銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

森鴎外、その執筆の動機と、時代背景

2010-05-30 22:56:22 | Weblog
 今日は、本当は都市の3を書くつもりでした。しかし、ふとですが、森鴎外が、なぜ文章を書くようになったのかに、ついて、思いが発展していきました。最初、話題として、逗子に入っていくつもりだったのですが、私が逗子のアトリエで、ひとりで、住んだことの目的も結果も文章を書くことだったからです。で、文章に関しての考察へ入り、続いて、その文筆の分野で文豪と言われている、森鴎外をふと思い出したわけです。

 私たちは森鴎外のことを考えるときに、文豪と規定していることもあって、とても偉い人だとのイメージがあります。しかし、そこをちょっと、違う観点で捉えてみたいと感じます。もちろん偉い人に変わりはないのですが、その執筆をし始めた動機が、他者との割り切れない違和感にあったと書けば、それは、森鴎外の人間が小さいということになり、森鴎外ファンからは、お叱りを受ける類のことかもしれないのです。別に森鴎外に対して、恨みやマイナスの感情があるわけでもないのですが、ものごとを、覆してみるのも、結構役に立つのですから。

 人が、危険でもあり、しんどい作業でもある文章を書き始めるきっかけというか、動機は、外部に対する違和感にあると、誰かが言いました。極言すれば、適応障害が、ある程度自覚をせられるから、書き始めるのだ・・・・・ともいわれます。論文や翻訳はやや違うのですが、エッセイとか小説とか、どこかに作者のこころの投影が認められるようなものを書き始めるきっかけは、

 外部から、自分の全体像を、正しく認められていないという感覚があって、それが、文章を書くことへ向かわせるという尺度です。私なんかも、「外部から見ると、結構幸せそうなのに、なぜ、(下品な仕業でもある)文章書きなどに、変化していくの?」と何度も、かつ複数の人から問われました。特に文学部とかを、卒業していないわけですし、ある程度、絵とか版画で認められているのに、なぜ、横道にそれるのか?」とは、質問をされました。「両方をやるほど、時間はないでしょう」とも言われました。

 まあ、私の場合は、小説ではないので、文章としての完成度は低くて、数年前から「つぶやきなのです。自然にでてくるものなのです」と申し上げていますが、その裏に、いわゆる画壇、特に公募団体展のさまざまなルールに対する違和感があったことも事実です。「変だよ。あの世界って、本当の意味での芸術家運動では、すでになくなっているぞ」という思いです。

 その原初の部分に関するものは、一種の下書きとして持っていますが、このブログとか、メルマガで、それを、出したことは、あまりないのですけれど。一応ですが、読者(個人的なつきあいのない人)の存在も想定していますので、ある程度の面白さがなければだめだろうということはわかっていますので。
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 さて、森鴎外が、世間との違和感を持っていたと仮定して、どこにそれがあるかですが、もしかして、津和野の出身であるから、その地域と、萩(長州藩)との出世競争に対する違和感が、大もとにあったのではないかと、感じるのです。地域の問題を『すめば都』と言う副題で、書いて来たここ、数日があるからこそ、突然にそれを、思い出しました。

 今NHKで、龍馬伝をやっています。結構リアル(?)に描きこんであって、驚きます。

 龍馬は暗殺をされてしまって、立派な人だったのに、明治政府で重用をされませんでした。だからこそ、愛されるわけです。でも、明治の元勲という人々を、ある意味で、忌々しい思いで見つめていた人もたくさんいたはずなのです。たとえば、徳川家に連なる人々とか。
 仏教関係者とか。お寺は廃仏毀釈運動で、大変な思いをしたのですし。
 
 ここで、突然の挿入ですが、本日の日曜日に、そのNHK大河ドラマないで、おりょうさんが初めて出て来ました。昨日、こちらのブログ内で、久里浜の山道を歩くのが私は好きだったといいましたが、子供たちが通った小学校(大津小学校)の前に、おりょうさんの墓があります。そういえば久里浜には、ペルリ来航記念碑がありますし。

 さて、元に戻ります。津和野の藩医の一族の子孫だった、森鴎外は、祖父母の代で、とり子とり嫁といって、いったん先祖の血が絶えたのですが、それゆえに、そこで養子に入った祖父母は多分特別優秀だったはずで、その孫の鴎外も優秀で、現在の東大医学部の第一回卒業生として、19歳で学業を終えたそうです。しかし、芸術への志向もあった模様です。ベルリン留学中は演劇をよく見ていたとありますし。

 その演劇の世界やら、医学の世界でも、しょっちゅう他者と論争を起こしていたと、あります。その論争を起こすがゆえに、解決できないわだかまりができてきて、それが、文章を書かせたとも思わせます。

 森鴎外の心の奥底など、ここに、書いた短い文章では、とても計りきれないのですが、そのいらいらというか、焦燥感を、生んだひとつの、原因として、国の根幹を担う政治家には、自分はなれないことへの苛立ちが、あったのではないかと感じます。今の日本ではあまり考えられないことですが、当時は、薩長土肥にその高官の位置は、占められていたのです。優秀な自分が、医者としては最高のランクである軍医総監になった。といえども、それは、一種の技術屋です。一国のリーダーではない。『萩の出身である伊藤博文より、自分の方が優秀であるのに』と思っていたとしたら、文章の世界、芸術の世界へ向かうのもありうる発想だと思えるのです。

 お医者様というのはすばらしいブランド力のある仕事です。だけど、技術屋さんです。もちろん、技術屋とはもっとも安定した仕事であり、恵まれているほうです。しかし、東大の医学部の前身である学校へ実質11歳で、入学したという彼は、自分自身に相当なプライドがあり、軍医総監であることでさえ、最終のゴールとしては満足ができなかった可能性はあるのです

 この件は、彼が散歩中に路傍の子供たちにであい「うわー、中将だ」といったんは大騒ぎで、囲まれたが、ある子供が、襟章をみて、その色から軍医であることを知り、「なんだ軍医か」といって去ったというエピソードを小堀あんぬさんが書いていると、WIKIPEDIAに出ていました。

 森鴎外は、散歩をするとき、軍服を着ることが好んでいて、その際は、それ相応の尊敬を得ないと、怒りを示したともあります。

 実は、長州の内部でさえ、明治政府の高官となっていった、もと、知り合いの、下級武士に対する、怨念というか、悔しさというのは、長らく語られてきました。それが、隣の津和野藩です。萩と自分たちの間に、さして人間としての質や格が違わないと思うのに、日本のトップを担えない、ということへの苛立ちも、文章を書くに向かわせた、・・・・・例の・・・・・よく言われる違和感を、構成していたのではないかしら。一部にしてもですが。

 わかりませんが・・・・・

 本当にふとですが、思いついたことです。そして、その苛立ちは、緩やかに、温和になっていったものの、最終的に遺言で、「森林太郎として、死して、それ以外の肩書きは何も添えないこと」という墓碑銘を残すこととなりました。そこも表向きの判断では、彼が地位に固執しなかったことを現すとなっています。しかし、むしろ、『宰相になれなかったからこそ、地位など書いてほしくない。軍医総監など、何ほどのものぞ』と思っていた可能性だってあるのです。

 今現在の日本でも、鋭すぎる人は、生きにくいと思います。ところで、鴎外と比較してはご迷惑でしょうが、私も、十年ぐらい前は、鋭くて、それゆえに、悩みも多かったのです。今では、相当整理して、やることも少なくしていて、しかも目的や望みも少なくしていますので、割と悩みがないほうになりましたが、その時代に、優れた年上の人によく相談をしたものです。

 すると、「上のはみだしだから(ある程度はしかたがない)」といわれたことがありました。なるほど、そうですか。ただ、私は女性だし、社会的な、肩書きが一切ないので、困ったときは相談するという形で、解消することができたわけですが、森鴎外ともなれば、誰にも相談できず、ストレスをためていっでしょうね。だからこそ、それを、解消するのは、現実の世界から一切が離れた、創作だったと思われるのです。

 津和野と萩の関係をふとですが、思い出して、上を書きました。ところで、私は萩人間の、特に明治期に出世できなかった方の子孫ですが、私のおばは、津和野の名家の出身です。萩に来て、元から萩にいたおじと結婚をしましたが。
            2010年5月30日                  雨宮舜
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久里浜、住めば都の2・・・・・(JAL救済の裏で、シャッター商店街が)

2010-05-29 15:20:34 | Weblog
 日本の都市について触れ、分析しようと思ったのは、叙情的にでもあれ、社会学的にでもあれ、やはり、口蹄疫の蔓延と無関係ではありません。

 昨日松坂市に住むことと、車社会のメリットを、初めて味わうというお話をいたしました。

 しかし、車社会のデメリットを味わっている層ももちろんあるのです。たとえば、25年以上前にすでに、宇治山田駅前はさびれきっていました。伊勢神宮への最寄り駅ですが、ほとんどの観光客が、バス、もしくは自家用車で、来るので、電車の駅前はさびれきっていました。伊勢神宮の参道は、おかげどおりといって、きれいに整備されています。有名な赤福を先頭にして、いろいろなおみやげ物やさんも洗練された形で、存在しています。江ノ島なんかよりずっときれいです。

 その宇治山田の寂れようが、そっくりそのまま、久里浜駅前に出現しているのです。数年前に、ひなげしの摘み取り日(後注1)に出かけて、そこをとおり、びっくり仰天をしました。30年前は活気にみちた商店街だったのに。

 こういうお店の経営者は、今何をどう考え、どういう風に暮らしておられるのでしょう。もちろん、バブル期に、社会階層の上下の感覚は出始めて、大企業に勤めるのが、一番安全で、金銭を稼げるという認識が出ていますので、後継者を、大学を出して、サラリーマンにしている可能性もあります。しかし、日銭が入る贅沢さの中で、甘えて育った子供がいたら、今は目も当てられませんでしょうね。技術や、学問を身につけていなくても、人当たりのよさで、商店の経営はできる・・・・・はずだったのに、そこにお客が来ないのです。

 1980年代の初めだったら、駅前商店街は、地価が高かったと思います。でも、今では売るに売れないのでしょう。再開発をしてもお客が来るとは限りません。

 私自身、失礼ながら、戸塚の西口を心配して上げているぐらいです。そちらが再開発をされましたが、その商店街が集客ができるかどうかを、不安視しているぐらいです。格好のよい、値段の高いものは、横浜駅周辺で買う人が多いでしょうし、安い食料品などは、大船で、買う人が多いでしょうから。間に挟まれて苦戦をするような感じが抱けます。もちろん、再開発は、ご自分の住まい等も建て替える形で、パリ風になっていくわけですから将来性はあるわけで、あながちけなす一方でもいけないのです。それは、わかっておりますが・・・・・

 久里浜というのは、横須賀市の一部ですが、横須賀市には、すでに、4つの商業圏(または、ショッピングモール)ができていて、昔ながらの商店街は、衣笠という町でも寂れ始めています。

 それは、意外にも車社会が、60%ぐらいの機能を果たしていると、いうことを意味すると思います。現在、東京都に住んでいる人たち、それから、東京圏といっても、びっしりとマンションが建っているような街に住んでいる人たちに、とって、交通網が整備されていますので、車を放棄する人は多い模様です。で、みなさん、それぞれの、最寄り駅構内に設置されているスーパーで、食料品を買ったりする。これは東横線の、元住吉、新丸子などを見ていると、「あ、いまだに商店街が健在だわ」と思いますし、戸越銀座あたりも活発な模様です。

 しかし、武蔵小山は、やや、ひっそりとしています。

 久里浜(=横須賀市)には、日産自動車、東京電力等から、始まって大中小の企業があります。そして、何よりも自衛隊と米軍基地があります。それらに勤務している現役のサラリーマンが、パーセンテージとしては、まだまだ、多いと、感じます。鎌倉に比べると、年齢構成が、若いのでしょう。

 すると、サラリーから、車代くらいは捻出できるとなって、車をそれぞれの家で持っている。だけど、また、これから、社会の変遷を、久里浜は受容せねばならなくなるかもしれません。
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 ともかく、今現在のことを考えると、甘い生活が去った、駅前商店街の人たちを思うと、全、日本に広がっている、格差と、街の疲弊を、類推することができます。

 運の変転といえば、それまでだけど、一方では、JALが国庫金で、救済をされるなどという矛盾もあるのです。口蹄疫の被害者に国庫救済金がでるのは、ややうなずけるけれど・・・・・JALの方は、『おかしい』という声があるのも、確かです。久里浜の駅前みたいに、徐々に寂れていって、失墜した人たちは、救済されず、急激に破綻が明らかになった大企業は、救済をされます。

 さて、でも、久里浜にも、悪い点だけがあるわけでもありません。私は北久里浜というところに住んでいたのですが、歩いて、10分以内に、美しい自然の林があるのです。そこを通り抜けて、小学校まで、一時間ぐらい歩くのは、まったく面倒ではなかったです。

 鎌倉にも、天園とかいってこういう道があるのですが、でも、どうしてか、ちょっと違うのです。源氏山とも違う。戦前までお百姓さんが、薪でも拾ったせいか、大木がないのです。種々さまざまな、細い木が、立っていて、その間を風が通り抜けます。

