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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

米ロ両国首脳はアラスカで会談して「両国は4キロしか離れていない」との発言をしたが…

2025年08月23日 | 時事論評
 冒頭から、2025.08.17付朝日新聞「天声人語」を要約引用しよう。


 ベーリング海峡の真ん中に、二つの島がある。 大きな島はビッグ・ダイオミート島と呼ばれ、小さい方はリトル・ダイオミート島という。 ビッグとリトルの距離は4㎞ほどだが、目に見えない違いがある。 
 例えば、日曜日の午前11時、ビッグ島の時計は前日の土曜日の午後3時を指している。  両島の間には日付変更線が通っており、時差が20時間もあるのだ。
 人間が決めた線引きは、厳然と両島を隔てる。 大きな島はロシア領で、正式にはラトマノフ島という。 小さな島は米国に属す。 かつてはともにロシア領だったが、財政事情に苦しむロシアが1867年、今のアラスカ州を米国に売却した。 国境線が引かれたのが、両島の間だった。
 米ロ首脳がアラスカで会談した。 「両国は4キロしか離れていない。我々は近しい隣国だ。 大統領はうれしそうに強調していた。
 ウクライナでの戦争を止めるには、対話が必要だと強く思う。 だが、侵略を続ける国の大統領を赤絨毯でもてなすのはどうだろう。 トランプ氏はうまく踊らされていないか。 心配になる。
 大国の事情で領土が勝手に決められた19世紀の歴史に、元々アラスカに暮らしていた人々の姿は見えない。 21世紀の世界にそんな不条理が重なっては困る。 戦禍に苦しむウクライナの人々を置き去りにするような取引は、あってはならない。

 (以上、朝日新聞「天声人語」より引用したもの。)



 この原左都子も、上記米ロ首脳会談の様子をテレビ生中継にて視聴した。

 米国トランプ大統領が、いつものごとく多弁に発言するのに対し。
 ロシアのプーチン大統領が始終寡黙で、ほとんど発言しなかった印象が残っている。 実際プーチン大統領はあの会見現場でほとんどしゃべらなかった、と言っても過言でなかっただろう。

 これで会談が成立していいのか?!?? と私が懸念しようが、世界情勢には何らの影響力も無いだろうが。

 ただとにかくロシアのプーチン大統領と言う人物は、(特にウクライナ侵攻以降は)実際実に分かりにく人物では無かろうか?


 それでも この米ロ両首相の会談の後日に、ウクライナのゼレンスキー大統領が米国のトランプ大統領と会談することとなったが。
 私の記憶だと、ゼレンスキー大統領は上記トランプ・プーチン会談を受けてのご自身の控えめというのか、ロシアに多少迎合した発言をしていたように記憶している。
 要するに、両大統領がせっかくアラスカにて対談してくれた大本とは。 ロシアのウクライナ侵攻をこれ以上阻止するとの目的が、名目上はあったはずなのだが…

 この件に関する、原左都子のあくまで素人感覚では。
 ロシアのプーチン大統領は、まるでその気(ウクライナ侵攻をやめる意思)が今後に引き続き一切無いものと判断・結論づけている!
 だからこそ、プーチン大統領はトランプ会談時にはほとんど喋りもしなかったのだと想像している。


 それにしても、ウクライナのゼレンスキー大統領と米国・トランプ氏との会談においては、必然的にあのようなプーチン迎合的な会談にならざるを得なかったのであろう。

 とにかく、ロシア大統領・プーチン氏の “あの不気味さ” が大いに気になっている(と言うよりも、一抹の恐ろしさを感じている)原左都子である。

 そうだとして、どうもあのプーチンの不気味な動き(金正恩率いる北朝鮮兵士をも自国の戦禍に利用するとの現状、等々)を止められる人物がこの世に一人としていない限り。

 ロシアによるウクライナ侵攻も終わりなきものとなりそうで辛いし、怖い…
 

未婚の母だった某女優氏の赤ちゃんは、わずか7時間の命であの世へ逝ったらしい…

2025年08月21日 | 人間関係
 本日も、2025.08.15付朝日新聞記事 「語る 人生の贈りもの 7時間で逝った娘 せっかちだね」から引用させて頂こう。

