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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

楽しみがひとつ

2024-09-30 13:28:15 | 日記
 日本の多くの人がきっと楽しみにしているように、毎日大リーグの大谷くんの活躍を楽しみにしている。

 ただ、アメリカでやっているので、時差の関係で明け方にやったりお昼にやったりと、こちらの生活のリズムと違うので大変だ。たまにリアルタイムでの活躍を見ることもあるが、気がつくと試合が終わっていたという日も多い。

 いよいよ大リーグも最終戦とあって、地区優勝の終わったドジャースの試合も見どころは個人記録の更新だけとなった。今日の最終戦で55本のホームランか、60盗塁か、あるいは首位打者を獲得できるかもしれないというので期待していたら、朝の散歩から帰ってきたら、なんともう試合は終わって結果が出ているではないか。



 しまった。のんびりテオと歩いてくる前に、今日の試合時間を確認しておくべきだった。とはいうもののの、終わったものは戻って来ない。テレビではダイジェストで試合の様子をやっている。結果、ホームランは54本。盗塁は59個、打率は2位ということで、少しずつ残念だった。とにかく、毎日の楽しみがひとつ終わった。

 これからはポストシーズンで、いよいよ優勝目指してヒリヒリするような試合が続くのだろうが、これだけ活躍してくれれば、優勝しなくても満足だ。後は来年のピッチャーとしての復活を楽しみにしているのである。

 こういうことを書いていると、中にはまるっきり野球に興味もない人もいて、毎日毎日大谷くんのニュースばかりで、ほかにも大事なニュースがあるだろうと文句を言う人もいる。が、当事者ではないと言うことに関して言えば、自民党の総裁に石破さんが選ばれようが、株価が上がったり下がったりしようが、どこかの高速道路で逆走車が出現しようが、僕の生活を変えるほどではない。

 それよりも大谷くんの調子が悪く、三振ばかりしたという日の方が、よほど楽しく暮らすために悪影響を及ぼすのである。最近、散歩をしていても、出会う人との会話が、まず大谷くんの活躍からだったりするのが面白い。
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季節に合わせて

2024-09-29 12:35:47 | 日記
 急に涼しくなり、変わるのは着るものばかりではない。暑い間は食欲もなくソーメンやソバ、冷やし中華ばかり食べていたのが、温かいものばかり求めるようになる。暑いでのシャワーかぬるい風呂に浸かっていたのが、しっかりと熱い湯に浸かり、「はあ〜、あったけえ〜」と思わず湯船で唸るのだ。

 晩酌のアルコールも、暑い間はほとんどビールばかりで、時々冷やしたワインやら氷たっぷり入れたウイスキーやジンだったのが、涼しくなると熱燗が恋しくなる。

 ビールばかり飲んでいる時には、どうしてもビールに合う唐揚げやフライ物が食べたくなるが、日本酒となると揚げ物は食べたくなくなる。湯豆腐やら鍋やら刺身やら焼き魚の方が良くなる。「私はビール党」とか「バーボンが好き」と主張する人は多いが、食べ物もアルコールも、かなりの部分で季節に左右されているのである。

 というのは、僕だけかもしれないが、今日スーパーに寄って夕飯のおかずを探していたら、アジの干物が安く売っていた。最近は肉より魚の方が高いことが多いので、なかなか魚介類を買って帰ることは少なくなっていたが、久々に干物で晩酌をやりたくなった。アジの干物の隣を見ると、「常磐もの」というステッカーが貼られた生のスルメイカが売っていた。値段を見ると驚くほど安い。最近イカやタコも値段が上がり、すぐには手が出せないでいたが、今日は速攻で買いだ。

 というわけで、夜はスルメイカを焼き、マヨネーズと醤油、七味をつけて晩酌のお供にすることにした。後はゴボウともらって来たニンジンが大量にあるので、キンピラも作ろう。それにアジの干物を焼けば、最高に秋の夜長らしい食事になるに違いない。
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1日3万歩

2024-09-28 12:39:58 | ランニング
 最近全然天気予報が当たらない。週末、ずっと雨模様だったのが、ここに来て傘マークがなくなった。そういうことなら予定してなかったランニングに出ることにした。天気予報では来週の頭にはランニングできるかなと思っていたが、きっとそれもあてにならないのだ。

