3月11日に勃発した東日本大震災の煽りを受けて、当日から翌日にかけて首都圏では交通網の不通大混乱により1400万人にも上る 「帰宅困難者」(「帰宅難民」とも言われる)が発生した。
東日本大震災の被害とは、巨大津波と福島第一原発事故による放射能汚染が甚大かつ深刻な状況であるため、報道がそれに偏りがちであるのは当然の成り行きであろう。
そんな中、大震災発生より7ヶ月が経過しようとしている昨日(10月9日)夜9時からの「NHKスペシャル」に於いて、“帰宅困難1400万人”と題して当日の首都圏の大混乱の様子や今後の改善策がレポートされた。
あの日首都圏の交通網大混乱がもたらした実態とは、一つ間違えれば二次的大災害が発生しかねない危機一髪の状況だった様子が実写影像を通して伝わると共に、我が大震災当日の経験を生々しくフラッシュバックさせられる思いだった。
大震災当日の首都圏におけるまとまった危機場面の影像をじっくりと見れる機会が持てたのは、私にとっては昨夜の「NHKスペシャル」が初めてだったと思う。
「原左都子エッセイ集」2011年3月バックナンバー 「悪夢の大震災、その時私は…」 と題する記事に於いて、震災発生直後に震度5強の揺れにより室内の置物が部屋中に散乱した写真を掲載し、大震災発生直後の様子をレポートしている。
昨夜の「NHKスペシャル」の中で放映された首都圏のオフィス内で物が散乱する影像は、まさに一人我が家で大揺れに耐えていた時の影像とダブり、当時一時“死”をも覚悟した危機感が蘇る思いだった。
大震災の後、各種報道機関の分析によりビルの上階部では揺れ幅が大きかった事を再認識した。 どうも一戸建て住居や集合住宅の低層階に住む知人の話と集合住宅の上階にある我が家の揺れ方がまるで一致しない事は当時より感じていたのだが、やはり同じ震度でも自分の居場所により揺れ方が大幅に異なる事は既に承知している。
昨夜の映像のオフィス内で、物が部屋中に散乱する揺れ方はまさに我が家と同じだった。
「NHKスペシャル」によると、震度5強の大揺れの直後オフィスビルから外に飛び出た大勢の人々で首都圏の道路は溢れ、ごった返したようだ。 ここにまず人々の「同調意識」の程が見て取れる。
そう言えば、我が集合住宅に於いても第一波の大揺れ直後に家屋の外に飛び出した人々が会話をしている様子を私も自宅内で聞いている。「凄い揺れでしたね!」「沢山物が落ちましたね!」… 等々言っている暇もなく大規模余震が次々と繰り返すのだが、あの人達はその「同調行動」により安心感を抱いてその後自分の部屋へ戻ったのだろうか?
