原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何でもかんでもランキングして誰が得するの??

2013年08月14日 | 時事論評
 世の中、あっちもこっちも、何でもかんでも「ランキング」流行りである。


 連日の猛暑ニュースでは、日々最高気温の高い順に日本全国各地がランキングされ発表される。 
 例えば一昨日8月12日の最高気温全国1位に輝いたのは、高知県四万十市の41,0℃だったが、この最高気温は国内観測史上歴代最高気温でもあるようだ。
 まったくもって、 「酷暑お見舞い申し上げます。」 としか申し上げようがない。

 ただこれに関しては「熱中症」発症等人命にかかわる危険性が高いため、猛暑対策を促す意味合いでも日々メディアがランキングして国民に発表する意義は大きいであろう。


 あるいはテレビの「視聴率」なども、日々メディア上で発表される「ランキング」の一つだ。
 そもそもテレビをほとんど見ない原左都子であるが、一般視聴者が如何なるテレビ番組を視聴しているのかを調査する目的で、時々新聞のテレビ視聴率ランキングをチェックしている。(それをチェックしたところで、どれもこれも如何なる番組なのかほとんど知らないのだけどね…
 ここのところずっとトップを維持しているのが、NHK連ドラ「あまちゃん」である。 このドラマは一応見ているが、何が良くてそんなに支持されるのか理解に苦しむ事に関しては、最近の「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「誰でも“芸能人”になれると言いたいドラマなの?!」 で苦言を呈したばかりだ。

 そもそもテレビ番組というものの存在自体が人の一趣味の範疇に他ならず、万人が人それぞれ好き勝手に楽しめば済むレベルの娯楽対象物の域を出ていない。
 しかも今の時代、発信側のテレビ放送局も目まぐるしいまでに多様化・細分化し、多種多様なテレビ局が入り乱れている実態であろう。 それらすべての放送局が発信する番組すべてをひっくるめて、視聴率というカテゴリーで「ランキング」したところで、何らかの有意性あるランキング結果情報を呈示できるはずもない。
 それでも何故テレビ番組の「視聴率」を長年に及んで計測し続け、その結果を公表し続けているのかと言えば、それは発信側のテレビ局の“存命”にかかわる数値であるからに他ならない。 何分テレビ放送とは、スポンサーである営利企業主体なくして成り立たない運命を背負っている。 だからこそ、放送局にとっては「視聴率、命!」なのだ。

 ただ一般市民にとっては、そもそも「視聴率」など二の次でよい課題である。
 原左都子に言わせてもらうと「視聴率」の高さに甘え、いい気になってくだらないドラマの内容の吟味再考もせず続行するなよ! とも言いたくなる。(NHKドラマ「あまちゃん」の事だが。) しかも、今後深夜に再放送するとのNHKのPRである。トホホ…
 こんな事では、世の中ますます“軽薄短小”化が促進してしまう懸念感を煽られるばかりだ… 


 今更ながら原左都子が反論私論を展開した「テレビ番組視聴率」に関しては、昔から存在していた「ランキング」であろう。

 これとはまた別次元で、現世に於いて“くだらなさの極み”のごとくの各種「ランキング」が幅を利かせている実態に辟易とさせられ続けている原左都子である。
 現在世に蔓延っている“くだらなさの極み”「ランキング」をこの世に定着付けた元凶とは、秋元康氏率いる“AKB48”の「総選挙」とやらではなかっただろうか?!

 原左都子のみではなく、ネット情報によるとあのデヴィ・スカルノ夫人もどうやら“AKB48”がお嫌いであるらしい。 それに“お力”を頂いた思いで、活気付かせてもらった私の私論を展開しよう。
 そもそも“AKB”の総選挙とて、秋元康氏が教育界に於ける「偏差値偏重」を有効利用して一肌上げようとたくらんだ施策であることが見え見えだ。 なんせ、この国の庶民連中は学校教育行政に於ける「偏差値偏重主義」を真に受けてしまい、「ランキング」には滅法弱い体質だ。 秋元氏とすれば、この国民の弱点を自分の“商売”に利用しないはずもないのだ。
 原左都子が分析するに“AKB48”及びそれに続くド素人女子グループが現世に於いてここまで売れている理由とは、「ランキング」思想を武器として導入し、偏差値偏重主義を真に受けている若者どもを秋元氏が経済市場に導入したからに他ならない。


