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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

油性ペンのふたを常に外して帰る泥棒がいる + 菊之助が菊五郎襲名を急ぐ、深層は寺島忍の、私いじめと、最近の私のブログの深さにある

2025-04-16 04:00:27 | 政治

このブログは最初の総タイトルを【油性ペンのふたを常に外して帰る泥棒がいる。一番最初の被害は、近美閉館記念の伊東屋特製パステルカラー鉛筆だった】にしておりました。だが、40分後、買えました。丁度、歌舞伎座閉館もあったことだし、時宜にかなう、総タイトルだと思います。

 午前4時です。本当は寝たい。しかし、またまた、寝られなくなりました。

 ご近所に合いかぎを警察からもらっている人間がいます。そこは、夫婦で、あれこれ、泥棒に入っていて、お給料を二人分、ひと月30万円はもらっているでしょう。この二月から四月にかけて、毎日、園芸の仕事(行ってみれば、外ですから泥棒ではないのですよね。それに、ご近所人間の、泥棒ではない人たちが、カラスだとかリスだとか、私に言います。だけど、カラスが、植木鉢の間に挟まっている肥料の袋の下を鋭利な刃物で、切ったみたいに、7mで四か所ぐらい穴をあけるでしょうか?

 同じ人間は、台所に置いてある毛糸用の中性洗剤類の、横、腹に、熱い包丁(?でも)当てて、斜めに切れ込みを入れて、いつの間にか、流しにどぼどぼと大量に零れ落ちて、次に使おうとしたら、なかったという事がありました。

 しかし、この洗剤の便に切れ込みを入れたのは、現在独り者として暮らしている、プロの洋画家かもしれません。彼に「川崎さんは、離婚をするよ」と、山中の人がうわさをしているよと、面と向かって言われたことがあるのですが、彼の奥さんが家でをしている期間のほうがずっと長くなりました。

 こちらかもしれないと思うのは、神奈川県立近代美術館が閉館になったころ、記念品を発売していて、それを買った私の、文房具入れ引き出しから、それを盗んでいった人間がいるのです。

 私はね。2009年まで、本作りに夢中で、蓮沼に工場のある印刷所に、よく通って、詰めていました。その頃の10年間は、たまたま、蓮沼と、路線は違うものの、東上線ときわ台の老人ホームに、母が入っていたので、長時間家を空けていたので、侵入者には、気が付いていました。家中に、10枚以上、20枚ぐらい額がかかっているのですが、必ず、斜めになっているのでした。

 このころのすさまじい被害については、当時は何も語っていないし、今更、書いてもしょうがないと思うところもあります。

 今日は、2025年4月16日の午前4時に、「そうだったのか?」と、やっと真相に気が付いた、心根の汚い、汚い泥棒の話をしましょう。

 被害額は小さいです。油性ペンは、初めて売り出されたころは、高かったと思いますが、今では、100円ショップで、軽く買えます。

 その蓋を外して、使えなくさせる泥棒の話です。必ず、太いほうのふたを外しておきます。で、揮発性の教材がどんどん溶けて蒸発してしまい、油性ペンは、非常に短期間で、使えなくなるのでした。

 私は、自分自身は、きちんとふたを閉めて、引き出しにしまいます。引き出しに入っているわけで、いつ、ふたが外されてしまったかは、自分では、見えません。わかりません。

 でね。今まではずっと、引き出しを開け閉めする際に、ほかのぺん類とぶつかって、ふたが外れるのだと、考えていました。207年ごろは、警察も泥棒に入っていたのです。北久里浜の水道山をめぐる、大・大。大、実質的詐欺事件である、地積変更届に関する、書類の類などは、段ボールに詰めて、天袋に入れてあったので、一般人である、このご近所様二軒が、盗めるはずもないのです。

 ところが最近では、その警察の特殊部隊が、あまりにもあくどいことをやり始めました。京アニ放火などは、徹底的に、作り上げた事件です。

 あれは、菊之助がナウシカを上演する際に親しくなった、宮崎駿氏に、八田英明氏を、紹介したのでしょう。菊之助は、誰かに頼まれたのですが、なぜ、そう動けと頼まれたかというと、寺島しのぶが、私を三宅坂の国立劇場ロビーで、したたかにいじめたからです。その頃むすこのまほろちゃんがまだ、4歳ぐらいで、寺島しのぶは、かれを、Mと読んでいつくしむブログを書いていました。たまたま、7年ぐらい前の節分の日に、歌舞伎座に行った私は、舞台に、右側から、まほろちゃん、現在の丑之助、現在の亀三郎の順で、裃姿で、舞台に立ち、三人の、祖父が、よだれをたらさんばかりにして喜んでいるのを目撃して、あるお嬢さんに、「あの三人は、誰なんですか」と、聞くと、「一番、右にいたのが、寺島しのぶの息子さんで、彼女が、息子のことをブログで、書いていますよ」と、教えてくれたのです。でね。それを探して、読み始めました。

 寺島忍の母性愛は、よくわかりました。で、寺島しのぶに、好意を抱きました。私のパソコンは常にハッキングを受けているので、私がそれを読んでいることを敵さんたちは知って、

 次の月、三月とか、十月に、「菊之助が、国立劇場で、公演をするから、彼女(=私のこと)は、当然、それを見に行くさ、その時、きっと寺島しのぶに声をかけるはずだ。しかし、寺島しのぶが、彼女を無視したら、プライドの高い彼女(=私のこと)は、きっとダメージを受けて、そして、早く精神病院へ入るさ、だから、寺島しのぶに、委細を説明して、上手に無視させたらいい」と考えて、その通りに、寺島しのぶに、私水をいじめさせたのです。

 角野栄子さんにも新橋駅で、いじめられましたが、私は、その時もわけがわからなかったのですが、そのご褒美として、アンデルセン賞を、受賞し、鎌倉市の名誉市民賞を受賞し、NHKで特番が何度も放映をされ、・・・・・という大ご褒美が、角野栄子さんにおりました。角野栄子さんには、天からの采配として、ご主人がなくなると、言う現象が起きたはずです。が、もう高齢者夫妻だからご主人がなくなっても、ああ、よかった。もう、お見舞いに行かなくてよくなって」というぐらいで、元気、元気ですよね。(苦笑)

 しかし、角野栄子さんの方は、実力があるから、ご主人がなくなった程度で済みました。が、寺島しのぶの方は、何の実力もないのに、(文七元結という舞台上で、高い声で、叫ぶみたいなお母さんですから、魅力がないですよね。舞台装置は、美しかったけれど)歌舞伎座の舞台に上がったり、

 まほろちゃんのお稽古を、NHKで、密着取材をしてもらったり、・・・・・NHKで、自分が主役のバライエティを作ってもらったり、等々、あまりの厚遇をCIAエージェント、伊藤玄二郎から、受けたので、天はお叱りを与えましたね。ともかく、国立劇場閉鎖は寺島しのぶの、おっちょこちょいさが、原因です。

 この寺島しのぶのいじめを、大成功と見た例の連中は、それ以降、平木伸明さんとか、渡辺賢司夫妻とか、白井夫人とかに、挨拶をさせない様にさせました。白井夫人は、ずっと前から、小町通で会うときはむこうがわは無視する作戦でしたが、寺島しのぶ事案以来、非常に激しく使われる方策となり、夜の九時に、関本夫人の夫(=フランス人)が、山を下りて行き、その際にすれ違う、私を無視するなどという事が続きました。でね。その人が・・・・・典型的な、CIAエージェントではないかと、推察する様になりました。

 日本に住む上流階級・お嬢様と、結婚する、外人男性はアメリカ人に限らず、CIAエージェントである可能性が高いのです。今回ルペン党首逮捕というニュースが駆け巡ったので、

 これは、私いじめのニュースのはずで、誰か、日本人、または、日本に住むンフランス人が動いて、フランス政府に働きかけたとみていて、川名昭宣氏(もしくは夫妻ともどもで)、寺島しのぶの夫(まほろちゃんの父)、関本夫人の夫、の、三人の可能性を、ここで、あげています。

 伊藤玄二郎を代表とする、CIAエージェントたちは、こと、私をいじめるにあたって、それほど、大勢の人を使いません。あまり、広範囲に動くと、それだけ秘密がばれる可能性が高いからです。

 なお、この一文ですが、16日の午前4時から書き始め、いったん、非公開にしていて、また、16日の夜11時50分から、公開いたします。

 たまたま、その日、私は開演、15分後に劇場に入ったのです。すると、ロビーにはだれもおらず、ただ、二人だけ真ん中に立っていました。入口に背を向けていました。が、富司純子と、寺島しのぶの母子だったのです。ところで、こういう風に出演の役者の関係者が、来ていることがあるのですが、たいていは、壁際(といっても、三宅坂の国立劇場は、壁がガラスでできているのだが、)に名がテーブルを置いて、そこで、ファンと対応します。誰もいないロビーの真ん中に、私皮に背を向けて立っているのは、いかにも、誘おうという姿勢でした。だから、後ろから、「もし、もし」と声をかけたのです。

 私が話したかった内容は、「まほろ、ちゃんをMと呼んであなたが書いているブログを読んでいますよと、言いたかっただけです。今、そのブログがどうなっているか、ググって調べてみましたら、

以下の様な、他人のブログが目に入りました。

::::::: 「実は、寺島さんは危うい発言が多い芸能人の一人だと見られているフシがあります。2013年にはご自身のブログで、行きつけのセレクトショップのVIPセールでの寺島さんご自身への対応について、《腹の虫が収まらない》と投稿してプチ炎上しました。  2015年には、WOWOWで生放送された『第87回アカデミー賞授賞式』に出演したときに、受賞作について“ネタバラシ発言”を繰り返して映画ファンから大ひんしゅくを買っています。こうした発言を繰り返すのを見ると、周りを見るよりも、ご自分の感情が先にくる人なのかもしれません」::::::::

 つまり、ものすごくわがままな人で、まほろちゃんの担任の先生にかみついた話をブログにあげていて、批判をされていました。

 これには、驚きました。私の息子が正一の時の担任の先生は、ひどい性格で、あるお母さんが自殺をしました。その問題を、2023年、実名なしで、書いていますが、ことが起きてから、47年後ですよ。現在子供が小学校に通っているのに、担任を批判するなどとは、ちょっと、驚くべき発想です。

 菊之助の奥さん(吉右衛門の、四女)とは、うまくいくはずがなくて、それは、菊之助とか丑之助の足を引っ張るでしょうね。なんとなく、丑之助の周辺が暗いのも寺島しのぶの性格の影響でしょう。

 なお、菊之助が、菊五郎を襲名するのを急いでいますが、それは、京アニ放火で、菊之助が、宮崎駿氏と、八田英明社長を結びつけたのが、事実だからでしょう。京アニのメンバーは一人も死んでいませんよ。私は、一時期海外で、仕事をしているだろうと、言っていました。が、東京であろうと、変更します。

 例えば、日経新聞本社ビルです。日経ホールに音楽を聴きに行って、解ったのですが、大変豪華なタワービルで、パスポートがないと、上階へは行かれません。日経ホールは別玄関になっています。

 大手町も北のはずれで、皇居を前にした、一般人がほとんど通らない一帯です。そのワンフロアーを、京アニの元メンバーが占めていて、ジブリの仕事の下請けをしていると、なると、京アニの社長、八田英明氏が、事件当時より、太っているのも、理解が可能になります。

 でね、菊之助が、菊五郎を襲名し、丑之助が、菊之助を襲名するのが、あと、二週間後に迫りました。

 ところで、七代目は、どうしたんだろう、一月の初台では、元気だったのにと、思ったら、

歌舞伎美人のニュースで、以下の様な発表があったのです。

 歌舞伎座「三月大歌舞伎」第二部『身替座禅』の山蔭右京に出演を予定しておりました尾上菊五郎ですが、「脊柱管狭窄症」(せきちゅうかんきょうさくしょう)との診断を受け、当面の間、療養に専念することになりました。

 しかし、五月のチラシに、先代(七代目、菊五郎)は、写っているのですよ。?????

 拙速も拙速、菊之助は、十二夜に取り組んでいたころは、疑問もない美形の若手、役者だったのですが、吉右衛門のお嬢さんと結婚してから、・・・・・何か、魂のないお人形のようになってしまいました。

 本音を出さない人、または、出せない人となった感じです。

 さて、この章には、今、疑問に思っていることが、たくさん入れ込んであります。が、書き始めは、ご近所人間の心の汚さに気が付いたからでした。

 我が家の西隣は今の住民は、白井達雄、ひろ子夫妻です。二人とも東大の、建築学科卒のはずで、

ご主人の勤務先が、京アニ放火事件の時に、解りました。

 青葉真司が、近大付属病院へヘリで、運ばれた映像がNHKニュースに出ました。NHKは、そのニュース内で、その病院が、近大付属病院だと、言う固有名詞を言わなかったのです。で、私は、それが、何という病院であるかを調べ始めました。外観で、ベッド数が推察できるので、大阪府内のベッド数、700以上の病院を調べたのです。で、固有名詞もわかり、JCB賞というのを受賞していると、いう事もわかりました。

 ちなみに、今回、椅子が壊れたという件で、13日から17日まで、四日間、休演した歌舞伎座ですが、歌舞伎座も、JCB賞を受賞しています。それから、隈研吾氏の設計です。(大、大、笑い)

 で、JCB賞受賞作品を、20年分調べたところ、実名で、白井達雄さんが、松田平田設計事務所、横浜支店長、重役と出てきたのです。カンブリア宮殿によると羽田空港のターミナルも、この会社が、設計しています。そして、横浜一高い鶴屋町のタワマン・フロントも、シェラトンタワーも白井達雄さんの設計でしょう。そして、最近ですが、渡辺賢司夫妻が、リモートで、東京の春秋社、または、かまくら春秋社の仕事をしているらしいと、言うのもわかりました。

 あとは平木伸明さんの勤務先と、安野忠彦氏と、夫人(入籍直前まで、どこかのOLだった筈。お子様舘さん人は、むろん自分の子供ではない。引っ越してから、二か月目には、確信をもってそのことが分かった。この夫妻が、我が家の山を崩す原因となった、井戸端会議の主催者であり、私に関するありとあらゆる被害は、この二人から、発生している。

 もう一人我が家の合いかぎを持っていて、自由自在に、この四月に入ってからも侵入している人間がいて、大原光孝さんという洋画家だ。白井夫人は、この二軒と、大変仲良くしている。安野夫人とは、道路上で、ハグしあっていた。(2020年4月15日)、大原光孝さんとは、こうこうで、と、いまから書きたいが、

 まったく、楽しくないことなので、書く方である、私が取り組みたくなくなってきた。

 この章は、八代目菊五郎襲名と、丑之助の、菊之助襲名の意味と、

 寺島しのぶが三宅坂の、国立劇場を、使わせないこととした、超・本人なのに、歌舞伎座の舞台にまで、アカって、偉そうにしている不思議について、書いている。それだけでも、十分に価値を持っていると思うので、白井夫人が仲良くしていて、私にとっては大被害を与えてくる二軒の存在と、その行動については、本日は、書かないでおこう。

 まあ、ルペン党首逮捕の、裏側について書いたのも大きなことだし。

 

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お囃子の騒音に騙されているうちに、音楽会の切符二枚がカフェで盗まれて、50分後我が家のポストへ入っていた

2025-04-15 04:26:27 | 政治

 この一文ですが、私としては、非常に大切なものです。私の敵さんたちが、300万円から500万円かけて、イヴェント会社に、鎌倉駅頭で、お祭りを主宰し大騒音としてのお囃子を鳴らすように依頼をしたのです。

 私はその時に、すっかり気が緩んでしまって、かつ反町のアパートのお客が見つかったという話で、疲労感が激しかったので、鎌倉へ帰ってから、カフェ・デリフランスへ寄りました。そこには、いっぱいのお客がいて、注文をするときに並んでいて、時間的に、手間取ったのです。ただね、泥棒対策としては、ある程度は、慎重に構えていて、ほかのお客が誰もいないと、確認して席に荷物を置いて、並んでいたのでした。カフェデリフランスでは、お盆ごと、紅茶を渡されるので、両手が開いていないと、お盆が持てないからです。で、荷物を座席に置いていた。座席は、並んでいるところからは見えません。その間、三分程度。お盆を受け取って席に帰ってみると、奥の席にバッグが置いてあって、姿は見えなかったが、私と同時刻か、私が荷物を置いた後に、一人のお客が来ていたことがわかりました。

 そのお客はコーフィーをいっぱい持って席に着いたのですが、服装、体格、持ち物、どこをとっても、お医者さん風でした。しかし、そういうお客は、鎌倉駅一階の、商店街CIALの、デリフランスへは、来ないのです。絶対に来ないのです。ここは席が狭くて、全体に相席風だから、お金持ちは、スターバックか、マーローか、ニュージャーマンに入るのです。で、何となく変だなと思ったのです。特にお顔がね。冷酷そのものでした。何かが変だなあと思いながら、でも、日本ですよ。コソ泥がいるはずもないと思って、20分ぐらいゆっくりして、そして、例のごとく猪口邦子邸大火災いらい、私のブログに怒った敵さん(多分桜田門)に傷つけられて、痛む足を引きずりながら、その男性が、帰ってから、50分後ぐらいに、我が家に帰ったのです。

 すると、午後三時半ごろ、外出する際には、何も入っていなかったポストに、大量の郵便物が入っていて、その郵便封筒の、山の間に、音楽会の切符二枚が入っていたのです。

 出かけるときには、ポストには、何も入っていなかったのです。でね。夕刊が一番下だったから、夕刊配達(午後四時ごろ)以降に、大量の郵便物は、ポストに投函をされたと、感じました。

 で、これは、はかりごとだと、直感しました。ただ、その目的と手法は、すぐわかりました。私を精神的に脅かすためです。絶対にポストになんか入れて外出はしないNHKホール(6500円)とサントリーホール(12000円)が、夕刊より上においてある、大量の郵便物の、さらに真ん中に挟まって入っていたのです。

 これがね。本当のことだと考えると、ずっと前にセブンイレブンで発券されたものを、郵便局員が、何らかの形で、手に入れて、夜、夕刊配達後に、郵便物の間に挟んで、投函したとなります。

 おかしいでしょう。警察が何をやっているか、そして、そのアイデアは、きっと井上ひさしから出ています。松本清張が、朝鮮戦争時代の板付飛行場に、たくさんの米兵の遺体が返ってきたころ、どこかから、お囃子の音が聞こえてきて、誰かを狂わせるという小説を書いています。タイトルは忘れました。が初期のもので、九州に題材をとっています。

 私は文庫本で、読んだのだけれど、ほかの短編はさしたることは、無いと思いました。が、そのお囃子が、人の精神を狂わせると、言う短編だけは、忘れられないのです。きっと井上ひさしも忘れられなくて、したがって、伊藤玄二郎に命じて、イベント会社に、お囃子と、屋台と、イートインスペースを急遽用意させたのでした。これは、紀尾井ホールで、私の通帳四通が盗まれた日以来の、警察の、総力を挙げた、頭脳戦の一つでした。しかし、私は、紀尾井いホールの方も真実を解明しているし、こちらも解明しています。

 紀尾井ホールの方を後で探して、リンク先を最後の置いておきます。

なお、この一辺が、皆様の目に留まらない様にされていました。ひどいねえ。だけど、私のブログはどこをとっても真実ですよ。現代日本の真実が書いてあります。

鎌倉駅頭でのお囃子演奏が私狙いだったのではないか?と思う3日夜の不思議さ。特に清張の短編を思い出すとそうなる

2025-04-06 00:18:35 | 政治

  今は、6日の夜10時です。以下の文章の最後に、加筆をしています。

不思議な郵便物をポストに、しかもよる八時ごろ入れたのは、安野忠彦・智紗夫妻である可能性もあると、書いています。

四日の話ですが本日6日の、夜の10時に外に出て、それが、わかりました。どうしてわかるかというと、この山の安野家、前田家、大原家、平木家、渡辺家の、二階の電灯の点灯、消灯の感じ、ほかで確信を得るのです。

 ただ、本当の、郵便局員を夜八時まで待機させていた可能性もあります。だけど、我が家まで帰ってきて、ポストをあけるまで、鎌倉駅ロータリー周辺で、私のショッピングカートから盗んだN響の切符二枚が、ほかの郵便物と一緒に、ポストに入っているなど(という)、そんな画策が、仕込まれているなどとは、夢にも思っていませんよね。

 だから、鎌倉街道に、郵便局員の車が止まっていたかどうかなど、確認していません。また、山の下に、普段は止まっている、郵便局員のオートバイも無論止まっていませんでしたよ。

 でも、こういう悪い工作をする限り、敵さんも用心するでしょうから、八幡宮の駐車場に一時的に、停車した警察車両に、乗っていた、警察官がカフェを出てきた医者風の泥棒から、切符を二枚受け取って、それを、ポストに入れた可能性もあります。

 しかし、もう一つ、別の可能性もあるのです。安野家が、数日文の我が家の郵便物を預かっていて、そのうえで、泥棒から、切符二枚を受け取って、預かっていた、郵便物と一緒に、夜7時半過ぎに、ポストに入れた可能性です。それが、結構当たっているかもと思ったのは、6日の夜10時に山の全部の家の、玄関灯、および、二階の電灯の、点灯と、消灯の感じを確認して、自分の考えが正しいことが分かったのでした。平木家って、先週の土日も、警察の言うなりに動いたのですが、

 二週連続で、警察(または、CIA)の言うなりに動いています。わたくしのブログを読んでいないので、学習すると、いう事がない模様です。安野夫人に協力するから、ご長男が、東大へ推薦入学がかなった話を、また語らないといけませんね。平成の八墓村事件の時に、安野家に大いに協力したのです。そのご長男がまだ、小学生だった時にです.