 まるで、宮沢賢治の世界を歩いているみたいでした。これは、横浜の家にも、60年前の船橋市の郊外の家にもなかった環境です。そちらでは、林といえば、人間が植林した松でできており、やや単調で、趣の足りないものでした。どうして、こういう手付かずの自然が残っているかは、軍があったからかも知れないのです。わかりませんが。
 また、一種のリアス式で、がけが急峻なので、経済行動としての、材木生産に向かなかったのかもしれません。久里浜(実際には最寄り駅は北久里浜)あたりでは、海辺ではないわけですが、四国の足摺岬とか、三陸海岸と、同じように急峻ながけとなっているのです。地球の収縮運動か何かでできた地形ですよね。

 そういう山道を20分ぐらいたどり、そのあとで、車の走っていない、住宅街を抜けて、こどもの通っている学校まで、PTAの活動のために、歩いて行くのは、ほぼ、一時間かかっても何も苦痛ではなかったですよ。鎌倉には、用事のために通る道としては、そういう美しい道はないのです。横浜日吉に、昔の溝(小川)を埋め立てた、細長い公園がありますが、まだ、天然自然ほどの、木が育っていません。でも、そこも皆さんが愛しているみたいでした。

 そして、もうひとつ付け加えれば、久里浜とは、つりのメッカだったのです。目の下三十センチぐらいの鯵を、たたきにして食べたのは、久里浜時代が一生で、初めてです。都会で買う鯵とは、まったく違う身の硬さと、あぶらののり。釣り船は、一日七千円ぐらいだったかな? 主人は会社のひとたちと、しょっちゅう釣りに行っていました。今では、おっくうの模様ですが・・・・・

 すめば、都です。どこにもよいところがあり、悪いところがあります。

(後注1)大昔は軍、一時期は米軍のものだった土地を、花畑にしてあって、初夏は、ひなげし、秋はコスモスを、大量に植えてある。

 最後になりました。ニュースとしては、オーストラリアが、捕鯨を、国際司法裁判所に訴えるというものがあったみたいです。しかし、今日はそれには、触れません。どうしてか、それに関しては、文章が天から降りてこないのです。いずれ、分析する日も、訪れるでしょう。

 で、のんびりと、久里浜の思い出を書いていると、猫がすぐ、『お母さんは、今楽な仕事をしている』とわかるらしくて、ひざの上に乗ってきます。今、ひざ上にそれを、乗せて、キーうちをしているので、キーボードが遠くて大変疲れます。でも、甘えてくるのは、ちゃんと、時と様子を見て甘えてくるわけなので、ひざから下ろせません。では、2010年5月29日  雨宮 舜
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住めば、都の、松坂市・・・・・(車社会を経験する)

2010-05-28 10:40:43 | Weblog

 以前、『安中榛名は、だめですよ』という文章を送りました。あれが意味するところは、JRが大宣伝をしているから、『それほどの、天国ではないでしょう』と警告を発しただけであり、田舎に住むこと自体を否定しているわけではありません。勤務の関係で、異動したり、親の介護で、移動をしたりする結果として、地方に住むことは、否定などしていないのです。  

 住めば都という言葉がありますが、実際に地方に住むよさを、味わったのが、我が家です。子供は移動をしませんでしたが、まず、主人が単身赴任で松坂市へ移動しました。普通単身赴任というと、夫が妻子のいる場所へ帰ってくるみたいですが、我が家では、こどもは東京(実際には鎌倉)へ、残して、妻が、二週間に一度、二泊三日で、松坂を訪ねるという形式の生活をしました。  

 結構な、大名生活(?)をしました。いや、もっと大会社で、しかも地方支社の社長とかをなさると、本当に大名生活ができるそうです。今、企業城下町という言葉がありますが、企業とか、会社が、昔の藩に当たる感じで、社長とは、殿様です。  

 テレビ東京にカンブリア宮殿という番組があって、社長さんが次から次へと登場されますが、よい経営方針を持っていて、発展する企業の社長さんは現代の名君といえるでしょう。それを見ているとほっとします。  

 元に戻れば、松坂は、江戸時代も、城があった街ですが、現在も企業が数社(?)あって、税金も入る、立派な街だと、感じました。  賞味二日丸々滞在するうちで、一日は、京都やら、神戸への電車を使う日帰り旅行に当てて、一日は近辺へ、車での探索をしました。斎宮博物館など、松坂へ住んでいたからこそ、いくことができた場所だと考えています。辺鄙なところにあるので、あの博物館は、今経営が、大丈夫でしょうか? ちょっと心配ですが・・・・・  我が家では主人は、別に支社長でもなんでもないのですが、それでも、上に大名生活と書いたのは、生活が優美だったからです。社宅は、一戸建てですが、近隣の人たちもみんな、親切で洗練をされていました。  

 そして、驚くべきことに、歩いて三分程度のところに、レンタルビデオやさんがあったのです。この思い出話は、1988~91年の話なので、まだ、DVDがない時代の話です。が、周りは住宅と畑だけの場所に、大きな駐車場つきのレンタルビデオさんがあったのです。で、私たち夫婦は、その時代に初めてレンタルビデオを見る習慣ができて、一本は、文芸映画、もう一本は、いわゆるエンタメ(特にアメリカ製の怖いもの)を見てすごす二晩を経験しました。  

 あのころは、世の中のことがほとんど、分析できていなかったのですが、それこそ、パンとサーカスのえさとして与えられていた、アメリカの『ジョーズ』とか、『激突』『MASH』等を、見たのも、そこらあたりからの出発です。『エイリアン』だけは、鎌倉(昔は映画館があったのです)で、見ましたが、今では、この手の映画は見る気がしません。年取っちゃったし、裏側の仕組み(==大衆としての、一般の人の、感覚やら、思考を麻痺させることが目的である)もわかってしまったので、乗せられたくないと考えているからです。  

 上で、初めて車社会のことについて述べました。松坂は当時でも、大きなモールがあって、買い物はすべて、そこで済む感じで、したがって、駅前商店街がさびれ始めていました。この件は明日にでも、もっと敷衍して述べますが、今日はここで。  

 ただ、駅前商店街は、お客は少ないものの、整備はきちんとされて、別にシャッター商店街というおもむきでもなかったのです。それは、和田金という、松坂牛を提供する料亭の力だったと思います。で、瀟洒なガス灯風・街路灯が備えられた立派な遊歩道つきで、整備されていました。私たちがいたころ、まだ高級霜降り肉は、松坂牛の専売特許であり、和田金という料亭は、全国から社用族を集めていたと感じます。但馬牛も、米沢牛も葉山牛も、まだ、有名ではなかった時代です。  

 松坂の思い出が、胸によみがえってきたのは、もちろんのこと、宮崎県の口蹄疫が原因でしょうが、私は、すでに、そちらについては述べるつもりがありません。時代とかニュースの方が、追いついてくる(NHK等が、繰り返し、まともなニュースを、この件に関して流し始めたが)ときでも、繰り返し追求する気はありません。  

 で、温和にも松坂について述べれば、車社会のメリットを、もうひとつ感じたのが、文化会館というか、市民ホールの催しについてです。  東京圏ですと、クラシック音楽を聴くのは、サントリーホール、文化会館ほか、ニューミュージックを聴くのは武道館、郵貯ホール(閉鎖)、中野サンプラザ、歌謡曲を聴くのは、コマ劇場(閉鎖)、バレーを見るのは、文化会館、神奈川県民ホールとか、なって、切符の手配も大変で、結局はいかれないものです。  ところが、松坂では、あらゆる分野の催しが、ただ、ひとつの貸し会場である市民ホールで行われます。切符の入手も容易そうで、しかもそこへいくのが楽です。車を使えば、どこの家からでも、30分以内で、会場まで来ることができるでしょう。となると、クラシック好きの人なら、一月に一回か二回ほど、催しを楽しめるし、歌謡曲の好きな人は人で、相当な頻度で、催し物を気軽に楽しめるはずです。  暇とお金があったら、今まで、挑戦したことのない分野のものに挑戦してもよいでしょう。お金がなかったら、アマチュアのコーラスの発表会でも、聴きに行けば、生の演奏に、気軽に接する事ができます。これはずいぶん、文化的に恵まれていると、感じました。有名陣ではない人のものでも、生はいいです。むしろアマチュアコーラスの真剣さは胸をうつ、レベルになっています。  

 そんなに便利なのに、夕方近所(それこそ、三分以内にある)の川辺に行くと、こうもりやら、カイツブリを見ることができます。童謡とか、童話の世界でしか、接した事のない生き物を生で見ることができます。これも、私が冒頭で、大名生活だったというゆえんです。『こんな、贅沢はないね。過去に経験したことのないものだ』と感じたゆえんです。大変な山奥に入らなくても、カイツブリや、こうもりが川で遊び、飛翔するのを見ることができるのです。地方にある中級都市に住むメリットです。これが、名古屋とか、神戸では、こうはいかないでしょう。もちろん、相模原でも無理だと思います。大宮でも無理でしょう。松坂には後ろに、鈴鹿等の紀伊半島の山並みが控えているし、家と家との間隔が離れているから、こういう生き物が生息できるのだと考えられます。  

 しかし、残念なこと、社会の悪の反映に接したのもここでした。それは、最初は何かわからなかったのです。川辺の自然を楽しんでいる耳に、一キロ以上離れた遠くから、大音声が響いてきます。二人ぐらいの男の怒鳴り声、内容はきき取れないのですが、サラ金の取立ての模様でした。都会では、かくまでの、ことをやっていたのでしょうか?  わかりませんが、静かな田園地帯だから、余計響くのです。間にマンション等もありません。ただ、田んぼがあるだけですから。サラ金の勢いが最も激しかった時代です。  今は業態も変わったみたいだし、若い人が消費を抑えるようになったので、お金を安易に借りる傾向が減っているのではないかしら? わかりませんが、庶民の一人として、べらぼうな儲けを狙う手合いには、乗せられないことは、大切ですよね。では、2010年5月28日 雨宮 舜

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結構面白かった、副島ムック、・・・・・が、しかしなのです

2010-05-26 23:37:37 | Weblog
 昨日5月26日に、本屋のレジ前の平台に、副島隆彦氏のムック(氏自身にいわせればグラビア本)を見つけました。ベストセラー扱い、というか売らんかなというか。

 『世界権力者、人物図鑑』(日本文芸社刊)です。私は帰りの電車内で、一種の週刊誌、扱いで読みましたが、面白かったです。

 ただし、私に言わせれば大問題がありますが、最初には褒める部分を述べましょう。けなす部分は後回しにします。
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 見開き二頁で、一項目となっていて、53項目が厚い紙に印刷されていて、総計76人の政治、経済の分野の世界の有名人が出ています。

 日本人としては、だいたい五人ぐらい登場します。私は国際交流基金理事長・山本正(ただし)氏に関する、句読点を含んでも、50字に満たない記述には、感心しました。前半は、経歴というか、本人の仕事の説明で、人物評は、ひとこと、『恐ろしい』です。

 これには感心しました。山本正氏は横浜トリエンナーレを(資金的にいえば)、実質的に主催する人ですが、私は数年前から、その件で、《山本氏を、恐ろしい人物だ。横浜トリエンナーレはきわめて政治的な意図がある》と、考えてきています。だから、ぴったりと符合します。

 もう一人、感心したのは、田中角栄元総理大臣の扱いです。これも、副島氏の論評の方が、歴史的に適っているでしょう。将来はこういう方向で、流れていき、立花隆氏は、省みられなくなると感じています。それは、私も8年ぐらい前から、そう(閉鎖されているメルマガの世界の中で)述べてきました。

 後、褒めるべき点としては、庶民の一人として、私が、名前と、その人物像を知らないケースが10人ぐらい登場しました。それは、知識を与えられる源泉として、ありがたかったです。庶民がこういう情報を得られるのは、まだ、言論の自由があるといえるかな。
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 副島さんの論法は、非常に勢いがあります。アメリカの属国であることを、脱しようと主張しておられます。私は属国であるとは、いわないで、常に被・植民地であると言っていますが、中川経済産業相が泥酔記者会見という形で、はめられて、失脚させられ、失意のうちの早世にいたってしまった件でも、副島さんの分析に賛成します。

 普通の日本人の中には、あの事件を中川大臣の、失敗であり、個人的な責任に帰している人もいるのですから、こういう軽い本の形ででも、中川大臣の失脚が日本の備蓄金をアメリカに流すたくらみのひとつであったという認識には賛成です。

 しかし、副島隆彦氏がこれほど、元気であり、ベストセラーを続出しているのは、氏が小沢一郎氏の実質的な、配下であり、家来であるから、そのサポートを受けているからだと考えています。副島さん自身がおっしゃっているが、『小沢氏は、日本の王だ』そうで、その権力に守られているから、副島さんは安全に、暴れまわることができるというわけです。
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 ということは、選挙に向けて、援護射撃弾として、庶民を洗脳するために、この本が出版をされた可能性を、考えます。小沢氏は、主役ではない。が、ぴりりと利くこしょうの役目で、すばらしい人物であると、主張しておられます。

 小沢氏は、ナショナリストであるとも、規定されています。そして、西松建設疑惑は、デヴィッド・ロックフェラーに操作されている日本の検察陣の陰謀であるとも、主張されています、
 
 副島さんの分析の基本尺度は、ロックフェラー家の跡目相続の争いに、日本が、巻き込まれているという案です。今までは、2代目の五男のデヴィッドが、権力を握っていたが、2代目の長男の、そのまた長男である、4代目、嫡流である、ジェイソン(ジェイ)・ロックフェラーが台頭してきていて、その二人の代理戦争の様相が、日本で色濃く現れているという、論です。

