原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ただひたすら「走る」ことの効用

2012年04月15日 | 自己実現
 原左都子が少し前より“ランニング”を趣味の一つとしていることに関しては、当エッセイ集本年2月のバックナンバー 「来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!」 において既述した。

 その後ランニングの趣味はまだ続いているどころか、今となっては私の生活には欠かせない一時の貴重な時間と言える程の存在に昇格しているのだ。

 体を動かす分野の趣味として、長年に渡りディスコ、ソウル、ジャズ系ダンスも主たる趣味である私だが、その個人レッスンを実行するために現在は公営体育館のジムに通いつつダンススタジオの束の間の空き時間を利用していた。  残念な事にスタジオプログラムの都合により空き時間が消え去ってしまい、その後の代替活路を体育館の“ランニング走路”に見出したといういきさつである。

 1周172mとの短距離しかも距離計算上中途半端な周回コースを何十周も回るという手段でランニングを楽しみつつ、既に4ヶ月が経過した。
 それまでランニング(ジョギングと言うべきペースだった)をトレーニングジムのマシーン上で行っていた私にとって、実際に自分の足で地面を踏み蹴りつつ前進していく行為自体が実に爽快だったのだ!  実際に「走る」動作とは、ランニングマシーンという“機械”の上でバタバタと体を上下させる事とまったく別世界の現象である事に初めて気付き感激した。 
 自分が生まれ持った二本足で地面を踏みつつ体を前に出し進んでいく行為とは、人間としてこの世に生まれ出たから故の快感であることに私はこの年齢にして初めて気付いたのだ。


 冒頭に記したバックナンバー「来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!」 に於いても綴ったが、私は幼少の頃より“スポーツ(体育)音痴”のレッテルを貼られ続けて義務教育を過ごしてきた。 
 特に、今から遡る事半世紀近く前の小学校での体育の授業が実にお粗末だった事に関して何度も繰り返すが、とにかく当時の義務教育学校の現状とは一人の担任が(高学年の音楽を除き)全ての授業を受け持っていたのが事実だ。  (失礼ながら)デブおばさん先生が自分自身では何らの模範をも示せない体育の授業に於いて、放っておいても“出来る子”を褒め、“出来ない子”に対しては毎時間「あんたは何で出来ないの!」と叱責し続けたものだ。  こんなお粗末な教育体制の下で”体育が出来ない子”に分類されていた私が、体を動かす事を肯定的に捉えられるはずもなかった。

 時代が変遷し大人になった私は医学関係の専門職に携わった事もあり、自分自身の「心肺機能」が人並み以上に優れている事実を知った。(例えば肺活量が当時4000cc近くあったが、これに関しては中学生時代にブラスバンド部で吹奏楽器を頑張った歴史も貢献している事であろう。)
 そういった背景もあって、私の場合は小学校時代の教員より“スポーツ音痴”のレッテルを貼り付けられたが故に、単に自分がその種の人間であると信じ込まされているに過ぎない事に遅ればせながら気が付いたのだ。
 
 加えて、人間とは人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面・技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には指導者に「これをやれ!」と強制されるがままに訳が分からずただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
 それと共に今現在の我がスポーツ能力は、人間としての“成功感”が一番大きくものを言っているように原左都子は感じるのだ。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は絶対出来る!」ごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力こそが力強い後ろ盾となって、我が体を突き動かしてくれるように感じる。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用しつつ私論を展開。)


 さて、「走る」事に話題を戻そう。

 上記体育館室内“トレーニング走路”でランニングをしつつ4ヶ月が経過した。 自分で言うのもなんだが、その進化力を自ら感じ取れる現在なのだ!
 プロのランナーとは異なり、私の場合当然ながら自己判断のみに基づくトレーニングである。 それでも少しづつ距離と時間を延ばしながら、今現在7km程の距離を一定のペースで走り切ることが叶っている。
 新聞紙上で見聞するに、ランニングも3ヶ月継続すると変化がおきるからとにかく継続する事が肝心とのプロのアドバイスもある。 それを4ヶ月経った今実感している私だ。

 ところが、元々早期に業績を上げたい性分の私は、最初の頃スピードも距離も同時に伸ばそうとの欲望が強過ぎ、墓穴を掘っている事実を自己分析する過程もあった。 無理な状況を強行し続けると、自らの体の様々な部分がダメージを受けランニングの継続がままならないことにも気付いた。
 その後はとにかく欲張らず無理をせず、“マイペース”を貫く方針に切り替えたのだ。 この“マイペース”トレーニング方式が大いに功を奏しているようで、現在のところ7kmを完走できるまでに我がランニング力は強化されているのだ。

 ただ、私が市民マラソン大会に出場するに当たっての課題はまだまだある。
 現在は気候の影響を受けない室内走路でのランニングであるが、そのうち屋外のランニングコースで気候等の外部影響に耐える訓練も必要であろう。
 それにしても、 市民マラソンに出場するためには高い競争率を超えねばならないようでもあるのが現状だ。


 最後に、何故原左都子が現在これ程までに「走る」趣味にはまっているかに関して自己分析してみよう。
 人間が2本足で走るという行為自体が素晴らしい現象である事に気付かされたのが、その第一歩であった。
 私はいつも耳にウォークマンを携えて走っているのだが、それは私が未だ“ランニング”に関して素人である故であろう。  それにしても音楽に合わせてダンスを踊る前提として、人間の原点とはその体と両手両足で前進を続ける事こそが基本だったと気付かされるのだ。

 7km走るのに今現在まだ45分程度の時間を要する。
 ただ、我が長年の趣味であるダンスでは得られない “一人で孤独と苦しみに耐え抜く自己鍛錬の時間” をランニングが叶えてくれる事実こそが美学であり、何とも魅力的な現象と捉える私である。 
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