おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

1000年前の日本

2024-08-31 11:36:59 | 日記
 あまり台風の影響がないので、午前中はランニングに出ようと考えていたが、天気予報では9時からどっと降るとあった。少しくらいの雨ならどうせ汗びっしょりになるから気にしないが、さすがに土砂降りでは走りにくい。仕方がないので、先日買った本を読んで過ごすことにする。

 「平安時代の絵事典」は、イラストたっぷりで平安時代の世の中と人物を紹介してくれているので、同じような名前の人物ばかり登場する平安時代の説明としてはわかりやすい。なんたって登場する人物の名字のほとんどが「藤原」だから、訳が分からなくなるのだ。

 今、NHKの大河「光る君へ」で平安の世を扱っているが、この本は放映前のものである。それでも読み進めていくと、ドラマがほとんど史実に忠実であることに驚く。脚本家が実にうまい具合にドラマ化しているのである。僕なんか、込み入った人間関係に最初から匙を投げだしてしまいそうにややこしい。権力争いといっても、ほとんど肉親や親戚の中で行われるのだから、誰が誰やら迷宮状態である。

 ドラマでは権力者藤原道長と紫式部は恋人同士だったとあるが、これは昔からそういう噂があり、それを踏まえてのことのようだ。ドラマの始まりでショッキングだった紫式部の母親が、道長の兄に切り殺されるのは、事典の中にはどこにも出てこない。これは脚本家のオリジナルなのだろうか。

 ドラマを見ているせいで、当時の貴族の暮らし方にも興味がわくが、食事についてはほとんど味付けせずに、別皿に塩や醤(ひしお)などの調味料を添えていたそうで、おかずは刺身や野菜や鳥、魚介類の鍋、大根のみそ漬けやナスの塩漬けなど、今に通じるものが多い。白飯は高々と大量に盛って出していたが、これは食べ残したものは部下の者が分けていたという。

 中国からせっせと文化を輸入していた日本であったが、すでに国風文化という今の日本を形作る日本人の形質が生まれていたのである。
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徒然草に挑戦

2024-08-30 11:12:52 | 日記
 ずっとお手本にして書いていた「奥の細道を書く」を、最後まで書いた。というか、3回繰り返し書いた。さすがにこれだけ書けば、次のお手本に挑戦してみたくなる。というわけで、次は同じシリーズの「徒然草を書く」をネットで購入したので、今日から早速始めることにした。目指すは平安貴族の書いたようなサラサラ文字を書いて読めるようになることである。

 次の挑戦を「徒然草」にしたのは、何度か読んだことがある「徒然草」も、きちんと読んだかと言われればかなり怪しいからである。もう少し腰を据えて、じっくり読むには、習字のお手本として繰り返し目を通すのが手っ取り早い。

 書き出しの「つれづれなるままに日くらし、硯にむかひて」という言葉は多くの人が口にすることができるだろう。が、じっくり読んで行くと、なかなか奥が深い。現代語訳では「一日なんにもすることがなく、ノートでも広げて頭に浮かぶことをあれこれ書いていると、なんだか胸騒ぎがしてくるのである」という書き出しである。

 普通の人間なら、一日なんにもすることなく手持ち無沙汰で過ごすというのは、何かと良からぬことを考えたり行動に起こしがちだから、良くないことだと考えがちだが、吉田兼好さんは逆のことを言う。なぜなら、別のところで「つれづれ悪ぶる人はいかなる心ならん。紛るるかたなくただひとりあることこそ良けれ」と書いているからだ。これだけ読んでも、「徒然草」がなかなか奥が深いことがわかる。

 お手本は書き出しに続いて、一段目では、「人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ」とある。これも現代語訳するなら「人間というのは、姿、形が良いのが理想だろう」となる。今ならすぐに「ルッキズムだ」とお叱りを受けるだろう。人は見た目ではない、というのが一般的な意見としてあるからだ。が、もう少し先を読むとこうある。「めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、口をしかるべけれ」(立派だと思っていた人に、幻滅する本性が見えたときなんかは、まったくがっかりさせられる)

