昨日、我が郷里の出身中学校より「同窓会のお知らせ」が届いた。
話が遡って、昨年の事だが。
郷里の母より電話があり、我が出身中学校の同級生女性から母の元へ電話が掛かって来たのだと言う。
これには驚かされた。
何故ならば、40数年前に中学校を卒業して以来、ただの一度も中学校の同窓会になど出席していなければ、特に40年程前に上京した後は、一人として中学校時代の友人に接した事すらない(高校・大学の友人にはその後会う機会もあるが)からだ。
郷里の実家も私の上京後に引越をし、現住所も電話番号も40年前とは異なっている。
その同級生女性は、一体全体如何なる手段で現在の実家の電話番号を入手したのか?? それを母から聞いて更に驚いた。 女性は中学生当時私が住んでいた祖父母の家の電話番号にまず電話を掛け(よくぞまあ、そんなものを知っていたものだ。私ですらまったく記憶していないのに。)、母の現住所の電話番号を聞き出した上で、「同窓会を開催するから是非〇子さん(私の事)にも出席して欲しい」旨を伝えて下さったとのことだ。
その女性のことは確かに記憶している。 たださほど懇親にしていたとは言えない中、40数年経過した現在、それ程までに熱心に同窓会出席をお誘い下さったことを嬉しく思った。 結果としては何分遠方に住む身故に、実際の出席は叶わなかった。
それでもそれ程までに手間をかけて我が連絡先を探して下さったご努力に対する嬉しい気持ちを伝えたく、同窓会出欠回答通知には、中学卒業後の我が40数年の歩み略歴や近況等を記して提出した。
そうしたところ、今年も我が卒業中学校より「同窓会のお知らせ」が届けられた。
その文面によれば、「現時点で連絡先が判明した方のみご案内しております」との記載だ。 実際それが同窓会の宿命だろう。 卒業後40数年も経過して連絡が取れるのは、限られた卒業生であることは重々想像が付く。 加えて同窓会に出席せずして、私のように「近況等」を明記して返信するのは少数派であろうことも想像出来る。
以前我が出身大学院の恩師がおっしゃった言葉を、今でもよく記憶している。 「同窓会に出たいのは現在幸せな人だ。 そうでない人は一切の連絡もして来ない」
そこまで言ってしまうと極論だろうし反論もあるが、この私などたとえ出席せずとも欠席通知に“所狭し”と近況を述べたい人種である事には間違いない。
さて話題が横道に逸れたが、本日は我が誕生日だ。
私は誕生日が到来するのが “嬉しい派” である事は、過去の当エッセイ集バックナンバーに於いて再三再四述べている。 今回のエッセイテーマを「誕生日雑感 vol5」としたが、実際ほぼ毎年我が誕生日に際し何らかの私見を述べ続けている自覚及び記憶がある。
ただ、還暦過ぎて既に2年も経過した身にもなれば、やはりあまり騒ぎ立てずあくまでも内心でお祝いするべきとの健気な感覚が我が脳裏にもたげる。
それを実行するべく今朝起きて以降、家族の誰にも私が本日誕生日を迎えた事を話していない。 さてさて、今夜誕生日プレゼントが届くのやら、どうなのやら……
それはよしとして。
我が誕生日に必ずや毎年お祝い電話を寄越すのが、郷里の実母だ。
昨年より高齢者施設へ入居している母だが、今年も一昨日電話にて誕生日祝いを届けてくれた。
この郷里の実母よりの今年の誕生祝いの文言に、実に感激させられた私だ。
実母が電話で何と言ったかを公開すると。
「フルートの練習、頑張っているか?」だったのだ。
実は実母に、最近フルートを買ってプロ先生の指導の下、スタジオ自主練習もしつつ練習を頑張っている旨をメールにて伝えていた。
私の62歳の誕生日に際し、「フルートの練習頑張っているか?」のエールを贈ってくれるのは、やはり、中学生時代にブラスバンド部にて私がとことんフルート練習を頑張り抜いたのを傍で見ていた実母のみだろう。
「いや、公立中学ブラスバンド部のド素人指導などプロ先生からすると邪道この上なく、60過ぎた今になってとことん正しい練習をせよ!とプロ先生から怒られ続けているよ」と返すと、「せっかくもう一度フルートを始めたのだから、頑張れ!」なる更なる母からのエールだ。
何だか実母より過去最高の誕生日祝いを貰えた気すらする。
親心とは、子ども幼き頃の記憶が永遠に続くものと実感だ。
それにしても、昨日偶然届いた私の出身中学からの同窓会のお知らせ。
何だか40数年も経過した今尚、我が中学時代にフルートに嗜んだ縁が未だある風景を偶然だが再現しつつ、現在も過ごしている感を抱かされる。
とにかく実母には「ありがとう。私は今後もフルート練習を頑張るよ!」 と伝えたのが、今年の我が誕生日の集大成だ。