 まあ、それも正しいでしょう。小沢一郎氏は、そのジェイソン・ロックフェラー派なのだそうです。

 ここらあたりに大いなるからくりがあって、日本庶民が巻き込まれ、悪い方向へ洗脳をされる可能性があると、私は考えます。

 非常に簡単に言ってしまうと、日本人にとって、私の判断と、副島さんの判断のどちらが将来性があるかといえば、私の方でしょう。というのも、ジェイソン・ロックフェラーとデヴィッド・ロックフェラーの争いは、原発と石油の争いだそうです。その年齢、前者が70代、後者が90代という差から考えても、そのエネルギー開発時代の差から考えても、当たり前ですが、原発推進派である、ジェイソン・ロックフェラー氏の派閥内で、帝王教育を受けた(?)小沢氏に日本が支配されることは、日本中が廃棄できない原発ごみで覆われ、百年後には、どうしようもなくなるという、結果にいたるからです。

 私は、8年ぐらいまえまでは、遠慮して、プルトニュームのことを、暗号でPと表現するぐらいでしたが、ここまで来るとはっきりいいます。

 私の方が、実は、正しいと思うのは、以下のような小さな現象からも、うかがえます。
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 二年ぐらい前に、私は初めて副島さんの本を読み、そのホーム頁に入りました。そして、ブログ(?)へコメントを送ろうとするとできません。私のパソコンは、一種の言論弾圧の手法として、さまざまな障害がおきますので、そのひとつの可能性もありますので、それを突破するために、氏の本を注文する方向へ転換しました。

 副島さんには、一種のファンクラブがあって、そこへ注文するシステムになっています。それで、4冊、1万円を超える金額を注文しました。すると、ファンクラブの会長からは、「喜んで、送ります」という返事がメールで到着しました。ところがその後、実際には、本は送られてきませんでした。『なるほど』と腑に落ちます。つまり、私の意見がすべて正しいからこそ、・・・・・

 そのジェイソン・ロックフェラーが飼っている、または、支配している組織から、常に私の動向は、観察され、監査され、支配を受けているのだ。本を注文するという非常に小さなことでさえ、私は如実に支配をされている・・・・・

 その支配をされていると言う件については、うすうすに気がついていましたが、それが正しかったということの証明に、この本が送ってこないという件が、なるのです。

 その日が、副島さんのホーム頁に接触したのは最初でした。それ以外に氏に接触したことはないし、コメントも実際には送ることができなかったわけですから、副島隆彦氏サイドでは、私に関する事前の知識は、一切ないはずなのです。

 それなのに、一種のビジネス契約である本さえ買えないということは、私が相当な大物として、こういう世界で、注目の対象となっていることへの推定を、裏付けました。あ、は、は。厄介ですよね。決して喜んではいません。というのも表の世界、誰にでもわかる世界で、有名なわけではないので、お金にも名誉にも結びつきませんし。でも、自分の意見や考察が正しいことの、証明になったような気がして、誇りを持ちました。

  では、今日はここで、終わります。2010-5-27  雨宮 舜
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幸せな、ダッシュ村の羊さん、

2010-05-26 06:03:06 | Weblog
 この23日の日曜日久しぶりに、日本テレビのダッシュ村を見ました。新聞に羊がなんとかと出ていたのです。ほぼ10ねんぶりぐらいに、丁寧に見ました。楽しかったです。それは2頭の羊が大切にされていて、羊さん自信が幸せそうだったし、それを見守る国分君も山口君も幸せそうでした。

 ずいぶん前、この番組で、川や崖の化石を探す企画があり、国分太一君のなんと楽しそうだったことか?

 あの企画は、視聴者のためにも、出演者である彼らのためにもよかったですね。特に国分君はあれで、ブレイクしたと思います。あれ以降、参加者を燃え上がらせる企画はあったのかしら。ところで、週刊文春はジャニーズ事務所を目の敵にしていますが、これは、それこそ、何らかの裏があるかな?

 アメリカでだって、東南アジアだって、芸能人は苦労するものです。そういう世界から比較すれば、ジャニーズ事務所なんて、ずっと明朗な方でしょう。今、背後でNHKハイビジョンが、本年度(?)のギターフェスティヴァルの模様を放映していました。福田進一さんとか、が出演者です。ホールは小さくて、ギター演奏にふさわしい。

 そういうところで、演奏を聴くことのできる人は、幸せです。でも、安直にテレビを見るだけで、過ごす人も多いのですから、よい番組が増えるのは好ましいです。

 ダッシュ村は、心安らかになれる番組ですが、特に、かわいがられ、大切にされていう羊を中心に据えた、上記の映像は素敵でした。

 もちろん、その羊は、いわゆる経済動物というものではなく、半分以上ペットみたいな立場です。芸能人である、トキオ(特に山口達也君と、国分君)が来られないときは、地元(あれは、東北にあると言われている)の農家の支援やら、番組が用意した、サポーターが、手伝っているので、維持できているのですが・・・・・

 それでも、東京(圏)にいて、羊を自分で飼うことができない私たちにとっては、心和む映像です。

 私は政治的なことを、考察して発表した後では、やはり、疲れるので、
 バランスをとるために、昨日は三時間程度、庭仕事をしました。『ほかにもやることがあるのに、それを、放り投げだしているなあ?』 と、反省しつつ、一方では、『あんまり、厳密には、生きないようにするのが、必要なときに、乾坤一擲の力を出せる』ような気もしてきました。危難に備えるために、普段は緩やかに過ごす。一種の兵法を実践しているわけでもあります。柔軟であること、私のレベルにしては、無責任に生きること。も、最近獲得した、生きる方便です。
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 では、少し、元に戻って、やはり、あのJ-cast ニュースはおかしいな? と感じると、ここに付け加えておきましょう。東大は中心です。そこで、数年前の、宮崎県の口蹄病の発生を知らないということはありえないし、これほどの、ニュースになっているのに、勧告やら、中国の発生の様子が、ほかのメディアで、私が、その感染源を問題にした23日以前に一切報道をされていなかったのもおかしいです。

 今日、以降にそれが、出てきても、私は、それを、事実としては信じません。
ソトコト、アエラ、に続いて、より小さなメディアである、J-cast ニュースというところにまで、手が回っているということです。

 ぜひ、賢く、ニュースを取捨選択しましょう。偽報もあるし、作られるニュースも多いのです。特に針小棒大にして、集団ヒステリーを、招くのを警戒しなければなりません。
   2010年5月26日       雨宮舜
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やっと、感染源に関するニュース(J-cast)が出た。

2010-05-25 00:56:22 | Weblog
 今日(月)は大変疲れて、かつ遅く帰ってきたのです。文章は書かないつもりでした。で、世間がどうなっているかを確かめるだけはしたところ、やっと、感染源を追求するニュースがでました。
 プロヴァイダーとしては、LIVEDOORが提供するニュースで元だねは、J-cast ニュースというところです。その全文を***以下に、コピーアンドペーストして載せますが、

 その要旨は、韓国では感染源がだいぶ突き止められかかっているとのことです。中国旅行をした農場主から感染したと出ています。これが、正しいかどうかとか、日本でも同じであるかどうかは、そこには書いてありません。

 ただ、そうですね。そういう大切なことは一切、報道をされていない日本は残念です。
私が前日に申し上げた仮説が、崩れるのはかまわないです。それは、仮説だから事実で覆されるのはかまわないですが、ともかく、感染源について冷静に、かつ科学的に追求することは大切です。

 韓国ではできているそれが、日本ではできていないのは、なぜか? 

 ところで、NHKテレビの20日の、『朝一』内、では、日本には、今回以前、まったく、口蹄秒は現れていなかったと、東大の教授がおっしゃったのですが・・・・・下のニュースを見ると、違うみたいです。ともかく、きちんとしたニュースが、報道をされるべきでしょう。まっています。
   2010年5月24日   雨宮 舜
~~~~~~~~~~~~~

 と、上のように書いてお風呂へ入ったのです。その間に、ふとですが、『あれって、私の意見を無にするためのニュースではないかしら」という考えも沸き起こってきました。私の仮説を否定するためのニュースが出てくることは当然に予期していたけれど、そういう種類ではないかしら? と、感じ始めたのです。

 というのも、中国で流行しているとも、韓国で流行しているとも、今までは一切報道をされていませんでした。その上、下に上げたJ-cast ニュースの中で、以前にも口蹄病が宮崎県ではやったことがあるというのも今まで、一切発表をされていないことです。しかも、その近辺の数値がそちらのニュースではおかしいです。となると、その部分は創作かな?

 また、韓国の牛飼い人が長期に、海外旅行をすることは考えられず(それは、たった4頭の牛を飼っているだけなのに、歯医者にもいかれないという、主人公がでてくる、映画『牛の鈴音』を見ても確かですが、犬や猫と違って、畜産農家は、家を離れられないものなのです)
 ましてや、口蹄病がはやっている地域を旅行することは考えられないからです。

 J-cast ニュースのほうですが、数字以外の文脈は整っています。しかし、以下のニュースを、私が肯定しているというわけでもないと、申し添えさせてくださいませ。ただ、エネルギーの消耗は抑えたいので、ここで、J-cast
さん側に喧嘩を売るつもりもないとも、申し上げさせてくださいませ。

私が、文章を、この手の件で書くときの大目的は、日本人は馬鹿でもないですよと、示したいだけなのです。この程度まで考えておりますよと、示したいだけであり、けんかをしたり戦争をしたりまで、踏み込みたくないです。

 私は、過去に、自分の意見を否定される方向でニュースが動いていったことは何度もあるので、そのたびに、多分、私の意見は重要なものだったのだ。と、内心でひそかに誇りを持っているぐらいです。

 でも、自分が一石を投じたことは感じます。土曜日以前にはまともなニュースが新聞になかったと感じますが、朝日も日経も、しっかりした記事が、出るようになりました。事前には、ニュースが減る場合にはこう考えようと、か、ニュースが増える場合は、こう考えようと、アイデアを練っておりました。が、最終的に、増えた現象を、どう読み解くかは、お話をしたくないです。

 皆様は信頼していますが、今までさんざん、外部、特にマスメディアに、転覆されてきているのを気がついていますので、その流れへの解釈は、私自身の脳内にとどめおきたいです。では、追伸を、含めて、それなりに、以下の意見を、こぴぺ、しておきましょう。

 となって、J−cast ニュースを以下に置くのです。
     2010年5月25日   雨宮 舜




***********

口蹄疫ウイルスどこから侵入 同型確認の韓国、中国から?
.2010年05月24日19時15分 / 提供:J-CASTニュース
. 宮崎県で感染が拡大している口蹄疫の問題で、県内でのワクチン接種作業が本格化している。そんな中でも、未だ明らかにならないのが、その感染径路だ。宮崎県で確認されたウイルスは、韓国や中国で発生したのと同じ「O型」と呼ばれる種類のものだとは分かっているものの、それがどのようにして感染したかまでは明らかになっていない。一方、お隣韓国では、かなり径路が絞り込まれている様子だ。

宮崎県は、実は2000年3月にも口蹄疫の被害を受けている。92年ぶりの発生だったが、早急な対応が奏功し、被害を受けた農家は3軒、殺処分された牛も35頭にとどまった。

韓国のウイルスとは98.6%遺伝情報が一致
一般的に、口蹄疫ウイルスの感染経路は(1)直接接触や咳を介して、動物から動物に感染(2)感染した動物と接触した人間がウイルスを運んで感染(3)ウイルス感染した動物の糞尿と接触した器具を介して感染、の3つがあるとされる。

このときの感染経路は(3)が有力だとされており、00年9月1日に、農水省は感染源について「他の要因に比べて中国産麦わらの可能性が最も高い」と発表しているが、結局は感染経路を特定するに至っていない。これをきっかけに、飼料用わらは輸入から国産への転換が進んでいる。

この時「わら」が感染径路として疑われた根拠のひとつが、「ウイルスの遺伝子を分析した結果、東アジアで流行したものと同じ型のものだった」というものだが、今回の口蹄疫についても、この構図は同じだ。

5月2日の農水省の発表では、宮崎で確認されたウイルスはO型のウイルスであることが判明し、「O/JPN/2010」と名付けられた。さらに、このウイルスの遺伝情報は、10年2月に香港で採取されたウイルスのものと99.2%、韓国のウイルスとは98.6%一致していることがわかっている。

このO型のウイルスは、10年2月に広東省で発生。それ以降、香港を含む周辺地域で、相次いで確認されている。

韓国でも、2010年1月に北西部の京畿道(キョンギド)の農家でA型ウイルスが確認され、A型が終息した直後の10年4月には、ソウル近郊の江華島(カンファド)でO型が発見されている。

現地の報道を見る限りでは、韓国では、A型についてもO型についても、かなり感染経路が絞り込まれている様子だ。

東亜日報や中央日報が、国立獣医科学検疫院による調査結果を詳しく伝えている。10年1月のA型のケースでは、北東アジア、具体的には中国かモンゴルから韓国に出稼ぎに来た労働者が韓国にウイルスを持ち込んだとみられている。労働者は09年10月に韓国に入国したが、09年11月に母国から仕送りとして送られてきた服や靴にウイルスが付着していた疑いがあるという。

中国旅行した農場のオーナーが感染源
今回問題化しているO型の感染経路は、もっと単純だ。感染源の可能性が高いのが、感染が起こった農場のオーナーだ。(1)オーナーは3月8日から13日にかけて中国に旅行し、帰国後消毒せずに農場に入った(2)その時期、旅行先では感染が多発していた、というのがその理由だ。韓国の農場で発見されたウイルスの遺伝子情報は、旅行先の中国のものと99.06%が一致したという。さらに、飼料の輸送や、人工授精技術者と地元農家との会合を行ったことが原因で、ウイルスが周辺の金浦市、忠州市、青陽郡、忠清北道などの自治体に広がった可能性も指摘されている。

日本国内に話を戻すと、感染径路の解明は、決して政府にとっては「最優先」ということではない様子だ。赤松大臣の発言の中で、感染源解明について触れているのは、5月18日の会見での

「感染源がどうだったのか、感染経路がどうなのか、専門家の方にきちっと出していただいて、それなりの答えを出していきたい」
という発言が最後だ。

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口蹄病・ウィルスが海外から、意図的に持ち込まれたとしたら?

2010-05-23 11:39:13 | Weblog
本日、日曜日の**口蹄病の**報道量を注目しょう。

 昨日の文章は、思いがけない仮定を述べています。これは、私の想像の範囲内ですが、

 ・・・・・今まで、まったくウィルスが存在していなかった日本で、急に大量の罹患牛が出てきて、宮崎県の種牛生産産業が壊滅的なダメージを、受けたのは、変だ・・・・・
 だから、推定できる可能性は、このウィルスが外部から意図的にもちこまれたということである。

 でした。タイトルが、それにまったく触れていないので、いつもの読者の方の中には、これは、自分に関係のない分野だから、開くのをよしましょうと、お考えになったかもしれないと感じます。
 だけど、なかほどで、思いがけないほど、具体的に、この事件の忌まわしさに、ついて触れています。

 つまり、厳重に管理されたウィルスを、適宜なサイズの水筒数本に入れて、日本に持ち込み、(空港の検査を通らない飛行機はいくつもありますし、たとえば米軍の基地に入ってくる飛行機は日本の税関を通りません)それを、熟練の諜報部員(黒髪のアジア人であると仮定する・・・後注1)が、車で宮崎県に持ち込み、2010年の4月20日(最初の発症例が発見された日)の一週間程度前に、種牛牧場の近辺に撒く、そういう諜略が行われたと、いう仮説を提示していることです。

 日本は、普通に過ごしていれば、平和にすむことが可能な、国です。だから人々は危険性とか、リスクに対する予防策を普通は講じていません。外から、ウィルスが持ち込まれる可能性など、宮崎県の人は、まったくといってよいほど、思いつかず、鍵はかかっていても、広い、日光浴場、種牛が、精液を採取される、場所、そこへ、連れて行かれるまでの、道、は無防備であったと考えられます。

 また、精液は、一応発情した、メス牛の上に乗らないと発射されないようなので(これは、『命を食べる』という映画内で、実像を見ました)、ダミー用の牝牛も、種牛のそばに用意されているわけです。一頭に大量の精液を使ってしまうわけにはいかないのです。精液とは、細いガラス管程度のものに、入っているくらいで、販売される模様です。で、その精液を買って、松坂牛とか、但馬牛として成長していく、子牛をうむための、雌牛がいるわけです。それらの、牝牛がすんでいる牛舎、その周辺等に、夜間監視員等をおくなどと言う発想は、宮崎県の普通の県民には、今までは、なかったことでしょう。

 今、大量にテレビ・コマーシャルをしている、セコムとかアルソックとか、言う警備会社に、警備を頼むということもなかったと思います。もちろん、
 そういう場所を狙うのなど、信念を持った諜報部員なら簡単なことです。人員を相当数動員して、車も数台利用して、一晩で数箇所で、一気にことを行ってしまう。それは、優良種牛がつながれている中枢でなくてもよくて、これから子牛を生む予定の、雌牛がいる普通の農家の牛舎でもよいのです。そういう普通の農家、三箇所ぐらい事前に選んでおいて、そこで、入念に日光浴用の牧場などにウィルスを撒けば、この燎原の火のごとき、発生と流行は、説明がつき、納得のいく話となります。

 この発生日(2010-4-20)より以前は、完璧に無防備だったでしょうから、以上のような工作をするのは、簡単なことです。ウィルスは潜伏期間があります。それを、勘案して、宮崎県に入る高速道路を通った、全車両の特定をするなどとの、措置が当然のごとく、必要だと考えられます。
~~~~~~~~~~

