原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

相変わらずネット上で原左都子に関する様々なAI質問が届いているようだ。

2023年11月19日 | 自己実現
 昨日深夜に近い時間帯に 郷里旅行から帰宅したばかりで心身共に疲れている身にして。


 本日先ほどパソコンを覗いてみたら。



 冒頭表題の如くの原左都子に関する様々なAI質問を発見した。

 以下に、そのひとつの質問に対するAI回答を紹介しよう。

 原左都子さんは、日本のエッセイストであり、小説家でもあります。彼女は、時事問題から日常の出来事まで、幅広いテーマを扱い、自身のオピニオンを綴り公開しています。 しかし、私は、経済史に関する彼女の著作については見つけられませんでした。 もし、何か特定の著作について知りたいことがあれば、教えてください。 お手伝いできることがあれば、喜んでお手伝いいたします。 

 (以上、ネット上にて発見した 原左都子に関するAI質問の一つを紹介したもの。)



 原左都子本人からの感想及び訂正だが。

 どうも 各種のAIさんは、原左都子に関して「小説家」と勘違いしている側面が多々あるようだ。😖 
 これに関してはバックナンバーで再三述べているがごとく、私め原左都子は今までにただの一度たりとて「小説家」を目指したり、それになるために努力をした経験はございません!!


 郷里の高校卒業後すぐに郷里国立大学医学部に入学し。
 その過程を無事に終え医学関係者の一員として社会に進出し。 その後ある程度の長き期間 医学分野で活躍してきた経歴を自負しております。
 その後の我が経歴に関しては、ここでは割愛させていただきますが。



 AIが応えて下さっている通り、私どもは「原左都子」とのペンネームにて「原左都子エッセイ集」と銘打つブログを世に公開して、既に16年の年月が経過しております。
 その公開のポリシーとしましては、ブログ画面冒頭に「我がオピニオンを綴り公開します」と明記させて頂いております。


 有難いことに、「原左都子」にご興味を抱いて頂いた方がいらっしゃるのであれば。
 とりあえず ネットにて「原左都子エッセイ集」をご検索下されば幸い、と存じます。



 追伸ですが。

 元よりの「原左都子エッセイ集」ファンの皆様へ。

 昨日航空便の遅れに伴い、深夜に近い時間帯に私はへとへと状態で帰宅しております。(私が住む東京地方は昨日嵐のごとくの天候だった様子で、航空便に大幅な遅れが発生した模様です。😵 😱

 
 留守中の所用の片づけや我が身の疲れ故に、「原左都子エッセイ集」執筆が遅れますことをお詫び致します。

 近々の再公開を目指しますので、またどうか「原左都子エッセイ集」をご贔屓下されば幸甚です!!


郷里の実母とは何とか和解し、明日郷里へ旅立ちます

2023年11月15日 | 人間関係
 和解したと言うよりも。


 年老いて高齢者自立支援施設にて暮らす実母の面倒を率先して見ねばならない人間は、この私以外に存在しないため。
 今回の旅程にて必要な前準備を、次女の私が旅行に際して滞りなく実施する羽目になった訳だが。

 特に明日出発旅行の第一目的が、実母永代供養予約先の四国霊場・5番札所地蔵寺訪問・ご挨拶だった故に。 前もって訪問予約や手土産の送付等を実施した訳だ。


 昨日 その所用のすべてを滞りなく完結した旨を郷里の実母に告げると。
 予想以上に喜ぶではないか! 
 
 いや、実際面倒な作業だった。
 何分 未だ左膝複雑骨折後の予後が万全ではなく 重い荷物を持って移動するのは危険性がある我が身のため、それらすべてを宅配便にて送り届ける手配を施したり。
 地蔵寺のご住職さんにお電話にて訪問予約を入れると。
 さすが、お遍路さんに人気の四国霊場のお寺のご住職(地元では“おじゅっさん”と呼びます。)が、案の定 御多忙でいらっしゃるようだ。 我が希望日は面会は無理か?? と一瞬悪い予感がしたものの、ご住職が「朝の9時から1時間のみでしたら御面会可能です」と応えて下さって安堵した。
 お陰で、今回の旅中のご住職と実母との会合は叶う事となった。


 その報告を受けて電話にて実母が言うには、「そんなに早い時間帯だと、施設の朝食をキャンセルしなければいけない。」
 それに応えて私曰く、「それならば私がコンビニでおにぎりでも買っていくから、それをタクシーの中で食べてもらえるかな? いくつ食べる??」

