、声がすこぶるかわいい。そういうところが共感の源泉だったと思いますよ。で、同じような気質なのに、私の方は結婚をすでにしていて、子供を二人も育てていて特権の無い人として、地域社会やPTAでもまれているので、こちらの方がより経験値が高いわけです。それが荻野さんにわかるのか、彼女は甘えてきて、立て板に水というように、ご自分のことを話すのです。

 そして、特に共感をしたのが、画家の家のものの多さと、それが、ほかの人から見れば、極端に散らかっていると見え、一種のごみ屋敷風にまで見えるので、母である画家絹子さんが、入院したりして、その間、忙しいアンナさんが、お手伝いさんを雇いたくても、まず、片づけをお手伝いさんではなくて、アンナさんが、やらないと、雇うことすらできないと言う話なのです。

 上の文章の中で、一種のごみ屋敷と言うのは、私が入れた言葉であって、アンナさんと、私の間では、画家そのものとは、他人ではないので、その散らかりようも愛の対象ではありますが、それでも、それが、どんなに大変なことかは、ほかの分野の人にはわからないでしょう。それを表現したくて使った言葉です。、私だって、アトリエ用の、全体で、24畳もあるマンションを返却した2005年ごろから、10年間も、ずっと、この鎌倉の自宅で、片づけを続けている始末ですから。

 こちらは、「江見先生いらっしゃいますか?」と、聞いただけなのに、お母さんと、お父さんの両方が病気で、それで、ご自分がどんなに大変なのかと言うことを、お話になるのです。それが、小鳥がさえずるように息せき切って、です。

 お嬢様育ちの人は電話代など、顧慮しません。私もすぐ、1時間とか、2時間に達してしまいますが、このときは珍しく、アンナさんが、ほとんどの時間帯をしゃべりました。それは、現在では、各種の出版物、特に岩波書店から出ているハードカバーの小説集として、結実している内容です。

 でもね。どうして、突然に、ここで、アンナさんを思い出したかというと、私に関係する人、特に親しくしている雰囲気が両者の間に見られるときは、その相手は、敵さんが、必ず、出世させるのです。荻野アンナさんが芥川賞を取ったのも、この電話の三年後か、四年後でしたね。

 彼女より、もっと、身近な例で、すでに、大量に見つけてありますが、そちらを書くと身近なだけに大きな語弊が起きるので、遠い、遠い人である、荻野アンナさんをここで取り上げて置きましょう。

 で、この長電話の後で、荻野アンナさんは、どんどんマスコミ的に、重用されるようになり、とうとう、東電のコマーシャルに、起用される様にまで、なりました。それは、かえって彼女にとっては、マイナスでしたが、・・・・・私にしてみれば、そういうことだったのかと、敵さんたちの行動パターンを読んでいくことに役立ったのです。と言うのも3.11直後に見事にそれが、わかったのですが、東電ほど、国際的軍産共同体の息のかかっている会社は無いですから。直列的に支配をされている会社だからです。

 もし、今、荻野さんに、電話をかけたとしても、・・・・・荻野さんは山手のご両親の家は出ているはずですが・・・・・もし、彼女自身の自宅の電話番号が手に入ったとしても、・・・・・絶対にあの日の、楽しい弾むような話し方は、再現されないと思います。

 私からの電話は、知らない間に、番号非通知(ヒツウチ)になっているみたいで、相手に警戒されますし、たとえ、非通知になっていなくても、そちらには、呼び出し音がならないように設定をされると思います。また、もし、電話が通じて、彼女が出たとしても、間に、割り込みの電話が入って、通話が無理になるか、または、ここで、こういうことを書けば、すぐ彼女に個人的な電話が入って、『注意しなさい。この電話番号には、絶対に取り合わないように』と誰かから、進言が入るはずだからです。

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副題22、『安西篤子さんのことは、小町通りで、何百回とお見かけしたものだ』

 私が、鎌倉へ引っ越してきてから、すぐ気がついたのは、安西篤子さんが近所に住んでいるということでした。安西さんは、作家として、自分を支えてくれる、一種の執事兼秘書みたいな伴侶が、死亡される前は、毎晩、夕食は街へ出て、おとりになっていると推察され、それゆえにお二人で、小町通りを通られる姿を、何十回、何百回と見たからです。

 我が家よりは、一本か二本北に位置する谷戸(やと)を西へ向かって入るところにお住まいだったと思われます。そのころはそれだけの話でした。今では、有名人でも無名の人にでも、元気いっぱいに話しかける私ですが、それは、1999年と、2000年のニューヨーク体験を経た後の話なので、昔は、静かで、控えめな人だったのです。

 ところが、本を作り始めました。そして、それは、売らないのですが、周辺を驚かすに足るできばえで、もらった人で、育ちがよくて、上流階級のマナーを保持している人は、必ず、礼状をはがきか一筆箋で下さるものだったのです。時には一万円のお祝い金や、5000円~一万円程度の茶菓を送ってくださる人もありました。で、安西篤子さんに上げる日がやってきました。特に元気いっぱいのころだったので、それが、できました。今は相当に違ってきていますが。

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副題23、『フェイスブックで、時間というマトリックスを使って、私の発表を技術的に妨害をして来た人が、4人いるのだが、ここで、その事実をはじめて語ろう』

 この章は15日に新たに加筆する部分で、重要な部分です。注目をして読んでいただきたいのでわざとアンダーラインをつけません。

 私が今、自分を取り囲んでいる闇に気がついたのは、2007年の4月17日が最初です。そのころは、まだ、ブログもやっていないのに、インターネット上に自分の文章がばら撒かれているのでした。画廊について書いている文章を紙の本に直そうとしていたのですが、その前に、すべての画廊のグーグル検索で、それが、読めるように設定をされていたのです。で、せっかく紙の本を出し手も、誰も喜ばないだろうと、みなされていました。

 後に、重要な人物、たとえば、黒田悠子さん(画廊21+葉・銀座のオーナーだった)が、バシッとその本、15冊分を返送してきたので、そういう闇の手配がなされていることの傍証となって来たのです。が、それをエピソードとして書くのも、本日が初めてです。

 出版会界に強い、井上ひさしとか、伊藤玄二郎と、私がICU同窓会展ほかで、具体的な交流が、2002年まであった、石塚雅彦さんが、2007年には、すでに、結びついているのを強く感じます。と、同時進行的に、山本夏彦(東大卒で、ずっとサラリーマンだったが、現在は、放送大学の教授のはず)さんに、筑摩書房から、同種の内容の本を出すように手配がなされていたのでした。筑摩書房ということが、またミソなのですが、それこそ、身近中の身近な人へ話題が入ってしまうので、それには触れません。

 山本夏彦さんは、礼儀正しい紳士ですが、2011年から、2012年かけて、私がフェイスブックに投稿する時間帯に、大量に、ご自分の文章をニュースフィードにアップすると言う作業で、激しい弾圧をなさった人です。この仕組みですが、山本さんが知らない間に、そういうことになっていたのかもしれません。

 もしそうだとしたら、それも、古村浩三君あたりがやっていたことであり、それを命令したというか、示唆したのは石塚雅彦さんでしょう。二人は四谷のバーでよく会うという設定をしていました。

 が、同じ趣旨で私への言論弾圧に、動いたのが、小沼純一さんとか、おりひめマキさんとか、もう一人猫が好きで、反原発の若いアーチストとか、4人います。その人たちは、主に、シェアという形で、他人が投稿した面白いものを見つけて、それを紹介するという形なので、大量に文章を投稿することができます。

 フェイスブックと言うのは、時間の推移とともに流れていくホーム頁という性格を持つシステムだから、この四人の大量投稿が同時刻に行われると、私の文章は誰にも、意味が通りません。長い文章なので、400字ずつ切って、投稿していたからです。

 で、こういう大量の妨害を潜り抜け、潜り抜け、必死で書いていたのですが、再開の手配をしないでいるのは、あまりにも疲労困憊するので、それを再開しない方が、ベターであろうと、自分自身の体力やら、時間の配分を考えた結果の判断です。

 ただ、偶然にでも、フェイスブックをやって、古村君がどういう作業をしているのかが、明瞭になったのはありがたかったですね。もともと現実の世界でも、ここ10年に限れば、『変だなあ。極端に、彼は、不親切で』とは思っていました。

 だって、昔のことですが、1962年には、一年に、400回以上、たった、20人が存在する教室で、英会話の、実習をしていたのですよ。顔も見て、声も聞きながら、一緒にすごした存在です。そういう存在が、ばれないだろうと、高をくくっていたとしても、やっていいことだろうかと天に問えば、「いいえ、絶対にやってはいけません」と、神様が答えるだろう事をやってきたのが、フェイスブックの世界でのことでした。

 同席といえば、ほかにも、50人が出席する、ラボという、場所では、400回かける、1時間とか、200人が出席する講義でも、200回X2時間とか、一緒の時間をすごしています。国際基督教大学って、少数精鋭主義で、マスプロ大学ではないのです。同級生は、30人以下であり、そこでの接触時間は、多いのですよ。

 以上の一節は、すべて、土曜日の加筆部分です。

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副題24、『安西篤子さんは、自宅の電話番号も、教えてくださったが』 

 しかし、そういう闇の世界の設定に気がつく前は、私はそれなりのレベルで恵まれている人だったのです。

 そんなある日、若宮大路の警察署・・・・・(今は閉鎖中だが、建て直しの予定がある? または、移転をする?)・・・・を歩いていると、反対方向から来る安西篤子さんを見かけました。

 私はすぐ、『鎌倉春秋社の帰りだろう』と思いました。すでに、石川和子さんが、安野夫人へ「大学付属高校ご入学おめでとうございます」と言いながら、菓子折りを持参する場面をわざと、見せ付けて来手いたあとですから、石川和子さんの元愛人だと言われている伊藤玄二郎の周辺は、怪しいと気がついていて、安西さんに自著を渡すときにも、元気だから渡すのですが、その後については、何も期待をしませんでした。

 そのときに、渡したのは二冊目の自著『れすとらん・ろしなんて』で、副題に、『鎌倉で美と品格を考える』とつけてあるもので、鎌倉在住の方なら、面白いと思っていただけるものでしょう。

 返事は来ないと思っていたのに、きちんと返事が来て、そこには安西篤子さんの仕事場と、今は、それが失われているので、記憶が定かではないが、自宅、もしくは仕事場の方の住所か、電話番号が書いてあり増した。そして、親切なことには、感想も書いてあり、特に第10章がほめてありました。

 恐れ入りますが、ここで、挿入として、それを、入れさせてくださいませ。文体が素敵だとか、何とか言うよりも、気づきの問題なのです。繊細に、いろいろなこと・・・・・特に人の心模様・・・・に気づくところが、安西さんにも、評価をされたのだと思います。

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第十章、まるでフランス映画のように

 ある日、若い四人の女子大生が素晴らしい会話を交わしていました。今ごろ、お互いに信頼の限りを尽くした会話を傍耳を立てて聞くのも心地よく、心に残りましたが、その内容を採録すると長くなるので、それは飛ばして、ある、中年の人々の会話能力について、今日は話をさせてください。それが日本の中年にしては、ことさらに活発で、驚いたからです。

 土曜日の午後三時ごろ、逗子駅に入ると、自然探索を終えたらしい、50人ぐらいの中年男女のグループが目に付きました。背中に、ナップザックをしょっていますが、足は、登山靴では有りません。前回で書いた外人の青年と同じく、彼らは間違ったホームで電車を待っていました。逗子駅には、ホームが三本しかないのですが、終点でもあるので、なかなか複雑な使い方もされていて、初めて来た人は大いに戸惑うのです。私はおせっかいですから、「跨線橋を渡って、別のホームに行かないと駄目ですよ」と教えてあげたので、皆さん、私と一緒に移動をして、空いている電車に乗り込みました。

 日差しも明るい午後で自然探索で心を洗われたのか、どの人も、言っちゃあ悪いが年甲斐も無く、はしゃいでいます。

 「黒磯(栃木県)行きなんて言うと、全く訳わからないね。僕、おうちへ帰れるかなあ」と幼稚園児みたいに通路を挟んで、大声で、お互いに仲間内で対話をしています。 「僕、電車に乗った事は無いから、余計解らないよ」と同じ人が、自動車ばかり使っている事を、ふ・い・て(誇示して)いながら、再び「おうちへ帰れるかなあ」と言ったら、対岸のベンチ座席から「おうちなんて無いじゃあないか」と大声が飛びました。

 私は一瞬ひやっとして、顔色が変わってしまいました。確かに、パリやニューヨークですと、金持ちは車で移動をしているのでしょう。車の無い人間は、地下鉄で移動をしています。それでこの人が車を持っている事を誇示したのは、本当に稚さないプライドでは有ります。癇に障った人も有るでしょう。それに、まぜっかえした方は、結構車を持たない主義にプライドを持っている人かもしれません。しかし、私のような部外者にまで聞こえるような大声で、「お前は、持ち家ではなく、借家に住んでいるではないか」と言うような事を言われて、気分を悪くしない人はいないでしょう。

 しかし、言われた当人は、顔色も変えず口調も変えず、更に、冗談を発し続けるのでした。私は、『このグループは、官舎か社宅の同僚なのかしら。それとも団地の町内会でごいっしょなのかしら。いずれにしても相当レベルが高いな。良かった良かった。揉めないで』と内心で思いました。そして、ちょうど安心したときに電車が鎌倉駅に入ったので、立ち上がって彼らに背を向け、ドアの傍に立ちました。すると後ろから、例の格別おしゃべりな男性が「うわ、さすが、鎌倉だ。降・り・る・人も・品・が・良・い・な・あ」と言ったのです。私はそのとき、彼が、私に感謝をしてくれた事がわかりました。私が彼の心の傷付き・・・・・つまり、ただ、無邪気にはしゃいでいたのを「家なんか無いではないか」と、まるで夢の無い現実に落として、彼を貶めてからかった人物の言葉に、普通なら傷つく筈ですから・・・・・を、心配して上げたのを、彼は、わかったのです。私の密かな同情心を、彼は理解して、それをこう言う冗談で、お礼を返してくれたのでした。

