原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

字数制限の重圧

2009年03月03日 | その他オピニオン
 昨日複数の用件があって外出したのだが、その合間の“時間潰し”のために書店に立ち寄った。
 数冊の本を立ち読みした中で、ある本の冒頭の一フレーズが(マイナスの意味合いで)印象に残っている。
 本のタイトルくらい憶えておけばよかったのだが、似たような題名の本が氾濫している現在の出版事情の中、残念ながら憶えきれていない。

 そのフレーズとは、「“話す”ことに比して“書く”ことを苦手とする人が多いが、原稿用紙10枚書くことを億劫がらない程度の力を身に付けることが出来たなら、ある程度の“書く”力を習得できたと言える…」云々…
 確か、このような内容の冒頭文で、“書く”能力を指南しようとするような趣旨の本であった。

 う~~ん、ちょっと待ってくれよ。
 “書く”能力を指南しようとする趣旨の本において、冒頭から「原稿用紙10枚」の表現は避けて欲しいものである。この言葉を聞いただけでアレルギーを起こす人も多いのではなかろうか。

 ご覧の通り、この私はほぼ隔日間隔で1本が約2000字(原稿用紙5枚)程度のエッセイを綴り続けている。これだけの文章をもう1年半以上に渡り書き続けている私ではあるが、“書く”能力に長けているという自覚はさほどない。
 そんな私の「原左都子エッセイ集」続行の原動力は、バックナンバー「感情移入が記事の生命の源」において綴った通り、“感情移入”力である。すなわち、“このテーマでこのように書きたい!”と思える内面から湧き出てくる力が、キーボードを叩いて文章を綴るという行動に繋がっているのだ。 決して、最初から2000字(原稿用紙5枚)の文章を体裁よく仕上げたいと目論んで「作文」に取り組んでいる訳ではない。


 数年前に、私は大学受験生の小論文添削の指導者として採用され、自宅でその仕事に携わったことがある。(育児の合間にチャレンジしたという、主婦としてはよくあるパターンの話です…)
 ところが、この指導内容が徹底的にマニュアル化されているのだ。小論文を書かせる方法論にばかりこだわり、それを受験生に頭ごなしにマニュアルで教え込もうとする指導法である。 私は指導者として採用された当初より本部が提示したこの指導方法に疑念を抱いていた。おそらく、この指導マニュアルを企画立案した人物が“書く”ことの達成感を真に心得ていないのかとも推測した。 このような指導方法では受験生の文章を書く力が育たないばかりか、若者の将来に渡る“書く”楽しみを奪い、かえって文章を綴る能力を潰しかねないと考えた私は、本部にその旨の自己の考えを綴った「小論文」を提出してこの指導者の仕事を辞退した経験がある。 
 (報酬がアホらしいほど少なくて、ちょっとやってられなかったのも本音だけどね。


 私自身も、論文や小論文課題における「字数制限」は昔から苦手である。そして今のようにワープロもパソコンもなかった時代は、文章はすべて“原稿用紙”に手書きであったが、あの原稿用紙の“升目の縛り”に私は一種の嫌悪感を抱いていた。「字数制限」といい、あの「升目」といい、自分の自由な思考や発想を制限されるような拘束感があったためだ。
 その対策として、私の場合はいつもとりあえずは“真っ白”な紙に、論文のテーマに関する自分の自由な思考や発想を字数にはまったく囚われずに書き殴って、内在する熱い思いのすべてを吐き出す作業をした。 次に、「字数制限」が厳格な場合はやむを得ないので、その字数の範囲内に再構成して1本の論文(小論文)として仕上げたものである。 私の場合、最初の“書き殴り”が大抵大幅に字数オーバーしてしまっているのだが、これを削り取る作業にいつも難儀する。“この論点ははずせない”“これを削除すると全体のバランスが取れない”等々でどうしても削り切れない場合が多いのだ。 そこで、「字数制限」が厳格でない場合は字数オーバーのまま提出したことも多い。

 いずれにせよ、ワープロそしてパソコンで文書作成をするようになってからは、原稿用紙のあの嫌悪感を抱く“升目”も見なくて済めば、削除追加等の文章構成作業が至って容易であるため、文章を綴り仕上げる作業の負担がずい分と軽減されていることを実感しつつ、文書を綴る機会の多い私は先端技術の発展に感謝する日々である。


 それにしても、文章力を身に付けるために「原稿用紙10枚」書く力が必要、といきなり言われて“書く”能力が啓発される人がいるのだろうか? 
 この本は書店の意外と目立つ場所にあったのだが、大変失礼ながら、この本は売れるのだろうか???      
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10 Comments

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文章な~ (ドカドン)
2009-03-03 18:19:04
本は売れないでしょう!
文章を長く書くこと自体、受験の論文以外、機会が無いと思います。
原稿用紙10枚なんて、小説家になるわけでもないのに???

