本ブログの前回の記事「ネット友達は成立し得るか?」に対し、3日間に渡りご覧のように多数のコメントを頂戴しました。ここで、この大いなる反響に改めて感謝申し上げます。
その総数は(筆者である私よりの返答も含めて)30を超過し、おそらく本ブログにおける過去最高タイ記録だったのではないかと思うほどの勢いでした。しかも、皆様との議論の内容が濃厚でもありました。
これは、ネット上の人間同士の付き合いのあり方に関する皆様の関心の高さを物語るものであり、そのような現状を再認識させていただくことができました。
さて、今回の某ブログコミュニティのリニューアルには当初少なからず驚かされた私ではありましたが、これがきっかけとなって、原左都子なりのブログライフのあり方を再考する機会を与えていただけたようにも思います。
自己のオピニオンの公開を趣旨として私は既に1年半の期間に渡り本ブログを綴り続けている訳ですが、「原左都子エッセイ集」が今後どうあるべきか、はたまたその筆者である私は自分の分身とも言えるこの「エッセイ集」に如何なる生命を宿したいのか…、 皆様より前記事に怒涛のごとくコメントを頂戴し、それに返答させていただくことに集中したこの3日間の経験を通じて、この自らの問いに対する現時点での結論が少し見えてきたように思えます。
私はこの「原左都子エッセイ集」を綴るに当たり、当初より“自分自身が感情移入できる”ということを一番のモットーとしております。そして一記事一記事に生命を宿らせることにより、ブログに「公開力」を持たせる事が可能となると考えております。
そのためには、テーマの設定から関連資料の収集、そして記事の全体的バランスや文章の展開等の技法、加えて記事の内容の正確さや専門用語の監修作業等々が欠かせません。それら記事作成のすべての過程において自分自身が熱くなって感情移入できないと、記事に生命が宿らないと考え、おそらく皆様の予想をはるかに上回る集中力で一記事一記事を書き上げております。
(その割には私の能力不足故に、愚作記事ばかり披露させていただき恐縮なのですが…)
時には実際に書き進めていくうちに当初趣旨としたテーマからどんどんずれていき、途中でテーマ自体を変更することもあります。 またある時には、全文を書き上げたもののどうしても満足感が得られず、結果として“没”にして削除することもあります。
とにかく、結果として原左都子自身が“合格点”を出せない記事は基本的には公開しない方針を貫いております。
これにより、私は(あくまでも自己満足の世界ではありますが)大いなる達成感を得ております。自己評価による記事に対する点数が高い程、当然ながらその達成感は大きくなります。
ですので記事を書き上げた後の私はいつも、大なり小なりその達成感がもたらしてくれる満足感に浸れます。これは、ブログを開始して以来、私(この場合の私とは生身の私本人でありますが)が日々を生きていく上での大きな糧となっています。
今回の某ブログコミュニティのリニューアルへの混乱から派生して、私は本来のブロガーとしての初心に戻る事ができたように思います。
このブログの一記事一記事を綴り終えた後の達成感そして満足感が味わいたいがために、私は「原左都子エッセイ集」を綴り続けている訳でありまして、それが記事に生命力を与える源となっていることを再認識させていただくことができました。
この達成感そして満足感を味わう感性や能力を失わない限り、私は原左都子として「原左都子エッセイ集」を今後も綴り続けることでしょう。
P.S. ブログ記事の公開性の使命は常に心得ておりますので、前回の記事「ネット友達は成立し得るか?」へのコメントも引き続き何なりとお寄せ下さいますように。必ず返答申し上げます。
その総数は(筆者である私よりの返答も含めて)30を超過し、おそらく本ブログにおける過去最高タイ記録だったのではないかと思うほどの勢いでした。しかも、皆様との議論の内容が濃厚でもありました。
これは、ネット上の人間同士の付き合いのあり方に関する皆様の関心の高さを物語るものであり、そのような現状を再認識させていただくことができました。
さて、今回の某ブログコミュニティのリニューアルには当初少なからず驚かされた私ではありましたが、これがきっかけとなって、原左都子なりのブログライフのあり方を再考する機会を与えていただけたようにも思います。
自己のオピニオンの公開を趣旨として私は既に1年半の期間に渡り本ブログを綴り続けている訳ですが、「原左都子エッセイ集」が今後どうあるべきか、はたまたその筆者である私は自分の分身とも言えるこの「エッセイ集」に如何なる生命を宿したいのか…、 皆様より前記事に怒涛のごとくコメントを頂戴し、それに返答させていただくことに集中したこの3日間の経験を通じて、この自らの問いに対する現時点での結論が少し見えてきたように思えます。
私はこの「原左都子エッセイ集」を綴るに当たり、当初より“自分自身が感情移入できる”ということを一番のモットーとしております。そして一記事一記事に生命を宿らせることにより、ブログに「公開力」を持たせる事が可能となると考えております。
そのためには、テーマの設定から関連資料の収集、そして記事の全体的バランスや文章の展開等の技法、加えて記事の内容の正確さや専門用語の監修作業等々が欠かせません。それら記事作成のすべての過程において自分自身が熱くなって感情移入できないと、記事に生命が宿らないと考え、おそらく皆様の予想をはるかに上回る集中力で一記事一記事を書き上げております。
(その割には私の能力不足故に、愚作記事ばかり披露させていただき恐縮なのですが…)
時には実際に書き進めていくうちに当初趣旨としたテーマからどんどんずれていき、途中でテーマ自体を変更することもあります。 またある時には、全文を書き上げたもののどうしても満足感が得られず、結果として“没”にして削除することもあります。
とにかく、結果として原左都子自身が“合格点”を出せない記事は基本的には公開しない方針を貫いております。
これにより、私は(あくまでも自己満足の世界ではありますが)大いなる達成感を得ております。自己評価による記事に対する点数が高い程、当然ながらその達成感は大きくなります。
ですので記事を書き上げた後の私はいつも、大なり小なりその達成感がもたらしてくれる満足感に浸れます。これは、ブログを開始して以来、私(この場合の私とは生身の私本人でありますが)が日々を生きていく上での大きな糧となっています。
今回の某ブログコミュニティのリニューアルへの混乱から派生して、私は本来のブロガーとしての初心に戻る事ができたように思います。
このブログの一記事一記事を綴り終えた後の達成感そして満足感が味わいたいがために、私は「原左都子エッセイ集」を綴り続けている訳でありまして、それが記事に生命力を与える源となっていることを再認識させていただくことができました。
この達成感そして満足感を味わう感性や能力を失わない限り、私は原左都子として「原左都子エッセイ集」を今後も綴り続けることでしょう。
P.S. ブログ記事の公開性の使命は常に心得ておりますので、前回の記事「ネット友達は成立し得るか?」へのコメントも引き続き何なりとお寄せ下さいますように。必ず返答申し上げます。