原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

へえ、熟年亭主に関心持って欲しい妻がいるんだ…

2016年01月11日 | 恋愛・男女関係
 (写真は、2年前にプロが撮影した当時20歳だった我が娘の成人祝い振袖縮小写真。 本文とはまったく無関係です。)


 本日1月11日は「成人の日」だ。

 テレビ報道等で成人式の様子を垣間見るに、成人を迎えた男女があまりにも“幼い(と言うか“子供じみている”)風貌であるのに、改めて驚かされる。
 それはおそらく外見的要因のみならず、彼らの態度やしぐさ、言葉遣い等が幼さを醸し出しているとも想像可能だ。

 外見から論評するに、特に女性の場合、皆が皆同じような振袖を着て同じように髪を結っている。 いやいや振袖の色合いや柄、そしてヘアスタイル等は当然個々に異なっているのだが、私の視点からみると、皆に共通するコンセプトがありそうだ。  それは、決して「美しさ」でも「大人」でもなく、(悪い表現を使うと)“低俗”で“ダサい”事であるようだ。 今時の20歳達は敢えてそれを狙っているとも捉えられる。
 そして例年の事だが、振袖姿で常にスマホをいじり、落ち着きなくただただ皆で空騒ぎして戯れている。 (この人達、これで選挙権が与えられるのか? それでいいのか、この国は??)とついつい嘆きたくもなる。

 冒頭で紹介した我が娘は2年前に、「成人式になど出席したって何のメリットもない」と言い切り、同年の若人達が集う成人式に出席する事を最後まで徹底して拒否し続けた。 それも我が子のポリシーと理解して、私もそれを受け入れた事を思い起こす。
 早いもので、あれから2年の年月が流れている。


 話題を表題に戻そう。

 ただおそらく、今年20歳を迎えた若人達は、実生活上はそれぞれの恋愛などを謳歌し楽しんでいる事だろう。
 若気の至りとは実に素晴らしい事実だ。 お互いに信じ合い、裏切られ、そしてまた新しい人生を取り戻し、未来を見つめ直す…  それを繰り返しつつ未来に向かい更なる成長を遂げていく事こそが、若者の特権だ。
 私自身にもそういう時代があった。 (と言うよりも、私の場合は自分の意思でその時代を40歳近くまでの長きに渡り続ける事としたのだが… ) それは若さ故の貴重な時代であったと表現出来よう。


 さてここで、1月9日付朝日新聞“悩みのるつぼ”に話を移すこととしよう。

 早速以下に、50代妻氏よりの「私の心に関心ない夫」 と題する相談内容を要約して紹介する。

 結婚10年目の50代主婦だが、夫との会話が続かず悩んでいる。 夫は単に寡黙とか口下手ではなく、要するに彼は、私の気持ちや行動や人生に対して全然興味を持っていない。 興味がないから質問しない。 私だけでなく、人間関係全般に関して同様で、親友もおらず親兄弟にもそんな感じで接する。 でも、真面目な働き者で人当たりもいいため職場では同僚から信頼され、「いい人」の典型的な存在として通っている。 本人もそんな自分に自信があり、何の不自由も感じていない。 
 でも妻としては「寂しい」の一言だ。彼は家事も育児も手伝ってくれるイクメンだが、イクメンでなくていいから「君はどう思う?」と聞いて欲しいとさえ思う。 私の心に無関心な人と一緒にいてもリラックスできない。 おそらく彼は「いい人」を保つために相手に近づき過ぎず、興味も持たないという道を選んで生きてきたのだろう。 そんな彼を変える事を諦めて、私が変わるしかないと思うのだが、どうしたらよいのか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を要約したもの。)


 今回の回答者は、社会学者 上野千鶴子氏であられるのだが、その回答内容が原左都子の私論とほぼ一致する。
 ここは、上野氏のご回答は新聞紙上にてお読み頂くとして、以下に原左都子の私論でまとめさせていただこう。

 晩婚夫婦とて、様々である事を思い知らされる相談内容である。

 相談者も晩婚にて子どもを設けておられるようだが、どうやら平穏無事に出産され、夫氏の“イクメン力”との助力に頼りつつ無事に子供を育てておられるご様子だ。
 その事実のみを取り上げても、私には羨ましいばかりの話である。 何分、晩婚高齢出産にて誕生した我が娘は、出産当初より若干の事情を抱えていた。 にもかかわらず、我が亭主に関しては結婚前よりイクメンなど望むべくもなく、亭主自体に手がかかる事を承知した上での共同生活だった。 最初から母である私一人のサリバン力にて我が娘を育て上げよう!と志し、それを現在に至って実行している。

 それでも私は、我が亭主が「私の心に関心がないから寂しい」、などとの心境に陥ったことはただの一度も無い。
 むしろ、日々の家庭内での所雑な事象において亭主は手がかかる存在だ。  が、我が娘の教育・指導を筆頭に私に一任して自由にさせてくれる亭主に感謝感激だったものだ。(今も引き続きの話だが)  そうやって、我が子の22年間の教育・指導が一応成就し、我が家全体が上手く機能していると私は確信している。

 私が想像するに、上記の朝日新聞相談者である50代妻氏は、もしかしたら、若気の至りの時代に於ける「恋愛経験」に乏しいのではあるまいか?
 晩婚にてやっとこさ出会えたご亭主に、自分の人生すべてを“おんぶ”するべくして婚姻に至ったとも想像可能だ。

 しかもご亭主側の事情に関しては相談内容から推測不能だが、50代妻である貴方の内心の思いをまったく理解していない現状なのではなかろうか。
 一体全体このご夫婦に普段どれ程の会話があるかは不明だ。 が、私が想像するに、妻側こそがもしかしたら寡黙な人物であり、夫氏に対して自由に会話が出来ないような雰囲気のご家庭とも想像可能だ。
 家族関係とはまさに個々に多様であろうが、ここは思い切って、妻であられる50代女性から今の気持ちを夫氏に打ち明ける勇気を持たれては如何かと、アドバイスしたい。

 我が家の事例を語っても何の参考にもならない事は承知の上だが、日々大喧嘩を繰り広げお互いの人権を侵害する程の激しいバトルを展開しつつも、何とか夫婦関係とは繋がるものだとの暗黙の了解がある。

 相談者氏も、相手が自分に「関心があるかどうか」なる、まるで今年20歳になったばかりのような可愛らしい心境を持ち続けるよりも、ここは思い切ってご亭主氏とバトルを承知で、とことん語り合う機会を持たれては如何だろうか。

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