原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

冷蔵庫内食品入替え技術の「プロ免許」が貰えそう?!?

2018年08月22日 | その他オピニオン
 (写真は、本日日立より届けられた新しい冷蔵庫を撮影したもの。)


 またもや今回のエッセイテーマは、我が家の欠陥冷蔵庫の話題に舞い戻るが。

 つい先程欠陥冷蔵庫の代替品である新型冷蔵庫が到着し、その入替え作業を終えたばかりだ。
 おっとっと、腰痛再発か??? 


 2本前の 2018.08.18公開「それはそれは大変だった日立との交渉、まだまだ続く…」最後の部分を、今一度以下に振り返らせて頂こう。

 夜電話を寄越したE氏と名乗る日立のクレーム担当(?)技術者氏が、今回の冷蔵庫故障騒動に於いて今まで関わった日立社員の中で一番“まとも”たっだ事実に救われた。
 そのE氏が我が手記である(当エッセイ集よりコピーした)文書全文をお読み下さったのだと言う。
 それにより、2017月2月に当該「欠陥冷蔵庫」を購入後の“故障の連続及びその詳細”、それに伴う我が家の心労の程をある程度理解出来た、とおっしゃって下さったのだ。
 (日立は大手企業のため土日が休日であり)、実際の折衝は明後日の8月20日まで持ち越されるが、昨日のE氏の返答姿勢を鑑み、よき結果が導けそうに期待している。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーの一部を振り返ったもの。)


 その8月20日に、日立のE氏は精力的に動いて下さった。
 とにかく私が8月24日に米国旅行出発を控えている身であり、それまでに必ずや冷蔵庫入替えを実施しておきたい旨を伝えておいた。
 その我が意に添うため、E氏は20日に幾度も電話連絡をくれた。
 それは音楽スタジオでのフルート練習中も例外ではなかった。
 完全防音室のため他室よりの演奏は聞こえないはずにもかかわらず、小さい音量の楽曲が室内に響く。  大音量でフルートを吹いていた私の耳には当初これが何だか理解不能だったものの、その後すぐさま日立のE氏よりの緊急連絡であることを悟って携帯電話に出た。
 案の定E氏だったのだが、その電話でE氏は22日水曜日に新しい冷蔵庫との交換を確約して下さったのだ!


 そして本日、日立の新しい冷蔵庫が我が家に到着した。
 E氏によれば、冷蔵庫の色合いが“薄茶色”になるとの事前情報であり、それを少し懸念していた私だ。
 (ん? 薄茶色?? 要するに“黄土色”か???)と。
 結論から言えば、これが実に美しい。 表現を変えると、ソフトゴールドと言おうか? 私にはお気に入りの柔らかい色合いだ!

 わずか1年半との短期間内に、冷蔵庫交換入替作業を三度(みたび)も実施している我が身にして、この作業が“お茶の子さいさい”である事実を喜んでよいのやら嘆くべきなのやら…
 とにかく本日の冷蔵庫内食品入替作業の我が手際の良さといえば、自分で実施して自分を褒めたい程だった。
 ただ現在の冷蔵庫入替え作業に関しては、輸送業者も「現場に到着するまで冷蔵庫の電源を付けておいてよい」との方針に移り変わっている。 
 これが入替作業を施す身にして実に命拾いである。 とりあえず冷蔵庫内の食品を個別にまとめた後に、それぞれの部屋に戻して輸送会社の到着を待てば済む故だ。


 それにしても本日の冷蔵庫入替え作業時に日立のE氏がわざわざ我が家までお越し下さり、作業に同席下さったのには感激した。
 その後E氏から今後の我が家の冷蔵庫の展望にまで話が及んだ。
 E氏曰く、「1年半の短い期間内に3度の冷蔵庫取替を実施したのは我が家以外に例が無い」、との事だった。
 ただ、何故それに応じて下さったのかに関して再び持ち出されたのが、我がエッセイ集をコピーした文書だったと言って過言ではなかったのかもしれない。(単なる原左都子の勘違い感覚に過ぎないかもしれないが。)

 そのE氏は帰り際に 「また新しい冷蔵庫に不具合が生じましたら、私宛に連絡を頂けますように。 もしかしたら人事異動で他部署に移っているかもしれませんが、必ずや私が一旦対処致します。」との嬉しい反応も頂いた。


