本日(9月21日)午後、大型台風15号は東海地方に上陸した模様だ。 このまま強い勢力を保ったまま北上を続け、私が住む関東地方も暴風域に入りそうだ。
それにしても、今年ほど日本国中が自然災害に見舞われ続ける年も珍しいのではあるまいか?
冬の北の地方の豪雪被害を始まりとして、3月には未曾有の東日本大震災の発生、その後も各地で大雨洪水被害に見舞われ、つい先だっても大型台風12号の停滞により100名以上の死者・不明者の犠牲者を出している。 それに追い討ちをかけるかのごとくの今回の台風15号の上陸である。
昨日、台風12号の猛威により大打撃を受けた地方に住む後期高齢者で一人暮らしの我が母に電話で様子を伺ったところ、母が言うには「ここ1ヶ月程、ずっと大雨ばかりの毎日のような印象」とのことだ。
ただ、幸いな事に我が母が住む実家は洪水や土砂災害とは無縁の地にあるため、避難指示・勧告が出されるでもなく母は一人で気丈に屋内に待機している様子だ。
それでも、大雨の都度母が住む家屋の裏側にある幅1メートル程の水路をゴーゴー音を立てて濁流が通過するらしい。 私は母に釘を刺して曰く、「決してそれを外に見に行かないように。 いつの台風時にも自分の田畑を心配して外に出たお年寄りが、必ずや水路に流され行方不明になったり死体で発見されている。 自分の田畑を災害から守りたいその切実な思いは重々分かるが、これぞ自殺行為だ。」
加えて悲惨なことに、自治体の避難指示に従っての避難中に川の洪水氾濫に流され命を失う犠牲者が後を立たない現状でもある。
そこで母が住む自治体地域の避難体制がどうなっているのかに関しても質問した。 そうしたところ、母の地域ブロックでは災害時の避難体制に関して明確かつ詳細なマニュアルが規定されているとのことだ。 我が母のような一人暮らしの年寄りがヨロヨロと一人で避難している途中に予期せぬ被害に遭遇する事態を避けるため、指定された若年層の人物が家まで足労してくれ一緒に避難所まで同行してくれるシステムとなっているようだ。 避難指示が出てその指定人物が家まで迎えに来てくれた時におたおたして迷惑をかける事なく直ぐに出発できるよう、常に非常持ち出しリュックに必需品を入れて避難体制を万全に整えている、との母の回答だ。
「さすが私の母! それは“お利口さん”だね!」と私が返すと、「初めて○子(私のこと)に褒められたよ」との返答だ。 いやいや、決して母を日頃馬鹿にしている訳ではないが、台風被害の多い地域に住んでいる以上は、たとえ一人暮らしの年寄りとてこれ位の被害に対する自覚なくして自分の命を守れないという事であろう。
(それに対して大都会に住む私の地域などそもそも“地域”自体が形骸化しているし、災害避難体制のマニュアルなど何もないことを実感させられるなあ…)
そうこうしているうちに現在我が家の外でも風雨が強まるばかりである。 先程自宅のベランダで育てている2本の枇杷の木が強風にあおられて転倒したため、それを安全な場所に移すべくベランダに出た私こそが飛ばされそうになるし、わずか30秒位の間に大雨に打たれて全身ビショビショ状態だ。 もう外に出ることは避け、室内で待機しよう。
こんな時に原左都子の過去の台風被害経験を語っている場合でもないのだが、我が小学生の頃に台風の被害により自宅が床下浸水に見舞われた事がある。
台風が過ぎ去った後も黄土色浸水の水が引かない状態なのだが、それはまだ幼い私の目にはまるで周囲が突然海にでもなったかのごとくのミラクル世界として輝かしく映ったものである。
我が家は床下浸水被害だったため、床上浸水を被った家屋と比較した場合一見さほどの被害はなさそうに子供心には感じたものだ。(実はそうではなく、たとえ床下とて一旦家屋が浸水被害に見舞われた場合、当時の不衛生状況を考慮すると相当の被害が後々残ることとなるのだが…… )
