原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

プラトンの「イデア論」

2007年11月23日 | 学問・研究
 今日は、プラトンから命名した娘の14回目のバースデー。
 素直に、着実にあなたらしく成長してくれてありがとう。
 14歳になったあなたに、母からブラトンの「イデア論」を贈ります。
  


 紀元前4世紀に古代ギリシャのアテナイにアカデメイアを創設した哲学者プラトンの関心は、一方の永遠普遍なものと他方の流れ去るものとの関係にあった。プラトンは自然界や社会の中で何が永遠普遍なのかに興味をよせた。プラトンは永遠で変わることのない「本当の世界」をとらえようとした。何が永遠に真理であり、善であり、美しいのかを示そうとした。
 プラトンは私たちが自然の中で触れたり感じたりできるものはすべて「流れ去る」と考えた。感覚世界に属するものはすべて時間に侵食されてしまう。だが、すべてのものは時間を超えた「型」に従って創られている。この「型」は永遠で普遍である。
 プラトンが永遠で普遍と考えたこの「型」は抽象的なひな型であり、それをもとにあらゆる現象が型どられるひな型である。プラトンは私たちの身の回りにあるあらゆるものの背景には限られた数の原型があるはずだ、との結論に達した。そしてこの原型をプラトンは「イデア」と名付けた。この考え方がプラトンの「イデア論」だ。
 感覚世界にあるものはすべて、つかの間のものでしかない。動物も植物も衰えていき、いつかは死ぬ。岩石だってゆっくりと朽ちていく。私たちは変化するものについての確かな知を入手することはできない。触れたり感じたりできる感覚世界のものに関して、私たちは曖昧なドクサ(意見)しか持てない。私たちがエピステーメー(確かな知)を持てるのは、理性でとられることができるものについてだけなのだ、とプラトンは考えた。理性は永遠で普遍であり、永遠で普遍にかかわることしか語らない。私たちが知覚するもの感覚するものに関して、私たちは曖昧な意見しか持てない。だが、理性で認識するものに関しては確かな知に達することができることをプラトンは示そうとした。(だから、「イデア」は日本語では「理性」と訳されたりもしている。)
 私たちは何かの陰を見たら、この陰の元にあるものがこの陰を投げていると考える。でも、確信はない。それで、私たちは振り向いてその陰の正体を確認する。その正体は陰よりもずっとクリアで輪郭もはっきりしている。プラトンは、自然界のすべての現象は永遠普遍のひな型(イデア)のただの陰だと考えた。残念なことにほとんどの人々はその陰の中の人生に満足しきっている。一部のソフィスティケイトされた人にしかこのイデアは見えない。プラトンはそう語っている。(プラトンはこの話を「洞窟の比喩」として説明している。)


  参考文献 : ヨースタイン・ゴルデル著「ソフィーの世界」1995年
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