 さてさて日立冷蔵庫騒動は、これにて一件落着するべきだろう。

 台風20号が日本列島直撃との様子だが、現在の我が使命は娘を引き連れて無事に米国西海岸旅行を全うするべく準備作業に入るべき事にあろう。


一旦、米西海岸旅行準備に話を戻そう

2018年08月21日 | 雑記
 (写真は、米国西海岸旅行にて私が宿泊するサンフランシスコのホテル近辺地図のコピー。)


 日立欠陥冷蔵庫の件に関しては、明日8月22日に別機種との交換にまで交渉が発展している。   
 どうやら明日の午後にその冷蔵庫が我が家に到着するとの事で、私は明日午後は冷蔵庫内食品入れ替え作業に時間を取られるはめとなる。

 今現在NHKテレビでは、夏の甲子園初の秋田県勢にして103年ぶりの決勝進出を果たしたとの「金足農業高校」が出場している甲子園夏の大会決勝戦が行われている。 それも見たいのが山々だが…

 ただここは、束の間の空き時間に少しでも我が米国西海岸旅行の予習をするべきだろう。


 何分、今回は母娘二人の貧乏個人旅行だ。

 フライトとサンフランシスコにての宿泊ホテルの最終情報が届いたのが、先週火曜日の事だった。
 ホテルバウチャーを見て、ホテルの位置を地図にて確認してみると。 
 さすがに(若者の貧乏旅行で名高い!?)HIS社のネットを通して要望しておいた、スタンダードホテルの場所は恵まれている!
 バート(現地の地下鉄のことだが)のシビックセンター駅に程近い場所のホテルで、これは西海岸各地への移動に便利そうだ。
 加えて、フードセンター(スーパーマーケットのようなものか?)がホテルの地下にある。 諸外国へ行くと必ずやスーパーマーケットに立ち寄りたい我々母娘の希望も満たされそうだ!
 しかも、近くにカリフォルニアでは著名なオペラハウスもあるようだ。(ただ時間的制限により、そこでオペラ鑑賞する暇はないだろう…)

 バート駅がホテルから近かったのは実にラッキーだ。 
 今回の旅行第一目的地がU.C.バークレーなのだが、その地へはシビックセンター駅からバートに乗車して一直線で行ける!
 我が19歳時(40年以上前の話だが)にU.C.バークレーサマータイム短期留学に参加した事はバックナンバーにても公開済みだが。 その際に大学の休日にこのバートを利用して、単身でサンフランシスコへ行った事も記した。
 今度は娘同伴で逆ルートをバートで辿れることが楽しみだ。

 あるいは、バックナンバーにて当該旅行に関して記した「サンフランシスコ近代美術館」へ、バート乗車により数分で到着できそうでもある。 
 ひとつ残念なのは、バート路線から外れている「カリフォルニア科学アカデミー」訪問は時間的に不能であると判断した。 その分、余った時間はホテル近辺の観光や買い物に費やそう。 などと昨夜娘と話し合えた。


 これも、欠陥冷蔵庫の機種交換交渉が日立と叶った故の余裕だったかもしれない。

 明日は必ずや冷蔵庫機種交換作業をつつがなく済ませ、更に気持ちを米国旅行へと高揚させたいと願っている!
 

それはそれは大変だった日立との交渉、まだまだ続く…

2018年08月18日 | その他オピニオン
 一昨日公開の本エッセイ集バックナンバーに於いて、昨年2月に購入したばかりの日立の冷蔵庫が三度(みたび)故障した事実に関して述べた。

 その最終部分のみを、以下に反復させていただこう。

 早速故障連絡を入れたところ、日立から電話が掛かって来た。
 「明日修理部門社員がご自宅に伺います」と女子担当者が電話で告げるため、当該RF48M1機種が我が家で幾度も故障を繰り返している事実をご存知か?確認した。
 女子担当者応えて「存じております。 度々迷惑をお掛けして申し訳ございません。」
 すかさず私が返して、「こちらから提案があるのですが、もしも今回も故障原因不明の場合、RF48M1機種ではない日立の“故障を起こさない”類似機種と交換は可能でしょうか? 差額はこちらが負担しますが。」
 女性担当者曰く、「私が判断する訳にはいきませんので、明日伺う技術者にその旨伝えておきます。」
 その後亭主と表題の「リコール訴え」を話し合ったが、亭主曰く「国内では冷蔵庫のリコールの話は聞いた事が無い。とにかく別機種への交換の折衝をしよう。」
 さてさて、明日我が家へやって来る日立技術者は、またもや「使い方が悪い」と我々家族に責任転嫁をするのだろうか?
 いやはや、まったくもって勘弁して欲しいよなあ。 米西海岸旅行出発日も切迫しているこの時期でもあるのに…。 
 私はわずか1年半足らずの短期間内に、三度(みたび)の冷蔵庫内食品入れ替え“重労働”をこなさねばならない運命を背負っているのか!?!


