原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

俳優 向井理 の自信の根源をいじくる。

2011年09月10日 | 時事論評
 俳優 向井理氏 といえば、今を時めく“旬”真っ盛りの日本の男優であろう。

 私がこの人物の存在を知ったのは、昨年社会現象にもなったNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で氏が漫画家水木しげる役を演じるのを見たのが最初であった。
 その後今年のNHK大河ドラマ「江」にも、主人公 江 の3番目の夫徳川秀忠役として出演中である。

 この向井理氏が、昨日(9月9日)のNHK昼の番組「スタジオパークからこんにちは」のゲストとして登場した。
 
 ここで原左都子の個人的な嗜好について話すと、世間が騒ぐ程には特段この人物に魅力を感じてはいない。
 ただ、何故世間一般の女性陣が向井理氏を好むのかを理解できる気はするのだ。
 何と言っても外見的容姿に恵まれている。 長身で均整の取れた体型に童顔小顔の容貌…。 特にその童顔の容貌には、久しく日本のドラマ界には出没していない母性本能をくすぐるかのようなオーラが発散されているのを見て取れる。
 そして氏が醸し出す雰囲気もその容貌に釣り合っていて、女性陣は氏が発するオーラにコケティッシュな魅力を感じ取っているのではなかろうか?

 ところが私が世間が騒ぐ程には向井氏になびけないのは、この“一見柔らかく優しげな独特の雰囲気”が多少鼻に付く故である。
 向井氏が“醸し出す”と表現したが、これが天然に醸し出されているのか、あるいは本人が意識して演出しているのかは不明である。
 昨日の「スタジオパークからこんにちは」においても、相変わらずこの“一見柔らかく優しげな独特の雰囲気”を醸し出しつつ言葉流暢にアナウンサーとの会話を展開していた。

 その向井氏の独特の雰囲気の裏に、私はいつも“横柄とも表現できる自信の程”を感じ取り嫌気がさしてしまう。
 これが芸歴数十年のベテラン俳優であれば私とてそれを容認できるであろう。 ところが向井氏の場合29歳という若さ、そして芸能界においてさほどの芸歴がないにもかかわらずこの自信の程は一体何なのか??、との懐疑心を抱いてしまう私はやはり天邪鬼か?

 「原左都子エッセイ集」2010年9月バックナンバー「ゲゲゲの女房が高視聴率だった訳」に於いても、私は向井氏を批判的に論評している。 その内容を以下に少し振り返ってみよう。
 「ゲゲゲの女房」が高視聴率だった事に関する一番多いメディア論評とは、水木しげる氏を演じた俳優 向井理氏 の存在感であるようだ。 確かに向井氏の容姿は“朝ドラ”の中心的ファンであろう熟年女性を引きつける一種コケティッシュな魅力があることに私も同意する。 ところが私が多少懸念するのは、この人気のフィーバーふりは、何だか“熟年女性の韓流男優への一過性の感染症”と同様であるに過ぎないのではないだろうかという点である。
 向井氏が自らの学位論文(?)で高い評価を受けた過去の“自伝”を私は承知しているが故に、氏が学問研究を極めるよりも、持ち前の容姿を利用して簡単に成功を勝ち取れる俳優稼業の道に“逃げた”との思いが否めないでいるのだ。 私も過去において学者を目指した端くれだからこその考察なのだが……
 生涯研究者として生き抜くより、一時役者としてフィーバーする方が簡単に世に名を売れるし、とりあえず金儲けできそうだものねえ~。 だたその後の人生の安泰という意味で未だ28歳の貴方の今回の選択はどうなのだろうね、向井さん?? そういう意味で意地悪くも貴方の今後の役者としての生命力に興味がある私でもあるよ~。
 私論としてはこの番組が高視聴率をゲットした理由とは、専業主婦役として始終控え目な演技で水木氏役の向井氏をバックアップし続けた主役松下奈緒氏が、自分に与えられた役柄を冷静に解釈して演じ切ったこそであると結論付ける。
  
 上記バックナンバーの自らの記載を読み直してみて、私が向井理氏を受け入れられない一番の理由はその後半部分にあることを再確認した。
 現在は俳優業という厳しい芸能の世界で、向井氏が今の地位をゲットしたのは茨の道程だったことだろう。 ただそれならば、向井氏にとっての過去の栄光でしかない学位を自分のバックグラウンドとしてメディアに公言する必然性は何もなかったのではあるまいか? いや、向井氏が方向転換した矛先がその論文と間接的にでも繋がっているのならばそれを表ざたにする意味合いも少し理解できるが、現在向井氏が演じている数々の役柄は理学関係の氏の論文とは何ら接点がないことは明白だ。 
 こういう人種に限って、俳優業が下降線を辿り始めた場合、元の専門に戻ろうとするよねえ~。 ただ、日々科学技術革新が激しい今の時代においてはそれは不可能であろうね。
 それから申し訳ないが、私は貴方が俳優として売れない時期にヌードを披露していることもネット情報として入手している。 それは貴方が自分の過去の専門分野を捨て去り芸能界で生き抜くことに体を張った故であろうが、それならば尚更過去の学位を公表するのはやめてよ。  私も含めて過去の学位取得者が迷惑するから…。


 昨日の「スタジオパーク」においてはさすが生番組故であろうか、一見冷静沈着そうな向井理氏にも若さ故の失言が幾つかあった。

 例えば氏は過去に共演した女優氏や一緒に写真集を創った女性カメラマン氏を、「ちゃん」付けで呼ぶ癖があるようだ。 例えば「じゅりちゃん」「みかちゃん」のごとく…
 これは公共放送においてはやはりまずいであろう。 貴方が熟年男優であるならいざ知らず、20代にしてこの表現を用いると、私のようなおばさんには(もうねんごろの仲なのかな~~??)という意地悪い印象しか抱けないものだよ。 この場合、公共放送番組に於いては相手の女性の立場も考慮して「上野さん」「蜷川さん」と表現するべきであろう。

 そして「好きな女性のタイプは?」との視聴者からの質問に対して「自分とはタイプの異なる女性」との趣旨の回答をし、その理由として「タイプが異なる女性の場合そういう考え方もあると受容できる」と向井氏が応えたと記憶している。 これはさすがに20代らしく、若くて可愛かったね~~~。  ところが人間とは皆多様性を内面に秘めていてそもそもタイプ分け不能であり、年齢を重ね自分の思考の幅が広がるにつれ他者が持っている多様性を受け入れられるようになるものだよ、向井さん。

 「ボランティア活動が自己満足でいい」との向井氏の発言に関して番組の最後に視聴者から同調意見が寄せられたが、これに関してはもう少し議論されるべき課題であると原左都子は捉える。
 向井氏位の若い世代の場合、自分が何かを成し遂げそれに自らが感動する経験こそが大事とのその向井氏の論理は許されるのかもしれない。
 ただ私論としては、ボランティア活動の被対象者である相手側の“ありがた迷惑”や周囲の反響までをも視野に入れ、活動の目標到達度を是非共検証して欲しい思いだ。 ボランティア提供者側の自己満足がもたらす影響に対する後々までの責任を取れて初めて、ボランティア活動とはこの世に存続し続けられるのではあるまいか?
 (これに関しては、時を改めて私論の詳細を公開したいものである。)


 向井理さん、貴方には俳優としての大いなる展望があるようですので今後のご活躍を見守っていますよ!  
Comments (6)