自分のブログは、字数には拘っていませんが、一画面に収まるように書いています。
文章を難しくしない、漢字におぼれた文章にしない等々を気をつけています。

原さんのエッセイは、読みやすい文章で、手本にしたいくらいです。
ナガラでは、原さんのエッセイを読めませんから、時々居間で一人の時に読みたくなりますね。
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書くとは言わない時代です (田舎人)
2009-03-03 21:18:27
学生時代から試験において、論ぜよというのは得意というか好きでした。今は、パソコンで打ち込むわけですから消しゴムもいらないし国語辞典もいらない、本当に楽ですよね。そういう点では、4,000字くらいの論文も楽なんですが書くと言う表現では無いですね。文章を打つですか。
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文章は構成から (issei)
2009-03-04 00:14:11
 この時代、何をするにも枠にはめようとする傾向にあります。家内は自治会役員をしておりますが、行事がある度に「原稿用紙一枚」とか200時以内の制限があります。会社の部内紙でも同様です。
 その点ブログは自分が編集長なのでいいですね、原さん向きの表現手段と言えると思います。
 原稿用紙10枚の件ですが、何の目的があって10枚とするのかがわかりません。暇があり、内容を気にしなければ、20枚でも30枚でも書けるでしょう。従って文章の書き方を指導するのでしたら、まず文の構成が崎のような気がします。次数の問題ではないと思います。
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訂正 (issei)
2009-03-04 00:19:29
申し訳ありません。最後の行に間違いがありました。次のように訂正いたします。

「まず、文章の構成が先のような気がします。字数の問題ではないと思います。」
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文章は苦手な筈でした…。 (じぇーん)
2009-03-04 00:53:03
ホームパージを始めるにあたって文章をとりあえず書かないと。で、はじめたんですが。
まさかブログもやるなんて当初は考えもしませんでしたね。
それだけ学生時代には苦手意識が強かったんですね。
まあ結局は「伝えたい事」が存在すれば「書ける」って事だと。
ただし私のような者は当初の予定通りに組み立てられずに横道に反れるのが当たり前です。

原さんを含め聡明な方々はそんなことがあったり?満足できなければ保留やボツにされるんでしょうけど。まあ、成すがまま、みたいな。で、今日まできてます。

こちらに寄せているコメントも本文中の一部を含んではいますが「横道系」かとの自覚も。
まあ、こんな人が一人くらい居ても良いのかなぁ?に甘えていますね。
大人の対応に感謝…。
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制限がある方が書き易い事もある (ガイア)
2009-03-04 15:02:58
ノウハウものを欲しがる時代ですから、意外とこの本は売れるかもしれません。そして、これを購入して読んだ人は、文章表現力が身に付く、付いたと思い込むのではないでしょうか。それがこの本の狙いでしょう。

パソコンのワードソフトは本当に便利です。修正や訂正、文節の入れ替えが瞬時に出来ますので、全体としてのイメージを拡げる事も出来ます。

原稿用紙○○と言う制限は多いです。旧い発想かもしれませんが昔からあります。

私も原稿用紙の桝目を前にしますと、書き出しが始まりませんので、ワードを使って自由な発想で書き始めます。しかし、業界でコメントを求められたりして、どうしても字数の制限がある場合は、予めマイクロソフトワードで字数と行数を設定します。例えば、20文字×25行
と設定すれば500文字、それを2枚綴れば100文字です。

これもトレーニングによるものだと思いますが、原稿用紙の桝目を眺めている内に、文章が浮かび、○○文字数でこの辺までを「起」に、○○文字数で「承」を、という風に出来るのだと思います。

余談ですが、空間デザインの場合などは、ある程度の制限、与件と言っても良いのですが、例えば面積とか容積を示される方が考え易いです。20M×50M、高さ3Mなどとの制限(与件)があれば、勝手に手が動き出してラフなスケッチや設計図が出来上がります。

文章もこれとよく似ているのかな、と思ったりするのですが、私の勝手な解釈です。

アナログ思考とデジタル思考に関係があるのかも知れません。

あっツ、コメントの方向がどんどんズレて行っている様です。この辺で止めます。
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Unknown (珊底羅)
2009-03-04 17:23:15
 今日は。
 西森さんのところからきました。字数制限はどこでも求められると思います。企画書をつくるにして書く仕事に就くにしてもです。川柳などで鍛えたほうがいいでしょう。
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もう一つ加筆させて頂きます。 (ガイア)
2009-03-04 18:56:05
原さんのエッセイへの私のコメントにズレが生じました事を既に記しましたが、もう一つ加筆します。

資料館など訪れ、そこで作家(文豪と呼んでも良いのかも知れませんが)、例えば島崎藤村や川端康成、太宰治、石川達三、松本清張、司馬遼太郎、水上勉、五木寛之さんなどの原稿に触れる事がありますが、かなりな朱が入っていて、そこには作家として創作・創造のために苦しんだ痕跡を発見する事が出来ます。これは、例えば司馬遼太郎記念館を訪れる事の楽しみの一つでもあります。