 でね。下の文章の中で、さわりがあって、全部かけないといったのは、東横線反町駅の駅前不動産店から、電話がかかってきて、「川崎さん窓が開いていると、ご近所様が教えてくれたんですよ。どうします」と、言われたから、反町へ出かけたのです。その時、・・・・・・窓を開けたのは警察だなあ。だけど、それを駅前不動産屋にまで、わざわざ歩いて知らせてきたという(アパート近辺の)ご近所様は、親切な一般人かもしれない・・・・・と、思って反町の自分のアパートに行ってきたのです。そして、差しさわりというのはその不動産屋が、非常にいいお客の見当があると、いうので、そのお客が借りたいと言ってくれるのを待っていたのでした。土、日は、その電話を待っていたので、4日に行われた謀略を書けなかったのですよ。という前書きを、10時、10分までかかって書いて、先頭に加えて、そのあとで、本日の文章の頭へつなぎます。

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 25-4-4の夜8時10分ごろ家に帰ってくると、ポストが満杯で、その中に、絶対にそこには入れていないはずのN響の、切符二枚が入れ込められていたのです。金額にして18500円分もの、切符。

 私はね。ときどき、心理的に余裕ができるとブログを書きやめて、小説風なものを書くのです。今の主人公は、NHKをしかりつけるほど、クラシック音楽に、精通している紳士です。女ではないから、むろん私が主人公ではないのです。

 しかし、それを書きながら、音楽会にあまり熱心の通うと貧乏になるという事実にも気が付きます。その紳士は子供の時から、グァルネリ(ストラディヴァリウスみたいな、名器)を弾きこなす、優美な紳士なのですが、最晩年に、心身共に疲弊し、金銭的にも疲弊します。立派なコンクリート製の二所帯住宅に住んでいるのに、不思議なことにお子様が、父親の面倒を見ないのです。

 結局その小説の目的は、心理的なミステリーです。ある時、突然私に、その不思議さへの答えがわかるのです。まあ、第二次大戦が原因だったのですが、これ以上は、その物語については言いません。

 ただ、その小説を書きながら、わたくし自身が学んだことは、外食とか、なかじき(買ってきたものを食べる)を続けると、体が完璧に悪くなるということです。腰が90度曲がったり、背中が・・セムシ・・みたいに曲がったりします。また、心理的なものも大きいです。けんか結構ですが、家庭内に、30代ごろから、常に、真実が、語りあわれていることが肝心です。まあ、愛が蔓延しているのが理想ですが、愛がなくても真実があれば、まだいいということです。

 真実がまるで語りあわられていないのに、表面だけ幸せそうに、かつ上品にふるまっていると、最晩年が、とんでもないことになるという話です。同じ家に住みながら、全く別所帯で、交流がないと、悲惨なことになるのです。心理的に、特に不幸感が増します。それなら、未亡人になっても、男やもめになっても、一人暮らしを貫いたほうがいいのです。子供や孫と同居しないほうがいいのです。

 特に子供や孫が親のお金を求めて、「実家を売れ!」というときに、その言葉に従ってはだめです。でもね。どうしても子供に逆らえない事情が影に隠されていたりするのです。そこが心理的ミステリーだというわけです。

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 ところで、心理的なミステリーといえば、2025年4月4日の夜ほど、わたくしに対する、巧妙な罠が張られていた日はないでしょう。

 その罠の一つ、材木座お囃子連中の、長時間連続する演奏と、スーパー東急ビル東側、ケンタッキーフライドチキンとの間に、設定されていた屋台と、イーティングスペースほど、派手なものは、過去になかったでしょう。全員で300名~500名は、関係していた行事です。

 そして大人(特に屈強な青年四人)が太鼓を打つのですから、大音量でした。

 関係者に聞くと、これは、二回目だそうです。しかし、一回目には、わたくしは「気が付きませんでした。また、これがあることによって、周辺のお店は、お客が入らず、大減収だし、屋台もどこか、おかしいのです。何か強い違和感を持ちました。いや、鶴岡八幡宮のお正月に出る様な、古典的な屋台ではないモダンなものがあることは知っていますよ。

 日比谷公園で開かれる、何とか祭り(アジアンテースト祭り)などでは、テントが統一されていて、屋台がモダンだし、eating spaceも、テーブルやいすが、白いガーデンチェアなどが準備されていてきれいだと、知っています。

 しかし、それに比較しても何かが中途半端です。ただ、紙コップが20くらいの出店屋台で、統一されています。おでんを入れるのも、薄めたカルピスを提供するのも同じ紙コップです。それは、背が低くて、直径が大きいもので、普通のスーパーや100円ショップでは売っていないものです。それを見た途端に、・・・・これは、自然な発生のお祭りではなくて、いわゆるイヴェント会社が、引き受けた、・・・・予算次第のイベントですねと、納得をするのです。

 先頭の車両には、四人の、屈強な男性が乗っていて、ジャンジャカジャんじゃか音を出しているのですが、笛がないのね。そして、わたくしがその広場にいる間中、休まないのです。

 つまり、その人たちの出す音というのは、人間を脅かすための音です。

 その一時間の間に、どうしてだか、N響の切符が二枚盗まれたのです。二日目の、今は、それが、正しい事実で、自宅からチェーンを外して盗まれたのではなかったと仮定すると、あの喧騒に気を取られていたすきに盗まれたのです。

 これは、井上ひさしが、アイデアを出した可能性があります。松本清張の初期の短編小説の中に、お囃子の音で人がくるってしまって、何らかの事件を起こすというのがあるのです。それが、鎌倉駅頭で、応用をされました。で、例の安野夫妻、前田夫妻等を助けるためにまた、どこやらの公金が、300万円程度、消費されたのです。

 私はね。お囃子の周辺にいる人に、どこの神社で練習をしているのですか?と質問をしました。何度も、でも、ぜんぜん応えられないのです。ともかく、お囃子連中も屋台も、ほとんどが、材木座の連中ではないのでした。

 先頭の車の提灯にだけ材木座お囃子連中と、書いてあるのに、「どこの神社所属のお囃子グループですか?」と、質問をしても明快な、答えが得られないのです。

 帰宅して、ポストの中にある大量の郵便物を見て、その中に音楽会の、切符二枚を発見した時には、ああ、あのお囃子に、注意を引き付けておいて、この世は、明るいと、私のほうが、信じ込んだすきに、わたくしのショッピングカートから、巧妙にもN 響の、切符だけが、盗まれて、わたくしがその後お茶している30分間と、今、足が悪くて、帰途の徒歩に以前の二倍の時間がかかる間に、先回りして、雪ノ下の谷戸に帰り、わたくしの家の「ポストに入れ込んだのでした。おどかすために、です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、以上が、5日の深夜書いた初稿の間に、紫色のフォントで、説明を補足した部分の文章です。

私には、この事件の謀略行為の全貌がすでに分かっています。その目的もわかっています。ただ、まだ書けません。いろいろ差しさわりがあるからです。

 ただ、図書館が2016年のごたごたを繰り返してきました。それは、鎌倉駅改札口にある、図書返還ボックスに返した本が返っていないというたくらみです。前は主人の入院中に小田原図書館から回ってきた演劇界2006年11月号が返っていないという話です。今回は、日経のザイという雑誌だったか? 同じ様に返還ボックスに返したものが返っていないという電話がかかってきました。これが、録音されて、ご近所様や鎌倉市の商店で、わたくしがでいりしているところに聞かされれば、わたくしが非常にだらしがないということになります。

 非常に込み入った悪だくみですが、二度目なので、わたくしの対応が毅然としているので、・・・・・しかも、わたくしのほうは、その雑誌を探せませんというと、図書館から、似た様な資料を見つけられるかどうか、返事が来るはずですが、来ていません。Ms 島田という支所さんからの電話でした。問い合わせをしたいとも思いますが、彼らがあまりにもあくどいので、悪いほうに寝た子を起こすことになると思って放ってありますが、自己防衛のために、2016年の事件のほうがどれほどに、込み入っていて、複雑だったかは、再び書かないといけないなあと、考えている最中です。

 で、司書島田さんから、返事がないのは、事件そのものを蒸発させようとしているのでしょう。

 私が裏にある警察の犯罪(図書返還ボックスから、抜き取っている)に気が付いた限り、それをブログで書くから、警察は、それは、恐れているのです。だって、警察が泥棒をしていると、言うこの日本社会の現実を普通の人に知られたら大変だからです。

 だから、2016年のほうも今回のほうも書く準備は、しないといけませんが、この二週間、それには、触れていません。

 でもね。そういう泥棒は警察のある部分=特殊部隊のほうは、平気でするのですよ。だって、ご近所人間、安野忠彦・智紗夫妻と、大原光孝さんに、我が家に自由自在に入れる合いかぎを渡していますよ。その二軒は、安野忠彦家のほうは、4月4日までは、毎晩、園芸関係の、いじめ用いたずらを繰り返していましたし、大原さんのほうは、4月二日の午前中、我が家の中で、やりたい放題のことをやって帰りました。詳細は、書きません。SNSで、誹謗中傷をすると逮捕されるそうですから、どういうことが、なされたかは書きません。

 だが、わたくしにはすべてがわかっていて、ただ、ただ、我慢をしているだけだと、言わせてくださいませ。

 図書館の雑誌が盗まれた問題に戻ります。表向きは、図書館から返還をされていないと、言われているわけですが、株、または、証券会社関係の書類は、一応まとめてありますので、書物も雑誌も返還していないということはないのです。だけど、島田さんに、「六か月間の猶予をください。その間、古本を探します」と、言ってあります。島田さんから、「解決しました」という電話があるまで、常にブログ文を、準備をしておかないといけないということです。

 この異様な電話が最近の私をめぐる異様な罠の、前哨戦(というか、発端だったでしょう)でした。しかし、わたくしは、自分の文章の力で、突破できると思っていたので、気にもしませんでした。

 何回も繰り返しますが、これは、むろん、尾行者(=警察)が、鎌倉駅改札口そばの、図書返還箱から盗んだのです。そして、罪を私に擦り付けようとしました。しかし、これは、2016年の時から、井上ひさし(まだ、生きていますよ)と、伊藤玄二郎が考え付いて、郵便局や図書館を利用した悪のたくらみでした。それに、警察が協力したのです。

 何しろ、郵便物が夕刊より遅く配達されるなんて言うことはないのです。

 夜の8時10分ごろポストを開けたときに、大量の郵便物が来ていて、その下に 夕刊がありました。驚くべきことでした。夕刊が来るのが午後四時ごろ、しかし、N 響の切符と郵便物は、そのあとで、ポストにいれられたのでした。

 この切符を入れ込んだ人物が、安野家の夫婦だったかもしれないと、昼間っから思っていましたが、

夜の10時に確信に変わりました。頭がいいつもりになっているのでしょうが、常に、警察もしくは、CIA側の本当の事情を明らかにしてくれる、・・・・・ありがたい、ありがたい、パイロットランプです。(苦笑)

 

 なお、今日はここまでと、させてくださいませ。一杯、ほかに、やるべきことがあるので。

 

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歌舞伎座休演 本当の理由は三つあるが、その内の一つは、空席が目立つからでしょう

2025-04-14 23:28:16 | 政治

 夜の、九時ごろ、たまたま、ノートパソコンを開けて、その次に、歌舞伎美人を開けたのです。

 これは、偶然のことです。それ以前は外で、園芸の仕事をしていました。暖かくなったので、いろいろ、やってあげないといけないことがあり、子供の声を聴くように、植物の声を聞いて、彼、彼女らのお願いをかなえてあげているところです。82歳になって、私の方に、もう、体力がないのに、植物たちから」迫られて迫られて、本当に大変です。でも、小さくても、真っ白なチューリップの球根を見たりすると、ああ、よく育ちましたね。幅7㎝を超える葉っぱがあなたを作ったのねと、いとおしくて、話しかけそうになったりするのです。(声は、出しませんけれど)

 歌舞伎の話に戻ります。歌舞伎美人というサイトにも戻ります。六代目時蔵(旧梅枝)が、今、四国にいるのですが、それに関するニュースを見たくてね。するとタイトルとしては、琴平座は、今、人気があると、出ているのです。が、そこに関してもっと知りたいと、いじっているのですが、なかなか、クリック通りには、パソコンが動いてくれない。

 こういう時は、裏で、何かがあるのだと、思っていると、突然に、私のノートパソコンの画面いっぱいに、A4の白い紙が浮かんで、歌舞伎座は4月14日(本日です)から、17日まで、休演しますと出てきました。

 その本当の理由のうち、トップのものは、今、私が書いている赤いお財布についての、分析の続きを書かせないという事にあるでしょう。2025年の1月28日から、私が帝国ホテルのアーケードショップで、買ったバラの彫り物が全面に施されている小ぶりの二つ折れ財布・・・・・が、ご近所人間にして、一方、人間離れしたモンスターでもある、安野忠彦、ひろ子夫妻が、キープしていて、二か月以上返っていない話・・・・・の続きを書かせない様にするためでした、。

 しかし、ありていに言って、わたくしは、そのテーマではちょっと休もうと思っていたのです。この件は、1月から始まって、二か月書かないでいたわけですから、さらに、3か月程度間を開けても大丈夫なのです。⇒へ続く

 でも、今までだけだって、日本という国の政治、また、警察が、どれほど、あほで、単純なのかを、証明しています。あと注1~3にかけて、

 今のところ、鎌倉駅表口の、図書館本返還ボックスの裏から、鍵を開けて、私が借りた雑誌を盗み出して、返していないことにするという話と、

 雪ノ下郵便局前のポストも超高性能合いかぎで開けて、私が、鶴岡八幡宮様の、上級神官、龍村氏へ、あてて書いた切手付きの手紙を開封し、・・・・・その結果、関本夫人というご近所様が、午前、2時過ぎに台所に立って料理をすることとなったとか、しか書いていませんが、ここに、CIAの手下としての、警察とご近所様が、過去に行ってきたすさまじい悪の数々を入れ込めることができるのです。

 でも、それをやられてしまうと、警察の人間だけが、苦しんだり損をするわけではなくて、伊藤玄二郎とか、水沢勉氏(現葉山美術館館長とか)も、その軽薄さを、開示されます。

 それは、水沢氏を、教唆している酒井忠康氏にも困ったことだし、隈研吾、角野栄子、なども悪人だったのね という形になっていくので、伊藤玄二郎は、困惑のみぎりであって、歌舞伎座を動かした・・・・・というこれが、第一の真相です。

 ⇒ところで、二度目として繰り返しますが、ありていな真実を言ってしまうと、わたくしは、彼らの勧め如何にかかわらず、ここで、その赤いお財布問題は、いったん休止にしておこうと思っていたのです。

 というのも、これは、すこぶる付きで、おいしい話題なのです。彼ら悪人の首根っこを押さえたというほどに、上等な話題なのです。だから、惜しみ、惜しみ、少しずつ間を開けて、さらしていこうと思っていたのでした。

 ところが、今、突然に、goo blogのサービスが、2025年11月18日で終わりますと、出てきたので、急がないといけなくなりました。だが、終了になったら別の手段を探します。

  ともかく、伊藤玄二郎たちの策謀に乗せられたくはないです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次に第二の真相に入りましょう。

 それは、四月公演の切符が売れていないという話です。で、空席が目立つから、休演にしてしまえという乱暴な話です。

もし松竹が歌舞伎役者たちに月給ではなくて出演時間数で、報酬を支払っていたら「前売り券の、発売金額が、一日の出演役者、音曲関係、そして、背景などの道具方に、支払う分が赤字になってしまうとなったら、そういう措置をとる可能性は、あります。

あと注1,

メモとして書く、安野家と警察・・ちゃま・・のリンク状態。特に25-4-4から10日までの私のお財布をめぐる戦いについて     2025-04-10 23:12:27 | 政治

あと注2、

奥島孝康・元早大総長、川名昭宣、後藤健二、東大卒元AFP勤務の後藤夫人、川名夫人、伊藤玄二郎、井上ひさし、安野忠彦・ひろ子夫妻・・・・・赤いお財布は、どこにあるのだろうねえ

2025-04-12 13:34:07 | 政治

あと注2

 

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奥島孝康・元早大総長、川名昭宣、後藤健二、東大卒元AFP勤務の後藤夫人、川名夫人、伊藤玄二郎、井上ひさし、安野忠彦・ひろ子夫妻・・・・・赤いお財布は、どこにあるのだろうねえ

2025-04-12 13:34:07 | 政治

 ところで、最初の総タイトル【フランスのルペン党首逮捕も、鎌倉雪ノ下の我が家のご近所主婦安野夫人+忠彦氏を助けるためであろう】だと、また、「つまんねーことを書きやがって」と、誤解をして、ばかにする連中がいるでしょうから、大きなことも含まれているのですよと、言う総タイトルに変更します。

 奥島孝康・元早大総長、川名昭宣(ICUで、私と同じ年入学、フランス留学済み。河出書房新社社員にして、伊藤玄二郎と、仲良し)、後藤健二(イスラム国=今は、滅亡した?で、殺されたとされる日本人。一緒にいた湯川君という軍事おたくは、確実に殺されたのだが、後藤健二さんは、生きているはず)、東大卒元AFP勤務の後藤夫人、川名夫人(ICU卒、元AFP勤務)伊藤玄二郎、井上ひさし、安野忠彦・ひろ子夫妻・・・・・赤いお財布は、どこにあるのだろうねえ

と、変更します。今は、14日の午前三時ですが、全文の誤変換直しと、加筆、推敲が終わりました。

副題1、「誰が日本人やら、フランス人、韓国人を苦しめているのか?」

 私は前報を整える必要を感じています。しかし、本日は、すみませんが、先へは、進みません。補遺をあれこれ書かせてくださいませ。

 また、急転直下、ユン大統領、罷免が、韓国の警察か検察を通過と、言うニュース、及び、フランスの右派、ルペン党首逮捕という事件が生成し、報道をされました。これも、この安野家に保存されているはずの私の赤いお財布に関連して起きているニュースであり、

 中日本高速道路のシステム異常も、同じであり、

 12日(土)起きた京都駅での、異物騒動で、新幹線が、東京駅で、二時間遅れで、出発したというのも全部同じでしょう。安野夫人(または、夫忠彦氏)の、実像を世間にさらされることは、CIAエージェントたちが、それほどに恐れていて、したがって、国民総体に、大迷惑行為を及ぼしているのです。心優しい私が、いやだなあ・国民に迷惑だから、書くのやめようかしらと、なって、書き方を抑えていくのを狙っています。

 日本国民に対しても迷惑だし、フランス一般人に対しても迷惑だし、韓国一般人に対しても迷惑だからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,「フランスを使うのは二度目ですね。シャルリーエブド事件、と、今回のルペン党首逮捕・・・・・でね。安野夫妻を助けるために、それを、フランス政府=フランス警察にやらせる人は、川名昭宣君でしょう』