 ここで、論理の、的をはずして、挿入となりますが、どうして、これほど、大胆な説を私が展開するかというと、李下に冠を正さずのことわざを逆回転させていくからです。もし、シーシェパードの活動がなければ、ここまでの断言はいたしません。あれの影響が大きいのです。

 あれは、ネットの世界では出資者(企業)等も公開されているほど、国際的な軍産共同体の支援を得ている組織です。
 しかし、あのシー・シェパドの行動が、・・・・・日本人は、性悪であるとの印象を、世界中に与えるのに役立っていることに、気がつかない日本人はいません。北欧の国でも、捕鯨は行われていて、映画『風と共に去りぬ」の中で、鯨骨が芯材として、使われているスカートをはく様子も出たように、欧米人は大量に鯨を捕獲してきた歴史があるのです。先週の、NHKハイビジョンでは、北米海岸沿いの象あざらしが、壊滅的打撃をうけるほど、その油脂を狙って捕獲をされたとの、映像がでました。

 そのシーシェパードの活動に対して、日本は防衛活動ができません。第五福竜丸での、死の灰問題では、大きな抗議活動が起きて、結局のところ、南太平洋での核実験は、行われなくなりました。しかし、シーシェパードに関しては、一切の国家とか、国民をあげての抗議行動が出ておりません。船長を岡田外相がたしなめた程度ですから、運動そのものが終わることはありません。

 今回は、それを、敷衍した、太地町のいるか漁問題で、AERAでさえ、国際的軍産共同体の見方をしたわけですから、日本人の心模様はなめられきっているわけです。その前哨戦として、ソトコトという雑誌も使われました。

 馬鹿にされきっていますが、「本当に馬鹿にしているのなら、相手にしない」というのは日本人の発想ですが、

 欧米人(長い間肉食を続けてきた民族、また、文明の交代が激しく、文化の蓄積も少ない可能性がある)は、執着度が高くて、とことんに、追い詰めるというか、120%の確率でいじめ切っておこうというのが、かれらの発想です。その精神のあり方を考えると、この口蹄病のワクチンを、こっそり、夜陰にまぎれて、宮崎県に撒くことなど、お茶の子、さいさい、朝飯前で思いつくことでしょう。

 そして、公開されているニュースとしても、鯨、いるか、黒マグロと、日本人への攻撃対象が、どんどんエスカレートしていますので、こんどは、陸の蛋白源、牛に手をつける発想もありだろうと、私は考えるわけです。

 しかも夜陰にまぎれて行ったとすれば、証拠はありません。もし、日本が真の独立国であり、警察庁が、真に日本国民を守る意思があるのなら、最高の精密度で、宮崎県を通る車の所持者を洗い出してほしいと上に書いてありますが、それを、警察庁が実行するはずもないです。

 表向きのことでさえ、抗議ができず、やられっぱなしの日本ですから、夜陰にまぎれて、このウィルス、持ち込み(プラスばら撒き)が行われたとしたら、やった人間はいまごろ、高笑いでしょう。・・・・・「やはり、日本人はあほだ。ばかだ。12歳程度なんだ」とおお笑いをしているところだろう・・・・・と感じます。

 でもね。本当に日本人は馬鹿であろうか? いえ、自分で賢いというのは品がないのですが、この連中との、文化の違いがあることは確かです。江戸時代200年の平和時に、「四ツ足を食べることを、仏教の奨励と平行して、禁じた世界を経験しています。いわゆるヴェジタリアンの伝統が長い日本は、決して、ばかではないが、平和を好む人間の集まりなのです。

 欧米とは文化が違います。で、欧米人は必ず、自らの判断能力だけを信じますので、自分が反対の立場になったらどうするかも、当然のごとく考えます。これほどの、辱めを受けたら、当然のこと戦うのが欧米人の発想でしょう。だから、いつか、反撃を受けるであろうと、覚悟しながらやっているのでもありましょう。で、内心では、びくびくしているので、神経質に次から次へと新たな攻撃案を、発案をしてくるわけです。で、下の行から挿入を離れて、本文へ戻ります。
~~~~~~~~~~

 警察とか、畜産学科の研究者等は、その手の『ウイルスが、意図的にばら撒かれたという可能性』に、思い及ばないのでしょうか? 私でさえ、思いつくのに、そちら様のような専門家が思いつかないのでしょうか?

 日本は監視カメラの横溢している国です。お医者さんだけが入っているビルにさえ、エレベーター内に監視カメラがあります。これって、プライヴァシーの尊厳を冒すことです。平気で、そういう措置が今、東京では取られています。

 この間、加藤一二三・元・名人が近隣の人々の人格権を犯した(野良猫への、外でのえさやりが原因だそうですが)ということで、敗訴になり、204万円を取られるという判決が出たそうですが、監視カメラを医院ビルにさえつける、それから、外部の客としては画廊しかない文化そのもののビルにさえつける。オーナは、どういう意図の下に、そうしてください」とうなずいたのだろうか?と不思議でさえありますが、?????

 こういう監視カメラ横溢社会へと、いつの間にか、変換していたり、禁煙運動で庶民の自由を阻害している傾向と、その発想(すべて民主党政権が、行っている現象です)の忌いましさを、メディアも評論家も、一切触れませんが、そこも大いに疑問です。が、この節の元に戻れば、そういうテクニックで防衛されている日本だから、こそ、この口蹄病の外部からの進入説を疑って、捜査できる可能性があり、国民の税金を使って活動をしている警察庁なら、それを、する義務と必要があるのです。


 だけど、振り込め詐欺キャンペーンとうの会議ばかり開いている警察庁って、「この組織には、組織自体にとって、大切な頭脳部分があるのかなあ?」と思うほどです。図体ばかり大きいが、実際には国民を守る行動は、取れていません。素人の私だって、こういう場所と、こういう事件は捜査してほしいと思うところで、まったくに、成果が上がりません。会議とキャンペーンばかりです。これって、共産党と同じで、一種の装置として、堕落しています。本質を取り戻してほしいができるかな?

 つまり、日本は被・植民地国でありその国民は海外から搾取されるべく、生かさず、殺さず程度で、生活をさせておいておき、その尊厳を守る必要はなく、犯罪も適宜に捜査する必要はなく、だぁら。警察とは、会議をやってキャンペーンをやって、カッコウをつけておけばよいのだ・・・・・となってしまうと、私には、感じ取られます
~~~~~~~~~~~

 しかし、この私の推定を裏付ける検証方法もあるのです。それは、ニュースのもって生き方、またはもっていかれ方、を観察することです。

 非常に微妙ですが、その動向を注意深く観察すると、いろいろなことがよくわかります。

 たとえば、私がこの諜報活動について、最初にメモとして書き始めたのは、22日土曜日の朝三時であり、公開したのは、朝の5時22分です。その時点では、私のパソコンがハッキングされても、それによる報道規制も間に合いませんので、昨日の電車の中では、大活字が、口蹄病に関して踊っているスポーツ新聞は多かったのです。

 本日もスポーツ紙は、まだ、それにこだわっているかもしれません。ああいうメディアは、センセーショナリズムを売りにしていますから。だけど、ウエブ上では、すっかり消えています。これは、病気(疫病)ですから、急にパタッとすべてが終わるわけではなくて、これから先も、日本のどこかで、発生をする可能性は出てきていて、報道は継続されなければなりません。一瞬だけ、赤旗発プロヴァイダー配信の、「農民が大打撃を受けている」との記事が浮かびましたが、また、消えました。

 農家に対しても、これからはさまざまな意味で、注意を喚起しないといけません。馬関連、そして、豚関連、そして、羊関連、口蹄疫は、人間でいったら、水疱瘡とか、帯状疱疹みたいなものでしょうから、それらを飼っている人々だって、これからの流行を、注意をしなければならないからです。人間だって、帯状疱疹にかかったら、えらく痛いですよね。だから、市域動物を大切に思うのなら、流行現象には敏感で、これから、常にそれに対する防衛を果たしていかなければならないのです。

 それなのに、この件が諜略であることを日本人、一般が、推定すると困るから、これから、このニュースは、あまり深くは論議しないようにしようとなったら、それも、困ります。なお、ここまでで、相当長くなっていますので、いったん切りましょう

      2010年5月23日     雨宮 舜
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口蹄(疫)病、と、北野監督のカンヌ映画祭

2010-05-22 06:18:55 | Weblog
 宮崎県で悲惨な状況が起きている模様です。牛とは従順で頭のよい動物です。むかし声のきれいなジョーン・バエズが、『ドナ・ドナ』と言う唄を歌いはやらせました。そのころは牛の命やら、気持ちを、同情を持って考える優しさが、人間・側にありました。社会全体として、そのような心構えがありました。

 しかし、生産高を高めるために世界レベルで、実は残酷な事を牛に対しても、豚に対しても、鶏に対してもやっています。その結果日本人も、江戸時代から比べれば、庶民レベルでも、比較できないほどの贅沢を謳歌できるようになりました。

