goo blog サービス終了のお知らせ 

原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

地球の自転が速まっているらしく、「負のうるう秒」が導入されるとか??

2025年08月06日 | 学問・研究
 本日のエッセイも、2025.08.05付朝日新聞記事より題材を得よう。


 早速、上記朝日新聞記事「きょうの1日 1,25ミリ秒短い? 早まる地球の自転「負のうるう秒導入可能性」より、以下に一部を引用する。

 8月5日は1日の長さが1.25ミリ秒短くなるかもしれない。 地球の自転を観測する国際機関などのデータ分析から、こんな予測が出ている。 地球の自転が速まっているためで、このまま1日が短くなると初の「負のうるう秒」が導入される可能性もあるという。
 地球の自転の観測結果を取りまとめている国際地球回転・基準系事業(IERS)のデータによると、今年に入ってから1日の長さが最も短かったのは7月10日で、「24時間マイナス1.37秒」だった。 自転がわずかに速まったことになる。 さらに予測では8月5日も1,25ミリ短くなるとされている。
 1日の長さは地球が2回転する時間を基準にし、平均で24時間、秒にすれば8万6400秒だ。 だが地球の自転速度は常に速くなったり遅く鳴ったりしている。 潮の満ち引きによる潮汐摩擦や大気の動き、地球内部にある核の運動の変化などが複雑に影響しているためだ。
 このような状態が続くと、地球が1回転することによる1日の長さと、高精度な原子時計によって決まる1日の長さにずれが出てくる。 ずれを解消するため導入されたのが「うるう秒」だ。
 うるう秒の導入は、国際機関が調整のタイミングを決める。 日本では標準時を管理する情報通信研究機構(NICT)などが周知や通報に当たる。 過去に27回、直近だと2017年にあった。
 これまでは、地球の自転速度が遅くなる傾向にあったため、原子時計の時刻に59秒-60秒ー00秒というように1秒のうるう秒を足していた。
 しかし最近では、地球の自転が速くなる傾向が出て来た。 このまま地球の自転速度が速まり続けていくと、どうなるか。 NICTの担当者は「1日が短くなっていくと「負のうるう秒」を導入する可能性もあると説明。 57秒-58秒-00秒といった、秒をスキップする対応が必要になる可能性がある。
 うるう秒をめぐっては、導入されるとイレギュラーな時刻が発生し、コンピュータなどで発生するリスクが高まる。 国際度量衡総会は22年、うるう秒の「実質的な廃止」といえる決議を行い、少なくとも100年間、時刻調整をしないことを提案した。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)



 原左都子の私事に入らせていただくが。

 実はこの私、中学生頃に将来一番やりたいと思っていた仕事が “この手”の分野だった。
 いえいえ、決して宇宙のロマンに触れたいとの思いが強かったという訳ではなく。 とにかく数学好きだった私は、このような地球の自転速度等々の細かい計算作業が出来るような業務に就きたい、との希望が漠然とあったものだ。
 それ故に今尚 このようなニュース報道に触れると、気分がワクワクして来ると言うのか。 
 特に地球や宇宙のようなはるかなる壮大なロマンの世界の現実に触れる機会が得られることに、年齢を重ねて尚 心が解放される思いだ。


 まあ、私の場合は結果として医学方面の業務に携わることが叶って。
 壮大な宇宙のロマンの世界、 ではなかったが。
 医学における例えば人間の細胞や遺伝子等々のミクロの世界に触れることが叶ったのは、ラッキーだったと結論づけられるであろう。

 いえいえミクロの世界の探求は、それはそれは神経をすり減らしての実験の繰り返しだった!!
 年齢を重ねた時期の医学研究においては、実際そのミクロの実験に耐えられなくなりそうな身体的・心的負担もあったが。
 それでも、何とか実験のノルマは無事にこなしたものだ。

 
 話題を戻して。

 一日の時間がわずか1,25ミリ短くなるとの地球の自転のその差異を、「負のうるう秒」にて調整する作業が厳しい現実と。
 それが導入されるとイレギュラーな時刻が発生してコンピュータシステム障害が発生するリスクが高まるとの問題。 

 それらの整合性を如何に取りつつ 地球や宇宙と人類の発展との課題を叶えていくかが、まさに今後の地球人が抱える課題であろう。


ぼっちのアリは早死にするそうだが、原左都子は生き延びるぞ!!