 ただ、ルペン党首の逮捕劇は、久しぶりに、陰のCIA(大物)川名昭宣君が動きましたね。・・・・・ということを私に明らかにしました。

 私が今書いていることは、鎌倉市雪ノ下二丁目三番地と四番地にわたる、小さな問題を書いているみたいに見えますが、さにあらずで、CIA全体の、真実を表しているのです。世界中のCIAが協力しています。何に対してというと、安野夫人を救済するためにです。苦笑のみぎりですが、そういうことです。

 安野夫人というのは、ただ、ただ、私をいじめることで、国家から、給料をもらっている人間です。たぶん夫婦ともに高卒でしょうが(だから、道徳観とか政治に対する知識が皆無です)「、泥棒行為、特にひねって、行うところに関しては、天才的な、ところがある夫婦です。

 ただ、ちょっと、一般の日本語読み者(日本在住者以外にも世界中で、わたくしのブログを読んでいる人間はいて、後藤健二さん夫妻などアメリカで、このブログを読んでいるでしょう)には、理解できないかもしれないけれど、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ、本当は生きていますよ)には、ぴったりと、理解できているはずです。

 フランスは、実は北野武監督を持ち上げるという意味でも、大変大きく動いています。ルーブル宮殿で、彼が個展をしたそうだし、レジオンドヌール勲章だかも、もらっていますよね。

 そのあたりで、フランス政府に働きかけたのは、奥島孝康・元・早大総長でしょう。

 この人は、わたくしが、1998年パリで、親しくなった、女性アーチスト(たまたま、今、名前を失念している・・・・青森県出身であることが確実なのだが?・・・・それと、ギャラリーなつかの常連作家でもあり、2000年代は、一年半に一回程度、なつかで、個展をしていたので、ギャラリーなつかに問い合わせれば名前が、確実にわかるが、今は、土曜日の深夜で、それが、できません)に、お婿さんを紹介し、結婚をさせました。

 お婿さんの方は、二度目の結婚です。前の奥様が、病死なさっていて、二人が結婚した時に、ご主人の方は、50代後半で、彼女に対して適齢の人だったのです。女性アーチストのほうは、一生結婚しない予定だったでしょう。ところが、私と親しくなった。

 私の周辺に現れた、友人知人は、すべて、私とライバル関係にして、そちらのほうを上にすると、言うのが、CIA連中の大方針です。で、画家の中では、山川栄子さんが、急速に大物化し、もう一人クリスチャンを標榜している眼鏡をかけた横浜市在住の女流画家も、オランダで個展をしたとか、大物扱いを受けています。(こちらも古い神奈川女流展の、プログラムを調べれば、名前がわかります。が、今は、時間が惜しくてやりたくない) 

 で、パリ在住の青森県出身の女流画家に戻ります。青森県の魚屋さんのお嬢さんだそうです。これは、別ルートから入った話ですが、ただ、お兄さんも早稲田卒で、優秀な一家なのでしょう。こういう噂が、私に入るのは、彼女の特権ぶりを、へんねと考えている人がいるからです。

 同じ様にパリと東京を舞台に、両方で、活躍しているアーチストに、桐村茜さんがいます。桐村さんはちゃんと働いている。たくさん作品を作って、何十回も個展をしています。たぶん作品を売ることと若い時に、先生をしていた年金が入るので、今では、余裕を持った生活ができるでしょう。

 ただ、行動において、損得勘定をする度合いが激しいです。それは、わたくし以外の人にもわかるでしょう。で、桐村茜の悪口を言う人もあります。これは、作品に関して、「誰それ作家(海外の人)の真似だよね」というものだから、ちょっと厳しいよね。ただ、油絵ではないのです。立体性を持った抽象作品です。で、桐村茜さんに言わせると、・・・・・使っている素材が似ているから、アイデアを盗んだといわれているけれど、違うわよ・・・・・と、言う話だと思う。きっと、その通りでしょう。

 ただ、そういう噂話を流した男性作家は、過去に桐村さんから、傷つけられたことがあるのでしょう。

 私だって、桐村さんの早とちりには、あぜんとしたことがあります。彼女が小町通りにあった竹屋・画廊で、個展をしたことがあるのです。で、プロフィールを見ると、パリで暮らしているとあったから「私今度文化庁の在外研修制度で、パリへ行くことになった。何か、パリについて、教えてもらえると嬉しいから、今夜ごちそうしたい」と、言うと、乗ってくれて、山下飯店というところで、一緒に飲み食いしたのです。

 それの返礼として、パリで「私の版画工房を見せてあげる」と言われたので、日本で、使っていたOM(当時は、新横浜にあった)との、比較も見たいので、「ありがとう」と言って、約束の日にサンポールの駅から、シテデザールへ歩いて行ったのです。距離としては、250mぐらい。近い、近い。

 Cité Internationale des Arts というのは、海外から、留学してくる、美術系の人800人を、別々アトリエ付き、台所付きの部屋に滞在させることのできる大マンションです。で、別棟として、五階建ての画廊棟があり、そこにも別の人からお招きを受けました。が、庭に、かまぼこ兵舎スタイルながら、壁および天井が全部、ガラス、もしくはアクリルでできている版画工房があるのです。しかも、300坪ぐらいの広さで、同時刻で、200人ぐらいの版画家が、作業をできます。天井も高くて、明るいこと、明るいこと。さすが、美術の国フランス。

 この一帯の、環境を真似して、同じものを作ろうとしたのが、石原都知事です。だけど、実際にはできなかったはずです。

 でね、茜さんは、そこに所属していることが得意なのです。そのマンションに住んでいる海外の作家も使うのでしょうが、在パリのアーチストも使う可能性があり、そこのメンバーとなるのは、大変な競争率でしょう。それを勝ってきて自由にかつ安価な使用料で使えることが大得意なのです。で、いろいろな説明を聞いた後で、「茜さんって、版画展示していたっけ? 鎌倉の小町通の竹屋画廊であった?」と、不思議に思いました。

 ここですが、ごく、ごく、専門的なことを言うと、インクをつけないで、腐食してある銅板の凸凹だけを紙に移すエンボスという方式があるのです。茜さんは、小さな白い紙に、凸凹をつけ、それをさらに小さく(3cmX4cmぐらいに、切って、自分の四角い箱状の、抽象的立体作品のどこかに、貼り付ける、そういう作業のためだけに、シテデザールの工房を使っていたのかもしれません。しかし、それは、2025年になっていて、非常に多くの作品を見てきていて、ニューヨークに美大の大学院にも入り、ニューヨーク一古い版画工房にも入って、帰国後も日本の画廊外で、すさまじい数の抽象作品を見続けてきているので、わかってきたことであり、1998年シテデザールで、桐村茜さんから、素晴らしい環境を見せてもらったころには、

 版画というのは、浜口陽三・南桂子の作品をはじめ、紙に、印刷されているものだと、言う印象があるのです。特に私はへいたー方式という、特別にカラフルな作品を作っていたから、「ええーっ、あんなすごい工房」を使っている桐村茜の、版画作品をまだ見たことがないなあ。竹屋画廊の作品は、版画じゃあなかったし」と、思ったのです。でね。本当に単純に、彼女の版画を見たくて、「桐村さん、あなたが個展をする画廊を教えて」といったのです。

 すると、桐村さんが激高して、「私は、あなたに専属画廊を教えるほど、幼稚じゃあないわよ。私の長年の苦労を横取りされてたまるものですか」と、言って、アッと、言う間にサンポール駅の地下へ消えて行ってしまったのです。ものすごく驚きました。

 このブログの世界を長年お読みいただいている方には、わたくしが金銭的には恵まれて育った人間だと、ご承知でしょう。大学入学の時に、「あなたは、入試成績が優秀だから、本当は奨学金が出るはずですが、お父様が、日本の納税者の、上位6%以内に入っているから奨学金は出せません」と、言われたひとなのです。だから、桐村さんが誤解をしたような意図で、彼女が個展をする画廊の名前を知りたかったわけではない。

 だけど、パリの画廊は貸し画廊ではない。専属作家の作品を売って、生活を成り立たせている形式だから、専属作家は、30人以下で章。ある人が、新しく入ってきて画廊の主に気にいられれば、誰かが、捨てられるわけです。

 この話には後日談があります。半年後か、一年後、桐村さんが、例の竹屋画廊で、個展をしたのです。そのオープニングの日に、竹屋そばのおばちゃんから、胸ぐらをつかんで、小町通に押し戻されたのですよ。もう、具体的な暴力を振るわれたのです。あぜん・ぼうぜん、です。

 シテデザールからサンポールまでの、たった250mで、すれ違ってしまった思いを、修正していませんでした。私は神様を信仰しているから、神様が、本当のことをご存じであると、思うと、桐村さんに、「あなた誤解をしているわよ」と、言う必要はないのでした。それにその誤解を解こうとすると、桐村茜さんが、お金に困っているのだと、言うことを私が知ってしまったということになるではないですか?

 だから、何も修正しなかったのです。このおばちゃんは、150㎝ぐらいの小柄な人で、やせているのにもかかわらず、力持ちでした。そば打ちをやっているから? 今生きているとしたら、90歳近いでしょう。どうなったでしょうか? 竹屋画廊は閉鎖されており、竹屋そばも、我が家に近いほうは、消えていると思います。

 さて元へ戻ります。【待ちぼうけ】という歌がありますが、この桐村茜さんと、ギャラリーなつかで、個展をする、アーチストと、比較をすると、・・・・・まあ、これから先は、語らないでおきましょう。

 後者であり、今、わたくしが下の名前(多分ゆり子さんだった)しか覚えていないアーチストは、結婚した当時、お婿さんは、夏の甲子園の、朝日新聞側トップで、開会式とか閉会式で、何か、言葉を述べる人でした。ただ、この男性は、再婚後、割と早くなくなっています。

 ただ、このアーチスト二人と付き合ったのは、2005年ごろまでで、その頃は年金のことなど、一切関心がなかったのです。でも、82歳になった2025ねんという今は、あの、朝日新聞の偉い人と結婚した、ゆり子さんの方は、高い年金をもらっているだろうなあと、言うことを思うのです。棚から牡丹餅というのは、このことで、高い高い遺族年金をもらっていることでしょう。桐村茜さんと比較すると、お歌、待ちぼうけが当てはまるのは、なつかで、個展をする人の方ですかね。

 というわけで、この女流アーチストが、唯一、私に負けている点は、未婚だというポイントだったのですが、非常に上等なお婿さんをあてがったのです。しかし、甲子園の、高校野球のニュースを新聞で見ても、その人の名前など、浮かびません。

 ただ、大相撲壊滅作戦の時に、最初に、現れたのが伊藤滋氏で、メディア対応がヒステリックで、めちゃくちゃだったので、「伊藤玄二郎の異母兄でしょう。彼に引っ張り出されましたね」と、ブログで書いていたら、急に、辞任することになって、

 奥島孝康・元・早大総長が「大相撲ガバナンス何とか委員会の委員長に就任し、委員として、ワタミの社長やら、NHK解説委員山本某氏(サッカーの中継専門アナウンサーだった人)を委員として選任し、あれこれをやったのです。

 私は、これもわたくし狙いの謀略だと思っているので、それ以前は、何も知らなかった、奥島氏について、グーグル検索をかけてみました。すると、何とか諮問委員会というのを、30以上引き受けているのです。つまり、ものすごく威張りたい人で、かつ、お金大好き人間の模様です。奥島氏が早稲田実業・付属小学校の入学生徒の父兄に対して、寄付金を150万円程度募ったことが、ニュースになっていました。

 最近どういう活動をなさっておられるか? グーグル検索をかけると、早稲田大学のホーム頁に行き当たり、以下の記事を見つけました。

7月31日(水)、早稲田大学第14代総長・奥島孝康先生(2024年5月1日逝去、享年85歳)のお別れの会が、大隈記念講堂にてしめやかに執り行われました。

 でね。ルペン党首逮捕は、むろん伊藤玄二郎たちが、フランス政府にお願いをした案件でしょうから、奥島氏が、伝達者ではなかったわけです。2024年の、5月1日逝去とありますからね。

 となると、伊藤玄二郎らの発案をフランス政府に伝えて、ルペン党首逮捕にもっていったのは、川名君でもあろうが、もう一人、急浮上をしたのが、関本夫人の夫君です。フランス人です。それから、寺島しのぶの夫君なども、連絡係をしているのかもしれません。

 私は関本夫人と明るく声を出してあいさつを交わしますよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、「私は関本夫人と明るく声を出してあいさつを交わします。その場所は、安野夫人だけに聞こえる場所です。でね。例のごとく、井の中の蛙である、安野夫人が、その人間離れした小さな脳みそを駆使して、

 関本夫人と川崎千恵子は、仲良しであると、判断をして、警察(鎌倉警察署のしかるべき担当者か、

 この山の住民・山田氏に、告げたのだろうと、思います。山田氏って、もしかすると将来は、警察庁長官にもなるかもしれない、(東大卒かもしれない・・・・・)警察のホワイトカラー族です。

 だから、2025-4-6の、夜10時ごろ、雪ノ下郵便局前のポストに投函した、郵便を、高性能合いかぎを使って開けた、警察の人間は、その手紙と同じ内容のものを、関本夫人に、わたくしが出すだろうと推察して、関本夫人に、夜の2時過ぎに台所に立たせて、料理をさせたのです。

 関本家の郵便受けは、台所の調理台から、3mほどの位置にあるので、わたくしが、真っ暗ではないのにビビッて、手紙を投函しないだろうと、考えた連中がいるのです。

メモとして書く、安野家と警察・・ちゃま・・のリンク状態。特に25-4-4から10日までの私のお財布をめぐる戦いについて     2025-04-10 23:12:27 | 政治

 むろん誤解です。その経緯は、上の章に詳しく書いていますが、ばかばかしくて、ただ、ただ、笑うのみです。が、この現象で、警察は高性能合いかぎをもって、郵便ポストを開けるのだということがわかりました。それって、憲法違反ですよね。すごい。それをやらせるのが安野夫妻です。

 図書館の返還ボックスは、2016年4月にも盗まれて、2024年のほうは、盗まれていないのでしょうね。きっと、ただただ脅かしてやろうとして、「返還されていない」と図書館側がいったのでしょう。

 郵便ポストのほうは、鶴岡八幡宮の三の鳥居前の、T字路を渡るときから、不審な小型車が、段葛側に停車しているのには、気が付いていて、警察の車両だろうと、判断をしていました。

 どうしてそういう判断をするかというと我が家って、主人がずっとテレビを見ているので、まじめで、頭を使う仕事ができないのです。

 しかも主人って、子供で、共依存気味だから、わたくしがそばにいないと、機嫌が悪くなるタイプで、したがって、夜の11時ごろからしか頭を使う仕事ができないのです。

 しかし夜の11時から手紙を書き始めるわけにはいかないのです。だって、我が家って、山ノ下へ、ごみを捨てに行くだけでも、泥棒が入るのです。

 だから、主人が起きている間に、雪ノ下郵便局に行かないとだめなのです。中からチェーンをかけてもらわないといけないからです。

 でね。6日の夜は、後で、文句を言われてもいいからと、思って、一階で、夜の九時から仕事を始めました。主人は私がお風呂へ入っていると誤解をしたらしくて、一回も確認に来なかったのです。でね。この時点では最初の一通を書くわけです。それが、鶴岡八幡宮様への一通です。

 鶴岡八幡宮様は、安野夫人と、平木夫人合同のお願いとして、神域内の一本のケヤキと、電線が接触しそうだから、一本切ってください」と、言いに来たことを受けて、山一つ丸裸になさったのです。

 その真相は、2020年4月に詳しく書いています。実際は、我が家の崖を崩してやろうとする、悪意満々のたくらみ事でした。

 下の写真をご覧ください。何本もの大木が伐採されています。真ん中に、奥が暗いところがあります。そこの上が我が家です。したがって、この樹木類伐採は、高圧線とかとは、ほぼ、無関係であり、

 本当の狙いは、我が家の地盤を弱くすることでした。非常に悪辣な欺罔です。欺罔とは法律用語で、言っていることとやっていることが違うということを指します。

 この写真の場所は、高圧線はなくて、、ただただ、我が家を苦しめてやろうとするのが、本当のことなのです。しかも、それを、2020年4月いっぱい、丁寧に丁寧に書いています。リンク先は今は、示しません。

 もし、鶴岡八幡宮の神官、龍村さんが、そこを、「お読みになっていないとすれば、今回は、プリントアウトして持っていくつもりでした。しかし、最初から、「道義的な意味での、責任を問います」とぶち上げると、八幡宮側の実務処理担当・上級神官、龍村さんだって、気分悪いでしょう。だから、それを伏せて、しかも、彼が、非常に安野夫人を好きだというポイントは使わないといけないのです。

 「あなた様は、安野夫人と、非常に親しくていらっしゃいます。また、安野夫人を高く評価なさっておられますよね。だから、今、2025年1月28日以来、安野夫妻が、キープしている私のお財布を、返していただける様、お宅様の権威を使って、依頼してくださいませ」という趣旨の手紙を一筆箋二枚にまとめるわけです。

 しかも、前・中・後の構文が、おかしくない様にまとめないといけない。

短くまとめるほうが難しいのです。40分近くかかって、やっと完成し、外出用に服を着かえます。で、郵便を出しに行くことは音声では言いたくないです。我が家の電話も室内も盗聴をされていて、郵便を出しに行くと言ったら、警察がすぐ、ポスト前で、待機していて、郵便を盗むはずだと、考えていました。そして、関本夫人が、午前二時にお台所に立つという現象で、わかったのですが、その通りになりましたね。

 合計六軒にお手紙を出して、特に最近、強烈に反抗心を示している大原光孝さんと、渡辺夫妻からは、返事がありませんでしたが、ほかの三軒からは、返事が来ています。「私は、あなたの依頼通りには、動けません」という返事ですが、それで、わたくしががっかりしたり悲しんだりするわけではないですよ。

 だって、わたくしが手紙の相手として選んだのは、最も安野家と近い人たちです。返事が悪いのは、想定内です。「お財布を返すことに協力をしてください」と頼んでも、決して言うことを聞いてくれないだろうということは、最初から想定内です。でも、リアルな戦いを始めるにあたって、こういう風に安野家に近いところから、始めるのが、楽なんです。中間に立っているなあ。いい人だなあと、思っている人から、拒否されたらいやじゃあないですか? だから、絶対に拒否してくるだろうという相手だけ選んでいるのです。でも、処理スピード、返事の字の書き方、そういうもので、いろいろ、わかるポイントもあり、それは、望外の余得というものです。

 でもね、その六軒以外にも、安野夫人は、絶対に質問をするでしょう。「あなたの家に手紙来た?」って。だから、その六軒以外にも手紙を書いてだしています。お財布に関しては、何も触れていない手紙です。

 それを全部完成したのが、7日の午前二時なのです。で、山の住民に配り始めるのですが、」しかし、ここで、6日の夜、9時40分へ戻ります。

 ともかく、黙って外出したい。敵に郵便を出すつもりだとは悟られたくない。でも、チェーンをかけてもらわないといけない。で、紙のメモに書いて主人に渡しました。ところが、全く通じていないのです。

 この原因は、育った家庭のカラーの違いと、育った街のカラーの違いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、「私は日吉で育った。この街は、駅から、300mいないだと、夜の12時過ぎまで、ロータリーから延びる5本の道全部が明るくて町中が煌々と、電気で明るい。主人のほうは、戦艦大和を作ったことで、有名な呉の街で育った。呉のほうが人口密度は高いと思う。主人も、海から山の上まで、一戸建て、住宅がびっしり立っている、宮原三丁目というところで育った。そこは、呉の中心街(商店街)からは、距離があり、町の道に人が往来するということもない。呉造船所からは、歩いて、40分ぐらいだから、6時以降は誰も街を歩いていない。そして、主人の父は、造船所から、まっすぐ帰宅をして、ビールを飲んでテレビを見て、後は寝るだけだ。で、呉の家の一階は、夜九時には真っ暗で、しーんとしてしまう。二階は、子供たちが、勉強をしていて、電気がついているとしても一階は、真っ暗だ。

一方わが実家のほうは、ご近所の大人たちは、呉の様に、石播(IHI)、一社に勤務しているという形ではない。で、別々の会社からの帰宅なのだけれど、東京なので、ご近所の誰もが帰りが遅い。6時前に帰ってくる人などいない。

 私の父もたいてい、10時過ぎの帰宅である。お隣もそうだ。お隣は、お酒だそうだ。居酒屋の、おっちゃん連中と飲むのが、気が晴れるそうだ。ヒルマの難しい仕事で、神経を張り詰めるからだそうだ。

 うちの父はお酒は飲まない。カフェ文化だ。だが、いろいろな、グループに参加をしていた。洋画の公募団体展が二つ、そのほか、仏教の会とか。社交ダンスの集いとか。これが、サラリーマンとは違って、小さくても社長だから、出費を気にすることがない。だから、毎晩社交生活で、横浜か、東京の中心で、九時まで過ごして、10時に帰宅をして、母の作った夕食を食べる。

その後、11時から、一時間程度油絵を描く。だから、二階と、一階で、電気が消えるのは、ほぼ、同時刻となる。母は、親戚のホテル代わりになることを、嫌がらなかったので、お客が来ると、大人同士が、社会のことについて、ものすごい活発なおしゃべりの会となる。で、小さいころから、それを聞いて育った。だから、勉強しなさいと言われたりしたことはないが、小学校一年生の時からお成績は良かった。

 結婚前は、夫と私の、実家の家風の違いなど、全く分からなかった。私にとって、夜12時に帰宅するなどというのは、全く普通で、異常でも何でもない。手紙を出しに行く必要があるのだったら、夜の、9時45分に家を出るのもごく普通のことだ。

 だが、主人にとっては、普通ではない。

 ここで、主人とけんかになり、どうしても外出しにくいので、つい、「郵便を出しに行くのよ」と声で言ってしまった。それが、盗聴をされて、雪の下郵便局前で、待ち伏せをされたのだった。ただ、以前より警察も頭がよくなったらしくて、雪ノ下郵便局から、から北へ、30mぐらい離れたところで、トイプードルを抱えた婦人警官の車に待機させていた。

 むろん、彼女が、合いかぎを使った人ではない。

 だろう。彼女の車は、合計20分以上停まっていた。夜桜を撮影する目的で、とまっていると、言うことになっていたらしい。だが、私が車の中を覗き込んで、にっこり笑ったり、その後、車の後ろ10mのところでずっと、車を見つめていたりしたので、やむを得ず、発車して、警察署に向かった。と、推察している。それが、夜10時、20分ごろだ。

 そして、誰かと交換して、数人でやってきて、ポストを他者の目から隠して、合いかぎを使ったと、推察している。ここで、突然にシステム異常が起きたので、女性一人が、ことを実行したのではなくて、待機した女性とは、別の警官が、数人で、訪れて、ことを行ったと、考えている。

で、そこから関本夫人が,午前二時にお台所で、本格的な調理をしているのを見ることとなるのだが、

 これが、6日の夜のことだが、10日(木)の夕方、その婦人警官と同じ女性が、、「見破られたことに責任をとれ」、と叱られたのか、それとも、わたくしの頭脳程度を試すためか、

 いつもよる、カフェ・デリフランスで、店員をしていたのだった。ああ、ばかばかしい。警察ちゃんって、そんなに「頭が悪いのですかねえ?」こそこそ、こそこそ、小さな謀略を積み重ねていて。それで、ことが終わると思っているのかしら?

