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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子エレクトーン演奏第二弾 「男と女」

2019年09月08日 | 音楽







 上記は本日先ほど当該gooに先立ち、Facebookに先行公開した我が1982年演奏の「男と女」。

 昨日公開した「太陽に吠えろ! メインテーマ」とは、その演奏手法が異なる。

 「太陽に吠えろ!」の場合、エレクトーンD700にあらかじめ備わっている「自動演奏機能」等をふんだんに使用しての演奏だった。
 元々の曲想もあるが、かなり派手目の演奏が叶ったのはその機能をフル活用したお陰でもある。
これを使用すると、実力よりも完成度が高そうな仕上がりになるのが特徴だ。
 片や、その機能を使用するには予備知識が十分に必要となる。 エレクトーンの仕様書を見つつの格闘だったものだ。 加えてあらかじめプログラミングを要し、それを機内に入れ込まねばならない。 演奏中も楽曲の展開に合わせて、あちこちのレバーやキー操作が必要となる。
 まさに曲の途中で、両手両足フル活用の演奏風景となる。 曲想が変わる時に少し演奏が出遅れたりするのは、その操作が素早く成せなかったせいだ。
 最後のトレモロ部分で音程が上がってしまったのも、最後の操作にとまどっているうちに鍵盤を押す指が動いてしまった故だ。


 これに比し本日公開の「男と女」は、オーソドックスに両手両足で完全マニュアル演奏したものだ。 
 参考だが、エレクトーン演奏の基本は、右手が主旋律、左手が伴奏、左足はベース担当、そして右足は音量調節とリズムのスタート・ストップ係を担当する。 まさに、両手両足がフル稼働の演奏となる。

 参考だが、エレクトーンは初心者入門時より、右手・左手・左足同時練習に入る。 まさにこの三者が連動してこそのエレクトーン演奏である故だ。
 右足の音量やリズム操作は、その他三者がかなり出来て後の課題だ。

 上記の「男と女」は1982年の演奏・カセットテープ収録であるため、私としてはベテラン域に入って後の作品だ。 故に、音量調整やリズムスタート・ストップ作業も上手くいっている。


 ここで話を原点に戻そう。

 何故私が今頃になって、過去のエレクトーン演奏をブログにて公開しようと志したのかと話せば。
 先だっての8月中旬に、我が最愛のエレクトーンD700を廃棄処分した事実に遡る。
 その後しばらく心に空洞が出来たまま、猛暑の夏を過ごしたのだが…

 そうだ! 過去に録音してある我がエレクトーン演奏曲集を聴こうではないか! と9月になって思い立ったのだ!

 早速、カセット保存書棚より我がエレクトーン演奏曲集を探すと、3本(曲数にして100曲分程)が確かにそこに存在していた。
 次は、カセットプレーヤーだ。
 我が家には大小合わせて4台のカセット対応可能なプレーヤーがある故に、どれか一つぐらいは再生可能と信じて疑っていなかった。
 ところが、年月の経過とは無常だ……
 結果としては亭主保存の一番立派なコンポが聴けるには聴けるのだが、「配線が面倒、ナンタラカンタラ…」とのご回答… その気持ちも分かるが…
 後の我がコンポも中型プレーヤーも小型プレーヤーも、すべてが“故障状態”だった…
 娘のプレーヤーは、そもそもCDのみ対応機…

 やむを得ない、買おう!
 との事で早速購入したのが、冒頭映像の小型カセット・コンバーターだ。
 この機種は、パソコンに繋いでカセット録音内容をデジタル変換可能な機種である。 ただ、私としてはその作業は二の次にしたい。
 白い小型スピーカーに関しては、1年程前に音楽スタジオにてフルート練習の際にウォークマンに接続して利用する目的で購入していた。
 これをこのコンバーターに接続すれば、すぐにでも再生可能だ!

