原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

米国西海岸旅行記 ー 移民・難民激増で大変貌した米国編 ー

2018年08月30日 | 旅行・グルメ
 (写真は、サンフランシスコから現地バスツアーを利用して訪れたモントレー・カーメル小旅の途中風景。 モントレ―近くのPigeon Point State Histric Parkにて撮影したもの。 後ろ向きの人々はバス旅行同行の旅行者達。 我々親子のようにホテルピックアップ海外からの旅行客はごく少数で、ほとんどが米国在住の人達のようだ。)


 いやはや、米国トランプ大統領が「移民・難民排除政策」を掲げる思いが少し理解出来た気もする。

 今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
 19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
 白人が見当たらないと言って過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。


 サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。
 どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。 
 その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」
 最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。
 他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。

 この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。 ただ、しつこくないのが救いだ。 “お恵み下さる人”からのみ貰い、決して強要をしないのが特徴でもあった。


 米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
 その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。
 ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。

 やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られたのであろう。

 今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。
 あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。
 この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。 高収入を得ている所得層は概して公共交通機関など利用せず、マイカーに移動を頼っているのだろうと推測可能だ。
 (この辺の事情に関しては、後に米国物価高騰をテーマとしたエッセイにても綴る予定でいるが。)


 今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。

 確かに、前回のエッセイ内で記した米国入国審査官氏の発言「バークレーが汚くなっている」との表現は、サンフランシスコに於いても然りである事は私も真に実感だ。(参考だが、サンフランシスコ山の手坂道に存在する高級住宅街の街並みは美しい。) そして後に行ったバークレーの街並みは確かに残念ながら“汚く”変貌していた。

 このマイナーな移り変わりのすべてが移民・難民の浮浪者化と決めつけるのも差別感覚であり、慎むべきだろう。

 ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。

 この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった…… 
 

米国西海岸旅行記 ー 一期一会の出会い編 ー

2018年08月30日 | 旅行・グルメ
 (写真は、UCバークレー構内にて。後方のタワーはUCバークレーシンボルのセイザータワー。 何故マフラー着用かといえば、現地は“涼しい”を通り越して“寒く”、持参したマフラーが大活躍だったためだ。 UCバークレーの話題は後程公開します。)


 初っ端から、“きいて、きいて!” の自慢話公開で恐縮なのだが… 
 現地での“一期一会の出会い”こそ旅の醍醐味とする我が旅行ポリシーだが、今回も束の間の嬉しい出会いに事欠かなかったのはラッキーだった。


 まずは、米国入国審査所にての白人男性審査官との会話から。

 審査官氏が我々母娘のパスポートをチェックしつつおっしゃるには、「(まずは日本語にて)母と娘ね。 You are good looking,nice style.」
 ここでその言葉が出るかと驚きつつも、米国の慣習としてはお褒め頂いてまかり間違っても謙遜してはならない。 そこで私が応えて「Thank you very much!」 
 審査官氏 「観光ね。」 私「yes,shightseeing.」
 審査官氏 「Where do you go?」 私「Montrey and Carmel,and Silicon Valey and Berkey.」
 後は日本語に翻訳するが、審査員氏曰く、「モントレーとカーメルは美しい観光名所だよ。 シリコンバレー?何でそんなところへ行くの? バークレーも汚くてボクな好まないなあ。」
 私が「シリコンバレーはIT産業集積地域であり一目見ておきたい。 バークレーは今は汚いんですか?」 等々と応えていると、審査員氏が「Your English is good!」とまたもやお褒め下さりつつ、「I speak Japanese a little.」とおっしゃるので、私も「Your Japanese is grate,too!」と褒め返すと喜んでおられた。
 そして入国審査所を去ろうとすると、「Have a good shightseeing!  You are nice style!」と再びエールを送って下さった。(ここで私が言うのもなんだが…。 参考のため、英語に於けるstyleの意味合いとは決して体型を指すものではなく、行動様式等マナー面に重きを置いている事実をさします。

  旅の初っ端から、何とも私に好意的な審査官に出会えたものだ。 
 素晴らしい旅路の幕開けだった。

 
 旅道中も、現地の人々との様々な出会いに恵まれた。

 バート(地下鉄)乗換道中で迷った私に、親切に声を掛けて下さったチャイニーズ女性係員氏。 
 中国なまりの英語は、何故か聞き取り易い。 懇切丁寧に道案内をして下さったお陰でその後は迷う事はなかった。

 あるいは至る所で幾度も道を尋ねたのだが、誰一人として迷惑がる人はおらず、分かり易く説明して下さった。

 UCバークレー・セイザータワーの窓口で「大学構内の地図が無いか?」を確認したのだが。
 若き女性の窓口担当者が、我々を中国人と勘違いしたようだ。 中国語のスマホ画面でその回答をくれたため、我々が日本人であることを英語で伝えると丁寧に謝罪してくれつつ、「(もちろん英語で)この大学は現在全面ペーパーレスを採用している。 そのため申し訳ない事には紙の地図を用意できない。」と応えて下さったのが大いなるインパクトがあった。(この“大学全面ペーパーレス”の件に関しては、後程「UCバークレー編」にて再度取り上げる予定です。) 


 そして、帰国時にサンフランシスコ空港にて。
 パソコン画面から我々が搭乗手続きを入力していると、今度は流暢な日本語で話しかけて来る日本と(おそらく南米)ハーフの女性係員が近づいて来る。
 係員女性が開口一番、「何と可愛いお二人だこと! ご家族ですか?」 私応えて、「母と娘です。」 女性「まあ。お二人でペアルック素敵ですね! ご趣味が合うんですね。」 私「娘が私の影響を大いに受けているんですよ。 それで二人して似たような恰好をしています。」
 女性が娘のバッグに付けているビーズのチャームに気付いて、「何と可愛い! 手作りですか?」 娘応えて「祖母の手作りです。」 女性が引き続き「お母様のネックレスも素敵! ご自身で作られたのですか?」 私応えて「いいえ。これは市販品です、安物なんですよ。」 女性「いえいえ、素敵です。」 
 いくらでも会話が続きそうだが、搭乗手続きが終了したのでその場を去ろうとすると、「良きフライトを!」と言って女性係員氏が見送って下さった。


 他にも一期一会の出会いは沢山あったが、全部を書いているとキリがないためこの辺で終了しよう。


 人との出会いを呼び起こすキーポイントの一つに、「外見的要因」がある事は否定できないだろう。
 それはそうだろうが、はやり一番のポイントは「他者を無視しない態度、相手と面と向き合う」ことに尽きるのではなかろうか?

 そしてたとえ言語が異なろうが、出来るならば「笑顔」が伴えば必ずや相手と何らかのコミュニケーションがとれるはず、と私は信じて実行している。