 だって、私は顔はおかめ系ですし、別に品がよくも有りません。特に鎌倉近辺に出没する時は、洋服にも気を配りません。銀座に行く時は、色使い程度は気を使いますが、このごろは画材を買うので洋服は買っておらず、おしゃれとは縁遠いのです。それは、本当です。だから、人に褒めて貰う根拠も理由も無いのでした。この本の第2章、麗人目前を横切るに書いた、オードリーヘップバーンまがいの女性とは、まるで違いますので。

 でも、私は「日本人も、ひ・ど・く・高・級・に・成・っ・た・な・あ」、とは思いました。ここら辺の心の機微は、まるで、フランス映画、「かくも長き不在」に出てくるような心の使い方でしたから。秘めてはいるが、潤沢な、やさしさに満ちていて。その事はとても嬉しかったのですよ。では、                                        2002年4月14日 

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 挿入から元へ戻ります。

 私は、はがきの末尾に書いてある仕事場(鎌倉ではない)の電話番号を、本当にありがたいものとして見つめました。

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副題25、『チャンスは前髪をつかめと、言われているが』

 私が、静かに逼塞をし始めて、『普通の人として、この人生を終わるのでもいいかなあ』と思い始めたのは、ごく最近であって、65歳までは、大アーチストになる夢を捨てていませんでしたよ。だが、才能がそちらの方によりあるはずの、アート(美的な分野)よりも文章を書いていたのは、夫(主人と普段呼んでいる)と、仲良く暮らすためには、文章をパソコンで書くのが、生活形態として向いているので、それを、やっているだけなのです。

 絵や版画をやり始めると、その生活は、普通の主婦とは遠いものとなってしまいます。周りから見ると、あまりにも集中が強くて、それが硬いバリアーを張っていることとなるから、氷の女王の様に見えると思いますよ。すでに、老境に入っているので、穏やかに優しい日常を過ごしたいので、時間を区切ることが可能なパソコンで文章を書く事に専念をしているのです。

 でも、文章を書いていて、その集積を使って本を作り始めると、デザインまですべてを自分一人で、やる私にとって、それが、総合芸術であって、レオナルドダビンチになったみたいな喜びを与えられ、それで、満足している向きはあるのです。特に五冊目の『黄色いさくらんぼ』の評判がよくて、一応一里塚になったと思うので、安心した向きもあります。

 しかし、この二冊目を送った友達(安西さんではない)から意外な言葉が投げつけられます。「あなた、だめよ。メディアに乗らないとだめなのよ。いくら努力しても無駄よ」と。

 私の本には、すさまじいまでの、エネルギーがこめられています。ほぼ、三ヶ月かかります。文章を書く時間を別にして、編集や、校正、頁デザインや、表紙のデザイン等、にそれだけの時間がかかります。また、外部からパソコンに侵入を受けていて、仕事がパーになることも多いので、大量に繰り替えしの仕事をしないといけません。

 すさまじい苦しみを経て、一冊を仕上げます。あとの、6ヶ月はそれを、配ることにエネルギーを注ぐのです。残りの三ヶ月は、印刷所・がよいとか、そのほか、種々さまざまな雑用に消費されます。

 しかし、それほど、誇りたかく、ものをいっても、客観的に見れば、未熟なところはいっぱいあります。本って、最初の段階に、費用がかかるものなので、数十万部を売れる見込みのある有名人の場合は、最初のデザインの段階で、お金をかけます。

 すばらしい技術を持って居るデザイナーに頼んで、頁設計もしてあるし、装丁は、装丁専門の別のデザイナーが居るのですが、そちらも有名人に頼んで、びっくりするような奇抜なデザインとなったりしています。

 その種の本に比較をすると劣ります。だが、そこにこめられた大量の情熱(=愛情)と、手間ひま、そして、お金は、手に取った人を、やはり、打つのです。

 実際には、大体、一種類の本に、100万円はかかります。しかもそれには、労働時間に対する報酬が一切含まれていないのだから、500部配り終えたと言っても、一冊に、ほかの本の場合に相当すれば、5000円以上は、かかっている本なのです。だから、ほとんどすべての人は、ほめてくれます。でも、けなす人もいる。しかし、それが、嫉妬か、どうかといえば、わかりません。裏に何かが隠されている場合も多いから。本章も、そういう隠された部分を解明するために書いている文章となります。ところで、そんなに手塩にかけた本を、

 「メディアに乗らないとだめなのよ。何をやっても無駄に近いわ」と、言って来たのは、高校時代の同級生で、元・外資系の出版社勤務です。だから、この現実世界の内情を知っているともいえますし無視できない忠告です。

 テレビ東京のプロデューサーだった宮崎明子さんは、「あなたはすでに世に出ていらっしゃる」と言ってくださったけれど、それは、外部の人から見ればの話であって、美術界の内部にいると、自分はまだまだだと思われるから、ぜんぜん、安心も安定もしていないし、・・・・・

 本を作ることは、美術界内部の人にとっては、『あの人、一翻(マージャンの役のこと)つけて、自己宣伝に役立てようとしているわ。いやらしい』と、思われているみたいですが、自分にとっては、純粋な創作活動であって、出来上がるだけで、喜びであって、また、それを人に差し上げるのも喜びであって、それだけで、報われているんじゃないかと言う思いもありました。が、それでは、だめだといわれているわけですね。

 ただね。私の知人には、テレビの世界で名が通るような有名人も多いのですよ。それと、無名ですごしている中間のキャリアーウーマンとの違いは、さじ加減ひとつとも思われるので、知人や友人が、私が、メディアに、ブレイクできるようになるために、いろいろな忠告をしてくれるのを、無視することも無いのでした。

 その手の忠告の一つに、「チャンスは前髪をつかめ」と言うのがありました。

 私は安西篤子さんのはがきをしげしげと眺めながら、『この電話番号にすぐ電話をかければ、それが、チャンスは前髪をつかんだ』と言うことになるのかなとは、思いました。

 しかし、私はそれを、実行には移しませんでした。

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 副題26、『安西篤子さんのはがきは盗まれ、安西さんは、神奈川県立文学館の館長になった。そして、私の父や母の写真も盗まれた』

 安西篤子さんから親切なはがきが来たころ、すでに安西さんは、神奈川県立文学館の館長だったらしいのです。2004年から2006年とwikipediaには、書いてありますから。

 となると、行動に移しても、伊藤玄二郎(鎌倉ペンクラブ会長)とか、井上ひさし(当時は日本ペンクラブ会長だった)に、どこかの時点で、妨害や阻害が起こされ、私は悲しい思いを味わったと思いますので、直感として抱いた、電話をかけないほうがいいと、言う思いはあたっていたとなります。

 しかし、この種の暗闇も、いつかは晴れる日も来て、安西さんと、安心してお茶を飲む日も来るだろうと、それは、信じていました。でも、はがきに書いてあった、仕事場という、横浜北部の住所を、住所録に記載をするのは止めておきました。何らかの直感が働いて、よりひそやかなものとして、心の中にしまっておきたいと思っていたのです。

 ところが、例によって、そのはがきが盗まれてしまいました。

 どういう機会に盗まれるかと言うと、たとえば、印刷所さんが、4冊目から、急に、必ず、事前にアポをとって、くださいというようになりました。

 印刷所は板橋区にあって、鎌倉からは遠いのです。で、いって交渉をして帰宅をすると、正味7時間は家を空けます。そういう際に盗まれるのです。最近は、天城旅行をしました。それも長時間家を空けるので、盗まれている可能性はありますが、家の中にある何万点もの物を、常時点検するのは無理ですから、いつの時点で、何を盗まれたかの特定は無理です。

 私はすでに、自分以外に、『自宅から物が盗まれます。チェーン錠をかけて、中にいても、真夜中に物を盗まれます』と言う奥様、二人と出会っています。二人は、鎌倉からは、遠い場所に住んでいて、しかも、一人は、鎌倉より南に住み、一人は北に住んでいます。その北に住んでいる人には、別のお友達がいて、その人も、泥棒に入られるのだそうです。

 それから、真夜中かどうか時間帯のことは聞いていないし、盗まれるものも下着だけだと聞いている奥様も一人別に知っています。だから、私を入れて、五人の奥さん連中が常日頃入ってくる泥棒に苦しめられていることとなります。

 普通の人は、『そういうことなら、警察に届けなさい』、というのですが、何十回も入ってくる泥棒は、それほど、高額なものは盗まないのです。よしずばりのじゅうたんが、橋からだんだん、よし図が、抜かれているとか、冷蔵庫に入れてあった、菓子パンが盗まれているとか、私の場合ですと、寝室に、『美尻アンド、美脚』と、名づけられたパンツ用の、ラベルに見えるものが入れこめられていたりします。そのパンツが決まった引き出しから、別の引き出しに、移動をしていたりします。

 「これを言うと、ほかの人に、ノイローゼだと疑われるのですが、幽霊みたいな泥棒なのです」と、私に話しかけてくる奥様は、言います。私は相手に、「ブログをやっていますか?」と質問をすると「やっていない」と言います。で、私の場合は政治が絡んでいますが、そういう特殊な、ターゲット種族を狙う、傍ら、別の人種、つまり、政治的な発言をしてはいない普通の人も、大勢、嫌がらせを旨とする泥棒に、狙われているのがわかります。

 この泥棒のことは次の章で、詳述をするとして、ともかく安西篤子さんの親切なはがきに戻れば、それが、盗まれていることはずっと後で、知ったのでした。

 芦屋に住む友人から、1時間半に及ぶ私の三冊目の本に対する感想の電話がかかってきて、最後に、「ここに、お父様の写真が載っていることだけでも、すばらしいことよ」と言われたので、「ありがとう」と答えながら、電話が終わった後で、父に感謝をしようとして、写真がかかっているところに行って見たら無いのです。

 そのお友達は、東大を、学部を変えて、学士入学もして、2つか、3つの学部で卒業している才媛です。しかもお医者さんのお嬢様で、しかも、外人と結婚をしています。私は彼女に対しては、1959年ごろの大昔、高校の洗面所で、ダンスを、しながら、鏡に自分を映していた姿の印象が濃くて、それを添え書きとして書きながら、自著を送ったのでした。

 それが、三ヵ月後の、なんとも意味のあるタイミングで、電話が来たのです。そのころ、酒井忠康氏が、盛んに動いていて、『ああ、これは、酒井氏が、裏で糸を引いている』と、わかる電話が、別にあって、それがいじめようの策略であることを、ブログでは書かないのですが、折り返し電話で、確かめてあるのです。つまり、彼らの汚いやり口を見破ったことがあるのですね。

 つまり、酒井氏とか、伊藤玄次郎が、鎌倉在住のある男性画家を使って、すぐそばで、川崎千恵子に、こういう文言で電話をかけなさい」と命令しているのだと思います。いじめ特有の話題であって、いやな感じなので、県下みたいになって電話を切りました。

 ただ、裏があるのがわかっているので、すぐ、自宅に折り返しの電話を入れたら、自宅には、いないのです。なるほどね。と思いましたよ。すると、また、もう一回、彼の方から軟化して、謝罪をしている趣のある電話が、かかってきたのです。私が裏側を見破ったことを、察知して、あわてて、訂正をしておこうというわけでしょう。

 その直後(=数日後)に、今度は鎌倉市内ではなくて、遠い、芦屋に住んでいる高校時代の、同級生が同じ趣旨で、使われたのでした。間に立ったのが誰かはわかりませんが、先の電話が見破られたので、それを訂正しておこうという趣旨もあったし、一種の脅かしをかけておこうという趣旨もあったでしょう。

 彼女のご主人は外人です。ドイツ人です。外人で、日本の上流階級のお嬢様と結婚をする場合、隠れCIAが多いのです。芦屋の友達は、夫がCIAであるなどということを、一般的な概念として、私が言ってみると、「あら、いやだ。それって、偏見よ」と、否定して来ていますが、それでも、その可能性は強く、彼女の電話は、泥棒に気がつかせるためにかかってきたのではないかと、電話中から、思いました。

 泥棒に気がつかないと脅かしの役目が果たせないからです。これに関してJR東日本のガードマンの話をしないといけないのですが、・・・・・それは、話題が飛び離れすぎるので、別章に書く事にして、話題を、戻して安西さんのはがきへ戻りましょう。

 その電話の後でした。私は彼女が否定したのにもかかわらず、彼女のご主人はCIAか、または、友人の中に、隠れCIAがいて、そちらからの連絡で、彼女にこういう電話をかけさせたのだと、直感をしながら、父の写真が、かけてあった二階の部屋から、あわてて、一階へ降りて、客間のチェストの引き出しを開けました。そこに、父の別の写真があるかどうかを、確認して見たのでした。

 すると無いのです。そして、安西篤子さんからのはがきも、無くなっていることに気がつきました。はがきをもらってからは、5年は過ぎていたと、覚えています。

 で、その日、私はあわてて、いろんなものを探しまくりましたが、父の写真、と、母の写真、そして、父が、1943年に、満州官展の大賞を取ったことに関する新聞の切り抜きも盗まれているのを発見をしたのです。

 私はずっと、安西さんのはがきについては、このブログでは、触れてきては、いませんでした。大切な思い出として、しまっておきたかったからです。そして、泥棒に気がついた日のこと、また、それを気がつかせようとした芦屋住まいのお嬢様(=高校時代の友人)のことにも、こういう裏側を含んだ書き方では、触れて来ていません。

