原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人生終盤を迎えた年寄りとの“健全な”付き合い方

2013年09月16日 | 時事論評
 大型台風が日本列島を襲い、本日は大荒れの敬老の日の一日だった。
 洪水や崖崩れ等の被害を受け、今現在も避難所で過ごされているお年寄りの方々も多いことであろう。 
 心よりお見舞い申し上げます。


 さて、「原左都子エッセイ集」2012年6月のバックナンバーに於いて、「老後とは自ずと孤独になるものだけど…」 と題するエッセイを綴り公開している。

 上記エッセイ冒頭部分で以下のような記述をしているのだが、少し振り返らせていただこう。
 以前、新聞紙面で「老後を如何に充実させるか?」なるテーマの記事を読んだ事がある。  その記事の結論とは、「人間関係の充実」 だったと記憶している。
 原左都子に言わせてもらうと、これは“現実性に乏し”く“嘘臭い”。 (もちろん老後の年齢も幅広いのだが、もしかしたら老人が置かれている実態を心得ない記者が書いた記事かな?)
 80歳を過ぎた近親の老人達と日頃接する機会がある原左都子は、高齢老人に「人間関係の充実」を望むことの多難さを思い知らされる日々だ。
 体がよぼよぼになり、棺桶に片足を突っ込みかけている老人相手に「人間関係を充実させよ」との要望とは、過酷かつ無責任ではあるまいか??  人間関係の充実とは“人として”心身共に健全であってこそ叶う課題ではなかろうか?
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用)

 上記エッセイ公開より1年3か月程が経過した私の日常は、まさに近親年寄り達の支援係を一手に担う役回りと成り果てている。

 
 その一人目、義母に関しては現在介護付き有料高齢者施設に入居中だ。

 突然の義理姉末期癌罹患そして死去に伴い、我が身内が義母の「保証人」となった事をきっかけに、嫁である私が実質上の保証人代行を任されている立場にある。 特に義理姉死去後の義母所有財産管理移行手続きは実に煩雑だった。 猛暑の中、公証役場や銀行・保険会社等の金融機関、そして義母運用不動産の仲介業者及び青色申告会への変更手続き連絡等々…  それはそれはハードな事務処理の日々を過ごした。
 やっと一通りの財産管理移行業務は一段落したが、今後迫り来るのは来年早々の税務申告手続きである。 少し気が重いが(一応税理士試験3科目免除者の立場として)義母のために前向きに善処しよう。

 それでも義母の場合、“人間が出来ている”事に救われる思いだ。
 義理姉死去前後の時期はさすがに不安定感が露出していた義母だが、そんな不幸に直面して尚、保証人代行である私への礼節を欠かさない人なのだ。「○子さん(私のこと)がいて下さるお陰で私はケアマンションで安心して暮らせます」「今後も○子さんこそが私の一番の心の拠り所です」…  さすが元事業家、元々営業スピーチはお得意なのではあるが、そう言ってもらって私が張り切らない訳がない。
 義母は共同生活の場であるケアマンション内でも、周囲の人間関係への配慮を欠かさない人物である。 あまりにも義母が気配りをし過ぎることを、現場のケアマネジャー氏が気遣って下さる程だ。  「それじゃあ自分の身が持たないですから、お義母さんも少しは周囲に甘えてもいいんじゃないですか?」と私からアドバイスしても、「○子さん、ありがとう。 でも、私は全然気配りなどしてないから気にしないで」との返答である。
 こんな健気な義母を私が大事にしない訳がないという結論である。

 片や、我が郷里に一人暮らしをする“性格の悪い”実母の実態に話を移そう。

 こいつ、何で滅多に会わない娘が可愛い孫を連れて帰省しているのに、何でいつもいつも開口一番悪態吐いて喧嘩を売ってくるの!?!
 それを“元気な証拠”と捉えるべきなのかもしれないが、一体全体どうしたことか。 我が実母の勝手気ままな言動とは「老化現象」の範疇を既に超過し「ボケ」症状に達しているかもしれないと、本気で頭を悩ませる私である。

