原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ダウン児拒否親なる“究極エゴ”を産み出した代理出産

2014年08月16日 | 時事論評
 8月初旬頃、代理出産にて誕生した「ダウン症児」赤ちゃんの引き取りを拒否したオーストラリア人夫妻のニュースに触れ、原左都子の脳裏に真っ先に浮かんだ事がある。

 夫婦が引き取った代理出産双子のもう一人である女児を、“究極エゴ”に満ち溢れ人権感覚に極めて疎いと想像可能なこの親どもに、果たして今後育てていける資質や能力があるのか?? との大いなる疑惑感だ。


 私は本エッセイ集2010年11月9日バックナンバーに於いて、「野田聖子さん、産まれて来る子どもの人権に思いが及んでいますか?」 なるエッセイを綴り公開している。

 以下に、その一部を要約して紹介しよう。
 元々不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、私は基本的には肯定的に捉えていない。 親であるご本人が子どもを産みたい意思をあくまで押し通して体外受精(や代理出産)に踏み切る場合、自分の希望を優先する以前の問題として、必ずや生まれてくる子どもの一生に渡る人権こそに思いを馳せるべきであると強調している。
 体外受精等人工的措置を施してまで子どもを設けることにこだわる人種とは、ややもすると親本人のエゴが優先されているきらいがあることを私は懸念しつつ、親自身のエゴよりも、産まれて来る子どもの将来に渡る人権の方がはるかに尊いとの私論を展開し続けている。
 私自身が今まで身近に経験している体外受精をしてまで子供を設けることに躍起になっている人種とは、どうも自分のエゴにがんじがらめになるが故に客観的な思考能力を失ってしまい、生まれてくる子どもの人権に思いが及んでいない場合が多々あるためだ。
 野田聖子さん、あなたが自民党国会議員として活躍(?)していたがために子どもを産み遅れ、その後体外受精に14回も頼って子どもを設けようとした意図はよく理解できた。 その間、ご亭主をとっ替えて現在のご主人をパートナーとした後に米国での卵子提供体外受精妊娠により“ハーフ”の息子さんをまもなく出産しようとしていることもよく分かった。 今の時代家庭が多様化しているのだから、(国民の)皆さんこんな新バージョンの親子の姿を受け入れて欲しい、とのあなたの今の願いも分かった。
 ここで、我がエッセイの本来の趣旨に戻そう。 
 子どもを産んだ達成感など、産んだ瞬間にぶっ飛んでしまうものである。 その後の親に課せられるのは、産んだ子どもの人権を一生かけて守り抜く責任のみである。
 国会議員であれ如何なる立場であれ、子を持つ親の果すべく使命とは共通であるはずだ。  自分のDNAを受け継いでいない子どもの誕生、加えて“超高齢出産”となれば親である自身の老後に及んで尚その使命が続く訳であるが、その現状をどれ程自己責任として捉えられた上で野田氏は人工授精に及んだのか?!?
 (以上、「原左都子エッセイ集」2010.11.9 バックナンバーより一部を引用。)


 その後野田聖子氏は、上記体外受精による我が子誕生により世間を騒がせた知名度(のみ)を武器に、現自民党議員として(なんと!)党幹部の身分で活躍のご様子だ。
 一方で息子氏に関する続報に触れる機会が一切ないのだが、ネット画像によれば野田氏の我がままにより先天的障害を背負わされて誕生せざるを得なかった息子氏は、ご生存であられるようで何よりだ。

 ただ私がネット画像を見た印象によると、息子氏に寄り添う野田聖子氏の姿が「母」には程遠く、あくまでも「国会議員」としての立場で息子氏に接しているとしか映らない事実が何とももの悲しい…
 それでも国会議員であられる野田聖子氏は今後の少子化対策に向けて、「体外受精」や「代理母出産」等々の“正当性”を訴えつつ現在“陰りが激しい”安倍政権を支えている覚悟のご様子だ…。
 安倍政権が近い将来崩壊した暁に、野田聖子氏は息子氏の「母」として寄り添える資質や能力を発揮し続けられるのであろうか…。 


 ここで話題を、オーストラリア人「代理出産」に戻そう。

 朝日新聞2014.8.9付「社説」が、原左都子私論とほぼ同様の見解を展開しているため、その内容を以下に要約して記すこととしよう。
 オーストラリア夫妻のケースは、第三者の女性に受精卵を移植し妻に代わって出産させる代理出産がはらむ問題の根深さを突き付けた。  妊娠・出産にリスクはつきものだ。 代理母女性が重い後遺症を負ったり、死に至ったりすることもある。 そんな負担を他人に負わせることが許されるのかとの本質的問いがある。
 また、代理母出産の多くは報酬を伴う。 豊かな国から貧しい国へ代理母出産を求める動きとは、経済格差を背景にした搾取の性格が否めない。 
 代理母出産に於いて、日本の規制が大きく遅れている事態も深刻な課題だ。  政府は2000年以降、既に脱法的に実施されている日本人の代理出産を禁止しつつ、法案を提出出来ないまま年月が流れている。
 今後は、親の立場ではなく子の側に立つルールを求めたい。 生まれて来る子供と、(体を犠牲にする)代理母が窮地に陥らないような観点から、関係政府間で調査し対策を作って欲しい。
 (以上、朝日新聞8月9日「社説」より一部を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私自身は「どうしても子供が欲しい!」なる感覚をただの一度も抱くことなく、高齢出産にして自然体で一女に恵まれている立場だ。
 何故私が「我が子が是非共欲しい!」との思いを描かなかったのかに関して今考察してみるに、それはそもそも我が生まれ持っての“天邪鬼気質”に発端があったのかもしれない。

 それにしても、確かに世は理不尽だ。 
 子供が欲しい親には授からず、要らない親が人工中絶したり、究極の場合虐待によりせっかく生まれた子供を殺す親が後を絶たない現世だ。

 それがこの世の定めだとしても、今一度、人工的な手段で子を持とうとしているご夫婦に是非とも振り返って欲しい事がある。
 その子の一生に渡る「人権」を保障できる“強さ”と“愛情”そして“理性”が、自分達に本来的に備わっているのか否かを!

 参考だが、子供を産む以前は「どうしても子供が欲しい!」なる感覚が一切なかった私にして、何故現在我が子との幸せな暮らしが叶っているのかに関して説明しよう。
 手前味噌ながら、上記3条件が偶然にも私に本来的に備わっていたからに他ならないため、と考察している。

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