原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

稀にみる駄作だった NHK連続朝ドラ「まれ」

2015年09月24日 | 時事論評
 NHK連続テレビ小説「まれ」が、2日後の9月26日にエンディングを迎える。


 本日(9月24日)朝方、ネット上で当該ドラマを総括したと思しき“マイナス評価”報道記事を発見した。

 早速以下に、その内容の一部を紹介しよう。

 百歩譲って脇役は二の次でもいい。 最大の問題はヒロイン・希だ。 父親を反面教師に「夢は無用。地道にコツコツ」をモットーに生きてきた希。 パティシエになりたいという夢を封印し、高校卒業後に役所勤めをするも夢をあきらめきれず、わずか1年足らずで役所勤めを辞めて、パティシエになる修業をするのだが、まず公務員は夢がないと決めつけている。
 いざパティシエ修業に入るも、肝心の修業シーンはほとんどなく、恋愛エピソードほか余計なエピソードばかりでお茶を濁したかと思ったら、突然、絶妙に敏感な舌を持ち、味覚の違いがわかるという設定を後乗せし、いつの間にやらシェフ(小日向文世氏)の信頼を得る存在に。 ケーキ作りのシーンも作りながら喋るわ、髪はボサボサ、手、洗ったの? と疑問ばかり。 ケーキ屋さんはこんなに不潔なのかと…。
 で、スーシェフに昇格したと思いきや、能登に帰り、塗師屋のおかみ修業をすると言い出す始末(この間、まれは幼馴染の輪島塗職人・圭太と結婚していた)。さらに地元でケーキ屋をオープンするも、子どもを身ごもり開店休業。 あっという間に子供は大きくなり、現在世界一のパティシエになる夢を叶えるために、なにやら有名なコンクールに出場するために、日夜レシピづくりに勤しむというのがここまでの話だ。
 話があっちこっちに飛び、整合性がない。
 要するに、まれ自身がひたすらパティシエ道に邁進するのかと思いきや、あっちに行きこっちに行って、たまに思い出したように「世界一のパティシエになる!」と言い出したかと思いきや、なにかのコンクールに出場するという、「地道にコツコツ」とは真反対の生き方に視聴者の批判的な声が集まっている。
 まれ自身が自分の人生設計を大きな紙に書いて説明したり、コンテストのためのケーキのアイデアを大きな透明ボードに書いたり、頭の中を視覚化させるところも視聴者にわかりやすくということなのかもしれない。 が、本来は台詞や演技で見せるべきものだ。 横浜編での不器用な後輩(福田彩乃)の唐突なタレントものまねも、まれの先輩・陶子の「な~め~す~ぎ~」も笑えない。
 (以上、ネット情報より 連ドラ「まれ」をマイナス評価した記事より一部を引用したもの。)

 ネット引用ついでに、ここで原左都子の個人的趣味観点で付け加えさせてもらおう。
 我が国が誇る舞踊家 田中泯氏をせっかく(こんな低レベルドラマの)お爺ちゃん役に抜擢しておきながら、NHKが泯氏に委ねたパフォーマンスが、「●○、●○、世界一!」との、聞く方が恥ずかしくなるようなギャグ振付だった事が、私は到底許し難い。


