ブラタモリが、評判がよいようです。銀座を紹介する回を見たときは、『これなら、タモリに頼むことは無い。内容は、ごめんなさいで切り捨てる』でした。内心で『こちとらは、こどものときから銀座を歩いているわよ。特に丸の内線が開通して、高校がそれを利用する場所にあったとき以来、途中下車して、ブラウスとかは、高校時代から銀座で買ったしね。銀座は、そのときからでも、50年を超える歳月で回っていますから』という感じで。
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だから、秋葉原の回には事前には一切期待をしていなかったのです。ところが、実際には番組は充実していて、「さすがNHKですね。よく調べてあります。そんなことは知りませんでした」という部分がいっぱいありました。
まず、一段低くなっている公園が、昔の運河の引込み線であり、そこに船だまりがあって、東北からの荷物を運び入れていた・・・・→とは、まったく知りませんでした。
それから、秋葉原の始まりは須田町にあった、露天〔店?)商、特に米軍からの電気部品を払い下げてもらって、そこから、さまざまな部品を取り出し、部品ごとに売るが、発展して秋葉原になったという歴史開示には驚きました。
そのころ、私は既に生まれていましたが、父がラジオを作ることなどには、興味が無かったので、まったく、その露天〔店?)商のことは知りませんでした。その露店は非常に面白い形で構成されていて、まず、最初に必要なもの、
(現在でしたら、パソコンの基盤でしょうか? それとも、カバー?。ともかく、私はラジオ少年ではないので、昔の部品名を知りませんが)
を置いているお店があって、次にトランスならトランスだけを置いているお店があって、次に抵抗だけを置くお店があって、次にスィッチを置くお店、真空管を置くお店と、並んでいて、
最後にコードを売っているお店があって、全部回ると・・・・・必要なものがすべてそろう・・・・・のだそうです。だから、今のようにインターネットが無い時代でも、大評判になったそうです。その並び方には、日本人の勤勉さとか、効率を求める姿勢が既に現れていますね。
それらのお店の影響は、現在でも駅すぐそばの路地型マーケット〔間口が一間ぐらいの部品マーケット)に残っていて、昔、・・・・・自分も鉱石(?)ラジオから始まって、無線の送受信機まで、作ったというタモリの・・・・・博識と、子供時代に帰った喜びが炸裂して、見ていても楽しかったです。
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そして、最大の利点は、交通博物館、の、もと館長がいらしていて、往年の万世橋駅を、紹介してくださったこと、それが、また、コンピューターグラフィックスを用いて、相当丁寧に再現をしてくださったので、驚きました。
また、そのころの万世橋・駅舎は、東京駅と同じ建築家による設計で、赤いレンガ製の外壁のある美しいものだったそうですが、その後改築されて一時期、交通博物館となっていたのです。その裏手に、旧プラットホームが、草ぼうぼうで、残されているのです。
その旧駅舎跡をビルから見下ろした時のタモリの発言が秀逸でした。いままで、あまり好きではなかったタモリが、相当に、いい人だと思った瞬間ですが「いっそ、殺してくれよだな」という言葉。プラットホームの両側の線路は現在でも中央線が使っているそうです。ですから、線路はぴかぴかです。
しかし、ホームは荒廃のきわみ・・・・・タモリが言いたかったことは、このホームを撤去するか、または、丁寧に草をとって、記念碑でも建てたらどうお?・・・・・ということだったでしょう。それをこういう風に短い言葉で、ピッと表現する。
周りの人(スタッフさんやら他)が、理解できているか不安だと感じたタモリはちゃんとフォローをしていました。が、最初に私はわかって、・・・・・素敵な表現だなあ。線路を愛するとか、電車が好きだという少年時代のタモリ・・・・・もしかしたら、今でも、電車好き少年である・・・・・が、いい人なんだなあ・・・・・と感じました。
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もうひとつ、立派な発言がありました。ただ、こちらの方は、瞬間的に出たものではなく、裏方〔制作側)との合意の上でのことば、むしろ、調査の上でのキーワードとも思われるので、感動は少ないのですが、
『秋葉原は、後ろを振り返らない街だ』というのです。
それですが、街の形態としての発展はそうですね。だって、青物市場があり、東北からの物資の集散地であリ、薪炭問屋が戦前までそこに並んでいたと言う町は、今では、世界中で他に類を見ない、一分野だけの商品の集積地になっているのですから。
主にパソコンですが、チップという小さな、部品を使う白物〔冷蔵庫)など、すべての電化製品も扱っていますね。だけど、こういう白物は、どこの町でも買えるようになっていますので、それを秋葉原で買う人はいないでしょう。が、自作パソコンをはじめ、新しい形の電気を使ったものを、素人が作りたいなら、ここで、すべてが買える街であることは、今も変わらないでしょう。