私自身も大震災発生直後に家中の置物が落下するのを目撃した時には「死」を覚悟する程動揺したのは事実だが、その後誰に頼るでもなく生き延びようと自分を奮い立たせたものだ。 まずは“火”と自分の“逃げ場”の点検をした。 そしてベランダに出て外の状況を観察した。(崩壊している建物や火事の発生状況を確認するためだ。) それが一切ない事に安堵した私は、少し冷静さを取り戻したものである。
原左都子にとっての次なる課題は、まさに「帰宅困難者」候補の未成年の我が娘である。 (身内に関しては対等な大人であるためお互い自己責任でこの危機的状況を打破出来るはずと信じ、当日私は1本の連絡もしなかったし、向こうからも無事帰宅するまで何の連絡も無かった。)
昨日の「NHKスペシャル」を見て愕然とさせられたのは、オフィス内に於いて“いい大人”達が「同調意識」に煽られ続け主体性なく行動していることである。
例えばある民間企業の事例に於いては既に大混乱状態の首都圏交通網を鑑み、組織長が「帰宅せず社内に留まる」事を全社員に指示している。 ところが一人の社員が「子どもが心配だから」と帰宅を希望したところ、「そうだよね」と応じてその上司も帰宅しようとし、結局ほとんどの社員が連鎖的に帰宅を志して大混乱状態の首都圏へ放り出されてしまったのだ。
その結果、首都圏の翌日までに渡る1400万人「帰宅難民」を生み出す事となった。
我が家の話に戻ると、原左都子は既に東京12チャンネルTVとNHKラジオ放送を通じて当日16時頃から首都圏の大混乱状態は把握していた。
こういう状況下においても、大抵の場合学校組織とは「保護者が学校まで迎えに来た家庭から子どもを帰します」と言い始める事くらいは我が子幼稚園児の頃より承知している。(この“通り一遍”の学校の指導で、悲しい事に巨大津波地方では多くの児童や保護者の犠牲者が出ている事は皆さんもご存知であろう。)
ところが首都圏は既に道路も大渋滞だ。 そもそもこれ程巨大な地震が発生した以上、今個々人が居る場の安全が確保できるのならば、そこに留まる事が最善の安全策であると既に確信していた。
そんな私にとって幸いだったのは、学校の「緊急連絡網」が通信網の大混乱により届かなかったことである。 我が娘とは16時半頃より私からのパソコンメールにより、娘の携帯に連絡が途切れ途切れではあるが通じるようになった。 もしも娘が私にどうしても学校まで迎えに来て欲しいと言うならば何が何でも行ってやるつもりでいた矢先、娘から「どうやら学校で泊まれるらしい」との連絡が入った。 こういう場合、自分は理想的な親だと自覚し、他者からもそう評価して欲しい親ほど学校へすぐさま迎えに行くのであろうか? 実は原左都子も迷った。 ただ私が出した結論とは、ここはドンと構えて娘も私も生き延びよう!ということだった。
そして私は娘に対し「学校が今夜泊まっていいと言ってくれるならば、それが一番安全だからそうしなさい。」と指示し、娘は学校の体育館で“銀紙”のようなブランケット一枚で一夜を明かし、翌日昼頃復旧した交通網で無事に自宅まで帰ってきた。
娘の話によると、当日学校の体育館で一夜を明かした生徒は全体の1割強だった模様だ。 多くの親達はたとえ深夜や朝方になろうと大渋滞を耐えて学校まで迎えに来たとのことだ。
3月11日の大震災当日に娘を学校まで迎えに行かなかった私は“冷血失格親”なのだろうか?? 私が知らない処で、もしかしたらそういうレッテルを貼られて後ろ指を指されているのであろうか???
それでも私は周囲に同調はしない! あくまでも自分自身の状況判断力と決断力の下、今後も我が子を育ててつつ親子共々この世に健全に生き延びて行きたいと欲している。
昨夜放映された「NHKスペシャル」においても、同様の結論が導かれていた。
人の「同調意識」とは、時に危機的状況をもたらすものである。
例えば3月の大震災時に於いても、混乱を余儀なくされた道路を負傷者を運ぶ救急車が大渋滞にはまってしまった。 今回首都圏においては震災に伴う大規模火災が発生しなかったのは幸運だった。 だが今後大震災によりこのような交通網の混乱が再び引き起こされた場合、必ずや消防車が道路の大渋滞に巻き込まれ、街全体が焼き尽くされるごとくの大火災が発生することはNHKが分析せずして目に見えている。