 それにしても一気に秋になったと思ったけれども、とんでもなく蒸し暑かったりして、長袖のシャツも上着も入らず、慌ててTシャツ1枚になったりする。空には真夏でさえあまり見られなかったような巨大なモリモリした雲が出現して、季節感がめちゃくちゃなのだ。



 今日は朝9時にスタートする。天気は曇天。空気はひんやりしていて絶好のランニング日和。暑さは大丈夫そうだが、いつ雨になるかわからないような空模様だ。



 田んぼはすっかり黄金色になり、あちこちで早くも稲刈りが始まっている。この前までは暑さで30分も走れば水分補給のために足を止めたが、今日は涼しいので連続で1時間以上走ってから給水のために立ち止まった。まだまだ走れそうだが、いきなり頑張ると足が攣ったりするのだ。血液もドロドロになりそうだし、水分補給だけはこまめにしたい。



 頑張って2時間走った後は、のんびり歩いてクールダウンする。体はまだまだ大丈夫と言っているが、肝心の足の筋肉が硬くなってきた。これ以上頑張ると、午後の時間が疲労で使えなくなってしまうのだった。



 で、のんびりのんびり散歩がてら45分かけて歩いて家まで帰ってきた。すでに万歩計の距離は25キロを超えている。朝晩の散歩も入れると、1日の歩数は恐ろしいことに軽く3万歩を超える。
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あまりに間接的

2024-09-27 13:32:15 | 日記
 今日は自民党の総裁を決めるというので、朝から関連の番組をずっとやっている。自民党の総裁になれば、今までの日本の慣例で言えば自動的に日本の総理大臣になるので、実質総理大臣を決めることになる。同じようにアメリカでは大統領を決める選挙をやっているのに、盛り上がり方がどうしてこうも違うんだろうと考えると、アメリカの方は共和党と民主党それぞれから大統領候補が出て戦っているのだから、国を二分する戦いになる。盛り上がって当然なのかもしれない。

 それに比べると、日本の総理大臣を選ぶのに、例えば自民党と立憲民主党から候補が出て戦うわけではないので、どうしても盛り上がらない。国民にできるのは、どの党に政権を取らせるかだけであり、誰をトップに仰ぐのかということに関しては手が出せないからである。

 最も政治家に言わせれば、いくら自民党の総裁になったところで、自民党が野党になれば総理大臣にはなれないという危機感があるのだろうが、自民党が野党になる可能性なんてのはよほどのことがない限り考えなくてもいい。だからこそ、自民党の総裁選びが、テレビを占拠するくらいの話題になるのである。

 うーん、つまんないなあ。確かに明治時代には間接的にしか日本のトップを選ぶということに国民が参加することはできなかったかもしれないが、いまやインターネットを活用すれば、日本国民個々の意見を国政に反映させるのは難しいことではないはずだ。スーパーやコンビニでさえ、全国どこの店舗で買い物をしようと、そのデータは本社に送られ、リアルタイムで売上のすべてを把握することができる。国政だって各人の手持ちのスマホを利用すれば、選挙の投票だろうが意見を言うことだろうが、すぐに集約できるはずである。

 片っぽでは書類からハンコをなくしましょうと言うが、そんなことを今更ながら言っていること自体がIT後進国と言われてしまうのである。
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秋の草花

2024-09-26 10:41:58 | 日記
 毎日散歩していると、道端や花壇で花が咲いているのを見かける。立ち止まり、「なんという花だっけ」と考える時間を持つというのは、贅沢な時間の使い方だと思う。東京や大阪といった大都市にいた時には、通勤でも遊びでもほとんど道端の花なんかを気にかけることはなかった。思い出そうとしても、そもそも花なんて咲いていたかなあくらいの記憶である。

 もっとも自然が豊富な田舎に住んでいても、仕事に行くのにもスーパーに買い物に行くのにも車で、ということになれば、なかなか草花に触れる機会は少ない。自分ちの周辺でも、普段車で通る道しか知らず、家の近所にどんな道があり、どんな家々が建っているかを知らない人は意外と多いものだ。