2025年08月05日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2025.08.02付朝日新聞「書評」ページより、古藤日子氏著 「ぼっちのアリは死ぬ 昆虫研究の最前線」に対する 本社くらし科学医療部記者・竹石涼子氏による書評「他者との関わりが持つ意味とは」より転載したもの。)


 早速、上記竹石涼子氏の書評の一部を以下に要約引用しよう。

 知っているようで知らない現象への挑戦。 ぼっちのアリが早死にするのも、その一つだ。
 この本によると、現象が報告されたのは戦時下の1944年。 フランスの研究者による論文だった。 アリを10匹で飼うと20日も生きていたが、1匹だと5日程で半数が死ぬという。 (中略)
 論文を検証し、アリ1匹1匹にバーコードを貼り付け、行動を追う。 集団だと巣の中で固まるのに、1匹だと巣から出て、壁際を早足でウロウロして、果ては老いたアリから死んでしまう。
 解析は行動だけでは無く、体内にも及ぶ。 解剖してみると、ウロウロするぼっちアリは腹具合も悪く、餌をエネルギーに変えられずにいた。
 生態学、分子生物学などから、様々な手法や新しい解析ツールを駆使し、行動と体の変化との関係に迫る。 (中略)
 印象的なのは、「その実験はなぜ必要か」「それで何を明らかにしたいのか」が極めて明確で、専門外の人にもわかりやすいことだ。 (中略)
 研究は今も続く。 社会での役割がなくなることは生物にどんな影響を与えるのか。 他者との関わりが持つ意味はなにか。 体の変化が先か、行動の変化が先か。 アリにとどまらない人間への示唆とは何なのか。研究の原点となった友人への思いにもさらっと触れている。 研究者の体温を感じ、応援したくなった。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)




 いやーーー、何だか現在の原左都子の身に染みる話題だなあ… 。

 何がかっていうと。

 当該gooブログの閉鎖に伴い、gooブロガー達は今後ブログ執筆に於いて引っ越しや引退や、その他の行動を余儀なくされている。

 この原左都子など、未だにブログの転居先の何処へも受け入れて頂くことが叶わず。
 かと言って、その代替案として目指した「書籍化」にも現在躓いている立場だ。

 この際「ブログの書籍化だ!!」と意気込んではみたものの。
 これに関してすら、結果として「原左都子エッセイ集」は未だにその受け入れ先に出会えていない。

 いや、書籍化に関しては。 何もくそ真面目に gooの指示通りに成す必要も無く、別の書籍化媒体に拾ってもらえればそれで済む話であり。
 今後、「原左都子エッセイ集」を喜んで受け入れてくれそうな書籍化企業を現在見つけている最中である。
 まあこれに関しては、“大枚はたけば” 書籍化に漕ぎつけるであろうことに期待している段階だ。

 そしてそれが叶えば、我が「原左都子エッセイ集」もこの世に蘇ることが可能となろう。 
 いえいえ、何らの期待もしていないのだが。
 そうだと言いつつ、このまま 我が「原左都子エッセイ集」がこの世から完全に消え去ることは何が何でも阻止したい思いだ!😡 
 
 特に原左都子である私自身が、「原左都子エッセイ集」の何らかの形態での生き残りを祈っているのだ。
 
 それが、現在では「書籍化により生き残り」に望みを繋げている訳だが。
 かと言って、それを世にばらまこうとの趣旨では全く無く。
 とにかくこの私自身の心理面での解決が叶えば良いとの話だ。😀 

 書籍化が叶うと、いつでも身近にそれを並べて手に取ることが出来る。
 それを我が傍らに置いて、何時もその中身を読み返すことが出来ればそれで本望だ!
 何分、18年に及んで執筆し続けた我が「原左都子エッセイ集」だ。
 それの全てを今一度読みこなすのに、長年が必要だろう。