 27歳夏、妊娠。 結婚しないで産むと明かした。
 「未婚の母」なんて失礼なネーミングで騒いだのはマスコミ。 やっとおなかに宿った子供を産むのは当たり前で、別れた男に執着もない。 何事にもフェアでいたいし、おなかが勝手に大きくなるのは変だから公表しただけ。 昔から世間体を気にしない母が「あなたのいいように」と言ってくれたのは、ありがたかった。
 1972年2月、緊急帝王切開で女児出産。 7時間後、短い生涯を終えた。
 おっきなおなかで芝居とか堂々と見に行った。 白い目で見る人履いても、別に。 私が自分の子を産むんだもん。 誰にも迷惑かけてないでしょ。 体を動かしたり子供に良いものを食べたり、真面目な妊婦をしていた。
 この手に抱く間もなく逝っちゃったのは残念だったが。 せっかちな子だよね、私もにたようなもんだけど。 
 亡くなったことをすぐには知らされず「早く赤ちゃんに会わせて」と無邪気だった。 出産4日目、11歳上の兄が経緯を伝える記事を渡してきた。 兄はその前に会見し、娘に名前を付けて荼毘に付してくれた。 
 私は大声で泣いた。
 まだお腹が張っていた時期に、映画の撮影を始めた。 久しぶりの現場では変にいたわられず、なのに暖かくて優しかった。 産後初めてとあって取材陣が殺到して。 すると監督が「彼女は今、一人の女優としてここにいるんだ。 神聖な現場に土足で踏み込むな!」って怒鳴りつけてくれた。 その姿がかっこよくて、私は気持ちよかった。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 上記朝日新聞記事よりの引用文は、某ベテラン女優氏の過去の出来事を朝日新聞がとりあげたものだが。




 話題を変えて。

 この原左都子の出産も壮絶だった事実に関しては、おそらく本エッセイ集バックナンバーにて幾度か触れている。

 何分、38歳時点での高齢初産だった。
 それでも妊娠中は特段の異常も無く、直前まで高校教諭として教壇に立っていた。 
 教室へ行くと、特に女生徒がいつも我がお腹を気遣ってくれたりした。
 私の場合は、妊娠8カ月頃まで教諭としての勤務を続けたのだが。
 いよいよ出産退職の時に学校が全校生徒を体育館兼講堂に集めてくれて、その面前で「出産退職」の挨拶をしたものだ。 それはそれは感激的な場面だった。 特に私が講堂から退席する際に女生徒達が大勢私の周りに集まって来て、口々に「元気な赤ちゃん産んでね!」等々とのエールを送ってくれて。 感激して泣きの涙で退職していったものだった。

 その後は、昼間は自宅にて一人で過ごすこととなった。
 何分初めての妊娠・出産のため、如何に我が身を守るのかが分かりにくい。 とにかく動けるうちは動くべきと考えて、果敢にも一人で買い物に出かけたりもしていた。
 そして、ある日のこと。
 どうも朝から体調が悪い。 そう思いつつも仕事に出かける亭主を見送った後、午前中は洗濯して干したり、午後になったらそれを取り入れたりしていた時の事だ。
 どんどん体調が悪化して、私はついに「破水」した!
 それを急いで産婦人科医院の医師に電話で告げたら、「すぐに病院に来るように!」との指示だ。 
 その頃には既に私は動けない状態で、仕事に行っている亭主にすぐに電話をした。 それを聞いてすぐに帰宅してくれた亭主に連れられて産婦人科医院に行った時には、既に手遅れだった…

 担当医師が急いで救急車を呼んでくれて、私は産婦人科がある大病院に運び込まれた。
 我が子は帝王切開で出すとのことだが、それでも産気付づいていきみ始めているのを、看護婦氏が「いきむな! 手術でお腹を切って赤ちゃんを出すから、いきむな!!」との厳しい指示を私に出し続ける!! 
 いきんでいたのでは私のお腹の子は死ぬ、と悟った私は、どれだけの我慢をしたことか…

 それでも 我が娘は「仮死産」ではあったものの、生後まもなく息を吹き返してこの世に誕生してくれたようだ。

 娘はすぐに保育器に入れられて、退院近くまでそこで暮らしたため、私が娘と初対面できたのは生後何日か経過した後だった。
 それでも、大感激だったなあ。
 何とも“色白で美人の赤ちゃん”だったものだ。  (“色白”だったのは、未だ健康状態が不安定だった故なのだろう、と後で振り返ったりもする…)😷 

 
 現在31歳になって、未だ独り身の我が娘だが。

 とにかく“曲がりなりにも”「生きて」生まれて来てくれた事実に、親としては今尚感謝・感激の日々である。
 

日本のカッパドキア 「吉見百穴」

2025年08月20日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2025.08.19付朝日新聞記事「いいね探訪記 ゾクゾク 古代の謎をのぞき見」 より転載したもの。)