 すべて、上流階級びとで、昔は、『将来は、お茶のみ話ができる、はずの、大切な友達だ』と思っていました。頭がよくて、そこが、話相手として、すばらしい相手となるはずです。だから、母からの、遺産をもらった後では、旅行としてたずねて行って、話しあいたいと思っていたので、今日書いたような内実を、書いて来ては、いませんでした。

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副題27、『ここで、横浜正金銀行というキーワードに目が留まる・・・・・モボ・モガの象徴として』

 しかし、私も安西さんも年なので、いずれ消えていく話なのですから、今それを書いたほうが良いと思い直し、書いたのです。それを書くついでに、安西さんって、いつからいつまで、文学館の館長だったのだろうと、それを知りたくて、初めて、安西さんのwikipedia に入りました。すると安西さんの父君は横浜正金銀行の行員だったそうです。

 今は三菱銀行に吸収合併をされていますが、戦前は日本で唯一の為替専門銀行として一世を風靡した銀行です。安西さんの父君は、新卒で、入行した正社員だったと思いますが、母は、今で言う派遣みたいなもので、女学校を卒業後、数年を経ていて、しかも結婚をしていましたが、父が、母に就職を勧めたので、その同じ銀行に勤めました。モダンガールになるために。

 母の父は、山口県では、有名な商業中学(後に商業高校と呼ばれる)の校長を戦前戦中、戦後にわたって、40年間も勤めた人なので、そういうことを口頭で、言うだけで、採用になったのでしょう。でも、私は奇遇と言うか、奇縁を感じました。安西さんの父君が、横浜正金銀行の人だったと言うのは、今日、初めて知ったわけですが、その家風のモダンさと言う意味で、安西さんが、上の文章を選んでくださった理由も、本日わかったのです。

 私は元アメリカ大使館、館員の斉藤敏江さんから、「あなたは、やはり、大陸育ちの人ね。普通の日本人とは違うわ」といわれたことがあります。で、「三歳までしかいなかったのですけれど」と答えると、「ご両親の方が、違うのでしょうね」と言っていただいたのですが、確かに、結婚後主人と作った現在の私の家庭に比べると、50年はよりモダンなところに位置していました。母が父と同等であって、同額の資産を形成していたのも、父の勧めだったと思いますし。

 私の実家での、父と母との会話の内容は、本当にモダンなものだったのですよ。そういうところが、安西さんから、ご返事をもらう、根本のところだったとも思われるのです。それは安西さんのwikipedia内で、横浜正金銀行というアイテムに、初めて接して、わかったことでした。

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副題28、『泥棒って、もしかしたら、警察も含んでいますか?』

 私が泥棒に気がついたのは、2007年からです。パソコンへのハッキングもひどいものでしたが、家の中に泥棒が入って、いろいろ盗んでいく、そのレベルもすさまじかったのです。

 最初はパソコン関連のものが盗まれました。電源アダプターとか、バッテリーとか。パソコンそのものも壊されていきましたが、部品が盗まれることも多かったのです。

 そして、2007年の7月ごろ、当時とっていた日経新聞に「警察の昨今」と言うコラムが、連載されました。

 その中に、下っ端の警官が、「ある家に、入ってみたら、パソコンがたくさんあるのに驚いた」と上司に言うと、上司が、「そういう際は、必ず、電源アダプターの数を確認しないといけない。電源アダプターもパソコンの数だけあるはずだ」と、答えたと言う記事があったのです。そのときに、我が家の電源アダプターを盗んで行ったり、バッテリーを盗んで行ったりするのは警察だと、直感をしました。証拠はありませんよ。だけど、傍証はあります。

 そして、日経新聞に、こういう記事が連載される裏側には、石塚雅彦さんがいて、彼は、酒井忠康氏等と、つるんでいるから、こういうことになるのだとも直感をしたのです。

 酒井忠康氏と、渡辺幸子さん、そして、ガレリアグラフィカ等については、散々書いて来ていますが、それを書きながら、この種の裏側まで、頭にはすでにあったのでした。

 警察が我が家に泥棒に入るのは、石川和子さんと言う伊藤玄二郎の愛人が、猫のことで、自分の方が悪いのに、警察を呼んで、警官たちに、『あそこの奥さんをだんなに叱ってもらえるように、だんなに頼んでください』と言う馬鹿なお願いをして、また、それに乗って、のこのこと我が家にやってきた警官たちが、この山の中で、絶対に起こり得ないはずの交通事故の調書を取ったことから、始まっています。

 理不尽この上ない、現象からおきています。でも、私が原因ではなくて、おっちょこちょいで、お馬鹿さん名、石川和子さん夫婦と、昔、イしかw和子さんと愛人だったと、鎌倉中の文化人のほとんどが知っているだろう、伊藤玄二郎が、その下半身の秘密がばれることを恐れて、警察を動かし、私兵としてこき使っているから、おきていることです。

 だから、私が酒井忠康氏を中心というか、震源地とする美術界の不可解な現象を語るのには意味があるのです。この理不尽さを、追求しないで置くべきかと、怒りに震えます。

 そして、2007年の12月にはそれを、実名をさらさないで、示唆していますが、伊藤玄二郎、酒井忠康、井上ひさし、石塚雅彦氏などは、雨夜の品定めよろしく、私のことを小ばかに仕切って、いじめる案を次から次へと考案して行ったのでした。たぶん、上に上げた四谷のバーとか、そのほかの場所で、飲みながらです。ひどい人間達ですね。ばれないだろうと思って、あくどいことを平気でやっている。

 でも、私の方は、ずっと前からいきさつをすべて、見破っていましたよ。ただ、書くか書かないかは別問題ですけれど・・・・見破ることだけは、とっくに済んでいて、すべては、最初からわかっていましたよ。

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副題29、『柳沢昇は、鎌倉春秋窯のホーム頁で、自分の名前をさらしています』

 石川和子と言う背の高い女性を、私は常に内心では、『独活の大木』と、呼んでいました。平凡で、鈍くて、背が高く体重も重そうだからです。しかし、伊藤玄二郎のひとたらし能力に乗っかって、鎌倉市内の公民館に先生として送り込まれ、生徒数が多いそうで、つきに200万円以上の収入があると、生前は、自分から、豪語していたのです。

 柳沢昇と言うのは現在の石川和子の夫ですが、たかが、他人の猫一匹のことで、自分達がめんづを失ったのに腹を立てて、・・・・・(つまり、私の猫は彼らよりは、実際には私の方が好きなのです。当たり前のことですが)・・・・警官を私物化するという大失敗を犯し、その結果、自分の金の卵である石川和子さんの命を失ってしまいました。収入は激減したと思われますよ。だって、柳沢昇が、公民館まで、出稽古に行くことはできないでしょう。

 200万円の月収があって、ゴルフの会員権を持っていると、はがきの誤配達を装って、私に対して、威張っていましたが、金の卵を産む、妻が死んでどうなるのです。お金があっても、幸福は来ないでしょう。なんというあほ人間だろうと、驚き入ってしまいます。彼が警官を呼んだのでしょうから。また、彼が奥さんをたしなめることができれば、私の猫を自分の家に、隠すことも無かったでしょうから。

 だけど、警察は、自分達の大失敗を糊塗するために、私の家に泥棒に入って、電源アダプターとかバッテリーを盗んでいくし、一方では、バグを入れ込めて、パソコンそのものの負荷が大きくなるように設定して、パソコンを壊していくのでした。私はね、すでに、20台以上、買っています。が、生存中なのは、8台しかありません。

 ところで、電源アダプターと、バッテリーを盗みながら、一方で、電気会社に命令して、電源アダプターと補充させないように、それらを、補充部品として、買おうとすると莫大に高い値段に設定をしています。また、画面も、横長にするように国家的に指導をしているのだそうです。と言うのも、画面が、横長だと、テキストの行数が、制限されて前後の連絡が取りにくくなるので、文章を書くのに不利だからです。そういう風に妨害をしていくわけですね。

 デモね、そういうことをしているうちに、日本のパソコンは売れなくなりました。で、日本経済の衰退とか、電気販売店の衰退を招いています。それは、この雪ノ下の、わがまま主婦達の軍団が原因なのです。

 石川和子さんのあの制限も無いわがままぶりは、活動している主婦が総勢、10人に満たない、この山の閉鎖的な環境が、傲慢でわがままな番長型・行動を取る主婦達の権益を強めきっていて、それゆえに生まれるものだからです。

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 この文章は先へどんどんつながっていくのですが、それを入れると、完璧に2万字を超え増すので、別に、章を立てて、語ります。

 なお、このブログの2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1795440です。

 2013年9月13日に書き始め、14日に推敲を終わる。 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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アメリカとロシアは、仲良しかな?・・・シリア空爆が終わる?・・・堀越二郎と、YS11

2013-09-11 21:06:39 | 政治

副題1、『米とロシアは、仲良しですか?』

副題2、『堀越二郎と、YS11・・・・・そしてその生産中止』

副題3、『堀越二郎は、やはり、Y11の開発に携わっていた』

副題4、『尖閣への中国側の出動の回数がNHK発表ではでたらめな感じがする』

副題5、『秋田書店の女子社員が、告訴に踏み切ったですって』

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副題1、『米とロシアは、仲良しですか?』

 私は、6月21日の参議院船開票の日に、平成の八は嘉村と通称をされている山口県周南市の山間で起きた六人の殺害、放火事件について、それは、私のブログをつぶすために企画として行われ、保見容疑者は、やっていないと言う説を唱えています。

 となると、今度はその説を打ち消すために、次から次へと新たな事件が作り出されてきていて、その4つめか、5つ目がシリアにサリンがばら撒かれ、それを制裁するために、空爆を開始すると言う問題が起こされました。

 それは、8月29日(木)から炎上したニュースで下が、珍しくもその二日後には、私はそれの真実の目的を分析し始めました。特にフランスのオランド大統領の面妖さについて、ターゲットをおきながら・・・・・

 いや、内心で、いささか迷いながらでもありますよ。何を迷うかと言うと、私が書く事は必ず反対方向へ事実を向けていこうとする、勝気なアイデアマンが居るので、私が書いていることが真実であればあるほど、ことは反対方向へ流れるからです。で、迷った最大のポイントはシリア人の無辜の市民が、数万人単位で殺されることになると推察されるからでした。しかし、だからこそ、書かなければならなかったのですが・・・・・

 結果は、紆余曲折しながらも、一応、空爆回避となった模様です。形としてはロシアがオバマ大統領に助け舟を出したと言う形です。ロシアがシリアを説得して化学兵器を捨てさせる。それによって空爆をする目的が、平和裏(裡)に消滅するから。

 この流れを見て、私は、皆様に問い合わせをしたいです。皆様としては、ロシアと、アメリカが、裏で通々だったのを昔からご存知でしたか? 私も、それに気がついたのは、この数年ですが、世界の警察だと言われているアメリカは、その大統領と言えども、最大の権力者である、国際的軍産共同体の頭脳部分のパペットでしかなくて、彼らの意思によって左右される、一個の使用人に過ぎないのです。

 そして、国際的軍産共同体が、仮想敵国とみなしているのが、日本です。なぜかと言えば、国民の総体として、優秀だからです。大金持ちが、数代にわたって引き続き資産を確保できる欧米に比較すると、芸術の分野や、科学の分野では大物が出ない可能性は大きいですが、庶民の集合体としての国家としては優秀です。それで、ひそかに恐れています。

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副題2、『堀越二郎と、YS11・・・・・そしてその生産中止』

 『風たちぬ』が、ベネチア映画祭で、賞をもらえませんでした。その発表の前日だったか、キオスクが、夕刊フジを筒状に並べていて『韓国が受賞妨害か?』と大きな見出しを出していました。

 夕刊フジを買いませんでしたが、それはあるだろうと思っていました。韓国と言うのは上であげた、国際的軍産共同体の意志を体現している国家ですから、何でもありなのです。

 心理学的な側面とか、哲学的な側面を言うと、宮崎駿さんに、ここで賞が与えられると、よくないような気がします。だから、逆説的に言えば受賞なしの方がよかったのです。

 ただ、この発表前にすでに公開していて、抜群の集客能力で、十分すぎる興行収入が上がっていますので、それはよかったし、それで、あきらめてくださると、いいのではないかと思います。何もかも集中して独り占めなさるのはよくないです。

 別にねたんで言っているのではありません。私に、天の加護がある理由を推察すると、そういうことになるのです。

 ところで、私は禁煙問題のケースを考えたくて、スタジオジブリの映画としては、この風立ちぬは、初めてのケースとして、劇場で、見ました。DVDが発売されるのも、テレビ放映をされるのも待てなかったからです。ほかの作品はすべて、テレビ放映で見ています。

 皆様には、それをご報告をしなかったのですが、私が見終わって最初に考えたことは、この映画の主人公・堀越二郎の戦後って、どういうものだったのだろう。特に『YS11との関係は、どうだったのだろう?』と言うことでした。

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副題3、『堀越二郎は、やはり、Y11の開発に携わっていた』

 私は映画『風たちぬ』や、スタジオジブリの熱烈なファンでもないし、堀越二郎のファンでもないのですが、その点だけには、興味があって、書店でムックを立ち読みしました。映画『風たちぬ』のおかげで、堀越二郎のムックが出ているのです。

 で、戦後に絞って、点検すると、やはり、推察どおり、戦後の民間機YS11の開発にも、堀越二郎は、携わっていました。

 YS11の生産が中止になったときは、私は、政治には目覚めていない時期でしたが、それでも、これは、国際的な要望であって、日本が敗戦国である悲哀を味わっているのだと考えました。

 今、グーグル検索をチェックすると、YS11は、テキスト形式でコピペすると50頁にもなる重要項目で、生産が中止になったのは、販売面での大きな赤字が国会で追及されたからだった模様です。