 そんな風に我が老後が過ごせれば。
 たとえ私が“ぼっち”であろうが、ある程度有意義な余生を送れそうでもあるなあ。😷 

 いえいえ、原左都子はまだまだこの世を生き延びて、何らかの形でまた“ひと暴れ”したいと欲していますよ!! 😃 


UFOキャッチャーは今尚ゲームセンターにて多くのファンに愛されているらしい

2025年08月04日 | 自己実現
 (冒頭写真は、過去に娘と二人でゲーセン等々にてゲットした景品の数々。 あっと! シロホンは娘の音楽教材として親が買ったものです。😂



 この原左都子が実は“ ミーハー” である事実を知る方々も多い事であろう。

 上京当初には当時流行っていたディスコに通いつめ、いつもディスコのセンター位置で踊り狂ったものだし。😝 

 酒好き人生まっしぐらだが、若き頃の週末には必ずや六本木や新宿の酒場を渡り歩き、夜中まで梯子酒をしては夜中や朝方にオートン(タクシーの俗語だが)飛ばして自宅まで帰ったものだ。


 そんな私にして。

 一人娘が生まれた後は、その育児教育に集中すると同時に。

 実は私自身がやりたくて、一人娘をよくゲーセン(ゲームセンター)に連れて行ったりもした。


 冒頭写真が、その頃にゲーセンのUFOキャッチャー等々にてゲットした景品の数々である。
 かなりの数の景品は捨て去り、残ったのを娘(現在は外部で一人暮らしをしている)の部屋の書棚の上に山積み状態だ。
 
 UFOキャッチャーファンの方は数多い事であろうが。
 この私などは、それ程のファンと言う事ではない。 一回トライするのみで十分だ。 要するに景品をゲットできずとて、何度もやり返すとの執着心は無い。 
 それでも娘もやりたがるため、とりあえずゲーセンに入って二人で2回ずつくらいトライしてはすぐにゲーセンを出て行ったものだ。 
 

 冒頭写真の左上の大きな「いるか」は、ゲーセンにてゲットした景品ではなく。
 何処かの行楽施設の抽選会場で、娘が引き当てた景品だ。 “大物”を引き当てた娘が大喜びした光景が今でも目に浮かぶ。



 2025.07.10付朝日新聞記事によれば。

 このUFOキャッチャーが誕生してから今年で40年になるらしい。
 家庭用ゲーム機やスマホゲームが広がっても、色褪せず長く愛されているのは。 
 景品の進化や、景品の上限額が上がっている事実もあるようだが。
 日本アミューズメント産業協会によると、景品の上限額が年月が経過するごとに大きく引き上げられているらしい。  97年には上限額が800円になり、2022年には1千円となっているとのことだ。 
 その後ファミコンの登場によって、自宅ゲーム時代へと変遷している。
 それにもかかわらずゲーセンのクレーンゲームは、ゲーセンの売上高の59%を占めているらしい。

 この現象を、クレーンゲーム専門店を運営する某氏は、「デジタルの世界では生み出せない、昔から変わらないアナログ的な遊びだからこそ喜びや感動がある」と話す。



 我が娘が一人暮らしを始め、この私もすっかり高齢域に達した現在。

 ゲーセンに行く機会がすっかりなくなってしまっているが。

 今一度、やってみたいとの思いはあるなあ。



                                     

 最後に参考ですが。
 
 この「ウサギの着ぐるみを被ったキティちゃん」ぬいぐるみは。
 我が長き人生において、「たったの1回だけUFOキャッチャーにて釣り上げに成功した商品」です!!

 後にも先にも、これ一つしか釣り上げたことがありません…

 (それにしては冒頭写真の如く、我が屋には沢山の景品がありますが。 おそらくこれらは UFOキャッチャーのみならず、他の機会に何処かでゲットした景品類なのでしょう。  もうすっかり過去の話で、実際何処でどうやってゲットしたのか忘却の彼方です…) 
 

どうしても他社へのブログ移転が不能なため「原左都子エッセイ集」の“書籍化”を実行中です!

