当「原左都子エッセイ集」をネット上に公開して、去る9月6日で10周年を迎えた。
8月の長野旅行以降「時事論評カテゴリー」エッセイの公開が(我が心理面でのプラスの意味合いも含めた混乱等々により、故意に)少なくなっているが、基本的には社会時事問題をターゲットとして、それに対する辛口論評を公開する姿勢を主眼としている我がエッセイ集だ。
そのような我がブログの性質のため、特にコメント欄をオープンにしていた2011年頃までは、誹謗中傷等々世間からのマイナス反応に苦しんだりもした。
その後、コメント欄閉鎖措置を採用し、既に数年の年月が流れている。
今となっては人様のブログを拝見しては、「コメント欄が充実していていいなあ」 「私もコメント欄を再開したら、皆様のように過去の賑わいが復活するのだろうか? あるいは、やはり我がブログの性質を鑑みると必然的にマイナス反応は避けられず、その対応に追われる日々なのだろうか…」 様々な思惑が脳裏を巡る。
結果としては、現実社会に生きる(ペンネーム“原左都子”ではなく、本名の)「私」の生活を優先するべきだしそれが当然!との思考故に、コメント欄は閉鎖措置を続行するのが賢明であろう、との結論に至っている。
さて、何だかんだ言いつつも、我が「原左都子エッセイ集」は10年の年月を刻んで来れた。
その間、旅行等によりエッセイ執筆をお休みすることはあったが、多くてせいぜい1週間程度の中断に過ぎない。
10年来、1本の字数ほぼ2,000字 ~ 3,000字(一番字数が多いエッセイは10,000字を超過しているが)のエッセイを2,3日置きのペースで綴り公開し続け、現在公開エッセイ総数が1,700本近くに到達している。 (参考だが、エッセイ内実在登場人物のプライバシーを考慮したり、我が思想上どうしても自分自身が受け入れ難いエッセイを後に削除・非公開としたものも含めると、既に1,800本を超えているだろう。)
そんな私のブログ長期継続の秘訣を語るならば。
第一の理由とは。
ペンネーム「原左都子」ではなく、現実世界に生きている「私」本人が「原左都子エッセイ集」にてエッセイを綴り公開するとの生業に、大いなる達成感ひいては生き甲斐を見出せているからに他ならない。
この生業は「趣味」の範囲を超越し、我が「ライフワーク」の位置付けとなっている事実は否めない。
それならばコメント欄を開放し世間の反応を受け入れた方が、より達成感が増強されるのではないか?なるご指摘があろうことも重々推測出来る。
ただ上に記載の通り、ブログの反応とは例えコメント欄認証制を採用したとはいえ“野放図”に押し寄せるものだろう。 それを読ませられるのもストレスだし、すべてを受け入れ対応するには我が実生活上のキャパシティー範囲を超越している、との結論に5年前に至っている事をお詫びしておこう。
コメント欄を閉鎖しても、長期継続できる秘訣の第二の理由とは。
私の場合コメント欄は閉鎖しているが、その代替手段として「メッセージ欄」を設けている。
現在に於いては、この「メッセージ欄」を通して「原左都子エッセイ集」宛にメッセージを受付ける事により、読者の皆様との直接のコンタクトを継続出来ているとも言えよう。
残念な事に、この欄を通して未だ “誹謗中傷”も届けられるのが実情だ。 ただ、こちらの対応としては、メッセージ欄に連絡先をご記入下さった相手にのみご返答を申し上げれば済むのが「メッセージ欄」の長所と捉えている。
大方の誹謗中傷メッセージの場合、何故かご自身の連絡先を明記されていないのが実態だ。 そうすると私の方は無視するしか方策が採れず、必然的に関係が途絶えるとのメリットがある。
ブログを長期間継続する秘訣の結論だが。
ご自身のブログに対するポリシーあってこその継続に他ならないであろう。
ただ逆に言えば、ブログを廃止するとの決断もブロガーのポリシーを物語る絶大な手段なのかもしれない。
10年前の「原左都子エッセイ集」開設直後期には、数多くの読者の方々が我がブログに押し寄せて下さった。 あれから10年が経過し、当時ネット上で懇親にさせていただいたその印象深いブロガーの皆様が現在如何に世を渡っておられるのか、追跡の手段も無いのが現状だ。
私が思うに、当の昔に「ブログ」など卒業され、現世に力強く羽ばたかれれいるのかもしれないし、そうでないのかもしれない‥。
片や、もちろんの事、ブログ上にて10年来お付き合いが続行している方々も国内外に少なからずいらっしゃる。
それらの方々が相変わらず、絶え間なく「原左都子エッセイ集」に暖かい視線を注いで下さっている事実に心より感謝しつつ、我がエッセイ集の10周年をあくまでも静かに厳かに祝おう。
