
(写真は、神奈川県横須賀市に位置する米海軍横須賀基地の入口を歩道橋上から撮影したもの。)
30代に再び学んだ大学・大学院が横浜市に存在している関係で、京浜急行金沢八景駅へは6年間に渡り日々通学した。
その当時、鎌倉や逗子・葉山近辺はグルメ・観光目的等々で数回訪れているが、何故か横須賀へは一度も行く機会がなかった私だ。
そんな身にして今回の旅行では横須賀に宿を予約し、横須賀観光を中心に執り行う事を志した。
さて横須賀と言えば、米海軍横須賀基地を抜きにして語れないであろう。
そこで早速ウィキペディアより、当該基地に関する基本情報を以下に紹介しておこう。
1865年に江戸幕府により設立された横須賀製鉄所を基に、1871年に横須賀造船所として設立された。 その後1903年以降は大日本帝国海軍により横須賀海軍工廠として利用され、横須賀海軍航海砲術学校や横須賀海兵団、海軍工機学校、海軍病院、横須賀鎮守府、鎮守府文庫、海軍軍法会議所などの施設が置かれた。
第二次世界大戦における日本の敗戦後の1945年9月2日に、日本を占領下に置いた連合国軍の1国であるアメリカ海軍に接収され、これらの施設はアメリカ海軍によって使用された。 なお、同時に日本の占領に当たったイギリス海軍や中華民国海軍などは、施設の接収に当たることはなかった。
連合国軍による占領終了後も、1952年4月28日に発効した「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)」の批准を受けて、アメリカ海軍がそのまま利用し、生活及び娯楽施設などを拡充させ現在に至る。
(以上、ウィキペディア情報より引用。)
冒頭の写真が見にくくて恐縮だが、この位置からでないと撮影不能なのだ。 何故か基地への入口前は歩道橋を上らねば通行出来ない構造になっていて、ご覧の通り歩道橋のすりガラスを通してぼやけて入口が見える形となっている。
ただ、日本人の護衛官が歩道橋の前にいて、(何で道路がここで分断しているのだろう?)と困惑している我々に声を掛けて下さるのに助けられた。 「道路のあちらへ行かれるのですか? 歩道橋を渡っていただく事になりますのでよろしくお願いします。」と親切だ。
そして歩道橋の上で撮影したのが冒頭の写真である。
横須賀基地の道路を挟んで向こう側の裏道が“ドブ板通り”のため、その店舗の裏側が道路に面している。 この店舗がさすがに米国を思い起こさせるのが、横須賀ならではの風情だろう。
続きまして次の旅行記では、その“ドブ板通り”の写真を掲載します。
30代に再び学んだ大学・大学院が横浜市に存在している関係で、京浜急行金沢八景駅へは6年間に渡り日々通学した。
その当時、鎌倉や逗子・葉山近辺はグルメ・観光目的等々で数回訪れているが、何故か横須賀へは一度も行く機会がなかった私だ。
そんな身にして今回の旅行では横須賀に宿を予約し、横須賀観光を中心に執り行う事を志した。
さて横須賀と言えば、米海軍横須賀基地を抜きにして語れないであろう。
そこで早速ウィキペディアより、当該基地に関する基本情報を以下に紹介しておこう。
1865年に江戸幕府により設立された横須賀製鉄所を基に、1871年に横須賀造船所として設立された。 その後1903年以降は大日本帝国海軍により横須賀海軍工廠として利用され、横須賀海軍航海砲術学校や横須賀海兵団、海軍工機学校、海軍病院、横須賀鎮守府、鎮守府文庫、海軍軍法会議所などの施設が置かれた。
第二次世界大戦における日本の敗戦後の1945年9月2日に、日本を占領下に置いた連合国軍の1国であるアメリカ海軍に接収され、これらの施設はアメリカ海軍によって使用された。 なお、同時に日本の占領に当たったイギリス海軍や中華民国海軍などは、施設の接収に当たることはなかった。
連合国軍による占領終了後も、1952年4月28日に発効した「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)」の批准を受けて、アメリカ海軍がそのまま利用し、生活及び娯楽施設などを拡充させ現在に至る。
(以上、ウィキペディア情報より引用。)
冒頭の写真が見にくくて恐縮だが、この位置からでないと撮影不能なのだ。 何故か基地への入口前は歩道橋を上らねば通行出来ない構造になっていて、ご覧の通り歩道橋のすりガラスを通してぼやけて入口が見える形となっている。
ただ、日本人の護衛官が歩道橋の前にいて、(何で道路がここで分断しているのだろう?)と困惑している我々に声を掛けて下さるのに助けられた。 「道路のあちらへ行かれるのですか? 歩道橋を渡っていただく事になりますのでよろしくお願いします。」と親切だ。
そして歩道橋の上で撮影したのが冒頭の写真である。
横須賀基地の道路を挟んで向こう側の裏道が“ドブ板通り”のため、その店舗の裏側が道路に面している。 この店舗がさすがに米国を思い起こさせるのが、横須賀ならではの風情だろう。
続きまして次の旅行記では、その“ドブ板通り”の写真を掲載します。