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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

畑の衣替え

2024-10-31 10:32:49 | 福島
 夕方の散歩に出ると、大きな虹が出ていた。



 朝からの雨も止み、この調子だと明日は天気がいいだろう。





 風もなく、爽やかな秋の日暮れをのんびり歩く。大きな虹が僕たちの前になり後ろになりついてくる。



 一夜明け、予想通り今日は朝から秋晴れとなった。そよそよと清々しい風が吹き、空はどこまでも高い。延期していた畑の整理に出かけることにする。

 初夏から収穫できていたナスも、いよいよ小さく固くなったので、今日は全部引っこ抜く。ついでにピーマンと万願寺とうがらしも引っこ抜くことにする。こちらはまだ食べられそうな実がなっているが、ひと夏食べ続けたので、最近はピーマンと万願寺とうがらしの顔を見るだけで食傷気味になっていたのである。

 唐辛子が赤い実をつけているので、ハサミでチョキチョキと実だけを収穫していく。まだ緑色の唐辛子は赤くなってからの収穫だ。ジャガイモ、里芋、サツマイモと収穫してきた我が家の畑で最後になったのが、近所の人に苗をもらったトロロ芋だ。苗は四つもらったが、ひとつは成長過程でなくなってしまった。ヒョロヒョロ伸びた芋の蔓を見る限り、とても食べられそうなのができていそうな気がしない。ただ、山の中にできる自然薯の蔓も、テレビで見る限りは結構しょぼい。

 期待しないまでも、周囲から掘っていくと、蔓の根元の部分にトロロ芋ができていた。苗は3本だけだったが、「これだけできたらすごくない?」と思わぬ収穫にホクホクである。なんたって苗はタダでもらったのだから。

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前例の踏襲

2024-10-30 12:16:29 | 日記
 今日は畑に行ってナスやピーマン、万願寺とうがらしを引っこ抜き、次の野菜のために耕してくるつもりでいた。が、朝起きてみると、ザーザーと強い雨が降っている。天気予報では午後からは晴れるとあるが、午前中に畑仕事をするのは難しくなった。

 仕方がないので予定を変更して、朝食後は真面目に習字に励む。曲がりなりにもサボらずに毎日書き続けてもうすぐ3年になる。最初は新年の書き初めから1年続けばいいかなと思っていたが、やっているうちに段々と興が乗り、今に至っている。なんにせよ、続けていれば少しはモノになるということを、この歳になって実感している。

 最近電子ピアノをもらったので、来年は習字に加えピアノの練習もやろうと思っている。今のところ4、5曲ほど弾いてみたい候補があるので、その辺から始めてみよう。僕が子供の頃はピアノを始めるといえば「バイエル」からと相場は決まっていたが、今は弾きたいものを弾くというのがモチベーションを高く持つということでは大事になっている。

 そもそも、なぜ「バイエル」と相場が決まっていたのかと言うと、明治政府が西洋音楽の先生を日本に招いた時、練習に「バイエル」から始めたというに過ぎない。ところが、日本人の性質でもあるのだが、それがまるで聖典のように受け取られ、それ以外のやり方は邪道となっていたのである。

 とにかく前例を踏襲するという日本人の性質は、今でもいろんな弊害を生んでいる。明治時代、日本を先進国にするために、外国から多くの先生を招いた。その時、美術はフランス、音楽はイタリア、医学はドイツ、政治はイギリスみたいに、その分野の進んだ国から先生を呼んだために、医療の言葉はドイツ語、音楽の用語はイタリア語、美術はフランス語みたいなことが続いている。

 病院に行くとお医者さんは「カルテ」を書くが、「カルテ」とはドイツ語で、英語なら「カード」、ポルトガル語では「カルタ」ですべて同じ意味である。それなのになぜか「カルテ」と言う時だけ日本では特別な意味になる。こんな例は、いたるところに転がっているが、専門用語と言われているものの多くは、前例踏襲という性質から来ていることが多いことは忘れているのである。
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見たいのは山々だけど

2024-10-29 11:53:49 | 福島
 日曜日に、選挙の立会人として一日中椅子に座りっぱなしで、昨日は朝から雨模様だったので、今日はできれば走ってきたい。幸い朝から青空が広がっている。



 6時、テオを連れて散歩に出る。途中で我が家の畑に立ち寄り、春菊、レタス、ネギ、そして最後のナスを収穫する。夏の間収穫できたナス、ピーマン、万願寺とうがらしも終わりなので、明日には引き抜く予定である。



