もう既に26年も前の話になるが、二度目に門をくぐった大学にて私は(おそらく専門選択科目として)「国際法」の授業を受講した。
その授業の担当教官氏が年間を通して講義テーマに取り上げたのが、当時我が国が他国に対し実施していた ODA(政府開発援助。 政治資金で実施される発展途上国に対する無償援助(贈与)・技術協力・借款及び国際開発機関への出資。)の現状だった。
大学の授業とは、担当教官氏の講義内容に対するポリシーの程が明確な程熱気付き、学生としては授業に出席し甲斐があるものだ。
そんな中、私が受けた「国際法」のS先生(と仮に名付けさせていただこう。)は当時の自民党政権(戦後長く続いた自民党政権のうち竹下登内閣の時代だが)に対して“批判派”であられたようだ。
当時の日本が実施していたODA政策の過ち及び今後の改善策に対して、S先生は毎時間毎時間熱弁を振るわれた記憶がある。
特に、「環境アセスメント制度」に関する国内法が未だ存在しない状況下で、対外援助に関し環境アセスメントを如何にして法制度化していけばよいかについて、力強く私論を展開された事を鮮明に記憶している。
上記授業の前期課題として、「我が国の開発援助に於ける環境的配慮に対する強化方策」をテーマに小論文を提出する事が受講生に課せられた。
まだまだ政治法律学分野に於いて未熟な当時の私として荷が重い課題ではあったが、S先生の熱意に応えるべく約6000字(原稿用紙にして約15枚)の小論文の形式で拙き我が見解をまとめ提出した。 結果、評価として100点満点の90点を頂いた。
(現在“もの書きの端くれ”を自称する私は、自己の実績として過去に記し発表・提出した書籍・論文・小論文・学会発表抄録・意見書等々類の原著を書棚に保管してあるのだが)、先ほど上記「国際法」提出小論文を探したところ見つかった!
その未熟で拙い小論文のごく一部を、以下に要約して紹介させて頂こう。
最近発表された外交青書によると、我が国の基本方針とは「世界に貢献する日本の推進」である。その実現のために政府は1988年からの5か年間にODA実績を500億ドルにしたいと表明している。総額にすると約6兆円の巨額にのぼる。 ところが、我が国のODAとは極めて経済的色彩が強い政策的考慮が前面に打ち出されているため、援助受入国側に対し環境破壊・原住民の生活破壊等の弊害が浮上し大きな国際問題を投げかける結果となっている。 開発援助に対する増額等金銭面での支援を表ざたにしたところで世界規模での理解が得られるはずもない。 ODAとは特に援助受入れ国側への環境的配慮との視点に立ち、開発援助の基本理念を明確にするべきだ。
結果としては、ODAとは必ずや国際的な平和・平等の観点に立ち貧困の撲滅、構造調整に優先度を置くべきである。 ODAを展開する国側の都合ではなく援助される側の住民のための開発であるべきだ。 そのためには、いつ何時も援助国とは援助受入れ国と対等なパートナーシップの立場に立ち、受入国側の自助努力を支援する開発がなされねばならない。
(以上、私が33歳の頃記した小論文より一部を引用紹介させて頂いた。)
時代を現在に戻そう。
安倍政権は2015年2月10日、政府のODA基本方針を示した「開発協力大綱」を閣議決定した。
それによると、我が国に於けるODA政策が先細りになる中、それを勧めるねらいがあるようだ。
ODAを通して「我が国の平和と安全の維持・繁栄の実現といった国益の確保にも貢献する」と明記する事により、ODA援助に関して「国益」なる言葉を初めて使用した。 一方、他国軍への物資・技術の直接的な提供に関しては軍事転用の恐れを高めるが、それを防ぐ運用基準は盛り込まれていない。
(以上、朝日新聞2月11日一面トップ記事より要約引用。)
ここで原左都子の私論だが、要するに安倍政権による新たなODA政策とは将来的に「軍事転用を視野に入れている」と表現しても過言でなかろう。
引き続き、朝日新聞記事より引用して紹介しよう。
安倍内閣が閣議決定した「開発協力大綱」はODAによる他国軍への支援を解禁する等日本の海外援助の枠を広げた。 安倍政権によるイスラム国と闘う周辺各国への2億ドルもの支援の狙いも安倍政権のODAの一環だった。 更には安倍政権が援助を注いできた東南アジア地域で、現在中国の存在感が飛躍的に高まっている。 それに対抗しようとの安倍政権の東南アジア地域への巻き返しも強まっている。 今後、「国益」を重視した安倍政権の対中国をにらんだ対外支援は今後も加速しそうだ。
(以上、再び朝日新聞2月11日記事より一部を要約引用したもの。)
最後に原左都子の私論でまとめよう。
26年も前に私は当時の大学の「国際法」の授業にて、当時の(長過ぎた)自民党政権によるODN政策の実態が政権による“我が身息災事業”だった事実を学んだ。
それにもかからわず、その後、ODAに関する国家政策の実態を認識せずして時が経過してしまった事を反省する思いだ。
ただそんな私にして、つい先ほどの2015年2月10日に発表された安倍政権による「ODA政策」とは、26年前の竹下登政権時の政策より、より強力に「国益」を主眼としている点で“悪質度”が高い思いを抱かされる。
要するに今回発表された安倍政権による「ODA政策転換」とは、援助相手国の発展など無視して、単に我が国の近き将来に向けての「軍事転用」に他ならないと朝日新聞同様に私も結論付けたい。
事の発端は安倍政権の主たる主張である(自分が首相である間に)「改憲」に持って行きたい思いであろう事は既に認識しているが、それにしても今回の安倍政権のやり方が極端かつ劣悪との印象を抱かざるを得ない。