 余談だが、実は我が実母は年老いて尚 “大食い”人種だ!😱   まあそれが長生きのひとつの秘訣でもあるのだろう。 
 それは実母の自由だが、自身の感覚で「〇子は、もっと食べなきゃダメ!!」発言をし過ぎるのは我が身としては耐えがたい、と言うより腹立たしい!  どっちがより健康でより美しく??、より有意義に生きているかを よーーーく考察してものを言って欲しいものだ!!😝 

 で、実母から「おにぎりいくつ??」の返答が返ってこない…  一体いくつ買っていきゃいいのか不明だが、多めに買って行ってやるべきだろう。😖 



 とにかく、明日朝から私は郷里へ向けて旅に出ます。
 
 我が流儀として旅道中はそれに集中し、一切の「原左都子エッセイ集」執筆は実施しません。

 帰宅後、また皆様と交流させていただけましたら幸いです。
 

「旅行って、実はそんなに行きたいわけじゃないのかも??」

2023年11月12日 | 旅行・グルメ
 冒頭表題は、2023.11.01付朝日新聞「論の芽」欄より引用させていただいた。


 昨日公開したエッセイの続編の形となりそうだが。

 早速、冒頭表題が書かれていた朝日新聞記事「論の芽」より、作家・町田康氏による「旅行、そんなに行きたい? 不便だし面倒なのに」の一部を、以下に引用させていただこう。

 僕(町田氏)が旅行嫌いである一番の理由は「不便」だからです。家であれば快適に過ごすために用意されているものを、持っていかなければいけない。「忘れていないか」と考えなければいけない。汚れものも持ち歩かないといけない。 (中略)
 しかも、「必ず帰る」という重い十字架を背負うことになる。 もう旅行は「遊び」じゃない。仕事以上にめんどくさい。 海外旅行になると、さらに不便も不安も増大する。
 僕は消費するより、何かを生み出す方が楽しい。心の中に「いいなぁ」と湧いてくるのは自分の内側から発生する「生産」だが、観光地の人工的な珍奇な所に身を置くのは「消費」と感じる。 (途中大幅略)
 なんとなく周囲に合わせて「旅行に行かなきゃ」と思う必要はないし、もし
「家で発散」するタイプであったなら、堂々と家で遊ぶことをおすすめする。
 わざわざお金をかけて大変な思いをするのが嫌になったり、やめにしたことも何度かある。 

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 ここのところ我がエッセイ集では、今週の木曜日に出発する「郷里旅行」に関する記述が続いているが。

 今回の我が「郷里旅行」の場合、そもそも「旅(たび)」と言うよりは実母の永代供養の生前挨拶であったり、郷里出身大学の同窓会出席であったりと。 その目的が通常の「旅」とは異質のものであろう。

 それ故に元々“エンジョイ”するのが第一義ではないことが、むしろ私としては“救い”ですらある感覚だ。


 これに対して、特に独身時代に友と共に実行した海外旅行(ヨーロッパ、米国、バリ島、香港、etc.)は、楽しむのが第一義であったことには間違い無い。
 何と申しましょうか独身との自由度が大きく功を奏したのだろうが、これらの旅行は確かに嬉し楽しいものだった。

 その中でも 独身最終期に旅した米国西海岸に於いては、国際恋愛に発展するべく現地男性との出会い等々もあり(結果としては半年程で別れが訪れたが…)、今思い起しても何とも印象深い旅となったものだ。

 その後 晩婚後は、どうしても幼い娘中心の旅行とならざるを得なかった。
 旅行中の自由度を最優先したい私だが 安全を考慮した場合、例えばエジプト・ギリシャ方面を訪れる際には、不本意だが団体旅行に依存した。

 いやいや、某美術家女性(娘の造形・絵画の恩師だが)にどういう訳か50代を過ぎた母親の私が誘われて、インドやアルゼンチン・ブエノスアイレスへ国際美術賞受賞式典出席のための個人旅行へ出掛ける機会を得たのは、何ともラッキーだった!!
 あれ程、自由度が高く奔放に活動できた旅行はまたとない我が思い出である。

