(写真は、つい最近の私。娘の洋服を借りて撮影。不明瞭処理をしています。)
一昨日、テレビのNHKの歌番組で“阿久悠”特集を見た。普段テレビをほとんど見ない私であるが、30歳代でカラオケに凝り始めてから阿久悠の歌詞の情の世界に絆されるようになり、今ではすっかり阿久悠のファンであるため、この特集番組は気合を入れて見て一緒に歌った。
その中で今回圧巻だったのは、山本リンダのあの年齢(60歳が近い)にしての“ナイスバディ”である。
私は、自分よりも若い世代の方々が美しくてナイスバディであることに関しては“当然”のこととして捉えており、特に羨望等の感覚は抱かない。片や、自分より年配の方々が美しくナイスバディであるのを目にすると、ついついライバル意識をメラメラと燃やしてしまうのだ。
今回はすっかり山本リンダにはまった。目指すは60歳にしてのあのナイスバディだ! 私も60歳に及んだ時にまだあの手の衣裳を着て手足を出して歌って踊れる“ナイスバディ”のキープを目指すぞ! (勝手にやってろ、って??)
冗談はさておき、世間には年齢を重ねていくことに抵抗感がある人々が少なからず存在するようである。私から見れば十分若いにもかかわらず「若い頃に戻りたい」と言う人がいれば、「人生をもう一度やり直したい。」という人さえいる。
ところが、私にはこういった“若さ”に対する郷愁じみた感覚が今はもちろんのこと、昔から一切ないのだ。
20歳になった時よりも30歳になった時の方が、私にとってはよほど感慨深かった。20歳代の10年間での自己成長ぶりが30歳時点において十分実感できたからである。当時は女がまだ独身でいると“オールドミス”だ何だと言って後ろ指をさす人もいる時代だったが、そんなもの勝手に言わせておけばよいし、まだまだ我が人生の輝かしき未来に多くの夢を描いていた私にとっては、そういう世間の馬鹿げた低俗な価値観に関してはまったく無関心であった。
ちょうど40歳の時に癌を患った折に、私は人生において初めて“死”らしきものと直面した。その時、私の頭を巡ったのは“私の人生は40年だったか。いい人生だった。”というしみじみとした感慨だった。決して感傷的で捨て鉢な気持ちからではなく、本心でそう思えたのだ。当時まだ1歳だった我が子以外には、この世にほとんど未練はなかった。当時、(母としての立場以外では)私の40年間の人生は、それはそれで完結していたからである。それだけ常時、自分自身が納得できる日々を生き抜いて来ている自負が私にはあった。
そして50歳を過ぎてまだ生き長らえている現在も、口先では“老いぼれちゃってね”などと自分を卑下しているふりをして周囲を立てリップサービスをしつつ、内心では虎視眈々と日々益々の成長を目指している自分がここに確かに存在するのだ。
上記に書いた“ナイスバディ”ならぬ体型のキープの話も、実は冗談抜きで私の日々の成長目標のひとつである。“ナイスバディ”が目標のひとつなどと書くと、それも若さへの郷愁なのではないかと反論される方もいよう。
これについて簡単に論説すると、例えば昔はナイスバディだったのに現在はメタボにどっぷりと漬かっていらっしゃる方が元のナイスバディに戻りたいとすれば、それは一種の郷愁であるのかもしれない。
ところがあいにくで申し訳なのだが、私の場合、若かりし頃の体型を何十年来もそのまま保ち続けているため、それを60歳になっても(それ以降も)キープしていたいというだけのことである。いわば現状の体型維持の努力の話であり、若返りたいという思想とは異質のものと私自身は考えている。
何事であれ若かりし頃から継続していることを年老いて尚持続するためには、尋常ではない努力を要するものだ。ナイスバディ(何をもって“ナイスバディ”というかについては人それぞれ多様ではあろうが)に関しても、持って生まれた体質部分の割合は小さく、普段からのたゆまぬ努力の結果であろう。
現在の体型を何歳まで保てるのか、実は自分でも興味深いのだが…。
ずい分と体型にこだわっている奴だと感じられる方もいらっしゃることであろうが、“体型”とはまさに、個人の努力により保ち続けていけるものの中でも目立つ要素であるため、万人にわかりやすいと考えて、今回敢えて取り上げてみたまでである。
体型は一例に過ぎず、私は今後の長い人生を充実して生き長らえるためのあらゆる方面での努力を日々続けているつもりである。
時間、空間を超えた自分なりの美学、哲学を持ち続けたいものである。
今回の記事では、長生きがすばらしいことについての私論をまとめる予定でいたのだが、またまた“ナイスバディ”への寄り道が長過ぎたようである。
さらに次回へ話を続けることにしよう。
一昨日、テレビのNHKの歌番組で“阿久悠”特集を見た。普段テレビをほとんど見ない私であるが、30歳代でカラオケに凝り始めてから阿久悠の歌詞の情の世界に絆されるようになり、今ではすっかり阿久悠のファンであるため、この特集番組は気合を入れて見て一緒に歌った。
その中で今回圧巻だったのは、山本リンダのあの年齢(60歳が近い)にしての“ナイスバディ”である。
私は、自分よりも若い世代の方々が美しくてナイスバディであることに関しては“当然”のこととして捉えており、特に羨望等の感覚は抱かない。片や、自分より年配の方々が美しくナイスバディであるのを目にすると、ついついライバル意識をメラメラと燃やしてしまうのだ。
今回はすっかり山本リンダにはまった。目指すは60歳にしてのあのナイスバディだ! 私も60歳に及んだ時にまだあの手の衣裳を着て手足を出して歌って踊れる“ナイスバディ”のキープを目指すぞ! (勝手にやってろ、って??)