 一昨日、エッセイを書き終わった午後3時半頃だっただろうか?

 午前7時頃に応急措置として、我が家の判断により“電源を引き抜き再び入れる”との手段により強引に復旧させた冷蔵庫が、またもや運転停止している。
 やむなく再び電源を引き抜き入れる操作をしたところ、しばらくして稼働し始めた。
 この症状は、昨年一台目が故障した時より劣悪だ。  明日修理担当者が我が家を訪れるまで、果たしてこの冷蔵庫が持つのか懸念しつつ…

 深夜0時前頃、亭主が起きて来て冷蔵庫の点検をしている。 それに気付いた私も起きたところ、案の定冷蔵庫が停止している。  一日に3度の電源引き抜きを実施しつつ、亭主と「この冷蔵庫、朝まで持つのかどうか…」と再度嘆き合いつつも、「とにかく明日の日立担当者が来るのを待つしかない」と諦めた。
 その後も眠れやしない。 こんなくだらない事で眠れないのが何とも腹立たしくて、ますます眠れない。 ただ、普段はすべての家庭内事案処理を私に一任している亭主が、壊れた冷蔵庫の事を考えてくれていたのが救いだったのも事実だ。


 さて、日立の担当者は翌日(昨日のことだが)昼12時ちょうどにやって来た。
 昨年来た技術者とはまったくの別人だが、大手企業の場合人事異動が多いのは承知しているため、やむを得ないだろう。
 そんな事態も予想して、実は私は一昨日2018.08.16に記した 日立冷蔵庫が欠陥品である旨の我がエッセイの個人情報部分を削除した文面をコピーしておいた。 (それが後に「効力」を発揮することとなるのだが。)

 想定内だったが、初めて我が家を訪れた修理担当者氏が、我が家の冷蔵庫を一見して。
 「現在の冷蔵庫とは“自動霜取り機能”が付いていて、これが機能した時に室内温度が上がります。」と私と亭主を説諭し始めるではないか! 
 そこまで聞いて、(コイツ、要するに我々がその“霜取り機能”を「故障」と勘違いして大騒ぎしていると捉えたな。)と気付かない私と亭主ではない。
 内心怒り心頭の私だが、ここは冷静に対応するべきだろう。
 「この冷蔵庫が昨年より新品同様にして故障を繰り返し、機種交換した挙句の果てにまで故障をした事実をお聞きになっていないのですか!?  それを想定して冷蔵庫故障に関する詳細を綴った文書を用意しましたので、是非これをお読み頂きたいものです! 氷室内の氷がほぼ全部解けたり、冷凍室内のアイスクリームや肉類を溶かしてまでも、貴社の冷蔵庫は“霜取り機能”を優先するべく設計にしているのですか!!」 ここまで私が追及し始めると亭主も加担して、「“霜取り”?? この故障状態がそんな訳ないでしょう!」と訴えたところ…。
 日立の担当者が冷静さを失い始め…
 「私は単に修理担当ですから、そんな事を私に言われても困ります。 今日はコンピュータを交換して持ち帰りますが、(私が手渡した)文書に関しては、必ずや技術者に手渡し読んでもらいます。」と応えてくれたのが救いでもあった。

 そのコンピュータ解析に時間がかかるとの事で、結局日立の正式技術担当者より電話をもらったのは夜の18時半頃だった。 
 (その電話を待たされるがために自宅に留まらざるを得なかったお陰で、私は毎週金曜午後の日課であるスポーツジムトレーニングに行けず終い……  実際、日立冷蔵庫が欠陥品だったせいで被り続ける被害の程は実質面・精神面で多大だ。