 私だって、牛を食べています。それも、最近では、ホテル・ビュッフェと言う形で、しょっちゅうおいしいロースト・ビーフを食べています。周りには平和な主婦がいっぱいいます。私は主人と行くか一人で行くかですが・・・・・

昨年までは、仕事オンリーの人間でした。こんな分野には興味さえなかったのです。

 しかし、連続してお読みいただいている方には、その理由がご理解いただいていると思いますが、この一月に、京橋の有名画廊のオーナー山口みつ子さんが急逝されました。その後のマスメディア、および、画廊とか、画壇の山口さんに対する扱いに、深い悲しみを持っています。自主的なお別れ会も誰かの指図で、つぶれて、一切、哀悼の意を表する場が設定されませんでした。不思議なことですし、私は切ないといってもあまりある心理状態です。
で、同行二人と言う気持ちで、山口さんも私もいままでは、味わう余裕の無かった、遊びの世界へ進入しようと考えているのです。そして、もっとも安全で、簡便な遊びが食を楽しむ世界なので、お安くおいしいものを食べられる、ホテル・ビュッフェとか、バイキングを試し続けているのです。途中で個展が挟まりましたが、すでに六回は行っているでしょう。

東京の大きな食堂を持つホテルで、ビュッフェ・バイキングを楽しんでいる主婦たちの表情には、何の不安もなさそうです。宮崎県の県民の苦しみなど、何も反映していません。しかし、預言者は世に容れられず、と言われたほどの私です。内心で深くこの問題を思考していました。取り組むのが大変だからこそ、どくだみが何とかといって、遊んでいたといっても過言でないほどです。
さて、昨日は一切頭を使いませんでした。それで、体は疲れたものの、普段より、疲労が少ないのでしょう。夜の11時に寝て朝の三時には完全に目が覚めており、この困難な話題に、私なりに全力をかけて取り組みたいと思います。
~~~~~~~~~~~
 東京と宮崎に深い乖離があるがごとく、日本とフランスには、深い距離(乖離)があります。そして、カンヌ映画祭は、宮崎県の口蹄病とは、まったく無関係に進行しています。もし、これがイギリスでかつて流行したようにフランスに影響があれば、ちょっとは話題には上るかもしれませんが、遠く海を隔てた日本のことです。
 シー・シェパード問題にも、黒マグロの禁漁の問題にも、フランスが日本に政府として同情的だとは思えません。つい20年ほど前は、フランス人は、アメリカ人とは違って、日本を理解してくれていると、信じられたのですが、今はそうとも思えません。

 となると、レジオン・ドヌール勲章も、カルティエ財団支援の個展も、カンヌ映画祭も、一切、口蹄病とは無縁に、進行するのでしょう。で、くどいぐらい繰り返しますが、北野武監督は厚遇を受け、最終的には受賞をすることと成るかもしれません。二日ぐらい前に、NHKで、その厚遇の様子が映写されました。
 昨年の、レジオン・ドヌール勲章・受賞以来、メディアが北野監督を扱い報道する量は、金銭的に換算すると、何十億円に当たるでしょう。その効果は、驚くばかりで、北野監督は、ポカリ・スエットのテレビ・コマーシャルにまで進出しました。当たるを幸いなぎ倒すと言う勢いです。

 しかし、これほどの厚遇を受ける裏に、氏の才能以外の側面を見る私です。北野監督は、国際的軍産共同体にとっては、二つの側面で、好都合な人間だからです。それは、氏が講談社襲撃事件で、問答無用の乱暴さを示しえる人間であると、知れ渡っているから、日本の言論界に一種のにらみを利かせうる人間だからです。言論弾圧を、一人のスターを生み出すことによって、可能にしています。実際問題として、怒涛のごとき、オマージュの連続で、北野監督を批判する、意見はどこからも、今のところ、出てきていません。

 もう、一つは、日本政治をおもちゃにして行き、まともな政治家を駆逐して行った、功績があるからです。車輪のもう一方の輪である、小沢民主党幹事長は、経済界を分断していき、ビジネス界を壊滅に近い状態に追い込んでいます。日本はその両輪の、功績(?????)により、国家として弱い状態へと陥れられ、国民一人一人が守られえない状況へ陥っています。

 トヨタの社員も守られていなかったですね。それは、名古屋圏の経済状況(現在の質素化する日本の中で唯一豪華な結婚式が行われる地域として有名だった)の衰退をも、招くでしょう。

 近々、選挙があると言われます。民主党から谷亮子さんが推薦されると言うことで、週刊誌が騒いでいます。今まで表面に出てこなかった、谷亮子さんの実家の、親の職業の問題も出てきました。かたぎではないと今までも、裏でささやかれていた事が、表に出てきたのです。こう言う現象を嚆矢として、政治家は非常に小粒になってきています。今回の口蹄病騒ぎでも、政治家の無能ぶりは言われています。

 その上、民主党は、人材が少ないです。それなのに、官僚打破、官僚駆逐とか表明してきました。日本では政治家は駄目でも、官僚とか、地方公務員が、ある意味でしっかりしていたので、政治、特に行政がスムーズに運んでいたのに、その方向からも壊滅的な打撃を受けています。アメリカには官僚と言うものがありません。大統領が交代するごとに、それも、交代するらしいです。で、サブプラム・ローンみたいな奇策が出ても、それを規制する組織が無いので、庶民が、悲惨な目にあいます。

 私は、去年の秋以来、民主党をもてはやす、マスメディアの動きに、激しい嫌悪感を感じています。民主党、とくに小沢幹事長が突出して、力を持つ、構造など、せっかく敗戦の苦労の上に築き上げられた、戦後の民主主義を粉砕していく傾向だと、危惧以上の危惧を持って、推移を眺めてきているのです。
~~~~~~~~~~~

 日本の政治とか、行政が駄目になると、国民一人一人が守られません。となると、海外の悪徳者に牛耳られるままになります。悪徳者とは、この際では、金が目的の人々と考えるとよいでしょう。さまざまな形で蓄えられた、日本の備蓄金が、これもまた、さまざまな手法で、海外へ流れていってしまっています。

 それを大量に支援しているのが、朝日新聞を中心とする大マスコミです。今週アエラが、太地町の水銀疑惑を、報道していました。その微量程度を大げさに言う。『おお、週刊朝日では足りず、もっと、上品で信頼度が高いと思われている、アエラを、つかってきたな。なりふりかまわずだ。国際的軍産共同体へのご奉仕が過ぎますよ』と思う私ですが、こんな小さな力では、国際的・軍産共同体の悪意ある行動を阻止する事もできず、ただ、スダジイの大木の下で、つぶやくように観察を述べるだけです。

 しかし、もう一回翻ってみます。一気に思いがけない説を展開しましょう。
 
 この口蹄病のウィルスが、海外から持ち込まれ、意図的に宮崎県でばら撒かれたと仮定したらどうなるでしょう。さまざまな、裏を考え及ばないといけません。しかし、直感的に、これは正しいとも思えます。

 日本は島国であって、海に囲まれています。そして、ウィルスは今まで発見をされては、いなかったそうです。しかも、清潔を好む国民性があります。ましてや、高価な種牛生産農家です。牛の健康管理には気をつけているでしょう。夜陰にまぎれて、ウィルス水溶液を、防衛が少ない牛舎周りに撒いておく。それも、もし数軒の畜舎で、行われたら、アウトですね。2009年度の種牛、コンクールで宮崎県の、種牛が、一等賞を取ったそうです。そこを、攻撃するのは、一種の愉快犯として、行動する側にとっては、すぐ思いつく発想です。

 シー・シェパードのこと、そのほかを取ってみても、彼らのやっていることには、ある種の幼稚さはあります。きわめて政治的な問題でも、まるで、いたずらのごとく、軽く、行われてしまう。その目的は何か?

 それは、毒入り餃子事件と同じ発想で行われている側面もあると思われます。日本政治のトップの交代を迫ると言う側面です。福田康夫・元・総理大臣は、立派な人物だったと私は考えています。政治家としてまともです。しかし、解決不可能な問題を突きつけられて人間として、苦悩のあまり、要職を辞してしまわれました。

鳩山さんは、小沢幹事長より、この国にとっては、好ましい人物ですが、実は、芯(または、真のない)お坊ちゃまです。あの奥様にたらし込まれていて、平常心を保っておられるだけでも、普通の心理状態ではない。どこかで、つじつまを合わせる手法を身につけてしまわれているので、鳩山さんの心を動かす事が、ほとんどの人に出来ません。責任を取る力も、処理能力もない方です。それでも、今まで、私が、一切批判をしてこなかったのには、わけがあります。
普天間の問題にせよ何にせよ、自然の推移に任せたいと思うからです。民主党の勝利は、不自然です。何が不自然と言うかと言うと、マスコミ総動員が影にあるからです。だから、日本の政治を担うほどの、力量がない事は、最初から推定できていましたから、その真実が暴かれるのを待っていただけです。
 
でも、どうして、マスコミがこれほど、支配をされてしまうかと言うと、その支配者の権力が強大だからでしょう。恐れおののいている人たちが、今の大マスコミを牛耳っています。私がなぜ、埒外にいて、大マスコミも国際的軍産共同体をも恐れないかと言うと、何も、恩恵をこうむっていないからです。まず一つにはそれがあります。名誉もお金もそちらからはいただいていません。
それから、信仰を持っているので、天の采配を信じているからです。自然の力を信じているからです。政治とか行政というのは、人間が行うことですが、その上にある、天の力も存在するのです。天に見守られていると言う事は、現世で、得をするわけではありませんが、心底、平和で、生きがいを感じられる、スケルトンでもあります。

この口蹄病の件に関しては、さまざま、敷衍する論理を展開するかもしれませんが、今日はここまでといたしましょう。では、2010年5月22日 雨宮舜

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口蹄(疫)病、と、北野監督のカンヌ映画祭

2010-05-22 05:59:08 | Weblog


 宮崎県で悲惨な状況が起きている模様です。牛とは従順で頭のよい動物です。むかし声のきれいなジョーン・バエズが、『ドナ・ドナ』と言う唄を歌いはやらせました。そのころは牛の命やら、気持ちを、同情を持って考える優しさが、人間・側にありました。社会全体として、そのような心構えがありました。

 しかし、生産高を高めるために世界レベルで、実は残酷な事を牛に対しても、豚に対しても、鶏に対してもやっています。その結果日本人も、江戸時代から比べれば、庶民レベルでも、比較できないほどの贅沢を謳歌できるようになりました。

 私だって、牛を食べています。それも、最近では、ホテル・ビュッフェと言う形で、しょっちゅうおいしいロースト・ビーフを食べています。周りには平和な主婦がいっぱいいます。私は主人と行くか一人で行くかですが・・・・・

昨年までは、仕事オンリーの人間でした。こんな分野には興味さえなかったのです。

 しかし、連続してお読みいただいている方には、その理由がご理解いただいていると思いますが、この一月に、京橋の有名画廊のオーナー山口みつ子さんが急逝されました。その後のマスメディア、および、画廊とか、画壇の山口さんに対する扱いに、深い悲しみを持っています。自主的なお別れ会も誰かの指図で、つぶれて、一切、哀悼の意を表する場が設定されませんでした。不思議なことですし、私は切ないといってもあまりある心理状態です。
で、同行二人と言う気持ちで、山口さんも私もいままでは、味わう余裕の無かった、遊びの世界へ進入しようと考えているのです。そして、もっとも安全で、簡便な遊びが食を楽しむ世界なので、お安くおいしいものを食べられる、ホテル・ビュッフェとか、バイキングを試し続けているのです。途中で個展が挟まりましたが、すでに六回は行っているでしょう。

東京の大きな食堂を持つホテルで、ビュッフェ・バイキングを楽しんでいる主婦たちの表情には、何の不安もなさそうです。宮崎県の県民の苦しみなど、何も反映していません。しかし、預言者は世に容れられず、と言われたほどの私です。内心で深くこの問題を思考していました。取り組むのが大変だからこそ、どくだみが何とかといって、遊んでいたといっても過言でないほどです。
さて、昨日は一切頭を使いませんでした。それで、体は疲れたものの、普段より、疲労が少ないのでしょう。夜の11時に寝て朝の三時には完全に目が覚めており、この困難な話題に、私なりに全力をかけて取り組みたいと思います。
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 東京と宮崎に深い乖離があるがごとく、日本とフランスには、深い距離(乖離)があります。そして、カンヌ映画祭は、宮崎県の口蹄病とは、まったく無関係に進行しています。もし、これがイギリスでかつて流行したようにフランスに影響があれば、ちょっとは話題には上るかもしれませんが、遠く海を隔てた日本のことです。
 シー・シェパード問題にも、黒マグロの禁漁の問題にも、フランスが日本に政府として同情的だとは思えません。つい20年ほど前は、フランス人は、アメリカ人とは違って、日本を理解してくれていると、信じられたのですが、今はそうとも思えません。

 となると、レジオン・ドヌール勲章も、カルティエ財団支援の個展も、カンヌ映画祭も、一切、口蹄病とは無縁に、進行するのでしょう。で、くどいぐらい繰り返しますが、北野武監督は厚遇を受け、最終的には受賞をすることと成るかもしれません。二日ぐらい前に、NHKで、その厚遇の様子が映写されました。
 昨年の、レジオン・ドヌール勲章・受賞以来、メディアが北野監督を扱い報道する量は、金銭的に換算すると、何十億円に当たるでしょう。その効果は、驚くばかりで、北野監督は、ポカリ・スエットのテレビ・コマーシャルにまで進出しました。当たるを幸いなぎ倒すと言う勢いです。