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メモとして書く、安野家と警察・・ちゃま・・のリンク状態。特に25-4-4から10日までの私のお財布をめぐる戦いについて

2025-04-10 23:12:27 | 政治

 この章、誤変換直しと、リンク先付記は、夜致します。」

副題1、「2024年12月16日に常用のアテンダントバッグ(=小さい車輪が4つついていて、自由な方向へ動かすことができるもの)が、ショッピングタウンコウナン(鎌倉市岡本)というところで盗まれてしまい、仕方がなくて、布製のショッピングカートを買った。こちらは、大きなタイヤが二つだけついているもので、利点は、164段も、階段を上がらないと我が家の居間まで到着できない山の中(鶴岡八幡宮様の駐車場の地境地主でもあるが)に住んでいるので、家外の石段だけでも、この大きなタイヤが、なぞってくれて。力をかけないでも上ってくれることがよろしいのだった」

 私ね。珍しく、パソコンを開かず、ブログの手当てをしませんでした。まあね。真実を言うと、リアルな世界で、戦っていて、疲れたからです。

 この事案は1月28日から始まっています。私はそのさらに前の、2024年10月16日、コウナンというショッピングモールで、常用の、アテンダントバッグ(四つ車輪がついていて、強化プラスチックで出来ているもので、有名ブランドサムソナイトの、庶民向けプライべートブランド、ALTIMOの最小タイプです。リモワの最小タイプ二つも持っているのですが、泥棒が入って、ファスナーを壊すのではないかと思っています。それは、8年ぐらい前に買った白いものは、3万から4万だったのですが、4年前に買ったものは5~6万の間で、銀座の表通りに、パイロット店舗があるぐらいだし、丈夫なはずです。それなのに、ファスナーがすぐ壊れる。中の布に黒いシミがつけられているのを見ても、我が家に自由自在に入れる、ご近所様、特に安野忠彦・ひろ子夫妻がやっている可能性を感じています。

 白いおズボンに、紺色のシミが、ポケットでもないところについていたりします。安野夫人は、化学染料を使ってですが、作品を作って銀座の画廊で、個展をしたそうですから、ポケットもないところに、直径4㎝ぐらいの紺色の丸が、白いズボンについていたら安野夫人だと思います。

 一方で、大原光孝さんというプロの画家も相当ひどいことを、何十回もやってきています。まあ、警察の特殊部隊も泥棒に入っている可能性は、感じていますが、この二軒が、最も頻繁に侵入し、被害を与えています。大原光孝さんのほうは、泥棒に、わたくしが気が付いているかどうかを確かめたいらしくて、その直後に私の目の前に、姿を見せます。

 さて、外出用の洋服なども盗まれます。ただ、困るものの代表を上げると、例えば税務申告の元帳の盗難です。これは、時間泥棒です。普通にアルバイト(または、派遣社員として勤めると)、では、時間給1000円でしょう。50時間以上かけたものが盗まれてしまったわけで、5万から、7万円までの金銭的損失です。

 もっとも金目のものは、補聴器です。箱が六箱あるのに、今手元には、2個しかありません。これは、健康を阻害して、そこから、死へ導入しようとする警察の表立っての仕組みです。三原橋交差点で、交通事故に出会って、宿直室で、梅林と名乗る、「示談にしなさいよ」と勧められた時以来の、警察の攻撃用方針らしいです。これが、どうして起きるかというと、

 ご近所人間、石川和子さんが、わたくしの猫が、彼女ではなくて、わたくしを選んだことに、心理的にパニックに陥って、「自分は伊藤玄二郎と特別な関係にあるものです。川崎千恵子という人物が、傲慢で、威張り屋なので、そこの夫に、彼女をしかりつけてもらう様に頼んでください」と交通警ら隊の警官二人を読んで命令したのです。

 どうして、そういうことが起きるかというと、それは、2005年の7月第四日曜日でしたが、その前の冬に、彼女たち夫婦が、わたくしを寒空の中で、待たせること=いじめること=で、セックスの高揚感を味わっていると、言うことがわかってしまったのです。とても狭い玄関の中で、しゃがんだ石川和子さんの股の間から女性特有の液体のにおい、または、すでに射精した、柳沢昇の精液だったかもしれませんが。ともかく、子供を二人生んでいる私には、それが何のにおいかわかるものを、ぶんぶんと立ち昇らせて、わたくしが、待たせられたことを怒ってるのにもかかわらず、謝罪もしないのです。

 ともかく、彼女について書くのは、ここでやめます。彼女の命令でやってきた警官が、交通事故の調書を取って脅かしたので、わたくしはそれください。弁護士に見せないといけない」といったので、彼らが自分たちが失敗したと、気が付いて、引っ張ったので、三角になりましたが、明瞭に交通事故の調書とわかるものが、わたくしの手元に残ったのです。築地警察署は、警察庁の命令で、交通事故の調書を出すなと、言われたのでしょう。どうして石川和子さんがそれほど、守られるかというと、伊藤玄二郎と、いまだに、愛人関係があるからでしょう。むろん、石川和子さんは、2008年か2009年に死んでいるのです。病院内で、点滴に異液を入れられて殺されたと思います。それをブログで書いたら、大口病院の、事件が起きました。久保木看護師が、逮捕されたけれど、まあ、何をかいわんやです。

 伊藤玄二郎が石川和子さんをいまだに保護しているというのは、彼女の、戸籍上の夫である、柳沢昇===二人の、結婚は、1990年代だったと思うが、(興信所が、わがやに、柳沢昇の人となりを聞きに来た。まあ、普通の人でしょうと答えておきましたけれど、実際はとんでもないセックス大好き人間で)、野菜の配達の節に、石川和子さんと、鎌倉春秋窯内で、セックスして、ああ、良い、良いと、なっての結婚でしょう。その後もセックスの高揚のために、私を、いじめる手法をとっていたのです。

 でも、この章は、石川和子さんが主役ではないです。だから、まだ、まだ、途中ですが、石川和子さんについては、ここで終わり。

 コウナンで、バッグが盗まれたところに戻ります。

尾行をしている警察が盗んだと思いますが、中身を盗みたかったのです。

 これは、猪口邦子家の豪邸大火災で、猪口一家を調べるために、中央区役所そばにある東京法務局で、7通の登記簿本を取ってあり、それを電車の中で、読もうとしていたところでした。コウナンは、11時半予約の歯医者さんに行っていて、終わったのが一時だったので、十分に、再び東京法務局に行かれるところでした。7通盗まれたのですが、別の家4通のものを再度もらって、考察を重ねました。

 しかし、土地を買ったのは、サンクレストという会社で、このマンション以外は、小さなマンションばかりで、廉価で、売買されているだろうと思う物件ばかりです。ただし、建設会社が、大問題だったのです。小沢一郎、元夫人の実家でした。この建設会社が、夫人が結婚を継続していたころ、作った物件は、すべて、政治的案件だという噂でした。

 で、このマンションは、小沢一郎がお金を儲ける手段として建てられ、猪口邦子議員は、当時すでに議員であったかどうかは、調べないといけませんが、猪口議員一家が客寄せパンダとして使われたことは確かです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、「猪口議員一家の、嘘(=夫と長女の焼死)については、この章では触れず、コウナンで慌てて買ったショッピングカートが大問題の章となる』

 私が自分を貧乏だと感じ始めたのは、反町の母からもらったアパートの二階の住民が、20年以上住んでいたのにもかかわらず、急に契約解除になった時以来です。リフォームに200間年か課ttって、主人の入院で、全財産入りの、トートバッグが、鎌倉駅内の、障碍者用トイレから盗まれて以来、400万円が空中に消えたので、びっくりして、かつぎょっとして、

 急にお金について、注目をする様になりました。しかし、それ以前は、自分が金もちの方だという認識があったので、何でも上等なものを買っていたのです。しかし、2024年の10月に、きれいにしたアパートにまだ、入居者が見つからない事態になって、・・・・・おお、おお、これは、警察が、やまゆり園事件を演出したとか、保美死刑囚の、平成の八墓村事件を演出したとか書いていることが真実なので、

 借家人が見つからない様に妨害をしていますねと、考えたので、急に質素倹約を旨とする生活へ向けて、日常を立て直しました。

 でね。コウナンで、盗まれたのですが、幸い重要なものは登記簿謄本以外入っていなかったので、それをラッキーと考えて、新しいバッグを買う事にしました。わたくしは今、フレイル状態で、それがないと、どうしようもないからです。で、数万円はする、アテンダントバッグはやめて、ショッピングカートに変更しました。

 それでも、いいものを持ちたいという例の嗜好が止められず、それらの中でも、6600円という最高額のものを買いました。

 たった、2000円程度の差なのですが、よくできていること、よくできていること、ポケットが6個もあるのです。で、いささか喜んで、それをもって、千代田区の、東京法務局に行って、30分しかなかったのですが、最近、よく来ている人として、スタッフも覚えていてくれて、昭和20年以来の、物を出してください」などという要望を聞いてくれました。むろん、お値段(=印紙代)は、高いのですよ。二通になるからかな。ともかく、猪口一家が、土地持ちの大家ではないという事は、確認できました。それ以降は、ブログを書き、この件を分析することに集中をしていて、東京法務局には行っていません。これも結局は「留守にすると、放火するぜ」という我が家に対する脅かしの意味があったのです。

 12月10日に、猪口家のすぐ近所の文京シビックホールの音楽会の切符を買ったから、こそ、設定された謀略でした。ただ、私は、その音楽会のホーム頁を何回も開きながら、なかなか、切符を買わなかったのです。それは、その前に、いくつもの音楽会が重なっていて、今、取り組んでいる小説の主人公様のように、グァルネリという名器を子供の時から、弾きこなしている紳士でさえ、

 音楽会に派手に行き続けると、(特に知人と一緒に出掛けて、お食事会も一緒に行うと)突然ある日、自分の貯蓄が底をついていることに気が付くからでした。

 だから、税務申告を引っ張り出せば、いつ切符を買ったかを思い出せるのですが、一週間を切った時点で、やっと買ったと思います。それで、猪口家の火災が、18日遅れたのです。やはり、「あれがまだ持ち出せていません。待ってください」と、猪口邦子さんが、放火を実行犯たちに命令する連中、(=イェール大学関係者)に頼んだのだと思いますよ。

 しかし、ここで、猪口家のウソについての解説も終わりとします。この章の目的は違うところにあるからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『扱い慣れていない、例の6600円の、高額ショッピングカートから、いしだんをおりる途中で、バシバシ、物が外へ、飛び出していたのだった。自分では、左手に持ちてを持っていた、ショッピングカートは、自分の体の後ろについてくる形だったので、物がバシバシ、外へ落っこちているのには、まったく気が付かなかった』

 こういうバッグは、入り口のところにひもが付いていて、それを、引っ張って、ギャザー(しわ)を寄せて、トップをふさぐのだったが、それを知らなかった。ただ、ふたがあって、それを、本体に、のせる形で、トップをふさぐのだと思い込んでいた。

 このバッグは大変大きい。で、後ろ手に引っ張るといしだんの、四段か五段、後ろを、バッグが走ることになる、で、いしだん一つが、16cmあるヵら、五段後ろだと、90cmの高いところから、トップが、下向きになってしまう。で、ひもを締めて居なかったので、中身がぐんぐん、外へ落っこちてしまうのに、まったく気が付かなかった。

 駅へ向かう、いしだんの、ほぼ、70パーセントを歩き切ったところ(=志一稲荷のさらに下)を歩いていると、夕刊を配達する人が、とトトっと、走って降りて来て、(別に私を助けるためではなくて、この人は、常に走っているのだが)、志一稲荷の上の方(私との間に、50段以上の石段がある)位置で、「川崎さん、あーたね、いろんなものをばらまきながら歩いていますよ」と笑いながら言って、走って私を追い抜いていった。

 で、後ろを振り返ると確かに、志一稲荷から、7段ぐらい下がったところに、ベージュ色のパスケースが落ちていた。それは、図書館カードを集積した、カードケースだった。「うわーよかった。国会図書館なんて、忘れたりなくしたりしたら、再発行をしてもらわないとは入れなくて、もし、図書館カードを発行してもらいたい人が多いと、30分以上かかるのよ。うわーよかった。でも、ほかのものも落としたかもしれない」と思って、バッグの中を点検すると、

 お財布がなかった。これは、10年ぐらい前に、帝国ホテルで、開かれた株主総会に出席した帰りに、帝国ホテルのショッピング・アーケードで、買ったもので、赤い牛皮に、薔薇の彫り物がしてある。小型で、すでに汚れているから、別のものを二つ買ってある。ただ、お財布は、我が家の引き出しの中に、高島屋で、毎年一つ買いかえる、印伝の赤い財布がよっつくらいあるはずなのに、2024年8月2日、鎌倉駅トイレで、すべてが入ったトートバッグ(小型で、シマエナガのプリントが付いているもの)が、盗まれた際に、その印伝のものを使おうと思ったら、一つもなかったのだ。この印伝のお財布は、もっと柔らかな皮でできたお財布を見つけて以来、買わなくなった。結構固いのだ。それに、長財布の形だったので、小さなトートバッグを愛用するわたくしには、危険なお財布だった。トートバッグからはみ出してしまうからだ。というわけで、絶対に、八個はあるはずの古いお財布がないので、この帝国ホテルで、買ったものと、それから、武蔵小杉グランツリー内で、買ったものの二つしか我が家にはない。

 ここで、突然の挿入に入る。実はグランツリー三階に山野楽器店があり、その前に、グランサックスという、キャリーバッグとかお財布を売っているお店がある。110年の歴史がある青木カバン店の財布で、本当に使い心地がいいお財布をずっと置いてあった。ところが上に行っている、2024年8月2日の大泥棒の結果で、三個目を買おうとすると、店員が、もう、購入していないのですという。これも、尾行が付いていて、警察の命令で、グランサックスに置かない様に命令したと思う。青木カバン店のためには、これも書かない方がいいと思うが、こういう事も、1984年にお砂糖を借りに来た、安野夫人の私への悪口を聞いて、安野夫人を警察側の、つかいっぱしりとしてきた、日本の警察庁の、仕業であって、山口みつ子さんが、殺されたのも、私の妹が殺されたのも、すべて、安野夫人から始まっている。

 このいしだん道は、我が家、鎌倉街道の間で(後で、地図が、石井秀樹邸の、特番で、手に入っているので、それをここに挿入するつもりだが)、4回曲がっている。で、道の全体像は、見渡せない。以下の地図は、鎌倉氏が公開しているものでテレビ特番からとったものではないので、正確さにはかけるものですが、志一稲荷の場所が、だいたいわかるものなので、今のところは、使います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『私は、膝に大いなる、痛みが発生していた。これは、一般には知られていない、警察庁側の攻撃で、私の肉体を、このユキノシタの、旧石井羊一邸に置いてある特殊なルーターを通してサーモスタット様式で、大画面に映し出し、攻撃すべきところに、ポインターを合わせて、レーザー攻撃を微小な傷として与えるのだった。猪口邦子さんに対する分析が正しかったので一月5日頃から始まっている攻撃で、足が持ち上がらないのだった。

 一般によく知られているのがじん帯で、それで、筋肉を骨につなげている。

 ところで、ここで、大難題が起きた。わたくしはこれも、桜田門、警察庁のはかりごとの一種だと確信するのだけれど、居の九引け大火災、特にお嬢さんは、アンドロイドであり、お嬢さんは死んでいないと言い始めたあたりから、以前から、時々起きていたじん帯損傷があまりにも激しくなっていて、これは、じん帯ではないと判断をする様になった。なんと、腱板というものがあり、それは、じん帯より、大きく広く、骨と、筋肉を結び付けているのだった。

 これは、歩くことの阻害だけではなくて、家事全般のすべてに損害を与えるので、家の中が、散らかり放題で、そういうところに大原光孝という人物は入ってくるのだ。そして、はいったぞというしるしに、私の前に姿を見せて、何事か悪口をつぶやいて去る。だが、補聴器を付けていないと内容がわからない。

 ところで、以下の二つの文章は、相当に、救いにはなった。両方ともに真実だからだ。ただし、まだ、45%程度であり、70%程度までは、書く必要がある。後註1と後註2,で、痛みはしょっちゅうぶり返す。恐ろしい仕組みだ。わたくしは、五日、ここを手当てしなかったら、殺されているとお考え下さいと、常に言っている。だけど、バシッと殺すのではなくて、じわじわと殺してくる。このひざの痛みも、160段の階段を上がったり下りたりしないといけない、私の命取りではある。

 というわけで、お財布他をばらまいて、いしだんを下りて行った日には、膝が痛くて、自宅まで戻るのに、15分以上は、かかった。

 しかし、これが、神の采配というもので、安野家が、また新しい、嘘を構築する、姿を確認することとなった。

 私が、疲労困憊して、ブログを手当てできなかったのは、安野夫妻に対して、リアルな世界で、真実の解明を求め始めているからだ。つまり、今までは、ブログを先に書いた。しかし、今回限りは、リアルな世界での、戦いを先にしている。

 私はずるい人ではない。この2025年4月8日は、夜9時15分に安野家を訪ねている。「ソロ、ソロ、お財布を返していただけませんか?」というつもりになっている。ところが、二階には、電気がついているのに、だれも出てこない。

 というわけで、今回は、ブログが後に来ている。先にリアルな世界で、戦ったが、反省してくれない模様だ。したがって、詳細に事情を書くつもりである。ところで、安野夫妻が、変な考えの持ち主であることは、百も承知なので、仲を取り持ってください。彼ら夫妻が、私のお財布を、2025年1月28日に道路で拾った後で、4日間は、キープしていたことは確かなのです。だから、返してあげてくださいと、あなたから言ってください当い手紙を、

