(写真は、サンフランシスコから現地バスツアーを利用して訪れたモントレー・カーメル小旅の途中風景。 モントレ―近くのPigeon Point State Histric Parkにて撮影したもの。 後ろ向きの人々はバス旅行同行の旅行者達。 我々親子のようにホテルピックアップ海外からの旅行客はごく少数で、ほとんどが米国在住の人達のようだ。)
いやはや、米国トランプ大統領が「移民・難民排除政策」を掲げる思いが少し理解出来た気もする。
今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
白人が見当たらないと言って過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。
サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。
どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。
その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」
最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。
他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。
この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。 ただ、しつこくないのが救いだ。 “お恵み下さる人”からのみ貰い、決して強要をしないのが特徴でもあった。
米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。
ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。
やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られたのであろう。
今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。
あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。
この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。 高収入を得ている所得層は概して公共交通機関など利用せず、マイカーに移動を頼っているのだろうと推測可能だ。
(この辺の事情に関しては、後に米国物価高騰をテーマとしたエッセイにても綴る予定でいるが。)
今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。
確かに、前回のエッセイ内で記した米国入国審査官氏の発言「バークレーが汚くなっている」との表現は、サンフランシスコに於いても然りである事は私も真に実感だ。(参考だが、サンフランシスコ山の手坂道に存在する高級住宅街の街並みは美しい。) そして後に行ったバークレーの街並みは確かに残念ながら“汚く”変貌していた。
このマイナーな移り変わりのすべてが移民・難民の浮浪者化と決めつけるのも差別感覚であり、慎むべきだろう。
ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。
この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった……
いやはや、米国トランプ大統領が「移民・難民排除政策」を掲げる思いが少し理解出来た気もする。
今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
白人が見当たらないと言って過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。
サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。
どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。
その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」
最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。
他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。
この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。 ただ、しつこくないのが救いだ。 “お恵み下さる人”からのみ貰い、決して強要をしないのが特徴でもあった。
米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。
ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。
やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られたのであろう。
今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。
あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。
この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。 高収入を得ている所得層は概して公共交通機関など利用せず、マイカーに移動を頼っているのだろうと推測可能だ。
(この辺の事情に関しては、後に米国物価高騰をテーマとしたエッセイにても綴る予定でいるが。)
今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。
確かに、前回のエッセイ内で記した米国入国審査官氏の発言「バークレーが汚くなっている」との表現は、サンフランシスコに於いても然りである事は私も真に実感だ。(参考だが、サンフランシスコ山の手坂道に存在する高級住宅街の街並みは美しい。) そして後に行ったバークレーの街並みは確かに残念ながら“汚く”変貌していた。
このマイナーな移り変わりのすべてが移民・難民の浮浪者化と決めつけるのも差別感覚であり、慎むべきだろう。
ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。
この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった……