原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

防衛大学卒業生の任官拒否者が多い程、私は世の安泰を感じる

2016年03月21日 | 時事論評
 私の母方の従弟が防衛大学出身であることは、既に当エッセイ集にて公開している。

 その記述をした約1年前の 2015.3.25 バックナンバー「安倍総理の安保歴史認識の歪みに今こそ野党は対抗せよ!」 より、一部を以下に要約して記そう。

 昨年3月22日、防衛大学卒業式に関するテレビニュースを視聴していた私は、内閣総理大臣かつ自衛隊最高指揮官の立場で訓辞を述べた安倍総理の、今後の国家安全保障に関する発言内容の大いなる「偏り」に辟易とさせられた。
 冒頭より私事を記させて頂こう。
 私の従弟が防衛大学出身者であり、現在防衛庁のトップ幹部として活躍中である。 参考だが、彼は民主党政権時代に蓮舫氏が政権の売りとして“事業仕分け”を高らかに実施していた頃、防衛庁幹部の立場で事業仕分け特番のテレビ出演もこなしている。
 この従弟、我が血縁親戚筋の中でも1,2位を争う秀才だった事は間違いないのだが、現役にて京都大学及び防衛大学に合格した。 当然京大へ進学するのかと思いきや、本人が進路として最終決定したのは、なんと! 防衛大学だった。  特段生活に貧窮している家庭ではなく、また、至って穏やかかつユーモアセンスもある従弟が何故防衛大学を進路としたのかに関しては、さほどの深い付き合いが無かった私には今尚未知数だ。   防衛庁トップに君臨している現在たまに電話で話す機会があるが、昔と変わらぬユーモアセンスに双方が電話口で笑い転げる始末だ。  私の解釈としては、(従弟の真の国家安全保障上のポリシーは未だ不明だが)この一見柔和で人懐こい人格をもって、虎視眈々と防衛庁の上位まで上り詰めたものと推測している。
 ここで、防衛大学卒業式に臨んだ安倍総理の訓辞の一部を紹介しよう。
 戦後、我が国はひたすらに平和国家としての道を歩んきた。  しかしそれは「平和国家」という言葉を唱えるだけで、実現したものではない。   自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加。 国際社会の変化と向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に「行動」してきた先人たちの努力の賜物である。私はそう考える。    「昨日までの平和」は「明日からの平和」を保障するものではない。  「不戦の誓い」を現実のものとするためには、私たちもまた先人たちに倣い、決然と「行動」しなければならない。  それ故、いわゆるグレーゾーンに関するものから集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めている。
 「行動」を起こせば批判にさらされる。 過去においても、「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安を煽ろうとする無責任な言説が繰り返されてきた。しかし、そうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明している。  「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」  この宣誓の重さを、私は最高指揮官として、常に心に刻んでいる。  自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものだ。 しかし、その目的はただ一つ。すべては、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため。そのことにまったく変りはない。
 その強い使命感と責任感を持って、これから幹部自衛官となる諸君には、それぞれの現場で隙のない備えに万全を期し、国防という崇高な任務を全うして欲しい。  (以下は略するが、以上防衛大学昨年度卒業式にて安倍首相が卒業生へ贈った訓辞より一部を要約引用ししたもの。)
 私論だが、この安倍氏の訓辞を受けて民主党枝野氏が反論した通り、内閣総理大臣である安倍氏本人こそが戦中戦後時代に日本国民及び近隣諸国が置かれていた悲惨な事態に関し、あくまでも“庶民の立場”に立った歴史感覚を学び直すべきではあるまいか?    頭でっかちなど組織最上部の“口ばかりで実質何の役にも立たない”立場で済む人種のみに留めて欲しいとの、世界中の末端人民からの切なる希望ではなかろうか…
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)


 さて引き続き、本日(2016.3.21) 防衛大学卒業式に臨んだ安倍氏が卒業生相手に訓辞した内容を、ネット情報を参照して以下に要約して記そう。

 安倍晋三首相は21日午前、防衛大学校の卒業式で訓示した。 首相は、集団的自衛権行使などを可能とする安全保障関連法の意義を重ねて強調した上で、29日の同法施行に関し「法制に基づく新たな任務も、安全を確保し適切に実施できるよう、周到に準備しなければならない」と述べ、部隊の行動基準策定や訓練実施など万全の措置を講じる考えを表明した。
 安保法制について首相は、「いかなる状況にあっても国民の命と平和な暮らしを守ることを考え抜いた結論だ」と指摘。 その上で「自衛隊員の任務はこれまで同様、危険を伴うが、全ては国民のリスクを下げるためだ」と述べた。  (中略) 
 一方、今年度の防大卒業生は、外国人留学生を除く419人(うち女性31人)。 民間企業への就職などによる任官拒否者は47人となり、昨年度の25人からほぼ倍増した。 辞退率は過去4番目に高い11.2%で、25年ぶりに1割を超えた。 雇用情勢の改善とともに、安保関連法による任務拡大への懸念も影響したとみられる。 
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 冒頭に記した、我が従弟の話題に戻そう。

 彼は(実母の話によると)現在50歳程で、防衛庁に於いて働き盛りの年代であるようだ。
 だが、安倍氏が表明するがごとくの防衛庁の先頭(戦闘?)に立つべく職務には就かずに済み、例えば上に記した“事業仕分け担当でテレビ出演”したり、防衛大学校の教授任務を遂行したりしている(言い方は悪いが、軟弱な立場の)様子だ。  私に言わせてもらうと、それぞ幸いとするべきだろう。 
 実母が私に告げるには、彼が仕事で移動する時には必ずや運転手付きの専用車が出迎えるらしい。 「それはおそらく防衛庁の機密保持政策に基づいた処置だと思うよ」と私が諭しても、実母は単に従弟が「偉い」からだと勘違いしている様子であるのは放っておくとして…

 防衛大学出身者としてその幹部にまで上り詰めるには、越えねばならない関門がある事を私は従弟を通して認識している。
 要するに一旦国家の僕(しもべ)となったならば、家庭を持って子供が生まれようと容赦なく「転勤」また「転勤」を一生国家から強制される様子だ。 それは防衛庁組織の上部に君臨する程厳しさを増すようだ。
 従弟の家族もその被害に遭ったと言えよう。  離婚こそ何とか回避してはいるものの、ずっと単身赴任で別居を強いられてきた従弟の子供達は常に母一人に育てられ、その家庭は“崩壊状態”と言って過言でない有様だ。
 (参考のため、上層部ではない自衛隊員の家庭など一生官舎に住めば済む話かもしれない。 それでも、家族全員が幾度も引越しを強制され、子供達は転校また転校を余儀なくされているのではあるまいか?)

 民間企業や国家公務員の家族とて同じ思いをしている例もあるだろう。 が、特に防衛大学を卒業し防衛庁幹部に上り詰めた場合、過去に於いてその学費等のすべてを国家が血税にて賄うとの恩恵に授かっている以上、一生に渡りその代償をも負担させられるべく結末となる事は私も想像が付く。


 最後に私論を掲げよう。

 従弟の生き様を通したり様々な人生模様を総括して我が結論を出すならば、表題のごとく防衛大学卒業生の任官拒否者が多い程、世は安泰な未来を歩むと思えるのだ。

 まさか、国家が任官拒否した防衛大卒業生達から血税を没収する事はないだろう。
 任官拒否した防衛大学卒業生達には、どうか民間人として勇気を持って輝かしき業績を上げ、我が国の真に平和な未来を背負って欲しいものだ!

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