 今朝は歩きながら、今時期の花は何があるのかなあと注意していた。彼岸花やコスモスはすぐに気がつく。木に咲く花では満開を過ぎたムクゲをまだ見ることができる。道端には、花壇から逃げ出したであろう園芸種の秋海棠や秋明菊が群れて咲いている。ピンピンと伸びたススキやスズメの鉄砲の根本を注意してみると、糸のような茎に小さな赤い花をつけた水引きを発見できる。ツユクサの青や、桔梗の青紫も清々しい。

 小学校の花壇や他人の家の庭では千日紅やワレモコウ、ガウラ、サルビアやケイトウが鮮やかな花を咲かせている。そういえば最近やたらに道端で目にするようになったコスモスに、オレンジ色のコスモスがある。調べてみるとキバナコスモスという名前で、本来のコスモスとはちょっと違うようだ。黒っぽいコスモスも目にするようになったが、これはチョコレートコスモスというんだそうだ。

 ひと口に秋の草花とはいうが、園芸種が野に逃げ出したり、新たに品種改良した花が流行したり、温暖化のせいで植生自体が変わってきたりして、毎年同じような秋にならないところが、自然界の面白いところである。
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いきなり秋になる

2024-09-25 10:12:37 | 福島
 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉通りに、この三連休でいきなり涼しくなった。猛暑日から10度以上も最高気温が低くなり、日中でも長袖がなければ肌寒い。Tシャツ1枚で過ごしていたのに、今週はTシャツの上に長袖のシャツ、それでも寒いので薄いパーカーを羽織っている。

 涼しくなって過ごしやすいのは人間ばかりではないようで、テオは夕方になると早々に散歩に行こうと騒ぎ出す。つい数日前までは暑くて外に出るのを嫌がっていたのに、態度は急変した。アンは涼しいところを求めてウロウロしていたのが、布団の上で丸まって一日中寝ているのだ。

 このところ夕方の散歩はどうしても短くなりがちだったので、昨日は久々にカメラを持って出かけることにした。食欲の秋、芸術の秋とともに、ハイキングの秋でもある。



 天候は秋雨前線の影響を受けてスッキリしないが、雨の心配はない。あれだけうるさかった蝉の鳴き声はまるっきり聞かれなくなっている。ツバメはどうしたかなと探しながら歩いてみたが、こちらもすでに南へと飛んでいってしまったようだ。



 今年は彼岸花の咲くのが遅れているとニュースで言っていたが、ちゃんとお彼岸に合わせて咲いているのに感心する。気温に関係なく、彼岸花は彼岸花で独自の暦を持っているに違いない。





 早いところでは稲刈りが始まった。今年は米不足と騒いでいるが、騒動は都市部だけのようで、この辺で騒いでいる人はいない。この猛暑でも稲穂はしっかりと大きくなり、日ごとにこうべを下げて行く。



 夕暮れ、日が傾いてくると、辺りは静まり返り秋が深まっていくのを実感する。耳を澄ますといろんな虫の音が大気中に充満しているのに気づく。リーンリーン、チンチロチンチロ、ジージー。猛暑は体に負担がかかるが、秋が深まっていくのは寂しさが積み上がっていくようで、まさに「あはれ」という気持ちになるのである。
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荒野の時計

2024-09-24 11:18:44 | 日記
 「理不尽な進化」(吉川浩満著)を読んでいたら、「荒野の時計」という考え方が紹介されていて、なかなか面白かった。

 荒野を歩いていて、石ころを踏んだところで何も感じることはないが、落ちていた腕時計を踏んだとなると石ころのようには行かない。「これは何だ」ということで拾い上げ、いろいろひねくり回しているうちに、「これは時を刻むためだけに存在している」ということに気づく。

 自然界において、何かたったひとつの目的のために存在するものなどないというのが常識なので、これは自然界のものではなく、誰かがある目的を持って作ったことが推測できるのである。

 ということになると、この世を作ったのが神という創造神を考えるならば、この世にあるものはすべて神の意思を持って作られたのではないかというふうにも考えられるわけである。