 早速上記記事を要約引用しよう。

 白い岩肌から見えるいくつもの穴は、まるで蜂の巣のよう。 古墳時代の横墓群と言われているが、いったい誰がこんなに密集して、どのように彫ったのか。
 平均45度もの急勾配の斜面に、斜行しながらほぼ並行線状に並ぶ。  国の天然記念物ヒカリゴケが自生する穴もあり、怪しく光る。
 埼玉県吉見町教育委員会によると、穴がほぼ全容を現したのは明治期になってからだ。 
 1887年(明治20年)、帝国大学理科大学(現東京大学理学部)の大学院生で、後に日本初の人類学者といわれる坪井正五郎らが本格的に発掘し、237もの穴を見つけた。  刀や勾玉なども多数見つかったというが、どの穴から何がどれだけ見つかったかなど記録がなく、多くが出土後に行方不明となった。 (中略)
 穴の下には戦争の爪痕も眠る。
 太平洋戦争末期、掘りやすい岩盤に軍が目を付けた。 航空機のエンジン部品を製造する軍事工場を建設するため、十数基の横穴が壊された。 (中略)
 工場跡の入り口に立つと、洞窟内と外気の温度差で生じた冷気が、天然のクーラーになり見学者に涼を与える。 これもミステリアス。
 百穴の所有者で、坪井の調査に協力した地主の子孫氏は「真相を明らかにして欲しいという思いはある」としつつ、「謎は謎のまま、見た人それぞれが、自分なりの百穴を考えて、古代に思いを巡らせてくれたら、いいんじゃないかな」。
 参考のため。 吉見町は埼玉県中央に位置し、人口約1万7千人。 平野部が多く米や小麦、大豆など農業が盛ん。 

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この夏のとてつもない猛暑にただただ耐えているうちに、早くも8月20日を迎えている。

 原左都子個人的には「gooの引越騒動」になど巻き込まれてしまったのが一番の理由で。 
 goo引っ越し失敗、また失敗の試練の日々が続く中。
 この夏は心が嫌でも塞ぐばかりで何らの楽しみもないままに、猛暑に耐えつつ過ごしてしまった感がある。😫 😱 😭 


 そうだなあ。
 もう少し涼しい時期になったら。 
 たとえgooの引越が未だ叶っていずとも。

 埼玉県吉見町の、当該「吉見百穴」の見学に行ってみようかな?!?😃 

 と考えついて、当地までの鉄道網を調べたら。
 意外と我が家から電車利用で1時間半程で到着できるようだ!


 この「古墳時代の横墓群」と言われているとの古代の穴の数々とご対面すると。
 我が現在の一番の心の“元凶”とも言える、「gooの引越し失敗」ごときがどうでもよく思えるようになるかもしれない!?!?


 まさに、古代から数々の多難に耐えてこの世に奇跡的に残っている遺跡とは。
 現世の人々にそんなプレゼントをくれそうに思えるから、不思議なものだ。
 

㈱キリン が 暑くても育つホップを栽培中らしい

2025年08月19日 | 
 (冒頭写真は、2025.08.14付朝日新聞記事「生産量と品質の維持急務 キリン暑くても育つホップ栽培」より転載したもの。)


 早速当該朝日新聞記事を、以下に要約引用しよう。

 キリンホールディングスが高温でも香味を保ちながら、よく育つホップの栽培に成功した。 ビールの原料となるホップ地球の高温化や干ばつなどによって、維持可能な栽培に黄信号がともる。 国内では農家数が減少。 収量と品質の維持につながる研究の実用化が急がれる。
 ホップは北緯35~55度、南緯35~55度の「ホップベルト」と呼ばれる涼しい地域で主に生産される。 日本では岩手県など東北地方や北海道が主な生産地になる。
 異常気象によって生産量は減っている。 (中略)
 ビールの特徴である苦味成分のアルファ酸も含有量があ最大31%減ると見立てている。 
 日本も世界の主産地と同様に、異常気象の影響を受けている。
 「一昔前は真夏でも27.28度だった。暑すぎると、ホップが十分に成長しないうちに開花し、収穫前に実が落下して収量が減ってしまう。最近はその傾向がある」 遠野ホップ農協組合長は近年、異常気象を肌身で感じてた。 「ゲリラ豪雨」の頻発もその一つ。 栽培には十分な水が欠かせないが、ゲリラ豪雨の見舞われると水が一気に引き、土に雨水があまりしみこまない。栽培の「恵みの雨」とはならない、という。
 国内では担い手不足も課題だ。 しかし、産地は高齢化と人口減少に直面し、生産は減少の一途だ。 (中略)
 苦みや香りを作るホップは「ビールの魂」といわれ、ビール製造に欠かせない。 キリンが高温耐性をつけるホップ栽培を研究しているのも、生産の維持可能性をふまえてのことだ。 

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この原左都子は飲兵衛ではあるが、実は昔からビールファンではない。
 いえいえ、飲み会などでは必ず最初にビールで乾杯!! となるが、それには必ずや一杯はお付き合いするのだが。 (要するに、酒ならなんでもござれ!人種ということだが…)😜 😁 
 早めに、別の酒(日本酒でも洋酒でも何でもOK!だが、一番好きなのは焼酎だ!)に移らせてもらって、それを堪能するのがいつもの飲み方だ。


 現在においては、家で飲む時には最初から焼酎だなあ。

          

