原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「タメ口」の正しい使い方

2014年09月13日 | 人間関係
 少し古くなるが、8月上旬頃の朝日新聞「声」欄に、医療現場に於ける看護師氏が発する患者に対する“タメ口”に関する男性看護師氏よりの否定投稿があった。

 現在朝日新聞「声」欄は無断転載を一切禁止しているため、あくまでも原左都子の記憶のみに頼り上記投稿内容を紹介しよう。

 企業経験がある私(投書者)だが、医療の仕事を志し看護師資格を取得した後に現在医療機関にて看護師をしている。  その医療現場で大いに気になるのが、患者さん達に対して発せられる(特に女性)看護師氏達の“タメ口”である。
 民間企業(特にサービス業分野)に於いては、まさか顧客の皆様に対して“タメ口”などあり得るはずがないし、あってはならない現象だ。  もしかしたら、医療現場では患者さん達とのコミュニケーション目的で医療者側があえて“タメ口”を使用しているのかもしれない。 ただそれが単なる強者と弱者との上下関係を暗に意識して発せられる言葉だとすれば、とんでもない過ちである。
 (以上、朝日新聞「声」欄投稿より我が記憶に頼り引用。 原左都子の主観が大いに入っている事をお詫びするが。)
 

 ここで私事に入るが、我が義理の母が民間経営有料高齢者介護施設に入居して以降、2年余りが経過した。
 その保証人の立場として義務であるケアマネジャー氏との面談や、義母の不動産貸付業代行等経過報告のため、1~2ヶ月に一度程のペースで定期的に介護施設の義母の元を訪ねている。

 その際にいつも気付くのだが、義母が入居している介護施設は顧客である高齢入居者及び保証人含め家族等訪問者に対する“対応マナー”の程が徹底しているのだ。 館内の何処の場で様々な立場の職員氏達に出会おうと、必ずや笑顔でご挨拶頂ける。 
 義母本人の口からもいつも発せられるのは、「こちらの施設の職員さん達の対応が素晴らしく、私は居心地がよくて有り難い」との感謝の言葉だ。  ごく稀に(上記朝日新聞「声」欄のごとく)義母に“タメ口”で接する職員に出会う事も無きにしもあらずなのだが、次回訪れると当該“タメ口”職員が既に退職している現実に何度も直面している。
 要するに、この有料介護施設の経営ポリシーである“顧客に対する対応マナーの徹底”に違反する気質を抱えている職員達とは、自然淘汰されてしまうのであろう。
 被雇用者側の職員氏達にとっては、それ程までに厳しい経営ポリシーを貫いている企業の下での日々の勤務は、さぞかし辛く厳しい現実であろう。 ただ顧客側から考察した場合、私はこの企業の姿勢・体質を高く評価申し上げると同時に、民間企業の経営姿勢とはあくまでも“顧客の立場”から評価した結果こそが意味をなすとも捉えている。


 再び、別件の私事を記そう。

 私も冒頭の朝日新聞「声」欄投稿者と同じく民間企業勤務後職種を大幅に変え、公立高校教員を経験している身だ。  それ故に、投稿者が記述している「民間企業(特にサービス業分野)に於いては、まさか顧客の皆様に対して“タメ口”などあり得るはずがないし、あってはならない現象だ。」との記述部分に大いに賛同する。 
 現在に至っては、(医療及び介護現場を除外すると)まさか販売等サービスを主たる業務として成り立っている民間企業に於いて、職員から顧客への“タメ口”は既に排除されているものと(希望的観測を伴うが)私は信じている。 

 ところが、その例外が(好意的に)許される場面を原左都子自身が現在経験している。
 その現場とは、東証一部上場民間企業が経営している個室美容室内に於いてである。  私がその大手企業の美容師氏(女性)と初めて出会ったのは数年前の事だった。 その当時よりお互いに“ツーカー感”があったと私側は認識している。 大手企業に於いては転勤がつきものであるが、その美容師氏は一旦転勤後、どういう訳か私が通っている支店に戻って来たのだ。
 こうなれば顧客の立場である私にとって、まさに「旧友」にでも再会した気分だ!  その再会を大いに喜んだ私の口から自然と発したのが、彼女に対する“タメ口”である。 それに応えてくれた美容師氏でもある。
 ただやはり顧客との関係に於いて、“タメ口”を発する事を企業職員である彼女の方が戸惑っている様子だ。 その後は、お互いに“タメ口”と“営業上の丁寧トーク”を交えつつの不思議な関係を続行している。 


 またまた私事だが、私が過去に嫌悪感を抱いた“タメ口”トーク場面を以下に記そう。

 恐らく「原左都子エッセイ集」読者の皆さんは同じ思いと推察するが、面識が一切無い相手に初めて対面する場合、お互いに“タメ口”を避けるのが鉄則と私は考えているのだが、どうだろうか?

 ところが、我が子を幼稚園に入園させた時、及び公立小学校に入学させた時点で、母親連中から突然この“タメ口”で接して来られた時に、私は本気で仰天したものだ。
 ところが当時の公立小学校教員の話によれば、「母親同士で丁寧語を使いたがる親がいるようだが、親子共々仲良くするには母親同士とて“タメ口”が一番」なる説諭をする教員が実際存在する事態に、心底驚かされたのが正直なところだ。
 その思想の根底には「庶民とは皆同じだよ」との感覚が見て取れる事は私も認識済みだし、一部同感可能でもある。
 一方で子供を産んだ親とて、各自の生活環境・実態に応じ自由な生活を営んで許されるはずなのだ。 おそらく公立学校教員の思想の背景には、子供が歩む背景にいる母親も今一度同じ視点に立て、との思いが内在していたのであろう。 (それに関しても、私は十二分に我が子のサリバン先生として大いに苦悩しつつ今尚人生を歩み続けているのだが、それと母親連中との会話に於いて“タメ口”を避けたい意向とは別問題であろうに…)


 話題がズレたようだが、最後に表題に掲げた「タメ口」の正しい使い方に関しての私論をまとめよう。

 「タメ口」こそが人間関係今後未来の進展の一つの突破口となる事を、私自身が十分に認識・実行している。
 だからこそ、「タメ口」とは“この人と本当に親しくなりたい!”なる、その場面でのみ発しようではないか! 

 その他のシチュエーションに於いては、公私を問わずひとまず丁寧語で相手に接した方がおそらく無難ではなかろうかとアドバイスしたいのが、原左都子の結論である。