 次なる課題は、如何にgooブログへ公開するか、だ。
 これに関しても少し前にFacebookが我が映像を自主作成してくれた時に、goo本文中に掲載したことを思い起こした。
 まずFacebookへ公開したものを、gooに貼り付ければ済む。

 これが大正解で、昨日午後、第一弾の「太陽に吠えろ! メインテーマ」を公開する事が実現した。

 
 今後の我がエレクトーン趣味の方向性だが。
 今時、いくらでも過去のマニュアル機種程高額ではない“デジタル商品”が販売されている事実を熟知している。
 ただ、やはりしばらくはあの素人向け“マニュアル機最後の傑作”といわれたエレクトーンD700の余韻を楽しみたいものだ。
 その自分の演奏をカセットテープに収録していたとの我が粋な業を、今になっては褒めたい思いだ。
 

原左都子エレクトーン演奏版「太陽に吠えろ!メインテーマ」

2019年09月07日 | 音楽








 上記原左都子エレクトーン演奏「太陽に吠えろ! メインテーマ」は、先程Facebookに先行投稿した動画を当該gooブログに転写したものです。


 1983年我が28歳時に私自身が毎週テレビにて聴いた当該曲を。
 一切譜面に頼らずして、自らの耳にて捉えた楽器の音源を、エレクトーン演奏用に自力で編曲演奏しカセットテープに録音した作品です。

 これを本日この形で公開するに当たり、一昨日から“てんやわんやの一人芝居大騒ぎ”でした。

 何とこさ公開に持ち込めてとりあえず安心、といったところです。


 その詳細や、この曲をエレクトーンで弾いた当時のいきさつ・光景等に関しましては、後程追記させていただきます。


 参考ですが、ご覧の通り貧弱なスピーカーにての収録のため、左足演奏の「ベース音」が一切録音されていません。 
 この「ベース音」こそがエレクトーン演奏の醍醐味ですのに、とても残念無念です… 


 

昼下がりのチェンバロコンサート

2019年09月03日 | 音楽


 (上記のごとく、本エッセイは当該gooブログに先立ち今朝Facebookに先行公開済みです。
 参考のため、写真上から、昨日のチェンバロコンサートパンフレットより一部を掲載したもの。 下段左と下段中は文化センター前の森及び文化センターの建物。 そして右下は、先だって廃棄処分した我が愛用品だったエレクトーンD700。)


 皆さんは、チェンバロという楽器をご存知であろうか?
 弦を「プレクトラム」という爪で弾いて音を出す鍵盤楽器だ。

 このチェンバロソロコンサートが、昨日我が家から一駅で行ける場所に存在する文化センターホールにて開催された。
 これが、な、な、何と無料コンサートで、申し込みも何も必要無し!

 エレクトーン経験があり、現在はフルートにてバッハ組曲演奏等々を楽しんでいる(現在少し休息中だが)私が、行かない訳がないではないか。

 そして、ホールまで出かけてみると。

 開演前20分頃に到着したにもかかわらず、会場内が既に満員に近づいているではないか!
 「無料」に惹かれたのか、あるいは、今回の出演者であるチェンバロ奏者 中村恵美氏が人気者なのか?? 
 私の推測では、はやり前者であろう。 と言うのも、来場者のほとんどが高齢域の人々だったのだが…

 さてそのチェンバロ奏者 中村恵美氏は、若き女性音楽家の例外ではなく、実にお美しい。
 スリム体型にしてチェンバロを長時間奏でる体力の程も、女性音楽家たちの例外ではない。

 しかも昨日の演奏会では、演奏のみならず、楽器チェンバロや演奏曲目の紹介も中村氏ご本人から十二分に解説があったため、私のようなチェンバロ素人にとっても、十分に勉強になった。


 それらの中村恵美氏の解説の中から、我が記憶にある情報を少し紹介しよう。


 まずは、チェンバロとの楽器に関して。

 16世紀頃に初めて作られたチェンバロだが、その頃のチェンバロを「ヒストリカル・チェンバロ」と称するらしい。
 それに対し、中村氏が好んで演奏されているのがその後作られた「モダン・チェンバロ」とのことだ。
 現在演奏会等で多用されているのは、前者の「ヒストリカル・チェンバロ」なのだそうだが、こちらは音色の切り替えが演奏中に出来ないのが特徴のようだ。
 それに対し「モダン・チェンバロ」は演奏中に音色操作が可能で、その操作により多彩な楽曲が演奏可能なため、中村氏はこちらを好んで演奏会に使用しているとのことだ。