 なかなか大きくならなかった大根、白菜も、ここに来て急に大きくなってきた。白菜はちゃんと結球してくれるかどうかが心配だ。大きくなっても葉っぱが開いたままだと、おいしくならないのだ。大根は試しに1本引き抜いてみたが、まだ少し小さい。



 朝食を済ますと、ランニングの準備をする。今日は大谷くんの試合が9時から始まる。一昨日の試合で肩を痛めたので活躍できるかどうか気になるところだ。が、大谷くんが頑張っている姿を、ゴロゴロ何もしないで見ているというのも、なんだかなあという気になるので、とにかく走ってくることにする。野球の試合は長いので、ランニングから帰ってもまだ試合は続いているだろう。

 「大谷くんに元気をもらった」と言う人は多い。僕もそのひとりでもあると思っているが、だからこそそのもらった元気で、自分のことをしっかりやらなければならないのである。
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何もしないが一番疲れる

2024-10-28 05:24:56 | 日記
 衆議院総選挙の投票所の立会人をやることになった。立ち会うと言っても、ただその場にいるだけのことで、特別なことをするわけではない。タミちゃんは一度経験しているが、「もう頼まれても二度とやらない」と断言する。何にもする必要がないのだけれど、何にもしないで一日座っているだけというのが、結局一番疲れるということなのだろう。そのため、引き受け手がいない。ついにお鉢が回って来たので、一度くらいはやらないわけにはいかないだろうと、引き受けることにした。

 投票が始まる15分前に、地区の投票所に出かける。身分証が必要かなと考えていたら、「そこに座ってください」と席を案内され座る。すでに同じ地区に住む人が二人座っている。今回は四人が地区から選ばれた立会人だ。

 やることと言えば、開場後すぐに投票にやって来た人と一緒に、投票箱が空かどうかを確認し、その後蓋に鍵がかけられる。そのあとは再びパイプ椅子に座り、ただ投票所にやってくる人に挨拶するだけだ。投票用紙をもらってマゴマゴする人には、お役所から7名ほどが来ているので、説明してくれる。つまりこちらは何もすることがないのである。お役所の人が、「時々ストレッチして、エコノミー症候群にならないようにしてください」と言ってくれる。朝7時から夜6時までの11時間、トイレに行く以外ただひたすら座りっぱなしなのである。

 お昼は近所の食堂から出前してもらったカツ丼を、集会所の狭い縁側で食べる。休憩時間30分とあったが、あまりの狭さにパイプ椅子の方が自由にできると、みんな食べ終わると椅子に戻ってくる。午後になると「あと半分」「もう半分」と言いながら、みんなで時間の経つことばかり願っている。

 その頃、三春町各投票所の投票率の経過報告が上がってくる。僕のいる地区は40%を超えているものの、三春町全体では最下位である。地区の投票できる人は700人ほど。そのうち期日前投票を済ませている人が130人ほどいるという。合算しての投票率なので、当日午前中の投票者数は150人ほどである。

 午後、眠気と戦いながら時々時計に目をやるということを続ける。午後3時を過ぎると、選挙管理委員会の人たちがゾロゾロとやって来た。お互い挨拶を済ますとともに、今回の立会人の報酬やら集会所の借り上げ料やらを支払って行く。選挙に金がかかるというが、立会人に払うお金だけでも食事代も含めバカにならない。やはり衆議院は4年の任期をちゃんと果たしてほしい。ニュースでは衆議院議員の平均任期は2.2年ほどだと言っていたが、その度に多額の費用が使われていることに、総理大臣はもっと配慮して、簡単に議会を解散してはいけないのである。

 いよいよ終了時間まで1時間を切ると、投票率が54%ほどになっていた。外は真っ暗。あまり投票に来る人に期待できないが、ここまで来たら55%まで到達してほしい。700人の1%だから、あと7人くれば達成なのだ。が、その後はますます投票者はいなくなり、終了まであと5分になったところでお役所の人から「あとひとりで55%です」と告げられる。

 「じゃあ、最後の55%達成の人には支給されたお弁当でも渡すか」なんて冗談を言っていたら、あと3分というところでひとりの投票者がやって来た。会場で小さな歓声が上がる。そんなことで盛り上がれるほど、退屈な仕事だったわけである。

