原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

マニュアル指導に翻弄される店員の対応にもの申す!

2011年12月01日 | 時事論評
 日々商取引をせずしては成り立たないこの経済社会の下で生き延びている顧客側の一員として、いちいち店員氏の落ち度を突くのは自分の器量の狭さを物語るものと、この原左都子とて重々心得ているつもりだ。

 特に大規模チェーン店舗等に於いて“顧客対応マニュアル化”が急激に進んだ時代背景の下では、顧客側はその“お決まり対応”が指導マニュアルの範囲内とは承知しつつもさほどの悪印象を抱かなくなった、というのが現実ではなかろうか?


 そんな中、昨日私は(全国展開のチェーン店舗らしき)某書店において、近頃経験しないような杓子定規の対応に遭遇したのである。

 今時のデパートや大手量販店をはじめとする各種大規模店舗では、会計における順番制を確保するため「入口」と「出口」を設けてロープを張り巡らせ、顧客をそのロープの道順に従ってレジ前に並ばせるのが通常である事は、皆さんもよくご経験のことであろう。
 この“制度”が店舗内に設けられた当初は、レジの順番制を確保する方策とはいえ顧客をないがしろにせんとするような対応にウンザリさせられた私である。 せめて銀行のように顧客に番号札を引かせ、椅子を用意して顧客に座って待ってもらうべく対応をするべきではないのかとも思ったものだ。 と言うのも、時折お年寄りが長蛇の列に戸惑っている場面にも出くわすし、ベビーカーをひいた母子連れがロープ内に並びきれないような風景にも遭遇するためである。
 これに関しては、おそらく店舗内が狭くて椅子を設置するべく対応が取れないのであろうことも想像はついている。  まあそれにしてもその対応で商売が成り立っているのであれば私が口出しするには及ばず、勝手にせよと言うところであろう。


 ここで昨日私が経験した某チェーン書店での店員氏の対応を紹介することにしよう。

 書籍一冊を購入しようとして上記書店のレジへと向かったところ、そこには案の定「入口」「出口」を設けロープが張り巡らされていた。 
 ただ、当時顧客は一人も並んでおらず1人の店員氏が出口付近でパソコンを打つような作業をしていたため、その店員氏に私は「すみません」と声をかけた。
 そうしたところ私の問いかけにもかかわらず相変わらずパソコン画面に向かう店員氏から返ってきたのは 「何かお問い合わせですか!」 との怒りがこもった返答だったのだ。  その剣幕にめげそうになりつつも私は 「この本を購入したいのですが…」 と応じた…。 
 こういう場面において店員氏から次に出るべき言葉とは 「大変失礼しました。お会計します。」 ではなかろうか??  
 ところが、驚くべき事に昨日は違ったのだ。 「本を購入する場合は、レジの“入口”に並んで下さい!」 と私はけんもほろろに叱られてしまった…
 店員氏の対応に唖然としつつも 「すみません。」 と小声で謝りつつレジの“入口”に並んだ(と言っても顧客は相変わらず私一人なのだが…)ところ、やっとその店員氏はレジを打ってくれて会計をしたのである。 
 その後は最後の「ありがとうございました」までマニュアル通りの対応だったのが、これまた不気味な感覚だったものだ…
 善意に解釈するならば、この店員氏は顧客がいない中パソコン作業に集中していたのであろう。 そこに「すみません」と私から声を掛けられて一瞬集中が途切れ憤った気持ちは分かる。
 それにしても、何ともまあ店員としてお粗末な事……


 話が変わるが、先だって娘の傘を買うべく大規模チェーン店を訪れた。
 どういう訳か娘が欲する傘に「値札」のレッテルが貼られていないのだ。 そこで私は他の商品を購入するよう娘に勧めたのだが、どうしてもその値札のない商品が欲しいと娘が訴える。
 この種の経験は過去にもあるのだが、価格を調べるためにレジ前で長時間待たされる事を想像してそれを避けるため、私は娘が欲する傘と共に別柄の同一傘商品をレジに同参したのだ。 そして「この商品は値札が貼られていないのですが、もしかしたら持参した商品と同価格ではないですか?」と訪ねた私である。
 そうしたところ、レジ担当者が言うには「もっと低額かもしれませんので調査します」 との事だった。 
 結局は価格調査のために長時間待たされるはめとなったのだが、(もしかしたら“返品商品”にレッテルも張り替えずそのまま店舗に並べたのか???) との疑惑も抱きつつ、どうしても娘のその傘が欲しいという思いと共にレジで待っていると 「同一別柄傘と同じ価格で販売します」との回答だった。 
 会計を終えた後も、(おそらく)返品商品を元の売値で買わされたとの思いが消え去っていない私であるが、何よりも我が娘が雨の日に“お気に入り”の傘をさして学校に通う姿を見て“帳消し”の思いではある。 

 この事例などは、大規模チェーン店の“マニュアル指導”に基づいたのか、あるいは店員の勝手な判断でマニュアルに従わず通常は再販売しないはずの返品商品を買わされるはめとなったのかは不明である。
 それにしても、「こちらのミスで値札のない商品を売り場に置き、長時間お待たせして申し訳ございませんでした。」の一言ぐらい欲しかったものだ。
 
 

 本日のニュース報道によると、大学3年生対象の就職活動が既に開始されたとの事である。 
 まだ就職まで1年以上も期間があるのに、こんなに早期から就活を開始するのか? と思う私の感覚とは裏腹に、今年はこれでも開始時期が遅いとの事だ。

 第三次産業において若手社員はマニュアル指導を受けるのが現状といえども、今後経済社会に旅立つ学生の皆さんは自分自身の職業人としてのポリシーを明確にもって就活に臨んで欲しいものだ。
 日本企業が置かれている現状を打破する若き力として、経営者を越える能力がほんの少しだけでも備わっていて欲しいものである。

 とにもかくにも今後この国の経済力を益々衰退させるも少しは発展に転じさせるも、あなた達の今後の実力発揮如何にかかっている。
 是非共、先人達が作り上げた既成マニュアルになど従わないしたたかなポリシーを抱きつつ、社会に進出して欲しいものであるぞ!! 
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