 山田さん、前田清子さん、渡辺賢司夫妻、大原光孝さん、平木夫人、鶴岡八幡宮様の龍村さん(これは、郵便です。ただし、婦人警官がポストのそばで、車をとめて、その中で、待機していたので、・・・・・図書館の本が返還されていません・・・・・というのと同じで、超高性能な、警察が保有するカギで、ポストをあけて、私が投函した手紙を取り出し、中身を読んだうえで、捨てたか、ソノママ、元に戻したか? でも、八幡宮の龍村氏には、川崎千恵子には、協力をしない様にと、告げた(命令したはずです)次の日か、その次の日にね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5,『さて、その日思いがけない余得があった。関本夫人という上品な女性がやはり、三井物産勤務で、中谷家の次男と通々であることが判明したのだった。どうしてかというと、午前二時に彼女は台所に立っていたからだ。電気を赤々とつけて、台所に立っていた。こちらを見るわけでもないが、自分の姿を、私に見せつける、必要があると命令されていたからであろう』

 つまり、副題4で、想像をしていた通り、警察は、ポストを超高性能な合いかぎで、あけたのです。で、手紙を読んだ。そのうえで、私がほかのご近所様にも手紙を渡すと判断をしたのです。どうして、「彼女=川崎千恵子は、関本夫人を選ぶはずだ」と、警察、もしくは中谷家の次男、が、考えたかというと、

 関本夫人んて、とても上品なのです。卒業大学は、慶応、上智、東女、津田塾、あたりでしょう。もしかして、ICU? ともかく、英語フランスが自由自在に話せる、かつ、美形のお嬢様です。

 でね、なぜ、彼女が午前二時まで、起きていたかというと、私の気合をそぐためです。彼らにしてみると、私の手紙は安野夫妻に対する悪口なのです。しかし、私にしてみるとあの、一月28日、安野夫妻の、たぶん夫人の方が、道路に差し掛かった白井夫人を捕まえて、五分以上何事かを話していて、

 ああ、また、たくらみごとをしているなあと、考えた私が、「足がもげてもいい」と、必死で、いしだんを上って、白井夫人に追いついて、「白井さん、私の赤いお財布、みませんでしたか?」と質問をすると、怒った様な早口で、「知りません」と怒鳴ったのです。白井夫人は、本当に人生経験が足りない人です。追いつめられると、ヒステリックになってしまう。こういうときに、安野夫人を助ける必要があるのだったら、優雅に落ち着いて、「あら、見ませんでしたけれど、どうかなさったの?」と、返事をしないとだめです。

 彼女が使っている動詞が私の質問からずれているので、すぐ『おかしい。先程、五分ぐらい、話していたから、安野夫人が(または、忠彦氏が)何事かのたくらみを、構築しましたね』と判断をするわけです。で、真実がわかったから、もう、白井夫人に次の質問をする必要はない…‥と判断をするわけです。しかし、私と白井夫人のやり取りを聞いていて、私が、白井夫人に次の質問をしないで、黙って山を下りて行ったのを、自分たちが勝ったと、考えたとしたら、それが例のあほ化の典型です。白井夫人の知りませんを真に受けて、私が、お財布が、宙に浮いて消えたと判断をしたとしたら、安野夫妻は、幼稚そのもので、また、また、あほの典型を見たという形になります。

 というのも、1月28日以来、何にもしないで、ご近所人間のお財布を、キープしている。または、捨ててしまったと、したら、それって、異常なことではないですか? 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここで、関本夫人へ戻ります。わたくしが、関本夫人が午前二時に、台所へ立っているのを見て、それで、ビビッて、封筒を投函しなかった・・・・と敵さん連中は考えた可能性はあります。それで、勝ったと思ったので、次の攻撃に入ったというわけでしょう。次の攻撃とは、スーパー東急のわきに、お囃子連中、(材木座、連と書いてあったヲ配置して)、そのどさくさの大音響の中、音楽会の切符を盗まれたのに、驚いたり、ビビったりさせようとした攻撃に、びびったでもないのです。

 つまり、関本夫人について、ああ、、海外暮らしの経験がある人だなあと、感じるのです。わたくしも、パリで、90日、ニューヨークで、90日かける二回、+11日、短いですが、日本人とまったく付き合わないで、美大の学生や、版画工房のメンバーと付き合っています。

 あなた、ニューヨークの、51st.stで、二人だけしかいない状況で、ぶっちょう面をして、通り過ぎたら、ずどんとやられてしまいますよ。

 関本夫人の、二重性は、十分わかっていても、彼女の明るさに接すると、すぐ、海外暮らしを経験している人だなあと、考えるから、私の方が、すぐ海外暮らし風に戻ってしまうのです。聞き耳を立てている安野夫人が、その二人の会話の明るさを、感じ取って、二人は仲良しで、川崎千恵子は、関本夫人を好きなんだと自分より上位の人に報告をしたと仮定すると、井の中の蛙、大海を知らずの典型だなあと、感じます。

 富沢夫人も子供時代、または、ここに引っ越してくる前に経験している可能性を感じています。反対に、自分から一年間、スペインで、研修していましたと、語る、渡辺夫人の暗さとかやぼったさって、なんで生じるのだろう?と、疑問を持ちます。もしかすると一年間スペイン語学校に通っていましたか? そしてクラスには、アジア人ばかりいましたか? などと、感じていますよ。

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村野藤吾令嬢と、お茶大付高、修学旅行、同窓会、父と叔父千尋(旧制・萩中学校長・・1985生・・80年前の写真では

2025-04-07 00:11:05 | 政治

 いや、あの写真があるよね。すでに、このブログで、使ったことがある写真で、それを使えば説明しやすいというものがあって、それを今探し出しました。

 これは、京都、銀閣寺か、それ以外のお寺の庭で、修学旅行の記念写真です。顔に何の遮蔽もないのが、私です。本当は背が高いのです。だが、左の二人が、10㎝ぐらい背が低い人だったので、とびぬけるのを避けるためにしゃがんでいます。この6人は、修学旅行で、班を形成していた6人で、撮影していたのが誰かは、今は思い出せません。だが、村野さんは思い出せる。前列左側の少女です。

 この時、すでに村野さんの父君が建築家だとは知っていたのですが、父君が68歳であり、すでに、丹下健三と並び称される超有名建築家であるということは知りませんでした。村野嬢が父君については、全く語らなかったからです。

 なぜかというとこの高校には、外務大臣の娘とか自民党幹事長の娘とかがいて、父親の名前が、新聞にバンバン出る様な人がいるわけで、アメリカで、研修をしてきて、威張らない人であったであろう、父=村野藤吾の、名声を誇ることない姿勢をも、影響して、娘としてそれを見習っていて、父親が村野藤吾という有名人であることを彼女は語らなかったのです。

 住所録をパンフレットとしてもらっていて、そこに父親の名前も書いてあったのです。でも、当時高2の少女(=私)には、有名建築家とか、JCB賞の知識など皆無なので、彼女が、有名人のお子様であることは知りませんでした。

 ずっと関係が途絶えていたのですが、彼女が、同窓会誌、作楽(サクラと、読む)に短歌を一首、載せているのに、気が付いて、それ以来、その情報で、つながっている関係です。ただ、結婚後すでに、65~67年間、過ぎていますので、すでに、結婚後の姓を使っていて、このブログで村野嬢と書いても、そういう人物は、この世にはいないと、お考え下さい。なお、村野さんは、卒業以来、この高校のクラス会には、来ていない筈です。付属中学の同窓会とか、付属小学校の同窓会等のもあって、「そっちの方が好き。高校のは嫌よ」という人は多いのです。お茶大付属中学と、お茶大付属高校は、在学生も同窓会もカラーが違うのでしょう。

 しかし、ここから、安倍総理大臣の奈良県西大寺での、暗殺が、どういうことだったのか? も、そのほか、伊藤玄二郎や、井上ひさしについて多大な字数で、語ることができるのですが、今日は疲れたので、やめておきます。ただ、村野藤吾のお嬢さんと知り合いであるということは嘘ではないと、申し上げましょう。

 しかし、大金持ちで、有名人の子女であるのにもかかわらず、絶対に威張らない、そういう人とずっと付き合ってきたからこそ、この鎌倉雪ノ下二丁目のボス主婦軍団と、その夫族のやぼったさをどれほど、わたくしが嫌う・・・というか・・・軽蔑しているかは、ご理解くださいませ。

いやあ、参った。批判の対象は、お友達のお父さんでした。   2025-04-03 23:28:14 | 政治

村野藤吾===超・有名な建築家です。Is he an relative or father of my school mate? 既に敵方にばれちゃっているので全文をさらしましょう    

2025-04-04 22:43:47 | 政治

2025-4-7~8にかけて、これを書く  雨宮舜 本名 川崎 千恵子)

======================

 

ここから先同窓会の話に入ってプラスの思い出を語ります。マイナスの思い出もあるのだけど、本日は、それには、触れず。

 私は母方の祖父が、旧制柳井商業の校長だったと言っています。一方、父方の祖父は、毛利藩の上司だっただけで、明治維新以降は、職に就かず、東萩に小学校を作ったなどと聞いています。堀之内という武家屋敷街を、捨てて、東萩に山を一つ買い、なつみかんの、栽培に乗り出しました。サムライの俸給が出なくなったからです。夏ミカンの皮の砂糖漬けは、今でも、お土産品でしょう。ただし、その製品の、製造元も販売元も、我が家ではないはず。

 しかし、サラリーマン生活の方が安定しているという事で、父の兄は、先生になりました。そしてたちまちを頭角をあらわして若くして旧制・萩中学の校長になりました。

<form action="https://blog.goo.ne.jp/admin/showimagedetail/" method="post" name="frmimgedit">
 
  <input name="image_title" type="text" value="父、1927-2.jpg" />
   
  すみません。この資格が消えないのです。残しておきますが、下に文章が続きます。
   
  <input style="box-sizing: inherit; font-size: 12px; vertical-align: middle; width: 315.174px;" name="dummy" readonly="readonly" type="text" value="<img" />" />
  <input style="box-sizing: inherit; font-size: 12px; vertical-align: middle; width: 315.174px;" name="dummy" readonly="readonly" type="text" value="<img" />" />
 
</form>

  この写真を撮影したころ、私の父方の祖父は、すでに、死んでおり、中央が祖母の筈です。祖母と、父の間が、父の姉の筈で、祖母のみぎ側の女性は、たぶん、叔父の妻の、親戚で行儀見習いに来ていた少女だと思います。なお、威張っちゃあいけないけれど、叔母(=叔父の妻)は、お隣の津和野藩のご家老様の娘です。我が家は毛利藩の重臣で、内閣を形成していたが、ご家老様ではなかったです。ただし、このころから、戦後、叔父が死ぬまでは、萩の三名家として、ご家老様、菊屋、そして、我が家・礒部家が、上げられていたそうです。建物が古いとか、大きいとかではなくて、人間の格とか家族の格としてです。

父の兄は、千尋(ちひろ)といって、加古さとしの弟と、同じ名前です。写真がうっすらとしていますが、大変な美形だったらしい。そしてモダン好みでした。ただ、女性問題は起こさなかったのです。しかし、手術の失敗による突然死で、亡くなりました。今から70年は前、ごく初期の白内障手術を受けて、(だから、刃物や、手術用装置が大きかったでしょう)何かショック状態に陥って、亡くなったそうです。最新の手術を受けようとする望みが災いしてしまいました。
 
 叔父が教える専門教科は、数学でした。でもね。音楽も教えることができた模様です。
 私の家には、音楽とか美術の血が流れているのです。オルガンはありました。
 
 しかし、左端にいる、私の父が、私が中高生だった1950年代に、「絶対に戦争がまた来るから、芸術学部とか文学部へ行ったらダメ」というので、自分が最も向いている分野の、大学へは、行かれせんでした。
 ところが、父は、音楽に才能がないのです。声はしわがれ声で、かつ、音程が狂う。
 
 で、叔父の千尋さんが、父の、うたいっプリを「千晴(ちはるとよむ)の音階は、変タ調だからね」と、良くからかっていたそうです。それを、お嫁入した母から、私は何度も聞きました。つまり、一家中で頭が良すぎるから、からかいとか洒脱という事を、特に、このんで、いたのです。これは、まずいです。平気な顔をしているからといって、傷ついているわけではないから、家族の間で、からかってはダメです。大学の一年先輩に、ものすごく顔の悪い女性がいた。しかし、両親から、たいへんかわいがってもらっていたそうで、大変良い結婚をし、大変良い就職にも月、堂々たる人生を歩みました。申し訳ないけれど、はっきりってカバみたいな顔です。でも、本当に大成功奈人生を送りました。
 元へ戻ります。父の兄は、父が、音程を外すことを、何度も、からかっていたそうです。変〇調というのは、ト音記号の後ろにフラットが、いくつかついている調で、変ホ長調とか変ロ短調の有名曲があります。で、これが、直接、私が言われたわけではないのに、大きなトラウマになっていて、私は長年、人前で、歌うことができませんでした。特に一人ではできないので、音楽の試験の時に、先生が何度もはげまして、前奏を弾いてくださったのです。
 40過ぎてから、人前で、歌う様になるのですが、その陰に政治もあったし、自己鍛錬もあったのですよ。だから、私が、人前で、歌うのは、決して、自慢をしたいからではありません。
 人前で、歌うという、訓練に耐えるかどうか、自己を確認する試練の一つでした。
 しかし、歌う前に何も説明をしないものだから、ずっと、誤解を受けてきました。
 
 自慢をしたいから歌うのだと、・・・・・
 
 しかし、2024年だけは、偶然が幸いして、出席者が、「聞いてやろうじゃあないの?」という気分だったのです。偶然というのは、出欠を知らせるはがきに書いている、近況報告を、幹事さんが、全員分、まとめて、プリントアウトして、出席者が、それを読みながら、各出席者のスピーチを聞くという形になったのです。
 すると、昔からの私を覚えている人が「白ちゃーん、がんばってー」と、大向こう(歌舞伎で、役者を励ます掛け声のこと)を、掛けてくれる、友人がいたのです。
 
 ごめんなさい。ここで、力尽きた。続きは、別章建てで、明日書きましょう。実は、大森ちゃん、佐久田さん、北岡和代さん(旧姓にしておきます)が、組んで、内心で、嫌がっている、ごりちゃんを使って、たぶん(いのうえ)きっこさんが、命令したいじめ用策謀が、その歌う前に」30分続いたのです。
  しかし、美しく歌えました。ただ、一分で抑えておいたけれど。これが、どれほど、私が敵方の事ヲ分かっているかを課tる話なので明日でも、さらに丁寧に書きましょう。
 
 ただね、暗い話ばかりとは思わないでね。神様は恐ろしいほど、ちゃんをご覧になっているのです。きっこさんは、伊藤玄二郎からの命令で大森ちゃんを動かしたのだと思われるけれど、あの電話が謀略だったら、本当、どうするつもりですか?
 
 今回の同窓会でも、ちゃんと表れていたでしょう。わたくしは一次会の時から気が付いていました。北岡さんが、目をやられたことを。私ね。数か月前にプール熱というものにかかったのです。白めの所が真っ赤になってしまう病気。直す薬はなくて、ほっておいて、自然治癒を待つだけの病気です。。プール熱という呼称がありますが、私は、プールに行ったわけではないのです。でも、仕方がないからサングラスを買いました。レイヴァンを真似しているやくざみたいな感じ。
 
 ほら、いつも言っている、・・・・・他殺である、妹を、自殺であると、見せかける、妹自身からのノイローゼそのものと思わせる30分の電話、次に妹の連れ合い、柏木孝司からの、2017年7月11日のこれまた、生涯初めてで、かつ、30分、続いた長電話・・・・・これが、本当に悪い方へつかわれた例だったでしょう。このユキノシタのご近所様前田祝一清子夫妻が、共産党員です。また、柏木孝がそうです。そして、いのうえひさしもそうです。
 
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ETC障害・・・中日本高速道路

2025-04-06 22:44:24 | 政治

中日本高速道路 ETCシステム障害 復旧の見通し立たず

6日未明から広い範囲の高速道路で発生したETCのシステム障害を受けて、中日本高速道路は会見を開き「多くのお客様にご迷惑をおかけし、心よりおわび申し上げます」と陳謝しました。原因については「きのう(5日)実施したシステムの改修作業が関係していると考えている」と説明しましたが、復旧の見通しは立っていないということです。

復旧までレーン出口でそのまま車を通行

中日本高速道路によりますと、6日午前0時半ごろETCのシステムに障害が発生し、午後5時の時点で東京、神奈川、静岡、山梨、愛知、三重、岐阜の7都県のインターチェンジ料金所とスマートインターチェンジ、合わせて94か所でETCが利用できなくなっています。

これを受けて、中日本高速道路は今夜記者会見を開き、中井俊雄 取締役常務執行役員が「高速道路を利用する多くのお客様にご迷惑をおかけし、心よりおわび申し上げます」と陳謝しました。

そのうえで、障害が発生している料金所では、復旧するまでの間、ETCレーンの出口でそのまま車を通行させる対応をとることにしています。

通行料金については後日、ホームページなどからQRコードを読み込んで支払ってほしいと呼びかけています。

一方、システム障害が起きた原因については5日、深夜割引の見直しに向けたETCシステムの改修作業を実施したことから、これが関係していると考えていると説明しました。

中日本高速道路ではここまで大規模なETCのトラブルは例がなく、現時点で復旧の見通しは立っていないとしています。

ETC使用し料金支払う車の割合は96.2%

中日本高速道路によりますと、管内の高速道路を1日に利用する車のうち、ETCを使って料金を支払う車の割合はことし1月時点で96.2%に上っています。

普及にともない、ETCの無線通信に対応せず、現金などで支払うレーンは減ってきていて、現在は全体の3割程度だということです。

中日本高速道路では「ここまで大規模なETCのトラブルは過去に例がない」としたうえで、「高速道路をご利用のお客様に料金所の渋滞などで多大なるご迷惑をおかけしたことをおわびします。まずは障害の解消に努め、原因を究明した上で再発防止を進めたい」とコメントしています。

ETC通行するよう発表後 「車の動き 急に速く」

東名高速道路上り線、岡崎インターチェンジの出口付近では、一時、2キロ以上にわたって車が路肩に長い列を作りましたが、中日本高速道路がETCの障害が発生している料金所で、そのまま通行するよう発表したあとの午後2時すぎには路肩にあった車の列はなくなっていました。

車の列に一時いたという愛知県一宮市の配送業の男性は、「1.5キロぐらい手前から渋滞していましたが、側道に入ったぐらいのタイミングで車の動きが急に速くなり、30分ほどで出ることができました。係員から紙を渡されている人もいました」と話していました。

東名高速道路では事故 子ども含む8人けが

警察によりますと6日午後0時20分ごろ、愛知県豊川市の東名高速道路下り線の豊川インターチェンジ付近でETCのシステム障害による渋滞を避けようと車線変更したトラックをきっかけに5台が関係する事故が起き、1人が足の骨を折る大けがをするなど、子どもを含む男女あわせて8人がけがをしたということです。

中日本高速道路によりますとこの影響で東名高速道路の下り線は豊川インターチェンジと静岡県の三ヶ日ジャンクションの間でおよそ5時間にわたって通行止めとなりました。

料金所周辺 渋滞中に追突事故の通報も

警視庁によりますと、中央自動車道のETCに不具合が出ている料金所の周辺で、渋滞中に起きたとみられる追突事故の110番通報がこれまでに3件入っているということです。

午前9時半ごろに上り線の八王子料金所手前の現場から2件、午前10時ごろに下り線の三鷹料金所手前の現場から1件で、いずれも事故の当事者から「渋滞中に追突事故を起こした」と連絡が入ったということです。

けがをした人はおらず、警視庁が詳しい状況を調べています。

高速道路利用しようとする人 困惑の声

東京・調布市の調布インターチェンジ付近の一般道では、ETCのシステム障害の影響で渋滞が発生し、高速道路を利用しようとする人たちから困惑の声が聞かれました。

法事のため千葉市から甲府市に向けて移動中の70代の男性は「あまりに車が進まないので、もう帰ろうかと考えているぐらいです。ETCの障害なんてあまり聞かないので、驚きました」と話していました。

川崎市から東京・八王子市に家族4人で遊びに出かける途中だという40代の会社員の男性は、「出発してすぐにシステム障害が発生していると聞き、困ってしまいました。システム障害ならばなんとかならなかったのかと考えてしまいます」と話していました。

東京・立川市の病院に入院している次男のお見舞いに向かっているという60代の女性は、「今すぐにでも会いたいのですが、高速道路に乗ってから車がスムーズに進むか心配です」と話していました。

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鎌倉駅頭でのお囃子演奏が私狙いだったのではないか?と思う3日夜の不思議さ。特に清張の短編を思い出すとそうなる

2025-04-05 23:18:35 | 政治

  今は、6日の夜10時です。以下の文章の最後に、加筆をしています。

不思議な郵便物をポストに、しかもよる八時ごろ入れたのは、安野忠彦・智紗夫妻である可能性もあると、書いています。

四日の話ですが本日6日の、夜の10時に外に出て、それが、わかりました。どうしてわかるかというと、この山の安野家、前田家、大原家、平木家、渡辺家の、二階の電灯の点灯、消灯の感じ、ほかで確信を得るのです。

 ただ、本当の、郵便局員を夜八時まで待機させていた可能性もあります。だけど、我が家まで帰ってきて、ポストをあけるまで、鎌倉駅ロータリー周辺で、私のショッピングカートから盗んだN響の切符二枚が、ほかの郵便物と一緒に、ポストに入っているなど(という)、そんな画策が、仕込まれているなどとは、夢にも思っていませんよね。

 だから、鎌倉街道に、郵便局員の車が止まっていたかどうかなど、確認していません。また、山の下に、普段は止まっている、郵便局員のオートバイも無論止まっていませんでしたよ。

 でも、こういう悪い工作をする限り、敵さんも用心するでしょうから、八幡宮の駐車場に一時的に、停車した警察車両に、乗っていた、警察官がカフェを出てきた医者風の泥棒から、切符を二枚受け取って、それを、ポストに入れた可能性もあります。

 しかし、もう一つ、別の可能性もあるのです。安野家が、数日文の我が家の郵便物を預かっていて、そのうえで、泥棒から、切符二枚を受け取って、預かっていた、郵便物と一緒に、夜7時半過ぎに、ポストに入れた可能性です。それが、結構当たっているかもと思ったのは、6日の夜10時に山の全部の家の、玄関灯、および、二階の電灯の、点灯と、消灯の感じを確認して、自分の考えが正しいことが分かったのでした。平木家って、先週の土日も、警察の言うなりに動いたのですが、

 二週連続で、警察(または、CIA)の言うなりに動いています。わたくしのブログを読んでいないので、学習すると、いう事がない模様です。安野夫人に協力するから、ご長男が、東大へ推薦入学がかなった話を、また語らないといけませんね。平成の八墓村事件の時に、安野家に大いに協力したのです。そのご長男がまだ、小学生だった時にです.

