NHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」を見ていると、戦後まもない時期から善良な医師も存在したのかもしれない事実に少し思いを馳せたりもする。
元医学関係者の原左都子であるが、どうも私は医学関係の学問に励んでいた十代当時より医療機関や医師嫌いの部類である。
それ故に、(当時としてはごく少数派ながら)就職先としてあえて臨床現場の医療機関を回避して医学関連民間企業を選択し、それが我が人格・気質としては大正解だったと今尚実感している程だ。
本日放映されたNHK「梅ちゃん先生」に於いて大傑作だったのは、医師国家試験合格者発表新聞欄に「下村梅子」の字が誤植により「下村悔子」となっていた場面である。 これには抱腹絶倒した私だ。
少し意地悪観点かもしれないが、原左都子の視線では梅子は父親の“七光り”により医専に合格進学し、その後のインターン先及び今回帝都大学医学部第一内科への就職が叶ったのも、全面的に父のコネとしか捉えられないのだ。 梅子は確かに性格は悪くはないようだが、医師として相応の総合学力や強靭な意思や忍耐力等が未だ感じ取れない。 このまま梅子が医師としての道を突き進むに当たっては、性格の良さのみで太刀打ちできるはずもなく、まさに今後「悔」の念が付きまといつつの医師修行となるのではなかろうか…… などと老婆心ながらも心配してしまう私だ。
本日の放送では、「なぜ梅子は医師になりたかったのか? 医師とは高収入だし、人から“先生”と呼ばれて奉られるしね。」等々… と近隣住民からつつかれる場面もあった。
ここで初めてタイトルである 「梅ちゃん先生」 の呼び名が登場する事と相成った。
原左都子としてはこの場において、梅子自身の口から 「隣近所のお付き合いでは私は今はまだ一人の若輩者に過ぎないし、皆さんとの関係に於いては今後共に一人間でしかないから“先生”の呼称はやめてほしい」 とでも言って突き放して欲しかったものだ。 ただ物語の時代が戦後まもない時期であり、その社会文化的バックグラウンドを考慮した場合、梅子の口からその発言を望むのは無理な話なのかもしれないが…。
私が医師嫌いである核心とは、まさにその辺にある。
昔の医師とは実に“えばり腐って”いたものだ。 常に“自分は偉いぞ、との“上から目線”で患者に接してくることを、感受性が強い私は子供心にいつも感じ取っていた。
我が学生時代に“医師の卵”と接触する場面は数多かったが、たかが“卵”の分際ですら“えばり腐って”いる雰囲気を嗅ぎ取れた私は、若くして医師嫌いをさらに助長されたものである。 (特に自宅が開業医の“医師の卵”などは、既にその跡継ぎを目指すための結婚相手の選択肢として“金持ちのお嬢さん”をターゲットとしている事が見え見えだった事をおぞましく感じたものである。 ならば医学部としては偏差値が低いこんなド田舎の国立ではなく、リッチ層が多い私立医大へ入って結婚相手を探せよ!と言いたい思いもあった私だ…)
まだまだいろいろあるぞ…
私が通っていた医学部(私の場合はパラメディカル分野だったのだが)の授業を医学部教授や講師等々が担当していた。 この「先生」達は若き女性が多い我が専攻分野の授業に来る事を“実に”楽しみにしていた様子だ。 そして当時の大学とは諸先生方から女子学生に対する「飲み会」等のお誘いも多数あり、酒に強い私はいつもそれに参加したものである。
「時効」の判断の下に当時の医学部教授の失態を暴露するが、酔っ払った私をタクシーで家に送りつつ、まだ未成年の私の体を触りに来たものだ…。
そのすぐ後の日に、学内でその人物からこっそりと「あれはなかった事にして欲しい」等々の言い訳を聞かされたりもした。 当時より“腹が据わっていた”私にとっては単なる“スケベ親父の醜態”の範疇でありそんな事どうでもよい話であるから、ここで公開したのみである。
少し話題を変えて、私にとって「梅ちゃん先生」が興味深いのは、やはり我が若き学生時代の病院実習を思い起こさせてもらえる故である。