「同調意識」とは“平和な日常”が繰り返す空間においては、その平和を維持増強するエネルギーを発揮する源である事を私も否定はしない。
だが一旦自然災害等の予期せぬ事態が発生した場合、人間は安易に「同調意識」になど頼って行動している場合ではない事は歴然である。
どうもこの国は、時代が移り変わり人々を取り巻く事情が大きく変遷しているにもかかわらず、学校教育が集団主義から脱却できず旧態依然としたまま軟弱である事を私は以前より憂慮している。
ここは昨日の「NHKスペシャル」の結論として導かれた通り、少しは国民一人ひとりに“有事の際”に自ら考え行動できるごとくの「主体性」を身に付けさせるべく、教育を展開する時期ではなかろうか。
東日本大震災の被害とは、巨大津波と福島第一原発事故による放射能汚染が甚大かつ深刻な状況であるため、報道がそれに偏りがちであるのは当然の成り行きであろう。
そんな中、大震災発生より7ヶ月が経過しようとしている昨日(10月9日)夜9時からの「NHKスペシャル」に於いて、“帰宅困難1400万人”と題して当日の首都圏の大混乱の様子や今後の改善策がレポートされた。
あの日首都圏の交通網大混乱がもたらした実態とは、一つ間違えれば二次的大災害が発生しかねない危機一髪の状況だった様子が実写影像を通して伝わると共に、我が大震災当日の経験を生々しくフラッシュバックさせられる思いだった。
大震災当日の首都圏におけるまとまった危機場面の影像をじっくりと見れる機会が持てたのは、私にとっては昨夜の「NHKスペシャル」が初めてだったと思う。
「原左都子エッセイ集」2011年3月バックナンバー 「悪夢の大震災、その時私は…」 と題する記事に於いて、震災発生直後に震度5強の揺れにより室内の置物が部屋中に散乱した写真を掲載し、大震災発生直後の様子をレポートしている。
昨夜の「NHKスペシャル」の中で放映された首都圏のオフィス内で物が散乱する影像は、まさに一人我が家で大揺れに耐えていた時の影像とダブり、当時一時“死”をも覚悟した危機感が蘇る思いだった。
大震災の後、各種報道機関の分析によりビルの上階部では揺れ幅が大きかった事を再認識した。 どうも一戸建て住居や集合住宅の低層階に住む知人の話と集合住宅の上階にある我が家の揺れ方がまるで一致しない事は当時より感じていたのだが、やはり同じ震度でも自分の居場所により揺れ方が大幅に異なる事は既に承知している。
昨夜の映像のオフィス内で、物が部屋中に散乱する揺れ方はまさに我が家と同じだった。
「NHKスペシャル」によると、震度5強の大揺れの直後オフィスビルから外に飛び出た大勢の人々で首都圏の道路は溢れ、ごった返したようだ。 ここにまず人々の「同調意識」の程が見て取れる。
そう言えば、我が集合住宅に於いても第一波の大揺れ直後に家屋の外に飛び出した人々が会話をしている様子を私も自宅内で聞いている。「凄い揺れでしたね!」「沢山物が落ちましたね!」… 等々言っている暇もなく大規模余震が次々と繰り返すのだが、あの人達はその「同調行動」により安心感を抱いてその後自分の部屋へ戻ったのだろうか?
私自身も大震災発生直後に家中の置物が落下するのを目撃した時には「死」を覚悟する程動揺したのは事実だが、その後誰に頼るでもなく生き延びようと自分を奮い立たせたものだ。 まずは“火”と自分の“逃げ場”の点検をした。 そしてベランダに出て外の状況を観察した。(崩壊している建物や火事の発生状況を確認するためだ。) それが一切ない事に安堵した私は、少し冷静さを取り戻したものである。
原左都子にとっての次なる課題は、まさに「帰宅困難者」候補の未成年の我が娘である。 (身内に関しては対等な大人であるためお互い自己責任でこの危機的状況を打破出来るはずと信じ、当日私は1本の連絡もしなかったし、向こうからも無事帰宅するまで何の連絡も無かった。)
昨日の「NHKスペシャル」を見て愕然とさせられたのは、オフィス内に於いて“いい大人”達が「同調意識」に煽られ続け主体性なく行動していることである。
