原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

美味しい酒を楽しむために

2007年11月24日 | 
 小さい声で言うが、私は飲兵衛である。
 元々酒には相当強い体質であるようだが、ありがたいことに加齢と共に急激に酒に弱くなっていることについては既述の通りである。(当ブログ9月の「飲兵衛はつらい?!」をご参照下さい。)

 酒とは皆さんも既によくご存知の通り、いくら好きでもめくらめっぽう浴びるほど飲んでよいというものではない。そんな事を続けていたら直ぐに健康を害してしまう。やはり、酒とは自分なりの理念を持って飲むべきものである。

 酒には効用がある。その効用は人それぞれ異なるであろうが、私にとっての酒の効用は頭を休めることにある。どうも、私の頭はいつもいつも働き過ぎているようだ。“働き過ぎている”などと言うと語弊があるので言い直すと、雑念がすこぶる多いということだ。この雑念、時には役に立つのだが、頭が休まらないのだ。私にとってはこの雑念を毎日振り払う手段と時間が必要なのだ。すなわち、私にとっての酒の効用はその日の自分の頭を“リセット”することにある。

 それでも、酒はやはり人々の健康にとって害になる。酒を飲み続けたい人は自分の体を客観的に捉えることから始めなければならない。すなわち、自分のアルコール限度量を把握しておくべきなのだ。肝臓の弱い人の飲酒はもっての他だ。

 では、自分のアルコール限度量を知るためにはどうすればよいのか。実はこれはアルコールに弱い人の方がそれを知るのが簡単だ。これ以上飲んだら健康状態が怪しくなる量を把握すれば良いからだ。
 私自身も、自分を客観視できる余裕には程遠かった若かりし頃は、その時の気分に任せて飲んだくれる事が多かった。 ところが、加齢と共に酒にめっぽう弱くなった今では、自分のアルコール限度量が把握できるのだ。その限度量を守ることが毎日飲み続けられる秘訣である。

 もうひとつの飲兵衛の秘訣は、飲むからには自分を信じて飲むことであると私は考える。アル中についての報道は数多い。まずは、自分がアル中であるかどうかの判断も肝心である。私自身のアル中の判断は、酒が自分の日常生活に差し支えているか否かである。自分はアル中ではないとの確信が持てるならば、酒害に怯えつつ飲むよりも、安心して酒に身を委ねて飲むことが飲兵衛の秘訣ではないかと私は常々考えている。

 どういう訳か、昨今を通して文化人には飲兵衛が多いことも事実である。
 そんなことで飲兵衛の自分を正当化するのは邪道であることは承知の上ではあるが、私はやっぱり、美味しいお酒を一生飲み続けることも今後のささやかなひとつの夢である。
 
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