 夜電話を寄越したE氏と名乗る日立のクレーム担当(?)技術者氏が、今回の冷蔵庫故障騒動にて今まで関わった社員の中で一番“まとも”たっだ事実に救われた。
 そのE氏が我が手記である(当エッセイ集よりコピーした)文書全文をお読み下さったのだと言う。
 それにより、2017月2月に当該「欠陥冷蔵庫」を購入後の“故障の連続及びその詳細”、それに伴う我が家の心労の程をある程度理解出来た、とおっしゃって下さったのだ。

 (日立は大手企業のため土日が休日であり)、実際の折衝は明後日の8月20日まで持ち越されるが、昨日のE氏の返答姿勢を鑑み、よき結果が導けそうに期待している。


 いやはや、何事に関しても「記録」とは付けておくべきことを今更ながら実感だ。 

 それがたとえ「ブログ」なる世間一般では“信憑性の低い”媒体であろうが、その記述が後々役立つこともあり得る事実を痛感させられる今回の事件でもある。

日立冷蔵庫 RF48M1 は欠陥品!リコールに持ち込みたい!!

2018年08月16日 | その他オピニオン
 本日朝、またもや我が家の冷蔵庫が壊れた。

 今朝一番先に冷蔵庫を開けた娘が、いの一番にそれに気付いた。
 「製氷室の氷が全部溶けてる…」と、滅多に人に話しかけない寡黙な娘がサリバンの私に訴える。
 急いで駆けつけてみると、製氷室の氷が溶けた水に浮いた状態。 更にはチルド室(と言うのか?、少し温度が高めの冷凍室)のアイスクリーム類がトロリと溶けて、凍結していた肉類が柔らかくなっている。 大型冷凍室内では水が大量に垂れている始末…。


 昨年以前より我がエッセイ集をご覧頂いている皆様は、覚えて下さっているかもしれないが。

 そもそもこの日立のRF48M1 型冷蔵庫を、昨年2017年2月に買い替え購入した。
 その後3ヶ月しか経過していない2017年5月に、第1回目の故障を起こした。(症状は本日とまったく同様。) 保証期間内のため当然ながら無料修繕と相成ったのだが、結局その原因は不明のまま…。

 更に6月に、またもやまったく同様の故障を起こした。
 5月の故障時に故障原因が不明だったため、再び同様の故障を引き起こしたならば機種交換をこちらから提案していた。
 日立は渋々それに従ったものの「欠陥商品」である事は断じて認めず、あくまでも顧客のこちら側の“使い方が悪い”せいにして、事を済ませようとするではないか?!!


 その際の状況を本エッセイ集 2017.06.26付「新しい冷蔵庫が壊れちゃった…(続編)」と題するバックナンバーに於いて公開しているため、以下に再掲載させていただこう。

