原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

沖縄県知事 翁長氏の死を心から追悼申し上げます…

2018年08月08日 | 時事論評
 沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。 67歳だった。
 米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。
 翁長知事は1950年生まれ、那覇市出身。 85年に那覇市議に初当選し2期、その後県議を2期、2000年から那覇市長を4期14年務めた。

以上、ネット情報より先ほど引用したもの……


 私は、翁長知事が沖縄県知事に初当選した直後より、翁長知事の政策を支持させて頂いている。

 その一端である 2014.11.17 公開「イデオロギーよりアイデンティティで沖縄辺野古を守ろう!」と題する「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を、以下に再び繰り返させて頂こう。

 昨夜私は一筋の明るい光をみた。
 昨日(11月16日)投開票された沖縄県知事選挙で、日本共産党・社会民主党・生活の党・沖縄社会大衆党・県民ネット・那覇市議会新風会の支援を受けた翁長雄志氏が初当選を果たした。
 翁長雄志氏の略歴をウィキペディアより引用して紹介すると、1950年、沖縄県真和志村(現那覇市)生まれ。法政大学法学部法律学科卒業。那覇市議会議員、沖縄県議会議員を経て、2000年、那覇市長選に出馬し当選。以後4回連続当選。 との事である。

 沖縄知事選結果の詳細、及び翁長雄志氏が沖縄県知事選挙戦前にメディアを通して述べた知事候補として立候補するに際する信条の程等々を、以下にネット情報を参照しつつその一部を紹介しよう。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設が最大の争点となった沖縄県知事選は16日投開票された。 移設に反対する無所属新人の前那覇市長翁長雄志氏が、移設推進を訴えた無所属現職の仲井真弘多氏ら3氏を破り、初当選した。次点の仲井真氏に約10万票の大差をつけた。 政府方針を支持する仲井真氏の敗北は、衆院選を前に政権に打撃となる。 政府は移設を予定通り進める方針だが、移設反対の民意が明確に示されたことで、計画への影響は避けられない。

 初当選を決めた翁長氏は「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。
 翁長氏は戦後69年たっても変わらない基地負担の中での辺野古移設を「沖縄への構造的差別」と位置付け、「基地は経済発展の最大の阻害要因」と主張。 前回知事選で「県外移設」を訴えながら、昨年末に辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した仲井真氏に対する県民の反発を追い風に保革を問わず支持を得た。
 
 今度の選挙は仲井真知事の埋め立て承認に対し、民意を問うものになると思っています。 工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということです。 私たちは、仲井真さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していません。 今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になります。だからこそ結果をしっかりと出す必要があるのです。 私たちは「オール沖縄」とよく言っていますが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということです。「心を結集して闘っていこう」と呼びかけています。
 ただし、日本政府、アメリカ政府の権力は大変強大でありますから、私たちがこういう集会を20万人規模で開いても、いまの状況で進めていくと思います。 ただ時代背景が変わってきた。アジアのダイナミズムを沖縄で体現することができるようになりました。 別の言い方をすると、日本という国が疲弊してきている。アジアを見つめてみると、沖縄がこの地域のゲートウエー(玄関口)になり、フロントランナーにならないといけない。そういう中で、辺野古基地反対の大きなうねりが沸き起こります。「新基地建設を中止して日本国民全体で安全保障を考え直す」ということにつながっていくのではないか。沖縄県知事選によって日本の安全保障政策を変えていくのです。
 私からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思いますよ。 日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思いますし、日本国の決意は見えません。このままでは沖縄戦の70年前と同じです。
 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)

 原左都子の私論でまとめよう。
 これ程までに沖縄が過去に於いて国内外から虐げられてきた歴史を勘案した上で、沖縄県民の未来を示唆する力量を備えられている翁長雄志氏に、私とて一票を投じたい思いだ。

 最後になるが、学問好きな原左都子より「イデオロギー」と「アイデンティティ」の言葉の説明をしておこう。
 翁長雄志氏がおっしゃるところの「イデオロギー」とはおそらく、思想傾向、政治や社会に対する考え方の意味合いであろう。  「アイデンティティ」に関してもこの場合は、他者や共同体から認められる自己の存在証明との意味合いでよいだろう。 
 まさにその意味合いで、今回の沖縄県民知事選に於ける闘いとは「アイデンティティ」の確立であったと私も捉える。
 国家(及び米国)の歪んだイデオロギーに長年翻弄され続けて来た沖縄県民皆さんが、今回選んだ知事の下、県民としてのアイデンティティを取り戻せる事に私も期待し応援し続けたい思いだ!!

 (以上、翁長氏に関する我がエッセイ集バックナンバーの一つの一部を紹介させていただいたもの。)



 沖縄の未来を背負い大いなるポリシーを抱き国や米国と闘われて来た翁長氏が、膵臓癌を患い67歳との若さで命を閉じられた事実が実に無念だ。

 今はとにかく、翁長氏のご冥福をお祈りするしか手立てが打てないのが悔しくもある……

私も絶対的に 「鉛筆」 派!!