その授業の担当教官氏が年間を通して講義テーマに取り上げたのが、当時我が国が他国に対し実施していた ODA(政府開発援助。 政治資金で実施される発展途上国に対する無償援助(贈与)・技術協力・借款及び国際開発機関への出資。)の現状だった。
大学の授業とは、担当教官氏の講義内容に対するポリシーの程が明確な程熱気付き、学生としては授業に出席し甲斐があるものだ。
そんな中、私が受けた「国際法」のS先生(と仮に名付けさせていただこう。)は当時の自民党政権(戦後長く続いた自民党政権のうち竹下登内閣の時代だが)に対して“批判派”であられたようだ。
当時の日本が実施していたODA政策の過ち及び今後の改善策に対して、S先生は毎時間毎時間熱弁を振るわれた記憶がある。
特に、「環境アセスメント制度」に関する国内法が未だ存在しない状況下で、対外援助に関し環境アセスメントを如何にして法制度化していけばよいかについて、力強く私論を展開された事を鮮明に記憶している。
上記授業の前期課題として、「我が国の開発援助に於ける環境的配慮に対する強化方策」をテーマに小論文を提出する事が受講生に課せられた。
まだまだ政治法律学分野に於いて未熟な当時の私として荷が重い課題ではあったが、S先生の熱意に応えるべく約6000字(原稿用紙にして約15枚)の小論文の形式で拙き我が見解をまとめ提出した。 結果、評価として100点満点の90点を頂いた。
(現在“もの書きの端くれ”を自称する私は、自己の実績として過去に記し発表・提出した書籍・論文・小論文・学会発表抄録・意見書等々類の原著を書棚に保管してあるのだが)、先ほど上記「国際法」提出小論文を探したところ見つかった!
その未熟で拙い小論文のごく一部を、以下に要約して紹介させて頂こう。
最近発表された外交青書によると、我が国の基本方針とは「世界に貢献する日本の推進」である。その実現のために政府は1988年からの5か年間にODA実績を500億ドルにしたいと表明している。総額にすると約6兆円の巨額にのぼる。 ところが、我が国のODAとは極めて経済的色彩が強い政策的考慮が前面に打ち出されているため、援助受入国側に対し環境破壊・原住民の生活破壊等の弊害が浮上し大きな国際問題を投げかける結果となっている。 開発援助に対する増額等金銭面での支援を表ざたにしたところで世界規模での理解が得られるはずもない。 ODAとは特に援助受入れ国側への環境的配慮との視点に立ち、開発援助の基本理念を明確にするべきだ。
結果としては、ODAとは必ずや国際的な平和・平等の観点に立ち貧困の撲滅、構造調整に優先度を置くべきである。 ODAを展開する国側の都合ではなく援助される側の住民のための開発であるべきだ。 そのためには、いつ何時も援助国とは援助受入れ国と対等なパートナーシップの立場に立ち、受入国側の自助努力を支援する開発がなされねばならない。
(以上、私が33歳の頃記した小論文より一部を引用紹介させて頂いた。)
時代を現在に戻そう。
安倍政権は2015年2月10日、政府のODA基本方針を示した「開発協力大綱」を閣議決定した。
それによると、我が国に於けるODA政策が先細りになる中、それを勧めるねらいがあるようだ。
ODAを通して「我が国の平和と安全の維持・繁栄の実現といった国益の確保にも貢献する」と明記する事により、ODA援助に関して「国益」なる言葉を初めて使用した。 一方、他国軍への物資・技術の直接的な提供に関しては軍事転用の恐れを高めるが、それを防ぐ運用基準は盛り込まれていない。
(以上、朝日新聞2月11日一面トップ記事より要約引用。)
ここで原左都子の私論だが、要するに安倍政権による新たなODA政策とは将来的に「軍事転用を視野に入れている」と表現しても過言でなかろう。
引き続き、朝日新聞記事より引用して紹介しよう。
安倍内閣が閣議決定した「開発協力大綱」はODAによる他国軍への支援を解禁する等日本の海外援助の枠を広げた。 安倍政権によるイスラム国と闘う周辺各国への2億ドルもの支援の狙いも安倍政権のODAの一環だった。 更には安倍政権が援助を注いできた東南アジア地域で、現在中国の存在感が飛躍的に高まっている。 それに対抗しようとの安倍政権の東南アジア地域への巻き返しも強まっている。 今後、「国益」を重視した安倍政権の対中国をにらんだ対外支援は今後も加速しそうだ。
(以上、再び朝日新聞2月11日記事より一部を要約引用したもの。)
最後に原左都子の私論でまとめよう。
26年も前に私は当時の大学の「国際法」の授業にて、当時の(長過ぎた)自民党政権によるODN政策の実態が政権による“我が身息災事業”だった事実を学んだ。
それにもかからわず、その後、ODAに関する国家政策の実態を認識せずして時が経過してしまった事を反省する思いだ。
ただそんな私にして、つい先ほどの2015年2月10日に発表された安倍政権による「ODA政策」とは、26年前の竹下登政権時の政策より、より強力に「国益」を主眼としている点で“悪質度”が高い思いを抱かされる。
要するに今回発表された安倍政権による「ODA政策転換」とは、援助相手国の発展など無視して、単に我が国の近き将来に向けての「軍事転用」に他ならないと朝日新聞同様に私も結論付けたい。
事の発端は安倍政権の主たる主張である(自分が首相である間に)「改憲」に持って行きたい思いであろう事は既に認識しているが、それにしても今回の安倍政権のやり方が極端かつ劣悪との印象を抱かざるを得ない。