 家電の中でも人間の生命維持にとって一番重要な役割を果たすのは、まさに「冷蔵庫」なのではないかと、新品の冷蔵庫が故障続きの今実感させられる。
 本エッセイ集に於いて2本前に公開した「新品の冷蔵庫が壊れちゃった…」の一部を再度以下に掲載させて頂こう。
 人間とは、予期せぬところで不運に見舞われるものだ。
 2017.2.5 に買替えをしたばかりの新品冷蔵庫に最初に異変が生じたのは2017.5.27 の事だった。
 凍結しているはずの氷と冷凍室のアイスクリームが溶けているではないか! これは異常事態と判断した私が、冷凍室を更に観察すると室内で水が垂れている。 そう言えば、昨日から冷蔵庫特有の機械音が全くしなくなっているような気がしていた私は直ぐに「故障」と判断し、販売元の家電量販店に電話を入れた。
 修理担当者が我が家に訪れたのは2日後の午後だった。  その間に亭主と二人で無い知恵を絞り、自力救済するべく冷蔵庫の設定をいじった。 それが功を奏したのか、「急速冷凍」「冷蔵室・冷凍室強運転」に切り替えると、冷蔵庫は修理員が来る前に復帰していた。
 修理員が2017.5.29 に遅ればせながらやって来て言うには、「冷蔵庫は正常に機能しています。 ただコンピュータ制御に何らかのトラブルがあった事が考えられますので、コンピュータを交換して持ち帰り分析します。」  後のその回答とは「コンピュータ制御には何らの問題がありません。 ただ一点、お客様が〇月〇日(故障した5日程前)に冷蔵室に大きなものを入れませんでしたか?」 
 私が応えて、「確かに私が〇月〇日に狭い野菜室に入り切らないレタスとキャベツを冷蔵室に入れた事は事実です。 ただ、そういう事は過去の冷蔵庫でもいつも実施したことですし、それが原因で新しい冷蔵庫が故障したとは考えられないですよねえ。」 それに応えて修理員氏も「とにかく原因が不明ですので、また故障が発生した際には直ぐにご連絡下さい。」
 それからわずか3週間後の 2017.6.20 に我が家の新冷蔵庫は、まったく同様の故障を再度勃発させるはめと相成った。   恐らくそうなる事だろうとの事態を十分に予測していた私は、前回の修理後より冷蔵庫に“付きっきり”状態だった。 特に「冷凍庫室内」の食品を凍結融解再冷凍を繰り返す事による劣化を避けたい故に、私は常に冷蔵庫のコンピュータ制御のデータを見守りつつ冷蔵庫が発する音に注意を払っていた。  それが功を奏して、今回の故障発見は早かった。 
 さて2017.6.23 がその修理日だったのだが、前回来たメーカーの修理担当者同一人物が修理にやって来た。  故障が2度目ともなるとさすがに“平謝り状態”の中、やはり前回同様に「コンピュータ制御部品」を回収して分析すると言う。
 それは良しとして、私は思い切って切り出した。 「要するに、これは新品にして“欠陥商品”だったとの事ですよね。 もしも、もう一度同様の故障が発生した場合、冷蔵庫交換が叶いますか?」  それに応えて、修理担当者曰く「そういう事になります。 同様の故障が今後も発生するとしたら、それは冷蔵庫中心部のコンデンサーの異常としか考えられませんので、新品交換と致します。」
 いやはや、新品交換を大手メーカー直属の修理担当が認めてくれた事実を持って、今回の我が家の新冷蔵庫の故障騒ぎが一件落着し、少しだけ私の気が晴れた思いもする。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
 エッセイの本題はここからだ。 
 あくる日の2017.6.24 午前中、修理担当者より電話が掛かって来た。
 そして電話口で言うには、「コンピュータ制御部品の分析結果、グラフに不安定要因が出ています。 並行して貴宅の冷蔵庫のドアの開閉が多いという結果も出ています。」 
 私応えて、「ドアの開閉が多いとおっしゃいますが、自覚症状はまったくございません。 我が家は大人3人暮らしで小さい子供もいなければ、私自身が元々節電観念が強い人間でして、冷蔵庫ドアの開閉には十分に配慮しています。 今まで使用した冷蔵庫使用状況と同様の生活をして今回貴社の新品冷蔵庫が故障したとの事実ですので、ここに来て我が家の冷蔵庫使用実態を責められる事態が納得いきません!!」  との我が発言を遮るかのように修理担当者が更に言うには、「これからの季節、更に暑くなりますので冷蔵庫ドアの開閉に関してご注意され…」
 ここで怒り心頭の私が、「冷蔵庫を新品交換するとの昨日の話は如何進んでいるのですか!?!」
 担当者曰く、「はい、交換致します。」  我が内心だが、(ならば、さっさとその話をするべきだろうに!)
 更に私が尋ねて曰く、「交換して下さるとの事は承知しましたが、同機種が他にも欠陥を多発しているとの事実はありませんか? せっかく交換してもまたもや故障続きとの事態だけは是が非でも避けたいのですが。」
 これまた担当者が我が発言を遮って曰く、「そのような事はまったくございません!!」
 要するに、メーカー側が「冷蔵庫交換」を実行するとの事実は、イコール 販売した冷蔵庫が「欠陥商品」だったことを認めている、との揺るぎない事実である事に間違いない。
 顧客側の私としては、それのみ伝えて欲しかったのに、何故交換最終段階に至って、“我が家の冷蔵庫の使用法に誤りがある” と主張して片付けたいのか!??
 つまるところ、冷蔵庫交換した後に一顧客庶民の私が「〇社の冷蔵庫が“欠陥商品”で、買ったばかりなのに故障続きで大変な思いをしたのよ~~」などとの悪風評を世間にバラ撒く事態を回避したいのであろう。 そのためにたとえ欠陥商品だとしても、顧客側にも使用上のミスがあったと強調せざるを得なかったものと理解した。
 (以下略すが、本エッセイ集バックナンバーの一部を再掲載したもの。)