 キリスト教の考え方から、人権が生まれたというのは、神がある目的を持って作ったものを、誰も自由に壊したり殺したりはできないということである。だから、基本的人権ということで言えば、自殺も当然許されないし、生き物すべてにこの世で生きる権利があるということになる。どんな凶悪犯であろうと、この世にいるからには神が何か目的を持って作られたのだろう。一部の動物愛護団体が過激な行動を取るのは、神が作った生き物を、誰ひとりとして自由にはできないという考え方があるからだ。

 それを理解しないと、西洋の世界から日本の死刑制度が強く非難されていることをわかることは難しい。日本では、何かまずいことがあると、「死をもって償う」という責任の取り方が昔からあるおかげで、いまだに死刑廃止論は一般的にはならない。そもそも日本人には、この世のあらゆるものが神の創造物だという考え方が飲み込めないので、自分がこの世にいるのは、神様にある目的があって作られたせいでこの世にいるのだ、という実感は湧かない。

 荒野に落ちている腕時計は人間が作ったものだろうが、この世で暮らす僕らに生きる目的というものがあるとしたら、果たして何者が製作したのだろうか。

 

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人間の形

2024-09-23 14:02:13 | 日記
 アメリカの優れたドラマに与えられるエミー賞を、日本を題材にした「将軍」が多数のジャンルで受賞したというニュースが流れていた。プロデューサーで、主演も演じた真田広之さんが、これからもどんどん時代劇を作っていきたいという話をしているのを聞き、なるほどなあと納得するところが多かった。

 ここ数年、昔は見なかった時代劇を、割合たくさん見ている。きっかけは真田広之さん主演の「たそがれ清兵衛」を見てからだ。それ以来、時々時代劇を見たくなっている。というのも、現代劇と違って時代劇という昔の日本を舞台にするドラマでは、登場する人物たちの姿がはっきりしているから、安心してドラマの内容に没頭できるからである。武士といえば、豪胆で肝がすわり、義に厚く意志を曲げないといった性格で描かれる。これが現代劇となると、あっちで悩みこっちで悩み、一体何を考えているのかよくわからない人物像で描かれることが多い。たまに時代劇に登場しそうな典型的な人物像が登場すると、「そんなやつ、今時いるか?」となってしまうのだ。

 そういうこともあって、きっと映画やドラマを作る人たちにとって、時代劇のようなひとつの人間の形が確立した世界を舞台にするというのは、作り甲斐があるんじゃないかと思う。そうした人間の形が世界で認められれば、いずれ時代劇は世界のスタンダードにもなっていくだろう。

 で、ふと思い出したのが、武士のような完成した人間像と反対の人間の形である。有名なのはシェークスピアの「ヘンリー4世」で登場するフォルスタッフという肥満の老騎士だ。シェークスピア作品の中では、ハムレットと同じようにファンが多い人物だ。「臆病者で大酒飲みで強欲、狡猾で好色だが、限りないウィット(機知)に恵まれ、時として深遠な警句を吐く。戦場には参加するのはビリッカス」という憎めない人物として描かれている。有名なセリフは、「名誉だと? そんなもので腹がふくれるか?」

 これによく似た人物像は、日本にもいる。漫画家の水木しげる作品に登場する「ねずみ男」で、自分の欲のためには平気で仲間を売り、身に危険が迫れば誰よりも逃げ足が早いという最低の人間(半妖怪)だが、もし水木作品にねずみ男がいなければ、今ほどの人気はなかったんじゃないかと言われている。

 どうして、こういう人間としては最低と思えるような人物像が昔から愛されるのかと考えてみると、人間が人間になるための努力に多くの人はストレスを感じているからかもしれない。人間の大脳新皮質の役割は、ものを知覚したり、運動を制御したり、計算や推理をしたりするなどまさに「知性」をつかさどる器官であり、この大脳新皮質が発達したことにより、人間は道具や言語を自由にあやつることができるようになった。赤ん坊は真っさらな大脳新皮質で生まれてくるし、大脳新皮質がほとんどないヘビやトカゲは悩むことはないというから、人間らしさとは、大脳新皮質に蓄積される経験や環境、知識によって作られているということになる。

