原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

5km走れたなら地球上で敵無き境地にまで至れる!

2014年09月09日 | 自己実現
 原左都子にはランニング趣味があることを、本エッセイ集に於いて幾度か公開している。

 ところが4月中旬頃自宅ベランダにて転び、不覚にも左鎖骨と右手首の骨折により全治2ヶ月の重傷を負った後、しばらくはランニング趣味を封印せざるを得なかった。


 両腕骨折後、初めてランニング練習を再開した時に綴り公開した 2014.6.11「骨折後初ランニング練習5㎞完走しました!」とのエッセイの一部を以下に要約して紹介しよう。

 左鎖骨と右手首を骨折し“全治2ヶ月”の医師診断後、明日6月12日でちょうど2ヶ月目を迎える。   将来五輪に出場する訳もなく、たかが一ド素人ランナー(しかも高齢者域)の立場で何も練習再開をそんなに焦らずとも、ゆっくりと骨折の回復を待てばいいというのが大方のアドバイスであろう。 
 ところが一度骨折してみると誰しもお分かり頂けるだろうが、そんな呑気な気分には到底なれないものなのだ。    今日は回復しているだろうかと希望を持って朝起き上がろうとしても、(私の場合右左両腕に2箇所の骨折との最悪条件だったかもしれないが)、起き上がる動作すら簡単には叶わない。 やっとこさ起き上がっても、これまた来る日も来る日も両腕が自由に使えない。
 この状態とは、まるで牢獄にでも入れられている気分だ。 あるいは、独裁政権や歪んだ宗教統制の下に不自由を強いられている市民の感覚と同様だ。  はたまた、老人施設に入居した要介護のお年寄りがケアスタッフの言いなりになり、最悪の場合爪でも剥がれるのかとの恐怖心すら苛まれる。
 「骨折」との過酷な現実を一日も早く脱出しない事には、私はその歪んだ統制下で“不自由を強いられる”事に慣れてしまい、そのうち健全な人格を取り戻そうとの精神力すら失ってしまうであろう…   冗談抜きでそんな恐怖心にすら苛まれていた。  そんな恐怖心の下、我が身に課せられた“踏んだり蹴ったり”の課題すべてを“骨折の身で”一応順調に進めつつ、それでも私は自分自身がやりたい事こそを実践したい思いに駆られていた。
 そして、ついにその一つを成し遂げたのだ!  それは「5㎞ランニング練習」である。 ランニング中とは、上記に示したような“我が身にまつわる(心理内)無理難題”をすべて払拭してくれそうな効用が期待できる故だ。  昨日の5㎞ランニング練習は、正直なところ過去最悪タイムを記録したに過ぎない。
 それでも私自身としては、やっと自分自身の「骨折負傷」より一歩踏み出せた思いである。
 (以上「原左都子エッセイ集」より4月骨折後初めてランニング練習に挑んだ時の思いを公開したもの。)


 その後両腕完治とまでは言えない(今現在尚、右腕関節や左鎖骨周辺に違和感を抱えている)までも、私はジム通いを再開し併設されている室内走路にてランニング練習を再開できるまでに復活した。

 ところが、不幸とは重なるものだ。
 私がジム通いを再開した直後、不運な事にはたまた自宅にて椅子に右足をぶつけ、右足小指を骨折してしまったのだ
 ただ、私はこの事態の公開を一切避け続けるとの手段を採った。 
 と言うのも、周囲から返されるリアクションの程が十分に想像可能であるからに他ならない。 例えば、親に言っても「だから、注意しろとアドバイスしたのに。」なる陳腐な回答が返ってくることぐらい分かり切っている。 そんなアドバイスを受けたとて、自分の生活習慣など変えられるはずがないのだ。 他者よりの専門力無き身勝手な忠告など、一切お断りしたいのが私の信条だ!

 元々医学経験がある私は、1ヶ月が経過すれば足の小指の骨折が完治に向かう事と骨折当初より結論付けた。 下手に整形外科を頼ると、度重なるX線撮影に加えてギブス装着後「一切安静にして下さい」なるアドバイスが医師より下るのが医療現場の常識だ。 そんな不自由を強いられては身が持たないのが、現世を生き抜かねばならない現役世代の宿命であろう。
 私とてまだまだ現役世代と心得ている。 それ故に医療現場には一切頼らず、右足小指骨折部分が触れないサンダルを履いて果敢にも我が郷里に旅に出たりもした。


 そしていよいよ足小指骨折からほぼ1ヶ月が経過し、小指が快方に向かったとの自己診断後、ランニングン趣味の再々開と相成ったのが、昨日の5kmランニング練習だったのだ。

 昨日の東京地方の天候が風の無い涼しい気温に恵まれた事が幸いしたのだが、私は久しぶりにランニング5km練習を完走出来た!
 
 これぞ爽快だったとしか表現しようがない程だ。
 公園内を(デング熱蚊を警戒しつつも)5km走り切れた私である!
 右足指の骨折に関しては、ランニングシューズを履いて公園まで歩いていく道筋よりも、実際に公園内陸上競技場外周をランニングする方が痛みが弱かったとの印象だ。

 それにしても、ランニング趣味とは実に素晴らしい事を再確認させられる思いだ。
  
 還暦近くにして骨折経験を幾度も積んだ原左都子など、今再び5kmを走ってみようかとの思いが描け、それを実行出来る自らの体力と気力を実感可能なランニング趣味を持てた事に感謝感激である。

 まさに地球の上を5km走れる人間とは世に敵無き境地にまで至れそうな感覚を私は抱きつつ、今後共ヘボいながらもランニングを一趣味としてこの世を生き抜いていく事であろう。