 ここまで書いたところで、タイムリーに日立から電話が掛かって来た。

 「明日修理部門社員がご自宅に伺います」と女子担当者が電話で告げるため、当該RF48M1機種が我が家で幾度も故障を繰り返している事実をご存知か?確認した。
 女子担当者応えて「存じております。 度々迷惑をお掛けして申し訳ございません。」
 すかさず私が返して、「こちらから提案があるのですが、もしも今回も故障原因不明の場合、RF48M1機種ではない日立の“故障を起こさない”類似機種と交換は可能でしょうか? 差額はこちらが負担しますが。」
 女性担当者曰く、「私が判断する訳にはいきませんので、明日伺う技術者にその旨伝えておきます。」

 その後亭主と表題の「リコール訴え」を話し合ったが、亭主曰く「国内では冷蔵庫のリコールの話は聞いた事が無い。とにかく別機種への交換の折衝をしよう。」

 さてさて、明日我が家へやって来る日立技術者は、またもや「使い方が悪い」と我々家族に責任転嫁をするのだろうか?

 いやはや、まったくもって勘弁して欲しいよなあ。 米西海岸旅行出発日も切迫しているこの時期でもあるのに…。 
 私はわずか1年半足らずの短期間内に、三度(みたび)の冷蔵庫内食品入れ替え“重労働”をこなさねばならない運命を背負っているのか!?!
 

「藪医者」の定義  - 医師・福田先生の雑記帖より -

2018年08月14日 | 医学・医療・介護
 当該gooに2004年10月からブログを公開されている医師・福田先生著「福田の雑記帖」に、比較的最近読者登録をさせて頂いた。
 ご専門の医学に関する記述はもちろんの事、ご趣味のバイオリン演奏やハーレーダビッドソン、あるいはお庭の手入れ等々幅広くテーマを設定され、大変興味深い内容のブログを発信されている。

 その雑記帖に少し前に「藪医者」を主題として論述されていたのを拝見し、私はご挨拶がてら、恐れ多くも持論コメントを記入させていただいたのだ。
 そうしたところ驚くことに、福田先生がその我が拙いコメントを雑記帖本文記事として再度取り上げて下さっているではないか!

 そこで今回の我がエッセイ集でもその返礼の形で、今度は私が福田先生の記事を紹介させていただきたく志した。


 それでは、「最近『藪医者』という言葉が消えた(2) 原氏のコメントに感謝して」と題する福田先生の記事全文を、以下に転載させていただこう。

最近、「藪医者」という言葉が消えた(2) 原氏のコメントに感謝して
2018年08月07日 15時45分35秒 | 医療、医学

 去る7月26日「藪医者」という言葉が消えてきた事について私見を述べた。それに対し「原左都子エッセイ集」の著者である原左都子様より貴重なコメントを頂いたので、お礼を込めながらちょっと加筆してみたい。
 原氏もパラメディカルのお一人として現役時代は免疫学の方面等に従事されていたとの事、かつ、私の雑記帳をときおり見てくださっているとの事で心から感謝申し上げる。私も今回はじめて氏のブログを拝見させていただいた。私のブログは自分で勉強したことや知り得たことの備忘録としての位置付けで統一性もなく中身は軽いが、氏のブログは構成もしっかりしていてメッセージ性も高い。今後何かと参考にしたい。
 以下が原氏のご意見であった。
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 さて、「藪医者」に関する事案ですが。
 私は福田先生とは少し異なる観点から、「藪医者」の言葉が聞かれなくなった事態に関して考察しております。
 医療現場では今の時代「informed consent 」が一般的となりました。 その恩恵で、医師と患者の距離が縮まっているように私は感じます。
 私自身は普段より「予防医学」に徹し、基本的には“病院へ行かない主義”を貫いておりますが。 身内高齢者の付添い等でたまに病院を訪れますと、昔と比して医師と患者の関係が「対等」に近づいていることを実感します。 おそらく、医学部教育に於いても、患者とのかかわり方等の教育が進化しているのではないか、とも推測します。 患者側も、対等にかかわってくれる医師に対して「藪」と後ろ指をさす必然性が無くなっているのではないでしょうか?
 あるいは、現在は「医療訴訟」が一般的となりました。 そんな時代背景の下、医師もうかうか「藪」などしていられない厳しい環境下に置かれている、とも考察できそうですが…??
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 ごもっともで反論はありません。追記いたします。
 私はヤブ医者という言葉が消えつつあるのは、医師と患者の距離が対話のスキルの向上など、教育の効果で一見縮まっているように見えるものの、実際には患者と専門職としての医師の能力差が広くなって、遠くなって個々の医師の能力は患者は判断できなくなってきた。そのため、と私は考えています。
 確かに患者医師関係は変わりつつあります。上から目線で患者をみる、専門用語を並べて患者を煙に巻く様な医師はかなり少なくなっています。和顔愛語を駆使しています。