例えば「解剖学実習」の場面などまさにあの影像の通りだったものだ。 私の場合は「パラメディカル専攻」であるため実際に人体解剖をしなくてよい立場だったが、医師候補学生がそれを実行するのを一部始終観察したものである。
それから、「梅ちゃん先生」の大学附属病院に於けるインターン実習に関しても、我が学生当時をそのまま再現する程の迫力があった。
例えば内科外来実習に於いて、外来患者の目の前で担当医師が各学生に質問を投げかけて答えさせる場面などNHK影像の通りであり、私などそれに即答する事が出来ず患者さんの目の前でどれ程の恥をかいたことか… あるいは、入院患者の回診には教授を筆頭として職員一堂、最後尾に学生と序列順に並び、白衣の大集団でぞろぞろと病棟を訪れる風景も懐かしい思いで見守ったものだ。
加えて、病院の検査室風景に関しては我が医学専門分野であるため凝視したのだが、残念ながらさほどの医学的背景を観察出来ないままだった。
その中で梅子やあかねが病院内で「血液検体」を運ぶ場面が描かれていたが、あの描写の仕方に大いなる違和感を抱いた私だ。 患者から採取した「検体」とはその体及び生命の一部であることを、医療従事者たるもの絶対に忘れてはならないのが鉄則だ! 梅子が考え事をしつつ「検体」を運んだり、その「検体」の前で眠りこけた影像は、たとえ場面のシナリオ描写と言えども医療的配慮から今後は謹しむべきであろう。
医師国家試験が今尚「五肢選択制」を貫いている実態を何とかして欲しいと考えている私でもある。
かく言う私も過去に於いて同様に「五肢選択制」の医学関連国家試験に合格して免許を取得しているのだが、人の命を預かる職種としては、ここはやはり試験制度を見直すべきではなかろうか。
「司法試験」にしても「会計士」「税理士」試験等々においても、ずっと以前よりすべて鉛筆禁止の記述方式を採用している。 医師国家試験に於いてもその一部だけでも、もうそろそろ記述方式を取り入れるべきであろう。
さてさて、NHKの梅ちゃん先生。
あなたはおそらく戦後まもない時代に医師になっている事を考慮すると、やはり父親のコネに頼ったことは否めないと私は結論付けている。
たとえそうであったとしても、テレビ映像内で現代人が納得できるべく医師として成長する姿を今後共に見守っているよ!
元医学関係者の原左都子であるが、どうも私は医学関係の学問に励んでいた十代当時より医療機関や医師嫌いの部類である。
それ故に、(当時としてはごく少数派ながら)就職先としてあえて臨床現場の医療機関を回避して医学関連民間企業を選択し、それが我が人格・気質としては大正解だったと今尚実感している程だ。
本日放映されたNHK「梅ちゃん先生」に於いて大傑作だったのは、医師国家試験合格者発表新聞欄に「下村梅子」の字が誤植により「下村悔子」となっていた場面である。 これには抱腹絶倒した私だ。
少し意地悪観点かもしれないが、原左都子の視線では梅子は父親の“七光り”により医専に合格進学し、その後のインターン先及び今回帝都大学医学部第一内科への就職が叶ったのも、全面的に父のコネとしか捉えられないのだ。 梅子は確かに性格は悪くはないようだが、医師として相応の総合学力や強靭な意思や忍耐力等が未だ感じ取れない。 このまま梅子が医師としての道を突き進むに当たっては、性格の良さのみで太刀打ちできるはずもなく、まさに今後「悔」の念が付きまといつつの医師修行となるのではなかろうか…… などと老婆心ながらも心配してしまう私だ。
本日の放送では、「なぜ梅子は医師になりたかったのか? 医師とは高収入だし、人から“先生”と呼ばれて奉られるしね。」等々… と近隣住民からつつかれる場面もあった。
ここで初めてタイトルである 「梅ちゃん先生」 の呼び名が登場する事と相成った。
原左都子としてはこの場において、梅子自身の口から 「隣近所のお付き合いでは私は今はまだ一人の若輩者に過ぎないし、皆さんとの関係に於いては今後共に一人間でしかないから“先生”の呼称はやめてほしい」 とでも言って突き放して欲しかったものだ。 ただ物語の時代が戦後まもない時期であり、その社会文化的バックグラウンドを考慮した場合、梅子の口からその発言を望むのは無理な話なのかもしれないが…。