 人間、外見より中身だなんてことを言うのは、一見素晴らしいことを言っているように思えるが、他人の外見を通り越して中身を見ることなんて、本来無理な話だ。内面が立派だということは、それが外見に現れて初めてわかることである。一度も優しいところを見せたことがない人間のことを、「実は内面は優しいんです」と言っても意味のないことなのである。

 こうしてみると、吉田兼好さんという人が、口先ばかりの夢想家ではなく、徹底したリアリストだったことがわかる。

 今読んでいる本居宣長さんの言葉にも、こういうのがある。「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」。宣長さんが言うのはつまり、「君たちは、外見は似せやすいけれども中身は似せにくい、と思っているかもしれないが、実際は似せたと思っている外見はちっとも似ていないのが普通だ。似ても似つかないくせに、気分だけは似ている気がしているというのが本当のところだろう」
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犬はやっぱり可愛い

2024-08-29 11:26:25 | 日記
 昨日の夜、地区の区長さんから電話があり、「黒い犬が離れている」と言い「おたくの犬ではないですか」と聞いてきた。「うちのは今ここにいますよ」と応えると、「ああそうですか」ということで、用件はそれだけだった。「黒いというのは、黒と白が混じっているような柴犬ですか」と改めて聞いてみたが、区長はどんな犬なのかよくわからないようだった。

 おそらく区長が実際に黒犬を保護したのではなく、区の誰かが「うろうろしている黒っぽい犬がいるから何とかしろ」と区長のところに電話をしたに違いない。世話役になって驚いたのは、とにかく何でもかんでも自分で解決せずに世話役に言ってくることだ。道路に草が伸びてはみ出しているだの、植木の木を切ってほしいだの、犬が離れているだの、その時に自分で対処すればいいだけの話である。

 数年前の雪の降る寒い早朝、側溝に落ちて動けなくなっている老犬を見つけた。発見した場所は郡山市だったが、管轄の郡山の保健所に連絡すると、数キロ先の保健所に連れていかれる。その辺で飼われている犬に違いないのだからと、すぐ近くの三春町の愛護センターに車に乗せて連れて行った。すると、すぐに町のラインで保護犬の情報を写真付きで流してくれ、二日を待たずに飼い主が見つかった。これが発見した場所の郡山市に連絡すると、数キロ離れた郡山市の保健所の管轄になり、そっちまで連れて行かなければならない。ラインで情報を流すようなこともやっていないに違いない。

 最近は生き物が嫌いという人が増え、犬だろうが猫だろうが離れてウロウロしているとすぐに通報する。可愛いからではない。身近に生き物がいることが嫌なのだ。そういう人は犬や猫だけでなく、虫も嫌いだし子供だって苦手だ。日本人は自分以外の生き物に接するのが苦手な国民になりつつある。

 そんなことを思っていたら、ドジャースの始球式にデコピンが登場し、キャッチャーの大谷くんめがけてボールを咥えて走ったというニュースが流れた。久々の微笑ましいニュースに、やっぱり犬は可愛いなあと思ってしまうのである。それにしてもなぜデコピンが始球式に出たのかと思ったら、今日が大谷くんのボブルヘッドデーで、家族が始球式に登場することになっているという。そこでデコピンが登場したというわけである。

 デコピンの登場でテンションが上がったのか、大谷くんは最初の打席でホームランを打った。大谷くんもデコピンの前では活躍しないわけにはいかないのである。
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やまと魂、やまと心

2024-08-28 11:43:58 | 日記
 毎日少しずつ小林秀雄の「本居宣長」を読んでいる。NHKの大河ドラマで紫式部を主人公にしてやっているので、難しいながらなんとか読んでしまおうと奮闘している。というのも、本居宣長という人は、源氏物語を徹底的に読み、「もののあはれ」が日本人にとって最も大切なものであることを唱えていたからである。

 で、今朝読んだところでは、こういう文章に出くわした。

 「やまと魂」は、「源氏」に出て来るのが初見、「やまと心」は、赤染衛門の歌(後拾遺和歌集)にあるのが初見といふ事になっていて、当時の日常語だったと見ていいのだが、王朝文学の崩壊とともに、文学史から姿を消す。