 しかし、その大赤字は、悪質な代理店に引っかかった海外販売の損失だったのです。何も販売実績を上げてくれていないのに、日本の商社が、販売実績を上げたとたんに、莫大な手数料を、請求してきたのでした。

 しかしね。皆さん、政治とは、その本質を隠して行われることが多いのです。日本が経済大国になること、および、技術的に優秀であることが、懸念されて、結果として、それが、忌避され足り弾圧されるとき、その本質的な目的を隠して瑣末なことで、現実的に足を引っ張られると言う形で、弾圧を受けるのです。

 それは、最近の私が身を持ってひしひしと感じていることであり、そういうパターンがあるのです。YS11のエンジンはロールスロイス社が、生産していたそうで、そちらが生産中止となったのも、YS11そのものの、生産を中止せざるを得ない結果につながったそうですが、それも、裏があったでしょう。

 堀越二郎は、ゼロ戦と、YS11と、自分の設計した愛機がその本来の使命を全うできないという挫折を二度も味わったのです。才能と頭脳の優秀さに恵まれていても、ほかの面で、幸運ではないと言うこともあるのでした。

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副題4、『尖閣への中国側の出動の回数がNHK発表ではでたらめな感じがする』

 ところで、シリア空爆がなくなったと見られる2013年9月11日から、今度は猛烈な中国艦船の尖閣出動が起こっています。

 ところで、これも、私は諜略行為の一種でアメリカのCIAを通じて鎌倉エージェントなどが要請していることから始まっていると考えております。それで、シリア空爆を抑えたのだから、日本をいじめて、控えめにさせるために中国に攻撃をするように要請をしているわけで、しかも安野家という一家を助けるために、行われています。

 まったく、びっくりなさると思いますが、そうなのです。それゆえに、NHKが発表する中国側の攻撃の回数がめちゃくちゃです。

 2013年9月11日に、61回目の攻撃だと言っています。しかし、この2013年のどこかで、すでに、200回出動したと言っています。また、61回の直前には、41回だと言っていて、その一回前のニュースでは38回だと言っていました。

 海上保安庁がでたらめな発表をするのか、それともNHKが回数をでたらめなものを発表するのかはわかりませんが、ともかく、本年中に、200回と発表をされたことがあるのですよ。

 ただ、ただ、脅かして炎上をさせるという趣旨が、強いのです。

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副題5、『秋田書店の女子社員が、告訴に踏み切ったですって』

シリア空爆で引っ込んだから、ほかのものでは、脅かしの効果を強めないといけないとなって、秋田書店の女子社員が、告訴をするというニュースが、同じく11日(木)に発表をされました。だが、最初に大騒ぎをしたNHKは、その女子社員の映像を出しません。おかしいですね。付録を水増ししたと言うニュースは大騒ぎで流したわけですから続報として、NHKは、それを大きく流さないといけません。その女子社員が本当にいるのなら、ちゃんと姿を現してください。だけど諜略行為だから、本当に勤めていた女性を使うかどうかは怪しいです。

 

 後で、推敲と加筆をします。

 なお前報の続きはまた、別の日に取り組みます。

 ところで、このブログの2010年から数えはじめた、伸べ訪問回数は、1791656です。

 

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宮崎明子・・・石塚雅彦・・・小池玲子・・・ゴッホー中篇△△保見ー16、後編

2013-09-09 23:53:17 | 政治

 これは、前報

神田日勝・・・ゴッホ・・・藤田千彩・・・石塚雅彦・・・宮崎明子・・・立花隆・・・保見容疑者、前篇

2013-09-08 20:32:49 | 政治
 
 の続きとして書きます。そちらの起承転結が終わっていません。で、こちらに続編を書かないと意味が通りませんので、そうさせてくださいませ。ところで、そちらでどういうことを書いたかということを副題の羅列で、お知らせをさせてくださいませ。
 

副題1、『オリンピックで、沸く日本で、地味な神田日勝の業績が、本日夜、再放送をされました』 

副題2、『ヤエノムテキと言うサラブレッドに、熱烈に入れ込んだ時代があった』

副題3、『神田日勝に触れたのは、ほんの偶然だったが、それこそ、ヤエノムテキにほれたように、一気にその絵と人生の両方に、惚れ込んだ』

副題4、『5歳の長男を虐待死させた、42歳の父親が、自分はバカだったと、警察署で言ったそうだが』

副題5、『ところで、テレビ東京の<ゴッホ最後の70日>と言う番組も大推奨番組です』

副題6、『数学の難問を解いた、ペレリマン博士の番組(NHK)も素敵でしたよ』

副題7、『神田日勝の兄は、芸大卒業らしい』

副題8、『父が、官展で大賞を取っているから、私には美術界のプロトコールがわかっている』

副題9、『仲間とタバコをくゆらす、日勝の落ち着きは、兄の芸大入学という学歴が、支えていたはずだ』

副題10、『芸術家が、世に出る・・・・・と言うことは、どういうことなのか?』

副題11、『神田日勝は、すでに有名人だが、芸大出身のお兄さんは有名人ではないぞ。なぜか?』

副題12、『ぶっちゃけて言ってしまうと、私の個展のお客様とは、ハイレベルな階層の人が集中していたのだった』

副題13、『1982年に、女性のテレビプロデューサーから、<あなたは、すでに世に出ていらっしゃるわ>と言われた私だが・・・・・』

副題14、『エフェソスで、立花隆を叱った(笑)私』

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と言うことで、副題15から始まりますが、立花隆氏との遭遇のエピソードに入る前に、ある種の心理的な分析をさせていただきたいのです。こちらのタイトルに保見容疑者と、名前がはいっている文章であるのは、ある特殊な意図があるからです。その特殊な意図こそ、政治の分野にかかわることなのですが、それを縦糸として語るためには、横糸として、心理学的な分析が、必要となります。ので、そうさせてくださいませ。

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副題15、『今の日本では、年齢による上下関係は通用しない』
 
 パリは割りとふるいシステムで動いています。学歴だって、中学校入学のときからエリートコースと、働く人(=被支配階級)とは、別コースに入るのです。これは、ドイツもイギリスも同じらしい。フランス革命のことを学校で習うので、信じられないのですが、あのころからすでに、225年経っているわけですし、そのふるいシステムから抜け出そうと移民をしてきた人が作ったアメリカの方が、はるかに、平等主義が、浸透しています。ただし、白人の中だけでしょうし、その白人の中でも、先に移民してきた方が後から移民をしてきた人よりも威張っています。
 
 一方でアジアの国を見てみましょう。中国では田舎から出てきた人は都会では戸籍さえ作ることができず、小学校や中学校へ子供が入学できないそうです。そして、激しい貧富の差があり、かつ、共産党一党独裁で、共産党員に、強大な特権があります。
 となると、日本ほど、理想的な社会は無いと言えそうです。
 
 ところが、ところがなのです。意外と暮らしにくい社会でもあります。建前では、平等です。だけど、本当の民主主義は、定着しておらず、本当に民主主義的に事を行おうとすると、場が大混乱をします。
 で、本音のところでは、みんな、上下関係の中で生きているのです。
 
 ところで、その上下関係のものさしが、いくつもあります。どれを採用するか? 拝金主義の世の中です。お金があることも大切ですが、お医者さんのように、お金と職業としての尊敬度が高かったりすると、わかりやすいですね。
 
 新幹線のコンコースなどで、お医者さんのグループが集まっていることがあります。学会が、その町で開かれて、出席した帰り、同じ新幹線に乗って東京へ帰りましょうと、思っているグループです。スーツの上等さが目立ち、それが、一般のビジネスマンと、まるっきり違います。
 
 その種のバックグラウンドの違いを、たてに、上下関係を作るのは、知っている内輪のサークル内だけの話で、東京の銀座などを歩いていると、お互いに知らない同士なので、上下関係など、判りようもありません。
 
 私と一緒に歩いていた、高名な画家(東大卒でもある)にある若いビジネスマンがぶつかったので、その画家様が、叱ったら、歯向かってきたのですよ。それは、私にしても予想外の出来事でしたが、何よりもその大画家の先生がびっくりなさっておられました。銀座の中央通で殴りあいの喧嘩などできない立場の紳士ですから、先生も内心でドキッとなさったでしょう。
 
 私はしゃしゃり出て、その若者に『こちらの先生は、えらい方だから、あなたは、引いてくださいね』と言ったら、納得してくれました。背が非常に高くて、180センチは優にあり、横幅も広かったので、体力には自信があるのでしょうが、別にやくざでもないので、ちゃんと引いてくれました。
 
 会社と言うソサイエティの中で、年功序列制が崩れてしまった日本では、若い人をしつけると言うか叱る人がいなくなったのです。「今は、しかられているが、いずれ、お前らが、同じ立場に立てるのだよ」と、いうことができないので、若い人がいうことを聞かなくなったのです。で、みんな上下関係がほしくて、しかもそれが必要だと思っているのに、スケールが定まらず、ごたごたしていて、その難しさにひそかに悩んでいる人は、いっぱいいるでしょう。
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副題16、『肩で風を切る生き方とは、別の姿勢の、宮崎明子さん』
 
 
 ところで、知らない人同士が、このようにぶつかってしまった場合、肉体的、強壮度で、威嚇しあうわけですが、それをもっと穏便な形で、女性も利用しているのです。町内会の会長とか、副会長、またはPTAの会長とか副会長と言う役を引き受けるタイプの人は、そういう類のボディ・ラングエッジを多用する人種です。
 そして、周りの人はあっけにとられながらも、敵に回すといやだとか、何とか、いろいろ考えて、道を明けて通すので、ますます、そういう人種は、自信を持って、肩で風を切って歩くこととなります。
 
 私の母校である国際キリスト教大学は、女性が多くて、かつ、そう言う女性の中に、特別に、優秀な人がいて、肩で、風を切って歩くような人がいっぱいいるのです。今、すぐ、数例を思い浮かべることができますが、語弊があるので、口にチャックとさせてくださいませ。
 
 そして、キャリアや、勤務先の知名度を考えると、宮崎明子さんこそ、その手の、肩で風を切って世の中をわたる人になってもよさそうなのに、まったく謙虚で、静かな方なのでした。
 
 個展の会場には次から次へと、別のお客さんが来るので、落ち着いて長話ができない場所ですが、それでも、15分ぐらいの接触の中で、私はすっかり、宮崎明子さんに惚れ込んでしまい、深い印象を、自分の中に溜め込みました。
 
 でも浅い、浅い接触ですし、明子さんのほうには仕事があるわけですから、私の方からの接触は控えました。しかし、その20年後の2002年には、明子さんも引退だと考えられます。それで、お茶でもご一緒したいなと、思い始めます。
 1982年には、二人のあいだには圧倒的な差がありました。だけど、私も苦労をしましたし、特に、本を作ることに関しては、達成感も味わい、実力も備わったと言う自負心もあって、その後の成長を見ていただきたいとも願いました。
 
 ところがどうも変なのです。どうしても接触ができません。
 本は送ってあります。あの親切で、丁寧で、誠実な宮崎明子さんなら、必ず感想のはがきを下さるはずです。だが、それもこないし。
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副題17、『私の友人や知人を、私と仲たがいをさせ、引っ剥がしていくシステムが横行しているが、その最初の例が、宮崎明子さんで、あっただろう』
 
 私は思い余って、ある夜に、宮崎明子さんのご自宅を訪ねました。テレビ東京が、東京タワーの中にあったので、明子さんのマンションも芝大門と言う便利な場所にありました。
 明子さんが、最先端の女性であったから、マンションも往時は最先端のものであったのでしょう。でも、大昔に建ったものだったのでオートロックの無いシステムで、お部屋まで、たどり着くことができました。
 
 しかし、ブザーを押しても応答が無くて、お部屋は、真っ暗な感じです。
 
 これなんですが、マンションの建て替えの予定があって、明子さんが、すでに引越しを済まされていたと言う可能性も大きいです。だけど、もうひとつ、別の可能性があリます。
 
 私が、家を出たとたんに尾行をされていて、しかも、生活のすべてが研究をされていることがあったとしたら、これから、どこを訪ねるか、尾行者は、推察がつくわけです。
 後日、本牧を訪ねたことがあります。私の中学校、横浜国立大学付属中学は、本牧の岡野上たてのという地名のところに昔はありました。それで、その近辺には友人が多く住んでいます。それがみんな居留守を使うのです。変です。本当に変です。このときに、中学の同級生にして、元早稲田の革○の委員長だった、成岡庸司君が私の弾圧に関して、大いに力をふるっていることを感じました。
 新左翼イコール国際的軍産共同体なのです。驚くべきことに本当の改革者というか、真実を言うものををつぶすために、共産党も新左翼も利用をされているのでした。そして、革○は、JR千葉動労を支配しているそうですし、いろいろ思い当たることがあるのです。
 しかも成岡庸司君と、同じく国際基督教大学の卒業生である元TBS記者である秋山豊寛氏は何らかの交流があるはずで、その秋山氏は立花隆氏と強い交友関係にあるはずです。
 そういう思いも含めて、この章を書き始めていますが、ひとまず、宮崎明子さんのことへ戻ります。

 これは、横浜高島屋の近辺の公衆電話を使ったときに、大型の住所録を、公衆電話のそばに忘れたことがあるのです。それが、三週間後か、一ヵ月後に戻ってきたのですが、なんと、鎌倉市役所を通じて戻ってきたのです。
 
 理由は何とかかんとか、ついていましたが、私は、別の理由を考え出しました。・・・・・単純に拾ったのを、届けたのではなくて、尾行者は、もって帰って、三週間研究し尽くしたのだわ。で、もし警察署に届けたとすると、時間的につじつまが合わないので、見返しに私が書いた持ち主の住所が「鎌倉市だったので、鎌倉市役所に届けました・・・・・ですって。
 