 この説明を中村氏より拝聴し、我が過去のエレクトーン演奏趣味を思い起こした。
 
 エレクトーンとの楽器も、演奏中に音色やリズムを変える事によりまるでオーケストラのごとくの壮大な演奏が可能な代物なのだが。
 この私が“エレクトーンD700”にとことんこだわって購入したのもそれこそが理由だった。
 エレクトーンD700は、素人向けとしてはマニュアル機の最高機種(80万円也!)と誉れ高いエレクトーンなのだが、その音色やリズムのバリエーションの程が素晴らしかったものだ。
 更には記憶機能も装備されていて、それを駆使する事により一人で右手・左手・右足・左足の総動員により、まさにオーケストラサウンドを作り出せた楽器だ。
 当時の私はこれにはまったものだ。
 私なりの最高傑作として、当時のテレビヒット番組だった「太陽に吠えろ!テーマ」楽曲を、我が耳で捉えた暗譜により、このエレクトーンD700にて創り上げたものだ。 (この楽曲の録音を今尚カセットテープに保存してあるが、当時その録音を聴いて今は亡き郷里の父親が大絶賛してくれた記憶がある。)


 話題を、昨日のチェンバロ演奏に戻そう。

 上記写真に昨日の「プログラム」を公開しているが。

 その中で、私が一番心を揺さぶられたのは、最後から2曲目のリゲティ作曲「ハンガリアン・ロック」だ。

 この楽曲に関しては、演奏者の中村氏から事前に説明があった。
 チェンバロと言えば古典音楽をイメージする方々も多い中、現代音楽こそにこのチェンバロを通してに是非ともチャレンジしたく思いそれを実現した、との言及だった。

 これが、実に我が耳にも素晴らしく響き渡った。
 実に感動的なロックを、チェンバロにて聴かせてもらえたまたとはない経験だった。


 それにしても私が(好き嫌いにかからわず)所属せねばならない自治体が、こんな洒落たコンサートを実施している事実に接し今後見捨てたものではないと再認識させて頂いた。

 今回のチェンバロコンサートの来席者は、高齢者が9割であったことは冒頭に述べた。
 それは良しとして。
 
 あの……。 
 いくら無料コンサートと言えども、演奏中ずっと居眠り(“いびき”すら聞こえる…)するのならばご自宅にて休まれては如何だろう…… 
 この現象、もしかしたら高齢御夫婦にて来場しているところに問題があるのではなかろうか? どちらかの趣味に付き添って二人で来場しているからのこの失態現象だろう。

 誰も誘う人が無い場合、たとえ高齢域であろうがその趣味があるお一人で、素晴らしい演奏を堪能されるべきじゃないのか?!? 

ありがとう!さよなら! 我がエレクトーン D700

2019年08月08日 | 音楽
 (写真は、私が1980年頃購入したヤマハ エレクトーンD700。 今回のエッセイを綴るつい先程撮影したもの。)