そんな幼き私が姉と共に台風直後に取った行動を、今となっては空恐ろしい感覚と共に懐かしく思い出すのだ。
我々姉妹が何をしでかしたと言うと、事もあろうにその一見“黄土色のミラクル海”に旅に出たのである。
幼き姉妹の膝下が黄土色の水に浸かるその“ミラクル海”には、大いなる発見があったものだ。 いつもメダカやフナやザリガニしかいない近くの小川には、どこから流れ着いたのかは不明だがガチョウやアヒルがいた! 「へえ、台風ってこんなものも持って来てくれるんだね!」などと姉と共に感激しながら“黄土色の海”をかき分けつつ自宅に戻り着けたのは幸いだったのだろう。
後で考察してみるに、当時の我が郷里はいずこの家庭もトイレは汲み取り方式である。 そして下水道も整備されていなかった現状を今省みるに、よくぞまあ“黄土色の海”に旅立って無事に帰還でき、その後も感染症に罹患しなかったものである。
まさか時代が進化した現在においては、周囲が台風の被害で浸水したからと言ってその“一時の海”に旅に出る子ども達など皆無であろうし、そうではない事と信じたいものだ。
それにしても国民の皆さんは、昨今の自然災害の規模が世界の科学技術の発展及び経済発展のマイナス面での悪影響と同時進行で甚大化している現状を実感されているであろう。
そんな地球上に現在生命を営んでいる我々は、今後何をするべきなのであろう???
コロコロと短命で移り変わる政権に迎合することなのか?
自治体が避難しろと指示したら、川が氾濫しているにもかかわらず避難して命を失うことなのか??
学校の文化祭で指定校推薦を取った生徒が好き放題展開する出し物に素直に従う事なのか???
これ程までに時代が変遷して自然災害の規模が甚大化している世界に生きている我々が、今後もこの地球上で生き延びたいのならば、そろそろ国民の一人ひとりが自分自身の問題として今後の生き様を主体的に考えていこうよ。
それにしても、今年ほど日本国中が自然災害に見舞われ続ける年も珍しいのではあるまいか?
冬の北の地方の豪雪被害を始まりとして、3月には未曾有の東日本大震災の発生、その後も各地で大雨洪水被害に見舞われ、つい先だっても大型台風12号の停滞により100名以上の死者・不明者の犠牲者を出している。 それに追い討ちをかけるかのごとくの今回の台風15号の上陸である。
昨日、台風12号の猛威により大打撃を受けた地方に住む後期高齢者で一人暮らしの我が母に電話で様子を伺ったところ、母が言うには「ここ1ヶ月程、ずっと大雨ばかりの毎日のような印象」とのことだ。
ただ、幸いな事に我が母が住む実家は洪水や土砂災害とは無縁の地にあるため、避難指示・勧告が出されるでもなく母は一人で気丈に屋内に待機している様子だ。
それでも、大雨の都度母が住む家屋の裏側にある幅1メートル程の水路をゴーゴー音を立てて濁流が通過するらしい。 私は母に釘を刺して曰く、「決してそれを外に見に行かないように。 いつの台風時にも自分の田畑を心配して外に出たお年寄りが、必ずや水路に流され行方不明になったり死体で発見されている。 自分の田畑を災害から守りたいその切実な思いは重々分かるが、これぞ自殺行為だ。」
加えて悲惨なことに、自治体の避難指示に従っての避難中に川の洪水氾濫に流され命を失う犠牲者が後を立たない現状でもある。
そこで母が住む自治体地域の避難体制がどうなっているのかに関しても質問した。 そうしたところ、母の地域ブロックでは災害時の避難体制に関して明確かつ詳細なマニュアルが規定されているとのことだ。 我が母のような一人暮らしの年寄りがヨロヨロと一人で避難している途中に予期せぬ被害に遭遇する事態を避けるため、指定された若年層の人物が家まで足労してくれ一緒に避難所まで同行してくれるシステムとなっているようだ。 避難指示が出てその指定人物が家まで迎えに来てくれた時におたおたして迷惑をかける事なく直ぐに出発できるよう、常に非常持ち出しリュックに必需品を入れて避難体制を万全に整えている、との母の回答だ。