 へんですね。嘘ばっかりでしょう。ちゃんと、雪ノ下2-○ー○と、番地が書いてあるのですから、そこへ直接送ってくれればいいでしょう。だけど、尾行者の住所を送信元として、書くわけには行かないから、鎌倉市役所に届けたと言う変な形をとったのでしょう。
 
 私は本を作ります。それを東販とか、ニッパンで、流通をさせません。だって、マスコミ有名人でもない私が、札幌の、書店、たとえば丸善などのチェーン店に並べても誰か買ってくれるでしょうか? 買ってくれませんよね。だから、全部、自分が配って歩くのです。知人にね。それを最初は、郵便でやっていました。だが、4冊目から郵便局がおかしいと気がつき始めて、自分で電車に乗って配って歩くことに決めたのです。
 
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副題18、『元博報堂重役の小池玲子さんも、敵方にリクルートをされてしまっている?』
 
 で、南長崎へ出かけます。中学時代の友人です。普段まったく使っていない西武池袋線に乗ってわざわざ出かけたのに、夜九時なのに真っ暗です。お子さんが三人もあるうちが、夜の九時なのに真っ暗です。変です。
 
 その次に、そことすぐ近くですが、地下鉄大江戸線を利用して、高校時代の友達を西落合に訪ねます。その人は、明子さんが来てくれた、個展に彼女も来てくれた、後(それは、1990年代だが)に大手広告会社、博報堂の重役になる大物キャリアウーマン小池玲子さんです。
 芸大卒のおしゃれさんで、1982年に銀色のジャンプスーツを着て当時は珍しかったダイヤモンドの1カラットのチョーカーをつけて会場に来てくださいました。『結婚記念日に妻にダイヤモンドを送ろう』と言うキャンペーンで、有名なデビアスの、担当だったから。
 
 子供時代に彼女に招かれて、たずねたことのある家ですが、やはり、彼女は不在です。変だなあと思いながら、疲労困憊した私は、すぐ近所にサイゼリア西落合店があったのを勿怪の幸いとして、休息をとりました。いつも四回食ですが、その日の四回目の食事をとった私が、そこを出て、地下鉄駅に向かうと、反対方向から来る彼女にばったりと出会います。
 
 こういうところが神様がいらっしゃると言うところです。会いたかった人にちゃんと合わせてくださるから。そして、彼女は意地悪ではありませんでした。面と向かえば。

 ただね。彼女がドキッとした顔をしたのが、印象に残り、裏側を推察していきます。
 まず、彼女の家は、いまどきの東京の邸宅には珍しいほど広い敷地があります。それで、お姉さん方のお屋敷も邸内に建っています。
 
 で、入り口がどこかわからないので、お姉さん宅に問い合わせをして、奥にある彼女のお屋敷を訪ねました。武蔵野の森風のお庭に立つ瀟洒な洋館が彼女の家でした。ご主人がいました。不在だと聞いて、本を置いて帰ったのですが、道で、ばったり会った彼女が、いろいろ、言い訳をするので、変だと、特に感じたのです。
 
 これから先は、本当は、言いたくないのですが、たぶんこれが真実だと思われるのは、ご主人と彼女が携帯で、連絡を取り合って、『彼女(=私のこと)は帰ったから大丈夫、もう帰っておいて』とご主人が言ったので、彼女は新宿の喫茶店に待機していたのを止めて、帰宅したのだが、私がサイゼリアで、一時間程度を過ごしたことが予想外だったので、驚き入ったのだと思えばあたってきます。彼女はその尾行者から連絡を受けた、彼女が信用しているしかるべき知人から、「川崎千恵子が、いまから、たずねるはずだが、会わないようにしてくれ」と頼まれていたのでしょう。それが誰か? たぶん日経新聞の誰かです。
 
 私はものすごく悲しいです。一切の裏がわかっていますから。でも、道の真ん中の立ち話で、しかも夜の10時半過ぎです。上に書いたようなことを彼女に説明できますか? 特に瀬島龍三の問題やら、ベイカーさんの問題まで説明できますか?

 そして、彼女が昔のように、家にでも招いてくれて、宿泊もさせてくれたら、話せますが、とても、そんな雰囲気ではありません。
 
 すべての裏側がわかっているのに、全部、こちら側だけが我慢をしていて、ただ、ただ、お別れしていかないとならないのです。本当に理不尽なことです。
 
 でも、彼女は日経BP社から自叙伝(エッセイ)を出しています。面白い。で、そちらに恩義があるし、マッキャンエリクソン博報堂の重役としては、日経新聞社の誰かから、何かを頼まれれば、そちらを優先するのは、ありでしょう。私が悪人ではないことは彼女は知っている。でも、それでも忌避するのです。すごく悲しいです。これも、五億円の被害のいったんです。
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副題19、『宮崎明子さんを、私から離れるように説得したのは、石塚雅彦さんですか?』
 
 石塚雅彦さんと言うのは社会的な立場としては、日経新聞の論説委員をした後に早稲田の法学系大学院の教授を、現在している紳士です。おしゃれな人です。持ち物とか洋服がです。また、有楽町の外人記者クラブの理事長をしたこともあるし、ニューヨーク支局長をしたこともある紳士です。
 
 私との接点を言えば、横浜市立日吉台小学校の先輩であり、大学でも先輩に当たり、大学在学中はアート部の先輩であり、卒業後は、彼が同窓会長であり、
 
 同窓会展で、ご一緒して、彼の会員権を利用して、外人記者クラブのれすとらんで、打ち上げやら準備会と称して、4回ぐらい同じグループで食事をした関係です。それから同窓回転の最中には、数回画廊で顔をあわせます。ですから、同窓回展という、総勢12人程度の小さな集まりで、20回はご一緒している間柄です。

 そういう会合の際ですが、私が「石塚さんの初仕事って、日経新聞の文化面の右上にある絵の欄でしたよね」というと、『いや、違う』と、鉄の塊のようなぶっきらぼうさで、否定をされたのです。
 
 でも、20年以上前の同窓会では、石塚さんは確かに、『僕の初仕事はね。あの文化面の右肩にある絵のコラムだったのですよ」と、ニコニコしながらおっしゃったのです。
 
 今まで、石塚雅彦さんについては、しっかりとは書いて来ては、いません。本格的に書くと、50万字以上が必要だと思って触れなかったのです。そして、軽く、フェイスブックの世界での、弾圧に関与して、古村浩三君と四谷のバーでよく一緒になるコンビだから、フェイスブックでの弾圧が、実行者は古村君でも、グランドデザインは、石塚さんのアイデアではないかとか、いう部分で軽く触れてきただけですが、・・・・・
 
 私が常日頃言っている、五億円の被害に関して、石塚さんが、指導している部分も大いにあるだろうなと推察しているしだいです。ただ、石塚さんは、忙しい人です。早稲田で、教えないといけないし、ご自分のキャリアーを磨き続けるために難しい本を翻訳しないといけないしで、井上ひさしみたいに、私の文章をいちいち研究して、
 落ち度を見つけたり、突っ込みどころを見つけたりするのは苦手だと思うのですが、国際的に知人が多いので、イギリスを利用したり、フランスを利用したりすることはできるでしょう。
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副題20、『ゴッホの新作が、発見をされました』
 
 この9月10日に、ゴッホの夕景の新作『モンマデュールの夕方』が発見されたと言うニュースが配信をされました。これは、別に私にとって痛くもかゆくもありませんが、藤田千彩さんが、攻撃をしてきたのが、ゴッホ関連のイギリス発ニュース・・・・・カウボーイにかぶれていた少年によってゴッホは撃たれたと言うもの・・・・・が、きっかけだったと、つい最近ブログに書いたばかりです。
 
 ゴッホの新作は、真贋を言えば、本物だそうです。だけど、このニュースによって、藤田千彩さんをバックアップするつもりかもしれません。・・・・・ほら、僕達は世界のニュースを動かすほど、力を持っているのだよ。お前なんかより圧倒的に強いんだ・・・・・と、見せ付けるために、このタイミングで、それを流したともいえましょう。
 
 大掛かりですね。ごりっぱ、ごりっぱ。
 
 さて、私が見るところ、エージェントとなった人々は、押しなべて傲岸不遜です。古村君もそうです。夫でもないのに、威張った物言いを、私に対してしてきます。まあ、ロックフェラー四世と大学時代同室だった可能性を私は感じているから、そこらあたりが自信の源泉でしょう。
 
 1960年代の第一男子寮はたぶん四人部屋ですから、石塚雅彦さんもそこで、一年古村君と一緒だったはずです。そして、ロックフェラー四世とも二年か三年、一緒だったでしょう。
 
 それが石塚さんの鉄壁の傲岸さを作り出しているとも思いますが、もうひとつ、最近気がついたことがあるのです。
 
 しかし、こちらは傍証が一切無いので、今のところ、見てきたような嘘を言いの類ですが、石塚さんって、ある大物ビジネスマンと顔がそっくりなんですよ。そのビジネスマンはすでに引退している人ですが、日本一の大金持ちです。土地を所有しているその資産価値といったら、ホテルから何からを含めて、すさまじいレベルの資産家です。
 
 たとえば天皇家と比較をして見ましょう。御所や国有林と言う形で、戦前だと、莫大な財産を持っているお家でした。だが、今は、それを、自由には使えません。
 
 日本人の誰もが、天皇家よりお金持ちだろうと認めるようなビジネスマンと、もし、いとこだったら、石塚さんの鉄壁の傲岸さも、なるほどと思われるのです。外国にも特権階級の見方がいて、日本国内にも特権階級の見方がいるとなれば、強いのも当たり前ですね。
 
 そちらのビジネスマンの実母と、石塚さんのお父さんが、もし、きょうだい、とか、いとこの関係だったら、石塚さんのあの傲岸ぶりも納得をします。顔もそっくりですし。
 
 伊藤玄二郎も傲慢な人です。で、私は、すでに、以下のように推察しています。伊藤玄次郎は、伊藤整の子供であり、しかるべきときとところでは、それを明らかにして、ひとたらしの道具として使っているだろうと。いわゆる貴種伝説を利用しているのです。

 これは、大相撲壊滅作戦の初期に、伊藤滋という早稲田の教授にして元東大教授が使われて、その人が、実は伊藤整の子供だと、宣伝をされたから、気がついたのでした。
 伊藤玄二郎が拝み倒して、任を担ってもらったのでしょう。母が同じかもしれないし違うかもしれない兄弟である可能性は強いです。
 
 石塚雅彦さんに関しては、すさまじくいろいろ語らないといけないのですが、今日は、宮崎明子さんと、小池玲子さんに限ります。
 
 その二人が、私の琴線を震わすほどの大切な友だったのに、今では付き合いが自由にできない関係となったのは、あいだに誰が入っていたとしても、石塚さんが、導いた筋道だったと思っています。だって二人は苦く年始か違いません。そして、同じマスコミ界に入って、特にテレビ東京が、日経新聞の系列下に入った後では、相当な交流があるはずだからです。自由に電話をかけられる関係でしょう。ただ、小池玲子さんは別の人(ただし、日経新聞社の人)からの連絡で動いている可能性はあります。
 
 銀座の裏路地で、石塚さんとすれ違ったりします。するとね。そのとき、私は小学生みたいにはしゃいでしまいます。年上の人とか社会的な立場が上の人は、大体において尊敬していますしね。
 だけど、天真爛漫にはしゃぎながらでも、一方で、
 
 「石塚さん、どうして、あなた、そんなことをなさるの。もし、ロックフェラー氏が、私の悪くちをあなたに吹き込んだのなら、それは、彼の同時期に留学していたベーカーさんが、おっちょこちょいであるがために、失敗して、自分がCIAであることを私に悟られてしまって、その後で、私を殺そうとして、それも失敗したので、悪口を言っているだけですよ。そんなのを信用なさるのですか?
 
 それから、もし、瀬島龍三から悪口が、入ったのなら、それもまた、彼の友人益山某氏が横須賀市の水道山を地籍変更届の仕組みを利用して、ただで取得したことに、加担をしたのですが、その詐欺事件に被害者として、巻き込まれた私が、悪事の真相を知っているからですよ。
 
 それからね。もし、酒井忠康氏とか、伊藤玄二郎から、何か、悪口を吹き込まれたとしたら、我が家の近所のわがまま傲慢主婦達が、よってたかって、わがままをした結果、我が家の土地が不当に、盗まれてしまっていることの、世に暴露されることを、恐れ切っていて、私を暗殺したいと思っている連中がいますが、その、見方をすることになるのですよ。それって、神様に背くことではありませんか? キリスト教の信仰は共有していませんか?
 