2025年08月03日 | 自己実現
  (冒頭写真は、goo編集画面の「書籍化データ作成」関連のページを転載したもの。)


 今現在 冒頭写真の編集画面のページにて、「原左都子エッセイ集」の“書籍化”に伴う作業を実行中です。 
 この所要時間が20~40分以上、と書かれているが。 何分「原左都子エッセイ集」の場合、エッセイ本数が膨大な数となるため、その作成作業に時間を要している様だ。
 「書籍化データの作成」がスタートしてから既に2時間以上の時間が経過しているが、未だにその作業が実行中のままだ。


 今回のgooの終了に伴うブログ移転に関して、原左都子は頭を痛めてばかりいるが。

 もうこれ程までにブログ他社への移転作業不能状態が続いてしまっては、後は、“書籍化”しかないだろう、と昨夜結論づけた!

 一旦物事を決定すると、それを実行に移すのは速い私だが。

 本日現在、早速“書籍化”作業に突入したと言う訳だ。

 
 “書籍化”に当たっても、様々な要因を熟慮した。

 例が悪いのだが。
 我が米国に住む実姉(既に30年来絶縁中)が、儲け主義日本国内書店にそそのかされて。 合計金額大枚 600万円 をはたいて3度に渡り自己執筆の本を制作させられ。  それが全く売れずに、売れ残った本の全てを廃棄処分としたとの愚話が、我が家にはある…

 その事実を、嫌になる程聞かされている身にして。
 
 今回の我がブログ記事の“書籍化”も多少は躊躇した。
 ただし私の場合は、決してそれを一般販売する訳では無く、「自分で読み返したい!記念にとっておきたい!」というのが第一目的であるが故に、許される行動であろう。

 ただしひとつ心配なのは、我が家にその保管場所が確保できるか?? との点だ。
 何分、ブログ執筆期間が18年に及んでいる。
 その間に執筆したブログ本数を正確に数えたことが無いのだが。製本して、おそらく段ボール箱何箱かになることは間違いないだろう。

 とりあえずの保管場所としては、現在の我が書斎の机の下等に入れ込むとの手段と。  娘が独立した後の部屋が空いているため、その部屋を有効利用させてもらいそれの置き場所にしたいと考えている。


 それにしても、原左都子にとってどう考えても辛かったのは。

 ブログの引っ越し先への登録において、どういう訳か何処のブログ媒体にも「原左都子エッセイ集」が結果として受け入れられなかった事実だ。

 それが、単に私の入力の仕方が誤っているとの技法面での問題なのか。(これに関しては私自身も何度もやり直したり、メールアドレスを別のにしたりと苦労したにもかかわらず、どうしても受け入れてもらえなかったのが事実である。)
 この理由に関しては、「原左都子エッセイ集」自体が膨大なブログ数になっているのを好まれない、等々の相手側の好みもあるかもしれないし… あるいは、ブロガーである私の年齢がネックとなったのか??  いや、もっと深刻な理由として、「辛口オピニオンエッセイ」ばかり綴って公開している趣味が悪いブログなど誰が受け入れるものか!!  と言うことなのか… 😱 😭 

 想像すればきりが無いし。
 あるいは実に単純な理由として この私が老齢域に達しているせいで、上述の通り、単に記載内容にミスが続いたとの技法面の問題なのか??


 それでもとにかく、本日「原左都子エッセイ集」は“書籍化”を申し込みました。
 誰が読んでくれずとて、この原左都子がこれを日々読みつ返しつつ老後を暮らしたく欲しています!
 (ナルシストか、おまえは???)😜 😝 


 あっと!!  今後もまだまだ原左都子は オピニオンエッセイ執筆を新たな方法で続行する手段を見つけ、エネルギーを燃焼し続けることしょう!!
 

