原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

著名学者とは常に“堅物人間”を演じねばならないのか?

2014年03月17日 | 時事論評
 朝日新聞土曜日別刷「be」に毎週掲載されている「悩みのるつぼ」のファンである原左都子にとって、意表を突かれる報道をネット上で目にした。

 その報道とは、何でも「悩みのるつぼ」の一回答者であられる社会学者 上野千鶴子氏が担当した過去の同コラム相談回答内容に“不適切な部分”があるとの理由により、山梨市は予定していた上野氏講演会中止決断を下す事態と相成った、なる内容だ。


 ここで原左都子の脳裏に一番最初に思い浮かんだのは、朝日新聞「悩みのるつぼ」コーナーとは、そもそも世の物議を醸し社会問題に発展するがごとくの切迫した議論対象となるべき“物々しい”コラムなのであろうか? との違和感である。

 確かに相談者が未熟な年少者である場合は、回答者はその回答内容に慎重さを要求される要素はあろう。 その種の相談も時折見かけることがある事を私も心得ている。
 ところが「悩みのるつぼ」相談内容の大半とは、いい年こいた大人が“身勝手な自身の過ちを暴露”している実態との感覚が否めない側面もあるのだ。

 そもそも朝日新聞「be」自体が本誌から隔離した“別刷”との場を土曜日に設け、読者の娯楽対象としているものと私は解釈している。
 それ故に「悩みのるつぼ」に於いてもその回答内容とは“娯楽性”があって当然許されるだろうし、もっと発展思考で発言するならば、世の多様性に適応した回答こそが読者の興味や共感を導くものと私は理解している。


 さて先ほどネット情報を検索したところ、今回の山梨市の公演中止判断に対して上野千鶴子氏ご本人が発表されたと思しき情報を入手した。
 その内容の一部を以下に紹介しよう。

 「過去の発言」のやり玉にあげられているのが「悩みのるつぼ」の回答。 「(性的欲求不満のはけ口を)熟女にお願いしなさい」 という回答のどこが問題なのでしょうか。 「依頼」であって「強制」ではありませんし、「相手のいやがることはぜったいにしないこと」 それに「避妊の準備も忘れずに」と書いてあります。 淫行条例に違反するという指摘もありましたが、中学生に性交を禁じる法律はありません。成人が児童(18歳未満)に「みだらな行為」をすることは禁止されていますが、中学生が大人に「お願い」するのを禁じることはできないでしょう。 15歳といえば昔なら元服の年齢。妻を娶ることもできました。この回答を問題視する人達はまさか「結婚まで童貞を守りなさい」とは言わないでしょうね?
 (上野氏著書である)『セクシィギャルの大研究』『スカートの下の劇場』をきちんと読んでみてください。いずれも実証研究にもとづいた、そうは見えないけれど学術書です。『セクシィギャルの大研究』はCM写真の記号論的研究、『スカートの下の劇場』は下着の歴史研究です。いずれのタイトルにも「セックス」も「パンティ」も入っていません。仮に入っていたからといって何が問題なのでしょう?まさか性を論じることがタブーだというのではないでしょうね? 性を論じる人物は、それだけで講師として不適任だと?
 というわけでうえのは「過去の発言」について、天にも地にも恥じるところはありません。しかも以上の「過去の発言」のいずれも今回のテーマである「介護」には無関係です。それを理由に「中止」を決定するのは言いがかりとしか思えません。
 (以上、上野千鶴子氏ご本人の発言と思しきネット情報から一部を引用。)


 上記上野千鶴子氏よりのネット上の「反論」と思しき“挑戦状”を真摯に受け止めたのか、本日3月17日に、山梨県山梨市が社会学者上野氏講演会 「ひとりでも最期まで在宅で」を中止するとした問題に関し、市が中止を撤回し講演会を予定通り明日3月18日に開催することが分かった、との報道だ。

 山梨市によると、中止が報じられた14日以降市民から開催を求める意見が相次いだことから、市の担当者が市長に翻意を促し、一転開催が決まった。 担当者が16日夜、上野さんに電話で伝えた。その際、「介護以外の話をしない」ことを上野さんに確認し、同意を得たという。


 今回の上野氏関連“事件”に関して原左都子が多少懸念するのは、朝日新聞「悩みのるつぼ」への相談者が若齢の15歳少年であった事だ。 
 人生経験をさほど積んでいないと推測可能な少年に対して、「性的ストレスのはけ口として熟女に依存しよう」との上野千鶴子氏の回答は、衝撃が余りにも大き過ぎるのではないかと推測する。 もっと別の観点からの回答も可能だったような思いもある。
 

 ただ、現世とは平均的人種の価値観を超え凄まじいまでに人々が“多様化”しているのが現実でもあろう。

 今回、社会学者であられる上野千鶴子氏が山梨市にて講演する議題とは 「ひとりでも最期まで在宅で」 との内容のようだ。
 高齢化が急激に進んでいる現在の世の中にあっては、種々多様な高齢者が存在してよいに決まっているではないか!
 この原左都子とて今後ますます高齢域に達する状況下で我が身を取り巻くすべての“しがらみ”から解放された暁には、今一度独り身で“青春”を楽しみたい所存だ。

 そんな風に、今後の高齢者とは更なる多様性を追及しつつ年老いて行くべくこの世の実態と私は捉えている。

 その現実に即した場合、上野千鶴子氏が明日(18日)山梨市で行う高齢者相手の講演会に於いても、その講演内容を開催者側が限定するのではなく、上野氏の自由闊達気ままな発言を展開する事こそが高齢に差し掛かっている人々の真の刺戟となるのではあるまいか。