 投票後はお役所の人の車に同乗し、投票箱を運ぶことになる。体育館の中央に集められた開票の台まで投票箱を持って行ったところで、1日の仕事は終了。そこからはお役所が手配したタクシーでの帰還となった。実にいろんなところで、お金が使われているのである、と実感した1日でもあった。
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環境について

2024-10-26 09:00:17 | 日記
 「環境を変えたい」と言い、仕事を変えたり、引っ越ししたり、あるいは新しい趣味の世界に入る人もいる。そういうことを言う人に会うたび、思い出すことがある。



 若い頃、契約社員として働いている時に、同じように契約社員として働いていた大学院生がいた。行動心理学を専攻し、環境が人間の行動をどう支配しているかということをテーマに論文を執筆していた。彼によると、心理学というと目に見えない心理を扱っているように思われているが、行動心理学とは目に見えない部分を問題にせず、行動からその人となりを知ろうとするというようなことを言っていた。



「環境が人間の行動を支配しているのだよ。と言っても、環境というのが誰もが思っているような環境というものではないけどね。行動心理学では自分の体だって、その人にとっては環境と考えている」
「わかりますよ。自分というものをどう考えるかということですからね」と答えておいたが、本当はもっと突っ込んだ質問もしてみたかった。



 その時に感じた違和感みたいなものは、今となってはよくわかる。自分を取り巻くものを環境と呼ぶなら、自分の肉体だって心理だって、自分の行動に影響を与えているということでは「環境」だろう。ただそうなると、そもそも「自分」って何?となる。肉体や心理や意識まで環境となれば、自分とは無意識な存在ということになるのだろうか。それとも、そもそも「自分」なんてものを仮定するからおかしなことになる、ということなのか。



 それを言うなら、逆を考えたほうが僕にはしっくり来る。「自分」とは当然肉体や意識も含めての「自分」である。もっと言えば、周りの環境も含めての「自分」である。今ここに住んでいること、自分に選択肢はない父母から生まれたこと、日本人であること、21世紀という時代に生きていること、そういうことを抜きにして「自分」というものはない。となれば、「自分」という存在なんて言う必要もなく、「自分」も含めたこの世界が、自分と等価で同質なものであると言えるのである。



 そう思えば、草むらでチロチロなく虫も、空を飛ぶ野鳥も、雲も空も、僕との間の境目はなくなって、世界の中へ溶け込んで行く気がしてくるのだ。
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白鳥はまだ来ず

2024-10-25 08:17:12 | ランニング
 ちょっと前のニュースで、新潟県に白鳥が飛来したというニュースが流れていた。この辺はまだなので、白鳥はきっとシベリアあたりから日本海側を南下してくるのだろう。そうこうしていたら、二、三日前のニュースで、福島県の猪苗代湖に「今年も白鳥がやって来ました」とやっていた。だんだんとこちらに近づいてくるのだ。

 日本海側の新潟県から福島県の太平洋側まで、本州を横断するラインを引くと、会津あたりが中央になる。猪苗代湖はそれよりも太平洋側になる。猪苗代湖から福島県太平洋沿岸の真ん中辺りが僕が住んでいる三春町だ。となると、新潟の海から猪苗代湖まで約1週間かかって白鳥が飛んで来たとなると、そこから四、五日くらいでこの辺までやって来ているのではないか。と、適当に距離からだけ計算してみる。

 このところ天気が悪かったり用事があったりで、なかなかランニングに出ることができなかったので、1週間ぶりにランニングに出る。もしかしたら阿武隈川に最初の白鳥が飛来しているかもしれないと期待する。



 出発前、風が強く吹いているのでウインドブレーカーを用意する。天気予報でも日中は風速5メートルと出ている。晴れてはいるが、体感は寒く感じる。が、外に出てみると日差しがあり、これだったらすぐに汗びっしょりになるだろうとウインドブレーカーは脱いで行くことにした。



 桜の葉っぱは紅葉が進むが、まだ紅葉の時期には少し早いようだ。それでもまばらに赤や黄色の葉っぱが混じっているので、秋の気分は高まる。





 阿武隈川の土手を走ると、風が冷たく気分は爽快だ。セイタカアワダチソウが群れて黄色い花を咲かせている。ススキの穂がお日様を浴びて銀色になびいている。体も気分も軽いでの、いつもなら30分走ったところで水分補給をするところを、1時間休まずに走った。水分補給を兼ねて、阿武隈川に白鳥が来ていないか歩きながら探してみる。白鳥の餌付けをしている場所があるのだが、そこにもまだ1羽も姿はなかった。まだちょっと早かったか。

