私が本日のエッセイ表題に掲げた「クレーマー」には、 プラスの解釈では「主張する人・意義申し立てする人」との意味合いがある。
一方、マイナスの解釈によれば、「苦情を申し立てる人。特に,本来の苦情の領域を超えて,あら探しのような苦情を企業に寄せたり,執拗に抗議を繰り返したりする人をいう。」との意味合いがあり、今現在の我が国ではこちらの方が一般的な理解のようだ。
参考だが、今回の我がエッセイは1979年公開の米国映画「クレイマー・クレイマー(原題: Kramer vs. Kramer)とは一切無関係であることをお断りしておこう。
当該映画は、夫婦である夫クレイマー氏と妻クレイマー氏が離婚に際し被告と原告の立場で幼少の子供の親権をめぐり裁判にて争うストーリーであるが、当時第52回アカデミー賞等々著名な賞を受賞している名作だ。 おそらくクレイマー氏との姓と、「主張する人」の意味合いがある「クレーマー」をひっかけて映画の題目としたものと思われる。
私事だが、私はこの映画を20代の独身時代に観賞して、いたく感動した記憶がある。 結婚願望も子育て願望も一切なかった頃だが、ダスティン・ホフマン氏演ずる夫側こそが勝利するべきと最初から応援していた。 そうしたところ、結果としては妻側が裁判にて勝利した。
ところが最後の場面で一家3人が暮らした家へ子供を引き取りに立ち寄った妻が、「我が息子はこの部屋で暮らす権利がある、ナンタラカンタラ…」と自分の事実上の敗北を涙ながらに認める場面に、私も泣けてしょうがなかった。 妻が子供を自宅に置いてけぼりにして親権を取るべく裁判で勝利せんと躍起になっている間に、夫側は我が子との関係を下手なりにも築き上げるべく日々弛まぬ努力を続けた。 子供もそんな父親こそが自分の親と信じるに至っていたのだ。 その子供部屋の壁紙が青空に雲が浮かんでいる絵柄だったことを、今尚鮮明に覚えている。
余談が長引いたが、本題に入ろう。
我が「原左都子エッセイ集」など 「クレーマー エッセイ集」と題してもおかしくない程に、日々社会に生じる諸現象に対し“異議申し立て”を展開し続けている事実を自覚している。
そんな私の「社会諸現象に対する異議申し立て活動」は、何も今に始まった事ではない。
郷里より上京後社会人として自立し、新聞等のニュース報道に大いに興味を持ち始めた20代後半の頃より、既に例えば所属している企業の上司や上層部に対して「意見書」を提出する等々の手段で“クレーマー活動”を執り行って来ている。
少し記憶にあるのは、企業が東証上場に向け大きく成長するに伴い「工程効率化」に動いた時期に “社員一人一人の人権こそを尊重するべき!”なる意味合いの投書をした記憶がある。 この我が投書をきっかけに、その後上司と幾度も話し合いを持ったものだ。
その後長き時を経て晩婚後子供が生まれて以降は、「意見書提出」に励む日々だった。
(手元にそのコピーを今現在も保存してあるのだが)、例えば我が子の公立小学校を管轄している自治体市長宛に、直々「意見書」を提出したことがある。 その内容とは「発達障害児(当時はまだその名称が一般的ではなかった)の指導教育の充実を願う」趣旨だったのだが、市長の直筆署名入りの回答書が自宅まで届いた時には、その回答内容が不十分だった事は不本意ながらも、自治体市長が一市民に回答せんと志した事実に一応安堵した。
あるいは、我が子の所属公立小学校長宛に幾度も「意見書」を提出して来たことに関しては、当エッセイ集バックナンバーにて公開している。
さて、話題を変えよう。
本日(3月19日) 朝日新聞 “悩みのるつぼ” の45歳妻の相談内容が、「クレーマーの夫どうしたら?」だった。
その内容を以下に要約して紹介しよう。
