原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

鳩山さん、「国民に聞く耳がなかった」ですって?

2010年06月03日 | 時事論評
 一国の首相の口から、今までにこんな辞任演説を聞いたためしがない。

 自分は新政権の首相として最大限の努力をしたのに、「国民が聞く耳を持たなくなってきた」から辞任に追い込まれるはめになったのですって??
 へえ~~、鳩山さんの論理に従うと今回の辞任は国民のせいなんだね~。


 昨日(6月2日)、新政権の鳩山由紀夫首相は午前中に開催された民主党の両院議員総会に於いて辞任する意向を表明した。
 その際の「辞任表明演説」を昨日のテレビニュースや新聞報道で見聞した原左都子の耳に一番ひっかかったのが、上記の「(我々政権与党はしっかりと仕事をしてきているのに)国民が聞く耳を持たなくなってきてしまった」のフレーズである。
 夏の参院選も近いのに、こんなところで国民を敵に回してていいの?? と感じつつも、結局は参院選での票取り目的に徹した昨日の自党擁護の辞任演説にはこの期に及んで辟易とさせられる私である。


 その民主党両院議員総会における“我が身息災”“手前味噌”の自党擁護を趣旨とした「鳩山辞任表明演説」を、私論「( )内」を交えつつここで少し振り返ってみることにしよう。

 「昨年の夏の国民の判断は決して間違っていなかった。こんなに若いすばらしい国会議員がすくすくと育っているのは皆さんのお陰だ。」 
 (この種の手前味噌な話を辞任演説の冒頭で披露する首相も珍しいなあ。 そう言えば、我が身息災に“肝炎患者”を救おうとして立候補した単なる目立ちたがり屋の福田ナンタラ氏との若手女性議員が、小沢氏の縁故のみに頼って何の力もないのにのさばっているのは知っているが、数の原理で集められたその他の民主党新人が国民のために活躍する姿を未だかつて目にしたことがないのだが…)

 「子ども手当ても高校無償化もスタートした。子どもに優しい、未来に魅力ある日本に変えていくべき私たちの判断は間違ってない。」
 (子ども手当てに関しては当初より財源の破綻を省みない票取り目的の“カネのばら撒き”でしかないとの批判意見が多かった。原左都子も今尚“カネのばら撒き政策”には断固として反対の立場である。  結局はマニフェストに違反して半額支給、しかも今後の継続支給の目途も立っていない現状を如何に捉えているのか。 それよりも優先するべきは経済政策及び雇用対策であったはずだ。“カネのばら撒き”で国民をさらに堕落させようとしている責任を今後どう取るつもりなのか。)

 「私はしばしば宇宙人と言われる。私は今の日本の姿ではなく、5年、10年、20年先の日本の姿を描いているから、国民には私が何を言っているのかがわからず、宇宙人のように映るのではないのか」
 (鳩山さん、貴方はやはりセレブの域を少しも超えられていない。 そんな悠長な考え方で経済面、雇用面で混沌としている今現在の日本の首相など到底務まる訳がない。今の社会が置かれている現実を直視できて即刻現状を変革する力量がなければ、現時点での日本の首相など務まらない。 現実社会の厳しさを知らない貴方は、そもそも一国の首相に相応しい人材ではなかった。 そうだからこそ首相としての最後の辞任演説の場で「国民が聞く耳を持たなくなった」などとの国民批判失言をしてしまうのであろう。)
 
 「普天間問題」における社民党の政権離脱の痛手を痛感している点と、「政治とカネ」問題の責任を取るべく小沢氏も幹事長辞任に同意させたのは評価できるが、これとて“時既に遅し”である。 
 夏の参院選直前のこの時期の辞任では、野党をはじめ国民からも“票取り狙いのパフォーマンス”に過ぎないと揶揄されても致し方ないであろう。「衆院解散総選挙」を示唆されてもやむを得ない事態である。


 今回の新政権の鳩山首相と小沢幹事長の退陣を惜しむ見解は、今のところどこにも見当たらない。
 
 例えば私論とほぼ同意見の 作家 高村薫氏 の見解を、朝日新聞記事から要約して以下に紹介しよう。
 せっかく政権交代をしたのに、かっての自民党と同様の党首のすげかえに至って残念だ。 鳩山氏は首相の資質として容認できる限界を超えていた。普天間問題に象徴されるように、当てのないことを内外に公言してしまうのは社会人としての資質を疑うほど深刻な問題だ。 新政権は「政治主導」を掲げたが、蓋を開けてみれば高速道路、郵政は逆行し、公務員制度改革は進まない。 結局は小沢幹事長が取り仕切る「ニュー自民」に過ぎなかった。鳩山さん自身も限界だったろうが、私たちも忍耐の限界だった。


 最後に私論でまとめよう。
 
 原左都子は元々“無党派層”であり、特段の支持政党はない。
 そんな私が昨夏の衆院選民主党圧勝を当初より大いに懸念していたのは、そのマニフェストの理想像があまりにも “素人もどき” であると選挙以前より分析していたからに他ならない。  マニフェストの実行不確実性故に、昨夏政権交代を果たした民主党政権はおそらく短命に終わるであろうとも予測していた。
 だからこそ、民主党の政権政党の“未熟さ”に対する我が内面から湧き出てくる大いなる嫌悪感をエネルギーに、「原左都子エッセイ集」において民主党はじめ新政権に対する“バッシング記事”をこの8ヶ月間に渡って何本も綴り続けて来たのである。

 それにしても、そんな原左都子にしても、昨日の鳩山氏と小沢氏の早すぎる退陣劇には心底驚かされた。
 もしも今後、民主党が党首をすげ替えてでもまだ政権を担いたいと志すならば、今度こそは選挙の票取り目的ではない“真に国民に支持される”政党に生まれ変われることを意図した党首及び幹部の選択を志して欲しいものである。
 民主党はこの8ヶ月間の過ちを決して再現してはならない。真摯に心を入れ替えて生まれ変わるべきである。 貴方達の失策をずっと注視してきている国民の目や耳は聞こえなくなったのではなく、むしろ肥えてしまっているのだ。
 (どう考察しても民主党内の人材不足が否めないようだが、大丈夫なのだろうか…
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