原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

紅葉を観て、何が嬉しい?!?

2015年11月02日 | 自己実現
 (写真は、昨日出かけた栃木県日光東照宮への参道にて娘が撮影してくれた原左都子の写真を、個人情報保護等々の理由であえてぼかしたもの。)


 表題からして、暴言を吐いた事をお詫びしておく。

 昨日、私は娘を誘って栃木県日光市へ“紅葉狩り”に出かけた。

 と言えども、実際問題私自身に“紅葉狩り”をたしなむような風流な趣味など一切なければ、日光市の歴史を散策せんとの歴史的学術的背景も持ち合わせていない。

 それでも何故、昨日丸一日の日程を割いて日光へ出かけたのかと言えば、要するに“気分転換”が第一目的である。
 現在に於いて車の運転をリタイアしている私としては、そういう場合には民間企業のバス旅行に依存するしか手立てが打てない。 そうして申し込んだ某バス1日旅行に昨日参加したとのいきさつだ。


 この種のバス旅行は度々経験があるものの、近年の特徴として参加者が急激に高齢化している有様だ。

 昨日乗ったバス内もその平均年齢が相当高そうだ。
 そして私の判断では、旅行企画会社の配慮で高齢者程バスの前方の席に座席を指定しているのではないかとの憶測だ。 
 少数派ながら若年層の顧客もいるのだが、それら若年顧客層は皆バスの後部座席扱いとなっている事実を私は嗅ぎ取った。 
 その理由にも整合性がある。 高齢者は足腰等身体に不自由を抱えておられる方々が多いのが現状だ。 そうなるとバスの前方席に座席を指定しておく事により、バスの乗降の際に効率的であるのは誰が考えても自明の理であろう。

 ところがどういう訳か、私がバス旅行を予約するといつも前方の座席に配置されてしまう。 それはもしかしたら、当該旅行会社との今までの契約履歴にもよるのだろうか。 
 あるいは私の憶測通り、座席が前列から“高齢者順”に指定されているとしよう。 バス車内座席は、顧客の申し込み内容によりあらかじめ割り振られる事だろう。 そうした場合、既に還暦を超えている私が高齢順に座席を決定されたなら、前方の座席となる事も想像範囲内だ。


 近年国内団体バス旅行を経験された方々はご存知だろうが、その顧客の大半が熟年女性団体である。
 それら参加者女性陣のバス内雑談力とは、まさに嵐や大火災のごとくけたたましい有様だ!  バス内の秩序もはばからないその傍若無人ぶりには、一体全体これらの女性陣は何処で如何なる類の教育を受けて来たのかと、いつもいつもそれら女性達の経歴の程が我が脳裏にかすむ。
 バス内では他人の迷惑も顧みず何時間も喋くり倒しておきながら、この人達が一旦個人行動になるや否や我先にと一目散にバスから降車して、しっかりした歩行で目的地に急ぐ行動を採るのだ。
 いやはやご高齢にして一体何処でその気力や体力を養っているのか、私の方こそ教えて欲しいものだ。

 別の視点からだが、私より若年らしき女性陣の言動も気になる。
 昨日我が後部座席にいた女性達は、(一見すると私よりずっとお年を召しているのかとの外見だが)ご自身が就職を希望しているとの話題や子供さんが未だ高校生等々との内容の雑談を繰り広げている事から想像すると、おそらく4、50代の年齢女性達なのであろう。 
 ところがその会話内容も、前席におられるお年寄り女性陣とさほど変わらない。 とにもかくにも、自身の身の安泰のみを願って日々安穏と暮らしている様子に共通項を見出せるのだ。 しかも、我が子を未だ成人させていない身にして、自分達の不平不満ばかりをバス内でずっと語り合っている有様だ。
 会話の一例を挙げると、片方の女性は介護施設等で介護の仕事をしたいのだと言う。 ご自身が言うには自分はその適性に優れているのに、何処の施設も「資格が必要」との理由で自分を雇い入れてくれないとの事だ。 (ならば愚痴ばかりくっ喋ってないで資格取得の勉強したらどうなの?)と私などアドバイスしたいものだが、その気は全くない様子で、施設が自分を雇わない事実の方が間違っているとの愚痴内容だ。 (再び私のアドバイスだが、介護職とは忍耐力勝負だし話の聞き上手でなければ務まらない仕事だと思うよ。あなたのようになりふり構わず愚痴をぶちまけねば自分の精神状態を保てないような人に、それが務まるのかどうか。 しかも、人命を守る観点も必要で若干の医学的知識を要求される職種だと思うのだけど、その勉強に耐える精神力があるのかなあ。 貴方の話を聞いていると、その対極にいる人のように感じるのだけど…。)

 このように、傍で聞かされる方が恥ずかしいような会話をバス内で大声で喋くり倒し続ける女性達の脳みその中身の程は一体どうなっているのか、と反吐が出そうになる私の鬱陶しさもご理解頂ける事であろう。

 まあただ日本の教育制度がもたらした現状とは、これが精一杯の事実なのであろう。
 とにかく底辺市民には集団主義に迎合させて、個々の能力レベルにかかわらず学校の指示に従い卒業まで素直に従った人間を、無責任にこの世に送り出す社会システムが出来上がっている日本の教育の実態だ。
 「右向け右」「右に倣え」と国家が言えば、それになびく人間を育てるのが学校現場の責務との事実だが、現在の安倍政権に至っては、その方針を強行化しているとも表現出来よう。


 さてさて、表題に掲げた「紅葉を観て、何が嬉しい?!?」 なる表題に対する原左都子なりの結論を導こう。

 日本国家に迎合しつつ集団主義を貫く義務教育課程を素直に渡って来た国民が、大人になり、更には高齢域に達した暁に、“皆と一緒に”紅葉を観て美しいと思えるのならばそれに越した事はない。

 この私としても、昨日見た栃木県日光(東照宮近辺)の紅葉具合は実に素晴らしかったと賞賛する。

 それを今後も国民皆がそれぞれの視点観点から楽しむためには、国家は如何なる方策を打ち出すべきだろう?

 紅葉の美しさは、国民の多様な生き様によりその色合いが異なるはずだ。
 その実態に慮ってこそ個性豊かな国民の創造力がさらに豊かになり、秋の紅葉が国民それぞれの心情風景として更に美しく輝くのではあるまいか。

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