 原左都子が今回の「ランキング」に関するエッセイを綴るきっかけを得たのは、ネット上のたわいない情報だった。

 それは、「 高学歴男子が『付き合いたいオンナ』の出身大学ベスト5」 なる、これまた“くだらなさの極み”としか表現できないネット情報だったのである。
 “くだらない”事は重々承知の上で、このネット情報の一部を以下に紹介しよう。
 「学歴なんてカンケーない!」そう叫ばれるこの頃ではありますが、やはり学歴というものは、その人の努力や運をある程度は反映するものです。今回は発展的な内容として、“高学歴男子が好む女性の出身大学”について、現役東大生ライターの川上ぽこひろ氏に聞いてみました。 「ぽこひろです。今回は、有名私立の早慶、マーチ(明治、青学、立教、中央、法政)を中心に、一流大学出身者の男性50人へのインタビューを敢行、そこから得られた結果をランキングにしてお伝えします」
 ■5位:青山学院大学  「言わずと知れた“お嬢様大学”の古豪、青学。
今でも良家育ちの気品のいい女性が多く、長いお付き合いを前提にした誠実なパートナーとして望ましい、と票が集まりました」
 ■4位:慶應義塾大学   「圧倒的な知性、ブランド力、冗談かと思うほど美人女性の割合が多いこと。これらが人気の理由です。 高学歴の男は、才色兼備な慶應卒の彼女を連れて、鼻高々と歩くのがお好きなようです」
 ■3位:早稲田大学   「慶應と並び、私立ツートップの名門校。 更に慶應よりも、いい意味で“チャラそう”というイメージが功を奏した模様です」
 ■2位:地方国公立大学   「かなり意外な回答でした。高校時代、周りの優秀な友人が東京の大学を目指す中、親や家計の心配から地道に家から通える国公立大学を目指した。そんな健気で純真なスピリットに対しての賞賛が、この結果です」
 ■1位:特にナシ   「最も驚くべき結果です。しかし理由は案外ナットクかも。
 “頭がいい”高学歴男子は、たいてい負けず嫌いでプライドが高い。もし、彼女も同様に高学歴だった場合、些細なことで張り合いになるのが面倒くさい。

 上記“くだらなさの極み”のネット情報を何故原左都子が引用したかを説明しよう。

 「原左都子エッセイ集」長年のファンの皆様は、私が上記2位にランキングされている“ヘボい”「地方国公立大学」の出身である事を既にご存知であろう。 しかも私は2度に及ぶ理系・文系大学入学、そして大学院すべてを上記「地方国公立」大学にお世話になっている故だ。
 ただ、今回くだらないランキングを公開した東大現役男性とやらに一言言っておきたいのだが、「親や家計の心配から地道に家から通える国公立大学を目指した」との表現は正確とは言えないねえ~。
 “お嬢様”人生などつまらない事を百も承知だからこそ、あえて自分自身が貧乏して「国公立」にこだわったオンナも存在する事を、若年の貴方にも分かって欲しいものだよなあ。

 でも若き東大生のあなたが今回のランキング2位に、一般人の印象としては実に“ショボい”存在であろう「地方国公立大学」を取り上げてくれたからこそ、そこの出身である原左都子が今回このエッセイを綴れた事に一応感謝しておくよ。
 ついでに喧嘩売っとくけど、私に言わせてもらうと、早慶マーチへったくれの私立大学を深い根拠も思慮もなく“一流”と表現した“若気の至り”現役東大生のあなたを、せせら笑いたい思いだよ。

いい大人が“浮気”など隠れてコソコソやれよ!

2013年08月12日 | 恋愛・男女関係
 世の中には何の罪もない可愛い我が子を自分の愚行により苦しめるアホ親どもが、少なからず平然とのさばっているようだ。

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、そんな“馬鹿親”の愚行を取り上げ論評する機会が幾度かあったが、今回のテーマもそれである。
 また出没してしまったのだ。 とんでもない“アホ母”が… 

 本日紹介する“馬鹿親”とは、子ども相手に自分の「浮気」を認めたとの事らしい。
 それでは早速、朝日新聞8月10日別刷「be」“悩みのるつぼ”より、23歳女性による「母が浮気をしています」と題する相談内容を、以下に要約して紹介しよう。
 50歳の母が浮気をしている。相手はおそらく年下で既婚者のようだ。 1年程前より母の態度が怪しい。 毎週決まった曜日になると朝シャワーを浴びて出かける。朝付けていなかったネックレスを帰宅時に付けている等々…。 思い切って母に尋ねたら、すんなりと浮気を認めた。 しかも母は浮気をやめるどころか、「人生で初めて本気で好きになった人」とまで言い出す始末だ。 これには娘の私はたまげるしかなく、正直気持ち悪い。 「父には言わないでくれ」と言う。何故ならば浮気がバレたら母は家を出て行かねばならないからだ。 母の大人気ない言動と態度に幻滅し、人間の信頼とは簡単に崩れてしまうものと勉強になった。 私自身は自分の人生に責任を持ち、母を見習えるところはそうして生きていきたいし、私も大人としてしっかり生きていきたいとは思う。 この決断で正解だろうか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より要約引用。)