話が遡って、昨年の事だが。
郷里の母より電話があり、我が出身中学校の同級生女性から母の元へ電話が掛かって来たのだと言う。
これには驚かされた。
何故ならば、40数年前に中学校を卒業して以来、ただの一度も中学校の同窓会になど出席していなければ、特に40年程前に上京した後は、一人として中学校時代の友人に接した事すらない(高校・大学の友人にはその後会う機会もあるが)からだ。
郷里の実家も私の上京後に引越をし、現住所も電話番号も40年前とは異なっている。
その同級生女性は、一体全体如何なる手段で現在の実家の電話番号を入手したのか?? それを母から聞いて更に驚いた。 女性は中学生当時私が住んでいた祖父母の家の電話番号にまず電話を掛け(よくぞまあ、そんなものを知っていたものだ。私ですらまったく記憶していないのに。)、母の現住所の電話番号を聞き出した上で、「同窓会を開催するから是非〇子さん(私の事)にも出席して欲しい」旨を伝えて下さったとのことだ。
その女性のことは確かに記憶している。 たださほど懇親にしていたとは言えない中、40数年経過した現在、それ程までに熱心に同窓会出席をお誘い下さったことを嬉しく思った。 結果としては何分遠方に住む身故に、実際の出席は叶わなかった。
それでもそれ程までに手間をかけて我が連絡先を探して下さったご努力に対する嬉しい気持ちを伝えたく、同窓会出欠回答通知には、中学卒業後の我が40数年の歩み略歴や近況等を記して提出した。
そうしたところ、今年も我が卒業中学校より「同窓会のお知らせ」が届けられた。
その文面によれば、「現時点で連絡先が判明した方のみご案内しております」との記載だ。 実際それが同窓会の宿命だろう。 卒業後40数年も経過して連絡が取れるのは、限られた卒業生であることは重々想像が付く。 加えて同窓会に出席せずして、私のように「近況等」を明記して返信するのは少数派であろうことも想像出来る。
以前我が出身大学院の恩師がおっしゃった言葉を、今でもよく記憶している。 「同窓会に出たいのは現在幸せな人だ。 そうでない人は一切の連絡もして来ない」
そこまで言ってしまうと極論だろうし反論もあるが、この私などたとえ出席せずとも欠席通知に“所狭し”と近況を述べたい人種である事には間違いない。
さて話題が横道に逸れたが、本日は我が誕生日だ。
私は誕生日が到来するのが “嬉しい派” である事は、過去の当エッセイ集バックナンバーに於いて再三再四述べている。 今回のエッセイテーマを「誕生日雑感 vol5」としたが、実際ほぼ毎年我が誕生日に際し何らかの私見を述べ続けている自覚及び記憶がある。
ただ、還暦過ぎて既に2年も経過した身にもなれば、やはりあまり騒ぎ立てずあくまでも内心でお祝いするべきとの健気な感覚が我が脳裏にもたげる。
それを実行するべく今朝起きて以降、家族の誰にも私が本日誕生日を迎えた事を話していない。 さてさて、今夜誕生日プレゼントが届くのやら、どうなのやら……
それはよしとして。
我が誕生日に必ずや毎年お祝い電話を寄越すのが、郷里の実母だ。
昨年より高齢者施設へ入居している母だが、今年も一昨日電話にて誕生日祝いを届けてくれた。
この郷里の実母よりの今年の誕生祝いの文言に、実に感激させられた私だ。
実母が電話で何と言ったかを公開すると。
「フルートの練習、頑張っているか?」だったのだ。
実は実母に、最近フルートを買ってプロ先生の指導の下、スタジオ自主練習もしつつ練習を頑張っている旨をメールにて伝えていた。
私の62歳の誕生日に際し、「フルートの練習頑張っているか?」のエールを贈ってくれるのは、やはり、中学生時代にブラスバンド部にて私がとことんフルート練習を頑張り抜いたのを傍で見ていた実母のみだろう。
「いや、公立中学ブラスバンド部のド素人指導などプロ先生からすると邪道この上なく、60過ぎた今になってとことん正しい練習をせよ!とプロ先生から怒られ続けているよ」と返すと、「せっかくもう一度フルートを始めたのだから、頑張れ!」なる更なる母からのエールだ。
何だか実母より過去最高の誕生日祝いを貰えた気すらする。
親心とは、子ども幼き頃の記憶が永遠に続くものと実感だ。
それにしても、昨日偶然届いた私の出身中学からの同窓会のお知らせ。
何だか40数年も経過した今尚、我が中学時代にフルートに嗜んだ縁が未だある風景を偶然だが再現しつつ、現在も過ごしている感を抱かされる。
とにかく実母には「ありがとう。私は今後もフルート練習を頑張るよ!」 と伝えたのが、今年の我が誕生日の集大成だ。