 いろいろな形で、全部で100回は、すでにあって会話も交わしている関係です。そういう相手に、これほど、無慈悲で、理不尽なことをなさるのですか?・・・・と、問いかけておきましょう。だけど、鉄面皮さんだから、何も変化が起こらないかもしれませんけれど・・・・・
 
 ともかく、宮崎明子さんが、私の前から、永遠にと言ってよいほどの距離で遠ざかってしまいました。ほかにも、石塚さんからの助言で、私が関係を阻害されている人物は、いろいろ、名前が挙がりますが・・・・・
 それを書くのも、すべて友人だから、非常に書きにくいのです。その戸惑いや懸念も、大きいのですが、それよりも、まったく別のことが出来して、突然にブログを終わらせることにいたしました。
 
 今、急に気がついたのですが、ほとんど読めない形で、ブログが破壊されていましたね。数時間フォントが、ごく、薄い色でした。今午前二時ごろにやっと、濃い色に、色を変えてみました。で、こんな破壊工作が行われているので、これから先は、本日は何も書かないでおきましょう。
 
 恐れ入りますが、そういうわけでタイトルに書いてある立花隆氏や保見容疑者には触れることができずにいますが、本日はこれまでです。
 なお、このブログは、2010年から数え始めた伸べ訪問回数が、178万回を越えていて、もうすぐ179万回になるところだと、それは、申し上げさせてくださいませ。実際の数字は、11日の朝には、1790208でした。
 
 2013年9月10日深夜、から、11日早朝にかけて書く。雨宮舜 (本名川崎千恵子)
コメント

神田日勝・・・ゴッホ・・・藤田千彩・・・石塚雅彦・・・宮崎明子・・・立花隆・・・保見の15、前篇

2013-09-08 20:32:49 | 政治

 この一文は2万字以内で、まとめられませんでした。続編として、続くものを独立をさせます。明日誤変換を直しておきます。

副題1、『オリンピックで、沸く日本で、地味な神田日勝の業績が、本日夜、再放送をされました』 

 本日、2013年9月8日(日)は、朝の五時に、オリンピックが東京に来ると、言うことがわかって、日本中、その喜びに打たれた模様です。

 私は、本日は、竹橋の国立近代美術館に竹内栖鳳を見に行くかどうかを迷いながら、結局家にいて、家事をしながら、テレビニュースの録画を、整理していました。毎日毎日、人は選択を重ねながら生きていると思います。

 私も、本日も通例のごとく選択をしました。朝には何を優先するべきか、考えながら、それでも、より小さなことを、優先して行くことにして一日中を過ごしました。小さなことを丁寧にする。そういう生活のある種のよさに気がつき始めているからです。

 集中して、集中して、前向きに生きていくと決めていた私なりの怒涛の時代と、このように、ふっと息抜きをする時期と、どちらがいいか、わからないとも、思う昨今です。いや、たまたま、今の年齢と体力にはこれしかないし、これでいいと思っているのです。

 だが、パソコンの中には、このブログのアイデアと言うか、下書きが何本も入っていて、それを、整理したり、加筆をしたりすれば、本日のブログは、かけるし、と思っていたのです。

 ところが、夕方の、6時40分ごろに初めて、本日の夜八時からの、日曜美術館が、タイトルは、神田日勝とあって、『あっ』と、驚きました。

 これは、6月23日放送とあります。だが、私が録画したのは、夜八時の番組ではなくて、朝9時からの方だったと思います。で、最初の五分間は録画していないのです。と言うのも新聞のラジオテレビ欄には、「半身の馬」と言うタイトルがあって、・・・・・ああ、具象の人なのですね・・・・・と、思い込んだからです。で、本来なら、見ないはずでした。私は忙しいし、そんなに、情報をたくさんインプットすることも人間は不可能ですから、いわゆる現代絵画と言うものしか、精査しないほうなのです。

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副題2、『ヤエノムテキと言うサラブレッドに、熱烈に入れ込んだ時代があった』

 本日、その再放送を5、6度目として、見たのですが、その神田日勝と言う、日本全国的に見れば、まだ、有名ではない画家の一生は、とても心を打つものです。皆様にも、もし、ごらんになっておられなかったら、ご覧になるように、お勧めをしたいものです。オンデマンド放送に申し込んでおられるのならさらにお勧めです。

 私は録画したそれを、そうですね。何回も見たものです。そして、グーグルで、神田日勝を調べたりもしました。

 だけど、それをはじめてみた日には、まったく、予備知識が無くて、上に言ったように、『ふん、具象の人ですね』と、軽く考えて、・・・・・本来なら見ないはずでした。

 ところが、ある年の皐月賞を、テレビで見て、ヤエノムテキというサラブレッドに、突然電撃に打たれた様に惹かられてしまったのです。その日、テレビを見ていたのが、偶然一人だったのも幸いしました。主人は松阪に単身赴任をしていて、子供達は出かけていたのです。

 とても性格に個性のあるサラブレッドで、かつ、毛色と、毛並みが美しいのでした。G1レースと言う、日本競馬会の種目でも最高峰に、位置するレースに出るのですが、皐月賞は勝ったのに、次に来る、ダービーにも菊花賞にも勝てず、ただし、次の年の秋の天皇賞を勝ちましたが、なかなか、スカッと勝てないのです。

 ところが、不思議なことに、私には、勝てない日には、テレビで見ていても勝てないことがわかるし、勝てる日にはテレビで見ているだけで勝てることがわかるのでした。で、手書きで、厩舎に、そういう思いを、送ったら、調教助手さんにひどく驚かれて、ご返事もいただいたし、馬主さんにもそれを、見せてくださったらしくて、秋の天皇賞を勝ったあとで、非売品のぬいぐるみとか、岡部騎手の大型のポスターとかを送って、いただきました。

 しかし、ヤエノムテキが引退してしまうと、私のサラブレッド熱も冷めてしまって、それ以降はテレビも見ていません。ディープインパクトなど、非常に美しい馬体(体型)である模様ですが、なぜか、興味を抱けないのです。

 本日、2013年9月8日の午前中に東北の人たちが、不思議な現象にであっているという番組があった模様です。亡くなった人が目の前に現れたり、亡くなった人の声が聞こえたりすると言う話でした。見なかったのです。気の毒で見ませんでした。ただし、幻聴とか、幻視と言うだけでは、片付けられない話だと思っています。

 集中すると、勘がさえるのです。私はもともと母に鋭い勘の持ち主だと言われていますが、さらに集中していると、勝つのか、負けるのかの、未来予測さえもできるのでした。

 オリンピックが東京に来るか来ないかなどは、予測できませんよ。と言うのも、大勢の人が関心を持っていることなど、あまり、力を入れる必要が無いと思っているからです。それは、その人たちの思いの力で何とかなるでしょうから。

 特に、オリンピックと経済効果、および、自民党の財政策、それと、消費税増税のこと、そして、インフレのことなどは、実は、浮かれているばかりで、済まされることでもないと思っていますが、本日はそこには触れません。

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副題3、『神田日勝に触れたのは、ほんの偶然だったが、それこそ、ヤエノムテキにほれたように、一気にその絵と人生の両方に、惚れ込んだ』

 テレビを通じての出会いなんて、薄い、薄いとおっしゃる向きもあるでしょう。だけど、ある人物、または、ある生き物(サラブレッド)に、ほれると言うことは、ほかの事にも、熱情を抱けると言うことなのです。

 私はよく、『私は修行を重ねていますから』と、言います。口幅ったい言い方で、豪語のひとつですが、修行とは禅寺に行かなくてもできると言う意味で、テレビ画面からもできるのだと、言う例として、この神田日勝と、ヤエノムテキなどをあげたいと思います。

 まあ、71歳にして初めて知った、神田日勝と『そっくりな人生を送ります』とか、『そっくりな時間の使い方で絵を描きます』というような意味で、修行をするというのではなくて、いき方として、美しいものへ憧れ、そこに身を寄せるということをさします。

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副題4、『5歳の長男を虐待死させた、42歳の父親が、自分はバカだったと、警察署で言ったそうだが』

 一方で、本日たくさんの録画されていたニュース類を点検したのですが、その中で、5歳の長男を、30分も殴ったりけったりして結局は死に至らしめてしまったお父さんが、『死ぬとは思わなかった。自分は無知だった。馬鹿だった』と警察署で告白したそうです。

 これは、政治には関係が無いので、メモもとらずに削除をしてしまいました。民放だったと思いますが、父と言われる人物が、洋服などで、顔を隠すことなく連衡をされていく映像を見ましたが、ごく普通の男性でした。

 たぶん、妻が家出をしているとか、ほかの悪い条件が重なっていたのだと推察しますが、常に、自己点検をしていないと、人間は動物に近くなります。もともと動物なのですが、それが、すぐ表に出るのです。動物の世界だと弱肉強食だから、この父親が、社会から弾き飛ばされた弱い自分を感じていて、イラついていたとしたら、それを弱い弱い、自分の子供に当たるということはありえるのです。無色だったと言いますから、社会から弾き飛ばされた自分と言う感じだったでしょう。それに、もし、私の想像通りに妻が家出をしていたとしたら、なおさら敗残者の思いは強かったでしょうから。

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副題5、『ところで、テレビ東京の<ゴッホ最後の70日>と言う番組も大推奨番組です』

 ニュースが利用されて、攻撃を受けるので、その点検に大忙しで、最近では新聞を読む暇も無いのです。で、この神田日勝の番組も皆様にお知らせもできませんでした。そういうおせっかいもできなくなったのですが、昔は、

 一度見た番組で、善いものが再放送されるときは、このブログかメルマガで、読者にお知らせをすることがよくありました。二回ほど、強烈に覚えているもののうちのひとつは、テレビ東京で、放映された『ゴッホ最後の、70日間』と言うもので、ゴッホの死は、弟テオが、金の無心をされることに追い詰められきっていて、テオが撃ったという説を、開示した番組です。

 その番組では、もうひとつ衝撃的な解釈がゴッホに対してなされていました。それは、ゴーギャンとアルルに一緒にいたときに耳きり事件を起こしているのですが、あの耳を切ったのはゴッホではなくてゴーギャンだったと言う解釈を述べているものです。

 ゴーギャンはサーベルをアルルに持ってきていた。ゴッホと、ゴーギャンは芸術家同士だから、激しくぶつかっていて、ゴーギャンが怒りのあまり、ゴッホにサーベルを突きつけて、それで、偶然耳がそぎ落とされたと言う説です。

 ゴッホは、激しいほど、善人であって、ゴーギャンを相手にしても、自分が耳をそぎ落としたことにしたし、弟テオが、自分を売ったときも、自分が自殺したことにしているのですが、その番組の例証や傍証を、仔細にたどっていくと、すべて、つじつまがあうのでした。

 これは、本当に強烈な番組でした。ゴーギャンがタヒチに行きっぱなしになったのも、死後のゴッホの強烈な思い出から逃げるためだったでしょうし、弟、テオが、その後、ろうそくが消えるように弱弱しく死んでいったのもうなづけるし、テオの妻が、大急ぎでゴッホの書簡集を出したのも、頷けるのでした。

 しかし、偉大なこの番組をお知らせしている私の文章が価値が高かったのでしょう。それに、テレビ東京は日経新聞系列ですからね。いろいろ、変なことが昔から多かったのです。5歳上の先輩である、プロデューサーの宮崎明子さんにかわいがられていたのに、突然交流が、切れてしまったり、在ニューヨークの天才的頭脳の持ち主、Tさんが、突然朝の地上波から消えてしまったり、

 しかも、挙句の果てに、藤田千彩さんと、いう、元通信者勤務にして、現在は、美術評論家をしている若手の女性から、この番組のことで、激しい攻撃を受けると言う形になりました。それは、今のシリア空爆のようにロンドンにおいて、親切が発表されたと言うが威信も利用する凝った形でした。それで、私は石塚雅彦さんと言う元日経新聞論説委員とか、私の同期生の、古村浩三君が、私を弾圧する役目を担っていることに気がついてきてしまうのでした。

 藤田千彩さんが、元外国とのニュースをやり取りする会社に勤めていたとか、いろいろあって、そういう直感が働くのです。これは、雨宮処凜さんの大活躍にも通じるポイントがあるのですが、後者については、今まで、一度も言及したことが無いで、本日も軽くやり過ごして先へ進みます。

 芸術に耽溺したくても、このように、突然の妨害とか攻撃が加えられるので、落ち着いて、芸術のことに耽溺できないのです。藤田さんから、突然の攻撃を受けたのは、2011年の、8月の末だったと記憶していますが。

 後で、ブログを点検してみるとわかると思います。ただ、彼女は岡山県で育った人で、その後上京して、玉川大学を出た人であり、特権階級意識が今はまだ小さいので、私が彼女の役割に気がついていろいろ書き始めたら、さっと逃げ出したのです。が、そういうところが、潔いと言うか、賢いのでした。人生を送るにあたっての、防衛力が強いようです。誰と比べて、賢いかと言うと藤田さんの一年後に、似たような役割に使われた開発ちえさんに、比べるとです。

 偏差値的に言えば慶応大学卒業の開発さんのほうが上なのでしょうが、彼女の方が、お金持ちの家に生まれたと言うことが、こういう修羅場では災いします。

 ここらあたり、あなたが何を言っているのかわからないとおっしゃる方があったら、

リキテックス社の賞から連想されてしまった、成りすまし疑惑と、周南事件の相似性△△

2013-08-15 15:19:15 | 政治

   と言うタイトルの過去ブログほかをごらんいただけるとうれしいのですが・・・・・まあ、それは、強くは望みません。で、先へ進みます。

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副題6、『数学の難問を解いた、ペレリマン博士の番組(NHK)も素敵でしたよ』

 もうひとつ、これは、どれほど、お勧めしても、攻撃の道具としては、利用されたことが無い番組があります。それは、数学の難問、ポアンカレ予想を解いて、数学分野のノーベル賞と言われる、フィールズ賞を授与されながら、その授賞式に現れず、かつ、その後、引きこもり体制に入ってしまったペテルブルグ在住の天才、ペレリマン博士のドキュメンタリー映像です。それは、番組の副題としては、「数学者はきのこ狩の夢を見る」だったかな? ペレリマン博士は、人間とは誰とも付き合っていないのだが、よく森へ散歩へ行くとの事でした。そして、きのこを採っているとのことでした。

 なお、本日は、保見容疑者について語らないといけないので、ペレリマン博士についても、神田日勝についても、詳しいことは何も語りません。ご存じない方で、ご興味のある方は、ラジオテレビ欄・・・・特にETVとか、BSプレミアムとか、BSジャパンとかを、気をつけておいて下さるとうれしいのですが・・・・・簡単な情報でよければ、グーグルで手に入るでしょう。今確認しましたが、ペレリマン博士については相当数のブログもある模様です。

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副題7、『神田日勝の兄は、芸大卒業らしい』

 神田日勝は、苦労をした人です。東京から北海道の開拓地へ一家で疎開した人の一人で、酷寒の帯広で、ブルドーザーなどの機械も無い昔に、大変な苦労をした上で、32歳で夭折をしています。

 NHKの番組は大変いい番組でしたが、ただ、ひとつ不思議でならなかったのは、どうして、神田日勝が現在でも高い評価を受けていて、北海道立か、帯広市立か、鹿追町立か、は、知りませんが、立派な美術館も建っていると言うことでした。

 ロマンローランが、言っています。「人間は社会に生きる人として、ピラミッドを形成している。その上であろうが、下であろうが、外側の石になっている人は幸いだ。だが、中に入れ込まれた石となっている人は、不幸せである」と。

 なぜ、32歳で夭折したのに、立派な美術館が建っているのか?