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、以前「原左都子エッセイ集」にもコメントを頂戴した岡田斗司夫氏なのであるが、岡田氏の回答は後回しにさせていだだき、原左都子の私論から先に述べよう。

 この相談内容を一読して、私はこの母の馬鹿さ加減に、怒りにも似た感情が噴出した。
 まさに“アホ母”とは、こいつの事である。
 だいたいねえ。 あんた、浮気がバレたら家から追い出される貧弱な身分で、何でいそいそと浮気なんかしてるの?? 
 しかも、浮気の朝にはシャワーを浴びる?(シャワーはホテルで浴びたら十分かとも考察できるのに…) それは置いといて、あなたのやってる行為とは、盛りが付いたネコや思春期の少女と同レベルだね。
 むしろ、あなたは周囲の誰かに自分自分が今やっている「浮気」との“偉業”を気付いて欲しいし、話したくてむずむずしていたのではなかろうか? そこにタイミングよく、娘さんから「浮気してるでしょ?」と問い詰められ、これぞ待ってました!とばかりにすんなり浮気を認めた。 一応人の親ならばせめてそこまででやめときゃよかったのに、「私が人生で初めて好きになった人」「お父さんには言わないで」とまで娘さん相手にホザいてしまった…。  きっとこの弱き母の内心とは、(やっと私が浮気をしている事を人に話せた)との歓喜にも似た堪能感で満たされたのではなかろうか???

 相談者である23歳の娘さんの立場に関しても、原左都子なりにこの「事件」に関して考察しよう。
 娘さんは現在父母と同居中のようだが、何らかの就業はして自らの収入源があるのだろうか? そうだと仮定して、それならば母親が愚かにも「浮気」などにうつつを抜かしている馬鹿げた家庭内の醜態現状から逃亡を志す事をお勧めしたい! 
 原左都子の確固たる持論だが、馬鹿な親どもなど自分が成長した暁には捨て去るに限るのだ。  (「原左都子エッセイ集」2010年3月バックナンバー 「家を出て、親を捨てよう」、同じく2011年2月バックナンバー「子が親を捨てる決断をする時」等に於いて、我が私論の詳細を語っているためご参照いただければ幸いである。)
 一旦親を捨て去り自立した後に、成長した自分と親との新たな対等関係が紡げるものと、私は信じていることを付け加えておくが…。 


 さらには原左都子独身時代に、友人から「浮気をしている」と告白された経験談を以下に付け加えよう。
 
 その一人をA子と名付ける。 A子は結婚後に私が勤務していた企業に入社してきた。 聡明で研究熱心・仕事バリバリ派のA子が、なんと社内で不倫行為に走ってしまった。  ある日A子が私に電話をかけてきて曰く、「私が今後の人生を共にするのは現在の不倫相手に他ならない。今までの夫や親達、友人皆を捨て去ってでも、私はこの人と一生を生き抜く覚悟だ。 明日、相手と“駆け落ち”を実行する! ○子(私のこと)にもその行き先は言えない。 貴方の電話番号を知っている我が母から後日電話が入るかもしれないが、何も知らないと伝えて!」 そう言い残したまま、A子は行方をくらました。
 その後、確かにA子の母親氏から電話がかかってきた。 切羽つまった母親氏の電話に、私はA子の伝言を忠実に伝えた。 「私もA子さんの行方もその理由も一切存じておりません…」と。  

 もう一人、B子の事例も話そう。
 こちらは、未だ若き20代半ばの既婚女性だった。 短大卒業後直ぐに見合いにて結婚に至り、その後子どもに恵まれなかったようだ。 B子の人生観としては、直ぐに子どもを産んで専業主婦を全うするはずだったのに、結婚後5年目にして未だ子どもを産むことが叶わない。 仕方なく仕事でもしようかとパート社員として就職したものの、どうも自身の関心は「子ども」を産む事にしかないようだ。 
 ある日、B子が職場の先輩である私に告げる。 「私、今浮気しているの。」 B子とは単なる職場の上下関係の域を出ていないのに、そんな事言われても鬱陶しいとしか感じようがないのが私の正直な立場だ。  ただ、B子の意図が全く理解できない訳でもない。 もしかしたら、相手は誰でもいいから子どもを産みたいだけで浮気行動に走ったのか?? 
 結局、B子の奇行により私が学習したのは、自分が「浮気」をしている事を誰これ構わず吹聴したいとの人物が存在するという事でもあった。