 「源氏」とは紫式部が執筆した「源氏物語」のことだし、赤染衛門も大河ドラマの中で重要な役柄として登場している女流歌人である。

 「やまと魂」「やまと心」という言葉が日本人の中から消えてしまったというのは、不思議な気がする。というのも、江戸時代から昭和にかけて、猛々しく勇猛果敢な男らしさに「やまと魂」という言葉が突如使われるようになるからである。どうやらこれは「武士道」と結びついた誤用だったようで、新渡戸稲造などが国策として戦意を高揚させるために言い始めたんじゃないかと思う。

 では、そもそも紫式部や赤染衛門はどういう意味合いで使っていたかというと、「源氏物語」の中ではこういうふうに使われている。「なお、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強うは侍らめ(学問という土台があってこそ、大和魂を強く働かすこともできる)」と言い、学んで得た知識を、どう働かすかという知恵のことを指しているのである。

 また赤染衛門の場合は、当時の偉い学者が乳母を雇うことになった時に、「知識もないのに博士の家の乳母をやるとは」と乳母になる女性を馬鹿にしたところ、赤染衛門は「知識がなくても大和心さえあれば一向に差し支えないではないか」と反論するのである。

 当時の日本で先進国というのは中国であった。インテリは皆中国語を身につけ、漢文や漢詩を勉強した。それが出世への道だったが、これは明治以降欧米の文化やイデオロギーを輸入するために日本のインテリが英語やドイツ語、フランス語を身につけていたのと似ている。理想も真似すべき文化も欧米にあり、とにかく追いつけ追い越せと頑張った。平安時代にも同じことが起こっていて、中国をそのまま日本に持ち込むのに学者や政治家は奮闘していたのである。

 それを横目に見て、大事なのはどうすればうまく生きることができるかという知恵であると、女性たちは考えた。それが平安時代の女流文学の流行へと繋がっていくのである。ただただ中国の思想を追いかけていた男たちは、「源氏物語」という世界最初の小説を書くような能力を欠いていた。現代でも、カタカナ語を多用し、何を言っているのかちっともわからないインテリが存在するが、平安時代にも同じようにいたのであった。
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眠いよ、アン

2024-08-27 13:14:52 | 福島
 アンのご飯はカリカリだけだ。時々テオにオヤツとしてあげる小魚に興味を示すが、匂いを嗅ぐだけで食べることはしない。コマーシャルでやっているチュールも最初は喜んで食べたが、最近は見向きもしなくなった。カリカリ以外で食べるのは、カツオブシくらいで、それもペラペラなやつを1枚2枚食べたらおしまいである。

 が、色が細いのかというとそうでもなく、子猫の時にはいくらでも食べてお腹がぷよぷよになった。これじゃあいかんということで、カリカリの袋には1日53グラムとあるのを、少なめの45グラムと決め、毎日計量してきっちりあげている。それも一度にごそっとやるのではなく、何度にも分けてあげる。面倒だからと多めにあげると、吐いてしまうことが多いのだ。

 そういうわけで、アンがご飯を要求してミャアミャア鳴き始めて初めて容器に少しだけ入れてやっている。おかげで体型はすっきりし、今まで病気もなければ食欲不振になることもなく、毎日元気に暮らしている。

 最近は猛暑で日中はほとんど動かず寝てばかりいる。が、涼しくなった夜中になると俄然元気になり、食欲も出てくるようで、夜が明けるまでほぼ1時間に一度ご飯を要求する。昨夜は午前0時半、3時、4時、5時にご飯を催促してきた。その際、必ず僕の顔の横にやってきて、耳元でミャアと小く鳴く。何度か鳴いても僕が起きない場合は、前足で僕の顔をトントンと叩く。それでも僕が起きようとしないと、最後は僕の額を甘噛みしてくるのである。

 さすがにここまでされると僕も起きざるを得ず、アンの容器に一回分のカリカリを入れる。ここで面倒だからと多めに入れると、ゲーッと吐いてしまって仕事が増えてしまうのである。

 こんな毎日が続くので、僕はすっかり寝不足になっている。猛暑で体に疲れが溜まって来ているのに、寝不足まで追加して、夏バテ一歩手前なアベさんなのである。せめて涼しい間は寝てもらって、夜が明けてから食事をしてくれれば助かるんだけどなあ。眠いよ、アン。