なお、これは、昨日の14時からほぼ、10時間ほど、誤変換が多数残ったままにしておりました。ごめんなさいね。
では、2009年11月20日雨宮 舜(川崎 千恵子)
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だから、秋葉原の回には事前には一切期待をしていなかったのです。ところが、実際には番組は充実していて、「さすがNHKですね。よく調べてあります。そんなことは知りませんでした」という部分がいっぱいありました。
まず、一段低くなっている公園が、昔の運河の引込み線であり、そこに船だまりがあって、東北からの荷物を運び入れていた・・・・→とは、まったく知りませんでした。
それから、秋葉原の始まりは須田町にあった、露天〔店?)商、特に米軍からの電気部品を払い下げてもらって、そこから、さまざまな部品を取り出し、部品ごとに売るが、発展して秋葉原になったという歴史開示には驚きました。
そのころ、私は既に生まれていましたが、父がラジオを作ることなどには、興味が無かったので、まったく、その露天〔店?)商のことは知りませんでした。その露店は非常に面白い形で構成されていて、まず、最初に必要なもの、
(現在でしたら、パソコンの基盤でしょうか? それとも、カバー?。ともかく、私はラジオ少年ではないので、昔の部品名を知りませんが)
を置いているお店があって、次にトランスならトランスだけを置いているお店があって、次に抵抗だけを置くお店があって、次にスィッチを置くお店、真空管を置くお店と、並んでいて、
最後にコードを売っているお店があって、全部回ると・・・・・必要なものがすべてそろう・・・・・のだそうです。だから、今のようにインターネットが無い時代でも、大評判になったそうです。その並び方には、日本人の勤勉さとか、効率を求める姿勢が既に現れていますね。
それらのお店の影響は、現在でも駅すぐそばの路地型マーケット〔間口が一間ぐらいの部品マーケット)に残っていて、昔、・・・・・自分も鉱石(?)ラジオから始まって、無線の送受信機まで、作ったというタモリの・・・・・博識と、子供時代に帰った喜びが炸裂して、見ていても楽しかったです。
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そして、最大の利点は、交通博物館、の、もと館長がいらしていて、往年の万世橋駅を、紹介してくださったこと、それが、また、コンピューターグラフィックスを用いて、相当丁寧に再現をしてくださったので、驚きました。
また、そのころの万世橋・駅舎は、東京駅と同じ建築家による設計で、赤いレンガ製の外壁のある美しいものだったそうですが、その後改築されて一時期、交通博物館となっていたのです。その裏手に、旧プラットホームが、草ぼうぼうで、残されているのです。
その旧駅舎跡をビルから見下ろした時のタモリの発言が秀逸でした。いままで、あまり好きではなかったタモリが、相当に、いい人だと思った瞬間ですが「いっそ、殺してくれよだな」という言葉。プラットホームの両側の線路は現在でも中央線が使っているそうです。ですから、線路はぴかぴかです。
しかし、ホームは荒廃のきわみ・・・・・タモリが言いたかったことは、このホームを撤去するか、または、丁寧に草をとって、記念碑でも建てたらどうお?・・・・・ということだったでしょう。それをこういう風に短い言葉で、ピッと表現する。
周りの人(スタッフさんやら他)が、理解できているか不安だと感じたタモリはちゃんとフォローをしていました。が、最初に私はわかって、・・・・・素敵な表現だなあ。線路を愛するとか、電車が好きだという少年時代のタモリ・・・・・もしかしたら、今でも、電車好き少年である・・・・・が、いい人なんだなあ・・・・・と感じました。
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もうひとつ、立派な発言がありました。ただ、こちらの方は、瞬間的に出たものではなく、裏方〔制作側)との合意の上でのことば、むしろ、調査の上でのキーワードとも思われるので、感動は少ないのですが、
『秋葉原は、後ろを振り返らない街だ』というのです。
それですが、街の形態としての発展はそうですね。だって、青物市場があり、東北からの物資の集散地であリ、薪炭問屋が戦前までそこに並んでいたと言う町は、今では、世界中で他に類を見ない、一分野だけの商品の集積地になっているのですから。
主にパソコンですが、チップという小さな、部品を使う白物〔冷蔵庫)など、すべての電化製品も扱っていますね。だけど、こういう白物は、どこの町でも買えるようになっていますので、それを秋葉原で買う人はいないでしょう。が、自作パソコンをはじめ、新しい形の電気を使ったものを、素人が作りたいなら、ここで、すべてが買える街であることは、今も変わらないでしょう。
なお、これは、昨日の14時からほぼ、10時間ほど、誤変換が多数残ったままにしておりました。ごめんなさいね。
では、2009年11月20日雨宮 舜(川崎 千恵子)
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