 上記事例のように、A子のごとく今後の人生全てを「浮気」相手に全人格を傾けようとの強烈な思いを注ぐ人生もあろう。  はたまた、B子のごとく単に不妊症対策のため、浮気を通して子どもが授かれたら、との思いをつなぐ手段もあろう。


 それでは最後に、今回の回答者であられる岡田斗司夫氏の回答の最後の部分を紹介しよう。
 原左都子の印象では、岡田斗司夫氏とは“悩みのるつぼ”初期の時代と比較して、現在ではずい分と“優しい”(と言うよりも正直に言うと護身に転じて“優柔不断”な)回答者の印象になった感覚がある。

 相談者が今後母が浮気した事実を聞かなかった事にして忘れ、母からは尊敬できる部分のみを吸収するとの判断を下せるのならば、それは相談者が自分の感情を犠牲にすれば可能であろう。 それでも、相談者にとっては今後も「浮気しちゃったダメな母」との思いが続くであろう。 繰り返すが、決断とは「正しくないこと」を選択し、後の努力で正しかったことにする行為である。
 (以上、岡田斗司夫氏の回答より最後の部分のみを引用。)

 岡田氏がおっしゃる通り、とりあえず相談者の母に対する現在の思いを鑑みて、後で「正しかった決断」を導いてもよいのであろうか。

 だが、ここは相談者が23歳との年齢を慮りたい思いの私だ。

 原左都子の私論としては、「浮気」をして未だその反省もないどころか、50歳にして初めて男を好きになった思いを鑑みよと既に成人した実の娘相手にのたまう、幼稚な母親を一旦“捨て去る”事から、娘さんの人生を再開するべき!と応援したいのだ!!

“色白七難隠す”の格言とは、妄念に過ぎない…

2013年08月10日 | 時事論評
 カネボウ化粧品が販売した美白製品により、肌がまだらに白くなる症状を訴える使用者が後を絶たず、自主回収を発表したのは7月23日の事だ。
 その後のカネボウの発表によれば、症状や不安を訴えた使用者は6808人に上り、内2250人が重症症状に苛まれているらしい。

 「首がまだらに白くなった」、「白斑が3箇所以上ある」、「5cm以上の白斑がある」、等々…   顔、首、手、指等に症状を訴える人が目立つとの報道だったが、その後、被害者達は回復に向かっているのであろうか? あるいは症状が長期化して未だに皮膚に白斑を抱えているのだろうか?


 現世には、美白製品をはじめとして、保湿や潤い、ヒーリング、紫外線カット等々を殊更歌い文句にする「美肌」商品が溢れ返っている。
 テレビ(特に民放)をほとんど見ない原左都子だが、一旦ネット画面を開くと各社が発売しているそれら商品広告が暴力的とも表現できる勢いで所狭しと画面を占領している。 そのため、嫌でもそれら鬱陶しい広告画面を一見せざるを得ない。 「歌い文句」に踊らされ、この種の商品の購買行動に走る消費者がどれだけ存在するのだろう? と他人事のように横目で通り過ぎる私だ。


 かく言いつつ、実はこの原左都子も数年前から「保湿」を歌い文句としている某美容液を日々使用中である。
 やはり加齢には勝てないもので、肌(特に顔)の乾燥症状に見舞われ始めたためだ。 種々の「保湿」商品を試した結果、某美容液が我が肌には一番保湿効果が高いとの結果が出た。 その後は朝夜はもちろんの事、在宅している日は乾燥を感じたら即その美容液を顔に塗り込む日々である。 

 2,3年間その保湿美容液を使用し続けた頃であろうか。 顔に「痒み」症状が出現し始めた。(その発症原因は未だ不明だが。) 忍耐強い私は起きている時間帯はその痒みを我慢できるのだが、一旦睡眠に入ってしまうと無意識に掻き潰してしまうようで、朝起床時に顔が“血だらけ”の事もあった。

 花粉症も併発した初春の頃、昼間も顔が痒くて我慢できなくなり私はやっと病院を訪れた。 問診後に医者が告げるには、「真菌症とアレルギーを併発しているのではなかろうか」との事だ。
 「真菌症」には多少驚かされたが、医師の診断に何となく“ガッテン”の私である。 もしかしたら、私が長期間使用している保湿美容液に含有されているコラーゲン等の“栄養価”が高過ぎる事が一因で、私の顔から分泌される脂質も栄養源としつつ、脂質分泌が多い顔の部分に真菌が増殖してしまったのかもしれない。 しかも、元々アレルギー体質気味の私はその時は花粉症にも苦しめられている時期で、それら体内要因の相乗作用故に痒さが増強されていたとも考察可能だ。
 この時、医師には某美容液を継続的に利用している旨は一切告げなかった。 帰宅して原左都子なりに分析・診断したのが、上記美容液成分にも「真菌症」発症の由来があるのではないかとの事であった。

