岡本かの子 「老妓抄」より
年々にわが悲しみは深くして いよいよ華やぐいのちなりけり
なんとも耳にそして心に残る歌だ。
斉藤美奈子のコラムでこの歌を知る。
以下、コラムから
岡本かの子とは、あの「芸術は爆発だ!」の岡本太郎のママである。
歌人としての名声のほうが高かったが、晩年の小説にはゾクッとする佳編が多い。
「老妓抄」は49歳、死の直前に書かれた彼女の代表作である。
小説の中身もさることながら、まず目をひくのは末尾に添えられた歌だろう。
〈年々に我が悲しみは深くして/いよいよ華やぐ命なりけり。〉
有名な「いよいよ華やぐ」の出典はここだったのだ。
中略(あらすじ紹介)
登場人物は主人公 引退した芸妓の小そのと柚木という若い電気技士
そして感想と続く。
いったいこのふたりの関係は何なのか。
こういう場合ありがちな擬似的な母と子だが、そういう感じではまったくない。
やがて柚木は気づく。
自分ができなかったことを彼女は柚木にさせたがっていると。
〈仕事であれ、男女の間柄であれ、湿り気のない没頭した一途な姿をみたいと思う。
私はそういうものを身近に見て、素直に死にたいと思う。〉
いやー男前!なんだけど、その後に小その自らが詠んだ「いよいよ華やぐ」の歌がつくのだ。
年々募る悲しみと華やぎ。矛盾する語句から浮かあがる老いの心境は複雑だ。
「老ても華やかに」なんていう単純なアンチエイジングの歌じゃないのである。
この感じは、そうだな「君はペット」かな。
母子でもなく、まして恋人同士でもなく若い男の子を「飼う」。
やってみたい。
ぜーったい無理だけど。
3/2 読売新聞 3面 「名作うしろ読み」
いままで読んだことのない人の読んだことをない本を知るということは貴重だ。
ついでに岡本太郎のママが歌人でMénage à troisという生活を送った人物なんてしらなかったよ。
岡本太郎が実質の妻であった敏子を妻とせず養女とし生涯、独身を貫いたのも
既成の枠にとらわれない母の影響であったことは想像に難くない。
「君はペット」につながる「老妓抄」
すごく気になる。
しかしだ、老いという抗いがたい悲しみや苦しみと言う負の感情のなかで
「いよいよ 華やぐ・・・」なんて思えるものかよ。
ささいなイライラが積もって暗黒の世界にいる月曜日のあたしなんて
華やぎの欠片すら見当たる気配なし。
49歳で亡くなった生き急ぐ女流歌人の老いという言葉も
現実味はないが、老い=自分の思い通りにならなことだと考えると
この歌の凄さがわかる。
思い通りにならな事柄がつもりに積もって
いよいよ華やぐとは普通は考えないもん。
しかも干からびた人からこんな言葉は絶対に出ない。
出てくる訳がない。
結局のところ華やぎという言葉で表される人としての美徳を
かの子自身が持ち合わせていたということだ。
それが埋もれてしまっても
見当たらなくても。
ところで華やぎのカケラ、痕跡すらないあたしは
年々に我が悲しみが深くなるばかり。
どうすれば良いのかは読んでから考えるとしよう。
この耽美な歌人からどんな話をしてもらえるか楽しみでならない。
年々にわが悲しみは深くして いよいよ華やぐいのちなりけり
なんとも耳にそして心に残る歌だ。
斉藤美奈子のコラムでこの歌を知る。
以下、コラムから
岡本かの子とは、あの「芸術は爆発だ!」の岡本太郎のママである。
歌人としての名声のほうが高かったが、晩年の小説にはゾクッとする佳編が多い。
「老妓抄」は49歳、死の直前に書かれた彼女の代表作である。
小説の中身もさることながら、まず目をひくのは末尾に添えられた歌だろう。
〈年々に我が悲しみは深くして/いよいよ華やぐ命なりけり。〉
有名な「いよいよ華やぐ」の出典はここだったのだ。
中略(あらすじ紹介)
登場人物は主人公 引退した芸妓の小そのと柚木という若い電気技士
そして感想と続く。
いったいこのふたりの関係は何なのか。
こういう場合ありがちな擬似的な母と子だが、そういう感じではまったくない。
やがて柚木は気づく。
自分ができなかったことを彼女は柚木にさせたがっていると。
〈仕事であれ、男女の間柄であれ、湿り気のない没頭した一途な姿をみたいと思う。
私はそういうものを身近に見て、素直に死にたいと思う。〉
いやー男前!なんだけど、その後に小その自らが詠んだ「いよいよ華やぐ」の歌がつくのだ。
年々募る悲しみと華やぎ。矛盾する語句から浮かあがる老いの心境は複雑だ。
「老ても華やかに」なんていう単純なアンチエイジングの歌じゃないのである。
この感じは、そうだな「君はペット」かな。
母子でもなく、まして恋人同士でもなく若い男の子を「飼う」。
やってみたい。
ぜーったい無理だけど。
3/2 読売新聞 3面 「名作うしろ読み」
いままで読んだことのない人の読んだことをない本を知るということは貴重だ。
ついでに岡本太郎のママが歌人でMénage à troisという生活を送った人物なんてしらなかったよ。
岡本太郎が実質の妻であった敏子を妻とせず養女とし生涯、独身を貫いたのも
既成の枠にとらわれない母の影響であったことは想像に難くない。
「君はペット」につながる「老妓抄」
すごく気になる。
しかしだ、老いという抗いがたい悲しみや苦しみと言う負の感情のなかで
「いよいよ 華やぐ・・・」なんて思えるものかよ。
ささいなイライラが積もって暗黒の世界にいる月曜日のあたしなんて
華やぎの欠片すら見当たる気配なし。
49歳で亡くなった生き急ぐ女流歌人の老いという言葉も
現実味はないが、老い=自分の思い通りにならなことだと考えると
この歌の凄さがわかる。
思い通りにならな事柄がつもりに積もって
いよいよ華やぐとは普通は考えないもん。
しかも干からびた人からこんな言葉は絶対に出ない。
出てくる訳がない。
結局のところ華やぎという言葉で表される人としての美徳を
かの子自身が持ち合わせていたということだ。
それが埋もれてしまっても
見当たらなくても。
ところで華やぎのカケラ、痕跡すらないあたしは
年々に我が悲しみが深くなるばかり。
どうすれば良いのかは読んでから考えるとしよう。
この耽美な歌人からどんな話をしてもらえるか楽しみでならない。
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