久しぶりに、朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談を取り上げよう。
正直言って何を言いたいのか分かりにくいし、論理破綻というよりも、そもそも論理性に欠けている内容の質問との感想だが。
とにかく、10代女性による「作品への思い込みが強すぎる」と題する相談の一部を、要約して以下に引用しよう。
大学生だが、何にでも執着する自分が嫌になる。
例えば、ドラマ。 つまらないと思って3作目で見なくなった作品が世間から高評価を得ていると気に入らない。 自分の見る目が正しかったのだと思いたくて、時間の無駄だといら立ちつつつもネットで評価の低い感想をあさってしまう。
大好きな作品が批判されているのを見た時もそうだ。 その作品に対する評価を、作品が好きな自分への評価のように受取ってしまう。
人の感想なんて千差万別で当たり前だと分かっているのに、自分の意見が多数派でないと不安になる。
このままだと、つまらない人間のまま一生を追えそうで空恐ろしくなる。 自分の内面を養うことに力を注いで豊かに生きる方法をご指導いただきたい。
(以上、“悩みのるつぼ”の相談内容の一部を要約引用したもの。)
原左都子の私事・感想に入ろう。
未だ10代の大学生とは、こんなものなのかもしれない。
ただ、そもそも朝日新聞への相談に際して、まずテレビドラマの話題が出ていることに意表を突かれる。
(あるいは現在コロナ禍故に、学生の行動が内志向にならざるを得ないのだろうか??? そうだとすると、相談者は気の毒な時期に大学生になったものだと同情申し上げたい気もするが…)
私自身の10代の大学生時代を振り返ると、“喫茶店文化”全盛期の時代背景であり、女友達と付き合うのも彼氏とデートをするのも、とにかく「喫茶店」だったものだ。 (夜間は、コンパ的な飲み会が多かったが。)
そこでは、とにかく語り合ったものだ。
何をそんなに語り合ったのかの記憶は薄れているが、どういう訳か、何時間くっちゃべっても時間が足りない程だった。
そんな我が10代頃の学生時代を振り返るに、テレビ番組に対する世間の評価など二の次でよいし、くだらない過ぎるなあ、との感想しか抱けないのだが。😫
しかも相談者である女子大学生は、自己の思想と異なる見解が世間に存在する事態に関して、ネットサーフィンにより解決策を探ろうとしている様子だ。 (いや、やはりそれも“コロナ禍”のせいであるとしたら、まさに同情申し上げるしかない思いだが…)
その行動を、テレミーティングでもよいから学生同士で語りあって解決してはどうか、とアドバイスしたくなる。
実際、相談女性は「このままだと、つまらない人間のまま一生を終えそうで空恐ろしくなる」と表現しているが。
まさにその点に於いては、原左都子の当該女子学生に対する同情の思いも一致する。
私の場合、19歳時の大学夏季休暇中に米国UCバークレーへたった1か月間だが短期留学して、一時の米国暮らしを堪能し大感激したものだが。
確かにこれすら、現在コロナ禍で苦しんでいる大学生には叶わない夢であろう。
(更なる新型コロナウィルス変異株が南アフリカ及び近隣国にて出現し、それの今後の世界規模での猛威の程も気がかりだ…)😨
このように考察してくると。
今回の“悩みのるつぼ”の相談者である10代の女子大学生の場合、もしかしたら、決して論理性に欠けているのではなく。
単に時代の趨勢として、若くして“コロナ禍”の犠牲にならざるを得ない立場であるとするならば。
これは深刻課題であり。
その対策は、国家や自治体に委ねるしかないのかもしれない…