 何分、義母との格差が大き過ぎる。 
 体力は衰えた義母ではあるが、いつまでも上品で自分の周囲の人間関係を大事にしようと精一杯努力している人物である。 そんな義母はたとえ実子である自分の息子(我が亭主)に対しても一切暴言は吐かない。
 それに引き換え、我が実母の自分が産んだ娘である私への“甘えよう”が度を過ぎていると、いつ帰省しても悲しくなるのだ。
 例えば朝起きて母に「おはよう」と言うと、「何時だと思っているんだ、これが嫁なら失格だ!」と私を非難する。 前夜には「ゆっくり寝ていい」と言う母だが、いつ帰省しても同じ言動を繰り返す事を経験しているが故に、「私が起きてから朝飯を準備するからゆっくり寝ていて」と言っても、どういう訳か自分が先に起きて、後から起きてくる私に罵声を浴びせたい様子だ。
 あるいは、「朝ごはんが出来たから食べよう」と母を誘っても「私は、要らん!」とくる。 (実は自分だけ先につまみ食いしているのだが)これもいつもの事なので無視していると、「○子は親の家のご飯をバクバクよく食べるねえ」との嫌がらせじみた発言をし始める。 「だったら遠慮しておくよ」と言い返すと、「冗談なのが分からんのかねえ。人間直ぐに怒るもんじゃないよ。アンタ性格が悪いよ」と実の娘相手に言いたい放題ホザき返してくる始末だ。

 もちろん、年老いた実母を郷里に一人暮らし状態で放置している現状に関して、こちらにも落ち度はあろう。 それにしても半年に一度しか会わない実の娘相手に、この悪態はどうしたことかといつ帰省しても落胆するしかない。 
  
 ただ少し分析し直すと、我が実母が置かれている立場が理解できないでもない。 やはり、周囲の環境が“ド田舎”過ぎるのではないかとの懸念もある。
 人間関係云々を議論する以前の課題として、日本の過疎地に於ける人間関係とは実に狭い範囲の親戚筋を心の拠り所として頼るしかない切羽詰った現状かもしれない。  それが証拠に、我が母は地方公務員の立場で定年までの任務を全うした人間だが、定年後10数年程はそれら職業関係の知人・友人に恵まれ、有意義に暮らしていた事実は私も記憶している。 その後更に年齢を重ねた暁には、母に限らず職業関係の仲間達も高齢者と成り果てている実態であろう。

 そんな中、身近に自分の実の娘や息子が存在する高齢者は恵まれているとの話ではなかろうか。 近くに実の子どもが存在するだけでも年寄りにとっては至って心強いと想像する。
 我が義母もその例外ではなく、実の息子が近くに住んでいて、その嫁である私が保証人代行を引き受けている事実を心強く捉えているのだと考察する。
 それに比較して、確かに我が実母と娘である私との実質的な距離的関係は大きなネックなのであろう。
 
 今回郷里から帰京した後に上記の事実を少し分析して、我が実母の私に対する悪態の理由が少し理解できた気もする。
 ただ、本当に実の娘や孫と80歳過ぎた老後を有意義なものにしたいのならば、少し素直になってはどうなのかと提言したい思いだ。 もしも、今後の娘と孫との帰省を本気で喜んでくれるのならば、孫もいる目前で娘に対していきなり悪態をつく事は孫への悪影響もあるため勘弁して欲しい思いだ。

 それとも実母であるあなたがずっと前から私に訴える通り、ほんとに現在の家で「孤独死」が理想なの?
 言っちゃ悪いが、あなたの悪態をいつも見せ付けられ辟易としている私には、そうとは思えないんだなあ。  あなたの私に対する悪態の数々とは、結局自分が生きているうちに子孫である私の手をとことん煩わせた挙句、立派な葬儀をして欲しいとの事だよね???
 だったら、何で素直にそう言えないの!?!
 世の中には一生において「反省」がない奴らがこの国の上層部にごまんと存在する事実をとことん鬱陶しく思う上での、あんたの娘の発言なのだけど……
 あんたがお国のトップ程偉くもないならば、自分が産んだ娘に対して、死ぬ間際くらい少しは素直に振舞ってはどうなのよ!?
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