私が医師嫌いである核心とは、まさにその辺にある。
昔の医師とは実に“えばり腐って”いたものだ。 常に“自分は偉いぞ、との“上から目線”で患者に接してくることを、感受性が強い私は子供心にいつも感じ取っていた。
我が学生時代に“医師の卵”と接触する場面は数多かったが、たかが“卵”の分際ですら“えばり腐って”いる雰囲気を嗅ぎ取れた私は、若くして医師嫌いをさらに助長されたものである。 (特に自宅が開業医の“医師の卵”などは、既にその跡継ぎを目指すための結婚相手の選択肢として“金持ちのお嬢さん”をターゲットとしている事が見え見えだった事をおぞましく感じたものである。 ならば医学部としては偏差値が低いこんなド田舎の国立ではなく、リッチ層が多い私立医大へ入って結婚相手を探せよ!と言いたい思いもあった私だ…)
まだまだいろいろあるぞ…
私が通っていた医学部(私の場合はパラメディカル分野だったのだが)の授業を医学部教授や講師等々が担当していた。 この「先生」達は若き女性が多い我が専攻分野の授業に来る事を“実に”楽しみにしていた様子だ。 そして当時の大学とは諸先生方から女子学生に対する「飲み会」等のお誘いも多数あり、酒に強い私はいつもそれに参加したものである。
「時効」の判断の下に当時の医学部教授の失態を暴露するが、酔っ払った私をタクシーで家に送りつつ、まだ未成年の私の体を触りに来たものだ…。
そのすぐ後の日に、学内でその人物からこっそりと「あれはなかった事にして欲しい」等々の言い訳を聞かされたりもした。 当時より“腹が据わっていた”私にとっては単なる“スケベ親父の醜態”の範疇でありそんな事どうでもよい話であるから、ここで公開したのみである。
少し話題を変えて、私にとって「梅ちゃん先生」が興味深いのは、やはり我が若き学生時代の病院実習を思い起こさせてもらえる故である。
例えば「解剖学実習」の場面などまさにあの影像の通りだったものだ。 私の場合は「パラメディカル専攻」であるため実際に人体解剖をしなくてよい立場だったが、医師候補学生がそれを実行するのを一部始終観察したものである。
それから、「梅ちゃん先生」の大学附属病院に於けるインターン実習に関しても、我が学生当時をそのまま再現する程の迫力があった。
例えば内科外来実習に於いて、外来患者の目の前で担当医師が各学生に質問を投げかけて答えさせる場面などNHK影像の通りであり、私などそれに即答する事が出来ず患者さんの目の前でどれ程の恥をかいたことか… あるいは、入院患者の回診には教授を筆頭として職員一堂、最後尾に学生と序列順に並び、白衣の大集団でぞろぞろと病棟を訪れる風景も懐かしい思いで見守ったものだ。
加えて、病院の検査室風景に関しては我が医学専門分野であるため凝視したのだが、残念ながらさほどの医学的背景を観察出来ないままだった。
その中で梅子やあかねが病院内で「血液検体」を運ぶ場面が描かれていたが、あの描写の仕方に大いなる違和感を抱いた私だ。 患者から採取した「検体」とはその体及び生命の一部であることを、医療従事者たるもの絶対に忘れてはならないのが鉄則だ! 梅子が考え事をしつつ「検体」を運んだり、その「検体」の前で眠りこけた影像は、たとえ場面のシナリオ描写と言えども医療的配慮から今後は謹しむべきであろう。
医師国家試験が今尚「五肢選択制」を貫いている実態を何とかして欲しいと考えている私でもある。
かく言う私も過去に於いて同様に「五肢選択制」の医学関連国家試験に合格して免許を取得しているのだが、人の命を預かる職種としては、ここはやはり試験制度を見直すべきではなかろうか。
「司法試験」にしても「会計士」「税理士」試験等々においても、ずっと以前よりすべて鉛筆禁止の記述方式を採用している。 医師国家試験に於いてもその一部だけでも、もうそろそろ記述方式を取り入れるべきであろう。
さてさて、NHKの梅ちゃん先生。
あなたはおそらく戦後まもない時代に医師になっている事を考慮すると、やはり父親のコネに頼ったことは否めないと私は結論付けている。
たとえそうであったとしても、テレビ映像内で現代人が納得できるべく医師として成長する姿を今後共に見守っているよ!