 しかし、これほどの厚遇を受ける裏に、氏の才能以外の側面を見る私です。北野監督は、国際的軍産共同体にとっては、二つの側面で、好都合な人間だからです。それは、氏が講談社襲撃事件で、問答無用の乱暴さを示しえる人間であると、知れ渡っているから、日本の言論界に一種のにらみを利かせうる人間だからです。言論弾圧を、一人のスターを生み出すことによって、可能にしています。実際問題として、怒涛のごとき、オマージュの連続で、北野監督を批判する、意見はどこからも、今のところ、出てきていません。

 もう、一つは、日本政治をおもちゃにして行き、まともな政治家を駆逐して行った、功績があるからです。車輪のもう一方の輪である、小沢民主党幹事長は、経済界を分断していき、ビジネス界を壊滅に近い状態に追い込んでいます。日本はその両輪の、功績(?????)により、大変に国家として弱い常態へと陥れられ、国民一人一人が守られえない状況へ陥っています。

 トヨタの社員も守られていないし、それは、名古屋圏の経済状況(現在の質素化する日本の中で唯一豪華な結婚式が行われる地域として有名だった)の衰退をも、招くでしょう。

 近々、選挙があると言われます。民主党から谷亮子さんが推薦されると言うことで、週刊誌が騒いでいます。今まで表面に出てこなかった、谷亮子さんの実家の、親の職業の問題も出てきました。かたぎではないと今までも、裏でささやかれていた事が、表に出てきたのです。こう言う現象を嚆矢として、政治家は非常に小粒になってきています。今回の口蹄病騒ぎでも、政治家の無能ぶりは言われています。

 その上、民主党は、人材が少ないです。それなのに、官僚打破、官僚駆逐とか表明してきました。日本では政治家は駄目でも、官僚とか、地方公務員が、ある意味でしっかりしていたので、政治、特に行政がスムーズに運んでいたのに、その方向からも壊滅的な打撃を受けています。アメリカは官僚と言うものがありません。で、サブプラム・ローンみたいな奇策が出ても、それを規制する組織が無いので、庶民が、悲惨な目にあいます。

 私は、去年の秋以来、民主党をもてはやす、マスメディアの動きに、激しい嫌悪感を感じてきています。民主党、とくに小沢幹事長が突出して、力を持つ、構造など、せっかく敗戦の苦労の上に築き上げられた、戦後の民主主義を粉砕していく傾向だと、危惧以上の危惧を持って、推移を眺めてきているのです。
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 日本の政治とか、行政が駄目になると、国民一人一人が守られません。となると、海外の悪徳者に牛耳られるままになります。悪徳者とは、この際では、金が目的の人々と考えるとよいでしょう。さまざまな形で蓄えられた、日本の備蓄金が、これもまた、さまざまな手法で、海外へ流れていってしまっています。

 それを大量に支援しているのが、朝日新聞を中心とする大マスコミです。今週アエラが、太地町の水銀疑惑を、報道していました。その微量程度を大げさに言う。『おお、週刊朝日では足りず、もっと、上品で信頼度が高いと思われている、アエラを、つかってきたな。なりふりかまわずだ。国際的軍産共同体へのご奉仕が過ぎますよ』と思う私ですが、こんな小さな力では、国際的・軍産共同体の悪意ある行動を阻止する事もできず、ただ、スダジイの大木の下で、つぶやくように観察を述べるだけです。

 しかし、もう一回翻ってみます。一気に思いがけない説を展開しましょう。
 
 この口蹄病のウィルスが、海外から持ち込まれ、意図的に宮崎県でばら撒かれたと仮定したらどうなるでしょう。さまざまな、裏を考え及ばないといけません。しかし、直感的に、これは正しいとも思えます。

 日本は島国であって、海に囲まれています。そして、ウィルスは今まで発見をされては、いなかったそうです。しかも、清潔を好む国民性があります。ましてや、高価な種牛生産農家です。牛の健康管理には気をつけているでしょう。夜陰にまぎれて、ウィルス水溶液を、防衛が少ない牛舎周りに撒いておく。それも、もし数軒の畜舎で、行われたら、アウトですね。2009年度の種牛、コンクールで宮崎県の、種牛が、一等賞を取ったそうです。そこを、攻撃するのは、一種の愉快犯として、行動する側にとっては、すぐ思いつく発想です。

 シー・シェパードのこと、そのほかを取ってみても、彼らのやっていることには、ある種の幼稚さはあります。きわめて政治的な問題でも、まるで、いたずらのごとく、軽く、行われてしまう。その目的は何か?

 それは、毒入り餃子事件と同じ発想で行われている側面もあると思われます。日本政治のトップの交代を迫ると言う側面です。福田康夫・元・総理大臣は、立派な人物だったと私は考えています。政治家としてまともです。しかし、解決不可能な問題を突きつけられて人間として、苦悩のあまり、要職を辞してしまわれました。

鳩山さんは、小沢幹事長より、この国にとっては、好ましい人物ですが、実は、芯(または、真のない)お坊ちゃまです。あの奥様にたらし込まれていて、平常心を保っておられるだけでも、普通の心理状態ではない。どこかで、つじつまを合わせる手法を見につけてしまわれているので、心を動かす事が出来ません。責任を取る力も、処理能力もない方です。それでも、今まで、私が、一切批判をしてこなかったのには、わけがあります。
普天間の問題にせよ何にせよ、自然の推移に任せたいと思うからです。民主党の勝利は、不自然です。何が不自然と言うかと言うと、マスコミ総動員が影にあるからです。だから、日本の政治を担うほどの、力量がない事は、最初から推定できていましたから、その真実が暴かれるのを待っていただけです。
 
でも、どうして、マスコミがこれほど、支配をされてしまうかと言うと、その支配者の権力が強大だからでしょう。恐れおののいている人たちが、今の大マスコミを牛耳っています。私がなぜ、埒外にいて、大マスコミも国際的軍産共同体をも恐れないかと言うと、何も、恩恵をこうむっていないからです。まず一つにはそれがあります。名誉もお金もそちらからはいただいていません。
それから、信仰を持っているので、天の采配を信じているからです。自然の力を信じているからです。政治とか行政というのは、人間が行うことですが、その上にある、天の力も存在するのです。天に見守られていると言う事は、現世で、得をするわけではありませんが、心底、平和で、生きがいを感じられる、スケルトンでもあります。

この口蹄病の件に関しては、さまざま、敷衍する論理を展開するかもしれませんが、今日はここまでといたしましょう。では、2010年5月22日 雨宮舜

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どくだみのお茶を作りながら、サプリメント販売者たちを思い出す。

2010-05-20 00:10:42 | Weblog
 これは、前の日の、一種の続きで、書くことに対して、盛り上がらない日というか、切実な、話題がない日の二回目です。今は、頭ばっかり使うのは悪いなと思う、私の独特のバランス感覚で、どくだみのお茶を作ることにまい進しています。

 京都住まいの、イギリス出身の主婦、ベニシアさんのナチュラル・ライフが、猫の尻尾というタイトルで、NHKのBSで放映されています。彼女ほどのことはできません。我が家では、どくだみ茶とか、ハーブティ、数種だけは作っています。
 あと、お味噌と、燻製と、干物も、ときどき、作りますが、後者、三つは主人が作ります。でも、買うものよりも圧倒的においしいです。すべて、手作りはおいしいです。たぶん、保存料ほかが入っていない、ことだけでもおいしいです。

 そういう大掛かりで、時間がかかるものは主人に、まかせて、私が作るのは、クッキーとか、ババロアやプリンとか、ケーキとか、主にお菓子です。(ケーキだけは、土台だけは、買ってしまう。土台から、作り始めたら、半日以上かかって、ほかのことが何もできないので。・・・・・ただ、生クリームを泡立てて、飾るだけです。ほとんど、30分でできますから。楽です。特に、イチゴの季節はさっさと作ります)

 今年は寒かったので、いまごろ、ちょうどどくだみの新芽が出ています。我が家は日当たりが悪いので、それが、このどくだみを収穫できるゆえんです。この間、二十メートルぐらい山の上にすんでいるお宅が、大量に木を切ってくださったのですが、我が家にとっては、西側に当たる部分なので、東と南は、相変わらずの大木に囲まれています。10年ぐらい前に、八幡宮様が本格的な高枝きりの業者を使って、切ってくださったのですが、あっという間に、枝が大量に復活してしまいました。スダジイという木は強いのです。

 こういう現象を見ると、眠り姫の童話は、実話だと思ってしまいます。

 ただ、不思議なんですが、あまり寒くはないのです。それと、緑ばかりに囲まれているという雰囲気が不思議な場所なので、劣等感も抱いてもいないのです。

 で、どくだみ茶は我が家の、主たる生産品です。からっと乾かないときは少し、炒ります。すると、からっとしますのでガラス瓶に入れておきます。
 あと、買った、カモミール、薄く切って干したウコン(もしかするとターメリックともいわれる)、買ったウーロン茶、薄荷(ペパーミント)、ときどき中華街へいって買ってくるハイビスカス(色はきれいだがすっぱい)を少しずつ、入れてまとめます。今年は、しょうがも、乾燥させてみるつもりです。しょうがの効用がはやっていますでしょう。また、キャット・テールという花は、どうも、ハーブティになりそうなので、それも、乾燥させるつもりです。

 ともかく、緑茶(煎茶)以外の、ハーブティを少しずつ、大き目のトルコの急須に入れて、コップ4杯程度、せんじて飲みます。たんなる麦茶や、ウーロン茶より、おいしいとはいえないけれど、栄養になる感じがあります。なれると、ちょっとした苦味も、おいしく感じるようになります。

 あ、だんだん、書いているうちに調子が出てきました。

 例の私固有の社会批判が出てきました。
 この間、バイキングで、夜食べていたときに、隣に、八人程度の若者が座りました。○○区の、だれだれさんは、どういう風に金遣いが荒いかとか言う話をしています。それから、性格がいい人が誰であるとか、話しています。「でこぼこ家の、奥さんは、一月、100万円をもらっているそうだよ。だんなさんとは別に、彼女だけが使う分としてね」とかね。「△△家はバイアグラも使っているみたいだ」とかね。
 様子を見てみるとスーツ姿の、二十代から三十代の若者です。かっこいい人たち。で、どういう職業なのだろうと、頭をひねり続けました。自動車のセールスなのかなあ?とか最初は思って、いましたが、サプリメントの販売会社だったのです。

 それは、通信販売というよりは訪問販売らしくて、だから、お金持ち一族の内情がわかるらしいのです。『へーっ』とおもいましたけれど、化粧品にもあまりお金を使わない私は、もちろんのこと、サプリメントを買う気などありません。ただ、ここでは、買う人に対しても売る人に対しても、それ以上のことは申しませんが・・・・・ただ、最初には、副題として、・・・・・私はサプリメントを買うなんていやだなあと思っていましたが、・・・・・とつけるつもりでした。だけど、それは、いいすぎというか、硬すぎる意見でしょう、ね。お金持ちは何を買ってもよいのでしょう。

 それから、ちょっと驚いたのは、今の若い人たちが、いわゆる居酒屋へ行かないことです。女性向けスィーツ・バイキング、または家族向け、バイキングで、ビール程度の、アルコールで、仕事後の、仲良し会をやっています。これは、一箇所だけで見た現象ではないのです。雰囲気や暮らし方が、今の、五十代以上とはまるで違うのです。

 ただし、男女平等の雰囲気はあります。『ビールを、(私=女性の方)がお注ぎします』ということは、いう必要がない。そういう点では、非常に感じがよいです。私ね、むかし、アーチスト系のパーティの二次会で、「どうして、あなたは、ビールを他人についで上げないのですか。それはだめだよ」といわれて仰天したことがあるのです。実家も婚家も、酒飲みがいないので、お酌をする習慣がなくて、単にぼんやりしていたら、注意を受けました。
別に威張っていたつもりはまったくなくて、そういうことを知らないだけなのに、注意されたから、びっくりしました。でも、今の若い人たちにはそういう習慣も雰囲気もないみたいです。ぐっと違います。そうですね。現在、70代以上の人とはまったく違います。

 では、今日も軽い話題で恐れ入ります。ただし、軽い話題で済ませられる日は、私も平和だし、皆様のご日常も祝したいです。よかったねと申し上げたいです。

今日の写真はサービス精神皆無で申し訳ございませんが、私自身が画廊にいる姿です。いろいろ展示した中でもっともおとなしい色面分割の作品を背景にしています。普通、個展のときは疲労困憊しますが、今回はセーヴセーヴで、過ごしたので、やや、大丈夫でした。そのかわりお客様へサービスができませんでした。ごめんなさい。

              2010年5月19日書き、送るのは20日   雨宮 舜
 
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大人になってから、市民が学ぶ楽しい大学・・・+前田武彦さん

2010-05-19 23:11:02 | Weblog
 私は相変わらず、内面としては、緊張感に満ちていますが、でも、本日はさしたる、文章が頭に下りてきません。私の場合は、文章は、書こうとして、書くものでもないので、こういう日にはエンジンがかからなくて困ります。・・・・・