45歳の妻だが、我が夫はいわゆる「クレーマー」だ。 何か商品を購入したり新しいことをするときは必ず相手や会社に対し、怒鳴り散らしていちゃもんを付ける。 「電話連絡の時間帯が悪い」 「こんなにたくさんの書類を顧客に書かせるな」 「個人情報を欲しがっているんだろう」 「こんなものに手数料を取るのか」 等々…。 結婚して15年。 遠距離恋愛で私も気付かなかったのだが、頻繁に外で喧嘩をする人だと知った。 穏やかな時もあるが、3人の子供達も亭主の姿を見ては「またか…」と慣れきっている。 最近は、「そういう奴らばかりだから世の中がいい加減になる」とエスカレート。 このまま傍観するべきか。 私が何らかのクッション材となるべきか教えて頂きたい。
(以上、本日の朝日新聞“悩みのるつぼ”より引用したもの。)
原左都子の私論に入ろう。
私として分かりにくいのは、相談者がたとえ遠距離恋愛だったとはいえ結婚相手の「クレーマー気質」に気付くまでに15年の年月を要し、その間に3人の子どもを設けているとの事実だ。
この事実こそが、私に言わせてもらうと「超ビックリポンや!!」
結局、このご夫婦を含めたご一家とは、仲がいいんじゃないの~~~?、と言いたくもなる。 特に子供さん3人がご亭主のクレーマー気質に関して、「またか…」との反応で済んでいるのならば、特段問題はないとも思える。
相談者ご夫婦お二人の成育歴等が把握しにくいのがネックだが、とりあえずの原左都子の提案としてはご亭主に対し 「今後は直接や電話ではなく、一呼吸置いて“文書”にてクレーマー活動を実施したらどうか?」とアドバイスしては如何か???
と言うのも我が思考によれば、「クレーマー」とは今後の世の中を変貌させるべく素晴らしい“反発力”の源と捉えるのだ!
社会構造の下部に位置する庶民の皆が皆世に迎合する世界になど、何らの進化ももたらされない事は歴然だ。
安倍政権が故意にでも「戦争が出来る国」を作り上げようとしている現在、庶民は何を目指すべきか!??
有志国民が「クレーマー」となって、今こそ政権に対抗する事ではあるまいか!!
一方、マイナスの解釈によれば、「苦情を申し立てる人。特に,本来の苦情の領域を超えて,あら探しのような苦情を企業に寄せたり,執拗に抗議を繰り返したりする人をいう。」との意味合いがあり、今現在の我が国ではこちらの方が一般的な理解のようだ。
参考だが、今回の我がエッセイは1979年公開の米国映画「クレイマー・クレイマー(原題: Kramer vs. Kramer)とは一切無関係であることをお断りしておこう。
当該映画は、夫婦である夫クレイマー氏と妻クレイマー氏が離婚に際し被告と原告の立場で幼少の子供の親権をめぐり裁判にて争うストーリーであるが、当時第52回アカデミー賞等々著名な賞を受賞している名作だ。 おそらくクレイマー氏との姓と、「主張する人」の意味合いがある「クレーマー」をひっかけて映画の題目としたものと思われる。
私事だが、私はこの映画を20代の独身時代に観賞して、いたく感動した記憶がある。 結婚願望も子育て願望も一切なかった頃だが、ダスティン・ホフマン氏演ずる夫側こそが勝利するべきと最初から応援していた。 そうしたところ、結果としては妻側が裁判にて勝利した。
ところが最後の場面で一家3人が暮らした家へ子供を引き取りに立ち寄った妻が、「我が息子はこの部屋で暮らす権利がある、ナンタラカンタラ…」と自分の事実上の敗北を涙ながらに認める場面に、私も泣けてしょうがなかった。 妻が子供を自宅に置いてけぼりにして親権を取るべく裁判で勝利せんと躍起になっている間に、夫側は我が子との関係を下手なりにも築き上げるべく日々弛まぬ努力を続けた。 子供もそんな父親こそが自分の親と信じるに至っていたのだ。 その子供部屋の壁紙が青空に雲が浮かんでいる絵柄だったことを、今尚鮮明に覚えている。
余談が長引いたが、本題に入ろう。