 その間、タミちゃんはどうしているかというと高いびきである。アンがタミちゃんを起こさず僕ばかりに来るのは、少々のことではタミちゃんが起きないのをわかっているからである。
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台風前夜

2024-08-26 11:58:14 | ランニング
 台風が来るというので、昨日のうちにせっせと畑を整理した。天気予報では今日は一日雨だったからだ。ところが、台風は予定の進路を変更し、より西日本周りのコースを取っている。そのため台風がやって来るのが後ろにズレ、今日は1日不安定ながら雨の予報では無くなった。

 午前中は雲が多く気温も上がらない。午後には晴れ間が広がり30度を超えるという。朝の散歩に出ると、確かに涼しくすっかり秋めいている。セミの声はなく、虫の音が草むらから聞こえてくる。こんなに涼しいなら、今日の午前中はランニングをして来ることにする。台風がやって来たら二、三日は走れなくなるだろうから。

 昨日の夕方の散歩では、途中でゲリラ豪雨に遭い、走って帰ったにもかかわらず僕もタミちゃんもテオも、頭からバケツで水をかぶったみたいになった。家まであと5分という距離だったにもかかわらず、我が家のお風呂のシャワーより勢い良く水を浴びたのだった。

 今日もそんな天気になりそうだが、ランニングの途中でそんな目に遭ったらあったで仕方ない。でも、雨が降らなければ、こんなに涼しのに走らなかったというのは、絶対に後悔しそうなのである。



 というわけで、朝食後すぐに着替えて出発した。時間が早いので、通勤のための車が多く、阿武隈川の土手に出るまで走りにくい。



 風が強くて苦労するが、その分汗がすぐに乾き、スピードは出ないが体は軽い。河川敷に広がる田んぼの稲はすっかり頭を垂れ、近いうちに稲刈りが始まりそうだ。台風の影響を受けなければいいが。

 空に広がる分厚い雲の下を、渡鳥が編隊を組んで飛んでいく。足元の草むらからキジが出てきて、僕にびっくりしてバタバタと飛んでいく。田んぼの畔ではあちこちで草刈りをしている人たちがいる。走るのはキツイが、それでも汗だくになって走っていると、体の中のストレスがすべて出ていくような気がする。
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キュウリ、トマト終了

2024-08-25 10:04:19 | 福島
 台風が近づいているらしい。まだ影響はないが、早朝の散歩では空はすっかり秋の空だ。



 テオを連れて歩いていると、すれ違う人が涼しくなりましたねと挨拶する。子供たちの夏休みもいよいよおしまい。これで今週台風がやって来たら、東北は一気に秋に突入するんじゃないかと思う。



 朝食後、畑に行く。キュウリがここに来て、一気に枯れてしまった。これ以上は採れそうにないので、全部引っこ抜くことにする。ついでにまだ少し実がついているトマトも引っこ抜くことにする。もったいないからといつまでもそのままにしておくと、これからの野菜、白菜や大根を作るのが遅れてしまうのである。

 苗を支えていた棒にくくりつけていた紐を全部外し、それから棒を引き抜く。その後でキュウリとトマトを全部引き抜いたが、それだけで1時間かかった。途中、茶色い塊が地面を走って行ったと思ったら、野ネズミだった。畑を荒らすのはハクビシンやタヌキだと思っていたが、野ネズミもやって来ていたようだ。慌ててタミちゃんに、「ネズミ、ネズミ」と知らせる。チョロチョロ走って行く姿が、なんともユーモラスで可愛いのだ。

 すべて引っこ抜いた後は、地面を覆っていたビニールのマルチを剥がし、ゴミ袋に詰める。その間、タミちゃんは秋ナスに肥料をやったり、赤紫蘇の葉っぱを収穫している。今年の夏は赤紫蘇がたくさん採れたので、それで紫蘇ジュースを作ったところ、意外と美味しかったのでせっせと作っているのである。

 汗だくになり1時間半働いたところで、目標としていたところまで作業が終わったので、今日のところは終了とする。明後日あたり台風が接近する予報が出ているので、とにかくそれまでに片付けておきたかったのだ。

 台風が通り過ぎた後は、次は畑を耕し、白菜や大根の畝を作らなければならない。いよいよ夏も終わりだ。
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平安な時代