「さすが私の母! それは“お利口さん”だね!」と私が返すと、「初めて○子(私のこと)に褒められたよ」との返答だ。 いやいや、決して母を日頃馬鹿にしている訳ではないが、台風被害の多い地域に住んでいる以上は、たとえ一人暮らしの年寄りとてこれ位の被害に対する自覚なくして自分の命を守れないという事であろう。
(それに対して大都会に住む私の地域などそもそも“地域”自体が形骸化しているし、災害避難体制のマニュアルなど何もないことを実感させられるなあ…)
そうこうしているうちに現在我が家の外でも風雨が強まるばかりである。 先程自宅のベランダで育てている2本の枇杷の木が強風にあおられて転倒したため、それを安全な場所に移すべくベランダに出た私こそが飛ばされそうになるし、わずか30秒位の間に大雨に打たれて全身ビショビショ状態だ。 もう外に出ることは避け、室内で待機しよう。
こんな時に原左都子の過去の台風被害経験を語っている場合でもないのだが、我が小学生の頃に台風の被害により自宅が床下浸水に見舞われた事がある。
台風が過ぎ去った後も黄土色浸水の水が引かない状態なのだが、それはまだ幼い私の目にはまるで周囲が突然海にでもなったかのごとくのミラクル世界として輝かしく映ったものである。
我が家は床下浸水被害だったため、床上浸水を被った家屋と比較した場合一見さほどの被害はなさそうに子供心には感じたものだ。(実はそうではなく、たとえ床下とて一旦家屋が浸水被害に見舞われた場合、当時の不衛生状況を考慮すると相当の被害が後々残ることとなるのだが…… )
そんな幼き私が姉と共に台風直後に取った行動を、今となっては空恐ろしい感覚と共に懐かしく思い出すのだ。
我々姉妹が何をしでかしたと言うと、事もあろうにその一見“黄土色のミラクル海”に旅に出たのである。
幼き姉妹の膝下が黄土色の水に浸かるその“ミラクル海”には、大いなる発見があったものだ。 いつもメダカやフナやザリガニしかいない近くの小川には、どこから流れ着いたのかは不明だがガチョウやアヒルがいた! 「へえ、台風ってこんなものも持って来てくれるんだね!」などと姉と共に感激しながら“黄土色の海”をかき分けつつ自宅に戻り着けたのは幸いだったのだろう。
後で考察してみるに、当時の我が郷里はいずこの家庭もトイレは汲み取り方式である。 そして下水道も整備されていなかった現状を今省みるに、よくぞまあ“黄土色の海”に旅立って無事に帰還でき、その後も感染症に罹患しなかったものである。
まさか時代が進化した現在においては、周囲が台風の被害で浸水したからと言ってその“一時の海”に旅に出る子ども達など皆無であろうし、そうではない事と信じたいものだ。
それにしても国民の皆さんは、昨今の自然災害の規模が世界の科学技術の発展及び経済発展のマイナス面での悪影響と同時進行で甚大化している現状を実感されているであろう。
そんな地球上に現在生命を営んでいる我々は、今後何をするべきなのであろう???
コロコロと短命で移り変わる政権に迎合することなのか?
自治体が避難しろと指示したら、川が氾濫しているにもかかわらず避難して命を失うことなのか??
学校の文化祭で指定校推薦を取った生徒が好き放題展開する出し物に素直に従う事なのか???
これ程までに時代が変遷して自然災害の規模が甚大化している世界に生きている我々が、今後もこの地球上で生き延びたいのならば、そろそろ国民の一人ひとりが自分自身の問題として今後の生き様を主体的に考えていこうよ。