我が「原左都子エッセイ集」など 「クレーマー エッセイ集」と題してもおかしくない程に、日々社会に生じる諸現象に対し“異議申し立て”を展開し続けている事実を自覚している。
そんな私の「社会諸現象に対する異議申し立て活動」は、何も今に始まった事ではない。
郷里より上京後社会人として自立し、新聞等のニュース報道に大いに興味を持ち始めた20代後半の頃より、既に例えば所属している企業の上司や上層部に対して「意見書」を提出する等々の手段で“クレーマー活動”を執り行って来ている。
少し記憶にあるのは、企業が東証上場に向け大きく成長するに伴い「工程効率化」に動いた時期に “社員一人一人の人権こそを尊重するべき!”なる意味合いの投書をした記憶がある。 この我が投書をきっかけに、その後上司と幾度も話し合いを持ったものだ。
その後長き時を経て晩婚後子供が生まれて以降は、「意見書提出」に励む日々だった。
(手元にそのコピーを今現在も保存してあるのだが)、例えば我が子の公立小学校を管轄している自治体市長宛に、直々「意見書」を提出したことがある。 その内容とは「発達障害児(当時はまだその名称が一般的ではなかった)の指導教育の充実を願う」趣旨だったのだが、市長の直筆署名入りの回答書が自宅まで届いた時には、その回答内容が不十分だった事は不本意ながらも、自治体市長が一市民に回答せんと志した事実に一応安堵した。
あるいは、我が子の所属公立小学校長宛に幾度も「意見書」を提出して来たことに関しては、当エッセイ集バックナンバーにて公開している。
さて、話題を変えよう。
本日(3月19日) 朝日新聞 “悩みのるつぼ” の45歳妻の相談内容が、「クレーマーの夫どうしたら?」だった。
その内容を以下に要約して紹介しよう。
45歳の妻だが、我が夫はいわゆる「クレーマー」だ。 何か商品を購入したり新しいことをするときは必ず相手や会社に対し、怒鳴り散らしていちゃもんを付ける。 「電話連絡の時間帯が悪い」 「こんなにたくさんの書類を顧客に書かせるな」 「個人情報を欲しがっているんだろう」 「こんなものに手数料を取るのか」 等々…。 結婚して15年。 遠距離恋愛で私も気付かなかったのだが、頻繁に外で喧嘩をする人だと知った。 穏やかな時もあるが、3人の子供達も亭主の姿を見ては「またか…」と慣れきっている。 最近は、「そういう奴らばかりだから世の中がいい加減になる」とエスカレート。 このまま傍観するべきか。 私が何らかのクッション材となるべきか教えて頂きたい。
(以上、本日の朝日新聞“悩みのるつぼ”より引用したもの。)
原左都子の私論に入ろう。
私として分かりにくいのは、相談者がたとえ遠距離恋愛だったとはいえ結婚相手の「クレーマー気質」に気付くまでに15年の年月を要し、その間に3人の子どもを設けているとの事実だ。
この事実こそが、私に言わせてもらうと「超ビックリポンや!!」
結局、このご夫婦を含めたご一家とは、仲がいいんじゃないの~~~?、と言いたくもなる。 特に子供さん3人がご亭主のクレーマー気質に関して、「またか…」との反応で済んでいるのならば、特段問題はないとも思える。
相談者ご夫婦お二人の成育歴等が把握しにくいのがネックだが、とりあえずの原左都子の提案としてはご亭主に対し 「今後は直接や電話ではなく、一呼吸置いて“文書”にてクレーマー活動を実施したらどうか?」とアドバイスしては如何か???
と言うのも我が思考によれば、「クレーマー」とは今後の世の中を変貌させるべく素晴らしい“反発力”の源と捉えるのだ!
社会構造の下部に位置する庶民の皆が皆世に迎合する世界になど、何らの進化ももたらされない事は歴然だ。
安倍政権が故意にでも「戦争が出来る国」を作り上げようとしている現在、庶民は何を目指すべきか!??
有志国民が「クレーマー」となって、今こそ政権に対抗する事ではあるまいか!!