2018年08月08日 | 自己実現
 (写真は、今現在私が現役で使用している鉛筆 及び新品で保管している鉛筆・色鉛筆の数々。)


 毎週水曜日の午後は、音楽スタジオでフルートを吹くスケジュールとなっているのだが…
 あいにく台風13号が関東上陸を狙い撃ちしているとの情報だったため、昨夜スタジオ予約を見送った。
 ところがこの台風13号、時速15kmとノロノロぶり。 未だ上陸せず、雨も降ったりやんだり…
 これならば本日午後スタジオへ行けたのに! と悔しいところだ。
 
 まあ、しょうがない。
 気を取り直して、お気軽に綴れるエッセイでも記してお茶を濁す事としよう。


 ずっと前のNHKBSテレビ番組「美の壺」のテーマが“鉛筆”だったのだが、それを視聴した時からこのエッセイテーマを温存していた。

 
 表題には「私も絶対的に鉛筆派!」と銘打ったが。

 より正確に言えば、普段の筆記は絶対的に「パソコンキーボード派」だ。
 20代後半頃より仕事上、業務用ワープロ(富士通oasisの立派な業務用ワープロだったが)に馴染み、それ以降しばらくワープロ派だった。

 28歳時に英文タイピング技能検定2級を取得した。
 これに関しては、本エッセイ集バックナンバーにても複数回既述しているが。 
 当時医学関係の仕事に携わっていた私だが、時代の波に先駆けて業務のシステム化が施され、そのワークシート出力のプログラミング担当を私が率先して申し出た。
 FORTRANはキーボード入力字数が少なめのため、さほどの苦痛はないのだが。 これがCOBOLとなると、物凄い字数のプログラムを入力せねばならない。 これにほとほと嫌気がさした私は、すぐさま英文タイプにてブラインドタッチをマスターする事を目指したのだ。 そしてしばらくして英文タイプ2級を取得したとのいきさつだ。

 この技能は、後々までも私に恩恵を与え続けてくれている。
 高校教諭時代、商業科の授業の中に「ワープロ」があった(当時は未だワープロ時代だったのだが)。 我が専攻は経営法学であり「商業法規」や「商業経済」が主たる受持ち科目だったが、英文タイプ2級を取得している関係で「ワープロ」の授業も「私にやらせて下さい!」と自主的に申し出た。
 これがワープロ初心者の生徒に受けること、この上ない!  教員である私がブラインドタッチでキーボードを高速打ちするパフォーマンスを披露すると、皆がまるで“曲芸”でも見たかのように「私(ボク)も早くそうなりたい!!」と授業への意欲を示してくれるのだ!
 その後すぐに「パソコン時代」へと移ろいだ。 おそらくワープロ検定に合格した生徒達もそのブライドタッチ技能を活かし、社会で活躍していることだろう。


 この我が“キーボード高速打ち能力”が、その後私自身の直筆力に暗いシワ寄せを招いてもいる。
 20代後半期より既に30数年の年月、キーボードにて筆記を依存してしまっている私の手が、「直筆」に馴染まなくなってしまっているようなのだ。

 どうやらキーボード高速打ち速度に対応して、直筆の場合も我が手が高速に動こうとする感覚があるのだ。
 これを誰に相談しても、“そんなの気のせいだ”等々の不毛な回答しか返って来ない。
 もう嫌気がさして、誰にも相談などするもんか! との域に達しているのだが……


 そんな「直筆」苦手の我が一番の応援者が、鉛筆だ!

 鉛筆こそは、私を裏切らない。
 我が高速直筆に対応してくれるキャパが鉛筆にこそあることに感激の日々だ。 
 要するに高速直筆をしようとしても、それ程に書面上をスムーズに移動しないのが鉛筆の特徴ではなかろうか?  特にB以上の柔らかい材質の鉛筆がそれを、私に日々叶えてくれている。
 片やボールペンなど悲惨だ。 紙面を滑り過ぎて、ミミズが這った字しか書けない…… 

 元々“左利き”との事情もあるだろうか?? 一旦右手が「直筆」から遠ざかった後のブランクが30数年と長いため、今更ながら右手での直筆が苦手なのかもしれない… 
 あるいは4年前に右手首を骨折した後遺症かもしれない、と少し考えたりもする。?? 
 それ程に我が右手での「直筆」は悲惨であり、深刻でもある。


 最後に、冒頭写真の鉛筆群の説明をしよう。

 下中央が現在私が使用中の鉛筆群。
 パソコンキーボード筆記中心の私にして、何故これ程の量の鉛筆が必要かを解説するならば。
 おそらく、原左都子は皆様の想像を超越して世の事象を筆記(メモ)する習性があるものと結論付けられよう。 これらの鉛筆(色鉛筆も含め)とメモ用紙を家中の至る場所に配置し、いつ何時も筆記(メモ)体制に入れるように常備している。

 写真下両横は、色鉛筆。 
 これに関しては、娘が一時美術方面を目指していた時期に娘に買い与えたもの。

 写真上段は、新品の鉛筆群だが。
 一時フランチャイズ学習教室を開業した事実を、過去のエッセイにて公開している。 その時に我が教室に訪れるであろう生徒用に購入した備品の一部だが。 当時50本購入して、既に私一人で半分以上消費している。

 上段右は、過去に娘に買い与えて残った鉛筆を保存したものに過ぎない。 
 小中学生とは、何故かシャープペンシルが好きだねえ。
 あんな書きにくいものが筆記具として存在している事こそが、摩訶不思議な私だが…… 


 と言う訳で原左都子自身は、絶対的に「パソコンキーボード派」を一生賭けて貫きたい…。
 
 今尚重要案件で相手がボールペンを私に手渡し、これでここにサインして下さい、と言われると!
 実際ミミズしか書けない身にして、本気で困惑するのが実情なのだが……