2024-08-24 12:57:41 | 日記
 外出したついでに、久しぶりに本屋さんに寄ってみた。ネットで源氏物語の解説本を頼んだものの、到着まではもう少しかかりそうなので、他に参考になりそうな本を探してこようと思ったのだ。

 本屋さんに行くと、案の定NHK大河ドラマ「光る君へ」のコーナーができていて、源氏物語の現代語訳や解説本、初心者向けの案内本といろいろ集めていた。今回見つけたいと思ったが、当時の時代背景や当時の人たちがどんな暮らしをしていたのかがわかるものがあれば読んでみたいのだ。

 で、あちこちペラペラと本をめくって、結局「平安時代の絵辞典」というのを購入することにした。とりあえず目を通し、それから解説本を読めば、ドラマも楽しめるだろう。

 平安時代というのは、「平安」というくらいだから、世の中天下泰平、貴族が悠々と暮らしていた時代だと思われがちだが、本当はかなり違っている。というより、日本人の特徴として、そうでないから文字だけでも飾り立てるという癖がある。太平洋戦争で突撃して死んでいくことを宝石が砕ける「玉砕」と言ってみたりするのも同様である。

 奈良時代から平安時代に移ったのは、奈良に都があった時に災いが続いたので、日本全国に国分寺を作ったり大仏を建造したが、ちっとも効き目がないのでついに奈良から京都へ都を移動させた。その時当時最先端の科学でもあった風水をもとに作った都が平安京である。

 日本人の根底にあるふたつの信仰は「怨霊信仰」と「言霊信仰」である。これがもっとも猛威を振るったのが平安時代である。奈良時代、早良親王の怨霊に悩まされた人々は、南に開け、他の三方を山に囲まれ、東に鴨川が、西に桂川が蛇行しながら南へと流れている京の土地を中国の風水に適う地として選んだのだ。奈良の都は今で言うところの事故物件だったのである。

 「言霊信仰」とは、当時の貴族が「平和」「平和」と唱えていれば「平和」が実現できると信じていたことだ。そのためせっせと歌を詠んだ。歌を上手く読めれば、それだけ言葉にしたことが実現したのである。そういうこともあって、歌さえ詠んでいれば悪人を取り締まる警察もいらないということになった。大体悪人を捕まえ処刑するなんてのは、穢れる仕事である。そんな仕事など、当時の政府のお役人であった貴族たちはしたくなかったのだ。

 その結果、京の都は荒れに荒れた。人々は自分の身は自分で守るしかなくなった。その結果生まれたのが武士である。というようなことが、僕がなんとなく理解している平安時代の背景である。
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化学物質という名の爆弾

2024-08-23 11:24:15 | 日記
 今日は朝から我が家の家庭菜園の周りの草刈りをした。キュウリやトマトが終わり、そろそろ大根や白菜といった野菜の準備を始めなければならない。

 テオを連れて早朝の散歩をしていたら、畑の周囲に除草剤を噴霧している人がいた。たまたまウオーキングをしている人と一緒に歩いていたので、除草剤の話になった。「あれはただ緑の草の色を茶色に変えているだけじゃないか」とか「除草剤も安くはないから、お金を草にかけているようなものだ」とか冗談を言い合った。

 農家の人にしてみれば、収穫量が少しでも増えることが第一であって、本当に健康のことを考えていては収入はなくなるだろう。我が家だってあまりに大量の虫に襲われそうなら、殺虫剤を使ったりする。

 別の人と話している時には、「最近の除草剤は昔と違って安全になっているだろう」と言っていたが、確かに厚生労働省が決める基準値内ならすぐには健康被害が出るというものではない。が、「ただ除草剤はそもそもベトナム戦争で開発された枯葉剤が必要なくなったので、開発した会社が除草剤として売り出したものですよ」と話すと、その人は「へえ、知らなかった」と驚いていた。

 ベトナム戦争ではゲリラが森林に隠れているため、アメリカ軍は空から枯葉剤を撒き、森林を枯らしてゲリラが隠れられないようにした。が、飛行機やヘリコプターで撒いた枯葉剤は、村の上にも降り注ぎ、そのために村では奇形児がたくさん生まれた。かつて日本で手術を受けたベトちゃんドクちゃんは、この時に生まれた子供だ。