 でね。下の文章の中で、さわりがあって、全部かけないといったのは、東横線反町駅の駅前不動産店から、電話がかかってきて、「川崎さん窓が開いていると、ご近所様が教えてくれたんですよ。どうします」と、言われたから、反町へ出かけたのです。その時、・・・・・・窓を開けたのは警察だなあ。だけど、それを駅前不動産屋にまで、わざわざ歩いて知らせてきたという(アパート近辺の)ご近所様は、親切な一般人かもしれない・・・・・と、思って反町の自分のアパートに行ってきたのです。そして、差しさわりというのはその不動産屋が、非常にいいお客の見当があると、いうので、そのお客が借りたいと言ってくれるのを待っていたのでした。土、日は、その電話を待っていたので、4日に行われた謀略を書けなかったのですよ。という前書きを、10時、10分までかかって書いて、先頭に加えて、そのあとで、本日の文章の頭へつなぎます。

======================

 25-4-4の夜8時10分ごろ家に帰ってくると、ポストが満杯で、その中に、絶対にそこには入れていないはずのN響の、切符二枚が入れ込められていたのです。金額にして18500円分もの、切符。

 私はね。ときどき、心理的に余裕ができるとブログを書きやめて、小説風なものを書くのです。今の主人公は、NHKをしかりつけるほど、クラシック音楽に、精通している紳士です。女ではないから、むろん私が主人公ではないのです。

 しかし、それを書きながら、音楽会にあまり熱心の通うと貧乏になるという事実にも気が付きます。その紳士は子供の時から、グァルネリ(ストラディヴァリウスみたいな、名器)を弾きこなす、優美な紳士なのですが、最晩年に、心身共に疲弊し、金銭的にも疲弊します。立派なコンクリート製の二所帯住宅に住んでいるのに、不思議なことにお子様が、父親の面倒を見ないのです。

 結局その小説の目的は、心理的なミステリーです。ある時、突然私に、その不思議さへの答えがわかるのです。まあ、第二次大戦が原因だったのですが、これ以上は、その物語については言いません。

 ただ、その小説を書きながら、わたくし自身が学んだことは、外食とか、なかじき(買ってきたものを食べる)を続けると、体が完璧に悪くなるということです。腰が90度曲がったり、背中が・・セムシ・・みたいに曲がったりします。また、心理的なものも大きいです。けんか結構ですが、家庭内に、30代ごろから、常に、真実が、語りあわれていることが肝心です。まあ、愛が蔓延しているのが理想ですが、愛がなくても真実があれば、まだいいということです。

 真実がまるで語りあわられていないのに、表面だけ幸せそうに、かつ上品にふるまっていると、最晩年が、とんでもないことになるという話です。同じ家に住みながら、全く別所帯で、交流がないと、悲惨なことになるのです。心理的に、特に不幸感が増します。それなら、未亡人になっても、男やもめになっても、一人暮らしを貫いたほうがいいのです。子供や孫と同居しないほうがいいのです。

 特に子供や孫が親のお金を求めて、「実家を売れ!」というときに、その言葉に従ってはだめです。でもね。どうしても子供に逆らえない事情が影に隠されていたりするのです。そこが心理的ミステリーだというわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、心理的なミステリーといえば、2025年4月4日の夜ほど、わたくしに対する、巧妙な罠が張られていた日はないでしょう。

 その罠の一つ、材木座お囃子連中の、長時間連続する演奏と、スーパー東急ビル東側、ケンタッキーフライドチキンとの間に、設定されていた屋台と、イーティングスペースほど、派手なものは、過去になかったでしょう。全員で300名~500名は、関係していた行事です。

 そして大人(特に屈強な青年四人)が太鼓を打つのですから、大音量でした。

 関係者に聞くと、これは、二回目だそうです。しかし、一回目には、わたくしは「気が付きませんでした。また、これがあることによって、周辺のお店は、お客が入らず、大減収だし、屋台もどこか、おかしいのです。何か強い違和感を持ちました。いや、鶴岡八幡宮のお正月に出る様な、古典的な屋台ではないモダンなものがあることは知っていますよ。

 日比谷公園で開かれる、何とか祭り(アジアンテースト祭り)などでは、テントが統一されていて、屋台がモダンだし、eating spaceも、テーブルやいすが、白いガーデンチェアなどが準備されていてきれいだと、知っています。

 しかし、それに比較しても何かが中途半端です。ただ、紙コップが20くらいの出店屋台で、統一されています。おでんを入れるのも、薄めたカルピスを提供するのも同じ紙コップです。それは、背が低くて、直径が大きいもので、普通のスーパーや100円ショップでは売っていないものです。それを見た途端に、・・・・これは、自然な発生のお祭りではなくて、いわゆるイヴェント会社が、引き受けた、・・・・予算次第のイベントですねと、納得をするのです。

 先頭の車両には、四人の、屈強な男性が乗っていて、ジャンジャカジャんじゃか音を出しているのですが、笛がないのね。そして、わたくしがその広場にいる間中、休まないのです。

 つまり、その人たちの出す音というのは、人間を脅かすための音です。

 その一時間の間に、どうしてだか、N響の切符が二枚盗まれたのです。二日目の、今は、それが、正しい事実で、自宅からチェーンを外して盗まれたのではなかったと仮定すると、あの喧騒に気を取られていたすきに盗まれたのです。

 これは、井上ひさしが、アイデアを出した可能性があります。松本清張の初期の短編小説の中に、お囃子の音で人がくるってしまって、何らかの事件を起こすというのがあるのです。それが、鎌倉駅頭で、応用をされました。で、例の安野夫妻、前田夫妻等を助けるためにまた、どこやらの公金が、300万円程度、消費されたのです。

 私はね。お囃子の周辺にいる人に、どこの神社で練習をしているのですか?と質問をしました。何度も、でも、ぜんぜん応えられないのです。ともかく、お囃子連中も屋台も、ほとんどが、材木座の連中ではないのでした。

 先頭の車の提灯にだけ材木座お囃子連中と、書いてあるのに、「どこの神社所属のお囃子グループですか?」と、質問をしても明快な、答えが得られないのです。

 帰宅して、ポストの中にある大量の郵便物を見て、その中に音楽会の、切符二枚を発見した時には、ああ、あのお囃子に、注意を引き付けておいて、この世は、明るいと、私のほうが、信じ込んだすきに、わたくしのショッピングカートから、巧妙にもN 響の、切符だけが、盗まれて、わたくしがその後お茶している30分間と、今、足が悪くて、帰途の徒歩に以前の二倍の時間がかかる間に、先回りして、雪ノ下の谷戸に帰り、わたくしの家の「ポストに入れ込んだのでした。おどかすために、です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、以上が、5日の深夜書いた初稿の間に、紫色のフォントで、説明を補足した部分の文章です。

私には、この事件の謀略行為の全貌がすでに分かっています。その目的もわかっています。ただ、まだ書けません。いろいろ差しさわりがあるからです。

 ただ、図書館が2016年のごたごたを繰り返してきました。それは、鎌倉駅改札口にある、図書返還ボックスに返した本が返っていないというたくらみです。前は主人の入院中に小田原図書館から回ってきた演劇界2006年11月号が返っていないという話です。今回は、日経のザイという雑誌だったか? 同じ様に返還ボックスに返したものが返っていないという電話がかかってきました。これが、録音されて、ご近所様や鎌倉市の商店で、わたくしがでいりしているところに聞かされれば、わたくしが非常にだらしがないということになります。

 非常に込み入った悪だくみですが、二度目なので、わたくしの対応が毅然としているので、・・・・・しかも、わたくしのほうは、その雑誌を探せませんというと、図書館から、似た様な資料を見つけられるかどうか、返事が来るはずですが、来ていません。Ms 島田という支所さんからの電話でした。問い合わせをしたいとも思いますが、彼らがあまりにもあくどいので、悪いほうに寝た子を起こすことになると思って放ってありますが、自己防衛のために、2016年の事件のほうがどれほどに、込み入っていて、複雑だったかは、再び書かないといけないなあと、考えている最中です。

 で、司書島田さんから、返事がないのは、事件そのものを蒸発させようとしているのでしょう。

 私が裏にある警察の犯罪(図書返還ボックスから、抜き取っている)に気が付いた限り、それをブログで書くから、警察は、それは、恐れているのです。だって、警察が泥棒をしていると、言うこの日本社会の現実を普通の人に知られたら大変だからです。

 だから、2016年のほうも今回のほうも書く準備は、しないといけませんが、この二週間、それには、触れていません。

 でもね。そういう泥棒は警察のある部分=特殊部隊のほうは、平気でするのですよ。だって、ご近所人間、安野忠彦・智紗夫妻と、大原光孝さんに、我が家に自由自在に入れる合いかぎを渡していますよ。その二軒は、安野忠彦家のほうは、4月4日までは、毎晩、園芸関係の、いじめ用いたずらを繰り返していましたし、大原さんのほうは、4月二日の午前中、我が家の中で、やりたい放題のことをやって帰りました。詳細は、書きません。SNSで、誹謗中傷をすると逮捕されるそうですから、どういうことが、なされたかは書きません。

 だが、わたくしにはすべてがわかっていて、ただ、ただ、我慢をしているだけだと、言わせてくださいませ。

 図書館の雑誌が盗まれた問題に戻ります。表向きは、図書館から返還をされていないと、言われているわけですが、株、または、証券会社関係の書類は、一応まとめてありますので、書物も雑誌も返還していないということはないのです。だけど、島田さんに、「六か月間の猶予をください。その間、古本を探します」と、言ってあります。島田さんから、「解決しました」という電話があるまで、常にブログ文を、準備をしておかないといけないということです。

 この異様な電話が最近の私をめぐる異様な罠の、前哨戦(というか、発端だったでしょう)でした。しかし、わたくしは、自分の文章の力で、突破できると思っていたので、気にもしませんでした。

 何回も繰り返しますが、これは、むろん、尾行者(=警察)が、鎌倉駅改札口そばの、図書返還箱から盗んだのです。そして、罪を私に擦り付けようとしました。しかし、これは、2016年の時から、井上ひさし(まだ、生きていますよ)と、伊藤玄二郎が考え付いて、郵便局や図書館を利用した悪のたくらみでした。それに、警察が協力したのです。

 何しろ、郵便物が夕刊より遅く配達されるなんて言うことはないのです。

 夜の8時10分ごろポストを開けたときに、大量の郵便物が来ていて、その下に 夕刊がありました。驚くべきことでした。夕刊が来るのが午後四時ごろ、しかし、N 響の切符と郵便物は、そのあとで、ポストにいれられたのでした。

 この切符を入れ込んだ人物が、安野家の夫婦だったかもしれないと、昼間っから思っていましたが、

夜の10時に確信に変わりました。頭がいいつもりになっているのでしょうが、常に、警察もしくは、CIA側の本当の事情を明らかにしてくれる、・・・・・ありがたい、ありがたい、パイロットランプです。(苦笑)

 

 なお、今日はここまでと、させてくださいませ。一杯、ほかに、やるべきことがあるので。

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村野藤吾===超・有名な建築家です。Is he an relative or father of my school mate? 既に敵方にばれちゃっているので全文をさらしましょう

2025-04-04 22:43:47 | 政治

 

副題1、『ビルの建築の様式、または、スタイルによって、入居する、企業が、衰退する…‥そういう噂が、1980年代にはあったのだ』

参ったなあ。3日にわたくしが開いたわけではないホーム頁が現れて、村野藤吾という人が紹介をされました。

私のお茶大付属高校時代の友人に村野さんという女性がいるのです。1942年生まれ。村野藤吾の子供だと仮定すると52歳の時の子供となります。もちろん、25歳程度のころに結婚をしているはずで、現在のお名前は、違います。58年ぐらい違う名前で、生きている人ですが、それが、ちょうどいいねという感じで、村野姓を使わせてもらいます。

歌舞伎界の若手実力派、鷹ノ資が、父、富十郎の、60過ぎの子供だから、お茶大時代の友達が、次子、または、第三番目の子供または、第四番目の子供とか、それ以降のお子様だったら、おかしくはないです。戦時中の子供です。わたくしの知人に、七人兄弟ですと、いう人が三人居ます。また、私の母方の祖父は、一度目の養子先を出てしまったのですが、すぐ次の家に望まれて、一番目のお嫁さん(私の母方の祖母)に二人、次のお嫁さんに七人の子供ができて、全部で、9人の子だからです。元柳井商業の校長ですが、7人の子供を大学に行かせるために、定年退職後生命保険会社に勤めたので、元生徒さんたちから、恨まれちゃったそうです。「断れないから困った」って。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

ともかく、2日に書いた文章をだめだ。それって、という風に、村野藤吾のホーム頁が浮かんだわけですから、私の同級生(?)村野さんが村野藤吾のお嬢さんだと思いますね。でないと、2日に原文を書いて3日に、村野藤吾の業績を知らせるホーム頁が私のパソコンに浮かぶなど、不思議なことですから。

 ところで、字だけでできているwikipedia よりも写真付きで、村野藤吾・建築をほめている方の、ホーム頁をご紹介したいです。

2016年の文章で、その方は村野建築をほめておられるのです。しかし、私が自分のブログにその名前を記載すると、そちらさまに迷惑をかける可能性があるので、こちらの文章を書いた人のお名前は、削除します。でも、村野藤吾で、グーグル検索をかけると、必ず出てくる文章でしょうから、ご興味のある方は、探してみてくださいませ。

その文章によると、丹下健三と村野藤吾は、二人並び称される建築家だったそうです。フジテレビの現在の社屋は、丹下健三の作品だそうです。丹下健三はお子様が建築家らしいので、批評をするのを避けたいのですが、

都庁は、なんとなく、ノートルダム大聖堂を思い出させるので、それだけは、私は、ダメなのです。

しかし、フジテレビは斬新で、ほかにはない建物です。しかし、あの地球儀みたいな球体が、落っこちそうですよね。でね。そのポイントで、丹下健三と村野藤吾が、合致してしまったのでした。

 これは、明文化されたものはわたくしはもっていないのですが、村野藤吾の、建築も二つだけ(もしくはそれ以上の数)は、そこに入った企業が、経営不振に陥ったと言われています。

 下に、&&&&&&罫線以下に、コピペさせていただいた、おほめようの文章に使われている写真の、二枚目の方が、私の意味する概念を、示している部分です。

 しかし、このみずほ銀行本店の前の、日本興業銀行、旧・旧本社ビルは、いかにも不安定な感じを与えました。写真がどこにも見つからないので、わたくしの記憶に基づいて、そのビルを描写すると、兜町か、日本橋にあったビルで、

 

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&

失われる名建築 村野藤吾 日本興業銀行本店

この文章の筆者名をわざと秘す。わたくしが、ことCIAを相手にすると大物すぎるからです。

またまた次世代に残すべき名建築が姿を消します。ぼくが思いますに、建築はその中で暮らし、仕事した人たちのいろいろな思いがつまっている宝石なんですよ。ただの物ではなく、魂というか想いが残っているわけ。激動の時代に多くのサラリーマンが汗して働いたこの日本興業ビルにもいい想い、悔しい想いも含めて詰まっています。仕事を離れ、しばらくぶりにこの建物の前を通るとき、記憶は過去に戻り、懐かしい思い出が浮かびます。音楽と同じだと思います。しかもこの建築は村野さんが熟練期の83歳の力作。年代も1974年の高度成長期。外壁のマホガニーレッド大理石の磨かれた石の彫刻のような形態。そしてこの重厚感。ガラス張りの新しい同じような建築がバラバラ立ち並ぶ丸の内の中にあって、こんな建物これからでてきません。若い建築家にとっても、勉強できる生きた教材でした。残したい建物でした。 
 
 
像の鼻のような独特の形態。そのコーナー部分の下にはかつて水をたたえた池があり、通りを歩く人の束の間の気分転換の場でもありました。 
 
 圧倒的存在感のある赤褐色のマホガニーレッドの大理石の壁。この開口部のない壁の後ろは機械室   以下、略
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題2、「Miss村野と私の関係。ここで、松本庸子さんが、出てくるのだ。』
 
 ここから先のミズ村野と、村野藤吾のかんけいについては、本日は書かないで、おきます。私の知っている村野さんは、年齢から考えると、村野藤吾の、メイぐらいかもしれない。で、間違った文章を書かせるために、昨日、3日の夜に村野藤吾の、ウィキペディアが私のパソコンに登場したのかもしれません。私の周辺は、本当に複雑です。
 本日、夜の八時ごろ帰宅したら、
 
 郵便受けに、サントリーホールの切符(12、000円)とNHKホールの切符(6,500円)が、はいっているのです。私は、午後3時に家を出たのです。ポストになんか、絶対に入れては外出していません。ポストは、その時、からでした。
 
 東急東横線、反町駅を、18時05分発の各駅停車に乗って、
 デリフランス鎌倉店で、席に荷物を置いて、注文をしていた際に盗まれて? ポストに入れられていた?
 または、自宅に置いて出たのに、二つ目の玄関のチェーンが外せる形式になっていて、一階から盗まれた?
 
