原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

突然出没した頭頂部の “できもの”、皮膚癌だった…

2022年02月14日 | 医学・医療・介護
 2022.02.09付朝日新聞「患者を生きる」シリーズ 今回のテーマは、「小児がんと私の夢」だった。

 この記事によると、小6の娘さんの頭と左耳の後ろに3㎝ぐらいのポコッとしたできものがあることに母親が気付き。 念のために皮膚科へ行くと、大病院を紹介され。
 その検査の結果、悪性の細胞があることが判明し。 後日自宅まで担当医師より電話が入り「白血病細胞を確認しました」と告げられたとのことだ。


 この原左都子も類似の経験をしている。
 その経験を、この記事を読んで明瞭に思い起した。


 時は32歳、2度目の大学時代の事だ。
 いつものように夜間のアルバイトを終えて自宅へ帰り、シャワーを浴びていた時のことだ。
 シャンプーに入った時に、頭頂部に固めのポコッとしたできものがある事に気付いた。 手で触れると、直径1㎝程の大きさだっただろうか?
 (あれ、昨日までこんなもの無かったのに、一体どうしたのだろう??)

 そう思いつつも、すぐに消えるだろう、と考えるのが通常だろう。
 特徴としては痛くも痒くも何ともないのだが、何分頭頂部のため、そのできもののせいで皮膚が突っ張っている感覚はあった。

 これが消えない。
 気にはなるが、何分昼間は大学にて学業に励み夜間働く生活の日々で、病院へ行く時間がとれない。
 とにかく、痛くも痒くも無いことに助けられつつ何か月が経過して。
 春の大学にての健診時に、やっと健診担当医師に相談した。
 医師(所属大学に医学部があったため、その大学病院の若手医師と思うが)応えて曰く、「おそらく粉瘤か何かだと思いますが。 もしも痛みや痒みが出たり、形が崩れてきたり、何個も増殖する等の変化があった場合、すぐに病院へ行って下さい。)

 それから更に年月が流れ、私もその頭頂部のできものにすっかり慣れ切った頃のことだ。
 超難産で産んだ我が子が1歳になった頃だろうか。
 頭頂部のできものが大きくなっている気がし始めた。 ところが子育てが一番大変な時期で、自分の事で病院へ行っている暇など無い。
 そして、我が子が2歳になった頃に。 確実に大きくなっているできものは、既に3㎝程に達していただろうか? 何分、頭頂部のため自分で直接見ることは叶わない。 合わせ鏡をして苦心して観察すると、そのできものの周囲の髪の毛が剥げてきているのに気付いた。
 子どもが2歳4か月になった頃、私は初めて亭主に頭部のできもののことを話した。 
 「とりあえず、近くの皮膚科へ行ってみる」との我が言葉に同意してくれて。次の日に早速出かけた。
 皮膚科医が診察して曰く、「手術して除去しましょう。我が医院でも手術可能ですが、できものが大きいので大学病院にての手術としましょう。 明日からゴールデンウィークに入りますが、5月1,2は大学病院は通常診察をしていますので、必ずその両日中に診察を受けて下さい。 紹介状を書きます。」

 家へ帰ってその紹介状を透かしてみたら、病名の箇所に「頭部腫瘍」と書かれていた。  私の場合、医学関係者であるため、「腫瘍」と言えども「良性」と「悪性」があるのを当然ながら熟知していて、てっきり「良性」と信じて疑っていなかった。

 さて、その連休中に大学病院皮膚科へ出掛けた。
 とりあえずその腫瘍部の一部を切り取って細胞診検査をするとのことで、簡単な手術をした。 簡単と言えども、1~2時間を要しただろうか? 
 何分頭頂部のためうつむいての姿勢での局部麻酔後の手術であり、大いに身体が痛く疲れた。
 その細胞診結果を3週間後に自宅へ電話して、知らせてくれると言う。
 その間はいつものごとく、娘の育児と家事に励んだ。

 さて3週間後がやってきて、病院から電話があったのが夜の10時過ぎだった。 この電話の遅さで私は直感が働いた。「悪性」だったのだと。
 担当医師曰く、「明日の午前中に必ず受診して下さい。」 私が応えて、「悪性でしたか?」 医師曰く、「詳細は明日話しますので、とにかく病院へ来て下さい。」 
 亭主にはすぐに伝えた。「これは癌に間違いないから、癌保険をもらう準備をしておいて。」

 そして入院後すぐさま悪性腫瘍摘出手術と相成り、抗がん剤治療も含めて私は3週間入院後、抗がん剤にやられて弱り切った身体で退院と相成った。

 続きに関しては、「原左都子エッセイ集」初期頃のバックナンバー「癌は突然やってくる」にて記載済みのため、そちらを参照してください。


 この我が「頭頂部皮膚癌」の原因だが。
 我が推測では、どのように考察しても過去の医学業務経験しか考えられない。 おそらく「無菌操作」時に頭頂部に滅菌用の紫外線を通常では考えられない量浴びた故と考察する。 当時は未だ「滅菌用紫外線」の管理がずさんな時代背景だった。

 
 それにしても、世は良き時代へと移り変わっている。
 我が頭頂部皮膚癌摘出後のカバーをどう対処しているのかと言えば。
 私の場合は、手術後20数年来ずっとウィッグに依存している。
 今現在ウィッグはごく普通に販売されていて、自身の目的に合わせて好きな商品を購入可能だ。

 お蔭で何らの不都合も無い自己実現人生を、私は精力的に歩み続けることが叶っている。
 

この記事についてブログを書く
« 日本の予防接種における意味... | TOP | バレンタインデーお返しの “... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 医学・医療・介護