 その後再度美容液を変えるべく、私は数種の「保湿美容液」を試してみた。 ところが残念な事に前回同様、現在利用中の美容液に勝る代物が存在しないのだ……
 やはり私が頼るべき保湿美容液は現在使用中の商品しかない! と結論付けた私は、これを継続使用した上での今後の我が「痒み」対策こそを講じようと志した。

 そうこう試行錯誤していた後に、夏になって私は「花粉症」からやっと解放された。 と同時に、夏場は高湿度と共にアレルギー症状による「痒み」症状も緩解期に入る。(あくまでも原左都子の事例範疇の話だが) 
 その後うれしい事に、我が顔の痒みは実際問題緩解したのだ。 次訪れる初春には、また「花粉症」アレルギーの影響で我が顔に強烈な「痒み」が再発するのか!!との懸念は「懸念」に過ぎず、次なる春は顔の痒みが再発しなかった。


 原左都子の私論に入ろう。

 上記カネボウ化粧品「美白製品」を使用された方々とは、どれ程ご自身の体質や医学的経歴を把握・理解された上でその商品を購買したのであろうか?
 
 いやもちろん、たとえ美容商品であろうが、製造・販売元企業こそが市民の健康上の被害発生をとどめるべくきめ細かな商品開発に精進するべきである。 そのために、幾重の研究開発がなされている現状と私は信じたかったのだが…。
 ところが、どうしたことだろう。 
 現在の美容業界の販売促進の実態とは、冒頭に示したごとく「野放図」とも表現可能な傍若無人ぶりではなかろうか?  「売れるならば何でも売る!」そのポリシーに基づき(元大手だった)カネボウ化粧品までもが、その名声力を信じ“盲滅法”商法でこれ程までに多大な「美白」重症者を出すに至ったのか!?! 


 原左都子の、上記“顔の痒み症状”発症も反省材料としつつ、最後を締めくくろう。

 やはり自分がもって生まれたDNA体質は、たとえ一般市民とは言えども人生の早期よりある程度認識するべきではあるまいか?
 自分のDNA体質を如何に理解・認識するかの課題に関しては、そもそも今時の小中高学校教育を真面目に受けたならば、ある程度の認識力が満たされるはずと私は慮るのだが…。

 ところが科学が未ださほど発達していない時代背景下に、DNA教育を受けていない高齢人種が多数存在するのが今の世の現状でもあろう。
 それら旧人類を食い物にして、「美白」「保湿」等々との商品を“盲滅法商法”で販売したならば、それに対する科学的知識疎くして、購買行動に走る素人消費者こそが大多数の現在の末端社会であろう。

 それ故に、カネボウ化粧品は今後「白斑」被害者に最大限の補償をするべきだ。


 同時に、庶民にも「色白七難隠す」との格言の真の意味合いを理解して欲しいものである。
 肌の色を化粧品に頼って白くして化けたところで、自分が持って生まれている「七難」を隠せるはずがない。 
 そんな一時の願いは単なる「妄念」でしかない事をわきまえながら、自分が持って生まれたDNA体質によっては、化粧品により“白斑”との病理に生涯悩まされかねない事実をも承諾しつつ、今後の商業社会を自らの実質能力を養う事により力強く生き抜いて欲しいものだ。

一少女が命をかけて給食で“おかわり”をした理由

2013年08月08日 | 時事論評
 昨年12月東京都調布市立小学校で、食物アレルギーのある小5女子児童が、担任が誤って渡した給食の食材によりアナフィラキシーショックを起こし死亡するとの痛ましい事故が発生した。

 私はこの事故に関するニュースを最初にNHKテレビにて見聞したのだが、NHKの報道のし方に大いなる違和感及び疑義を抱かされ、早速我が「原左都子エッセイ集」に於いて当該ニュース報道に対する反論見解を述べた。