冗談はさておき、世間には年齢を重ねていくことに抵抗感がある人々が少なからず存在するようである。私から見れば十分若いにもかかわらず「若い頃に戻りたい」と言う人がいれば、「人生をもう一度やり直したい。」という人さえいる。
ところが、私にはこういった“若さ”に対する郷愁じみた感覚が今はもちろんのこと、昔から一切ないのだ。
20歳になった時よりも30歳になった時の方が、私にとってはよほど感慨深かった。20歳代の10年間での自己成長ぶりが30歳時点において十分実感できたからである。当時は女がまだ独身でいると“オールドミス”だ何だと言って後ろ指をさす人もいる時代だったが、そんなもの勝手に言わせておけばよいし、まだまだ我が人生の輝かしき未来に多くの夢を描いていた私にとっては、そういう世間の馬鹿げた低俗な価値観に関してはまったく無関心であった。
ちょうど40歳の時に癌を患った折に、私は人生において初めて“死”らしきものと直面した。その時、私の頭を巡ったのは“私の人生は40年だったか。いい人生だった。”というしみじみとした感慨だった。決して感傷的で捨て鉢な気持ちからではなく、本心でそう思えたのだ。当時まだ1歳だった我が子以外には、この世にほとんど未練はなかった。当時、(母としての立場以外では)私の40年間の人生は、それはそれで完結していたからである。それだけ常時、自分自身が納得できる日々を生き抜いて来ている自負が私にはあった。
そして50歳を過ぎてまだ生き長らえている現在も、口先では“老いぼれちゃってね”などと自分を卑下しているふりをして周囲を立てリップサービスをしつつ、内心では虎視眈々と日々益々の成長を目指している自分がここに確かに存在するのだ。
上記に書いた“ナイスバディ”ならぬ体型のキープの話も、実は冗談抜きで私の日々の成長目標のひとつである。“ナイスバディ”が目標のひとつなどと書くと、それも若さへの郷愁なのではないかと反論される方もいよう。
これについて簡単に論説すると、例えば昔はナイスバディだったのに現在はメタボにどっぷりと漬かっていらっしゃる方が元のナイスバディに戻りたいとすれば、それは一種の郷愁であるのかもしれない。
ところがあいにくで申し訳なのだが、私の場合、若かりし頃の体型を何十年来もそのまま保ち続けているため、それを60歳になっても(それ以降も)キープしていたいというだけのことである。いわば現状の体型維持の努力の話であり、若返りたいという思想とは異質のものと私自身は考えている。
何事であれ若かりし頃から継続していることを年老いて尚持続するためには、尋常ではない努力を要するものだ。ナイスバディ(何をもって“ナイスバディ”というかについては人それぞれ多様ではあろうが)に関しても、持って生まれた体質部分の割合は小さく、普段からのたゆまぬ努力の結果であろう。
現在の体型を何歳まで保てるのか、実は自分でも興味深いのだが…。
ずい分と体型にこだわっている奴だと感じられる方もいらっしゃることであろうが、“体型”とはまさに、個人の努力により保ち続けていけるものの中でも目立つ要素であるため、万人にわかりやすいと考えて、今回敢えて取り上げてみたまでである。
体型は一例に過ぎず、私は今後の長い人生を充実して生き長らえるためのあらゆる方面での努力を日々続けているつもりである。
時間、空間を超えた自分なりの美学、哲学を持ち続けたいものである。
今回の記事では、長生きがすばらしいことについての私論をまとめる予定でいたのだが、またまた“ナイスバディ”への寄り道が長過ぎたようである。
さらに次回へ話を続けることにしよう。