8月の長野旅行以降「時事論評カテゴリー」エッセイの公開が(我が心理面でのプラスの意味合いも含めた混乱等々により、故意に)少なくなっているが、基本的には社会時事問題をターゲットとして、それに対する辛口論評を公開する姿勢を主眼としている我がエッセイ集だ。
そのような我がブログの性質のため、特にコメント欄をオープンにしていた2011年頃までは、誹謗中傷等々世間からのマイナス反応に苦しんだりもした。
その後、コメント欄閉鎖措置を採用し、既に数年の年月が流れている。
今となっては人様のブログを拝見しては、「コメント欄が充実していていいなあ」 「私もコメント欄を再開したら、皆様のように過去の賑わいが復活するのだろうか? あるいは、やはり我がブログの性質を鑑みると必然的にマイナス反応は避けられず、その対応に追われる日々なのだろうか…」 様々な思惑が脳裏を巡る。
結果としては、現実社会に生きる(ペンネーム“原左都子”ではなく、本名の)「私」の生活を優先するべきだしそれが当然!との思考故に、コメント欄は閉鎖措置を続行するのが賢明であろう、との結論に至っている。
さて、何だかんだ言いつつも、我が「原左都子エッセイ集」は10年の年月を刻んで来れた。
その間、旅行等によりエッセイ執筆をお休みすることはあったが、多くてせいぜい1週間程度の中断に過ぎない。
10年来、1本の字数ほぼ2,000字 ~ 3,000字(一番字数が多いエッセイは10,000字を超過しているが)のエッセイを2,3日置きのペースで綴り公開し続け、現在公開エッセイ総数が1,700本近くに到達している。 (参考だが、エッセイ内実在登場人物のプライバシーを考慮したり、我が思想上どうしても自分自身が受け入れ難いエッセイを後に削除・非公開としたものも含めると、既に1,800本を超えているだろう。)
そんな私のブログ長期継続の秘訣を語るならば。
第一の理由とは。
ペンネーム「原左都子」ではなく、現実世界に生きている「私」本人が「原左都子エッセイ集」にてエッセイを綴り公開するとの生業に、大いなる達成感ひいては生き甲斐を見出せているからに他ならない。
この生業は「趣味」の範囲を超越し、我が「ライフワーク」の位置付けとなっている事実は否めない。
それならばコメント欄を開放し世間の反応を受け入れた方が、より達成感が増強されるのではないか?なるご指摘があろうことも重々推測出来る。
ただ上に記載の通り、ブログの反応とは例えコメント欄認証制を採用したとはいえ“野放図”に押し寄せるものだろう。 それを読ませられるのもストレスだし、すべてを受け入れ対応するには我が実生活上のキャパシティー範囲を超越している、との結論に5年前に至っている事をお詫びしておこう。
コメント欄を閉鎖しても、長期継続できる秘訣の第二の理由とは。
私の場合コメント欄は閉鎖しているが、その代替手段として「メッセージ欄」を設けている。
現在に於いては、この「メッセージ欄」を通して「原左都子エッセイ集」宛にメッセージを受付ける事により、読者の皆様との直接のコンタクトを継続出来ているとも言えよう。
残念な事に、この欄を通して未だ “誹謗中傷”も届けられるのが実情だ。 ただ、こちらの対応としては、メッセージ欄に連絡先をご記入下さった相手にのみご返答を申し上げれば済むのが「メッセージ欄」の長所と捉えている。
大方の誹謗中傷メッセージの場合、何故かご自身の連絡先を明記されていないのが実態だ。 そうすると私の方は無視するしか方策が採れず、必然的に関係が途絶えるとのメリットがある。
ブログを長期間継続する秘訣の結論だが。
ご自身のブログに対するポリシーあってこその継続に他ならないであろう。
ただ逆に言えば、ブログを廃止するとの決断もブロガーのポリシーを物語る絶大な手段なのかもしれない。
10年前の「原左都子エッセイ集」開設直後期には、数多くの読者の方々が我がブログに押し寄せて下さった。 あれから10年が経過し、当時ネット上で懇親にさせていただいたその印象深いブロガーの皆様が現在如何に世を渡っておられるのか、追跡の手段も無いのが現状だ。
私が思うに、当の昔に「ブログ」など卒業され、現世に力強く羽ばたかれれいるのかもしれないし、そうでないのかもしれない‥。
片や、もちろんの事、ブログ上にて10年来お付き合いが続行している方々も国内外に少なからずいらっしゃる。
それらの方々が相変わらず、絶え間なく「原左都子エッセイ集」に暖かい視線を注いで下さっている事実に心より感謝しつつ、我がエッセイ集の10周年をあくまでも静かに厳かに祝おう。