 最近、読者の方が多くなっていますので、期待を裏切らないで、毎日、更新して書こうとしても、なかなか、よい話題が浮かびません。しいて言えば、おさかな君について、ウエブ上で紹介があった、ことを、ここでも、敷衍しようかなあと思うくらいです。

 そこに書いてあったことは、魚類学会があったときに、おさかな君もそこへ出ていて、平成天皇をお見かけしたという話でした。それだけなら、なんと言うこともないのですが、おさかな君は、性格が非常によい方なのですって。いじめなどにも、「やめなさい」といったりしたそうです。それから、おさかな君は魚類学会へ出席するときにも、あの例のお帽子をかぶって出席したそうです。「ほーっ」という感じです。高い声の人ですが、その声を誰からから、注意されなくて、よかったですね。

 もうひとつ付け加えると、そのお帽子のことやら、タレント活動をしていることで、魚類学会の内部で、おさかな君自身が、いじめられないと、いいですね。普通ならいろいろいわれてしまうところでしょうが、がんばってください。
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 そういえば、今日、2010年5月19日のクールジャパン(鴻上さんを司会とする海外留学生の座談会、NHKのBSほかで放映)を見ていたときに、
 日本では海外に比較すると、雑学ということが、盛んだと、しらされました。そして、神田に雑学大学というのがあると、レポーターが報告しました。

 そこに集っている人が、大変顔がよい方たちで、日本でもっとも幸せな存在であると感じました。
 その雑学大学の会場は神田のどこかにあるのですが、そのビルそのものは紹介されず、かつスポンサーが誰かかは、知らされませんでしたが、無償で貸与されているそうです。その維持者、も立派なことです。

 横浜にも関内の、市民ギャラリーの上の階の講堂を会場としているらしい、原三渓研究会というのがあって、市民が集っています。それに比べると、神田の方が楽しそうでした。横浜のほうは会場が大きいだけに、より硬い感じがします。しかも研究テーマが決まっています。神田の方は、話題がいろいろあるのだそうです。

 私は、今は、決して積極的には動いていないほうですが、それでも、いろいろな勉強会に誘われることがあります。

 むかし、鎌倉アカデミアという一種の大学があって、そこでは大変によい教育が行われていたそうです。それを研究する会が、鎌倉の光明寺というお寺で行われています。まだ、卒業生が健在なので、私は聞き漏らしましたが、前田武彦さんが講演をなさったそうですよ。

 この方は、一斉を風靡したテレビ番組の司会者でした。大橋巨泉か、前田武彦かという存在した。が、何らかの失言の責任を取って、隠居されたのです。だけど、私の記憶では、失言というものでもなくて、ある政党(後注)へ、「好きだ」というようなことをおっしゃっただけの話です。

 そんなことで、引っ込むのは残念です。ただ、きっとお坊ちゃま育ちなのでしょう。世間からたたかれるということに弱かったのです。いや、テレビが、最盛期だったからその影響力が強いからこそ、裏から何かがあったのかも知れません。そうだったら、それは、お気の毒でした。

 私なんかも、弱いほうでしたが、今、どんどん、鍛えている最中です。そして、『たたかれ強いですね』といわれるほどとなりました。社会の構造がわかってしまったので、あらゆる現象が、裏表、理性的に分析できるので、いつも冷静です。どうして、こういうことがおきるかが瞬時に分析できるので、冷静です。そして、いまでは67歳となっていて、前田武彦さんが現役を退いたときからは、はるかに年上になってしまいました。なにか、感慨ひとしおです。
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 最後に、「う、今日の意見はなかなか、考察を要するな」とクールジャパン内で出てきた事を付け加えましょう。それは、雑学を、高くは評価しない外国人たちの意見でした。

 これは、何かの仕事をしようとする、ひとたち、特に創作の仕事をしようとする人たちにとっては、思い当たることでしょう。時間が非常に大切なので、雑学に取り組んでいる暇はないといえるとも思います。きりきりしているぐらいでないと、他人を巻き込むほどの作品はできないともいえます。
 ただ、世間とあわせるという点では、話題が豊富なのはよいことです。つい最近、クラス会に出ましたが、去年より『感じがよくなったよ』といわれました。今の私は、老後の人生で他人に迷惑をかけないために、体力を温存するように努めています。

 それで、創作の仕事を完璧にするよりも、心の余裕を持つほうを優先するように、わざわざ努力をしているのです。それが、あたりのよさとなって、表面に出たのでしょう。

 私、15年前は、自分を「雑学の大家だ」というほど、暇人で、新聞を隅から隅まで読みました。が、本を作り始めて、それが、パソコン上でのDTP(デザイン)まで自分でやるので、すごく力も頭も、取られるので、すっかり雑学の知識が抜けてしまいました。あの当時、クイズにさえ出ようと思っていたのですが、今はぜんぜんだめです。

 もうひとつ面白いことを聞きました。こういうお勉強の会は、男性が主に、参加していて、女性は違うこと、ダンスだとか、コーラスとかをやっているそうです。男女の違いは、老後の勉強の方向にさえ、あるのですね。

(後注、)それが、共産党だったと思います。私は共産党をひいきすることで、引退しなければならなかった、当時のマスコミや、社会状況を、残念に思います。自由がないです。

 しかし、今の共産党に関しては、大いに、疑問を持っています。アメリカを訪問するのはよいのですが、それが、変質を見事にあらわしています。別にソ連(今のロシア)や、中国がすきでもないのですよ。でも、『今の共産党って、野党ではないね』と思っています。一種の装置として、あたかも日本に言論の自由があるがごとく、国民に、思わせ、納得をさせるために存在していて、その方向で、機能していると、考えています。だから、アメリカの、軍産共同体にとっては、大切な存在で、お招きを受けるのでしょう。・・・・・と考えています。

 だから、前田武彦さんが、今、何をどう思っていらっしゃるかは、お聞きしたかったことでした。新聞などにも取材をしてほしいところです。今でも共産党を、ひいきなのか。それとも、違うのか、または、『ああいう風に、まじめに政治に対して発言することが、馬鹿だった』と思っていらっしゃるのかは、お聞きしたいことです。
                       2010年5月19日   雨宮 舜
 
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好人物、渡辺恒三氏と、その素直な、小沢批判、

2010-05-19 11:40:47 | Weblog
 2009年の12月18日に以下のウエブ・ニュースが飛び交い、それを、元ダネにしようとして、保存をしておきました。HTML方式で、記事の解説をしてあるのですが、現在のところ、その元記事は行方不明だそうです。つまり、削除をされている。

 どうして、削除をされているかというと、そんな、小さな発言でも、目くじらを立てて、小沢擁護派、が、監視し抑えるのでしょう。渡辺幸三氏は古いタイプの政治家ですが、その感覚は国民の意識を的確に、捕らえてます。

 今、2010年5月19日は、その記事を、自分の下書きボックスに保存をしてから、ほぼ、半年後ですが、政治環境の中で、ほとんど、同じ状況が繰り返されています。その流れの中で、「小沢幹事長をやめさせるのは、鳩山さんしかいないだけど」とおっしゃったでしょう。それも、無視され続けていますが・・・・・
 では、今日は非常に軽く、短いものをまず、アップさせていただきます。
これは、ブログ内文章を整理してたときに見つけた下書きだったのですが、
歴史は繰り返すというか、なんというか、なので・・・・・本日も再アップしました。小沢氏は、人気がまったくないらしくて、タイトルに小沢とつけただけで、読者が、一読も再読
もやらないらしいことを知っていますが、あえて、歴史が、こういう風に作られる・・・・・・その家庭を検証したくて、これを、挙げました。歴史とは、決して自然な流れで作られるのではないと、申し上げたくて、これを、この時期に、不人気なタイトルであっても、あえて、アップしました。しかし、見えない影の流れは不自然に動きますが、渡辺恒三氏の発言は、自然です。
    
   2009年12月18日に起案をしたものを
 その6ヵ月後の、本日、アップさせていただきます。2010年5月19日 雨宮 舜               

特例会見で首相や小沢氏批判…渡部元副議長(読売新聞) - goo ニュース
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日本の名女優たちの思い出の場面

2010-05-17 13:52:33 | Weblog
 これは、古いシーンを集めているお話です。というのもあまりにもジェシカ・ラングに驚いてしまったわけです。あれほどの、演技ができる女優さんが日本にいるだろうか?と、怪訝に思います。

 ジェシカ・ラングは、マリリン・モンロー(紳士はお熱いのがお好き)、キム・ノヴァク(ピクニック)、シャーリー・マックレーン(アパートの鍵貸します)などと同じ、一種の白痴美を創出するわけですが、普通の人が、ときどき、ちょっとおかしくなるというところを、微妙にリアルに演じきっていました。比較すると、上記の、三人は甘いです。もう一人名女優として名高いのがメリル・ストリープですが、彼女には癖があります。いつもメリル・ストリープです。だから、私はあんまりすきではありません。

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 古い人では、杉村春子です。彼女が樋口一葉原作の映画『大つごもり』に出たときには仰天しました。夫が、外の女に入れあげていて、お金を家庭に入れず、お金がなくて、大晦日に年を越せないおかみさんを演じました。もんくたらたら、愚痴たらたらなんですが、あまりにもリアルで、胸が迫りました。ただし、映画ではなくて、舞台だと、一本調子に感じます。

 もし、白痴美を演じるのなら、早世した、太地喜和子さんが適宜だったかもしれませんが、私は、『花ごろも、脱ぐやまつわる紐いろいろ』を見ていて、この主人公は、ある意味で魅力がないので、残念でした。名優として有名ですが、彼女のよさは出ていなかったと思います。

 あと、吉田日出子さんなど、上手ですよね。若手では、洞口依子さんも上手です。また、『北の国から』で、ラーメン店の女店員という端役で出ただけですが、抜群の印象を残した、中原早苗さん。同じ番組内で、土地代を請求する、端役でチラッと出た、根岸季え(漢字が不確かですが)さんも上手です。

 正統派の主役としては、高橋恵子さん(往年の映画の特集を、銀座シネパトスでやっていました。金曜日の妻たちで、経済的には満たされているものの、それこそ、女としての根源的な迷いに浸る妻を、後援しました。品がよいのが最高)

と、鶴田真由さん(結婚しちゃって、露出が少ないのが残念ですが、上品で、しかも、水も滴る情感があります)と、

 菅野美穂(いろいろな名シーンがあるひとだけど、このごろ、きつい性格の主人公をやらされていて、お気の毒です)さん、

 中谷美紀(ゼロの焦点では、つまらない役でしたが、ホテル・ビーナスでは、びっくりするほどの、覚悟が決まった演技を見せてくれました。もう、ちょっと、太ってほしい)さんが上手です。

 最近急に話題の存在として、テレビの世界に出ててきた、草刈民代さんがいます。私生活では、バレーしか経験がない人だし、最初の映画(shall we dance)では、演技のほうは、上手には思えなかったが、龍馬伝で、これから活躍するらしいですね。もしかすると演技者として、前より、ぐっと、上手になられているのかもしれません。雰囲気がすばらしいです。写真集の出版を含めて、覚悟が決まっていそうです。

 あ、そういえば、富士純子、寺島しのぶの母・娘も入れなくてはなりません。 ほかに若手では、宮崎あおいさんとか、蒼井優さんも上手だろうけれど、子供がいるとか、中年であるというところまではまだ、演じきれないでしょう。

 市原悦子さんは、家政婦さんのイメージが強くなりすぎている。ここで、舵取りを変えて、色気がある、女性ができるかなあ?

