原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

世は受験シーズンだが 私は30歳時にチャレンジした2度目の大学受験の事をよく覚えている

2024年01月18日 | 教育・学校
 当時の私は、医学専門職員として大手企業にて係長(主任)の立場で医学業務に励んでいた頃だ。

 2度目の大学受験を志した特別のきっかけが何だったのかに関しては、今となっては鮮明に憶えていないのだが…
 とにかく医学を含め、学業にもっと専門的に励みたい!なる純粋な願望が我が体内から湧き出ていた頃である。 

 当時の我が主たる医学業務は、一冊の医学書の単独執筆だったのだが。 決してそれが苦痛だった訳では決してなく。 それどころか、そんな望みもしない仕事が我が身に舞い込んで来たラッキーを大いに喜びつつの、日々の精力的な執筆作業だった。 (結果としては、自他共に高評価満足いく医学書が出来上がり、発刊に漕ぎつけた。)


 その執筆と同時進行で、私はプライベートタイムには大学受験勉強に励んでいた。 (この事実を知っていた人は、社内に2,3人のみだっただろうか?) とにかく極秘で会社が休みの日や夜間には、その受験勉強に励んだものだ。)

 その大学とは、首都圏に位置する某老舗の公立大学なのだが。
 その公立大学が秋に「特別選抜入試試験」を実施するとの情報を得たのは、前年の事だった。 その受験対象とは、「帰国子女」「外国人」「社会人」等々だったと記憶しているが。 この私は「社会人選抜」にて受験票を提出した。
 この「社会人選抜」が一番競争率が高く、20倍以上だったと記憶している。
 それでも私には競争率とは関係なくこれに打ち勝てる自信があったと言えよう。 と言うのも就職後も仕事の性質上、専門分野はもちろんのこと。 医学論文を書く等々「論述」や「英語」に触れる機会が数多く、特段の努力をせずしてこの特別選抜を突破できるような気がしていたのだ!
 
 さて、秋になり実際の特別選抜受験に挑んだ時に感じたのだが。
 (これ、合格したかもしれない…) その我が思いが現実となった!!
 特に 複数の教授陣による面接試験の際に、英語担当教授から「貴方の英語力が素晴らしいのですが、何か特別な教育を受けましたか?」なる質問が出た際に私は既に特別選抜合格!を認識した。 一応、「いえ、何らの特別英語教育は受けていません」と応えつつ。


 そうこうして、私は翌春には無事に2度目の大学の門をくぐることとなる。

 それに先立ち、我が勤務先である医学企業の幹部どもが私の送別会を開いて下さった際に。
 副社長(この方元某都市銀行頭取経験者であられ、我が社には副社長の立場で招かれていた。)も何故か出席して下さっていて、私相手に説諭するには。
 「貴方は我が社を辞めて2度目の大学へ進学すると言うが、一体何を学ぶんだ??」  私応えて、「経営学(後に「経営法学」に鞍替えし修士課程まで進学し「経営法学修士」を取得した。)です。」
 それに副社長返して、「何を馬鹿なことを言っているんだ! 経営学など私が教えてやるから、貴方は我が社で医学を続けなさい!!」
 (何度も、当ブログ内でこの出来事を復唱して申し訳ないのですが、この副社長の発言は、それ程までに原左都子の人生に於いて最高の“贈る言葉”でした!!!)

 この副社長からのこれ以上ない素晴らし過ぎる「贈る言葉」を頂戴して。 私は次なるステップである、二度目の大学へと羽ばたいて行った。
 
 そして私は、この2度目の大学・大学院にてもこれまた素晴らしい恩師に巡り会え、無事に「経営法学修士」を取得させていただいている。
 その能力実績も今現在、義母の不動産貸付業確定申告代行等々に十分に活かしつつの我が充実した人生だ。



 最後に、今現在受験を乗り越えている皆さんにアドバイスするならば。

 受験も厳しい現実かもしれないが。
 それを乗り越えた暁に待っている、それぞれの専門分野にてのその後の活躍こそが自分の身を繋ぐ糧となるものだ。


 そうだとして、とにかく大学受験を目指すならばそれに合格してこそ、その後の自身の人生が始まるということだろう。

 とにもかくにも 受験生の皆様の最大限の努力を、陰ながら応援申し上げます!  
 

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