 当エッセイ集2013年1月バックナンバー 「学校給食における『おかわり』考」 の一部を以下に要約して反復させていただこう。

 NHKニュース報道では、「女児が給食で『おかわり』をした際に担任が手渡した食材によりアレルギー反応が起こった」との表現を用いていたのだが、ニュース表題にも「おかわり」の文字を使用する等、女児自身が「おかわり」をした事を殊更強調しているかのように私の耳に入ってきた。 これではまるで、「おかわり」をした女児側の自己責任範疇の事故と視聴者に受け取られかねないのではあるまいか?!?
 とんでもない話だ。 女子児童は未だ11歳の小学5年生。 もしも周囲の児童達が元気よく「おかわり」をするのが日常であったとするならば、女児とて担任が自らのアレルギー体質を理解してくれているものと信じ「おかわり」を要求することは重々想定内の出来事であろう。
 ここでは専門的な発言を差し控えるが、元医学関係者として一言のみ私論を付け加えさせていただくならば、義務教育現場は一部の児童が抱えている食物アレルギーを絶対に軽視してはならない事を再認識するべきだ。 現在公立小中学校に通う児童達は全員学校で給食を取る事を強制されている。 そうであるなら尚更、現場の教職員は一部の医療的弱者児童の存在を肝に銘じるべきである。 一見元気そうだからと、絶対に児童が抱えている体質を安易に見過ごしてはならない。 学校給食が元でアナフィラキシーショックにより命を落とす児童は、今回に限らず後を絶たない現実である。 もしも学校現場の教職員が児童が抱えるアレルギー体質対策・管理に手が回らないのであれば、全員一斉食材を基本とする給食システムこそを今一度その細部に至るまで再考し直すべきだ。
 食物アレルギー児童を抱える家庭によっては、自宅から弁当を持たせる事例も存在する事は私も承知している。 それが時間的制約等様々な事情で叶わない家庭が多い実情をも踏まえ、子供の命を預かる義務教育行政は、時代の要請に応じてもうそろそろ何らかのきめ細かい対策を練る事に着手するべきではないのか。
 さて今回の「原左都子エッセイ集」は、学校給食における 「おかわり」 を考察することを趣旨としている。 上記女子児童の学校給食による痛ましい食物アレルギー死亡事故に際し、NHKニュースが給食を 「おかわり」 したことを執拗にまで繰り返していた事実に、とことん反発したい思いが我が脳裏に渦巻き続けている故である。
 実は我が子が小学2年生の時、公立小学校の給食時間に「おかわり」ができるまでに“成長”した事実を担任先生よりご伝授いただいた。 これにはプラスの意味合いで仰天した私だ。 何分我が子は出産時のトラブルにより若干の事情を持って産まれ出ているため、特に幼少の頃は衣食住全てにケアが必要な身だった。「食」に関しても例外ではなく、必要最低限の栄養源を摂取させることに日々精進した私だ。 学校では、案の定与えられた一人分の給食を時間内に食することが出来ない。 そんな折、担任先生からの我が子が初めて「おかわり」が出来たとの談話とは、娘の成長を物語る逸話であり母として今尚忘れ難き“吉報”だったのだ!
 このようにまだまだ未熟な児童にとって義務教育課程に於ける給食時の「おかわり」とは、子どもの成長を物語る一指標の意味合いもある。  集団生活内での「給食」という場を有効活用して、我が子を成長に導いて下さった当時の担任先生に心より感謝申し上げたい思いだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーよりその一部を引用。)


 さて、大幅に話題を変えよう。

 去る7月24日の朝日新聞内に、上記調布市立小学校の給食時アレルギー事故により娘さんを亡くされたお母様に、朝日新聞が取材をした記事が掲載された。
 実は原左都子も、今年1月に上記 「学校給食における『おかわり』考」 なるエッセイを公開して以来、ずっと犠牲女児のお母様こそが、娘さんが給食時に「おかわり」をした報道をメディアが殊更発信している事実に一番心を痛めておられるのではないかと、我が事のように気をもんでいたのだ。

 早速、朝日新聞上記取材記事を要約して紹介しよう。
 何故(食アレルギーの)娘が給食時に「おかわり」をして死に至ってしまったのか分からず苦しんでいた母の私が、新盆に娘の親友が語ってくれた話を聞いて納得した。 娘の親友によると、あの日給食に出たチーズ入りチヂミは不人気で沢山残っていた。 一方、クラスでは給食を残さない「完食記録」を目指していた。 娘は、当日めったにしない「おかわり」をした理由を「クラスに貢献したかった」と親友相手に語ったという…
 クラスのために頑張ろうと無理をしてこんな結果となり残念だが、そういう理由だった事に納得した、とお母様は涙ぐみながら話されたとのことだ。
 科学者を目指していた娘さんは生命科学に興味があり、「アレルギーの子を助ける研究をしたい」との将来の夢を語っていたらしい。
 取材の最後にお母様は告げる。 「(今回の学校給食事故を)報告書で終わらせるのではなく、子どもの命を守ることを最優先に対応して欲しい。 人の役に立ちたいと思っていた娘もそう願っているはずです。」
 (以上、朝日新聞7月24日記事より一部を引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上記のようなニュース報道に触れて尚、「やっぱり『おかわり』をした児童の方が悪いんだよ。 子ども一人ひとりが抱えている特殊事情をいちいち気にしている時間など、学校の教職員には無い事を庶民側こそが理解するべきだ」なる感想を抱く、学校教職員及び行政関係者や市民が多数派であることは重々理解可能だ。