 これぞ、既に老齢域に入っている原左都子が毎晩愛飲している「ジョウンデー」。 (韓国産の焼酎です。)
 これを毎日、1本ずつと決めている。
 それ以上は、飲まない! (昔から“ざる”の異名を取っている我が身にして、何本でも飲めるのだが。)
 さすがに老齢域に達してそれを未だやってると必ずや体を壊すであろうから、毎晩必ず1本のみと決めている。


 
 最後に話題を、ビールのホップに戻そう。

 この世にビールファンは数多いことだろうが。
 これ程の異常気象が通常になりつつある我れらが地球上において、ビールの主原料となるホップが生産の危機にさらされている現状の中。

 現在、ビール価格は上がっているのだろうか??
 何分、焼酎(上記写真のジョウンデーだが)しか買わない原左都子故に、その現状を全く心得ていない。
 (参考だが、我が亭主はビールファンです。 酒に関しては“各自独立採算制”をとっている我が家であるため、私はビール価格を全く知らない。)
 まあ、同じ程度の価格なのだろう。


 結論としては、人それぞれどんな酒を飲もうが、美味しくて有意義で楽しい時間を過ごしたいものですね!!
 

「原左都子エッセイ集」の引越、相変わらず悪戦苦闘中です…

2025年08月18日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」の場合、ブログ総量が膨大(18年間分のブログの量があります)であるためか何故か不明なのですが。

 どうしても、goo推奨の「はてな」「アメーバ」への引越が出来ない状況です。 (既に数回トライしましたが、未だに成功していません。)


 その代替として「Fc2」ブログへの引越を考慮しましたところ。
 その直後より、Fc2の担当者氏が一日に何度も引っ越しをトライして下さっています。
 その事実は誠に有難く、実に嬉しいのですが。 それにもかかわらず、どうしてもどうしても、「引っ越し失敗」が続く日々です…

 嫌気がさしつつも、何処かへは引越さねばと焦ってみたところで。

 出来ないものは、出来ないのです!!


 本日は考えを変えて。

 またもや、「製本化」などに頭を切り替えてみたりもしつつ。
 これ、どう考察しても、カネがかかりますよね!?!?😖 

 しかも我が「原左都子エッセイ集」の場合、やはり“量が膨大”です。
 私の場合は製本化してそれを書店で売る気など毛頭なく、我が家に保存してそれを自身で読み直せればよいのですが。
 それにしても、この“膨大な量”のエッセイ集を製本化するとなると。 一体何冊になるのか!? 我が家に保存すると言ったとて、保存場所に困惑する程の冊数になりゃしないだろうか??

 既に「製本化」情報も収集したりしているのだが、そんな不安材料も否定できないでいる。

 
 このように、たかが自分が執筆したブログの後始末ごときに困惑する日々を繰り返していると、お先真っ暗感があるのだが。

 我がスマホには、日々「ブログを書店で売りませんか?」と書かれた宣伝が入るが、私の場合そのつもりは一切無い。 
 何故ならばド素人が書いた本など、売れる訳も無いのだ。 これに関しては米国在住の我が実姉が2度も失敗しているので、我が身にも染みている。
 姉の場合は出版社にて3000冊製本して、200万円也。 それを書店に並べてもらい。 売れない場合は回収して自分の手元に返されるのだが。(返された本は、全て自身の負担で廃棄処分せねばならない。) 
 それを2度も繰り返した愚かな姉であり、損失総額は400万円也。


 そんな実情を、嫌と言う程に傍目で見せられてきた我が身としては。

 製本して「本屋で売る」などとの大それた考えは一切無い!!

 
 それにしても、「原左都子エッセイ集」製本化の場合には、おそらくその冊数が膨大になると予測する。

 現在の我が家は一人娘が外に出ているため、亭主と2人暮らしなのだが。
 もしも私が「原左都子エッセイ集」の全てを製本化するとして。 おそらくこれまた膨大な量になると予測するのだ。
 こんなことで、亭主に迷惑かける訳にもいかないし。

 
 かと言って。
 何らかの形で「原左都子エッセイ集」を手元に残したい思いは強いのだが。

 冒頭の通り、他ブログへの引越にすら難儀を極めている有様…


 つい先ほど、自身のパソコン内でのブログ保存に関して冒頭に記した「メモ帳アプリ」情報を頂戴した某氏さん。
 せっかくのご提案でしたが、これも難儀を極めそうに私は想像します。

 そのパソコンページ「メモ帳アプリ」のトップ画面に「某迷惑企業の宣伝」が出て来た時点で、私は信用感覚を失っています…


 こうなると、一体私はこの度の「gooブログ引越」に関して如何なる手段を講じれば良いのか!?!?

 周囲の皆さんがスムーズに引っ越しをされているのを傍目に。

 原左都子は、「お先真っ暗」感が漂うばかりです…