 余貴美子(松本清張ドラマでの、悪役がすばらしかった。くだらないドラマもやっているけれど、できる人です)さんとか、淡路恵子(ちょっと現在は、年でもあるが、30年前だったら)さんだったら、この手の複雑な内面を持っている、かつお色気のある女性を演じきれるでしょう? 特に虚実の皮膜の中で、異常であると言うことを、表出して、かつかわいいことが必要です。難しいポジションですが、女優なら、やってみたい脚本だと思います。

 思いがけない選択ですが、きき、キリンさんとか、佐藤玉緒ちゃんができるかもしれません。お色気があって、かわいくて、ちょっと、道をはずしている役柄ですから、向いているかもしれない。

 忘れていた、最後の大物、松坂慶子さん。だけど、このごろNHK連続ドラマに出ずっぱりで、演技が甘くなっていますよ。研鑽にも励んでくださいね。素質は、上等な方ですから。彼女の演技で忘れられないのは、10代のころ、NHKで、放映した『青い山脈』です。才能があるというか、魅力があるというか、彼女の出ている場面だけ、輝いていました。だが『火宅の人』はさして、どうって言うこともない。『蒲田行進曲』も『篤姫』ないでも、それほど、輝いていないです。脚本の問題もあるが、すこし、甘えていらっしゃるかも。
 大竹しのぶさんは、最近評価が高いようですが、私はごめんなさいです。服部監督とのことがあるから。・・・・・別に服部さんと親しくはないが、同時期にキャンパスにいたので、大竹しのぶさんはアウトです。上手だとは思いますが、どうしても生き方が、受け入れられません。

 あと、京まちこさん、田中絹代さん、高峰秀子さん、岸恵子さん、有馬稲子さん(この方だけは演技を見たことがない)は、健康な人、複雑ではない人を遣るというイメージがあります。だから、ジェシカ・ラングが遣ったような役はできないと感じます。ご本人たちは、それぞれに、心理的に、複雑な役をなさっているおつもりでしょうが、結果として、出てきたものが健康なのです。

 『西鶴一代女』を、遣っている時だって、田中絹代さんは、賢くて、健全な感じです。杉村春子さんとは、違う。同じくらい賢い二人ですが、杉村春子さんの方が、より演技を崩していく覚悟があると、感じがします。
 ここで、くくったかたがたは、最初からスターとして扱われてきた人たちなので、で、どうしても、演技が甘くなっていると、私は思います。

 あと、ここに名前をあげなかった人があります。それは、私としては、演技がいつも同じで、世間の評価ほど、高く思えないと考えている人たちです。役よりも演技する、女優さん本来の地が見えてしまいます。だから、名前を挙げませんでした。名優として、選ばれていると思いますが、あえて、あげませんでした。

 皆様もごひいきの女優さんがおありでしょう。でも、お色気があって、かわいくて、そして、ちょっと狂っているなんていう、役柄を演じられる女優さんは、早々いないです。

             では、2010年5月17日書き、送るのは18日 雨宮舜
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月経と閉経―2、事件を起こす女性たち。

2010-05-17 07:41:33 | Weblog
 女性は、一生で、多い場合は480回も、面倒くさい、負担を感じて生きているわけです。これは、フィギュア・スケートの選手とか、バレリーナ等は、大変な問題で、たぶんですが、薬で、時期をずらせていらっしゃるでしょう。私はそういうことが必要ではなかったのですが、学生ダンス選手権に出場している友達がいて、薬を使っていました。40年前の当時は、ラテンはあまりはやらず、ワルツやブルース、そしてタンゴも長いスカートをはくのですが、それでも、競技会の時は月経が当たらないように、気をつけていらっしゃるそうです。

 薬とはたぶんですが、何らかのホルモンを調剤したもので、偽装で、妊娠したかの様に、脳に信号を送り、それ故に、胎盤が生き続ける仕組みです。ローザンヌのコンクールで今年は、15歳の日本の少女が、入賞しましたが、彼女なども先生や親の指導の元に、そういう薬を使っておられる可能性はあります。

 でもね、今現在より、少し昔のことを考えてみるとさらに、複雑です。ココ・シャネルなどの、創作により、女性は着るのに簡単で、かつ動きやすい服装に移行していきましたが、ギリシャ風の衣装が流行った前は、クリノリン・スタイルといって、鯨骨でふくらませたスカートをはいていたのです。あ、ということは、西欧でも、鯨を、たくさんとっていたということですね。プラスチックが発明される前は、柔らかでかつ硬い支持材として、鯨骨は、大切なものだったと思います。

 映画「風と共に去りぬ」の中で、主人公が女中に手伝わせて、その大げさな衣装を着付ける場面があります。あれを見ると、月経中など、四時間程度しか、あの衣装では過ごせないということがわかります。舞踏会でも、シンデレラではないが、あまり長居していたら、大変なことになるからです。あの大きなスカートを持ち上げて、月経の始末をつけるなど無理だからです。源氏物語の頃だって、お姫様は、行動を慎んだでしょう。
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 しかし、問題は面倒なだけではありません。どうしてか、精神にも月経は影響を及ぼすのです。仕事をしている女性で、訓練ができていると、その波を押さえることができるでしょう。しかし、他人と、責任ある接触のない女性は、この波に左右されやすいのです。若い女性というのがそうだし、年をとっていても、専業主婦などをしていると、わがままになりやすいので、気分が揺れるということがあります。このことは学問的に研究を既にされていると思います。

 毎月も心の揺れがあるのですが、人生全体を一つのスパンとして考えると、閉経時の、揺れというのもあります。その時に、女であることを、捨てるような気がして、潜在意識の中で、不安感を持ったり、不満を抱いたりしやすいのです。

 それが、五〇代にきわだっておこり、熟年離婚を引き起こしたら、事件を起こしたりします。だから、そのことを冷静に、気がついていて、事前に心の準備をしておく必要があります。
 ドンキホーテというお店に放火した、中年の女性がいました。無職ということでしたが、家族をかばって、そういう風に記載されているだけで、実際は、掃除が好きな主婦だったのではないかと感じます。放火は、潜在意識の中で、整理したいという気持ちの、変形だったでしょう。しかし、おもしろくなってしまって、何度も放火をして、最後には、店員さん三人が、お客を救い出しに行って、亡くなりました。大変な結果になってしまいました。

 でも、五〇代まで無事に生きてこられたのですから、その時点までは普通の人だったのです。特別な人だったら、そこまで生きておられないです。でも、普通の人が突然おかしくなるのが、この月経前後の、時期と、また、閉経を迎える時期です。

 ともかく、子供を産む立場である、女性の方が、常に、ホルモンというか、何者かに支配をされています。男性の方は、そこは、より、自由に行動できるような気がします。

 さて、最後になりました。なんで、げっけいなどとういう日陰の問題を、長々と書いたかというと、映画ブルースカイの中で、『奥さんが、精神的に不安定である』という設定について、考察をしたかったからです。
 奥さんは、それこそ、上に上げたようなポイントで、体の中から突き動かされるように、あれこれ、をやってしまうのです。それが、せりふではなく、行動(無言の演技)で、示されるので、そこがジェシカ・ラングのすばらしいところです。脚本は、半自叙伝的な物語だと、goo映画で解説をされていました。映画女優になりたくて、普通の奥さんでは納まりきれないお母さん。もし、お嬢さんが脚本を書いたとして、そのお母さんの精神が不安定なところが伏線となっていて、最後の驚天動地の行動が、説得性を持ちます。馬にのって、核実験場に乗り込むという設定が、生きてきます。『彼女なら、それくらいの事は、やるでしょうね』と、観客が素直に納得をするからです。

 すばらしい映画を解説したくて、『下品だよ』と、誤解を受ける事を、恐れずに、書き進めました。ひとえに、ブルースカイがよい映画だと、申し上げるためでした。では、2010年5月17日   雨宮舜
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月経と、閉経・・・・・女性固有の、重い任務

2010-05-15 12:18:36 | Weblog
 副題・・・・・東西の文化の違い・・・・・ケの文化の日本、と、レディファーストの西洋

 ブルースカイは、核実験が、もろ、リアルに描き出されるという点で、政治的な映画ですが、それが娯楽映画としても、大変に面白くなっているのはひとえに、奥さんの描き出し方に、独自性とリアリティがあるからです。

 一般の女性だと、表面には出さないであろう、本音とか本質を前提にして生きているヒトで、その後ろに、産む性としての、子宮のこと、そして、月経とか、閉経というものが隠れているような気がします。奥さんは情緒不安定であるという設定ですが、細身で繊細な人ではなくて、巨乳でがっしりしています。だからこそ、彼女の抱えている悲劇が胸に迫ってきます。
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 ここで、あまり表面には出てこない月経ということをしっかり見据えてみたいです。

 それは、14歳ごろ始まり、54歳ごろ終わるものですが、だいたい月に一回あるものなので、女性だったら、人生に、480回もそれを、経験します。

 今、東北地方の昔の、衣服・ぼ・ろ・が、文化遺産としてもてはやされています。それは、麻布をつぎはぎ、つぎたし、木綿糸で<刺し子という種類の>刺繍をしてとめたものです。厚手でやわらかいものだそうです。どうして、そういうものができたかというと、東北地方は寒くて木綿が取れないので、木綿糸が貴重であったからだそうです。

 となると、江戸時代のそちらの女性はどういう仕組みで月経を始末したのでしょうか。今、普通に使われているタンポンとか、ナプキンというものがなかった時代には、脱脂綿と言うものを使いました。その綿が取れないわけですから、どうしたのだろう。日本でも外国でも産業革命以前は、物は生産高が低くて、流通も発達していないので、使い捨て文化というものはありませんでした。

 だから、はがれた胎盤(それは、血の塊でもあります)を、吸収させたものを、洗って再利用という形で何回も、使ったのではないかと感じます。幅2寸、長さ、6寸ぐらい、厚さ三分の一寸のぼろを作って、それを使って、それを、洗う。冬など、寒い外の川で、洗うわけです。非常に苦しい生活です。

 ここいらあたりの実像としては、往年の人気ドラマ「おしん」の小さいころの生活を思い出すと、想像ができます。みんな雪解け水の中で洗濯をしていましたね。

 洋の東西を問わず、女性たちがどういう風に、この困難を乗り切ったかを、研究するとすれば、これは、学究的に面白いテーマです。私自身はその調査をして、論文を書く暇はないけれど、どなたかが、やったら、面白いことです。そして、昔と比べて、今はどんなに、便利で、楽になったかを実感することができるでしょう。

 日経新聞の私の履歴書2009年3月分は、ユニチャームの社長さんでした。その方は、紙が専門の方ですが、紙を使って、使い捨てで、簡便な処理道具をおつくりになったのです。お母様を、慕っていて、したがって、女性の苦労というものをそこはかとなく、察しておられて、そこからの解放を目指したわけです。ビジネスの展開に何らかの動機があると、その会社が発展するし、社長が、立派な人格者になるという好例です。もちろん、動機と、結果は、鶏の卵が先か、鶏が先かの論と同じで、もともと、人格が高かったから、新しい形のビジネスが成功したのかもしれません。

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 以上は月経の、外へ出た後の物理的な始末の方面です。しかし、月経とは何かを、もしかしたら、的確に知ってはいない男性陣のために、女性の体の内部にあるときの状態を、ここで、解説したいと思います。

 皆様は、鶏の内臓を、買ったり見たり、食べたり(居酒屋などでですが)なさったりしたことがありますか? 大中小の黄身がついているぶどうの房のような状態になっています。鶏というのは、卵が巨大な種族です。白い殻にくるまれている白身と黄身をあわせて全部が
、たったひとつの細胞であるということは、信じられない気もします。が、人間のばあいも卵巣の様子は、同じだと感じます。ただ、その大きさが、数千分の一、もしくは、数万分の一でしょうが。

 その卵が、卵管を通って、子宮に降りてくるのが、一月に一回です。卵はもし受精すれば、2,4.8.16と分裂を繰り返していき、やがて、人間の赤ちゃんになっていくわけですが、出産時三キロ程度の、体を形成するためには、養分が羊水という、子宮内部の水分だけでは不足するのでしょう。つまり、たんぱく質を形成する物質ほかを供給する場所として、胎盤というものが、卵子の放出と時期をあわせ手形成されます。そこへ、受精卵は、吸着し、その胎盤から、最初は血管程度、後にはへその緒と呼ばれる管へ発展する太い通路で、母親と直接つながって、栄養を補給し、また、老廃物を、体外へだして、成長していきます。

 このときに、卵が受精卵なら、胎盤へ必ず、着床するのですが、受精をしない卵(つまり、出産を目指したセックスを経ていない卵)は、どうしてか、胎盤へ着床せず、胎盤は、無駄になります。

 ここらあたり、人間の目にはけっして見えない変化ですが、
まことに合理的に、かつ、順番を間違えず、命令が自然に下って、胎盤は、子宮壁から離れて、死んだもの、つまり、放っておくと腐るはずのものとなります。だから、女性の体は、自然にそれを、外へ出そうとします。

 最初は、はがれた場所の新しい血ですから、真っ赤な水分の多いものであり、だんだんに、胎盤そのものが出てくることとなります。それは、小さくもちぎれた鶏の肝臓をお思いになれば、ちょっと似ているかな? こんなことを書くと、「これからは、レバニラ炒めが食べられなくなるよ、大迷惑だ」といわれてしまうかも知れませんが、そういうものです。菜食主義でない限り、われわれは、他者(特に動くもの)の命を殺しながら生きている。

 だから、私は月経を思うと、すぐ、レバー料理を思い出し、人間って、共食いに近い構造を持っているなあ。などと、感じるのですよ。実際に若いころにはレバー料理は食べられませんでした。最近です。何でも食べるようになったのは。
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 これから先は、法医学者等が、どこかで、発表をされたのを思い出して書きますが、胎盤とは、どんどん成長していくもので、赤ちゃんが、生まれる時期には大きくなり、後産という形で、赤ちゃんの後で、女性が、外へ出します。これは、戦時中実際に経験した人から聞きましたが、東大病院で出産をしたのに、医師、看護婦ともに、後産の処理を忘れたために、大変な後遺症で、苦しんだという話でした。

 大学病院って、一種の修行の場だから未熟な先生が多いのです。地域ドクターを大切にしたほうがよいですね。
 幸いにして、私は、このごろでは、病気とは無縁です。弱くて、抵空飛行ですが、いつも、同じ程度の生活をするように心がけているので、病気に付け入られる、隙がないのでしょう。ありがたいことです。創作の種に襲われて、気が立ってしまって、寝られないことが多くて、それは、家族に心配されていますが、一週間に二回程度、ぐっすり寝ると回復をしますし。

 元へ、戻れば、月経として、外へ捨てられる段階の胎盤は、幅が三センチ、長さが6センチ、厚さが5ミリぐらいの楕円形をしていると、聞いたことがあります。それを、全部外に出すのに、長い人で、一週間ぐらいかかります。

 だから、最後は、血が、一種の腐り始めた状態になり、茶色になり、においも出てきます。で、こういうことを、日本では、ケといい、不浄のものとし、土俵なども女性が上がると、穢れるといわれていますね。

 ここで、A4の紙に直すと、4枚を超えました。結論にまでは至っておりませんが、あまりに長くなるので、いったんきりましょう。では、2010年5月16日雨宮 舜
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