 白鳥は諦め、再びランニングに精を出す。気持ちのいい汗をかき、2時間走ったところで帰宅する。次のランニングは1週間ほど先になるが、果たしてその頃には白鳥はやって来ているだろうか。
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で、でかい

2024-10-24 08:10:14 | 福島
 朝から青空が広がっている。風は強いが、気温は20度を超える予報なので、サツマイモを干すには最適な日なのだ。

 収穫したサツマイモは米袋に入れて持って帰っていたので、まだ泥がついたままだ。このままでは腐ってしまうので、一度干して土を落としてから熟成させなければならない。以前、採り立てのサツマイモを喜んで食べたら、全然サツマイモの味らしくなくてガッカリしたことがある。サツマイモらしい甘味は、少し置いて熟成させなければならないということに初めて思い至ったのだ。肉だってワインだって熟成期間があってこそ、うまさが増すのだから。

 今日は雨の心配がないので、朝食後はテラスに新聞紙を広げてサツマイモをぶちまける。サツマイモの苗は4、5本植えただけだったが、思ったより収穫できたのだ。



 それにしても育て方が悪いのか、畑の土壌そのものが良くないのか、サツマイモの大きさが粒揃いというわけにいかず、やたらデカイのと小さいのとで、スーパーで売っているようなちょうどいいようなサイズがない。これでは焼き芋ができないではないか。

 散歩の時、ケンくんちに寄って収穫したサツマイモを見せてもらったら、我が家のサツマイモ以上にデカイのばかりで驚いた。やはりスーパーのサツマイモみたいにサイズを揃えるのは難しいに違いない。「芋けんぴにでもするべ」とケンくんちのオヤジさんが言っていたので、我が家ももう少しして甘くなってきたら、芋けんぴでも作ってみよう。「あとは大量に干し芋にする」とも言っていたので、我が家でも真似をしてみよう。

「干し芋はどうやって作るんですか」
「一度茹でてから、スライスしたやつを天日干しにするだけだ」

 というので、難しいことはないだろう。買うと結構高いけどな。
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雨が降る前に

2024-10-23 12:22:12 | 福島
 朝一番に、地区の文化祭にカカシを持って行くことになっていた。カカシ制作は恒例になっているというが、ほぼ強制で作らなければならない。が、自主的に作ろうと申し出る人はいないので、結局世話役がやらなくてはならないみたいなことになっている。

 が、誰もが渋々なので積極的にやろうとしない。さすがにこれではちっとも進まないので、履けなくなった長靴やら軍手やら、米袋やらカカシの顔にする布切れなどを見繕って集会所に参加した。案の定、揃ったメンバーで材料を持って来たのは僕だけ。で、できそうなカカシとして農作業姿のカカシを作ることになった。アイデアだけは「大谷くん」なんて意見もでるが、じゃあ、誰がそれを作るんだっつうの。

 で、完成したカカシを文化祭会場に運ぼうとしていたら、今日は午後から雨になるから明日以降の搬入にしましょうと言ってきた。予定がなくなったので、午前中は畑でさつまいも掘りをすることにした。雨が降って畑がぐちゃぐちゃになる前に、全部掘ってしまいたいからだ。

 サツマイモの苗は五つほど植えたのだが、ツルが蔓延り、どこから掘り始めたらいいかわからないほどだ。そこで鎌でツルを全部切ってしまい、その後をスコップで掘って行く。ずいぶん周囲から攻めているつもりが、時々ザクッとサツマイモを切ってしまう。ああ、もったいない。

 それにしてもどれもこれも小さかったり、細かったりで、やはりうまく行かないなあと思っていたが、苗の中心部に近づくに従って、巨人の足みたいなデカイのが顔を出してくる。小さいかデカすぎるかだ。ちょうどいいのにしてくれ。

 土地が粘土質で、テレビで見るようなツルを引っ張ったらズルズルとサツマイモが出てくる、みたいなことにはならない。土が硬いから、ひとつの実に栄養が集まりでかくなりすぎるのだろうか。砂地だったら均等で適当な大きさのサツマイモができたのだろうか。それでも、去年に比べると、比較にならないほどたくさんサツマイモができたので、文句を言う筋合いはない。そうこうしていたら、予報通り雨が降る始めた。慌てて片付けると、家に引き返す。掘ったサツマイモを少し天日干しにしたかったが、これは雨があがる明日に以降に回すことにした。写真を撮るのは、それからかな。
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弱者は強気