 それが証拠に、専門家氏らによる給食アレルギー検討委員会が7月23日に提出した最終報告の主たる内容とは、アレルギー児は「おかわり禁止」等の再発防止策であるらしい。
 やはり「おかわり」こそが最大の女児自滅原因だった事を証明するべく、今後もそれを禁止するしか方策が打てないレベルの、この国の学校現場におけるアレルギー児童対策の貧弱さであろう。
  
 今一度原左都子から訴えるが、公立小学校に通っていたアレルギー女児は、決して給食の「おかわり」をしたから死に至ったのではない。
 人間の多様性を心得ない、あるいはその対策を怠っている義務教育学校現場、ひいては教育行政が招いた悲惨な事故に他ならないのだ。

“二日酔いで最も苦しむのは29歳説” に同感!

2013年08月05日 | 
 「二日酔いで最も苦しむのは29歳だと判明 / もう若くないのに現実を認めないのが理由」 
  -ネット情報 ロケットニュース24(2013年8月4日08時00分)より引用。-

 滅多な事でネット情報を丸のみしない原左都子が、上記ロケットニュースの表題のみを一見して“29歳との具体的かつ的確な指摘”に恐れ入ってしまったのだ。

 と言うのも、自他共に認めるバリバリ飲兵衛かつ今後もそれを貫く人生を志している私自身が、まさにちょうど29歳の時、「酒」によりもしかしたら命を失うのかとも表現可能な地獄を彷徨ったからだ。
 上記ネット情報により、今思い出しても命が縮まりそうな忘れ難き我が苦悩の記憶が脳裏に蘇ってしまった…

 上記ロケットニュース内に列挙されている今時の飲兵衛連中どもの具体例は後回しにして、まず原左都子自身が29歳時に味わった「酒」の大失敗談を以下に紹介しよう。
 酒による「醜態」ならば、何も29歳の時に限らず今に至って尚繰り返す日々だ。
 そうではなく、酒に強い私が“完璧に体を崩してしまった出来事”をその時経験したのだ。 いえいえ二日酔いにより多少体調を阻害される事は今でもままある。 にもかかわらず、何故29歳時の酒による体調不良状態がそれ程までに我が脳裏に鮮明に刻まれているのかと言うと、まさに命を失うのかと一瞬本気で思ったからだ。

 当時の私は、人生の大きな転機の渦中にいた。
 30歳直前にして次なる学問に励もうとの目標設定の下、新卒入社後それまで勤めてきた医学関係会社退社を視野に入れ、会社の休みの日には大学受験勉強に驀進し寝る時間も惜しんでいた。 しかも会社にはその事情を一切伝えておらず、今まで通り医学専門職社員として勤務時間中は最大限の努力を惜しまず労働力を提供し、職場の誘いに応じて飲み会にも頻繁に参加していた。
 それまでの私なら、これしきの事“お茶の子さいさい”である。 もちろん“二日酔い”は辛いが、酒が理由で仕事を休むなどとの記載は私の辞書にはない! 
 志望大学から合格通知が届くまでは、上記のごとく今までと変わりない会社での勤務態度及び飲み会の付き合い、休日は受験勉強に没頭するとの超ハードスケジュールを難なくこなす日々だった。

 そして私の手元に志望大学から「合格通知」が届いた後の話だ。
 私はまだ勤務先に大学進学退職を告げない方針を貫いていた。 それは今後勤労学生を貫かねばならない経済的事由による。 大学入学は4月だが、会社の6月ボーナス支給日まで勤務を続けられれば100万円程の大金を入手可能だ! (参考のため、私が勤務していた会社は当時一回のボーナス額を若手社員に100万円程出せる程に活気付く優良企業だった。)

