原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

東京都下の街 狛江市青年教室に実った「いなほ」

2011年09月05日 | 自己実現
 (写真は、東京都狛江市青年教室が毎年夏に発刊している会員冊子「いなほ」。 左が本年度ご郵送いただいた「いなほ」の写真ページ。 右が昨年度の「いなほ」の表紙。)


 東京都狛江市青年教室(通称「狛プー」)の活動の一端に関しては、昨年の秋にも本エッセイ集において紹介させていただいている。
 私が「狛プー」とご縁を持つきっかけとなった発端とは、「原左都子エッセイ集」2007年10月バックナンバー「70年代ディスコサウンドで踊ろう!」を昨年秋にネット上で検索された方がコメントをお寄せ下さったことに遡る。

 そのコメンテイター氏がコメント欄で書かれた内容によると「70年代ディスコ大会を開催したい」とのご意向だ。 元よりダンス好きな私であるし、70年代に東京新宿、六本木界隈のディスコを好き放題網羅した私は大いに賛同申し上げた。
 このコメンテイター氏が「狛プー」の講師であられた関係で、昨年秋に狛江市民祭の催し物の一つとして実際にディスコ大会が開催されるに至ったのである。 それに私も参加させていただいた様子をバックナンバーに綴っている。

 ここで少しその時の様子を、本エッセイ集2010年11月バックナンバー「コミュニケーションが息づく街狛江」を要約することにより振り返ることにしよう。

 東京新宿駅から発着している小田急線の狛江駅(新宿駅から約20分程度の所要時間であろうか?)に降り立った私は、何やら街が活気付いている雰囲気を既に察知していた。それもそのはずである、今日は周辺で「狛江市民祭」が開催されているのだ。
 駅から程近い狛江市役所に到着すると、そこはお祭りの屋台や各種バザールの出展と共に市民が溢れ、身動きが出来ない状態である。 中央公民館の「ディスコ会場」へ急ぎたい私は人波をかき分けつつ、ちょうど特設ステージから発せられる来賓(もしかしたら狛江市長さんだったかも??)と思しき人物の祝辞のような挨拶を見聞した。
 「狛江市とは首都東京に位置し都心から近いにもかかわらず、自然にも恵まれ市民活動が活気付いている市です。こんな自治体は大都会東京において貴重な存在です。我が市が大き過ぎない規模であり恵まれた立地条件であるからこそ毎年毎年市民祭を開催でき、大勢の市民が集まってくれます。こんなこと、今や大都市の自治体では実施不可能でしょう。」 
 まったくその通りであろう。
 私自身、都心に転居して以降はこのような自治体祭は経験していない。 現在居住している区においても区民祭は実施されているようではあるが、子どもが大きくなっている今となっては参加するきっかけも機会もないのが現状だ。
 今回「狛江市民祭ディスコ大会」に参加させていただいたことにより、私は(コメンテイターの)講師氏はじめ、狛江市青年教室主宰者の社会教育主事であられるI氏やそのメンバーである狛江市の青年の皆さんより大いに刺激を頂いたのだ。 在籍している青年層を主体とした「狛プー」のメンバーの皆さんも、私にとってはまるでひと昔前の若者に遭遇したごとく活き活きと青年教室の諸活動に取り組んでおられるのである。 
 大都会暮らしが長く、加えて人間関係が希薄化した今の殺伐とした世の中の現状に染まり過ぎて、ある意味ではそのマイナスの免疫力を得そうになっていた原左都子にとって、都心に程近い場所に確かな生命力を宿している「狛江青年教室」という一コミュニティが息づいている現状に今回触れることが出来た思いは、まさに新鮮そのものである。


 上記の「狛江市民祭ディスコ大会」に参加させていただいた後、「狛プー」とは疎遠となっている私である。
 それでもネットを通じてその活動の一部を垣間見せていただきつつ、オピニオン発信をライフワークとしている私は、時折地域コミュニティ活動のあり方に関するコメントメール等々を送信させていただいていた。
 その後、現在「狛プー」の中心的人物兼講師として活動していらっしゃるE氏より、今年の「いなほ」をご郵送いただけるとのメールを頂戴した私は喜んでご好意に応じる事にしたのだ。
 そしてご郵送いただいたのが上記の写真の「いなほ」である。