 上記ネット「まれ」批判記事は長文に渡っているのだが、「まれ」内の脇役に関しても厳しい指摘をしている。
 その中で、私もバックナンバーにて取り上げた まれの友達“一子”に関する記述を以下に振り返らせて頂こう。
 以下は「原左都子エッセイ集」2015.7.20 バックナンバー 「一子(いちこ)よ、もう一度東京で頑張ろう!」 より要約引用。
 主役が主役足り得ない中、ドラマ内で光り輝いているのが、脇役である まれの女友達「一子(いちこ)」の存在だ。
 一子はドラマ内で中学生の頃から、「私は東京に出て必ずモデルになる!」と宣言していた。  残念な事にオーディションに受かる事はなく、一子はとりあえず大阪に出てブティック(洋服店)店員の身分で頑張ると同時に、ブティック仲間達と楽しい大阪三昧をしいてたようだ。
 その後、結局一子は一旦能登へ帰省した後、自分が最初から目指していた上京を決行し、東京で独り身にて生活を繰り広げるに至る。  最初はアパレル系で働いていた一子だが、そこがあえ無く倒産した暁には、キャバクラにてキャバ嬢をする事と相成る。
 ここで原左都子の私論だが、真面目な話、安易に上京する若き女性すべてが“阿呆”だから田舎に戻れ!と言いたいようなドラマ展開にはまったくもって辟易とさせられる。  他方、まれのごとく“一応”の目的がある女性に関しては、都会に出没する事を奨励するがごとくのステレオタイプの描き方は、今の時代に至って一体全体どうしたものか??!
そんな中、ドラマ「まれ」内で一子自身がいつも口癖のごとく発言する言葉に賛同する私だ。「田舎は仲間意識が強すぎて私は嫌悪感を抱く。 だからそれの延長線で、田舎の食べ物など食べたいとも思わない。 もういい加減にして欲しい。 私を田舎から解放してくれ!」
 上京後既に40年近くの年月が流れている原左都子にとっても、一子同様に本当にいい加減にして欲しい事柄がある。 それは、上京後40年近く経過した私にいつまでも郷里より同窓会の便りを寄越す連中が存在する事実だ。
 私は今後も東京こそを我が真の故郷として、喜んでこの地に骨を埋める覚悟である。  なに? 郷里開催の同窓会に今更出席しろ??  何のためだ。 貴方達が郷里で頑張っている姿を上京して頑張っている私に今更認めて欲しいのか!?  その種の自己存在証明手段としての郷里での同窓会などに誘われるのは、本気で鬱陶しく勘弁して欲しい。(同窓生のどなたかが私に会いたいと言うのならば話は別で、その旨個人的に言ってくれればよいが、単に機械的に同窓会通知を送り付けているならば実に許し難い! 出席するつもりは毛頭ないため今後控えて頂きたい。)
 我が私見によれば、他力本願でしか動けない主人公まれより、失敗を繰り返し落胆失望しつつも、自分の意思で再びの上京を目指している一子の将来性こそを有望視している。
 (以上、「原左都子エッセイ集」より「まれ」の友達である一子を弁護したバックナンバーより一部を引用したもの。)

 ところが、その後の一子(いちこ)に関してのNHKドラマ脚本の描き方にも落胆させられ続けた。
 一子が立ち上げたブログが世間で人気を博すると脚本は言うのだが…   正直言って現実社会では絶対に「あり得ない」!
 原左都子の私論をここで述べるならば、一子にはキャバクラ嬢として東京で頑張り切って欲しかった。 だって、現実問題貴方が培ってきた能力範疇ではそれしか生きる道はなかったはずだ。


 エッセイの字数ばかりが多くなりそうなので、最後に原左都子が まれ の母親だったなら(今回常盤貴子氏がそれを演じたが)の教育論で締めくくろう。
 父親が(結婚後の結果として)あれ程の“プー太郎”を貫き続けるならば、私が妻であったら当の昔に離婚手続きをとった事だろう。
 それを実行しなかった妻側にも責任が大きいとして、せっかく娘が高卒の身分で役場に就職出来た暁には、(上記ネット情報にも記されている通り)その快挙に貧乏な親としては感謝しつつ、公務員の立場でその合間に娘の未来の夢を描かせるべく指導方針を設定するべきだった。

 もしもこのドラマが1980年代後半期以降の経済バブル絶頂期にでも放映されたのだとすれば、貧乏人にして“パティシエになりたい!”なるドラマの信憑性が歪みを伴いながらもあり、視聴者間で支持者も存在し得たのかもしれない。
 一体全体このドラマを今の時代に放映して、NHKは国民(特に若い世代)に如何なる夢を描け!と訴えたかったのだろう?

 NHKもここのところ連ドラの視聴率が高位に推移している事実に、あぐらをかいていなる場合ではなかろう。
 少しは移り行く現実社会市民の生き様の変遷の程を本気で直視した上でドラマ制作しない事には、単に惰性で続いている「NHK連続テレビ小説」の今後の未来は短いような感覚に陥るばかりだ…

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