 この複雑怪奇な、ポスト条項を、主人に手紙で説明をしていたのです。でね、3月31日に北隣の、石井秀樹邸から、町内会書類一式が入ったカンカンを、包んだ風呂敷ずつみが、来るはずなので、「それ、私の留守中に、もう、きていますか?」 という項目に、主人が、イエスと、丸を入れたので、「その風呂敷ずつみ、今、どこにあるのですか?」 と音声の言葉で、問うと、実際は来ていなかったのです。それで主人は、複雑なわたくしの手紙を理解していないことが分かったのね。あした土曜日に、とどくしても、すでに、4月5日ですから、普通は、こういう遅延をしない物なのです。
 立派な賞をもらっている夫婦なので、変ですね。バカにされているのかな? 例の録音を聞いていて、馬鹿に仕切っているのかな? 妹は他殺ですよ。
 この複雑さは、本当にひどいです。
 
 私も堅いボールペンで、白いコピー用紙に、10枚以上手紙を書いています。手書きですから、疲労困憊。で、私も怒って、「あなた、頭悪くなった」と言ったら、彼も怒って、「離婚する!」って、五回ぐらい叫んだのです。
 我が家は室内も盗聴されていますので、
 
 早速敵が利用をすると思う。やまゆり園事件とは、植松聖が、措置入院を経験しているという事で、措置入院という語彙を、日本の一般人の社会に広めることが狙いだったのですよ。だから、47人の死傷者などいないし、特に19人の死者はいないのです。でも、主人が離婚すると、叫んだら、それを早速盗聴で利用して、ご近所が私を精神病院へ入れてしまうかもしれませんよ。
 でね。わたくしは、このブログを、いつか間、手入れをしなかったら、死んでいると思ってくださいと、いつも言っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 昔、NHKの七時のニュースを担当していた陰山さんが「川崎さん、言霊というのがあるのですよ。だから、悪いことは書かな方がいいです」と忠告をしてくれたのです。だから、措置入院を利用されてしまう可能性があると、いうのは、もちろん書かない方がいいでしょう。
 
 だけど、今日の切符の盗難は、あまりにもえぐいというか、ポストに、絶対に置いて外出しないですよ。でね。どういう方法かわからない物の、自宅に置いて出かけた、あとで、侵入して盗まれて、そして、侵入したという事を明らかにして脅かすためにポストに入れ込んでいたと思います。
 
 でね。ほかにも盗まれているものがないかを探したら、スーパー東急で買った下着二枚が盗まれていました。しかも三日に買ったものです。それはね。クラフト紙の袋に入れてあって、表からは見えないのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題3、『えっ。鋏をもって侵入してくる泥棒が居るのですよ。信じられますか?』
 
 ここに証券会社が登場する。
 私はね。証券会社からもいじめられたので、複数社扱いをお願いしています。そこへもってきて、非常に優秀な新入社員が自宅にまで、勧誘に来たので、三つの会社に関係しています。でも、82歳になりました。いろいろな点で非常に衰えてきたと感じます。だから、証券会社も、三つを二つに絞ろうと、考えました。その株の将来性なんて、考えていられないですし。
 すると移管元の会社は、「売れば簡単ですよ」というのです。だけど2024年8月2日に全財産を盗まれていて、みずほ銀行なんて、再発行手続きのごたごたを機縁に、というか論理的に、みずほ銀行鎌倉支店側の落ち度をこちらが指摘したために、ミズ清水という女性スタッフが「こっちからあなたのIDをはく奪します」といったのです。彼女は私服を着ていたので、制服組より偉いのだと思いますけれど、‥…その時、五人目として現れた、女子行員、制服を着ていたので、待遇は派遣社員かもしれないが、「2万2千円払ってください」と言ったのです。鍵をなくされていますので。ともかくこの手の外での盗難は、警察が盗んだとおもいます。でも、そういうわけで、再発行手続きだけで、10万円以上かかっているのです。
 そのうえ、株を売ると売買手数料がかかります。もう、一年以上過ぎようとしているので、私もしっかり感が増してきていて、一万円だって、損をしたくないです。で、移転をしてくださいと、切実にお願いをすると、
 やってくださったのですが、なんと、こっちにも落ち度があったのです。2024年の8月2日の盗難で、登録印鑑が失われて、七つの杞憂期間、ほぼ、すべて、印鑑登録を変更していたのですが、この証券会社だけは、カードが、有効だったら、それで、いいでしょうと、思って、印鑑変更をしていなかったのです。
 
 平身低頭して、でも、自分が、決めたことは、実行しようと決意して、お願いし切りで、やってもらいました。すると手数料を、こういうところに払い込んでくださいと、いう書類も来て、その通りに実行をしました。
 これが、移管元です。で、移管先ですが、手数料の話は出ていなかったと思うのです。それから、MRFカード残高というのがあって、これが、15万円ぐらいあるので、お電話で、「そこから融通しますか?」という問い合わせが来ると思うのです。
 
 ところがない。ただ、ただ、素朴極まりない様式の郵便局の振り込み票が入っていて、1570円って、印字されているのです。上に日本興業銀行の株をもらったと言っていますね。それは、1986年か1987年の筈です。
 
これから先は、6日に書きます。お待ちくださいませ。 
ギャルリーユマニテとか、聖路加病院とか、非常に字数が多いことを書かないといけないので、本日は取り組みません。
 
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いやあ、参った。批判の対象は、お友達のお父さんでした。

2025-04-03 23:28:14 | 政治

 私はね。昨日から今日にかけて、一本ブログを書いていました。フジテレビ問題の本質です。ところが、二日目の3日の夜の11時に突然新しいことが分かったのです。

 それは、お友達のお父さんが設計したビルを、私が、批判していたという事です。つまり、上部が出っ張っている様な不安定なビルを設計して、そこに入居した会社には悪い将来が、待っているという話を書いていたのです。

 すると、参った。参った。という状況になりました。わたくしが、それを開いているわけではないのですが、あるホーム頁が、このパソコン内に浮かんだのです。

 それは、昨日の2日のうちに、伊藤玄二郎一派が、このパソコンに浮かぶ様に細工をしていたのでしょう。ある有名建築家の紹介頁でした。

 はっきり言ってしまうと、村野藤吾です。

で一応それを引っ込めます。親友というほどではない。でも、悪い人ではない。今まで、意地悪をされた覚えがない。だから、二日がかりで、書いた文章を引っ込めます。お友達の方が、自慢をする人ではないので、気が付かなったのです。

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大谷選手の両親は何らかの新興宗教を信じている筈+横浜高校祝勝会が出席者100人ですって。それはおかしい、陰の動きのせいでしょう△

2025-03-31 23:02:49 | 政治

 私はね。大勢の人が関心を持つことには触れない主義です。で、むろん、大谷選手には触れないつもりでした。ところが先般ドジャースとカブスが来日しましたね。

 その時ドジャース側のチームメートと、奥様などの関係者を、大谷、山本、佐々木の三人の日本人選手が、お食事会へ招待をしたそうです。大谷選手にとっては、100万円から300万円までの出費は、なんという事もないでしょうが、一応三人で、分担してご招待したと言う事になっているそうです。

 その時、マグロの解体ショーがあったそうです。それが、ネットでニュースとして多数、出回っているのに、NHKや、他の地上波テレビ局は動画で、放映をしませんでした。大谷投手たち側がメディアに「ご遠慮ください。プライベートなものなので」と、断ったのだと思います。その時、三人、特に大谷選手の胸中に何があったかを推し量っているのですが、

 カブスの方への取材行動が少ない事への勘案はあったと思います。申し訳ない。自分たちが勝ちすぎるの(=テレビの画面にドジャースが多く出て、カブスが出ないと言う事)は、絶対によくないのだ‥・・・と、言う思いがあったと思います。

 それから、これは、アメリカで発言をされた話だと、記憶していますが、ドジャースの監督が、「大谷には、驚く。彼ほど、十分な準備をする選手はいない」と、言ったこと。これも重要です。つまり、大谷選手には、どこか、自分を抑える・・・・・中庸を目指す精神とか、初心に帰るべきだと言う精神があって、・・・・・横着とか、傲慢という部分が少ないと言う事です。

 これは、稀有な事です。特にあの高額収入で、かつあの若さで、あのメディアへの露出度の多さで、その種の謙虚な生き方を守れると言う事は、本当に稀有な事です。それは、結局は両親が教え育てたものでしょう。その両親ですが、これまた静かですよね。マスメディアに出ないです。意図的にそうしていると思います。で、そういう姿勢の陰に何らかの宗教を信じていると感じています。ごく原始的な宗教です。新興宗教と言っても、【おおやまつみのみこと】とか、倫理教会という様な宗教です。原始的というのは、いい意味で使っています。

 鎌倉に、【おおやまつみのみこと】の一種の教祖様がいて、熱烈な信仰を集めていました。でも、もうなくなったと思います。だから、あえて言ってしまうのですが、美輪明宏さんも、その「女性(高齢でした。30年前に既に、だから、もうなくなっていると思います)に逢いに来た」と、鎌倉駅で、直接私におっしゃいました。そう、聞きました。もう一人、北久里浜時代の、幼稚園の先生と、鎌倉であったので、「今日は何の用事で、鎌倉へ」と、質問をすると(大山祇命)に逢いに来ましたと、おっしゃったのです。美輪さんと、同じ教祖様に逢いに来たのです。その教祖様をあるお店の主人が信奉していて、レジそばに、その方の写真のちいさな額を、これまた、小さな、しかし、上等な絹の座布団の上にのせて置いていたので、教祖様の顔を知っているのですが、ごく普通の日本のおばあちゃんでした。でも、その人は強い教唆力があります。

 原始的とは、いい意味で言っているのです。伊豆の天城高原を旅行した時に、富士山を仰ぐ、平原に、大神殿二つを見つけました。大神殿には、だれでも、自由に入れるのですが、ひとは全くいなくて、真光教団の二つの教派の、別々の神殿だとのことが説明してありました。私は、その大神殿の一つに入りながら、ここまで、集金力が大きくなると、もう、原始宗教の力は失っているのではないかと思いました。

 私が言う原始的宗教とは生きていたころのイエス・キリストと、12使徒と、一緒に歩いた母マリアとか、マグダラのマリアの集団をさします。目立たない集団です。自宅も持って居ない集団です。だから、汗臭かったかもしれない集団です。でも、トルコやギリシャに住む人々の悩みを解決しながら、次の街へと歩いていきました。

 ところで、私は信仰を持って居ますが、誰か教祖様を仰ぎ見ると言う事はありません。それから、自分の人格を立派なものにしようとして、教祖様とか、教義を信じているわけでもありません。毎日お祈りの言葉を唱えたりもしていません。ごく自然に自由自在に生きています。それでも、絶対に大いなる方が、天上にいらっしゃって、私は、その方に見守られていて、毎日生きているのだ。と、信じています。そういう信じ方の信仰です・・・だから、ひとに教えたり、ひとを救ったり、ひとを巻き込んだりは致しません。

 だけど、大谷選手の両親は、もう少し具体的な信仰生活を送っている様に感じます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、私の前報(後註1)は、横浜高校が準決勝を突破した時に書いて居るものです。でも、不思議と「決勝も勝つでしょう」と、思っていました。で、その予測通り、勝ったのにもかかわらず、メディア露出が少ないのです。

 特に祝勝会に出席したのがたった100人ですって。これは、おかしい。何らかの力がメディアに伝えられて、あまり、報道をしない様に、と、各メディアが、命令をされていると、感じています。横浜市関係者にも命令がいきわたっているでしょう。商工会議所とか市役所が、祝勝会に、たくさんの人を出さないのは、おかしい。うーん、私を弾圧するために、横浜高校へのお祝いがおさえられていると感じています。そうなると、むろん、いやですが、

 そんな、CIAエージェントの悪意があればこそ、天は横浜高校にさらなる、良い方向性をお与えになるでしょう。

2025-4-1~2へかけて、これを書く。   雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

 なお、誤変換直しが終わったので、総タイトル右横に△印をつけておきます。

後註1,

横浜高校の選手のお顔が、洗練されてきてね。     2025-03-29 22:30:22 | 政治

 

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横浜高校の選手のお顔が、洗練されてきてね。

2025-03-29 22:30:22 | 政治

 私は、現在82歳で、10歳の時から横浜です。でも、両親は、父は大卒後すぐ横浜勤務で、結婚後も横浜住まいで、一時期満鉄の中央試験所にいた時は、満州ですが(だから、私は大連病院生まれですが)、

 1932年から、横浜暮らしで、横浜好きな両親のもとで、1942年生まれですから、神奈川と東京のどこに住もうと、高校野球は神奈川県びいきです。最初は法政二校びいきでした。我が家から北へ10分も歩くと、丘の上から法政二校の校舎が見えたものです。

 まだ、多摩川で花火をやっていたころで、川崎市立井田病院のそばから丘の下を見ると、多摩川まで、平地で、ビルとしては、法政二校しかなかった時代です。柴田投手の時代です。【上を向いて歩こう=sukiyaki  】を歌った坂本九の時代です。武蔵小杉なんて、工場だけだった時代です。

 次の贔屓先は、Y校です。Y校って1950年代までは、高級な学校として、非常に有名だったのですよ。だが、時代の流れとして、大学へ進学する人が多くなると、Y校の教育だけで、社会へ送り出すY校の、人気が下がってきたのです。旧制商業中学ですから。だけど、三浦投手を擁して、甲子園に出たあたりまでは、戦前からの名門校の余波が残っており神奈川県代表となりました。

 当時は、Y校と、横浜高校がライバルとして、みなされていて、一般の神奈川県民は、どちらかというと、Y校を贔屓したものです。実は、横浜高校は学校の規模が小さくて、

 神奈川県代表となった慶応高校とか、東海大相模高校とか、桐蔭高校とかと、比較すると圧倒的に学校の体力がないのです。でも、松坂投手を擁して、春夏連覇をなしたときは彼も優れていたでしょうが、渡辺監督の、個人的な力量が高かったと、思います。横浜高校が野球が強くなったのは、ひとえに渡辺監督の個人的な熱量の高さです。

 でも、自分から、辞任なさったのよね。それは偉いと思う。老害をさらしていないです。

 ところで、現在の村田監督が、直に、二代目かと思ったのですが、念のために、wikipedia を引いてよかった。直接の後継者ではないのです。前任者が、パワハラで解任とあります。その人物の名前は、今は、公開されていませんが、もし、その人が二代目だったとしたら、渡辺監督の名声や、実績に負けたと、いう可能性もあります。渡辺時代と同じ成績を上げようとして、生徒を殴ったのかもしれません。その人もかわいそうだなあ。

 でも、現在の監督は、就任後、まだ、四年目なんですって。で、間に、そういう失敗者が入ったから、ずっと、気が楽ですよね。そのうえ、33歳のその就任時までに

、10年間県立高校勤務の体験があるそうです。日本体育大学出身。そして、高校時代は、捕手。日本体育大学は六大学ではない。野球で人気のある大学ではない。そうなると自分を地味な人だと、認識できますね。これは、素晴らしい事です。今は、38歳ですって。なんと、私の子供よりも若い。もしかすると孫世代です。そんな若い人が、地味という事を理解している・・・・・これは、素晴らしい事です。特に前任の県立高校が、野球に強いわけでもない。これもまた、村田監督の自分は、地味な人間であるという考察を、強めているでしょう。

 捕手ってだいたい指導者になるのです。野村監督もそうですし。で、村田監督は、監督を引き受ける際に悩んだそうです。そりゃあそうでしょう。神奈川県立高校の監督だと、将来は、校長にだってなれるかもしれないではないですか? ともかく、一生、くいっぱぐれはないです。

 それに比較すると、横浜高校って、組織がとても小さいのです。しかも人気がある。それって、芸能界に入る様なものです。水商売に入る様なものです。親は心配したでしょう。でも、彼は、決断をした。

 その結果、横浜高校の選手たちが、たいへん洗練をされてきたのです。お顔が上品になってきた。かつ、チーム全体に、信頼感を抱けるのです。良く、私立大学の学生が、大麻を吸ったとか、とばくをしたとか、女性にいやらしいことをしたとか言って、新聞だねになるではないですか? そういう感じがないのです。これは、久しぶりに、高校野球ファン気質を、燃え上がらせられました。

 神奈川県では、原一族が有名です。原貢(父)監督、原辰徳(巨人軍監督)の父子が、有名です。また、2024年度の夏の甲子園で、優勝した慶応高校の監督も有名です。でも、ああいう大組織を、卒業生でもない人間が、応援する必要はないです。

 今日、2025-3-29の朝日新聞夕刊第11面に読みでのある記事が載っています。感動的な記事なので、図書館などで、後日でも、ご覧下さいませ。横浜高校のコーチとして、そこに、この四月から、51歳で、就職した元神奈川県立高校の野球部監督【小山内氏】のお話です。

 中学で、野球部がなかったので、仕方がなくバレー部に入ったそうです。そのバレー部での、修連の結果を生かした投手育成法で、高い結果を出していたので、招へいされたそうですが、やはり転任を迷ったそうです。それほど、横浜高校とは組織が小さいのです。まあ、でも、野球部に二人の、元、県立高校野球部監督が入ったわけですから、これは、野球部選手が洗練されるのも当然です。本当に久しぶりに決勝戦を楽しみにしています。

 

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私はJR東日本本社ビル一階ロビーで、〇〇課長さんと、実際に私を、いじめたガードマンに謝罪をして貰った事がある

2025-03-27 23:25:46 | 政治

 この章は最初の総タイトルを、【えーっ、それも隈研吾だったの? 私は本日まで知りませんでした。高輪gatecityの事です】としておりました。しかし、また、また、そこまで到達できなかったので、総たいとるをかえます。

JR東日本って、今は、民間会社なのですよね。だから、会社のトップが、誰に設計を頼むかをきめていいわけです。

 どこの設計を頼むかということです。高輪ゲートウエー周辺の街全体の設計をです。

 今、JRの本社って、大きな・・こ線橋・・(幅が150mぐらいある)を挟んで、高島屋新宿店の真向かいにあります。

 この一階のロビーに大きな思い出があります。

 うーん。書きたい。それこそ、CIAエージェントに動かされているJR東日本が、私の「それは、絶対に、おかしいでしょう?」という質問に、課長さんが謝罪をしてくれたのですよ。

 そして、若いガードマン(JR東日本が雇っている青年)が、課長さんと私の目の前で、謝罪をしてくれたのです。非常に憮然たる顔をしていました。

 だって、彼は、誰かの命令で、私をいじめたのです。それは、今に続く話と全く同じで、私は誰にも、いじめられる筋合いはないのですよ。

 誰も、私をいじめたり、弾圧したりしてはいけないのです。しかし、ばれないだろうと、考えて、つぎから、次へと苛め策が、講じられるのです。が、たいていは、戦えません。黙って見過ごすだけで終わります。

 しかし、20年は前だった、この時は、場所がたまたまJR東日本本社、一階ロビーでした。

 その一階ロビーは、広いのですが、たまたま、誰もいませんでした。2006年か2007年の話です。

 私はそのころ、本を作っていました。これが自宅でやると、大変な妨害を受けて、うまく仕事が進行しません。で、外でやっていました。新宿というのは、利用できるネットカフェが、5軒はあります。それから、電源が使用できる喫茶店もあります。当時のパソコンはバッテリーが、二時間ぐらいしか持たない時代だったので、電源を利用するのは必要なことでした。ただ、二時間も同じところにいると、自宅と同じ種類の妨害が起きるので、河岸を変えざるを得ず、私の本づくりというのは、こういう部分に膨大なお金がかかっていて、結局のところ、一冊につき、五千円はかかっているのでした。

 ただし印刷会社とか製本会社に、400万円を支払っているわけではないのですよ。新宿まで行く交通費、ルノワールで、二時間仕事をするための飲食代、・・・・・それから、ホテルのバイキングで、二時間過ごす食事代。そうですね。あのころ、東京中のバイキングは試しました。

 それは、パソコンの仕事をする為だけではなくて、山口みつこさんを慰める為でもあったのです。山口みつ子さんという方は、京橋三丁目で画廊を開いていた方です。2010年の、1月31日に画廊を閉めることになっていました。しかし、毎日新聞(私は当時、日経か朝日かのどちらかをとっていて毎日はとっていなかった)に、自殺をしたと出たそうです。

 私は画廊を毎週熱心に見て回りますが、いわゆる銀座雀ではなくて、誰とも、お茶しないし、お酒も飲まないので、そんなことはツユとも知らなくて、初動捜査に、手を挙げなかったので、他殺だと、証明できなかったのです。

 山口みつ子さんは、いいところのお嬢様ですが、結婚をしないで、画廊を経営していたので、実家とも、縁が切れていたのでしょう。ご両親が健在だったとしても、社長職は、辞していて、高級な老人ホームに入るぐらいの年齢だろうし、兄弟は、もうからない仕事をしていて赤字にあえいでいるみつ子さんから無心をされることを恐れていて、縁を切っていたのだと、推察します。

 この黄色いサクランボは評価が高くて、出版後15年間は、一冊一万円以上で、流通していました。最初の10年間は、18000円だったのです。今は、売価とほぼおなじ値段で流通しているみたいですが、、部数あるのかなあ?

