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伊文神社

2011-07-07 | 都市計画・まちづくり

神社そのものの成り立ちは別にして、入口には天王門があり、境内には義倉蔵があり、岩崎弥助が寄進した燈竜があります。さらには東側の林で、城下町の土塁の「小段」(写真)がみられます。

「義倉は幕末の安政元年(1854)、凶作による生活困窮者を救済する『義倉』(ぎそう)と呼ばれる組織が、西尾の商人(鳥山、吉見)らによって創設された。」(「西尾城下町ガイドブック)とあります。

燈竜の説明板では岩崎がなぜ岩瀬文庫を寄付したか理由が書いてあります。それによれば、「之を身にも人にも施し、且つ之を不朽に伝えんと欲す」とあり、資料を一般公開し保存する意図がうかがえます。「歴史と文化を生かしたまちづくり」を、私財で郷土のために進めるという、現在とは違った富裕商人の意思を感じます。
 この後、久しぶりに「かねぶん」で、うなぎを食べました。以前はなまずのかば焼きもありましたが。子どもの頃は北浜悪水で、最高9匹釣ったことがありました。
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2 コメント

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優しい商人も (ノブ)
2011-07-08 11:58:01
 昔は優しい商人もいたんだね。時代劇だとあくどい商人ばかり出ているから。
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地元の豪商 (amenity)
2011-07-11 10:22:58
昔の地元の商人は財をなして、隠居した後など地域のために貢献しようと考えたのではなかろうか。今の大企業、チェーン店は地元資本が少なく、儲けたお金は中央に集中し、さらに海外を始め儲かる別の場所へ投資してしまうから、地域は元気になれないのではないでしょうか。
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