 
 冒頭より、2012.10.15公開の「若かりし頃の趣味リバイバルはいかが?」の一部を引用させていただこう。

 私が未だ独身だった24歳~29歳頃までの約5年間、電子オルガン(早い話が“エレクトーン”であるがこれはあくまでもヤマハの一商品名)演奏を音楽趣味の一つとしていたことに関しては、本エッセイ集バックナンバー “音楽カテゴリー”等に於いて幾度か紹介して来ている。 
 重ねて、2007年9月バックナンバー 「資格は取りゃいいってもんでもないが…」 に於いて、当時ヤマハが実施していた“エレクトーン演奏グレード”検定試験に9級からチャレンジし、6級まで取得していることも既述した。
 参考として、この資格を一庶民が6級まで取得したところで社会的に身を助ける程の“食い扶持”とはならない性質の資格試験であることは百も承知の上だったが、自己鍛錬の意味合いで私は段階を得つつ資格試験にチャレンジし続けた。 
 当時、私はヤマハ大人の教室でエレクトーン「集団・個人指導」(後に「完全個人指導」に移行)を受講していた。
 我が個人指導担当先生がおっしゃるには、若いうちに“グレード7級”程度以上を取得しておくと、たとえその後ブランクがあっても少し練習すれば“一生ものの趣味”として後々音楽を楽しめる、とのアドバイスでもあった。♪♪
 その7級までは調子良く各級を段階的にクリアしてきた私だが、6級受験に至った後難儀したもの、その結果合格に至った。 
     (途中大幅略。)
 昨日(2012年の話だが)の日曜日、私は久しぶりに我がエレクトーンを開けた。
 上記写真の通り、内側は美しさを十分に保っている我がエレクトーンである。 と言うのも、いつかは再演奏したいとの思いと共に手入れを欠かしていないためであろう。
 ただ購入後既に30年の歴史と共に、幾度の引越しにも耐え抜いている我がD700機が完全であるはずはない。 過去に一度ヤマハにメンテナンスをお願いしたところ、部品保存の理由でこれが修繕最後との通告も受けていた。 それから既に十数年の年月が流れている。
 我が家の(上記写真)エレクトーンD700型(約80万円也)とは、過去に於ける「マニュアル機種」としては庶民が自宅用に購入する機種の中では最高レベルであったものと私は捉えている。(これを20代後半頃、ボーナス一括払いで購入した事に関しても記述済みだ。)
 その後まもなく、エレクトーンの歴史もデジタル世界へと移り行くこととなる。
 昨日、そのD700機種の蓋を開けて何年かぶりに再演奏を試みると、手入れの良さによるのかなかなか調子が良い。 20分程練習を繰り返していると、昔取った杵柄と表現するべきか、以外や以外私の両手両足が自然と動くではないか!
 今後はエレクトーン演奏も、レトロなマニュアル機種により我が趣味の一つとして復活しそうだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を再掲載したもの。)



 このD700機種は、私が購入したエレクトーンの2台目だった。

 1台目は、エレクトーンを習い始めて直ぐの24歳時に購入している。 確か“D50”機種だった記憶があるが、その後すぐにD700が発売されるまでの間、素人用エレクトーンとしては最高峰の商品だった。

 ある日、エレクトーン教室を訪れると1台の新型機種D700が教室内にド~~~~ンと“物凄い存在観”で置かれている。 早速教官が演奏を披露してくれると、ド迫力の音量だ!
 それに圧倒された私が呆然としつつ演奏に聞き惚れていると、教官が私に「今日はこれで練習していいですよ。」と言って下さるではないか!!
 この教室の説明をすると、「少人数の集団個別レッスン」と言うべきだろうか。 教室内の4,5名の生徒がそれぞれのエレクトーンをヘッドホン着用にて練習しているのを指導教官が順番に回りつつ、教官に演奏を披露する時にはヘッドホンを外すために、全員に演奏が聞こえるとのシステムだ。

 要するに、各々の演奏能力の程は周囲の生徒皆が把握している。
 そんな中、教官が私にD700機種での演奏を勧めてくれたということは、暗黙の了解として教室内で私の演奏が一番優れているのを皆が認めていたという事だ。 私自身は決してそれ程の自信は無かったが、確かに一番“やる気がある熱心な生徒”だったことには間違いないだろう。


 とにかく私はD700機種を一度弾いただけで病みつきとなった。
 こうなると、もうD50などで練習できやしない。

 そして、早速“エレクトーン買替作戦”に入った。
 20代半ばにして、消費税や運送料込みで80万円を超過する大型買い物だったが、これを“夏のボーナス一括払い”にて売買契約した。
 その時、ローン会社より保証人を立てて欲しいとせがまれ、郷里の親の氏名や電話番号を契約書に記載させられた。
 そうしたところ、早速郷里の親どもより電話が掛かって来るではないか!
 (参考だが、そもそも貯蓄が趣味の私であるし、加えて当時勤務していた企業が急成長株の優良医学企業でありボーナスが年間9か月分支給されていたため、一度のボーナスで80万超円を一括払いで軽々と支払えるのに…  何でローン会社は、上京以降経済面で何らの世話にもなっていない郷里の親どもなどに電話をするのよ! と怒り心頭だったものだ!
 親の電話に応えて、「ちょっといいエレクトーンを買ったのよ。 余裕で自己資金で支払えるから何の心配も要らないよ。」と返答しておいた。