 

 今は、1476円ですって。16年後のお値段です。自分が買いたいぐらいです。もう全然残っていなくてね。

 今、忙しいというのは、次の本を準備しているところなのです。お金がないです。しかし、書き方が進歩しています。前から専門家には、「筆力が高い」と、言われています。それがさらに進歩したのですから、恐るべき深さと、面白さで、文章をまとめています。

 山口みつ子さんが殺されたのも、秋山祐徳太子が、大・代表として、武蔵野美術大学の後輩・・・・保坂涼子さん(今は、この件を読む人がいることを恐れて、改名している。航子と名乗って、主にギャルリーユマニテを舞台に、こてんをつづけている)を使って、ギャラリー山口内で、美術評論家としての、私の悪口を二人で言い合ったそうです。

 それをみつ子さんが、教えてくれたのです。特に保坂さんは、私をののしる36行のメールを110回も、繰り返して送ってきたので、「きちがいだわね」と言ってくれたり、秋山祐徳太子がね。保坂さんに、「雨宮舜(川崎千恵子が、美術評論を発表する際に使っていたペンネーム、今もこのブログの世界で、誤変換を直した後で、使っている)、なにするものぞ」と力んでいたわよ」と、教えてくれたことが、彼女が殺される直接の原因だったのです。秋山祐徳太子って、このご褒美で、晶文社から、【ぶりき男】という自伝を出版してもらっています。

 今、準備中のデータも、「お金がなくて、自分で、出版できない」となったら、『遺産として残しておいてもいいし』と思っています。50年後、100年後は、宮沢賢治になっていると信じています。文章のテーマとか、内容は、まったく、違いますけれどね。

 ああ、パリ滞在記もまとめたいし、ああ、あれも、これも、いっさつの本の形として仕上げておきたいと思うのです。一冊の本って、32の倍数で、頁数を仕上げると、印刷代とか、諸費用が安くなるのです。そのことは熟知しています。それから、新しい章が始まる頁は、かならず、奇数頁のことというのも知っています。で、それに合わせて、文章を削ったり増やしたりするのですよ。

 ここで、この話は、止めます。ここで、山口みつ子さんについて、もっと詳しい文章のリンク先を見つけるのも止めます。恐れ入りますが、先へ進ませてくださいませ。先に面白いことが待っているからです。

 今まで、書いたことは、なぜ新宿にいるかを説明する文章でした。私が本の・・・・・印刷機械にかける直前のデータ・・・・・を安全に作る場所としては、新宿が一番適切だったのです。6冊も、本を出したので、やがて、渋谷、池袋、新橋、秋葉原、錦糸町なども使っていくのですが、・・・・・・というわけで、やっと、JR東日本本社、一階ロビーでのエピソードへ入っていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『私は携帯を持っているが、普段携行をしない主義であった。で、それも、一般人は貧乏人と誤解する可能性はある。だが、JR東日本本社ロビーの公衆電話を使っているのに、もう、止めろと、ガードマンが言うのは、理不尽である』

 特に公衆電話というのは誰が使ってもいいものだ。そのうえ、場所が場所だ。JR東日本というのはサービスを主になす会社なのだ。二重、三重におかしい。ガードマンの後ろには、CIAエージェントがいる。JR東日本の、いわゆる本社勤務の人間(ガードマンより数段身分が高い)か、それとも、新宿の警察署の人間か? または、桜田門の人間かは知らないけれど、誰かが、そのガードマンに、「公衆電話を、彼女には使わせるな」と命令しているので、ガードマンは、使用を止めてきたのだった。

 私は、ものすごく怒った。ご近所人間なんか、私が、すべての罠とか謀略を、喧嘩をしないで、見過ごしているので、弱い人間だと、勘違いしている模様だが、まったく違う。私は弱くない。で、筋を通す形の一つとして、私は受付の女の子二人に「苦情処理係を呼んでください」といった。

 女の子二人はあからさまに軽蔑をした表情をした。携帯を契約して持っているのにもかかわらず、なぜ、私が使わないかというと「使用量が払えないからでしょう。あなたって貧乏人なのね」と、、考えるかららしい。

 彼女たちって、自分たちは、大・大企業中の大企業となった、JR東日本の・・・・・大タワービルを後ろに背負って立つ、エリート中のエリートです・・・・・と、言う自負があるらしい。

 だけど、論理上、私はすべて正しい。絶対にひかない。ところで、ぶっちゃけた話、あれが、20年前でよかった。今だったら足が悪くて途中で「パイプ椅子でもいいから、椅子を貸してください」などと言っただろう。もしそれを言ったら、それだけで負けで、上階からはいつまでたっても担当者は、降りてこなかっただろう。

 だけど、あの時の私は、15分以上、たって待っていることが出来た。待っていると、15分以上たってから、やっと眼鏡をかけた小柄な紳士とそのお付き添いみたいな男性が下りてきた。で、委細を説明すると、彼は、謝罪をしてくれた。だが、「もう少し待ってください。今、ガードマンを呼びますから」といった。

 私はその瞬間、いろいろなことを一瞬で考えた。『うーん。この人って、国鉄時代からの、エリートサラリーマンですね。多分東大卒ね。だけど、やはり、頭の良い人はずるいなあ。わたくしの方は、JR東日本という、全体からみて、理不尽でしょうと言っているのに、一ガードマンの個人的な責任に帰そうとしている。

 それは、違うでしょう』と思う。だけど、それを、今、ここで、口に出したら、すべては水泡に帰する。ここは、我慢、我慢、100%の正義は求めADOBE A・・と、臍下丹田に力を入れる。

 10分以上またされて、先程と同じガードマンがやってきた。しかし、まるっきり違っていた。顔も、姿勢も。先程は、全体の筋肉が緩んでいて、なよなよしていた。今は戦時中の初年兵か二等兵みたいに直立不動。で、背が10㎝は高くなった様に見えた。

 顔も全く違っていた。先程は肌が脂ぎっていた。しかし、今は、肌は真っ白で、つやがない。目が最も違う。先程は、狩猟者の目をしていた。ランランとまでは言わないものの、ぱっちりと開いていて、青年としては、美形の方だと思われる。ところが今では、その目は、私を見てはいるものの、なんかうつろな感じである。

 口も違っていた。先ほどまではニヤニヤして笑っていた。しかし、今は真一文字に横に結ばれて一言も発していない。彼の代わりに隣にいる課長さんがあれこれを喋って、「そうですね?」と彼に了承をせまると、彼は「そうです」と短く答えた。

 私はその状況を見ながら、・・・・・おー、何と言う激しい身分社会を見せつけられることであろか?・・・・・と思った。

 私自身は、それを経験している。」東大勤務していた頃は身分社会中の身分社会にいた。しかしその後、」50年近く専業主婦をしている。絵の世界に入って、そこでの階級があることには、気がついている。だけどそんな事はバカバカしいと思って、公募団体展を止めたから、すでに、自由になっている。

 そういう歳月を過ごしてきて、突然目の前に、本当は納得をしていない青年のぶ然とした顔を見て、いや見せ付けられて、『おー、おー、凄まじい身分社会を見たことよ』と感じた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私は、PDF化ソフトをインストールしようとしていたのだが、それは、本づくりに役立つ、ソフト(=アプリ)なので、妨害してやろうと、CIAエージェント、または、警察の人間が、考えたのだろう。

 今、マイクロソフト社は、ワードを直PDF化することが出来る。印刷という形に持っていき、プリンターとしてマイクロソフト社のものを選択すると、自動的に、PDF化できる。

 だけど、2000年代初頭は、まだ、そのシステムはなくて、ADOBE ACROBAT 6.0と言うのを買って持っていた。アドビ社のソフトは、PHOTOSHOP 5.5 ILLUSTRATER 8.0

CSインデザインIIと、ぜんぶもっていた。で、本づくりは万全なはずだった。しかし、わたくしは、パソコンが壊される人なのだ.68台壊されている。

本日、2025年3月28日も一台壊れた。NECの中古、5万円が、突然起動しなくなった。で、それは突然起きることだから、シリアルナンバーを紙に書いておくなどという防衛機序を、はたしていなかった。そういうわけで、せっかく買っておいたアドビ社のソフトが全部使えなくなっていた。

 Adobe社のソフトはみんな高いので、買い直すのは嫌だった。で、経験を積んでいるうちに日本製のソフトもあることがわかった。大体できるのだでそれを買おうとしたが全く使い方がめんどくさい。これはどこかでAdobe社の基本システムを使っているために、その大元の縛りがあるせいだと思うが、めちゃくちゃめんどくさい。でも最近の5年ぐらいは相当わかってきたが、20年前とか15年前は全くちんぷんかんぷんだった。シリアルナンバーアクティベーションコード、なんとかかんとかパソコンの画面が言っているのだけど、何を言っているのかわからなかった。

 現在82歳、15年前で67歳、20年前で62歳。私は美大を出ていない。で、パソコンについては英語が得意なので、ワードはすぐ使えた。だけど、図形処理ソフトとか本作りのためのPDF化ソフトなどは、20年前の私にとっては本当に難しかったのだ。

 Adobe社はそんなめんどくさいことを要求しない。だけど高い。

 だからどうしても日本製のソフトを使いたい。でもパソコンの画面を見ているだけでは理解できない。で、対面の電話サポートを受けたかった。新宿で本作りの作業をしながら、突然PDF化ソフト、とか、高度編集とか言うソフトを使いたくなったのだが、画面が言う、アク智ヴェーション・・ナントカ・・カントカ・・が正しく理解できない。で、正しく理解したくなった。

 でパソコンを持って(というか、開いては)いないのだが、ネットカフェとかルノアールでは、公衆電話がないので、JR東日本のロビーで公衆電話を使っていたのだ。

 だけど、アクティベーションコードがどういうものであるか等を教えてもらう・・・・その指導だから、わたくしの方に理解力がなかったので、非常に時間がかかった。

 特に私はそこでパソコンを開いていない。当時はスマホでインターネットができるなどと言う事は知らなかったし。ともかく、スマホは持ち歩かない人だから、JR東日本の1階のロビーでパソコンを開いたとしても、インターネットにはつながらないし。

 で、相手の会社の説明をパソコンを見ながら理解すると言うこともできず、ただ耳から教えてもらうだけだから、なかなかわからず、時間がとても長くかかった。そういうわけだ。

 だけど悪いことをしているわけじゃない。わからない事を100円硬貨をちゃりんちゃりんと入れながら、教えてもらっているわけだから、ソフトを買っている限り、電話サポートは受けていいはずだ。

 で、JR東日本のガードマンに「公衆電話を使うな」などと言われる事はひどい話で、徹底的に抵抗をしたい。特に本作りの邪魔をしてやろうと言う裏側が、私には見え見えだから抵抗するわけだけど、ガードマンは本作りなどしない人だから、

 私が言う「アクチヴェーションコードがなんだかわからないから、教えてもらってるんですよ」と言う話が何のことだか彼にはわからない。だから、やめろ、辞めろと、言う言葉に力がこもっている。

 で、実際に辞めさせられた。でも、どう考えても、公衆電話はお金を払う限り使えるはずだった。

 ガードマンの後にCIAエージェントもしくは警察がいて、ともかく私に才能を発揮させることをやめさせたいのだった。私が頭が良い人、または才能があると一般の人に知られては大変なのだ。それほど私が書いているものは、一般の人が知らない。真実だからだった。

 日本政治はそういうふうにして・・・・・女性である。私に対して敵としての女性を使って阻害をし、妨害し、能力を発揮させないようにして、私をつぶしていくのであった。それがわかっているから、抵抗をした。

 特にJR東日本のロビーになどと言うサービスを専門とする会社の、誰もが入って、いい場所の公衆電話だ。絶対に自由に使えるはずだ。だから私の言う事は全て通った。

 でもあの青年の憮然とした顔を見ていると、彼が1時間半前に命令されたことと、30分前に命令されたことが正反対であり、どう考えていいか分からなくなっていて、非常に嫌な思いをしていることもわかった。

 これが日本政治の真実なのだ。とても小さいことみたいだ。しかし、ことは、実際には、大きい。JR東日本本社のロビーと言う。しかも公衆電話と言う器具を使って日本政治の真実を語ることができた。はい、よかったね。雨宮舜(本名 川崎千恵子)よ・・・・・と、いってお香。そして、今日は、説明をできたことに満足して、これでおしまい。としておこう。神に感謝をささげる。いつも通り。

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猫が家の中の階段を自分で上がれなくなった時、一匹目1995年と二匹目2016年の違い・・・・そして其が死という物を私達家族に教えた

2025-03-26 12:14:56 | 政治

 すみません。今、あまりにも忙しいので、過去に書いたものを再び使います。いろいろ、ブラッシュアップをしながらですので、変更は、むろんあります。楽をするつもりでも、コピペアンド・ペーストだけでは済まなくて、書き添えたものを、紫色フォントで示します。

 しかも最後の方では、なんと、安野夫人が、自分宅の猫を連れて、合いかぎを開けて、この家に入り、我が家の猫を追いかけまわし、階段の一番下で、スプレー(おしっこをかけて、ここが自分の領地だと、証明する話)を、さんざんなされました。これは、我が家のに勉目の猫が死んでからも、行われた処遇です。

 そしてそのころの、安野家の猫ったら、道路も我が物顔ですし(それって、1984年から、始まっている、安野家の・・人間の方の、井戸端会議・・・・・それが原因で、私は数億に上る被害を受けているのだが、・・・・・・の猫による再現でした。ああ、それによって、我が家の東北崖は、無残にも無許可で、削り取られたわけですが、・・・・・雪ノ下黒物語に詳しい。ひどい、ひどい、被害を私達一家は、安野家から、受けているのです。詳細は、リンク先だけでも100本を上げないといけないだろうし内容を連続して、紙の本へ直すとすれば、優に五冊は越えるでしょう。

 ところで、猫は、利巧ですから、私の飼い主が、この山で、「一番のボスです」と、知ると、猫自身が、本当に図々しくなり、我が家の猫が死んでからも、この家に入って、玄関傍の、壁(階段の下部)にスプレー行為を続けたのでした。ただ、監視カメラなど、買いませんでしたよ。ただ、ただ、文章を書くだけです。するとね。サイキでは、やっと、猫を出さない様になったみたいです。出していいんですよ。ただし、非常にねめつける様な目で、私を見るものですから、いつかは写真を撮って、この猫に、我が家内で、どれだけおしっこをされたかと、語るつもりは、あります。

それを書いていこう、銀座のギャラリーK がトイレに鍵をかける様になりましたか? ギャルリーユマニテの金成さんも同じですか? 何とも言いようのないすごい世界です。この雪オンした二丁目3番地から、4番地にかけての一帯です。

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 主人が心筋梗塞で、入院した後に、回復が、思いがけず、良好で、それで、私にも心理的な余裕ができているのですが、

 そこへ、代わりに、するりと入って来たのが、猫の老化現象です。それがただならないスピードなのです。一回目の猫の死(1996年ごろ)は、まるで違う。

 瓜南直子さんの最後のツィッター(文章)を、グーグル検索で、見ることができた時に、『億劫で、たまらない』と書いてありました。 

 今、猫が、階段を上るのを、おっくうがるので、心配しています。人間たちは、普段、ほとんどの時間を二階で過ごしています。この猫は人間が大好きで、つい、一週間前まで、ゲームの様に、私に椅子を取るのを、楽しみにしておりました。パソコンを打つための椅子をとられるので、それと並んで、別の椅子を、遠くから持ってくると、今度は、ひょいと、そっちへ、移動をするのです。私が、ちょっと、麦茶でも、呑みたいなあと、たった隙に、すぐさま、の前の椅子=私専門のパソコンを打つために椅子に乗り移ってってしまうという程、茶目っ気の或る猫だったのに、まるで、静かに、一階だけで、寝ているのです。

 おかしいなあ』と、思っています。で、しょっちゅう、一階へ降りて、彼女の、様子を見に行っています。一階の、16畳の洋間は、今のところ、猫の入院病棟だと、考えております。

 それもあって、また、外出もしたので、本日は、ブログを更新できず、恐れ入りますが、このお断りだけで、お許しくださいませ。

 歌舞伎俳優などの、舞台俳優は、「親の死に目に会えなくても、舞台には、穴はあけない」と、言いますね。私も、このブログの世界には、責任を感じております。

 ただ、私の場合、文章は、ほとんど、天から降りてくるものなのですが、本日は、降りてきていないので、、

 静かに、気分の流れるままに、今夜は、過ごさせてくださいませ。無論の事、猫は、明日には、まだ、急変は無いでしょう。それは、大丈夫でしょう。だって、オシモの方は、自分で、庭へ行ってやってくれていますから。

 ただ、大の方を、土の中に、埋め無い様になったのですね。それも、億劫さの表れなのだと、思います。園芸の仕事をしているときには、私は、南側から、北側へと、家の周辺を、行ったり来たりするので、何度も同じところを繰り返して通る、私の動線が50mぐらいあるのですが、さっきは無かった、つやつやした、猫の、大便が、道の真ん中に転がっていると、『この便なら、彼女は、病気ではないなあ』と、一方で、思いながら、『でも、老化は、激しいなあ。猫なのに、こんなにぽろんと、転がしたまま、室内に、帰ったなんて』と思うのでした。どういうことかと言うと、猫って、非常にきれい好きだし、誇り高いし、『人間に笑われるのなど、まっぴらごめんよ』と、普段なら思う筈だからです。そして、見えない様に、また、におわない様に、大小便は、きちんと、埋めるものだからです。

 

 上の3枚の、写真は、5年前のものです。今は、体は、ずっと痩せてきています。

 目も、上の写真ほどには、今は、張らないで、半眼風です。だから余計、『衰えて来たなあ』と、思うのです。

 楽をするためにこの章を選んでいるわけですが、ここで、また、異常な形で、安野家が登場します。昼間6,7時間以上主人が入院している湘南鎌倉総合病院へ出かけています。そのすきに安野家の猫が、我が家にな庫出入り土から入ってきて、我が家の猫を家じゅう追い回していたのです。。。。。。。。

 そのストレスで猫は、主人が退院後2か月以内に死ぬのです。その詳細は明日書きます。

ただ、私が現在は、浄妙寺に住んでいるこれ以上はないほどの麗婦人と話し合って、彼女と、死を占いで、招く話を、ころころ笑いあいながら、「それは、良い、それは、上等です」と、話し合ったのは、私が家庭を持ってから、48年間に、飼った、たった二匹の猫との交流で、悟らされ、見せられた死の真相を知ったからです。それもあとで書きます。

 ただ、この2016年の猫の死は、私達夫婦が、家にいない安野家の猫が、勝手に入ってきて、我が家の中で、我が家の猫を追い回したからだと、わかっています。

 だって、夜、病院から帰宅して、静かにブログを売っていると、私の左肩3mのところに置いた、ワインがはいっていた木箱を、銀座から買ってきて、べこべっどにしていた中で、転寝をしている我が家の猫が、びくっとして、

 

    2016-6-27  雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

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すみません。インデント異常が起きて末尾が読めません

2025-03-26 00:45:40 | 政治

全く乱暴な攻撃を受けています。明日、下のブログ、

「占いが今年はよいので、今年死ねるとよい」とおっしゃる87歳の麗夫人の話、

の読めなかった部分を補足します。

その人は芸大の教授の奥様で国画会・工芸部門・準会員の方のです。

文章の末尾で、読めない部分だけ、こちらに移動をさせます。

しかしそうはいったものの、また、いじめられてうまくできないので、

明日トライし直しします。

ただ、その人の話で、特にユニークだったのは、死の直前、入院して寝たっきりになって、

 排尿は排便の始末を他人に頼むのは、いやなことで、それを避けられる死が、訪れてくるのを、だれもが願うのですが、

そういう死を幸運の一つとしてとらえ、占いが今年は、良いから、

今年死ねるとよいと、いう……その観点と、その思想が、ユニークなのです。

真に勇敢な人は優雅な外見の、女性の中にも、居るという話です。「

 大変姿勢もよくて、健康そのものの方なのですよ。

24日午前二時には、寝ます。さっきから、インデント異常でいじめられて、疲れたので、

いったん寝ます。お許しくださいませ。

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