 そんな折、どうも私は体調を崩している事を何となく自己分析出来ていた… 
 大学から合格通知が届きそれまでの受験勉強から解放され、夜自宅でテレビを見ていると、何故か「革靴を煮て食べる」なる信じられない企画影像がNHKテレビより写し出されたのだ! これを一瞬見た私は咄嗟に“吐き気”をもよおしてしまった。
 その“革靴を食べる”との変態的ショッキング影像が我が脳裏から消え去らない内に、次の日職場から「飲み会」に誘われた。 果敢にもそれに参加し深夜帰宅した私だが、その翌日にとんでもない“二日酔い”状態に苛まれる結果と相成る。 それでも(きっと昼頃になれば今まで通りこの二日酔いも治まるだろう)と思い直し、翌朝体調の悪さにムチ打って会社に出勤した。
 ところが今までの二日酔い経験とはまったく異なり、私は昼食で摂取した食材を職場のトイレで実際に吐いてしまったのだ。 しかも体調がどうにも悪い。 それでも一旦トイレから職場に戻り自分の仕事を続けようと決意した私だが、やはりトイレに入って今一度吐いた。 
 こんな苦しい経験は飲兵衛の私にとっても実に初めての出来事である。 社内周囲の人間がそれに察した気配はない。 それ程に私は普段の私を装えていたと解釈するが、結局もう倒れかけ寸前の状態で上司に申し出た。 「申し訳ありませんが、少しロッカールームで休憩していいですか?」 驚いた上司が「どうしたの?」と尋ねたかどうかの記憶はない。 その後夕刻となって体調がもっと悪化する私は上司にその旨申し出た。 
 そこで初めて上司から「救急車」を手配するとの反応をもらったのだが、私としてはもうすぐ退職する職場で事が大袈裟になるのを避けたい一心だ! 「自分でタクシーに乗って救急診療病院へ向かいます」と伝えた。
 その後職場に程近い“夜間緊急医療センター”までタクシーで行き着いた私だが、夜間救急の手薄さを思い知らされる運命になる。 そこにいた若手男性医師は簡単な問診のみで何の診断も処置もするではなく、私は直ぐに追い返された。 その後自分なりに「胃腸等消化器系の急性障害症状」とある程度の診断をした上で、昼間より度重なる嘔吐や下痢症状に苛まれている私は「脱水症状」こそを併発していると自分で心得、すぐさま水分補給をしたものである。
 幸いな事に私は自己の判断による水分補給でその後蘇り、体調は相変わらずすぐれないものの、次の日からまた退職までの期間会社への勤務を続けるに至る。

 29歳にして人生二度目に志した大学合格が叶い、4月から再びの大学進学が決定していた私ではある。 ところがその反面、それまで医学関係企業に於いて私が蓄積してきた実績や社会的地位すべてを捨て去る事に、大いなる抵抗感が我が内面に噴出していたのだ。 そんな切実な実態を我が精神内で病んでいた事こそが、上記29歳時の酒により勃発した「病」であったのかと後々考察している。 


 ここで、冒頭で紹介したロケットニュース内で「二日酔い」に苦しんでいる29歳若者達の酒の楽しみ方を紹介しよう。

 夏といえば冷たいビール! ビールといえば飲み会にビアガーデン!! 次の日は最悪の二日酔い……。 夏真っ盛りの今、すでにこんなパターンを経験している人がたくさんいるのではないだろうか。二日酔いは誰にとってもつらいものだが、なかでも「二日酔いで最も苦しむのは29歳」という興味深いデータが発表され、酒好きの間で話題になっている。
 なぜ29歳が二日酔いで最も苦しむのかというと、もう若くもなくスタミナもないのに、それを認めずに「まだまだ大丈夫!」と飲み続けるからだという。
 ひどい二日酔いで苦しんだ29歳の声を紹介しよう。
 「週末出かけたら、月曜日でもお酒が抜けていないのを感じる」「土曜に飲みに行ったら、日曜の夜8時ごろまで気分が悪い」「週末に飲んだら、次の日仕事に行くのは無理。仮病を使って休んだこともある」
 6割の人が「月曜日に二日酔いのまま出勤している」 また1年のうち平均6日間も二日酔いが理由で会社を欠勤しているそうだ。
 確かに30代に突入する前の29歳という年齢は、実年齢と自分の年齢感覚が折り合わない時期かもしれない。 楽しむのはよいが、健康のためにもお酒はほどほどに!


 原左都子の私論で締めくくろう。
 まず最初に自分が「酒」を飲める体質か否かを、年齢に係わらず医学的観点からわきまえるべきであろう。
 それが分からずとも30歳手前とは、人それぞれに人生の過渡期なのかもしれない。  もしも心身不調の折りには、一時酒の付き合いを断って、今後の長い人生を見つめつつ静かに一人で時間を過ごすのもいいかもね?!?