同じく、建築家の資料館でも建築家の膨大なエスキースやスケッチに触れる事が出来ますし、画家のそれに於いても同様です。

作品鑑賞の対象として、完成された作品のみに目が行きがちですが、寧ろそれが生み出された背景やプロセスが面白く、それらから強烈なメッセージ性を汲み取る事が出来ます。

創るための目的は異なりますが、デザイナーもそうです。プレゼンテーションを行うまでには膨大なサムネールやエスキース、スケッチ、模型、それらを纏めた企画書などを制作しますが、殆どは捨てられて行く運命にあり、表舞台に出る(出せると言う方が適切かもしれませんが)のは一握りの作品です。

原さんが仰る「人間関係の希薄化」には、この様に「ものづくり」のプロセスが見えなくなってしまった現代社会の諸相をも要因として挙げる事が出来る、と考えます。

ノウハウ物やマニュアル系の書籍が沢山出版されるのは、直ぐに安直な答えを求めたい人々が多いからでしょう。上手く仕掛ければ、この種の本は売れると思います。

またまたコメントのズレが生じました事をお許し下さい。
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ドカドンさん、田舎人さん、isseiさん、じぇ~んさん、ガイアさん、珊底羅さん、文章力の指導において字数制限は必要ないと私は考えます (原左都子)
2009-03-05 16:24:29
ドカドンさんの文章を綴るポリシーは健全だと私も同感します。
ドカドンさんのブログはファンが多いですよね。きっとドカドンさんはファンを捉まえようとするような下心でブログを日々綴っていらっしゃる訳ではなくて、ご自身が日々感じたことをブログという媒体に表現されているのだと私は実感します。
ドカドンさんから頂くコメントに関しても、実直でいらっしゃるドカドンさんの思いは私に十分に伝わっております。

田舎人さん、私も学生時代の論文や小論文は学校の課題としてではなく、自分自身の生き様を発言する機会として利用していた感がありますので、結構前向きに取り組んでいました。
ですが、そうではない若者にとっては、やはり原稿用紙10枚は苦痛でしょうから、パソコン入力でもいいので、自己表現に取り組んで欲しいというのが私の思いです。

isseiさん、たとえ自治体役員であっても、発言したいポリシーを何枚も書き綴っていいと私は思いますよ。字数制限するのは、読む方に力量が無い証拠です。むしろ、自治体長になって、そのポリシーを発揮されたらいかがでしょうか。

ガイアさん、文章の達人にとって原稿用紙の字数制限をクリアすることは容易であるかもしれませんが、若者の文章力を育てるためには、とにかく自分の内面の思いを自由に書かせてあげたいと私はやはり思います。

珊底羅さん、西森さんのところからご訪問下さいましてありがとうございます。(私のブログに訪問される方は、どこから来て下さったのが判明できない方が多い中で、珊底羅さんのように名乗って下さることは大いに参考になります。)
ビジネス文書に関しましては、私も過去の民間企業の経験において、散々種々の文書を書いてきておりますが、当然ながら字数はわきまえるべきでしょう。
今回私が綴りましたのは、あくまでも“生命を宿している”文章を書く場合の話です。
確かに、大学受験においては将来の職業も勘案してビジネス文書が書ける人材を育成するための選抜も視野に入れるべきでしょう。
ですが、ビジネス文書とて“生命を宿せる”文書を書く力の育成が基本であると私は心得ます。
まずは「字数制限」を取っ払って、あくまでも自由に文章を書く楽しみを享受して欲しいと、教員経験もある私は考えます。
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じぇ~んさん、ブロガーとは基本的に書くことが好きな人たちでしょうね。 (原左都子)
2009-03-06 13:25:49
じぇ~んさん、上の皆さんへの返答コメントでじぇ~んさんが飛んでしまっていることを、昨日の夜中に急に思い出したのです。
これ、不思議ですよね。
なんで、じぇ~んさんへの返答を書き忘れていることを夜中に急に思い出すのでしょうね。
きっと、ブログを綴ることと頂戴したコメントへの返答を書かせていただくことが今の私にとってはずせない日課となっていて、脳が本能的にその方向へ働くのでしょうね。

現在、膨大な数のブロガーが存在するようですが、アフィリ系や写真や絵のブログ以外はすべて文章ブログという訳で、これだけ文章を綴る事を好む人が大勢いることに驚かされます。
じぇ~んさんがおっしゃるように「伝えたいこと」がある、という内面から湧き出る力が皆さんを作家に仕立て上げているのだと思います。

学校の作文を嫌う子どもが多いのは、字数制限やテーマの画一性、そして提出期限等、“縛り”が多過ぎて、せっかくの創作意欲を削いでしまうからなのでしょう。
特に子供達には自由に文章を綴る楽しみを享受させてあげて欲しいものです。
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