 そういうことなら、僕たちというのは、武士などの確立された人間像とフォルスタッフやねずみ男のような大脳新皮質に支配されていない人間像の中間で、フラフラしている存在だということもできそうだ。
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40年かけて

2024-09-22 10:46:35 | 日記
 このところせっせと読んでいた小林秀雄の「本居宣長」を、四苦八苦しながらなんとか読み終えた。どのくらい四苦八苦したかというと、最初に読んだ時から40年近くかかって読み終えたことになる。

 とにかく僕の脳みそでは全然ついていけず、挑戦するたびに跳ね返されて、その度に挫折していた。そういうことが数年に一度、恒例になっていたので、今度こそわかってもわからなくっても最後までとりあえず読んでしまおうと頑張ったのだ。そういうことなので、理解したのかと言われれば、9割くらいは分かりませんでしたと言うしかない。それじゃあ読書に意味はないじゃないかと思われそうだが、僕にとってはほとんど山登りと同じようになっていたのだ。

 つまり、険しい山に何度も挑戦しては挫折するということを繰り返していたが、何度目かの挑戦でなんとか頂上まで登り切ることができたのだ。が、頂上にたどり着くだけで精一杯だったので、途中の風景を眺めたり道中を楽しんだりというところが抜け落ちている、というのと似ているのである。

 で、どうしてほかの小林秀雄作品と違って、全然理解できなかったのかというと、本居宣長という人が研究していたテーマが、「源氏物語」と「古事記」で、僕は両方読んだことがない。小林秀雄が本居宣長という人を解説するのに紹介してくる昔の国学の人たち、荻生徂徠などの著述も一切読んでいないのだから、まるっきり理解できなくて当然なのである。

 それでも1割くらいはわかったところもある。宣長さんが当時の研究者たちを批判していたのは、日本の昔の人たちの書いたものを読むのに、後の時代に入ってきた儒教や朱子学といった中国式の研究方法によって理解しようとしていたところである。

 これは明治以降、西洋の研究方法を輸入し、それでせっせと日本の古典や歴史を理解しようとしていた近代という時代にあって、小林秀雄がもっとも批判したことでもあった。昔の日本人の心情に触れるのに、何も舶来の研究方法を借りる必要はない。真っ直ぐに向き合えば事足りるというのが、本居宣長の研究方法であり小林秀雄の姿勢だった。

 数学や物理学のような純粋な抽象的な学問では、世界共通のルールが存在するが、対象が人間に近づけば近づくほど、便利な理解の方法などない、ということだけを、僕は40年かけて理解したことになる。
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人智を越える

2024-09-21 11:23:22 | 日記
 一昨日、大根と白菜、レタスの苗を植えた。ずっと雨がなかったが、昨日から雨が降り始め、苗を植えたところだったのでちょうど良かったと喜んでいた。

 が、雨はそのまま降り続き、今日はかなりの量の雨が降っている。おまけに今日の最高気温は20度に行かないということで、朝から長袖で過ごしている。涼しいのを通り越して肌寒い。土砂降りに近い雨なので、植えたばかりの苗が流されているんじゃないかと心配だ。春菊の種を蒔こうと思っていたが、こちらは止めといて正解だった。

 それにしても、昨日は全国的に猛暑になり、静岡では39度を超えたという。9月も中旬である。少し前までは一番暑い時期でも滅多に35度なんてなることはなく、気象庁はわざわざ猛暑日なる用語まで作り出した。ところが数年で猛暑日は当たり前になり、一番暑い時期だけでなく、残暑を通り越し、秋になっても体温より高い日が続く。

 災害に関しては、「命を守る行動をとってください」と注意を促すが、地球温暖化自体がすでに命にとって危険になりつつある。「熱中症の恐れがあります」とニュースで促しているが、熱中症レベルの危険から一段階危険度が上がったのではないかと思わせる。それはほとんど地球規模の命の危険性である。

 そんなことを考えていたら、ニュースで早速能登半島での災害を伝えている。大雨で河川が氾濫しているという。地震により河川の堤防やインフラが破壊されていたところに、大雨ではたまったものではないだろう。人間の作り上げた世界は、人智を越える事態にはほとんど無力だということを実感してしまうのである。
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