 その後は大学生になった娘を長期休暇中に引き連れて、海外個人旅行へ幾度か行ったものだ。 (ウィーン、米国西海岸、台北、等々)
 米国西海岸など私としては人生3度目の旅だったこともあり、娘の意向を無視して自分の方針で旅程を練ったのがマイナスでもあった… 
 旅程最終日の夕方に 普段は大人しく従順な娘から、「観光名所へも行きたい!!」なるオファーが出て。 
 我が独りよがりの旅程を十分に反省させられた… 😭 
 急遽、タクシーにて「ゴールデンゲイトブリッジ」へ走ったものだ! 
 あの時娘と2人で観た、夕焼けに輝くゴールデンゲイトブリッジの何とも美しかったこと。 
 ホテルへの帰り道タクシーの中での娘の笑顔が今でも忘れられない。 
 我が脳裏にいつまでも残っている、娘の笑顔の光景… これぞ、旅行の醍醐味かもしれない。😷 😪 


 
 そのように考察してくると。

 最初は乗り気でなかったとて、旅行中に多少の失敗があったとて。
 やはり、旅行って “行ってなんぼ” のものではなかろうか?!?

 我が今週の郷里旅行も、そうであって欲しいものだが…
 

来週予定している郷里旅行が実に憂鬱…

2023年11月11日 | 人間関係
 何故かって。


 観音寺のマチ子さんにお会いできることや、叔母のさっちゃんとの再会は実に楽しみなのだが。


 過疎地国立大学医学部出身の私だが。

 医学部時代の同窓会出席に関しては、楽しみな部分もあるが。 一体どなたが出席するのかも不明だし、そのメンバーによっては気を遣うべき場面もあるものだし。
 とにかく私としては、40数年前の卒業以来初めての出席となります。😲 (卒業後、ずっと東京暮らしとの理由が大きいが。)
 いえいえこの私、在学中は結構目立った存在だった。 とにかく外見身繕いが派手だったし、行動も派手だった。 もちろんのこと、それをマイナスに捉える仲間や教員もいるに決まっていた。
 それでも、とにかく積極性のある学生だった事には間違いないだろう。
 大学のダンパ(ダンスパーティ)通いや、学内ロックバンドの追っかけ等々 余暇を十分にエンジョイしたものだ。
 その身にして、卒論(卒業研究)にはこだわり精力を注いだお陰で 担当教授にその頑張り力を買われ、我が卒論を医学冊子に投稿してもらえたものだ。

 1学年がわずか18名との少人数だったお陰で、今尚その全員の氏名を記憶している。
 その中で、一体全体来週開催の同窓会には誰と誰が出席するのか。 楽しみでもあるなあ。


 観音寺のマチ子さん(上記我が医学部指導教授の奥様)に関しては、お住まいの観音寺が空港の近くに位置しているため。
 郷里訪問時には、空港到着後に直ちにタクシーにて観音寺へ向かう習慣がある。 今年もそのスケジュールだが、これは無事に楽しく過ごせることと想像している。


 叔母のさっちゃんには、2日目の実母永代供養先の四国霊場5番札所「地蔵寺」へ同行いただく予定だが。
 既に電話にて連絡を取り合っているが、快くお付き合いいただけることであろう。



 そうなると、一体何が憂鬱なのかと言うと。

 それはやはり、実母だ。
 叔母のさっちゃんと連絡を取り合って、実母の現状や何を考えて悪態を突いているのかをある程度把握出来たものの…

 その後、実母から何らの電話も無い。 
 私側から電話を入れたらどうか、と皆さんは思われるのだろうが。 また悪態突かれるのが私にとっては実に恐怖でしかなく、それを避け通している。😖 



 とにかく来週11月16日には、私は郷里へ旅立ちます。

 実際に現地へ訪れた私に、実母が更なる悪態を突くのかどうかは不明だが。😨 

 今回の旅行の主たる目的が、5番札所地蔵寺にての実母の永代供養申し込みの確認及び、実際の葬儀後の段取りを確認をすることにあるため。
 それに関しては叔母のさっちゃんの援助も得つつ、無事に整えて来る予定です。


 実際、今から “胃が痛くなる” ような我が課題であります…


医師による「誤診」勘弁して欲しい!

2023年11月10日 | 医学・医療・介護
 本エッセイ集 2023.01.17付バックナンバーに、「天才文豪・思想家ドストエフスキーは、てんかん持ちだった」と題するエッセイを公開している。