 が、アメリカはベトナム戦争後、枯葉剤の被害において弁償はしていない。化学物質は枯葉剤を被った人たちの体内に蓄積はしたが、直接の健康被害はほとんどなかった。その代わり、女性の体に蓄積した化学物質は臍の緒を通じ、赤ん坊へと影響したのだった。アメリカは、枯葉剤を被った人たちの健康に影響がなかったことから、奇形児たちへの因果関係はないと結論づけ、賠償は行わなかった。福島原発でも放射線の影響で子供たちの甲状腺癌が増えたという事実も、厚生労働省は因果関係はわからないで済ましている。

 化学物質の怖さは、すぐに健康被害として現れないことだ。人体に蓄積していった化学物質は、母体を通じて子供たちに影響する。研究機関がこのくらいの量を摂取しても安心です、と言ったところで、一生を通じて体内に取り込まれた化学物質が、子供に受け継がれていく影響までは調べようがない。

 最近、子供たちにアトピーやアレルギーが増加しているのは、おそらく加工食品に含まれる化学物質が、親子代々に受け継がれている結果だと僕は思っている。ある研究では、引きこもりやキレやすい人たちにも化学物質が影響している可能性があるという。

 核弾頭の数が少しずつ増えていく世界が危険なのと同様、少しずつ体内に蓄積され続けていく化学物質という名の爆弾にも、僕らはもう少し注意しておく必要がある。
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ウルトラな人

2024-08-22 11:01:08 | ランニング
 今日は朝からどんよりと曇り、気温もあまり上がっていない。蒸し暑いことは蒸し暑いが、それでも最近のことを思えば涼しいと言える。こんな日は、ランニングには最適だ。今にも雨が落ちてきそうだが、雨なら雨で、火照った体をクールダウンさせるにはちょうどいい。というわけで、張り切ってランニングに出た。

 今回、気合が入っているのには訳がある。というか、刺激を受けて走らなきゃという気になっているのだが、それというのが近所に毎日ランニングしている人がいて、その人とじっくり話をする機会があったからだ。

 最初に会ったのは僕がランニング途中休憩していると、同じようにランニングしている人が通りかかり、挨拶がてら声をかけた時である。その人は毎日走っていると言い、尋ねもしないのに「去年は365日のうち364日走りました」と言った。ということは、雪が降ろうと道が凍ろうと台風が来ようと、ほとんど走ったということである。それは凄いですねと感心していたが、その後早朝のテオの散歩の時に、たびたびランニングしているところに出くわした。

 そのうち同じ地区の人とわかり、今年になって僕が地区の役員のひとりになったら、その人は地区の組のまとめ役になり、月一で顔を合わすようになった。この前の盆踊りの打ち上げでも同席することになったので、隣に座って話を聞いてみることにした。

「道が凍っている時でも走っているなんて、怖くないですか」と尋ねると、「トレイルラン用のシューズだから大丈夫なんです」と言う。トレイルランとは、舗装された道ではなく、山の中の踏み跡を走るクロスカントリーである。

「じゃあ、トレイルランニングもするんですね。富士山の裾野を走るウルトラトレイルランニングなんかもやるんですか」と聞いてみると、「この前挑戦してきたところです」と言う。
「150キロ以上あるでしょ」
「でも、90キロ過ぎでキツ過ぎてリタイアしてしまったんです」と残念そうに言う。いやいや、道なき道を90キロも走ること自体凄いのだ。

 話をさらに聞いていくと、初めてランニングをしたのが、友人に誘われて三十代後半に挑戦した10キロマラソンだという。それから走るのを趣味にして、10数年毎日走っているという。今ではフルマラソンは当たり前に、100キロを超えるウルトラマラソンも走るという。

 こんな人が近所にいたのかと思うと、全然走れない僕なんかは憧れてしまうのだ。どうしたらそんな長い距離が走れるのか。僕なんか走っているうちに、疲れるより前に走っていること自体に飽きてしまうのだ。ああ、困ったものだ。

 とは言うものの、個人個人できることは違うし、限界もある。大谷くんの10の力には及ばないが、僕が自分の10の力を出すことは可能だ。そんなことを思いながら、今日は頑張ってせっせと走ってみた。
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