例えばある民間企業の事例に於いては既に大混乱状態の首都圏交通網を鑑み、組織長が「帰宅せず社内に留まる」事を全社員に指示している。 ところが一人の社員が「子どもが心配だから」と帰宅を希望したところ、「そうだよね」と応じてその上司も帰宅しようとし、結局ほとんどの社員が連鎖的に帰宅を志して大混乱状態の首都圏へ放り出されてしまったのだ。
その結果、首都圏の翌日までに渡る1400万人「帰宅難民」を生み出す事となった。
我が家の話に戻ると、原左都子は既に東京12チャンネルTVとNHKラジオ放送を通じて当日16時頃から首都圏の大混乱状態は把握していた。
こういう状況下においても、大抵の場合学校組織とは「保護者が学校まで迎えに来た家庭から子どもを帰します」と言い始める事くらいは我が子幼稚園児の頃より承知している。(この“通り一遍”の学校の指導で、悲しい事に巨大津波地方では多くの児童や保護者の犠牲者が出ている事は皆さんもご存知であろう。)
ところが首都圏は既に道路も大渋滞だ。 そもそもこれ程巨大な地震が発生した以上、今個々人が居る場の安全が確保できるのならば、そこに留まる事が最善の安全策であると既に確信していた。
そんな私にとって幸いだったのは、学校の「緊急連絡網」が通信網の大混乱により届かなかったことである。 我が娘とは16時半頃より私からのパソコンメールにより、娘の携帯に連絡が途切れ途切れではあるが通じるようになった。 もしも娘が私にどうしても学校まで迎えに来て欲しいと言うならば何が何でも行ってやるつもりでいた矢先、娘から「どうやら学校で泊まれるらしい」との連絡が入った。 こういう場合、自分は理想的な親だと自覚し、他者からもそう評価して欲しい親ほど学校へすぐさま迎えに行くのであろうか? 実は原左都子も迷った。 ただ私が出した結論とは、ここはドンと構えて娘も私も生き延びよう!ということだった。
そして私は娘に対し「学校が今夜泊まっていいと言ってくれるならば、それが一番安全だからそうしなさい。」と指示し、娘は学校の体育館で“銀紙”のようなブランケット一枚で一夜を明かし、翌日昼頃復旧した交通網で無事に自宅まで帰ってきた。
娘の話によると、当日学校の体育館で一夜を明かした生徒は全体の1割強だった模様だ。 多くの親達はたとえ深夜や朝方になろうと大渋滞を耐えて学校まで迎えに来たとのことだ。
3月11日の大震災当日に娘を学校まで迎えに行かなかった私は“冷血失格親”なのだろうか?? 私が知らない処で、もしかしたらそういうレッテルを貼られて後ろ指を指されているのであろうか???
それでも私は周囲に同調はしない! あくまでも自分自身の状況判断力と決断力の下、今後も我が子を育ててつつ親子共々この世に健全に生き延びて行きたいと欲している。
昨夜放映された「NHKスペシャル」においても、同様の結論が導かれていた。
人の「同調意識」とは、時に危機的状況をもたらすものである。
例えば3月の大震災時に於いても、混乱を余儀なくされた道路を負傷者を運ぶ救急車が大渋滞にはまってしまった。 今回首都圏においては震災に伴う大規模火災が発生しなかったのは幸運だった。 だが今後大震災によりこのような交通網の混乱が再び引き起こされた場合、必ずや消防車が道路の大渋滞に巻き込まれ、街全体が焼き尽くされるごとくの大火災が発生することはNHKが分析せずして目に見えている。
「同調意識」とは“平和な日常”が繰り返す空間においては、その平和を維持増強するエネルギーを発揮する源である事を私も否定はしない。
だが一旦自然災害等の予期せぬ事態が発生した場合、人間は安易に「同調意識」になど頼って行動している場合ではない事は歴然である。
どうもこの国は、時代が移り変わり人々を取り巻く事情が大きく変遷しているにもかかわらず、学校教育が集団主義から脱却できず旧態依然としたまま軟弱である事を私は以前より憂慮している。
ここは昨日の「NHKスペシャル」の結論として導かれた通り、少しは国民一人ひとりに“有事の際”に自ら考え行動できるごとくの「主体性」を身に付けさせるべく、教育を展開する時期ではなかろうか。