 その後2度目の大学進学計画と並行して、残念ながらエレクトーン個人レッスンは終了した。
 それでも、事ある毎にD700とは関わって来ている。

 30代半ばで高校教員に採用された際、私は迷いなく「音楽部」の顧問を引き受けた。
 音楽部とは言えども、男子生徒数グループによる「ロックバンド」の練習の場だったのだが。 その中の一グループから文化祭の舞台での演奏時に「キーボード」を担当して欲しいと嘆願され、快く引き受けた。 
 その練習を自宅にてこのD700で頑張った! と言うのも、一人で勝手に独奏にて弾くのとはまったく勝手が異なり、ロックバンド内でのキーボード演奏とは皆との整合性も考慮せねばならない。 初めて経験する事態であり、思ったよりも実に困難な課題だったのだ。
 それでも、ロックバンドグループの生徒達から「先生、よく頑張って練習したね!」と褒めてもらい、どれ程嬉しかった事か! こちらこそありがとう!と言いたいところだった。


 婚姻そして出産後は、娘と共にこのD700に触れる場面も多かった。
 それに加えて音楽好きの亭主が、このD700の性能の高さに感嘆してくれたのも嬉しかった。 亭主曰く、何処かの国のロックバンドがベースとしてハモンドオルガンを利用している、等々の談話も披露してくれたことがある。 それにガッテン!!の私だ。 エレクトーンにて足で弾くベース音が凄いのだ! 十分にロックバンドのベースの役割を果たせることであろう。


 このD700を、ついに廃棄処分に持ち込む決意を下した私だ。

 ウィーン旅行を終えた暁には、それを実行せんと志していたのだが……
 先だって不要品処分企業に電話を入れると、来週の火曜日にD700を引き取りに来てくれるとの事だ。

 ここのところその引取りに先だち、D700の上に飾ってあった写真や装飾品の片づけや周辺整理に精を出している。 


 最後のお別れが5日後に迫りつつある。 実に名残惜しい… 

 40年近い年月に渡り、私や家族に音楽の素晴らしさを届けてくれた我がD700よ!

 ありがとう! さよなら!! 

ウィーン周辺で活躍した偉大な音楽家達

2019年07月06日 | 音楽
 (写真は、旅行雑誌より「中欧で活躍した偉大な音楽家たち」のページを転載したもの。)


 来る7月11日にウィーン個人旅行出発を控え、いよいよ我が下調べ・準備作業も大詰めに入っている。

 一昨日の7月4日に義母の高齢者施設訪問及び病院付き添い業をこなした事実に関しては、昨日のエッセイ内で公開した。 実に難儀なその生業を旅行直前期に通過した事が我が精神面でのワンクッションとなり、むしろリフレッシュした新たな気持ちで旅行出発を迎えられそうだ。

 ところで、現在ヨーロッパは時折熱波が押し寄せている様子だ。
 ネット情報によれば、ウィーンにても数日前に最高気温36℃を記録したようだ。 そして本日のウィーンの最高気温が34℃!  どうやら定期的に猛暑日が訪れそうである。
 昨年実行した米国西海岸旅行では、予想に大幅に反して“寒さ”との闘いだった。
 それに比しその苦労は無さそうだが、現在の東京は比較的涼しい日が続いているため、急激な暑さに慣れないがための体調不良に要注意といったところであろう。


 表題のテーマに移そう。

 音楽の都ウィーンには、当然のことながらそれにまつわる名所が盛沢山だ。
 冒頭写真は旅行雑誌より一ページを撮影したものだが、様々な偉大なる音楽家たちの生家や旧住居、遺書を作成した家等々、それら偉大なる音楽家たちの歴史的建物が点在している様子だ。