 絵は魅力がいっぱいで、人の心をうつ人生でもありますが、同じような経歴の人は、油絵作家だけを採ってみても、明治以降でも、五万といるでしょう。だけど、公立でも、私立でも、その作家専門の美術館が、建っている画家はそれほど多くありません。

 どうして、それほど、神田日勝が恵まれているのかは、本人の人柄がよくて、兄弟や妻が立派な人だったとしてもなお解せないので、後で、グーグルを引いてみたのです。

 すると、お兄さんが、芸大へ、進学していることがわかりました。なるほど、そこにひとつの答えがあると、私は感じました。

 どういう事かと言うと、中学卒で、農民として家を引き継ぎながら、行き寒冷で、作物ができないなどの苦労をしながら、道展(ほかの地域では県展と言う呼称のはず)に、大作(ほぼ100号サイズ、ただし、ベニヤ板に書いたので、正確には100号Fより大きくなったはずだが、彼が、100号サイズにベニヤ板を切ったかもしれないので、サイズがわからないが、ともかく、普通の人が趣味で描くサイズではない)を描いて、出すと言う、行動様式が、わからないはずなのです。

 それは、過去ブログ、

保見容疑者と、神田日勝との違い・・・・・(メンターの有る無し)△

2013-07-27 12:08:03 | 政治

  の中に、考察の経過を書いておきましたが、

 そういうものなのです。その上、個展をする。こういうことも、画廊への紹介を、誰がしてくれるのか。そういう意味で、なかなか、一歩先へ進めない人は多いのですよ。

 もちろん、神田日勝は、道展応募二回目にして早くも大賞を取っています。だけど、大作を描いて、額をつけて(今は額なしで、工房団体展が、結構ですと言うらしいのですが、昔は必ず仮ぶちと言うのをつけてくださいと言われたものです)、道展に応募すると言うことが、普通の人にはなかなかできないはずなのです。それができたのはお兄さんが、芸大卒、または、芸大在学中だったから、こういうシステムのことを知らせてくれたと考えると、筋道がついてきます。

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副題8、『父が、官展で大賞を取っているから、私には美術界のプロトコールがわかっている』

 私が美大卒でもないのに、とんとんトントン、美術界を進んでいくのは、実は父が戦前に、満州文展と言うところで大賞を取っているからです。そして戦後も20年ぐらい休みましたが、その後、太平洋展とか、鎌倉美術展にずっと、出品をしていました。そして画家同士でお茶飲みするのが大好きでした。

 父の絵は例のラストエンペラーの宮城や、甘粕大尉の部屋を飾っていたそうです。そして、そのころの新聞記事(切り抜き)がたくさんあり、写真も数葉ありました。それが泥棒に盗られてしまいました。

 ただ、私はスキャンをすることをやっていなかったのです。いつも忙しくて。でも、国立国会図書館にはあるだろうと思っておりました。が、なんと文化面だけは、マイクロフィルム化されていないのでした。そして、私が国会図書館へ行くたびに、それが午前6時であろうと何であろうと、機動隊のバスとか、パトカーとかが必ず二台いて、脅かすのです。

 ですから、私が美術の才能があり、しかも、父は、今で言うオイルシェール(当時は頁油岩と言っていた)の研究を満鉄の調査部、中央試験所で、やっていた知識階級でしたから、お嬢様育ちであることを、読者(または、国民)に開示させないようにしている勢力があるわけで、それは、必ず、夜に私の電話をワン切りしたりして脅かす人間です。今もこれをパソコンで書いていて、まだブログとして、公開していない段階で、電話がぎりぎりと言いました。ワン切りしようとしたが、私がワン切りについて過去例を書いたので、実行を差し控えたのでしょう。

 ところで、その同じ国会図書館ですが、『びょんぶ』という書物(豪華本らしい)をどうも隠しているらしいのです。河出書房新社から出ていて、それが、原因で、伊藤玄二郎が、ポルトガル国のエンリケ(?この正式な名称を今覚えていないが)皇太子勲章をもらうこととなった本です。その本を誰が編集したかは、大問題なのです。私を取り巻く暗闇の秘密が、そこから解けるほどの大切な本ですが、国会図書館はそれを秘匿しているらしいです。

 ですからいつか、この20年間で、国会図書館の館長をしていた人にはインタビューをしてみたいと思っています。その裏側にどういうことがあったのか? 誰が満州に関する新聞のマイクロフィルム化を提言して、文化面だけは、削除する様に、仕向けたのか? ぜひ知りたいと思っております。

 警察がパトカーを出して国会図書館前で脅かすので、伊藤玄二郎がエージェントであると断言するのです。彼の元愛人である石川和子さんが、私の猫のことで、自分が隠していたのに、その隠しているはずの私の猫が、私のほうを慕って家の中から出てきたことに、イラついたあまりに、、警官を呼んだことがあるのです。しかも、私を、「その夫に叱ってもらうように、あそこのだんなに、頼んでください」と、警官に頼んだのです。

 猫風情で悔しい思いをしたからといって、隠していたのは、自分のほうなのですから、そんな事を警官に頼むこと自体、驚天動地のばかげた行動ですが、それにのって、のこのこやってきて、我が家の玄関のドアノブをガチャガチャやって、私のだんなを呼ぶ警官がまた、おばかさんでした。その上、この130段も石段がある地域には絶対に、車が入らないのに、なんと、その警官たちが、交通事故の調書をとって、さらに、脅かしたのです。まったくバカの三重唱ですが、絶対に謝罪をしないで、このようにさらに脅かしの上塗りをすることで解決しようとしています。

 でね、どうしてそういうことになるの?と不思議極まりないので、伊藤玄二郎とその盟友であって、現在も実際には生きている井上ひさしが、国際的軍産共同体のエージェントであるので、これほどの、特権が利くのだとわかってきています。

 驚くべきあくどいことが、この雪ノ下二丁目の谷戸では、起こっているのです。私は、何十回も入った泥棒の一部は警察ではないかと思っているほどです。泥棒を取り締まるはずの警察が泥棒をしているのです。電話の盗聴やらパソコンのハッキングもその可能性があります。

 父に絵の才能があったことは、一種の挿入と言うかスピンオフの話でしたので、元の神田日勝に戻ります。

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副題9、『仲間とタバコをくゆらす、日勝の落ち着きは、兄の芸大入学という学歴が、支えていたはずだ』

 芸大の音楽部は、ほとんど、試験が無いようなものだという側面があります。楽器部門は、芸大の先生に、入試前に、見てもらっている必要があるから、そこで、大体合否がわかるようなものだからです。

 美術のほうではそれほどでもないと思いますが、神田日勝のお兄さんは、帯広にいて、予備校で、デッサンを習うなどと言うことがあったかどうかを知りませんので、純粋に、才能はあったといえるでしょう。東京の子供が芸大に入学するのと、帯広の子供が芸大に入学するのではやはり、違いがあって、帯広から、入学したほうが勲章度が、高いと言えます。

 そういうお兄さんがいる青年として、日勝は、画家仲間に相当いい位置でもって受け止められていたと思われます。NHKが開示した写真の中に、画家仲間と喫茶店で、談笑している写真があってそこの日勝は、とても落ち着いていて、幸福そうです。

 この喫茶店が札幌にあるものだと仮定をすると、普段は、帯広からは、なかなか、出席できない仲間うちの会だから、日勝の気分が高揚していたともいえます。が、はしゃいでいるとか、高ぶったと言うよりも静かに落ち着いています。これは日勝がみんなに受け入れられていると言うことを信じきっていることをあらわしています。

 しかし、『友あり、遠方より来る、また楽しからずや』と言っているほど、画家って、単純な生き物でもなくて、激しい嫉妬の感情などがあるものなのです。

 それに画家でなくても、日本人って、すぐ、談笑の際でも、上下関係の位置は確定したい方ですから、中卒であって、しかも若くして、大賞を取っていて、しかも農民であるとなると、その位置取りは非常に難しく、ややもすれば、弾き飛ばされる可能性もあるでしょう。

 画家は、自由業ですが、たいていはそれでは食えないので、別の仕事を持っていて、その職業でも人間とは上下関係を作るものだからです。美大か、国立大学の教授をしている人が一番偉くて、私なんか職業としての肩書きが無いので、下っ端中の下っ端です。だけど、内面的な実力があるから、みんな扱いに困ってしまうところがあるわけです。

 比較して、日勝が、周りから、素直に受け止められたのは、お兄さんに、芸大入学者と言う、勲章があったからです。そして、弟にも才能があると、みんなが素直に認めてくれたからです。

 そしてお兄さんから美術界のプロトコールやら、出世へのシステムを教わっていたことも大きいでしょう。道展で、大賞を取っていたことも幸いしたし、個展を一回だけでもやっていたのは、後世に名前と作品が残るためには大きく、寄与したと思います。

 また、テレビでは、語られなかったけれど、若い未亡人を支えた、親戚からの経済的援助等もあったと思います。それは、彼の名前を冠した、公立の美術館が、すでにあるという形で、現在世に出ている彼が、確実に世に出るための布石が生前にすでに、行われていたということです。

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副題10、『芸術家が、世に出る・・・・・と言うことは、どういうことなのか?』

 私は、五冊目の本『黄色いさくらんぼ』のあとがきとして、21歳の詩人と言う短いエッセイを載せています。それは、ニューヨークの地下鉄で、乗車駅で、いすにうつぶせに座っている大変な美形の若い人を見つけて、女の子だろうか、男の子だろうかと、いぶかしく思ったことから始まります。服は白いサマーウールのスーツ(背広)で、ペイン格子という上等で、しかも、ホームレスなどとは違って、清潔なものなのですが、あっちこっちほころびていて、コインランドリーでがさがさ洗濯していると思われ、現在は貧乏だと思われるのですが、育ちはよさそうです。

 あまりにも不思議で、ずっと見つめていて、彼が降りるときに一緒に降りて、喫茶店に誘いました。ニューヨークでは、それほど、高級な喫茶店と言うのは無いのです。コーフィーいっぱいぐらい軽いおごりなので、おごりたいと言うと、水だけで結構ですと言うのです。誇りは高いです。

 出身国はエジプトだと言うので、大統領一家または、その候補クラスの上流階級の子弟だと推察されました。想像したとおりに芸術の道に入っているのでした。しかも詩人だとの事です。

 それで、すぐさま、『ああ、そういうわけで、親から勘当をされて、今、仕送りが無いんですね。それは、2,3年前からでしょう。この洋服は既製品ではないでしょうね。肩幅がとても広いのに、ぴったりのサイズですから。素材は最高級です。だけど、ぼろぼろだと言うことは、3年ぐらい前から、新しいのを買っていないということでしょう。なるほど、なるほど』、などと、思い至りながら、そんなことは初対面ではいえないので、

 「で、本は出したの?」と聞きました。タイトルを聞いて、本屋で買ってもいいと思ったからです。ところが、こで彼は猛然と怒り出しました。その力強さが、私が「彼が、ハイクラスの政治家か、軍人の家系の人間だ」と最初に申し上げた推察が当たってきたところです。ただ、顔だけがクレオパトラもかくやと言うほどの美形なのですよ。色も白くて、いわゆるハーフなのかもしれません。

 彼は、小さな、しかし、しっかりした声で、「どこからが、芸術家だといえるの? 本を出さないと芸術家ではないと言うの?」と言いました。私は虚をつかれたと言う以上にびっくりして、「ごめんなさい。だけど、日本では、そういうことが必要なの。ニューヨークとは違うの。そうしないと認められないのよ」と、言いました。

 これが、後で、逆説的に、私を本の世界へ追い立てることとなります。ニューヨークと日本は違うのです。そちらの方が芸術の世界では、拝金主義ではないのです。それと、一点集中主義でもないのです。貧富の差が激しくても、芸術家は、芸術家として一定以上の尊敬を受けているので、生きる気力がわきます。だけど、日本って、貧富の差が激しくないのに、お金が無い人はただ、それだけで、軽蔑される悲しい社会です。で、どうしても、お金を持っていないといけないので、純粋に創作だけをやっている芸術家が少ないのです。

 私だって、「専業主婦だ」と常に、がなり立てているのは、それがひとつの職業であって、「ある程度以上のお金はありますよ。特に、生活費は大丈夫なのですよ」と、皆様に知らせたいからでした(笑)。いや、笑い事でもないですかな?