現在の子どもの学力が大幅に低下しているらしい…

2025年08月02日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2025.08.01付朝日新聞 「子の学力 大幅に低下 小6・中3の3年毎調査 全教科で」より転載したもの。)


 早速、当該記事を以下に要約しよう。

 子どもの学力の変化をみる国の「経年変化分析調査」(2024年度)の結果が7月31日に公表された。
 前回より全教科で成績が下がった。 文科省は「継続的な分析が必要」と慎重だが、下げ幅が大きく、識者や省内に「深刻な結果」との認識も広がる。
 調査は原則3年毎の実施で、全ての小学6年と中学3年を対象に毎年実施する弁国学力調査とは別。 ほぼ同じ問題(非公表)を出し、16年度以降の3回分が比較可能という。
 今回は全国で抽出した小6(約3万人)と中3(約7万人)の結果を調べた。 教科は、小6が国語と算数、中3は数学と英語。
 結果は500を基準とするスコアで示された。 参加者の平均スコアは、小6=国語489,9(前回比15,9ポイント減)、算数486,3(同20,9ポイント減)、等 全体的に大幅減だった。
 スコアが下がった要因について文科省は「明確には示せない」とする。ただ、中学英語はコロナ禍が影響した可能性を挙げた。 中3生は小学校で外国語を習い始めた時期がコロナ禍と重なる。「『話すこと』が積極的にできなかった影響」とみる。
 ある文科省幹部は「こんなに優位に下がったことはない。深刻だ」と明かす。 
 保護者への質問調査もあった。 結果によると、子どもがゲームやスマホを使う時間が前回より増え、学校外の勉強時間が減っていた。 子どもが良い成績をとることにこだわらない保護者も増えていた。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入らせて頂こう。

 (過去のエッセイに於いても幾度となく述べている事実で申し訳ないのだが。)
 この私は 特に小学高学年から中学生時代にかけて、学校の成績が良い生徒だった。

  小6時の事件を思い出すのだが。
 女性担任(年齢は50代程の人物)がどういう訳か生徒の「試験成績にとことんこだわる」人物であり。
 教室の座席を2学期になって以降は、試験の成績順に並べるとの方策を打ち出した。
 試験の点数順にクラスの生徒の座席を決めるのだが。
 教室南列の最前列から1番、2番、3番…  次の列の前からその続き…
 このように、北側の列までクラス全員のテストの点数順に座らせるとの方策を打ち出した。😱 

 私事で申し訳ないが、この私のテストの点数は大抵クラスの1~3位程に位置づけていたため。 当然ながらいつも南列の前から1,2.3番目の座席が定位置となる。

 この状態がずっと続き、寒さが襲ってくる晩秋頃になって事件が起きた。
 クラスの保護者からの反論が担任に届けられたのだ! その保護者氏曰く、ご自身の子どもさんがいつも北側の座席で寒さに震えている。この座席の決め方をどうにか改善して欲しい!

 実に真っ当で、ごもっともの御意見だろう。
 この話題は担任に生徒本人が打ち明けたのではなく、生徒間で噂となって教室中に広がったのだが。
 それでも担任は、自身の方針を貫こうとしたようだが。 どうやら学校長からの指導も出たようで、その後の座席は「成績順」は取りやめることとなった。
 
 あの時の我が感想を少しだけ述べよう。
 冷え性の私は特に寒い時期になって以降は、南側の座席が実に有難かったのは事実だ…
 ただ、とんでもない担任の子どもの“成績第一との思想”による差別意識が前面に出た、たかが小学校教員としてはあるまじき許し難き教室内の出来事だった事には間違いない!


 
 それはともかく。
 現在の子ども達の学力が大幅に低下している事実に関しては、憂慮せざるをえないであろう。

 長引いたコロナ禍のせいかもしれないし。
 そうではなく、どうも貧困化が続いているらしき我が国(世界規模で??)の子ども達の現状が大いに気にかかる。
 「子ども食堂」がなければまともに食事が出来ない子供たちが増えているらしいし、学校の給食時間のみが栄養源との子どもも存在するとの話題も聞こえてくる。😱 

 子どもの貧困化とは、まさに子供の能力発育に一番に影響を及ぼす事態であろう。
 どうか行政はこの辺の実態を重く見て、子ども達の健全な発育に更に投資して欲しいものだ!