 出来る限り訪問したいのは山々だが、何分、公共交通機関利用と徒歩中心の個人旅行の制限があり、一体どれ程訪れる事が可能かは不確実性が高い。
 体調や天候条件等々と相談しつつの訪問となろう。


 それでは上記旅行雑誌より我々旅行の下調べの一端として、偉大な音楽家たちにまつわる名所を紹介しよう。

 まずは、モーツァルトから。

 宮廷作曲家の家に生まれ、幼い頃より音楽の才能を発揮したモーツァルト。 成人してウィーンに移り住んだ後は宮廷や教会に属さず、作曲や演奏会での演奏で生活。 オペラがヒットし、演奏家として人気を得たものの、晩年は借金を繰り返し、35歳で病死。 貧しさのため、一旦は共同墓地に埋葬された。
 「モーツァルトハウス・ウィーン」はウィーンに唯一残る住居。 2006年の生誕250周年を記念にリニューアルした。
 ウィーン中心部シュテファン寺院近くに位置するため、もしかしたら立ち寄れるかもしれない。

 次に、ベートーベン。

 父からモーツァルトのような天才少年になることを期待され、幼少時代より厳しい教育を受ける。 1歳頃から音楽家として一家の生活を支えた。 1792年にハイドンに弟子入りし、ウィーンに移住。 ピアノの即興演奏で名声を得た。 晩年は20代に患った難聴の悪化、家族間トラブル等により停滞した時期があったものの、円熟した代表作を残した。
 交響曲「第6番 田園」が作曲された「ベートーヴェン夏の家」や、交響曲第2番やピアノソナタ第16番を作曲し、また2人の弟たちに遺書を書いたとして知られる「ベートーベン遺書の家」がある。 いずれもウィーン郊外に位置するため、残念だが、わざわざ訪れる時間が取れない可能性が高そうだ。

 そして、ヨハン・シュトラウス2世。

 「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世の長男。 父親から独立したのち、自分の交響楽団を設立。 ヴァイオリンを弾きながら指揮をするスタイルで大成功を収める一方、父親の楽団と競合した。 父が亡くなってからは二つの楽団を統合し、生涯に渡ってヨーロッパ各地で活躍、ウィーンにて一世風靡した。 「美しく青きドナウ」は第二のオーストリア国歌と称されるまでの人気。
 その「美しく青きドナウ」が作曲された家である「ヨハン・シュトラウス記念館」は2世の住居だった建物だ。 ワルツの巨匠として一世風靡した彼の楽器や家具など、当時の暮らしぶりが垣間見られる記念館。 
 場所は、地下鉄1号線ネストロイプラッツ駅より徒歩3分とのこと。
 我々母娘の当初掲げた「ウィーン旅行」の最大のテーマが、毎年年始にテレビにて視聴する「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」が開催される現地である“音楽の都ウィーン”を訪ねることにあった。 ウィーン市街地より少し離れるが、ここは(プラーターの観覧車を諦めてでも?!?)こちらのヨハン・シュトラウス2世記念館」を訪れるべきではなかろうか?

 その辺は明日自宅にて開催予定の、娘との“ウィーン旅行最終二者会談”にて最終結論を出すことにしよう。

 
 それにしても今回のクラシック音楽巨匠達に関する下調べ作業により、またまた私のウィーン旅行へ向けての思いが活性化された! 

 今夏はラッキーな事に(豪雨が続く九州地方には大変失礼な表現であり心よりお詫び申し上げるが。)、7月11日の出発時の東京地方の気象予報が今のところ安定している事実にも安堵している。

 このまま無事に“ウィーン旅行”出発日を迎えたいものだ。
 (と言いつつもまだ出発まで4日間の余裕があるため、常に各種下調べ準備作業及び様々な分野の検証・監修作業に熱心な私ども原左都子のこと、更なる下調べエッセイを公開するやもしれませんが、悪しからず……)