2024-10-22 12:12:36 | 日記
 Yahoo!ニュースの記事の中で、読解力を調査するため、こんな問題が取り上げられていた。その問題とは次のようなもので、難しく考える必要もないし、ひっかけ問題でもない。

「次の文を読みなさい。
 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
 この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

 Alexandra の愛称は( )である。
 (1)Alex (2)Alexander (3)男性 (4)女性」

 素直に考えるなら、「(1)Alex」と答えられるだろう。(この問題は、新井紀子『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)からの抜粋である)

 で、これのどこにおかしなところがあるのかというと、「なんと高校生の3分の1が間違えたのである。しかもそれは進学校の生徒たちだ」と記事にはあった。どう間違えたのかは書いていないが、どこに間違う要素があるのかとそちらの方に興味が湧く。

 記事ではこう続く。「笑い事ではない。この調子だと日本ではまともな議論が成立しなくなる」。こんな簡単な問題に答えられない高校生が3分の1いるということは、文章は読めるが文章の意味がわからない高校生が3分の1いるということを意味しているのだから、確かに笑い事ではない。

 文章が読めるが、真意をつかめないということは、誤解しやすいし騙されやすい。文意の裏を読むことができず、表面的に刺激的な言葉ばかりに反応する。勝手な解釈が社会に拡がって行き、誤解がさらに誤解を拡大させていく。これでは日本中がパニックに陥っているようなものである。

 情報が溢れる世の中で、正確に意味をつかみかねているというのは、ある意味情報については弱者であると言える。最近は「社会的弱者」ということが社会的に認識されているが、情報弱者についてはIT機器に疎い年配者のような弱者と、溢れる情報を収集しながら意味をつかみかねている弱者とふた通りがあるようだ。が、後者については文章が読めるだけに、自分が弱者だとは考えようとはしない。情報の貧困さには気づかず、ますます強気になるばかりである。
 
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電子ピアノがやって来る

2024-10-21 10:45:12 | 福島
 朝、テオの散歩をしていたら、ケンくんちの前で飼い主さんと立ち話になった。この前まで近所の家を安く購入し、毎日のようにリフォームしていると思っていたら、今は自宅のリフォームまで始めたという。畳を剥がし、押し入れは作り付けのクローゼットへと変身させている。と、いきなり「電子ピアノをもらってくれないか」という話になった。「娘が若い頃に使っていた電子ピアノがあるんだけど、誰か欲しい人はいないかな」というのだ。

 電子ピアノと聞いて、キーボードだけのやつかと思ったら、だいぶ古い電子ピアノで、アップライトピアノを小振にしたくらいの大きさだ。う〜ん、いらないなら欲しいけど、我が家に置く場所があるかな。即答できないので、改めて返事をすることにして、家に帰ると模様替えをしてみた。結果、電子ピアノが置けそうなスペースは確保できそうなので、夕方の散歩の時に譲り受けたい旨の話をした。

 翌日の午後、改めてケンくんちに伺うと、軽トラに積み込む。電子ピアノだから簡単に運べるかと思ったら、想像以上の重さでゼエゼエ言いながらの移動だ。ゆうに100キロは超えているだろう。

 なんとか軽トラに積み込んだので、我が家の軽自動車とケンくんちの軽トラック2台に、それぞれ奥さんも乗り込み、総勢4名で我が家までやって来る。狭い我が家に搬入するのに、またひと苦労したが、汗びっしょりになった甲斐があってなんとか無事設置することができた。





 さて、やって来たのはいいが、練習するにはまずピアノの譜面が必要だ。どうしたものかな。外に音を出さずに練習するには、ヘッドホンが必要になるが、ジャックの穴の大きさが合わないので、スマホなどのイヤホンは使えない。とりあえず小さな音でネコ踏んじゃったを弾いてみるのが関の山なのだ。

 この歳でピアノを始めるのは大変だが、習字同様、毎日少しずつやれば、いずれはちょっとは弾けるようになるだろう。楽器ばかりが増えて行くが、なかなかプロフェッショナルになれないアベさんなのである。それにしても、電子ピアノの横の年代物のステレオもタダで持ってきて貰ったものだし、わらしべ長者みたいになっているなあと呆れているこの頃である。
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