 早速以下に、その一部を再掲載させていただこう。

 長年この世に生きていると、天才文豪・思想家ドストエフスキーのファンと出会うことがたまにある。
 その一人が、我が亭主なのだが。 
 我が亭主に関しては、本エッセイ集バックナンバーに時折小出しにしているが。
 亭主の本業は、物理学研究者である。 過去にネイチャー論文も提出したとの業績のある人物なのだが。
 この亭主が、ドストエフスキーファンであることを私は見合いの席にて最初に聞いた。
 見合いと言えどもお互い既に40歳前後の年齢に達していたこともあり、見合いにて知り合った後は二人で飲み屋で語り合う機会が多かった。
 その際にお互いの学問上の共通趣味である、「量子力学的実在論」や「プラトン哲学」の話題が出た合間に、亭主が「ドストエフスキーファン」であると言う。
 亭主が何故ドストエフスキーファンになったのかと言うと、高校時代の家庭教師だった東京外大生(男性)の影響を大きく受けた結果だと語ったものだ。
 この東京外大生、亭主から聞くところによるとどうやらご本人が“天才肌”だった様子だ。 物理学にも詳しかったようで、この人物の恩恵により我が亭主は大学にて物理学を専攻し、その後物理学研究者として成功できたと言って過言では無かろう。
 そして、今回の話題であるドストエフスキーに関しても、当該東京外大生より大きな影響力を受けたとのことだ。
 最近の話題に移ると。
 亭主が言うには、そのドストエフスキーが実は「てんかん」を患っていたらしいのだ。😲
 そして亭主付け加えて、「どうやら天才が『てんかん』を患っている事例が多いらしい。」
 そう言われてみると。
 この私も、子供の頃は“天才肌”だったかもしれないなあ。 幼稚園4歳児の時点で園で受けたIQ検査にて、園創設以来最高得点であるIQ168を記録したし。😁
 ただ、私は“てんかん”は患っていないぞ!😶 😷
 (途中大幅略)
 てんかんの診断は、脳波ではっきりするが、発作はいつ起こるか予測できないものなので、発作の起きる時をねらって脳波を記録することはできない。
 ドストエフスキーほど、自らの記録や目撃証言が後世に残っている著名人は他にいない。なによりも、作品の中で多くのてんかん者を描いた。てんかん学者や神経科医がドストエフスキーに注目するのは当然のことだ。
 (途中大幅略) 
てんかんは、主に「脳波」検査により“てんかん波”が出現することが確定診断となるようだ。
 幼少の頃“天才肌”だった(!??)この私も、一度脳波検査を受けてみるのもいいかも??!?

 (以上、原左都子エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 実は、このエッセイを執筆して公開したのには、理由があった。

 その理由とは、昨年11月に「左膝複雑骨折」にて手術入院した際の退院後通院期間中に、リハビリ科医師より とんでもない誤診を受けたのだ! (私としては最大の屈辱とも言える誤診だった。)

  その時の診察場面を再現すると。
 その医師先生(見た目はおそらく70歳程の男性医師だった)とは初対面だったのだが。
 私が診察室へ入るとまず私を診るより先にその医師は、カルテを熱心に見ていた。 
 それはよしとして、驚かされたのは開口一番に「あなたは“てんかん”ですね。」
 医学関係者の私としては青天の霹靂であり、「そんな診断を下されたのは人生初めての事です! 何を根拠にそう診断されたのですか?」
 それに応えるでもなく、「転んで倒れたようですが、普通の場合何でもない時にそんな激しい倒れ方はしない… 云々…」

 すぐに「待った!」をかけて私曰く「あの時は転んだ際に右顎を激しく打って脳震盪を起し、一時意識を無くしたようですが。 とにかく 我が過去医療歴として“てんかん”呼ばわりされたことなど皆無です! しかも、我が人生に於いて気を失ったことは中学生時代に貧血で倒れた時のみです。 そもそもこの年齢になって“てんかん”を発症するものなのですか?!?」
 
 医師先生がそれに応えて、「その年齢で十分に“てんかん”を発症しますよ。」
 
 (話にならんなあ…)との結論を出した私は、その後当該医師先生は避けて通る方策(その医師がいない曜日に受診するとの)を取った。
 幸いなことに、その後別の医師先生の診察時には一言も“てんかん”の言葉は出ないし、私もその事故時の後は一度たりとて倒れたことは無い。


 本日この“てんかん”関連エッセイを書こうとのきっかけを得たのは、最近の朝日新聞記事「患者を生きる てんかんと働く」を読んだことによる。

 記事に登場した29歳女性の「てんかん歴」を読ませて頂いて、改めて驚いた。
 “てんかん”とは大変厳しい病気であることを初めて認識させて頂いた。
 投薬療法しか方策もなく、その量が上限に近づいても発作を抑えられるものではないようだ。
 当該患者さんの切実な思いがひしひしと伝わる。「今回が最後の発作であって欲しい…」

 その願いが叶う事を私も応援申し上げたい!!