原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「あれだけの集中力で 一生のうちにどれだけの仕事ができるか。」

2023年06月14日 | その他オピニオン
 冒頭表題は、本日放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」内で、主人公万太郎の東大学友が口にした言葉だ。


 今現在の放送では、主人公・万太郎が指導教授より提唱された「植物学会誌」内に。 万太郎達学生陣が中心に作成する「植物標本」作製に当たり、その初版出版準備に躍起になっている最中である。

 特に発刊に向けて中心に動く主人公・万太郎は自らが「石版印刷」に取り組み、現時点ではそれに成功しかけている段階だ。


 ドラマの主人公・万太郎は、学生達の誰よりも研ぎ澄まされた集中力で、その発刊に向けて取り組んでいる。
 朝から夕刻までは、大学の植物学研究室にて研究室内の標本の整理等々を頑張り。 夕刻から夜遅くまでは活版印刷所にて、実際の植物標本石版印刷を発刊に向けて頑張っている。

 その流れで 自らの住居地である長屋にて、学生仲間たちと「植物学会誌」制作に取り組んでいた時。
 学生の一人が万太郎に対して発した言葉が。

 冒頭の、「あれだけの集中力で 一生のうちにどれだけの仕事ができるか」だった。


 確かにテレビ画面で主人公・万太郎の頑張り様を見るにつけ、相棒の竹雄が言う通り、「ちょっと休んだらどうか?」と私も声を掛けたくなるのだが…



 と書きつつ、この原左都子も万太郎の頑張りを超える程に一心に学業に仕事に精を出した我が“華の時代”を思い起したのだ!
 学費も生活費もすべて自己資金でまかなっていた私の場合。
 もしかしたら、あの頃の我が頑張り力とは万太郎をはるかに超えていたかもしれない。 しかも 万太郎には竹雄という生涯に渡る素晴らしい相棒が存在するのに対して。
 この私など未だ独身の身で、まさに誰の援助も応援(これに関しては陰で応援してくれた人々は少なからずいたかな??)も無い中、自らの2度目の学業成就意思を貫いたものである。



 そうだよなあ。

 今テレビにて万太郎の昼夜の頑張りを見ると、(これ作り話だからなあ。)などと他人事のように思ったりもしつつ。
 もしかしたら我が現役“華の時代”は、もっとずっと厳しいものだったことだろう。

 我が30歳を過ぎてからの2度目の大学時代には、まずは朝から大学の講義に出るために出かける。 私の場合は、我が専門分野(「経営法学」だったが)のみならず教職2科目を取得する予定だったため、その分の授業数がそれをしない学生達の2倍程あった。 
 しかも大学院修士課程への進学希望もあり、その受験勉強課題も乗り越えた。

 その身にして日々の大学授業終了後は、平日は毎日東京駅近くの丸ビル上階までラウンジコンパニオンに励むため通い、その仕事を頑張り。
 大学が休みの日曜日には、パーコンやワープロデモンストレーター等の業務に励み。 大学の長期休暇中(年間約4か月間)は、元の専門である医学分野派遣社員として活躍した。

 大学院へ進学した後も、大学にて取得した「教職免許」が活きて公立高校定時制課程教諭のオファーがあり、夜間その業務を月~土まで日々頑張った。 (この高校教諭の業務は、大学院終了後もしばらく続けることとなった。)
 

 そんな我が超多忙期だった2度目の大学・大学院時代の怒涛の日々を思い起してみるに。
 
 テレビの中で活躍する万太郎の今現在の姿とは、年老いた私が心配する程の激務でもなさそうだ。

 年齢的にも、今現在の万太郎は我が2度目の学生時代と同じくらいかなあ?
 だとすると、年寄りの私が心配する程には体力消耗が大したことは無いのかもしれない。



 最後にまとめに入ろう。

 何事であれ 人間が一旦確固たる自己目標を掲げた以上、多難な日々が待ち構えているのは必然だ。

 これが日本を代表する植物学者・牧野富太郎氏の場合も当然ながらそうだったったに違いない。
 「植物学」には、私としては今回このドラマにて初めて触れる立場だが。

 今までに類を見ない程に、NHK連続テレビ小説が面白くてしょうがない!!
 
 しかも、牧野富太郎氏は私が住む自治体に長年暮らしておられたとのこと!
 7月からは自治体美術館にて、その展覧会も開催されるらしい。

 必ずや、脚を運びます!!
  

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