 地方自治体の「青年教室」に於ける活動の実態とは、その内容が何であろうと“テキトー”に何かをやっていれば凌げる程度のレベルで、とにかく人が集まる事に意義があるものと捉えていた。
 ところが本年度の「いなほ」を拝見した私は、自分の考えが甘過ぎた事に反省させられたのだ。
 本年度「狛プー」に於いて、その活動の一環として“狛江市制施行40周年いかだレース”に参加した様子の写真集を拝見した。 それによると、いかだ「狛プー号」制作準備の周到さ(専門家を講師に招いての船の浮力の計算等専門性の高さ等も含めて)から始まり、制作した「狛プー」号を車の上部に搭載して会場の多摩川まで現地入りする様子、いよいよ本番間際の緊張感、そしていざ進水後の多摩川の流れが予想以上に速い中でのレースの様子、見事完走して32位と大健闘した結果、はたまた極めつけはその後河原で親睦会のバーベキューを楽しむ様子が、現地で観戦していない私にもリアルに伝わってきた。

 なるほど、なるほど、現在の青年教室とはその講座のレベルの幅が広い事を認識させられる思いだ。 単に誰でもが時間を過ごせるような旧態依然とした通り一遍の催し物を提供したところで、人が集まりにくいのであろうことを実感させてもらえたこの「いかだレース」である。 
 多様化している人の個性に対応するべく様々な講座を提供することにより、青年教室等の地域コミュニティはより多くの市民の参加が望め活性化が可能となる事であろう。
 上記写真の左には「講師のいない料理教室」なる活動内容の写真があるのだが、これなどは市民の老若男女が“カレーライス”を作って皆で一緒に楽しく食している講座の風景である。 この種の誰でも参加できそうな講座も共存させつつ日々活動している「狛プー」の様子を堪能させてもらえた今回の「いなほ」である。 (その他の行事として、キャンプやゴスペル、専門家を招いた講習会等々「狛プー」の活動は多岐に渡っているようだ。)


 現在の「狛プー」に於ける中心的人物であり講師でもあられる25歳の青年E氏が、今後の「狛プー」にかける思いをエッセイとして綴った文章が「いなほ」に掲載されていた。
 最後に、その一部を原左都子の勝手な解釈でアレンジして紹介しよう。

 今の時代、人がコミュニケーションを取る事自体が困難であろう。若者はネットに走る時代であり、実際に生身の人が集う場である青年教室に若者が集まりにくい時代背景である。 それでも僕(E氏)は自治体の青年教室である「狛プー」に真剣に取り組み市民に広げていきたいのだ。
 「狛プー」とは1992年より長年続く青年のための居場所であるが、今までは年配の学者の方や教育主事の方々等のご厚意によるバックアップにより成り立ってきたのが実情である。 その経緯に大いに感謝申し上げたいのは当然の事である。 だが、人の居場所とは先生から何かを教えてもらう場ではなく、別に建設的でなくても何となく居心地がいいから行きたい場であろうと思う。
 「狛プー」がやりたい事って何なの?と聞かれるが、その答とは「皆で楽しくやる!」という事だと思う。 ただし、何もないところから「じゃあ仲良くなりましょう」と言うのはシュール過ぎる。 共通の体験をしたり、話題のきっかけを提供したり、思い出を共存できるような何気ない風景の下でお互いがその空間にいるところから出会いが始まり、いろんな人間関係が生まれていく、そんな人間交差点こそ「狛プー」でありたい。

 25歳のEさんの、青年教室というコミュニティの本来あるべき姿を十分に分析された上での熱い思いに、原左都子も大いに賛同申し上げる。

 今後益々の「狛プー」のご発展を心よりお祈り申し上げます。 
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