 元々はヤブ医者という言葉は、ダメ医師をそれほど強く誹謗するものではない、と思っています。その理由は、医療が発展していなかった時代には医師の能力を判断する材料が乏しかったことがあげられます。

 医療は国威向上のため軍隊ではそれなりに普及していましたが、一般人が誰でも利用できる様になったのは昭和30年代の国民皆保険制度以降と言って良いと思われます。

 一般人が名医だ、ヤブ医者だと言ってもその判断は病が治ったか否か、すなわち死んだか否か、くらいしか判断できなかったと思いますし、人の生死は長い間、神仏に祈り、願かけるより仕方がなく、ヤブ医者という言葉が記録された頃は感染症を中心に疫病で多数の人間が死の転機を取り、医師は無力に近いこともありました。

 それでも、他に方法が無い以上、医師はそれなりに当てにされていたのでしょう。

 立場の違うものに対する羨望、時には蔑みなどを含め、言葉の上でけなすような枕詞をつけることはよくあったと思います。「大根役者」、「ヘボ役者」などもそれですが、医師に関してはさらに「たけのこ医者」、「土手医者」などもあり、これはヤブ医者よりもちょっときついニュアンスがありますが、それでもさげすみより親しみの呼称だった様に思われます。

 昔の医療は医師の感覚的、直感的医療でした。だから正確性には欠けていましたが当時はそれが当たり前でした。

 近代医療は検査と科学的データの時代、エビデンスにもとずいて判断されます。さらに病院機能間で連携も行われ、結果として医師の能力はより画一化されました。患者にとっては良い時代になったのですが、個々の医師の能力は患者は読めなくなっているといえましょう。だから、私の感覚では「ヤブ医者」、「土手医者」、「たけのこ医者」、などと呼びたくなる医師は依然として存在します。かつて「お前が医者ならトンボも飛行機」とまで言ったものです。

 時が過ぎ、老齢化した私は能力的にも低下しました。だから、患者に読まれる前に自ら「ダメ医者」、「ボケ医者」、「トンボ医者」と名乗って責任回避しています。

 (以上、医師・福田先生著 「福田の雑記帖」より転載させて頂いたもの。)


 最後に、原左都子の私見を述べさせていただこう。

 「藪医者」なる言葉が庶民間で発せられる事例としてよくあるのは、「あそこの医院は“藪”だから、行かない方がいいよ」 それを聞いたこれまた別の庶民がその言葉を鵜呑みにして、その医院を避ける。 そんな噂が重なり、近所の大方の庶民が「あそこは藪だ」と信じる。
 この悪循環事象に於いて一番置き去りにされているのは、患者側自身の「医学」に関する無知であろう。 
 同様の事象は、「名医名鑑本」に於いても顕著に現れている。 あれらの本の序列を読者である患者が単純に信じ、名鑑上位に君臨している病院が“ゲロ混み”状態を余儀なくされる。 そして医療の質が低下する…

 要するに上記に福田先生が記されている通り、たとえinformed consent が一般的に実施されようが、患者は医師の能力など何ら判断出来ていない状態に変わりはない。 その状態は昔から今に至るまで変化がないどころか、もしかしたら医師の“和顔愛語”のせいで、「あの医師は良い先生だ」なる単純な判断結果を導いてしまうマイナス面すらもたらしているのかもしれない。

 その意味で福田先生理論には説得性があり、この議論は原左都子ではなく福田先生に軍配が挙がろう。

 私自身は普段より「予防医学」に徹して基本的に病院に行かない主義であり、普段私自身が自分の病気で医師に接する機会はほぼ無いに等しい。
 ただ医師は確かに一般庶民から絶大に“当てにされている”のが実情であろう。 
 その重荷に耐え、患者に“和顔愛語”演技が出来る医師は、庶民から「藪」と後指をさされる事を回避できるのかもしれない。

 あっ、福田先生、今度どこかが悪くなったら福田先生に看て頂こうかしら。