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副題11、『神田日勝は、すでに有名人だが、芸大出身のお兄さんは有名人ではないぞ。なぜか?』

 「一将、功なって万骨枯る」と言う言葉があります。日勝はすでに、日曜美術館で、二回も放送をされていて、しかも、公立の美術館さえあるので、作品は散逸せず、芸術家として、後世にまで、その作品を残すことができます。

 ふとですが、その美術館の館長はお兄さんだった時期もあるのではないかと考えることもあるのです。大卒のお兄さんには、公務員として生きる資格があって、特に道立高校の先生などを引退した後で、教育委員会づとめから、館長へ転任していくと言う道はあると思います。

 それと、お兄さんには、農業を捨てたわけですから、生計を別の何かで立てないといけないので、学校の先生をした可能性は高くて、そうすると、それなりに忙しいと言うことがあります。また、いい先生ならそれなりに、かえって達成感を感じる毎日も訪れるでしょう。

 それと、もうひとつあります。芸大に限らず、美大に進学した人が、絵を描くのに飽き飽きしてしまうと言う現象もあるのです。入学前やら、入学後にあまりに大量に描かされすぎると言うことはあるので、それで、食傷してしまうと言うこともあるのです。版画に逃げる人が多かったりするのは、版画と言うのは、それほど、大量に作ることができないので、飽きると言うことは無いからでしょう。

 ものすごく面倒くさい手順が必要です。忍耐強さが必要な道なのです。刷り師に依頼できるほどの有名人になったら違うのでしょうが。

 または、教え込まれすぎると言うこともあるでしょう。それも面白さが、半減する行為です。そして、成績もつきますね。しんどいことです。

 ところが日勝には上に上げたような弊害は一切ありませんでした。その上、農業は、夏は忙しく、そこでは、絵描きとしては、半分休んでいるようなものだから、冬になると、やっと描けるようになったと思い、うれしくて、猛然と集中したと思われます。

 しかも、兄に比べれば『自分は素人だ』と思う謙虚さもあったでしょうから、『売れる絵(小品となる)を絵描くかなあ?』などと言う野心は一切無かったと思われ、常に道展で、展示をするに向く、大作を作ることとなりました。しかも三年後からは、無審査になったと思われるので、一年に一作描けばいいのです。これは、相当に集中した作画ができるので、濃密で、人を驚かすレベルの作品ができると言うこととなります。

 ただ、初個展のときに、緊張した様子が、添え文として、プログラムに載っているそうです。それがほほえましいですね。

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副題12、『ぶっちゃけて言ってしまうと、私の個展のお客様とは、ハイレベルな階層の人が集中していたのだった』

 初個展と言うのは誰でも、同じです。私も緊張しまくったのですが、初個展に挑戦したのは、そのいわゆる人間としての実力のなせる業といってよいでしょう。それと、美術界には、相当な知識があったということもあります。美大卒ではないものの、子供のころから、美術館等には、常に連れて行ってもらっていて、ありと、あらゆることがわかっていたと言う側面もあります。

 私の9回目の個展、exibit Live and Moris で、行われたものだけは、私は乗り気ではありませんでした。この最中の2010年4月9日に、井上ひさしが、自らを突然に、死んだことにしたことからも、今でははっきりと、わかるのですが、諜略行為そのものの、ひとつであって、引っ掛けて、貶め、心理的に暗殺をするものだったからです。

 この9回目の個展ひとつだけでも、20万字以上の文章が書けるでしょう。

 JR東日本がどういう風に利用をされているか?

 阿南みらいと言う画家が、もしかしたら、いちばゆみさんと、関係があるのではないかとか、山本容子さんが、ガレリアグラフィカで、個展をする時期に合わせて、私の方が延期をされたこととか、同時期に渋谷のユーロスペースで、増山麗奈さんのパフォーマンスが行われたこととか、ありとあらゆる、諜略行為の裏側が集約して訪れたころでした。瀬木慎一さんが、恫喝してきたのもこのころでした。中央大学法学部政治学科卒の美術評論家であり、どこかで、同じ科目出身の伊藤玄二郎とつながっているはずです。

 しかし、2000年ごろまでは、私は自分を取り囲む闇には気がつかず、個展を開けば必死になって、お客様をお招きしたものです。数としては、大量のお客様はいらっしゃいませんでしたよ。しかし、その客層のレベルの高さには、どの画廊のオーナーも舌を巻いたと思います。

 それは、1994年の個展のときのオープニングパーティで、渡辺豊重さんに言われましたよ。だけど、今2013年の9月2日には、そのトヨシゲさんが、銀座で、私をいじめる役目にかりだされている始末ですが・・・・・

 でも、それだからこそ、はっきりとすべてが書けるのですけれどね。親切にされると、人間は恩義を感じますので、書けませんが、不親切な行為、ましてや、攻撃用弾丸として使われるのなら、堂々と、その人について書く事ができます。いずれ、私の渡辺トヨシゲ論を書くつもりではありますが、今のところ、政治的分野のことを書くので大忙しなので、看過して置きましょう。

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副題13、『1982年に、女性のテレビプロデューサーから、<あなたは、すでに世に出ていらっしゃるわ>と言われた私だが・・・・・』

 銀座の有楽町側に金春どおりという、南北に走る道があります。今春流の何かがあるのか、あったのか、今でも、金春湯と言う銭湯があるかもしれない? しかし、もう、無くなっているかな? 銀座に詳しい方なら、わかる場所です。そこのあるビルの三階にあったこんぱる画廊と言うところで、初個展をしました。ビルそのものは建て替えられて、今はもう無くなっていると思います。

 嫌われることを覚悟で、はっきりといいますが、私自身は社会階層的に、エリートコースを歩んできていて、それが反映したお客様だから、上流階級の人オンパレードと言うようなお客様たちが来てくださいました。

 しかし、いわゆる美術評論家は、一人も来てはくれませんでした。毎日新聞に、『今週の個展』と言うコラムがあって、その7人ぐらいの中の一人に選ばれていましたし、同じ欄に、上條陽子さんの名前があったのですが、美術評論家は誰も来てくれませんでした。

 初個展では、私の表情は優しくて、温和です。後で、探して見てスキャンしてあるものがあったらここにアップをするかなあ? 

  ただ、この写真では、美術の関係者が、『あら、それって素人っぽいですねえ。それじゃあ、美術評論家はきませんよ』というといけないので、最近の個展の写真を同封させていただきます。ずっと、プロっぽくなっているでしょう(笑)

 で、写真の説明から元へ戻ります。

 しかし、内心では、美術評論家が、一人も来ていないことに、失望を深くしていました。

 週の後半だったと思いますが、大学の先輩として、宮崎明子さんが、当時はまだ、女子アナだった、勝恵子さんを連れてきてくださいました。勝さんは今では、経済面かアフリカか、または、イスラム圏専門のキャスター(評論家)です。あのころから30年は経っているから。

 勝さんはお忙しい模様で、先に帰られたのですが、残った宮崎さんの名刺を見て、テレビ東京のプロデューサーと書いてあったので、驚いた私が、つい、「美術評論家が来ていない」ことへの愚痴を伸べてしまったのです。すると、宮崎明子さんが、「あら、あなたはすでに、世に出ていらっしゃるのに」とおっしゃったのですよ。

 この単純なエピソードには、種々さまざまな付随文をつけないといけません。宮崎さんは、私より五歳上だと思われるので、テレビ東京がまだ、朝日新聞系列下にあった時代で、教育チャンネルそのものだったころに入局した方です。だから、上品で控えめな方であり、メディアの人だと言っても、林真理子さんに代表される、あのような雰囲気とは無縁の人でした。

 さて、今は其のときから30年がすでに過ぎ去っているわけですが・・・・・で、あのときに、私が40で、明子さんが、45だったと思うのですが・・・・・その年齢の普通の女性に比べれば、老成と言ってよいほど、成熟した精神を二人とも持っていたと思います。それは、洋服を着ている外観からは見えないものですが、ある種の直感で、人はそれを知ることもあり、その二人の成熟度に関する信頼感が、ある種の共感を招いたのでしょう。

 と言うのも今、グーグルで調べると、テレビ東京は、長らく、赤字続きで、経営破たんをしそうで、そういう面での心理的な苦労があった中、突然に朝日新聞系列下から、日経新聞系列下に収まったわけです。番組も当然に変更されてきて、株式投資などという新しい側面が入れ込まれていて、明子さんは、それに適応しつつあった時期だったでしょう。だけど、それは、見るべきほどのものは見つ」と平家物語に言っているような修羅場を経験した後の平和と言うものです。

 一方の私ですが、北久里浜で、益山某と言う元海軍参謀が、1200坪の土地をただで取得する大詐欺を計画して、その隣地地主として、大きな事件(ただし、世の中には、一切が開示されていない)に巻き込まれ、相当な修羅場を経験した後での、平和と言うものを味わっている時期だったのです。その益山某氏が、元陸軍参謀にして、伊藤忠の大物、および、日本エージェント界の最大メンバーとして君臨した、瀬島龍三と、親友だったことが我が家の電話や室内が盗聴をされるという、今につながっていると、私は推察しています。だが、当時は彼が、それほどの大悪人だとは夢にも思わず、したがって、『嵐が去った後の平和』を味わっている、ちょうど、明子さんと似たような心理的な成熟度に達していた時期だったのでした。

 明子さんが、おっしゃったことはありがたいことではありました。今思うと、本当に幸せな時期だったのです。でも、その当時はまるで気がつきませんでしたけれど。

 そして、業界が違うと、いろいろ、ものの見方も違うものだと思いました。美術の業界の側から見れば、1982年の私なんて、まだ、作家として、認められてもいないと言ってよいほどでしょう。個展がどんなに内容がよくでも、業界の仕組みとかプロトコールがあって。

 だけど、別の世界・・・・・特に宮仕えの必要なサラリーマンの世界から見れば、好きなことをやっていて、しかも、それは、創作と言う分野であり、自分ひとりで、管理できて、自分ひとりで、活動することもできて、しかも、それを発表できる。なんという幸せ者かと見えたことでしょう。

 ある編集者からも、昔言われたことがあります。「私ね、大変な思いをしながら、それでも三人の子育てを同時にやってきました。一方で、あなたは、専業主婦で、生きてきて、・・・・・今は、子供が小学生になりましたので、もう一回、世の中に出て行きたい・・・・・などと言っています。それは、贅沢すぎます」とも。その種のきつい言葉を浴びせられてきている身に、宮崎明子さんの言葉は、なんと温かく身にしみたでしょう。

 私は深く感謝しました。それに感応してか、明子さんは、絵を買ってくださったのです。それは現地でスケッチしてきた鉛筆による風景画でエフェソスが、舞台でした。国際基督教大学では、一年のときに、厚さ5センチのペーパーバックを読むことが求められていました。それは、紀元一世紀ごろの使途たちの業績を描いた小説で、その舞台のひとつがエフェソスなのです。だから、買い求めてくださったと思われます。

 さて、この宮崎明子さんとのエピソードは、この先、それこそ、10万字ほどにも発展するお話となっていきます。それをどう処理するかについて、迷ったりしていて、疲労困憊したのでした。 

 だが、前日からこの一文を書き始めた発端が、神田日勝に感動した点にあります。ですから、この一文を、急に絵、そのものにまつわるエピソードへと、転換をさせてくださいませ。

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副題14、『エフェソスで、立花隆を叱った(笑)私』

 さて、上にあげたスケッチを描いていた、1981年の夏、私はトルコエフェソスの遺跡の真ん中にしゃがんでいました。7月の末か、8月のはじめの午後で、大変暑いのです。

 エフェソスの遺跡には午前中は観光客がいっぱい来ます。地中海クルーズが寄港するクシャダスか、空港があるイズミールと言う大都市から、バスで、やってきます。それ以外にやってくる個人客はほとんどいません。どうしてかと言うと、交通の便が悪いからです。きちんとした路線バスは無くて、ジープを改造した、乗り合い自動車がありますが、運転手は英語をしゃべりません。でも、勇猛果敢な私は、彼らに乗せてと頼んで、街道上のエフェソスの入り口でおろしてもらいますが、そこから、さらに、20分ぐらい歩かないと遺跡の入り口まで到達できませんし、さらにそこから、遺跡の中を歩くのに、膨大な広さがあって時間がかかり、疲労困憊するからです。

 さて、その時、天上、天下私一人だったその遺跡の道路をしたから上がってくる男性がいました。それが立花隆だったのです。だが、この挿話は、非常に長くなるので、別の機会に詳述させていただきます。 なお、このブログの2010年から数えはじめた、伸べ訪問回数は、1787796です。

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保見容疑者、記憶の欠落があり、精神鑑定へ? 保見の14

2013-09-08 13:42:01 | 政治

8月11日モーニングバード、

、山田貴之弁護士、プラス、名前の明らかになっていない弁護士の二人が記者会見をする。

 

 保見容疑者の川柳について解説、つけびして、煙喜ぶ、田舎者の、付け人は噂話のこと。

事件については、記憶の欠落があるそうだ。で、弁護士は、精神鑑定に持ち込むそうだ。

 裁判員裁判で、裁判が行われるそうだ。だが、裁判インが、裏で、選定をされていたら、どうするつもり?

 これは、私のブログを否定するために行われた記者会見である可能性は強い。

 

8月1日、ワイドスクランブル

 二人目の弁護士は、沖本浩、

 かつを、と言う署名は、有名人の,あいだみつををいめーじした。

川柳は、9年前から張られていた。山の中には、ロープと睡眠薬をもって入った。

保見容疑者、の愛犬オリーヴが、逮捕と同時刻に死んだということは弁護士から、まだ、知らせが入っていない。

8月1日

報道ステーション、7月29日、会合で発言、8月1日撤回、

これは、私の文章としては珍しく、ニュースのメモ書きだけですが、

この精神鑑定の要請が、12月に却下されたのです。保見容疑者は、裁判に耐えると見込まれていました。ただ、既に、2014年の4月なのに、何の動きもありません。

これは、初稿を書いたのは、9月8日ですが、公開していませんでした。
その10ヵ月後、2014年4月16日に公開いたします。まだ推敲がkんぺきには、できておりませんが、署名を入れます。  雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
尚、上とは違って、10ヵ月後の伸べ訪問回数は、2151687です。

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